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『カルチャー・レヴュー』2003

『カルチャー・レヴュー』
http://homepage3.nifty.com/luna-sy/


 *以下は立岩に送っていただいたものです。
  直接上記のホームページをご覧ください。

Date: Sun, 30 Nov 2003 23:41:07 +0900
Subject: 『カルチャー・レヴュー』32号(るな工房・窓月書房)

■本誌は<転送歓迎>です。但しその場合は著者・発行所を明記した「全頁」
 の転送であること、またそれぞれの著作権・出版権を配慮してください。
 <無断部分転載厳禁>
■本誌へのご意見・ご感想・情報は、下記のWeb「黒猫の砂場」(談話室)
または「るな工房」まで。メールでの投稿原稿を歓迎します。
 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html

◆直送版◆
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 (創刊1998/10/01)               (発行部数約1240部)

      『カルチャー・レヴュー』32号
         (2003/12/01発行)

     発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
        [33号は、2004/01/01頃発行予定です]
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■目 次■-----------------------------------------------------------
◆「La Vue」の〈新創刊〉に向けて              山本繁樹
◆「生野オモニハッキョ」に参加して             文岩優子
◆肉声の明滅                        上山和樹
◆「La Vue」15号のご案内
◆インフォメーション/「関西の装丁家展」・講演会「吉増剛造・藤井貞和・
 倉橋健一」・「天音堂ギャラリー」)
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////// <新創刊>のご案内 //////

   「La Vue」の〈新創刊〉に向けて
      ――自己の脱構築とさらなる他者との交響を目指して

                              山本繁樹
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 本紙は市民の相互批評を目指す評論紙として、読者の方々の「投げ銭」及び
「木戸銭=年会費」というパトロンシップによる発行運営を志向=試行してき
ました。
 「投げ銭」というのは、読者が内容を読み終わったあとで評価に応じて「後
払い」していただくシステムです。そのことによって、在野の表現者や研究者
を支援する評論紙の維持を目指したわけです。
 そしてお陰様で本紙は十五号を迎えました。その成果は、「La Vue」のWeb
頁(http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/lavue.html)をご覧くださ
い。年数にすると四年余りではありますが、ここまで継続刊行できたのは、寄
稿者をはじめ読者および関係各位のご支援とご協賛があったからに他なりませ
ん。改めてこの紙面を借りてお礼申し上げます。
 しかしながら、「投げ銭システム」による運営は軌道には乗りませんでし
た。当方のアナウンスの不手際か、あるいは「投げ銭」それ自体のわかりにく
さからか、ほとんどの読者は本紙を「フリーペーパー」と做していたようでし
た。配布先(書店・文化センター等)での捌け歩合や風評では、多くの常連読
者がいるとは想定できたのですが、本紙を維持するための有料定期購読者の確
保へとは繋がりませんでした。残念ながら本号を持ちまして、「投げ銭システ
ム」の実践=実験は中止といたします。

 しかし休刊ではありません。さらなる継続に向けて、会員制(一部書店売
り)をベースとしたアクチュアルでキュートな「研究〜批評」雑誌(年1〜2
回発行予定)へと装いを新たにします。
 「文学・思想・情況の〈現在形〉を読む」という視座から、各自の継続的な
テーマや関心領域を発表する横断的かつ開かれた投稿誌でありたいと思ってい
ます。
 そして、複数の声が交響しあう言語‐身体空間の生成と自己の脱構築に向け
ての協働、それらを通して新たな〈可能性〉を呼び込みたいと思います。具体
的には講座や読書会、協働レヴュー(討議)を経ての原稿執筆、編集作業、合
評会などを行います。

 このような趣旨での〈新創刊〉に向けて、会員(定期購読者)および投稿を
募ります(投稿規定は別途ご請求ください)。
 また〈新創刊〉の掲載内容を希望される方は、「るな工房・窓月書房」編集
部までご連絡ください。追ってご案内申し上げます。
 なお姉妹誌メールマガジン「カルチャー・レヴュー」は従来通りのスタイル
で継続発行いたしますので、併せてご購読をお願い申し上げます。

■「La Vue」告知=http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/lavue.html
■「カルチャー・レヴュー」=
http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/review1.html
■「La Vue」2号から15号までを特別セット価格1000円(切手可)にて承りま
 すので、前払いにて「るな工房・窓月書房」までお申し込みください。

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////// 識字と在日 //////

         「生野オモニハッキョ」に参加して

                              文岩優子
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 「生野オモニハッキョ」とは、主に在日コリアン1世たちが日本語の文字を
学ぶ識字学校のことで、韓国語で「オモニ」は「お母さん」、「ハッキョ」は
「学校」を意味する。今から26年前に設立され、多少の紆余曲折を経て現在も
生野区の聖和社会館で、週2回授業が行われている。叔母の紹介で、私はそこ
に3年ほど前に教える側のスタッフとして参加をした。

 実を言えば、日本語を教えることには少し抵抗感があった。在日3世である
私が自分のハルモニ(祖母)と同じ世代であるオモニたちに日本語の文字を教
えるというのは、何か歴史の奇妙な歪みであるように思えて、オモニらが苦労
してきたおかげで私らが学校に行けて、じゃあこれはその恩返し? どうも納
得がいかなかったのだ。だから最初は文字を教える際、筆順や筆法、うまいヘ
タなどはあまり気に留めず、より多くの文字を覚えてもらうことを中心に授業
を進めていた。
 「せんせい、この字の書きかたおおてます?」と尋ねるオモニに対しては、
一応合っているかどうかの確認はするものの、「そんなことを気にせんでええ
よ、ほとんどの人が書き順なんかめちゃめちゃに字を書いてんねんから」と不
安がるオモニに安心して文字を書くようにすすめ、また「字汚いから恥ずかし
いわあ」といって恥ずかしがるオモニに対しては「そんなことあれへんよ、
ちゃんと読めるし、私よりうまいんちゃう?」と多少見栄えが良くなくても
堂々と文字を書くようにすすめていた。そんな風にして一年ぐらい経った頃、
あるオモニを担当していた私は、自分の「文字は読めればいい、書ければい
い」という教え方が本当にオモニにとって良いのだろうかと疑問に思い始めた
のだった。
 そのオモニは戦後日本に渡って来た六十代くらいの方で、日本で生活する中
で仮名の読み書きや漢字もある程度知っていて、だから私も最初から小学校高
学年レベルのテキストを使用して授業を進めていたのだった。ある日、教科書
ばかりでは飽きるだろうし、覚えた漢字の実践にもつながるだろうと思った私
は、オモニに「今日は、日記を書いてみましょうか。」と提案してみた。最初
少し戸惑っていたオモニも暫くしてその日の一日をノートに書き始めた。朝起
きて、仕事をして(オモニの多くはヘップや鞄などの内職をしている)、お昼
を食べて…‥。
 文章中、小さな「つ」や濁点が抜けたり逆に余分に付けたりすることは少し
気になったけれども、これはオモニたちが文字を書く際によく見られる現象
で、その都度指摘をするだけであまり強く間違いを正すことはしていなかっ
た。けれども、その後も時折日記を書く授業をしたりしているうち、私はやは
り文章に頻出するそれらの現象が気になって、試しに私の言う言葉を全てひら
がなで書いてもらうことにした。「学校」「兄弟」「給食」「土曜日」「女
中」。オモニが書いたのはこうだった。「かこ」「きょたい」「きゅそっく」
「とよび」「ぞつ」。
 「濁音」「促音」「長母音」はオモニたちの最大の難所であることは知って
いたものの、正直私は少しショックだった。「折角」「掃除」「電球」「冗
談」などを漢字で書けるオモニが、これをひらがなで書いてもらうと「せか
く」「そじ」「てんきゅ」「ぞだん」となるのだ。それにも拘わらず実際オモ
ニたちはそれらの漢字で読み、書き、意味も理解できるのだから(但し、発音
はひらがなの通りになっているが)、このまま漢字テキスト中心の勉強を続け
ても良いのかもしれない。けれども、どんなに難しい漢字をたくさん覚えたと
しても、いつかまたこの「学校」=「かこ」の位置に戻って来てしまうのでは
ないか。漢字というベールにくるまれて表面上みえてこないこの「綴り」の問
題が、もしかするとオモニにとっての不安要素となっていて、文字の間違いを
指摘した時その事実を否定するかのように、慌ててその字を鉛筆で黒く塗りつ
ぶしたり消しゴムで消したりするオモニの振るまいにつながっているのではな
いだろうか。私はオモニに聞いてみた。
 「Kさん(そのオモニの姓)は、とてもよく漢字を書いたり読んだり出来は
りますけど、でもひらがなで書くとやっぱり小さい『つ』が抜けたり、伸ばす
音がぬけたりしてしまいますよね。このまま漢字の勉強を続けてもいいんです
けど、私は一回ちゃんとひらがなから勉強してみたらどうかなと思うんですけ
ど」。
 「構いませんよ」がオモニの答えだった。私は次の授業に小学校一年生用の
「かなドリル」と「かんじドリル」を用意し、ひらがなの書き順から徹底して
教えることにした。また「止め」「はね」「払い」等の筆法も意識しながら
きっちり書くようにしてもらい、バランスの悪い文字やおざなりに書いた文字
は何度も消して書き直させたりもした。このやや過剰すぎる私の方法も、オモ
ニハッキョを続ける中で私が新たに感じ始めていたことの実践の一つだった。
それは、先にも書いたオモニの「不安要素」の原因を取り除くことにあった。
 オモニたちはやはり、文字に対してどこか恐怖感をもっている感じがあっ
て、それで私は「書ければいい、読めればいい」と「文字の正しさ」にあまり
捕らわれずに気楽に文字を書くようにと、以前はすすめてきたのだった。
 けれども、実際にオモニがここで文字を覚えどこかで文字を書いた際、ふと
したことで誰かに間違いを指摘されたりする。そうするとオモニは傷ついて、
また文字に対してネガティブになってしまうのではないだろうか。またどこか
外に出掛けることにも億劫になってしまうのではないだろうか。だからこそ、
オモニには誰よりも「正しい文字」「美しい文字」を身につけて堂々と社会に
出られるようになって欲しい。「正しい日本語」「美しい日本語」なんて大嫌
いだけれど、僅かなことで識別されるという社会的現実がある以上、「書けれ
ばいい、読めればいい」という無責任な言い方ではなく、オモニ自らにその体
現者になってもらうというのが戦略的に有効なのではないだろうか、そう思い
方針を変えたのだった。
 また、「美しい文字」にはもう一つ別のねらいがあって、文字には一種のナ
ルシズムがあると思うので、きれいな字を書いて自分の書く文字を愛するよう
になってくれれば、文字を書くことが好きになって楽しいと思えるようになる
のではないか、また消して再び書くことでより早く覚えられるのではないかと
思ったことだった。
 ただ、仮名をきっちりと覚え「美しい文字」を書けるようになったからと
いって、オモニが「学校」を「がっこう」と書けるようになるわけではない。
それは日本語と韓国語の発音体系の違いに原因があるからだ。例えば、韓国語
では「語頭に濁音がこない」という規則があるので「電気」は「てんき」と、
また日本語にはあって韓国語には無い音があるので「雑誌」は「じゃし」と発
音し、かつそう書いてしまう。これは外国語を学ぶにあたっては当然のこと
で、逆に韓国語の「アヤオヨオヨ」の二つの「オ」と「ヨ」の音の違いが私に
は容易に区別できないだろうし、また英語の場合、もし私が「マザー」を
「mother」と綴り「スクール」を「school」と綴るということを知っていなけ
れば、おそらく「mazar」とか「skule」という風に書いてしまうだろう(昔、
「dictionary」を「ディクチョナリー」と「dangerous」を「ダンゲロウス」
というようにして英単語を暗記していたし、今でも心の中でそう唱えながら
キーを押している)。また「長母音」や「促音」が抜けるのも韓国語の音のリ
ズムがあるので同様に難しい。
 だから、音による文字の違いを認識してもらうことが困難な以上、オモニに
は「学校」を「がっこう」という綴りとして覚えてもらうしかないのだけれ
ど、これがなかなか大変なようなのだ。漢字は楽に覚えられるのに、ひらがな
の綴りがなかなか覚えられないというのは、やはり漢字の象形性によるものな
のだろうか。いずれにせよ、オモニには意識して「が『つ』こ『う』」と強く
発音するようにお願いするのだけれど、そうすると今度は「がっこうううう」
と「う」が3つ4つ余分にくっついてしまったりする。オモニにとっては本当
にしんどいことだと思う。このやり方がオモニに役立っているのかどうか、正
しいのかどうかはいつも不安に思っているのだけれど、毎回オモニが来てくれ
ることをその答えだと思い、一応そのやり方を私の方針として今も授業をして
いる。
 半年ほど前にKさんは病気をされて、しばらくオモニハッキョを休んでい
た。その間私は、Iさんという別のオモニと一緒に同じ方法で勉強をしてい
た。そのIさんは今ではひらがなを書くことにとても熱心になっていて、
「『か』の点の位置がおかしい」とか「『の』」の空間が少し狭いと言って
は、何度も消し、消しては書きと、十分きれいだから次の文字に進みましょう
と私が促さなければならないほどになっている。これは効果があったと言って
いいのだろうか(?)。

 最近、オモニたちの中に文章を書き始める人が増えてきた。その多くは日記
であったり、旅行記であったりするのだけれど、自分史のようなものを少しず
つ書き始めているオモニもいる。そこには、日本に渡って来た(来させられ
た)経緯や、学校に行けなかった理由など、大きな歴史の中で生きてきたオモ
ニの生がある。私の祖父・祖母もこんな風にして日本に来て、そして私が今日
本に生まれ生きているのだなあと思うといつも不思議な感覚にとらわれる。
 オモニハッキョは1977年の7月に設立され、同年の8月に私が生まれた。そ
んなことにも何かの縁を感じながら、今や「正しい日本語」のタカ派となった
私も「筆順」や「美しい文字」の勉強のやり直しに励まんとしている。

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(ふみいわ・ゆうこ)1977年、大阪生まれ。在日韓国人3世。会社事務員。

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  〜〜〜◎◎◎「いくのオモニハッキョ」第5号、発売中◎◎◎〜〜〜

 「いくのオモニハッキョ」では昨年開校25周年を記念して文集をつくりまし
た。オモニたちが一生懸命に手書きで書いた文章がそのまま掲載されていま
す。オモニたちの思いやハッキョの活動が知れる内容となっておりますので、
興味を持たれた方はご連絡ください(20周年第4号の在庫も若干あります)。

 ■定価500円(送料のご負担をお願いいたします)
 ■連絡先(文岩優子)E-mail:DZN02303@nifty.ne.jp

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////// ひきこもり //////

             肉声の明滅

                              上山和樹
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■出版まで

 僕には子供のころから、悩まされている感覚があった。何かの現場にいて、
あるいは人と話していて、「いや、それは違う、本当は、こうじゃない
か……」という小さな火花みたいな感覚が、まさに火花のように閃き、そして
周囲の圧倒的な力学の中で消えてしまうのだった。それは何か異常に貴重なも
のに思えたが、自分の言葉の政治力ではまかなってやることのできない、小さ
な小さな声の明滅だった。消えてしまった後、それは何だったかもう思い出せ
ない。取り返しのつかない喪失感が僕を責め続け、あまりにも貴重な記憶や意
見がどこにも記録されないまま消えてゆくこと、それは「恐怖」に近い喪失感
だった。――二〇〇〇年六月に大阪のある親の会で発言して以後、僕は自分が
それまで流産させ続けていた小さな声たちを、必死にまさに「声」にした。形
を与えて、「公の場所」に出す努力をしたのだった、それは語っている最中、
自分を忘れることができるぐらいに熱中できた、必死の取り組みだった。語っ
ている間、僕はまさに「自分を忘れた」。そんな熱中は、生まれて初めてであ
り、このテーマ以外ではあり得なかった。
 二〇〇一年五月、「本を書いてみませんか」というお申し出を頂いたのは、
毎月のように続けられた「声を形にする」作業がある程度ルーティン化し、
「同じことをいつも言わなければいけない」つらさが始まった頃だった。即座
に受諾した。
 「インタビューをテープ起こしして、他の人に書いてもらうこともできる」
という選択肢を断わり、「自分で書く」――自分の言葉の機能に賭けてみる
――ことを決めたものの、「書き始める」までが大変だった。「ひきこもり」
は、「コミュニケーションが機能しない」ことを最大のテーマの一つとしてい
る。どんな文体で書くか。――それは、「誰に向けて書くか」という問いと重
なっている。自分のことを「私」と言うか、「僕」というか。「です・ます」
で書くか、「である」で書くか。僕は「書く形」を決めるまでに、一ヶ月を要
した。
 出版社からのお申し出は、「一人称で、体験告白を書く」ことだった。僕と
しては、それはそれで貴重なアイデアだったが、僕がどうしても伝えたいこと
は、それだけで尽きているはずではなかった。「本当は、そうではないのに」
――その声には、もう少し一般化すべき、「私」個人の経験に還元されるべき
ではない一般性を伴った内容が含まれているはずだった。七月初旬、僕は本を
二部構成にすることを編集者に提案し、いよいよ本格的な執筆作業が始まっ
た。
 「書くまで」はあれほど停滞していた僕の指は、書き始めると、今度は止ま
らなくなった。最高で、四百字詰め原稿用紙七十枚分を一日で書き上げた。
「二七〇枚」という制限枚数を越え、気が付くと僕は八〇〇枚以上の原稿を書
き上げていた。
 「ここでだけは、嘘をつきたくない」――その覚悟は、いつの間にか僕の執
筆作業を「遺書作成」の真剣さに変えていた。その作業は、実際に僕にとって
「遺書」の領域にあった。「これだけは、言っておきたい、さもなくば死ねな
い」――その感覚は、極端に私的性格の強いジャンルにあるはずの僕の文章
を、極めて無私的な純粋さに精錬した。つまらないナルシシズムで自分の文章
が汚されることは、そのまま自分自身への冒涜を意味した。僕は、「書き終え
たら死んでもいい」と思える執筆姿勢を保ちつづけた。
 僕は生身の個人として生きている。当然、そこに絡み付いてくる人間関係に
は、僕にとっては都合よくとも、相手にとっては困る話もある。出版にあたっ
て削除された原稿の多くは、そうした「トラブル」めいた話の数々だった。そ
こには僕個人の私怨に留まらない、公的性格をもったトラブル――「ひきこも
り」というテーマにとって――も含まれていたのだが、まったく無名の新人と
して本を出そうとしている僕が、そういう話を書くわけにはいかないらしかっ
た。
 書く作業は、僕から食事と睡眠への生理的機能を奪った。消耗し続け、十一
月末に全ての作業を終えた頃には、僕は完全に寝込んでしまっていた。近くの
コンビニにも行けない体力。「書き上げた今、僕はこれからどうするか」――
まったく分からず、かといってそれまで続けていた訪問活動もやめるわけには
いかず、僕は自分をあらためて「ひきこもり支援」の活動に再投入した。心と
体の機能は衰弱し続けた。
 個人的な衰弱を書いても意味はない。しかし、「遺書」を書き上げた僕に、
もう何か為すべき仕事があるとは思えなかった。書き上げたあとのエアポケッ
トのような時間を、僕は支え損ねた。酒の量も増え、僕は「一日中寝込む」
日々を断続的に続け、それでも訪問活動への使命感だけを支えにしつつ、やっ
ぱり「死にたい」話が始まってしまっていた。二〇〇一年十二月中旬、本は出
版された。

■出版以後

 本の執筆と出版は、母には完全に内緒で行なわれた(父はすでに他界してい
る)。執筆のきっかけになった雑誌取材さえ拒否した母が、僕の執筆を許可す
るはずはなかった。僕はもう確信犯の心情で、「これで死んでもいい」などと
幼稚にも考えていたのだった。
 すでに執筆を終えたはずの僕は、しかし衰弱の一途をたどった。訪問活動の
頻度も減り、やはり「一日中寝込んで、布団の中でしくしくと泣き続ける」バ
カな日々が続いた。出版社経由で送られてくる読者からの感想文、それに「君
には死んでほしくない」と言ってくれる友人たちの声だけが、その時の僕の支
えだった。ここでも僕は、「声」に支えられた。
 出版から五ヶ月、二〇〇二年四月の二十日、僕は衰弱のきわみで譫妄状態に
陥り、幻覚と幻聴の恐怖を味わった。日本兵の幽霊が僕を責め続ける。取り乱
した僕を支えてくれたのは、またしても知人たちだった。メールでのSOSに
即座に電話で応答してくれた精神科医、電話で冷静に僕をなだめてくれた先
輩、深夜の救急診療に車で二時間以上かけてかけつけてくれた友人、――僕は
やはり人に救われていた。人を避け続ける「ひきこもり」の僕が、「人」に救
われている。
 幻覚に怯え続ける僕を、母は「手を握って」いたわってくれた。これまで二
〇年近く、「冷戦」のような状態にあった母子関係が、ガラリと変わった。幻
聴の多くは、母に関係していた。優しくいたわりのある母の声が、何度も僕の
耳だけに現れた。
 五月、本の出版が母に知れる。親族の誰かが本屋で見つけて母に報告したら
しい。――が、母に会っても、本のことには何も触れない。――そして五月の
暮れ。母は朝から、ついに本のことで僕を責め始めた。「家の恥を世間に晒し
た」「和樹はまだまだこれからの人なのに、自分で自分の首をしめてい
る」……。やっぱりそうか。一番分かってほしかった人に、こんな言葉をかけ
られてしまった。今度は僕が激怒し、「俺が命懸けで書いた本なのに、そんな
ことしか言えないのか!」……惨めだが、そのまま報告しておこう。今はそう
いう状態だ。今日これから、実家に戻るが、おそらく本のことは二度と母子間
で語り合われることはないだろう。「なかったこと」として、完全に封印され
るだろう。少なくとも、時間はかかる。「ひきこもり」とは、そういう話題な
のだ。 
 今の日々、僕はやはり「読者」と「知人」の声たちに支えられている。声。
僕は「目線」に傷つけられ、「声」に癒されている気もする。この辺の事情
は、まだこれから考えてゆきたい。――でも、ひとつだけはっきりしている。
「ひきこもり」――それは、僕にとって自分の自由意志とは関係ない形で僕に
インストールされてしまったテーマなのだ。自分にミッションがあるとして、
僕にはこのテーマ以外に考えられない。しかしひどくつらい。でもやめられな
い。――僕はこういう形で、自分の「必然的テーマ」と出会い、人々と声を交
し合っている。――僕はひょっとすると、世間の大多数の人々よりも幸福で明
確な形で自分のミッションと出会ったのかもしれない、三十代も半ばにさしか
かって。

 声。僕はこれからも、自分の肉声を、他の人間の肉声と絡み合わせてゆきた
い、そこで何かを形にしていきたい。それに付き合ってくださる方、どうか僕
に声をかけてほしい。そこで何かを、いっしょに形にしていきましょう。恐ら
くは、少数派の試みにとどまり続けるだろうけれども。

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(うえやま・かずき)1968年生まれ、兵庫県出身。中学で不登校、高校中退。
大学に進学するも不登校・休学。父親の病死でなんとか卒業はするが就職せ
ず、アルバイトに挫折するうち引きこもりに。2000年3月、31歳で初めて自
活。ひきこもりの親の会での発言をきっかけに、それまでひたすら隠し続けて
いた自分の体験を生かした活動を考えるようになる。不登校のための家庭教師
・訪問活動・地域通貨の試みなどをしながら、ひきこもりの問題に取り組んで
きた。現在は休職・療養中で、これまでの無理のあった活動形態を見直し、
「親世代」にではなく、「当事者たち」本人に呼びかけることのできる取り組
みを模索している。著書:『「ひきこもり」だった僕から』(講談社)ネット
上で日記をつけています。http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/


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////// 「La Vue」15号のご案内 //////

■掲載内容■ 特集<装幀談義・造本の周辺>(03/12/01発行)
 ◎「装幀好き――天野忠の十三冊の本」
   涸沢純平(「編集工房ノア」代表))
 ◎「手製本は周回遅れのトップランナー」藤井敬子(画家・装幀家)
 ◎「オブジェとしての装幀」吉本麻美(「うらわ美術館」学芸員)
 ◎「装丁違論」川口 正(「アース・インテグレート」代表)
 ◎ 「La Vue」の〈新創刊〉に向けて、
    ――自己の脱構築とさらなる他者との交響を目指して
 ★書影を多数掲載しています。

■広告協賛:ナカニシヤ出版 http://www.nakanishiya.co.jp/
東方出版 http://www.tohoshuppan.co.jp/
紀伊國屋書店出版部 http://www.kinokuniya.co.jp/
光村推古書院 http://www.mitsumura-suiko.co.jp/headline/index.html 
 解放出版社 www.kaihou-s.com/
■協賛:哲学的腹ぺこ塾
    http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/harapeko.html
■後援:ヒントブックス http://homepage1.nifty.com/hint-yf/
■投げ銭価格100円より・B4判・8頁・発行部数10000部
■京阪神地区の主要書店(一部東京)・文化センター・等に配布
■配布情報 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/lavue.html
■「投げ銭」「木戸銭」は、切手にても承ります。
■郵便振替口座 「るな工房」00920―9―114321

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■関西の装丁家展

 関西在住の装丁家と出版社編集室の作品を展示。
 ブックデザインという仕事の魅力、本づくりの多面性にふれてください。

 日時:2003年12月1日(月)〜6日(土)
    午前10時〜午後6時(最終日は午後4時まで)
   入場無料
 場所:大阪府立現代美術センター展示室B
    〒540-0008 大阪市中央区大手前3-1-43
    大阪府新別館北館地下1階 TEL.06-4790-8520
    交通:地下鉄谷町線・中央線「谷町4丁目」駅下車、1A出口方向へ
    徒歩3分 京阪「天満橋」駅下車、東出口から南へ徒歩12分
 問合:大阪府立現代美術センター
 主催:大阪府立現代美術センター
    大阪府立文化情報センター
   (社)日本書籍出版協会大阪支部
    ★同会場に「La Vue」15号を設置しております。

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■「明日は何を語ろうか」
 日時:12月13日(土)午後2時
    吉増剛三「ポエトリー・リーディング」
    藤井貞和講演「物語の結婚」
    藤井貞和・吉増剛造・倉橋健一鼎談「古代と現代をつなぐもの」
    秦嵐・劉燕子・今野和代ー詩の朗読
 場所:岸和田自泉会館(TEL.0724-37-3801)
 料金:前売り1500円(当日2000円)

■「ことばの井戸、火傷することば、過激な十二月へ」
    吉増剛造ポエトリー・リーディング&パフォーマンス
    藤井貞和講演「自由詩学」の発想
    秦嵐・劉燕子・今野和代ー詩の朗読
 日時:12月14日(日)午後2時
 場所:大阪太融寺会館(TEL.06-6834-6969)
    完全予約制(携帯.090-1149-4042 今野まで)
 料金:前売り1500円(当日2000円)

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■「漫歩系 天音堂ギャラリー」ご案内.....domori-manpoka 山口平明

   【紙版「あまそぞ」創刊号031125のスケジュール欄より】
  ●●●schedule●●●
  2003年11月〜2004年1月

★【漫文漫画 貝原浩展】 時局戯評漫画展でございます。

○2003年11月20日(木)〜12月1日(月)
12〜19時 最終日17時まで 火・水お休み
○友人のY氏が南堀江にギャラリーをオープンしたという。この御時世、なん
て無謀なことを、と思う反面、これで大阪でも展らん会ができるぞと内心ニヤ
リでもあった。早速に会場を使わせてもらえることになり、どうせなら他の処
では出来ないような展示をと思案の末、時局戯評漫画で世相への問いかけをし
てみたいと思った次第です。
この危ない時代、ぜひとも天音堂ギャラリーに足をお運びくだされば、これに
勝る幸せはございません。他に絵画も同時に展示してありますので併せて御覧
ください。(貝原拝)

★【小林敏也画本 宮沢賢治「雨にも負けず」他原画展】

○2003年12月4日(木)〜12月8日(月) 12〜19時 最終日17時まで○青天のへき
れきで本年度第13回宮沢賢治賞を受賞、それでというわけでもないのですが、
大阪では初めての原画展です。他いろいろ山猫グッズあります。ドレドレとお
出かけください。 (山猫あとりゑ・小林敏也)
○原画スライド映写と朗読
12月5日(土)午後6時 無料
『よだかの星』読み人/ユミもしくは王咲『どんぐりと山猫』読み人/たいら
あきら

★【中野マリ子 魂の住み処展マリ子祭り】まなざし力で蒐集した宝ものたち
○2003年12月11日(木)〜12月15日(月)12〜19時 最終日17時まで
○魂のすみかを感じさせる物いろいろあります。
キューバ、パレスチナ難民キャンプで5年間のボランティア体験、25年以上
の釜ヶ崎での越冬闘争の日ぐらしが、物への「まなざし力」を育てたと自認し
ています。痛みを持つ者(もん)の処には飛んでゆく中野マリ子です。
そんなわたしが釜ヶ崎の朝市で集めた宝ものです。使い古されたもの、欠け
たもの、どこかに傷があったりで、ゆえに愛しい。
インカ、アフリカ、アラブ、アジアの中古品。
布、人形、木彫り、お茶わん、アクセサリーなどいっぱい。売ります。会期
中、わたしの好きな「布の風」岡原幸代の服が展示されます。どんな心にも力
がつきますように!                   (中野マリ子)
○かの白洲正子をもものともせぬ「まなざし力」、われらがマリ子さんの蒐集
したる物たちが語りはじめます。作家の制作表現展示ではありませんが、今回
は天音への追悼をこめて特別企画として組みました。 (堂守・山口平明)

《でもねえふと思いだすと、十数年前、天音と閉じこもって暮らしていた私た
ちのおうちに闖入してきて、ヒロミさんの孤独に寄り添ってくれたのが中野マ
リ子である。…略… マリ子さんの侠気に応えて、今回のような企画ができれ
ば、天音の供養にもなろう。せいぜい彼女の迫力に対するに、脱力と老人力で
もって開催にこぎつけたい》(ウェブ日記【「天音堂ギャラリー」堂守そぞろ
日誌】03/10/21の項目より引用) http://www3.diary.ne.jp/user/348493/

★【WEB版SELF-SOアートギャラリー交流展】ウェブ上の作家たちがオフで集合
○2003年12月18日(木)〜12月22日(月) 12〜19時 最終日17時 交流会12月20日
(土)午後3時〜
○参加作家(予定)
あいだたきこ、あかさかひろこ、浅山美由紀、今井たえこ、上野絹子、こしだ
ミカ、佐伯朋子、宗和晴美、田村実環、徳治昭、中川渉、永島正人、中西圭
子、のだよしこ、橋本修一、橋本あやめ、古井三恵子、星谷つとむ、前田学、
マサルとミツル、ミズタニカエコ、宮崎詞美、山口ヒロミ、ユリコフ・カワヒ
ロ。
★【カメリアーノ色鉛筆人間画展 2004 OSAKA 天音堂ギャラリー】
「ぼくは、しあわせな絵画になる。」

○2004年1月9日(金)〜1月20日(火) 12〜19時 最終日17時まで 水・木お
休み[2004年から水・木が休廊]
○LIVEコンサートや人の集まるところで、ライブに絵を描くLive Documentを
つづけているうち、肖像画や人物画がおもしろくなってきました。
2004年は、色鉛筆による[人間画]を追求してみます。「存在」の意味が少し
は見えてくるかも…。
※「ぼくは、しあわせな絵画になる。」というタイトルは、畑中摩美さんの
「絵画」という歌から生まれました。ありがとう。

*以上、 「そぞろ通信★11月号*2003-11-27」発行☆山口平明(堀江・天音
堂G)より転載。

■編集後記■---------------------------------------------------------
★現代人は「経験ではなく経験のイメージで、生活を満たしている」とは社会
学者プーアスティンの言葉だそうですが(孫引き)、今号掲載のお二人のエッ
セイはイメージや知識からではなく、それぞれの切実な経験を反問することか
ら獲得された好論考だと思います。
★10月半ばにリアルの仕事場を移転して、ようやく荷物の整理も片付いたとこ
ろで師走ですね。思えば、早い一年でした。
★移転作業と「La Vue」15号の製作とが同時並行だったので、とくにPCの保全
と原稿データや著者校などを紛失しないように気を遣いました。また今回は特
集の関係から多数の書影を掲載しましたので、印刷の仕上がりにも特別留意し
ました。ぜひご覧ください。(黒猫房主)

●○●---------------------------------------------------------●○●
  『カルチャー・レヴュー』32号(通巻34号)(2003/12/01)
  ■編集委員:いのうえなおこ・小原まさる・田中俊英・加藤正太郎・
        山口秀也・山本繁樹
  ■発行人:山本繁樹
 ■発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
      E-mail:YIJ00302@nifty.com
   http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
  大阪市都島区友渕町1丁目6番5―408号 〒533-0022
       TEL.06-6924-5263 FAX.06-6924-5264
  ■流通協力「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/
  ■流通協力「Macky」http://macky.nifty.com
  Copyright(C), 1998-2003 許可無く転載することを禁じます。
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Date: Wed, 1 Oct 2003 10:53:07 +0900
Subject: 『カルチャー・レヴュー』31号(るな工房・窓月書房)

■本誌は<転送歓迎>です。お知り合いの方にご転送ください。その場合は、
著者・発行所を明記した「全頁」の転送であること、またそれぞれの著作権・
出版権を配慮してください。<無断部分転載厳禁>

◆直送版◆
●○●---------------------------------------------------------●○●
 (創刊1998/10/01)               (発行部数約1240部)

      『カルチャー・レヴュー』31号
         (2003/10/01発行)

     発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
         [32号は、2003/12/01頃発行予定です]
●○●---------------------------------------------------------●○●
■目 次■-----------------------------------------------------------
◆アンジェンダレス・ワールドの〈愛〉の実験         鈴木 薫
◆青春と映画「バルタザールどこへ行く」           元 正章
◆アンケート「映画多彩」の回答
◆「La Vue」15号のご案内◆インフォメーション
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////// 映 画 //////

        アンジェンダレス・ワールドの〈愛〉の実験

                             鈴木 薫
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 かつて上野千鶴子は「ジェンダーレス・ワールドの〈愛〉の実験」(一九八
九年初出、『発情装置』所収)で、いわゆる二十四年組を中心とした少女マン
ガについて次のように書いた。

《彼女ら少女マンガ家は、「少年マンガ」を描いたのではない。少年の姿を借
りて「少女マンガ」を描いたのだ。その時「美少年」とは何か? 美少年は、
少女にとって「理想化された自己像」であり、したがって男でも女でもない
「第三の性」である。》

 だが、少年であること=男性主体であることには、「第三の性」などという
怪しげなカテゴリーを設けるまでもなく意味がある。〈少女たち〉がそこに
「理想化された自己像」を見たとしたら、それは〈少女たち〉が自己を材料に
「男でも女でもない」ものを作ったからではない。同一化の欲望の対象となる
表象が、すでに文化の中に存在していたからだ。

 上野の文章は次のように結ばれる。

《異性愛のシナリオに代わる〈愛〉の物語を、まだ私たちの文化はつくり上げ
ていない。少年愛マンガは、ジェンダーにふかく汚染されたこの世への、少女
マンガ家のルサンチマンが産んだジェンダーレス・ワールドにおける〈愛〉の
実験である。そしてそれは同時に、〈恋愛〉の最後の可能性の追求であっ
た。》

「異性愛のシナリオ」がそれほど魅力的だろうか、と「美少年コレクション
展〜昭和のイラストレーションにみる〜」と題する展示を弥生美術館で見てき
たばかりの私は思う。男女の対等でない関係にルサンチマンを持つことが、こ
うした絵に魅惑されるために必要だろうか? 私たちのセクシュアリティは思
春期以前にはじまっているのだ。高畠華宵や山口将吉郎らが昭和初年の少年雑
誌に発表した作品には、何らかの大義に身を捧げる者同士の友情だの、女と見
まがう美貌の貴人とその従者だの、傷ついた少年とそれを介抱する少年だの、
およそ現代の〈やおい〉ガジェットそのままのモチーフがすでに出揃ってい
る。男同士の「〈愛〉の物語」は、文化に登録されていなければけっして〈少
女たち〉を惹きつけることはなかったろう。その証拠に、〈少女たち〉はジェ
ンダーレスならぬジェンダード・ワールドにおけるホモソーシャリティの優越
と隠されたホモセクシュアリティに魅惑されこそすれ、ペニスを持たぬ者同士
のあいだに欲望が通うことがありうるなどとは思ってもみなかったのだ。

 だが今は、そうした魅惑について語ろうというのではない。そうではなく、
かつて「理想化され」たためしのなかった、しかし「私たちの文化」が確実に
生産しつづけている、そしていまなお人目に触れることの少ない、「異性愛の
シナリオに代わる〈愛〉の物語」の最近の例を、二つ紹介したいと思うのだ。
一つは、今年の〈東京国際レズビアン&ゲイ映画祭〉で上映されたカナダのイ
リーナ・ピエトロブルーノ監督の『ガール・キング』であり、もう一つは、後
藤羽矢子の連作マンガ『ラブ タンバリン』全二巻(大都社)である。

 ピエトロブルーノは、同映画祭で五年前に上映された、病院の廃虚を使って
撮ったというドイツ表現主義風のモノクローム映画『猫はオウムを飲み込ん
で……しゃべりだす!』で、地下室を満たした経血のプール(『不思議の国の
アリス』の涙の池を想起されたい)の中で女同士がキスするという、それまで
誰ひとり思い描くことのなかった美しい場面を見せてくれた人だが、今度の作
品は女だけの世界である。といってもそれは「ジェンダーレス・ワールド」で
はない。〈女王〉がおり、〈王〉がおり、その名もブッチ(いわゆる「男役」
――と呼ぶのは実は問題があるのだが――を意味する語で、対する名称はフェ
ムである)という若者がおり、その恋人の少女がいる。それらを皆、女性が演
じる。

 しかしこれは宝塚ではない(見ながら私は宝塚がこのようだったらどんなに
いいだろうと思ったものだ)。宝塚で〈男〉を演じるのは贋の男=男役で、周
知のとおり彼女たちはいつか男装を解いて女になる――妻か女優に。だが、
『ガール・キング』の世界では、男女の姿をとりながら衣裳の中身の女同士が
愛しあう。王と別れた女王は今では快楽を奪われているが、それは不在の王の
不在のペニスのせいではない。王が彼女のクリトリスを持ち去ってしまったか
らだ。女王は不感症だったのが王によって治ったとされている。しかしそれは
王のペニスによってではない。王もまた題名通り〈ガール〉であるのだから
(外見は髭を生やした男性である)。女王のクリトリスを取り返す旅の途上、
ブッチの恋人も男装する――とはこの世界では男になるということであり、逆
に言えば男であるとはそれだけのことなのだ。

 ここにあるのはジェンダーの流用と撹乱であって、オリジナルを模倣するこ
とによる規範の再強化ではない(もしも「ブッチ」が男の模倣にすぎないのな
ら、それはどこまでもオリジナル(「本物の男」)に及ばぬ贋物にとどまるだ
ろう)。実は一人だけ男性が登場するが、それは海賊船長キャプテン・キャン
ディが彼に究極のフェムを見出した結果である。キャプテンは彼を相手に異性
間性交も辞さない模様だが、それでもあくまで彼は彼女のフェムなのだ。

 アーシュラ・K・ル・ グインの読者なら、『ラブ タンバリン』からただち
に『闇の左手』を連想するだろう。一九七二年に邦訳が出版されたこのSFに
おいては、惑星〈冬〉の「ゲセン人」は普段は雌雄同体で、定期的に訪れる
「ケメル」の期間だけ男女どちらかに変化して性行為を持つという設定がなさ
れていた。地球から訪れた主人公は、彼らの目から見れば、つねにケメルの状
態にあり、恒常的に「男」である異常な存在である。彼自身、ゲセン人に馴れ
てしまって、最後に久しぶりに仲間の地球人を目にしたときは、過度に男性的
だったり女性的だったりすると感じる。当時の日本の少女マンガの試みと奇し
くも照応していたこの小説では、女性作家ル・ グインにより、「ジェンダー
にふかく汚染された社会」のめざましい相対化がなされていた。とはいえ、現
在から見れば(すでに批判――自己批判を含めて――されていることだが)、
惑星〈冬〉の人々が「彼」という代名詞で呼ばれること、二つの個体が同性同
士に変化するのは異常だと明言されていることなど、かなり気になる点ではあ
る(緻密な想像力と見事な文体で一つの世界を創造したル・グインについてそ
ればかり言い立てる不当を承知で言えば)。だが、いったい、どのようなオル
タナティヴがありえたであろう? 「彼」を「彼女」に言いかえただけでは
(そういうヴァージョンもあるという)どうにもならない――それとも、なる
だろうか?

『ラブ タンバリン』はこの問いに、一つの、そして魅力的な答を与えてい
る。作者はまず、惑星ラウルス(「常緑」の意味だそうだ)の住人を全員「彼
女」にしてしまう。名前からして〈冬〉と対極にあるこの星では、ケメルの期
間以外は性欲に無縁の生活をするゲセン人と違って、人々はつねに発情してい
る――私たち同様に。当然、セックスは女同士で行なわれる。実はこのマンガ
は男性向け雑誌に掲載されたものであり、これは男性読者のために繰り広げら
れるレズビアンものであるととりあえず言うことができる――だが、問題はそ
れほど単純ではない。

 ラウルスはジェンダーレスの世界ではない。誰もが三ヶ月に一度、一夜だけ
男になる「メールデイ」を迎えるからだ。『闇の左手』は発情モデルだが、こ
ちらは月経モデルである。メールデイは一定の年齢が来ると起こり(老年にな
ると消失し)、そのときは性欲が増し、攻撃的になったりもする。気分が悪く
なるので症状を和らげるために薬を飲んだり、薬で時期を変えたりすることも
ある。また、メールデイが来るのは、妊娠していないしるしでもある。月経の
アナロジーが「男性的」セクシュアリティと結びつくこと自体も面白いが、こ
の枠組みによって作者には、女同士のセックスに加えて片方がメール化したと
きのセックスをも描くことが可能になった。

 レズビアン読者にとって、この「メール化」は一種の躓きの石であろう。松
浦理英子の『親指Pの修業時代』について、主人公の一実は足の親指を、それ
がペニス化した時点で切り落してしまえばよかったのにという意味のことを書
いた小倉千賀子のような読み手には、これは気に入るまい。実際、『親指P』
では、一実が女性とする性行為は親指ペニスによるペニス-膣性交に終始して
おり、それがそのまま『ナチュラル・ウーマン』と比較したときの『親指P』
のわかりやすさと通俗性を形作っていた。異性間性交の代用でなくそれ自体で
完結したものだと主張するとき、女同士のセックスにとってペニスは余計なも
のに見える。だからといってそれを切り落してしまえと言ったのでのは、一実
の最初のボーイフレンド、正夫(その名も「正しい夫」!)と同じ振舞いをす
ることになる。

 松浦の(親指)ペニスは、射精しない、快楽のためだけの器官であり、マク
シマムのクリトリスだったが、『ラブ タンバリン』のペニスには再び生殖の
問題が入ってくる。実際、『ラブ タンバリン』の世界ではかなり生殖が重要
視されている。彼女らがプロミスキュアス(フリーセックスという懐しい言葉
が使われている)なのには、メールデイと排卵日がカップルの間で重なるとは
限らないから、妊娠の機会をふやすためだという理由づけがされているし、二
つの個体のメールデイか重なることもあるはずだが、男同士になってしまった
らそのままセックスすればいいと言われて主人公の一人が嫌がるのは、子供が
ほしいからだ(ただし、描かれないだけで、男同士が一般的に忌避されている
わけではない)。「フリーセックスの惑星で結婚を選んだ」リラとベスを主人
公としたこの連作は、雑誌で一話だけ見たならば他愛ないレズビアンものと思
えたかもしれないが、通して読むと、作者が、長期的なパートナーシップ、子
供、家族といった実際の関係性を問題にしたかった――「地球の男女」からあ
えて離れたところで――ことがよくわかる。愛する相手とするのが一番気持ち
いい――

 『ラブ タンバリン』は基本的にそういうメッセージを発している。だがそ
れは、愛する相手とでなくてはしてはいけないという禁止ではない。また、愛
しているのならセックスすべきだという規範でもない。「男」のいない世界は
柔らかな描線の可愛らしい絵のユートピアではなく、子供への虐待もあればレ
イプもあり、それに対する判断を作者はきちんと示している(ただ、たとえば
「聖母」と「娼婦」への女の分断はない。彼女たちは性を楽しみ、しかも子供
を産むものなのだから)。かろやかな筋運びのコンパクトな本の中に驚くほど
多くのテーマが詰め込まれている。

 はたして地球人の男性読者はこのマンガをどう読むのだろう? 赤川学が指
摘するように、画面上の女性に同一化できないことを通じて「自己を、女性に
は同一化不可能な他者、すなわち男性として再認させること」こそがポルノの
基本戦略であり(『性への自由/性からの自由』)、男性主体にとって重要な
のは男性の表象ではなくもっぱら女性の快楽の表現であるのだとしたら、セッ
クスの場面に男性(「本物の 」)が全く現われることのないこの作品は理想
的なのではないか? 最初そんなふうに思っていたが、試しにウェブで検索す
ると、意外なことに、同一化するキャラクターがいないので「おかず」には使
えないという男性の感想が複数ヒットした。なるほど、なおも女言葉で喋りな
がら性交する、さっきまで女だったものは、ヘテロセクシュアルな男性主体の
円滑な作動を妨げるのかもしれない――あたかも親指ペニスのように。そうな
るとこの作品は、むしろ〈女性の快楽〉への同一化を誘うものであり、それが
可能な者(性別を問わず)のみを惹きつけるのだろうか。そういえば仕事でラ
ウルスを訪れた地球人男性がひとり出てくるが、女たちが男に飢えていると聞
いていた彼は、リラとベスの親密さ――というより激しさ――を目のあたりに
して、なすすべもなく帰って行ったのだった。

 しかしさしあたって私の関心は男性読者にではなく、女性読者にこの作品が
どのように受容されるかにある。もともとこれは男性向けマンガであり、女二
人のカラミではじまり男女間のセックスに移行するポルノグラフィの定番であ
り、男性読者にとっておいしい設定のはずだ――しかし、読んでいるうちにそ
んなことはどうでもよくなる(地球人男性のエピソードをなぞったかのよう
に)。というより、言われてみるまでそんなことは思い出しもしないほど、こ
れは女性読者にとって心地よい作品であるのだ(性的主体化=従属化されたヘ
テロセクシュアル男性主体の均一性と違い、その心地よさは人によってさまざ
まであろう)。作者が男性向けエロマンガのステレオタイプを逆手にとってい
かに私たちが楽しめる作品を生み出したかを、女性読者にぜひ見ていただきた
い。

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(すずき・かおる)東京生まれ。詩、小説、評論を細々(こまごまでなくほそ
ぼそ)と書く、むかしの「ユリイカの新人」(折口信夫は能登一ノ宮に建てた
父子墓の碑銘で「もつとも苦しき たたかひに 最もくるしみ 死にたる むかし
の陸軍中尉」と養子・春洋のことを記していて、子供の頃家にあった観光ガイ
ドブックで折口が何者か知らずに読んだ私は、その抽象性と自己中心性にただ
ならぬものを感じたものだ)。

月一回、「きままな読書会」を主催。今月は10月18日(土)18:00〜21:00、
ジェーン・ギャロップの『娘の誘惑―フェミニズムと精神分析』6,7章を東
京・中野のLOUD(レズビアンとバイセクシュアル女性のためのセンター、
http://www.space-loud.org/pc/map.htmlに地図あり)て。参加者の性別、性
的指向は不問。問合せはdokushokai@hotmail.comへ。

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////// 青春と映画 //////

          青春と映画「バルタザールどこへ行く」

                             元 正章
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 ポール・ニザンの小説『アデン・アラビヤ』に、「青春が美しいものだと
は、誰にも言わせない」と言ったような言葉があった。ニザンと言っても、今
の若い人たちには分からないであろうが、当時流行っていたフランスの作家で
ある。カミュやサルトルに隠れて、若者の間では静かな人気があった。青春と
は謳歌するものではなく、失望と挫折を経験するのである。まさしく私の青春
時代もそうであった。

 学生運動が一番華やかな時代に東京で学生生活を送った。これはもう体に染
み付いた原体験であって、あれから40年近く経っても、記憶から拭い去ること
はできない。いわゆる全共闘の世代、その中にどっぷりと浸かって、無茶苦茶
な生活を送っていた。革命と言う幻想に惑わされて、口角泡をとばし、生半な
言辞を弄して意気がっていた。要するに何も分かっていなかったのに等しいの
だが、その時はその時で真面目であった。でも、それを純粋であったとは言わ
せない。若さの特権を生きていたに過ぎない。しかしまた、それを若気の至り
とも言いたくない。社会人となり今度は生活の中に浸かってしまうと、青春と
は愚かなものであり、罪でもあったと反省しないでもないし、世間欲とはまた
違ったところで己の欲望に忠実に生きていたのであるが、あの一途なひたむき
さを世の安易な価値観で判断して欲しくないという気持ちは絶えず持ってい
る。分かって欲しくない部分と、分かってもらいたい部分とが入り乱れてい
る。それは今も続いている。

 当時、ATG(アート・シアター・ギルド)が全盛期であった。学校なんて
行かず、もっぱら新宿の映画館に通っていた。映画がわが人生であった。それ
にモダンジャズと読書、この三つで青春時代を要約できようか。月1万円の仕
送りと3000円の奨学金、あとはバイトで稼いでいた典型的な苦学生であった。
それでも心の中は贅沢であった。映画の世界は日常を忘れさせた。何が一番印
象に残っているのかと問われた時、かつてはゴダールの「気狂いピエロ」と答
えていたものだが、今はブレッソン監督の「バルタザールどこへ行く」(1966
年)と答えよう。主題曲は、シューベルトのピアノソナタ。それが何番であっ
たのか、忘れてしまったが、聴けば映画のストーリが思い出される。とにかく
哀しい映画であった。もう随分と前になるから、その内容の細かいところは覚
えていない。それでもこの映画は良かったと、唇を噛み締めて頷き、目を閉じ
て納得している。この映画をすばらしかったと感動する感性を備えてくれたこ
とに対して感謝する。これが偽りのない自分であるのだ。そしてブレッソン監
督、彼のことについては、映画を通してしか何も分からない。でもよくぞこの
ような映画を作れるものだと、感心を超えて頭が下がる。

 原題は「Au Hasard Balthazar 」。厳密に訳せば、「行き当たりばったりの
バルタザール」となろうか。それを、「どこへ行く」としたのは、内容を組ん
だ訳である。実際は、どこにも行っていないのだ、どこにも行けなかったの
だ。人間の身勝手さに翻弄され、ただそれを受け止めるしかないロバの一生が
淡々と描かれているに過ぎない。そこには何の説明も評論もない。哀しい、寂
しい事実が映像に映し出されている。リアリズムの手法ではあるが、デシーカ
監督が「自転車泥棒」で描いているようなドラマ性もない。あるのは偶然であ
る。

 主人公のロバであるバルタザールは勿論何一つとして言葉を発するわけでは
ない。彼は現場の証人であっても、そこで抗議し自己主張することはできな
い。傍観者として存在しているだけである。悲しい目を注いでいるだけであ
る。それがまた、なんとも言えない。バルタザールが生まれて、銃に撃たれて
静かに息をひきとるまで、それは悲惨と苦難の毎日であった。何故そうなって
しまうのか。色んな偶然が重なって、そうなってしまったとしか言えない。彼
はどこまでも無抵抗である。その無抵抗をいいことに、人間として屑の悪餓鬼
どもの残酷な仕打ちが繰り返される。それは虐めたいから虐めるといったよう
なものである。それは偶々おまえがそこにいたから、おまえが悪いのだといっ
た発想である。悪餓鬼どもは明らかに何も言わないバルタザールを意識してい
る。だから余計に許せなくなるのか、情け容赦なく残虐の限りを尽くす。それ
がまた、彼らの青春の証でもあるかのように、その行為を微塵として疑ってい
ない。「彼は敵である。だから抹殺せよ」。まことに単純である。相手が弱け
れば弱いほど、虐めないことには気がすまない。このような心理は現代の社会
病理とも共通している。人間とは文明の発達とともに進化する動物ではないこ
とを、いみじくも顕している。悪餓鬼どもは自分のやっていることが分かって
いないのだ。どこまでも日常の延長であって、悪さをしても家に帰れば、家族
とともに飯を食い、両親にキスして、ベッドに気持ちよく眠り、明日を迎える
のである。

 女主人公のマリーも輪をかけて、哀しい。悔しいほど哀しい。女の人、彼女
はまさしく女の人であった。それが好きでもない男とベッドをともにし、悪餓
鬼どもに暴行され、村から離れてしまう。マリーの父親は、落胆の余り死亡。
善良であればあるほど、不幸になる。悲惨のどん底に落とされる。そのことを
淡々と描いているのだ。その淡々さが辛い。涙ぐむ。マリーよ。あなたは美し
かった。優しかった。善良であった。それが人間の屑のような男の胸に抱かれ
る。それは愛情なんてものではない。自分の身を崩す行為なのだ。彼女はそう
することで、婚約者と父親を裏切った。悪餓鬼どもも、あいつらはあいつらな
りの生き方と正当性があるのだ。あいつらももう少し大人になったら、結婚し
て、市民生活を送ることになる。「若いときは、自由であったな。結婚は墓場
だ」と言いつつ、子供を抱いて満足気である姿が浮かんでくる。

 バルタザールよ、おまえは誰であったのか。何を私たちに示そうとしたの
か。マリーはおまえを愛した。おまえもそのときだけは、本当に幸せであっ
た。そのときだけは。さんざん痛めつけられ、サーカスに売られ、アル中男に
弄ばれ、最後には密輸品を背中に背負わされて、国境の山を喘ぎながら登って
いる最中に、官憲の手によって銃殺される。無駄な死であった。そう、それが
イエスの生と死でなかったか。今、牧師となって、そう痛感する。バルタザー
ルは、イエス・キリストであった。人間の負荷を一生担い続けたのだ。

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(はじめ・まさあき)1947年神戸生まれの神戸育ち。両親は奄美出身。これは
事実だが、出身と育ちを越えようとして、超え切れなかったところで今も生き
ている。別にしがらみなんてあるわけでもないのだ、それなのに離れることが
できなかった。コスモポリタンなんて、嘘っぱちだ。多神教なんていい加減
だ。本屋に勤めて、30年近くになった。そこを離れて、3年半。今は、曽根教
会の牧師である。神との格闘の真最中。ずっと苦学生だ。これはどうにもなら
ない。いつまで経っても、現在進行形である。

     ◎◎◎日本基督教団曽根教会&子供の園保育園◎◎◎

 高砂市曽根町にあって、70数年の歴史がある。農村開拓伝道、セツルメント
事業から出発。その精神はこの地に根ざしている。一地方の小さな共同体では
あるが、保守的な地盤にあって、開かれた窓口となっている。一度是非とも訪
れてください。JR曽根駅下車。

 〒676-0082 高砂市曽根町788-1 TEL:0794-48-6836  牧師 元:正章
 http://www2s.biglobe.ne.jp/~sonechch/

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////// アンケート「映画多彩」の回答 //////

Q:いわゆる「名画」とは限らない、私にとって決定的な影響を与えた映画や
  想い出深い映画、あなたのお薦めの映画、印象深い映画など3点を挙げて
  ください。
A:映画名・監督名・その映画についての簡単なコメント(コメントは無くて
  も可です)。回答者名は、匿名も可です(掲載は、入稿順)。

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■山口秀也
(1)『天国に行った猫』(監督不明)
 幼稚園のころ観た(とおもう)ので題名も、だれに連れて行ってもらったの
かも解らない。もちろんストーリーなど想いだせるわけもないのだが、暗い夜
の街角で、死んだ猫のからだから抜けでたたましいが、空から差し込んできた
光を伝うように昇天していくラストシーンに、「死」そのものを恐怖してか、
泣いていたことだけ憶えている。死ぬのが怖いと、布団を頭から被って泣いて
いた子どもは、これ以降、映画でこれほどの暗い欲動をかんじたことがない。
この作品について知っている人がいたらぜひ教えてください。
(2)『イズ・イット・ヘヴン・イェット?』(カール・カルダナ 1984)
 軽妙なタッチ、愛すべき登場人物、印象ぶかい音楽といい、ジャック・タチ
の正嫡といえるカナダ人カール・カルダナが、脚本・監督・主演その他をこな
すコメディ。主人公ソーニー・クロフトは、ぼくの憧れのやさしき隣人だ。続
編らしい『Mr.プープの初恋』も観てみたい。
(3)『二人が喋ってる』(犬童一心 1997)
 あまりの良さに心の底から唸ってしまった。自主映画っぽさが全編を覆う
が、この作品のような稀有なるアトモスフィア(雰囲気)をもつ映画だけが、
じつはほんとうの意味でのエンターテイメントといえるのではないだろうか。
大島弓子原作の『金髪の草原』も観てみたい。
 映画とは、本質的に忘れられる運命にある。もう観られないという気持ちか
ら作品への愛はふかまる。そんなわけで、めったなことで人の口の端にのぼら
ないが、もういちど観たい映画を3本挙げた。ビデオやDVDになっているも
のもあるが、いずれも、目にする機会がすくないことはまちがいない。
さいきんは、映画館へ足をはこぶことが極端に減ったため、レンタルショップ
で貴重な映画体験をすることが多い。『マグノリア』のP・T・アンダーソン
の日本劇場未公開の初長編作品『ハード・エイト』のDVDもレンタルショッ
プで見つけた。25歳(O・ウェルズが『市民ケーン』を撮った年だ)にして熟
練の域。新作『punchdrunk knuckle love』がはやく観たい。そういえば、
「武士道」を愛読するF・ウィティカーの殺し屋が『レオン』より渋いジム・
ジャームッシュの快作『ゴースト・ドッグ』もレンタルで観た。
 ついでに……。インパクトではつぎの4本。アレハンドロ・ホドロフスキー
の『エル・トポ』、ドゥシャン・マカヴェイエフ『スウィート・ムービー』、
セルゲイ・パラジャーノフ『ざくろの色』、ジョン・ウォータース『ピンク・
フラミンゴ』。

■中島洋治
(1)『東京物語』(小津安二郎 1953)
 小津さんの作品は、観れば必ず私は好きになる。綿密に計算された反復され
る画面とそこで動く人々。その光と影だけでさえ心に響く。よく小津さんの映
画は「古き良き日本」と形容されるが、私は何故か稀に「古き良きアメリカ」
をふと想起させられる。他にそうした感覚を持つ方はおられるのだろうか。
(2)『ブレードランナー』(リドリー・スコット 1982)
 この衝撃は大きかった。混沌とした近未来が映像として見事に表現されてい
たし、人間概念を問うというテーマもショッキングであった。この映画に続く
ものとして、押井守『攻殻機動隊』、ウォシャウスキー兄弟『マトリックス』
を考えることができるが、『ブレードランナー』が色褪せることはない。原作
者フィリップ・ディックもまた二十世紀の重要な作家になろう。
(3)『戦場のメリークリスマス』(大島渚 1983)
 この映画はじつは思想映画かもしれない。原作者のヴァン・デル・ポスト
は、捕虜の悲惨さが描かれていないことに不満があったらしいが、映画だけで
言えば、シーンの美しさ、登場人物の哀しさが強い印象を残す。私は訳も分か
らず泣いた(今でもよく分かっていない)。
 私は映画通とは掛け離れているので有名な映画ばかりになったが、以上の三
つにはどれも十代で大きな影響を与えられた。

■笠井嗣夫
(1)『トプカピ』(ジュールス・ダッシン 1964)
 トルコかどこかの博物館に侵入して宝石を盗み出す泥棒団の話です。学生時
代最後の夏、とても落ち込んだことがあった直後に観ました。観ているあい
だ、イヤなことはどこかへいってしまったばかりか、映画がおわって外へ出た
あとでさえ、落ち込みは5分の1くらいに減じていました。それ以来、ぼくに
とって映画(映画館)は、心から感謝すべき存在です。
(2)『春婦伝』(鈴木清順 1965)
 ラスト数分のすごさ。戦場を従軍慰安婦に扮した野川由美子が必死に走るの
ですが、無数の銃砲が、まるで大量の花火のように「美しく」炸裂します。映
画とは、物語ではなく映像の力なのだとぼくの映画に対する見方を根底から変
えさせてくれた作品です。
(3)『鴛鴦歌合戦』(マキノ雅博 1939)
 十数年まえ、まったく偶然から知人の所有するビデオで観た戦前の時代劇
ミュージカル。千恵蔵、志村喬、ディック・ミネらが脳天気に唄い、怪しげな
骨董品に一喜一憂します。映画とは、映像だけでなく、リズムなのだとおしえ
てくれました。どうじに、戦前の日本映画の多様性に目を開かされるきっかけ
にもなりました。

■Thomas Magnuson
(1)『Dune』(Frank Herbert)
  Patrick Stewartや音楽家のSting。
(2)『Close Encounters of the 3rd Kind』 (George Lucas)
 ルーカスのブレークのきっかけとなった作品。宇宙人を「敵ではない」と描
いた物は、これが初めてだと思います。
(3)『There's Something About Mary』(Bobby Farrelly & Peter
Farrelly (俗で、「The Farrelly Brothers」)
 「メリーに首ったけ 」。これほど爆笑させてくれた映画はありません。

■宮山昌治
(1)『オテサーネク 妄想の子供』(ヤン・シュヴァンクマイエル 2000)
 原作はチェコの民話である。子供のできない夫婦が切り株を子供として育て
始める。切り株はいつのまにか生命を持ち、しだいに大食になってゆく。その
うち食器、家具までもたべはじめ、ついには村人や両親までもたべてしまう。
しかし、禁断のキャベツを食らったために、老婆に斧で切り倒されてしま
う……。シュヴァンクマイエルはこの民話を、独特の奇妙な世界に作り変えて
しまうのだ。生命とは「たべる」と同義であろう。子供のできない夫婦が、枯
れ木の子供オテサーネクを得る。オテサーネクは「たべる」ことに関して逸脱
している。この世のすべてをたべ尽くそうとする過剰な生命なのである。しか
し、オテサーネクはキャベツをたべることで破滅してしまう。キャベツは言う
までもなく多産の象徴である。正しくたべること。最小限の殺しにとどめるこ
と。殺しの上に成り立っている生命は過剰であってはならない。過剰な生命は
過剰に生命を殺すことになり、生命に復讐される……と言うような教訓に止ま
らないところが、シュヴァンクマイエルの魅力であろう。原作と違って、たべ
られた人間達は助からないのである。
(2)『スラム砦の伝説』(セルゲイ・パラジャーノフ 1984)
 この映画の原作はグルジアの伝説である。侵略者に悩むグルジア王は砦の建
設を進めたが、スラム砦だけはいつも破壊されてしまう。奴隷のドゥルミシハ
ンは恋人ヴァルドーを救うために出稼ぎにトルコにゆくが、心変わりして別の
女性を娶る。ヴァルドーは絶望して占い師となる。時を経て、スラム砦を救う
には人柱しかないと占い師は預言する。折りしも、トルコからドゥルミハンの
子が帰ってくる。かれは人柱となり国を支えることを決意するのだ。
 シュヴァンクマイエルが名誉回復したのと対照的に、パラジャーノフは弾圧
に次ぐ弾圧の生涯を全うした。人柱が当時のグルジアの人々やパラジャーノフ
の心情を象徴していることは言うまでもない。しかし、この映画から筋や諷刺
を読み取ることは困難である。イスラム文化と東方文化の豊穣な混淆が、あや
しげな音楽と共に色鮮やかな画面の上に、これでもかこれでもかと展開される
のだ。脈絡もなくつながる画像は、幻想世界のなかに思考を停止させ、理解す
ることに慣れた精神を狂気にさらさずにはいない。そこに、直線的なプロット
を読むことはむしろ無粋であろう。ソ連の映画大臣が「あなたの映画は美しい
が、わけがわからない。フィルムが逆になっていたのではないか」と言ったと
ころ、パラジャーノフは「私が撮った映画について、私が何か理解していると
お思いですか?」と答えたと言う。理解すること。それは簡単に誤ることなの
だ。
(3)『デリダ、異境から』(サファ・ファティ)
 デリダ主演映画である。エジプトの女性監督サファ・ファティは、デリダの
故郷であり内戦下にあるアルジェリアで撮影を行った。「未知の観客に語りか
けようとした」とデリダは言う。デリダはさまざまな場所に立って、異境の他
者に向けて声や姿を発信する。この場所はアルジェリアに限らない。フラン
ス、アメリカ、チェコ、スペイン。さらに民族として立つヨーロッパ、ユダ
ヤ、アラブ。関係として立つ母と息子、男と女、動物と人間。さまざまな場所
から、デリダは友愛、自伝、赦しなどについて即興で語る。その他者への語り
は淀みないものではない。痕跡として残されたデリダの声を、我々はどれだけ
聴くことができるだろうか。日本の思想状況はつねに直輸入に終始する。デリ
ダの声を聞くことができるのは、いつでも己の定位からでしかないはずだ。
『帝国』などと言う大著がいくら売れようとも、定位しない非場所と言う名の
どこかでしかないところから、自称無国籍人という名のヨーロッパ人もどきと
して、問題に立ち向かっている「ふり」だけをする安全な大学知識人を増やす
だけなら何の意味もないだろう。この映画に、異境に立つことの困難さを知ら
ぬ者の所作をもって接することもまた、何の意味もないだろう。

■カオリゴ
(1)『ベティーブルー 完全版』(ジャン=ジック・ベネックス 1992)
(2)『髪結いの亭主』(パトリス・ルコント 1990)
(3)『グラン・ブルー』(今は、すっかりメジャーラインのリユック・ベッ
ソン 1988)
 はぁー。ジャック・マイヨール本当に首つっちゃった。生きていて欲しかっ
たけど、彼が生きて行くには現実はあまりに過酷だったのでしょうか。

■N
(1)『プロスペローの本』(ピーター・グリーナウェイ 1991)
(2)『ベイビー・オブ・マコン』(ピーター・グリーナウェイ 1993)
(3)『ZOO』(ピーター・グリーナウェイ 1985)

■柳小路善麿
(1)『暴力脱獄』(スチュアート・ローゼンバーグ 1967)
(2)『ガルシアの首』(サム・ペキンパー 1974)
(3)『灰とダイヤモンド』(アンジェイ・ワイダ 1957)
 いずれも映画館で観たものを挙げました。ビデオ、DVDを含めれば、
ちょっと違った選択になったと思います。何歳ころに、どこの映画館でという
時間と場所の記憶と分かち難く結び付いた作品ばかりです。いずれも観終わっ
た後で、その強烈な印象で、夢現のような気分だったことを記憶しています。
特に(1)は、田舎の鬱屈した高校生の時に観たので、特に印象に残っていま
す。確か翌週も同じ映画館に観に行きました。

■yamabiko
(1)『12人の怒れる男たち』(シドニールメット 1957)
(2)『日の名残り』(ジェームズ・アイボリー 1993)
(3)『MY DINNER WITH ANDRE(日本未公開』(LE MALLE)

■富 哲世
(1)『黄色い老犬』(監督不明)
 小学生時代の学校映画鑑賞会で観た。初めて泣いた映画(かっこ悪いから、
狂水病になった犬のシーンが恐いと皆に嘘をついて、顔を伏せて密かに落涙し
た)。
(2)『ジークフリート』(フリッツ・ラング 1924)
 年少時親に連れられて観た、二本立てのうちの目的外の一本(字幕、だった
かと思う)。当時筋もよく理解できぬ、暗澹たる英雄悲劇。以後の、人生の長
い長い夢魔の最初の烙印か。
(3)『欲望』(ミケランジェロ・アントニオーニ 1966)
 いまははるかな蜃気楼のような距離ですが、漂う存在としての自らが、内在
的還流とは異質のリズムを血のタガ(アンカー)として創り出す。その調和的
不調和(むしろ不調和的調和)の感覚を、30年後のいまでも、音韻・音数のズ
レとして体がいまだに覚えているようです。事件進行と受肉的日常の衝動を描
くバランスがとてもうまいと思った。映画的秀作ということの認知のそれは始
まりかもしれなかった。

■松本康治
(1)『荒野の7人』(ジョン・スタージェス 1964)
(2)『鳥』(ヒッチコック 1963)
(3)『異人たちとの夏』(大林信彦 1988)

■寺田 操
(1)『雪華葬刺(せつかとむらいざ)し』(監督・高林陽一/主演・宇都宮
雅代、若山富三郎/大映映画京都撮影所第一回作品 1982)
 この映画の原作は、赤江瀑『青帝の鉾』(文春文庫・一九八二・四)所収。
文庫本の帯には、橘姫の刺青で飾られた宇都宮雅代の背中と刺青師・若山富三
郎。背中の彫り物にはさほど興味をひかなかったのですが、左腋下の乳房に近
い場所に隠彫された一ひらの雪の結晶の場面が印象的でした。天保三年に描か
れた雪花図を謄写したものが鈴木牧之『北越雪譜』(ワイド版岩波文庫)にあ
り、この雪の結晶図を見るたびに映画を(貸しビデオ)思い出します。
(2)『清順流フィルム歌舞伎 陽炎座』(監督・鈴木清順/主演・松田優
作、大楠道代/東宝 1981)
 原作は泉鏡花とくれば、近年、平野啓一郎の『一月物語』(新潮社・一九九
九・四)に及ぼした影響などを思うのですが、なにか人を尋常でない場所に引
き込む圧倒的な力を感じます。水の中の女が口に含んだ朱のほおずきが、ひと
つ、ふたつ、泡のように水面に浮かびあがる場面は強烈な印象でしたが、人形
を裏返し空洞を覗きこむと、人妻と男が背中合わせに坐る死後の世界の屏風絵
は、江戸の異端画家・絵金の作品のようで強烈でした。
(3)『アガタ』(マルグリット・デュラス 1981)
 デュラス原作の映画は何本か見ています。『かくも長き不在』『夏の夜の1
0時半』『ヒロシマ私の恋人(二十四時間の情事)』、『モデラート・カン
タービレ』『愛人・ラマン』など。なかでも印象深いのは、『アガタ』でし
た。映画を先に見たのか(大阪府立情報センター)? それとも原作(小林康
夫訳/一九八六・二)が先だったのか定かでないのですが、何度目かの結婚記
念日だったこともあり、よく覚えているのです。トラック野郎や寅さんシリー
ズが好きな彼は、スクリーンに映し出される別荘の内側から映された海辺や近
親相姦的な愛に苦しむ兄と妹の会話にうんざりしたようで、「これが分かると
いうことは、知的だということなのか」と吐き捨てるように言ったのでした。
私はといえば、海が好きなのでとのみ答えておきましょう。

■竹中尚史
(1)『怪盗ルビイ』(和田誠 1988)
 KYON2 がかわいい!
(2)『化粧師』(田中光敏 2001)
 菅野美穂がかわいい!
(3)『超少女REIKO』(大河原孝夫 1991)
 観月ありさがかわいい!

■村上幸生
(1)『北国の帝王』(ロバート・アルドリッチ 1973)
 のどかさと暴力の共存が、すばらしい。
(2)『貸間あり』(川島雄三 1959)
 ノイズがいっぱいで、すばらしい。
(3)『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(石井輝男 1969)
 小学生の時、予告編を見てしまい、うなされたので。

■内浦亨
(1)『コントラクト・キラー』(アキ・カウリスマキ 1990)
(2)『ソナチネ』(北野武 1993)
(3)『トカレフ』(阪本順治 1994)

■今泉弘幸
(1)『わんぱく王子の大蛇退治』(芹川有吾?)
 性格が暗くて無口な子供にとってのヒーローはスサノオノミコトだった。な
ぜ? スサノオが駄々をこねるから? 駄々ってなに? ダダは芸術――ダダ
イズム。
(2)『吸血鬼ドラキュラ』(テレンス・フィッシャー 1957)
 性格が暗くて無口な子供にとって、もうひとりのヒーローは吸血鬼あるいは
ヴァンパイアだった。なぜ?「わかってもらえない」「みんなとは違う」「血
はおいしい」
(3)『けんかえれじい』(鈴木清順 1966)
 性格が暗くて無口な青年にとって、永遠のヒーローは「けんかえれじい」の
南部麒六になった。なぜ? 近代が発見し、現代まで受け継がれている自分探
しの物語あるいは旅――「ぼくってなに?」から出発したとき、人は永遠に何
もみつけられない。鈴木清順は、「ぼくってなに?」から出発しない場所か
ら、たくさんの宝石をプレゼントしてくれた?

■江越美保
(1)『エレンディラ』(ルイ・グエッラ 1983)
 悲惨な物語ながら、何度殺そうとしても死なないごうつくばりな祖母を演じ
たイレーネ・パパスの怪演が笑いを誘う。彼女を見るだけでも価値がある。個
人的にはラテンアメリカへの興味を抱くきっかけとなった作品。
(2)『蜘蛛女のキス』(ヘクトール・バベンコ 1985)
 監獄という閉ざされた空間でストーリーは展開するが、舞台をブラジルに設
定したことで、熱帯独特の猥雑さが夢と現実の交錯する物語に陰影を与えてい
る。モリーナ役ウイリアム・ハートの可憐さが忘れがたい。
(3)『極私的エロス・恋歌1974』(原一男 1974)
 主人公・武田美由紀の欲望が赴くままに動き回る様と、それをカメラで追い
つづけた原一男の心もとないナレーション(つぶやき?)が対照的。自力出産
を試みる武田と、その様子をフィルムに収めた原。両者の濃厚な「愛」のやり
とりに恐ろしささえ感じる。

■鈴木 薫
(1)『ロシアン・エレジー』(アレクサンドル・ソクーロフ 1996)
 たぶん私たちが来る前に物語は終わっていたのだろう。今しも一人の男が病
室で最期を迎えたところだ。彼の目を覆いつくしたのと同質の闇の中で動かぬ
私たちの耳に、それでも〈外〉からの物音が聞こえてくる。やがて音は光を
放って、緑したたる戸外を構成する……映画が本質的に夢であり、もっとはっ
きり言うなら死後の夢であり、目を閉じてなお見えてくるもの、瀕死の耳にな
お聞こえてくるもの、妄執に似た何かであり、生まれたての羊歯のように私の
目の前でほぐれてゆく、みずみずしい人生(むろん贋物の)であることを改め
て教えてくれる作品。
(2)『東京暗黒街・竹の家』(サミュエル・フラー 1955)
 来日したギャングのボスは立ち並ぶ朱塗りの柱の間からフジヤマが見渡せる
とんでもない家に住み、ホモソーシャルなギャングは潜入捜査官ロバート・ス
タック(先週訃報が伝えられましたね )にボスの寵を奪われて嫉妬に狂い、
家庭用檜風呂(懐しい)で入浴中に愛するボスに射殺されて、風呂桶の側面に
弾丸があけた穴からお湯がピューと噴き出す。李香蘭の名を捨てシャーリー山
口と名乗る山口淑子がスタックの相手役をつとめ、浅草松屋・屋上遊園にそび
え立つ土星形大観覧車(懐しい向きもあろう)で最後の戦いが行なわれる、戦
後日本のドキュメンタリーというべき作品(かつては国辱映画と呼ばれた)。
(3)『夜半歌聲』(馬徐維邦 1937)
 三十年代上海の特異な映画監督マーシュイ・ウェイパン。顏を潰された美
男、二度と会えぬ恋人の立つ夜のバルコニー、荒れ果てた劇場、貴方が松の木
なら私はそれに巻きつく蔓(かずら)と夜の風にのせて切々と歌い上げる声
は、『オペラ座の怪人』の翻案であり、六十年後にレスリー・チャン主演でリ
メイクされる正統的メロドラマだが、ジェイムズ・ホエイルに倣って怪人を丘
の上へ追いつめ、群衆に焼き殺させた監督は、続篇(『夜半歌聲續集』)では
生き延びた主人公を古城のマッド・サイエンティストに手術させ、素顔のまま
でも黄金バットの化け物に変えてフランケンシュタイン化をさらに進行させ
る。『竹の家』とは逆のベクトルによる異種混淆の傑作。

■中明千賀子
(1)『ポン・ヌフの恋人』(レオス・カラックス 1991)
 絵描き、音楽、猫、花火、酔っぱらい……。イメージのすべてがそこにあっ
たから。
(2)『木靴の樹』(エルマント・オルミ 1978)
 小さな子供たちがいじらしくかわいらしい。価値観のちがう世界に触れた。
(3)『蝶の舌』(ホセ・ルイス・クエルダ 1999)
 きらきらした美しい田園風景や子供たちの表情とは、対照的なラストシーン
に衝撃を受けた。

■山田利行
 ベスト3点を本で選ぶのなら、むずかしいけれども、候補になる書名は具体
的にいろいろと浮かぶ。ところが、映画となると、まず映画のタイトルを覚え
ていないというせいもあるが、なかなか浮かんでこない。映画サークルに入っ
ているので例会上映を年間で12本見て、そのほかは、ビデオを年間で10本、い
やもっと見ているかな? 映サは20年前からなので、見てきた映画は相当な本
数になる。例会ごと、見るたびに、何か思うことがあり、10本に8本は「良
かったなあ」と思って満足している。そんなにたくさん見ているのに、さて、
ベスト3をあげるとなると、タイトルがさっぱり出てこないで、断片的なス
クーリーンの場面が脳裏にチラチラする程度。でも、3本なんとか選択を試み
ましょう。
 西アフリカの海岸から奴隷船に乗せられ大西洋を渡りアメリカへ。船に積み
込まれる、積み込まれてからの奴隷たちが受ける仕打ち、これは凄まじかっ
た。で、この映画のタイトルは……とりあえず「A」。
 さて、2番目。イランの映画を立て続けに3本か4本、見た。テンポがどれ
もゆっくりで、寝不足なまま見ると寝てしまいそう。そのなかでどれが、とい
うよりも、数本連続して見たのがよかった。もっともドラマぽかったのは、走
り競争で優勝すると靴がもらえるというので、靴をなくした子どもが走った映
画。これを「B」としておこう。
 3番目。米中(中米?)合作映画を観たとき、中国人が英語を話していた。そ
ういうのは違和感がずっとつきまとって落ち着かない。その点、チベットの映
画でチベット人がチベットの言葉をしゃべっていたのは良かった。チベットは
夏が短く、冬が長い。厳しい冬を越すために、行商の旅に出るチベット人の隊
列。その隊列のゆくまわりの自然の美しいこと、雄大なこと。その映画はイン
ド人の女優を除けば、ほかは皆(だったかな?)、チベット人の地元の人たち
で、映画出演は初めてだという。チベットを堪能できる映画。これを「C」と
しておこう。
 問題です。「A」「B」「C」に映画のタイトルを入れなさい。(*回答
は、最後をご覧ください。)

■山田輝子
 私も明石映サの会員で、二〇〇本以上の映画を観ていることになります。観
るたびに「よかったー」と感激するのですが、内容はほとんど覚えていませ
ん。さて、3本の映画となると、うーん。
 小学生くらいから母に連れられて映画館へ見に行きました。
 母は、文部省推薦映画が大好きで、小学生の頃『人間の条件』(小林正樹
1959〜1961)という戦争というか日本の軍隊の新兵さんが上等兵にいじめられ
る、なんともいえない暗い映画を思い出す。仲代達矢と新玉三千代が夫婦役
で、ラスト近く、面会時に、馬小屋のようなところでワラの中で抱き合うシー
ンが、唯一子ども心によかったあと感じられ、50年くらいたった今でも、そこ
だけがくっきりと浮かんでくる。
 もう一作。その文部省関連で『怒りの孤島』(久松静児 1958)という映画
もみました。当時、私は小学高学年でした。瀬戸内海かどこか? の小さい島
で、子どもがといっても青年かな? 檻のような箱に入れられてお仕置きされ
る。その青年の顔のアップが、なんともすさまじく、私の脳裏に焼き付きまし
た。今でも、その顔だけは浮かんできます。
 3作目は『しコふんじゃった』(周防正行 1991)です。笑いました。とに
かくおもしろかった。へー、日本映画でこんなに笑えるなんて! とびっくり
しました。生活の中に「笑い」を日常的にもっともっと取り入れたいですね。

■黒猫房主
(1)『ル・バル』(エットーレ・スコラ 1983)
 ダンスホールにスイッチが入れられ舞踏会(バル)が始まる。シャンソン
「待ちましょう」にのって女たちが階段を降りてくる。「ボレロ」にのって男
たちが。この展開がすばらしい。以下台詞は一言もなく、なつかしい四十数曲
をちりばめて、このダンスホールの戦前からの移り変わりが、回想的な手法で
描かれていく(双葉十三郎のコメントより)。十数年前に私が東京から大阪に
転居してきて、毎週のように梅田の「大毎地下劇場」(名画座)の二本立てを
観ていた頃の印象深い作品。いま一度観たいと思っているが、VTRは品切で
入手不可の模様。
(2)『あらかじめ失われた恋人たちよ』(田原総一朗・清水邦夫 1971)
 いまでは誰も信じないかもしれないが、あの田原総一朗が東京12chのディレ
クター時代に監督した作品。華奢な石橋蓮司の演技が痛々しくかつ眩しい。緑
魔子がワンシーンだけ出てくるのが嬉しい。桃井かおりのデビュー作品。つの
だ☆ひろの名曲「メリージェーン」が、この映画の主題歌。
(3)『鬼火』(ルイ・マル 1963)
 主人公ロネの孤独感と絶望感に共振した。エリック・サティの「ジムノペ
ディ」がさらに空虚さを増幅した。いまはなき池袋の「文芸座」で20代に観
た。
(番外)『アクマストキングV』(土方鉄人 1977)
 騒動社という独立プロ製作。騒動社で検索すると上記のタイトルにヒットし
たが、私が大学祭で観たのは七七年以前のはずなのでVではないのかも知れな
い。ストーリーは全然覚えていないが、映画と同名の主題曲「悪魔巣取金愚」
のフレーズ「悪魔ストッキング、ドゥドゥビドゥ」のリフレインをよく覚えて
いる。この主題曲が「休みの国」というCDに収録されていることをウェブで
知り、今回アマゾンでゲット(URC復刻シリーズ)。ちなみにバックの演奏
は、ジャックスの早川義夫や角田ヒロらが担当。

(回答:A……『アミスタッド』(スティーヴン・スピルバーグ 1997)、
B……『運動靴と赤い金魚』(マジッド・マジディ 1997)、C……『キャラ
バン』(エリック・ヴァリ 2000)

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 ◎「タイトル未定」涸沢純平(「編集工房ノア」代表))
 ◎「手製本は周回遅れのトップランナー」藤井敬子(装幀家)
 ◎「オブジェとしての装幀」(仮題)吉本麻美(うらわ美術館・学芸員)
 ◎「装丁違見」(仮題)川口 正(「アース・インテグレート」代表)

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東方出版 http://www.tohoshuppan.co.jp/ 紀伊國屋書店出版部
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■協賛:哲学的腹ぺこ塾
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■後援:ヒントブックス http://homepage1.nifty.com/hint-yf/
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■京阪神地区の主要書店(一部東京)・文化センター・等に配布
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 本紙は市民の相互批評を目指す媒体として、読者の方々の「投げ銭」及び
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 「るな工房/黒猫房/窓月書房」は、10月中旬に下記に移転します。
  大阪市都島区友渕町1丁目6番5―408号

■編集後記■---------------------------------------------------------
★引っ越しを控えて、年と共に増殖し続ける書籍や雑誌を整理・処分している
最中なのだが、その作業の途中で古い雑誌の特集を見つけては読みふけること
屡々で、なかなか作業が捗らない。(黒猫房主)

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  『カルチャー・レヴュー』31号(通巻33号)(2003/10/01)
  ■編集委員:いのうえなおこ・小原まさる・田中俊英・加藤正太郎・
        山口秀也・山本繁樹
  ■発行人:山本繁樹
 ■発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房 E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jp
   http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
  〒533-0022 大阪市東淀川区菅原7-5-23-702
  TEL/FAX 06-6320-6426
  ■流通協力「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/
  ■流通協力「Macky」http://macky.nifty.com
  Copyright(C), 1998-2003 許可無く転載することを禁じます。
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■申込・解除・変更は下記の(直送版は、るな工房まで)
 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/touroku.htmlまで。
■情報提供・投稿は、E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jpまで。
■本誌のバックナンバーは、
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Date: Fri, 1 Aug 2003 17:36:59 +0900
Subject: 『カルチャー・レヴュー』30号(るな工房・窓月書房)

■本誌は<転送歓迎>です。お知り合いの方にご転送ください。その場合は、
著者・発行所を明記した「全頁」の転送であること、またそれぞれの著作権・
出版権を配慮してください。<無断部分転載厳禁>

◆直送版◆
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 (創刊1998/10/01)               (発行部数約1240部)

      『カルチャー・レヴュー』30号
         (2003/08/01発行)

     発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
         [31号は、2003/10/01頃発行予定です]
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■目 次■-----------------------------------------------------------
◆外国人からみた日本語              Thomas Judd Magnuso
◆翻訳学の可能性                      岩坂 彰
◆ご恵送本/「La Vue」14号のご案内       編集部
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////// 日本語 //////

            外国人からみた日本語

                       Thomas Judd Magnuson
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 私が初めて日本語に出会ったのは1990年、祖国カナダのとあるスキー・リ
ゾートに高校生として遊びに行った時だった。世界のリゾートということも
あって、あらゆる国から観光客が余暇を求めて集まっていた。
 私は昼ごはんを買い求めにある店の前にたどり着くと、明らかに日本人のツ
アーと思われる団体が休憩していた(他の国からの団体と異なり、全員が全く
同様な服装で揃っていたのがその特徴)。
 カナダの観光スポットでは、このような光景はたいして珍しくはなかったか
も知れない。だが驚くべきだったのは、そのツアーのヨーロッパ系カナダ人ガ
イドさんがすらすらと日本語で説明していたことであった。当時の私は、無数
の人種の人々が普通に英語を話していた事実にも関わらず、白人がアジアの言
葉を使えるとは思っていなかったのだ。そのような時代遅れの思い込みを持っ
ていた私にとって、そのガイドさんを目撃したことは感動的な目覚めだった。

 その後高校を卒業し、いつの日か私もそのガイドさんと同じように田舎の高
校生に衝撃を与えようと、地元の大学の日本語学部に入学して日本語との付き
合いを始めたのだ。
 その時から10年余り、今にしてもやはり日本語を習うのは簡単なことではな
い。英語を勉強する日本人の悩みと同様に、文字・文法・表現の違いがたくさ
んあっていずれも自由に使えるようになるまでは、数年の地道な勉強と根気が
必要不可欠である。
 大学の日本語学部に入学した初日に、その最大の難関に面した。それは日本
語の教科書が出版社情報とは違い値段が高いことや、大好きなアルファベット
の文字が一つも書かれていなかったことだ。ABCも無く、初めて見る日本語
の文字だけだったのだ。いまから振り返ると、その教科書の内容は小学生1年
生でも解かる程度のものだったけれども、〇年生にしてみると見た目の違い
(文字の違い)が言葉の壁の鉄骨だったのだ。

 しかし地道な勉強をへて少しずつ壁が低くなり鉄骨も緩んできて、それらの
難関をクリアしても、それ以上の挑戦が待っていることを社会人となってから
知った。それは言葉の裏の考え方、言語的な心理・言葉の「性格」である。
 日本語の会話の中では、特徴的な敬語、言い回しや動詞の使い方によって主
語といったものが省略されても対話者が状況を把握できるようになっている
が、それを可能にしているのは話し手と聞き手がそれぞれの役割分担を担って
いるからだと言えよう。一方英語の場合でも言い回しや敬語は存在するが、発
言者が負担する役割がより大きく、物事の数量・属性・時間的分布を細かく伝
えなければ対話者が事情を必ずしも把握できるとは言えない。
 これもまた、古代から続けている文化・歴史・人の間の交渉によって少しず
つ定められてきた「話し役」と「聞き役」の分担であろう。この「負担の違
い」は概念としてはなかなか掴みづらいものであるが、事例を通して説明して
みたい。例えば一組のカップルの前に一匹の猫が現れ、その一人が思わずに言
ってしまうことを日本語と英語でみてみよう。

  日本語の場合: 「可愛い!」
  英語の場合:  "That's a cute cat!" (「それは可愛い猫だ!」)

 英語が得意ではなくても、長さだけをみると英語の方が明らかに目立つ。日
本語の1つの単語に対して、英語の話し手は同じことを伝えるのに5つの単語
を使わなければならない。that(それ)、's [isの略] (〜は・だ)、a(一
つ・不特定)、cute(可愛い)、cat(猫)。何故なのだろう、日本語の方が
効率的な言語なのだろうか。
 一見そう見えるかも知れないが、実は伝わっているメッセージが両方の発言
で同じとするならば、ここで聞き手が負担する役割が異なっているだけなので
ある。つまり日本語の聞き手は「それ」、「一つの不特定の猫」、と「〜だ」
と言う情報を理解して暗に埋めているわけである。
 一方英語の聞き手にはこれらの情報を把握する必要が無く、話し手の発言に
それらが提供されている。言い方を換えると、日本語の聞き手よりも英語の聞
き手の負担が軽い。同様に日本語の話し手は少ない単語数で意を伝えることが
出来るけれども、英語の方はより細かくいろいろな情報を発言で伝えなければ
ならない。
 猫が目の前に現れた上記のカップルの場合には英語であろうと日本語であろ
うとコミュニケ−ションの内容には変わりが無いけれども、この言語的な心理
・性格による役割の違いを英語または日本語の学生の立場から見ると、相当大
変なことになる。抽象的な話または事情や背景を特定しづらい会話であれば、
両者が自分の役割を果さなければ誤解を招きかねないからである。英語を習い
始めている日本人が、a・theの冠詞や動詞の活用に悩んだりするのはこれが原
因の一つであろう。

 私のように英語を母国語として日本語を習っている外国人の場合は、とにか
く良く聴くことに頭が回される。日英翻訳を職業とする今でも、私は時々「こ
の文の主語って一体何だろう??」と自問することがある。
 おそらく日英の両方をより正確に理解するには、それぞれの言葉使いの心理
・性格に慣れることが大事な通過点かも知れない。
 ところが言葉使いの性格に「慣れる」と言うのが、意外と努力を必要としな
いのが人間の凄いところの一つだと思う。つまりその言葉が使われている地域
に暮らせば暮らすほど、身に染み込んで知らないうちに「日本語を使う時の自
分」と「英語を使う時の自分」のような二重人格が出来上がってしまっている
からだ。
 これは人それぞれに違う形で現れるが、私の場合では特別に酷いバージョン
になっている可能性を否定できない。
 例えば日本語を使っている時には、頭をどこかにぶつけた際に完全に「や
べっ!」と日本語が出てくるけれど、その寸前まで英語での会話をしていたら
ば英語特有の4文字単語を吐く。
 この原稿を打っている只今は、「次は何を書こうかな?」と頭の中が和モー
ド。その一方、英語圏の知り合いと一杯を飲む時に私はカナダ人に切り替え、
日本語では遠慮して言うとは思えない表現や課題を言葉にする。
 私の知り合いには、別のパターンがあった。両方の言語を使う場合での人格
は変らないものの、課題によって言葉を使い分けた方が楽だというパターン
だ。その人は車やパソコンなどの仕様を話す時には必ず日本語を使いたがり、
人情的な話になるといつも英語。
 その他に子供が2ヶ国語の家庭で育てられている場合、その子供は会話する
相手が父親・母親によって言葉を使い分けたりする。また場所(家庭内・学校
内など)によって使い分けているようだ。いずれにしても言葉自体が持つ心理
法則や性格が人の性格に与える影響が非常に大きいと言えよう。
 そういうわけで、バイリンガルが二重人格のようなことになってもおかしく
はないと思う。しかし私は、日本語で電話の会話をしている時に、自分が思わ
ずお辞儀している癖をどうにかしたいのも正直な気持ちなのである(笑)。

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(トーマス・ジャッド・マグナセン)1974年、カナダの南西海岸の街バンクー
バーの近くに生まれ、常になんらかの形で文学とかかわってきた29歳。中学・
高校生の頃のフランス語の勉強をきっかけに「言葉」の面白さに出会い、大学
にあがると日本語の勉強をはじめる。本場の言葉を勉強すべく一旦休学して、
1995年に初来日をはたす。1年間のワーキンホリデーを終えて帰国すると地元
のブリティッシュ・コロンビア大日本語・アジア地域学部に再び入学。1998年
に大学卒業してから、日本各地に英語講師と翻訳家の活動をしながらアイヌ民
族史や日本語方言について独自研究をし続けています。日本語資格試験(ジェ
トロビジネス日本語テスト:1級取得、日本国際教育協会日本語能力試験:1
級取得)

●●●●「英字工房」のご案内●●-------------------------------------

英字工房とは、カナダ出身の翻訳家Thomas Judd Magnuson (トーマス・ジャッ
ド・マグナセン)が2002年に設立した小さな言語サービスです。和英翻訳を始
めとして、英文校正と英文作成の事業でお客様のニーズに合わせて品質の極め
て高い自然の英語の文章を提供するということが私たちの原点であり、誇りと
楽しみでもあります。お手紙、電子メールなどの短い原稿から論文やビジネス
・コミュニケーションの文章まで英語のことならどうぞお気軽に相談ください
ますよう、宜しくお願い申し上げます。当サイトで各サービスについての詳し
い情報をまとめておりますが、どうぞごゆっくりご覧下さいませ。尚、もし何
か不明なところやご質問がございましたらメールでのご連絡を心待ちにしてお
ります。http://www.eijikoubou.com/nihongo-top.htm

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////// 翻 訳 //////

              翻訳学の可能性

                              岩坂 彰
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■翻訳と人工知能

 翻訳ソフトをお使いになったことがあるだろうか? 簡単なものなら、一般
的な検索サイトで試してみることができる。もちろん(!)使い物にならない。
 私は米国発ウェブニュースの即日翻訳という仕事に携わっている。チームの
中には翻訳ソフトを利用している翻訳者もいるが、訳文をチェックし、記事に
仕上げるという私の業務経験から感覚的に申し上げると、翻訳ソフトからの訳
文は、いくら推敲してもぎりぎり許容範囲、六〇点の訳文にしかならない。そ
れ以上に仕上げたいのなら、一から訳し直すことになる。そんなわけで、私は
日々詛いの言葉を吐きながら自尊心と時間の妥協に苦しむのである。
 ソフトが進歩すれば解決することかもしれない。しかしその場合、おそらく
その翻訳ソフトは人工知能のレベルに達していなければならない。現在のソフ
トもいわゆる「AI」機能を備えているが、われわれが満足させる翻訳ソフト
は、いわば一個の「人格」をもった人工知能である。それはもはや「機械翻
訳」とは言えない。同じ原文を与えても、人工知能ソフトは1本ずつ、その
「性格」や「経験」に応じて多様な訳文を出してくる。なかにはフィードバッ
クを受け入れない頑固な性格のソフトや、数字の単位を間違えるうっかり者の
ソフトも出てくるかもしれない。そんなわけはないか。
 ともかく、翻訳、あるいはその一部である自然言語処理が機械的に行なえな
いことはもはや明らかである。人工知能の完成を待たなければならないという
意味で、自然言語処理は「AI完全」であると言われるが、逆に、自然言語処
理が可能になった段階で、人工知能はいちおうの完成と言えるのかもしれな
い。
 こうした人工知能による自然言語処理の研究は、翻訳ソフトに応用されると
同時に、われわれがいかにして翻訳という作業を行なっているかという理論的
基礎付けに光を投げかけるものとなっている。具体的には、生成文法以降の統
語論や、意味論の分野で模索されているさまざまな構成モデル、あるいはコン
ピューター自体の並列分散処理モデルなどがある。
 しかしこれらは、私が考える「翻訳学」のほんの一部にすぎない。

■翻訳教授法

 前述の仕事のチームを見ても、あるいは私が教えている翻訳学校の生徒を見
ても、うまくできない人をできるように育てるのはたいへん難しい(逆に、で
きる人は最初からできる)。
 私自身が翻訳学校の生徒だったころ、先生は翻訳の理論的なことなど何も教
えてはくれなかった。大学の英文講読の授業のように、延々とテキストの内容
を議論しているだけだった。自分が教える立場になったとき、私は授業を「構
造化」した。カリキュラムを組み、必要なスキルを実践させた。けれども、今
の私の生徒が、かつての私の同級生たちよりも上達が早いとは、残念ながら言
えそうにない。結局のところ、私がやっているのは翻訳技法論のレベルであっ
て、「理論よりも実践」という昔ながらの教授法には太刀打ちできないのだ。
 しかし私は、「ともかくたくさん読んでたくさん書くことです」などという
アドバイスの時代に戻りたくはない。「人はいかに言葉を捉え、いかにその内
容を言葉で表現するか」という翻訳の本質を理論的に考察する翻訳学というも
のが構築されれば、必ずや翻訳教授法の向上につながるはずである。のみなら
ず、言語が文化の中核に存在する以上、こうした研究は異文化理解の本質に迫
るものであると、私は信じている。

■認知科学としての翻訳学

 私が望む翻訳学は、右のような実践的な要請を踏まえたものであり、以下の
ような多様な領域をカバーすることになる。

  ◆基礎論(言語学)
   ・認知言語学
   ・コンピューター言語学
   ・(解釈学)
  ◆各論(外国語学(実際問題として、英語)と日本語学の双方に関して)
   ・文法論
   ・社会言語学
   ・表記論と音韻論
   ・作文論
   ・翻訳技法論
   ・発達言語学と教授法

 まず、なぜ「認知」言語学なのかというと、先ほど述べた「人はいかに言葉
を捉えているか」という基本的問いが、「いかに言葉を認識しているか」とい
う意味にほかならないからである。
 具体的に説明しよう。
 翻訳では、言葉が示す概念の外延のずれが常に問題になる。要するに、対応
する単語が指し示す対象範囲は必ずしも一致しないということである。初学者
はよくbees and waspsを「ミツバチとスズメバチ」などと訳す。bees and
wspsにほぼ対応する外延をもつ日本語の概念は「蜂」であり、訳としては
「蜂」で十分である。逆に、「一匹の蜂が飛んできた」を英訳するときは、事
実あるいは筆者の意図を踏まえ、a beeとするかa waspとするかを判断しなけ
ればならない。技法的には、このようなカテゴリーの対応づけがいちおう有効
にはたらく。
 しかし筆者の意図といっても、日本人の場合beeかwaspかなんてことは考え
ていないかもしれない。単にan annoying insectと言いたかったのかもしれな
い。原理的に、概念の外延をもって彼我を対応させようとすることには無理が
あるのだ。

 認知言語学では、たとえばこのようなカテゴリー的な発想を廃し、「典型的
なbeeのプロトタイプ」というようなものを考える。そして、典型的な属性群
からどのくらい離れるとbeeとは言えなくなるかといった研究を行なう。翻訳
者には、こうした知識が必要なのである。
 翻訳という営みがこのような「認識」にかかわるかぎり、それを検証可能な
方法で(いわゆる「科学的」ということだが)理論化しようとするなら、認知科
学の方向に向かわざるをえないと私は思う。
 冒頭に触れた人工知能のコンピューター言語学は、この方向性を脇から固め
るものとなる。
 三番目に括弧付きで挙げた解釈学についてだが、これと翻訳学の関わりにつ
いて具体的に論じるには、私の能力も紙数も足りない。古典文献や聖書の解釈
の技術として成立し、二〇世紀哲学の一潮流へと発展した解釈学は、翻訳学に
哲学的基礎を与えてくれるとも考えられるが、それは将来の課題とし、さしあ
たりは認知科学的アプローチをとりたい。

■翻訳のための日本語文法

 各論としていくつかの分野を挙げたが、これらはそれぞれ、私の翻訳の実践
や教育のなかで現実に気になっている諸問題に対応する領域である。
 文法について言うと、現在学校で教えられている日本語文法は外国語文法の
影響が強すぎ、日本語本来の姿を捉えているとは言い難い。三上章が『象は鼻
が長い』を世に問うて「主語―述語」文法に疑問を呈した(主語は「象は」か
「鼻が」か?)のは四〇年以上前のことだというのに、いまだに学校では
Subject-Objectのアナロジーでお茶を濁し、その結果、I love youを
「あなたを好きです」と訳すことに抵抗のない人が増えている。(標準的な
「(私は)あなたが好きです)」が「象は鼻が長い」と同じ文型だというあたり
は興味深い。)

 外国語文法に比べて日本語文法に説得力がないため、国語の授業が英文法の
刷り込みに負けてしまうという面もあるのだろう。翻訳学習者からは「原文が
過去形なのに現在形に訳していいんですか」などという質問をもらう。不完全
と思える学校文法ですら、日本語の動詞に現在形などという活用を教えていな
い。「する」は終止形であって、印欧言語の不定形に対応すると言うべきなの
だ。ところが学習者の頭の中では、「する」が現在形、「した」が過去形とい
うことになっている。かように日本語文法教育はお寒い状況にある。
 新日本語文法の構築についてはすでにさまざまな提案がなされている。言語
の適切な分析方法はひとつではないだろうが、目的を限定すれば、最適の考え
方が見えてくるはずである。私が求める翻訳向けの日本語文法の構築にあたっ
ては、かつて試みられたように、外国語と日本語を共通の構造で捉えるという
のではなく、日本語は日本語で認知的に構造を分析して文法化し、外国語の文
法との対応を考えるというのが適切な方向であるように思う。

■社会言語学・音韻論・作文論

 次の社会言語学というのは、読者の問題である。
 私がひそかに好んで見るテレビ番組に、芸能人知名度クイズというのがあ
る。ある芸能人の名前を世間の何パーセントの人が知っているかを当てるクイ
ズだが、実は翻訳家にはこのような感性が求められる。ある表現がその読者層
のどのくらいの人に受け容れられるか、どう受け取られるかを感覚的につかん
でいなければならないのである。
 翻訳はつねに読者との関係のうえになりたつ。たとえ同じ原文でも、提供す
る読者対象層が違えば訳文も変わってくる。その意味で、こうした実証的研究
は欠かせない。

 表記論・音韻論というのは、単純に言うとジェームス・ボンドかジェイムズ
・ボンドかということである。単に習慣の問題と思われるかもしれないが、簡
単には片づけられない面がある。たとえば「政府(せいふ)」の共通語の発音
は、普通は「せーふ」(あらたまった場合は「せいふ」)ということになってい
る。これは「ジェイムズ」と書いて「じぇーむず」と読むことに相当する。し
かし実際は「ジェイムズ」表記の意図は、英語風に「じぇいむず」と読ませた
いというところにある。これと同様の方向性が、「政府」にも見られないだろ
うか。つまり英語のsafeのように、日常的に「せいふ」と言う人が増えていな
いだろうか。しかも[ei]という一つの母音を挟んで。ひょっとすると最後の
「ふ」の母音が欠落しているかもしれない。(Jamesの「ス」と「ズ」も、母音
なしの[z]の発音ができるか否かに関係していると思われる。)日本語使用者全
体で継続的に調査すれば、大きな変化が観測されるはずである。
 このような発音の変化(浸食)は、外来語の侵入以上に大きな問題だと思う。
結果として、表記と発音の対応が変更されていくことだろう。「ヴ」や
「ファ」は市民権を得たし、アルファベットがそのまま漢字やかなの中に混じ
ることも多くなった。現在ウェブニュースでよく見られるように、固有名詞は
原綴りで表記するという方法が一般化していくことも考えられる。(私が担当
しているサイトはこの流れに必死で抵抗しているが。)

 作文論というのは、たとえば記事を書くときに、事実から書き始めるか、結
論から書き始めるか、あるいは伝聞をどの程度厳密に引用するかといった問題
である。これらは筆者と読者の間の暗黙の決まりごととして、読みの解釈に影
響している。現在は作文作法としてまとめられている程度だが、比較作文論と
して体系化する必要がある。ここには、英文記事冒頭の「つかみ」を、情報と
して訳すべきか、日本記事の「つかみ」に訳す(置き換える)べきかといった翻
訳技法論も関係してくる。

■翻訳学の可能性

 インターネットで検索するかぎり、本格的な「翻訳学」の講座を置く大学は
日本にはまだない。私と同じように、個人的なレベルで翻訳学を語る物書き
(あるいは物好き)は何人かいるようであるが。
 実際問題として、機械翻訳のための言語学研究や、認知的言語学研究、新た
な日本語文法の研究などは、それぞれに行なわれている。その最先端の成果
は、現場の翻訳家にはなかなか届いてこない。現実問題として、翻訳のような
割の悪い仕事をしていると、お金に直結しない作業をする時間などなかなかと
れない(原稿遅れてごめんなさい→編集スタッフさま)ということもあるし、わ
ずかな時間を使ってぼつぼつと認知言語学のテキストを読んでみても、翻訳の
視点から直接的に興味の惹かれる部分があまり多くないということもある。
 結局のところ、私のような物好きな翻訳家が、専門研究者たちに手を引かれ
ながら、少しずつ、各分野の研究成果を現場の翻訳者や学習者向けに再構成し
ていくところから始めるしかないのかもしれない。
 もちろんこれだけでは「学」と称せるものにはならないだろうが、このよう
な努力がいずれ共通の枠組みを生み、大学に講座ができ、最終的には、誰もが
頭をひねらずに読める翻訳が当たり前になる日が来ることを願っている。
 一人でできることではない。各分野についての知見をお持ちのみなさまのお
導きをいただきたい。(初出『La Vue』 No.11、2002/09/01号)

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(いわさか・あきら)1958年生まれ。京都大学文学部哲学科卒。翻訳家。 訳
書:『西洋思想』『うつと不安の認知療法練習帳』(ともに創元社)、『ウィ
トゲンシュタイン』(講談社選書メチエ)『イエスは仏教徒だった?』(同朋
舎)ほか。
ワイアード・ニュース(http://www.hotwired.co.jp/news/index.html)
翻訳担当。E-mail:iwasaka@gol.com


●●●●ご恵送本●●-------------------------------------------------

 『火ここになき灰』
 ■ジャック・デリダ・A5変型判・152頁・定価2400円+税

 「そこに灰がある」――このたった一つの文(とその展開あるいは解体)か
 らなる一冊の得意な書物。『弔鐘』『郵便葉書』のなかの、「灰」「燃やす
 こと」「ホロコースト」を語った文が引用されながら、「そこに灰がある」
 という一文が、複数の声によって展開されていく……。

 『訪 問 イメージと記憶をめぐって』
 ■ジャン=リュック・ナンシー著・四六判上製・160頁・定価2600円+税

 記憶にないほど古い記憶。忘却に委ねられるしかないもの、あるいは殲滅
(ショアー)の記憶を担う不可能な光景――この記憶しえぬ記憶の表象の光景
 が私たちを訪問する――ポントルモ《聖母訪問》ピカソ《オルガンの肖像》
 を通して<表象の問題>を考察する。

 ■上記2点の新刊は、松籟社からの刊行です。
  京都市伏見区深草正覚町1-34 TEL075-531-2878 FAX075-532-2309

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////// 「La Vue」14号のご案内 //////

■掲載内容■ 特集<映画多彩>(03/08/01発行)
 ◎交換する声――青原さとし『土徳――焼跡地に生かされて』/今野和代
◎『銀幕の湖国』番外編/吉田 馨
   http://www.venus.dti.ne.jp/~yoz/eiga/eiga.kr.con.html
 ◎映画『「夜と霧』の中で/康 守雄
 ◎映画から届いた「肉声」/橋本康介
 ◎「映画多彩」アンケート回答

■広告協賛:ナカニシヤ出版 http://www.nakanishiya.co.jp/
 東方出版ttp://www.tohoshuppan.co.jp/ 新泉社 
 紀伊國屋書店出版部http://www.kinokuniya.co.jp/
■協賛:哲学的腹ぺこ塾
    http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/harapeko.html
■後援:ヒントブックス http://homepage1.nifty.com/hint-yf/
■投げ銭価格100円より・B4判・10頁・発行部数10000部
■京阪神地区の主要書店(一部東京)・文化センター・等に配布
■配布情報 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/lavue.html

 本紙は市民の相互批評を目指す媒体として、読者の方々の「投げ銭」及び
「木戸銭」というパトロンシップによって、非営利的に発行しております。
 頒価100円は、読者の方々の「投げ銭」の目安です。
 また本紙を安定的に発行するために、支援会員を募っております。
 年会費一口、600円(13号〜15号までの送料+投げ銭)からの「木戸銭」を
 申し受けております。
■「投げ銭」「木戸銭」は、切手にても承ります。
■郵便振替口座 「るな工房」00920―9―114321

●●●●インフォメーション●-----------------------------------------

  第42回「哲学的腹ぺこ塾」
 ■日  時:03年09月22日(日)午後2時より5時まで
       その後、暫時「二次会」へ
 ■テキスト:E.W.サイード『オリエンタリズム』
 ■会  場:るな工房/黒猫房/窓月書房(TEL/FAX:06-6320-6426)
 ■会  費:500円

■編集後記■---------------------------------------------------------
★言葉は文化だとはよく言われるが、「その言葉が使われている地域に暮らせ
ば暮らすほど、身に染み込んで知らないうちに「日本語を使う時の自分」と
「英語を使う時の自分」のような二重人格が出来上がってしまっている」とい
うトーマスさんの指摘は面白い。
★その一方で、外国語文法の影響で、「あなたを好きです」と訳すことに抵抗
のない人が増えている(標準的には「(私は)あなたが好きです)」らしく、また
英語の影響で音韻に変化があるという岩坂さんの指摘には考えさせられる。
★世界共通語を目指したエスペラント語は普及しなかったが、映画「スワロウ
テイル」(岩井俊二・監督)の舞台になっている未来都市yen townでの無国籍
語は、アナーキーで痛快だった。(黒猫房主)

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  『カルチャー・レヴュー』30号(通巻32号)(2003/08/01)
  ■編集委員:いのうえなおこ・小原まさる・田中俊英・加藤正太郎・
        山口秀也・山本繁樹
  ■発行人:山本繁樹
 ■発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房 E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jp
   http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
  〒533-0022 大阪市東淀川区菅原7-5-23-702
  TEL/FAX 06-6320-6426
  ■流通協力「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/
  ■流通協力「Macky」http://macky.nifty.com
  Copyright(C), 1998-2003 許可無く転載することを禁じます。
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■申込・解除・変更は下記の(直送版は、るな工房まで)
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◆Date: Sun, 1 Jun 2003 21:36:56 +0900
 Subject: 『カルチャー・レヴュー』29号(るな工房・窓月書房)

■本誌は<転送歓迎>です。お知り合いの方にご転送ください。その場合は、
著者・発行所を明記した「全頁」の転送であること、またそれぞれの著作権・
出版権を配慮してください。<無断部分転載厳禁>
★この間、メーラーの故障で「直送便」データに瑕疵がございます。つきまし
ては重複して送信されるかもしませ。その際はご容赦いただくとともに重複の
ご連絡をお願い申し上げます。また送信不要等のご連絡も承ります。

◆直送版◆
●○●---------------------------------------------------------●○●
 (創刊1998/10/01)               (発行部数約1240部)

      『カルチャー・レヴュー』29号
        (2003/06/01発行)

     発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
         [30号は、2003/08/01頃発行予定です]
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■目 次■-----------------------------------------------------------
◆小説「月に昇る」のための習作2              足立和政
◆わが家に化学物質過敏症がやってきた(3)         山口秀也
◆日本一あぶない音楽―河内音頭断片―            鵜飼雅則
◆「La Vue」14号のご案内/ご恵送本       編集部
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////// 創 作 //////

         小説「月に昇る」のための習作2
           〜二つ曲がりの辻〜


                             足立和政
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 弥生三月のかかり。曇天。午後、遅い昼食と散歩をかねてマンションを出
た。しかし、数歩もいかないうちに、ぽつりと雨が落ちてきた。傘を取りに帰
るのにそれほど手間がかかるわけでもなかったが、何だか億劫でそのまま歩い
ていった。頭の上には、春の陽光を待つ桜が、投網を打ったかのように重っ苦
しい雲の海の下に枝を広げている。また、ぽつりと木の芽おこしの雨がオレの
額にあたった。
 昼めしといっても、食欲があるわけではなかった。最近ではよくて一日一
食、ぶらり当てなく散歩する途中に見つけるそば屋に立ち寄り、文字どおり喉
に流し込む程度だ。それも見つかればの話だ。駅前の商店街に出ると、酒屋で
ビールを買い、一気に飲んで、
 「今日は何に突き当たるだろう」
 と考えた。
 仕事を辞めて散歩は日常となった。永遠に徘徊を続けそうな不安をアルコー
ルと一緒に飲み干しながら歩いていると、何かに突き当たり、突き当たったと
ころで気づき、家に帰り着いている。そんな毎日が訪れた。その突き当たった
ものが、幾重もの壁となってオレを閉じ込めるときもあれば、今まで塗り固め
て築いてきた壁を一瞬にして、打ち壊してしまうこともあった。
 
 
 ひと駅分の切符とビールを二缶買い、郊外へ向かう各停電車に乗った。
 「雨の降っていないところまで行こう」
 車内はガラガラだった。携帯電話にひたすら謝っている若いサラリーマン。
高級を売り物にしているスーパーの買い物袋を下げた主婦。そして、オレの向
いには大きな籐の籠を床に置いて化粧を直している若い女。ひと車両に四人だ
けだった。
 ビールを飲みながら、ぽつぽつと斜めに突き刺さる水滴越しに、窓の外を眺
めていると、オレの足に絡みつくものがある。それは一匹のマルチーズだっ
た。どうも、向いの女性の籠に潜んでいたらしい。
 「ちーちゃん、だめ、こっちこっち。おじさんが困った顔をしてるでしょ」
 六つの人間の眼と二つの獣の眼が、オレを見つめている。向いの女が再び
「ちー……」と言った瞬間、オレはそのマルチーズを蹴飛ばした。「きゃん」
と転がった獣を無視して、また外の風景に眼を遣った。
 サラリーマンはメールを打ち始め、主婦は吊り広告を読むふりをし、向いの
女性は獣に駆け寄った。ひとつの風景が車両の中に充満していく。次の駅でド
アが開くまで、この風景は運ばれていく。網膜には土塊だらけの田畑、立ち並
ぶ高圧電線の鉄塔、畦道を赤い傘をさしながら自転車を駆る女子高生、だれも
待つことのないような小さな踏み切り。不思議と絶対性が混じる雨の風景が脳
裏に映しだされる。そこに愛玩という自己膠着が這い入る隙はなかった。
 「この酔っ払い」
 と女は罵り、隣の車両へ移っていった。
 決して、オレが正しいなんて恥ずかしいことは言わないけれど、暴力はお互
い様だろ。見ているものが違っているときにはときどきこういうことが起こ
る。電車に乗ったときぐらい遠くを見ろよ、ねぇちゃん。
 県境のトンネルを過ぎると、嘘のように空は晴れていた。こんなこともある
のだ。山端の上に、サンドブラストを施したような大きく白い月が残ってい
た。次の駅で降りよう。
 その地は新興住宅地として再開発され始め、駅も新しくなったばかりよう
だった。駅前のロータリーに「都心まで乗り換えなし、快速で40分。アメニ
ティーライフを演出するガーデンタウン」との大きな看板がでていて、チベッ
トの仏教寺院のような色鮮やかな旗がはためいている。駅前は整備されている
が、看板や旗の、つい向こうには未だ古い町並みが続いている。なだらかな勾
配のある道に沿って、商店が申し訳なさそうに肩を並べ萎縮している。オレの
足は自然とそちらに向かっていた。
 蚊取り線香の古い看板の残るよろず屋で、そば屋は近くにありませんかと尋
ねると、にきび面したそこの息子らしき兄ちゃんが、斜め向いにある一膳飯屋
を指さし、食事のできるところは
 「壽屋さんしかないよ」
 と言った。
 その壽屋は、やっているのかやっていないのか、人の気配がまったくしな
い。建て付けの悪い引き戸をがたんと開けると、冷えたセメントの土間にデコ
ラのテーブルが四つ、奥の三畳ほどの部屋に婆さんが座っていた。そばはとも
かく、酒にはありつけそうだった。
 塩豆を肴に燗酒を三合ほどやってから、婆さんに
 「ガーデンタウンってここから遠いの?」
 と聞くと、バスで20分はかかる山の中腹だという。じゃ、あの看板は詐欺み
たいなものじゃないかと言うと、婆さんは聴こえていないふうで、
 「ここに、兵隊さんがおったころは……」と一人でしゃべり始めた。

 ここに兵隊さんがおったころ。それはガーデンタウンのなかったころだ。
「二つ曲がりの辻」という路地があったらしい。小さな地道がクランク状に折
れて続いているらしいのだが、一つ目の曲り角に来ると、どの兵隊さんもその
角を昔、見たような気になるという。新しく赴任してきたばかりの兵隊さんも
いつかどこかで、その辻を曲ったことがあるような既視感に囚われるという。
その角を往くと昔の自分に出会う気がして立ち止まるという。思い切って曲る
と、そこには三輪車が一台放置されている。どの兵隊さんも、その三輪車にな
ぜか乗ってしまうのだった。そして、二つ目の曲り角で、また足踏みをする。
その先を曲れば、今度は自分の未来に出会いそうな恐怖に襲われるのだった。
そこで、二つ目の角を曲る者と引き返す者が現れる。その分かれ目が、戦争で
の生死の分かれ目だったのだという。

 婆さんの話では、二つ目の角を曲った者が死んだのか、引き返した者が死ん
だのか、よく分からなかった。しかし、その「二つ曲がりの辻」は、今のガー
デンタウンのどこかに残っているという。オレは慌てて勘定を済ませ、よろず
屋に戻り、缶ビールをバッグに詰められるだけ詰め、その分かれ目に向かうこ
とにした。

 パステルカラーのおもちゃみたいな、あの小生意気なマルチーズの愛想みた
いな家が延々と建ち並ぶ空間が「アメニティーライフを演出するガーデンタウ
ン」だった。快適な生活を指向する人々にとっては、随分と怪しい人物と思わ
れただろうが、既に酩酊に近いオレは太宰治の描く小説の主人公のように「大
波に飲まれる内気な水夫」にはなれなかった。「二つ曲がり、二つ曲がり」と
空念仏を唱えては、家々を心の中で蹴飛ばし、クランク状の辻を探した。こん
な出来合いの町に既視感も未来もへったくれもない。が、果たして、整然と区
画割りされた新興住宅地の外れにそれはあった。

 崩れかけた石塀の残るその角には電信柱が一本立っていて、電線は薄雲に溶
け込み、その向こうにあるはずの電柱はなぜか見えない。ふらつく足で一つ目
の角を曲ると、三輪車はあった。躊躇はなかった。片足を三輪車のステップに
掛け、もう一方の足で地面を蹴った。グリップをアクセルのように回す。エン
ジンを全開にして、二つ目の角までの永遠を一瞬でたどり着く自分を感じる。
光速の中で時間が往きつ戻りつする。婆さんの語った生と死の境界線が入り交
じり、風景が飴細工のように歪む。光の霧の中を、兵隊さんが隊列を組んで行
進し、あの婆さんの顔が娘に幼子に変容し、分裂し、はるか彼方後方で霧散消
滅していく。万年雪を一秒で、また手に掴まえた雪を一万年掛けて溶かしてい
くような捕らえどころのない不確定な感情の流れ。ハンドルを握るオレの手は
小さくなり皮膚一枚で世界と向かい合う幼児のものだった。皺だらけの年老い
た男とすれ違う。咳き込む老人の背中には見覚えがあった。刹那が永久に彼岸
が此岸に、すべてが交換可能のように思われた。一つ目の角を曲がりどれほど
の時が流れたのか知る由もないが、遠近法によって絞りこまれた一点から、こ
れまで出会ってきた者たちの視線が放射されている。そこでは、視線が風景
だった。見ることは見られることだ。その視線の風景の中にオレがいる。そし
て、オレも一つの視線となって、視線は風景となって、風景は光となって「二
つ曲がりの辻」を折れる。

 ホーと鳥が鳴いた。目を細めて「二つ曲がりの辻」の入り口に立ちすくんで
いる自分がそこにいた。茫洋と酔っていた。一つ目の、二つ目の角を曲っても
何もなかった。三輪車などあるべくもない。クランク状の路地を抜けると、た
だ、整地を待つ野っ原が広がり、その果ては削り取られた山肌の断崖になって
いた。その際まで行き、少し吐いた。涙がでて、風景が滲んだ。苦い胃液が口
中に溢れる。二重写しですべては静止し、自らは輝やかぬ、擦り硝子のような
白い月が浮かんでいるだけだった。

 帰りの電車の中で、オレは白濁した頭で、この電車に乗っている自分自身を
ずっと見つめていたことを思い出していた。それは辞めた小さな印刷工場に勤
めていたときのことだ。二階のトイレから刺激臭のするだらだらとした小便を
しながら窓の外を眺めると、送電線に肩を預けながらいつもこの電車が走って
いくのだった。
 「どうして、オレはあの電車に乗っている自分ではないのだろう」と。
 最寄り駅近くの小さな踏み切りで、男の子が三輪車に乗って、この電車が通
り過ぎるのを待っているのを見た。それは、その男の子がだれであってもかま
わないのと同様に、その踏み切りで待つのはこの酔っ払いでもよかった。風景
のあちらこちらに交換可能なオレは佇んでいた。
 もう一度「二つ曲がりの辻」に行ってみようと思った。
 その時、ホーと鳥がまた鳴いた気がした。
 薄情にも、新しい夜を待つ月は、もう消えていた。

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(あだち・かずまさ)1955年京都生まれ。現在、大阪寝屋川市在住。編集・執
筆業を生業としていたが、アルコール依存症にかかる。現在、リハビリ、アル
バイト、小説を書いて日々を過ごす。

/////////////////////////////////////////////////////////////////////
////// シックハウス //////

      わが家に化学物質過敏症がやってきた(3)
        ―シックハウスから脱出する方法―

                             山口秀也
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 化学物質にからだと神経を蝕まれ、病気を治すという積極的な意欲が湧かな
い妻との諍いを越えて、具体的な取り組みをつづけた結果は…。

■初診後のとりくみ
 妻は、心理的な負荷と、体の痛みやだるさのため、この病気を治そうという
積極的な意欲がすぐに湧いてくるわけもなく、私がそれを辛抱強く励ましなが
ら改善へと取り組んでいった。いちじるしい体調の快復を見た 11月ごろまで
は、激しく落ち込む妻との諍いがよくあり、病気について夜中まで話し合う日
が続いた。結果的にはそれが個々の問題を解決する方向に進んだので、喧嘩も
無駄ではなかったのかもしれない。
 取り組みの端緒は、まず、家中の窓という窓を開け放すという原始的なもの
だった。換気をよくすることで、家中のホルムアルデヒドやトルエン、キシレ
ンそのほか多くのVOC物質(揮発性有機化合物)をできるだけ放出すること
が肝要なのだ。妻と子どもが実家へ避難し、空家状態になってからは 24時間
窓という窓を開け放した。
 7月当初に空気清浄機能つきのエアコンを2台購入し、清浄機能を付け放し
にする。7月の中ごろには、近所に住む妻の両親の厚意により、家族ごと住ま
いを替わってもらった。彼女の実家の旧い木造家屋は通気性からいっても理想
的だった。
 8月のはじめには、階下の3ヵ所に新たに換気扇をとりつけた。各部屋と
も、新しい家具や調度品(靴箱・水屋・食器収納棚・システムキッチン)およ
びクローゼットについて、開けられるものはすべて開けたままの状態に保っ
た。また7月初旬に、F医師に紹介されたA工務店で活性炭を購入、さっそく
車に一袋3kgの活性炭を3つ積んだところ、妻の症状が若干ではあるが軽減し
た。
 食事についてもF医師の進言を受け入れ、試行錯誤ののち、調味料も複数種
類そろえた。食材も、週1回宅配してくれる完全有機無農薬野菜や肉、魚を購
入するようになった。おやつも、できるだけ安全なものを心がけ、つとめて妻
が手作りのクッキーやぜんざいなどを子どもに出すようにしている。食卓では
肉けを極力減らし(週に1〜2回、しかも妻は肉なら1回 30gていど)、野
菜の煮炊きものを中心に、朝と昼に重点をおいて採るようにした。もちろん、
朝はパン食をやめ、カフェインをふくむコーヒー・紅茶・緑茶なども摂らない
ようにしている。飲料は、どれも完全無農薬の、番茶・どくだみ茶・ハブ茶・
すぎな茶・ルイボス茶・柿の葉茶などをなるべく日替わりで飲んでいる。
 そのほか、日々の生活では有酸素運動を心がけ、夜子どもたちを寝かしつけ
てから夫婦で近隣を散歩することにしている。さいわい近所には自然の公園が
あり、散歩のための長いコースが設えてある。これを、行き帰り1時間以上か
けてゆっくりと散歩する。夜、自然の木々に囲まれての散歩は、病気に蝕まれ
たからだや神経、ささくれだった心も落ち着かせてくれた。
 11月に入ってから、地域のコミュニティ誌で「家庭用サウナ売ります」とい
うのを見つけ、格安で手に入れた。化学物質過敏症の治療にも有効だが、彼女
は自分が放出した化学物質を含む汗に反応したのか、かぶれてしまい、いまの
ところ休んでいる。
 新しい電化製品を買うときには、抗菌剤を練りこむなり塗るなりしたものを
避ける必要があった。妻は以前から掃除機をかけるたびに気分が悪くなってい
たため、化学物質が使用してある使い捨てゴミパック式の掃除機を、ゴミパッ
クを使用しないものに替える必要があった。妻は、体調が悪いのをおして店頭
展示品をかたっぱしから試してまわった。結果、そのどれもが妻の気分を悪く
する臭気を放っていたが、ひとつだけ大丈夫なものがあったらしい。
 「これって、抗菌してない?」と妻が聞くと、店員は「もちろん抗菌してま
す。」
と言い、今は抗菌でないと売れないと思ったか、とんでもないというふうに手
を振った。いったん家に帰り、そのメーカーのサービスセンターに問い合わせ
たところ、なんと「この製品については抗菌剤は使用していません」とのこと
だった。念のために別地区のサービスセンターにも電話したが、同じ答えだっ
た。
 私はあらためて妻の嗅覚に脱帽した。

■再リフォーム終わる
 10月も終わろうとするころ、最大の懸案だった本格的な再リフォームにとり
かかった。施工は、活性炭を購入したA工務店。有害な化学物質の使用を可能
なかぎり避けた、自然材を用いた施工をうたう施工会社である。
 活性炭を購入したおりに、私たちの話をていねいに聞いてくれた担当者は、
それから数日と空けずにホルムアルデヒド測定装置をもちこみ、各部屋のホル
ムアルデヒド濃度を測ってくれた。結果は、ほぼどの部屋もWHOの基準値
(0.08ppm)を上回る数値(最も高い数値で0.19ppmだった)を記録した。のち
にトルエンやキシレンほかの濃度も測定してもらった。
 再リフォームの眼目は、ふた部屋ある畳の間を板敷きに替えることと、台所
の天井をやりかえることが中心だった。そのさい、建材に何を使用するかが大
きな問題だった。防虫処理など化学薬品を使用していないことが大前提だが、
工務店の申し出によって、化学物質の含有量の少ないものもふくめていつくか
のサンプルをもってきてもらった。このころ妻は、たとえ無垢材でも針葉樹系
の樹木の放つ匂いにも拒否反応をおこしていたので、檜や杉といったいちばん
ポピュラーなものを選択肢から外さねばならなかった。
 サンプルは、輸入材のホワイトアッシュや、タモの木、いたや楓などの中か
ら選ぶことになった。このときも、それぞれの木の匂いがまざらないように、
細心の注意が払われた。そして、たんねんに匂いを検討した結果、いたや楓の
木を床材として使用することになった。
 10月の末から行われた工事は、畳を上げることから作業が始められた。あら
かじめ不動産屋にシロアリ駆除剤の散布の履歴を問い合わせ、4半世紀以上前
に撒かれていて安全であることを確認するなど念のいった作業となった。一般
に出回っているフローリング材とくらべ、1枚1枚ボンドを使わずに釘だけで
打ちつけていくのでひじょうに手間がかかったが、床の張替えは無事終了し
た。心配していた不快な臭いもせず、私たちは一安心した。
 そのあとのワックスに何を使用するかについても入念に検討を重ねた。自然
素材のものを使うにしても、たとえば「柿しぶ」は臭いがきつすぎ、「蜜蝋
ワックス」を試してみたが、最初に業者にもってきてもらったものには香料が
入っていてだめだった。結局、香料の入っていないものを階下に使用。結果は
上々だったので、さて2階にもと思ったが、ここで妻は食用に使っている「べ
に花油」の使用を提言。これがまたしっとりとしてすばらしいものだった。こ
うしてみると、体に悪いとわかっている化学合成したものをなぜわざわざ使う
のか、夫婦して本当に不思議に思った。
 天井は、天然素材であるしっくいの塗布によりホルムアルデヒドを分解する
という触れ込みのものを、サンプルも取り寄せて十分に検討して使い、押入れ
には調湿機能が高く消臭性にすぐれた火山灰を使用した。

■おわりに
 こうして無事リフォームが済んだ。結果からいえば、とくに畳を取り替えて
からは、それが原因で惹き起こされる症状、とくにじんましんはほとんど出な
くなった。それでも、まだまだ薬への依存度は高いし、突発的な要素で重い症
状がぶり返さないという保障はない。
 今回の闘病をふりかえったときつよく感ずるのは、安全なり健康といった本
来きわめて個人的なことがらに関する情報が、われわれ個人に隠されているこ
とである。安全や健康のキャスティングボードを握っている技術や制度に、専
門性の高い敷居が設定されている。もはや個人の判断のレベルを超えたところ
で成り立ち、かつおびやかされてもいる日常生活を自分たちの手に取り戻すた
めには、矛盾しているがひとつひとつを自分で確かめてから判断する必要があ
る。判らないながらも、じぶんの五感を信じ、医療機関や家電メーカー、食品
メーカーなどにたいして、臆せずに素朴な疑問をぶつけることがだいじなので
はないか。その意味で、当事者である妻が自らの体をセンサーとしてさらけだ
し、それに注意深く耳を傾けるさまには一種の感銘を受けた。
 このような一般に認知を受けていない病気では、まわりの無責任な言動や偏
見の視線に対してどれだけ強くなれるかということと、理解者をそばにおくこ
とがとくに必要であるように感じたこともつけくわえておきたい。(この項お
わり)

[参考文献]ブックガイドとして活用いただければ幸いです。

★入門書(闘病記をふくむ)
『化学物質過敏症』(柳沢幸雄、石川哲、宮田幹夫著、2002年、文春文庫)
『化学物質過敏症 ここまできた診断・治療・予防法』(石川哲、宮田幹夫
著、1999年、合同出版)
『化学物質過敏症 忍び寄る現代病の早期発見と治療』(宮田幹夫著、2001
年、保険同人社)
『室内化学汚染 シックハウスの常識と対策』(田辺新一著、1998年、講談社
現代新書)
『あなたも化学物質過敏症? 暮らしにひそむ環境汚染』(石川哲、宮田幹夫
著、1993年、農文協)
『誰もがかかる化学物質過敏症』(渡辺雄二著、1998年、現代書館)
『化学物質過敏症家族の記録』(小峰奈智子著、2000年、農文協)
『シックハウス対策のバイブル』(日本建築学会編、2002年、彰国社)
『シックハウスよ、さようなら 室内空気汚染から家族を守るには』(中野博
著、2002年、TBSブリタニカ)

★用語解説・事典類
『検証!くらしの中の化学物質汚染』(河野修一郎著、2001年、講談社現代新
書)
『暮らしにひそむ化学毒物事典』(渡辺雄二著、2002年、家の光協会)
『これが正体身のまわりの化学物質 電池・洗剤から合成甘味料まで』(上野
景平著、199年、講談社ブルーバックス)
『明日なき汚染 環境ホルモンとダイオキシンの家 シックハウスがまねく化
学物質過敏症とキレる子どもたち』(能登春男・あきこ著、1999年、集英社)
『シックハウス事典』(日本建築学会編、1999年、彰国社)

★アレルギー一般
『環境問題としてのアレルギー』(伊藤幸治著、1995年、日本放送出版協会)
『暴走するアレルギー アナラフィキシーに負けない本』(角田和彦著、1999
年、彩流社)

★食についての概説書
『安全な食べものたしかな暮らし』(安全食品連絡会編著、1992年、三一書
房)
『イラスト版輸入食品のすべて』(全税関労働組合・税関行政研究会著、1991
年、合同出版)
『食卓にあがった死の灰』(高木仁三郎、渡辺美紀子著、1990年、講談社現代
新書)

★啓発本
『買ってはいけない』(『週間金曜日』別冊ブックレット2、1999年、株式会
社金曜日)
『食べるな、危険!』(日本子孫基金、2002年、講談社)

★環境ホルモン、農薬問題
『環境ホルモン・何がどこまでわかったか』(読売新聞科学部、1998年、講談
社現代新書)
『よくわかる農薬汚染 人体と環境をむしばむ合成化学物質』(安藤満著、
1990年、合同版)
『人体汚染のすべてがわかる本』(小島正美著、2000年、東京書籍)
『危ない化学物質の避け方 アレルギー・ホルモン攪乱・がんを防ぐ』(渡辺
雄二著、2000年、KKベストセラーズ)
『環境ホルモン入門』(立花隆著、1998年、新潮社)

★一般化学知識
『化学反応はなぜおこるか 授業ではわからなかった化学の基礎』(上野景平
著、1993年、講談社ブルーバックス)
『新版 元素の小事典』(高木仁三郎著、1999年、岩波ジュニア新書)

★その他資料
『2000-2001化学物質の危険・有害便覧』(厚生労働省安全衛生部編、2002
年、中央労働災害防止協会)
『五訂食品成分表2002』(香川芳子監修、2002年、女子栄養大学出版部)

★その他関連
『家族が心身症になったとき』(河野友信著、2000年、創元社)

(「いのちジャーナルessence」2003年1-2月号 No.18より改稿転載)

※この文章を「カルチャー・レヴュー」にアップしてもらうべく用意している
5月現在、妻のからだはもうずいぶんと快復に向かっている。いままで病気の
せいでできなかったこともでき、行けなかったところへも足を運べ、もう一生
食べられないとおもっていたものさえも口にできるようになりつつある、とい
うのは、うれしいとしかいいようのないことである。しかし、免疫力の衰えた
からだは、すぐになんらかの不調をうったえる。それらが化学物質過敏症特有
の症状とはかならずしも言えないことから、これからは健康一般といったもの
との付き合いを考える新しいステージに移るべく試行錯誤しているところであ
る。それは、食事のとりかたにせよ、日常生活の送り方にせよ、からだ自身、
たとえば姿勢ひとつとってみても、精神的なことがらにせよ、なにかにつけ
「バランス良く」をこころがけるようにしたいということなのだが、これがい
ちばんむずかしいようだ。ついては、情報の取捨選択には慎重を期している。
世間さまざまに流布している健康にかんする情報にふりまわされ、それらの処
方に拘泥することは避けたいからである。怖がらず、でも侮らず、希望を持っ
てがまずもって肝要ではなかろうか、ということである。

■プロフィール■------------------------------------------------------
(やまぐち・ひでや)京都市出身。メールアドレス:slowlearner02@ybb.ne.j
/////////////////////////////////////////////////////////////////////
////// 音楽/河内音頭 //////

            日本一あぶない音楽
             ―河内音頭断片―

                             鵜飼雅則
/////////////////////////////////////////////////////////////////////

■山……「なかにひときわ悠然と」
 いつ頃からだろうか、通勤時、自宅の玄関を出てすぐ眼に入る山並にほんの
少し目を遣ってから駅に向うのが、私のならいとなっている。
 私の住む大阪の河内と奈良の境を南北に画するそれらの山々は、この夏も何
度か櫓で聞いた河内音頭のマクラの中で次のように歌われている。

 大和河内の国境、生駒、葛城、信貴、二上、なかにひときわ悠然と、そびえ
 て高き金剛の……

 このようにやや強迫的に山の名を並べる音頭の定型フレーズについて、「オ
ンドロジスト」(河内音頭研究家)のひとり、朝倉喬司は書いている。

  音頭取りの心意の深みにおいて、山々の名は歌われているというよりもむ
 しろ、唱えられているのであり、山の呪力を満身にのりうつらせ、カラダを
 歌の動力源と化していくプロセスの一端をなしているはずなのだ。」
      (「河内、湖水の幻影」、『走れ国定忠治』所収、現代書館)

 卓見だと思う。そして、私自身に即して言えば、遠景に生駒連山の山並が見
えている、そのこと自体が、私たち河内に住む者にある種のやすらぎを与えて
くれているように思うのだ。それは、いわば心の拠りどころとも言うべき河内
の原風景なのである。

 秋風や山の見ゆるをやすらぎに  雅則
                  
■「丸」考…浅丸、光丸、小石丸、菊水丸
G様
 昨日はありがとうございました。
 久しぶりにお会いし、大変楽しかったです。
 お借りした鉄砲光三郎のカセットは、「民謡鉄砲節 第2集」として出され
た(一九六〇年代前半)LPをカセット化したもので、全盛時の光三郎の音頭
を楽しめます。独特の弾むような歌声は、当時の人々を熱狂させたのでしょう
ね。
 さて、音頭取り達の名前にどうして「丸」が多いのかという問題ですが、河
内音頭について最も包括的に論じた村井市郎さんの書物(『八尾の音頭いまむ
かし』/八尾市)を見ても、特にふれられていません。
 いうまでもなく「丸」は、「若」、「千代」、「王」などと同じく「童名
(わらわな)」(幼名)ですから、昨日、Gさんがおっしゃったように幼年時
に弟子入りした音頭取り(菊水丸は八歳のとき、父河内屋菊水に弟子入りして
います)の名に「丸」が付けられたというのは一応理解できます。(「丸」に
は、「一人前の人間とみなされていないものに対する蔑称」という意味合いが
あるからです。また音頭の口上の定型フレーズである「お見かけどおりの若輩
で」と同じように、一応自分を卑下して見せるという心性がそこにあるとも考
えられます。)
 けれども、日本の中世期からあった童名の場合ですと、元服(成人)する
と、実名、字といった大人の名前に変ってしまいます。音頭取りの場合、ベテ
ランになって名前から「丸」をとるとか、改名するというようなことはないよ
うですから、問題のポイントは「丸」を付した名前の歴史的意味にありそうで
す。
 童とはイメージ的に遠いアメリカ出身の相撲取りがなぜ「武蔵丸」という四
股名を名乗るのか? 一人前の河内男の音頭取りがなぜ「浅丸」を名乗るのか

 卓越した中世史家である網野善彦さんはその書『中世の非人と遊女』(明石
書店)の中で、中世の非人であった「放免」や「囚守」達が、「童名」である
「丸」を名乗っていたことを指摘した後、次のように書いています。

  童そのものの中に、人の力の及ばぬものを見た当時の社会の見方を背景
に、 こうした童名を名乗る童形の成人も、また神仏の世界につながる特異な
呪的 能力を持つ人と見られていたのではないかと、私は考える。

 さらに、網野さんは、私達が良く知っている船の名だけではなく、鷹や犬の
ような動物、刀剣や鎧甲などの武具、笛、笙、などの楽器が、しばしば「丸」
を付した名前を持っていたこと、そこには「童、さらに童名の持つ呪性」が深
く関っていたことを指摘しています。
 「丸」という名前には、「異形の者」達がもつ「力」が宿っていると考えら
れていたのでしょう。興味深いのは、楽器に童名が付されていたことに関して
の、次の記述です。

  これも音そのものが神仏の世界と俗界を媒介する役割を果たすと考えられ
 ていたことと関係があろう。(前掲同書)

 元来が仏供養の音曲(おんぎょく)だった河内音頭の音頭取り達が、「神仏
の世界につながる」名である童名「丸」を名乗るのは、このあたりに歴史的な
背景があるのかもしれませんね。

 光三郎の「河内十人斬り」、幸枝若の浪曲「河内十人斬り」、いかがでした
か? 昨日、次の三つの河内音頭をダビングしました。
 浅丸「悪名」
 浅丸「浪花侠客伝 薬師の梅吉」
 幸枝若「森の石松」
天童よしみの「天童節 新河内音頭」(抜群にうまい!)と一緒にお渡しした
いと考えています。またお会いするのを楽しみにしております。

■日本一あぶない音楽―三音家浅丸と座頭市の周辺
 私がなぜ河内音頭に惹かれようるになったかと言えば、もちろん八尾に住ん
でいるということもありますが、以前からずっとアメリカの黒人音楽であるソ
ウルやブルースが好きだったということが大きいと思います。
 音楽雑誌「ニューミュージック・マガジン」周辺のソウルフリーク達の間で
は、随分以前から日本のリズム・アンド・ブルースとして河内音頭が熱く論じ
られていました。(註)
 その代表的な論文が、朝倉喬司の「大阪の闇をゆさぶる河内音頭のリズム」
(「ニューミュージック・マガジン」78年10月号)だったのですが、この夏、
これを巻頭に収録した朝倉の本、『芸能の始原に向って』(朝倉喬司、ミュー
ジック・マガジン)や、朝倉を中心とした音頭フリーク達を結集した本、『日
本一あぶない音楽 河内音頭の世界』(全関東河内音頭振興隊篇、JICC出版局
=現・宝島社)を読み、私も河内音頭に目覚めたのでした。
 といっても、河内音頭といえば、子供の頃、テレビのCMで、鉄砲光三郎の
民謡河内音頭(鉄砲節)の一節(「きっちり、実際、まことに、見事に読めな
けれど,八千八声のほととぎす……」)を聴いたことぐらいしかありませんで
したから、まず代表的な「音頭取り」のレコードを探すことから始めました。
 私がまず聴いてみたいと思ったのは、四十二歳で夭折した天才音頭取り「伝
説の浅丸」こと、三音家浅丸でした。彼は河内松原出身の音頭取りでしたが、
朝倉は、追悼文「三音家浅丸の死によせて」の中で、彼についてこう書いてい
ます。

  気合一本の、思い切りのいい歌いっぷりが彼の身上だった。(中略)大仰
 な身振りの全くない、芸を自分だけでかかえこむことを絶対にしない人だっ
 た。(中略)夏になれば、若い衆とライトバンにのりこんで河内の盆おどり
 場をかけめぐり、いつも全力投球で、晴々と歌った。

 浅丸の代表的な音頭が「河内音頭 悪名」(今東光原作)ですが、私はこの
CDと「河内音頭浪花侠客伝 薬師の梅吉」を新世界のレコード店「音楽のナ
ニワ」(このレコード店の存在を知ったこともこの夏の収穫でした。この店で
は現在でもローオン<浪曲と音頭>・レコードのLPが売られているのです。)
で手に入れ、それからというもの一日中彼の唄を聴いていました。
 私の最も信頼する音楽評論家のひとりである藤田正は、日本の音楽レコード
の史上ベスト1にこの「悪名」をあげていましたが、「さもありなん」と思い
ます。こんなに心と身体がゆさぶられる音楽はめったに聴けるものではありま
せん。レコードでさえこんな風なのですから、櫓で行われるライブはすごかっ
ただろうなと思います。
 「悪名」といえば、浅吉、モートルの貞のコンビを勝新太郎、田宮二郎が演
ずる映画が有名ですが、浅丸が河内音頭「悪名」で歌う浅吉と貞の人間像の分
厚さは、この映画の最良の作品(第一作、第二作までの「悪名」)に匹敵する
と私は思います。
 映画「悪名」の第六作目「悪名市場」に、自分が本物の八尾の浅吉であるこ
とを「証明」するために、四国の親分衆の前で、浅吉が河内音頭を歌うシーン
がありますが、さすが勝新、うまいものでした。
 勝新太郎は私の最も愛する役者です。
 この夏、平岡正明の勝新太郎論が出て、さっそく読みました。
 『座頭市 勝新太郎全体論 市ッつぁん斬りまくれ』(平岡正明、河出書房
新社)

 映画「座頭市」全作を縦横無尽に論じた快作ですが、この本によって映画
「座頭市」の原作が子母澤寛の「座頭市物語」であることを知りました。
 これは子母澤寛の随筆集『ふところ手帳』の中に収録されています。それで
早速、古書店を廻り手に入れました。

 『ふところ手帳』(子母澤寛、中央公論社)
 この本の中にある「座頭市物語」はわずか十頁にも満たない小品です。書き
出しは、「天保の頃、下総飯岡の石渡助五郎のところに座頭市という盲目の子
分がいた」です。この小品を基に犬塚稔ら脚本家達がストーリを膨らませて
いって、二十六作にも及ぶ映画「座頭市」が作られたわけです。「座頭市物
語」の背景には、渡世人笹川繁蔵と飯岡助五郎の対立を描いた浪曲「天保水滸
伝」(正岡容原作。昭和初期、二代玉川勝太郎の名調子「利根の川風たもとに
入れて……」によって一世を風靡した)があるというのも、平岡の本で知った
ことでした。映画の第一作「座頭市物語」に天知茂演ずる浪人、平手作酒(ひ
らてみき)が登場し(彼は繁蔵の客分です)、最初は友人だったのが、最後は
宿敵として,助五郎のところに草鞋を脱いでいた市と対決するのもこれで得心
できます。
 子母澤寛の「座頭市物語」には勝新の歌う映画の主題歌で有名になった次の
文句が出ています。

  な、やくざあな、御法度の裏街道を行く渡世だ、言わば天下の悪党だ。…
 映画「座頭市物語」では市は、汚い策略によって繁蔵一家を破り勝利の美酒
に酔う助五郎に対して、このセリフを吐きます。得意の居合斬りで助五郎の
前にすえられた酒樽を一刀両断。見えぬ目をクワッとひらきながら。

(註)河内音頭とリズム・アンド・ブルースやソウルなどの黒人音楽との類似
性は両者ともダンス・ミュージックであること、エイトビートを基本的なリズ
ムとしていることなどいくつか挙げることができるが、最も本質的な共通点
は、どちらもボーカル(音頭取り)の圧倒的な歌唱力の上に成立している音楽
であるという点である。抜群の歌唱力を誇るボーカル(音頭取り)と、太鼓、
三味線、ギターから構成されるリズム・セクションとが櫓の上で繰り広げるス
リリングな掛け合いこそが、河内音頭の醍醐味に他ならない。
            (★La Vue」5号、2001年03月01日号より転載)

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(うかい・まさのり)一九五一年、福岡県に生まれる。会社員。現在は、都は
るみの歌とステージに魅かれている。

●●●●ご恵送本●●-------------------------------------------------

『失語症を解く――言語聴覚士が語ることばと脳の不思議』
 
■関 啓子(神戸大学医学部教授)著・四六判・200頁・定価2000円+税
■人文書院・発行(http://www.jimbunshoin.co.jp/index.html)
失語症は、脳梗塞や脳出血、交通事故などによる脳損傷が原因となって起こ
る言語障害である。ところが、精神病や心理的要因によるもの、痴呆、知能低
下などと誤解されることが少なくない。本書では、失語のメカニズムをやさし
く解説し、その誤解を解く。また妻であり母でもある著者が言語聴覚士として
取り組んできた、失語症を取り巻く諸問題とその克服の試みを、患者とその家
族の気持ちによりそいながら紹介している。失語とともに生きる患者たちの姿
からは、死や「傷害」というものへの向き合い方をも考えさせられる。

/////////////////////////////////////////////////////////////////////
////// 「La Vue」14号のご案内 //////

■掲載内容■ 特集<映画多彩>(03/08/01発行)
 ◎「吉田馨の銀幕の湖国」吉田馨(映画評論家)
   http://www.venus.dti.ne.jp/~yoz/eiga/eiga.kr.con.html
 ◎「映画「夜と霧」の中で」康 守雄
 ◎「抗いがたい現実としての映画」山口秀也
 ◎「映画から届いた「肉声」」橋本康介
 ◎「映画多彩」アンケート回答

■広告協賛:ナカニシヤ出版 http://www.nakanishiya.co.jp/ 東方出版
http://www.tohoshuppan.co.jp/ 解放出版社http://www.kaihou-s.com/ 人文
書院 http://www.jimbunshoin.co.jp/index.html 紀伊國屋書店出版部
http://www.kinokuniya.co.jp/
■協賛:哲学的腹ぺこ塾
    http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/harapeko.html
■後援:ヒントブックス http://homepage1.nifty.com/hint-yf/
■投げ銭価格100円より・B4判・10頁・発行部数10000部
■京阪神地区の主要書店(一部東京)・文化センター・等に配布
■配布情報 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/lavue.html

 本紙は市民の相互批評を目指す媒体として、読者の方々の「投げ銭」及び
「木戸銭」というパトロンシップによって、非営利的に発行しております。
 頒価100円は、読者の方々の「投げ銭」の目安です。
 また本紙を安定的に発行するために、支援会員を募っております。
 年会費一口、600円(13号〜15号までの送料+投げ銭)からの「木戸銭」を
 申し受けております。
■「投げ銭」「木戸銭」は、切手にても承ります。
■郵便振替口座 「るな工房」00920―9―114321

●●●●インフォメーション●-----------------------------------------

  第41回「哲学的腹ぺこ塾」
 ■日  時:03年06月15日(日)午後2時より5時まで
       その後、暫時「二次会」へ
 ■テキスト:ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』
 ■会  場:るな工房/黒猫房/窓月書房(TEL/FAX:06-6320-6426)
 ■会  費:500円

■編集後記■---------------------------------------------------------
★今年の5月で、黒猫はとうとう齢五十の大台に乗ってしまった。これまでの
節目を思い起こすとそれなりの感慨がある。四十にして人生の大転機を迎えた
が、今回はしみじみとしている。この間、何回か大病もして現在も故障だらけ
の体だが、ずいぶん遠くまで来たものだ。この世界に偶然に生まれて、生きて
いること=生かされていることの奇跡を思う。(黒猫房主)

●○●---------------------------------------------------------●○●
  『カルチャー・レヴュー』29号(通巻31号)(2003/06/01)
  ■編集委員:いのうえなおこ・小原まさる・田中俊英・加藤正太郎・
        山口秀也・山本繁樹
  ■発行人:山本繁樹
 ■発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房 E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jp
   http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
  〒533-0022 大阪市東淀川区菅原7-5-23-702
  TEL/FAX 06-6320-6426
  ■流通協力「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/
  ■流通協力「Macky」http://macky.nifty.com
  Copyright(C), 1998-2003 許可無く転載することを禁じます。
●○●---------------------------------------------------------●○●

■申込・解除・変更は下記の(直送版は、るな工房まで)
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■情報提供・投稿は、E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jpまで。
■本誌のバックナンバーは、
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■本誌へのご意見・ご感想・は、下記のWeb「黒猫の砂場」(談話室)
 または「るな工房」までメールでの投稿を歓迎します。
 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
■このメールは半角70字(全角35字)詰めで構成しております。レイアウトの
 ズレがある場合は固定(等幅)フォントで修正してお読みください。

 

◆2003/04/01
 <直送版>『カルチャー・レヴュー』28号

■本誌は<転送歓迎>です。お知り合いの方にご転送ください。その場合は、
著者・発行所を明記した「全頁」の転送であること、またそれぞれの著作権・
出版権を配慮してください。<無断部分転載厳禁>

◆直送版◆
●○●---------------------------------------------------------●○●
 (創刊1998/10/01)               (発行部数約1240部)

      『カルチャー・レヴュー』28号
        (2003/04/01発行)

     発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
         [29号は、2003/06/01頃発行予定です]
●○●---------------------------------------------------------●○●
■目 次■-----------------------------------------------------------
◆アンケート「映画多彩」と原稿募集              編集部
◆映画「夜と霧」の中で                   康 守雄
◆地域貨幣と鹿児島レポート                 岩田憲明
◆わが家に化学物質過敏症がやってきた(2)         山口秀也
◆「La Vue」13号のご案内/ご恵送本       編集部
---------------------------------------------------------------------
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////// アンケート「映画多彩」と原稿募集 //////

Q:いわゆる「名画」とは限らない、私にとって決定的な影響を与えた映画や
想い出深い映画、あなたのお薦めの映画、印象深い映画など3点を挙げてくだ
さい。
A:映画名・監督・その映画についての簡単なコメント(コメントは無くても
可です)。回答者名は、匿名も可です。

★「La Vue」14号(03/08/01発行)では映画の特集を掲載します。
 そこでアンケートと同趣旨の映画を巡るエッセイを募集します。

 ■「La Vue」14号と「カルチャー・レヴュー」にて掲載します。
 ■回答者には、掲載紙1部進呈します。
 ■「La Vue」への原稿掲載者には、掲載紙を10部進呈します。
 ■回答&原稿締切:03/05/15
 ■回答&原稿形態:原則メール入稿(郵送も可)
 ■回答&原稿送付先:るな工房/窓月書房 編集部
 〒533-0022 大阪市東淀川区菅原7-5-23-702
 TEL/FAX:06-6320-6426 E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jp

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////// 記憶と映画 //////

          映画「夜と霧」の中で

                             康 守雄
/////////////////////////////////////////////////////////////////////

 ジャン・リュック・ゴダールは映画版「映画史」の中で、映画を発明した
リュミエール兄弟について語る。
 
 先ず最初に、二人の兄弟の歴史=物語。
 彼らは「日除け」という名前でもありえたのに、「光」つまりリュミエー
 ルという名前だった。
 彼らは瓜二つだったので、その時以来、映画を作るためにはいつも二つの
 ルールがあるのだ。
 
 一つは充たされ
 一つは空になると
 
 このアフォリズム的な言葉からゴダールは、映画の起源、100年の間の作ら
れた作品の果たしてきた事、また果たせなかった映画の欠落部分を「映画史」
で試みる。とりわけ、「収容所」の問題を映画は最大の課題にすべきだったの
に、果たせず行方不明の状態であると述べる。

 今、私の机の前に一冊のシナリオがある(註1)。
 昨年、パリの映画書籍専門店で買ったアラン・レネの「夜と霧」である。ア
ラン・レネは多作な監督であるが、この作品ほど映画的自由を感じるものは少
ないと私には思える。機会があれば、フランス語のシナリオを原文で読みたい
と思っていたので、この本屋の親父が「レネの古いシナリオがあるけど、気に
いるかな?」といって店の奥から、古びて埃の被った1961年発行の冊子を持っ
て来た時、オーと言う声を発してしまったほどであった。
 たった数ページのナレーション原稿テキスト、フィルムにしても32分の長さ
でしかない。でも、私にとって映画と現実を考える上では最良の作品なのであ
る。

 映画版「映画史」の中で、ゴダールは述べる。
 映画は<思い出>では無く、<記憶>されるべきものである。映画にとっ
て、収容所そのものとその中で何が進行していたかを撮った映画作品は無い。
確かに1930年代頃にその予兆はあったし、それは作品化された。
 例えば、ジャン・ルノワールの「ゲームの規則」であるし、チャップリンの
「独裁者」もそうである。またフリッツ・ラングの幾つかの作品も、いつの間
にか市民社会を覆い尽くすファシズムとは何かについて、秀逸なアプローチを
試みているとゴダールは指摘している。

 では、1955年制作であるレネの「夜と霧」はどうだったのか?
 記録芸術をドキュメンタリー形式で撮るという方法を、確かに個人も国家も
集団も知ってはいた。
 それでは、映画作家であるレネ達はアウシュヴィッツ収容所跡地に到着し
て、途方にくれただろうか? そこには夥しい死の跡があるにもかかわらず、
その上を自然は何事も無かったように覆い隠していた。
 しかし、方法はあった。ナチスの残したフィルムと生き延びた人々の証言、
それにレネ達のシナリオである。そして、映画への情熱があった。

 「夜と霧」のシナリオ作家たちは言う。
“この広大な土地に初めて作る収容所の建物を建設するためには、設計士達は
どのような設計を施せばいいのか? それらの建物は想像力に任せられたの
だ。出現したものは、アルプス風、バラック風、何故だか日本風の見張り塔、
見当もつかない建物まである。”(註2)
 収容所が抜かりなく建設されている間、ここで待ち受けている運命について
誰が知っていただろうか? 更に、シナリオ作家達は述べる。
“例えば、アムステルダムの学生でコミュニストのバルガー、ポーランドのク
ラコフの商人のシェムルスキー、毎日を充実して生きていたフランスのボル
ドーの女子高生のアンネット達。知る由もない。何故なら、建設された収容所
は彼等の家から何百キロも千キロも離れていたのだから。到着した者の中に
は、ユダヤ人でもなく、政治犯でもなく、単純な書類のミスからここで最期を
迎えた者もいる。何というミスだ。そして、時間通り列車は夜に到着する。駅
のホームには霧がたちこめている。”
 フィルムでは、何もかもがここで始まったと語る。1941年から1945年にかけ
て「最終計画」が実施されたのだ。

 また最後にシナリオはこう告げる。
“まるでペストから治癒したかのように、我々はこれらのことをある国の、あ
る時にあった事のように考えている。しかし、何時も収容所の扉は開かれてい
て、充分に準備されているのだと叫んでも、誰も聞き入れようとしないの
だ。”(註3)

 そして「夜と霧」から数年後、私もまた、それを見る事になる。
 1960年の冬、叔父が韓国から密航してきて不法滞在で捕まり、九州の「大村
収容所」に入れられた。それから韓国への強制送還処分になるというので、私
は叔母と共に面会に行ったのだ。しかし必要な書類が不備だと言われて面会は
できなかったが、帰り際振り返るとそれがあった。くすんだ建物と鉄条網のそ
れが見えたのだ。
 さらに1961年、中学に入ったばかりの春、教室の中でクラスの一人の少年が
言葉もなく、ただ下を向いて泣いている姿を見る。お互いに言葉も交わしたこ
とのないその少年は、13歳の金君だった。彼は、家族と共に北朝鮮に行くと担
任の教師は告げた。彼のその後の消息はわからず、今の私の乏しい想像力では
絶望的に成らざるを得ない。けれども私は、その時の暗い気持ちで胸が一杯に
なっていたことを、<記憶>している。

 ゴダールのように言ってみよう!
“どの場所も、どの時代も収容所だらけだ。そして、そこを映画に撮ろう!”
(註1〜3) Nuit et Brouillard par Jean Cayrol,1955(引用は、すべて康に
よる日本語訳)

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(Kang SooWoong,カン・スウウン)1948年生まれ。10代は運動、映画、本に夢
中。その後、20代、30代は出版社勤務、40代は商社勤務、ある日いきなり退職
宣言。現在は家業の不動産管理業、その合間を利用してフランス語とヌーヴェ
ル・ヴァーグの映画作家を再勉強中です。年に一度は必ず、韓国の済州道とフ
ランスに行きます。理由は、父親の墓とトリュフォーの墓があるからと妻を納
得させています。

■編集部による作品案内(下記の2作品は紀伊國屋書店から発売中)
★「ジャン=リュック・ゴダール 映画史 全8章」
 JEAN-LUC GODARD HISTOIRE(S) DU CINEMA DVD BOX(5枚組) 最新マスタ
 リング版 ステレオ5.1ch ―映像の美しさ、圧倒的なサウンド、膨大な文字
 情報、DVDの概念を革命した、世界最高のDVD 遂にリリース!― ●特典●完
 全インタラクティヴDVD(登場作品の情報検索=順引き・逆引き=機能)
 映画史に登場する夥しい数の映画、音楽、美術、写真、文学、ナレーション
 の全てがわかる。
【内容】Disc1…第1章=1A 〔すべての歴史〕
 Disc2…第2章=1B〔ただ一つの歴史〕
 Disc3…第3章=2A〔映画だけが〕/ 第4章=2B〔命がけの美〕
 Disc4…第5章=3A〔絶対の貨幣〕/ 第6章=3B〔新たな波〕
 Disc5…第7章=4A〔宇宙のコントロール〕/第8章=4B〔徴(しるし)は至る
 所に〕総合監修:浅田 彰 1998年/仏/268min./仏語DD S5.1chサラウン
 ド/日字幕/C partB&W/片面2層 (c)GAUMONT1998 KKDS-4/\32,000/452
 3215000192/4-87766-174-3/家庭内視聴用 発:IMAGICA 提:フランス映画
 社 バウ・シリーズ作品)映画史日本DVD制作集団2001 映画史翻訳集団2000
 http://www.kinokuniya.co.jp/02f/d12/2_12000l.htm
★「ゲームの規則 La Regle du Jeu」 (デジタル・リマスター版)
 ジャン・ルノワール監督作品Jean Renoir
 最新デジタル・リマスター 永久保存版
 トリュフォーが「映画狂(シネフィル)のバイブル」と讃えた、すべての映画
 ファンに贈る至上の名作/映画史に君臨する巨星、ジャン・ルノワールのオ
 ールタイムベスト!
 ラ・シュネイ侯爵の妻とその愛人、その友人たち。侯爵がソローニュの別邸
 で催す狩猟に全員が集い、密猟監視人と小間使い、密猟人も加わり、映画史
 上有名な狩猟の野から仮装パーティの一夜、思わぬ悲劇につき進む・・・。
 当商品のマスターは、デジタル修復システム「REVIVAL」でリストアし、ク
 リアな映像を極限まで追求した最新デジタル・リマスター版です。
 http://www.kinokuniya.co.jp/02f/d12/2_12000m.htm
★アラン・レネの「夜と霧」はレンタルビデオで鑑賞できます。

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////// 地域貨幣 //////

          地域貨幣と鹿児島レポート

                             岩田憲明
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 先日、1月8−9日にかけて鹿児島に出かけてきました。鹿児島には以前、
公務員時代の職員旅行で行ったことがあるのですが、一人での旅は初めてでし
たので、今回はそのレポートをしたいと思います。前半は、地域通貨「花子」
の実践もされている「萌」さんのレポート、後半は鹿児島一般の印象です。

 この「萌」 というのは児玉病院という病院とその患者さんたちが運営して
いる有限会社です。児玉病院は精神科の病院で、もともとこの会社は精神疾患
を持つ患者さんの治療と社会復帰を考えて始められたようですが、会社として
地元の社会に役立つことを第一の目標として運営されており、現在ではある程
度の黒字も出しているようです。「萌」 の具体的な仕事は手作りの趣味の店
や喫茶店の運営、清掃作業や資源ごみの分別収集、そして便利屋や町づくりへ
の参加など多岐に及んでいます。いずれも地域に根ざし地域のためになること
を目的としていますが、このように地域と一体化することによって、原材料の
買い付けや他の産地との競争などの外部の経済状況に影響されず、また特に銀
行の融資に頼らない独立した経営が成り立っているように思います。

 地域通貨の「花子」 もこのようなコミュニティーネットワークを基盤とし
たものであり、地域間の相互扶助の一環として捉えられているようです。聞く
ところによると、町の人たちと知恵を出し合って、バザーを行なったり、要ら
なくなった物を特定の場所において必要な人に引き取ってもらうサービスをし
ているようですが、案外うまく行っているようです。たまたま、今から試みる
という「無料でさしあげます/ゆずってください」というカードを見せてもら
いましたが、このようなカードをあらかじめ書いて掲示しておけばバザーもよ
り効率的に出来るでしょう。

 精神疾患というと普通には「本来あってはならない」ものと捉えられている
のではないでしょうか。「本来あってはならない」から「病気」とか「疾患」
と呼ばれるのであり、できればそれらは無い方が良いと考えるのが一般的では
ないかと思います。しかし、私は最近必ずしもそうではないのではないかと考
えています。というのも、一見これらの「異常」と見られるものの背後には、
私たちの日常そのものを問い返す意味があるからです。

――弟子たちがイエスに訪ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないの
は、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」 イ
エスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したから
でもない。神の業がこの人に現れるためである。(ヨハネの福音書 9章2−
3節)

 何かの異常は単に異常とされるべきものの部分的な異常を指し示しているも
のとは限りません。むしろ、それを異常としているものの異常を指し示してい
る場合が多いのです。何故いま日本で多くの人たちが自殺をしたり、そこまで
行かなくても「ひきこもり」や鬱病に陥っているかを考えれば、部分的に異常
と思われるものが、全体の異常を指し示しているともいえるでしょう。「萌」
についての今までの経過を記した資料を読むと、いかにこの取り組みを続ける
に際して、寛容さと柔軟さ、そして忍耐強さが必要であったかを痛感します。
翻ってみるならば、これらこそ今の社会に欠けているものではないでしょう
か。

 さて、後半は鹿児島旅行で感じたいろいろな印象です。

鹿児島に着いて最初に私が降りたのは西鹿児島の駅前だったのですが、朝の駅
前通りに出て、不思議な感覚に襲われました。初めての場所ということもある
のでしょうが、どうしても町そのものが異様に古く感じられるのです。それは
建物が古いからではありません。歩いている人の姿をチェックすると、どうも
服装が暗いのです。この時期ですから暗めの服装を着た人は多いのですが、ど
うも違う。それで、よく観察したら次のことが分りました。まず、西鹿児島駅
周辺に3つの小学校があるのですが、この小学校の生徒が制服なのです。交通
安全のために黄色い帽子をかぶっていますが、皆モノトーンの服装です。次
に、女学生の服装に目をやったのですが、アクセントとなる色があまり見られ
ません。たいていは、マフラーやコートにアクセントがあるのですが、それが
見当たらないのです。スカートは長め、マフラーは目立たない程度に短めで
す。一般の人たちのコートの色もかなり暗い色が多く、白や青などの明るい色
はなかなか見当たりません。結果として、町全体がアクセントを欠いた、昭和
の前半の雰囲気を漂わせていました。

 どうも、この傾向は西鹿児島駅周辺で特徴的なようで、後から行った鹿児島
駅周辺ではそうでもない感じでした。また、夕方、鹿児島の繁華街である天文
館の周辺を歩きましたが、一般の人のコートの色がかなり明るめではないかと
いう印象を受けました。西鹿児島のまわりをかなり歩いたのですが、なぜか受
験生を対象とした学習塾の看板が多く見かけられます。現在では鹿児島の中心
は鹿児島駅周辺ではなく、この西鹿児島駅なのですが、どうもここは昭和の雰
囲気そのままの進学校が多く位置しているところのようです。それに対して、
鹿児島駅周辺は広々として対岸に桜島も望むことができます。他にも、鹿児島
の本屋を見てまわったのですが、確か「鹿児島叢書」という名前の本のシリー
ズがあって、郷土関係の本のスペースがかなりありました。いずれにしても、
鹿児島には伝統的に独立の気概があるのではないかと感じました。

 ただ、このような鹿児島県にも来年には新幹線が通るそうです。そのような
状況で今までのような独自性をいかに保つべきかを考えておく必要があるで
しょう。あまり良い例ではないのですが、その意味で興味深い話がありました
ので、ご紹介しておきます。

 鹿児島には鹿児島国際大学というのがあるのですが、この大学で今トラブル
が起こっています。ここでは3人の教授が人事の不正を名目に3月末になって
急遽クビになったのですが、当然この措置に対して裁判が起されています。こ
のようなことは普通その大学にとって相当のマイナスイメージになるでしょう
が、今までは地理的距離もあってこのような無理も出来たのでしょう。しか
し、新幹線が開通すれば、福岡との距離が極端に縮まるわけで、今まで地元の
大学に行っていた学生が福岡に流れることも考えられない話ではありません。
参考までに、この問題に関するサイトがありますので、ご紹介しておきます。
  http://coolweb.kakiko.com/sakanoue/index.html

 全体として私の鹿児島の印象は、強い独自性を持ち、良きにつけ悪しきにつ
け古いものが残っているという感じです。萎縮している今の日本のことを考え
ると、鹿児島にはそのために不可欠な個性とパワーを持っているのは確かで
す。
■プロフィール■-----------------------------------------------------
(いわた・のりあき)哲学者。元大分県庁の公務員で現在はフリーの立場で研
究を進めている。研究分野は文明論からアニメまで幅広いが、その中心には独
自の記号論がある。現在、【哲学茶房のサクサクHP】にてその著述を公開して
いる。http://www.oct-net.ne.jp/~iwatanrk/

●●●●インフォメーション●-----------------------------------------

  「玄  語 ――日本における知識工学の先駆的業績」

  ■A4判・総頁数876頁・上下2巻(CD-ROM付属)
  ■セット価格7000円(税込)
  ■三浦梅園資料館刊 
  大分県東国東郡安岐町大字富清2507-1 〒873-0355
  TEL:0978-64-6311 FAX:0978-64-6310
  http://www.coara.or.jp/~baika/(北林氏のHPで紹介)

江戸中期の思想家三浦梅園の著作『玄語』の訓読編。現代にも通じるハイパー
的階層構造を持つ梅園の主著をその思想に即して玄語図と共に再現。『玄語』
研究の第一人者、北林達也氏編集による画期的労作。

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////// シックハウス //////

      わが家に化学物質過敏症がやってきた(2)
        ―シックハウスから脱出する方法―

                             山口秀也
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 化学物質過敏症と診断された妻。診断の結果、わが家は危険な化学物質だら
け。どこにもいけない、なにも食べられない。夫婦は途方に暮れるが、医師よ
り具体的な処方を教わり、からだと家の改善にとりくんだ。

■わが家の原因物質
 H病院のF医師は、リフォームの箇所や、家の間取り、使用した建材などこ
とこまかに聞き取りを続けていった。結果、つぎのようなものが原因であろう
ことが明らかになった。
 まず、ビニルクロスにふくまれる有機塩素系の可塑剤が問題であること。フ
タル酸エステル類などが、可塑剤や接着剤・印刷インク・殺虫剤などの用途に
用いられ、皮膚や目、粘膜を刺激し、胃腸障害を起こし、中枢神経系の機能低
下をもたらすとある(『2000-2001化学物質の危険・有害便覧』厚生労働省安
全衛生部編、2002年、中央労働災害防止協会)。ビニルクロスを前にした妻の
症状とも合致しているし、印刷物(とくに色刷り)でじんましんができる理由
も半解した。ほかの化学物質についても、基本的にいま挙げた症状のどれかを
有するものと考えてよい。
 つぎにF医師が指摘したのは、畳だった。わが家には、1階と2階にそれぞ
れ一間ずつ畳が敷かれていた。稲わらを使用している畳は、JIS規格により
ダニなどの対策として防虫処理を施すことを義務づけられている。この防虫剤
に使われている有機リン酸系の殺虫剤が問題だったのだ。そして畳のさらに
下、床下にもこの有機リン酸系のシロアリ駆除剤が撒かれている可能性がある
という。妻の場合、この畳がいちばんのネックであろうことがあとでわかっ
た。和室の隣にある居間で寝ていたときも、和室のほうを枕にするかどうかだ
けで、頭痛などの程度が変わってくるほどだった。その強い毒性については、
サリンをはじめとする現代の神経ガスの多くが有機リン酸系の化合物であるこ
とから理解できると思う。
 つぎに、いまやいちばんポピュラーな化学物質といえるホルムアルデヒドの
影響が指摘された。ホルムアルデヒドは、リフォームのさい押入れなどに使用
した合板や、ビニルクロスや接着剤、新しい家具やシステムキッチンに大量に
使用されている。防カビや防腐を目的に使用されているが、いわゆる新建材を
使用したあらゆる家財道具、家電製品に到るまでほとんどに使用されている。
気密性の高くなった住居内は、ホルムアルデヒドが充満しているのだった。

■逃げ場のない新しい家

 F医師はたたみかけるように危険な化学物質を挙げつらった。

「システムキッチンは新しいのん?」「はい」「そら、アカンな」
「化繊の服は着れるか」「痒くて着れません」「そらそやろ」
「蚊取り線香たいてた?」「はい」「あかん、自殺行為や」

 正確には憶えていないが、こんなやりとりが何度もくりかえされた。
 もともと化繊の服は「チクチクする」といって着たがらなかったのだが、製
造加工の段階で化学物質が使われているなら、妻がそれを着用できないのも当
然だった。蚊取り線香はピレスロイド系の農薬アレスリンを主成分として作ら
れている。通常の線香や煙の臭いも彼女には耐えられないものになっていた。
 この医師の逐一の受け答えが化学物質への嫌悪感を帯びていたので少し奇異
に思っていたが、F医師自身(と家族)が過敏症の患者であることがわかっ
た。そのために診察室の窓を開け放していたのだ。F医師にとって、病院とい
う環境もまた苛酷なもののようだ。

■何も食べられない!

 F医師は、妻の食べ物の嗜好についても細かく質問した。どんな化学物質を
口から体内に取り込んでいるかを聞き出し、しかるべき処方を与えるためだ。
 結果、農薬のかかった食材を治療の過程で口にしないように、ということ
だった。医師は、農薬だけでなくあらゆる食品添加物、酸化防止剤や防カビ剤
・発色剤などを避ける必要を説いた。
つづけてF医師は、妻に「好きな食べ物」を尋ねた。妻はパスタ、パン、ケー
キ、コーヒーなどの名前を口にした。すると医師は言下に、「イーストフード
・コネクション」という聞きなれないことばを口にした。化学物質の曝露や食
物やカビの吸入などによって免疫力が低下し、カンジダ(イースト)が増殖す
るためにさまざまな害を引き起こす、というのである。この診断には驚かされ
た。
 しかも、砂糖や大豆や卵も避けるべきだとも言う。じんましんや発疹、便秘
や下痢の諸症状、とくに口内炎には、住環境にくわえてこれらが原因として認
められるというのである。
 好きなものを尋ねたのは、落ち込んでいる患者と世間話でコミュニケーショ
ンをとろうとしたからではなかった。好きなもの、つまりつねに口にしている
ものがすなわちアレルゲン(アレルギーの諸症状を引き起こす原因物質のこ
と)になりやすいのであると。なるほど、一般的にアレルギーを引き起こす食
物としてすぐに思い浮かぶものは、牛乳にしろ、卵にしろ、そして小麦にし
ろ、毎日口にしているものばかりだ。
 F医師も、ヒトは乳糖分解酵素の低さに比して牛乳を飲みすぎであるとい
う。成人であれば1週間に1回、50ミリリットルで十分だといい、学校給食に
警鐘を鳴らした。調べてみると、哺乳類の赤ん坊は母乳にふくまれる乳糖をエ
ネルギー源とするため乳糖分解酵素をもっているが、乳離れすると活性が急激
に落ち、その動物の成体が食べるべきものを消化できるようになるらしい
(『暴走するアレルギー アナフィラキシーに負けない本』角田和彦著、1999
年、彩流社)。
 学校給食についてさらにいえば、数は少ないが、最近は小麦のパンをやめて
米のパンを出している自治体があると聞いた。学校給食で出されるパンがどれ
だけ安全な小麦をつかっているかわからないが、毎日食べること自体にも落と
し穴があるのだ。また、砂糖の摂取によりカンジダなどのカビがふえ、腸の粘
膜が壊されることでアレルギーを誘発するために、採りすぎを控える必要があ
るのである。
 こういったわけで、それからの妻ひいてはわが家の食卓は、かなりの制限を
強いられることになった。小麦がだめなので、てんぷらやフライ(油脂分も制
限を受ける)、お好み焼き、うどん、そば、中華そばなど小麦粉製品はもちろ
んだめである。しょうゆ(大豆)と砂糖をつかわずになんの料理ができるとい
うのか。
 これほど体と精神が疲弊しているにもかかわらず家にも居られない、かと
いって外にも出られない。全快する保証もない。子どもを産むにもリスクが生
ずる。そのうえほとんど普通のものが食べられないとくれば、ヒトのたいてい
の希望は失われる。そうでなくても、このなんの病気かわからない病気によっ
て、人間関係の齟齬まで出ている。
 将来に何の希望も見出せなくなった妻は、体力が限界に近づいていることも
手伝って、診察を受けているあいだじゅう泣いていた。

■具体的な対処法を教わる

 F医師は、こういった患者を数限りなく診てきたらしく、また病気の当事者
だけあってヘタななぐさめのことばをかけることもなく、彼女の病状に対する
的確な処方を示し始めた。これ以降、数回の通院での的確な処方により、私た
ち夫婦は彼に全幅の信頼を寄せることになる。
 まず、住環境については、なるべくなら被曝した家を離れることを勧められ
た。つぎに、家の換気をすぐに行うこと、住宅内の原因物質で取り除けるもの
は取り除いていくこと、早急に取り除けない場合でもそれを減ずる手だてをす
ること、などだった。減ずる手だてとしては室内のホルムアルデヒドを吸着す
る活性炭などを薦められた。
 衣服は、まず綿100%の服を着ること。洗濯には合成洗剤を使わず(柔軟材
はもってのほか)、必ず石鹸洗剤を使用し、新しい服は酢などを入れて最低3
回は洗うことを申し渡された。
 食については、摂取を控えるべき小麦・大豆・砂糖について、代用品をそろ
えるよう指示された。麺類は、うどんや中華そばやパスタはやめて、米ででき
ているビーフンや緑豆が原料の春雨にする。どうしてもうどんなどがほしけれ
ば、低アレルギーの小麦を使ったものや国内産のものを選ぶ。お好み焼きなど
も、低アレルギーの小麦やデュラムセモリナ粉を使う。大豆醤油のかわりに、
魚醤、きびや粟でできた醤油に替える。砂糖はなるべく使わず、オリゴ糖など
を使う。油も、えごま油やグレープシードオイル、からしな油のほか数種類の
油を使い分けること、などなどである。
 調味料以外の食材については、当然、完全無農薬のものが望ましいと言われ
た。最低でも、生協で野菜や肉・魚その他の食材をそろえるべきとのことだっ
た。
 薬は、妻の症状それぞれに対して処方されたので、その数は 10種類近くに
なった。化学物質過敏症そのものに対する特効薬などない。消化管粘膜を保護
し、組織の修復をする「プロマック顆粒」や、湿疹・口角炎・抹消循環器障害
の薬「ニコチン酸アミド」、アレルギー性鼻炎用の「ジルテック錠 」、湿疹
皮膚炎や口内のあれの「ワッサーV顆粒」やビタミンCの薬などである。
これらは妻の症状の変化によって逐次、修正が加えられていった。

■他人との齟齬

 診察のあと、院外薬局で薬と活性炭入りのマスクなどを購入して家路につい
た。放心状態の妻には、将来に対する絶望感と、行き場のない怒りが同時に去
来しているようだった。 運転しながら私は妻に、発症から今日までの自分の
無理解を詫びた。化学物質過敏症に対する無知のせいでしかたのないこととは
いえ、思い返してみると、体の不調を妻の怠け病のせいのように思ったことが
なかったとはいえないことを恥じたのだ。妻は、それに応える気力もないよう
だった。
 それから 10月の末にかけては、まさに病気との闘いだった。病気を体の中
から治すことはもちろんだが、この病気のことを知らない他人とのいくつもの
軋轢をこえていかねばならなかった。
化学物質が脳に作用して情緒面に影響をおよぼす症状、うつ状態やある種の攻
撃性によって、まわりに迷惑をかけることもあった。これには倦まずに説明を
して理解を得る必要があった。
 家族・親族間の問題もまた横たわっている。この病気にかんするあらゆる本
に出てくる事例や周囲のケースを耳にすると、かならず家族や親族との軋轢が
見られる。しかしここでは、家族・親族間では接する時間が長いことや、あけ
すけにものを言う関係が仇になるということや、逆にどうしても過干渉になる
傾向を指摘するにとどめておく。
 身内であれ他人であれ言えることは、その接し方が、「気のせいじゃない
の」という人と、こちらの期待以上に気をつかってくれる人、このふたつに大
きく分かれることである。前者は概して人と違う行動をとることが許せない場
合が多く、根気よく説明するとよけいに神経質のレッテルを貼られ、論拠を明
らかにせず「困ったもんだ」という態度を示される。

■子どもへの影響

 ここで子どものことについても少し触れておく。同じ屋根の下に暮らす私と
二人の子どもたちはどうなのか。はっきりいって、影響が出ないわけがない。
 息子は、越してきてから食事の量が落ち、よく「苦い」と言っては口に入れ
たものを吐き出していた。また、歩いていてもすぐに「疲れた、だっこ」と
しゃがみこむようになった。陽の光をひどくまぶしがる。そして、夜中に急に
起きだして、どこも打った形跡がないのに足のすねの部分だろうか、かなりあ
やふやな足の部位を指差し「足が痛い」と泣くのをなんども目にした。
これらの代表的な症状は、子ども本人が過敏症を発症している場合はもちろ
ん、過敏症を患っている人の子どもに顕著に表れていることがわかった。とく
に最後の症状の妙な符号は私たち夫婦を驚かせ、また不安がらせた。
子どもが学校に上がったとき、シックスクール(校舎に使うワックスや除菌
剤、防虫処理や蚊取り線香、教科書に使われているインクなど)で本格的に発
症しないか、いまはそれが心配である。(この項つづく)
(「いのちジャーナルessence」2003年1-2月号 No.18より改稿転載)

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(やまぐち・ひでや)フリーライター。編集プロダクション「スロー・ラー
ナー」代表。slowlearner02@ybb.ne.jp

●●●●ご恵送本●---------------------------------------------------

「金子みすゞと尾崎翠  一九二〇・三〇年代の詩人たち」

 ■寺田 操著・四六判・254頁・定価2000円+税
 ■白地社 
  〒606-8383 京都市左京区二条通り川端東入る新先斗町133 サンシャイン
  鴨川501 TEL:075-751-7879 FAX:075-751-7519

二〇〇三年四月、生誕百年を迎える金子みすずと、「第七官界彷徨」などの幻
想世界を紡ぐ尾崎翠。大正末〜昭和初期に活躍した同時代の中原中也、宮沢賢
治、尾形亀之助、北園克衛など十二人の詩人たちで紡ぐモダニズム詩人論。

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////// 「La Vue」13号のご案内 //////

■掲載内容(03/04/01発行)
 ◎「たちあがる ことば」寺田 操(詩人)
 ◎「贈ることの宇宙」小原まさる(文化人類学)
 ◎「美って何なんだ〜?」ひるます(漫画家)
 ◎「アカデミズム再考―30年ぶりに大学生になって思い直すこと」
   元 正章(牧師・神学部院生)
 ◎「わかるということ―ある数学の体験」加藤正太郎(教師)
■広告協賛:ナカニシヤ出版 http://www.nakanishiya.co.jp/ 東方出版
http://www.tohoshuppan.co.jp/ 解放出版社http://www.kaihou-s.com/ 人文
書院 http://www.jimbunshoin.co.jp/index.html 紀伊國屋書店出版部
http://www.kinokuniya.co.jp/
■協賛:哲学的腹ぺこ塾
    http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/harapeko.html
■後援:ヒントブックス http://homepage1.nifty.com/hint-yf/
■投げ銭価格100円より・B4判・10頁・発行部数10000部
■京阪神地区の主要書店(一部東京)・文化センター・等に配布
■配布情報 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/lavue.html

 本紙は市民の相互批評を目指す媒体として、読者の方々の「投げ銭」及び
「木戸銭」というパトロンシップによって、非営利的に発行しております。
 頒価100円は、読者の方々の「投げ銭」の目安です。
 また本紙を安定的に発行するために、支援会員を募っております。
 年会費一口、600円(13号〜15号までの送料+投げ銭)からの「木戸銭」を
 申し受けております。
■「投げ銭」「木戸銭」は、切手にても承ります。
■郵便振替口座 「るな工房」00920―9―114321

●●●●インフォメーション●-----------------------------------------

  第40回「哲学的腹ぺこ塾」
 ■日  時:03年05月18日(日)午後2時より5時まで
       その後、暫時「二次会」へ
 ■テキスト:ネグリ/ハート『〈帝国〉』の後半(以文社)
 ■参考資料:「特集 『帝国』を読む」(現代思想、2003.2号、青土社)
       「特集 帝国』」(現代思想、2001.7号、青土社)
 ■会  場:るな工房/黒猫房/窓月書房(TEL/FAX:06-6320-6426)
 ■会  費:500円

■編集後記■---------------------------------------------------------
★過日、アラン・レネの「夜と霧」を観た。たんたんとした映像ながら、記録
=記憶の凄みを感じる。ヒムラーは、「最終計画」を生産的に処理しろと命じ
た。これは工場的発想である。それで、死体の再利用をいろいろと考案するの
だが、ナチはこれを丹念に記録映画として残している。
★収容所の所長は凡庸で勤勉な事務屋であり、忠実に命令に従った。彼は、モ
ノとして人体処理をしたのであり殺意は欠落していたと思う。「イラク戦争/
第二次アメリカ戦争」で、捕虜になった米兵が「イラク人を殺すつもりはなく
命令でやってきた。攻撃があったので、反撃しただけだ」と答えていた(TV
ニュース)。ここでも、殺意は欠落している。しかし、米兵は攻撃によって死
んだ遺体を間近に見たときに、どう感じるだろうか? 人間の死体として見え
るのか、単なる物体として見えるのか?
★一般に大量殺人や無差別攻撃では、人間を殺しているという意識が希薄であ
るか欠落しているのではないだろうか? それが、人間ではなくモノとしての
感受を生み出しているのであろう。このことから、彼らは殺人に対する罪の意
識を感じる契機を奪われている。戦争は、その意味でも人を堕落させる。
★「どの場所も、どの時代も収容所だらけだ」とゴダールは喚起しているが、
私たちが油断をするとそのことに気づかないでいるか、あるいは気づかない振
りをして見過ごしてしまう。(黒猫房主)

●○●---------------------------------------------------------●○●
  『カルチャー・レヴュー』28号(通巻31号)(2003/04/01)
  ■編集委員:いのうえなおこ・小原まさる・田中俊英・加藤正太郎・
        山口秀也・山本繁樹
  ■発行人:山本繁樹
 ■発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房 E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jp
   http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
  〒533-0022 大阪市東淀川区菅原7-5-23-702
  TEL/FAX 06-6320-6426
  ■流通協力「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/
  ■流通協力「Macky」http://macky.nifty.com
  Copyright(C), 1998-2003 許可無く転載することを禁じます。
●○●---------------------------------------------------------●○●

■申込・解除・変更は下記の(直送版は、るな工房まで)
 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/touroku.htmlまで。
■情報提供・投稿は、E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jpまで。
■本誌のバックナンバーは、
 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/review1.htmlにあります。
■本誌へのご意見・ご感想・は、下記のWeb「黒猫の砂場」(談話室)
 または「るな工房」までメールでの投稿を歓迎します。
 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
■このメールは半角70字(全角35字)詰めで構成しております。レイアウトの
 ズレがある場合は固定(等幅)フォントで修正してお読みください。

 

◆Date: Sat, 1 Feb 2003 18:39:57 +0900
 Subject: 直送版『カルチャー・レヴュー』27号

■本誌は<転送歓迎>です。お知り合いの方にご転送ください。その場合は、
著者・発行所を明記した「全頁」の転送であること、またそれぞれの著作権・
出版権を配慮してください。<無断部分転載厳禁>

◆直送版◆
●○●---------------------------------------------------------●○●
 (創刊1998/10/01)               (発行部数約1240部)

      『カルチャー・レヴュー』27号
        (2003/02/01発行)

     発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房
         [28号は、2003/04/01頃発行予定です]
●○●---------------------------------------------------------●○●
■目 次■-----------------------------------------------------------
◆アンケート「映画多彩」と原稿募集              編集部
◆わが家に化学物質過敏症がやってきた(1)         山口秀也
◆「La Vue」13号のご案内       編集部
◆「イラク戦争/第二次アメリカ戦争」から考える       黒猫房主
◆投稿「イラク戦争に関して」/新刊案内『イラクの小さな橋を渡って』
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/////////////////////////////////////////////////////////////////////
////// アンケート「映画多彩」と原稿募集 //////

Q:いわゆる「名画」とは限らない、私にとって決定的な影響を与えた映画や
想い出深い映画、あなたのお薦めの映画、印象深い映画など3点を挙げてくだ
さい。
A:映画名・監督・その映画についての簡単なコメント(コメントは無くても
可です)。回答者名は、匿名も可です。

★「La Vue」14号(03/08/01発行)では映画の特集を掲載します。
そこでアンケートと同趣旨の映画を巡るエッセイを募集します。

■「La Vue」14号と「カルチャー・レヴュー」にて掲載します。
■回答者には、掲載紙1部進呈します。
■「La Vue」への原稿掲載者には、掲載紙を10部進呈します。
■回答&原稿締切:03/05/15
■回答&原稿形態:メール入稿
■回答&原稿送付先:るな工房/窓月書房 編集部
 〒533-0022 大阪市東淀川区菅原7-5-23-702
 TEL/FAX:06-6320-6426 E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jp

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////// 住居問題 //////

      わが家に化学物質過敏症がやってきた(1)
        ―シックハウスから脱出する方法―

                             山口秀也
/////////////////////////////////////////////////////////////////////

 新居のリフォーム中のある日、妻が倒れた。原因不明のさまざまな症状が彼
女を襲うが、どこの病院でも納得のいく診断・治療が得られない。やがてある
医師に告げられた、聞き慣れない病名の正体とは……。

■ビニルクロスで倒れる

 2002年4月のおわりに、築後4半世紀以上たつ中古住宅に引っ越した。新生
活をはじめた私たち夫婦は、ひとときもじっとすることのない、ともにこの夏
3歳と1歳の誕生日を迎える息子と娘に手を焼きながらも、引越しの荷ほど
き、片付けに追われていた。
 しかし、とうに終わっているはずのリフォームの内装工事が、この時点で、
階段の板貼り・ニス塗りをはじめ、浴室・室内のペンキ塗り、壁紙、下駄箱の
設置そのほかが、あまりにも不完全なままだった。
 生活の傍らで工事は断続的に続けられた。7月のはじめ、台所の天井のクロ
スを貼り替えようと業者がビニルクロスを屋内に入れたとたん、そばにいた妻
が立っていられなくなった。直接的な原因とみられるのは、ビニルクロスに含
まれる化学物質だった。
 すぐに私に電話をよこした妻に、クロスはとりあえず持って帰ってもらい、
天井はそのままにするよう伝えた。
 私が家にとって帰すと、妻はぐったりとしていた。これに似た状態は、越し
てきた当初よりまま見られた。さらに言うと、越してくる前に6年間、新築時
から住んでいた賃貸マンションでもまれに見られる光景だった。頭がぼーっと
して、目が痛くなり、腹痛を起こし、下痢と便秘をくりかえす。なにもやる気
が起こらず、眠くてしかたがない。
 妻の状態は数日経っても快方へ向かうどころか、1日のほとんどを寝てすご
さねばならないようになった。そこで妻は二人の子どもをつれて新居を離れ、
近くにある妻の実家へ移ることにした。

■慢性疲労から口内炎まで

 妻は引越してきた当初から、倦怠感・慢性疲労などが顕著だった。もともと
体力には自信がなく、疲れやすい性質だったのにくわえて、小さい子どもを抱
えての引越しの忙しさが彼女を疲れさせたのだろうくらいにそのときは思って
いた。症状があまりにも多岐にわたりしぼりこめないために、二人とも気づく
のがおそかった。以前にもまして集中力がなくなり、もの忘れがひどくなるに
つけ、妻はその違和感を口にした。
 立ちくらみがふえ、数年前から自覚症状のあった目の痛み、とくにそれほど
日差しが強くない日でも「まぶしい」ということばをしきりに吐くようになっ
た。さらに、腰や背中の痛みを以前にもまして訴えるようになり、毎日、わた
しが揉みほぐした。下痢と便秘をくりかえし、胃の痛みを口にした。そして、
ちょっとでも食べすぎたり、脂っこいものを摂ると、皮膚に異常が現れた。局
部、たとえば腰や背中全体が赤くなる、いろんな箇所にじんましんができ、口
内炎が口中に拡がった。おりものがふえた。髪の毛が多く抜けると訴えた妻
は、同時に頭髪が臭くなったとも言いだした。
 以前から敏感だった嗅覚がいよいよ鋭くなり、タバコや香水のちょっとした
匂いを毛嫌いするようになった。耳も遠くなったように感じられた。車に乗っ
て30分もするとすぐに体がだるくなり、眠気が襲ってくる。デパートの靴や化
粧品や書籍売り場などをまわっていると、頭がぼーっとして、すぐに「もう帰
ろう」といった。1年ほど前には、大型の家具店で急に気分が悪くなるという
経験をした。同じころ、駅ぢかに大型のショッピングセンターができた。市立
図書館の分館がその中にでき、さっそく訪れると、妻はたちどころにからだの
不調を訴えた。
 とくに病気を疑わざるをえなかったのは、新聞はもちろん折込広告がそばに
あっただけで気分が悪くなり、それに腕が触れるとその箇所がたちまち赤く変
色するのを目の当たりにしたことだった。また、季節は盛夏に向かおうとして
いるのに妻の手足や体は極度に冷え、クーラーをつけられない、夜も冬布団に
毛布、こたつをつけてもぶるぶる震えるほどになっていた。
 7月になると、妻は朝起きられないどころではなく、1日を通じて起きてい
るのが困難なからだになった。引越しの前後からすでに、子どもたちの世話か
ら家事までできる範囲でサポートしていた私は、このころから3ヵ月ほどにわ
たって、朝起きてから夜子どもたちを寝かせつけるまでの家事いっさいをおこ
ない、夜の8〜9時ごろになってようやく事務所に出かけ、たまった仕事を片
付けて夜中に帰る、そして朝は5時半起床というサイクルをくりかえした。

■専門医を受診する

 6月になって、胃の痛み(とそれにともなう腰と背中の痛み)と、体中にで
きたじんましんについて、それぞれ内科とアレルギー科を受診した。
 アレルギー科では、妻から「シックハウス症候群じゃないでしょうか」と疑
問を口にしたが、「もしシックハウスやったら、換気をよくして、臭いが抜け
ればだいじょうぶなんやないの」と一言ですまされた。この医師はおそらくそ
の後いろいろ調べてくれたのだろう、電話をかけてきて気づかってくれたが、
これ以降も、他人の「気のせい」「神経質すぎる」「抵抗力をつけろ」という
無神経なセリフにさんざん傷つけられることになる。
 また内科では「シックハウス」も「化学物質過敏症」ということばも医師か
らは聞くことができなかった。
 みずからの症状にかたちが与えられないまま、しかし、体の不調はどんどん
悪化していったあるとき、たまたま近所にある大学病院で、そういう症状への
対応に特化したH病院を教えられ、すぐに電話をして出かけたのが7月11日
だった。
 電話口では、その日が初診の受付日であること、受付時間は終わっているが
診てもらえること、病院までの道順を手際よく教えてくれた。ぐったりしてい
る妻を車の助手席に乗せ、病院に着いたのはもう夕方だった。
 時間のわりに込み合っている待合室で長い時間をすごす。妻は病院に入って
きた瞬間からしきりと「消毒液の臭いがきつい」と漏らし、さらに気分が悪く
なったようだった。
 そして……。妻の名前がよばれ、三つあるうちのまんなかのドアを開けて診
察室へ入ると、まず真正面に、真夏であるにもかかわらず開け放たれた窓が目
に入った。当然、冷房など効くはずもない。
 担当のF医師はすぐにデスクから私たちのほうに少し体を開き、うつむき加
減で「どうしました」と問いかけてきた。はっきりとした関西弁特有のイント
ネーション。
 ぼーっとした状態の妻の横から、私が口ぞえしながらおおかたの症状を伝え
た。するとF医師は間を置かず、
「そらアカンな」
と言ったのだった。このあとF医師は淡々と、しかし、あまりにもショッキン
グな妻の病気「化学物質過敏症」のことを話しだした。
 化学物質過敏症とは、「過去にかなり大量の化学物質に接触した後、または
微量な化学物質に長期にわたって接触した後で、次の機会に非常に微量な同種
または同系統の化学物質に再度接触した際に出てくる不愉快な症状」(『化学
物質過敏症』柳沢幸雄・石川哲・宮田幹夫著、2002年、文春新書)である。最
近マスコミでよく耳にする「シックハウス症候群」とは、これらの「不愉快な
症状」の原因が、住宅内の汚染物質に限定される場合をさす、とさしあたり理
解しておいてよいと思う。
 H病院では、発症時のリフォームについて、ことこまかに訊かれたあと、妻
の小さいときからの住環境や食環境についてまで問診を受けた。化学物質過敏
症は、時間を跨ぎ越して発症に至るため、時系列をさかのぼって発症の原因を
探ることが必要になる。また発症の原因と考えられる化学物質の種類があまり
にも多く、その場所の特定も困難なため、時間・空間を横断した、あらゆる状
況を考慮に入れた聞き取りが必要になる。こうなると診察室が、まるで刑事の
取調室のように思えてくる。
 この特殊性が、通常の医療機関ではつねにやっかいな事態をまねく。皮膚が
赤く腫れれば皮膚科を受診し、胃が痛くなれば胃腸科を紹介され、目がおかし
ければ眼科へ、腰や背中が痛くなれば整形外科へ行きなさいと言われて、多岐
にわたる個々の症状は、それぞれの分野で異なる病名をつけられてしまう。そ
の結果、いまだに「化学物質過敏症なる病気はない」といったあつかわれ方を
する。

■ついに交通事故を起こす

 ところで妻は、幼少のころより、卵アレルギーをはじめ、結婚してからもハ
ウスダストのアレルギー数値が高かった(貝類やイカ、生ものでよくじんまし
んがでていた)。もちろん、そのことも今回の化学物質過敏症発症の温床と
なったのだろうし、説明を受けた当初は、この病気がアレルギーの一種である
ことを疑わなかった。
 しかし、それを誤りとする考えがより確かであるらしいことが、妻の症状や
書物によってのちに理解できた。渡辺雄二氏は、免疫反応であるアレルギー
と、「目や鼻、口などの粘膜細胞の直接的な反応といえる。あるいは、有害化
学物質が血液によって各臓器や脳に運ばれ、動悸や頭痛、うつ状態などが起こ
る」化学物質過敏症を分けている(『危ない化学物質の避け方』KKベストセ
ラーズ、2000年)。
 化学的知識の薄い私がこれらのことを実感できたのは、とりもなおさず、妻
の口内炎や目のしょぼつきなどといった、化学物質が粘膜細胞に作用する症状
や、ひどいもの忘れや情緒不安を目の当たりにしたおかげだった。具体例は枚
挙にいとまがないが、ここでは例を二つ挙げる。
 ひとつは、交通事故。妻は、引越ししてしばらくしたとき、家の近所で接触
事故を起こした。幸い双方にケガはなかったが、妻はそのとき「ぼーっとして
いた」と私に打ち明けた。まわりの人間は誰もが妻のたんなる不注意だと疑わ
なかったが、のちに、これも化学物質過敏症のせいであることがわかった。
 からだや神経に作用するさまざまな症状を化学物質過敏症と結び付けにくい
原因のひとつは、それらの症状と原因との因果関係の証明がきわめてむずかし
い、ということにある。
 化学物質過敏症の認知に大きく寄与したとされる石川哲氏は、水平および垂
直方向に動くひとつの目標にどれだけついていけるか(滑動性追従運動とい
う)という実験で、化学物質過敏症にかかった人の目の動きが著しく遅れるこ
とを客観的に証明した。動きのにぶいコンピュータマウスのポインターを想像
すればよいだろうか。妻も目に症状が出ていたことと、さらに慢性疲労や集中
力の欠如、精神不安定といった症状もあいまって事故を起こした、と結論づけ
ることができる。ついでながら化学物質過敏症では、有機リン酸系の神経への
影響などから、海馬や扁桃体といった大脳辺縁系での異常を伴うことがわかっ
てきた。
 もうひとつの例は最近のこと。
 治療によって症状の軽減した妻が、必要があって住民票をとりに役所に出向
いた。帰ってきた妻が、「きょうはカンタンやった」と晴れやかな顔をして
言った。
 じつは、引越し当初も妻は住民票をとりに行ったのだが、そのときは「なに
をどうしていいかわからへんかった」と憔悴して帰ってきたのである。所定の
用紙に名前と住所と目的と枚数を書いてはんこを押して窓口に提出する。こん
なに簡単なことができないほどの異常が彼女の身に起こっていたのだ。
 このようにして、初期の私の誤り、つまり過敏症は広義のアレルギーだとい
う思い込みが、世間一般の人および多くの医療関係者にもあるだろうことを実
感した。それに加えて「過敏症は精神疾患である」という見方が合わさって、
さまざまな偏見や臆断を構造的に生み出しているということにも思い到った。
(この項つづく)

(「いのちジャーナルessence」2003年1-2月号 No.18より改稿転載)

■プロフィール■-----------------------------------------------------
(やまぐち・ひでや)フリーライター。編集プロダクション「スロー・ラー
ナー」代表。slowlearner02@ybb.ne.jp

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////// 「La Vue」13号のご案内 //////

■掲載内容(03/02/01発行)
 ◎「たちあがる ことば」寺田 操(詩人・「関西文学」編集委員)
 ◎「贈る宇宙」小原まさる(在野研究者)
 ◎「美って何なんだ〜?」ひるます(漫画家)
 ◎「わかるということ―ある数学の体験」加藤正太郎(教師)
 ◎「アカデミズム再考―30年ぶりに大学院生になって見つめ直したこと」
   元 正章(元書店人・神学部院生)

■協賛:哲学的腹ぺこ塾
    http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/harapeko.html
■後援:ヒントブックス http://homepage1.nifty.com/hint-yf/
■投げ銭価格100円より・B4判・8〜10頁・発行部数10000部
■京阪神地区の主要書店(一部東京)・文化センター・等に配布
■配布情報 http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/lavue.html

 本紙は市民の相互批評を目指す媒体として、読者の方々の「投げ銭」及び
「木戸銭」というパトロンシップによって、非営利的に発行しております。
 頒価100円は、読者の方々の「投げ銭」の目安です。
 また本紙を安定的に発行するために、支援会員を募っております。
 年会費一口、600円(13号〜15号までの送料+投げ銭)からの「木戸銭」を
 申し受けております。
■「投げ銭」「木戸銭」は、切手にても承ります。
■郵便振替口座 「るな工房」00920―9―114321

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////// <法>と正義 //////

     「イラク戦争/第二次アメリカ戦争」から考える

                             黒猫房主
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 気の利いた書店では、イラク関連本と一緒に世界地図やイラク地図を置いて
いる。湾岸戦争から10年以上が経っているが、国際情勢に詳しくない日本人に
は、イラクとイランの違いもおぼつかない。地理的には遠い国だ。それだけで
はない、どんな国なのかその関心においても遠い。

 さて、私たちは新聞報道等で「イラク戦争」と呼んでいるが、この戦争に反
対している立場も含めて、この呼び方はすでにアメリカ合衆国寄りの視点であ
ることに気づいていない。このことに気づかせてくれたのは、池澤夏樹さんの
メールマガジン「新世紀へようこそ 094」の下記の一文だった。

   新聞を読むのは、自分がこの世界のどのポジションに
  立っているかを確認する作業です。先にぼくは「イラク
  戦争」と表記しました。そう書く一方でぼくは、この書
  きかたはアメリカの同盟国としての日本国の視点だと意
  識していました。イラクの側から言えばこれは「第二次
  アメリカ戦争」ということになるでしょう。個人として
  のぼくはこのポジションをも視野に入れておかなければ
  ならないし、新聞はその手がかりを提供しなければなら
  ない。(http://www.impala.jp/century/index.html)

 どのように名指すかということは、どのように理解しているかを示してい
る。その理解の仕方は、すでにアメリカを中心にして世界を見る態度を暗黙の
内に共有していることである。
 それは軍事的にも金融的にも強大な「力」をもったアメリカを無視して国際
政治を考えることはできない(とくに金融ではドルは国際通貨として基軸の位
置を占めている)ということからも、その態度は仕方なく当然だと思われてい
る。
 そして「既成の事実」はアメリカを中心に世界は動いているが、だからと
言ってそれがアメリカの「行動=権利」がすべて正当化できるという根拠にな
るわけではない。実効的事実が正当性の根拠ではないことを再確認しておこ
う。
 アメリカは、国連決議がなくてもイラクに戦争を仕掛ける権利を持っている
とブッシュは主張しているようだが、その戦争に正当性があるかどうかは別問
題である。この場合、正当性は国際法によって担保されるだろう(絶対平和主
義の立場からは「戦争」それ自体が犯罪だから、いかなる場合も肯定されな
い。)だが、国連および国際法における合意(相互承認)のあり方、正当性の
判断も問題にしなければならない。
 今回の「イラク問題」を討議する場合、いったいどのテーブルで議論がなさ
れているのかが問題だ。アメリカの主張を土台にした議論であり、軍事で脅さ
れて譲歩しているのがイラク側であることは明瞭で、この両者が対称関係にあ
るわけではない(念のために言っておくが、イラクが「正しい」と弁護してい
るわけではない)。
 いわばアメリカは警察官で、イラクは前科者で容疑者という関係である。ま
た裁判官(第三審級者)としての国連決議を無視するならば、アメリカは裁判
官と執行官を兼ねていることになる(カウボウイのリンチを想起しよう)。

 アメリカの言い分はこうだ。「悪の枢軸」としてイラクは世界の脅威「テロ
国家」だから、世界の平和のために事前に叩かなければならない。あるいは核
開発をしているからとか、理由は幾つか捻出している。だが判定するのは、
「正義=法」を標榜する保安官・アメリカなのだ。同時に保安官・アメリカが
軍事でイラクを威嚇するのは、「正義=法」の目的に適って正しい行為だとい
うわけである。威嚇だけならまだしも、脅威や核開発ていどの容疑で戦争が正
当化できるだろうか。
 だがその前に、アメリカこそが世界で最大の脅威(チョムスキーは、アメリ
カこそが最大のテロ国家だと批判している)でかつ最大の核保有国であり、自
国の利益を第一主義にしか考えない帝国主義国家である。
 今回の「イラク問題」も中東におけるアメリカの覇権と石油の利権が狙いだ
と言われている。このアメリカの覇権主義は分かりやすい帝国主義だが、ネグ
リ/ハートの示唆する「帝国」に対して、資本主義的には後退しているとさえ
いえるだろう。
 いま話題の『帝国』(以文社)の共著者マイケル・ハートは期待(皮肉?)
を込めて、次のように言っている。

  「世界中のビジネス・リーダーたちは、グローバルな流通への障碍という
  理由から、ビジネスにとって帝国主義はいただけない選択であることを理
  解している。(…)資本主義的なグローバリゼーションがもつ潜在的な利
  益は、生産と交換の開かれたシステムに依存している。(…)帝国は、支
  配的な国民国家、国際連合やIMF、多国籍企業、NGO、メディアなど
  の国民国家を超える組織、異なった種類の権力によって構成されるネット
  ワークである。(…)この脱中心化されたネットワーク権力である帝国は
  、グローバルなエリートたちの利益に照応している。というのもそれは、
  資本主義的なグローバリゼーションが有する潜在的利益を促進すると同時
  に、潜在的な安全-保安への脅威の置き換えあるいは散逸を果たすからで
  ある。(…)グローバルなエリートたちが長期的な視野に立ってみずから
  の真の利益を理解しさえすれば、彼らが帝国を支持しアメリカ帝国主義の
  いかなるプロジェクトにも拒否を表明するといった選択肢を選ぶ取ること
  は間違いない、と考えている。ここ数ヶ月、おそらくはここ数年、われわ
  れが人類史におけるもっとも暗い時代に読みとった悲劇に直面することに
  なるだろう。もしエリートたちが自分の利害に導かれて行為することがで
  きなければ。」(註1)

 このビジネスエリートを代表しているのが国務省のパウエル国務長官(中道
派=均衡政策)かもしれないが、現在は国防省に押されてタカ派発言に傾斜し
ている(このタカ派発言は、むしろラムズフェルド国防長官ら新保守主義派を
骨抜にきする戦術だという指摘もあるが)。戦争推進派の国防省を掌握してい
るのが、この新保守主義(ネオ・コンサバティブ)といわれる勢力らしい。新
保守主義の戦略は、均衡戦略を捨ててアメリカの言うことを聞かない国はぜん
ぶ潰す、という「アメリカ一強主義」(ユニラテラリズム)だそうである。こ
の辺りの分析は、ジャーナリスト田中宇氏による。(註2)

 さて私は次のように考えている。
 アメリカを中心に思考する態度、それ自体が不当だと感じることが重要だ
(ネグリ/ハートのいう、脱中心的な権力ネットワークの「帝国」が現在の段
階にあるとすれば、その「帝国」を象徴としての「アメリカ的」と読み替えれ
ば、私の考えていることとクロスするかもしれない)。この不当性を忘却/隠
蔽させているのは、すでに(遂行的に)「アメリカ的」を中心に考える態度を
主体化(主権=自発的服従)しているからに他ならない。
 それは、いわば「アメリカ的」な<法>の内部で思考する態度であり、その
<法>によって各国の主権(権利)や個人の主体(生命)が承認されているこ
とを意味している(テロ国家か否か、戦争か否かの判定)。
 しかしこの<法>の内部で行う批判の態度では、その<法>それ自体を批判
できない。<合法的>であることによって、<法>に回収されてしまう。
<法>によって権利は承認されるが、そのことによって境界線が引かれる。法
主体にとって、この境界線は意識できない。実際、新しい権利は法内部に組み
込まれて拡張してゆくので、境界線を欠くように思われる(<法>の目的とし
て普遍性、正義の実現)。
 だから批判とは、この<法>からの逸脱(かつ脱構築)である。何よりも、
アナーキーに生の権利者であること。そして、存在において異議申し立てする
こと。しかし<法>の権利に与らない者の異議申し立ては<非合法>とされ、
その(権利主張)行為は暴力(暴動)とみなされるが。
 それゆえに……レトリカルに言えば、権利は主張されなければならないが、
それゆえに獲得されてはならない。正義は実現されなければならないが、それ
ゆえに実体化されてはならない。「権利/非権利」「正義/不正義」の境界を
宙づりにしつつ決断(脱構築)すること。

(註1)M・ハート「帝国とイラク攻撃」(「現代思想」2003.3月号所収)
(註2)「米イラク攻撃の謎を解く 2002年9月9日 田中 宇」
     http://tanakanews.com/c0909iraq.htm
    「イラク攻撃・イスラエルの大逆転 2002年9月16日 田中 宇」
     http://tanakanews.com/c0916iraq.htm
    「イラク戦争を乗っ取ったパウエル 2002年12月26日 田中 宇」
     http://tanakanews.com/c1226powell.htm

■プロフィール■-----------------------------------------------------
1953年、愛媛県松山市生まれ。3社の出版社を経て9年前に独立。専門書の販
売促進から企画・編集・製作を業務とする「るな工房」と版元「窓月書房」を
営む。隔月刊誌『カルチャー・レヴュー』および評論紙『La Vue』編集
・発行人。「哲学的腹ぺこ塾」世話人。Web「Chat noir Cafe′」の黒猫房主
として、リアルの黒猫房開店を模索中(スポンサー求む)。

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////// 投 稿 //////

 各 位

 「人間の盾」作戦でアメリカ、イギリス等の国の人々がイラク入りするとい
うニュースを聞きました。
 戦争をストップさせるために何が出来るかと問うてみても、有効な手だては
浮かばず、無力な我が身に思い致すだけの状態。
 せめてアメリカがフセインの独裁国家と決め付けるイラクという国を知るこ
とだけでもという思いから、送られて来たメールを転送します。

 最近アメリカという国がますます嫌いになってきています。
 私はさっそくこの本を注文しました。
  S・K  03.01.28(水)

 以下は転送メールです。

 みなさま 2003年も一ヶ月が経とうとしています。
 みなさまその後、お変わりありませんでしょうか。
 さて、本日はご案内でメールさせていただきます。

 本橋成一が、作家の池澤夏樹氏と共著で、小さな本を出しました。
 この本『イラクの小さな橋を渡って』は、昨年の11月に雑誌の取材で訪れた
イラクでのことをまとめたものです。そこで両氏が見てきたものは、いつ戦争
に突入するかわからないという緊張体制の独裁国家、というよりかは、人な
つっこく話しかけてくる人々であったり、食卓に乗り切らない豊かな食事で
あったり、街角であどけなく笑う子供たちでした。この人たちのことを伝えな
くては、そして今しか戦争を止めることはできない、という強い思いから、こ
の本も短い時間の中で刊行するまでに至りました。
 とにかく多くの人に読んでいただきたいということから、値段も1,000円
(税込)に設定しております。
 どうぞみなさまにもご一読いただければ幸いです。そしてお知り合いの方に
もぜひ ご紹介いただければと思います。
 どうぞよろしくお願い致します。
 この本は本日23日から店頭に並びます。

 ポレポレタイムス社(本橋成一)
 http://www.ne.jp/asahi/polepole/times/polepole/index.html

  -------------------------------------------------------------

 ■『イラクの小さな橋を渡って』■
 池澤夏樹・文 本橋成一・写真
 光文社刊/四六判・ハードカバー/定価1,000円(税込)/1月23日発売
 問合先/光文社 文芸編集部 Tel: 03-5395-8174

「開戦」前夜のイラクを、本橋成一の写真とともに池澤夏樹がレポートす
る。……今の報道は政治家たちの駆け引きは詳しく伝えるが、イラクがどうい
う国でいかなる人たちが住んでいるかはまったく伝えない。国民は数ではなく
個々の人生であり、その死は一つの人生の中断であると同時に、家族の悲しみ
と嘆きである。僕が戦争を見る時はそちら側から見る。……(池澤夏樹)

 ★「新世紀へようこそ」メルマガ版のバックナンバーは以下で読めます。
   http://www.impala.jp/century/index.html
 ★「新世紀へようこそ」ドットブック版は以下でダウンロードできます。
  (随時更新中。)http://www.voyager.co.jp/ikezawa/index.html
 ★「新世紀へようこそ」フランス語版
   http://www.cafeimpala.com/registrationF.html
 ★「新世紀へようこそ」英語版
   http://www.cafeimpala.com/subscriptionE.html
 ★池澤夏樹公式サイト「カフェ・インパラ」http://www.impala.jp

  --------------------------------------------------------------
それと関連して

 ■『イラクとパレスチナ アメリカの戦略』■
 田中 宇著/700円+税/光文社新書
 http://www.kobunsha.com/book/HTML/sin_03179_X.html

 中東問題の深奥を多角的に読み解きました。中東問題の本を何冊か読んだが
問題の本質がどうもよく分からない、という方々に。
 また、田中宇氏の「国際ニュース解説」http://tanakanews.com/で、「イラ
ク日記」の連載が読めますので、池澤氏の視点・見解と比較されるとよいで
しょう。(黒猫房主)

   ---------------------------------------------------------------
黒猫さま

 またまた以下のような内容のメールが再転送されてきました。
 内容の真偽は私には検証しようもありませんが、イラクにたいするものすご
い恫喝、脅迫の内容ですね。
 本当にアメリカがこのような攻撃を実行したら、世界中から袋叩きにあうと
私は考えたいが……。
それを考慮してアメリカは実行しないというようになればと祈るのみです。

 いまだに私はアメリカが空爆だと騒ぐたびに、1945年8月14日、15日の前日
に大阪・京橋を中心に米軍による空爆を思い出します。
 通学、通勤途上で、京橋駅近辺にいた人は空爆で殺戮されました。近くに軍
需工場があったからなのですが。しかし、大阪の人でもこの事を知っている人
は少ないようです。
 白旗を掲げて降伏してくるものを背後から撃つというような卑劣な作戦(戦
争とは所詮そういうモノなのでしょうが)。
 反米主義者でないつもりですが、正義の国、民主国家アメリカには別の汚い
側面があるんだなあということをおもい知りました。

 目下アメリカが目論んでいるメール内容のような精度の高い大量殺戮が実行
されても、あの日本・大阪・京橋の8月14日の空爆と同様、多分忘れ去られて
いくのでしょう。

 「人間の盾作戦」は実際にバクダッド入り出来るのでしょうか?新聞には報
道されていないようです。(毎日新聞しか読んでませんが)

 取り急ぎ S.K 03.01.31(金)

  ************************************************************

再転送してください。

米国の対イラク攻撃戦闘計画 ミサイル3〜400 発/日×2

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 以下の記事は、本日、国会で福島瑞穂議員が質問のなかで使用することに
なっています。大変な内容です。転載転送歓迎します。

イラクは米国の大量のミサイル投下に直面する
(ワシントン 2003年1月24日)

 それは「Aデー」と呼ばれている。サダムの兵士たちを戦闘不能にする、あ
るいは戦意喪失させるに十分な壊滅的打撃をイラクに与える空爆を行うから、
airstrikesの頭文字を取ったのだ。
 ペンタゴンが現在の戦争計画を守るなら、3月のある日、空軍と海軍がイラ
ク国内の標的めがけて300〜400発の巡航ミサイルを打ち込むことになる。CBS
ニュースのデビッド・マーティン特派員の報告によれば、これは、第一次湾岸
戦争の全期間40日に投入された数を上回る。
 そして二日目、またもや300〜400発の巡行ミサイルを打ち込むことに、ペン
タゴンの計画ではなっている。
「バグダッドに安全な場所はなくなる」と、この計画の説明を受けたペンタゴ
ンのある役人は語った。
「このような規模の攻撃は前代未聞だし、今までに考えられたことすらない」
と、彼は言う。
 この戦闘計画は、国立防衛大学で開発された「驚きと畏怖」というコンセプ
トに基づいている。それは、ミサイルの力による物理的破壊でなく敵の戦意を
破壊する心理的効果を主眼としたものである。
「彼らが戦闘をやめてしまうことを我々はねらっている。彼らが戦わないこと
をだ」と、「驚きと畏怖」の立案者の一人、ハーラン・ウルマンは、言う。
 このコンセプトは、高精度誘導兵器を多用するのが特徴だ。
「そうすれば、効果は何日、何週間もたって現れるのでなく、すぐに現れ、広
島での核兵器にかなり近いものだ」とウルマンは言う。
 第一次湾岸戦争では、兵器のうちピンポイントの精度で誘導されるものは10
%だった。今度の戦争ではそれが80%になるという。
 空軍は、通常の精度のひくい爆弾を、衛星で誘導される爆弾に変えるため、
こうした誘導キットを6000個、ペルシャ湾に蓄えている。そんな兵器は、第一
次湾岸戦争のときには存在しなかった。
「バグダッドにいる将軍の指揮下の30師団が突然消されてしまうのだ。都市も
破壊される。つまり、彼らから権力と水を奪うことができるのだ。2日か3日か
4、5日で、彼らは、物理的にも情緒的にも心理的にも力尽きてしまう」と、ウ
ルマンはマーティンに語った。
 前回のときは、米国は機甲部隊をクウェートに送り込み、第二次大戦以来最
大の戦車戦で、イラクの共和国防衛軍の精鋭師団を圧倒した。このときの標的
は、イラク陸軍ではなく、イラク指導部だったのであり、戦闘計画は、可能な
場合はイラクの師団を回避するように考案されていた。
「驚きと畏怖」作戦が奏効すれば、地上戦は行われないだろう。
 ブッシュ政権の誰もがこの作戦が成功すると思っているわけではない。ある
高官はこれを「馬鹿げたことの寄せ集め」と呼んだが、戦争計画が そこのコ
ンセプトにもとづいて立てられていることは認めた。
 昨年のアフガニスタンにおけるアナコンダ作戦で、アルカイダが進んで死ぬ
まで戦ったのは、アメリカにとって予想外のことだった。イラク戦争でアメリ
カは、増援部隊を投入して、古いやり方で戦わなければ、共和国防衛軍に勝つ
ことは出来ないかもしれず、それはアメリカとイラクの双方の犠牲がいっそう
多くなることを意味する。               (訳 萩谷 良)

(★原文の英文は割愛しました。/編集部)

■編集後記■---------------------------------------------------------
★池澤夏樹さんの新刊『イラクの小さな橋を渡って』を読んだ。写真家・本橋
さんのカラー写真が扉に数葉、あとは本文中にモノカラーの写真が数頁おきに
あり、文章と相まってイラクの人々や町の様子を伝えてくれる。子供達の目は
輝いて笑顔はステキだが、裸足の子供が多いのは経済制裁のせいだろうか。
2001年、国連はこの経済制裁によるイラクの死者数を150万人と推定し、この
うち62万人が5歳以下の子供だったと報告している(p30)。
★池澤さんの動機は明解だ。「イラクのことを考えて。もし戦争になった時
に、どういう人々の上に爆弾が降るのか、そこが知りたかった。メディアがそ
れを伝えないのであれば自分で行って見てこようと思った。」(p23)この発
想は、P・ハントケ『空爆下のユーゴスラビアで―涙の下から問いかける―』
同学社、2001年)に通じる。統計数字で知る世界とは違って生身で感じる共生
感が、この二著にはよく現れている。            (黒猫房主)

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  『カルチャー・レヴュー』27号(通巻30号)(2003/02/01)
  ■編集委員:いのうえなおこ・小原まさる・田中俊英・加藤正太郎・
        山口秀也・山本繁樹
  ■発行人:山本繁樹
 ■発行所:るな工房/黒猫房/窓月書房 E-mail:YIJ00302@nifty.ne.jp
   http://member.nifty.ne.jp/chatnoircafe/index.html
  〒533-0022 大阪市東淀川区菅原7-5-23-702
  TEL/FAX 06-6320-6426
  ■流通協力「まぐまぐ」 http://www.mag2.com/
  ■流通協力「Macky」http://macky.nifty.com
  Copyright(C), 1998-2003 許可無く転載することを禁じます。
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UP: 20030105,0403,0805
『カルチャー・レヴュー』  ◇雑誌
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