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『カルチャー・レヴュー』2003
『カルチャー・レヴュー』
http://homepage3.nifty.com/luna-sy/
*以下は立岩に送っていただいたものです。
直接上記のホームページをご覧ください。
Date: Sun, 30 Nov 2003 23:41:07 +0900
Subject: 『カルチャー・レヴュー』32号(るな工房・窓月書房)
■本誌は<転送歓迎>です。但しその場合は著者・発行所を明記した「全頁」
の転送であること、またそれぞれの著作権・出版権を配慮してください。
<無断部分転載厳禁>
■本誌へのご意見・ご感想・情報は、下記のWeb「黒猫の砂場」(談話室)
または「るな工房」まで。メールでの投稿原稿を歓迎します。
http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
◆直送版◆
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(創刊1998/10/01) (発行部数約1240部)
『カルチャー・レヴュー』32号
(2003/12/01発行)
発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
[33号は、2004/01/01頃発行予定です]
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■目 次■-----------------------------------------------------------
◆「La Vue」の〈新創刊〉に向けて 山本繁樹
◆「生野オモニハッキョ」に参加して 文岩優子
◆肉声の明滅 上山和樹
◆「La Vue」15号のご案内
◆インフォメーション/「関西の装丁家展」・講演会「吉増剛造・藤井貞和・
倉橋健一」・「天音堂ギャラリー」)
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////// <新創刊>のご案内 //////
「La Vue」の〈新創刊〉に向けて
――自己の脱構築とさらなる他者との交響を目指して
山本繁樹
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本紙は市民の相互批評を目指す評論紙として、読者の方々の「投げ銭」及び
「木戸銭=年会費」というパトロンシップによる発行運営を志向=試行してき
ました。
「投げ銭」というのは、読者が内容を読み終わったあとで評価に応じて「後
払い」していただくシステムです。そのことによって、在野の表現者や研究者
を支援する評論紙の維持を目指したわけです。
そしてお陰様で本紙は十五号を迎えました。その成果は、「La Vue」のWeb
頁(http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/lavue.html)をご覧くださ
い。年数にすると四年余りではありますが、ここまで継続刊行できたのは、寄
稿者をはじめ読者および関係各位のご支援とご協賛があったからに他なりませ
ん。改めてこの紙面を借りてお礼申し上げます。
しかしながら、「投げ銭システム」による運営は軌道には乗りませんでし
た。当方のアナウンスの不手際か、あるいは「投げ銭」それ自体のわかりにく
さからか、ほとんどの読者は本紙を「フリーペーパー」と做していたようでし
た。配布先(書店・文化センター等)での捌け歩合や風評では、多くの常連読
者がいるとは想定できたのですが、本紙を維持するための有料定期購読者の確
保へとは繋がりませんでした。残念ながら本号を持ちまして、「投げ銭システ
ム」の実践=実験は中止といたします。
しかし休刊ではありません。さらなる継続に向けて、会員制(一部書店売
り)をベースとしたアクチュアルでキュートな「研究〜批評」雑誌(年1〜2
回発行予定)へと装いを新たにします。
「文学・思想・情況の〈現在形〉を読む」という視座から、各自の継続的な
テーマや関心領域を発表する横断的かつ開かれた投稿誌でありたいと思ってい
ます。
そして、複数の声が交響しあう言語‐身体空間の生成と自己の脱構築に向け
ての協働、それらを通して新たな〈可能性〉を呼び込みたいと思います。具体
的には講座や読書会、協働レヴュー(討議)を経ての原稿執筆、編集作業、合
評会などを行います。
このような趣旨での〈新創刊〉に向けて、会員(定期購読者)および投稿を
募ります(投稿規定は別途ご請求ください)。
また〈新創刊〉の掲載内容を希望される方は、「るな工房・窓月書房」編集
部までご連絡ください。追ってご案内申し上げます。
なお姉妹誌メールマガジン「カルチャー・レヴュー」は従来通りのスタイル
で継続発行いたしますので、併せてご購読をお願い申し上げます。
■「La Vue」告知=http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/lavue.html
■「カルチャー・レヴュー」=
http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/review1.html
■「La Vue」2号から15号までを特別セット価格1000円(切手可)にて承りま
すので、前払いにて「るな工房・窓月書房」までお申し込みください。
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////// 識字と在日 //////
「生野オモニハッキョ」に参加して
文岩優子
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「生野オモニハッキョ」とは、主に在日コリアン1世たちが日本語の文字を
学ぶ識字学校のことで、韓国語で「オモニ」は「お母さん」、「ハッキョ」は
「学校」を意味する。今から26年前に設立され、多少の紆余曲折を経て現在も
生野区の聖和社会館で、週2回授業が行われている。叔母の紹介で、私はそこ
に3年ほど前に教える側のスタッフとして参加をした。
実を言えば、日本語を教えることには少し抵抗感があった。在日3世である
私が自分のハルモニ(祖母)と同じ世代であるオモニたちに日本語の文字を教
えるというのは、何か歴史の奇妙な歪みであるように思えて、オモニらが苦労
してきたおかげで私らが学校に行けて、じゃあこれはその恩返し? どうも納
得がいかなかったのだ。だから最初は文字を教える際、筆順や筆法、うまいヘ
タなどはあまり気に留めず、より多くの文字を覚えてもらうことを中心に授業
を進めていた。
「せんせい、この字の書きかたおおてます?」と尋ねるオモニに対しては、
一応合っているかどうかの確認はするものの、「そんなことを気にせんでええ
よ、ほとんどの人が書き順なんかめちゃめちゃに字を書いてんねんから」と不
安がるオモニに安心して文字を書くようにすすめ、また「字汚いから恥ずかし
いわあ」といって恥ずかしがるオモニに対しては「そんなことあれへんよ、
ちゃんと読めるし、私よりうまいんちゃう?」と多少見栄えが良くなくても
堂々と文字を書くようにすすめていた。そんな風にして一年ぐらい経った頃、
あるオモニを担当していた私は、自分の「文字は読めればいい、書ければい
い」という教え方が本当にオモニにとって良いのだろうかと疑問に思い始めた
のだった。
そのオモニは戦後日本に渡って来た六十代くらいの方で、日本で生活する中
で仮名の読み書きや漢字もある程度知っていて、だから私も最初から小学校高
学年レベルのテキストを使用して授業を進めていたのだった。ある日、教科書
ばかりでは飽きるだろうし、覚えた漢字の実践にもつながるだろうと思った私
は、オモニに「今日は、日記を書いてみましょうか。」と提案してみた。最初
少し戸惑っていたオモニも暫くしてその日の一日をノートに書き始めた。朝起
きて、仕事をして(オモニの多くはヘップや鞄などの内職をしている)、お昼
を食べて…‥。
文章中、小さな「つ」や濁点が抜けたり逆に余分に付けたりすることは少し
気になったけれども、これはオモニたちが文字を書く際によく見られる現象
で、その都度指摘をするだけであまり強く間違いを正すことはしていなかっ
た。けれども、その後も時折日記を書く授業をしたりしているうち、私はやは
り文章に頻出するそれらの現象が気になって、試しに私の言う言葉を全てひら
がなで書いてもらうことにした。「学校」「兄弟」「給食」「土曜日」「女
中」。オモニが書いたのはこうだった。「かこ」「きょたい」「きゅそっく」
「とよび」「ぞつ」。
「濁音」「促音」「長母音」はオモニたちの最大の難所であることは知って
いたものの、正直私は少しショックだった。「折角」「掃除」「電球」「冗
談」などを漢字で書けるオモニが、これをひらがなで書いてもらうと「せか
く」「そじ」「てんきゅ」「ぞだん」となるのだ。それにも拘わらず実際オモ
ニたちはそれらの漢字で読み、書き、意味も理解できるのだから(但し、発音
はひらがなの通りになっているが)、このまま漢字テキスト中心の勉強を続け
ても良いのかもしれない。けれども、どんなに難しい漢字をたくさん覚えたと
しても、いつかまたこの「学校」=「かこ」の位置に戻って来てしまうのでは
ないか。漢字というベールにくるまれて表面上みえてこないこの「綴り」の問
題が、もしかするとオモニにとっての不安要素となっていて、文字の間違いを
指摘した時その事実を否定するかのように、慌ててその字を鉛筆で黒く塗りつ
ぶしたり消しゴムで消したりするオモニの振るまいにつながっているのではな
いだろうか。私はオモニに聞いてみた。
「Kさん(そのオモニの姓)は、とてもよく漢字を書いたり読んだり出来は
りますけど、でもひらがなで書くとやっぱり小さい『つ』が抜けたり、伸ばす
音がぬけたりしてしまいますよね。このまま漢字の勉強を続けてもいいんです
けど、私は一回ちゃんとひらがなから勉強してみたらどうかなと思うんですけ
ど」。
「構いませんよ」がオモニの答えだった。私は次の授業に小学校一年生用の
「かなドリル」と「かんじドリル」を用意し、ひらがなの書き順から徹底して
教えることにした。また「止め」「はね」「払い」等の筆法も意識しながら
きっちり書くようにしてもらい、バランスの悪い文字やおざなりに書いた文字
は何度も消して書き直させたりもした。このやや過剰すぎる私の方法も、オモ
ニハッキョを続ける中で私が新たに感じ始めていたことの実践の一つだった。
それは、先にも書いたオモニの「不安要素」の原因を取り除くことにあった。
オモニたちはやはり、文字に対してどこか恐怖感をもっている感じがあっ
て、それで私は「書ければいい、読めればいい」と「文字の正しさ」にあまり
捕らわれずに気楽に文字を書くようにと、以前はすすめてきたのだった。
けれども、実際にオモニがここで文字を覚えどこかで文字を書いた際、ふと
したことで誰かに間違いを指摘されたりする。そうするとオモニは傷ついて、
また文字に対してネガティブになってしまうのではないだろうか。またどこか
外に出掛けることにも億劫になってしまうのではないだろうか。だからこそ、
オモニには誰よりも「正しい文字」「美しい文字」を身につけて堂々と社会に
出られるようになって欲しい。「正しい日本語」「美しい日本語」なんて大嫌
いだけれど、僅かなことで識別されるという社会的現実がある以上、「書けれ
ばいい、読めればいい」という無責任な言い方ではなく、オモニ自らにその体
現者になってもらうというのが戦略的に有効なのではないだろうか、そう思い
方針を変えたのだった。
また、「美しい文字」にはもう一つ別のねらいがあって、文字には一種のナ
ルシズムがあると思うので、きれいな字を書いて自分の書く文字を愛するよう
になってくれれば、文字を書くことが好きになって楽しいと思えるようになる
のではないか、また消して再び書くことでより早く覚えられるのではないかと
思ったことだった。
ただ、仮名をきっちりと覚え「美しい文字」を書けるようになったからと
いって、オモニが「学校」を「がっこう」と書けるようになるわけではない。
それは日本語と韓国語の発音体系の違いに原因があるからだ。例えば、韓国語
では「語頭に濁音がこない」という規則があるので「電気」は「てんき」と、
また日本語にはあって韓国語には無い音があるので「雑誌」は「じゃし」と発
音し、かつそう書いてしまう。これは外国語を学ぶにあたっては当然のこと
で、逆に韓国語の「アヤオヨオヨ」の二つの「オ」と「ヨ」の音の違いが私に
は容易に区別できないだろうし、また英語の場合、もし私が「マザー」を
「mother」と綴り「スクール」を「school」と綴るということを知っていなけ
れば、おそらく「mazar」とか「skule」という風に書いてしまうだろう(昔、
「dictionary」を「ディクチョナリー」と「dangerous」を「ダンゲロウス」
というようにして英単語を暗記していたし、今でも心の中でそう唱えながら
キーを押している)。また「長母音」や「促音」が抜けるのも韓国語の音のリ
ズムがあるので同様に難しい。
だから、音による文字の違いを認識してもらうことが困難な以上、オモニに
は「学校」を「がっこう」という綴りとして覚えてもらうしかないのだけれ
ど、これがなかなか大変なようなのだ。漢字は楽に覚えられるのに、ひらがな
の綴りがなかなか覚えられないというのは、やはり漢字の象形性によるものな
のだろうか。いずれにせよ、オモニには意識して「が『つ』こ『う』」と強く
発音するようにお願いするのだけれど、そうすると今度は「がっこうううう」
と「う」が3つ4つ余分にくっついてしまったりする。オモニにとっては本当
にしんどいことだと思う。このやり方がオモニに役立っているのかどうか、正
しいのかどうかはいつも不安に思っているのだけれど、毎回オモニが来てくれ
ることをその答えだと思い、一応そのやり方を私の方針として今も授業をして
いる。
半年ほど前にKさんは病気をされて、しばらくオモニハッキョを休んでい
た。その間私は、Iさんという別のオモニと一緒に同じ方法で勉強をしてい
た。そのIさんは今ではひらがなを書くことにとても熱心になっていて、
「『か』の点の位置がおかしい」とか「『の』」の空間が少し狭いと言って
は、何度も消し、消しては書きと、十分きれいだから次の文字に進みましょう
と私が促さなければならないほどになっている。これは効果があったと言って
いいのだろうか(?)。
最近、オモニたちの中に文章を書き始める人が増えてきた。その多くは日記
であったり、旅行記であったりするのだけれど、自分史のようなものを少しず
つ書き始めているオモニもいる。そこには、日本に渡って来た(来させられ
た)経緯や、学校に行けなかった理由など、大きな歴史の中で生きてきたオモ
ニの生がある。私の祖父・祖母もこんな風にして日本に来て、そして私が今日
本に生まれ生きているのだなあと思うといつも不思議な感覚にとらわれる。
オモニハッキョは1977年の7月に設立され、同年の8月に私が生まれた。そ
んなことにも何かの縁を感じながら、今や「正しい日本語」のタカ派となった
私も「筆順」や「美しい文字」の勉強のやり直しに励まんとしている。
■プロフィール■-----------------------------------------------------
(ふみいわ・ゆうこ)1977年、大阪生まれ。在日韓国人3世。会社事務員。
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〜〜〜◎◎◎「いくのオモニハッキョ」第5号、発売中◎◎◎〜〜〜
「いくのオモニハッキョ」では昨年開校25周年を記念して文集をつくりまし
た。オモニたちが一生懸命に手書きで書いた文章がそのまま掲載されていま
す。オモニたちの思いやハッキョの活動が知れる内容となっておりますので、
興味を持たれた方はご連絡ください(20周年第4号の在庫も若干あります)。
■定価500円(送料のご負担をお願いいたします)
■連絡先(文岩優子)E-mail:DZN02303@nifty.ne.jp
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////// ひきこもり //////
肉声の明滅
上山和樹
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■出版まで
僕には子供のころから、悩まされている感覚があった。何かの現場にいて、
あるいは人と話していて、「いや、それは違う、本当は、こうじゃない
か……」という小さな火花みたいな感覚が、まさに火花のように閃き、そして
周囲の圧倒的な力学の中で消えてしまうのだった。それは何か異常に貴重なも
のに思えたが、自分の言葉の政治力ではまかなってやることのできない、小さ
な小さな声の明滅だった。消えてしまった後、それは何だったかもう思い出せ
ない。取り返しのつかない喪失感が僕を責め続け、あまりにも貴重な記憶や意
見がどこにも記録されないまま消えてゆくこと、それは「恐怖」に近い喪失感
だった。――二〇〇〇年六月に大阪のある親の会で発言して以後、僕は自分が
それまで流産させ続けていた小さな声たちを、必死にまさに「声」にした。形
を与えて、「公の場所」に出す努力をしたのだった、それは語っている最中、
自分を忘れることができるぐらいに熱中できた、必死の取り組みだった。語っ
ている間、僕はまさに「自分を忘れた」。そんな熱中は、生まれて初めてであ
り、このテーマ以外ではあり得なかった。
二〇〇一年五月、「本を書いてみませんか」というお申し出を頂いたのは、
毎月のように続けられた「声を形にする」作業がある程度ルーティン化し、
「同じことをいつも言わなければいけない」つらさが始まった頃だった。即座
に受諾した。
「インタビューをテープ起こしして、他の人に書いてもらうこともできる」
という選択肢を断わり、「自分で書く」――自分の言葉の機能に賭けてみる
――ことを決めたものの、「書き始める」までが大変だった。「ひきこもり」
は、「コミュニケーションが機能しない」ことを最大のテーマの一つとしてい
る。どんな文体で書くか。――それは、「誰に向けて書くか」という問いと重
なっている。自分のことを「私」と言うか、「僕」というか。「です・ます」
で書くか、「である」で書くか。僕は「書く形」を決めるまでに、一ヶ月を要
した。
出版社からのお申し出は、「一人称で、体験告白を書く」ことだった。僕と
しては、それはそれで貴重なアイデアだったが、僕がどうしても伝えたいこと
は、それだけで尽きているはずではなかった。「本当は、そうではないのに」
――その声には、もう少し一般化すべき、「私」個人の経験に還元されるべき
ではない一般性を伴った内容が含まれているはずだった。七月初旬、僕は本を
二部構成にすることを編集者に提案し、いよいよ本格的な執筆作業が始まっ
た。
「書くまで」はあれほど停滞していた僕の指は、書き始めると、今度は止ま
らなくなった。最高で、四百字詰め原稿用紙七十枚分を一日で書き上げた。
「二七〇枚」という制限枚数を越え、気が付くと僕は八〇〇枚以上の原稿を書
き上げていた。
「ここでだけは、嘘をつきたくない」――その覚悟は、いつの間にか僕の執
筆作業を「遺書作成」の真剣さに変えていた。その作業は、実際に僕にとって
「遺書」の領域にあった。「これだけは、言っておきたい、さもなくば死ねな
い」――その感覚は、極端に私的性格の強いジャンルにあるはずの僕の文章
を、極めて無私的な純粋さに精錬した。つまらないナルシシズムで自分の文章
が汚されることは、そのまま自分自身への冒涜を意味した。僕は、「書き終え
たら死んでもいい」と思える執筆姿勢を保ちつづけた。
僕は生身の個人として生きている。当然、そこに絡み付いてくる人間関係に
は、僕にとっては都合よくとも、相手にとっては困る話もある。出版にあたっ
て削除された原稿の多くは、そうした「トラブル」めいた話の数々だった。そ
こには僕個人の私怨に留まらない、公的性格をもったトラブル――「ひきこも
り」というテーマにとって――も含まれていたのだが、まったく無名の新人と
して本を出そうとしている僕が、そういう話を書くわけにはいかないらしかっ
た。
書く作業は、僕から食事と睡眠への生理的機能を奪った。消耗し続け、十一
月末に全ての作業を終えた頃には、僕は完全に寝込んでしまっていた。近くの
コンビニにも行けない体力。「書き上げた今、僕はこれからどうするか」――
まったく分からず、かといってそれまで続けていた訪問活動もやめるわけには
いかず、僕は自分をあらためて「ひきこもり支援」の活動に再投入した。心と
体の機能は衰弱し続けた。
個人的な衰弱を書いても意味はない。しかし、「遺書」を書き上げた僕に、
もう何か為すべき仕事があるとは思えなかった。書き上げたあとのエアポケッ
トのような時間を、僕は支え損ねた。酒の量も増え、僕は「一日中寝込む」
日々を断続的に続け、それでも訪問活動への使命感だけを支えにしつつ、やっ
ぱり「死にたい」話が始まってしまっていた。二〇〇一年十二月中旬、本は出
版された。
■出版以後
本の執筆と出版は、母には完全に内緒で行なわれた(父はすでに他界してい
る)。執筆のきっかけになった雑誌取材さえ拒否した母が、僕の執筆を許可す
るはずはなかった。僕はもう確信犯の心情で、「これで死んでもいい」などと
幼稚にも考えていたのだった。
すでに執筆を終えたはずの僕は、しかし衰弱の一途をたどった。訪問活動の
頻度も減り、やはり「一日中寝込んで、布団の中でしくしくと泣き続ける」バ
カな日々が続いた。出版社経由で送られてくる読者からの感想文、それに「君
には死んでほしくない」と言ってくれる友人たちの声だけが、その時の僕の支
えだった。ここでも僕は、「声」に支えられた。
出版から五ヶ月、二〇〇二年四月の二十日、僕は衰弱のきわみで譫妄状態に
陥り、幻覚と幻聴の恐怖を味わった。日本兵の幽霊が僕を責め続ける。取り乱
した僕を支えてくれたのは、またしても知人たちだった。メールでのSOSに
即座に電話で応答してくれた精神科医、電話で冷静に僕をなだめてくれた先
輩、深夜の救急診療に車で二時間以上かけてかけつけてくれた友人、――僕は
やはり人に救われていた。人を避け続ける「ひきこもり」の僕が、「人」に救
われている。
幻覚に怯え続ける僕を、母は「手を握って」いたわってくれた。これまで二
〇年近く、「冷戦」のような状態にあった母子関係が、ガラリと変わった。幻
聴の多くは、母に関係していた。優しくいたわりのある母の声が、何度も僕の
耳だけに現れた。
五月、本の出版が母に知れる。親族の誰かが本屋で見つけて母に報告したら
しい。――が、母に会っても、本のことには何も触れない。――そして五月の
暮れ。母は朝から、ついに本のことで僕を責め始めた。「家の恥を世間に晒し
た」「和樹はまだまだこれからの人なのに、自分で自分の首をしめてい
る」……。やっぱりそうか。一番分かってほしかった人に、こんな言葉をかけ
られてしまった。今度は僕が激怒し、「俺が命懸けで書いた本なのに、そんな
ことしか言えないのか!」……惨めだが、そのまま報告しておこう。今はそう
いう状態だ。今日これから、実家に戻るが、おそらく本のことは二度と母子間
で語り合われることはないだろう。「なかったこと」として、完全に封印され
るだろう。少なくとも、時間はかかる。「ひきこもり」とは、そういう話題な
のだ。
今の日々、僕はやはり「読者」と「知人」の声たちに支えられている。声。
僕は「目線」に傷つけられ、「声」に癒されている気もする。この辺の事情
は、まだこれから考えてゆきたい。――でも、ひとつだけはっきりしている。
「ひきこもり」――それは、僕にとって自分の自由意志とは関係ない形で僕に
インストールされてしまったテーマなのだ。自分にミッションがあるとして、
僕にはこのテーマ以外に考えられない。しかしひどくつらい。でもやめられな
い。――僕はこういう形で、自分の「必然的テーマ」と出会い、人々と声を交
し合っている。――僕はひょっとすると、世間の大多数の人々よりも幸福で明
確な形で自分のミッションと出会ったのかもしれない、三十代も半ばにさしか
かって。
声。僕はこれからも、自分の肉声を、他の人間の肉声と絡み合わせてゆきた
い、そこで何かを形にしていきたい。それに付き合ってくださる方、どうか僕
に声をかけてほしい。そこで何かを、いっしょに形にしていきましょう。恐ら
くは、少数派の試みにとどまり続けるだろうけれども。
■プロフィール■-----------------------------------------------------
(うえやま・かずき)1968年生まれ、兵庫県出身。中学で不登校、高校中退。
大学に進学するも不登校・休学。父親の病死でなんとか卒業はするが就職せ
ず、アルバイトに挫折するうち引きこもりに。2000年3月、31歳で初めて自
活。ひきこもりの親の会での発言をきっかけに、それまでひたすら隠し続けて
いた自分の体験を生かした活動を考えるようになる。不登校のための家庭教師
・訪問活動・地域通貨の試みなどをしながら、ひきこもりの問題に取り組んで
きた。現在は休職・療養中で、これまでの無理のあった活動形態を見直し、
「親世代」にではなく、「当事者たち」本人に呼びかけることのできる取り組
みを模索している。著書:『「ひきこもり」だった僕から』(講談社)ネット
上で日記をつけています。http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/
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////// 「La Vue」15号のご案内 //////
■掲載内容■ 特集<装幀談義・造本の周辺>(03/12/01発行)
◎「装幀好き――天野忠の十三冊の本」
涸沢純平(「編集工房ノア」代表))
◎「手製本は周回遅れのトップランナー」藤井敬子(画家・装幀家)
◎「オブジェとしての装幀」吉本麻美(「うらわ美術館」学芸員)
◎「装丁違論」川口 正(「アース・インテグレート」代表)
◎ 「La Vue」の〈新創刊〉に向けて、
――自己の脱構築とさらなる他者との交響を目指して
★書影を多数掲載しています。
■広告協賛:ナカニシヤ出版 http://www.nakanishiya.co.jp/
東方出版 http://www.tohoshuppan.co.jp/
紀伊國屋書店出版部 http://www.kinokuniya.co.jp/
光村推古書院 http://www.mitsumura-suiko.co.jp/headline/index.html
解放出版社 www.kaihou-s.com/
■協賛:哲学的腹ぺこ塾
http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/harapeko.html
■後援:ヒントブックス http://homepage1.nifty.com/hint-yf/
■投げ銭価格100円より・B4判・8頁・発行部数10000部
■京阪神地区の主要書店(一部東京)・文化センター・等に配布
■配布情報 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/lavue.html
■「投げ銭」「木戸銭」は、切手にても承ります。
■郵便振替口座 「るな工房」00920―9―114321
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■関西の装丁家展
関西在住の装丁家と出版社編集室の作品を展示。
ブックデザインという仕事の魅力、本づくりの多面性にふれてください。
日時:2003年12月1日(月)〜6日(土)
午前10時〜午後6時(最終日は午後4時まで)
入場無料
場所:大阪府立現代美術センター展示室B
〒540-0008 大阪市中央区大手前3-1-43
大阪府新別館北館地下1階 TEL.06-4790-8520
交通:地下鉄谷町線・中央線「谷町4丁目」駅下車、1A出口方向へ
徒歩3分 京阪「天満橋」駅下車、東出口から南へ徒歩12分
問合:大阪府立現代美術センター
主催:大阪府立現代美術センター
大阪府立文化情報センター
(社)日本書籍出版協会大阪支部
★同会場に「La Vue」15号を設置しております。
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■「明日は何を語ろうか」
日時:12月13日(土)午後2時
吉増剛三「ポエトリー・リーディング」
藤井貞和講演「物語の結婚」
藤井貞和・吉増剛造・倉橋健一鼎談「古代と現代をつなぐもの」
秦嵐・劉燕子・今野和代ー詩の朗読
場所:岸和田自泉会館(TEL.0724-37-3801)
料金:前売り1500円(当日2000円)
■「ことばの井戸、火傷することば、過激な十二月へ」
吉増剛造ポエトリー・リーディング&パフォーマンス
藤井貞和講演「自由詩学」の発想
秦嵐・劉燕子・今野和代ー詩の朗読
日時:12月14日(日)午後2時
場所:大阪太融寺会館(TEL.06-6834-6969)
完全予約制(携帯.090-1149-4042 今野まで)
料金:前売り1500円(当日2000円)
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■「漫歩系 天音堂ギャラリー」ご案内.....domori-manpoka 山口平明
【紙版「あまそぞ」創刊号031125のスケジュール欄より】
●●●schedule●●●
2003年11月〜2004年1月
★【漫文漫画 貝原浩展】 時局戯評漫画展でございます。
○2003年11月20日(木)〜12月1日(月)
12〜19時 最終日17時まで 火・水お休み
○友人のY氏が南堀江にギャラリーをオープンしたという。この御時世、なん
て無謀なことを、と思う反面、これで大阪でも展らん会ができるぞと内心ニヤ
リでもあった。早速に会場を使わせてもらえることになり、どうせなら他の処
では出来ないような展示をと思案の末、時局戯評漫画で世相への問いかけをし
てみたいと思った次第です。
この危ない時代、ぜひとも天音堂ギャラリーに足をお運びくだされば、これに
勝る幸せはございません。他に絵画も同時に展示してありますので併せて御覧
ください。(貝原拝)
★【小林敏也画本 宮沢賢治「雨にも負けず」他原画展】
○2003年12月4日(木)〜12月8日(月) 12〜19時 最終日17時まで○青天のへき
れきで本年度第13回宮沢賢治賞を受賞、それでというわけでもないのですが、
大阪では初めての原画展です。他いろいろ山猫グッズあります。ドレドレとお
出かけください。 (山猫あとりゑ・小林敏也)
○原画スライド映写と朗読
12月5日(土)午後6時 無料
『よだかの星』読み人/ユミもしくは王咲『どんぐりと山猫』読み人/たいら
あきら
★【中野マリ子 魂の住み処展マリ子祭り】まなざし力で蒐集した宝ものたち
○2003年12月11日(木)〜12月15日(月)12〜19時 最終日17時まで
○魂のすみかを感じさせる物いろいろあります。
キューバ、パレスチナ難民キャンプで5年間のボランティア体験、25年以上
の釜ヶ崎での越冬闘争の日ぐらしが、物への「まなざし力」を育てたと自認し
ています。痛みを持つ者(もん)の処には飛んでゆく中野マリ子です。
そんなわたしが釜ヶ崎の朝市で集めた宝ものです。使い古されたもの、欠け
たもの、どこかに傷があったりで、ゆえに愛しい。
インカ、アフリカ、アラブ、アジアの中古品。
布、人形、木彫り、お茶わん、アクセサリーなどいっぱい。売ります。会期
中、わたしの好きな「布の風」岡原幸代の服が展示されます。どんな心にも力
がつきますように! (中野マリ子)
○かの白洲正子をもものともせぬ「まなざし力」、われらがマリ子さんの蒐集
したる物たちが語りはじめます。作家の制作表現展示ではありませんが、今回
は天音への追悼をこめて特別企画として組みました。 (堂守・山口平明)
《でもねえふと思いだすと、十数年前、天音と閉じこもって暮らしていた私た
ちのおうちに闖入してきて、ヒロミさんの孤独に寄り添ってくれたのが中野マ
リ子である。…略… マリ子さんの侠気に応えて、今回のような企画ができれ
ば、天音の供養にもなろう。せいぜい彼女の迫力に対するに、脱力と老人力で
もって開催にこぎつけたい》(ウェブ日記【「天音堂ギャラリー」堂守そぞろ
日誌】03/10/21の項目より引用) http://www3.diary.ne.jp/user/348493/
★【WEB版SELF-SOアートギャラリー交流展】ウェブ上の作家たちがオフで集合
○2003年12月18日(木)〜12月22日(月) 12〜19時 最終日17時 交流会12月20日
(土)午後3時〜
○参加作家(予定)
あいだたきこ、あかさかひろこ、浅山美由紀、今井たえこ、上野絹子、こしだ
ミカ、佐伯朋子、宗和晴美、田村実環、徳治昭、中川渉、永島正人、中西圭
子、のだよしこ、橋本修一、橋本あやめ、古井三恵子、星谷つとむ、前田学、
マサルとミツル、ミズタニカエコ、宮崎詞美、山口ヒロミ、ユリコフ・カワヒ
ロ。
★【カメリアーノ色鉛筆人間画展 2004 OSAKA 天音堂ギャラリー】
「ぼくは、しあわせな絵画になる。」
○2004年1月9日(金)〜1月20日(火) 12〜19時 最終日17時まで 水・木お
休み[2004年から水・木が休廊]
○LIVEコンサートや人の集まるところで、ライブに絵を描くLive Documentを
つづけているうち、肖像画や人物画がおもしろくなってきました。
2004年は、色鉛筆による[人間画]を追求してみます。「存在」の意味が少し
は見えてくるかも…。
※「ぼくは、しあわせな絵画になる。」というタイトルは、畑中摩美さんの
「絵画」という歌から生まれました。ありがとう。
*以上、 「そぞろ通信★11月号*2003-11-27」発行☆山口平明(堀江・天音
堂G)より転載。
■編集後記■---------------------------------------------------------
★現代人は「経験ではなく経験のイメージで、生活を満たしている」とは社会
学者プーアスティンの言葉だそうですが(孫引き)、今号掲載のお二人のエッ
セイはイメージや知識からではなく、それぞれの切実な経験を反問することか
ら獲得された好論考だと思います。
★10月半ばにリアルの仕事場を移転して、ようやく荷物の整理も片付いたとこ
ろで師走ですね。思えば、早い一年でした。
★移転作業と「La Vue」15号の製作とが同時並行だったので、とくにPCの保全
と原稿データや著者校などを紛失しないように気を遣いました。また今回は特
集の関係から多数の書影を掲載しましたので、印刷の仕上がりにも特別留意し
ました。ぜひご覧ください。(黒猫房主)
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『カルチャー・レヴュー』32号(通巻34号)(2003/12/01)
■編集委員:いのうえなおこ・小原まさる・田中俊英・加藤正太郎・
山口秀也・山本繁樹
■発行人:山本繁樹
■発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
E-mail:YIJ00302@nifty.com
http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
大阪市都島区友渕町1丁目6番5―408号 〒533-0022
TEL.06-6924-5263 FAX.06-6924-5264
■流通協力「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/
■流通協力「Macky」http://macky.nifty.com
Copyright(C), 1998-2003 許可無く転載することを禁じます。
●○●---------------------------------------------------------●○●
■申込・解除・変更は下記の(直送版は、るな工房まで)
http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/touroku.htmlまで。
■本誌のバックナンバーは、
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■このメルマガは半角70字(全角35字)詰めです。固定(等幅)フォントでお
読みください。
>TOP
Date: Wed, 1 Oct 2003 10:53:07 +0900
Subject: 『カルチャー・レヴュー』31号(るな工房・窓月書房)
■本誌は<転送歓迎>です。お知り合いの方にご転送ください。その場合は、
著者・発行所を明記した「全頁」の転送であること、またそれぞれの著作権・
出版権を配慮してください。<無断部分転載厳禁>
◆直送版◆
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(創刊1998/10/01) (発行部数約1240部)
『カルチャー・レヴュー』31号
(2003/10/01発行)
発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
[32号は、2003/12/01頃発行予定です]
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■目 次■-----------------------------------------------------------
◆アンジェンダレス・ワールドの〈愛〉の実験 鈴木 薫
◆青春と映画「バルタザールどこへ行く」 元 正章
◆アンケート「映画多彩」の回答
◆「La Vue」15号のご案内◆インフォメーション
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////// 映 画 //////
アンジェンダレス・ワールドの〈愛〉の実験
鈴木 薫
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かつて上野千鶴子は「ジェンダーレス・ワールドの〈愛〉の実験」(一九八
九年初出、『発情装置』所収)で、いわゆる二十四年組を中心とした少女マン
ガについて次のように書いた。
《彼女ら少女マンガ家は、「少年マンガ」を描いたのではない。少年の姿を借
りて「少女マンガ」を描いたのだ。その時「美少年」とは何か? 美少年は、
少女にとって「理想化された自己像」であり、したがって男でも女でもない
「第三の性」である。》
だが、少年であること=男性主体であることには、「第三の性」などという
怪しげなカテゴリーを設けるまでもなく意味がある。〈少女たち〉がそこに
「理想化された自己像」を見たとしたら、それは〈少女たち〉が自己を材料に
「男でも女でもない」ものを作ったからではない。同一化の欲望の対象となる
表象が、すでに文化の中に存在していたからだ。
上野の文章は次のように結ばれる。
《異性愛のシナリオに代わる〈愛〉の物語を、まだ私たちの文化はつくり上げ
ていない。少年愛マンガは、ジェンダーにふかく汚染されたこの世への、少女
マンガ家のルサンチマンが産んだジェンダーレス・ワールドにおける〈愛〉の
実験である。そしてそれは同時に、〈恋愛〉の最後の可能性の追求であっ
た。》
「異性愛のシナリオ」がそれほど魅力的だろうか、と「美少年コレクション
展〜昭和のイラストレーションにみる〜」と題する展示を弥生美術館で見てき
たばかりの私は思う。男女の対等でない関係にルサンチマンを持つことが、こ
うした絵に魅惑されるために必要だろうか? 私たちのセクシュアリティは思
春期以前にはじまっているのだ。高畠華宵や山口将吉郎らが昭和初年の少年雑
誌に発表した作品には、何らかの大義に身を捧げる者同士の友情だの、女と見
まがう美貌の貴人とその従者だの、傷ついた少年とそれを介抱する少年だの、
およそ現代の〈やおい〉ガジェットそのままのモチーフがすでに出揃ってい
る。男同士の「〈愛〉の物語」は、文化に登録されていなければけっして〈少
女たち〉を惹きつけることはなかったろう。その証拠に、〈少女たち〉はジェ
ンダーレスならぬジェンダード・ワールドにおけるホモソーシャリティの優越
と隠されたホモセクシュアリティに魅惑されこそすれ、ペニスを持たぬ者同士
のあいだに欲望が通うことがありうるなどとは思ってもみなかったのだ。
だが今は、そうした魅惑について語ろうというのではない。そうではなく、
かつて「理想化され」たためしのなかった、しかし「私たちの文化」が確実に
生産しつづけている、そしていまなお人目に触れることの少ない、「異性愛の
シナリオに代わる〈愛〉の物語」の最近の例を、二つ紹介したいと思うのだ。
一つは、今年の〈東京国際レズビアン&ゲイ映画祭〉で上映されたカナダのイ
リーナ・ピエトロブルーノ監督の『ガール・キング』であり、もう一つは、後
藤羽矢子の連作マンガ『ラブ タンバリン』全二巻(大都社)である。
ピエトロブルーノは、同映画祭で五年前に上映された、病院の廃虚を使って
撮ったというドイツ表現主義風のモノクローム映画『猫はオウムを飲み込ん
で……しゃべりだす!』で、地下室を満たした経血のプール(『不思議の国の
アリス』の涙の池を想起されたい)の中で女同士がキスするという、それまで
誰ひとり思い描くことのなかった美しい場面を見せてくれた人だが、今度の作
品は女だけの世界である。といってもそれは「ジェンダーレス・ワールド」で
はない。〈女王〉がおり、〈王〉がおり、その名もブッチ(いわゆる「男役」
――と呼ぶのは実は問題があるのだが――を意味する語で、対する名称はフェ
ムである)という若者がおり、その恋人の少女がいる。それらを皆、女性が演
じる。
しかしこれは宝塚ではない(見ながら私は宝塚がこのようだったらどんなに
いいだろうと思ったものだ)。宝塚で〈男〉を演じるのは贋の男=男役で、周
知のとおり彼女たちはいつか男装を解いて女になる――妻か女優に。だが、
『ガール・キング』の世界では、男女の姿をとりながら衣裳の中身の女同士が
愛しあう。王と別れた女王は今では快楽を奪われているが、それは不在の王の
不在のペニスのせいではない。王が彼女のクリトリスを持ち去ってしまったか
らだ。女王は不感症だったのが王によって治ったとされている。しかしそれは
王のペニスによってではない。王もまた題名通り〈ガール〉であるのだから
(外見は髭を生やした男性である)。女王のクリトリスを取り返す旅の途上、
ブッチの恋人も男装する――とはこの世界では男になるということであり、逆
に言えば男であるとはそれだけのことなのだ。
ここにあるのはジェンダーの流用と撹乱であって、オリジナルを模倣するこ
とによる規範の再強化ではない(もしも「ブッチ」が男の模倣にすぎないのな
ら、それはどこまでもオリジナル(「本物の男」)に及ばぬ贋物にとどまるだ
ろう)。実は一人だけ男性が登場するが、それは海賊船長キャプテン・キャン
ディが彼に究極のフェムを見出した結果である。キャプテンは彼を相手に異性
間性交も辞さない模様だが、それでもあくまで彼は彼女のフェムなのだ。
アーシュラ・K・ル・ グインの読者なら、『ラブ タンバリン』からただち
に『闇の左手』を連想するだろう。一九七二年に邦訳が出版されたこのSFに
おいては、惑星〈冬〉の「ゲセン人」は普段は雌雄同体で、定期的に訪れる
「ケメル」の期間だけ男女どちらかに変化して性行為を持つという設定がなさ
れていた。地球から訪れた主人公は、彼らの目から見れば、つねにケメルの状
態にあり、恒常的に「男」である異常な存在である。彼自身、ゲセン人に馴れ
てしまって、最後に久しぶりに仲間の地球人を目にしたときは、過度に男性的
だったり女性的だったりすると感じる。当時の日本の少女マンガの試みと奇し
くも照応していたこの小説では、女性作家ル・ グインにより、「ジェンダー
にふかく汚染された社会」のめざましい相対化がなされていた。とはいえ、現
在から見れば(すでに批判――自己批判を含めて――されていることだが)、
惑星〈冬〉の人々が「彼」という代名詞で呼ばれること、二つの個体が同性同
士に変化するのは異常だと明言されていることなど、かなり気になる点ではあ
る(緻密な想像力と見事な文体で一つの世界を創造したル・グインについてそ
ればかり言い立てる不当を承知で言えば)。だが、いったい、どのようなオル
タナティヴがありえたであろう? 「彼」を「彼女」に言いかえただけでは
(そういうヴァージョンもあるという)どうにもならない――それとも、なる
だろうか?
『ラブ タンバリン』はこの問いに、一つの、そして魅力的な答を与えてい
る。作者はまず、惑星ラウルス(「常緑」の意味だそうだ)の住人を全員「彼
女」にしてしまう。名前からして〈冬〉と対極にあるこの星では、ケメルの期
間以外は性欲に無縁の生活をするゲセン人と違って、人々はつねに発情してい
る――私たち同様に。当然、セックスは女同士で行なわれる。実はこのマンガ
は男性向け雑誌に掲載されたものであり、これは男性読者のために繰り広げら
れるレズビアンものであるととりあえず言うことができる――だが、問題はそ
れほど単純ではない。
ラウルスはジェンダーレスの世界ではない。誰もが三ヶ月に一度、一夜だけ
男になる「メールデイ」を迎えるからだ。『闇の左手』は発情モデルだが、こ
ちらは月経モデルである。メールデイは一定の年齢が来ると起こり(老年にな
ると消失し)、そのときは性欲が増し、攻撃的になったりもする。気分が悪く
なるので症状を和らげるために薬を飲んだり、薬で時期を変えたりすることも
ある。また、メールデイが来るのは、妊娠していないしるしでもある。月経の
アナロジーが「男性的」セクシュアリティと結びつくこと自体も面白いが、こ
の枠組みによって作者には、女同士のセックスに加えて片方がメール化したと
きのセックスをも描くことが可能になった。
レズビアン読者にとって、この「メール化」は一種の躓きの石であろう。松
浦理英子の『親指Pの修業時代』について、主人公の一実は足の親指を、それ
がペニス化した時点で切り落してしまえばよかったのにという意味のことを書
いた小倉千賀子のような読み手には、これは気に入るまい。実際、『親指P』
では、一実が女性とする性行為は親指ペニスによるペニス-膣性交に終始して
おり、それがそのまま『ナチュラル・ウーマン』と比較したときの『親指P』
のわかりやすさと通俗性を形作っていた。異性間性交の代用でなくそれ自体で
完結したものだと主張するとき、女同士のセックスにとってペニスは余計なも
のに見える。だからといってそれを切り落してしまえと言ったのでのは、一実
の最初のボーイフレンド、正夫(その名も「正しい夫」!)と同じ振舞いをす
ることになる。
松浦の(親指)ペニスは、射精しない、快楽のためだけの器官であり、マク
シマムのクリトリスだったが、『ラブ タンバリン』のペニスには再び生殖の
問題が入ってくる。実際、『ラブ タンバリン』の世界ではかなり生殖が重要
視されている。彼女らがプロミスキュアス(フリーセックスという懐しい言葉
が使われている)なのには、メールデイと排卵日がカップルの間で重なるとは
限らないから、妊娠の機会をふやすためだという理由づけがされているし、二
つの個体のメールデイか重なることもあるはずだが、男同士になってしまった
らそのままセックスすればいいと言われて主人公の一人が嫌がるのは、子供が
ほしいからだ(ただし、描かれないだけで、男同士が一般的に忌避されている
わけではない)。「フリーセックスの惑星で結婚を選んだ」リラとベスを主人
公としたこの連作は、雑誌で一話だけ見たならば他愛ないレズビアンものと思
えたかもしれないが、通して読むと、作者が、長期的なパートナーシップ、子
供、家族といった実際の関係性を問題にしたかった――「地球の男女」からあ
えて離れたところで――ことがよくわかる。愛する相手とするのが一番気持ち
いい――
『ラブ タンバリン』は基本的にそういうメッセージを発している。だがそ
れは、愛する相手とでなくてはしてはいけないという禁止ではない。また、愛
しているのならセックスすべきだという規範でもない。「男」のいない世界は
柔らかな描線の可愛らしい絵のユートピアではなく、子供への虐待もあればレ
イプもあり、それに対する判断を作者はきちんと示している(ただ、たとえば
「聖母」と「娼婦」への女の分断はない。彼女たちは性を楽しみ、しかも子供
を産むものなのだから)。かろやかな筋運びのコンパクトな本の中に驚くほど
多くのテーマが詰め込まれている。
はたして地球人の男性読者はこのマンガをどう読むのだろう? 赤川学が指
摘するように、画面上の女性に同一化できないことを通じて「自己を、女性に
は同一化不可能な他者、すなわち男性として再認させること」こそがポルノの
基本戦略であり(『性への自由/性からの自由』)、男性主体にとって重要な
のは男性の表象ではなくもっぱら女性の快楽の表現であるのだとしたら、セッ
クスの場面に男性(「本物の 」)が全く現われることのないこの作品は理想
的なのではないか? 最初そんなふうに思っていたが、試しにウェブで検索す
ると、意外なことに、同一化するキャラクターがいないので「おかず」には使
えないという男性の感想が複数ヒットした。なるほど、なおも女言葉で喋りな
がら性交する、さっきまで女だったものは、ヘテロセクシュアルな男性主体の
円滑な作動を妨げるのかもしれない――あたかも親指ペニスのように。そうな
るとこの作品は、むしろ〈女性の快楽〉への同一化を誘うものであり、それが
可能な者(性別を問わず)のみを惹きつけるのだろうか。そういえば仕事でラ
ウルスを訪れた地球人男性がひとり出てくるが、女たちが男に飢えていると聞
いていた彼は、リラとベスの親密さ――というより激しさ――を目のあたりに
して、なすすべもなく帰って行ったのだった。
しかしさしあたって私の関心は男性読者にではなく、女性読者にこの作品が
どのように受容されるかにある。もともとこれは男性向けマンガであり、女二
人のカラミではじまり男女間のセックスに移行するポルノグラフィの定番であ
り、男性読者にとっておいしい設定のはずだ――しかし、読んでいるうちにそ
んなことはどうでもよくなる(地球人男性のエピソードをなぞったかのよう
に)。というより、言われてみるまでそんなことは思い出しもしないほど、こ
れは女性読者にとって心地よい作品であるのだ(性的主体化=従属化されたヘ
テロセクシュアル男性主体の均一性と違い、その心地よさは人によってさまざ
まであろう)。作者が男性向けエロマンガのステレオタイプを逆手にとってい
かに私たちが楽しめる作品を生み出したかを、女性読者にぜひ見ていただきた
い。
■プロフィール■-----------------------------------------------------
(すずき・かおる)東京生まれ。詩、小説、評論を細々(こまごまでなくほそ
ぼそ)と書く、むかしの「ユリイカの新人」(折口信夫は能登一ノ宮に建てた
父子墓の碑銘で「もつとも苦しき たたかひに 最もくるしみ 死にたる むかし
の陸軍中尉」と養子・春洋のことを記していて、子供の頃家にあった観光ガイ
ドブックで折口が何者か知らずに読んだ私は、その抽象性と自己中心性にただ
ならぬものを感じたものだ)。
月一回、「きままな読書会」を主催。今月は10月18日(土)18:00〜21:00、
ジェーン・ギャロップの『娘の誘惑―フェミニズムと精神分析』6,7章を東
京・中野のLOUD(レズビアンとバイセクシュアル女性のためのセンター、
http://www.space-loud.org/pc/map.htmlに地図あり)て。参加者の性別、性
的指向は不問。問合せはdokushokai@hotmail.comへ。
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////// 青春と映画 //////
青春と映画「バルタザールどこへ行く」
元 正章
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ポール・ニザンの小説『アデン・アラビヤ』に、「青春が美しいものだと
は、誰にも言わせない」と言ったような言葉があった。ニザンと言っても、今
の若い人たちには分からないであろうが、当時流行っていたフランスの作家で
ある。カミュやサルトルに隠れて、若者の間では静かな人気があった。青春と
は謳歌するものではなく、失望と挫折を経験するのである。まさしく私の青春
時代もそうであった。
学生運動が一番華やかな時代に東京で学生生活を送った。これはもう体に染
み付いた原体験であって、あれから40年近く経っても、記憶から拭い去ること
はできない。いわゆる全共闘の世代、その中にどっぷりと浸かって、無茶苦茶
な生活を送っていた。革命と言う幻想に惑わされて、口角泡をとばし、生半な
言辞を弄して意気がっていた。要するに何も分かっていなかったのに等しいの
だが、その時はその時で真面目であった。でも、それを純粋であったとは言わ
せない。若さの特権を生きていたに過ぎない。しかしまた、それを若気の至り
とも言いたくない。社会人となり今度は生活の中に浸かってしまうと、青春と
は愚かなものであり、罪でもあったと反省しないでもないし、世間欲とはまた
違ったところで己の欲望に忠実に生きていたのであるが、あの一途なひたむき
さを世の安易な価値観で判断して欲しくないという気持ちは絶えず持ってい
る。分かって欲しくない部分と、分かってもらいたい部分とが入り乱れてい
る。それは今も続いている。
当時、ATG(アート・シアター・ギルド)が全盛期であった。学校なんて
行かず、もっぱら新宿の映画館に通っていた。映画がわが人生であった。それ
にモダンジャズと読書、この三つで青春時代を要約できようか。月1万円の仕
送りと3000円の奨学金、あとはバイトで稼いでいた典型的な苦学生であった。
それでも心の中は贅沢であった。映画の世界は日常を忘れさせた。何が一番印
象に残っているのかと問われた時、かつてはゴダールの「気狂いピエロ」と答
えていたものだが、今はブレッソン監督の「バルタザールどこへ行く」(1966
年)と答えよう。主題曲は、シューベルトのピアノソナタ。それが何番であっ
たのか、忘れてしまったが、聴けば映画のストーリが思い出される。とにかく
哀しい映画であった。もう随分と前になるから、その内容の細かいところは覚
えていない。それでもこの映画は良かったと、唇を噛み締めて頷き、目を閉じ
て納得している。この映画をすばらしかったと感動する感性を備えてくれたこ
とに対して感謝する。これが偽りのない自分であるのだ。そしてブレッソン監
督、彼のことについては、映画を通してしか何も分からない。でもよくぞこの
ような映画を作れるものだと、感心を超えて頭が下がる。
原題は「Au Hasard Balthazar 」。厳密に訳せば、「行き当たりばったりの
バルタザール」となろうか。それを、「どこへ行く」としたのは、内容を組ん
だ訳である。実際は、どこにも行っていないのだ、どこにも行けなかったの
だ。人間の身勝手さに翻弄され、ただそれを受け止めるしかないロバの一生が
淡々と描かれているに過ぎない。そこには何の説明も評論もない。哀しい、寂
しい事実が映像に映し出されている。リアリズムの手法ではあるが、デシーカ
監督が「自転車泥棒」で描いているようなドラマ性もない。あるのは偶然であ
る。
主人公のロバであるバルタザールは勿論何一つとして言葉を発するわけでは
ない。彼は現場の証人であっても、そこで抗議し自己主張することはできな
い。傍観者として存在しているだけである。悲しい目を注いでいるだけであ
る。それがまた、なんとも言えない。バルタザールが生まれて、銃に撃たれて
静かに息をひきとるまで、それは悲惨と苦難の毎日であった。何故そうなって
しまうのか。色んな偶然が重なって、そうなってしまったとしか言えない。彼
はどこまでも無抵抗である。その無抵抗をいいことに、人間として屑の悪餓鬼
どもの残酷な仕打ちが繰り返される。それは虐めたいから虐めるといったよう
なものである。それは偶々おまえがそこにいたから、おまえが悪いのだといっ
た発想である。悪餓鬼どもは明らかに何も言わないバルタザールを意識してい
る。だから余計に許せなくなるのか、情け容赦なく残虐の限りを尽くす。それ
がまた、彼らの青春の証でもあるかのように、その行為を微塵として疑ってい
ない。「彼は敵である。だから抹殺せよ」。まことに単純である。相手が弱け
れば弱いほど、虐めないことには気がすまない。このような心理は現代の社会
病理とも共通している。人間とは文明の発達とともに進化する動物ではないこ
とを、いみじくも顕している。悪餓鬼どもは自分のやっていることが分かって
いないのだ。どこまでも日常の延長であって、悪さをしても家に帰れば、家族
とともに飯を食い、両親にキスして、ベッドに気持ちよく眠り、明日を迎える
のである。
女主人公のマリーも輪をかけて、哀しい。悔しいほど哀しい。女の人、彼女
はまさしく女の人であった。それが好きでもない男とベッドをともにし、悪餓
鬼どもに暴行され、村から離れてしまう。マリーの父親は、落胆の余り死亡。
善良であればあるほど、不幸になる。悲惨のどん底に落とされる。そのことを
淡々と描いているのだ。その淡々さが辛い。涙ぐむ。マリーよ。あなたは美し
かった。優しかった。善良であった。それが人間の屑のような男の胸に抱かれ
る。それは愛情なんてものではない。自分の身を崩す行為なのだ。彼女はそう
することで、婚約者と父親を裏切った。悪餓鬼どもも、あいつらはあいつらな
りの生き方と正当性があるのだ。あいつらももう少し大人になったら、結婚し
て、市民生活を送ることになる。「若いときは、自由であったな。結婚は墓場
だ」と言いつつ、子供を抱いて満足気である姿が浮かんでくる。
バルタザールよ、おまえは誰であったのか。何を私たちに示そうとしたの
か。マリーはおまえを愛した。おまえもそのときだけは、本当に幸せであっ
た。そのときだけは。さんざん痛めつけられ、サーカスに売られ、アル中男に
弄ばれ、最後には密輸品を背中に背負わされて、国境の山を喘ぎながら登って
いる最中に、官憲の手によって銃殺される。無駄な死であった。そう、それが
イエスの生と死でなかったか。今、牧師となって、そう痛感する。バルタザー
ルは、イエス・キリストであった。人間の負荷を一生担い続けたのだ。
■プロフィール■-----------------------------------------------------
(はじめ・まさあき)1947年神戸生まれの神戸育ち。両親は奄美出身。これは
事実だが、出身と育ちを越えようとして、超え切れなかったところで今も生き
ている。別にしがらみなんてあるわけでもないのだ、それなのに離れることが
できなかった。コスモポリタンなんて、嘘っぱちだ。多神教なんていい加減
だ。本屋に勤めて、30年近くになった。そこを離れて、3年半。今は、曽根教
会の牧師である。神との格闘の真最中。ずっと苦学生だ。これはどうにもなら
ない。いつまで経っても、現在進行形である。
◎◎◎日本基督教団曽根教会&子供の園保育園◎◎◎
高砂市曽根町にあって、70数年の歴史がある。農村開拓伝道、セツルメント
事業から出発。その精神はこの地に根ざしている。一地方の小さな共同体では
あるが、保守的な地盤にあって、開かれた窓口となっている。一度是非とも訪
れてください。JR曽根駅下車。
〒676-0082 高砂市曽根町788-1 TEL:0794-48-6836 牧師 元:正章
http://www2s.biglobe.ne.jp/~sonechch/
/////////////////////////////////////////////////////////////////////
////// アンケート「映画多彩」の回答 //////
Q:いわゆる「名画」とは限らない、私にとって決定的な影響を与えた映画や
想い出深い映画、あなたのお薦めの映画、印象深い映画など3点を挙げて
ください。
A:映画名・監督名・その映画についての簡単なコメント(コメントは無くて
も可です)。回答者名は、匿名も可です(掲載は、入稿順)。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////
■山口秀也
(1)『天国に行った猫』(監督不明)
幼稚園のころ観た(とおもう)ので題名も、だれに連れて行ってもらったの
かも解らない。もちろんストーリーなど想いだせるわけもないのだが、暗い夜
の街角で、死んだ猫のからだから抜けでたたましいが、空から差し込んできた
光を伝うように昇天していくラストシーンに、「死」そのものを恐怖してか、
泣いていたことだけ憶えている。死ぬのが怖いと、布団を頭から被って泣いて
いた子どもは、これ以降、映画でこれほどの暗い欲動をかんじたことがない。
この作品について知っている人がいたらぜひ教えてください。
(2)『イズ・イット・ヘヴン・イェット?』(カール・カルダナ 1984)
軽妙なタッチ、愛すべき登場人物、印象ぶかい音楽といい、ジャック・タチ
の正嫡といえるカナダ人カール・カルダナが、脚本・監督・主演その他をこな
すコメディ。主人公ソーニー・クロフトは、ぼくの憧れのやさしき隣人だ。続
編らしい『Mr.プープの初恋』も観てみたい。
(3)『二人が喋ってる』(犬童一心 1997)
あまりの良さに心の底から唸ってしまった。自主映画っぽさが全編を覆う
が、この作品のような稀有なるアトモスフィア(雰囲気)をもつ映画だけが、
じつはほんとうの意味でのエンターテイメントといえるのではないだろうか。
大島弓子原作の『金髪の草原』も観てみたい。
映画とは、本質的に忘れられる運命にある。もう観られないという気持ちか
ら作品への愛はふかまる。そんなわけで、めったなことで人の口の端にのぼら
ないが、もういちど観たい映画を3本挙げた。ビデオやDVDになっているも
のもあるが、いずれも、目にする機会がすくないことはまちがいない。
さいきんは、映画館へ足をはこぶことが極端に減ったため、レンタルショップ
で貴重な映画体験をすることが多い。『マグノリア』のP・T・アンダーソン
の日本劇場未公開の初長編作品『ハード・エイト』のDVDもレンタルショッ
プで見つけた。25歳(O・ウェルズが『市民ケーン』を撮った年だ)にして熟
練の域。新作『punchdrunk knuckle love』がはやく観たい。そういえば、
「武士道」を愛読するF・ウィティカーの殺し屋が『レオン』より渋いジム・
ジャームッシュの快作『ゴースト・ドッグ』もレンタルで観た。
ついでに……。インパクトではつぎの4本。アレハンドロ・ホドロフスキー
の『エル・トポ』、ドゥシャン・マカヴェイエフ『スウィート・ムービー』、
セルゲイ・パラジャーノフ『ざくろの色』、ジョン・ウォータース『ピンク・
フラミンゴ』。
■中島洋治
(1)『東京物語』(小津安二郎 1953)
小津さんの作品は、観れば必ず私は好きになる。綿密に計算された反復され
る画面とそこで動く人々。その光と影だけでさえ心に響く。よく小津さんの映
画は「古き良き日本」と形容されるが、私は何故か稀に「古き良きアメリカ」
をふと想起させられる。他にそうした感覚を持つ方はおられるのだろうか。
(2)『ブレードランナー』(リドリー・スコット 1982)
この衝撃は大きかった。混沌とした近未来が映像として見事に表現されてい
たし、人間概念を問うというテーマもショッキングであった。この映画に続く
ものとして、押井守『攻殻機動隊』、ウォシャウスキー兄弟『マトリックス』
を考えることができるが、『ブレードランナー』が色褪せることはない。原作
者フィリップ・ディックもまた二十世紀の重要な作家になろう。
(3)『戦場のメリークリスマス』(大島渚 1983)
この映画はじつは思想映画かもしれない。原作者のヴァン・デル・ポスト
は、捕虜の悲惨さが描かれていないことに不満があったらしいが、映画だけで
言えば、シーンの美しさ、登場人物の哀しさが強い印象を残す。私は訳も分か
らず泣いた(今でもよく分かっていない)。
私は映画通とは掛け離れているので有名な映画ばかりになったが、以上の三
つにはどれも十代で大きな影響を与えられた。
■笠井嗣夫
(1)『トプカピ』(ジュールス・ダッシン 1964)
トルコかどこかの博物館に侵入して宝石を盗み出す泥棒団の話です。学生時
代最後の夏、とても落ち込んだことがあった直後に観ました。観ているあい
だ、イヤなことはどこかへいってしまったばかりか、映画がおわって外へ出た
あとでさえ、落ち込みは5分の1くらいに減じていました。それ以来、ぼくに
とって映画(映画館)は、心から感謝すべき存在です。
(2)『春婦伝』(鈴木清順 1965)
ラスト数分のすごさ。戦場を従軍慰安婦に扮した野川由美子が必死に走るの
ですが、無数の銃砲が、まるで大量の花火のように「美しく」炸裂します。映
画とは、物語ではなく映像の力なのだとぼくの映画に対する見方を根底から変
えさせてくれた作品です。
(3)『鴛鴦歌合戦』(マキノ雅博 1939)
十数年まえ、まったく偶然から知人の所有するビデオで観た戦前の時代劇
ミュージカル。千恵蔵、志村喬、ディック・ミネらが脳天気に唄い、怪しげな
骨董品に一喜一憂します。映画とは、映像だけでなく、リズムなのだとおしえ
てくれました。どうじに、戦前の日本映画の多様性に目を開かされるきっかけ
にもなりました。
■Thomas Magnuson
(1)『Dune』(Frank Herbert)
Patrick Stewartや音楽家のSting。
(2)『Close Encounters of the 3rd Kind』 (George Lucas)
ルーカスのブレークのきっかけとなった作品。宇宙人を「敵ではない」と描
いた物は、これが初めてだと思います。
(3)『There's Something About Mary』(Bobby Farrelly & Peter
Farrelly (俗で、「The Farrelly Brothers」)
「メリーに首ったけ 」。これほど爆笑させてくれた映画はありません。
■宮山昌治
(1)『オテサーネク 妄想の子供』(ヤン・シュヴァンクマイエル 2000)
原作はチェコの民話である。子供のできない夫婦が切り株を子供として育て
始める。切り株はいつのまにか生命を持ち、しだいに大食になってゆく。その
うち食器、家具までもたべはじめ、ついには村人や両親までもたべてしまう。
しかし、禁断のキャベツを食らったために、老婆に斧で切り倒されてしま
う……。シュヴァンクマイエルはこの民話を、独特の奇妙な世界に作り変えて
しまうのだ。生命とは「たべる」と同義であろう。子供のできない夫婦が、枯
れ木の子供オテサーネクを得る。オテサーネクは「たべる」ことに関して逸脱
している。この世のすべてをたべ尽くそうとする過剰な生命なのである。しか
し、オテサーネクはキャベツをたべることで破滅してしまう。キャベツは言う
までもなく多産の象徴である。正しくたべること。最小限の殺しにとどめるこ
と。殺しの上に成り立っている生命は過剰であってはならない。過剰な生命は
過剰に生命を殺すことになり、生命に復讐される……と言うような教訓に止ま
らないところが、シュヴァンクマイエルの魅力であろう。原作と違って、たべ
られた人間達は助からないのである。
(2)『スラム砦の伝説』(セルゲイ・パラジャーノフ 1984)
この映画の原作はグルジアの伝説である。侵略者に悩むグルジア王は砦の建
設を進めたが、スラム砦だけはいつも破壊されてしまう。奴隷のドゥルミシハ
ンは恋人ヴァルドーを救うために出稼ぎにトルコにゆくが、心変わりして別の
女性を娶る。ヴァルドーは絶望して占い師となる。時を経て、スラム砦を救う
には人柱しかないと占い師は預言する。折りしも、トルコからドゥルミハンの
子が帰ってくる。かれは人柱となり国を支えることを決意するのだ。
シュヴァンクマイエルが名誉回復したのと対照的に、パラジャーノフは弾圧
に次ぐ弾圧の生涯を全うした。人柱が当時のグルジアの人々やパラジャーノフ
の心情を象徴していることは言うまでもない。しかし、この映画から筋や諷刺
を読み取ることは困難である。イスラム文化と東方文化の豊穣な混淆が、あや
しげな音楽と共に色鮮やかな画面の上に、これでもかこれでもかと展開される
のだ。脈絡もなくつながる画像は、幻想世界のなかに思考を停止させ、理解す
ることに慣れた精神を狂気にさらさずにはいない。そこに、直線的なプロット
を読むことはむしろ無粋であろう。ソ連の映画大臣が「あなたの映画は美しい
が、わけがわからない。フィルムが逆になっていたのではないか」と言ったと
ころ、パラジャーノフは「私が撮った映画について、私が何か理解していると
お思いですか?」と答えたと言う。理解すること。それは簡単に誤ることなの
だ。
(3)『デリダ、異境から』(サファ・ファティ)
デリダ主演映画である。エジプトの女性監督サファ・ファティは、デリダの
故郷であり内戦下にあるアルジェリアで撮影を行った。「未知の観客に語りか
けようとした」とデリダは言う。デリダはさまざまな場所に立って、異境の他
者に向けて声や姿を発信する。この場所はアルジェリアに限らない。フラン
ス、アメリカ、チェコ、スペイン。さらに民族として立つヨーロッパ、ユダ
ヤ、アラブ。関係として立つ母と息子、男と女、動物と人間。さまざまな場所
から、デリダは友愛、自伝、赦しなどについて即興で語る。その他者への語り
は淀みないものではない。痕跡として残されたデリダの声を、我々はどれだけ
聴くことができるだろうか。日本の思想状況はつねに直輸入に終始する。デリ
ダの声を聞くことができるのは、いつでも己の定位からでしかないはずだ。
『帝国』などと言う大著がいくら売れようとも、定位しない非場所と言う名の
どこかでしかないところから、自称無国籍人という名のヨーロッパ人もどきと
して、問題に立ち向かっている「ふり」だけをする安全な大学知識人を増やす
だけなら何の意味もないだろう。この映画に、異境に立つことの困難さを知ら
ぬ者の所作をもって接することもまた、何の意味もないだろう。
■カオリゴ
(1)『ベティーブルー 完全版』(ジャン=ジック・ベネックス 1992)
(2)『髪結いの亭主』(パトリス・ルコント 1990)
(3)『グラン・ブルー』(今は、すっかりメジャーラインのリユック・ベッ
ソン 1988)
はぁー。ジャック・マイヨール本当に首つっちゃった。生きていて欲しかっ
たけど、彼が生きて行くには現実はあまりに過酷だったのでしょうか。
■N
(1)『プロスペローの本』(ピーター・グリーナウェイ 1991)
(2)『ベイビー・オブ・マコン』(ピーター・グリーナウェイ 1993)
(3)『ZOO』(ピーター・グリーナウェイ 1985)
■柳小路善麿
(1)『暴力脱獄』(スチュアート・ローゼンバーグ 1967)
(2)『ガルシアの首』(サム・ペキンパー 1974)
(3)『灰とダイヤモンド』(アンジェイ・ワイダ 1957)
いずれも映画館で観たものを挙げました。ビデオ、DVDを含めれば、
ちょっと違った選択になったと思います。何歳ころに、どこの映画館でという
時間と場所の記憶と分かち難く結び付いた作品ばかりです。いずれも観終わっ
た後で、その強烈な印象で、夢現のような気分だったことを記憶しています。
特に(1)は、田舎の鬱屈した高校生の時に観たので、特に印象に残っていま
す。確か翌週も同じ映画館に観に行きました。
■yamabiko
(1)『12人の怒れる男たち』(シドニールメット 1957)
(2)『日の名残り』(ジェームズ・アイボリー 1993)
(3)『MY DINNER WITH ANDRE(日本未公開』(LE MALLE)
■富 哲世
(1)『黄色い老犬』(監督不明)
小学生時代の学校映画鑑賞会で観た。初めて泣いた映画(かっこ悪いから、
狂水病になった犬のシーンが恐いと皆に嘘をついて、顔を伏せて密かに落涙し
た)。
(2)『ジークフリート』(フリッツ・ラング 1924)
年少時親に連れられて観た、二本立てのうちの目的外の一本(字幕、だった
かと思う)。当時筋もよく理解できぬ、暗澹たる英雄悲劇。以後の、人生の長
い長い夢魔の最初の烙印か。
(3)『欲望』(ミケランジェロ・アントニオーニ 1966)
いまははるかな蜃気楼のような距離ですが、漂う存在としての自らが、内在
的還流とは異質のリズムを血のタガ(アンカー)として創り出す。その調和的
不調和(むしろ不調和的調和)の感覚を、30年後のいまでも、音韻・音数のズ
レとして体がいまだに覚えているようです。事件進行と受肉的日常の衝動を描
くバランスがとてもうまいと思った。映画的秀作ということの認知のそれは始
まりかもしれなかった。
■松本康治
(1)『荒野の7人』(ジョン・スタージェス 1964)
(2)『鳥』(ヒッチコック 1963)
(3)『異人たちとの夏』(大林信彦 1988)
■寺田 操
(1)『雪華葬刺(せつかとむらいざ)し』(監督・高林陽一/主演・宇都宮
雅代、若山富三郎/大映映画京都撮影所第一回作品 1982)
この映画の原作は、赤江瀑『青帝の鉾』(文春文庫・一九八二・四)所収。
文庫本の帯には、橘姫の刺青で飾られた宇都宮雅代の背中と刺青師・若山富三
郎。背中の彫り物にはさほど興味をひかなかったのですが、左腋下の乳房に近
い場所に隠彫された一ひらの雪の結晶の場面が印象的でした。天保三年に描か
れた雪花図を謄写したものが鈴木牧之『北越雪譜』(ワイド版岩波文庫)にあ
り、この雪の結晶図を見るたびに映画を(貸しビデオ)思い出します。
(2)『清順流フィルム歌舞伎 陽炎座』(監督・鈴木清順/主演・松田優
作、大楠道代/東宝 1981)
原作は泉鏡花とくれば、近年、平野啓一郎の『一月物語』(新潮社・一九九
九・四)に及ぼした影響などを思うのですが、なにか人を尋常でない場所に引
き込む圧倒的な力を感じます。水の中の女が口に含んだ朱のほおずきが、ひと
つ、ふたつ、泡のように水面に浮かびあがる場面は強烈な印象でしたが、人形
を裏返し空洞を覗きこむと、人妻と男が背中合わせに坐る死後の世界の屏風絵
は、江戸の異端画家・絵金の作品のようで強烈でした。
(3)『アガタ』(マルグリット・デュラス 1981)
デュラス原作の映画は何本か見ています。『かくも長き不在』『夏の夜の1
0時半』『ヒロシマ私の恋人(二十四時間の情事)』、『モデラート・カン
タービレ』『愛人・ラマン』など。なかでも印象深いのは、『アガタ』でし
た。映画を先に見たのか(大阪府立情報センター)? それとも原作(小林康
夫訳/一九八六・二)が先だったのか定かでないのですが、何度目かの結婚記
念日だったこともあり、よく覚えているのです。トラック野郎や寅さんシリー
ズが好きな彼は、スクリーンに映し出される別荘の内側から映された海辺や近
親相姦的な愛に苦しむ兄と妹の会話にうんざりしたようで、「これが分かると
いうことは、知的だということなのか」と吐き捨てるように言ったのでした。
私はといえば、海が好きなのでとのみ答えておきましょう。
■竹中尚史
(1)『怪盗ルビイ』(和田誠 1988)
KYON2 がかわいい!
(2)『化粧師』(田中光敏 2001)
菅野美穂がかわいい!
(3)『超少女REIKO』(大河原孝夫 1991)
観月ありさがかわいい!
■村上幸生
(1)『北国の帝王』(ロバート・アルドリッチ 1973)
のどかさと暴力の共存が、すばらしい。
(2)『貸間あり』(川島雄三 1959)
ノイズがいっぱいで、すばらしい。
(3)『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(石井輝男 1969)
小学生の時、予告編を見てしまい、うなされたので。
■内浦亨
(1)『コントラクト・キラー』(アキ・カウリスマキ 1990)
(2)『ソナチネ』(北野武 1993)
(3)『トカレフ』(阪本順治 1994)
■今泉弘幸
(1)『わんぱく王子の大蛇退治』(芹川有吾?)
性格が暗くて無口な子供にとってのヒーローはスサノオノミコトだった。な
ぜ? スサノオが駄々をこねるから? 駄々ってなに? ダダは芸術――ダダ
イズム。
(2)『吸血鬼ドラキュラ』(テレンス・フィッシャー 1957)
性格が暗くて無口な子供にとって、もうひとりのヒーローは吸血鬼あるいは
ヴァンパイアだった。なぜ?「わかってもらえない」「みんなとは違う」「血
はおいしい」
(3)『けんかえれじい』(鈴木清順 1966)
性格が暗くて無口な青年にとって、永遠のヒーローは「けんかえれじい」の
南部麒六になった。なぜ? 近代が発見し、現代まで受け継がれている自分探
しの物語あるいは旅――「ぼくってなに?」から出発したとき、人は永遠に何
もみつけられない。鈴木清順は、「ぼくってなに?」から出発しない場所か
ら、たくさんの宝石をプレゼントしてくれた?
■江越美保
(1)『エレンディラ』(ルイ・グエッラ 1983)
悲惨な物語ながら、何度殺そうとしても死なないごうつくばりな祖母を演じ
たイレーネ・パパスの怪演が笑いを誘う。彼女を見るだけでも価値がある。個
人的にはラテンアメリカへの興味を抱くきっかけとなった作品。
(2)『蜘蛛女のキス』(ヘクトール・バベンコ 1985)
監獄という閉ざされた空間でストーリーは展開するが、舞台をブラジルに設
定したことで、熱帯独特の猥雑さが夢と現実の交錯する物語に陰影を与えてい
る。モリーナ役ウイリアム・ハートの可憐さが忘れがたい。
(3)『極私的エロス・恋歌1974』(原一男 1974)
主人公・武田美由紀の欲望が赴くままに動き回る様と、それをカメラで追い
つづけた原一男の心もとないナレーション(つぶやき?)が対照的。自力出産
を試みる武田と、その様子をフィルムに収めた原。両者の濃厚な「愛」のやり
とりに恐ろしささえ感じる。
■鈴木 薫
(1)『ロシアン・エレジー』(アレクサンドル・ソクーロフ 1996)
たぶん私たちが来る前に物語は終わっていたのだろう。今しも一人の男が病
室で最期を迎えたところだ。彼の目を覆いつくしたのと同質の闇の中で動かぬ
私たちの耳に、それでも〈外〉からの物音が聞こえてくる。やがて音は光を
放って、緑したたる戸外を構成する……映画が本質的に夢であり、もっとはっ
きり言うなら死後の夢であり、目を閉じてなお見えてくるもの、瀕死の耳にな
お聞こえてくるもの、妄執に似た何かであり、生まれたての羊歯のように私の
目の前でほぐれてゆく、みずみずしい人生(むろん贋物の)であることを改め
て教えてくれる作品。
(2)『東京暗黒街・竹の家』(サミュエル・フラー 1955)
来日したギャングのボスは立ち並ぶ朱塗りの柱の間からフジヤマが見渡せる
とんでもない家に住み、ホモソーシャルなギャングは潜入捜査官ロバート・ス
タック(先週訃報が伝えられましたね )にボスの寵を奪われて嫉妬に狂い、
家庭用檜風呂(懐しい)で入浴中に愛するボスに射殺されて、風呂桶の側面に
弾丸があけた穴からお湯がピューと噴き出す。李香蘭の名を捨てシャーリー山
口と名乗る山口淑子がスタックの相手役をつとめ、浅草松屋・屋上遊園にそび
え立つ土星形大観覧車(懐しい向きもあろう)で最後の戦いが行なわれる、戦
後日本のドキュメンタリーというべき作品(かつては国辱映画と呼ばれた)。
(3)『夜半歌聲』(馬徐維邦 1937)
三十年代上海の特異な映画監督マーシュイ・ウェイパン。顏を潰された美
男、二度と会えぬ恋人の立つ夜のバルコニー、荒れ果てた劇場、貴方が松の木
なら私はそれに巻きつく蔓(かずら)と夜の風にのせて切々と歌い上げる声
は、『オペラ座の怪人』の翻案であり、六十年後にレスリー・チャン主演でリ
メイクされる正統的メロドラマだが、ジェイムズ・ホエイルに倣って怪人を丘
の上へ追いつめ、群衆に焼き殺させた監督は、続篇(『夜半歌聲續集』)では
生き延びた主人公を古城のマッド・サイエンティストに手術させ、素顔のまま
でも黄金バットの化け物に変えてフランケンシュタイン化をさらに進行させ
る。『竹の家』とは逆のベクトルによる異種混淆の傑作。
■中明千賀子
(1)『ポン・ヌフの恋人』(レオス・カラックス 1991)
絵描き、音楽、猫、花火、酔っぱらい……。イメージのすべてがそこにあっ
たから。
(2)『木靴の樹』(エルマント・オルミ 1978)
小さな子供たちがいじらしくかわいらしい。価値観のちがう世界に触れた。
(3)『蝶の舌』(ホセ・ルイス・クエルダ 1999)
きらきらした美しい田園風景や子供たちの表情とは、対照的なラストシーン
に衝撃を受けた。
■山田利行
ベスト3点を本で選ぶのなら、むずかしいけれども、候補になる書名は具体
的にいろいろと浮かぶ。ところが、映画となると、まず映画のタイトルを覚え
ていないというせいもあるが、なかなか浮かんでこない。映画サークルに入っ
ているので例会上映を年間で12本見て、そのほかは、ビデオを年間で10本、い
やもっと見ているかな? 映サは20年前からなので、見てきた映画は相当な本
数になる。例会ごと、見るたびに、何か思うことがあり、10本に8本は「良
かったなあ」と思って満足している。そんなにたくさん見ているのに、さて、
ベスト3をあげるとなると、タイトルがさっぱり出てこないで、断片的なス
クーリーンの場面が脳裏にチラチラする程度。でも、3本なんとか選択を試み
ましょう。
西アフリカの海岸から奴隷船に乗せられ大西洋を渡りアメリカへ。船に積み
込まれる、積み込まれてからの奴隷たちが受ける仕打ち、これは凄まじかっ
た。で、この映画のタイトルは……とりあえず「A」。
さて、2番目。イランの映画を立て続けに3本か4本、見た。テンポがどれ
もゆっくりで、寝不足なまま見ると寝てしまいそう。そのなかでどれが、とい
うよりも、数本連続して見たのがよかった。もっともドラマぽかったのは、走
り競争で優勝すると靴がもらえるというので、靴をなくした子どもが走った映
画。これを「B」としておこう。
3番目。米中(中米?)合作映画を観たとき、中国人が英語を話していた。そ
ういうのは違和感がずっとつきまとって落ち着かない。その点、チベットの映
画でチベット人がチベットの言葉をしゃべっていたのは良かった。チベットは
夏が短く、冬が長い。厳しい冬を越すために、行商の旅に出るチベット人の隊
列。その隊列のゆくまわりの自然の美しいこと、雄大なこと。その映画はイン
ド人の女優を除けば、ほかは皆(だったかな?)、チベット人の地元の人たち
で、映画出演は初めてだという。チベットを堪能できる映画。これを「C」と
しておこう。
問題です。「A」「B」「C」に映画のタイトルを入れなさい。(*回答
は、最後をご覧ください。)
■山田輝子
私も明石映サの会員で、二〇〇本以上の映画を観ていることになります。観
るたびに「よかったー」と感激するのですが、内容はほとんど覚えていませ
ん。さて、3本の映画となると、うーん。
小学生くらいから母に連れられて映画館へ見に行きました。
母は、文部省推薦映画が大好きで、小学生の頃『人間の条件』(小林正樹
1959〜1961)という戦争というか日本の軍隊の新兵さんが上等兵にいじめられ
る、なんともいえない暗い映画を思い出す。仲代達矢と新玉三千代が夫婦役
で、ラスト近く、面会時に、馬小屋のようなところでワラの中で抱き合うシー
ンが、唯一子ども心によかったあと感じられ、50年くらいたった今でも、そこ
だけがくっきりと浮かんでくる。
もう一作。その文部省関連で『怒りの孤島』(久松静児 1958)という映画
もみました。当時、私は小学高学年でした。瀬戸内海かどこか? の小さい島
で、子どもがといっても青年かな? 檻のような箱に入れられてお仕置きされ
る。その青年の顔のアップが、なんともすさまじく、私の脳裏に焼き付きまし
た。今でも、その顔だけは浮かんできます。
3作目は『しコふんじゃった』(周防正行 1991)です。笑いました。とに
かくおもしろかった。へー、日本映画でこんなに笑えるなんて! とびっくり
しました。生活の中に「笑い」を日常的にもっともっと取り入れたいですね。
■黒猫房主
(1)『ル・バル』(エットーレ・スコラ 1983)
ダンスホールにスイッチが入れられ舞踏会(バル)が始まる。シャンソン
「待ちましょう」にのって女たちが階段を降りてくる。「ボレロ」にのって男
たちが。この展開がすばらしい。以下台詞は一言もなく、なつかしい四十数曲
をちりばめて、このダンスホールの戦前からの移り変わりが、回想的な手法で
描かれていく(双葉十三郎のコメントより)。十数年前に私が東京から大阪に
転居してきて、毎週のように梅田の「大毎地下劇場」(名画座)の二本立てを
観ていた頃の印象深い作品。いま一度観たいと思っているが、VTRは品切で
入手不可の模様。
(2)『あらかじめ失われた恋人たちよ』(田原総一朗・清水邦夫 1971)
いまでは誰も信じないかもしれないが、あの田原総一朗が東京12chのディレ
クター時代に監督した作品。華奢な石橋蓮司の演技が痛々しくかつ眩しい。緑
魔子がワンシーンだけ出てくるのが嬉しい。桃井かおりのデビュー作品。つの
だ☆ひろの名曲「メリージェーン」が、この映画の主題歌。
(3)『鬼火』(ルイ・マル 1963)
主人公ロネの孤独感と絶望感に共振した。エリック・サティの「ジムノペ
ディ」がさらに空虚さを増幅した。いまはなき池袋の「文芸座」で20代に観
た。
(番外)『アクマストキングV』(土方鉄人 1977)
騒動社という独立プロ製作。騒動社で検索すると上記のタイトルにヒットし
たが、私が大学祭で観たのは七七年以前のはずなのでVではないのかも知れな
い。ストーリーは全然覚えていないが、映画と同名の主題曲「悪魔巣取金愚」
のフレーズ「悪魔ストッキング、ドゥドゥビドゥ」のリフレインをよく覚えて
いる。この主題曲が「休みの国」というCDに収録されていることをウェブで
知り、今回アマゾンでゲット(URC復刻シリーズ)。ちなみにバックの演奏
は、ジャックスの早川義夫や角田ヒロらが担当。
(回答:A……『アミスタッド』(スティーヴン・スピルバーグ 1997)、
B……『運動靴と赤い金魚』(マジッド・マジディ 1997)、C……『キャラ
バン』(エリック・ヴァリ 2000)
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////// 「La Vue」15号のご案内 //////
■掲載内容■ 特集<装幀談義・造本の周辺>(03/12/01発行)
◎「タイトル未定」涸沢純平(「編集工房ノア」代表))
◎「手製本は周回遅れのトップランナー」藤井敬子(装幀家)
◎「オブジェとしての装幀」(仮題)吉本麻美(うらわ美術館・学芸員)
◎「装丁違見」(仮題)川口 正(「アース・インテグレート」代表)
■広告協賛:ナカニシヤ出版 http://www.nakanishiya.co.jp/
東方出版 http://www.tohoshuppan.co.jp/ 紀伊國屋書店出版部
http://www.kinokuniya.co.jp/
■協賛:哲学的腹ぺこ塾
http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/harapeko.html
■後援:ヒントブックス http://homepage1.nifty.com/hint-yf/
■投げ銭価格100円より・B4判・10頁・発行部数10000部
■京阪神地区の主要書店(一部東京)・文化センター・等に配布
■配布情報 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/lavue.html
本紙は市民の相互批評を目指す媒体として、読者の方々の「投げ銭」及び
「木戸銭」というパトロンシップによって発行しております。
頒価100円は、読者の方々の「投げ銭」の目安です。
また本紙を安定的に発行するために、支援会員を募っております。
年会費一口、600円(13号〜15号までの送料+投げ銭)からの「木戸銭」を
申し受けております。
■「投げ銭」「木戸銭」は、切手にても承ります。
■郵便振替口座 「るな工房」00920―9―114321
●●●●インフォメーション●-----------------------------------------
「るな工房/黒猫房/窓月書房」は、10月中旬に下記に移転します。
大阪市都島区友渕町1丁目6番5―408号
■編集後記■---------------------------------------------------------
★引っ越しを控えて、年と共に増殖し続ける書籍や雑誌を整理・処分している
最中なのだが、その作業の途中で古い雑誌の特集を見つけては読みふけること
屡々で、なかなか作業が捗らない。(黒猫房主)
●○●---------------------------------------------------------●○●
『カルチャー・レヴュー』31号(通巻33号)(2003/10/01)
■編集委員:いのうえなおこ・小原まさる・田中俊英・加藤正太郎・
山口秀也・山本繁樹
■発行人:山本繁樹
■発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房 E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jp
http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
〒533-0022 大阪市東淀川区菅原7-5-23-702
TEL/FAX 06-6320-6426
■流通協力「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/
■流通協力「Macky」http://macky.nifty.com
Copyright(C), 1998-2003 許可無く転載することを禁じます。
●○●---------------------------------------------------------●○●
■申込・解除・変更は下記の(直送版は、るな工房まで)
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Date: Fri, 1 Aug 2003 17:36:59 +0900
Subject: 『カルチャー・レヴュー』30号(るな工房・窓月書房)
■本誌は<転送歓迎>です。お知り合いの方にご転送ください。その場合は、
著者・発行所を明記した「全頁」の転送であること、またそれぞれの著作権・
出版権を配慮してください。<無断部分転載厳禁>
◆直送版◆
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(創刊1998/10/01) (発行部数約1240部)
『カルチャー・レヴュー』30号
(2003/08/01発行)
発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
[31号は、2003/10/01頃発行予定です]
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■目 次■-----------------------------------------------------------
◆外国人からみた日本語 Thomas Judd Magnuso
◆翻訳学の可能性 岩坂 彰
◆ご恵送本/「La Vue」14号のご案内 編集部
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////// 日本語 //////
外国人からみた日本語
Thomas Judd Magnuson
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私が初めて日本語に出会ったのは1990年、祖国カナダのとあるスキー・リ
ゾートに高校生として遊びに行った時だった。世界のリゾートということも
あって、あらゆる国から観光客が余暇を求めて集まっていた。
私は昼ごはんを買い求めにある店の前にたどり着くと、明らかに日本人のツ
アーと思われる団体が休憩していた(他の国からの団体と異なり、全員が全く
同様な服装で揃っていたのがその特徴)。
カナダの観光スポットでは、このような光景はたいして珍しくはなかったか
も知れない。だが驚くべきだったのは、そのツアーのヨーロッパ系カナダ人ガ
イドさんがすらすらと日本語で説明していたことであった。当時の私は、無数
の人種の人々が普通に英語を話していた事実にも関わらず、白人がアジアの言
葉を使えるとは思っていなかったのだ。そのような時代遅れの思い込みを持っ
ていた私にとって、そのガイドさんを目撃したことは感動的な目覚めだった。
その後高校を卒業し、いつの日か私もそのガイドさんと同じように田舎の高
校生に衝撃を与えようと、地元の大学の日本語学部に入学して日本語との付き
合いを始めたのだ。
その時から10年余り、今にしてもやはり日本語を習うのは簡単なことではな
い。英語を勉強する日本人の悩みと同様に、文字・文法・表現の違いがたくさ
んあっていずれも自由に使えるようになるまでは、数年の地道な勉強と根気が
必要不可欠である。
大学の日本語学部に入学した初日に、その最大の難関に面した。それは日本
語の教科書が出版社情報とは違い値段が高いことや、大好きなアルファベット
の文字が一つも書かれていなかったことだ。ABCも無く、初めて見る日本語
の文字だけだったのだ。いまから振り返ると、その教科書の内容は小学生1年
生でも解かる程度のものだったけれども、〇年生にしてみると見た目の違い
(文字の違い)が言葉の壁の鉄骨だったのだ。
しかし地道な勉強をへて少しずつ壁が低くなり鉄骨も緩んできて、それらの
難関をクリアしても、それ以上の挑戦が待っていることを社会人となってから
知った。それは言葉の裏の考え方、言語的な心理・言葉の「性格」である。
日本語の会話の中では、特徴的な敬語、言い回しや動詞の使い方によって主
語といったものが省略されても対話者が状況を把握できるようになっている
が、それを可能にしているのは話し手と聞き手がそれぞれの役割分担を担って
いるからだと言えよう。一方英語の場合でも言い回しや敬語は存在するが、発
言者が負担する役割がより大きく、物事の数量・属性・時間的分布を細かく伝
えなければ対話者が事情を必ずしも把握できるとは言えない。
これもまた、古代から続けている文化・歴史・人の間の交渉によって少しず
つ定められてきた「話し役」と「聞き役」の分担であろう。この「負担の違
い」は概念としてはなかなか掴みづらいものであるが、事例を通して説明して
みたい。例えば一組のカップルの前に一匹の猫が現れ、その一人が思わずに言
ってしまうことを日本語と英語でみてみよう。
日本語の場合: 「可愛い!」
英語の場合: "That's a cute cat!" (「それは可愛い猫だ!」)
英語が得意ではなくても、長さだけをみると英語の方が明らかに目立つ。日
本語の1つの単語に対して、英語の話し手は同じことを伝えるのに5つの単語
を使わなければならない。that(それ)、's [isの略] (〜は・だ)、a(一
つ・不特定)、cute(可愛い)、cat(猫)。何故なのだろう、日本語の方が
効率的な言語なのだろうか。
一見そう見えるかも知れないが、実は伝わっているメッセージが両方の発言
で同じとするならば、ここで聞き手が負担する役割が異なっているだけなので
ある。つまり日本語の聞き手は「それ」、「一つの不特定の猫」、と「〜だ」
と言う情報を理解して暗に埋めているわけである。
一方英語の聞き手にはこれらの情報を把握する必要が無く、話し手の発言に
それらが提供されている。言い方を換えると、日本語の聞き手よりも英語の聞
き手の負担が軽い。同様に日本語の話し手は少ない単語数で意を伝えることが
出来るけれども、英語の方はより細かくいろいろな情報を発言で伝えなければ
ならない。
猫が目の前に現れた上記のカップルの場合には英語であろうと日本語であろ
うとコミュニケ−ションの内容には変わりが無いけれども、この言語的な心理
・性格による役割の違いを英語または日本語の学生の立場から見ると、相当大
変なことになる。抽象的な話または事情や背景を特定しづらい会話であれば、
両者が自分の役割を果さなければ誤解を招きかねないからである。英語を習い
始めている日本人が、a・theの冠詞や動詞の活用に悩んだりするのはこれが原
因の一つであろう。
私のように英語を母国語として日本語を習っている外国人の場合は、とにか
く良く聴くことに頭が回される。日英翻訳を職業とする今でも、私は時々「こ
の文の主語って一体何だろう??」と自問することがある。
おそらく日英の両方をより正確に理解するには、それぞれの言葉使いの心理
・性格に慣れることが大事な通過点かも知れない。
ところが言葉使いの性格に「慣れる」と言うのが、意外と努力を必要としな
いのが人間の凄いところの一つだと思う。つまりその言葉が使われている地域
に暮らせば暮らすほど、身に染み込んで知らないうちに「日本語を使う時の自
分」と「英語を使う時の自分」のような二重人格が出来上がってしまっている
からだ。
これは人それぞれに違う形で現れるが、私の場合では特別に酷いバージョン
になっている可能性を否定できない。
例えば日本語を使っている時には、頭をどこかにぶつけた際に完全に「や
べっ!」と日本語が出てくるけれど、その寸前まで英語での会話をしていたら
ば英語特有の4文字単語を吐く。
この原稿を打っている只今は、「次は何を書こうかな?」と頭の中が和モー
ド。その一方、英語圏の知り合いと一杯を飲む時に私はカナダ人に切り替え、
日本語では遠慮して言うとは思えない表現や課題を言葉にする。
私の知り合いには、別のパターンがあった。両方の言語を使う場合での人格
は変らないものの、課題によって言葉を使い分けた方が楽だというパターン
だ。その人は車やパソコンなどの仕様を話す時には必ず日本語を使いたがり、
人情的な話になるといつも英語。
その他に子供が2ヶ国語の家庭で育てられている場合、その子供は会話する
相手が父親・母親によって言葉を使い分けたりする。また場所(家庭内・学校
内など)によって使い分けているようだ。いずれにしても言葉自体が持つ心理
法則や性格が人の性格に与える影響が非常に大きいと言えよう。
そういうわけで、バイリンガルが二重人格のようなことになってもおかしく
はないと思う。しかし私は、日本語で電話の会話をしている時に、自分が思わ
ずお辞儀している癖をどうにかしたいのも正直な気持ちなのである(笑)。
■プロフィール■-----------------------------------------------------
(トーマス・ジャッド・マグナセン)1974年、カナダの南西海岸の街バンクー
バーの近くに生まれ、常になんらかの形で文学とかかわってきた29歳。中学・
高校生の頃のフランス語の勉強をきっかけに「言葉」の面白さに出会い、大学
にあがると日本語の勉強をはじめる。本場の言葉を勉強すべく一旦休学して、
1995年に初来日をはたす。1年間のワーキンホリデーを終えて帰国すると地元
のブリティッシュ・コロンビア大日本語・アジア地域学部に再び入学。1998年
に大学卒業してから、日本各地に英語講師と翻訳家の活動をしながらアイヌ民
族史や日本語方言について独自研究をし続けています。日本語資格試験(ジェ
トロビジネス日本語テスト:1級取得、日本国際教育協会日本語能力試験:1
級取得)
●●●●「英字工房」のご案内●●-------------------------------------
英字工房とは、カナダ出身の翻訳家Thomas Judd Magnuson (トーマス・ジャッ
ド・マグナセン)が2002年に設立した小さな言語サービスです。和英翻訳を始
めとして、英文校正と英文作成の事業でお客様のニーズに合わせて品質の極め
て高い自然の英語の文章を提供するということが私たちの原点であり、誇りと
楽しみでもあります。お手紙、電子メールなどの短い原稿から論文やビジネス
・コミュニケーションの文章まで英語のことならどうぞお気軽に相談ください
ますよう、宜しくお願い申し上げます。当サイトで各サービスについての詳し
い情報をまとめておりますが、どうぞごゆっくりご覧下さいませ。尚、もし何
か不明なところやご質問がございましたらメールでのご連絡を心待ちにしてお
ります。http://www.eijikoubou.com/nihongo-top.htm
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////// 翻 訳 //////
翻訳学の可能性
岩坂 彰
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■翻訳と人工知能
翻訳ソフトをお使いになったことがあるだろうか? 簡単なものなら、一般
的な検索サイトで試してみることができる。もちろん(!)使い物にならない。
私は米国発ウェブニュースの即日翻訳という仕事に携わっている。チームの
中には翻訳ソフトを利用している翻訳者もいるが、訳文をチェックし、記事に
仕上げるという私の業務経験から感覚的に申し上げると、翻訳ソフトからの訳
文は、いくら推敲してもぎりぎり許容範囲、六〇点の訳文にしかならない。そ
れ以上に仕上げたいのなら、一から訳し直すことになる。そんなわけで、私は
日々詛いの言葉を吐きながら自尊心と時間の妥協に苦しむのである。
ソフトが進歩すれば解決することかもしれない。しかしその場合、おそらく
その翻訳ソフトは人工知能のレベルに達していなければならない。現在のソフ
トもいわゆる「AI」機能を備えているが、われわれが満足させる翻訳ソフト
は、いわば一個の「人格」をもった人工知能である。それはもはや「機械翻
訳」とは言えない。同じ原文を与えても、人工知能ソフトは1本ずつ、その
「性格」や「経験」に応じて多様な訳文を出してくる。なかにはフィードバッ
クを受け入れない頑固な性格のソフトや、数字の単位を間違えるうっかり者の
ソフトも出てくるかもしれない。そんなわけはないか。
ともかく、翻訳、あるいはその一部である自然言語処理が機械的に行なえな
いことはもはや明らかである。人工知能の完成を待たなければならないという
意味で、自然言語処理は「AI完全」であると言われるが、逆に、自然言語処
理が可能になった段階で、人工知能はいちおうの完成と言えるのかもしれな
い。
こうした人工知能による自然言語処理の研究は、翻訳ソフトに応用されると
同時に、われわれがいかにして翻訳という作業を行なっているかという理論的
基礎付けに光を投げかけるものとなっている。具体的には、生成文法以降の統
語論や、意味論の分野で模索されているさまざまな構成モデル、あるいはコン
ピューター自体の並列分散処理モデルなどがある。
しかしこれらは、私が考える「翻訳学」のほんの一部にすぎない。
■翻訳教授法
前述の仕事のチームを見ても、あるいは私が教えている翻訳学校の生徒を見
ても、うまくできない人をできるように育てるのはたいへん難しい(逆に、で
きる人は最初からできる)。
私自身が翻訳学校の生徒だったころ、先生は翻訳の理論的なことなど何も教
えてはくれなかった。大学の英文講読の授業のように、延々とテキストの内容
を議論しているだけだった。自分が教える立場になったとき、私は授業を「構
造化」した。カリキュラムを組み、必要なスキルを実践させた。けれども、今
の私の生徒が、かつての私の同級生たちよりも上達が早いとは、残念ながら言
えそうにない。結局のところ、私がやっているのは翻訳技法論のレベルであっ
て、「理論よりも実践」という昔ながらの教授法には太刀打ちできないのだ。
しかし私は、「ともかくたくさん読んでたくさん書くことです」などという
アドバイスの時代に戻りたくはない。「人はいかに言葉を捉え、いかにその内
容を言葉で表現するか」という翻訳の本質を理論的に考察する翻訳学というも
のが構築されれば、必ずや翻訳教授法の向上につながるはずである。のみなら
ず、言語が文化の中核に存在する以上、こうした研究は異文化理解の本質に迫
るものであると、私は信じている。
■認知科学としての翻訳学
私が望む翻訳学は、右のような実践的な要請を踏まえたものであり、以下の
ような多様な領域をカバーすることになる。
◆基礎論(言語学)
・認知言語学
・コンピューター言語学
・(解釈学)
◆各論(外国語学(実際問題として、英語)と日本語学の双方に関して)
・文法論
・社会言語学
・表記論と音韻論
・作文論
・翻訳技法論
・発達言語学と教授法
まず、なぜ「認知」言語学なのかというと、先ほど述べた「人はいかに言葉
を捉えているか」という基本的問いが、「いかに言葉を認識しているか」とい
う意味にほかならないからである。
具体的に説明しよう。
翻訳では、言葉が示す概念の外延のずれが常に問題になる。要するに、対応
する単語が指し示す対象範囲は必ずしも一致しないということである。初学者
はよくbees and waspsを「ミツバチとスズメバチ」などと訳す。bees and
wspsにほぼ対応する外延をもつ日本語の概念は「蜂」であり、訳としては
「蜂」で十分である。逆に、「一匹の蜂が飛んできた」を英訳するときは、事
実あるいは筆者の意図を踏まえ、a beeとするかa waspとするかを判断しなけ
ればならない。技法的には、このようなカテゴリーの対応づけがいちおう有効
にはたらく。
しかし筆者の意図といっても、日本人の場合beeかwaspかなんてことは考え
ていないかもしれない。単にan annoying insectと言いたかったのかもしれな
い。原理的に、概念の外延をもって彼我を対応させようとすることには無理が
あるのだ。
認知言語学では、たとえばこのようなカテゴリー的な発想を廃し、「典型的
なbeeのプロトタイプ」というようなものを考える。そして、典型的な属性群
からどのくらい離れるとbeeとは言えなくなるかといった研究を行なう。翻訳
者には、こうした知識が必要なのである。
翻訳という営みがこのような「認識」にかかわるかぎり、それを検証可能な
方法で(いわゆる「科学的」ということだが)理論化しようとするなら、認知科
学の方向に向かわざるをえないと私は思う。
冒頭に触れた人工知能のコンピューター言語学は、この方向性を脇から固め
るものとなる。
三番目に括弧付きで挙げた解釈学についてだが、これと翻訳学の関わりにつ
いて具体的に論じるには、私の能力も紙数も足りない。古典文献や聖書の解釈
の技術として成立し、二〇世紀哲学の一潮流へと発展した解釈学は、翻訳学に
哲学的基礎を与えてくれるとも考えられるが、それは将来の課題とし、さしあ
たりは認知科学的アプローチをとりたい。
■翻訳のための日本語文法
各論としていくつかの分野を挙げたが、これらはそれぞれ、私の翻訳の実践
や教育のなかで現実に気になっている諸問題に対応する領域である。
文法について言うと、現在学校で教えられている日本語文法は外国語文法の
影響が強すぎ、日本語本来の姿を捉えているとは言い難い。三上章が『象は鼻
が長い』を世に問うて「主語―述語」文法に疑問を呈した(主語は「象は」か
「鼻が」か?)のは四〇年以上前のことだというのに、いまだに学校では
Subject-Objectのアナロジーでお茶を濁し、その結果、I love youを
「あなたを好きです」と訳すことに抵抗のない人が増えている。(標準的な
「(私は)あなたが好きです)」が「象は鼻が長い」と同じ文型だというあたり
は興味深い。)
外国語文法に比べて日本語文法に説得力がないため、国語の授業が英文法の
刷り込みに負けてしまうという面もあるのだろう。翻訳学習者からは「原文が
過去形なのに現在形に訳していいんですか」などという質問をもらう。不完全
と思える学校文法ですら、日本語の動詞に現在形などという活用を教えていな
い。「する」は終止形であって、印欧言語の不定形に対応すると言うべきなの
だ。ところが学習者の頭の中では、「する」が現在形、「した」が過去形とい
うことになっている。かように日本語文法教育はお寒い状況にある。
新日本語文法の構築についてはすでにさまざまな提案がなされている。言語
の適切な分析方法はひとつではないだろうが、目的を限定すれば、最適の考え
方が見えてくるはずである。私が求める翻訳向けの日本語文法の構築にあたっ
ては、かつて試みられたように、外国語と日本語を共通の構造で捉えるという
のではなく、日本語は日本語で認知的に構造を分析して文法化し、外国語の文
法との対応を考えるというのが適切な方向であるように思う。
■社会言語学・音韻論・作文論
次の社会言語学というのは、読者の問題である。
私がひそかに好んで見るテレビ番組に、芸能人知名度クイズというのがあ
る。ある芸能人の名前を世間の何パーセントの人が知っているかを当てるクイ
ズだが、実は翻訳家にはこのような感性が求められる。ある表現がその読者層
のどのくらいの人に受け容れられるか、どう受け取られるかを感覚的につかん
でいなければならないのである。
翻訳はつねに読者との関係のうえになりたつ。たとえ同じ原文でも、提供す
る読者対象層が違えば訳文も変わってくる。その意味で、こうした実証的研究
は欠かせない。
表記論・音韻論というのは、単純に言うとジェームス・ボンドかジェイムズ
・ボンドかということである。単に習慣の問題と思われるかもしれないが、簡
単には片づけられない面がある。たとえば「政府(せいふ)」の共通語の発音
は、普通は「せーふ」(あらたまった場合は「せいふ」)ということになってい
る。これは「ジェイムズ」と書いて「じぇーむず」と読むことに相当する。し
かし実際は「ジェイムズ」表記の意図は、英語風に「じぇいむず」と読ませた
いというところにある。これと同様の方向性が、「政府」にも見られないだろ
うか。つまり英語のsafeのように、日常的に「せいふ」と言う人が増えていな
いだろうか。しかも[ei]という一つの母音を挟んで。ひょっとすると最後の
「ふ」の母音が欠落しているかもしれない。(Jamesの「ス」と「ズ」も、母音
なしの[z]の発音ができるか否かに関係していると思われる。)日本語使用者全
体で継続的に調査すれば、大きな変化が観測されるはずである。
このような発音の変化(浸食)は、外来語の侵入以上に大きな問題だと思う。
結果として、表記と発音の対応が変更されていくことだろう。「ヴ」や
「ファ」は市民権を得たし、アルファベットがそのまま漢字やかなの中に混じ
ることも多くなった。現在ウェブニュースでよく見られるように、固有名詞は
原綴りで表記するという方法が一般化していくことも考えられる。(私が担当
しているサイトはこの流れに必死で抵抗しているが。)
作文論というのは、たとえば記事を書くときに、事実から書き始めるか、結
論から書き始めるか、あるいは伝聞をどの程度厳密に引用するかといった問題
である。これらは筆者と読者の間の暗黙の決まりごととして、読みの解釈に影
響している。現在は作文作法としてまとめられている程度だが、比較作文論と
して体系化する必要がある。ここには、英文記事冒頭の「つかみ」を、情報と
して訳すべきか、日本記事の「つかみ」に訳す(置き換える)べきかといった翻
訳技法論も関係してくる。
■翻訳学の可能性
インターネットで検索するかぎり、本格的な「翻訳学」の講座を置く大学は
日本にはまだない。私と同じように、個人的なレベルで翻訳学を語る物書き
(あるいは物好き)は何人かいるようであるが。
実際問題として、機械翻訳のための言語学研究や、認知的言語学研究、新た
な日本語文法の研究などは、それぞれに行なわれている。その最先端の成果
は、現場の翻訳家にはなかなか届いてこない。現実問題として、翻訳のような
割の悪い仕事をしていると、お金に直結しない作業をする時間などなかなかと
れない(原稿遅れてごめんなさい→編集スタッフさま)ということもあるし、わ
ずかな時間を使ってぼつぼつと認知言語学のテキストを読んでみても、翻訳の
視点から直接的に興味の惹かれる部分があまり多くないということもある。
結局のところ、私のような物好きな翻訳家が、専門研究者たちに手を引かれ
ながら、少しずつ、各分野の研究成果を現場の翻訳者や学習者向けに再構成し
ていくところから始めるしかないのかもしれない。
もちろんこれだけでは「学」と称せるものにはならないだろうが、このよう
な努力がいずれ共通の枠組みを生み、大学に講座ができ、最終的には、誰もが
頭をひねらずに読める翻訳が当たり前になる日が来ることを願っている。
一人でできることではない。各分野についての知見をお持ちのみなさまのお
導きをいただきたい。(初出『La Vue』 No.11、2002/09/01号)
■プロフィール■-----------------------------------------------------
(いわさか・あきら)1958年生まれ。京都大学文学部哲学科卒。翻訳家。 訳
書:『西洋思想』『うつと不安の認知療法練習帳』(ともに創元社)、『ウィ
トゲンシュタイン』(講談社選書メチエ)『イエスは仏教徒だった?』(同朋
舎)ほか。
ワイアード・ニュース(http://www.hotwired.co.jp/news/index.html)
翻訳担当。E-mail:iwasaka@gol.com
●●●●ご恵送本●●-------------------------------------------------
『火ここになき灰』
■ジャック・デリダ・A5変型判・152頁・定価2400円+税
「そこに灰がある」――このたった一つの文(とその展開あるいは解体)か
らなる一冊の得意な書物。『弔鐘』『郵便葉書』のなかの、「灰」「燃やす
こと」「ホロコースト」を語った文が引用されながら、「そこに灰がある」
という一文が、複数の声によって展開されていく……。
『訪 問 イメージと記憶をめぐって』
■ジャン=リュック・ナンシー著・四六判上製・160頁・定価2600円+税
記憶にないほど古い記憶。忘却に委ねられるしかないもの、あるいは殲滅
(ショアー)の記憶を担う不可能な光景――この記憶しえぬ記憶の表象の光景
が私たちを訪問する――ポントルモ《聖母訪問》ピカソ《オルガンの肖像》
を通して<表象の問題>を考察する。
■上記2点の新刊は、松籟社からの刊行です。
京都市伏見区深草正覚町1-34 TEL075-531-2878 FAX075-532-2309
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////// 「La Vue」14号のご案内 //////
■掲載内容■ 特集<映画多彩>(03/08/01発行)
◎交換する声――青原さとし『土徳――焼跡地に生かされて』/今野和代
◎『銀幕の湖国』番外編/吉田 馨
http://www.venus.dti.ne.jp/~yoz/eiga/eiga.kr.con.html
◎映画『「夜と霧』の中で/康 守雄
◎映画から届いた「肉声」/橋本康介
◎「映画多彩」アンケート回答
■広告協賛:ナカニシヤ出版 http://www.nakanishiya.co.jp/
東方出版ttp://www.tohoshuppan.co.jp/ 新泉社
紀伊國屋書店出版部http://www.kinokuniya.co.jp/
■協賛:哲学的腹ぺこ塾
http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/harapeko.html
■後援:ヒントブックス http://homepage1.nifty.com/hint-yf/
■投げ銭価格100円より・B4判・10頁・発行部数10000部
■京阪神地区の主要書店(一部東京)・文化センター・等に配布
■配布情報 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/lavue.html
本紙は市民の相互批評を目指す媒体として、読者の方々の「投げ銭」及び
「木戸銭」というパトロンシップによって、非営利的に発行しております。
頒価100円は、読者の方々の「投げ銭」の目安です。
また本紙を安定的に発行するために、支援会員を募っております。
年会費一口、600円(13号〜15号までの送料+投げ銭)からの「木戸銭」を
申し受けております。
■「投げ銭」「木戸銭」は、切手にても承ります。
■郵便振替口座 「るな工房」00920―9―114321
●●●●インフォメーション●-----------------------------------------
第42回「哲学的腹ぺこ塾」
■日 時:03年09月22日(日)午後2時より5時まで
その後、暫時「二次会」へ
■テキスト:E.W.サイード『オリエンタリズム』
■会 場:るな工房/黒猫房/窓月書房(TEL/FAX:06-6320-6426)
■会 費:500円
■編集後記■---------------------------------------------------------
★言葉は文化だとはよく言われるが、「その言葉が使われている地域に暮らせ
ば暮らすほど、身に染み込んで知らないうちに「日本語を使う時の自分」と
「英語を使う時の自分」のような二重人格が出来上がってしまっている」とい
うトーマスさんの指摘は面白い。
★その一方で、外国語文法の影響で、「あなたを好きです」と訳すことに抵抗
のない人が増えている(標準的には「(私は)あなたが好きです)」らしく、また
英語の影響で音韻に変化があるという岩坂さんの指摘には考えさせられる。
★世界共通語を目指したエスペラント語は普及しなかったが、映画「スワロウ
テイル」(岩井俊二・監督)の舞台になっている未来都市yen townでの無国籍
語は、アナーキーで痛快だった。(黒猫房主)
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『カルチャー・レヴュー』30号(通巻32号)(2003/08/01)
■編集委員:いのうえなおこ・小原まさる・田中俊英・加藤正太郎・
山口秀也・山本繁樹
■発行人:山本繁樹
■発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房 E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jp
http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
〒533-0022 大阪市東淀川区菅原7-5-23-702
TEL/FAX 06-6320-6426
■流通協力「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/
■流通協力「Macky」http://macky.nifty.com
Copyright(C), 1998-2003 許可無く転載することを禁じます。
●○●---------------------------------------------------------●○●
■申込・解除・変更は下記の(直送版は、るな工房まで)
http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/touroku.htmlまで。
■情報提供・投稿は、E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jpまで。
■本誌のバックナンバーは、
http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/review1.htmlにあります。
■本誌へのご意見・ご感想・は、下記のWeb「黒猫の砂場」(談話室)
または「るな工房」までメールでの投稿を歓迎します。
http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
■このメールは半角70字(全角35字)詰めで構成しております。レイアウトの
ズレがある場合は固定(等幅)フォントで修正してお読みください。
◆Date: Sun, 1 Jun 2003 21:36:56 +0900
Subject: 『カルチャー・レヴュー』29号(るな工房・窓月書房)
■本誌は<転送歓迎>です。お知り合いの方にご転送ください。その場合は、
著者・発行所を明記した「全頁」の転送であること、またそれぞれの著作権・
出版権を配慮してください。<無断部分転載厳禁>
★この間、メーラーの故障で「直送便」データに瑕疵がございます。つきまし
ては重複して送信されるかもしませ。その際はご容赦いただくとともに重複の
ご連絡をお願い申し上げます。また送信不要等のご連絡も承ります。
◆直送版◆
●○●---------------------------------------------------------●○●
(創刊1998/10/01) (発行部数約1240部)
『カルチャー・レヴュー』29号
(2003/06/01発行)
発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
[30号は、2003/08/01頃発行予定です]
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■目 次■-----------------------------------------------------------
◆小説「月に昇る」のための習作2 足立和政
◆わが家に化学物質過敏症がやってきた(3) 山口秀也
◆日本一あぶない音楽―河内音頭断片― 鵜飼雅則
◆「La Vue」14号のご案内/ご恵送本 編集部
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////// 創 作 //////
小説「月に昇る」のための習作2
〜二つ曲がりの辻〜
足立和政
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弥生三月のかかり。曇天。午後、遅い昼食と散歩をかねてマンションを出
た。しかし、数歩もいかないうちに、ぽつりと雨が落ちてきた。傘を取りに帰
るのにそれほど手間がかかるわけでもなかったが、何だか億劫でそのまま歩い
ていった。頭の上には、春の陽光を待つ桜が、投網を打ったかのように重っ苦
しい雲の海の下に枝を広げている。また、ぽつりと木の芽おこしの雨がオレの
額にあたった。
昼めしといっても、食欲があるわけではなかった。最近ではよくて一日一
食、ぶらり当てなく散歩する途中に見つけるそば屋に立ち寄り、文字どおり喉
に流し込む程度だ。それも見つかればの話だ。駅前の商店街に出ると、酒屋で
ビールを買い、一気に飲んで、
「今日は何に突き当たるだろう」
と考えた。
仕事を辞めて散歩は日常となった。永遠に徘徊を続けそうな不安をアルコー
ルと一緒に飲み干しながら歩いていると、何かに突き当たり、突き当たったと
ころで気づき、家に帰り着いている。そんな毎日が訪れた。その突き当たった
ものが、幾重もの壁となってオレを閉じ込めるときもあれば、今まで塗り固め
て築いてきた壁を一瞬にして、打ち壊してしまうこともあった。
ひと駅分の切符とビールを二缶買い、郊外へ向かう各停電車に乗った。
「雨の降っていないところまで行こう」
車内はガラガラだった。携帯電話にひたすら謝っている若いサラリーマン。
高級を売り物にしているスーパーの買い物袋を下げた主婦。そして、オレの向
いには大きな籐の籠を床に置いて化粧を直している若い女。ひと車両に四人だ
けだった。
ビールを飲みながら、ぽつぽつと斜めに突き刺さる水滴越しに、窓の外を眺
めていると、オレの足に絡みつくものがある。それは一匹のマルチーズだっ
た。どうも、向いの女性の籠に潜んでいたらしい。
「ちーちゃん、だめ、こっちこっち。おじさんが困った顔をしてるでしょ」
六つの人間の眼と二つの獣の眼が、オレを見つめている。向いの女が再び
「ちー……」と言った瞬間、オレはそのマルチーズを蹴飛ばした。「きゃん」
と転がった獣を無視して、また外の風景に眼を遣った。
サラリーマンはメールを打ち始め、主婦は吊り広告を読むふりをし、向いの
女性は獣に駆け寄った。ひとつの風景が車両の中に充満していく。次の駅でド
アが開くまで、この風景は運ばれていく。網膜には土塊だらけの田畑、立ち並
ぶ高圧電線の鉄塔、畦道を赤い傘をさしながら自転車を駆る女子高生、だれも
待つことのないような小さな踏み切り。不思議と絶対性が混じる雨の風景が脳
裏に映しだされる。そこに愛玩という自己膠着が這い入る隙はなかった。
「この酔っ払い」
と女は罵り、隣の車両へ移っていった。
決して、オレが正しいなんて恥ずかしいことは言わないけれど、暴力はお互
い様だろ。見ているものが違っているときにはときどきこういうことが起こ
る。電車に乗ったときぐらい遠くを見ろよ、ねぇちゃん。
県境のトンネルを過ぎると、嘘のように空は晴れていた。こんなこともある
のだ。山端の上に、サンドブラストを施したような大きく白い月が残ってい
た。次の駅で降りよう。
その地は新興住宅地として再開発され始め、駅も新しくなったばかりよう
だった。駅前のロータリーに「都心まで乗り換えなし、快速で40分。アメニ
ティーライフを演出するガーデンタウン」との大きな看板がでていて、チベッ
トの仏教寺院のような色鮮やかな旗がはためいている。駅前は整備されている
が、看板や旗の、つい向こうには未だ古い町並みが続いている。なだらかな勾
配のある道に沿って、商店が申し訳なさそうに肩を並べ萎縮している。オレの
足は自然とそちらに向かっていた。
蚊取り線香の古い看板の残るよろず屋で、そば屋は近くにありませんかと尋
ねると、にきび面したそこの息子らしき兄ちゃんが、斜め向いにある一膳飯屋
を指さし、食事のできるところは
「壽屋さんしかないよ」
と言った。
その壽屋は、やっているのかやっていないのか、人の気配がまったくしな
い。建て付けの悪い引き戸をがたんと開けると、冷えたセメントの土間にデコ
ラのテーブルが四つ、奥の三畳ほどの部屋に婆さんが座っていた。そばはとも
かく、酒にはありつけそうだった。
塩豆を肴に燗酒を三合ほどやってから、婆さんに
「ガーデンタウンってここから遠いの?」
と聞くと、バスで20分はかかる山の中腹だという。じゃ、あの看板は詐欺み
たいなものじゃないかと言うと、婆さんは聴こえていないふうで、
「ここに、兵隊さんがおったころは……」と一人でしゃべり始めた。
ここに兵隊さんがおったころ。それはガーデンタウンのなかったころだ。
「二つ曲がりの辻」という路地があったらしい。小さな地道がクランク状に折
れて続いているらしいのだが、一つ目の曲り角に来ると、どの兵隊さんもその
角を昔、見たような気になるという。新しく赴任してきたばかりの兵隊さんも
いつかどこかで、その辻を曲ったことがあるような既視感に囚われるという。
その角を往くと昔の自分に出会う気がして立ち止まるという。思い切って曲る
と、そこには三輪車が一台放置されている。どの兵隊さんも、その三輪車にな
ぜか乗ってしまうのだった。そして、二つ目の曲り角で、また足踏みをする。
その先を曲れば、今度は自分の未来に出会いそうな恐怖に襲われるのだった。
そこで、二つ目の角を曲る者と引き返す者が現れる。その分かれ目が、戦争で
の生死の分かれ目だったのだという。
婆さんの話では、二つ目の角を曲った者が死んだのか、引き返した者が死ん
だのか、よく分からなかった。しかし、その「二つ曲がりの辻」は、今のガー
デンタウンのどこかに残っているという。オレは慌てて勘定を済ませ、よろず
屋に戻り、缶ビールをバッグに詰められるだけ詰め、その分かれ目に向かうこ
とにした。
パステルカラーのおもちゃみたいな、あの小生意気なマルチーズの愛想みた
いな家が延々と建ち並ぶ空間が「アメニティーライフを演出するガーデンタウ
ン」だった。快適な生活を指向する人々にとっては、随分と怪しい人物と思わ
れただろうが、既に酩酊に近いオレは太宰治の描く小説の主人公のように「大
波に飲まれる内気な水夫」にはなれなかった。「二つ曲がり、二つ曲がり」と
空念仏を唱えては、家々を心の中で蹴飛ばし、クランク状の辻を探した。こん
な出来合いの町に既視感も未来もへったくれもない。が、果たして、整然と区
画割りされた新興住宅地の外れにそれはあった。
崩れかけた石塀の残るその角には電信柱が一本立っていて、電線は薄雲に溶
け込み、その向こうにあるはずの電柱はなぜか見えない。ふらつく足で一つ目
の角を曲ると、三輪車はあった。躊躇はなかった。片足を三輪車のステップに
掛け、もう一方の足で地面を蹴った。グリップをアクセルのように回す。エン
ジンを全開にして、二つ目の角までの永遠を一瞬でたどり着く自分を感じる。
光速の中で時間が往きつ戻りつする。婆さんの語った生と死の境界線が入り交
じり、風景が飴細工のように歪む。光の霧の中を、兵隊さんが隊列を組んで行
進し、あの婆さんの顔が娘に幼子に変容し、分裂し、はるか彼方後方で霧散消
滅していく。万年雪を一秒で、また手に掴まえた雪を一万年掛けて溶かしてい
くような捕らえどころのない不確定な感情の流れ。ハンドルを握るオレの手は
小さくなり皮膚一枚で世界と向かい合う幼児のものだった。皺だらけの年老い
た男とすれ違う。咳き込む老人の背中には見覚えがあった。刹那が永久に彼岸
が此岸に、すべてが交換可能のように思われた。一つ目の角を曲がりどれほど
の時が流れたのか知る由もないが、遠近法によって絞りこまれた一点から、こ
れまで出会ってきた者たちの視線が放射されている。そこでは、視線が風景
だった。見ることは見られることだ。その視線の風景の中にオレがいる。そし
て、オレも一つの視線となって、視線は風景となって、風景は光となって「二
つ曲がりの辻」を折れる。
ホーと鳥が鳴いた。目を細めて「二つ曲がりの辻」の入り口に立ちすくんで
いる自分がそこにいた。茫洋と酔っていた。一つ目の、二つ目の角を曲っても
何もなかった。三輪車などあるべくもない。クランク状の路地を抜けると、た
だ、整地を待つ野っ原が広がり、その果ては削り取られた山肌の断崖になって
いた。その際まで行き、少し吐いた。涙がでて、風景が滲んだ。苦い胃液が口
中に溢れる。二重写しですべては静止し、自らは輝やかぬ、擦り硝子のような
白い月が浮かんでいるだけだった。
帰りの電車の中で、オレは白濁した頭で、この電車に乗っている自分自身を
ずっと見つめていたことを思い出していた。それは辞めた小さな印刷工場に勤
めていたときのことだ。二階のトイレから刺激臭のするだらだらとした小便を
しながら窓の外を眺めると、送電線に肩を預けながらいつもこの電車が走って
いくのだった。
「どうして、オレはあの電車に乗っている自分ではないのだろう」と。
最寄り駅近くの小さな踏み切りで、男の子が三輪車に乗って、この電車が通
り過ぎるのを待っているのを見た。それは、その男の子がだれであってもかま
わないのと同様に、その踏み切りで待つのはこの酔っ払いでもよかった。風景
のあちらこちらに交換可能なオレは佇んでいた。
もう一度「二つ曲がりの辻」に行ってみようと思った。
その時、ホーと鳥がまた鳴いた気がした。
薄情にも、新しい夜を待つ月は、もう消えていた。
■プロフィール■-----------------------------------------------------
(あだち・かずまさ)1955年京都生まれ。現在、大阪寝屋川市在住。編集・執
筆業を生業としていたが、アルコール依存症にかかる。現在、リハビリ、アル
バイト、小説を書いて日々を過ごす。
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////// シックハウス //////
わが家に化学物質過敏症がやってきた(3)
―シックハウスから脱出する方法―
山口秀也
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化学物質にからだと神経を蝕まれ、病気を治すという積極的な意欲が湧かな
い妻との諍いを越えて、具体的な取り組みをつづけた結果は…。
■初診後のとりくみ
妻は、心理的な負荷と、体の痛みやだるさのため、この病気を治そうという
積極的な意欲がすぐに湧いてくるわけもなく、私がそれを辛抱強く励ましなが
ら改善へと取り組んでいった。いちじるしい体調の快復を見た 11月ごろまで
は、激しく落ち込む妻との諍いがよくあり、病気について夜中まで話し合う日
が続いた。結果的にはそれが個々の問題を解決する方向に進んだので、喧嘩も
無駄ではなかったのかもしれない。
取り組みの端緒は、まず、家中の窓という窓を開け放すという原始的なもの
だった。換気をよくすることで、家中のホルムアルデヒドやトルエン、キシレ
ンそのほか多くのVOC物質(揮発性有機化合物)をできるだけ放出すること
が肝要なのだ。妻と子どもが実家へ避難し、空家状態になってからは 24時間
窓という窓を開け放した。
7月当初に空気清浄機能つきのエアコンを2台購入し、清浄機能を付け放し
にする。7月の中ごろには、近所に住む妻の両親の厚意により、家族ごと住ま
いを替わってもらった。彼女の実家の旧い木造家屋は通気性からいっても理想
的だった。
8月のはじめには、階下の3ヵ所に新たに換気扇をとりつけた。各部屋と
も、新しい家具や調度品(靴箱・水屋・食器収納棚・システムキッチン)およ
びクローゼットについて、開けられるものはすべて開けたままの状態に保っ
た。また7月初旬に、F医師に紹介されたA工務店で活性炭を購入、さっそく
車に一袋3kgの活性炭を3つ積んだところ、妻の症状が若干ではあるが軽減し
た。
食事についてもF医師の進言を受け入れ、試行錯誤ののち、調味料も複数種
類そろえた。食材も、週1回宅配してくれる完全有機無農薬野菜や肉、魚を購
入するようになった。おやつも、できるだけ安全なものを心がけ、つとめて妻
が手作りのクッキーやぜんざいなどを子どもに出すようにしている。食卓では
肉けを極力減らし(週に1〜2回、しかも妻は肉なら1回 30gていど)、野
菜の煮炊きものを中心に、朝と昼に重点をおいて採るようにした。もちろん、
朝はパン食をやめ、カフェインをふくむコーヒー・紅茶・緑茶なども摂らない
ようにしている。飲料は、どれも完全無農薬の、番茶・どくだみ茶・ハブ茶・
すぎな茶・ルイボス茶・柿の葉茶などをなるべく日替わりで飲んでいる。
そのほか、日々の生活では有酸素運動を心がけ、夜子どもたちを寝かしつけ
てから夫婦で近隣を散歩することにしている。さいわい近所には自然の公園が
あり、散歩のための長いコースが設えてある。これを、行き帰り1時間以上か
けてゆっくりと散歩する。夜、自然の木々に囲まれての散歩は、病気に蝕まれ
たからだや神経、ささくれだった心も落ち着かせてくれた。
11月に入ってから、地域のコミュニティ誌で「家庭用サウナ売ります」とい
うのを見つけ、格安で手に入れた。化学物質過敏症の治療にも有効だが、彼女
は自分が放出した化学物質を含む汗に反応したのか、かぶれてしまい、いまの
ところ休んでいる。
新しい電化製品を買うときには、抗菌剤を練りこむなり塗るなりしたものを
避ける必要があった。妻は以前から掃除機をかけるたびに気分が悪くなってい
たため、化学物質が使用してある使い捨てゴミパック式の掃除機を、ゴミパッ
クを使用しないものに替える必要があった。妻は、体調が悪いのをおして店頭
展示品をかたっぱしから試してまわった。結果、そのどれもが妻の気分を悪く
する臭気を放っていたが、ひとつだけ大丈夫なものがあったらしい。
「これって、抗菌してない?」と妻が聞くと、店員は「もちろん抗菌してま
す。」
と言い、今は抗菌でないと売れないと思ったか、とんでもないというふうに手
を振った。いったん家に帰り、そのメーカーのサービスセンターに問い合わせ
たところ、なんと「この製品については抗菌剤は使用していません」とのこと
だった。念のために別地区のサービスセンターにも電話したが、同じ答えだっ
た。
私はあらためて妻の嗅覚に脱帽した。
■再リフォーム終わる
10月も終わろうとするころ、最大の懸案だった本格的な再リフォームにとり
かかった。施工は、活性炭を購入したA工務店。有害な化学物質の使用を可能
なかぎり避けた、自然材を用いた施工をうたう施工会社である。
活性炭を購入したおりに、私たちの話をていねいに聞いてくれた担当者は、
それから数日と空けずにホルムアルデヒド測定装置をもちこみ、各部屋のホル
ムアルデヒド濃度を測ってくれた。結果は、ほぼどの部屋もWHOの基準値
(0.08ppm)を上回る数値(最も高い数値で0.19ppmだった)を記録した。のち
にトルエンやキシレンほかの濃度も測定してもらった。
再リフォームの眼目は、ふた部屋ある畳の間を板敷きに替えることと、台所
の天井をやりかえることが中心だった。そのさい、建材に何を使用するかが大
きな問題だった。防虫処理など化学薬品を使用していないことが大前提だが、
工務店の申し出によって、化学物質の含有量の少ないものもふくめていつくか
のサンプルをもってきてもらった。このころ妻は、たとえ無垢材でも針葉樹系
の樹木の放つ匂いにも拒否反応をおこしていたので、檜や杉といったいちばん
ポピュラーなものを選択肢から外さねばならなかった。
サンプルは、輸入材のホワイトアッシュや、タモの木、いたや楓などの中か
ら選ぶことになった。このときも、それぞれの木の匂いがまざらないように、
細心の注意が払われた。そして、たんねんに匂いを検討した結果、いたや楓の
木を床材として使用することになった。
10月の末から行われた工事は、畳を上げることから作業が始められた。あら
かじめ不動産屋にシロアリ駆除剤の散布の履歴を問い合わせ、4半世紀以上前
に撒かれていて安全であることを確認するなど念のいった作業となった。一般
に出回っているフローリング材とくらべ、1枚1枚ボンドを使わずに釘だけで
打ちつけていくのでひじょうに手間がかかったが、床の張替えは無事終了し
た。心配していた不快な臭いもせず、私たちは一安心した。
そのあとのワックスに何を使用するかについても入念に検討を重ねた。自然
素材のものを使うにしても、たとえば「柿しぶ」は臭いがきつすぎ、「蜜蝋
ワックス」を試してみたが、最初に業者にもってきてもらったものには香料が
入っていてだめだった。結局、香料の入っていないものを階下に使用。結果は
上々だったので、さて2階にもと思ったが、ここで妻は食用に使っている「べ
に花油」の使用を提言。これがまたしっとりとしてすばらしいものだった。こ
うしてみると、体に悪いとわかっている化学合成したものをなぜわざわざ使う
のか、夫婦して本当に不思議に思った。
天井は、天然素材であるしっくいの塗布によりホルムアルデヒドを分解する
という触れ込みのものを、サンプルも取り寄せて十分に検討して使い、押入れ
には調湿機能が高く消臭性にすぐれた火山灰を使用した。
■おわりに
こうして無事リフォームが済んだ。結果からいえば、とくに畳を取り替えて
からは、それが原因で惹き起こされる症状、とくにじんましんはほとんど出な
くなった。それでも、まだまだ薬への依存度は高いし、突発的な要素で重い症
状がぶり返さないという保障はない。
今回の闘病をふりかえったときつよく感ずるのは、安全なり健康といった本
来きわめて個人的なことがらに関する情報が、われわれ個人に隠されているこ
とである。安全や健康のキャスティングボードを握っている技術や制度に、専
門性の高い敷居が設定されている。もはや個人の判断のレベルを超えたところ
で成り立ち、かつおびやかされてもいる日常生活を自分たちの手に取り戻すた
めには、矛盾しているがひとつひとつを自分で確かめてから判断する必要があ
る。判らないながらも、じぶんの五感を信じ、医療機関や家電メーカー、食品
メーカーなどにたいして、臆せずに素朴な疑問をぶつけることがだいじなので
はないか。その意味で、当事者である妻が自らの体をセンサーとしてさらけだ
し、それに注意深く耳を傾けるさまには一種の感銘を受けた。
このような一般に認知を受けていない病気では、まわりの無責任な言動や偏
見の視線に対してどれだけ強くなれるかということと、理解者をそばにおくこ
とがとくに必要であるように感じたこともつけくわえておきたい。(この項お
わり)
[参考文献]ブックガイドとして活用いただければ幸いです。
★入門書(闘病記をふくむ)
『化学物質過敏症』(柳沢幸雄、石川哲、宮田幹夫著、2002年、文春文庫)
『化学物質過敏症 ここまできた診断・治療・予防法』(石川哲、宮田幹夫
著、1999年、合同出版)
『化学物質過敏症 忍び寄る現代病の早期発見と治療』(宮田幹夫著、2001
年、保険同人社)
『室内化学汚染 シックハウスの常識と対策』(田辺新一著、1998年、講談社
現代新書)
『あなたも化学物質過敏症? 暮らしにひそむ環境汚染』(石川哲、宮田幹夫
著、1993年、農文協)
『誰もがかかる化学物質過敏症』(渡辺雄二著、1998年、現代書館)
『化学物質過敏症家族の記録』(小峰奈智子著、2000年、農文協)
『シックハウス対策のバイブル』(日本建築学会編、2002年、彰国社)
『シックハウスよ、さようなら 室内空気汚染から家族を守るには』(中野博
著、2002年、TBSブリタニカ)
★用語解説・事典類
『検証!くらしの中の化学物質汚染』(河野修一郎著、2001年、講談社現代新
書)
『暮らしにひそむ化学毒物事典』(渡辺雄二著、2002年、家の光協会)
『これが正体身のまわりの化学物質 電池・洗剤から合成甘味料まで』(上野
景平著、199年、講談社ブルーバックス)
『明日なき汚染 環境ホルモンとダイオキシンの家 シックハウスがまねく化
学物質過敏症とキレる子どもたち』(能登春男・あきこ著、1999年、集英社)
『シックハウス事典』(日本建築学会編、1999年、彰国社)
★アレルギー一般
『環境問題としてのアレルギー』(伊藤幸治著、1995年、日本放送出版協会)
『暴走するアレルギー アナラフィキシーに負けない本』(角田和彦著、1999
年、彩流社)
★食についての概説書
『安全な食べものたしかな暮らし』(安全食品連絡会編著、1992年、三一書
房)
『イラスト版輸入食品のすべて』(全税関労働組合・税関行政研究会著、1991
年、合同出版)
『食卓にあがった死の灰』(高木仁三郎、渡辺美紀子著、1990年、講談社現代
新書)
★啓発本
『買ってはいけない』(『週間金曜日』別冊ブックレット2、1999年、株式会
社金曜日)
『食べるな、危険!』(日本子孫基金、2002年、講談社)
★環境ホルモン、農薬問題
『環境ホルモン・何がどこまでわかったか』(読売新聞科学部、1998年、講談
社現代新書)
『よくわかる農薬汚染 人体と環境をむしばむ合成化学物質』(安藤満著、
1990年、合同版)
『人体汚染のすべてがわかる本』(小島正美著、2000年、東京書籍)
『危ない化学物質の避け方 アレルギー・ホルモン攪乱・がんを防ぐ』(渡辺
雄二著、2000年、KKベストセラーズ)
『環境ホルモン入門』(立花隆著、1998年、新潮社)
★一般化学知識
『化学反応はなぜおこるか 授業ではわからなかった化学の基礎』(上野景平
著、1993年、講談社ブルーバックス)
『新版 元素の小事典』(高木仁三郎著、1999年、岩波ジュニア新書)
★その他資料
『2000-2001化学物質の危険・有害便覧』(厚生労働省安全衛生部編、2002
年、中央労働災害防止協会)
『五訂食品成分表2002』(香川芳子監修、2002年、女子栄養大学出版部)
★その他関連
『家族が心身症になったとき』(河野友信著、2000年、創元社)
(「いのちジャーナルessence」2003年1-2月号 No.18より改稿転載)
※この文章を「カルチャー・レヴュー」にアップしてもらうべく用意している
5月現在、妻のからだはもうずいぶんと快復に向かっている。いままで病気の
せいでできなかったこともでき、行けなかったところへも足を運べ、もう一生
食べられないとおもっていたものさえも口にできるようになりつつある、とい
うのは、うれしいとしかいいようのないことである。しかし、免疫力の衰えた
からだは、すぐになんらかの不調をうったえる。それらが化学物質過敏症特有
の症状とはかならずしも言えないことから、これからは健康一般といったもの
との付き合いを考える新しいステージに移るべく試行錯誤しているところであ
る。それは、食事のとりかたにせよ、日常生活の送り方にせよ、からだ自身、
たとえば姿勢ひとつとってみても、精神的なことがらにせよ、なにかにつけ
「バランス良く」をこころがけるようにしたいということなのだが、これがい
ちばんむずかしいようだ。ついては、情報の取捨選択には慎重を期している。
世間さまざまに流布している健康にかんする情報にふりまわされ、それらの処
方に拘泥することは避けたいからである。怖がらず、でも侮らず、希望を持っ
てがまずもって肝要ではなかろうか、ということである。
■プロフィール■------------------------------------------------------
(やまぐち・ひでや)京都市出身。メールアドレス:slowlearner02@ybb.ne.j
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////// 音楽/河内音頭 //////
日本一あぶない音楽
―河内音頭断片―
鵜飼雅則
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■山……「なかにひときわ悠然と」
いつ頃からだろうか、通勤時、自宅の玄関を出てすぐ眼に入る山並にほんの
少し目を遣ってから駅に向うのが、私のならいとなっている。
私の住む大阪の河内と奈良の境を南北に画するそれらの山々は、この夏も何
度か櫓で聞いた河内音頭のマクラの中で次のように歌われている。
大和河内の国境、生駒、葛城、信貴、二上、なかにひときわ悠然と、そびえ
て高き金剛の……
このようにやや強迫的に山の名を並べる音頭の定型フレーズについて、「オ
ンドロジスト」(河内音頭研究家)のひとり、朝倉喬司は書いている。
音頭取りの心意の深みにおいて、山々の名は歌われているというよりもむ
しろ、唱えられているのであり、山の呪力を満身にのりうつらせ、カラダを
歌の動力源と化していくプロセスの一端をなしているはずなのだ。」
(「河内、湖水の幻影」、『走れ国定忠治』所収、現代書館)
卓見だと思う。そして、私自身に即して言えば、遠景に生駒連山の山並が見
えている、そのこと自体が、私たち河内に住む者にある種のやすらぎを与えて
くれているように思うのだ。それは、いわば心の拠りどころとも言うべき河内
の原風景なのである。
秋風や山の見ゆるをやすらぎに 雅則
■「丸」考…浅丸、光丸、小石丸、菊水丸
G様
昨日はありがとうございました。
久しぶりにお会いし、大変楽しかったです。
お借りした鉄砲光三郎のカセットは、「民謡鉄砲節 第2集」として出され
た(一九六〇年代前半)LPをカセット化したもので、全盛時の光三郎の音頭
を楽しめます。独特の弾むような歌声は、当時の人々を熱狂させたのでしょう
ね。
さて、音頭取り達の名前にどうして「丸」が多いのかという問題ですが、河
内音頭について最も包括的に論じた村井市郎さんの書物(『八尾の音頭いまむ
かし』/八尾市)を見ても、特にふれられていません。
いうまでもなく「丸」は、「若」、「千代」、「王」などと同じく「童名
(わらわな)」(幼名)ですから、昨日、Gさんがおっしゃったように幼年時
に弟子入りした音頭取り(菊水丸は八歳のとき、父河内屋菊水に弟子入りして
います)の名に「丸」が付けられたというのは一応理解できます。(「丸」に
は、「一人前の人間とみなされていないものに対する蔑称」という意味合いが
あるからです。また音頭の口上の定型フレーズである「お見かけどおりの若輩
で」と同じように、一応自分を卑下して見せるという心性がそこにあるとも考
えられます。)
けれども、日本の中世期からあった童名の場合ですと、元服(成人)する
と、実名、字といった大人の名前に変ってしまいます。音頭取りの場合、ベテ
ランになって名前から「丸」をとるとか、改名するというようなことはないよ
うですから、問題のポイントは「丸」を付した