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『週刊アンポ』

19690615〜

last update:20110626


■19690615〜 『週刊アンポ』.

■出版社/著者からの内容紹介

『週刊アンポ』は第6号までは、目次もページ数も印刷していないという前代未聞の週刊誌だった。創刊号の表紙裏には、「この本には目次はありません。すみからすみまで読んでください。」とある。
 ところが、第三種郵便物の認可をとるにあたって、目次とページ数を印刷することが必須条件とあって、やむおえず、第7号からはページ数をつけた。そのため、総目次や索引を作ろうとしても、最初の6号までのページのノンブルがないため、不完全なものしかできないという、思いがけない結果も生んだ。

   「週刊」とは銘打っていたが、実際には隔週刊の発行だった。そして第12号までは、いわゆるふつうの週刊誌のスタイルで、カラー印刷の表紙がついて製本されていたものだったが、第13号から最後の第15号までは「ビラのバクダン」と称し、たとえば第14号は新聞紙4ページ大の紙に2色刷で、折り畳めばB-5版の雑誌のようにもなれば、広げると、70年6月の共同行動への大きなポスターやステッカーとして使えるようなユニークなスタイルのものだった(上のアンダーラインの有るところをクリックするとそれを見ることができます)。したがって、13号以降もページはない。
 それでも、第14号には「安保が終わったと誰がいうのか」という題を共有して大江健三郎が小説を、小田実が評論を書き、最終号の第15号は、六月行動の街頭デモで大量に撒かれたA-4版のビラなのだが、それにも鶴見俊輔の評論と小田実の小説が載っていた。
旧「ベ平連」運動の情報ページ)より

■目次


0号 69年6月15日 創刊号 69年11月17日 第2号 69年12月1日 第3号 69年12月15日 第4号 69年12月29日 第5号 70年1月12日 第6号 70年1月26日 第7号 70年2月9日 第8号 70年2月23日 第9号 70年3月9日 第10号 70年3月23日 第11号 70年4月6日 第12号 70年4月20日 第13号 70年4月中旬 第14号 70年5月 第15号 70年6月上旬  

■引用

■0号(1969年6月15日)

「週刊安保はたんなる雑誌ではない。たんなる雑誌ならこの世の中にはいくらでもある。これは武器だ。戦争に反対し、日米の軍事体制を攻撃する紙のつぶて。
 活字の弾丸。
 あくまでも反権力の運動の武器。
[…]
 買うこと、読むことで、この雑誌の目的は終わらない。週刊アンポの運動にかかわり、みずから運動をかたちづくることで、書き手、読み手という型にはまった分類をうちこわしてしまおう。
 行動で安保をつぶす意志のあるすべての人にこの雑誌は開放されている。
 安保、沖縄、権力の腐敗について新事実を知る者はすすんで週刊アンポ社に来たれ。この雑誌をたねにして討論をすすめよ。その成果、批判を知らせよ。
 […]
 つまり人は行動できる。そして何が生れるか?行動する前には何が生れるかわからない。ただ安保と沖縄とベトナムに向って一人の人間が行動すれば、かならず周囲が、自分が、変る。世界はそうして変るのだ。」(0)

◆小田実「アンポへ人間の渦巻を」(2-3)
「アンポ・スローガン
安保をつぶせ
沖縄を私たちの手に
日本を私たちの手に」(2)

「私たちはこの条約があるかぎり、他の国の罪のない人間を押さえつけ、苦しめるという人間らしくない役割を背負わされてしまっています。」(2)

「一口に言えばそれは安保条約をつぶし、沖縄を私たちの手にとり戻し、それによって、日本の独立をとり戻す、いや、ひょっとするともっともかんじんなことは、私たちが安保条約の下で失なってしまっていた人間をとり戻す、とり戻すだけではなく、運動のなかで新しい人間をつくり出すことではないでしょうか。そうした運動、そうした人間の動きをまとめあげて、私は「アンポ」という名前で叫びたいと思います。安保条約が「安保」なら、それをつぶそうとするのが「アンポ」です。」(2)

「さしあたっての目的は三つあります。
安保をつぶせ。
沖縄を私たちの手に。
日本を私たちの手に。
「私たち」というのは、ほかならぬこのアッピールを書く私のことであり、それを読むあなたのことです。「私たちの手に」のあとに「返せ」とつづけて下さってもよい。それであきたらぬ人は、「奪い返そう」と叫んでもらってもよい。いや、叫ぶことより、自分で動きだすことが、まず、かんじんです。」(3)

◆TA「アンポ講座 核ぬき自由使用とは何か」(17)
「いま、沖縄は、日米安保の核心として、体制側と人民側の両側から出されている。これにくらべて六〇年安保のとき、沖縄と安保はあらゆる場で切断されていたといわれる。」(17)

「この方向に対する日本の沖縄政策が「核ぬきの自由使用」あるいは「本土なみ」である。これはマスコミの作った言葉だが、政府は「本土なみ」を、現体制は問われぬ政権維持、即ち「安保堅持」にすりかえてしまった。しかも「本土なみ」「自由使用」は、外務省の高官が、あからさまにいうように「現行安保で運用できる」表現上の相違だけなのである。つまり「事前協議」でいつもイエスといいさえすればいいわけだ。経済界でも、代行者としての、自主防衛力強化、防衛予算の拡大などを自信をもって語り出している。四次防の総額は、すでに三次防の二倍になることが予想されている。[…]東南アジアへの武器輸出の実現をはかろうとする。それらの現実がとりも直さず「本土なみ」の内容なのだ。
 こうして、政府によって、沖縄の焦点がしつらえられている。そして一方で、政府は、十年まえ沖縄を安保の政治焦点からはずしたその同じ論理そのものを展開しながら、「沖縄」を進めているのだ。それを問うことのない思想と運動は、10年まえの同じ壁のなかにとどまっていることになる。」(17)


■1号 ジョアン・ハルさんの場合
「―――どうして、沖縄デーのデモに参加したの
J どうして、と聞くの。沖縄はアメリカが占領しています。それは沖縄の日本人を抑圧しているだけでなく、アジアの人々、それからアメリカの人間を抑圧しているのです、アメリカは日本と組んで、東南アジアを侵略している。そして、他国を侵略するために、政府は自国の民衆を抑圧し、幸福を破壊するのです。
―――日本も30年前、アジアの平和を守るといって、満洲を征服し、結局、アジアの[…]」


■書評・紹介


■言及


■その他

PARC(NPO法人アジア太平洋資料センター)から購入可能  ホームページを参照( http://www.parc-jp.org/ampo/index.html

*作成:大野 光明
UP: 20110626
社会運動/社会運動史  ◇ベトナム  ◇ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)  ◇「雑誌」
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