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人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)『バクバク』

人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)

last update:20110614

■このページの内容

 □『バクバク』No1-No60までの目次
 □『バクバク』からの引用
 □『バクバク』に関する言及
 □リンク



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□目次

『バクバク』のページでは、人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)が発行する『バクバク』の61(2004年12月10日発行) 以前の号の目次と一部の内容を掲載しております。61号以降の目次と内容に関しましては、 バクバクの会ホームページにて ご覧いただけます。

◆『バクバク』1 19890521 
 ◇「バクバク」の創刊に寄せて 淀川キリスト教病院小児科 船戸 正久
 ◇はじめに 平本 弘冨美
 ◇長期外泊、在宅をめざして 吉岡 由美子
 ◇夢にも思わなかった外泊が実現した 平本 美代子
 ◇私たちの子どもたち、よろしくね!

◆『バクバク』2 19890721 
 ◇入学式に参加して 石黒 潮美
 ◇達也が退院してから フレーク 美香子
 ◇どんどん外に出て行きたい 田村 圭子
 ◇2週間の外泊予定が3週間に 吉岡 由美子
 ◇楽しかった昼食会 平本 美代子

◆『バクバク』3 19891003 
 ◇「第1回・こども難病シンポ」に参加して 平本 弘冨美
 ◇1ヶ月の外泊退院を終えて 吉岡 由美子
 ◇家族と共に――歩の夏休み 平本 美代子
 ◇剛へ 「お誕生日おめでとう」 越知 伸子

◆『バクバク』4 19891215 
 ◇訪問レポート 石倉匡博くんをたずねて 吉岡 由美子
 ◇これからも姉妹仲良く 井本 正子
 ◇今まで一番安定した外泊(11月18日〜19日) 田村 圭子
 ◇在宅療育をめざして 平本 弘冨美
 ◇寄稿 バーベキューで弾みがついた 中野 真澄・学
 ◇訪問看護について 淀川キリスト教病院・保健婦 高沢 洋子

◆『バクバク』5 19900220 
 ◇4月から在宅します 平本 弘冨美
 ◇オヤジたちの新春放談会
 ◇もうすぐ2年生 石黒 潮美
 ◇しほりのお正月 吉岡 英隆・由美子
 ◇外泊の総決算 平本 美代子
 ◇寄稿 4年間を振り返って 中祖 恵美子

◆『バクバク』6 19900521 
 ◇歩ちゃん退院おめでとう 主治医 島田 誠一
 ◇歩ちゃん、退院おめでとう! 鈴木 美智子(歩ちゃん担当看護婦)
 ◇歩の在宅レポート(1) 平本 弘冨美
 ◇これからも勇気と自身をもって 片平 さよ子
 ◇手抜き、万歳! 吉岡 由美子
 ◇寄稿 ひとりの女の子として 佐藤 温子
 ◇寄稿 ♪♪ただいま授業中♪♪〜靖君との1年〜 佐森 幸一
 ◇「バクバクの会」入会の呼びかけ

◆『バクバク』7 19900810 
 ◇「第2回こども難病シンポジウム」に参加して 吉岡 由美子
 ◇新しい入会者の紹介(作成者)
 ◇5泊6日に挑戦 田村 圭子
 ◇歩の在宅レポート(2) 平本 弘冨美

◆『バクバク』8 19901027 
 ◇家族みんなでにぎやかに 阿部 良子
 ◇「第3回こどもの難病シンポジウム」参加報告
   第1分科会 「在宅療養における家族の問題点」に参加して 古田 敦子
   第2分科会 「在宅療育での経済問題」に出席しての報告 大塚 葉子
 ◇新会員より 多くの課題、でも頑張ろう!! 山室 まこと・求女
 ◇在宅、じっくり考えて 新徳 順子
 ◇現実から逃げないで 宮地 健二
 ◇在宅へのONE STEP!念願の自宅への外出!! 河合 東
 ◇私の工夫
 ◇歩の在宅レポート(3) 平本 弘冨美

◆『バクバク』9 19910115 
 ◇特集:入院中のQ・O・Lを考える(1) 人工呼吸器をつけた子の実態調査報告
   1、面会について
   2、付き添いについて
   3、親と子の関わりについて(親がしてやれるケア)
   4、療育面での医師、看護婦の関わりについて
   5、散歩について
   6、院内保育、就学について
   7、外出・外泊について
   8、在宅について
 ◇新会員より 呼吸器をつけてよかった 浦野 明美
 ◇歩の在宅レポート(4) 平本 弘冨美

◆『バクバク』10 19910520 
 ◇しほりちゃん、退院おめでとう 島田 誠一
 ◇新生活のスタート 吉岡 由美子
 ◇意思伝達手段としてのパソコン入門 河合 慶子
 ◇歩の在宅レポート(5) 平本 弘冨美

◆『バクバク』11 19910824
 ◇育子ちゃん、がんばって 藤田 之彦
 ◇秘めた可能性 峰 久美子
 ◇小山育子さんを担任して 吉瀬 正則
 ◇在宅一年経過 小山 孝・龍子
 ◇新聞記事「人工呼吸器使用者に希望――一人暮らし始めて1年」
      「瞳は輝いた――呼吸器をつけた晃ちゃんの5年」

◆『バクバク』12 19911020 
 ◇第一回総会の報告
 ◇総会に参加して 林 佳代子
 ◇在宅1年を振り返って 阿部 良子
 ◇念願の退院 大塚 葉子
 ◇第6会こどもの難病シンポジウム報告 古田 敦子
 ◇人工呼吸器をつけた子の親の会――会則

◆『バクバク』13 19920426 
 ◇在宅人口換気療法を施行している子の就学(在学人工換気療法)を前にして 島田 誠一
 ◇積極的に生きる 吉岡 由美子
 ◇歩の在宅レポート(6) 平本 弘冨美
 ◇第7回 こどもの難病シンポジウムに参加して 大塚 隆司
 ◇家族は一緒が一番 新徳 順子
 ◇電車とバスに乗ったよ 吉岡 由美子
 ◇中部支部を結成しました 古田 敦子
 ◇新聞記事「人工呼吸器をつけて 歩ちゃん入学」他

◆『バクバク』14 19920802 
 ◇医大がはじまっていらいの訪問教育 宮地 明代
 ◇在宅での諸問題、これからひとつひとつ 田中 クミ
 ◇夢の在宅療養スタート 堀 香津代
 ◇ついに退院が決まりました 河合 慶子
 ◇コミュニケーションについて 大城 克彦
 ◇資料 在宅人口呼吸器貸付事業実施要綱(兵庫県)
 ◇新聞記事

◆『バクバク』15 19921213 
 ◇第二回定期総会の報告
 ◇総会議案(1)91年度活動のまとめ
 ◇総会議案(2)92年度活動方針
 ◇総会に参加して
 ◇花の東京珍道中記 折田 みどり
 ◇光弘なりの成長を信じて 池田 トモ子
 ◇歩の在宅レポート(7) 平本 弘冨美
◇新聞記事

◆『バクバク』16 19931015 
 ◇92年度活動総括
 ◇93年度活動方針
 ◇あなた発Love Letter
 ◇トピックス
 ◇事ム局通信
 ◇新聞記事

◆『バクバク』17 19931210 
 ◇東京ディズニーランドレポート エリナちゃんと雄喜くんのミッキーとミニーに会えたヨ!!
 ◇支部報告
 ◇協力して下さった皆様へのお礼と御報告 鈴木 真知子
 ◇生きて生きて生き抜くこと 酒井 英夫
 ◇あなた発Love Letter
 ◇トピックス
 ◇私のくふう
 ◇事ム局通信

◆『バクバク』18 19940220 
 ◇顧問・相談役の先生の紹介
 ◇新聞記事
 ◇第12回こどもの難病シンポジウムに参加して 大塚 孝司
 ◇支部報告
 ◇私のくふう
 ◇あなた発Love Letter
 ◇トピックス
 ◇新聞記事
 ◇事ム局通信

◆『バクバク』19 19940430 
 ◇みんなピカピカの一年生
 ◇ある旅立ち(広報あつぎより転載)
 ◇顧問紹介
 ◇支部報告
 ◇私のくふう
 ◇ポスト
 ◇新聞記事
 ◇事ム局通信

◆『バクバク』20 19940620 
 ◇第4回定期総会(94')のご案内〜輝きながら生きるためにみんなで考えよう〜
 ◇中部支部旅行記
 ◇特集 コミュニケーション
 ◇新聞記事
 ◇支部報告
 ◇ポスト
 ◇私のくふう
 ◇「在宅人工呼吸指導管理料」が大幅に改正
 ◇事ム局通信

◆『バクバク』21 19940815 
 ◇歩の在宅レポート(8) 平本 弘冨美
 ◇支部報告
 ◇私のくふう
 ◇ポスト
 ◇新聞記事
 ◇事ム局通信

◆『バクバク』22 19941120 
 ◇93年度活動総括
 ◇94年度活動計画《入院分科会報告》 大塚 孝司
         《在宅分科会報告》 吉岡 由美子
 ◇総会を終えて 平本 弘冨美
 ◇支部報告
 ◇訪問学級から普通学級へ 小山 龍子
 ◇トピックス
 ◇ポスト
 ◇私のくふう
 ◇事ム局通信
 ◇新聞記事

◆『バクバク』23 19950220 
 ◇兵庫県南部地震についてのお礼とお願い
 ◇今年の抱負を一挙大公開
 ◇支部報告
 ◇浩平くん第10回障害者ありのまま記録大賞大坂誠奨励賞受賞おめでとう
 ◇パワフルメッセージ
 ◇私のくふう
 ◇「トピックス:人工呼吸器のレンタル事業開始」
 ◇新聞記事

◆『バクバク』24 19950430 
 ◇「兵庫県南部地震における実態調査」の報告
 ◇ぼくもわたしもいちねんせい
 ◇パワフルメッセージ
 ◇病室からの春夏秋冬 第1回 開かれた入院生活を目ざして… 今井 隆裕
 ◇支部報告
 ◇私のくふう
 ◇トピックス 国内線のベッド料金値下げ
        Make-A=Wish Foundation

◆『バクバク』25 19950713 
 ◇第5回定期総会のご案内
 ◇DIARY 佐藤 きみよ
 ◇輝きながら今を生きるためにX〜人工呼吸器をつけて地域で生きる〜集会報告 佐藤 温子
 ◇平本歩ちゃんの在宅5周年の報告 平本 美代子
 ◇新聞記事
 ◇支部報告
 ◇「被災者からのお手紙の紹介」
 ◇ぼくもわたしもいちねんせい
 ◇《参考資料》阪口エリナの就学に関するお願い
 ◇病室からの春夏秋冬 第2回 私と人工呼吸との日々過去から現在、そして未来へ… 今井 隆裕
 ◇パワフルメッセージ
 ◇近況報告
 ◇新聞記事 「ネットワークで元気」

◆『バクバク』26 19950825 
 ◇5年間の活動総括と今後の方針
 ◇支部報告
 ◇立山登山報告No3
 ◇私のくふう
 ◇病室からの春夏秋冬 第3回 大阪の集会に参加して 今井 隆裕

◆『バクバク』27 19951030 
 ◇95年度総会記念講演 人工呼吸器をつけた子どもたちの生きる権利と子どもの権利条約 大谷 恭子 弁護士
 ◇こどもの権利条約(参考資料)
 ◇支部報告
 ◇新聞記事
 ◇近況報告
 ◇病室からの春夏秋冬 第4回 障害という言葉はいらない、個性と言えばいい 今井 隆裕

◆『バクバク』28 19951220 
 ◇親と看護婦における子ども状態診断に関する認識の比較――その子の見方 滋賀医科大学・看護学科 鈴木 真知子
 ◇バクバク27号 大谷恭子先生の総会記念講演を読んで
 ◇支部報告
 ◇今回の経験を日々の実践に生かしたい 藤本 信也
 ◇病室からの春夏秋冬 札幌行きに向けて、今… 今井 隆裕
 ◇ポスト
 ◇パワフルメッセージ
 ◇私のくふう
 ◇近況報告

◆『バクバク』29 19940430 
 ◇歩の在宅レポート(9) 平本 弘冨美
 ◇私のくふう
 ◇支部報告
 ◇病室からの春夏秋冬 第6回 短歌と入院生活 今井 隆裕
 ◇パワフルメッセージ
 ◇近況報告
 ◇新聞記事「ぼくは頑張ってる――難病と闘う郁雄君の手記」1-8


◆『バクバク』30 19940430 
 ◇わたしをスキーにつれてって 佐藤 裕英
 ◇『ビリ ビリ ビリッ』 佐藤 温子
 ◇歩ちゃんの日記から
 ◇中部支部の知多一泊旅行 電車に乗ったよ! 竹原 佳代
 ◇支部報告
 ◇病室からの春夏秋冬 第七回 遺伝子医療に思うこと 今井 隆裕
          第八回 入院生活と私――心の成長をめぐる考察 今井 隆裕
 ◇ご卒業・ご入園・ご入学 おめでとう特集
 ◇パワフルメッセージ
 ◇トピックス 平本歩ちゃん、吉岡しほりちゃん親の付き添いなしで自然学校へ
 ◇ポスト
 ◇近況報告
 ◇新聞記事「ぼくは頑張ってる――難病と闘う郁雄君の手記」9-11


◆『バクバク』31 19960724 
 ◇歩の在宅レポート(9)つづき 平本 弘冨美
 ◇人工呼吸器をつけたカッレ・キョンキョラ氏(DPI世界評議会議長・フィンランド)との交流会を終えて 藤本 浩子
 ◇パワフルメッセージ
 ◇支部報告
 ◇病室からの春夏秋冬 第八回 入院生活と私――心の成長をめぐる考察(2) 今井 隆裕
 ◇アンケート調査の集計結果(子どもを介護する母親について)
 ◇新聞記事「ぼくは頑張ってる――難病と闘う郁雄君の手記」12-13

◆『バクバク』32 19961115 
 ◇林間学舎の報告
 ◇林間学舎の取り組み
 ◇歩の在宅レポート(10) 平本 弘冨美
 ◇96年度総会(第6回)議案 活動総括と方針
 ◇シンポジウム テーマ 人工呼吸器をつけた子のQ・O・Lを考える ”輝きながら今を生きるために”(抜粋)
  《バクバクの会基調》バクバクの会会長 平本 弘冨美
  《医療者の立場から》東京大学医学部小児科医 榊原 洋一
  《教育者の立場から》広島市楽々園小学校教諭 高橋 厚子
  《親の立場から》「入院中(急性期)における子のQ・O・L」バクバクの会広島県 穏土 ちとせ
          「入院中(急性期から慢性期)における子のQ・O・L」バクバクの会倉敷市 西村 由美
          「在宅における子のQ・O・L」バクバクの会倉敷市 秋山 淳子
  《支援者の立場から》川崎福祉大学4回生 土居 政明
 ◇総会を終えて 中国支部幹事 井桁 陽子
 ◇支部報告
 ◇病室からの春夏秋冬 第10回 札幌旅行日記(1996.07.10〜13) 今井 隆裕
 ◇ポスト
 ◇近況報告
 ◇私のくふう
 ◇新聞記事「ぼくは頑張ってる――難病と闘う郁雄君の手記」14-15


◆『バクバク』33 19970225 
 ◇あれから2年 被災地は今
 ◇医療的ケアに関する保護者アンケート調査報告 全国訪問教育研究会事務局 下川 和洋・谷 みどり
 ◇支部報告
 ◇近況報告
 ◇人工呼吸器をつけた佐藤きみよさんをアメリカへ!(カンパのお願い)
 ◇病室からの春夏秋冬 第11回 東海4県障害者の集いに参加して 今井 隆裕
 ◇洋平通信
 ◇パワフルメッセージ
 ◇論文「在宅人工呼吸療養児における安全性に関する研究」 長谷川 美津子・輪湖 史子・牛込 三和子・川村 佐和子
 ◇新聞記事「ぼくは頑張ってる――難病と闘う郁雄君の手記」16-19


◆『バクバク』34 19970720 
 ◇あれから2年 被災地は今 2
 ◇支部報告 13
 ◇人工呼吸器を装着した子どもへのコミュニケーション支援(研修報告書) 丸尾 多佳子 17
   ◇第1回 コミュニケーション研修会報告 丸尾 多佳子 45
   ◇子どもの意欲を育てるコミュニケーションを考える 丸尾 多佳子 48
   ◇パソコンを使った表現手段の獲得について 小笠原 裕 56
 ◇春夏秋冬 今井 隆裕 62
 ◇私のくふう 64
 ◇近況報告・トピックス 66
 ◇記事 75
 ◇定期総会のご案内 82
 ◇情報BOX・カンパお礼・追悼・編集後記 84


◆『バクバク』35 19971115 
   ◇1997年度総会議案 2
 ◇総会に参加して 鈴木 真知子・浜田 裕一 6
 ◇バクバクの会アンケート調査報告 7
 ◇支部報告 41
 ◇介助犬レックスとスコット君を招いて 藤本 浩子 44
 ◇病室からの春夏秋冬 今井 隆裕 48
 ◇パソコンのソフト紹介コーナー 50
 ◇記事 53
 ◇パワフルメッセージ 丸地 雅夫 54
 ◇近況報告・追悼 56
 ◇情報BOX 榊原 洋一 58
 ◇バクバクっ子のための福祉・保健ホットライン始まる 59
 ◇カンパお礼・編集後記 60


◆『バクバク』36 19980322
 ◇アンケート調査報告の考察 3
 ◇入院中の子のQ.O.Lを考える 大塚 淳子 11
 ◇パソバソランド 鍔本 幸雄・弥宏 14
 ◇支部報告 16
 ◇1996年度会計報告・1997年度予算 18
 ◇人工呼吸器をつけた子どもたちのための福祉・保健なんでも相談 19
 ◇春夏秋冬 今井 隆裕 22
 ◇パワフルメッセージ 酒井 英夫 24
 ◇ポスト 27
 ◇近況報告 28
 ◇情報BOX 34
 ◇人工呼吸器LP6ご使用のお客様各位 37
 ◇講演会案内 《学校教育で親の付き添いをなくすために》 38
 ◇記事 39
 ◇日本小児神経学会総会 公開シンポジウム案内佐藤きみよさんのアメリカ行き報告会案内 43
 ◇記事 46
 ◇追悼・カンパお礼 47
 ◇編集後記 48


◆『バクバク』37 19980712
 ◇入院中の子のQ.O.Lを考える 穏土 ちとせ 3
                斎藤 恭子 8
 ◇旅行カバンに呼吸器つめて〈バクバクっ子旅行記〉 森田 望・由紀子 10
  日比 篤・ゆかり 12
 ◇第40回日本小児神経学会総会公開シンポジウム報告 14
 ◇支部報告 22
 ◇人工呼吸器をつけた子どもたちのための福祉・保健なんでも相談 24
 ◇とつげきバクバクっ子 きいてよ!!わたしのホ・ン・ネ 平本歩 26
 ◇記事 28
 ◇パソバソランド近況報告 新徳順子 29
 ◇情報BOX 37
 ◇第8回定期総会のご案内 41
 ◇カンパお礼・追悼・あとがき 44


◆『バクバク』38 19980815
 ◇講演会への参加のお願い 3
 ◇第8回定期総会のご案内 4
 ◇「支援グループ交流会」のご案内 5
 ◇障害児の在宅人工呼吸療法の実際 須貝 研司著 6
  小児科診療1998年・5号より転載
 ◇ようこそ!バクバクホームページへ 村田 雅人15
 ◇入院中の子のQ.O.Lを考える 井桁 陽子 19
 ◇支部報告 20
 ◇私のくふう 佐藤 温子 22
 ◇人工呼吸器をつけた子どもたちのための福祉・保健なんでも相談 24
 ◇とつげきバクバクっ子 きいてよ!ぼくのホ・ン・ネ 立石 郁雄 26
 ◇パソバソランド 新徳 順子 29
 ◇ポスト 垣東 由美子 33
 ◇近況報告 34
 ◇カンパお礼・あとがき 36


◆『バクバク』39(1998年10月号) 19981112
 ◇新たな一歩を踏み出すために 大塚 孝司 3
 ◇バクバクの会と共に歩もう 佐藤 裕英 6
 ◇会長辞任にあたって 平本弘冨美 7
 ◇1998年度活動総括と方針 8
 ◇1998年度役員紹介 10
 ◇1997年度会員報告・1998年度予算 11
 ◇定期総会を終えて 尾形 恭誌12
 ◇バクバクの会総会に参加して 太田 苑子 13
 ◇バクバクの会第8回定期総会に参加して 大島 正博 14
 ◇家族みんなで参加した初めての総会 中村 佳司 16
 ◇総会に参加して 天野ゆかり 17
 ◇節目の総会 酒井 英夫 18
 ◇総会に参加して 新保 節子 19
 ◇バクバクの会でとよ橋へ行った 穏土 史佳・しょうへい 19
 ◇愛知でおきたもめごと 平本 歩 20
 ◇折田一家と豊橋を訪れて 渡邉 豪 21
 ◇総会出欠ハガキより 23
 ◇講演会『入院中の子のQ.O.Lを考える』 鈴木恵理子 31
 ◇講演会アンケートより 34
 ◇人工呼吸器をつけた子どもたちのための福祉・保健なんでも相談 35
 ◇「親の会の問題と解決方法」調査報告書 親の会連絡会調査研究班 37
 ◇支部報告 49
 ◇バクバク掲示板 52
 ◇佑二の入学に直面して 竹下 美加 54
 ◇私のくふう 新名 純子 55
 ◇きいてよ!!わたしのホ・ン・ネ 早川 幸希 60
 ◇旅行カバンに呼吸器つめて〈バクバクっ子旅行記〉濱田 裕一 61
 ◇静岡支部結成準備のお知らせ・追悼 66
 ◇近況報告 67
 ◇こどもの病院環境&プレイセラピー研究フォーラム案内 68
 ◇情報BOX 70
 ◇カンパお礼・あとがき 72


◆『バクバク』40(1999年1月号) 19990215
 ◇「イギリスの長期人工呼吸器使用の子どもたち」Dr. Robert (IVUNより転載) 翻訳:藤本 浩子 3
 ◇国立小児病院在宅患者パピーサマーキャンプについて 小口 聡之 6
 ◇寺本恵サマーキャンプにトライ! 寺本 とし恵 8
 ◇パティオへの招待 橋本 裕美 12
 ◇病室からの春夏秋冬 今井 隆裕 14
 ◇きいてよ!!わたしのホ・ン・ネ 小山 育子 18
 ◇人工呼吸器をつけた子どもたちのための福祉・保健なんでも相談 19
 ◇北海道支部支部ページ 20
 ◇関東支部 支部ページ 24
 ◇静岡支部結成集会のお知らせ 27
 ◇中部支部 支部ページ 28
 ◇関西支部 支部ページ 32
 ◇パソパソランド もっと楽しくおもちゃで遊ぼう! 36
 ◇私のくふう 田中 千尋 42
 ◇パワフルメッセージ 小野 佐知子・土屋 健太郎 44
 ◇バクバク掲示板 45
 ◇ポスト 芝 せつ 53
 ◇情報BOX 54
 ◇新聞記事 55
 ◇カンパお礼・追悼・あとがき 56


◆『バクバク』41(1999年4月号) 19990510
 ◇入院中の子のQ.O.Lを考える 藤田 智成 3
 ◇体験レポート 在宅必要物品の支給について 幕田 智広 8
 ◇体験レポート 吸引器の選び方 穏土 ちとせ 11
 ◇スピーキングカニューレ 15
 ◇生活実態に対応した制度的保障を 平本 弘冨美 20
 ◇病室からの春夏秋冬 今井 隆裕 24
 ◇きいてよ!!ぼくのホ・ン・ネ 立花 慶太 26
 ◇私のくふう 曽根原 英雄 27
 ◇支部ページ
 ◇沖縄支部 28
 ◇静岡支部 30
 ◇中・四国支部 33
 ◇北海道支部 38
 ◇関東支部 46
 ◇中部支部 50
 ◇関西支部 53
 ◇バクバク掲示板 63
 ◇情報BOX 69
 ◇こどもの難病シンポジウム案内―新・どーする医療的ケア 73
 ◇「難病のこども支援全国ネットワーク」サマーキャンプのお知らせ 74
 ◇書籍紹介 75
 ◇アメリカの新聞記事より/親の会展示PRについてのお願い 76
 ◇99年度定期総会・交流会のお知らせ 78
 ◇カンパ・追悼・あとがき 80


◆『バクバク』42(1999年7月号) 19990725
 ◇入院中の子のQ.O.Lを考える 今村 卓也 3
 ◇特集スピーキングカニューレ 9
 ◇病室からの春夏秋冬 今井 隆裕 16
 ◇大塚芳博修学旅行記 大塚 淳子 18
 ◇「預けると預かる」−林間への取り組み− 佐藤 裕英 22
 ◇そして自然教室 佐藤 温子 24
 ◇今年の4月から中学生になりました 井桁 陽子 26
 ◇きいてよ!!わたしのホ・ン・ネ 福田 璃穂 29
 ◇支部ページ
 ◇関東支部 30
 ◇沖縄支部 36
 ◇関西支部 38
 ◇北海道支部 43
 ◇中部支部 52
 ◇静岡支部 54
 ◇パソパソランド 鍔本 幸雄 55
 ◇私のくふう 美里 秀幸 56
        折田 みどり 57
 ◇バクバク掲示板 58
 ◇情報BOX 60
 ◇99年度定期総会のご案内 62
 ◇記事 63
 ◇カンパお礼・あとがき 64


◆『バクバク』43(1999年10月号) 19991025
 ◇10周年記念事業を成功させよう!! 3
 ◇会長挨拶 大塚 孝司 4
 ◇副会長挨拶  井桁 陽子 6
 ◇99年度総会報告 活動総括と方針 7
 ◇交流会報告 エンシュアで乾杯!  穏土 ちとせ 17
 ◇総会感想 20
 ◇子どもが主人公―生活を豊かにするシンプルテクノロジー 中邑 賢龍氏 32
 ◇おもちゃで遊ぼう イベント紹介 46
 ◇入院中のQ.O.Lを考える 斎須 泰子 55
 ◇深呼吸のあとに ふくながひとみ 60
 ◇支部ベージ 静岡・沖縄・中四国・中部・関西・関東・北海道 62
 ◇バクバク掲示板 80
 ◇石原都知事の発言について 85
 ◇コンピュータ2000年問題について 90
 ◇情報BOX 93
 ◇稲城ベンチャークラブの紹介 94
 ◇新聞記事 95
 ◇事務局より 98
 ◇カンパお礼・追悼・あとがき 100
 

◆『バクバク』号外 19991220
 ◇特集 危機管理について(2000年を前にして)
 ◇

◆『バクバク』44(2000年3月号) 20000311
 ◇10周年記念集会に向けて 第1回実行委員会報告 4
 ◇ビデオ・写真大募集!! 8
 ◇カンパのお願い 9
 ◇リポート 濱田 裕一 10
 ◇アメリカ行き報告 11
 ◇入院中の子のQ.O.Lを考える 後藤 成美 16
 ◇きいてよ!!わたしのホ・ン・ネ 小林 佐和子 18
 ◇命の問題について考える 19
 ◇深呼吸のあとに ふくなが ひとみ 26
 ◇教育・医療・保護者との連携 大塚 孝司 29
 ◇支部ページ  
 ◇北海道支部 38
 ◇関東支部 43
 ◇中部支部 50
 ◇関西支部 56
 ◇中・四国支部 63
 ◇沖縄支部 70
 ◇私のくふう 穏土 ちとせ 71
 ◇バクバク掲示板 72
 ◇情報BOX 76
 ◇事務局より 78
 ◇新聞記事 79
 ◇在宅の成果 ちとせ 91
 ◇カンパお礼・追悼・あとがき 92


◆『バクバク』45 (2000年5月号) 20000510
 ◇緊急!! 医療ミスアンケート調査報告集


◆『バクバク』46(2000年7月号) 20000710
 ◇10周年記念集会開催趣意書 4
 ◇10周年記念集会に向けて ビデオ・写真大募集!! 6
 ◇命の問題について考える 7
 ◇「医療提供者と家族が互いに意見を出し合える関係を」 藤田 泰之 10
 ◇新聞記事 11
 ◇きいてよ!!わたしのホ・ン・ネ 天野 志保 14
 ◇深呼吸のあとに ふくなが ひとみ 15
 ◇バクバク掲示板 19
 ◇「親の会の役員と会員の問題」調査報告書 24
 ◇支部ページ 
 ◇沖縄支部 36
 ◇中・四国支部 39
 ◇関西支部 46
 ◇中部支部 59
 ◇静岡支部 62
 ◇関東支部 64
 ◇北海道支部 76
 ◇情報BOX 81
 ◇映画案内 83
 ◇新聞記事 85
 ◇全障連関西ブロックニュースわたしのキレたあの一言 ちとせ 88
 ◇事務局より・追悼 92
 ◇第10回定期総会および10周年記念集会のご案内 94
 ◇カンパお礼・あとがき 96


◆『バクバク』47(2001年1月号) 20010110
 ◇バクバクっ子の21世紀に向けて 会長 大塚 孝司 3
 ◇吉岡しほりさんを偲ぶ 副会長 佐藤 裕英 4
 ◇2000年度第10回定期総会報告 5
 ◇活動総括と方針
 ◇在宅人工呼吸療法への移行に伴う問題点―患児家族へのアンケート調査より― 聖隷クリストファー看護大学
 ◇宮谷 恵、小宮山 博美、鈴木 恵理子 16
 ◇私のくふう 山形県・三浦 小枝 21
        福岡県・神崎 江利子 23
 ◇情報BOX 24
 ◇こどもの難病シンポジウム開催のお知らせ 27
 ◇事務局より 28
 ◇カンパお礼・追悼 29
 ◇新聞記事 32
 ◇編集後記 32


◆『バクバク』48(2001年3月号) 20010327
 ◇バクバクっ子の21世紀をより豊かなものにするために!! 2
 ◇真実をおしえて!京大病院医療ミス死亡事件を問う!! 4
 ◇さおちゃんの死と真実を知ろう会発足のお知らせ 7
 ◇真実を知るため皆さんの力を貸して下さい 大塚 孝司 9
 ◇新聞記事 10
 ◇こどもの難病シンポジウムin沖縄を開催して 酒井 洋 12
 ◇こどもの難病シンポジウムに参加して 渡口 喜代子・當間 恵子 14
 ◇こどもの難病シンポジウム(2001.6.9)ご案内 15
 ◇深呼吸のあとに ふくなが ひとみ 16
 ◇支部活動報告 18
 ◇ニューフェイス・近況報告 21
 ◇バクバク掲示板 25
 ◇林左絵子の南十字の輝く島からアロ〜ハ!! 林 左絵子 26
 ◇パワフルメッセージ 28
 ◇情報BOX 31
 ◇事務局より・追悼 35
 ◇新聞記事 36
 ◇カンパお礼・あとがき 40


◆『バクバク』49,50号(2001年5月・07月号) 20010715
 ◇定期総会案内 4
 ◇京大病院エタノール中毒死事件A 5
 ◇厚生労働省、文部科学省要請行動報告 18
 ◇会員投稿「みんなありがとう」 穏土 ちとせ 28
 ◇会員投稿「公彦の幼稚園入園の報告とお礼」 岡崎 充博・有希 39
 ◇きいてよ私のホンネ!!  横山 愛 41
 ◇はれて、華の女子高生になりました 平本 歩 42
 ◇歩の在宅レポートNO.11 平本 弘冨美 43
 ◇深呼吸のあとに… 福永 ひとみ 48
 ◇林左絵子の南十字の輝く島からアロ〜ハ!!A 50
 ◇アンケート調査報告
 ◇「呼吸器を装着した子どもの生活場所に対する親の意思決定」 鈴木 真知子氏 53
 ◇ニューフェイス 58
 ◇支部活動報告 60
 ◇〈月刊ボランティア3月号より〉
 ◇吸引を必要とする子どもたちからの依頼とボランティアの役割 南 多恵子氏 65
 ◇情報ボックス 67
 ◇事務局通信 74
 ◇あとがき 80


◆『バクバク』51(2001冬) 20011202
 ◇巻頭言バクバクの会の更新 会長 大塚 孝司 2
 ◇真実をおしえて!京大病院エタノール中毒死事件 3
 ◇2001年度第11回定期総会報告 10
 ◇支部活動総括と方針/2001年度役員紹介/第11回定期総会講演会
 ◇総会開催ということ 太田苑子/総会に参加して 小笠原 幸子
 ◇バクバクっ子の親のメンタルケアを考える 石川憲彦 静岡大学教授 19 
 ◇学校教育法施行令改悪に反対しよう 学校教育法施行令「改正」についての要望書/抗議活動〜文部科学省の動き 39
 ◇〈寄稿文〉民主主義って何? 堀 智晴 大阪大学教授 44
 ◇〈緊急報告〉「今、呼吸器が危ない!」 濱田 裕一 45
 ◇深呼吸のあとに ふくなが ひとみ 46
 ◇林左絵子の南十字の輝く島からアロ〜ハ!! 50
 ◇人権啓発絵本「やったネ」刊行! 52
 ◇「くやしい」「切ない」「でもあきらめない!」/出版記念のつどい開催報告
 ◇情報BOX・車椅子譲ります 9 
 ◇LP6PULS,LP10改修案内 38


◆『バクバク』52(2002春) 20020512
 ◇巻頭言 人としての心を 副会長 佐藤 裕英 2
 ◇2002年度第12回定期総会のご案内 2
 ◇真実をおしえて! 京大病院エタノール中毒死事件 3
 ◇学校教育法施行令改悪に反対しよう 8
 ◇多くの反対の声を無視して、学校教育法施行令改定案が正式決定!/
 ◇パブリックコメント意見―学校教育法施行令の一部を改正する政令案について(意見募集)・意見募集の結果について
 ◇〈寄稿〉支援費制度がやってくる!  八幡 隆司 箕面市議会議員 27
 ◇〈寄稿〉報告患児の家族による医療的ケアの修得に関する調査 聖隷クリストファー看護大学 29
 ◇〈会員投稿〉総会に初参加して 奥名 博美 37
 ◇〈会員投稿〉バクバクっ子の海外旅行に同行して 瀬藤 乃理子 38
 ◇林左絵子の南十字の輝く島からアロ〜ハ!! 44
 ◇第3種郵便割引廃止にNOを! 46
 ◇会計報告/カンパお礼 47


◆『バクバク』53(2002夏) 20020724
 ◇巻頭言 大切なのは主張し続けること 副会長 井桁 陽子 2
 ◇2002年度定期総会案内 4
 ◇祝入園入学卒業おめでとうの春 田中 千尋・横山 美香・酒井 傑・深見 育子 6
 ◇〈会員投稿〉「夢の実現!アンパンマンミュージアムへ」石塚まゆみ 13
 ◇〈会員投稿〉「修学旅行へ行ってきました!親の付き添いなしだよ〜!」木下貴子 14
 ◇ニューフェイス 17
 ◇社会保険診療報酬等の改定から 32
 ◇オリジン医科工業株式会社さんより 36


◆『バクバク』54(2002秋) 20021102
 ◇巻頭言 新年度を迎えて 会長 大塚 孝司 2
 ◇2001年度活動報告と2002年度 方針・活動計画 3
 ◇担当医、看護師長の不起訴処分に抗議し、厳正な再捜査を求める要請署名のお願い 10
 ◇4つのなぜ?/医師不処分は不当!!
 ◇真実を教えて!京大病院エタノーレ中毒死事件両親手書FG 12
 ◇事務局よりお願い 20


◆『バクバク』55(2003冬) 20030122
 ◇巻頭言 未来予想図 副会長 井桁 陽子 2
 ◇2002年度第t2回定期総会報告 関西支部幹事 木下 貴子 4
 ◇会則 7
 ◇2002年度第12回定期総会記念講演録 遠藤 六朗氏/八幡 隆司氏 9
 ◇講演会資料 32
 ◇医療ミス・トラブル調査研究員会からのお願い/書籍紹介 42
 ◇林左絵子の南十字の輝く島からアロ〜ハ! 44
 ◇重症心身障害学会報告 滋賀県 岡崎 有希 46
 ◇便利帳改訂版制作委員会からのお願い 47
 ◇追悼/カンパ/あとがき


◆『バクバク』56 (2003冬) 20030324
 ◇巻頭言 いっしょに考え、いっしょに悩もう! 副会長佐藤 裕英 2
 ◇寄稿 インクルージョンは、「法・制度」ではなく、「点」からはじまる―わが国では、なぜ「サラマンカ宣言」が受け入れられないか― 宮崎 隆太郎 5
 ◇会員投稿 北海道でスキーしてきたよ!平本歩 22
 ◇会員投稿 はじめの一歩 吉田路代 23
 ◇真実をおしえて京大病院エタノール中毒死事件両親手記9 24
 ◇ニューフェイス 31
 ◇PHP見学レポート i-TECH CENTER(補助器具の説明) 大塚 孝司 37
 ◇これでほんとにいいの?「医療的ケア」 大塚 孝司 41
 ◇林左絵子の南十字の輝く島からアロ〜ハ! 42
 ◇医療ミス・トラブル調査研究員会からのお願い 45
 ◇便利帳改訂版制作委員会からのお願い 45
 ◇追悼/カンパ/書籍紹介/あとがき


◆『バクバク』57(2003夏) 20030628
 ◇巻頭言 いのちって誰のもの?生きるって誰のもの? 事務局長 折田 みどり 2
 ◇入園入学卒業おめでとう! 4
 ◇厚生労働省吸引問題分科会最終報告から 9
 ◇真実をおしえて 京大病院エタノール中毒死事件 15
 ◇講演 法律が人の命を奪う 神坂 直樹さん 19
 ◇講演 医療的ケアって何やろう 上農 哲朗さん 22
 ◇PHP見学レポートA 31
 ◇林左絵子の南十字の輝く島からアロ〜ハ!F 36
 ◇書籍紹介/追悼/カンパ/あとがき


◆『バクバク』58(2003秋) 20031028
 ◇巻頭言 共に生きる 会長 大塚 孝司 2
 ◇2003年度第13回定期総会&九州支部結成記念集会報告 九州支部 太田 めぐみ 早川 幸希 田中 千尋 木下 麗子 後藤 成美 西留 まなみ 4
 ◇2003年度活動計画・予算・役員紹介 18
 ◇記念講演録 いのちの銀河へ 九州龍谷短期大学 高石伸人さん 22
 ◇PHP見学レポートCD 29
 ◇新連載◎銀色のつばさになるんや 障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長 かわの ひでただ 34
 ◇ニューフェイス 36
 ◇真実をおしえて 京大病院エタノール中毒死事件 38
 ◇続・吸引問題の結末 大塚 孝司 44
 ◇林左絵子の南十字の輝く島からアロ〜ハ!G 48
 ◇書籍紹介/追悼/カンパお礼/事務局より/あとがき


◆『バクバク』59(2004冬) 20040308
 ◇巻頭言 バクバクっ子の【夢と未来】 応援団新副会長 穏土 ちとせ 2
 ◇2003年度定期総会シンポジウム報告 4
 ◇使ってますか?支援費制度 13
 ◇小児在宅人工呼吸療法の現状と問題点―A県における事例より― 聖隷クリストファー大学看護学部 宮谷 恵・小宮山 博美・鈴木 恵理子 17
 ◇真実をおしえて 京大病院エタノール中毒死事件 25
 ◇ ・京大病院エタノール中毒死事件・両親手記No.10
 ◇ ・刑事裁判から見えてきたもの―今後への期待
 ◇ ・平成15年11月10日 京都地裁101号法廷にて 判決文
 ◇林左絵子の南十字の輝く島からアロ〜ハ!H……31
 ◇ヒミツのくだものばたけ 障害者問題総合誌「風のように街に出よう」 編集長 かわの ひでただ 34
 ◇ニューフェイス 36
 ◇書籍紹介/事務局より/カンパお礼/追悼/あとがき
 ◇

◆『バクバク』60

  『バクバク』61(2004年12月10日発行)以降の号の目次・本文に関しては、 バクバクの会 ホームページをご参照ください。



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□引用

◆『バクバク』1 19890521 
◇「バクバク」の創刊に寄せて 淀川キリスト教病院小児科 船戸正久
 わたしたちの医療チームが、いろいろな病気で長期間人工呼吸器をしている子供たちを戸外へ、そして家族のもとへ連れ出そうとの試みを思いついたのは、一つのパンフレットを見たのがきっかけでした。それは、白血病や末期の子供たちのためにアリゾナ州で作られたメイク・ア・ウイッシュ(夢をかなえよう)基金のパンフレットでした。この基金は、末期がんなど死を持つ子供の最後の望みをかなえてあげるために使われるもので、例えば消防士になる夢をもっている子供には、1日消防士として消防服を揃え消防自動車に乗せてあげるなど、その夢を実際にかなえるための活動をしています。
 最初の外出は、今から4年前で重症仮死ために虚血性脳症となったマー君でした。「一度マー君に畳を踏ませてやりたい」との願いのもとで、医師、看護婦、家族のみんなの協力で、マスク・バック(バクバク)を使って約1時間家で楽しく過ごしたのが最初でした。
 それ以後、搬送用人工呼吸器が開発され、島田先生を始めとする医療チームの指導や家族の熱心な努力や工夫の結果、今では、あゆみちゃんやしほりちゃん始め5人の子供たちが家族の手だけで比較的自由に外出・外泊を繰り返せるまでになりました。
 また昨年、朝日新聞にこの試みが紹介されたのをきっかけに全国から多くの寄付を送りいただき、2台の搬送用人工呼吸器を購入することができました。
 こうした中で、この病院で共に悩みを担っている家族の手による「バクバク」創刊号が発行され、全国で同じ悩みをもっている子供たちのためにも、もっと積極的に歩もうとされていることを知り心からうれしく思います。
 将来、安くて使いやすい小型人工呼吸器が開発され、行政的にも援助がなされて、より良い環境の中で、そして何よりも家庭や地域でこの子供たちが一人の人間としてもっと自由に生活できる日が来ることを夢みています。
(p1)

◇はじめに 平本弘冨美
 人工呼吸器をつけた子が外出・外泊できる!当初は思いもよらなかった事でした。多くの困難があるにもかかわらず、人工呼吸器をつけた子の外出・外泊という新しい試みに取り組まれ、色々と指導して下さった淀川キリスト教病院小児科部長の船戸先生をはじめ小児病棟の先生方や看護婦さんたち、外出用呼吸器の購入のために多額の寄付を寄せて下さった全国の方々には感謝の気持でいっぱいです。
 私の子、歩(3才)も外出を始めてすでに1年半余になります。回数も19回と、ほぼ月1回のペースで外出・外泊してきたことになります。できるだけ色んなものを見せ、経験させてやろうと、外出の度に今度は何処に行こうかと頭を悩ましてきました。おかげで歩も大いに視野が広がったのではないかと思います。同時に、親の方も、病院にだけいたのでは出来ない、多くの経験をしました。
 先日、天王寺動物園に行った時、家族連れで来ていた子供が、歩のワゴンを見て「救急車みたい」と言っていましたが、普通の人から見れば、異様に映るのでしょう。身内に「障害者(児)」のいる人とは、それなりに対等の話しが出きるのですが、奇異の目を向けながら通りすぎる人、近寄ってきて「かわいそうに」と同情してくれる人、箕面の食堂での事ですが、他のお客さんが気持悪るがるから、食事が終わったらすぐに出て欲しいと明らさまに嫌悪の情を示す人、様々です。又、動物園や公園などの職員の対応も色々です。
 話しかけてくる人は、「かわいそうに」と言う人が大半です。その人の気持は分かるのですが、「かわいそうに」と言われると、何か抵抗を感じます。どんな「障害」をもっていても、親にとってはかけがえのない子であり、その子なりに精一杯生きている、それはすばらしい事です。又、「障害」をもった子の親として、今まで見えなかった世界が見える様になってきたし、新しい人間関係も広がってきました。これも歩のおかげです。
 さらに、人工呼吸器をつけた子の外出・外泊という新しい試みに対して、歩の病気が日本で初めて、世界でも数例しかないということもあり、私は、いわば"トップランナー"としての気概を持っています。決して、親も子も同情の対象ではないと思うからです。
 "トップランナー"故に色々な困難もあります。幸いにも、外出用呼吸器は、病院側の配慮と全国から寄せられた寄付によって、当然の様に使用させてもらっていますが、もし外出用呼吸器がなかったらと思うと、本当にラッキーだと思います。
 しかし、外出用ワゴンひとつにしても、車イスの様に製品化されたものはないし、特注するにしても、前例がないので福祉の援助は得られません。さらに、長期外泊、在宅ケアともなれば、家族の物心両面にわたる負担は相当なものが予想されます。日本の福祉行政の貧困さを痛感しています。

 歩も入院してすでに3年、外出を始めて1年半がたちました。親として実に多くの事を学び、多くの課題や悩みもかかえています。「障害」が違い、家庭環境が違えば、それだけ違った経験や悩みがあります。
 これまで、人工呼吸器をつけた子の入っている、307、308号室の親同士、親睦を深め、それぞれの経験や悩みを話し合ってきました。こうした経験や悩みは非常に貴重だと思います。是非とも文章として残し、子供たちの今後のために生かして行きたい。そうした思いから、他のお母さん、お父さんたちとも相談し、この文集の発行となりました。単に、外出・外泊にとどまらず、人工呼吸器をつけた子供たちの色々な問題も取り上げて行きたいと思っています。
 この文集が、307、308号室の親はもとより、これから入院してくる子の親や全国の同じような境遇にいる親にとっての励ましと、人工呼吸器をつけた子供たちが生きて行く上でのより良い環境づくりの一助になればと思っています。

 最後に、この文集の題名の『バクバク』ですが、アンピューパックのことを私たちは、「バクバク」と言っています.どこに行くにも片時も離せない物、どんな状況の下でも親の手で子の命の源である空気を送れる物、この文集にピッタリの題名ではないでしょうか。

◇在宅療育をめざして 平本 弘冨美
「患児」から「障害児」へ
 11月の外泊には、もうひとつの目的がありました。日常の生活の中で、24時間体勢でどれだけ看れるかということです。っまり、これまでは家族全員が休みの時に外泊させていたのですが、それだと夏休みや春、冬の休み以外は長期の外泊はできません。通常通り、お母さんも勤務に行き、お兄ちゃんたちも学校に行き、友達とも遊ぶ、そうした日常の生活の中でどれだけ看れるかということです。
 私たちがこのような試みをはじめたのは、単に外泊の長期化を計るという事ではなく、できるだけ自宅、地域であたりまえの生活をさせてやりたいと考えたからです。このように考えるようになったのは、歩もこの12月で4才、それなりの成長もあり、病院内の生活、親や看護婦さんなど大人だけの相手では、歩の"今の生活"にとっても、成長にとっても、もはや限界にきていると感じた事と、親の意識の変化です。
 歩が入院して以来、病気の子=「患児」の意識が強くありました。実際にそうだからやむをえませんが、「患児」と意識している内は、何とか生きながらえて欲い、そのためには、歩の生活上のある程度の制約はしかたないと思っていました。同時に毎日の病院通いはしんどいけれど、入院していれば安全だし親もラクダという現実に安住していた面もあります。
 もちろん、「患児」や「障害児」である以前に、ひとりの人間として、歩の生活は考えてきました。にもかかわらず、外泊にしても、"「患児」の生活をより充実させるために"と考えていました。それはそれで、種々の条件で入院を余儀なくされている子供たちにとって、 「患児」のクオリティ・オブ・ライフ(人生の質、生活の質)を追求することは必要ですし、非常にいいことだと思います。
 しかし歩の場合、入院生活が4年近くにもなり、治療法もなく、入院生活にも限界を感じてきており、今の生活のままでいいのかと考えるようになりました。
 さらに、外泊を繰り返す中で、社会の人々の奇異の目や嫌悪、同情といった社会の「障害児(者)」差別の現実に直面し、改めて、歩は「障害児」なのだと痛感しました。
 その事によって、歩の人生は、病院の枠(「患児」として)だけで考えるのではなく、社会的に(「障害児」として、ひとりの人間として)考えなければならないという思いが強くなってきました。

親のウイーニング
 私たちが「患児」を強く意識していたのは、入院していることもありましたが、最大の要因は人工呼吸器です。歩に人工呼吸器が付けられた時、この器械が取れるまで絶対に外に出れないと思いました。その時、子供だけでなく、親の意識の中にも人工呼吸器が付けられていたのです。
 最近やっと親のウイーニング(人工呼吸器から徐々に離脱し、自然呼吸に切りかえること)が完了したように思います。それはやはり、これまで2年余の外泊の経験の成果(親の意識の変化、在宅への自信)です。歩は、人工呼吸器さえあれば自宅、地域であたりまえの生活をすることができる。人工呼吸器は、歩が生活するために必要な"道具"であると考えるようになりました。
 そういう意味でも、外泊の機会を与えて下さった主治医の島田先生をはじめ小児病棟の先生方、看護婦さんたちには本当に感謝しています。
 先日、日本ALS協会の機関誌『JALSA』を読んでいましたら、羽曳野中央病院の木村先生の講演記録が載っていました。その中で、木村先生は「人工呼吸の技術というものは、もうそんな病院の奥座敷で、医師や専門家に任せておかなくても、十分に病院の外で使える。地域で生きる、あるいは家庭でご家族に囲まれて生きていかれる、生きようとされる患者さんたちを支えていけるところまできている」。人工呼吸器は、「足がご不自由な方の車イス、目が不自由な方の盲導犬、あるいは杖に相当する」と言っておられます。さらに、第一東京弁護士会人権擁護委員会が「人工呼吸器は補装具として、現在ある身体障害者福祉法の医療器具貸与制度の対象にすべき」と提言していることも報告されていました。まさにその通りだと思います。

「在宅」をめざして
 歩は、人工呼吸器さえあれば自宅、地域であたりまえの生活ができる。保育所にも学校にも通わせることができる。歩の人生の可能性は、一気に拡大しました。
 しかし、いざ「在宅」しようとすると大きな壁があります。前号で報告したように、人工呼吸器の在宅使用が保険や補装具として認められておらず、非常に高額な自己負担をしなければなりません。医療制度の問題、福祉制度の問題、さらにその背後には「障害児(者)」差別の問題があります。どの問題も、避けて通ることのできない非常に大きな壁として、私たちの前に立ちはだかっています。
 だからといって、子供は日々生活し、成長しています。条件が整うまで待つことはできません。我家には、何の蓄えもありませんが、家や退職金を担保にしてでも何とか「在宅」を実現したいと考えています。P12-4

◆『バクバク』5 19900220 
◇4月から在宅します 平本弘冨美
歩にせがまれて
 4月から在宅します。1986年3月14日、2ヵ月半の時に入院してから、すでに4年になろうとしています。その間、歩の事を考え、歩の事で考え、歩の事で行動してきた親として、在宅はごく自然な選択です。何も大層な決意や決断があっての事ではありません。
 私たちが、在宅を決意した直接的要因は、歩にせがまれたからです。もちろん、歩がそんな事を口にするわけもないし、する事も出来ません。外出・外泊や病院での生活を見てて、もはや病院での生活は限界にきている、生活の場としては狭すぎる。自宅・地域で当たり前の生活をさせてやりたいと考えたからです。

外出・外泊の成果によって
 こうして歩の要求に応えてやれるのも、2年半の外出・外泊(26回、68日)を通して得た成果、親の意識の変化と医療的ケアへの自信があったからです。
 歩に人工呼吸器が付けられた時、外出・外泊はもとより在宅なんて夢にも思いませんでした。出来るだけ長生きしてほしい、人工呼吸器はそのための生命維持装置と思っていました。それが、外出・外泊を繰り返す中で、人工呼吸器は、歩が生活するために必要な"道具"と考えるようになりました。その"道具"さえあれば、保育所にも学校にも行ける、自宅・地域で当たり前の生活をさせてやれる自信を得ることが出来ました。
 さらに、戸外に出て、歩が障害児であることを改めて強く意識させられた事もあり、人工呼吸器の生命維持装置から"道具"へのとらえ方に対応して、歩の生活・人生も、病気の子=患児としての生活・人生から障害児としての生活・人生として考えるようになりました。
 医療的ケアは、一歩間違えば死に直結しているだけに、在宅を決心する大きな要因です。外出・外泊の最初の頃は、不安というより緊張の連続でした。回を重ねる中で、失敗したり、看護婦さんに聞いたり、看護雑誌を読んだりしながら、今では何とかやっていける自信がつきました。

在宅を前にして
 これまでも、在宅を考えなかったわけではありません。しかし、最初の購入品だけで700万円以上というあまりにも高額な費用と、ケアの支援態勢を含めた制度的保障がほとんどない状況の中で、それ以上考えを進めることは出来ませんでした。
 しかし、歩は日々生活し、成長しています。条件が整うまで待つことは出来ません。資金や態勢は何とかなるだろう、在宅する過程で作れば良いと決心しました。
 資金については、器械の振動や騒音の事もあり、自宅(マンション)を売り、借家に移る事で、とりあえず解決しようと思っています。しかし、借家といっても家賃は高く、医療費その他の必要経費、2人の兄たちの今後のことなども考えれば、何時まで持ちこたえられるか、不安は残ります。
 支援態勢については、行政的にはほとんど期待できません。歩は、24時間のケアが必要で、家族だけで看ることは出来ないし、危険でもあります。地域の人たちの協力を得て準備を進めています。
 保育所は、すでに申し込みをしました。おそらく全国的にも例の無い事なので、行政がどう対応するか、歩はもとより同じような状態の子供たちに大きく道を開くことにもなるので、是非とも入所させたいと考えています。

社会的問題として
 親の気持ちとしては、ごく自然な選択でしたが、人工呼吸器を付けた子供(大人)たちの在宅例は少なく、経済的、医療的、福祉的な制度的保障はほとんどなく、実際に準備するのは予想以上に大変です。
 私たちの場合、何とかメドがつきそうでが、資金や支援態勢の事を考えれば、誰でもというわけにはいきません。在宅可能な子供(大人)たちは、何処でも誰でも安心して在宅出来るように、単に私たちだけの問題で終わらせるのではなく、社会的問題として取り組んでいきたいと考えています。そのためには、多くの人たちの協力と支援が必要です。
 4月からの在宅に向けて、まだ多くの問題が残っています。在宅してからも次々に問題は出てくると思います。共に考え、共に行動してもらえる方、支援・協力をよろしくお願いします。
(P1-2)

◆『バクバク』6 19900521 
◇歩の在宅レポート(1) 平本弘冨美
保育所
在宅準備で一番苦労したのは保育所の問題と家の問題でした。保育所が決まらなければ家も決まらないし、家が決まらなければ退院が出来ないという関係で、ずいぶん苦労しました。
 私たちは、歩が在宅したら保育所にも通わせ、できるだけ当たり前の生活をさせてやりたいと考えていました。たしかに、保育所に通えば感染や何らかのトラブルの起こる危険性は大きいと思います。しかし、歩の人生にとって何がベターかを考えた場合、感染やトラブルを恐れて家で看ているだけよりは、可能なかぎりの対策をこうじて、保育所に通わせたほうがいいと考えました。これまでの外出・外泊の経験で、保育所に通うことは可能だという自信もありました。
 それで、なんとか公立保育所に入れたいと福祉事務所に行きました。尼崎市には、45ヵ所の公立保育所がありますが、その内、障害児保育をしている指定保育所は6ヵ所、しかも、1保育所2名の枠しかありません。私が福祉事務所に行った時、すでに3名の申し込みがあり、枠外の1人をどうするかで児童相談員の人は悩んでおり、人工呼吸器を付けた子の入所などとてもとてもという感じでした。
 そこで市役所に行き、担当課長と話をしました。この課長、役人の見本みたいな人で、入所の条件として @保育になじむ子(動ける子)、A保育に欠ける子(共働きなどで)、B厚生省の通達・・・がある。歩の場合、寝たきりだし、おまけに人工呼吸器を付けている。お父さんが家で看るのならAの保育に欠ける条件にも欠けるから入所は無理、と型通りの返答しかありません。
 さらに、何かあったらどうする、人工呼吸器が止まったらどうするんだと言います。歩のことを思って心配してくれるのなら話しのしようがありますが、人工呼吸器がどんなものなのか、歩の状態がどうなのか何も知らないで、又、知ろうともしないで、自分の思い込みだけで結論をだす、役人の悪い癖のひとつです。
 親が4年間かかって出した結論を、自分の思い込みだけで否定する担当課長の姿勢、これは一課長だけの問題ではなく、尼崎市行政の姿勢でもあり、当面の可能性はゼロと判断しました。そのまま入所の運動を続ける方法もありますが、歩のためにも、同じような子供たちのためにも、入所の実績を作ることが先決と、公立をあきらめて受け入れてもらえる法人保育所を探すことにしました。
 幸い、善法寺保育園で受け入れてもらえることになりました。前例もなく、しかも全く面識のない人工呼吸器を付けた子の入園を、親の話を真剣に聞いて、子供の立場に立って受け入れてくれた善法寺保育園の園長先生はじめ職員の方々には本当に感謝しています。
 しかし、行政の措置決定がなければ入園できません。園の側が受け入れると言っているのに、行政の側で反対する理由はないはずですが、手続き中に入園の新聞報道もあったりして、行政内部で色々あったみたいです。
 最終的には、現場(園)優先でがんばってくれた福祉事務所や行政内部の「支える会」の人たちのおかげで、3月26日、"特例"として措置決定を得ることが出来ました。

(……)

保育園での様子
 園での生活は、親が付き添っています。どんな保育ができるのか、親はもとより保母さんたちにもわかりません。共に考えていきましょうということでスタートしました。
 この1ヵ月は、歩の状態を診ながらの通園です。朝9時過ぎ〜10時頃家を出て、昼食(ミルク)をとって、2時頃帰宅していました。保育園を休んだのは、熱を出して3日、親子ともども寝過ごして1日、車の故障で1日、便秘の治療で1日、機嫌が悪くて頻回なサクションを要求するので1日の計7日でした。
最初の頃は、出来るだけ園のペースに合わせようと、寝ていても時間になれば起こして連れていっていましたが、睡眠不足の時は機嫌が悪く、家でも園でも頻回なサクションを要求します。それで、歩のペースに合わせて通園しながら徐々に園のペースに合わせて行くことにしました。それからは、歩の状態も安定し、4週目には1日も休まず通園し、金曜日は昼寝をし、5時まで園で過ごすことが出来ました。
 子供たちとはすぐに仲良しになりました。保育園に着くと「あゆみちゃ〜ん」といって寄ってきて、機器の運搬などを手伝ってくれたり、涙を拭いてくれたり、口や鼻の吸引をしてくれたり、吸引器のスイッチを入れてくれたり、ワゴンを押してくれたり、・・・、きわめつけは、素手で気管内吸引用のネラトン(疾を取るために気管の中に入れるチューブ)を取ってくれたこともあります。それらを先を争ってやるので、時にはけんかになったり、泣きだしたりする子が出たりもします。
 機器類にも非常に興味を示す子もいて、人工呼吸器やモニターをいじったりする子もいます。人工呼吸器のダイヤルにはカバーをしているのですが、小さな手なのでカバーの隙間から指を入れて触ったり、それも、泥んこの手で触ったりするので機器類はときどき泥で汚れている時もあります。病院のクリーンルームでの生活では考えられない事態です。
 しかし、これが普通の子の生活。子供は、良いも悪いも含めたさまざまな関わりの中で成長するものです。いちいち気にしていたらこれから生きていけないし、親としては、人工呼吸器の換気量や回数、衛生面などの基本的なところだけをおさえて、あとは気にしないことにしています。
 保母さんもすっかり気に入っています。親が付いていますが、保母さんにもサクションの練習をしてもらっているので、最近では、サクションは保母さん、バクバクはお父さんと指示します。昼食のスープを飲むのも保母さんが良いと言ってききません。状態のいい時は、タバコに行け(タバコ、休憩、どっかに行けの意味)と追い払われます。そんな時は、車の中で休憩したり、ちょっとした用事をすましたりしています。P9-10

◇「バクバクの会」入会のよびかけ
 歩ちゃんの在宅が新聞、TV、週刊誌に掲載されたことによって、近畿圏はもとより遠くは新潟からの問い合わせもありました。いずれも外出・外泊や在宅についてですが、情報不足の中で、試行錯誤しながら子供たちのために頑張っておられる家族の姿が目に浮かびます。
 情報不足は、私達も同様です。これを機会に、全国的なネットワーク作りを始めよう。 「バクバクの会」の正式名称の「淀川キリスト教病院、人工呼吸器を付けた子の親の会」の"淀川キリスト教病院"を取り、「人工呼吸器を付けた子の親の会」(略称:バクバクの会)として、淀川キリスト教病院以外の人にも参加を呼び掛けようということになりました。
 人工呼吸器を付けた子供たち、家族を取り巻く状況には多くの問題があります。情報交換はもとより、人工呼吸器を付けた子供たちが生きていく上でのよりよい環境作りのために、共に運動していこうではありませんか。
 これまで「バクバクの会」は、代表も規約も作らず、その都度相談しながらやってきました。今後は、そうは行かなくなってくると思います。とりあえず入会していただいて、そうした組織的問題や運動については、共に考えていけばと考えています。多くの方の参加を訴えます。p22

◆『バクバク』7 19900810 
◇「第2回こども難病シンポジウム」に参加して   吉岡 由美子
バクバクの会の今後
 現在、淀川キリスト教病院では、平本歩ちゃんが在宅療育をされていますが、歩ちゃんの入院中に御両親は大変な努力をして、在宅生活の条件を整えられました。それをまじかに見ていましたが、それでも「うちではできない。歩ちゃんとこだからできるのだ。」と思わざるをえません。家族構成の違いによる看護力不足と高額な医療機器購入資金は、どんなに強く在宅を願っていても、すぐには実現できるものではありません。費用の額を聞いただけであきらめる人もいるでしょう。
 国立小児病院の小林院長が基調講演の中で、「訪問看護の制度、医療機器(人工呼吸器など)の貸与システム、家庭医と病院医との連携は制度化されなければならない。」と発言されましたが、全く同感です。
 ・在宅人工呼吸療法の保険適用
 ・訪問看護、家族に代わって介護をする公的ヘルパー派遣
 少なくともこの2点が行政で制度化されれば、在宅を希望している入院中の呼吸器をつけた子の多くは家へ帰ることができるはずです。制度化をめざして、バクバクの会は行政交渉の活動をしなくてはいけないと思います。
 海部総理大臣と同行された前官房長官森山真弓氏が挨拶の中で、今年4月に亜急性硬化性全脳炎(SSPE)が難病指定された事について、「親御さんたちが力を合わせて頑張った成果である」と讃えておられました。親の会の人たちの話を聞いて初めてSSPEという病気や親の抱える問題を知り、難病指定実現の運びに至ったとのこと。親の声を行政に伝えることが必要なのです。
 もう一つ大事な活動は、バクバクの会の事をもっと多くの人に知ってもらうことです。シンポジウムで親の立場から講演されたお父さんが、「親の会を見つけて、経験者の話を聞くことで安心感が得られた。」と話されていました。私自身の経験でも、親同志の交流がずいぶん励みと勉強になり、こどもにも良い影響を与えることができ、生活に深みが出てきました。そしてこどもの未来に希望を持つことができました。
 人工呼吸器を付けた子は全国に1000人ぐらいと推定されていますが、一体その中でどれだけの親がバクバクの会の存在を知っているのでしょうか。呼吸器を付けたが最後、一生病院の外へは出られないと思い込んでいる親も多いのではないでしょうか。
 平本さん宅にかかってきた、ある母親の話です。子供は将来、呼吸器を付けなくてはならない難病と診断されました。その母親は看護婦をしていたので呼吸器を付ける事がどうゆう事であるか知っていました。医者は退院は無理といったのですが、このまま入院していてもいつか呼吸器が付けられる、それ位なら今のうちに家へ連れて帰って、家族一緒に暮らそうと決心しました。退院させてくれそうな病院を苦労して探し転院した末、在宅療育に入りました。そして、呼吸器をつけることなく自宅で亡くなられたそうです。その時点で、その母親は最善の選択をされたと思います。しかし、その母親は知らなかったのです。呼吸器を付けていても家庭で暮らせる、外出や外泊ができる事を。それを知った時のショック、後悔の念、私達にはよくわかります。電話の向こうで、ずっと泣き崩れていたそうです。
 問題は多いのだけれど、呼吸器を付けていても人間らしく生きていける事を、全ての呼吸器をつけた子の親には伝えなくてはいけないと思います。知った上での選択がなされるべきだと思います。私達はもっともっと努力して、私達のこどもの事を知ってもらうように働かなければいけないと思います。親、家族だけでなく、その周辺の人、そうでない人々にも、バクバクの会を知ってもらい、一緒に問題を考え、解決に向けて力を合わせて頑張っていきたいと思います。 全国どこの病院にも1人は呼吸器を付けた子がいるといわれています。ひとりひとりの親の声は小さくても、交流し、親の声を結集することで大きな力になっていくと確信しています。
 シンポジウムの中で、 「小児の在宅酸素療法」を講演された加野草平国立療養所南福岡病院小児科医が、その問題点として、「親の、精神的負担・肉体的負担・経済的負担」をあげられていました。私たちと同じような問題を抱えているわけで、今後は在宅酸素療法をしている親をはじめ、難病の子を持つ多くの親とも手をつないで、一緒に問題解決のために頑張りたいと思います。

◆『バクバク』9 19910115 
◇歩の在宅レポート(4) 平本弘冨美
・家族を支える介護・看護面の態勢
 家族を支える介護・看護面の態勢をこれまでの経験から整理すると、第一に、ホームヘルパーや訪問看護などによる日常的な支援です。我が家では夜間、8〜10時から翌朝の6時迄を2等分して交代で別室で寝ています。夜間に交替した方は、添い寝するのですが、何度か起こされるし、アラームに気がつかなかったらと思うと熟睡は出来ません。土、日曜日にまとめて睡眠を取り、体調を維持しているのが現状です。我が家でそうですから、常時自宅で看るとなればもっと大変です。
 親だからといって、子供を看ているか、寝ているかではあまりに淋しい人生だと思います。親自身のQ・O・Lをも考えた日常的な支援を、今後は考えていかなければならないと思います。
 第二に、感染したときの支援態勢です。一度感染すると回復するまで10日〜3週間かかっています。その間、文字どおり24時間ケアになり、親の睡眠時間も4〜5時間になります。逆に親が病気になった時の事も考えれば、昼間だけでも看てもらえる看護婦派遣制度があればと思います。
 第三に、冠婚葬祭や親の入院といった事態だけではなく、親の休養やQ・O・Lも含めて、看護婦の派遣や一時的にあずけられる施設があればと思います。
 第四に、地域の保育所や小学校などへの受け入れ体制の整備です。在宅しても自宅だけの生活では、安全性はもとより子供のQ・O・Lの面で、入院生活とかわらないのみかそれ以下になる可能性もあります。
(p23)

◆『バクバク』10 19910520 
◇新生活のスタート
 吉岡由美子
♪もうすぐ もうすぐ 幼稚園 幼稚園・・・
 「まるでしほりちゃんの歌やね」と冷やかされながら病室で歌っていたこの曲。この春、在宅を考える事よりも、保育園に入ることがドキドキ、ワクワクしていました。4月6日退院、4月8日保育園入園式、いよいよしほりの新しい生活が始まりました。

在宅生活の質を考えて
 もうひとつ考え続けたことは、しほりにとって在宅生活は望ましい事なのかどうか、ということでした。というのも、今まで31回の外出・外泊(のべ205日)をしていくうちに、しほりに変化がみられました。家にいる時よりも病院にいる時の方が表情も反応も良いのです。最初のうちは、家での暮らしに興味、喜びを示して顔の表情も豊かになっていたのですが、だんだん飽きてきたようです。家から病院に戻ったときには、嬉しそうににっこりするようにまでなってしまいました。
 どうしてそうなってしまったのか・・・思い当たる節はありました。病院では、面会の時間ずっと傍にいてしほりの相手をしてやれます。また、昨年4月より個室から大部屋に移り、多くの友達と一緒に暮らすようになりました。そして、看護婦たちの配慮で、プレイルームで他の子供たちと一緒にテレビをみたり、院内学級に参加することが許されました。子供たちのおしゃべりや仕草をじーっとみつめ、バクバクをしてもらったり、頭をなぜてもらったり、遊んでもらったりしています。しほりにとってプレイルームへ行くことが一番楽しい時間になりました。同じような年頃の子供たちとのふれあいを喜ぶ、それなりの社会性が出てきたようです。ところが家では、他に兄弟もいないし、子供が遊びにくる事はめったにありません。
 「特別なことは何もしなくて良い、ただ家族と一緒に家で暮らせるだけで良い」と思い続けてきた私ですが、家でボーッとテレビをみているしほりの姿は「こんな生活は面白くない」と訴えているようでした。このままでは病院よりも悪い環境にとじこめてしまう事になってしまいます。しほりの姿から、ようやく在宅生活の質を考えなおさなくてはいけないことに気付きました。
 遊ぶ時間が確保できて、子供同士のふれあいができる場所、そこへ出かける事ができればしほりも喜んでくれるのではないか・・・障害児の通園施設も考えましたが、遠くて車でしか通えません。か弱い女の細腕?では呼吸器や車椅子の積み降ろしは無理です。しかも運転中には、しほりの様子を見たりサクションをすることもできず、そんな危険なことはできません。幸い、車椅子を押して気軽に散歩できるくらい近い所に保育園がありました。保育園――病院という温室で育ったしほりにとって、健常児とのふれあいはどんなに強烈な刺激を与えてくれるでしょう。すでに保育園へ通い、子供の中で成長している歩ちゃんの姿は、私たちに保育園を選ぶ勇気と自信を与えてくれました。
(…)

在宅の準備
 淀川キリスト教病院での在宅は2例目ということで、先生方やスタッフの皆さん方には積極的に協力をしていただけました。必要なことを全て、病院のケースワーカーの冨永さんを介してお願いしました。
 (…)
保育園
 在宅の形が決まると、さっそく福祉事務所へ申し込みに行きました。歩ちゃんの時のいきさつを聞いていたので、それなりに覚悟をして行きました。しかし、係の人はしほりの病気の経過と状態、保育が必要な状況であること等、私の話を熱心に聞いてくれました。外出の様子の写真や『バクバク』の歩ちゃんの"在宅レポート"等を見せて、具体的な話をすることができました。何か起きたら取り返しがつかない事を一番心配されていました。事故防止の対策は親が責任持ってする事と、万一事故が起きたとしても責任は親にあると考えている事をはっきりと伝えました。
  ・親が保育園に付き添っていること。
  ・在宅中(半月)しか通えないこと。
  ・雨降りの日は通えないこと。
 などを確認して、入園申込書を受け付けてもらいました。1月末に保育園で面接を受け、2月末に園長先生、大阪市民生局保育部の人、福祉事務所の人たちの家庭訪問を受け、入園の方向で話し合い、最終的に園長先生の決断で入園させてもらえることが決まりました。
(p6)

◆『バクバク』12 19911020 
◇第1回総会の報告
 8月24日(土)午後1時より、新大阪のコロナホテルにおいて会結成以来初の総会をおこないました。
 当日は、東京、新潟、愛知、大阪、兵庫、島根から11家族・計21名が集まり、和気あいあいの中で熱心に意見が交わされました。総会という堅苦しさは微塵もなく、まるで古くからの知り合いのようにうちとけた話し合いができ、楽しくて有意義な会でした。
(…)
 議事の中でも、呼吸器の値段はいくら?、購入方法は?、ケアどうしてる?等々あちこち脱線を繰り返しながらも活動報告、活動方針とも原案どおり満場一致で承認されました。
  両議案を通して、特に強調、議論になった点は、@会の目的は、入院や在宅を問わず呼吸器をつけた子供たちのよりよい環境づくりであって、外出・外泊や在宅が目的の会ではない。Aそうした目的にふさわしい内容の機関紙にしよう。B在宅をめぐる諸問題の中で、経済的問題は近い将来(何年先か分からないが)ある程度解決するのではないか。在宅では、経済的問題もさることながらそれ以上に在宅の家族を支える体制の問題は、看護する家族が疲労困慰すれば子供の生活面はおろか生死の問題ににもかかわってくるだけにより深刻な問題。呼吸器をつけた子の在宅がひとつの流れになろうとしている今、病院から在宅を勧められたという相談も受けるようになった。今後こうした傾向はますます強まっていくだろう、受け入れ体制のある場合は歓迎すべき事であるが、そうでない場合はかなり無理を強いられることになる。何処でも誰でも安心して在宅できるように、経済的問題もさることながら公的な支援体制の整備が今後の大きな課題。…  といった点でした。
 会則の検討では、正会員の定義について議論がありました。呼吸器をつけた子の親以外(例えば、気管切開)からも会に参加させてほしいという意見もあって、正会員の枠を広げようということになり、会則の第4条(1)を「正会員は、原則として人工呼吸器をつけた子(装着が予想される子、死亡した子を含む)および同程度のケアを要する子の親(家族)とする。」と__部が追加されました。
(…)

・総会議案1:活動報告
会結成のいきさつ
 今から5年程前、大阪市北部にある淀川キリスト教病院の小児病棟には長期にわたって呼吸器をつけている子供が6人おりました。他の重症の子供たちの親も交えて親同志の親睦を深めていました。普段あまり手をかけてやれない兄弟姉妹や親自身のためにお楽しみ会を重ね、自由に本音が言い合える関係ができていきました。
 親たちの共通する問題は医療ケア・院内生活についてで、いつも話題になっていました。やがて陰でグチり合っているだけじゃ何もかわらないと考えがまとまり、病院側スタッフに話し合いを申し込みました。これが、呼吸器をつけた子供のためのより良い環境づくりの第一歩でした。その後もケア改善、院内保育、等の要求や部屋代軽減の陳情など病院側との交渉を続けてきました。
 その一方で、ポータブルの呼吸器をつけて外出・外泊の試みが始まっていました。親にとっては、どこからも具体的な情報を得ることができず全くの手探りでした。
何が起こるか予想もつかないまま実践、反省、検討、改善、を繰り返し、それぞれの外出・外泊を成功させていました。緊張と覚悟のいる試みでしたが、親子・家族の絆を深め子どもの成長を促しました。戸外へ・家族の元へ帰ることが子供のいのちを輝かせてやれる事と確信しました。そしてその体験談、苦労話、意見や悩みなどを今後に活かすために記録を残すことが決まりました。呼吸器をつけていても外出・外泊ができることを多くの人々に知ってもらいたいと思いました。
 こうして、2年前の1989年5月に初めての文集「バクバク」を作りました。そして今まで名前のついていなかった"親の集まり"を「淀川キリスト教病院、人工呼吸器をつけた子の親の会」(略称・バクバクの会)と名付けました。

活動内容
 ・外出・外泊の取り組み。その経験・成果を「バクバク」に載せてきました。
 ・月に一度バクバクの会の集まりを持ち、「バクバク」の内容検討・それぞれの近況報告・悩みや問題などの話し合いました。
 ・親や兄弟姉妹のリフレーション。会員同志の親睦を深め、気分転換に役立っていました。

外出や外泊を数重ね、長期化に取り組み続けていく中で、次第に問題がでてきました。

医療制度上の問題・・在宅人工換気療法が医療保険で認められていない一高額な医療費が必要である。責任を問われかねないので医師・病院は積極的に取り組めない一呼吸器が購入できない、等。
福祉制度上の問題・・補装具、介後備品の助成にあてはまるものが少ない。看護婦やホームヘルパーの派遣対象に認められていない一家族の看護負担が大きい、等。
社会の問題・・障害者(児)に向けられる差別・偏見一外出が億劫になる。保育・教育面で制限される、等。
 これらの問題は一家族、一病院だけで解決されるものではなく、社会問題として訴えていかなくてはいけないと考えられました。

結成から今日まで
 バクバクの会が結成された3ヵ月後、日本児童家庭文化協会による第一回こどもの難病シンポジウムが「より良い在宅療育の実現を願って」というテーマで開かれました。そこでバクバクの会員が「呼吸器をつけているというだけで、我が子を家に連れて帰ることができません。お金持ちしか在宅できないなんて医療制度は不公平じゃないですか。」と、爆弾発言しました。さらに会場で「バクバク」の1、2号を配布し全国的に名乗りをあげました。また、医師や看護婦が学会で発表してくれて、全国の医療関係からの問い合わせがふえました。

第二の転機
 会が結成されてから約一年後、平本歩ちゃんが在宅生活に入りました。それをマスコミが取り上げ、世間一般に広めてくれました。あちこちの同じように試行錯誤しながら子供のために頑張っている家族から、連絡が来ました。またそれまで個人的に知り得た他の病院の様子には考えさせられる点が多く、問題を共有したいと思いました。これを機会に他の病院の親との情報交換、呼吸器をつけた子供の環境改善のために協力し合いたいと考え、"淀川キリスト教病院"のわくをはずして会員を呼び掛け、全国的なネットワークへと広げました。
 そして会員同志の交流に役立てるために、「バクバクだより」を発行し初めました。会員名簿・事務局からのお知らせ・会員のお便りなどそのまま盛り込んでいます。月に一度開いていたバクバクの集まりが開きにくくなってきた事もあり、「バクバク」の内容や活動の提案・討議の場としての役割を持つようになってきました。「バクバクだより」に会員一人一人の声が反映されなければなりません。気軽に利用してもらいたいです。
 バクバクの会の目的は、人工呼吸器をつけた子供のより良い環境づくりです。今までの「バクバク」では外出、外泊、在宅の記事が主になっていましたし、表紙のスローガン「人工呼吸器の子らを戸外へ、家族のもとへ」も、外出や外泊を実現するのが目的の会と思われかねません。そうした誤解を避けるために8号からはスローガンを外しました。
 子供の人生を豊かに、より輝かせてやれる環境づくりの一つに、外出や外泊があり、在宅があり、院内での待遇改善があり、機能回復訓練やコミュニケーションの取り組みがあり・・・子供の状態や家庭、病院の事情によって各会員のめざす環境は違ってきます。そういったさまざまな環境の情報を「バクバク」に盛り込むことが必要です。「バクバク」の情報の中から我が子にさせてやりたいことを選択して実践できるような環境づくりの資料になっていきたいものです。
 「バクバク」には外出や外泊、在宅の報告が多く取り上げられています。外出や外泊がしたくてもできない、あきらめざるを得ない親たちはどんなにつらく悔しい思いで読む事か、と心配します。しかしそれでも書かなくては現状が変わっていかないのです。外出や外泊の感動、自分の子供を家に連れて帰りたいという素朴な親の願い・が多くの人に当然のことと考えてもらえれば(まわりの人の意識を変えていければ)自ずと問題は解決していきます。したい人はだれでもできるような環境を作ることが願いです。そのために一番必要なのは、したくてもできない人の声ではないでしょうか。
 外出や外泊、在宅に関する問題点は「バクバク」で何度も訴えてきています。今年4月から厚生省の難病児の在宅研究の一つに人工換気療法の研究班ができました。「バクバク」がその資料に用いられています。私たち親の声が重要視されていることに誇りを持つと共に、良い方向に変わっていくことに希望を持っています。
 90年5月、全国的な呼び掛けを行って以来こんにちまでの会員申し込みは49人、都道府県別にみると北海道(1)、新潟(3)、千葉(1)、埼玉(1)、東京(8)、神奈川(1)、静岡(2)、愛知(2)、岐阜(5)、滋賀(1)、京都(2)、和歌山(1)、大阪(10)、兵庫(6)、島根(2)、山口(1)、熊本(1)、沖縄(1)となっています。その内、6人が亡くなりました。わが子のためにと参加された親御さんの気持ちを思うと胸が痛みます。改めてご冥福をお祈りいたします。

総会議案2:活動方針
 以上の「活動報告」に明らかなように、基本的な問題は出尽くしています。今後は、それをどのように実践し具体化するかです。しかし、呼吸器の在宅使用での保険適用や介護・看護の支援体制の問題をはじめ問題が大きすぎて、1年や2年で解決できない課題が大半です。そうした問題の解決を展望しながら、可能なところから取り組んでいきたいと思います。

(1)会員の拡大
 全国で呼吸器をつけた子供たちは1,000人以上いるといわれています。そして、昨年度の全国規模での実態調査で小児の在宅人工呼吸管理(Home Ventilation Care:HVC)している小児は49人(35施設)、「条件が整えばHVCを施行したい」と考えている症例は107症例と報告されています。大半の子供たちは、病院の中です。それも各地の病院に点在しており、親としてもほとんど情報が得られないまま、孤立感の中で悩み試行錯誤しているのが現状ではないかと思います。また、在宅例は少なく、家族は介護・看護に時間をとられ社会的活動もままならないのが現状です。そうした親や家族の方々に情報を届け、問題を共有し、共に子供たのよりよい環境づくりのために、あらゆる機会、手段を利用して会員の拡大を計っていく必要があります。

(2)入院中のQ-O-Lの向上
 本来的には、家族と共に地域で生活できることが子供たちにとっては最善の方法です。しかし、症状、家族の条件、地域や社会的条件などによってやむなく入院している子供たちが大半です。しかし、子供たちは日々生活し、成長しています。入院中の子供たちのQ・O・Lは、私たちにとって大きな課題のひとつです。
 入院中の子供たちのQ・O・Lを考える場合、@看護婦の定員問題をはじめとする要員の問題。A院内保育や院内学級あるいは訪問教育といった教育の問題。B病棟行事や外出・外泊の取り組み等の問題。C面会や付き添い、親のケアへの参加等の問題。…  課題は山積です。
 現在の病院体制の中にあっても、医師、看護婦等病院側のスタッフと親とのコミュニケーションを深め、共に子供たちのことを考えれば、入院生活をもっと豊かにしてやれることは可能です。
 看護婦の定員問題や院内学級や訪問教育等病院内で解決つかない問題、一病院では購入困難な外出・外泊時の呼吸器等の問題は、それぞれの関係機関や自治体に働きかけていきたいと思います。

(3)在宅のQ・O・L
 「バクバク」(9号)の実態報告でも明らかなように、多くの親が在宅を希望しています。しかし、在宅するには多くの困難があります。そうした困難を克服して在宅しても、公的な支援体制ほとんどない現状では家族の経済的、精神的、肉体的苦労は大変なものがあります。また、家で看ているだけでは入院生活と変わらないのみかそれ以下になる可能性があります。在宅生活のQ・O・Lの向上、とりわけ保育所や学校教育の問題は大きな課題です。

経済的問題・・・@呼吸器やモニター等への保険適用あるいは無料貸し出し制度。A機器のメンテナンスや在宅医療に関係する保険適用枠の拡大。B在宅可能な広さの家の確保、車の購入、電気、ガス、水道等の在宅ゆえの出費に対する援助。C日常生活用具等の開発、援助。・・・
支援体制・・・@訪問看護やホームヘルパー制度の充実。Aデイケアやショートステイの施設や看護婦派遣。Bホームドクター。C緊急時や機器の故障等に対応できる体制。Dボランティア。・・・
教育の問題・・・@地域の保育所や小・中学校への入所、入学(それ自体が困難)。A通園施設や養護学校への通園、通学(車や介助者の確保等)。B訪問教育(回数や時間等)。・・・

 現在、先進的な病院の努力と家族の多大な犠牲のうえに在宅が行われているのが現状です。何処でも誰でも安心して在宅できるよう、上記課題の制度化に向けて、関係諸機関に働きかけた行きたいと思います。

(4)機関誌の充実(5)他団体への参加、連携(6)その他・・・  (略)
(p1-7)

◆人工呼吸器をつけた子の親の会――会則
第1条(名称)
 本会の名称は、「人工呼吸器をつけた子の親の会」 (バクバクの会)と称する。
第2条(目的)
 本会は、全会員が力を合わせ、人工呼吸器をつけた子供および同程度のケアを要する子たちの入院生活および在宅生活をより豊かにものにすると共に、子供たちが生きていく上でのよりよい社会の実現を目的とする。
第3条(事業)
 本会は、前条の目的を達成するために、次の事業を行う。
(1)会員相互の親睦交流、情報交換。
(2)医療体制、社会保障制度、教育制度の充実、向上のための活動。
(3)人工呼吸器をつけた子供たちへの社会的理解を計るための活動。
(4)人工呼吸器に関係する資料、情報の収集。
(5)機関紙等の発行。
(6)その他、必要と思われる事業。
第4条(会員の構成)
 本会は、正会員と賛助会員で構成する。
(1)正会員は、原則として人工呼吸器をつけた子(装着が予想される子、死亡し   た子を含む)および同程度のケアを要する子の親(家族)とする。
(2)賛助会員は、本会の主旨に賛同する個人および団体とする。賛助会員は、機   関誌の配布等、役員会が決定した各種の特典を受けることができる。また、   本会の事業に関連して意見を述べることができるが、本会の議決・運営には   加わらない。
第5条(総会)
 総会は、本会の最高決議機関である。
(1)定期総会は、年1回会長が召集する。また、必要がある場合は、臨時総会を   開くことができる。
(2)総会は、次の事項を審議し、決定する。
   @会則の決定および改廃。A活動報告、会計報告の承認。B役員の選出
   C活動方針、予算の決定。Dその他の重要事項。
(3)総会の議事は、出席正会員の2/3以上を以て決定する。
第6条(役員)
 本会の役員は、会長、副会長(2名)、幹事(若干名)、事務局長、会計、 会計監査(2名)とする。
(1)役員の任期は1年とする。ただし、再任を妨げない。
(2)顧問、相談役をおくことができる。
第7条(役員会)
(1)役員会は必要に応じて開き、総会の議決にもとずき、本会の業務を執行する。
(2)その他、総会の議決を要しない会務について、協議決定することができる。
(3)顧問、相談役は、役員会に出席して意見を述べることができるが、議決に    は加わらない。
第8条(支部)
 会則で定める本会の目的および事業を行うために、必要に応じて支部をおく。
第9条(経費)
 本会の経費は、会費、寄付金、その他の収入を以てあてる。
第10条(会計年度)
 本会の会計年度は、8月1日より翌年7月31日とする。
第!1条(会費)
(1)正会員は、年額2,000円とし、年度の初めに納入する。また事情により、   会費の分納および減免を受けることができる。
(2)賛助会員のうち、個人会員の会費は年額1,000円、団体会員の会費は1   口(1,000円)以上とする。
(3)2月以降の中途入会者の会費は、その年度の会費の半額とする。
(4)顧問、相談役からは会費は徴収しない。
第12条(加盟)
本会は、役員会の議決をへて、必要と認める団体に加盟することができる。
第13条(付則)
 この会則は、1991年8月24日より効力をもつものとする。
以上(p25-6)

◆『バクバク』13  
◇積極的に生きる 吉岡 由美子
 はじめて小学校へ入学希望の話をしに行ったのは6月25日。保育園に通い出して間が経っていませんでしたが、しほりが通園を楽しみ子供の集団の中に入りたがっているのは分かりました。しかし、家から遠い養護学校へ通学する方法がありませんでした。かといって移動が困難であるだけの理由で、しほりに集団生活をあきらめよとは言えません。 (私にとっては訪問教育を受けるほうがずっとずっと楽なのですが。)普通学校では施設が整っていない、初等教育に馴染まない、専門家がいない等言われましたが、しほりが通えるところは地域の学校しかなかったのです。
 保育園へ通えたことは在宅生活に思っていた以上の恵みをもたらしてくれました。園長先生や先生方の励ましと協力のおかげで、集団の中にとけ込むことができ、しほりの瞳は輝いていました。しほりの成長だけでなく、まわりの子供連の接し方の変容には、改めて同じ場所で同じ時を過ごす子供同志のふれあいの素晴らしさを感じました。保育園の友達が兄弟や友達を連れて家に遊びにきてくれるようになり、お母さん達とも親しくなり、地域の中で顔見知りも増え、家の中だけで生活していては得られない人の輪が広がってきました。しだいにこの地域で友達と一緒の学校へ行きたい、と強く思うようになりました。
 井高野小学校への就学通知を受け取った数週間後、病院でしほりは急変しました。呼吸器を付けた子の宿命というべきアクシデントでした。しほりは生死の境をさまよいながらも一生懸命生きることを選んでいます。この命を大事に活かしていきたい。新たに脳障害が加わりましたがそれでも学校へ行こうと思います。家で暮らし子供たちのなかに入れることは、しほりの望んでいた生活であり、今のしほりに有効なリハビリになるはずです。(p2-3)

◇歩の在宅レポート(6)平本 弘冨美
 無事に2周年を迎えることができました。これもひとえに多くの方々の理解と協力、支援のおかげでと感謝しています。2年目の最大の課題は、入学問題でした。
 私たちは、迷う事無く地域の小園小学校(普通学級)を選びました。しかし、人工呼吸器をつけて地域の小学校に通う、前例がないだけに相当の困難が予想されましたが、案ずるより産むが易し、100%親の意向が入れられたわけではありませんが、小園小学校(障害児学級)ということでとりあえず地域の小学校に通えることが決まりました。久々の"在宅レポート"、入学問題を中心にまとめました。

なぜ地域の小学校なのか
 2年間の保育園生活は、歩にとって本当にすばらしいものでした。日曜日や感染時にさえ保育園に行くと言い続けてきたことがなによりの証拠です。逆に、夏休みや冬休みで長期に休みをとると、ストレスで胃から出血することが何度かありました。保育園生活とりわけ子どもたちとの関係の申で、歩は大きく自立・成長しました。他の子どもたちも、歩の存在を特別視することなくひとりの仲間として付き合ってくれました。子供たちにとっても、貴重な経験になったと思います。親も多くのことを経験し、多くのことを学びました。とりわけ保母さんや子どもたちとの信頼関係の大切さ、子どもは子どもの中で育つ、共に生きることの大切さすばらしさを理屈ではなしに実感としても感じるようになりました。共に生きることの大切さすばらしさを実感した私たち親子にとって、保育園の友達や地域の子供たちと地域の小学校に通うことはごく自然な選択でした。

入学問題の経過と問題点
 91年5月29日に小園小の校長先生に小園小(普通学級)に通わせたい旨伝えて協力を要請して以降、10月25日―就学時健診、11月29日―就学指導委員会への呼び出し、12月10日一市教委の決定報告、92年2月1日―就学通知受領、これ以外にも何度か小学校や市教委と話し合いをもちましたが以外とスムースに市教委段階では受け入れが決まりました。しかし、市教委の決定は障害児学級を新設して受け入れるということなので、最終的には3月23日の県教委の決定まで待たなければなりませんでした。
 市教委の決定から3ヶ月半も最終決定が引き伸ばされたことは、親とすれば非常に腹立たしいことですが、ある意味では良かったと思います。3ヶ月半もの期間、人工呼吸器をつけた子の就学問題が県教委の各レベルで慎重審議され、その審議をふまえての決定なので、歩の入学後の生活にとって十分な人的物的な配慮がなされるだろうし、今後入学してくる同じような子どもたちにとって大きく道を開き、さらに呼吸器をつけて在宅している子の存在を知ってもらったという意味においても良かったと思っています。
 12月10日の市教委の決定は、次のような内容です。市教委としては就学指導委員会の答申・・・《養護学校(訪問教育)、但し本児の状況、保護者の願いを考えて、 「医療行為を保護者が責任をもって行なうこと」を条件として、「障害児学級(肢体不自由児)もやむおえない》・・・にそって、県教委との交渉(障害児学級は県の認可事項)にのぞみたいが如何に、というものでした。
 それに対して、親としては@普通学級が希望なれど、障害児学級を設置しなければ加配がとれないという現行制度の中で、人を確保するという意味に限り障害児学級設置を了解。A健常児と一緒に学習し行動できる原学級保障を要求。B在校の障害児や今後入学してくる障害児を新設の障害児学級に入れることには反対、原学級保障すべき。C入学後のことを検討する場の設定。D付き添いの代行。の5点を出して話をしました。
 市教委は、@に対しては、本来の意味での障害児学級設置。Aは、原学級保障はできないが交流教育を最大限追求する。Bは、歩だけの障害児学級設置で他の子を入れることはしない。Cは、学校を中心に。Dについては後日、生命にかかわる問題なので付き添いは親に限るとの回答がありました。
 原学級保障と付き添いおよび付き添いの代行の問題が今後の大きな課題として残っています。原学級保障の問題は、親とすれば普通学級で共に生活する(原学級保障)中で出来ることからやってもらえばいいと思っているのですが、市教委のいう交流教育は障害児学級で生活しながら出来るところから交流していくというもので、考え方は大きく違っています。
 付き添いの代行問題は、@命にかかわる問題ならばなおさら代行を認めるべき、親は24時間ケアをしており、代行してもらえればその間親は休養できるので安全性はより高くなる。A親は不死身ではなく病気もすれば怪我もする、親が動けなければ子どもは学校を休むことになる、義務教育の就学保障をどうするのか。の2点を出して交渉しましたが、市教委としては「親御さんにお願いするしかない」の一点張りで話は平行線のままです。

入学を可能にした条件
 親とすれば地域の小学校に通うことはごく自然な選択ですが、人工呼吸器について"生命維持装置""瀕死の重症患者のつけるもの"といった考え方が支配的な現実や人工呼吸器をつけた子どもたちのおかれている現実からみれば、市教委はよくぞここまで出してきたものと思います。
 入学できた第一の理由は、なによりも2年間の保育園の実績です。感染の減少も市教委では大きな判断材料になったみたいです。ちなみに感染による保育園欠席日数は、昨年度75日、今年度26日と1/3近く減少。出席日数は、昨年度172日、今年度227日と55日増加しています。
 第二に、親の姿勢です。指導委員会内部では、訪問教育が多数意見だったと聞いています。親が早くから交渉し強く主張しなかったら、かなり紛糾しているか訪問教育になっていたと思います。
 第三に、受け入れ校の校長先生が前向きに取り組んでくださったこと、先生方からも受け入れに対して反対する意見が出なかったこと。
 第四に、地域の学校でがんばっている親子や支援の人たち、歩の在宅を支援していただいている多くの人たちの影の力、さらに障害を理由に高校入学を拒否された玉置君の問題が大きな社会問題になっていることも、歩の入学に有利に作用したと思います。

共に考えながら
 人工呼吸器をつけて地域の小学校に入学するのは全国初の事例、保育園生活がそうであったように、どのような学校生活がおくれるのか親はもとより先生方にもわかりません。先例がないだけに、ある意味では気楽、ある意味ではやりがいのある仕事だと思っています。保育園での成果を生かし、校長先生はじめ先生方と共に考えながら、又、同じく人工呼吸器をつけて大阪市で入学する吉岡しほりちゃんとしほりちゃんのお父さんお母さんと共に、人工呼吸器をつけた子どもたちや難病の子どもたちのためにも楽しい学校生活がおくれるように頑張りたいと思います。

◆『バクバク15』
◇総会議案(2)92年度活動方針
 「バクバクの会」、人工呼吸器をつけた子どもたちをめぐる状況は、この2、3年で大きく変わってきました。そうした状況に対応すべく、「バクバクの会」も新たな転機を迎えています。外出・外泊の経験を伝えるべく全国的に名乗りをあげた第1期、全国的なネットワークづくりをはじめた第2期、そして今回、私たちの直面している問題は何ら変わっていませんが、よりシビアな問題として迫ってきています。これまでのように問題提起に終わるのではなく、問題解決に向けた取り組みを強化していかなければならないと思います。いわば第3期を迎えたといえます。
 昨年、保険制度のなかにはじめて在宅人工呼吸指導管理料(1,500点)と人工呼吸器加算(1,000点)が認められ、今年度それぞれ1,800点、2,700点にアップされました。又、新潟、神奈川、東京、兵庫などの自治体が在宅人工呼吸器貸出事業に取り組むなど、在宅人工換気療法は公的にも認知され、呼吸器をつけての在宅はひとつの流れとして確実に定着してきています。
 そうした流れの中で、条件があって親が在宅させたいと思っても病院側の理解が得られず在宅できない子どもたちがいる反面、親の意識や受け入れ体制が不十分にもかかわらず病院側主導で在宅がすすめられる傾向もでできています。保険制度や貸出事業などで経済的問題が整備されればされるほど、後者の傾向は加速されるのではないかと危倶します。こうした傾向に歯止めをかけながら、在宅の問題は慎重に考えていきたいと思います。
 在宅生活の安全性について、とりわけ要となる公的な支援体制はほとんどありません。それぞれの家族が、ボランティア、社協ヘルパー、入退院の繰り返しによる部分在宅、家族だけの必死の頑張りや親類縁者の助けなど、個人的努力や経済的負担によって、なんとか維持しているのが現状です。親に精神的、肉体的余裕がなければ、子どものQ・O・Lはおろか、安全性の確保すら保障できません。経済的問題もさることながら、人的な支援体制の整備が今後の重要な課題になっています。
 在宅生活のQ・O・Lを考える場合、どれだけ地域との関わりがもてるか、とりわけ、どれだけ同年令の子どもたちとの関わりがもてるか、で在宅生活の質は大きく違ってきます。そうした意味で、しほりちゃん、歩ちゃんの地域の小学校への入学は、呼吸器をつけていても地域の保育園や小学校に通えるという実績を作り、呼吸器をつけた子どもたちの在宅生活にとって、大きな可能性を開きました。このしほりちやん、歩ちやんの取り組みを、例外としてみるのではなく、条件さえ整えれば誰でも実現可能な先進的事例として、評価したいと思います。
 「バクバクの会」の目的は、呼吸器をつけた子どもたちのよりよい生活、子どもたちが生きていく上でのよりよい環境づくりです。基本的には、家族のもとで、地域との関わりを持ちながら生活できるのが最善の方法と考えますが、病状やさまざまな条件の中で入院生活を余儀なくされている子どもたち、なにかと制約の多い入院生活だからこそ、もっと意識的に入院生活の問題を取り上げていかなければならないと思います。

@会員の拡大
 会員増の最大の要因は、マスコミによるものでした。いわば親からの連絡待ち、受身の姿勢です。今後は、地域的な働きかけや医療機関への働きかけなど、積極的な会員拡大を計っていきたいと思います。そのために必要な、会の紹介や案内を内容としたリーフレットを作成したいと思います。

A入院中のQ・O・Lの向上
 入院中の子どもたちのQ・O・Lは、親と病院側の考え方や取り組みに大きく左右されます。子どもの状態にもよると思いますが、「入院して数年一度も風呂に入っていない」、「ベッドを離れたのは検査の時だけ」とか、病院によって子どものおかれている状況は様々です。再度、入院中の子どもたちや親のおかれている状況の実態調査を行ない、問題提起をおこなうとともに、問題解決に向けて関係機関に働きかけたり、先進的な取り組みや考え方を積極的に紹介していきたいと思います。
 しかし、病院というシステムの中ではおのずと限界があります。早期に療育面を中心とした施設に移行できるように、そうした施設(在宅のバックアップもできる機能を備えた中間施設として)について、欧米の実績なども参考にしながら考えていきたいと思います。

B在宅のQ・O・L
 現在、会員の中で呼吸器をつけての在宅は15名です。そして、会員の多くが在宅を希望しています。在宅の経済的問題、支援体制、地域での受け入れ体制の整備は急務な課題となっています。とりわけ支援体制の問題は、安全性の面からも生活面からも最も重要な課題として取り組んでいきたいと思います。
 在宅のQ・O・Lを考える場合、地域の通園施設や保育所、養護学校や普通小学校の果たす役割は非常に大きいといえます。しかし、そこに入園、入学することがまず難関です。そして・なんとか入園、入学したとしても、そこには新たな問題が待ち構えています。そうした問題の多くは、呼吸器や呼吸器をつけた子に対する認識の違いによるものです。呼吸器は生命維持装置、瀕死の重症患者のつけるものという考えが支配的な現状の中で、危険であるとか、命に関わるからとかといった問題が先行し、どうしても特別扱い、差別的扱いをされる傾向にあります。呼吸器をつけていても、"ひとりの人間、ひとりの子ども"なのだという社会的理解を計っていきたいと思います。
 在宅している家族の方々は、それぞれ創意工夫をこらしながら在宅生活を続けています。その経験は貴重です。そうした在宅生活の成果を集約し、在宅している親、これから在宅しようとする親や関係者の人たちに役立つような、在宅生活のマニュアル作りに取りかかりたいと思います。

C機関紙の充実
(………)(p3-4)

◆『バクバク』22 19941120 
◇94年度活動計画《入院分科会報告》 大塚 孝司
3.「会としての反省点」について
 「バクバクの会」は、人工呼吸器をつけた子どもたちの為の会であり、すでに在宅をしていたり、これから在宅をす目指す人たちだけの会では無い。外出、外泊が困難であっても、精一杯頑張っている子どもたちの為の会でもある。会則の目的に沿った運営をお願いしたい。
 子どもの病状や、各家庭の状況により、入院のほうが良いと考えられる場合も数多くあることから、入院中のQ.O.L.の向上を目指し、努力していきたい。

◇総会を終えて バクバクの会会長 平本 弘冨美
(…)  議論が深まったことによって、会としての問題点も鮮明になってきました。それは、入院分科会からの「会としての反省点について」という指摘に象徴的に表されています。この問題は、単に入院か在宅かといった選択肢の問題というよりは、子どもたちの生き方、親の生きざま、そして、なによりも社会のあり方を問うより本質的な問題であり、会の基本方針に関わる非常に重要な問題だと思います。
 以下、私見をのべ、入院分科会からの指摘に応えたいと思います。今後の会のあり方を議論するうえでの参考になれば幸いです。
@なによりも子どもたちの思いと生活を大切に(子どもが主入公)することを基本にすえ、子どもたちの生活上の諸問題を子どもたち自身の障害や状態に求めるのではなく、社会的問題として取り組んできました。
A親の思いといえども、社会的状況から自由でありえず、場合によっては子どもの為にならないこともあるという、親の思いにも両面あるということを肝に命じながらやってきました。
 私たちも、外出をはじめた頃は嫌悪、奇異、同情といった社会の目がおおいに気になったものです。又、迷惑をかけてはという気持ちも多分にありました。親の会(バクバクの前 身の院内グループ)で、子どもを主人公にしたケアのあり方や入院生活について病院側との話し合いなども行なってきましたが、一般的な医者と患者の関係に縛られて、思いはあるけれどなかなか言い出せなかったものです。
 そういう意味で、子どもを主人公にした取り組みは、社会を変えていく運動であると同 時に親自身も変えていく運動であると思って います。
B私たちにとって、在宅は、子どもの思いと生活を大切にすることを基本に取り組んできた結果であって、新たな出発点でしかありません。
 基本的には、子どもの状態で入院治療の必要な子は別として、家族と共に地域の中で生 活することが子どもにとって最善の道と考えています。しかし、入院や施設入所の家族を批判するっもりはありません。入院、施設入所、在宅、いずれであれ、それぞれの家族が、子どもの病状や家族の事情、地域や社会的状況の中でギリギリの選択をしている事は、私たちもそうですから痛いほどわかります。
 しかし、入院や在宅を選択肢として対立的・固定的に考えるのは反対です。ギリギリの選択としてある現状は、あくまでも現時点の選択で、それを選択肢として考えることは、現状を固定的に考えることにもなります。
 子どもの思いと生活を大切にすることを基本に、それぞれの場で最善を尽くすことはもちろんですが、在宅させたくても出来ない、在宅が必ずしも子どもの為にならない現状を社会的問題として考え、変えていくことこそ大切ではないかと考えています。
 以上、個人的な意見として述べましたが、これは、少なくとも在宅可能な子どもたちを対象とした考え方です。もうひとつの柱は、今回の総会ではたせなかった、もっと障害が重く在宅も不可能な子どもたちの問題です。どんな状態の子であっても、ひとりの人間としてひとりの子どもとして尊重されなければならない、と口では簡単に言えますが、ではどういう状態がその子にとって最善の状態なのかと聞かれると、残念ながら明確な答えをだすことが出来ません。今後の重要な課題として取り組んでいきたいと考えています。

◆『バクバク』23 19950220
◇「トピックス:人工呼吸器のレンタル事業開始」
 もはや500万円〜600万円の人工呼吸器を患者が買って帰る時代は終わりました。  在宅人工呼吸療法の保険点数を利用し、『メーカーが病院にレンタルし、それを患者に貸付けて在宅する』ことができる様になりました。(…)
 この呼吸器レンタル事業開始は、昨年4月に保険点数が大幅にアップされたことによりますが、現在の点数でもメーカーはギリギリの採算しかとれず、自社 努力により行なっているというのが現状の様です。また、保険適用されない疾患もあり、いつでも誰でもレンタルできるというところまではいっていません。
 特に、保険適用に疾患制限があるということは、『この病気の子は生きてもいいが、この病気の子は生きる必要がない』と国が言っているのと同じことではないでしょうか。
 人工呼吸器の必要な者、児、全てに適用されるべきです。今後も、引き続き、保険点数のアップと疾患制限の撤廃を早急に求めていきましょう。p17

◆『バクバク』25 19950713
◇平本歩ちゃんの在宅5周年の報告 平本 美代子
 皆さんこんにちは。
 本日は、歩の在宅5周年に当たりまして、札幌の佐藤さんをはじめとして、岐阜の今井さんや徳島の勝浦さん、「バクバクの会」のたくさんの子どもたち、安積さん、熊谷さんや曽我部さん、本当に多くの方々がご参加いただきまして、ありがとうございました。
 歩が無事に5年間の在宅生活が送れましたのも、ひとえに淀川キリスト教病院、阪神医療生協、善法寺保育園、小園小学校、「バクバクの会」、「なのはなの会」など、たくさんの方々が一緒に考えて共に行動してくださったおかげと思っております。非常に感謝しております。ありがとうございました。
 歩が呼吸器をつけましてまる9年、在宅生活を始めまして5年がたったのですけれども、その間に本当にいろいろなことがありました。中でも一番心に残っていることが、やはり佐藤きみよさんとの出会いではなかったかと思っています。
 3年前に北海道の佐藤さんを訪ねたのですけれども、佐藤さんに会うことが夢でしたので、その夢が実現して非常にうれしく思っていました。今回、呼吸器をつけた者同士が再び会えて、また夢が実現したなと喜んでおります。
 佐藤さんは、呼吸器をつけて初めて自立生活をされた方ですが、予想どおりすばらしい生き方をされていまして、3年前に会ったときに非常に感激しました。「次回はぜひこちらのほうに来ていただきたい」とお誘いしたのですけれども、「体力的なこともあって、たぶん行けないんじゃないかな」というお返事だったので、半ばあきらめていました。しかし、今回、この5周年に際して「夢よ再び」とアタックしましたところ、私たちのラブコールに「ぜひ行きたい」とこたえていただきまして、今回の再会が実現したのです。
 時間もあまりありませんので、簡単にこの5年間を振り返ってみたいと思います。この5年間で見えてきたことや成果、あるいは問題点、今後の課題などについてお話をして、呼吸器をつけた子どもたちがこれから輝きながらいきいきと生きていくたあの手がかりを探っていきたいと考えております。
 歩が在宅をしたころと今日の状況を比べてみますと、呼吸器をつけた子どもたちを取り巻く状況は非常に驚くほど変わってきています。
 歩が在宅したころは、在宅そのものが非常に大きな話題でして、マスコミなどにも大きく取り上げられました。しかし、保育園に通うということもあって、特に医療関係者の中から、「それは無謀である」、あるいは「危険である」、「親のエゴ、見栄ではないか」という批判もたくさんいただきました。小学校へ入学したときには、特に『週刊新潮』に中傷・歪曲した記事を書かれたり、深夜の無言電話も2カ月ぐらい続きました。
 大体夜中の1時から2時、3時ぐらいに無言電話が数回にかかってくるのですが、2時ごろが私とお父さんとが交代する時間なのですね。ですから、ほかの人たちは「大変ですね、夜中にそういう電話がかかってくるなんて」と言われるのですが、私たちにとっては、「はい、そろそろ起きてくださいよ」というコールだったもので(笑)、非常にありがたかったのです。「また今夜もかかってきたな。起きないといけないな」という感じで、そんなに苦にはなりませんでした。しかし、何回かマスコミに出るたびにかかってきた無言電話ですけれども、この1年ぐらいはおさまっています。
 今日では、この会場にもたくさんの呼吸器をつけている子どもや大人たちも来ているように、在宅は珍しいことではありません。地域の保育所、幼稚園、小学校にも通えるようになって、知っている限りでも全国で9人の子どもが地域の保育所や幼稚園に通っているようです。ですから、親ががんばれば何とか入れる状況までにはなったのではないかと思っています。
 経済的なことについても、私たちが在宅するときには機械器具類を含めて500万円ぐらい自費で購入しなければいけなかったのですけれども、今ではレンタルできまして、さらにその費用も保険でカバーできるようになっています。疾病の違いなどによってできない場合もあるのですけれども、経済的な問題もほとんどクリアできるのではないかという状況になっていると思います。
 行動面につきましても、ご存じのように、車や電車、新幹線はもちろん、飛行機での旅行も自由にできるようになりましたし、うちでは昨年、乗鞍岳に登ってきました。今年は、バクバクっ子たち7〜8名で立山に登ろうという計画もしています。後ほどまたその呼びかけもあるかと思います。
 私たちは、在宅してから一貫して、「呼吸器をつけているけれども、一人の人間であるし、また一人の子どもである。だから、子どもとしての当たり前の生活をさせてやりたい」と考えてきぎした。それは、きちんと口で言ったわけではないのですが、歩自身がそういう生活をしたいと要求してきたし、選んだ生き方でもありました。
 私たちがそのように考えるようになった一番のきっかけは、淀川キリスト教病院に入院しているときに主治医の島田先生から、「ちょっと外出してみないか」という話しかけがあったことからです。生後6カ月から呼吸器がつけられまして、非常にショックで、「これでこの子の一生は終わりだ。一生病院の中で暮らしていくだろう」と考えていました。呼吸器などというものは、見たことも聞いたこともありませんで、生命を維持する装置、延命を助ける装置で、本当の重症患者がつけるものだというイメージがすごくありました。
 島田先生に勧められてから、外出・外泊を26回在宅するまでに行ったのですけれども、その間に、呼吸器さえあったらどこへでも行ける、生命維持装置という意味ではなくて、歩が生活する上で必要な道具であって、私たちが使っている眼鏡や松葉杖、車いすと同じ補装具か日常の生活用具であると、考えが変わってきました。
 この「生命装置から補装具へ」という考え方の転換が非常に大きな岐路になりまして、今までは「歩は呼吸器につながれている人間」と考えていたのですが、そうではなく、「歩自身が呼吸器をつけている。呼吸器をつけた歩」と考え、「一人の人間である、一人の子どもである」と考えられるようになりました。そのころ、親である私たちも、精神的に呼吸器から離脱(ウィニイング)できたのではないか、と考えています。ですから、私たちにとっては、在宅、そして地域の保育所に通うことは、本当にごくごく当たり前の選択でした。
 在宅すると同時に保育所の門をたたいたのですが、これはすんなりといったわけではありません。寝たきりだし呼吸器をつけていることで、「とんでもない。前例もない」という対応をされまして、呼吸器とはどんなものか、呼吸器をつけてどんな生活をしているのかを一切見にも来ないし聞きにも来ないまま、けられてしまいました。
 ここで保育所に入ることを運動として取り組むことも一つの方法ですが、たぶんかなり長い時間かかって交渉しなければなりませんし、そのうちに歩は成長して小学校へ行く年齢にもなるだろうと考えまして、一歩退いて公立保育所をあきらめて私立の保育園を探しました。そこで出会ったのが善法寺保育園というすばらしい保育園でした。善法寺保育園では、一人の園児として、寝たきりだから、呼吸器をつけているから何もできないのではなく、どうすればできるようになるのかと、職員だけではなくて子どもたちにも問いかけて、共に考えながらやってくださいました。
 一番ネックとなっていた医療ケアについても、保育の一環であるととらえて実践していただきました。おむつをかえたり、よだれをふいたり、ミルクを飲ませたりすることが保育の大事な1つの場面ですけれども、こういう子どもたちにとって、たんを取ったり、鼻からミルクを注入することなどによって、快適な生活ができ、保育所の生活がスムーズにいきますので、そういうことも保育の一環であろうと取り組んでいただきました。
 ほかの子どもたちも、つばをふいたり、ワゴンを押してくれたり、そういう関係が自然にでき上がって、歩自身の自立の一歩となって、本当に大きく成長したと思います。私たちは「障害があっても難病であっても、やはり共に生きることが本来のあり方だ」と頭の中では思っていたのですが、2年間のすばらしい実践、周りの子どもたちや歩自身の成長を見ていて、これは間違っていなかったと確認しました。そういう意味では、歩がみんなと一緒に生活する自立の一歩を踏み出したスタートの場としては、非常にいい場所であったし、いい条件であったのではないかと思っています。善法寺保育園の実践に対しては、今でも心から感謝しております。
 この保育園での実績があったので、小学校への入学はわりとスムーズにいきました。校長先生も前向きに取り組んでいただいたと思っています。
 入るに当たっては問題点もたくさんあったのですけれども、まずとにかく入ることが先だと、問題点を持ち越した形での入学になりました。ですから、親の付添いであるとか、学級籍を普通学級に置きたかったのですけれども、今の状態では無理なので障害児学級に置いてのスタートでした。
 現在、歩は、あっと言う間に成長して小学校4年生になって、一昨年に肺炎で1カ月ほど入院した以外は病気では全く休まないで、まる3年間学校に通い続けています。今では本当に小園小学校の子の一人として大きな顔をしています。やはり小園小学校の子になったんだなと、私自身もこのごろ感じています。私は1年間に3回ぐらい、運動会とか参観日にしか行かないのですけれども、最初のころは周りの観たちの視線をとても感じていまして、特別な子ども、特別な人という受け止めを、言葉ではなくて空気として感じました。ところが、最近では、運動会に行っても、「歩ちゃんがあそこにいるよ」ではなく、「歩ちゃんの横におる子がうちの子なんよ」という声が聞こえでくる。やっぱり小園小学校の中の一人として認められてきているなと感じています。
 学校生活については、非常にたくさん問題点はあるのですけれども、障害児学級籍であっても100%普通学級でみんなと同じように勉強できるようになっています。電動リフトの設置工事もかなり進んでいたのですけれども、さきの震災によって、検査を待つだけという段階で使えなくなっています。今は、運動場に建ったプレハブ教室で勉強している状態です。
 それと、親がずっと付き添っているのですけれども、昨年2月から土曜日に「なのはなの会」のメンバーが何人か交代で親の代わりに付添いすることを教育委員会に認めさせることもできました。まだまだ親が学校から完全に離れるという状況には至っていませんし、安全面の問題や学校生活の障害児教育にかかわった中身の問題等について、まだ今後やっていくべき課題もたくさんあるかなと思っています。
 入り口に、1年生のときがピンク、2・3年生のときが黄緑色の「学校生活の記録」という冊子を置いてありますので、まだの方はぜひ買っていただいて、詳しくはそこで読んでいただきたいと思います。それを読んでご批判等がありましたら、遠慮なくおっしゃってください。
 いろいろ言いたいことはありますが、呼吸器をつけた子が地域、学校で生きていくことは、どうしても医療的ケアを考えざるを得ません。それがネックになって生きにくい状況ができているのではないかと思います。学校生活を楽しく送っていくためにも、また親が付添いから離れられる条件整備をしていくためにも、医療的ケアが非常に大きな壁になっています。
 私たちのこれまでの経験から言うと、医療ケアと医療的ケアは分けて考えるべきであろうと考えています。少なくとも親が見ている中で行っているケアについては、日常生活行為、医療的ケアとして、法的な規制の対象ではないのではないかと考えています。医療行為といっても、体温をはかることから手術や臓器移植に至るまで、本当にビンからキリまでありますけれども、そういうことは時代とともに少しずつ変化しているのではないかと考えています。10年前の医療と現在の医療が明らかに変わってきているように、医療ケア・医療的ケアのとらえ方についても、かなり変わってきつつあると考えなければいけないと思っています。
 そうした現実を見ずに、単に「医療法で決められているから。法律違反ではないか」と決めつけるのではなく、1つの命を保障していくためには教育や保育の現場でどうしなければいけないかを考えていってほしいと思っています。
 特に予想されるアクシデントとしては、気管切開をしているところのカニューレが突然何かの拍子に抜ける場合や、体調が悪くてたんが詰まって吸引しても取れない場合、あるいは心停止した場合などがあります。健常の子の場合でも、プール指導の前に先生たちは人工呼吸法や蘇生法について研修を年に何回かやられていますけれども、それと同じように、カニューレの交換や救急処置について日ごろから研修・講習をしておけば、何ら法的にも問題はないし、慌てなくても済む、命の保障もできると思います。
 私たちは、「医療というのは一体誰のためにあるのか」と常々考えてきまして、どうしても主体となるのは本人ではないかと思います。今の医療では、病院や医者が中心となって、本人はその次と考えられがちですけれども、本人がよりよく生きていくためにはどんな医療が必要か、そのためには医療はもっと開かれたものであるべきではないかと考えています。少なくとも在宅して幼稚園、保育所、学校に通っている子どもたちにとっては、あくまでも日常生活行為、医療的なケアとして、保育の一環、教育の一環として積極的に位置づけてほしいと思います。現場の保母さんや学校の先生たちが行うことがベストな方法ではないかと考えています。
 それはなぜかというと、歩の場合もそうでしたけれども、たとえばたんを吸引するとか、栄養剤を注入するという医療的ケアは、その子の生活にとってしなくてはならないことです。それを保母さんや教師がやることによって、その日の体の調子がわかったり様子がわかったりして、結局信頼関係が深まっていく。本人自身も、「こういう形でたんを取ってほしい」とか、「きょうはしんどいからこうしてほしい」と言える関係ができていく。そういう関係がないと、保育や教育は成り立っていかないのではないかと考えるからです。
 もう1つは、医療的ケアがあることによって、親が始終付き添っていなければいけません。しかし、「難病の子や障害の子はいつも親がそばにいるものだ」という観念が定着してしまうと、学校の先生たちにしても、「障害児には親が付き添っていて当たり前。何かあれば親を呼べばいいんだ」という安易な考え方になってしまいます。それも障害児に対する差別ではないかと思います。さらに、周りの子も「障害児には親がいつも付き添っているものだ」と日々教え込まれてしまうのです。ですから、親が付添いを離れるためにも、医療的ケアが学校の中で行われるべきだと思います。
 もう1つは、親が離れることによって、たとえば家で休養することができまして、夜間の介護も余裕を持って行えます。呼吸器をつけた子どもたちは、どうしても夜間にいろいろな事故が起こる率が高いのですけれども、これは、親が疲労困ぱいしているからなのです。そこで、学校や保育所で医療的ケアが保障されれば、親がもう少し体力的にもゆとりを持って夜の介護に当たることができます。そういう意味で、医療的ケアを保育や教育の現場で今後行っていくことを追求していきたいと考えています。
 そうは言いましても、安易に「先生にしてもらって当たり前」という極端に走るのてはなく、医師や看護婦の参加を否定するわけではありません。やはり安全面を確保するために、現場の保母さんや先生に対する研修や指導、あるいは緊急時の受入れなどのバックアップの体制としてぜひとも必要と考えています。
 医療的ケアへの対応については、いろいろと情報が入ってきますけれども、全国各地の教育委員会によって対応がバラバラです。つい最近のことですけれども、沖縄の那覇市で公立の幼稚園に通って健常の子どもさんと一緒に楽しくやっていた子どもさんが、小学校に入るとき、親御さんが「親が付き添うから養護学校に入れてほしい」と言ったところ、「学校現場で医療的ケアはできないので、訪問教育にしてください」と言われて、何年間か地域の子どもたちと一緒にやってきたものが訪問教育になってしまったという例も聞いております。こういう驚くべき実態もあるのです。
 医療的ケアの問題は、子どもの就学先を決定する上で非常に重要なことです。ですから、私たち個人の問題としてではなく、社会的、全国的な問題として取り組んでいきたいと考えています。昨年の11月、「医療的ケアの必要な子の就学を保障する会」を発足させまして、会員も募集しておりますので、ぜひ入会していただきたいと思います。
 終わりになりますが、この5年間、ずっと「一人の人間、一人の子どもとしての当たり前の生活」をめざして取り組んできたのですけれども、私たちも歩に自分の生きざまや考え方を問われてきました。
 たとえば、歩は出たがりなのであちこちにしょっちゅう出かけていまして、車が一番楽ちんなので車で行くのですけれども、車を拒否して「歩いていこう」と言うのです。歩いていくと時間もかかるし疲れると言うと、次は「電車で行こう」と言います。電車と言われると、私たちは、「あの駅にエレベーターがあったかな」とか、「駅員さんの対応はどうだったかな」とか、すぐそういうことが頭に浮かんでしまって、ついついおっくうになってしまうのですけれども、歩は「1駅でも電車に乗りたい」と主張するのです。
 いつだったか、天王寺動物園へ出かけました。いつもはもちろん車で行っていたのですが、歩が「環状線に乗りたい」と言うものですから、すったもんだしながら仕方なく初めて環状線に乗りました。そのとき初めて気がついたのですけれども、あの大きな大阪駅にエレベーターがないのです。6〜7人の駅員に助けてもらったのですが、この大阪の一番大きな大阪駅にエレベーターがないことが初めてわかって、これも歩に教えられたなと思っています。
 最近、歩は、佐藤さんのように料理をしたいとか、洗濯物を干したいとか、あれをしたいと主張します。お兄ちゃんたちは、「1分でも早くごはんを食べたいのに、歩が料理すると1時間かかる」と文句を言いますので、それもすったもんだして、最終的には歩が勝って料理もしています。
 どうしても周りの者は便利さや快適さを追求してしまうのですけれども、歩自身のものではないと最近考えさせられています。歩が当たり前に生活していくことを親が保障してやろうと追求していけばいくほど、こんどは親の生活が当たり前でなくなってしまいますし、時間的にも体力的にも非常にとられてしまいます。歩は、4年生ですから4時ぐらいに帰ってくるのですけれども、やれやれと帰ってきたところの玄関で、また「外へ行く」と言いだすのです。今までなら、歩の要求には拒否権はないんだとがんばってきたのですけれども、ここではケンカしなければいかんなと思って、玄関で「行く」とか「行かない」とか押し問答をしている毎日です。ですから、この5年間で親の体力の衰えを非常に痛感しています。
 その中でもう1つ言っておきたいのですけれども、この間の地震は、私たち「パクパクの会」にとっても非常に大きな衝撃でした。生命にかかわるようなことはなかったのですけれども、本当に多くの方々から安否の確認や見舞いの電話をいただきました。ありがとうございました。この場をおかりしてお礼を申し上げたいと思います。
 後でまた詳しい報告があると思うのですけれども、神戸のポートアイランドへ医療品や救援物資を運んだりして、地域で生きていることのすばらしさを、本当にあってはならないのですけれども、こういう場で実感できたなと思っています。
 この5年間で、呼吸器をつけていても地域で生きていくことができるのではないかと確信できるようになりました。ただ、これをどう制度化していくか、24時間介護している家族に対するサポートの人の問題、さらに、子どもたちの生活の場である保育所、幼稚園、学校での教育の中身について、これから本当に考えていかなければならないのではないかと思っています。
 今後とも、「バクバクの会」、「なのはなの会」に対するご支援、ご協力をお願いします。どうもありがとうございました。


◇阪ロエリナの就学に関するお願い
新宿区教育委員会 殿
 平素は大変お世話になり誠に有り難うございます。
 この度、平成元年2月より当科にて診療を行なっております女児、阪日工リナ殿(1988,10.13生まれ)の小学校就学に関して、私どもの考えとお願いをお聞きいただきたく、誠に勝手ながら筆を執らせていただく次第です。
 彼女は、脊髄性筋萎縮症(別名ウェルドニッヒ・ホフマン病)という、全身の筋肉が次第に萎縮してしまう、原因不明の病気で、平成元年2月、生後4ヵ月の時に、当科に入院となりました。(中略)
 さて彼女が成長していくにつれて御両親の"エリナと一緒に暮らしたい"という願いが大きくなり、在宅呼吸管理を目指し御両親への医学的教育が進められていきました。そして数年に渡って彼女に関わっていく中で、御両親は多くの細かな大切な知識や処置を習得されていきました。4才時呼吸器を乗せられるバギーを購入されたのを契機に、4才2ヵ月約6時間の自宅外出に初めて成功されました。その後は1泊の試験外泊を行なった後、2泊3日へと外泊を徐々に延ばしながら繰り返し行ない、4才10ヵ月長期退院を目指し10日間の予定で退院し始めて在宅呼吸管理に移行しました。
 さて、在宅呼吸管理に移行後、それまで入院中にはあまり関われなかった精神的情緒的アプローチいわゆる彼女の教育面の問題がクローズアップされ始めました。彼女の病気はあくまで脊髄から筋肉に至るまでの病気であり知的な面は障害を受けておらず、きちんとした教育を受ければ知的レベルは正常に発達していきます。幸い在宅呼吸管理後は新宿区立あゆみの家より訪問教育を受けられるようになり、彼女の精神的発達および情緒面における進歩は目覚ましいものがあります。また、気管切開術を受けているため声が出ない、喋れない彼女が他人とどのようにコミュニケーションをとっていけるかが問題となり、コミュニケーションエイドとしてパソコンを用いた訓練が現在進められています。そしてあゆみの家へも秋より定期的に通所するようになり、コミュニケーションの訓練と併せてこれらは彼女にとっては不可欠な生活の一部となっております。
 彼女の在宅呼吸管理を開始して既に15ヵ月が過ぎました。(中略)この15ヵ月間の実践を通じて、私たちは現在の看護レベルを続けるなら彼女はもっともっと社会に入ってゆけるという自信を得ることができました。またこの間に彼女の示した精神発達は、今後は彼女の医学的な面だけでなく、社会的な面でも発達をサポートしていく必要性があることを痛感させてくれました。
 そこで私たちは、これからの彼女の成長過程でそれに応じた社会へ入ってゆくべきであるという理念の下、彼女の普通学級への就学を考えるに至りました。在宅を開始した当初はまだ不確定な要素が多く、意見としてまとまっておりませんでしたが、この15ヵ月の実践を通して現在の彼女の医学的な状態は十分それが可能なレベルにあると確信するに至りました。
 現在の彼女の具体的状態としては、1〜2ヵ月に1回の定期チェック入院と2回の感染症での入院以外ではずっと自宅で御両親のケア・看護下にありました。このことでおわかりのように、現在彼女は常に医療者を必要とするような状態ではありません。彼女の現病ウェルドニッヒ・ホフマン病は変性進行する疾病ですが、現在は安定期で、呼吸循環系も含めた現在の状態は通学に関しても、呼吸管理さえ現在のように行えれば問題ないと思われます。(中略)
 緊急時の対応としては、何かあればすぐに当科に連絡し、必要な処置を電話指示・往診・救急受診等の手段で対応するようにしており、実際にも医師・看護婦・呼吸器業者の臨時往診を行っており、自宅でも自宅外でも緊急時の親と医療サイドとの連絡は問題なくつくようになっております。
 呼吸管理に伴う感染症罹患の危険性に関しても家族には十分教育してあります。発熱時にはとりあえず当科に連絡し状態の把握と、必要ならばすぐ救急受診するようになっておりますが、同時にそのような発熱が通学中にあった場合もあわてることなく呼吸管理に注意して、すみやかに当科に連絡いただくことで適切な処置が可能と思われます。
 栄養状態を含めた健康管理については、外来の定期通院および定期入院の際、身体評価・血液検査によるチェックを行い適宜家族に教育しております。
 このように、現在の彼女の状態は医学的にも、回りのサポート体制からも、十分通学が可能な状態であります。現在に至る彼女の在宅管理に関しては、それに伴う注意及び危険性に関して十分御両親の納得の元に進めており、今回の通学に伴うリスクについても御両親は十分認識しています。その上でそれは彼女の人間としての発達に必要な、親としての責任の範囲内のものという受け止めをしております。
 最後に、医療サイドからの切実な思いを述べさせていただくならば、現在様々な難病に苦しむ多くの子どもたちが、病院という閉鎖された空間から外の世界になかなか受け入れられず、人間としての発達を十分に享受することが困難な状況がまだまだあります。しかし、医学・医療の進歩はこれらの子どもたちを病院の外においても確実に支援できるようになってきたと思います。そして限られた生命であるからこそ、その生命が完全燃焼できるようその生活を豊かなものにしたいと考えます。これらの子どもたちにふさわしい発達を享受できるよう、今後ともよろしくお願いいたしたく存じます。


◆『バクバク』26 19950825 
◇5年間の活動総括と今後の方針
1995年8月20日
95年度総会(第5回)議案
●○●5年間の活動総括と今後の方針●○●
 バクバクの会は、5周年というひとつの節目を迎えました。この5年間の活動を振り返って、今後の活動方針を考えてみたいと思います。
1.活動の原点
 私たちの活動の最大の成果は、呼吸器をつけていても、どんなに障害や病気が重くても、"ひとりの人間、ひとりの子ども"として、子どもの生命や思いを大切に、子どもたちから学びながら、入院生活や在宅生活をすこしでも豊かにと、前向きに取り組んできた日々の実践にこそあると思います。私たちの活動の原点といえるものです。
 呼吸器をつけた子どもたち、とりわけ障害の重い子どもたちは、一昨年の総会で提起された出生前診断や重い障害をもって生まれた新生児の積極的治療見送りの問題、障害児(者)への差別と偏見、脳死問題や安楽死や尊厳死の問題等にみられるように、出生前からターミナルまで、その存在さえ否定されかねない社会的状況にあります。
 しかし、私たちにすれば、どんなに障害が重くてもかけがえのない生命であり、私たちの子どもです。生命に優劣を付けたり選別を認めることはできません。こうした私たち親の思いと日々の実践は、単なる親の思いにとどまらず、生命を大切にする社会、障害や難病の有無に関わらず共に生きていける社会に向けた、重要な取り組みの一翼を担っていると思います。
 この実践を、どう理論化し社会的にアピールするか、今後の大きな課題です。

2.在宅生活について
 5年前は、在宅そのものが大きな話題でした。今では、地域の保育所や小学校への通学、新幹線や飛行機での旅行、乗鞍や立山登山等にみられるように、呼吸器をつけていても地域で当たり前に生活できるという実績は出来ました。
 もちろん、それは平坦な道ではありませんでした。在宅例がほとんどない状況の中で、それぞれの会員が理解ある人たちの支援・協力で試行錯誤しながら、又、呼吸器に対する無理解や偏見、制度的な不備、障害児(者)に対する差別と偏見等と闘いながら、作り上げてきた大きな成果です。
 この実績をどう制度化するか、24時間ケアする家族をサポートする人の問題や経済的な援助、保育や教育など地域での受け入れ体制の整備、車椅子対応で進められている交通アクセスや「まちづくり条令」をストレッチャー対応にする問題、ベッド式車椅子やコミュニケーション機器等の補装具や日常生活用品の問題等、課題は山積です。

3.入院生活について
 入院中の子どもたちにとって、5年前は在宅したくても病院側の了解が得られず在宅できないケースが多くあり、在宅できたとしても、呼吸器をはじめ必要な機器は全て自費購入しなければなりませんでした。今では、約60名が在宅しています。呼吸器も、自治体の貸出し制度や保険でレンタル可能となり、個人で高額のお金を出して購入する必要もなくなりました。しかし、保険や自治体の貸出し制度にさえ神経、筋疾患という限定があり、それ以外の病気には適用されないという問題点や吸引器やモニター等の機器は含まれていないという問題点もあります。
 日常生活では、以前は訪問教育を受け入れないといった病院もありましたが、今では、そういった相談を受けることもなくなりました。病院から地域の小学校へ通ってるケースもあり、入院中の教育の可能性は大きく広がっています。
 反面、親の24時間の付き添いを強制される病院は依然と多く、又、急性期をすぎてもNICUでの生活を余儀なくされている等、看護婦さんの増員や子どもの生活面を重視した設備や療育医療への移行の問題、さらに、病院との関係のあり方等の問題もあります。インフォームドコンセントは今や時の流れです。子どもの権利、子どもを主体にした医療のありかたが問われています。

4.会員
 正会員は156名(前年度128名)、賛助会員は132名(前年度94名)となりました。正会員は、北海道(5)、岩手県(1)、秋田県(1)、福島県(2)、茨城県(1)、群馬県(1)、埼玉県(8)、千葉県(2)、東京都(24)、神奈川県(6)、新潟県(6)、石川県(2)、福井県(1)、静岡県(3)、愛知県(6)、岐阜県(10)、滋賀県(2)、京都府(2)、奈良県(1)、大阪府(26)、和歌山県(2)、兵庫県(13)、岡山県(7)、鳥取県(1)、島根県(2)、広島県(6)、山口県(1)、徳島県(1)、愛媛県(1)、福岡県(1)、長崎県(1)、佐賀県(1)、熊本県(1)、沖縄県(7)となっており、首都圏、中部、関西に集中しています。他地域への拡大が今後の課題です。
 今年度、10名の子が亡くなりました。この5年間では、38名の子が亡くなりました。改めてご冥福をお祈りします。

5.機関紙
 機関紙の発行は、初年度(2回)、90年度(4回)、91年度(3回)、92年度(1回)、93年度(6回)、94年度(4回)となっており、92年度は危機的状況にありましたが、93年度より編集長が変わり、定期発行はもとより内容も体裁も大幅にアップしました。折田編集長、印刷をお願いしている越知さん夫婦の献身的な働きのおかげです。
 22号(94・11・20発行)より兵庫身体障害者定期刊行物協会(HNL)に加入し、郵送料が大幅に安くなりました。郵送も手渡し分を含めると1,000部を越えています。会員への情報提供はもとより、呼吸器をつけた子どもたちの社会的理解を計る上で、又、会員拡大の面でも大きな力となっています。
 「バクバクっ子の為の生活便利帳」(93年8月発行)は、初版の300部発行がたちまち品切れとなり、それ以後加入した会員に渡すことができず、迷惑をかけています。医療関係者や養護学校の教師等、会員外からの注文も多くあり、注文に応えきれない状態がっついていましたが、この8月、やっと再版のメドがたちました。

6.行政交渉
 行政交渉は、会としてまとまった交渉をすることは出来ませんでしたが、呼吸器の貸出し制度について、中部、関西、兵庫、和歌山等で、保育や教育問題で、兵庫、大阪、岡山、東京、愛知等で支部単位や個別の交渉で成果をあげています。中央交渉は、一定の成果や実績をもとに交渉しなければ成果は難しく、これからが正念場です。

7.他団体との連携
 会の独自活動とは別に、支える会の運動が、呼吸器をつけた子どもたちへの生活支援や直面している問題を社会的問題化する上で大きな力となっています。立山登山の成功も、各地の支える会を中心とした取り組みのおかげです。各地に支える会や支える会的な支援グループも出来つつあるので、支える会の全国的なネットワーク化が望まれます。
 他団体との連携は、「親の会連絡会」や呼吸器をつけた会員のいる団体との連携強化と同時に、保育や教育、医療、福祉等の課題別についても、他団体との連携や共闘を計っていきたいと思います。

8.支部
 現在、関東、新潟、中部、関西、中国、沖縄の6支部が結成されています。今後、会員が増えれば増えるほど支部活動の重要性が増してきます。支部の結成によって、各地の実情に合わせた会員同士の親睦、情報交換、自治体交渉、情報提供、集会等の開催、会員拡大等が出来ればと思います。

9.兵庫県南部地震
 1月17日の兵庫県南部地震は、予想だにしなかったことでした。幸い、「バクバク」(24号)の報告にあるように、会員の生命に関わるような被害はなかったものの、自宅の倒壊や入院している病院が大きな被害を受けたり、電気、ガス、水道のいわゆるライフラインが止まり、困難な生活を長期間余儀なくされた会員もいました。
 今回の大地震で、親が頑張っておればなんとかなる、病院は大丈夫、といった私たちの常識は見事に打ち砕かれ、大地震の恐ろしさをいやというほど思い知らされました。反面、人の暖かさ、地域で生きることの大切さ、ネットワークの重要さを感じることが出来ました。
 大災害の前に、人間の力には限界があります。呼吸器をつけた子をかかえておればなおさらで、絶望的な思いさえします。しかし、備えをすることで被害を最小限に抑えることは可能です。具体的には、「バクバク」(24号)で提起していますが、親としての備え、会の役割、病院や行政への要望、在宅生活者救援のネットワーク作りを行ないたいと思います。


◆『バクバク』27 19951030
◇病室からの春夏秋冬 第4回 障害という言葉はいらない、個性と言えばいい 今井 隆裕
 地域の小学校に通えなくなった時、私は初めて自分は普通とは違う人間なんだという何とも言えない屈辱感を 子供心に覚えていた。それは病院内学級で中学を卒業するまで私の心を傷つけた。幸い、その思いは通信制 高校に入学した時点でかなり軽くなった。ここでは障害者も健常者もない、そう思えたからだ。もし、養護学校 の高等部に入っていたら(当時、長良病院に併設する養護学校には高等部がなかった)、おそらくそういう気持ちにはなれ なかっただろうと思う。何年間か健常児と机を並べた経験のある私でさえ、その後の屈辱感と喪失感は筆舌に尽くせない ものがある。あの空白の時を返してくれ!と叫びたいほどだ。
(P37)

◆『バクバク』28 19951220
◇病室からの春夏秋冬 札幌行きに向けて、今… 今井 隆裕
 ある人から、たとえ家族や本人同士が了解し、病院の許可を得た上の事であっても、もし何か事故が 起きたりすれば世間がそれを許さない。まして病院が名指しで非難されるような結果になれば、それこそ呼吸 器を使用する他の患者の外出・泊に影響を与えることにもなりかねないから慎重に、と言われた。婦長さんや 主治医の先生もおそらくそうしたことを心配をされているのだろう。まだまだ社会一般の認識としては呼吸器イ コール生命維持装置であり、それを使用するような患者を家族の付添いもなしで外に出すなど考えられないということな のだろうか。だからと言って、病院に閉じこもっていてはいつまでたってもそうした社会の認識を変えることはできない。 私達にとって呼吸器はもはや杖や車椅子と同じ日常生活補助具であり、そのことを社会に知らしめるためにも積極的に外に 出ていく必要があると思う。また、今後、両親も年をとっていく以上、いつまでも頼るわけにはいかないし、実際、 それは無理な事だと思う。重度な筋ジス者であろうと、呼吸器を付けていようと、自分の人生や生き方を大切にしたい、 人間としての尊厳を持って生きたいと考えるならば、いつかは両親の庇護下から離れて自立したいと願うのは当然のこと ではないのか。そういう人間としてごく当然の願いを阻んでいる責任問題や医療行為の問題は一日も早くクリアされるべ きである。
(P13)

◆『バクバク』29 19940430
◇歩の在宅レポート(9) 平本 弘冨美
生命の大切さとQOL
 安全性の確保は、大前提です。しかし、安全性を重視するあまり生活面がおろそかになったり、逆に、生活面を重視するあまり安全性がおろそかになってはなりません。安全性に対する細心の配慮と、QOLの向上に向けて何事にも挑戦する大胆さ、両者は共に重要な課題です。
 安全性を確保するために、どうすればいいのか、私たちの失敗例をふまえながら考えてみました。<>
子どもの生命は子どものもの
 生活面を重視するあまり、「親が全ての責任を取る」とか「太く短くても在宅を」という意見があります。しかし、子どもの生命は子どものものであって、親だからといって責任が取れるものではないし、長い短いを決定できる権利もありません。親の気持ちとしてはよくわかるのですが、それは、子どもの私物化、現実からの逃避です。それだけ安全性に対する姿勢が甘くなるのではないかと思います。
 「太く長く」をモットーに、まずは、身近にいる親が、全力で子どもの生命を守り切るという姿勢が、なによりも大切だと思います。
P2

呼吸器は補装具
 生後6ヶ月で歩に呼吸器がつけられた時は、これでこの子は一生病院の外に出れないだろうと、非常にショックを受けました。そして、1才半の頃、主治医の先生から外出の話があった時も、最初は躊躇しました。
 当時、呼吸器は生命維持装置、瀕死の重症患者のつけるものと思っていたし、呼吸器をつけた子が外出できるなんて夢にも思っていなかったので、何かあったらどうしようという思いが強く、即答できませんでした。
 それでも、一生病院の天井だけをみて過ごさざるをえない生活を思うと、少しでも外の世界を見せてやりたい、生きている"今"を大切にしてやりたいと、外出・外泊の取り組みを始あました。最初の外出は、1才8ヶ月の時でした。
 外出・外泊の最大の問題は、医療的ケアの問題でした。歩の入院していた淀川キリスト教病院は、親子の分離不安解消のために、医療的ケアを療育行為のひとつとしてやらせてもらえましたが、私たちは、へたに感染させたら大変と、手を出しませんでした。
 しかし、外出・外泊を進めようとすれば、医者と看護婦さんの同行では限界があり、もっと色んな世界を見せてやりたい、外泊もさせてやりたいという、必要に迫られて、医療的ケアを修得していったというのが実情です。
 歩の喜ぶ顔に励まされ、外出・外泊を繰り返す中で、呼吸器さえあればどこにでも行ける、呼吸器は、生命維持装置といった恐ろしいものではなく、歩の生活に必要な補装具と思えるようになりました。
p4-5

子どもの思いを大切に
 4才の春に在宅したのですが、もっと早い時期に在宅を考えたこともあります。しかし、数百万もする在宅費用の問題や24時間ケアを家族だけでしなければならないと思うと、在宅に踏み切ることが出来ませんでした。
 3才の夏、長期外泊を終えて病院に帰り、私たちが家に帰ろうとすると、歩が突然大粒の涙を流しながら大泣きをし、「病院はいやだ、家に帰りたい」と訴えました。もちろん、言葉でそう言ったわけではないのですが、その場の状況で、そのように理解し、そこではじめて在宅を決心しました。
 親の意識や生活をそのままにしておいては、何事も前に進まない事を知りました。一歩前に出ることによって、展望が開かれます。500万円の在宅費用は、マンションを売ることで、24時間ケアは、支える会の結成で、とりあえずの解決を図りました。
 歩の在宅で、私たちの生活は激変しましたが、子どものために親が犠牲になったという意識はなく、経済的、肉体的には厳しいけれど、以前にもまして充実した生活を送っています。
 小学校入学も、歩の思いです。共に生きるのが当たり前、子どもは子どもの中で育つと、在宅と同時に保育園に通わせたのですが、すっかり大勢の友達のいる保育園が気に入って、どんなに寒くても暑くても、感染で高熱が続いていても、保育園に行くと言い続けていました。それだけ友達と一緒がいいと思っている、と私たちは理解しました。それで、私たちは、迷う事無く地域の小学校を選択しました。
 その他、日常生活でも、例えば、どこかに遊びにいくとき、親としては車の方が便利で楽だと思うのですが、歩は、歩きや電車で行くことを主張します。又、雨の日も、車の方が快適だと思うのですが、歩はカッパを着て歩いていく、スーパーなどに買物にいくと、自分でお金を払う、袋詰めをする、日曜日などは、自分で食事を作る、等々、何でもやりたがりです。
(…)

親の子離れ子の親離れを
 障害児は親が見るのが当然といった考えが世間一般の考えで、障害が重くなればなるほどその傾向は強くなります。親も、親が見なければと思いがちです。それに対して、親は早く死ぬから親のいなくなった時のことを考えて、親の子離れ子の親離れを、といった声をよく聞きます。
 私たちは、子どもの自立は、子ども自身の日々の生活の在り方、自立的生活の結果と考えています。それは、親は早く死ぬからといった、親の側の事情に規定されるものではなく、病院や施設での生活を余儀なくされている子どもたちにとっても、同様です。そういう意味で、呼吸器をつけていてもどんなに障害が重くても、ひとりの人間ひとりの子どもとして、子どもの生命と思いを大切にし、子どもから学びながら、親子であっても共に生きる関係でありたいと考えています。
P5-6

◇病室からの春夏秋冬 第6回 短歌と入院生活 今井 隆裕


病室に無期懲役のわれなれど
     医学の恩赦信じて生きん

 以前、3年前にこの歌をつくった時と今とでは気持ちの上で大きな変化が起きていると書いたことがあります。 今の心境を歌にするなら次のようになるでしょうか?

病室に無期懲役にはあらずして
     釈放の日をいつか手にせん

  ただ信じて待つだけでは現実を変えることはできないと思うのです。P11

◆『バクバク』31 19960724
「歩の在宅レポート(9)つづき」
 在宅支援というと、よく親や家族の介護負担の軽減がいわれますが、障害児は、親が見るのが当然という考えが前提にあるのではないかと思います。在宅生活の主人公は、あくまでも子ども自身であり、どんな障害があっても、"ひとりの人間ひとりの子ども"として生活しています。当然、支援の在り方も、本人の生活支援を中心にすることが自然な在り方だと考えています。
 本人の生活支援を中心に、例えば、保育所や学校での親の付き添いをなくしたり、放課後や休日も親なしで学習や遊びができる支援があれば、結果的に親の介護負担は軽減されるし、保育や教育の面から考えても子どもの自立や共に生きる関係づくりを促し、障害児は親が見るのが当然といった社会的意識も変革される等、一石二鳥にも三鳥にもなります。
 "親の介護負担の軽減から子どもの生活支援へ"発想の転換が必要だと思っています。

・誰でも入れる保育所を
 現行制度では、保育に欠ける子(共働きなどで)、保育になじむ子(自分で動ける子)といった入所条件があって、障害が重くなればなるほど入所は困難になっています。
 歩の場合も、公立保育所は、「前例がない」、「在宅で親が看ている」、「呼吸器をつけている」、「寝たきりである」、「医療行為が必要」、「生命に関わる問題」、等々、入れないための条件を並べ立て、「とんでもない!」といった対応でした。
 それで、受け入れてくれる私立の保育園(善法寺保育園)を探しましたが、入所条件をクリアしたわけではなく、行政の態度は変わりませんでしたが、マスコミや「支える会」の人たちの応援もあって、「24時間ケアなので、昼間休養が必要」という民生委員の証明書をつけてなんとか措置させることが出来ました。
 善法寺保育園では、ひとりの園児として、呼吸器をつけているから寝たきりだから何も出来ないではなく、どうすれば出来るかを子どもたちと共に考えながら、医療的ケアも保育の一環として取り組むなど、前向きの取り組みのなかで、他の子どもたちとも自然な関係ができ、歩も大きく自立成長しました。
 この2年間の保育園生活を通して、受け入れ態勢さえあれば、どんな障害があっても呼吸器をつけていても保育所に通うことは可能だし、保育になじむなじまないの問題ではなく、障害の有無に関わらず共に生きることの大切さすばらしさを、理屈ではなく実感として感じることが出来ました。
 ただ、保育園に通うことでの最大の心配事は、感染の問題でした。病院のクリーンルームから病原菌の巣窟といわれる保育園に通うのですカ、ら、体力の弱い歩に耐える力があるかどうかが一番の心配事でした。しかし、案ずるより産むが易し、時の経過と共に感染回数が少なくなり、回復期間も早くなってきました。保育園の1年目は、6割の出席率、2年目は欠席日数は半減し、3年目の小学校1年では無遅刻無欠席で通しました。
 このことから、人の体の免疫系の働きは、さまざまな病原菌にさらされることによって強くなると同時に、今でもそうですが、大勢の友達のいる保育園や学校が大好きで、そうした精神的要素が免疫系の働きを倍加さぜ"生きる力"になっている、と素人ながら判断しています。P3

・「医療行為」について
 保育や教育の場では、医療的ケアは保育や教育の一環として、現場の保母さんや教師が行なうのが最善の方法と考えています。ケアをすることで保育や教育にとって不可欠の前提条件である信頼関係が深まるし、子どもの自立、親が付き添えないときは学校に行けない、医療的ケアの必要な子は親が付き添って当然という差別的意識の定着等、親の付き添いによる弊害も解消されます。
 逆に、教育は教師、ケアは親ということになれば、十分な教育活動や子どもの自立はもちろん、安全性の確保さえ難しくなります。親は不死身ではないし、常時子どもの側にいるのは教育上もよくありません。トラブルは、何時起こるかわかりません。側にいる教師が対処出来なければ、大変な事態に発展する可能性もあります。日常的にケアしている親だって、トラブルの時は、冷静に対処できないものです。緊急時に対処出来るためにも、教師はある程度日常的ケアに慣れておく必要があります。
 さらに、「医療行為」の問題は、保育所や学校内だけの問題にとどまりまぜん。放課後や休日、さらに、子どもはやがて大人になります。「医療行為」が親や看護職しか出来ないとなれば、子どもの生活は将来にわたっても大幅に制限されます。
 そういう意味で、「医療行為」の問題は、子どもの権利や人権、生命に関わる重大な問題です。医療は誰のためにあるかを考えれば、もっと開かれたものにすべきだし、子どもの権利、人権、生命、自立の視点から考えなければならないと思っています。P5

◆『バクバク』32 19961115
  《医療者の立場から》 東京大学医学部小児科医 榊原 洋一
 その次に『患者さんの将来について説明の後、家族の方はどういうようにいわれましたか』というのに、『何でもいいからとにかく助けてあげてください』というのが23人で圧倒的に多いんですね。それから 『お医者さんに任ぜます』というのが3人。『強いて無理な延命はしなくていい、家族の方でももう何もしないでください』というのが少数でもいる。これはバクバクの会で今後活動を広げていくうえでの一つのテーマになるかと思うんですが そういう親御さんもいるんだと。P26

◇病室からの春夏秋冬 第10回 札幌旅行日記(1996.07.10〜13) 今井 隆裕
 新千歳空港までの車中、札幌でお会いした人達や札幌での様々な場面の余韻に浸りながら、またいつ か北海道を訪れたいと心の中で強く思っていた。佐藤さんや鹿野さんの力強い言葉のいくつかが熱く胸に 響いていた。新千歳空港から名古屋空港へ、名古屋から病院へと向かう間もまだはっきりとした形にはならな いものの、自分の気持ちにある変化が起きているのだけは自覚できた。自分はどうしても自立という方向に 進んでいきたいんだという思いが沸々と湧き上がるのを体中に熱く感じていた。
(P46)

◆『バクバク』35 19971115 
◇病室からの「春夏秋冬」 今井 隆裕
 つまり小学4年生の私が入院したのは治療法のない筋ジスを治すためではなく、地域の学校に受け入れられず自宅では世話を みつことが難しいためであったが、それとほぼ同様に呼吸器を24時間使用する私は地域の中で生きられる状況にないがために病院に 収容されなければならないのであり、逆に言えばそれが可能な環境さえ整えられれば治療法のないまま病院で暮らし続ける必然性 は何もないのである。
[...]
 しかし、現実的には今の福祉制度、医療制度の枠組みの中では十分な環境を整えるのは不可能であり、それを待っていては 一生かかっても自立生活など実現しないだろう。佐藤さんや鹿野さんのように日々の実践の中で少しずつ環境を整えていく しかないのだ。
(p48)


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□『バクバク』に関する言及


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バクバクの会の ホームページ
人工呼吸器(ベンチレーター)
災害と障害者・病者:東日本大震災



*作成:八木 慎一
UP: 20110220 REV:20110322, 0614
人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)  ◇雑誌 
 
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