チュニジア銃乱射容疑者、リビアで軍事訓練
asahi.com
カイラワン=高久潤、カイロ=渡辺丘2015年7月1日13時46分
チュニジア北東部スースのホテルで外国人観光客ら38人が殺害された事件で、銃乱射の実行犯とされるサイフディン・レズギ容疑者(24)が、3月に首都チュニスの国立バルドー博物館を襲撃した実行犯2人と同じ時期に隣国リビアで軍事訓練を受けていたことがわかった。
AP通信がチュニジアの治安当局高官の情報として伝えた。高官は「(レズギ容疑者は)国境をひそかに渡っていた」と述べた。ロイター通信によると、レズギ容疑者は昨年、旅券を取得していたが、出国を示す記録はなかったという。ただ、陸続きで国境を接するリビアとチュニジア間では不法な出入国が横行しているとされる。内戦状態のリビアは、過激派の戦闘員を養成する場になっている。
地元報道によると、リビアの首都トリポリや中部シルトの過激派組織「イスラム国」(IS)の関連団体がチュニジアの乱射事件後、「成功」を祝福したとの情報もある。
チュニジアでは2011年のベンアリ政権崩壊後にイスラム政党中心の暫定政権ができ、過激派が勢力を伸ばした。ISなどの過激派組織に加わるため、シリアやイラク、リビアに3千人以上が向かったとされる。日本人3人を含む外国人観光客ら22人が犠牲になったチュニスの博物館襲撃事件でも、実行犯はリビアで軍事訓練を受けていた。
一方、レズギ容疑者は13年冬から昨年10月ごろ、通っていた大学があるカイラワンのモスク(イスラム礼拝所)の金曜礼拝に頻繁に出席し、「世俗や異教徒と闘え」などと訴える同国の過激派組織「アンサール・シャリア」構成員の宗教指導者の演説に感銘を受けた様子だったことが、複数の出席者への取材でわかった。同容疑者を含む100人規模の若者らが地域外から礼拝に参加していたという。モハメド・ディワニさん(69)は「(レズギ容疑者は)礼拝後も指導者と話していて熱心な若者という印象だった」と話した。(カイラワン=高久潤、カイロ=渡辺丘)
ISISの「自爆テロ犯の首領」、有志連合の空爆で死亡
cnn.co.jp
2015.07.03 Fri posted at 11:36 JST
(CNN) 米国防総省は2日、過激派「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」幹部のタリク・ハルジ容疑者が有志連合によるシリア空爆で死亡したと発表した。
国防総省のデービス報道官によると、ハルジ容疑者は戦闘員の勧誘やイラクとシリアへの入国、物資などの搬入に関与したとされる。シリアのシャダディで6月16日に死亡した。
ハルジ容疑者は「自爆テロ犯の首領」とも呼ばれ、米政府は2014年に同容疑者をテロリストに指名、300万ドル(約3億6900万円)の賞金をかけて行方を追っていた。ISISがリビアやナイジェリア、エジプトなどにも勢力や影響力を広げる中、同容疑者はイラクやシリア以外でも組織の運営を担っていたとされる。
同容疑者はチュニジアの出身で、2013年にイラクのアブグレイブ刑務所がISISに襲撃された事件で脱獄した。弟は駐リビア米大使の殺害にかかわった疑いで一時チュニジアで拘束されていた。
チュニジアが非常事態宣言 大統領「戦争状態」
nikkei.com
2015/7/5 21:41
【カイロ=共同】38人が死亡したチュニジア中部スースのホテル襲撃テロを受け、同国のカイドセブシ大統領は4日、非常事態宣言を発令し、テレビ演説で「国は戦争状態にある」と述べた。軍や警察など治安当局の権限を強化、治安回復に全力を挙げる。期間は30日間で、更新もあり得る。
大統領は「テロのリスクや(リビアなど)周辺状況の情勢を考え、非常事態を宣言する」とした上で「必要な措置は全て取る」と強調。過激派組織を厳しく取り締まる考えを示した。
ホテル襲撃テロを受け、政府は主要産業の観光業再生に向けて今月からビーチや古代遺跡などに武装した治安部隊を配置。若者を過激派に勧誘する温床になっているとして、政府管理外のモスク(イスラム教礼拝所)を閉鎖することも既に決めている。
首都チュニスでは3月、博物館が襲撃され、日本人を含む22人が死亡。6月26日のホテル襲撃テロでは38人が犠牲になった。いずれも過激派組織「イスラム国」が犯行声明を出している。
チュニジアでは2011年の「ジャスミン革命」で治安が混乱したのをきっかけに非常事態宣言が出され、14年3月に解除されていた。
チュニジアで30日間の非常事態宣言、テロ続発を懸念
cnn.co.jp
2015.07.05 Sun posted at 14:37 JST
(CNN) チュニジアのカイドセブシ大統領は4日、新たなテロ攻撃が起きれば、国家の崩壊につながりかねないとの危機感を示し、国内に30日間の非常事態を宣言した。
同国では先月26日、北東部にある海岸リゾート地のホテルが襲撃され、外国人観光客ら少なくとも38人が殺害されるテロが発生。過激派「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」が犯行を認めていた。
また、今年3月には首都チュニスで国立バルドー博物館で銃乱射のテロが起き、多数の犠牲者が出ていた。ISISはこの事件でも関与を認めた。
同大統領はテレビ演説を通じての非常事態宣言で、軍や警察など治安当局の権限を拡大し、公共の場での集会開催の権利を制限するともした。ただ、表現の自由は尊重するとも付け加えた。
また、ISISを名指しし、テロとの戦争も宣言した。「チュニジアは極めて深刻な危険に直面している」との認識も示した。海岸リゾート地のスースでのような事件が再度起きれば、「国家は崩壊するだろう」との懸念も表明した。
ISISはスースでの事件への関与を認めたものの、襲撃に直接加わったのかなどは不明。同組織は単独の実行犯とする男の写真も公開した。この男は警察との交戦で射殺されていた。同国内務省は実行犯と関係があるとする複数の逮捕者も発表している。
北アフリカや中東諸国に広がった民主化運動「アラブの春」の端緒となったチュニジアでは2011年、非常事態が宣言されたが、昨年3月に解除されていた。
チュニジアが非常事態宣言 外国人観光客狙うテロ続発で
asahi.com
カイロ=翁長忠雄2015年7月5日16時38分
チュニジアのカイドセブシ大統領は4日、外国人観光客を狙ったテロが続発した事態に対処するため、国家非常事態を宣言した。身柄拘束や家宅捜索など、軍と警察の権限が強化される。集会の制限やメディアへの監視も強化されるもようだ。期間は30日間。
また、首相府によると、先月26日に北東部スースで外国人観光客ら38人が殺害された事件を防げなかったとして、スースと、容疑者の出身地、居住地の各県知事、警察幹部らが解任された。容疑者は現場のビーチやホテルで約30分にわたり襲撃に及んでいた。シド首相は「警察の対応は遅すぎた」と認めている。
首都チュニスでは3月に国立バルドー博物館が襲撃されて観光客ら22人が死亡している。(カイロ=翁長忠雄)
チュニジア:国家非常事態を宣言 ホテル襲撃事件受けて
毎日新聞 2015年07月05日 20時28分
【カイロ秋山信一】チュニジア北部スースで外国人観光客38人が死亡したホテル襲撃事件を受けて、カイドセブシ大統領は4日、国家非常事態を宣言した。治安当局の権限を拡大し、イスラム過激派の摘発を強化するのが狙いだが、集会の自由などが制限される。カイドセブシ大統領はテレビ演説で「テロは我々の街にまで押し寄せた。チュニジアは戦争状態にある」と訴え、国民に理解を求めた。
非常事態令は30日間有効で、延長も可能。非常事態令下では、独自の判断で容疑者を自宅軟禁にしたり、夜間に家宅捜索したりする権限が治安当局に付与される。集会の解散や店舗の閉鎖も強制できる。
チュニジアでは2011年の革命後、治安悪化を懸念して非常事態が宣言され、14年3月まで続いた。カイドセブシ大統領は再び非常事態を宣言したことについて「スースのような事件が再び起これば、国家が崩壊してしまう」と訴えた。
非常事態発令の背景には、治安対策への批判の高まりがある。治安当局は、スースの事件の実行犯に海外渡航歴はないとみていたが、隣国リビア西部サブラタでイスラム過激派の軍事訓練を受けていたことが判明。3月の国立博物館襲撃事件の実行犯もサブラタで訓練を受けていたため、捜査や監視体制の不備が指摘された。さらに実行犯を射殺するまで25分以上かかったことにも非難が相次ぎ、政府は4日、スース県知事や警察幹部5人を更迭した。
治安当局は実行犯を助けた疑いで8人を拘束し、武器の入手ルートなどを調べている。また過激派の温床とみなす80カ所のモスク(イスラム礼拝所)を閉鎖すると発表し、観光地の警備強化も打ち出した。
事件に関しては、過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行声明を出したが、治安当局は国内の過激派組織「アンサール・シャリア」が関与したとの見方を強めている。
チュニジア、リビア国境に壁建設へ テロ対策で
nikkei.com
2015/7/9 23:00
【カイロ=共同】チュニジア中部スースで6月、38人が死亡したホテル襲撃テロを受け、同国のシド首相は8日、テロ対策の一環として国境管理を強化するため、隣国リビアとの国境沿いに約170キロの壁を建設すると発表した。地元メディアなどが伝えた。
フランスメディアによると、壁は高さ2メートル以上で、地中海に面したラスジェディールからデヒーバまで。年内に完成させる。ただ、国境は計約450キロあり、効果には疑問の声もある。
チュニジアでは、3月にも首都チュニスの博物館で日本人3人を含む外国人観光客ら22人が犠牲となったテロが起きている。襲撃犯はいずれも、違法に国境を越え内戦状態のリビアで軍事訓練を受けたとみられる。
壁建設についてシド氏は「テロリストの脅威を止める」ための措置だと強調した。チュニジアは4日、非常事態宣言を発令、関係当局の権限を強化し治安回復に全力を挙げている。
米、チュニジアを「主要同盟国」に指定
nikkei.com
2015/7/11 9:19
【ワシントン=川合智之】オバマ米大統領は10日、チュニジアを北大西洋条約機構(NATO)同盟国以外の「主要同盟国」に指定した。指定は16カ国目。軍事訓練や装備品の共同開発、資金調達などで協力する。オバマ氏は5月にホワイトハウスで同国のカイドセブシ大統領と会談して指定方針を表明していた。
イタリア:テロ計画のチュニジア人ら容疑者2人逮捕
毎日新聞 2015年07月22日 21時44分
【ローマ福島良典】イタリア警察当局は22日、国内でテロを計画していた容疑で外国人の男2人を北部ブレシアで逮捕したと発表した。過激派組織「イスラム国」(IS)の支持者とされ、イタリア軍の基地も標的の一つだったという。
警察当局によると、逮捕されたのは清掃員のチュニジア人、ラサド・ブリキ容疑者(35)と作業員のパキスタン人、ムハマド・ワカス容疑者(26)。2人は「ローマのイスラム国」というツイッターのアカウントを使い、テロを警告する画像を投稿していた。
警察当局は、2人がブレシア郊外にあるゲディ空軍基地を標的とする計画を話し合っている電話を盗聴した。ツイッター上の警告画像にはローマの古代遺跡コロッセオや、ミラノの大聖堂や駅が写っていた。
2人はブレシア郊外に長年暮らし、イタリア語で会話していたという。警察当局は4月から捜査を続けていた。
チュニジア、非常事態宣言を2カ月延長
nikkei.com
2015/7/31 22:53
【カイロ=共同】チュニジア大統領府は31日、外国人観光客ら38人が死亡した中部スースのホテル襲撃テロを受けて発令された非常事態宣言を、8月3日から2カ月間延長すると発表した。軍や警察など治安当局の権限が引き続き強化される。
スースのホテルは6月26日にイスラム過激派に襲撃され、カイドセブシ大統領が7月4日、30日間の非常事態宣言を発令していた。
住商、チュニジアで放送機材受注 国営テレビに納入
nikkei.com
2015/9/5 23:39
住友商事はチュニジアの国営テレビに放送機材を納入する契約を結んだ。受注額は約15億円。ソニー製のカメラなどのスタジオ用機材や野外中継車などを納入するほか、技術習得のための研修を実施する。途上国を中心とした放送インフラの整備事業を拡大する。
日本企業の技術活用や資材受注を条件にした「本邦技術活用条件」(STEP)に基づく円借款を活用する。ハイビジョン(HD)映像に対応した機材を来春から順次供給する。
チュニジアは首都チュニスで、国営のチュニジアテレビ放送公社が新しい放送センターを整備している。住商はこれまでにチュニジアテレビから放送機材を受注した実績がある。同国ではデジタル放送への移行も計画されており、住商やソニーはそれらに対応するノウハウを提供する。
住商は東南アジアや中東諸国などでも放送インフラの整備を手掛けてきた。
ノーベル平和賞にチュニジアの「国民対話カルテット」
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2015年10月9日18時19分
チュニジアの「国民対話カルテット」にノーベル平和賞。
ノーベル平和賞はチュニジアの「国民対話カルテット」
cnn.co.jp
2015.10.09 Fri posted at 18:29 JST
(CNN) ノルウェーのノーベル賞委員会は9日、2015年のノーベル平和賞の受賞者を発表した。
チュニジアの民主化に貢献した「国民対話カルテット」が選ばれた。
2011年のジャスミン革命後に、多様な市民間での民主化の構築に決定的な貢献をしたことが評価された。
ノーベル平和賞に「チュニジア国民対話カルテット」
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オスロ=渡辺志帆2015年10月9日22時45分
ノルウェーのノーベル委員会は9日、2015年のノーベル平和賞を、北アフリカ・チュニジアで宗教に基づく政治を目指すイスラム勢力と政教分離を重んじる世俗勢力の歩み寄りを促し、民主化を進めた「チュニジア国民対話カルテット」に授与すると発表した。
チュニジアでは2010年末からの民主化運動「ジャスミン革命」でベンアリ独裁政権が崩壊。イスラム圏に広がった「アラブの春」の先駆けとなった。
チュニジア国民対話カルテットは、ベンアリ政権が崩壊後、イスラム系政党による暫定政権と世俗政党を含む野党側との対立が激しさを増した13年に発足。最大労組チュニジア労働総連盟(UGTT)や経営者団体である産業商業手工業連合、人権擁護連盟、全国弁護士会の4者でつくる市民社会の枠組みだ。
対立する与野党の仲介役となり、機能停止に陥っていた制憲議会の再開に道筋をつけた。そして、14年1月、制憲議会は男女平等や人権尊重を認める新しい憲法を承認。報道の自由や人権が認められた。昨年末には自由選挙が実施され、カイドセブシ大統領が選出された。
ログイン前の続きノーベル委員会のフィーベ委員長は授賞理由について、「ジャスミン革命後の民主化への道が崩壊の危機にひんし、国家が内戦の危機にあるとき、それに代わる平和的な政治プロセスを確立した」と説明した。
ただ、ベンアリ政権崩壊後の政治混乱と長引く不況などへの不満から、欧州などに逃れる国民も後を絶たない。過激派組織「イスラム国」(IS)に戦闘員として加わる人が多く、観光地で日本人も巻き込まれた銃撃テロも起きた。国民対話カルテットへの平和賞授与により、民主化の定着を促す狙いがあるとみられる。
賞金は800万スウェーデンクローナ(約1億1600万円)。授賞式は12月10日にオスロである。
今年の平和賞は、世界中から推薦された273候補(205個人と68団体)から委員会が選んだ。日本原水爆被害者団体協議会など日本からの受賞も期待されていたが実現しなかった。(オスロ=渡辺志帆)
◇
〈チュニジア〉 アフリカ大陸の最北端に位置する。人口約1100万人。面積は日本の約5分の2の約16・4万平方キロ。1956年にフランスから独立した。イスラム教スンニ派が国民の多数を占める。主力産業は観光などのサービス業。地域間の経済格差が広がっており、2013年の失業率は15・3%。
平和賞、チュニジア市民は戸惑い 厳戒態勢で民主化遠く
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チュニス=山尾有紀恵 チュニス=高久潤2015年10月11日20時33分
民主化を促したとしてチュニジアの「国民対話カルテット」へのノーベル平和賞授与が決まったことに、市民から戸惑いの声が上がっている。相次ぐテロや高い失業率など、目の前の現実は「民主化の成功」とはほど遠く、街に祝賀ムードはない。
首都チュニスのハビブ・ブルギバ通り。2011年に23年続いたベンアリ独裁政権が倒れた「ジャスミン革命」のデモの中心地だ。しかし受賞決定から一夜明けた10日も、厳戒態勢が続いていた。
車道は閉鎖され、遊歩道には多数の警察車両が止まる。通り沿いにある内務省へのテロを警戒しているためだ。同省は有刺鉄線や柵で囲まれている。
5年間失業中というウィサーム・サギールさん(38)は「『国民対話カルテット』など知ったことではない。まるで絵空事を見せられているような気分だ」とぼやいた。
イドリス・ベンモーメンさん(17)は「賞を受けるのは名誉だが、実際の生活は悲惨だ。政府は言うだけで何もしないし、民主化の実感はない」と話した。博士号を持つ友人もろくな仕事がない。勉強は無意味だと思って学校をやめたという。「欧州に移住したいが難しい。賞よりも、安全と食料がほしい」
国際労働機関(ILO)によると、チュニジアの失業率は若年層で約40%に達する。多くの若者がイラクやシリアで過激派組織「イスラム国」(IS)に加わった。3月のバルドー博物館襲撃事件に続き、6月には北東部スースの高級ホテルが襲撃され、外国人観光客ら38人が殺された。8日にも、世俗派政党所属の国会議員への暗殺未遂事件が起きたばかりだ。(チュニス=山尾有紀恵)
■「西欧、長期的に関わって」
ノーベル平和賞に選ばれたチュニジアの「国民対話カルテット」のうちの1団体「人権擁護連盟」のアブデッサタル・ベンムーサ代表(62)が10日、朝日新聞の単独取材に応じた。受賞理由となった同国の民主化について、「まだ進行中で終わっていない」と強調した。
ログイン前の続きノーベル委員会は、「カルテット」が政党や宗派の違いを乗り越えるための「仲介役」を果たしたと称賛した。ベンムーサ氏は、民主化の過程で最も重要なのは「それぞれの立場を乗り越えることだ」と強調。多様な立場の人が「まずは一つのテーブルにつくことが欠かせない」と話した。
「カルテット」では、労組と産業団体が対立した場合、弁護士や人権活動家らが第三者の立場で仲介したという。「時間をかけ、少しずつコンセンサスをつくった。民主化には時間がかかる。まだ完成していない」
平和賞は、アフリカや中東の市民に与えられたものだとみる。だがチュニジアに端を発した民主化運動「アラブの春」の熱気は冷め、「優等生」のチュニジアの市民も高い失業率に苦しむ。ベンムーサ氏も「受賞への市民の関心は低いと思う。生活が苦しくてそれどころじゃない」と認めた。
その上で、「西欧諸国が民主化を称賛するなら、投資を増やしていくなど、長期的にこの地域に関わってほしい」と訴えた。(チュニス=高久潤)
平和賞うれしいけど… テロの爪痕、観光客戻らず
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チュニス=高久潤2015年10月12日23時43分
チュニジアの首都チュニス中心から車で20分の場所にある世界遺産カルタゴ遺跡。古代都市の趣を残し、風光明媚(ふうこうめいび)なことで知られる。だが今年相次いだテロの爪痕が残る。
11日朝、観光客に人気の高い「アントニヌスの共同浴場」前の通りにある土産物店など27店舗のうち、3店舗だけが店を開けていた。近くにある大使館などを警備する警察官以外はほとんど人が通らない。
「チュニジアは二度死んだんだ。ノーベル平和賞はうれしいけど、それで観光客が戻ってくれるとは思えないよ」
ログイン前の続き店を開けていたムハンマド・ブアフィアさん(43)はこう話し、今年2回起きたテロの影響を嘆いた。3月にはチュニスの国立バルドー博物館で、日本人を含む外国人観光客ら22人、6月には北東部スースで外国人観光客ら38人が死亡するテロが発生。国内総生産のうち約7%を占める基幹産業の観光業は、大打撃を受けた。
観光客でにぎわっていたころは、この通りには観光客を乗せたバスが所狭しと横付けし、場所の確保を巡ってけんかが起きていたほどだという。1日200人ほど訪れた客の数は、今は5人ほど。「他にやることがないから店を開けてるだけだよ」とあきらめ顔だ。
観光ガイドのベライディ・ムラドさん(46)は3月のテロ以降、ガイドの仕事はゼロに。新たな職を探し始めたが難航し、今は貯金で生活する。ムラドさんは「テロが起きてるのはチュニジアだけじゃない。今年1月にはパリの中心部で起きた。観光客はパリには今でも行くのに、なぜチュニジアには戻ってくれないのか」と嘆いた。(チュニス=高久潤)
チュニジア民主化のカギは? ノーベル平和賞受賞者語る
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チュニス=山尾有紀恵2015年10月13日09時15分
ノーベル平和賞に選ばれたチュニジアの「国民対話カルテット」のうち3団体の代表らが10日、朝日新聞のインタビューに応じた。治安の回復と経済の安定は表裏の関係にあるとして、国際社会に対して産業の育成などへの支援を呼びかけた。
■ムバルキ・チュニジア労働総連盟副書記長
賞はチュニジア人全員に対して与えられたものだ。政治勢力の対立から、多くの問題に直面し、155時間以上の会合や交渉を重ねた。もし国民対話が失敗したら、混沌(こんとん)や内戦につながりかねなかった。市民社会が強く、成熟していたことが成功の要因だった。
私たちには民主化を成功させる責任があり、国際社会にはそれを支える責任がある。成功すれば、アラブ諸国全域に好影響があるからだ。
過激派組織「イスラム国」(IS)への若者の参加は、貧困地区を中心に失業率が高止まりしていることに一因がある。洗脳するのは簡単だ。失業問題を解決し、若者に機会を与えれば、テロ組織に参加することはない。
ログイン前の続き治安(の改善)なしには経済発展はない。経済発展がなければ民主化は成功しない。全て一体のものだ。まずテロを撲滅し、各地で発展の例をつくる。日本の支援にも期待している。具体的には、大企業によるチュニジアへの投資の推進を求めたい。
チュニジアはアラブ世界の最後の希望だ。平和国家として、紛争に直面している他のアラブ諸国の模範になりうる。希望が他の国々に波及するようにしていかなければならない。
■ブーシャマウイ・産業商業手工業連合会長
私たちは誰の助けもなく革命を自分たちで成し遂げた。そして国民対話を行った。まずは自力で改革を実行し、インフラを整備し、海外の投資を呼び込まなければならない。
観光客を呼び戻すためにも、第一に必要なのは治安だ。(情勢が悪化する隣国)リビアとの国境警備には装備も訓練も必要だ。チュニジアは小国であり、資源は多くない。国際社会の協力を期待している。
チュニジアはアラブ諸国の中で最も女性が活躍している国だと自負している。男性と同等の権利で、あらゆる分野で働く女性の力は成功のカギの一つだ。女性国会議員の割合は約3割で、日本より高い。他の国の模範となれる。
革命が起きた理由の一つは失業率の高さだった。改善には市場のニーズに対応した教育制度の見直しが急務だ。職業訓練や、起業の奨励も必要だ。
これまでのところ、民主化のプロセスは成功した。だが、これからは政治家の仕事だ。意見の相違はあるが、私たちが革命に求めたのは民主主義だった。民主主義では、意見は単一ではありえない。意見の相違があるのは民主主義の印だ。
■ベッサービト・全国弁護士会事務局長
平和賞は、チュニジアの努力に対して与えられた。平和への道を歩み続け、民主化を成し遂げるための希望のメッセージだ。
新しい憲法には「司法の自由と独立」が盛り込まれた。大きな進歩だ。だが、まだ改革すべきことは多い。例えば、現在判事は2千人いるが、時間がかかりすぎる裁判の効率化にはその倍の人数が必要だ。
革命以降、言論の自由はかなり広がった。権力者に対する恐怖は消えたといえる。だが、まだ先進国並みではない。メディアを支配するため、強権時代の手法に立ち返ろうとする勢力もある。だが、言論の自由なしには民主主義はない。
チュニジアが同じくデモが起きた他のアラブ諸国と違ったのは、外国勢力に比較的干渉されなかったことだ。チュニジアにはリビアのように石油もないし、シリアのようにイスラエル・パレスチナ紛争と直接関係があるわけでもない。それが民主化のためにはかえってよかったともいえる。
チュニジアが再び強権体制に戻る危険性はまだある。経済面で失敗すれば市民は強権が解決策だと思いかねない。チュニジアが全ての市民に平等な権利を与え、よりよい生活に向けて経済発展する国になることを望んでいる。(チュニス=山尾有紀恵)
◇
〈国民対話カルテット〉 最大労組チュニジア労働総連盟(UGTT)と経営者団体である産業商業手工業連合、人権擁護連盟、全国弁護士会で構成する市民社会の枠組み。民主化運動「ジャスミン革命」で独裁政権が倒れた後、対立するイスラム系と世俗派の両勢力を仲介し、国が混乱するのを防いだ。民主化を推進する上で大きな役割を果たした。
ノーベル平和賞のチュニジアだけが民主化に「成功」した理由
ニューズウィーク日本版
川上泰徳 中東ニュースの現場から
2015年10月15日(木)16時40分
2015年のノーベル平和賞は「多元的な民主主義の構築に寄与した」という理由でチュニジアの「国民対話カルテット」が受賞した。労組や人権組織、弁護士組織など4つの組織の連合体である。2011年にチュニジアから始まったアラブ世界の民主化運動「アラブの春」はアラブ世界に波及したが、民主化の命脈を保っているのはチュニジアだけとなった。
25万人の死者を出し、400万人を超える難民を出しているシリア内戦はいうまでもなく、イエメンやリビアもほとんど内戦状態であり、2011年に非暴力で強権体制を倒し、世界中の称賛を集めたエジプトも、選挙で選ばれたイスラム系の大統領が軍のクーデターで排除され、強権体制に逆戻りした。
いま、思い出したかのようにチュニジアの市民団体にノーベル平和賞が出るというのは「アラブの春」への鎮魂歌のようでもあるが、唯一、世俗派とイスラム派が共存することで残ったアラブ民主化の試みを顕彰し、将来の希望として託す意味は大きいだろう。
エジプトとの違いは、軍の強さではなくイスラム系組織の強さ
なぜ、チュニジアだけ民主化の流れが残ったのだろうか。共に平和的革命だったエジプトとの比較で、よく言われるのは、チュニジアにはエジプトのような強い軍が存在しなかったということだ。しかし、軍の強さ、弱さの問題ではないだろう。チュニジアでも政治的な対立は深刻だったし、ゼネストなどで混乱が激化していたら、軍が動く可能性はあっただろう。「国民対話カルテット」の功績は、「世俗派対イスラム派」の政治的な対立を対話によって克服し、市民社会を守ったことである。
なぜ、エジプトではそのような対話ができなかったのか。私がチュニジアとエジプトを比べて思うのは、革命後に選挙で勝利して政権を主導したイスラム系組織の強さの違いである。チュニジアのアンナハダはエジプトのムスリム同胞団の流れをくむイスラム穏健派だが、ベンアリ体制の下で1992年以降、政治活動を完全に抑え込まれていた。革命後にアンナハダのメンバーに取材したところでは、組織だけは維持したが、社会に向けての活動はできなかったという。
一方のエジプトのムスリム同胞団は、50年代、60年代のナセル時代に非合法化され弾圧されたが、70年代のサダト大統領時代に非合法のまま活動を黙認された。80年代には医師、技師、法律家、薬剤師などの職能組合選挙を制して主要な組合運営を支配するようになった。2005年の議会選挙では政権の弾圧の下で議席の19%に当たる88議席をとるほどの力を持っていた。
革命後、最初の議会選挙でどちらも第一党となった。チュニジアのアンナハダは41%の議席をとり、エジプトでは同胞団が創設した自由公正党が43%の議席と、結果に大きな差はなかった。しかし、その中身はかなり違っていた。同胞団は組織をフル動員して集めた組織票だったのに対して、20年近く活動を禁止されていたアンナハダにはそれほどの組織票はなく、イスラムを掲げたアンナハダに対する貧困層の期待が集まったという印象だった。
チュニジアでも革命後、イスラム厳格派の勢力が強まった
チュニジアと言えば、アラブ世界の中でも西洋的で世俗的というイメージが強い。それはイスラムの教えに基づく慈善運動さえ禁止し、熱心にモスクに通うだけで警察に目をつけられるというようなベンアリ時代の世俗化強制によって作られたものだった。圧力がなくなって、革命後にイスラムが表に出てきた。首都チュニスの中心部でもベール姿の女性が増え、アンナハダの拠点となった旧市街では伝統的イスラム色が強くなり、首都を出て地方に行くと、イスラム色はさらに強くなった。
2012年の年末、私はチュニジア革命発祥の地となったシディブジドを訪ねた。その2年前に市場で野菜を売っていた失業青年が女性警官に暴言を吐かれたことから焼身自殺し、それが全国的な反政府デモの引き金となった。革命発祥の街では、「サラフィー主義」と呼ばれる、あごひげを伸ばしたイスラム厳格派の集団が市場を自主的にパトロールし、病院などの公共施設の警備をする一方、アルコールを出すホテルが「反イスラム」として襲撃されて、アルコールの瓶がすべて割られるなど、まるでイスラム厳格派が支配するような状態になっていた。
サラフィーの台頭は革命後のエジプトでもあった。同胞団系政党に続いて25%をとり第2党となったのは、サラフィー主義のヌール党だった。チュニジアでは革命後の選挙にサラフィー政党は参加しておらず、アンナハダが唯一のイスラム政党だった。2011年の選挙では、世俗主義に反発する「イスラム票」はアンナハダに投じられた。
しかし、革命前に20%台後半だった若者層の失業は、アンナハダ主導の政権のもとで30%を上回り、いっこうに改善しなかった。イスラム穏健派への失望、反発が広がり、シディブジドで見られたような徹底したイスラムの実施を求める厳格派が各地で広がった。南部の山岳地帯では、アルカイダや「イスラム国」とも近いイスラム厳格主義の過激派「アンサール・シャリーア(イスラム法の信奉者たち)」に対する治安部隊の掃討作戦も始まった。
過激派という共通の敵があったから始まった「対話」
2013年夏までに二人の野党系政治指導者が暗殺され、世俗派支持者とアンナハダとの対立が深まった。暗殺はアンサール・シャリーアの犯行が疑われたが、アンナハダが主導する政権に対して過激派対策が甘いと批判が強まった。そのころ、エジプトでは若者たちがムスリム同胞団出身のムルシ大統領の退陣を求めた大規模デモが起こり、直後に「混乱収拾」を理由に軍がムルシ大統領排除を宣言した。そうして、チュニジアもエジプトと同じ道をたどるのか、と注目が集まる中で、「国民対話カルテット」が組織され、与野党の対話を仲介し、新憲法制定と2014年の大統領選挙・議会選挙が実施され、民主化が維持されたのである。
チュニジアの対話は「穏健イスラム派と富裕層世俗派」の間で行われた。チュニジアでもエジプトでも、独裁時代に政府批判勢力だったイスラム政治組織が革命後の選挙で勝利して政権を主導したが、独裁大統領とその家族、側近が排除されただけで、独裁下の旧支配層はそのまま残っていた。エジプトでは軍とつながる旧支配層にとっての脅威は、慈善運動で貧困層とも結びつき、組織票で4割の議席をとることができる強大なイスラム穏健派のムスリム同胞団そのものだった。チュニジアの旧支配層にとっての脅威は、穏健イスラムのアンナハダではなく、革命後に若者たちの間に広がった過激なイスラム厳格派だった。
エジプトでは軍と富裕層・世俗派が同胞団を敵視して排除したことで、同胞団が代表していた半分の民意も一緒に排除された。それが、いまもエジプトの政治的混乱として続いている。一方のチュニジアではイスラム政権と旧政権支配層の間では、過激派という共通の敵から市民社会を守るために「対話」が可能だった。対話を経た後の2014年の議会選挙は、世俗派政党「ニダ・チュニス」が128万票(得票率40%)で第1党となり、アンナハダは95万票(32%)に止まり、第2党となった。平和的な政権交代が行われたことが、「国民対話」の最大の成果である。
しかし、これで「めでたし、めでたし」とはいかない。今年3月にあったチュニスでの博物館襲撃事件や6月に中部スースのリゾートホテルを襲った銃乱射事件など、イスラム過激派による深刻なテロ事件が続いている。チュニジアでのイスラム過激派の脅威にどの程度の広がりがあるかを知ろうとすれば、民主的選挙からドロップアウトしている部分に目を向けなければならない。
チュニジアがまだ成し遂げていないこと
2014年の議会選挙の投票総数は、11年選挙の430万人から358万人へと72万人減っている。特にアンナハダは11年選挙での得票150万票から55万票も減らしている。ほかにイスラム政党ができたわけではないのに、3分の1の得票を減らしたのは、長年活動を禁止されていたための組織力の弱さゆえだろう。減らした得票数の多くは穏健派路線を見限ったイスラム厳格派と考えることができるだろう。
チュニジアの14年選挙は一般にはニダ・チュニスとアンナハダの「世俗派対イスラム派」の構図で捉えられ、世俗派が勝利したと評価されている。実際には「世俗派対穏健イスラム派」の争いである。どちらも支持せず、選挙を拒否しているイスラム厳格派という第3の勢力が存在する。それはどの程度いるのか、アンナハダが減らした55万票か、減った投票総数の72万票か。
独立選挙管理委員会のサイトに、有権者総数の推計は780万人超という数字があった。有権者の半数以上が投票してないのである。そのうちどの程度がイスラム厳格派の支持者かは分からない。世俗派の市民組織が主導した「国民対話カルテット」は、アンナハダというイスラム穏健派を取り込んだ形で民主化の命脈をつないだが、政治の足場は非常に脆弱である。チュニジアの問題は、投票しなかった半分の国民との関係を今後、どう修復し、政治に関わらせていくかにある。特に、イスラム厳格派との関係である。
イスラム厳格派=サラフィー主義者は本来、過激というわけではない。世俗主義の価値観によって政治や社会から排除されれば過激化するものが出てくる。チュニジアの世俗派にはイスラム厳格派を自分たちと相いれないものととらえる意識が強い。もちろん、厳格派の側も同様である。互いに排除しあえば、国は深刻な分裂状態に入っていかざるをえない。
チュニジアがこれまでに達成したのは「世俗派とイスラム穏健派」の共存であって、「アラブの春」の後に中東に蔓延したイスラム厳格派との対応は手がついていない。「テロ対策」として排除するだけでは、過激派組織「イスラム国」の支持者を増やすだけとなる。今回、ノーベル平和賞の受賞理由となった「多元的な民主主義の構築」は、実はこれからが正念場なのである。
中東ニュースの現場から:ノーベル平和賞のチュニジアだけが民主化に「成功」した理由
チュニジア首都でテロ、大統領が非常事態宣言 12人死亡
nikkei.com
2015/11/25 6:28
【パリ=押野真也】北アフリカ、チュニジアの首都チュニスで24日、大統領警護隊が乗ったバスが爆発し、同隊員など少なくとも12人が死亡した。チュニジア内務省はテロと断定し、カイドセブシ大統領は全土に非常事態を宣言した。
停車中のバスを狙った自爆テロとの報道もある。場所はチュニス中心部にある時計台の付近。カフェやホテルが立ち並ぶ「ブルギバ通り」とは、時計台を挟んで反対側の地区。人通りは少なく、犠牲者に観光客や一般市民は含まれていないという。在チュニジア日本大使館によると、日本人が巻き込まれたとの情報はない。
チュニジアでは3月にチュニスの博物館、6月に中部のリゾート地スースで外国人観光客を狙ったテロが起きている。いずれも過激派組織「イスラム国」(IS)に関係する人物の犯行とされている。当局は首都を中心に厳戒態勢を敷いていただけに、今回の事件に衝撃を受けている。
チュニジア首都でテロ、12人死亡 非常事態を宣言
2015/11/25 9:51
日本経済新聞 電子版
【パリ=押野真也】北アフリカのチュニジアの首都チュニスで24日、大統領警護隊が乗ったバスが爆発し、同隊員など少なくとも12人が死亡した。同国内務省はテロと断定し、カイドセブシ大統領は全土に非常事態を宣言。チュニスには夜間外出禁止令を発令した。
チュニジアでは3月にチュニスの博物館、6月に中部のリゾート地スースで外国人観光客を狙ったテロが起きている。いずれも過激派組織「イスラム国」(IS)に関係する人物の犯行とされている。当局は首都を中心に厳戒態勢を敷いていただけに、今回の事件に衝撃を受けている。
今回の事件は停車中のバスを狙った自爆テロとの報道もある。犯行場所はチュニス中心部にある時計台の付近。カフェやホテルが立ち並ぶ「ブルギバ通り」とは、時計台を挟んで反対側の地区だ。人通りは少なく、犠牲者に観光客や一般市民は含まれていないという。在チュニジア日本大使館によると日本人が巻き込まれたとの情報はない。
チュニジアは民主化を求める民衆蜂起「アラブの春」の先駆けとして2011年に独裁政権が崩壊して以降、混乱が続いてきた。ただ揺り戻しが起きたエジプトやシリアなどと異なり、対話や選挙を通じて正式政府が発足。ノルウェーのノーベル賞委員会は10月、チュニジアの民主化につながる国民対話を仲介した労働組合など4者にノーベル平和賞を授与することを決めている。
チュニジアでバス爆発、12人死亡 非常事態を宣言
asahi.com
カイロ=翁長忠雄2015年11月25日10時06分
チュニジアの首都チュニス中心部で24日夕、大統領警護隊のバスが爆発した。内務省によると少なくとも12人が死亡し、17人が負傷した。政府はテロと断定し、カイドセブシ大統領は全土に非常事態を宣言した。チュニスでは夜間外出禁止を発令した。今のところ犯行声明は出ていない。
現場は大通りで、近くに内務省もある。治安当局によると、バスは警護隊員を乗せて郊外の大統領宮殿へ向かう予定だった。ロイター通信は大統領府筋の話として、何者かがバスに乗り込み自爆ベルトを爆発させた可能性があると伝えた。
治安当局は今月、17人のイスラム過激派を逮捕し、北東部スースで計画されていた大規模テロを防いだと発表していた。チュニジアでは3月にチュニスの国立博物館で22人、6月にはスースで38人が死亡するテロがあった。いずれの事件でも過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行声明を出している。(カイロ=翁長忠雄)
バス爆破テロで15人死亡、非常事態を宣言 チュニジア
cnn.co.jp
2015.11.25 Wed posted at 09:33 JST
チュニス(CNN) チュニジア首相府の当局者がCNNに語ったところによると、首都チュニスで24日、大統領警護隊を乗せたバスが爆発し、15人が死亡した。
同当局者によると、バスは市内の幹線道路上に停車していた。警護隊員は普段からこの場所でバスに乗り降りしているという。
当局はテロ事件とみて捜査している。現地のメディアによると、この爆発を受けて非常事態宣言が出された。
チュニジアは2011年の民主化運動「アラブの春」の成功例の一つとされてきたが、今年3月にはチュニスのバルドー博物館、6月には北東部スースのホテルで銃撃事件が起きるなど、暴力が後を絶たない。両事件とも過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」が犯行声明を出した。
チュニジアのテロ、「イスラム国」が犯行声明
死者13人に
nikkei.com
2015/11/26 7:24
【カイロ=共同】チュニジアの首都チュニスで24日起きた爆弾テロで、過激派組織「イスラム国」(IS)の関連組織「イスラム国チュニス」は25日、犯行声明を出した。大統領警護隊は同日、死者が13人になったと発表。爆弾を詰めたバックパックを背負った男が大統領警護隊のバスに乗り込み、起爆したことも明らかにした。自爆か遠隔操作かは不明という。
カイドセブシ大統領は25日、対策を協議するため国家安全保障会議を開いた。同国では今年3度目の大規模テロで、政府が対応を誤れば政情不安が広がる懸念もある。
爆発があったのは、厳重な警備が敷かれるチュニス中心部。3月の博物館テロでも問題になった警備態勢の在り方が再び問われている。
チュニジアは、2011年の「アラブの春」の先駆けとなり、民主的な国造りに成功。民主化に貢献した労働組合など「国民対話カルテット」に今年のノーベル平和賞授与が決まっている。
一方、イラクやシリアのイスラム過激派に参加する若者が後を絶たず、「イスラム国」などの外国人戦闘員の「最大供給源」とも指摘される。
チュニジアのテロ、「イスラム国」系が犯行声明
nikkei.com
2015/11/26 7:47
【パリ=押野真也】北アフリカ、チュニジアの首都チュニスで24日に起きた爆破テロで、過激派組織「イスラム国」(IS)に関連するとみられる組織が25日に犯行声明を出した。爆弾を背負った男が大統領警護隊のバスに乗り込んで自爆したと主張している。
この事件では、警護隊員ら13人の死亡が確認されている。犯行声明は「イスラム国チュニス」を名乗っているが、ISとどれほどの関係があるかは不明。チュニジア政府はこの事件を受けて全土に非常事態を宣言した。
バス爆破テロ、ISが犯行声明 チュニジア
asahi.com
カイロ=翁長忠雄2015年11月26日02時39分
チュニジアの大統領警護隊を乗せたバスが爆破された事件で、過激派組織「イスラム国」(IS)が25日、犯行声明を出した。ISチュニスを名乗り、「チュニジアにイスラム法が適用されるまで我々はくつろぐことはない」と、さらなる攻撃を予告した。
声明は、アブアブドラ・チュニシという名前の人物が自爆したとしている。
内務省によると、24日の爆破後、当初は12人の死亡が判明していたが、身元不明の13人目の遺体が見つかり、自爆犯の可能性がある。爆発物は約10キロあり、犯人は背負い袋で運んだか自爆ベルトをしていたとみられる。大統領府当局者は「コート姿でヘッドホンをしていた男がバスに乗り込んだところで爆発した」と地元ラジオに語った。(カイロ=翁長忠雄)
大統領警護隊のバス爆破、ISISが犯行声明 チュニジア
cnn.co.jp
2015.11.26 Thu posted at 13:28 JST
チュニス(CNN)チュニジアの首都チュニスで24日、大統領警護隊を乗せたバスが爆発した事件で、過激派組織「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」は25日、犯行を認める声明を出した。
チュニジア内務省によれば、この爆発で12人が死亡。自爆テロを行ったとみられる人物も死亡した。首相府の関係者は当初、15人が死亡したと伝えていた。
ISISは声明で、事件は自爆ベストを着た男が車内で自爆したテロだったと主張。実行犯とされる人物の写真とともに、「チュニスの専制者はその身がもはや安全でないことを思い知れ。神の法でチュニスが統治されるようになるまでわれわれは止まらない」とのメッセージを公開した。
チュニジア政府はISISの声明についてコメントしていない。CNNではこの声明の信ぴょう性は確認できていない。
チュニジアは2011年の民主化運動「アラブの春」の成功例の一つとされてきたが、今年3月にはチュニスのバルドー博物館、6月には北東部スースのホテルで銃撃事件が起きるなど、暴力が後を絶たない。両事件ともISISが犯行声明を出している。
また、過激化・政治暴力研究国際センター(ICSR)が今年発表した報告書によれば、シリアやイラクのイスラム教スンニ派武装集団(ISISを含む)の外国人戦闘員のなかで、最も多いのがチュニジア出身者だという。
この報告書によれば、シリアとイラクには1500〜3000人のチュニジア人戦闘員がいる。次いでサウジアラビア(1500〜2500人)が多く、欧米ではフランスが最多で1200人。
「民主主義を運命として守っていく」チュニジア外相寄稿
asahi.com
2015年12月10日20時36分
チュニジアの「国民対話カルテット」へのノーベル平和賞授与に際し、同国のタイエブ・バクーシュ外相が朝日新聞に「チュニジアの平和と民主主義は困難を克服して進む」と題する論考を寄せた。
◇
ノルウェー国王、ならびに王妃のご臨席の下にオスロの市庁舎において、チュニジアの「国民対話カルテット」に、ノーベル委員会の会長よりノーベル平和賞が贈られました。
世界で最も権威ある賞として、2015年のノーベル平和賞は「2011年のジャスミン革命以後のチュニジアに多元的な民主主義を構築する上で決定的な貢献を果たした」として、チュニジアの四つの民間組織に与えられます。
カルテットはいまだ脆弱(ぜいじゃく)な民主化の過程が、イデオロギー闘争と、政治的、社会的不穏によって、破壊されるのを防ぐために、2013年、四つの民間組織が連合して作った団体です。
2013年のジャスミン革命後、チュニジアは絶望感と危機的状態の中にあり、憲法制定や民主選挙への道筋が立つのかどうかが危ぶまれていました。
その時、チュニジア労働総連盟(UGTT)、全国弁護士会、人権擁護連盟、産業商業手工業連合が、手を携えて平和とコンセンサス作りを指導したのです。
革命により腐敗した独裁者を追いだし、北アフリカと中東に民衆行動を波及させたものの、チュニジアの現実は複雑で暴力的なものでした。イデオロギーをめぐる社会と政治の二極化、一方的に国の運命を支配しようとする宗教と、世俗世界の権力闘争が続きました。
事態は膠着(こうちゃく)状態に陥り、民主主義へのプロセスが信頼を失いはじめ、憲法制定と選挙の実施が危ぶまれる中、立場を強化する必要に迫られた政治家たちは一方的に行動しては最悪の混乱を引き起こすと考えました。
ここに至って、すべての関係者が、誰かが勝てば、誰かが失うというゼロサムから、当事者すべてが勝つというウィンウィンの結果を求める機運が熟したのです。
カルテットが仲裁者として道徳的権威をもって強い指導力を発揮した結果、はじめに当事者それぞれの間にあった対決姿勢がやわらぎ、多くの意見を入れ、コンセンサスに基づいて決めるというパラダイムが作られました。
カルテットの後ろ盾により対話が進み、専門家による政府樹立への道が開かれ、議会と大統領選挙の日取りが決まり、新憲法の基本原則も策定されました。
多くの逆境に見舞われながら、カルテットの指導は極めて大きな成果をあげました。
カルテットの作った行動予定はそのまま実行にうつされ、2014年1月26日、進歩的な新憲法が採択され、公正な一般選挙、大統領選挙が同年10月26日、11月23日にそれぞれ行われました。
この一連の成果は予想されたことでもありました。もともとチュニジアには改革主義の伝統があり、価値観が開かれていました。チュニジアは1857年の国家憲章、1846年の奴隷制度の廃止、1956年の女性同権と、常にアラブ諸国の先頭を歩んできました。チュニジアはまた教育水準が高く、活気ある市民社会で、中間層が厚く、多様な経済社会でした。
カルテットにノーベル平和賞が与えられたことは、チュニジアが、政治、経済、安全保障上の困難に対して、対話、妥協と確固たる民主主義の理想を示したことを認め、チュニジアを称賛するものでもあります。
これからのチュニジアの道はリスクをはらんでいます。チュニジアのモデルは国内や地域の破壊的な事態に対して脆弱(ぜいじゃく)です。国内のフラストレーションや地域の混乱にテロリストが乗じる恐れがあります。
アラブの春のあとの幻滅のなかで示されたチュニジアの成功は、アルカイダ、「イスラム国」(IS)、その他のテログループがもっとも恐れているものです。テロリストの思想、コミュニケーション戦略、将来はすべて、宗教による独裁か、世俗世界の独裁かという二者択一を前提にしています。
これに対し、チュニジアは別の道を示しています。宗教と政治の議論をすすめ、チュニジアが市民と法の支配に基づく文明国家であり、イスラムと民主主義が共存していることを示すことで、政治的に穏健なイスラムは民主的な政治を実現出来ることを証明しています。
そのことは、アラブ世界は民主主義、良心の自由、女性の権利といった普遍的価値観と先天的に相いれないものではないということを示しており、現にこれらの価値観はチュニジアの憲法に掲げられています。
テロリストたちはこれからもチュニジアモデルを破壊しようとするでしょうが、チュニジアは民主主義を運命として守っていきます。チュニジア人は、テロへの恐れを克服し、テロとの思想闘争に勝利したことに続き、闘いにも勝っていきます。
1974年、日本の故佐藤栄作元首相はノーベル平和賞受賞演説で「人々が、異なるのはごく自然なことです。すべての人が寛容の精神で違いを受けいれ、相互に理解しあうことでともに平和に暮らす道を求めなければならないのです」と述べました。
佐藤元首相が唱えた「雅量と調和」の精神は、平和を愛する国々と、自由と民主主義を信じる人々を励ましています。またこの精神のもとで日本とチュニジアは、平和と協力を進め、さらに他の自由諸国とともに憎しみと暴力をもたらす悪魔と戦うのであります。
日本のチュニジアに対するこれまでの多大なご支援に深く感謝申しあげます。
チュニジアはこれからも日本にとって信頼のおけるパートナーとして、これまでの長い友好の歴史に続く新しい関係を開くことを目指しています。
ノーベル平和賞のカルテット「争い、対話で解決できる」
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チュニス=翁長忠雄2015年12月10日17時16分
「国民対話カルテット」の構成団体の一つ、全国弁護士会のファーデル・マッフーズ代表(50)が授与式を前にチュニスで朝日新聞のインタビューに応じた。
マッフーズ氏はチュニジアで民主化が進展した要因として「何世代も経て得た果実のような市民社会があった。19世紀には奴隷制を廃止し、1861年には憲法を制定した。1956年の独立以来、女性の地位向上と社会参加が図られていた」と指摘した。
さらに弁護士の役割について「ベンアリ独裁政権時代から市民の権利を守るために政権と対決するなど政治的に豊富な経験を持っていた。そうした面からも、国民はカルテットを信頼していた」と述べた。
ログイン前の続き外国人観光客や治安部隊へのテロ攻撃が続いていることについて「チュニジアだけがテロに見舞われているのではない。国際社会が対テロで連帯することが求められる。それは治安上の問題だけではない。貧困から市民が自暴自棄になるような状況をつくりださないように、文化、経済面での改革が必要だ」とした。
国家非常事態宣言などで市民の権利が制限される状況から強権が復活する可能性については「全く心配していない」と話した。
ノーベル平和賞受賞にあたり、「いかなる争いも対話で解決できることを世界の人々に知ってほしい」と語った。(チュニス=翁長忠雄)
テロ「世界的な対応必要」ノーベル平和賞「カルテット」
asahi.com
オスロ=渡辺志帆2015年12月10日18時00分
10日のノーベル平和賞の授賞式を前に、ノルウェーの首都オスロで9日、受賞者であるチュニジアの「国民対話カルテット」が記者会見した。同国でテロが相次ぎ、民主化を脅かしていることについて、「国際社会の協力が必要だ」と支援を訴えた。
同カルテットは、2013年に発足したチュニジア労働総連盟(UGTT)、全国弁護士会、人権擁護連盟、産業商業手工業連盟の4団体からなる枠組み。10年末に始まった民主化運動「ジャスミン革命」で独裁政権が崩壊した後、対立を深めたイスラム・世俗両勢力の仲介役となり、民主化プロセスを後押しした。
チュニジアでは今年3月と6月に観光地で銃撃テロが発生。11月下旬にも首都チュニスで自爆テロがあり、非常事態宣言が出されている。
ログイン前の続きUGTTのアッバシ書記長は、「国際化するテロを一国だけでは解決できない。世界的な対応が必要だ」と指摘。産業商業手工業連盟のウィデッド・ブーシャマウイ会長は、「私たちは民主化には成功したが、テロや紛争にノーと言うためには経済的転換も必要だ」と話し、国際社会の理解と支援を呼びかけた。
授賞式は10日午後1時(日本時間10日午後9時)にオスロの市庁舎で行われる。(オスロ=渡辺志帆)
ノーベル平和賞、チュニジア対話組織が受賞 中東安定へ共存
nikkei.com
2015/12/11 1:10
【オスロ=小滝麻理子】2015年のノーベル平和賞授賞式が10日、ノルウェーの首都オスロで開かれた。チュニジアでの平和的な政権移行に貢献した対話組織「国民対話カルテット」が受賞し、4団体の代表者らにメダルと証書が贈られた。団体の一つであるチュニジア労働総同盟のアッバーシー書記長は「我々は多様性や違いの中で平和に共存し、文明同士の対話を進めなければならない」と述べ、中東地域の安定へ平和的な取り組みを呼びかけた。
13年に発足した「国民対話カルテット」はチュニジアの労働組合や人権組織などの4者で構成する。カルテットは、国内で対立していたイスラム勢力と、政教分離を重視する世俗派の双方の議員や有力者、支持者らを説得して対話を仲介。14年の民主的な新憲法の制定や、大統領・議会選挙の実現に導いた。
女性の権利向上をうたい、男女平等を明記した憲法の制定には抵抗も大きかった。人権擁護連盟のベンムーサ会長は「容易な道のりではなかったが、あきらめず対話を続けた」と話し、女性たちが非常に大きな役割を果たしたことを強調した。
工業商業手工業連盟のブシャマウィ会長は「経済の建て直しや若年層の失業問題などまだ課題は山積している」としたうえで、「我々の経験がほかの国のモデルになることを願う」と述べた。
チュニジアは11年1月の「ジャスミン革命」でベンアリ独裁政権が崩壊。中東諸国に広がった民主化運動「アラブの春」の起点となった。だが、その後リビアやイエメン、シリアが激しい内戦状態に陥り、エジプトでも軍がクーデターで政権を掌握。権力の空白をついて台頭した過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)などにより地域は一段と混乱し、第2次世界大戦後最悪の難民危機やパリ同時テロなどの形で世界を揺さぶっている。
アッバーシー氏はパリやベイルートなど世界各地で相次いだテロに言及し、「国家同士が粘り強く協力し、テロリズムとの戦いに最優先で取り組まなければならない」とも語り、国際社会全体の対話の重要性を訴えた。
ノーベル賞委員会は「チュニジアが中東や北アフリカの民主化促進の刺激になってほしい」と説明。今回の授与の背景にはチュニジアを後押しし、中東の安定に向けた「希望のともしび」を絶やさずにいようという意思がある。
チュニジアでデモ拡大、全土に夜間外出禁止令
nikkei.com
2016/1/23 21:46
【カイロ=共同】若者の失業が深刻なチュニジアで、政府に対する抗議デモが各地に広がり、一部が暴徒化、内務省は22日、全土に夜間外出禁止令を出した。チュニジアは、2011年の中東民主化運動「アラブの春」の唯一の成功例といわれるが、政情不安が懸念される。
現地からの報道によると、デモは、中部カスリーヌで今月中旬、行政機関での仕事を得られなかった若者が自殺したことをきっかけに拡大した。若者は抗議のため電柱に上り感電死したという。
カスリーヌのほか、首都チュニス、中部シディブジドでデモが続き、警官隊との衝突も発生した。デモ隊の一部が暴徒化し、警察署の襲撃や、商店での略奪に発展した。
チュニジアでは若者の焼身自殺を契機にした反政府デモで、11年1月にベンアリ政権が崩壊した。その後、イスラム、世俗両勢力の対立が深刻化したが、政治対話は継続され、新たな民主体制を確立した。対話を促進した4団体は昨年12月、ノーベル平和賞を受賞している。
チュニジアのデモ拡大、暴徒化も 政府が夜間外出禁止令
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カイロ=翁長忠雄2016年1月23日17時29分
失業問題が深刻化するチュニジアの各地で政府への抗議デモが広がり、商店の略奪が起きるなど一部が暴徒化して、これまでに警察官1人が死亡、40人以上が負傷した。チュニジア政府は22日、全土に夜間外出禁止令(午後8時〜午前5時)を出した。
抗議デモは、16日に西部カスリーヌで、政府の雇用リストから外された若者が抗議のため電柱に上り、感電死したのがきっかけ。19日にカスリーヌで失業対策を求めるデモが始まると、各地に広がった。中部シディブジドでは投石するデモ隊が警察と衝突。首都チュニス郊外でも暴動になった。商店の略奪のほか、銀行や警察署への襲撃も起きた。
チュニジアでは2010年12月に失業青年による焼身自殺をきっかけに反政府デモが起き、翌月のベンアリ独裁政権崩壊につながった。14年に議会選、大統領選を実施し、中東の民主化運動「アラブの春」を経た民主化の模範と言われた。その半面、経済は回復せず、「イスラム国」(IS)などの過激派組織に加わる若者は3千人以上に及ぶ。外国人を狙ったテロが相次ぎ、主要産業の観光は大打撃を受けている。昨年の失業率は革命前の12%から15%に増えた。
カイドセブシ大統領は22日、テレビ演説で「(隣国の)リビアで台頭するISが不安定な状況につけ入ってくる」と警告。失業対策を実施するとしたが、具体的な方策には触れなかった。旧宗主国フランスは22日、今後5年間で10億ユーロ(1270億円)の支援を表明した。(カイロ=翁長忠雄)
チュニジアで大規模デモ 「アラブの春」先駆け 再び治安悪化
東京新聞
2016年1月24日 朝刊
【カイロ=中村禎一郎】二〇一一年に広がった中東の民主化運動「アラブの春」の先駆けとなったアフリカ北部チュニジアで、大規模な抗議デモが各地で再び繰り広げられている。中東の衛星放送アルジャジーラによると、チュニジア政府は二十二日、首都チュニスでのデモ発生など治安悪化を受け、全土に夜間外出禁止令を発令した。
シド首相は二十三日、緊急閣議を招集して対応を協議。テレビ中継された閣議後の記者会見で「治安は次第に安定してきている」と強調した。一方で「チュニジアは今、問題に直面している。解決には時間が必要だ」と述べ、国民に冷静な対応を呼び掛けた。
抗議デモは西部カスリーヌで十六日に、求職中だった二十八歳の青年が感電死したことをきっかけに拡大。男性は就職をめぐって当局とトラブルになり、その結果、抗議のために自殺した可能性が伝えられている。デモ隊との衝突で、治安部隊員一人が死亡したもようだ。
チュニジアでは一〇年十二月、露天商だった青年が当局の姿勢に抗議して焼身自殺。これを機にデモが広がり、一一年のベンアリ独裁政権崩壊につながった。アラブの春の先駆けとなった「ジャスミン革命」だ。
チュニジアではその後、新憲法制定や大統領、議会選挙など民主化手続きが進められた。アラブの春後の民主化に成功した唯一の例とされ、功績のあった民間四団体には昨年、ノーベル平和賞が贈られている。
しかし、国内では現在も、過激派組織「イスラム国」(IS)系グループが活動。相次ぐテロによる治安の悪化で、柱となる観光業が打撃を受けている。ロイター通信によると、一〇年に12%だった失業率はさらに悪化し、昨年は15%を超えた。
デモに参加しているのは職のない若者が中心。こうした若者たちが職を求めながら、強権的な当局の姿勢や腐敗に抗議する構図はジャスミン革命の際と同じだ。
リビア国境の土塁完成
時事通信
2月7日(日)9時12分
チュニジアがテロ対策として対リビア国境に建設していた土塁などの障壁が6日、完成した。写真は同日、チュニジアのラスジェディール検問所近くで、対リビア国境に設けられた堀のそばで警備に当たる兵士。
先駆者が指導、チュニジアの女性バイカーたち
AFP BB News
2016年02月15日 14:42 発信地:チュニス/チュニジア
【2月15日 AFP】アラブ圏の女性として初めて「オプティック2000チュニジアラリー(OPTIC 2000 Tunisia Rally)」を完走したハミダ・サクラウイさん(40)。
ノーベル平和賞のチュニジアにISISの魔の手が
Ideal Hunting Ground for ISIS
「アラブの春」唯一の優等生国家がテロ組織のリクルート拠点となった落とし穴
ニューズウィーク日本版
2016年2月17日(水)16時00分
アレッサンドリア・マシ
モハメド(23)は仕事を探している。チュニジア中部の地中海沿岸の都市スースに住む彼は、11年1月に反政府デモに参加してから5年間、ずっと失業中だ。
チュニジアから広まった民主化運動「アラブの春」は各地で泥沼の内戦に発展したが、チュニジアのジャスミン革命は唯一、成功したとされる。
とはいえ、すべてが順調ではない。チュニジアでは18〜34歳のうち約20万人が無職だ。多くの若者が職にあぶれるこの国は、テロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)などの過激派武装集団にとって、格好の勧誘場所になっている。
先月中旬、高い失業率と低い賃金への対策を求め、チュニジア各地で若者を中心にデモが起きた。一部が暴徒化して1100人以上が逮捕され、政府は全土に夜間外出禁止令を出した。
モハメドも地元でデモに参加した。「生活できるちゃんとした仕事」が欲しいだけだと言う。
イラクとシリアのISISの外国人戦闘員のうち、最も多いのはチュニジア人だ。チュニジアと国境を接するリビアは、ISISの軍事訓練キャンプになっている。
チュニジアが戦闘員の供給源にうってつけの理由は3つ。まず、国内の刑務所は収容率138.9%の過密状態で、テロ関連の受刑者から周囲に過激な思想が広まりやすい。
さらに、ジャスミン革命で倒れた前政権も、民主的な選挙で選ばれた現政権も、世俗化政策を強く推し進めている。そのため多くの敬虔なイスラム教徒にとって、信仰に忠実なイデオロギーを掲げる勢力は、ISISのような過激派しかいない。
しかし、多くのチュニジア人がISISに引き寄せられる何よりの要因は「経済的な理由」だと、ハビブ・シド首相は言う。「彼らは仕事がなかった。普通の生活を送れなかった」
革命後に失業率が上昇
大規模な反政府デモが起きて政権が交代すると、経済がある程度不安定になるのは想定内だ。とはいえチュニジアでは、革命前は12%程度だった失業率が、14年末に15%、その1年後には15.3%に上昇。大卒男性の失業率はこの1年で20.8%から21.4%に上昇した。
「多大な犠牲を払って革命を起こしたのに、失業者が増え、社会は不安定になり、テロが増えているだけなのかと、国中が自問している」と、タウフィック・ジュラーシ元高等教育・科学研究・情報通信技術相は言う。
仕事があっても大半は収入が低く、米ドル立てで給料を払うテロ組織のほうがはるかに魅力的だ。スースに住むワエル(19)のいとこは14歳で学校をやめ、家計を助けるためにホテルの土産物店で働き始めた。しかし、ISISに入れば家族に1500ドルが送金されると聞き、間もなくシリアに渡った。
テロ組織の側も、若者の高い失業率が勧誘に有利に働くことは承知しており、経済にさらなる打撃を与えようとしている。観光がGDPの約6分の1を占めるチュニジアで、昨年3月と6月に観光客数十人が殺害されるテロ事件が発生。いずれもISISが犯行声明を出している。
「過激派武装集団のプロパガンダのために選んだ標的というだけでない。博物館やホテルを襲撃すれば観光客は確実に減る」と、シンクタンク「大西洋協議会アフリカセンター」のピーター・ファム所長は言う。
若者の就職先がテロ組織しかないような国に、「春」はまだ訪れそうにない。
[2016年2月16日号掲載]
なぜチュニジアはIS戦闘員の最大供給源なのか
jp.wsj.com
By YAROSLAV TROFIMOV 2016年2月26日 11:47 JST
【チュニス(チュニジア)】北アフリカ・中東を席巻した民主化運動「アラブの春」の発祥の地であるチュニジアは、今もアラブ諸国で最も自由な国だ。同国は、アラブ諸国の最先進国の1つで、識字率も最も高い。そして、シリアとイラクに根を張る過激派「イスラム国(IS)」に加わる外国人戦闘員の断トツの供給源でもある。
ISに加わったチュニジア人の数は6000〜7000人で、はるかに人口の多いアルジェリアやエジプトの数倍にも達している。さらに、チュニジア政府がISに参加しようと計画している疑いがあるとして、出国を禁じているチュニジア人が約1万5000人いる。
テロの根本原因は一般的には、独裁体制下の政治弾圧や貧困への不満などだと説明されており、チュニジアからISに加わる者の多さには驚かされる。
くすんだコンクリートのビルが広がる労働者居住区であるチュニス郊外ヘイエタドゥアマンも、シリアやイラクに向かうIS戦闘員志願者が多い地区の1つだ。建築学専攻の学生アフメド・アミン・ジェブリ氏(27)は、近所に住む友人ら約20人がISに参加したと話す。そのうちの数人はすでに死亡したという。「多くの人が出ていったが、かなりの人が比較的裕福な家庭の出身者だった」
こうしたチュニジア人は、ISが隣国のリビアで勢力を拡大するのも支えている。米軍が先週トリポリ西方のISの軍事訓練キャンプを空爆した際に死亡した約50人のIS戦闘員の大半はチュニジア出身者だった。
では、この矛盾をどう説明できるのか。その答えは、深い亀裂が残っているチュニジアでは、尋ねる相手によって変わってくる。チュニジアのように民主主義が機能している国は珍しい。アラブの春に触発された革命は、同国以外ではシリアやリビア、イエメンのように内戦に転化したか、エジプトのように再構築された独裁体制によって押しつぶされた。
だがチュニジアでも、国民の間には失望感が広がっていると、2011年から14年末まで民主化体制下の初代大統領を務めた人権運動家のモンセフ・マルズーキ氏は語る。
同氏によれば、同国のジャスミン革命は民主主義を生んだが、経済の発展も腐敗の根絶ももたらさなかった。「教育程度の高い人や職を持っている人がISに加わるのは、社会経済的な基盤に問題があるからではない。彼らには夢があるからだ。われわれにもアラブの春という夢があったが、その夢は悪夢に変わってしまった。だが若者には夢が必要だ。彼らにとって手に入るただ一つの夢はカリフ制国家の樹立なのだ」とマルズーキ氏は説明する。
一部の人、とりわけ経済的・社会的に恵まれていない人にとっては、新生チュニジアはかつてのチュニジアと何の変わりもない。常に逮捕される恐れに直面している元IS戦闘員のチュニジア人の弁護士を務めるラフィク・ガキ氏は、「チュニジアでは警察官は以前と同じように通りで市民を呼び止め、殴打している。ベールをかぶった女性は今も差別感を味わっている」と話す。
宗教にさほど重きを置かないチュニジア人は、こうした説明は革命後の政府のISに対するあいまいな姿勢が及ぼした影響を無視したものだと指摘する。ジャスミン革命後の恩赦により、収監されていた多数のジハーディスト(聖戦)主義者が釈放された。その後、イスラム過激派によるテロや暗殺が頻発したことから、政府は過激派の弾圧に乗り出したが、政府はまだ過激派に寛大すぎるとみる向きも多い。
シリアやイラクなどで過激派に加わった戦闘員を持つ家族で構成する組織の代表モハメド・イクベル・ベン・レジェブ氏は、「チュニジアでは過激派は政治的な保護を受けている。誰も、彼らの勧誘活動を阻止しない」と訴える。
「洗脳されると、なぜ行くのかなどと考えなくなる」、「ウイルスのようなものだ」とレジェブ氏は語った。
チュニジアで過激派と銃撃戦、53人死亡 治安が悪化
nikkei.com
2016/3/8 0:09 (2016/3/8 0:50更新)
【カイロ=共同】チュニジア南部のリビア国境に近いベンガルデンで7日、チュニジア治安部隊が過激派と銃撃戦となり、地元メディアによると53人が死亡した。治安部隊は過激派の戦闘員30人以上を殺害し、負傷した7人を拘束。内務省は治安部隊と税関職員の計10人が死亡、子どもを含む民間人7人も巻き添えで犠牲になったと発表した。
チュニジアでは昨年、首都チュニスなどでテロが相次いだ。政府は対策を進めるが、治安悪化に歯止めがかかっていない。
戦闘員はリビアから侵入した過激派組織「イスラム国」(IS)関連グループのメンバーとみられる。7日未明、軍や警察の拠点を同時に襲い、銃撃戦となった。
ベンガルデンでは2日にも過激派と治安部隊との衝突があり、計6人が死亡した。いずれも米軍が2月中旬、リビア北西部のIS訓練キャンプを空爆したことに対する報復の可能性がある。
ロイター通信によると、チュニジアのカイドセブシ大統領は7日、地元ラジオに「かつてなく組織化された攻撃だった」と語った。政府はベンガルデンに夜間外出禁止令を出した。
チュニジア、「イスラム国」が相次ぐ襲撃 脅威増す
nikkei.com
2016/3/10 21:35
【カイロ=押野真也】北アフリカのチュニジアで過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)の脅威が強まっている。隣国のリビアがISの新たな拠点となりつつあり、戦闘員や武器などが流入。国境地帯では襲撃事件も起きている。
7日にリビアとの国境に近いチュニジア南部のベンガルデンでISに関係するとされる過激派の戦闘員が軍や警察の施設を襲撃した。治安部隊との間で銃撃戦となり、民間人を含む50人以上が死亡した。8日から9日にかけても過激派と治安部隊との間で銃撃戦となり、過激派の戦闘員2人と治安部隊の兵士1人が死亡した。
2015年には3月に首都チュニスの博物館、6月に中部のリゾート地で外国人観光客を狙ったテロが発生。11月にはチュニス中心部で大統領警護隊が乗ったバスが襲撃されるなど、チュニジアではテロが相次いでいる。
中東・北アフリカでは独裁政権が相次いで崩壊し、混乱が続く。チュニジアは唯一、民主的な手続きを経て新政権の発足にこぎ着けたが、治安の安定と経済の再生が最重要の課題になっている。
ノーベル賞受賞のチュニジア「国民対話カルテット」 中心メンバーが都内で初公演(講演ですね)
東京新聞
2016年3月30日
昨年十二月、ノーベル平和賞を受賞したチュニジアの「国民対話カルテット」の中心メンバーが受賞後、初来日し、東京都内で講演した。同カルテットは「ジャスミン革命」と呼ばれる民主化運動で独裁政権が崩壊した後、イスラム保守派と世俗派間の政治的対立を調停し、チュニジアの民主化に大きく貢献した。メンバーは「粘り強い対話で民主化の道筋をつけた。中東や北アフリカ民主化のモデルになった」と話した。
来日したのは、同カルテットを構成する四団体の一つ、「チュニジア人権擁護連盟」のアリ・ゼディニ副代表(59)。新宿区で開催された「みんなのTICADフォーラム」(市民ネットワークfor TICADとアフリカ日本協議会共催)で基調講演した。
ゼディニ氏によると、チュニジアでは二〇一一年の独裁政権崩壊後、制憲議会選挙が行われたが、経済と治安が悪化、一三年には野党議員の暗殺事件が相次いで発生するなど内戦の危機を迎えた。これを回避しようと、同カルテットの仲介で、対立する政治勢力が会談し、政治色を排した内閣の組閣や民主憲法制定などの政治日程(ロードマップ)の合意を取り付けた。
ゼディニ氏は「対話と合意の手法によってさまざまな利害関係者から譲歩を引き出し、国民全体の大同団結を実現した。チュニジア市民社会の大きな成果だ」と話した。同フォーラムではアフリカの気候変動に関する取り組みや持続可能な開発目標などについても話し合われた。 (土田修)
2016.4.10 18:47
【G7広島外相会合】
日英外相会談 チュニジア国境警備の共同支援で合意 テロ対策
産経ニュース
岸田文雄外相は10日、広島市で開かれている先進7カ国(G7)外相会合に合わせてイギリスのハモンド外相と会談した。テロ関連の途上国支援協力として、チュニジアの国境警備改善事業に共同拠出することで合意した。
チュニジアの国境警備改善事業は国連薬物・犯罪事務所(UNODC)が行うもので、国境管理を改善させるための人材育成や分析能力の向上などを支援する。1月の日英外務・防衛閣僚級協議(2プラス2)で合意した安全保障・防衛分野の協力強化で実施する具体策の1つとなる。
今回の外相会談では、テロをはじめとする安保分野の協力に関し、途上国支援を重視して協力していくことを確認した。
また、G7外相会合の成果を5月の主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)につなげていくことで一致。日本と欧州連合(EU)で交渉中の経済連携協定(EPA)や、政治的な協力関係などを強化する「戦略的パートナーシップ協定(SPA)」の早期妥結を目指すことで合意した。
提言・世界の現場から
伊勢志摩サミット/1 チュニジア人権擁護連盟副代表・アリ・ゼディニ氏
毎日新聞
2016年4月26日 東京朝刊
対話で紛争回避、道探れ
私たち「国民対話カルテット」がチュニジアで成し遂げたことは、「対話による紛争解決を促す手本だ」と評価され、昨年ノーベル平和賞を受けた。市民社会が主役となり、中立の立場から、対立する勢力を対話へと導き紛争を回避した方法をサミット参加国も参考にしてほしい。
23年続いた独裁政権が2011年に倒れた後、政権を握ったイスラム政党と野党の世俗派の対立が深刻になった。13年に左派(世俗派)の指導者が暗殺されて緊張は極まり、内戦の瀬戸際に立った。
危機感を持ったのが市民社会だ。私たち人権擁護連盟や国内最大の労組など主要な4団体が大同団結し、関係者の対話を主導することになった。歴史的に独裁政権側についていた団体とも組んだのが大きかった。
中立の立場から、憲法制定や議会選へのロードマップを作り、合意に向け、当事者たちが同じテーブルにつくよう呼びかけた。応じたのは24政党のうち21政党。容易ではなかったが、根回しなどで柔軟に対応した。
重要な役割を果たした労組は1945年に創設され、運動してきた団体だ。我が国の市民社会の強さは、こうした団体の歴史に根ざす正当性や独立性が背景にある。対話が勢いを得たのは市民社会の力があったからだ。平和賞はチュニジアの人々に贈られた。
民主化が進む一方で課題も残る。人口1100万人の国で80万人が失業し、うち30万人は大卒の若者だ。テロの脅威もある。サミットでは紛争回避やテロ対策も議論されるが、テロの問題を表面的に扱えば失敗する。人々が社会からはみ出る周縁化という現象に挑まなければならない。一部に集中する富を広く均等に分配することだ。また私たちは植民地化という不正義を経験した。富を収奪され、償いはない。我が国に限らず、こうした不正義を不問にしたまま平和はありえない。
日本人も戦争の悲惨さをよく知っている。その平和主義者としての力に期待したい。【聞き手・町田結子】
5月開催の伊勢志摩サミットで議論される課題について、京都市で先月開かれた対話集会に参加した世界の識者らに主要7カ国(G7)各国への注文と期待を聞いた。=つづく
■ことば
国民対話カルテット
2011年の民主化要求運動「アラブの春」でチュニジアの独裁政権が崩壊後、イスラム勢力と世俗勢力の政治対立を調停し解決に導いた市民4団体。
伊勢志摩サミット/1 チュニジア人権擁護連盟副代表・アリ・ゼディニ氏
ノーベル平和賞のチュニジア対話組織 シリアなどに「対話を」
2016/7/20 11:55
日本経済新聞 電子版
北アフリカ・チュニジアの平和的な民主化を仲介したとして2015年にノーベル平和賞を受賞した同国の対話組織「国民対話カルテット」の代表者3人が都内で取材に応じた。同時期に内戦に突入し、今も難民問題の原因になっているシリアやリビアなどに対し「対立は必ず悲劇を生む。まず対話から始めなければいけない」と和平交渉の必要性を訴えた。
政党や宗派の違いを超えて新憲法制定などに取り組んだ同組織は労組、弁護士など4団体で成る。人権擁護連盟のアブデッサッタール・ベンムーサー会長は「民主化が成功したのは温厚な国民性に加え、既存政党が何度も対話の場を持ったためだ」と強調。「対立が解決にならないのは歴史から明らかだ」と話した。
チュニジアで10年に始まった反政府デモは中東・北アフリカの民主化運動「アラブの春」の先駆けとなった。ただほかの国では内戦や過激派組織「イスラム国」(IS)の台頭を招くなど失敗に終わっている。
商工業・手工業経営者連合のウィダード・ブーシャマウィー会長は「教育を受けた国民も民主化を支えた。チュニジアがもし他国の事例となれば幸いだ」と話した。
【カイロ=共同】チュニジアからの報道によると、同国議会は30日、シド首相に対する不信任決議案を賛成多数で可決した。カイドセブシ大統領が今後、新首相候補を指名し、新内閣が発足する見通し。経済危機や高失業率を解決できないとして、シド内閣への批判が高まっていた。
チュニジアは2011年の中東民主化運動「アラブの春」の先駆けとなり、民主体制への移行を唯一実現した国だが、政治の混乱も懸念される。
議会は217議席で、不信任賛成は118票、反対は3票で、残りは棄権などだった。
大統領が6月、経済や治安の課題に迅速に対応するため新たな統一内閣が必要だと公言したが、シド氏は拒否していた。
シド氏は15年2月に首相に就任、アラブの春後の政権移行プロセスを経て誕生した挙国一致型の連立政権を主導してきた。
移行プロセスを巡っては、国内4団体でつくる「国民対話カルテット」が各勢力の融和を促し民主化に貢献したとして、昨年のノーベル平和賞を受賞した。しかし、相次ぐテロ事件で主要産業の観光業が打撃を受けるなどして景気は低迷。今年1月には国内各地で政府に対する抗議デモが起き、一部が暴徒化した。
L'interdiction des sachets en plastique dans les grandes surfaces tunisiennes à partir du 1er mars prochain devrait progressivement s'étendre à d'autres commerces, plus petits.
La bataille écologique est bel est bien déclarée en Tunisie. Comme au Maroc , où la loi interdisant les sacs plastiques est entrée en vigueur le 1er juillet 2016, les autorités ont décidé de prendre les choses en main, quitte à se mettre les professionnels du secteur à dos.
D’après une convention signée le mardi 11 octobre par le ministère des Affaires locales et de l’Environnement et la Chambre syndicale des grandes surfaces (relevant de l’Utica, l’union tunisienne de l’industrie, du commerce et de l’artisanat), les Tunisiens auront donc jusqu’au 1er mars pour changer leurs habitudes et trouver des alternatives aux sachets en plastique.
« Un milliard de sachets en plastique sont utilisés en Tunisie chaque année, dont près de 315 millions distribués par les grandes enseignes commerciales », a affirmé à l’agence TAP Riadh Mouakher, ministre des Affaires locales et de l’environnement. Ces sachets, dont la production ne prend qu’une minute, mettent plus de 400 ans à se dégrader dans la nature, a-t-il ajouté.
Vers une interdiction totale ?
Et le gouvernement ne compte pas s’arrêter aux grandes surfaces. « Une fois que cette convention sera appliquée, nous ciblerons dans un deuxième temps les petits commerces distribuant environ 150 millions de sachets par an, afin de porter le nombre total des sachets éliminés du territoire tunisien à environ 500 millions », a également précisé Riadh Mouakher, en indiquant que ces sachets seront remplacés par d’autres plus respectueux de l’environnement.
Jusqu’à leur interdiction totale ? C’est en tout cas ce qu’envisage le ministre, qui a annoncé la publication, dans un troisième temps, d’un arrêté interdisant totalement la production, l’importation et l’usage de sachets plastiques inférieurs à 50 microns. « Pour se faire, nous devons tout d’abord en débattre avec les professionnels du secteur du plastique (la Chambre syndicale nationale des fabricants et transformateurs de plastiques) pour qu’ils orientent leur activité vers d’autres produits, comme les sacs poubelle. »
Police de l’environnement
Lors de sa première grande interview télévisée accordée le 28 septembre pour présenter son programme gouvernemental, le chef du gouvernement Youssef Chahed avait évoqué des mesures en faveur de la propreté et de la protection de l’environnement, comme la distribution de 400 équipements de propreté aux municipalités, la création de sept unités de recyclage de déchets en 2017 et la mise en place d’une police de l’environnement.
Dans ce cadre, 350 agents seront déployés au début de l’année prochaine, (en janvier ou février 2017), dans 74 communes réparties autour des grandes villes du pays, dont le grand Tunis et les régions touristiques, a indiqué Riadh Mouakher à la TAP. Ces agents, qui disposeront de véhicules équipés de GPS, seront chargés du contrôle et du suivi des infractions en matière d’atteinte à l’environnement.
Tunisie : les sacs plastique bannis des grandes surfaces à partir de mars 2017
サッカーの2018年ワールドカップ(W杯)ロシア大会アフリカ最終予選は11日、A組のチュニジアが中立地のアルジェでリビアを1−0で下し、2連勝で勝ち点を6とした。リビアは連敗。 (時事)(2016/11/12-10:51)
クウェイト・ファンドはチュニジア政府に対して、地方の道路整備に8,600万ユーロを融資することを決定した。その目的は、都市への移動を抑止するために農業生産と農民の所得を増やすことにある。
12月25日に、チュニジア政府は8,640万ユーロ(3,000万クウェイト・ディナール)に上る融資契約を、アラブ人の経済発展のためのクウェイト・ファンド、一般的には単にクウェイト・ファンドと呼ばれるファンド、と締結した。この借入金の一部は、地方の道路を整備するプロジェクトに使われる。金利は年約2%で、借入金は22年で返済される。
クウェイト・ファンドの発表要旨によれば、「このプロジェクトは、幅5-7mと路肩(1-1.5m)を含む約912kmの地方道路の補修とアスファルト化、排水工事、安全や防御設備の工事やエンジニアリング・コンサルティングサービスなどを行う」。
このプロジェクトの目的は、農業生産を増やし、農民の生活水準を引き上げることで、農村から都市への人口移動を減少させることである。今回の融資は、クウェイト・ファンドからチュニジア政府に対する37回目のものとなる。既にチュニジア政府は、6億4,230万ユーロ以上をこの開発機関から借り入れている。【参考訳:大竹秀明、AJF】