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ピープル・ファースト




 以下,立岩真也・寺本晃久(実質的な執筆者は寺本)1998「知的障害者の当事者活動の成立と展開」より

 「1973年に,英国で「私たちの人生(Our Life)」という集会が開催されたが,あるカナダの専門家がそこに参加し,まもなく,同様の集会がカナダのブリティッシュ・コロンビア州で行われた.翌1974年,この会議に参加したオレゴン州の当事者達が,オレゴン州セイレムで米国で初めて当事者の集会"We Have Something to Offer"を持った.ここに 560人もの参加者が集まり,どうやって地域で暮らすか,知恵遅れと呼ばれたときどうするか,といった分科会が開かれた.全体会では,当事者達がマイクを持ち,声を上げた.このとき,あるひとりの当事者が,「知恵遅れ(retarded)」や「障害者(handicapped)」 ではなく,「私はまず人間として扱われたい(I want to be treated like PEOPLE FIRST)」と発言したことから,ピープルファースト※という名称が生まれた.ここから,ピープルファースト・オブ・オレゴン他16のグループが発足した(Shapiro[1993:195-197],Longhurst[1994:4],William & Shoultz[1982]).
 その後,カナダではブリティッシュ・コロンビアの他,アルバータ州エドモントンにピープルファーストができ,1979年にオンタリオ州で最初の組織としてブラントフォード・ピープルファーストが誕生,ピーター・パーク(Peter Park)※が会長となった.1980年にはマニトバ州とサスカッチワン州にピープルファーストができ,1981年にはオンタリオ州で州レベルの組織が結成された.そして1991年にはカナダにピープルファースト・オブ・カナダ,米国にSelf-Advocates Becoming Empoweredという全国組織が誕生した(Hutchinson & McGill[1992:59],Self-Advocates Becoming Empowered[1994:2]).世界大会や国内大会のようなものが定期的に開催されだしたのはこの5〜10年のことのようである.
 ARC3)のリック・バーコビエンが1990年に行なった調査によると,こうした当事者活動がもっともさかんだと思われる米国では,40の州に 374のピープルファーストやそれに類似する団体があり,10,000人が参加している.1987年には 200,1985年には55の団体が知られていたにすぎなかった(Shapiro[1993:186])4).また1994年に発行されたロングハーストの調査報告によると, 505のグループが43の州とワシントン特別区にあり,グループの規模は,平均して23.28人,最小で1人から最大150人までのグループがあることがわかっている(Longhurst[1994:11]).」

Hutchinson, Peggy and McGill, Judith 1992 Leisure, Integration and Community, Leisurability Publications
Longhurst, Nancy Anne 1994 The Self-Advocacy Movement by People with Developmental Disabilities : A Demographic Study and Directory of Self-Advocacy Groups in the United States, AAMR
Shapiro, Joseph P. 1993 No Pity, Times Books
Self-Advocates Becoming Empowered 1994 Taking Place Starting Up and Speaking Out about Living in Our Communities, Self-Advocates Becoming Empowered
William, Paul & Shoultz, Bonnie 1982 We Can Speak for Ourselves: Self-Advocacyby Mentally Handicapped People, Indiana University Press


REV: 20160930
知的障害
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