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南アフリカ共和国 1990年代


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アフリカアフリカ Africa 2017


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◆1991/02/22 日本経済新聞 南ア 加速する民主化 アパルトヘイト「終りの始まり」
◆1991/02/28 Mail&Guardian Chris Hani: My Life
◆1991/03/13 日本経済新聞 土地差別廃止法を提案 南ア、アパルトヘイト崩壊
◆1991/05/02 日本経済新聞 英外相 南アの連邦復帰支持 経済再建テコ入れ狙う
◆1991/05/08 日本経済新聞 欧州の銀行 南アとの取引拡大 ランド建て債券販売も
◆1991/05/10 日本経済新聞 南ア制裁解除検討 外相表明
◆1991/05/13 日本経済新聞 南ア制裁解除早期実施に慎重論浮上 政治犯の釈放問題が未解決 政府内の意見割れる
◆1991/05/17 日本経済新聞 南ア経済制裁 日本は早期解除を ボタ外相表明 継続は黒人に打撃 企業の投資再開に期待
◆1991/05/20 日本経済新聞 中心街で連続爆破事件 南ア 対外投資に悪影響も
◆1991/05/23 日本経済新聞 黒人暴動の陰に経済悪化 南アの2居住区ルポ 失業者急増、不満根強く 「制裁」がしわ寄せ
◆1991/06/18 日本経済新聞 アパルトヘイト終結宣言 南ア 人種登録法廃止を可決(一面トップ)
◆1991/06/18 日本経済新聞 〈解説〉 混乱の火ダネ残る アパルトヘイト南アが完全撤廃 黒人勢力衝突続く
◆1991/06/19 日本経済新聞 南アは招待せず アフリカ競技大会組織委
◆1991/06/21 日本経済新聞 南ア制裁、部分解除 政府 人的交流の3項目
◆1991/06/24 日本経済新聞 南ア、和平で共同委設置合意
◆1991/07/02 日本経済新聞 南ア便開設ラッシュ 航空各社 人権政策転換で
◆1991/07/06 日本経済新聞 (フォーカス) ANC議長に就任するネルソン・マンデラ氏
◆1991/07/06 日本経済新聞 南ア旅行に熱い視線 第一弾はブルトレの旅 五年ぶりに観光再開
◆1991/07/06 Fin.Times シリル・ラマポーザ 新しいアフリカ民族会議事務局長 交渉の術を知っている人間
◆1991/07/10 日本経済新聞 南ア、五輪復帰へ 32年ぶり IOCとの会談で
◆1991/07/10 日本経済新聞 南ア制裁 米、一両日中に解除 ブッシュ大統領見通し
◆1991/07/11 日本経済新聞 米、南ア制裁を解除 大統領発表 人種政策前進を評価
◆1991/07/11 日本経済新聞 米の制裁解除 南ア、投資呼び込みに全力
◆1991/07/12 日本経済新聞 ビジネス急拡大望み薄 南ア経済制裁解除、産業界の反響 経済悪化が足カセ 長期的な視点で準備も
◆1991/07/12 日本経済新聞 対南ア経済制裁解除、商品市況への影響は 需給、急変はなさそう 相場低迷 復帰インパクト薄める
◆1991/07/12 日本経済新聞 南アへ投融資調査団 金融機関ミッション 制裁解除をにらむ
◆1991/07/14 日本経済新聞 一ヵ月以内に代表団派遣 南ア復帰問題でITF
◆1991/07/18 日本経済新聞 外務政務次官、南アへ 政治犯釈放迫る 22年ぶり高官交流
◆1991/07/20 日本経済新聞 黒人保守派に資金 南ア警察
◆1991/07/21 日本経済新聞 (サンデートピックス) 南ア共和国 金貨王国、復活の道険し クルーガーランド 「制裁」でシェア急減
◆1991/07/25 日本経済新聞 世界陸上への南ア招待を承認 国際陸連の評議員会
◆1991/07/25 日本経済新聞 南ア・ハンガリー、外交樹立会
◆1991/07/25 日本経済新聞 南ア産レモン、5年ぶり輸入 来月に日本到着
◆1991/07/27 日本経済新聞 W杯サッカー2006年は南アで FIFA副会長意向
◆1991/07/27 日本経済新聞 南ア政権苦境に 秘密資金供与問題 制裁解除に影響
◆1991/07/28 日本経済新聞 世界陸上 南ア不参加決定
◆1991/07/31 日本経済新聞 南ア、2閣僚解任
◆1991/08/01 New Africa SOUTH AFRICA'S ANC CHOSES ITS NEW LEADERS (on Cyril):南アフリカ、ANC 新しい指導部を選出す(on Cyril)
◆1991/08/07 日本経済新聞 アフリカ援助、日本に期待 世銀副総裁会見 周辺国への「南ア効果」も
◆1991/08/10 日本経済新聞 南アで衝突 40人が死傷
◆1991/08/14 日本経済新聞 OES 南アから開発輸入 高級皮革製品、10月から
◆1991/08/14 日本経済新聞 南ア経済制裁、月内解除 政府方針 EC最終決定待たずに
◆1991/08/16 日本経済新聞 南ア・ファンド上場 英大手証券 来月、世界で初めて
◆1991/08/16 日本経済新聞 南ア2黒人組織闘争終結へ
◆1991/08/17 日本経済新聞 ANCが歓迎表明
◆1991/08/17 日本経済新聞 亡命者に恩赦 南ア、国連と合意
◆1991/08/17 日本経済新聞 対アフリカ投資拡大 欧州石油資本、対南ア再開
◆1991/08/21 Fin.Times 若者が学校闘争で殺される 南アフリカ
◆1991/08/24 日本経済新聞 国際資本市場復帰へ 南ア、近く2億マルクを起債
◆1991/08/26 日本経済新聞 ズームイン 日本の国連安保理復帰 南ア問題が踏み絵に
◆1991/08/30 朝日新聞 対南ア経済制裁解除 「暫定政府樹立時に」 ムベキANC国際局長と会見
◆1991/08/30 日本経済新聞 「制裁破り」と独銀批判 南ア起債で国連特別委
◆1991/09/05 朝日新聞 黒人初の投票権 南ア新憲法概要を発表 大統領廃止も盛る
◆1991/09/13 毎日新聞 南ア新憲法構想
◆1991/09/15 日本経済新聞 南ア 黒人組織と和平協定 抗争完全終結は流動的
◆1991/09/17 日本経済新聞 南ア、核査察受け入れへ
◆1991/09/20 日本経済新聞 南ア、7年ぶり国際市場で起債
◆1991/09/27 朝日新聞 来月中にも共闘会議結成 南ア黒人解放3団体
◆1991/10/04 毎日新聞 ノーベル文学賞に南アのゴ女史  女流作家受賞は25年ぶり
◆1991/10/04 毎日新聞 熱い「人間への想い」 ノーベル文学賞 ナディン・ゴーディマの文学 アパルトヘイト一貫して告発
◆1991/10/05 日本経済新聞 南ア、憲法改正で国民投票へ
◆1991/10/08 朝日新聞 「謝罪」に内外で反響 単独会見の南ア大統領 保守派にも配慮
◆1991/10/08 日本経済新聞 黒人グループ衝突、18人死亡 南ア
◆1991/10/10 日本経済新聞 ノーベル平和賞候補に米大統領
◆1991/10/12 日本経済新聞 ソ連のプラチナ売却
◆1991/10/12 日本経済新聞 南アから黒人研修生 JICA 農業・建築など4部門20人
◆1991/10/14 日本経済新聞 IMF融資望む 南ア蔵相会見 数日中に訪日
◆1991/10/16 日本経済新聞 南ア企業に24%出資 マツダが権利獲得
◆1991/10/17 日本経済新聞 南ア制裁解除 25日にも閣議決定
◆1991/10/19 朝日新聞 マンデラ氏が英連邦案同意 南ア経済制裁解除
◆1991/10/19 朝日新聞 南アの鉄鉱石輸入へ新契約 新日鉄など六社
◆1991/10/19 日本経済新聞 対南ア制裁を解除 英連邦首脳会議が決定
◆1991/10/19 日本経済新聞 鉄鉱石輸入南アと再契約 鉄鋼大手6社 5年間、年400万トン 月末の制裁解除にらむ
◆1991/10/20 朝日新聞 「核兵器開発南アは放棄」 原子力公社総裁
◆1991/10/22 日本経済新聞 南ア制裁きょう解除 政府
◆1991/10/22 日本経済新聞 南ア制裁解除決定 政府
◆1991/10/23 朝日新聞 ANC、制裁解除に「遺憾」
◆1991/10/23 朝日新聞 連合も解除反対の談話
◆1991/10/23 日本経済新聞 南ア制裁解除 財界は「歓迎」資源貿易に期待
◆1991/10/24 日本経済新聞 南ア経済再建へ日本資本がカギ デュプレシ蔵相会見
◆1991/10/25 朝日新聞 南アフリカ 92五輪参加めざし来月、初の合同会議 競技団体統一など協議
◆1991/10/25 日本経済新聞 南アを初訪問 シンガポール首相
◆1991/10/26 朝日新聞 解除後の国際交流も白人中心 「本当の改革まだ」黒人系反発 南ア
◆1991/10/26 読売新聞 南ア・黒人居住区ソウェト 主導権巡り緊張続く 階層分化が進行 警官不法発砲も後を絶たず
◆1991/10/26 読売新聞 「反政府」で共闘 「愛国戦線」大会始まる
◆1991/10/28 朝日新聞 南アはいま 92五輪を前に 上 門戸開放 黒人参加不可欠に
◆1991/10/28 朝日新聞 南ア・ウンデベーレ族の写真展 壁画の腕競い合う妻たち 一夫多妻の抑圧をぶつける
◆1991/10/29 朝日新聞 南アはいま 92五輪を前に 中 門前払い 白人に偏重する諸施設
◆1991/10/30 朝日新聞 南アはいま 92五輪を前に 下 闘争 組織の一本化なお難航
◆1991/10/30 日本経済新聞 金貨市場 栄華再び バブルはじけ堅実性に的  各国売り込み活発 <クルーガーランド>南アも復帰ねらう
◆1991/11/01 日本経済新聞 燃えぬ南ア・ビジネス 経済制裁解除にも産業界クール 「政情不安定」に二の足
◆1991/11/02 朝日新聞 南ア外相非公式訪ソへ
◆1991/11/02 日本経済新聞 南ア大統領が14日から訪台
◆1991/11/04 朝日新聞 旧黒人居住区で警官ら7人死ぬ 南アで暴動
◆1991/11/05 朝日新聞 労働者が衝突15人が死亡 南アでゼネスト巡り
◆1991/11/05 日本経済新聞 南アで大規模ゼネスト
◆1991/11/06 日本経済新聞 NY金、手じまいで反落 南アのスト材料視されず
◆1991/11/07 日本経済新聞 南ア、五輪に復帰 32年ぶり
◆1991/11/08 朝日新聞 実現にはなお課題 国旗や競技団体の統一
◆1991/11/09 朝日新聞 「第九の代用」非難 南ア大統領が演説
◆1991/11/09 朝日新聞 国連の対南ア武器禁輸制裁 「日本含む38社違反」 南ア紙報道
◆1991/11/09 朝日新聞 丸紅のは特殊繊維 輸出規制の対象外 日本総領事館が見解
◆1991/11/09 日本経済新聞 日本企業などが南アと武器取引 地元紙報道
◆1991/11/12 朝日新聞 イスラエルを公式訪問
◆1991/11/12 日本経済新聞 再び労働者衝突52人死亡
◆1991/11/13 日本経済新聞 対南ア武器輸出を否定
◆1991/11/14 朝日新聞 和平結ぶ方法は対話だけ さすが経験者の確信 イスラエル訪問の南ア大統領が助言
◆1991/11/14 日本経済新聞 高級車南アで生産 日産、「マキシマ」月500台
◆1991/11/15 日本経済新聞 今年のプラチナ6.5トン供給過剰に 英社が中間報告
◆1991/11/15 日本経済新聞 南ア大統領、台湾を訪問
◆1991/11/16 朝日新聞 南アを重点市場に 英貿易相講演
◆1991/11/18 毎日新聞 白人進歩派が新憲法でANC同調
◆1991/11/22 朝日新聞 初の制憲協議会来月20日に開催 南アの3者合意
◆1991/11/23 朝日新聞 南アとルーマニア国交
◆1991/11/27 日本経済新聞 南ア・キューバも参加 バルセロナ五輪申し込み 19ヵ国は未回答
◆1991/11/29 朝日新聞 ダンピングで初の調査
◆1991/11/30 朝日新聞 南ア、新憲法へ一歩
◆1991/12/04 日本経済新聞 「南ア制裁解除徐々に進めて」 マンデラ氏が国連演説
◆1991/12/06 毎日新聞 南ア第2の企業会長が貿易相に
◆1991/12/06 毎日新聞 米大統領、マンデラ議長と会談
◆1991/12/06 日本経済新聞 米大統領、マンデラ氏と会談
◆1991/12/07 日本経済新聞 南ア大統領13日訪ソ
◆1991/12/12 毎日新聞 南アに「対話」の時代
◆1991/12/12 毎日新聞 南ア政治犯120人が帰国
◆1991/12/18 毎日新聞 PAC、全政党会議をボイコット
◆1991/12/20 朝日新聞 中国・南ア、相互に事務所
◆1991/12/20 毎日新聞 きょう開催の南ア会議 「インカタ」は不参加 内戦への懸念も
◆1991/12/21 朝日新聞 暫定政府へ改憲も民主南ア会議開幕 大統領、演説で提案
◆1991/12/21 日本経済新聞 黒人参政権 受け入れ表明 南ア大統領
◆1991/12/22 朝日新聞 住む家を持たない南ア黒人を救おう カレンダー販売で支援 アフリカ行動委員会
◆1991/12/24 毎日新聞 新憲法制定来年末にも
◆1992/01/08 朝日新聞 ポール・サイモン南ア公演 「反対」「歓迎」で論議 制裁解除の是非からみ
◆1992/01/11 毎日新聞 南アに新天地 東欧技術者
◆1992/01/14 朝日新聞 南アで全人種参加の投票提案
◆1992/01/22 朝日新聞 中国外相、南ア入り ボタ外相と会談
◆1992/01/25 朝日新聞 南ア大統領 国民参加暫定政府めざし 国民投票を提案
◆1992/01/25 朝日新聞 即時樹立を要求しデモ ANC
◆1992/01/25 朝日新聞 南アの日本総領事館 来月1日、大使館に
◆1992/01/25 日本経済新聞 南ア大統領「黒人参加の暫定政権を」
◆1992/01/27 日本経済新聞 政治的暴力による死者3割減
◆1992/02/06 日本経済新聞 南ア亡命者が事故死
◆1992/02/21 日本経済新聞 ロシア、南アと外交関係改善へ
◆1992/02/28 日本経済新聞 南アの五輪参加承認へ
◆1992/03/05 日本経済新聞 南ア 暫定政府を樹立へ 作業部会合意 黒人閣僚含む
◆1992/03/06 日本経済新聞 NZ・南ア産 羊毛上げ足急
◆1992/03/06 日本経済新聞 駐南ア初代大使に太田氏 大阪担当に谷口氏
◆1992/03/12 朝日新聞 海外在住者の投票始まる
◆1992/03/14 日本経済新聞 改革不支持なら混乱招くと警告 国民投票でANC議長
◆1992/03/16 朝日新聞 南ア大統領次男とカラード女性 「人種を超えた恋」実らず
◆1992/03/16 朝日新聞 政治暴力の死者増える 南ア
◆1992/03/17 朝日新聞 改革問い「白人投票」 南ア きょう実施 国民党優位動かず 反対派も追い上げ
◆1992/03/18 朝日新聞 南ア白人投票、1400カ所で実施
◆1992/03/19 朝日新聞 南ア白人投票 改革信任が7割弱 大統領が勝利宣言 黒人参政権へ前進
◆1992/03/29 朝日新聞 南ア旧黒人居住区で銃撃
◆1992/03/30 朝日新聞 暫定政府樹立など南ア大統領案ANCが拒杏
◆1992/03/30 読売新聞 南ア新体制 少数派も参加させて 新しい差別生まないために
◆1992/03/30 日本経済新聞 国営シンガポール航空のシンガポール ー ヨハネスブルク間の定期便運航が二十九日開始された。運航回数は週二便。
◆1992/04/01 朝日新聞 制憲議会選挙に黒人の参加同意 南ア政府
◆1992/04/01 朝日新聞 南ア 暫定政府と制憲議会成立 来月合意の見通し
◆1992/04/01 朝日新聞 南ア・ナイジェリア首脳会談
◆1992/04/03 朝日新聞 ラグビー大国南ア、復帰へ 来月に欧州へ遠征8年ぶり国際舞台
◆1992/04/04 朝日新聞 南ア・ユーゴ、国交樹立
◆1992/04/06 読売新聞 マンデラ氏ついに夫人と別居 新たな暗殺計画疑惑浮上 英紙報道
◆1992/04/07 朝日新聞 南ア大統領が近くナイジェリア訪問
◆1992/04/07 朝日新聞 カナダ外相、南ア訪問
◆1992/04/08 朝日新聞 対南ア制裁 石油も解除
◆1992/04/12 朝日新聞 南アフリカ 「海外旅行大国」日本に期待 改革でイメージ向上「ビザ不要」呼び込み
◆1992/04/12 朝日新聞 非白人地区で初の政治集会 南ア大統領
◆1992/06/16 朝日新聞 黒人を直撃する干魃被害 南ア・オレンジ自由州 農場解雇、都市部に流入
◆1992/06/30 朝日新聞 ガリ国連総長近く南ア訪問
◆1992/07/17 朝日新聞 特別代表を南アに派遣 安保理決議
◆1992/08/08 朝日新聞 ガリ事務総長、南アへの監視団派遣を提案
◆1992/08/08 朝日新聞 南ア現職閣僚が暗殺に関与か
◆1992/08/08 朝日新聞 南ア勢がマラソンに 3人 復帰で実現国際舞台
◆1992/08/18 朝日新聞 南ア監視団派遣を決議
◆1992/08/23 朝日新聞 南アとナミビア共同管理
◆1992/09/04 日本経済新聞 東京貴金属 軒並み上昇 金は海外堅調・円安を映す
◆1992/09/04 朝日新聞 ANC、新憲法交渉再開せず
◆1992/09/05 朝日新聞 南ア企業とサハ共和国 ダイヤと金で合弁会社
◆1993/04/23 日本経済新聞 南ア保守党首が病気で急死
◆1993/09/05 毎日新聞 南アの少数派集団
◆1994/01/05 毎日新聞 南ア“人種融和”後の初の選挙、保守強硬派も参加へ 政府とANC、心理作戦が奏効
◆1994/01/06 毎日新聞 合意条件に選挙参加 南ア 保守派5団体が発表
◆1994/01/06 毎日新聞 統合軍事司令会議を設立 南ア
◆1994/01/07 日本経済新聞 イラン、南アと国交回復
◆1994/01/08 東京読売新聞 [ビデオパラダイス]マチネー☆サラフィナ!
◆1994/01/09 日本経済新聞 インカタ、南ア議会選不参加
◆1994/01/10 朝日新聞 マンデラ氏「予定通り選挙」
◆1994/01/14 毎日新聞 いでよ南ア映画
◆1994/01/14 朝日新聞 南アのANCが政党登録へ
◆1994/01/15 毎日新聞 交渉打ち切りの方針表明
◆1994/01/15 毎日新聞 景気回復に沸く南ア 制裁解除に金価格上昇… 新政権の安定がカギ
◆1994/01/15 毎日新聞 南アへの選挙監視団派遣を公式に表明 外務政務次官が大統領に
◆1994/01/17 毎日新聞 南ア政府への武力闘争停止 急進黒人のPAC
◆1994/01/19 朝日新聞 暴力事件の死者25%増 黒人組織の抗争中心 昨年の南ア
◆1994/01/19 朝日新聞 機材・測定法普及図る NGOの大気汚染監視支援、政府も助成
◆1994/01/21 毎日新聞 南アの保守白人組織、独自政権を準備 自由選挙参加の折衝が難航
◆1994/01/22 朝日新聞 マンデラ議長、名簿1位に ANCが全国区候補者発表 南ア選挙
◆1994/01/23 毎日新聞 ANCが候補者名簿 大統領は地方遊説を開始 南アフリカ制憲議会選挙
◆1994/01/23 毎日新聞 約1800人の選挙監視団派遣 国連総会が決議
◆1994/01/23 日本経済新聞 マンデラ氏、比例名簿1位
◆1994/01/24 朝日新聞 片岡、日本最高ハーフ1時間8分41秒で初優勝 東京シティマラソン
◆1994/01/25 朝日新聞 コンピューターの南ア輸出規制解除 政府が決定
◆1994/01/25 朝日新聞 南ア政府とANC 右派との交渉開始 憲法制定選挙巡り
◆1994/01/25 朝日新聞 ココム対象国からチェコとスロバキアを除外 政府決定
◆1994/01/29 日本経済新聞 保守連合への説得工作難航 南ア政府とANC
◆1994/02/01 日本経済新聞 南ア政府とANC、保守派の説得失敗 全人種選挙不参加か。
◆1994/02/01 日本経済新聞 国連人権委の年次総会開幕。
◆1994/02/01 朝日新聞 南アで少年20人を連続殺人
◆1994/02/02 朝日新聞 右派との交渉中断 時間切れで告示も 極右、武力妨害 南ア選挙
◆1994/02/02 朝日新聞 南ア、選挙日程を変更
◆1994/02/03 日経産業新聞 米ハネウエル、南アに拠点、再進出 売却子会社を買い戻す。
◆1994/02/03 朝日新聞 旧黒人居住区に陸軍投入、警察部隊は引き揚げ 南アフリカ
◆1994/02/03 朝日新聞 南アの治安に懸念、日本などが代替候補に ラグビーW杯開催地
◆1994/02/04 日本経済新聞 南ア総選挙、保守派と最終交渉、政府・ANC 時間切れの公算も。
◆1994/02/04 朝日新聞 デクラーク南ア大統領、選挙を公示
◆1994/02/04 朝日新聞 北朝鮮のエントリーの通知、まだ届かず リレハンメル冬季五輪
◆1994/02/05 日経ジュエリー プラチナの供給過剰で金の価格と逆転。
◆1994/02/07 朝日新聞 白人右派の民間ラジオ放送に仮免許交付 南ア政府
◆1994/02/08 日経産業新聞 ブリヂストン、駐在員を派遣、南ア・ケニアの工場に アフリカで事業拡大へ
◆1994/02/08 朝日新聞 (地球24時)南アで女性・子ども12人が殺害
◆1994/02/08 朝日新聞 (リレハンメル冬季五輪 あと4日)日本選手団、選手村入り
◆1994/02/08 朝日新聞 国内第一人者・メイヤー、18年目の笑顔 五輪復帰の南ア
◆1994/02/09 日本経済新聞 アライドテレシス、伊に現法設立 地中海沿岸・南アをカバー、LAN普及見込み
◆1994/02/09 朝日新聞 右派との交渉決裂 選挙参加は望み薄に 南アフリカ
◆1994/02/10 日経産業新聞 機能効用ガム=江崎グリコ(新製品)
◆1994/02/11 日本経済新聞 南ア、ANCが政党登録。(ヨハネスブルク10日=共同)
◆1994/02/11 朝日新聞 緒方貞子・国連難民高等弁務官、アフリカ視察へ
◆1994/02/11 日本経済新聞 鉄鉱石7.6%値下げ 94年度豪・ブラジル産 原料炭に続き決着 鋼材値引き要求強まりそう
◆1994/02/13 毎日新聞 19年間、捕らわれの身… マンデラANC議長、「悪魔島」を再訪
◆1994/02/13 朝日新聞 リレハンメル五輪開幕 66カ国・地域から2200人
◆1994/02/14 毎日新聞 「自由同盟」は不参加 参加は19政党 南ア選挙・登録締め切り
◆1994/02/14 朝日新聞 南ア選挙で右派が登録を拒否 政府は期限延長の方針表明
◆1994/02/14 朝日新聞 カネノナルキ 花が咲くまで約10年 水のやり過ぎに注意
◆1994/02/14 朝日新聞 手軽にソーラークッキング 市販セット使い一時間弱 主婦が提案
◆1994/02/15 日本経済新聞 南ア大統領「保守派なお説得」。
◆1994/02/15 朝日新聞 新聞編集者が国際大会 南ア・ケープタウン
◆1994/02/16 日本経済新聞 豪・南ア産一般炭、スポット価格が反発 炭鉱ストなどで需給改善。
◆1994/02/17 日本経済新聞 南ア選挙、保守派に譲歩案 ANC、各人種の自決権明記。
◆1994/02/17 朝日新聞 南アANC、右派に大幅譲歩 地方政府の権限拡大案
◆1994/02/18 日本経済新聞 インカタ自由党議長声明、マンデラ議長の妥協案を拒否。
◆1994/02/18 朝日新聞 (社説)南アの夜明けの平和を願う
◆1994/02/18 朝日新聞 自治権拡大などの譲歩案をインカタ自由党が拒絶 南アフリカ
◆1994/02/19 日本経済新聞 (市場の話題)米大手証券、南アで業務再開 起債・資金調達など助言
◆1994/02/20 朝日新聞 選挙教育の「アフリカ民族会議」支持者14人殺害 南ア
◆1994/02/21 朝日新聞 装飾品ブーム、金鉱開発急げ 中国が外資導入でてこ入れ
◆1994/02/21 朝日新聞 仙台育英の留学生がジュニア男女制す
◆1994/02/22 日本経済新聞 中台「陣取り外交」激化、台湾の東南ア接近に対抗、中国は南アと国交協議へ。
◆1994/02/22 日経産業新聞 USアフリカ、米 南ア直行便、6月に運航開始。
◆1994/02/22 朝日新聞 白人右派、旧黒人解放組織「アフリカ民族会議」の譲歩案を拒む 南ア
◆1994/02/23 日本経済新聞 南ア議会、28日に招集。
◆1994/02/24 日経産業新聞 フェロシリコマンガン、対日輸出価格が軟調 産地値上げ足踏み。
◆1994/02/24 朝日新聞 非核地帯など説明 駐日南アフリカ大使が広島市役所を訪問 /広島
◆1994/02/24 朝日新聞 ダム決壊、死者・不明100人 南アフリカ共和国
◆1994/02/25 朝日新聞 白人極右が「統治宣言」 二つの町で一方的に 南ア
◆1994/05/15 日本経済新聞 南ア黒人?、12人殺害 新政権の発足後初。
◆1994/05/16 毎日新聞 白人名士「黒人メードに遺産」 4500万円相当 看病の恩返しに 南ア
◆1994/05/16 毎日新聞 グリニッジ標準時:日本より南アの方が明るい
◆1994/05/16 日本経済新聞 英紙報道、南ア・マンデラ大統領、2年後に引退か。
◆1994/05/17 日本経済新聞 台湾、対南ア外交維持 総統訪問で当面の成果。
◆1994/05/17 日本経済新聞 南アANC、マンデラ大統領引退報道を否定。
◆1994/05/17 日本経済新聞 プラチナ、供給過剰幅拡大。
◆1994/05/17 日経産業新聞 南ア人種融和、経済にも朗報 外資の活動加速へ
◆1994/05/17 日経産業新聞 93年のプラチナ需要、車触媒向けなど最高 ジョンソン・マッセイまとめ。
◆1994/07/05 毎日新聞 仏大統領が南ア訪問 経済支援計画を発表へ
◆1994/07/15 毎日新聞 マンデラ南ア大統領が退院
◆1994/09/02 毎日新聞 南ア、非常事態宣言を廃止
◆1994/09/02 Mail&Guardian CORVETTE OR FRIGATE IT S STILL A WARSHIP
◆1994/09/02 Mail&Guardian KASRILS CAUGHT UP IN ARMY LAND BATTLE
◆1994/11/30 日本経済新聞 南アに駐在員事務所 NEC 通信インフラに参入
◆1994/11/30 日本経済新聞 南アフリカでのトラック生産開始 三菱自動車・ベンツ提携
◆1995/01/27 毎日新聞 陸上 東京国際マラソン 招待選手を発表 谷口浩美、1年ぶりのマラソンに
◆1995/06/06 毎日新聞 来月、マンデラ大統領来日
◆1995/06/18 毎日新聞 アフリカの首脳会議欠席に批判も
◆1995/07/17 日本経済新聞 禁止令破り心臓移植 州当局が解雇求める
◆1995/07/18 日本経済新聞 プラチナ、円安受け3カ月ぶりの高値
◆1995/07/18 日本経済新聞 漁船で短銃200丁密輸 南アから 容疑の元船員2人逮捕
◆1995/09/01 Mail&Guardian Corruption probe into Sanco donations
◆1995/09/01 Mail&Guardian Whose version of socialism
◆1995/09/02 日本経済新聞 ピンクダイヤがキラリ 市場成長率5-10% 95年、豪鉱山見通し
◆1995/10/17 毎日新聞 南ア政権、分裂の危機 副大統領が「軍介入」発言 誤報加わり人種対立激化
◆1995/10/23 毎日新聞 人種隔離政策時代の政治・人権犯罪を検証へ 南アフリカの「真実委員会」
◆1995/11/11 日本経済新聞 南アフリカ人殺害 英国人に死刑判決
◆1995/11/11 毎日新聞 「大きな衝撃」マンデラ氏
◆1996/01/05 毎日新聞 すぐ再婚?
◆1996/01/05 Mail&Guardian Avoiding the unavoidable
◆1996/01/05 Mail&Guardian Which judge will head the amnesty probe?
◆1996/01/05 Mail&Guardian The unwilling and the unready
◆1996/01/05 Mail&Guardian THE CHRISTMAS MASSACRES
◆1996/01/05 Mail&Guardian THE CHRISTMAS MASSACRES : Burnt huts stand silent as bickering stalls probe
◆1996/01/06 日本経済新聞 ラグビー界にプロ化の大波激震 南半球が震源、日本にも風圧
◆1996/01/07 毎日新聞 アテネなど9都市 正式に立候補申請 2004年夏季五輪開催地


○楠原彰 日本の反アパルトヘイト運動小史とその問題点

【参考図書】
南アフリカの土地改革
佐藤千鶴子著 日本経済評論社 3800円+税 A5判 252p 2009年2月 [amazon]

序章 土地改革の意義
第1章 アフリカ人農村社会研究
第2章 土地問題の歴史的形成と農村の抵抗運動
第3章 政治的移行と土地改革
第4章 新生南アフリカの土地改革政策
第5章 民衆闘争と土地返還
第6章 土地闘争と和解の力学
第7章 土地改革と農村開発
終章 総括と展望

ジンバブエの土地問題を考える上でも参考になりそうです。

南アフリカ経済論 企業研究からの視座
西浦昭雄著 日本評論社 5400円+税 A5判 325p 2008年11月 [amazon]

南ア企業の歴史、経済活動、アフリカ諸国への進出、国際経済との関係に注目した研究。経済発展が注目される南アを知る貴重な視点が提示される。

国家の仮面が剥がされるとき―南アフリカ「真実和解委員会」の記録
アレックス ボレイン著 下村則夫訳 第三書館 2625円 四六判 285p 2008年12月 [amazon]

真実和解委員会副委員長だった著者が、真実和解委員会設立・活動の意義と現在にもつながる課題について体験を踏まえて記述している。真実和解委員会と法廷および法曹界との関係、証言を拒んだボタ元大統領の裁判めぐる記録がことに重要と感じた。真実を語り記録する動きと、被害者への補償を行い和解につながる道筋をさらに大きくしていく取り組みをスタートさせる出発点としての真実和解委員会の意味を考える必要があるとも感じている。


真実委員会という選択―紛争後社会の再生のために
阿部 利洋著 岩波書店 2310円 216p 2008年4月 [amazon]

紛争後社会と向き合う―南アフリカ真実和解委員会
阿部 利洋著 京都大学学術出版会 4620円 366p 2007年12月 [amazon]



 
 
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1991.2.22

南ア 加速する民主化 アパルトヘイト「終りの始まり」

日本経済新聞

ロンドン 村松記者/国際一部 横田記者 日経新聞1991.2.23

(上)

マンデラ氏の釈放などを公約した90年2月の議会演説から一年、次々と民主化を打ち出してきた南アフリカ共和国のデクラーク大統領が差別法全廃の方針を発表した。次の照準は「一人一票」制を原則とする完全自由選挙を保証する改憲に定まっている。しかし、枠ぐみは変わっても、差別の根を根絶することは難しい。南アとの関係修復に動く国々は、改革がアパルトヘイト(人種隔離)体制の「終りの始まり」でしかないことを認識しなくてはならない。

3法撤廃方針で波紋

89年に改革派のデクラーク大統領が登場して以来、アパルトヘイト体制の変貌は目覚しい。無期懲役で服役していた黒人解放運動家ネルソン・マンデラ氏の釈放から、同氏の指導するアフリカ民族会議(ANC)との対話。そして非常事態宣言の解除や政治犯の釈放など、改憲への地盤固めは着々と進んでいる。この二月には「人種別集団地域法」など残る差別根幹三法も撤廃へと方向が定まった。

しかし、同大統領が三法撤廃の方針を発表した議会から保守党の議員が退場した場面は、白人社会に根強く残る差別意識を証明した。既得権の喪失にも危機感が募る。極右の白人農家では差別法の一つである原住民土地法の撤廃によって黒人が白人専用農地へ流入するとの懸念が台頭している。プレトリアではトラクターなどで道路を封鎖しアパルトヘイト改革に抗議、警官隊と衝突し逮捕者が出る騒ぎが発生した。

改憲の手続きで対立

白人社会で意見の対立が際立つ一方、黒人社会も武力衝突が続く。ANCとインカタ自由党の対立だ。86年からこれまで約五千人の死者を出した両勢力は、一月の首脳会談で和解に合意したが、その晩にはまた衝突で八人が死亡した。体制内改革をめざすインカタと社会主義を掲げるANCは政策が食い違っているだけでなく、背景にはそれぞれの支持基盤である部族同士の反目がある。

加速する民主化と根強い反感が共存する中で、改革は改憲本交渉という新たな局面に入る。白人政府とANCは90年5月からの予備交渉で、本交渉開始への条件整備で合意。政府はANCが設定した四月末の期限までに政治犯の釈放などを実現する見込みだ。

しかし、改憲の手続きでは意見が対立している。自由選挙で選出した議員による制憲議会を求めるANCに、白人政府は難色を示す。数の上では小数派である白人の既得権が損なわれかねないからだ。白人政府は全政党参加による憲法制定会議を提唱しているが、開催のめどはまだついていない。 

全政党会議が実現しても極右の保守党からリベラルな民主党までそろう白人層、ANCとインカタが対立する黒人層が入り交われば容易に結論は出そうにない。さらに少数勢力でしかも権利を制限されているカラード(混血)やインド系住民の立場が微妙に絡む。

改革は時間との戦い

改革派のデクラーク大統領率いる国民党が議会で過半数を制している限り、改革路線は継続するだろう。原則的には次期総選挙のある94年まで安泰のはずだ。ただ、改憲の結論がでるまでどれほど時間がかかるのかは予想がつかない。保守党が反改革の機運をあおり、デクラーク大統領を政権の座から引きずり下ろすための繰り上げ選挙を求める可能性もある。

マンデラ氏の健康も気がかりだ。27年の獄中生活、さらに釈放後の激務は72歳の身体に重くのしかかっているはずだ。万一、志半ばにしてANCが同氏を失えば、黒人勢力は空中分解する危険がある。改革は時間との戦いでもある。

アパルトヘイト全廃がもはや後戻りできない流れであることは間違いない。ただ、差別法の撤廃などは改憲本交渉への前提であって、「一人一票」制への歩みは始まったばかりだ。そして、制度化された差別なき後に残る心の中の差別を除くにはさらに多くの試練が待ち受けている。

      (下)

アパルトヘイト(人種隔離)改革は南アフリカ共和国への経済制裁を緩和する機運を高めている。差別法の撤廃方針が国際社会との関係修復の動きを加速することは確実だ。ただ、制裁緩和で直ちに南ア経済が再建されるほど、事態は単純ではない。特に政治・社会的な立場が建前のうえで同格になったとしても依然として残る黒人と白人の経済格差を解消するのは容易なことではない。

5年間で160億ドル失う

民主化の急速な進展には、制裁措置による南ア経済の悪化が深刻化したという背景があった。南ア信託銀行の調査によると、この5年間で制裁措置の影響で失った外貨は約四百億ランド(約160億ドル)にのぼる。

88年の国民総生産(GNP)の20%を超える額だ。経済成長率も85年-89年の平均で年率2%と半減した。

90年12月に米国を訪問した南ア国会議員団は「経済の停滞は政治より重要な問題になっている」ともらした。アパルトヘイト体制への固執が南ア経済を窮地に追い込むとあっては、もはや改革は避けられないとの意識が白人社会で、特に財界を中心に広がったことは想像に難くない。

米国も態度を軟化

国際社会の反応も上々だ。90年12月、すでに対南ア新規投資の禁止を解除した欧州共同体(EC)は、差別法撤廃の議案が南ア国会に提出された段階でさらに金・外貨輸入禁止措置などを解除することを決めた。制裁緩和をリードしてきた英国は「今こそ先進国はデクラーク大統領の政策を支持すべきだ」(メージャー首相)と、とりわけ積極的だ。

慎重な米国も態度を軟化させつつある。差別法撤廃は「歴史的決断」(ブッシュ大統領)と歓迎。86年に成立した米国の反アパルトヘイト法では、制裁解除の条件として政治犯の釈放などを挙げているが、白人政府がアフリカ民族会議(ANC)の設定した期限を順守すれば四月末までに条件を満たすことになる。

アフリカ諸国も本音ではアフリカ最大の経済大国である南アへの期待感が見え隠れする。アフリカ統一機構(OAU )の南部アフリカ問題特別委員会では制裁継続を求めたが、昨年来マラウイ、コートジボワールとの国交正常化、ケニアとの渡航禁止解除など、政治的な距離は次第に縮まっている。

経済的にもこの九カ月間で南アと他のアフリカ諸国との貿易取引額が40%も拡大するなど交流が活発化している。対南ア経済依存度の低減をめざして周辺九ヶ国で結成していた南部アフリカ開発協力会議(SADCC)が、南アに会議参加を呼びかけたことは、アフリカ諸国の態度軟化を象徴する出来事だった。

しかし、制裁の影響は解除後も尾を引いて、南ア経済に響きそうだ。世界の対南ア投資残高の三分の二を占めるECが新規投資禁止を解除したにもかかわらず、対南ア投資はいまのところ活性化の兆候がなく、むしろ鉱物資源の南ア依存から脱却するためジンバブエやボツワナへ投資が向かう傾向が続いている。日本企業は「制裁が解除されても国内の黒人同士の衝突など不安材料が多すぎる」(大手商社)と、ビジネス拡大に及び腰だ。

同居の実情変わらず

制裁期間中に欧米などで失った輸出市場も大きい。南ア・ネッド銀行の幹部は「制裁により石炭などの輸出先はECから利益の少ない中東やアジアへシフトした。制裁解除後もECで失った市場を取り戻すことはできない」と分析する。湾岸戦争や米国のリセッション(景気後退)の影響も無視できない。

制裁解除が経済再建の決め手にならなければ、改革を断行した意味を問われかねない。「南ア経済全体の発展は黒人の生活水準を引き上げ、白人との格差を是正する」のが白人側のシナリオだ。しかし、白人の平均賃金が黒人の約四倍で「白人の先進国」と「黒人の途上国」が同居する南アの実情は変わらない恐れもある。

経済格差は人種間対立の重要な要素になっており、政治改革を果たしても経済での「もう一つの差別」が残る。経済関係の修復を急ぐ国際社会は、格差なき南ア社会を実現する一助としてどのような協力をすべきか検討する必要があろう。

 
 


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Chris Hani: My Life

Mail&Guardian

February 1991

Chris Hani
My Life
An autobiography written in 1991

Chris Hani, born on 28 June 1942, in Cofimvaba, Transkei. General-Secretary of the SACP since December 1991 and ANC NEC member since 1974. Matriculated at Lovedale, 1958; Universities Rhodes and Fort Hare - 1959/61, BA Latin and English. Joined ANC Youth League 1957. Active in Eastern and Western Cape ANC before leaving SA in 1962. Commissar in the Luthuli Detachment joint ANC/ZAPU military campaign 1967, escaped to Botswana, returned from Botswana to Zambia 1968, infiltrated SA in 1973 and then based in Lesotho. Left Maseru for Lusaka in 1982 after several unsuccessful assassination attempts. Commissar and Deputy Commander of Umkhonto we Sizwe, armed wing of ANC. Chief of Staff, MK 1987.

The following brief autobiographical account was written by comrade Chris Hani in February 1991:

I was born in a small rural town in the Transkei called Cofimvaba. This town is almost 200 kilometres from East London. I am the fifth child in a family of six. Only three of us are still surviving, the other three died in their infancy. My mother is completely illiterate and my father semi-literate. My father was a migrant worker in the mines in the Transvaal, but he subsequently became an unskilled worker in the building industry.

Life was quite harsh for us and we went through some hard times as our mother had to supplement the family budget through subsistence farming; had to bring us up with very little assistance from my father who was always away working for the white capitalists.

I had to walk twenty kilometres to school every five days and then walk the same distance to church every Sunday. At the age of eight I was already an altar boy in the Catholic church and was quite devout.

After finishing my primary school education I had a burning desire to become a priest but this was vetoed by my father.

In 1954, while I was doing my secondary education, the apartheid regime introduced Bantu Educaiton which was desighend to indoctrinate Black pupils to accept and recognise the supremacy of the white man over the blacks in all spheres. This angered and outraged us and paved the way for my involvement in the struggle.

The arraignment for Treason of the ANC leaders in 1956 convinced me to join the ANC and participate in the struggle for freedom. In 1957 I made up my mind and joined the ANC Youth League. I was fifteen then, and since politics was proscribed at African schools our activities were clandestine. In 1959 I went over to university at Fort Hare where I became openly involved in the struggle, as Fort Hare was a liberal campus. It was here that I got exposed to Marxist ideas and the scope and nature of the racist capitalist system. My conversion to Marxism also deepended my non-racial perspective.

My early Catholicism led to my fascination with Latin studies and English literature. These studies in these two course were gobbled up by me and I became an ardent lover of English, Latin and Greek literature, both modern and classical. My studies of literature futher strengthened my hatred of all forms of oppression, persecution and obscurantism. The action of tyrants as portrayed in various literary works also made me hate tyranny and institutionalised oppression.

In 1961 I joined the underground South African Communist Party as I realised that national liberation, though essential, would not bring about total economic liberation. My decision to join the Party was influenced by such greats of our struggle like Govan Mbeki, Braam Fischer, JB Marks, Moses Kotane, Ray Simons, etc.

In 1962, having recognised the intranisgence of the racist regime, I joined the fledgling MK. This was the beginning of my long road in the armed struggle in which there have been three abortive assassination attempts against me personally. The armed struggle, which we never regarded as exclusive, as we combined it with other forms of struggle, has brought about the present crisis of apartheid.

In 1967 I fought together with Zipra forces in Zimbabwe as political commissar. In 1974 I went back to South Africa to build the underground and I subsequently left for Lesotho where I operated underground and contributed in the building of the ANC underground inside our country.

The four pillars underpinning our struggle have brought about the present crisis of the apartheid regime. The racist regime has reluctantly recognised the legitimacy of our struggle by agreeing to sit down with us to discuss how to begin the negotiations process.

In the current political situation, the decision by our organisation to suspend armed action is correct and is an important contribution in maintaining the momentum of negotiation.

Chris Hani, February 1991

Chris Hani; My Life: An autobiography written in 1991 on "rebel youth"



 
 
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1991.3.13

土地差別廃止法を提案 南ア、アパルトヘイト崩壊

日本経済新聞

ヨハネスブルク12日共同

南アフリカ政府は12日、国土の87%の土地の白人所有を定めた土地法と、人種別の居住・営業地域を義務付けた集団地域法を根幹とする土地差別諸法の廃止法案を含む五つの土地改革法案を白人、カラード(混血)、インド人から成る三人種議会(国会)に提案した。

土地法、集団地域法など土地差別廃止法案は、今会期の6月までに可決される見込み。両法の廃止は人種別の統治を可能にしていたアパルトヘイト(人種隔離)体制の崩壊を意味し、今後の焦点は黒人の国政参政権付与を目指した新南ア体制のあり方をめぐる交渉へと移ることになろう。

土地法、集団地域法の撤廃は国際社会が対南ア制裁解除の条件としており、南ア政府の廃止法上程で、解除に向けた動きが一層活発になると予想される。

両法の廃止に伴い、約180の土地差別関連法も撤廃されるとともに、数千に及ぶ布告を廃止する権限が大統領に付与される。



 
 
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1991.5.2

英外相 南アの連邦復帰支持 経済再建テコ入れ狙う

日本経済新聞

ロンドン一日=影井記者

ハード英外相は一日、議会に提出した報告書のなかで「南アフリカ共和国が英連邦に復帰申請すれば全面的に支持する」と述べた。連邦復帰によって連邦加盟国による対南ア技術協力、資金援助を再開し、南アの経済再建をテコ入れするのが狙い。国際社会復帰という象徴的な意味も持っている。

同外相は復帰支持の条件として、デクラーク南ア政権がアパルトヘイト(人種隔離)政策を撤廃することを指摘した。同政権は今国会(会期は六月末まで)中にアパルトヘイト関連法の撤廃を表明しているうえ、英国は英連邦の盟主であるため、南アの再加盟はほぼ確実とみられている。

南アは六一年、アパルトヘイト政策に対する連邦各国からの非難に反発し、連邦を脱退した。連邦には技術協力基金、援助基金などがあって相互に支援しているが、南アは脱退に伴い対象からはずれていた。

英国は世界に先駆けて対南ア新規投資を解除するなど、制裁解除に最も積極的に取り組んでいる。この動きに欧州共同体(EC)を巻き込むことに成功し、金貨や鉄鉱石などの輸入解禁を実現した。今後は英連邦に加盟しているカナダ、オーストラリアなど欧州域外の有力国も巻き込もうという狙いもあるようだ。



 
 
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1991.5.8

欧州の銀行 南アとの取引拡大 ランド建て債券販売も

日本経済新聞

チューリヒ七日=太田記者

南アフリカのデクラーク政権がアパルトヘイト(人種隔離)廃止に動いているのを受け、欧州の銀行界に同国との金融取引を拡大する動きが出てきた。対南ア金融取引が社会通念に反しているとの見方が薄れてきたためで、スイスやドイツの銀行は、南ア通貨のランド建ての債券を投資家に販売し始めた。欧州共同体(EC)の対南ア経済制裁緩和で、欧州と南アとの金融取引は今後膨らむと見られ、金融面でも南アとの関係は正常化に向かい始めた格好だ。

クレディ・スイス銀行は顧客に勧める債券投資リストに、五月分からランド建て債券七銘柄を盛り込んだ。ランド建ての債券を、一般投資家の目に触れる投資リストに掲載するのはこれが初めて。同行のほかにも、スイス、ドイツの有力行に、表立ったリストには載せないが、ランド建て債券取引に力を入れる動きが出ており、「九○年の欧州投資家のランド債投資は、二十億ランド(約八億ドル)に達した」(スイスの銀行アナリスト)との見方も出ている。



 
 
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1991.5.8

欧州の銀行 南アとの取引拡大 ランド建て債券販売も

日本経済新聞

チューリヒ七日=太田記者

南アフリカのデクラーク政権がアパルトヘイト(人種隔離)廃止に動いているのを受け、欧州の銀行界に同国との金融取引を拡大する動きが出てきた。対南ア金融取引が社会通念に反しているとの見方が薄れてきたためで、スイスやドイツの銀行は、南ア通貨のランド建ての債券を投資家に販売し始めた。欧州共同体(EC)の対南ア経済制裁緩和で、欧州と南アとの金融取引は今後膨らむと見られ、金融面でも南アとの関係は正常化に向かい始めた格好だ。

クレディ・スイス銀行は顧客に勧める債券投資リストに、五月分からランド建て債券七銘柄を盛り込んだ。ランド建ての債券を、一般投資家の目に触れる投資リストに掲載するのはこれが初めて。同行のほかにも、スイス、ドイツの有力行に、表立ったリストには載せないが、ランド建て債券取引に力を入れる動きが出ており、「九○年の欧州投資家のランド債投資は、二十億ランド(約八億ドル)に達した」(スイスの銀行アナリスト)との見方も出ている。



 
 
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1991.5.10

南ア制裁解除検討 外相表明

日本経済新聞

中山外相は十日の閣議後の記者会見で、人種隔離政策(アパルトヘイト)撤廃に動く南アフリカ共和国への制裁解除問題について、早ければ六月下旬にも解除する方向で検討していく考えを明らかにした。六月下旬に人種ごとの居住地域などを指定している集団地域法や土地法、人口登録法など三法が廃止される見通しが強まっているためで、外相は「それも(解除の)大きな契機になるだろう」と述べた。

また坂本官房長官も同日の記者会見で「南アフリカは人種差別の悪法が存在しているが、六月中にも撤廃したいとの話を聞いている。国際的にも人種差別撤廃が明確になれば、日本政府としても制裁解除を検討することになろうかと思う」と述べた。

日本は現在・スポーツ、文化、教育交流制限・投融資規制・観光査証の発給停止 ー などの制裁措置を取っているが、経済界などからは、南アの動向や欧州諸国の動きをにらみ、政府に制裁解除を求める声が強まっている。



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1991.5.13

南ア制裁解除早期実施に慎重論浮上 政治犯の釈放問題が未解決 政府内の意見割れる

日本経済新聞

政府が対南ア制裁措置解除の時期をめぐり、調整に苦慮している。人種隔離政策(アパルトヘイト)の関連法の土地法、集団地域法、人口登録法は6月末までに廃止される見通しが強く、それを機械に解除に踏み切ろうという見解が有力になってきている。ただ制裁の理由の一つとしてきた政治犯問題が未解決なうえ、国連安全保障理事会非常任理事国選挙を控えアジア・アフリカ諸国の反発を心配する声もあり、解除の時期をめぐり政府内でも意見が分れているのが現状だ。

政府は現在、・外交関係を持たない(領事関係のみ)・直接投資を認めず、融資は自粛要請する投融資規制・スポーツ・文化・教育交流規制・観光の自粛要請・南ア国民への観光査証発給停止 ー などの制裁措置を取っている。

しかし、1989年に就任したデクラーク大統領がアパルトヘイト撤廃への改革を進めたことで、今年四月に欧州共同体(EC)が経済制裁措置解除を事実上決定、米国も全政治犯釈放とアパルトヘイト関連法廃止を条件に解除を決めており、西側諸国の動きが活発化してきた。

日本でも財界からの要請が強まり、「経済的にも重要な南アとの関係で乗り遅れたくない」(外務省筋)として検討を急ぐことになった。

外務省は関連法廃止で人的交流面の制裁を、その後、情勢を見極め経済制裁を順次解除することを検討している。ただ省内には国連局を中心に早急な解除に慎重論もある。その一つが政治犯の釈放問題。南ア政府とANCとの間で4月末までの釈放で合意していたが、政治犯の数などで食い違いがあり、いまだに解決しておらず、完全釈放にはなお不透明さが残っている。

日本は今秋の国連総会で安保理非常任理事国に立候補を予定しており、拙速で解除に踏み切った結果、アジア・アフリカ諸国の反発を招くことを警戒している。南アとの貿易額が多く各国から批判を浴びた86年に立候補した際、当選順位は最下位だったこともあり、神経質になっている。



 
 
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1991.5.17

南ア経済制裁 日本は早期解除を ボタ外相表明 継続は黒人に打撃 企業の投資再開に期待

日本経済新聞

ケープタウン16日=影井記者

南アフリカ共和国のボタ外相は16日、日本経済新聞記者との電話インタビューで、「日米欧各国の経済制裁で失業者が増加し、黒人が最大の打撃を受けた」と指摘し、各国の制裁解除と投資再開が南ア黒人社会の向上と安定にもつながることを強調した。日本政府の対応については「制裁解除の動きが欧州に比べて遅れているのは残念だ」と述べると共に、機械・ハイテク分野などでの日本企業の投資再開に期待を表明した。

南ア政府のアパルトヘイト(人種隔離)政策に反対して各国が86年ごろから実施した経済制裁の影響として、同外相は「特に新規投資が止まったことで雇用創出力が衰え、多くの黒人が失業した」と述べ、「失業者の増加が犯罪の増加にもつながっている」と指摘した。南アと経済関係の強い近隣諸国の経済にも打撃は及んでいる、とも語った。

黒人運動指導者、マンデラ・アフリカ民族会議(ANC)副議長が各国に経済制裁の継続を訴えていることに対しては「同副議長が一方で、仕事の増加や経済成長が必要とも述べており、昭かに矛盾している」と批判、「各種調査でも、黒人層の過半数が経済制裁の継続に反対している」と語った。

黒人同士の相次ぐ武力衝突が海外からの投資再開に悪影響を与える恐れがあることを率直に認めたうえで「今すぐ南アにパラダイスが実現するわけではない。各勢力は互いに理解し合わなければならない」と黒人勢力に自重を求めた。今後の南ア政局の見通しについては「肌の色で勢力を分ける時代ではない。(与党である)国民党はすべての南ア市民に開かれており、個人の財産を守り、市場経済を発展させることなどで一致している。黒人の支持も得られると確信している」と、長期的な政権維持に自信を見せた。

経済制裁の解除をめぐる日本政府の姿勢については「日本と米国は同じように行動している」と、米追随の姿勢を暗に批判したが、「南アにとって日本は非常に重要な国であり、日本政府の招待があれば喜んで訪問したい」とも語った。



 
 
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1991.5.20

中心街で連続爆破事件 南ア 対外投資に悪影響も

日本経済新聞

ヨハネスブルク19日影井記者

黒人居住区での黒人同士の武力衝突が続く南アフリカ共和国で、今度はヨハネスブルク市の中心街で連続爆破事件が起き、緊張が高まっている。通りがかりの一般市民に負傷者が出ており、無差別テロの様相を見せている。今のところ犯人はわかっていない。南アの民主化や海外からの投資再開に悪影響を及ぼす懸念がある。

爆破事件が起きたのは、16、17の両日。市中心部からやや北にはずれた白人・非白人混住地区のレストランと、市中心部にある市庁舎近くのショッピングセンターで爆発が起き、婦女子を含む計十数人がけがをした。他にも市内二カ所で爆弾を発見、未然に処理した。



 
 
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1991.5.23

黒人暴動の陰に経済悪化 南アの2居住区ルポ 失業者急増、不満根強く 「制裁」がしわ寄せ

日本経済新聞

ヨハネスブルクで、影井記者

南アフリカ共和国の黒人居住区で多発する武力衝突・殺傷事件は、政治的意見の対立だけでは説明しきれない。アパルトヘイト(人種隔離)政策廃棄の動きにもかかわらず、向上するきざしが見えない生活。その失望と怒りが暴力の形をとって噴出している。ヨハネスブルク近郊にある二つの黒人居住区、ソウェトとアレクサンドラで、そんな声を耳にした。

緑が美しいヨハネスブルク市街から約10キロのアレクサンドラ地区に入った途端、風景は一変する。数百軒の密集する粗末なトタンの家。電気、水道ばかりでなく、その多くはトイレもない。「先日何人も殺された場所です」と案内人が指差したあたりには、所在なくぶらつく男の姿が目立つ。同地区の人口は仕事を求める黒人の流入で5年間に2倍の20万人に増えた。失業率は50%を超すという。

未登録者を含めて約450万人が住む最大の黒人居住区ソウェトにも、同様のバラックが多い。ただ「南アのビバリーヒルズ」と呼ばれる超高級住宅区域があるのもここだ。ヨハネスブルク市内の主要ホテルから毎日「ソウェト見学ツアー」が出ており、黒人運動の指導者、マンデラ・アフリカ民族会議(ANC)副議長宅(通称「マンデラ御殿」)も外からうかがえる。

ソウェトの住人の一人が「あの家はBMWディーラーの黒人の所有で大変繁盛している」と言っていた。売るのも買うのも黒人である。民主化の進展とともに、裕福な黒人、職を失い犯罪に走る白人、という新しいパターンも生まれている。

もちろん、南アでは今でも「貧困層」と「黒人層」はほぼ重なっている。アレクサンドラ・ヘルス・クリニックのティム・ウィルソン博士は黒人居住区で暴動が多発する背景として、すぐに新生南アが誕生するという幻想が崩れ、失望感が広がっている点と、景気後退による失業者の増加、住環境の悪化を強調する。

先進各国は南ア政府にアパルトヘイト廃棄の圧力をかけるために経済制裁を実施したが、制裁による南ア経済の悪化によって最も深刻な打撃を受けたのが経済的弱者、つまり黒人層だったのは皮肉である。「外国企業は南アに投資を」という南ア政府の要望と、「われわれに仕事を」という黒人層の声は、実は同じことを意味している。



 
 
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1991.6.18

アパルトヘイト終結宣言 南ア 人種登録法廃止を可決(一面トップ)

日本経済新聞

ロンドン17日=影井記者

南アフリカ共和国のデクラーク大統領は17日午後、ケープタウンの同国議会で演説し、1948年以来続けていたアパルトヘイト(人種隔離)政策の終結を正式に宣言した。これに先立ち議会は同日、同政策の根幹として最後まで残っていた「人種登録法」の廃止法案を賛成多数で可決した。同法を含むアパルトヘイト関連の法律はすべて6月末で廃止されることになる。大統領の終結宣言を受け、日本など先進各国による新規投資や文化・スポーツ交流の禁止といった制裁措置の解除の動きが加速されるのは確実で、南アの国際社会復帰に道が開かれる見通しとなった。

デクラーク大統領は議会演説のなかで「一九九一年は法制上の差別を南アの体制から最終的に一掃した年として歴史に名をとどめよう」と述べた。

89年9月に就任したデクラーク大統領は黒人解放運動指導者、マンデラ・アフリカ民族会議(ANC)議長の28年ぶりの釈放、非常事態宣言の解除などを実現し、アパルトヘイト関連の法律を相次ぎ廃止してきた。94年の次期大統領選挙までには、黒人を含む「一人一票」制の実現など全国民に平等の権利を保証する新憲法を制定すると表明している。

欧州共同体(EC)各国はこれらの民主化の動きを受けてすでに新規投資を解禁、アパルトヘイト法の全面廃止後には鉄鉱石などの輸入禁止措置を解除することも決めている。

ただ南ア国内には、アパルトヘイト廃止に反対する保守党や極右政党などの白人勢力が根強く存在する。また黒人勢力内には、性急な民主化を求める武力闘争集団もあり、政治・社会情勢は決して安定していない。黒人の参政権を認める新憲法の制定に向けて、デクラーク政権は引き続き苦しい立場が続きそうだ。

アパルトヘイトは1910年の南ア共和国発足当時から制度化され始め、48年の国民党(現与党)政権誕生で確立された。黒人参政権否定、人種登録、居住地指定などからなっている。アフリカ諸国だけでなく日米欧の先進国も同政策を非難、新規投資や文化・スポーツ交流の禁止といった制裁措置を八六年以降、本格的に実施していた。

日本、制裁解除へ

政府は南アのアパルトヘイト終結宣言を受け、対南ア制裁解除について本格的な検討に入る。政治犯の釈放など南アには依然未解決の問題も残るが、米国や欧州共同体(EC)の動向を見極めながら、制裁解除の時機を探っていくことになる。また、黒人の参政権問題など政治的な不安定要因も多いことからしんちょうに対応を進める。

一方、経済界はアパルトヘイト三法の撤廃が決まったことで、南ア貿易の本格再開など経済交流の活発化を期待している。経団連は近く、対南ア経済制裁の早期撤廃を改めて政府に求める見通しだ。



 
 
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1991.6.18

〈解説〉 混乱の火ダネ残る アパルトヘイト南アが完全撤廃 黒人勢力衝突続く

日本経済新聞

南アフリカ共和国議会が十七日、最後まで残っていたアパルトヘイト(人種隔離)法、「人種登録法」の廃止を決議したことで、南アの民主化の流れは決定的になった。周辺アフリカ諸国や先進各国はこの動きを歓迎しており、外国企業からの投資が今後本格化しそうだ。ただ一人一票制という新生・南アの誕生までにはまだまだ混乱と対立が予想される。投資や貿易の拡大によって南ア経済が浮上することが、民主化進展の支援材料にもなり得ると言えよう。

デクラーク大統領は就任以来、一貫してアパルトヘイト政策廃止の方針を取っていたため、この日の到来はだれもが予想していたことといえる。ここ二、三年は大都市を中心に白人と黒人の混住も進み、アパルトヘイト法は実際には急速に形骸化していた。ただ、現実に同法が廃止される象徴的な意味はきわめて大きい。

米国政府が制裁解除のために設けていた条件は、今回の措置ですべて満たされた。日本政府もアパルトヘイト法の全面廃止を目安にしている。時期の違いはあるにせよ、日米欧の先進各国が制裁を全面解除する日は間近い。

制裁解除で先行した欧州、特に英国とドイツの企業は昨年末以降、対南ア戦略を強化しており、新規投資が始まっている。南アの資金の流れは、昨年第四四半期から約五年ぶりに入超に転じた。

今後は、かつて最大の勢力だった米企業や新興勢力の台湾企業が投資を拡大しよう。日本企業はまだ慎重だが、南アはマーケットとしても原材料供給基地としても極めて重要であることは疑いない。横にらみで投資を拡大する可能性がある。

問題は、黒人勢力同士の武力衝突といった政治・社会不安。一時のように連日の殺傷はなくなったが、解決の兆しはない。南ア政府は「政情不安の原因は、経済不振で失業者が増えたため」(ボタ外相)と説明する。

アパルトヘイト法の廃止は・経済制裁が解除される・アパルトヘイト体制の維持に必要なばく大な経費が節約できるーーという経済的効果を持つ。これにより経済が浮上すれば、武力衝突も緩和されるというのが南ア政府の読みだ。

投資拡大と政情安定という好循環に入るか、政情不安による投資警戒という悪循環に入るか、これからが正念場だ。(ロンドン=影井記者)

(注)一九五〇年に制定された人種登録法は国民を出生の段階で白人、カラード、インド人、黒人に大別する内容で、同国の全差別立法の基礎になっていた。南ア議会は今月五日、国土の八七%の土地の白人所有を定めた土地法、人種別に居住地域などを制限した集団地域法の廃止もそれぞれ可決済みだった。(時事)

南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)の歴史

▽1913年=土地法成立

▽48年=国民党が政権奪取

▽50年=人種差別法、集団地域法など成立

▽53年=施設隔離法成立

▽60年=シャープビル虐殺事件発生。アフリカ民族会議(ANC)など非合法化

▽61年=南ア、共和制に移行し、英連邦から脱退。ANC、武力闘争開始

▽62年=ネルソン・マンデラ氏、逮捕

▽84年=白人、カラード(混血)、インド人から成る三人種議会誕生

▽86年=南ア全土に非常事態宣言を布告

▽89年9月=デクラーク大統領就任

▽90年2月=ANCなどの合法化。ネルソン・マンデラ副議長の釈放

▽90年10月=非常事態宣言の全廃。施設隔離法が失効

▽91年6月=土地法、集団地域法、人種登録法が廃止



 
 
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1991.6.19

南アは招待せず アフリカ競技大会組織委

日本経済新聞

カイロ17日AP

南アフリカはアパルトヘイト(人種隔離政策)を法制上全廃したが、9月にエジプトで開かれるアフリカ協議会の組織委員会は17日、同大会に南アを招待しないことを明らかにした。

同組織委によると、アフリカ統一機構(OAU)が永年にわたり南アを排斥してきたことに従い南アを招待しないとしている。



 
 
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1991.6.21

南ア制裁、部分解除 政府 人的交流の3項目

日本経済新聞

政府は21日の閣議で、人種隔離(アパルトヘイト)政策の撤廃を求めて実施してきた南アフリカ共和国に対する制裁措置のうち、・文化・教育交流規制・南ア観光の自粛要請と南ア国民への観光査証発給停止・国家公務員の南ア航空機使用禁止 などの人的交流制限を解除することを正式に決めた。即日実施される。また、人種別に組織されていない競技団体との交流は認めるスポーツ交流規制の緩和も決定した。中山外相は「日本はアパルトヘイトの問題が平和的に解決されることを強く希望する」との談話を発表した。

これに関連して坂本官房長官は同日の閣議後の記者会見で、投融資規制や銑鉄・鋼材の輸入禁止などの経済制裁解除について・政治犯の釈放・憲法改正などの国内改革 の進展が必要との認識を示した。



 
 
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1991.6.24

南ア、和平で共同委設置合意

日本経済新聞

ロンドン22日 影井記者

南アフリカ共和国の白人政府と黒人勢力のアフリカ民族会議(ANC)、インカタ自由党の三者は22日、武力衝突を解決するための和平案を作る共同委員会を8月中に設置することで合意した。



 
 
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1991.7.2

南ア便開設ラッシュ 航空各社 人権政策転換で

日本経済新聞

ロンドン1日=影井記者

南アフリカ共和国でアパルトヘイト(人種隔離)法が全廃されたのを受け、各国航空会社が相次いでヨハネスブルグ路線の開設に動き始めた。直行便の有無でビジネスのしやすさは大きく異なるだけに、これからまだまだ増えそうだ。

香港のキャセイ・パシフィック航空とオーストリア航空はそれぞれ香港、ウィーンからの定期便を今週開設する。台湾の中華航空は9月1日から週1、2便を設ける計画だ。エジプト航空は先週末に直行便第一便を飛ばしたばかり。各国からの便がヨハネスブルグに乗り入れると、南アフリカ航空も各国に定期便を飛ばすことになる。欧州の主要航空会社も今後、便数を増やす可能性がある。

日本航空も視察のため現地に職員を派遣するなど南ア直行便に関心を示し始めている。



 
 
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1991.7.6

(フォーカス) ANC議長に就任するネルソン・マンデラ氏

日本経済新聞

ロンドン 影井記者

南アフリカ共和国最大の黒人運動組織、アフリカ民族会議(ANC)が今月二日から同国の港湾都市、ダーバンで開催中の年次総会は、二つの点で歴史的な会合になった。ひとつは、非合法時代の続いたANCが三十一年ぶりに南ア国内で総会を開いたこと。もうひとつは、すでに事実上の指導者であるネルソン・マンデラ副議長(72)が、病気療養中のタンボ議長に代わって新議長に選出され、六日の正式就任が決まったことだ。

マンデラ氏は一九六二年から昨年二月までの約二十七年間、獄中にあった。この間、同氏は黒人勢力の変わらぬ、支持を受け続けたが、南アの政治・社会情勢は大きく変わった。  政府は六月末でアパルトヘイト(人種隔離)法を全廃し、黒人を含めた一人一票制の実現に動き始めている。まだ差別の実態は根強く残っているとはいえ、周辺の黒人国家もこの変化を評価し、制裁を解除し始めた。

そこにマンデラ氏のジレンマがある。かつてはテロも辞さない過激派として鳴らしたマンデラ氏も釈放後は武力闘争路線を放棄せざるを得なくなった。しかし、反政府色を明確にしなければANCに対する黒人の支持は得にくい。ANCの重要な協力団体であり、強硬路線を貫く南アフリカ共産党の意向を無視することもできない。

デクラーク大統領とは毎週のように電話で打ち合わせをしながらも、公式には「政府とはこれ以上交渉はしない」と、言わざるを得ないのはそのためだ。現地では「マンデラ氏が交渉しなければならない相手はANC内の強硬派だ」という声をよく聞く。

黒人勢力のなかで、マンデラ氏ほど知名度と指導力を備えた人物はいないと言われる。議長就任は順当と言えよう。だからといって、これから順風満帆で組織運営できるというわけではない。



 
 
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1991.7.6

南ア旅行に熱い視線 第一弾はブルトレの旅 五年ぶりに観光再開

日本経済新聞

アパルトヘイト(人種隔離)政策への規制措置として実施されてきた観光渡航自粛が五年ぶりに解除された南アフリカ共和国に旅行業者の熱い視線が集まっており、七月下旬には団体旅行第一弾として鉄道マニアあこがれの同国のブルートレインの旅を目玉にしたツアーが出発する。 料金は一人九十八万円と高めだが、豪華な設備とサービスを誇る列車の旅に加え、野生動物をはじめとする豊かな自然が満喫できるとあって、このツアーには計九人の申し込みがあったという。南半球の本格的な観光シーズンとなる今秋以降には各旅行社のツアーもお目見えする予定だ。 第一弾となるのは、東京都新宿区の旅行代理店が企画した七月二十三日出発の十三日間ツアーで、クルーガー国立公園や喜望峰などの名所観光だけでなく"走る豪華ホテル"の異名を取るブルートレインの旅が組み込まれているのが売り物。 ブルートレインは首都プレトリアからヨハネスブルクを経由、ケープタウンまでの千六百キロを二十六時間で走る。設備、サービスに加え、車窓から野生動物など大自然が楽しめるとあって人気が高く、予約もなかなか取れないほど、同社は現地の旅行社とのタイアップで予約を確保、今後もツアーの目玉商品にしていく考えだ。 南アへの観光渡航自粛は昭和六十一年九月、アパルトヘイト政策に対する規制措置として閣議決定された。それまでは、治安も比較的良く年間八百人前後の日本人ツアー客が訪れていた。各旅行社は、五年間の自粛で目新しさが加わったうえ、年間の海外旅行者数が一○○○万人を超え、観光が多様化してきていることなどから、欧米旅行を卒業した熟年層を中心に潜在的需要は高いとみている。



 
 
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1991.7.6

シリル・ラマポーザ 新しいアフリカ民族会議事務局長 交渉の術を知っている人間

Fin.Times

ダーバンにてパッティ・ワルドマイアー

昨日アフリカ民族会議(ANC)の事務局長に選出されたシリル・ラマポーザ氏は、闘うべき時と我慢すべき時を知っている。そのことで彼はANCの執行部の中では出色の存在である。

現在全国鉱山労働者組合の事務局長であるこのやさしい語り口の38歳の人物は、間違いなくネルソン・マンデラ氏を除けば南アフリカで最も有能な黒人政治家である。実際、昨日選出されたことで、ラマポーザ氏はANC総裁の潜在的な後継者であることが明らかにされた。

彼はこれまでの歳月を、鉱山経営者たちの代表と机をはさんで交渉する技術を学ぶために費やしてきた。彼のANCの同僚の多くが闘争をめぐる政治に閉じ込められていた間に、彼は権力の座にある者からどのようにして妥協を引き出すのかを学んできた。

彼が選出されたことは、ANCがこれまでの交渉過程に不満を持ち、アパルトヘイト後の憲法をめぐる交渉を積極的に進めたいと望んでいることを、明白に示している。ANCの指導者たちは、彼らが主導権をしばしば対立相手であるプレトリア政府に渡してきたことを、認めたのだ。そして、彼らはラマポーザ氏が評判高い明敏さと現実主義で、相手を押し戻すことを期待している。

ラマポーザ氏は、選出されたことで、一年有余にわたる、広がる金生産縮小と直面した鉱山労働者の闘いを闘いつつも、ANCの政治からは一線を置いていた一種の政治的亡命状態に終止符を打った。このことは、ラマポーザ氏の世代の反アパルトヘイト闘争の国内指導者の多くについても、あてはまることであった。彼らは追放されるよりもタウンシップの街頭での賃金闘争に留まってきた。ANCが17ヵ月前に合法化されると、彼らはほとんど指導権を失っていった。

しかし、全国鉱山労働者組合の指導者は、彼と昨日総裁に選出されたマンデラ氏との間のウィニー・マンデラ夫人の問題をめぐる緊張に対する、特別な懲罰として孤立を迫られてきたようだ。1989年、ラマポーザ氏は、最近四件の誘拐事件についてと一件の暴行への共犯者として有罪判決を受けたマンデラ夫人の振る舞いについて公的に抗議の声を上げた。昨日の選出によって彼のANCおよび労働組合内での明らかな人気が明確にされたが、それ以来代償を払い続けて来たのだ。

ラマポーザ氏への賛辞は、全国鉱山労働者組合の力で尊厳と労働者としての生活を勝ち取ってきた鉱山労働者という彼の明白な支持者層からだけでなく、産業界や政府の白人たちからも寄せられている。

多くのANCの指導者たちに対しては侮蔑以外の何物も表さない産業界の有力者たちが、ラマポーザ氏に対しては彼が社会主義者にもかかわらず最高の敬意を表している。(多くのANCの指導者たちは南アフリカ共産党に加盟していることを隠してはいないが、彼は公的には南ア共産党の党員ではない。)ソウェトの共同体指導者としての彼に出くわしたことのあるヨハネスブルクの地域行政府の白人職員たちは、このNUMの指導者に特別な敬意をいだいているようだ。だれしもが、彼の魅力、彼のタフさそしてマンデラ氏と彼が共有する芯の強さと洗練された丁重さに触れる。

ソウェトの人民代表団の指導的なメンバーの一人として彼は、ヨハネスブルク地域の黒人と白人の地域行政府を、将来のヨハネスブルクを統治する非人種的な地域公共機関について交渉する「中央ヴィタースランド・メトロポリタン評議会」へと統合する協定をまとめるのに力を尽くした。

この協定を結んだことでラマポーザ氏は他の反アパルトヘイト活動のリーダーたちから攻撃を受けることになってしまった。彼らはこの構想が、プレトリア政府に協力したということで追放した黒人議員をも含んでいることを理由に反対した。しかしこの評議会はすでにソウェトの住民に大きな利益をもたらしている。

このソウェトでの交渉が、最近のイーストランド金鉱山と結んだ利益連動の賃金交渉とならんで、ラマポーザ氏の現実主義を世に知らしめている。NUMと鉱山評議会は、全鉱山において利益連動型の賃金協定を結んだと理解されている。将来の協定の前例となりうる重要な協定である。労務関係コンサルタントのダンカン・インネス氏は彼の取った態度を次ぎのようにまとめている。「相手が柔軟であれば、シリルは機会を無駄にすることはない」

少なくとも重要なことは、ラマポーザ氏はANCのトップ指導者の長老たちが無くしてしまった普通の人々との接触を持っている。彼はソウェトの郊外でも最も貧困な地区であるヤブハニのアパートに住んでいる。彼は鉱山での地下労働の経験は全くない弁護士だが、組合内の人気は非常に高い。インネス氏は、ラマポーザ氏の強い勧めで組合、雇用者そして政府も参加した今後の金産業についての最近のサミットを例に挙げて、新しい事務局長は「高潔さとビジョンの人」だと論証している。ANCはこの上ない人を選んだのだ。



 
 
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1991.7.10

南ア、五輪復帰へ 32年ぶり IOCとの会談で

日本経済新聞

ローザンヌ9日共同

国際オリンピック委員会(IOC)は九日、当地で開かれたIOCアパルトヘイト委員会と南アフリカ暫定オリンピック委員会(INOCSA)代表団との会議を受け、南アの五輪運動への復帰条件が満たされたと発表した。

IOCは六月の総会で、南ア復帰問題に関する決定権を理事会にゆだねたが、アパルトヘイト委員会にはムバイエ、ゴスパー両副会長ら有力な理事会メンバーが含まれており、これで一九七〇年にIOCを追放された南アの復権が事実上決まった。

南アは六〇年のローマ五輪を最後に五輪に参加しておらず、来年のアルベールビル冬季、バルセロナ夏季両五輪への参加の道が三十二年ぶりに開かれたことになる。

IOCは南アの復帰条件として先に・アパルトヘイト関連立法の完全撤廃・人種別、全人種系に分立するスポーツ組織の統一ーーを骨子とする五項目を提示していた。

五輪、国際スポーツ界での南ア関連事件史

1960年 ローマ五輪参加。陸上男子400メートルでマルコム・スペンスが3位に入賞し、五輪での南ア最後のメダル獲得

64年 アパルトヘイト政策が原因で、東京五輪への招待取り消される

68年 メキシコ五輪への招待取り消される

70年 IOCから追放

  米国のテニス選手、アーサー・アッシュの入国を拒否したため、デ杯への参加禁止

76年 国際陸連から資格停止処分

  ニュージーランドのラグビーチーム「オールブラックス」が南ア遠征を強行したため、これに抗議したアフリカ諸国がモントリオール五輪をボイコット

81年 南アのラグビーチーム「スプリングボクス」がニュージーランドへ遠征。南アのラグビーチーム最後の海外遠征

84年 裸足の女子陸上ランナー・ゾーラ・バッドが英国籍を取得してロサンゼルス五輪に出場

89年 IOC、南アでプレーしたテニス選手の五輪出場禁止を決定

91年 IOC、南アの五輪復帰を事実上決定    (共同)



 
 
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1991.7.10

南ア制裁 米、一両日中に解除 ブッシュ大統領見通し

日本経済新聞

トロント9日

ブッシュ米大統領は九日、トロントでマルルーニー加首相と会談後記者会見し、南アフリカ共和国に対する経済制裁の取り扱いについて「最終決定を下す直前の段階にきている」と述べ、米政府が一両日中に制裁解除の正式決定を下すとの見通しを明らかにした。また、ソ連との合意が遅れている戦略兵器削減条約(START)については「私の期待を強調するつもりはない」と語り、最終合意までにはなお時間が必要との見方を示した。

対南ア制裁について同大統領は、アパルトヘイト(人種隔離政策)の廃止など「米国が求める五条件が満たされることが解除の条件だった」としたうえで、「デクラーク(南ア)大統領は、我々が不可能とさえ思っていたことを成し遂げた。私としては喜んで(解除に)必要な手続きをとりたい」と強調した。

さらに「かつては米上院で制裁を推進していた議員も、今では、現状のままでは政策を誤るとさえ言うようになった」と語り、議会内の空気も制裁解除に向けて固まってきたことを明らかにした。

解除の対象となるのは86年包括的反アパルトヘイト法に盛り込まれている金貨、農産物などの禁輸や米国企業の対南ア投資禁止措置。別の法律で禁止している南ア向け武器輸出、核燃料など原子力関連の取引、政府信用供与、国際通貨基金(IMF)融資の供与は、引き続き制裁の対象として規制される見通しだ。

一方、START交渉に関しては「大きな技術的な問題が未解決のまま残っている」と指摘した。ブッシュ大統領は七月中旬のロンドン先進国首脳会議(サミット)の際にゴルバチョフ・ソ連大統領と会談する予定だが、「それまでに問題が片付くとは思わない」と語った。

しかし、START最終合意を前提条件としているモスクワでの米ソ首脳会談については「有意義なものであろうし、実現したい」と強調、同交渉の早期決着をめざして米ソ外相会談などの場でソ連側に強く譲歩を求めていく意向を示した。



 
 
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1991.7.11

米、南ア制裁を解除 大統領発表 人種政策前進を評価

日本経済新聞

ワシントン10日=春原記者

ブッシュ米大統領は10日、懸案になっていた南アフリカ共和国に対する経済制裁を解除すると発表した。米政府はこれまで、1986年の包括的反アパルトヘイト(人種隔離)法に基づいて、南アとの貿易、直接投資、航空機の相互乗り入れ、クルーガー金貨輸入などを一切禁止していたが、南ア政府が人種隔離政策の廃止を宣言したのに続き、米政府が問題視していた政治犯の釈放問題でも一定の前進があったと判断、5年ぶりに解除に踏み切る。ただ、大統領は対南ア武器禁輸と南アの国際通貨基金(IMF)加盟阻止の二方針は不変と強調するとともに、核関連技術の禁輸措置、輸出入銀行による融資凍結なども当面、継続すると述べた。

ブッシュ大統領は10日正午に開いた記者会見で、制裁解除の理由として、米政府が挙げていた五つの前提条件を南ア政府が「明らかにすべて満たした」と指摘し、デクラーク南ア大統領の政治手腕に一定の評価を与えた。米国には黒人議員を中心に制裁解除に反対する動きもあったが、南アの民主化、近代化を促すためにも制裁を解除する方が得策と判断した。

包括的反アパルトヘイト法は、米政府の制裁解除の条件として・戒厳令の解除・人種隔離政策の廃止・反政府政党の容認・黒人社会との民主的対話・政治・思想犯の釈放ーーの五項目を挙げている。米政府はデクラーク大統領が人種隔離政策の廃止を宣言した段階で、四条件が満たされたと指摘、政治犯の問題について調査を進めていた。

国務省は先週末、ベーカー国務長官を通じて大統領に政治犯問題の調査報告書を提出しており、大統領はこれを分析した上で、解除を決めた。タトワイラー国務省報道官は9日の記者会見で、「1990年からこれまでに約1050人が南ア政府によって釈放された」と述べたが、このうちの何人が政治・思想犯かについては言及を避けた。

日本も月末にも解除

政府は10日、南アフリカ共和国に対する・投融資規制・クルーガーランド金貨などの南ア産金貨の購入自粛・銑鉄・鋼材の輸入禁止・航空機の相互乗り入れ停止ーーの四点の経済制裁措置を早ければ先進国首脳会議(ロンドン・サミット)後の今月末にも解除する方針を固めた。六月に決めた人的交流規制の解除に続くもので、米政府が経済制裁解除を決定したことから、日本としても機は熟したと判断した。これにより南アへの制裁は全面解除に近い状態となり、今後はデクラーク南ア大統領の訪日招請、仕上げとなる大使館の相互設置に向けて最終的な調整を進める。

政府は南アが人種隔離(アパルトヘイト)の根幹をなしていた人種登録法など三法を廃止したのを評価、手始めとして6月に南ア国民への観光査証の発給停止などの人的交流制限の解除に踏み切った。サミットでも南アの民主化を評価する見通しで、政府としてはサミットでの議論を見極めたうえで、今月末か来月初めにも制裁解除を閣議決定する。



 
 
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1991.7.11

米の制裁解除 南ア、投資呼び込みに全力

日本経済新聞

ロンドン10日=影井記者

ブッシュ米大統領が南アフリカ共和国に対する制裁解除を決めたことで、南アの国際社会復帰が一層近づいてきた。すでに制裁を解除している欧州共同体(EC)に加え、日本も近く解除する方針で、南ア政府は海外からの投資拡大による経済浮上に全力をあげることになろう。政府は投資を呼び込むために、多発する国内武力衝突の解決や、利益の海外移転規制の緩和といった制度改革に取り組む見通しだ。

黒人抗争解決や規制緩和めざす

デクラーク南ア大統領は十日、ブッシュ大統領の発表を受け、「制裁解除は、南ア経済を回復させ、すべての南ア国民の利益につながる」との声明を発表した。ボタ外相も「米政府の今回の措置で、世界の他の国々による制裁解除も加速されるだろう」と語り、南ア向け直接投資を禁止している日本の今後の対応に関心を示した。

一方、最大の黒人運動勢力であるアフリカ民族会議(ANC)は「制裁解除は時機尚早だ」との声明を出したが、反政府姿勢を明確にするための政治的発言と受け止める向きが多く、黒人を含め南ア国民の大勢は制裁解除を歓迎している。

昨年末にECが直接投資を解除して以降、欧州の企業、金融機関を中心に海外からの南ア投資は拡大している。これに加え、制裁実施に伴い約三百社から百社前後に減っていた米国資本が再び南アに進出することによる経済てこ入れ効果への期待は大きい。

今後は黒人同士の武力衝突や改憲交渉に伴う政治・社会不安の克服が焦点となる。政府やANC、インカタ自由党などはようやく交渉のテーブルにつき始めており、政府は「平和にあと少しで手が届く」(ボタ外相)と自身を深めている。

経済面でも、利益移転の簡素化や、国内で生産した工業製品の輸出振興など、外国企業の南ア進出を加速する政策を検討しているという。



 
 
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1991.7.12

ビジネス急拡大望み薄 南ア経済制裁解除、産業界の反響 経済悪化が足カセ 長期的な視点で準備も

日本経済新聞

南アフリカ共和国に対する経済制裁を日米両政府が解除することで、日本の産業界と同国との交流が強まりそうだ。南アの経済情勢の悪化もあって当面は両国間の輸出入が急拡大する公算は少ないが、長期的な取引拡大をめざして準備を急ぐ動きも目立っている。主要業界の動きを追った。

まずは情報収集に力

【商社】大手商社には「制裁解除が実現しても急激に対南ア貿易が拡大するとは思えない」(欧州・アフリカ担当者)と慎重な見方も少なくない。

制裁解除への期待が強まり始めた今年初めから、各社のプラント部門は南ア市場の情報収集を進めていたが、日本がプラント輸出をほぼ全面的にストップしている間に、かなりの商談が欧州ぜいなどにさらわれたという。例えば製鉄会社、イスコール社の商談でも、表面処理施設や圧延機などの大型案件はほとんど欧州メーカーの受注が決まっている。

ただ制裁解除を機に経済建て直しを目指す南アからはエレクトロニクス、食品など加工・組み立て産業分野での協力要請も出ており、情報収集に力を入れている。

供給拡大に道開く

【自動車】日本車メーカーは昨年、南アの現地会社に年間十七万五千四百台の組み立て(KD)生産を委託し、約一万四千六百台の完成車を輸出した。その半分を占めているトヨタ自動車では「南ア事業はこれまでは必要以上に拡大しないという方針を続けてきた。しかし、今後は市場動向に合わせた供給が出来る」と歓迎している。

ただ南アの自動車市場はかつて年間四十万台あった国内販売が昨年は三十万台規模まで落ち込んでいる。このため「一本調子で輸出が回復することはなさそう」(トヨタ)との見方が強い。

石炭輸入拡大へ

【金属・エネルギー】非鉄金属業界は鉄鋼やステンレス鋼の副材料として使うクロム、マンガン鉱などの希少金属を南アから輸入している。これらの鉱石は南アに偏在しているため、経済制裁の取引禁止品目から除外されていた。このため制裁が解除されても当面はほとんど影響がないと見ている。

一方、投融資規制の解除で、南ア鉱山に対する開発投資や資本参加の可能性が出てくる。「長期的には合弁の鉱山開発も考えられる」(青柳守城住友金属鉱山常務)など業界は一様に歓迎している。エネルギー業界にとって魅力は石炭。九○年の南ア炭輸入量は四百七十万トンで、日本の全輸入量の四%強にとどまっているが、豪州炭に比べて南アの一般炭は一トン当たり八ドル安い。九〇年度に南アから二十五万トン輸入した電源開発は制裁解除を受けて、九一年度は四十万トンに増量する。北海道炭鉱汽船は今年から新たに五万トンを輸入、数年以内に百万トン程度に増やす意向だ。

受注促進に二の足

【機械】重工業、プラント各社は南アに対する経済制裁が解除されても「事業的にはあまり期待していない」(各社)としている。現地の政情が必ずしも安定とは言えないうえ、製品輸出では輸送コストがかかり、欧米に比べて価格面で不利なため。

半面、産業機械では経済制裁解除に期待を寄せている。JUKIは工業用ミシンの輸出についてはこれまで年二億円程度出荷すると現地代理店からの注文を断っていた。「南アには大型の縫製工場が数多くあり、制裁が解除されれば今後有望な市場となり可能性がある」としている。

旅行各社は積極的

【航空・旅行】国内航空会社は南アフリカへの直接乗り入れについて「今のところ需要が少なすぎる」(日本航空、全日本空輸)と消極的。

半面、東南アジアの航空会社は路線開設に意欲を示している。香港のキャセイ・パシフィク航空が香港ーヨハネスブルク定期便を就航したのに続き、台湾の中華航空も九月から定期便を設ける計画だ。

一方、旅行業界は南ア向け観光ツアーの企画に積極的に乗り出している。まず、JTB(日本交通公社)グループのディスカバーワールド(本社東京、社長永盛雄一郎氏)が七月二十三日出発の十三日間の団体旅行を実施する予定。さらに近畿日本ツーリストも八月に十一日間のツアーを二回計画している。



 
 
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1991.7.12

対南ア経済制裁解除、商品市況への影響は 需給、急変はなさそう 相場低迷 復帰インパクト薄める

日本経済新聞

米国が南アフリカ共和国経の経済制裁を解除すると発表、月末には解除に踏み切る日本、先に解除を決めているECと合わせ西側の南ア制裁は五年ぶりに全面解除となる。南ア産品の輸入制限・自粛などが外れ、取引の選択肢が広がる意味で南アの輸出業者にはプラスだが、制裁期間中・南アが先進国外の市場を開拓してきた・厳格な制裁実施国以外のルートで、主要な産品は西側に一定量が流入していた ーー などいわば抜け道があったため、制裁解除がにわかに国際商品市況への変動要因として働くことは考えられない。

西側の制裁期間を通じ、石炭などが西側大口市場から閉め出された結果、東南アジア市場などに国際価格に対して"政治的ディスカウント"付きで輸出されてきた例がある。こうした商品が国際価格に戻る一方、安定度の高い西側先進国との自由取引の場が広がることは南アの生産者(輸出業者)にとって明らかにプラスである。

だが多くの国際商品に関しては東南アジア、最近では東欧市場などとの取引が拡大したほか、制裁基準の緩い国から厳しい国へとう回して輸入されるなど実質的には市場シェアが落ちるケースは少なかった。

今回の経済制裁解除措置は国際商品の足元の需給関係を大きく変えることは考えられない。

米国の制裁解除には南アの国際通貨基金(IMF)加盟阻止と輸出入銀行による融資凍結などは除外されている。このため鉱山物中心に再投資意欲をそぎ、南アの供給力の先細り傾向が続き、国際商品にとっては強材料に働いていく可能性がある。金鉱山の縮小、プラチナ鉱山の拡張計画延期などが相次いでいるが、公的資金を呼び水に西側民間資金の流入を誘い復調を目ざそうという流れにストップをかけるからである。

国際商品全般は世界的な需給不足と資金不足下に低迷を続けている。この一年、南アの主要産品である金の減産傾向、干ばつによる南ア産トウモロコシ、砂糖の供給力低下も、下支え材料として働いている程度だ。国際商品市況低迷は南アの復帰のインパクトを薄めている。

南ア制裁のシンボル格だった南ア法定金貨クルーガーランド金貨は西側の輸入禁止措置により、国際流通市場では金地金価格への三%プレミアム(上乗せ価格)が消え、ほぼ金地金並みで取り引きされてきた。南ア鉱山会議所は既にクルーガーランドの再発行、再流通方針を決めているが、・世界の投資家の手中に約千三百トンが退蔵されており、南アサイドが地金へのプレミアム付きで買い戻すのかどうか・新たにデザイン、品位を変える場合、旧発行分をどう扱うかーーなど再デビューには難関も控えている。

当面、プラチナ価格低迷が増産にひび

ジョンソン・マッケイ社 J・S・クームズ企画部長

西側の対南ア経済制裁解除は中長期的には南ア鉱山にとってプラスだが、当面はプラチナ価格の低迷と資金不足が増産計画にひびを入れ始めている。既に一部後発鉱山は資金不足のため拡張計画を棚上げしたほか、身売り話も飛び出している。先発鉱山にとっても副産物のロジウム価格の頭打ち、プラチナ価格自体の一トロイオンス四〇〇ドル以下の低迷を踏まえ、増産計画の練り直しの動きがある。

南アのインフレ率は十五%前後、従来インフレ率以上の賃上げに応じてきたプラチナ鉱山経営者に賃上げ余力がなくなっており、労働争議が生じやすい環境になっている。インパラ鉱山での先のストは決して特別なケースではない。

プラチナの低迷にはスイスの機関投資家による米国先物市場でのショート(値下がり差益追求のカラ売り)が重しとなっているが、需要そのものは日本の宝飾用のプラス成長のほか、底堅いものがある。四〇〇ドルを固め、年内四五〇ドルをめざすという我々のかねての予想は需給面から変える必要はない。



 
 
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1991.7.12

南アへ投融資調査団 金融機関ミッション 制裁解除をにらむ

日本経済新聞

大蔵省OBを代表とする日本の金融機関の役員クラス約四十人が南アフリカ共和国を訪問、アパルトヘイト(人種隔離)体制の変化を受けた投融資の再開について調査を開始した。南アへは四月に経団連が使節団を派遣したが、金融機関が主体の調査ミッションは今回が初めて。欧米の対南ア制裁が解除される中、今回の調査は日本の投融資規制の撤廃をにらんだ布石といえる。

一行は平沢貞昭元大蔵事務次官を団長に、銀行、生保、損保、証券系シンクタンクなどの役員クラスが参加している。山口光秀日本輸出入銀行総裁も顧問として同行している。

七日に現地入りし、十三日まで滞在の予定。最大の黒人居住区ソウェトの訪問のほか、黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)や大蔵省、南ア準備銀行(中央銀行)の関係者と会談した。

南アに対しては人種差別に抗議して各国が制裁措置を実施、日本も国際社会に歩調を合わせ投融資などを規制していた。しかしデクラーク南ア大統領が民主化を推進、人種隔離政策の廃止を宣言したのに伴い、欧州共同体(EC)に続いて米国も制裁緩和を発表した。日本でも今月末をめどに制裁解除が確実視されている。

ただ、米国は南アの国際通貨基金(IMF)加盟阻止の方針を堅持するなど、金融制裁の一部はまだ残している。



 
 
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1991.7.14

一ヵ月以内に代表団派遣 南ア復帰問題でITF

日本経済新聞

ハンブルク(ドイツ)12日 ロイター=共同

国際テニス連盟(ITF)は十二日、当地で開いた総会で、アパルトヘイト(人種隔離)政策をとるため追放された南アフリカ共和国の復帰問題について協議、ITF代表団を一ヵ月以内に南アに派遣し、復帰条件であるテニス組織の統一を助けることを決めた。

ITFは五月の総務委員会で、復帰を認める条件として・現在三つある組織の統一・国際オリンピック委員会(IOC)による南アの復権ーを提示。・については既に満たされたため、組織の統一が待たれる形となっている。また南アがこの条件を満たしたかどうかの判断を下す権限は今後、理事会にゆだねることも承認、復帰への環境づくりはさらに一歩進められた。



 
 
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1991.7.18

外務政務次官、南アへ 政治犯釈放迫る 22年ぶり高官交流

日本経済新聞

アフリカ諸国を訪問中の鈴木外務政務次官が急きょ、南アフリカ共和国を訪れることになった。日本時間の十八日夜にザンビアを出発、十九日未明に南アのヨハネスブルクに到着する。政府は南アの人種隔離(アパルトヘイト)政策に対する制裁として、実質的に高官の訪問を抑制してきた。しかし鈴木政務次官を会談したアフリカ諸国首脳がデクラーク政権の改革政策を評価し対南ア関係の再検討に入っていることから、人種に基づかない民主的政治体制を作るための憲法制定作業や政治犯釈放などを南ア側に促すため訪問を決めた。

鈴木政務次官は十九日にベッセルズ外務次官と会談するほか、アフリカ民族会議(ANC)指導者との意見交換も予定している。帰国は二十一日となる。次官クラスの南ア訪問は一九六九年の田中六助外務政務次官(当時)以来二十二年ぶり。



 
 
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1991.7.20

黒人保守派に資金 南ア警察

日本経済新聞

ロンドン19日=影井記者

南アフリカ共和国のフロック法・秩序相は十九日、南ア警察当局が一九八九、九〇年に保守派黒人勢力の「インカタ自由党」に資金援助していたことを認めた。同相は政治的な意図を否定しているが、インカタはアフリカ民族会議(ANC)と武力抗争を繰り広げている組織のため、ANC弱体化をねらったものだとANC側は政府批判を強めている。

関係筋によると、警察当局はインカタが八九年十一月と九〇年三月に開いた反暴力、反経済制裁を訴える集会の資金として二十五万ランド(約一千二百万円)を供与した。

外交関係を求める

南ア副外相

外務省に二十日、入った連絡によると、南アフリカ共和国を訪問中の鈴木外務政務次官は十九日に同国のベッセルズ副外相と会談し、政治犯釈放などで一層の民主化への努力を要請した。これに対し副外相はアフリカ民族会議(ANC)との準備が整い次第、民主的な新憲法制定の交渉に入る方針を表明。日本には・貿易・投資規制の見直し・外交関係の樹立・デクラーク大統領の訪日・航空路線の開設ーーなどを求めた。鈴木政務次官は民主化の進展を見ながら検討することを約束した。



 
 
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1991.7.21

(サンデートピックス) 南ア共和国 金貨王国、復活の道険し クルーガーランド 「制裁」でシェア急減

日本経済新聞

南アフリカ共和国がクルーガーランド金貨の輸出再開に向けて動き出した。六月のアパルトヘイト(人種隔離)政策の終結宣言を受け、米国、日本など各国が金貨の輸入禁止を含む南ア経済制裁を解除し始めた。世界の地金型金貨市場を切り開いたクルーガーランド金貨だが、制裁期間中にカナダやオーストラリアに主役の座を奪われた。市場に本格的に返り咲くまでの道のりは平坦ではない。

六月末から七月初めにかけて、南ア鉱山会議所の委託を受けた調査員が、日本の商社や貴金属商を訪れた。「日本がクルーガーランド金貨の輸入を中止した八五年以降、金貨市場はどう変わったのか」「輸出を再開する場合の販売政策への助言を求めたい」ーー。日本の関係者は南アが市場復帰に並々ならぬ意欲をみせていると受け取った。

日本政府は七月中にも経済制裁の全面解除に踏み切る方針。ところが市場関係者の間には「クルーガーランド金貨が日本に再登場するまでには時間がかかる」との見方が多い。八一年には日本の金貨輸入量の九六%を占めたクルーガーランド金貨だが、「五年間のブランクはあまりに大きい」というのだ。

最大の問題点は金貨の品位。クルーガーランド金貨は流通性や換金性を重視したため、銅や銀を混ぜて傷や磨耗に強くした二二金(純度九一・一%)。カナダのメイプルリーフやオーストラリアのカンガルー金貨は二四金(純金、純度九九・九九%)を売り物にシェアを伸ばした。

同じ一トロイオンス金貨なら含まれる金の量はともに約三十一・一グラムだが、二四金が金独特の山吹色なのに、二二金はやや赤みがかっている。二二金の方が金の含有量が少ないと誤解している消費者が多いこともあって、「最近五年間で日本は二四金金貨が圧倒的に優位な市場に変わった」(渡辺衞ゴールド・マーケティング・ジャパン社長)。

品位を二四金に上げ、デザインや名称を変えればこの問題は解決するが、それでは、かつて発行した二二金の魅力は低下し、地金と同じ価値しかなくなってしまう。「プレミアムを払って買った消費者や流通業者に決定的な不信感が生まれる」(大村和秀・住友商事貴金属宝飾品部宝飾品チームリーダー)。

同じ重量の新貨と旧貨を一対一で交換に応じるという解決策を唱える関係者もいる。しかし、南アが七○年以降に世界に輸出した金貨の総量は千三百トン以上に達し、同国の年間産金量の二倍を超える。「交換希望者が殺到したらとても応じきれず、非現実的」(殿木誠田中貴金属工業地金部副部長)という。

五年間で販売網も弱体化している。南ア鉱山会議所の下で金貨の販売・宣伝を担当していたインターゴールド社は八七年、世界全体の金の調査・公報活動に携わるワールド・ゴールド・カウンシル(本部スイス・ジュネーブ)に統合された。インターゴールド社の社長だったドン・マッコイコギル氏が現在はライバルのオーストラリアの金貨販売に携わるなど、国際市場に通じた人材の流出も深刻だ。

「南アが潤沢な資金を投入して宣伝すれば、金貨市場に消費者を呼び戻すことができる」(カナダ王室造幣局駐日事務所)との期待を込めた指摘もある。

とはいえ、品位の問題ひとつとっても「シェア優先か消費者の信頼維持か、一方を取るしかない」(豊島逸夫ワールド・ゴールド・カウンシル極東地区投資事業本部長)のが実情。金貨王国を再興するには課題が山積みしており、「日本市場再登場には一〜二年かかる」(風間信一・三菱商事貴金属・メタル市場部長)ことになりそうだ。



 
 
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1991.7.25

世界陸上への南ア招待を承認 国際陸連の評議員会

日本経済新聞

シェフィールド(英国)23日共同

国際陸連(IAAF)は二十三日、IAAF評議員会が二十二日に南アフリカを臨時加盟メンバーとし、世界選手権(八月二十三日開会式・東京)に三十人の選手団を招待することを承認した、と発表した。



 
 
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1991.7.25

南ア・ハンガリー、外交樹立

日本経済新聞

ロンドン24日=影井記者

南アフリカ共和国とハンガリーは二十四日、従来の領事関係を大使級関係に格上げし、外交関係を樹立することで合意した。南アのボタ外相は、「中欧と南ア双方の変化のあらわれだ」との声明を発表した。



 
 
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1991.7.25

南ア産レモン、5年ぶり輸入 来月に日本到着

日本経済新聞

南アフリカ共和国に対する経済制裁解除の動きを受けて、八六年以降、五年間途絶えていた同国産レモンの輸入再開第一船が八月に日本に到着する。十月にはオレンジも上陸する。

今回のレモン、オレンジなど南ア産かんきつ類の輸入はゴールドリーフ・ジャパン(本社東京)が窓口。レモンの第一船は八月十五日に大阪に到着、続いて十七日に東京に入港する。合計輸入量は六百八十トン。十月五日にはネーブルオレンジ千四百トンが大阪、東京に入着する。

青果物は対南ア経済制裁の対象品目ではないが、政情混乱による治安の乱れを理由に、日本政府が植物検疫官の派遣を拒んだため、実質的に輸入制限の状態にあった。



 
 
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1991.7.27

W杯サッカー2006年は南アで FIFA副会長意向

日本経済新聞

ロイター=共同

アフリカ・サッカー連盟(CAF)のイサ・ハヤトウ会長はこのほど、南アフリカは2006年のワールドカップ(W杯)決勝大会の有力な開催候補国と語った。

国際サッカー連盟(FIFA)副会長でもある同会長はFIFA復帰への南ア・サッカー界の調査などのために南アを訪れたもので、南アの施設、サッカーのレベル、国内におけるサッカーの一般的状況などを見た上で開催候補とした。南ア通信が伝えた同会長発言によればFIFAは2006年W杯のアフリカ開催を進める方向。



 
 
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1991.7.27

南ア政権苦境に 秘密資金供与問題 制裁解除に影響

日本経済新聞

ロンドン26日=影井記者

南アフリカ共和国のデクラーク政権が国内の保守派黒人勢力や隣国ナミビアの反政府勢力に秘密資金を供与していたことが相次いで明るみに出て、同国最大級の政治スキャンダルに発展してきた。政府側は資金供与の正当性を主張しているが、アフリカ民族会議(ANC)などの対抗勢力は激しく政府を攻撃している。世界各国がしばらく対南ア制裁解除を見合わせるといった動きが生じる可能性も出てきた。

デクラーク大統領は三十日に政府の対応策を発表するが、これまでは疑惑を完全否定し続けていただけに、信用失墜は避けられない。

六月末にアパルトヘイト(人種隔離)政策が全廃されたのを受け、欧米各国は対南ア経済制裁を相次いで解除、日本政府も近く追随する。しかし「インタゲート事件」と地元紙に名づけられた今回のスキャンダルを機に、解除見直しの機運が盛り上がるとの見方も出ている。



 
 
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1991.7.28

世界陸上 南ア不参加決定

日本経済新聞

プレトリア(南アフリカ)27日共同

南ア陸上競技連盟(SAAAA)は二十七日、当地での会合で、国際陸連(IAAF)から招待を受けている世界陸上選手権(八月二十三日開会式・東京)の参加問題を協議し、IAAFの招待を拒否することで一致した。

アパルトヘイト(人種隔離)政策を理由に国際スポーツ界の"孤児"となっていた南アだが、今年六月のアパルトヘイト関連立法撤廃を転機に国際オリンピック委員会(IOC)をはじめ、各種スポーツ団体での復権が進み、陸上での世界選手権は南アの国際スポーツ舞台"初復帰"の場になるとの見方が強まっていた。

しかし、この日の邂逅では、「国内の選考会を開いていない状況で、南ア代表としての選手は派遣できない」とする意見が大勢を占め、最終的に投票の結果、9対5でIAAFの招待を拒否することでまとまった。



 
 
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1991.7.31

南ア、2閣僚解任

日本経済新聞

ロンドン30日=影井記者

南アフリカのデクラーク大統領は三十日、アフリカ民族会議(ANC)から解任要求が出ていた二閣僚の解任と、初の非白人の次官登用を含む内閣改造を発表した。黒人保守派「インカタ自由党」への秘密資金供与問題で混乱の度を増している政局を乗りきるため、政府外の最大勢力であるANCの要求を入れ、事態の正常化の協力をあおぐねらいだ。解任されたのは、フロック法・秩序相とマラン国防相。



 
 
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1991.8.1

SOUTH AFRICA'S ANC CHOSES ITS NEW LEADERS (on Cyril)

New Africa

ANC's TOP MEN President Nelson Mandela
National Chairman Oliver Tambo
Deputy President Walter Sisulu
Secretary General Cyril Ramaphosa
Deputy Sec Gen Jacob Zuma
Treasurer Thomas Nkobi

AT FIRST glance there were few dramatic changes at the African National Congress at its first conference held on home soil for 33 years. It took place at Durban at the beginning of July. Despite the talk of a need for a new, younger generation to take over, and despite the adoption of a new democratic, secret voting system, much of the old leadership is still in place.

Nelson Mandela has eased out his ailing friend Oliver Tambo (who has been wheeled upstairs to a new post of Chairman), Mandela has achieved the title that many assumed wrongly was already his. He moves up from Deputy President to become President, the confirmed supreme leader. Attempts by the militants to bind Mandela as a mandated representative and to restrict his future private negotiations with de Klerk failed.

In order to prevent a dog-fight for the deputy presidency between two aspiring successors Thabo Mbeki (darling of the moderates) and Chris Hani (hero of the militants) the ageing, 78-year-old Walter Sisulu has assumed the post where he can support his old colleague as leader. Both Mbeki and Hani voluntarily pulled out of the running for the deputy presidency.

The ANC elections this time were more democratic then ever before. Unlike the last election when Oliver Tambo drew up a President slate and secured the return of most of his buddies in the old guard, the new elections reflected the wind of democratic change that has been sweeping Africa.

Really democratic

It was an excellent advertisement for the democratic process. There were 2.000 delegates. 300 people were nominated by the branches and 140 names were listed on the ballot paper for the national executive. Unlike last time there was no presidential slate. Final choices depended on lobbying and arm twisting on the spot. An independent, outside mediating service was hired to make sure the ballots were secret and properly counted.

But in the upshot most of the old guard were swept from power. Most members of the former National Executive Committee were dropped and this was on the votes of the membership not the leadership. The NEC was increased in size from 35 to 50.

Perhaps most significant was the election of Cyril Ramaphosa, the mineworker's leader, to the number three spot as Secretary General. His triumph was overwhelming. He defeated the intelligence chief Jacob Zuma by 1.156 votes to 450, with the former secretary general Alfred Nzo trailing in third place.

Ramaphosa (39), the General Secretary of the National Union of Mineworkers symbolises a new generation. He as not spent decades in exile, or in detention ( only 11 months) but has risen to the top by representing South Africans most important union, throughout the turbulent 1980s when the unions had to take the vanguard in the political struggle. In 1984 he organised the first ever legal strike of black mineworkers in South Africa.

Critics disparagingly point to the fact that Ramaphosa is a member of the Communist Party as well as the ANC, like Chris Hani and Harry Gwala. Gwala , who had said that Stalin had killed fewer people than had died under apartheid, was rejected from high office. But the Communist connection is becoming increasingly meaningless in modern South Africa. Commitment to African nationalism is far more important than to a discredited foreign ideology.

In the election to the NEC the popularity of various candidates was clearly reflected. Chris Hani, the communist, came top of the poll with 94.7% of the votes cast. Thabo Mbeki the pragmatist second with 93%. Jo Slovo the white CP leader came third with 1,761 votes (89.8%). In fourth place was Patrick "Terror" Lekota who is seen as the rising star of a younger generation.

18 `non-black` seats

In all 18 seats out of the 50 on the NEC, went to "non-blacks", with eight Indians, seven whites and three coloureds. One of the whites was Albie Sachs who waged to delegates with the stump of his arm which had been blown off in a bomb explosion in Mozambique by South African government agents.

Winnie Mandela got less votes than three other women being placed only 26th but she got more votes than Gertrude Shope (also elected to the NEC) who had beaten her for elections to the Women's League earlier in the year. But overall only nine women got seats not the 30% that they had demanded before the conference.

Alan Rake

1991.8.1

南アフリカ、ANC 新しい指導部を選出す(on Cyril)

ニューアフリカ

総裁 ネルソン・マンデラ
名誉議長 オリバー・タンボ
副総裁 ウォルター・シスル
事務局長 シリル・ラマポーザ
事務局次長 ジェイコブ・ズマ
財務担当 トーマス・ンコビ

一見すると、33年目にして初めて故国の地で開かれたアフリカ民族会議の大会で、ほとんどドラマチックな変化はなかった。大会は、7月の初め、ダーバンで開かれた。新しい若い世代の登場の必要性が語られたにもかかわらず、また新しく民主的な秘密投票方式が採用されたにもかかわらず、古い指導部の多くが地位を保ている。

ネルソン・マンデラは病気静養中の友人オリバー・タンボを引退させた(彼は新しく設けられた議長職につけられた)、そしてマンデラは多くの人々がすでに彼のものと誤解していた地位についた。彼は副議長から議長になり、文字通り最高指導者になったのである。武闘派たちのマンデラを代理代表の位置に押し込め、彼がこれ以上デクラークと密かに交渉を続けることを封じ込めようとした試みは失敗した。

二人の熱心な後継者であるターボ・ムベキ(穏健派が支持する)とチリ・ハニ(武闘派の英雄)の間の副議長をめぐる激闘を防ぐために、高齢の78歳になるウォルター・シスルが古くからの同僚を指導者として支えることのできる地位についた。ムベキもハニも副議長をめぐる争いから自発的に引いた。

今回のANCの選挙はこれまでになかったくらい民主的であった。オリバー・タンボが議長指名で彼の取り巻きたちを以前の地位に付けた前回の選挙とは違って、新しい選挙はアフリカに吹き続けている民主的改革の風を反映したものだった。

真に民主的な

それは民主的プロセスの優れた広告であった。2000人の代議員がいた。300人が各支部によって指名され140の名前が全国執行委の選出用紙に載せられた。前回とは違い、議長指名はなかった。最終決定はロビーイングとその場での乱闘に委ねられた。独立の第三者機関が選挙の秘密と公正さを守るために雇われた。

しかし結果として古くからの指導者たちの多くは権力の座から掃き出された。前の全国執行委員会の多くのメンバーが落選した、そしてこれは参加者の投票によるもので指導者の判断によるものではなかった。全国執行委は35人から50人へと増員された。

多分最も重要なのは鉱山労働者の指導者であるシリル・ラマポーザが事務局長としてナンバースリーに選出されたことだろう。彼の勝利は圧倒的だった。彼は情報局長のジェイコブ・ズマを1156対450で破った。前任事務局長のアルフレッド・ンゾは三番手についた。

全国鉱山労働者組合の事務局長であるラマポーザ(39)は新しい世代のシンボルと言える。彼は亡命や獄中(11ヵ月を過ごした)で何十年をも過ごしていない、彼は、労働組合が政治闘争の最前線に立たざるをえなかった厳しい80年代を通して、南アフリカの最も重要な労働組合を代表することでトップに登ってきた。1984年、彼は南アフリカで初めての黒人鉱山労働者による合法的なストライキを組織した。

評論家たちは、ラマポーザが、クリス・ハニやハリー・グワラのように、ANCだけではなく共産党のメンバーであることを不審をいだく要素して指摘している。アパルトヘイトの下で死んだ人々の数に比べればスターリンはたいして人を殺してないと言っているグワラは、幹部の地位から追われた。しかし、共産党とのつながりは今日の南アフリカではますます意味の無いものとなりつつある。アフリカ民族主義への関わりが信頼を失った外国のイデオロギーとの関わり以上に重要なのだ。

全国執行委の選挙には、さまざまな候補者の人気が明確に反映した。共産主義者のクリス・ハニが、投票数の94.7%でトップ当選した。現実主義者のサーボ・ムベキが93%で続いた。共産党の白人党首であるジョー・スロボは1761票(89.8%)を得て三番手になった。そして四番手は、若い世代の登りつつあるスターと見られているパトリック・テラー・レカタである。

18の非黒人議席

全国執行委の50のうち18の議席は、8人のインド人、7人の白人そして3人のカラードからなる非黒人議席に割り当てられた。白人の一人は、モザンビークで南アフリカ共和国政府の手先の爆弾で吹き飛ばされた腕のあとをかざしながら指名に応えたアルビー・ザッハである。

ウィニー・マンデラは他の3人の女性より得票が少なく26番目にしかなれなかったが、今年の初めに女性同盟の選挙では彼女に勝った、同時に全国執行委に選出されたガートルード・ショウプよりは得票が多かった。しかし結局、大会の前に女性たちが要求していた30%ではなくわずか9人の女性が議席についただけだった。



 
 
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1991.8.7

アフリカ援助、日本に期待 世銀副総裁会見 周辺国への「南ア効果」も

日本経済新聞

ワシントン6日=松井記者

世界銀行のジェイコックス副総裁(アフリカ地区担当)は日本経済新聞記者と会見し、ことし十月に東京でアフリカ援助のための特別援助プログラム(SPA)の国際会議を開くことを明らかにした。また南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離)政策の見直しにより、「南アが再び海外からの投資と関心を集めるようになれば、その他の南部アフリカ諸国にも非常に大きな影響を及ぼすだろう」と述べ、周辺国への「南ア効果」に強い期待を示した。

同副総裁は現在アフリカでは三十近い国々が国営企業の民営化をはじめとする国内経済の構造調整に熱心に取り組んでいると発言。さらに「いまではアフリカ諸国の半数を超える国が人口増加率を上回る人口増加率を達成した」と効果を強調した。

日本のアフリカ諸国への援助について「この六、七年の間に金融支援は二倍以上に拡大した」と述べるとともに、一件当たりの援助金額は大きなものではないが、重要な事業に分散して配分することで援助の効果を上げていると評価した。

さらにジェイコックス氏は「南アのアパルトヘイト見直しによって南アを窓口に外国投資が他のアフリカ諸国にも戻ってくることが期待できる」との見通しを示した。



 
 
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1991.8.10

南アで衝突 40人が死傷

日本経済新聞

ロンドン9日=影井記者

南アフリカ共和国からの報道によると、ヨハネスブルク郊外のベンテルスドーブで九日、アパルトヘイト(人種隔離)政策の復活を訴える極右団体AWBが警官隊と衝突し、AWB会員三人とAWBの攻撃を受けた黒人一人の計四人が死亡、三十六人が重軽傷を負った。



 
 
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1991.8.14

OES 南アから開発輸入 高級皮革製品、10月から

日本経済新聞

ユニークな商品の開発と輸入・販売を手掛けるオー・イー・エス インターナショナル(略称OES、本社東京、社長熊崎道夫氏)は、南アフリカ共和国の皮革加工メーカーであるイヴァサン社(本社ヨハネスブルク)と業務提携し、オーストリッチ、クロコダイルなどの高級皮革製品を十月から開発輸入する。OESが商品企画とデザインを日本から持ち込み、イヴァサン社が製造する。

開発輸入するのはオーストリッチ、クロコダイル、水牛、シカの四種類の皮革製品。ショルダーバッグ、セカンドバッグ、ポーチのカバン類やサイフ、ベルトなどを輸入する。統一ブランドをつけて、今秋は十品目を輸入する計画。価格はクロコダイルのショルダーバッグが五十ー六十万円、オーストリッチが同四十ー五十万円になる見通し。

百貨店、専門店の店舗ルートと通信販売を組み合わせて初年度五千万ー一億円の売上を目指す。

南アは比較的安く皮革が調達でき、同品質の製品なら従来品よりも一ー二割安く生産できるという。米国の経済制裁解除とそれに続く日本政府の制裁解除をにらみ、南ア企業は日本との経済交流に力を入れており、イヴァンサン社も対日輸出を狙っていた。



 
 
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1991.8.14

南ア経済制裁、月内解除 政府方針 EC最終決定待たずに

日本経済新聞

政府は懸案となっている南アフリカ共和国への経済制裁解除を八月中に実施する方針だ。当初は先進国首脳会議(ロンドン・サミット)直後の七月末を予定していたが、欧州共同体(EC)の正式決定が遅れていることなどから、ずれ込んだ。国内にはなお慎重いけんもあるものの「これ以上、遅らせると日本だけ出遅れる可能性が大きい」(外務省幹部)と判断、ECの最終決定を待たずに解除に踏み切ることにした。

今回解除するのは・投融資規制・クルーガーランド金貨などの南ア産金貨の購入自粛・銑鉄・鋼材の輸入禁止・航空機の相互乗り入れ禁止 ーー の四点。軍隊、警察へのコンピューターなどの輸出禁止措置は継続する。

政府は南アが人種隔離(アパルトヘイト)政策の根幹となっていた人種登録法などを撤廃したことを評価。六月に人的交流を解禁し、次いで米国が七月に経済制裁解除決定したことを受け、サミット後に経済制裁を解除する方向で準備していた。

その後、EC諸国のうちデンマークが野党の反対で国内手続きに手間取り、EC規則の改正が難航していることや、南アのデクラーク政権が国内の保守派黒人勢力や隣国ナミビアの反政府勢力に秘密資金を供与していた事実が明るみに出たこともあって、実施を見合わせていた。

しかし、・サミットの政治宣言でも「南アにおける前向きな進展を歓迎する」と明記された・EC諸国でも解除に踏み切っている国がある・経済界からも解除を求める声が出ている ーー などの理由から、月内の解除が適当との判断を固めた。



 
 
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1991.8.16

南ア・ファンド上場 英大手証券 来月、世界で初めて

日本経済新聞

ロンドン15日=後藤記者

英国の大手証券会社スミス・ニューコートは、南アフリカ共和国を対象としたカントリーファンドを来月、世界で初めてロンドン証券取引所に上場する。南アのデクラーク政権がアパルトヘイト(人種隔離)関連法案を相次ぎ廃止したことを受け、日本、米国、欧州が対南ア経済制裁の解除に動いていることから、南アに大きな投資機会が生まれると判断した。

ファンドは「ジ・オールド・ミューチュアル・サウス・アフリカ・ファンド」と名付けられ「会社型投資信託」の形で運営する。スミス・ニューコートが引き受け、募集にあたり、南ア最大の保険会社、南ア・ミューチュアル生命保険が運用する。運用対象はヨハネスブルク証券取引所に上場された鉱業、製造業、金融の優良株で、中小株も幅広く取り入れていく。一株十ドルで売り出し、五百万株以上の発行を目指す。

ヨハネスブルク証取には、ダイヤモンドのデ・ビアス、金、石炭採掘のアングロ・アメリカなど世界的な優良企業を含む七百七十社が上場されており、時価総額は約千三百億ドル(十七兆八千億円)にのぼる。しかし、日米欧が厳しい投融資制限を敷いてきとことから「潜在成長力と比較して株価が低位にとどまっている」との見方が強い。



 
 
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1991.8.16

南ア2黒人組織闘争終結へ

日本経済新聞

ヨハネスブルク15日共同

対立抗争を続けていたアフリカ民族会議(ANC)とズールー族主体のインカタ自由党に南ア政府を加えた三者は15日、抗争終結に向けた五項目の和平協定案に合意したと発表した。和平協定調印は、1984年以降続いてきた両黒人組織の抗争に終止符を打つと同時に、制憲交渉開始の最大の障害を取り除くことを意味する。



 
 
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1991.8.17

ANCが歓迎表明

日本経済新聞

ロンドン16日=影井記者

南アフリカ政府と国連が南アからの亡命者に恩赦を与えることで合意したことについて、同国最大の黒人勢力アフリカ民族会議(ANC、ネルソン・マンデラ議長)は十六日、政府の措置を歓迎すると表明した。



 
 
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1991.8.17

亡命者に恩赦 南ア、国連と合意

日本経済新聞

ジュネーブ16日=高橋記者

南アフリカ政府は十六日、南アからの亡命者に恩赦を与えることで国連と合意した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)がジュネーブで明らかにした。

恩赦問題はネルソン・マンデラ氏の率いるアフリカ民族会議(ANC)が南ア政府と憲法制定交渉に入る前に実施するよう要求していた。

UNHCRによると、ジュネーブ駐在のマンリー南ア大使との間で恩赦に関する合意が十六日午前(現地時間)成立し、同日午後(同)に公式の合意文書を作成した。数日以内に調印の見通し。



 
 
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1991.8.17

対アフリカ投資拡大 欧州石油資本、対南ア再開

日本経済新聞

ロンドン16日=高橋記者

欧州石油資本が対アフリカ投資の拡大に動き出す。英ブリティシュ・ペトロリアム(BP)と英蘭系のロイヤル・ダッチ・シェルは経済制裁の解除が進む南アフリカ共和国への投資再開を決めた。四億五千万ランド(一ランドは〇・三四ドル)を共同投資し、南アの石油精製事業を拡大する。仏トタール石油は米エクソンのアフリカ統括会社の石油小売り部門を買収した。各社とも拠点国を軸にアフリカ経済が徐々に活性化すると予測、日米に先行する形で投資を始める。

南アはアパルトヘイト(人種隔離)政策の終結以降、先進主要国が相次いで経済制裁の解除を決めているが、産業資本による投資再開の動きは予想したより鈍い。BP、シェルの投資が本格再開の事実上の第一号となる。

両社はインド洋に面する産業港湾都市ダーバンの石油精製基地を大幅に拡充する。先進国との貿易再開で船舶用燃料の需要が急増していることに加え、南ア政府が計画中の自動車の排ガス規制に向けて品質の高いガソリンが重要視されているためだ。南アだけでなく周辺国への進出も考えている。

トタールが買収したのはセネガルやコートジボワールなどを統括しているエクソンのアフリカ事業。コートジボワールなどはもともと仏と政治的な関係が深いが、ここにきて産業資本同士の交流も活発化する気配をみせている。エクソンも手間のかかる小売り部門は仏資本にゆだねる方が経営の効率を上げられる、と判断したようだ。



 
 
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若者が学校闘争で殺される 南アフリカ Youth killed in S African schools protest

1991/8/21

Fin.Times

南アフリカ警察が、黒人の生徒たちが黒人教育の水準に抗議して学校の建物を占拠しようと試みたのに対し発砲し、一人を殺し五人を負傷させた。

月曜日の衝突は、数千人の黒人生徒たちが三つの現在使われていない白人学校を占拠し、アパルトヘイト教育に対するデモンストレーションを行なおうとしているところで起きた。学校のうちの一つはすでに5年間使われていない、しかし、プレトリア政府は黒人学校が手のつけられない位に生徒であふれているにもかかわらず、黒人学校へ転用することを拒んできた。

ANCともつながりを持つ民族教育調整委員会のアモン・ムサメ氏は、この占拠闘争は全国で200もの白人学校が生徒の減少のために使われていないことを明らかにし、それらの学校がすべての人種に開かれべきであることを訴えるために、計画されたと語る。

警察は、発砲はスタンデルトンに新しく黒人のために建設されたサキレ高校の校舎をを警備してる警官が黒人たちが校舎を占拠しようとしたのにぶつかって起きたと、言った。



 
 
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1991.8.24

国際資本市場復帰へ 南ア、近く2億マルクを起債

日本経済新聞

チューリヒ23日=太田記者

国際金融筋が明らかにしたところによると、南アフリカ共和国は近く、八五年以来中断していた国際資本市場での公募債起債による資金調達を再開する。主要先進国が南アのアパルトヘイト(人種隔離)政策終結を評価し対南ア経済制裁を解除したためだ。政府の起債に続いて南ア企業も起債を再開する見通し。国内の産業基盤整備など資金需要が強いため、南ア政府、企業は国際資本市場の有力な起債者になる見通しだ。

起債はマルク建てで、二億マルク程度。ドイツ銀行が主幹事になる模様で、チューリヒなどで説明会を始めた。ドイツ、スイスは南アとの取引が多く、投資家が南アの債券を購入していた経緯があるため、今回も両国での販売に力を入れる。南アは旧黒人居住区の下水、住宅整備や長期債務の返済など資金需要が大きい。その資金調達手段として債券発行を位置付けており、今後も継続的に起債があると見られる。また、主幹事をめぐりドイツ、スイスの銀行による主幹事獲得競争も激化しそうだ。



 
 
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1991.8.26

ズームイン 日本の国連安保理復帰 南ア問題が踏み絵に

日本経済新聞

企業の進路を決めるのが取締役会だとすれば、国連の進路を決めるのは十五カ国で構成される安全保障理事会。今秋の国連総会では、改選となるこの国際社会の役員ポストにアジア諸国の後押しで日本が立候補する。総会で三分の二以上の支持を得れば、三年ぶりに同ポストへ復帰できる。ところがここにきて、復帰シナリオに不安が生じてきた。経済界が念願する南アフリカへの制裁解除問題が台風の目だ。「国連中心外交」を目指す日本にとって、ビジネスの論理とのバランスは、難しい問題となっている。

経済界は制裁解除望むが・・・アフリカ諸国の支持失う恐れも

国連代表部の瀬崎克己次席大使はここのところ大忙しだ。ザイール、ジンバブエなどアフリカの十一ヵ国を駆け足で回ってきたばかりだというのに、今度はケニア、モザンビークなど十五カ国の国連大使と日本への招待の打ち合わせに追われている。

この招待は表向きは「九三年五月に日本で開催するアフリカ開発会議などについて意見交換するのが狙い」だが、京都観光をセットするなど「日本ファンづくり」に最大の狙いを置いていることは明白だ。

この至れり尽くせりの対応はもちろんウラがある。九月中旬に始まる国連総会での安保理非常任理事国選では、投票用紙にアジア地域の代表国として日本の名を書いてもらわなくてはならない。すでにアジア・グループ(四十五カ国)の統一候補に決まり、票固めのターゲットはラテン・アメリカ(三十三カ国)とともにアフリカ(五十三カ国)に移っている。国連加盟百六十三カ国の三分の二を得るには、どうしてもアフリカ勢の支持は落とせないところだ。

「三十五票の悪夢だけはもう見たくない」 外務省関係者が振り返るのは、八六年十月の出来事だ。この年の国連総会での安保理選に立候補していた日本の国連代表部員は、開票状況を聞いて真っ青になった。「インド」「インド」「インド」 。支持を取り付けたはずのアフリカ諸国のうち三十五カ国が、立候補もしていないインドの名を投票用紙に記入したのだ。

このときはラテン・アメリカ諸国の支持で必要得票数を二票だけ上回り、七八年十一月の敗北事件の再来は避けることができた。しかしそれにしても、薄氷を踏む勝利だった。三十五カ国もの大量造反劇は、国連総会の直前、しかもジンバブエで非同盟諸国首脳会議を開催している最中に日本政府が南アのボタ外相を招待したのがきっかけだった。

「今回も同じことが起きるかもしれない」というのが外務省・国連代表部の心配だ。というのは、米国が南アに対する制裁解除を決定、欧州共同体(EC)の大半の国が同調姿勢を示すなかで、日本でも経済界中心に南ア制裁解除を求める声が高まっているからだ。

経済界は「これ以上出遅れると、日本企業は南ア向けビジネスに永久に参入できない「と政府に制裁の解除を訴える。「国家安全保障という観点から南アと関係を深めて希少金属を確保することも重要」との見方もある。

外務省・国連代表部がこのことに神経を使っているのは、日本の国連外交が「アフリカとラテン・アメリカ諸国の支持に支えられたもの」(国連筋)であるからだ。米国や英仏など安保理の常任国になっている各国にとっては、今さら総会での一票に拘泥する理由は薄い。第二次世界大戦の敗戦国で安保理入りを目指す立場の日本にとっては、総会での一票の意味が果てしなく重い。

特に「浮動票」的な要素が強いアフリカを味方に引き込むことは、国連での日本の政治的な立場を強くする。逆にいえば、「アフリカの支持がなければ、国連憲章を改正して安保理常任理事国になったり、旧敵国条項を外したりすることは永久に無理」(国連代表部)。それだけに今後、ビジネスの論理と国際政治の論理がぶつかることも考えられる。



 
 
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1991.8.30

対南ア経済制裁解除 「暫定政府樹立時に」 ムベキANC国際局長と会見

朝日新聞

来日中の南アフリカ共和国の黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)のムベキ国際局長は29日、東京都内のホテルで朝日新聞のインタビューに答え、国際的な対南ア経済制裁の解除時期は、白人政権や黒人解放勢力による暫定政府が樹立された段階が望ましい、との考えを表明した。ANCは7月の全国大会で、制裁解除に三段階の条件を決めたが、第三段階の「新民主憲法採択と一人一票制の総選挙実施」にこだわらず、解除時期を第二段階に前倒してもよい、との姿勢に転じたものだ。

ムベキ氏は、日本政府が近く対南ア経済制裁を解除する方針を決めていることについて、「全黒人政治犯が釈放されていない段階での解除は尚早だ」と指摘した。さらに「アパルトヘイト(人種隔離)撤廃後の新生南アに移行するために、暫定政府を樹立しなければならない。この実現に向けて国際的な圧力を緩めないことが重要だが、暫定政府ができれば、国際社会と南アは前向きの関係を結ぶことができる」と語った。

暫定政府樹立までの期間は「向こう数ヵ月」との見通しを示した。具体的な日程として、9月14日に黒人居住区での暴力問題を解決するための和平会議を開き、一週間後に黒人解放組織間の「愛国戦線」を結成、さらに全政党会議を招集して暫定政府の構成を決め、憲法制定交渉を進める、と説明した。

政権掌握後の経済政策では、「国有化は状況に応じて採用する政策手段に過ぎず、イデオロギー的な立場から進めることはしない」と指摘。金鉱山も「金の国際価格が低迷している時に、鉱山産業を国有化しても意味がない」と述べるなど、国有化を中心に据えた経済運営には固執しない方針を示した。

ムベキ氏はANCの穏健派指導者で、黒人多数政権樹立に備えてANCに設けられた「影の内閣」の首相に就任したばかり。



 
 
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1991.8.30

「制裁破り」と独銀批判 南ア起債で国連特別委

日本経済新聞

ニューヨーク29日=守田記者

国連のアパルトヘイト問題特別委員会(イブラヒム・ガンバリ委員長)は二十八日、南アフリカ共和国による国際資金市場からの資金調達再開の計画について緊急声明を発表し、マルク建て公募債の主幹事に予定されているドイツ銀行を「南ア制裁破り」として激しく非難した。国連が声明の形で個別金融機関を名指しで非難するのは極めて異例。

同委は「報道によると、ドイツ銀は南アにとって八五年の債務危機以来初めての公募債の発行をアレンジしようとしている」とし、「これが認められると南アの国際資本市場復帰が実現し、人種差別撲滅に向けて顕著な効果を上げていた金融上の制裁が骨抜きになる」と強調した。

国際金融筋によると、今回の起債は発行額二億マルク。ドイツ銀が主幹事に内定、チューリヒなどで説明会を始めている。欧州共同体(EC)が昨年十二月に南アへの新規投資の禁止を解除、米国もことし七月に全般的な制裁解除に踏み切る中で、南ア政府や企業は今後有力な起債者になるとして、ドイツやスイスの銀行などは一斉に主幹事獲得競争に乗り出している。



 
 
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1991.9.5

黒人初の投票権 南ア新憲法概要を発表 大統領廃止も盛る

朝日新聞

ヨハネスブルク

南アフリカ共和国のデクラーク大統領は、4日、ブルーフォンテーンで開かれた与党・国民党の全国大会で、政府側の新憲法案の概要を発表した。約3千万人の黒人に初めて選挙権を与える一人一票制のほか、大統領を廃止して議会から選出された複数の指導者の集団指導制へ移行、二院制議会の第二院が白人など少数派の権益擁護に当たる―などが盛り込まれている。各周の党大会で検討後、政府側草案の基本線となる。

概要によると、議会は比例代表制で選出された第一院と、各行政地域から同数ずつ選ぶ第二院で構成。法案の成立には両院の可決が必要とされ、約500万人と数で劣る白人側の意向も強く反映される仕組みとなっている。

大統領を廃止し、第一院から選ばれた有力政党の指導者3-5人が集団で指導。また、現行の四州を9地域に細分化。地方行政府に大きな権限を与える。

いずれも黒人解放勢力の中心「アフリカ民族会議」(ANC)が議会第一党となることを前提に、最大政党に権限が集中するのを制限する措置といえる。

一方、市町村レベルの選挙では、納税や住宅の所有による選挙権の制限が盛り込まれ、黒人に不利な条件となっている。

同大統領は演説の中で、新憲法の理念を「共同型民主主義」とし、「政治権力はいかなる個人、政党、団体によっても独占されるべきではない」と述べた。しかし、これまで国民党が最大勢力として権力を一手に握り、アパルトヘイト(人種隔離)体制を作り上げてきたことに関しては言及しなかった。

また、この概要はあくまで基本線であり、今後、党内外の話し合いで変更の余地がある、と強調。ANCなどの意向に配慮した。

ANCは同日、声明を発表。一人一票制や第一院の比例代表制には同意したものの、「権力の分散は、真の自由化を妨げ、南アのレバノン化をもたらす」と批判した。

ANCは現在、暴力問題などを理由に新憲法に関する対政府交渉を中止している。しかし、今月半ばには政府、抗争の中心の保守派黒人政党「インカタ自由党」(ブテレジ議長)と暴力問題和平案に調印の予定。ANCは暫定政府、政権議会での新憲法制定を要求し政府側と対立するが、その前段階としての全政党会議早期開催では政府と一致しており。今秋にも全政党会議の条件が整うとの見方が強い。

政府は、92年の現行憲法による総選挙前に新憲法の成立を図っている。



 
 
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1991.9.13

南ア新憲法構想

毎日新聞

大統領制を議会選出の集団指導制としたうえ、地方議会の選挙権に所有資産や納税額を考慮するとして、「白人の独占が認められないと同様、黒人の独占も認められない」(同大統領-デクラーク)との基本方針を打ち出したもの。

ANC(アフリカ民族会議)=白人の特権と「アパルトヘイト維持が狙い」と激しく反発。

同構想によると、新憲法での国会は二院制で、

第一院、得票の割合で各政党に議席が配分される。

第二院、国内を9地域に区割りした選挙区から選出された議員に比例配分される。

地方議会選挙では、投票権に、資産所有や納税額の要素が加味され、南アの土地資産の大半が白人所有であることから、地方議会の実権は白人が握ることは確実。

地方議会の構成が、国政選挙にも影響を与えることから、白人層の声は国会の第二院にも強く反映さえれるとみられる。

ANCはこれに対し、「構想は形を変えたアパルトヘイトで、少数白人に拒否権を与えるもの」と強く反発。

総選挙で多数を占めた政党が内閣を構成し、国政運営に当たるべきと、ANCが発表済みの基本構想実現を主張している。



 
 
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1991.9.15

南ア 黒人組織と和平協定 抗争完全終結は流動的

日本経済新聞

ヨハネスブルク14日共同

南アフリカ政府と黒人組織、アフリカ民族会議(ANC)、ズールー族主体のインカタ自由党など三十余りの団体の代表は十四日、旧黒人居住区での抗争終結を目指した和平協定に調印した。

治安部隊や政党の行動規範、協定の実施・監視に当たる全国和平委員会の設置を柱とした今回の多角的な和平協定の調印で、南アの新憲法制定に向けた交渉プロセスを揺るがしてきた抗争の終結への期待が高まっている。

しかし、制憲交渉参加を拒否している保守党など白人右派は和平代表者会議をボイコットし、パンアフリカニスト会議(PAC)など黒人左派も会議には出席するものの、調印を拒否するなど、抗争の完全終結には流動的要素が残されている。

今回の和平協定は、南アの宗教、経済界の代表が調停役になって作成され、治安部隊、政党の行動規範と全国和平委員会の設置のほか、政治集会での凶器と武器の携行の禁止や抗争地区の復興対策なども盛り込まれている。



 
 
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1991.9.17

南ア、核査察受け入れへ

日本経済新聞

ウィーン16日=小林(省)

国際原子力機関(IAEA)の第三十五回総会が十六日、ウィーンのホーフブルク宮殿で始まった。総会は冒頭、リトアニア、ラトビア、エストニアのバルト三国とイエメンのIAEA加盟を承認、加盟国はこれで百十六カ国になった。

また、南アフリカは開会前、核拡散防止条約に基づく核査察(保障措置)協定に調印、IAEAは十月中に同国に対する第一回査察を実施する方針を明らかにした。



 
 
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1991.9.20

南ア、7年ぶり国際市場で起債

日本経済新聞

ハンブルク19日時事

南アフリカ共和国は、十九日、先進各国による対アパルトヘイト(人種隔離)経済制裁一部撤廃を受けて、七年ぶりに国際金融市場て国債を発行した。

ドイツ銀行を主幹事とする銀行団を通じてこの日フランクフルト市場で発行されたのは期間五年の国債。規模は当初三億マルクだったが、需要がおう盛なため四億マルクに増額された。表面金利は一〇・五%で額面発行。南アはこれまで起債ができなかったことから資金需要が高まっており、金融筋は同国は年間四十億ドル程度の資金調達をするのではないかとみている。

南アの当局者によると、今回の国債の一部(二億ドル)は今年十二月に満期を迎える既発債の借り換えとなるが、これを除いた分は同国の開発資金に充てられる。



 
 
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1991.9.27

来月中にも共闘会議結成 南ア黒人解放3団体

朝日新聞

ナイロビ

南アフリカ共和国の黒人解放運動の中心「アフリカ民族会議」(ANC)と強硬派解放組織「パンアフリカニスト会議」(PAC)、「アザニア人民機構」(AZAPO)は25日、政憲議会での新憲法制定を求める共闘組織「愛国戦線」の結成大会を開催することで合意。来日中にも、結成の見通し。



 
 
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1991.10.4

ノーベル文学賞に南アのゴ女史  女流作家受賞は25年ぶり

毎日新聞サービス

ストックホルム3日共同

スウェーデン王立アカデミーは三日、一九九一年のノーベル文学賞を南アフリカの白人女流作家ナディン・ゴーディマ女史(67)に授与すると発表した。南アフリカ人のノーベル文学賞受賞は初めてだが、ノーベル賞受賞は六〇年のA・ルツリ氏、八四年のデズモンド・ツツ主教(いずれも平和賞)に次いで三人目。女性の文学賞受賞は一九六六年の西ドイツ(当※時)の女流作家ザクス女史以来二十五年ぶり。        

賞金は六百万クローナ(約一億三千三百万円)。授賞式は十二月十日。 ゴーディマ女史はアパルトヘイト(人種隔離)政策がもたらす不毛性を作品の中で描き続けたが、王立アカデミーは授賞理由について「非常に複雑な個人的事情や社会との関係を直截的(ちょくせつてき)な手法で描き、人間性に対して多大な貢献をした」と評した。

リトアニア出身のユダヤ系宝石商の父とユダヤ系英国人の母との間にヨハネスブルク近郊の鉱山町スプリングスで生まれた女史は、育った環境から少女期からアパルトヘイト政策に強い疑念を持ち、十五歳から小説を書き始め、その後もアパルトヘイトがもたらす人間の心の陰や不毛さをテーマとして追い続けた。

代表作は「ブルジョア世界の末期」(六六年)、「保護管理人」(七四年)、「ジュライの一族」(八一年)など。いずれも白人と黒人が鋭く対立する南アフリカの社会情勢を色濃くにじませた作品。

南アフリカでは出版物の検閲制度があるが、検閲制度にもかかわらず文学と表現の自由のために努力してきた女史の姿勢もアカデミーから高い評価を受けた。

日本に翻訳紹介されている作品は、小説「戦士の抱擁」(晶文社)、解説書「現代アフリカの文学」(岩波書店)のほか、「現代アフリカ文学短編集」(鷹書房)に短編小説が収録されている。

[1991-10-04-08:02]



 
 
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1991.10.4

熱い「人間への想い」 ノーベル文学賞 ナディン・ゴーディマの文学 アパルトヘイト一貫して告発

毎日新聞

竹内泰宏(作家)

ナディン・ゴディマは、1923年に南アフリカのヨハネスブルクに生まれた白人女性作家である。16歳で処女作を発表して以来、一貫して、白人でありながら人種差別にもとづくアパルトヘイト(人種隔離政策)の非人間性を批判する作品を書いてきた。また作品によってばかりでなく、実際の行動や生活においても反アパルトヘイトの運動に献身的に加わり、証言台に立ったり、自分の家をアフリカ黒人に解放したりして、南アの解放運動側の黒人たちからも絶大な信頼を寄せられている、数少ない白人作家の一人である。彼女の文学の特質は、すでに1950年代はじめに発表された初期の短編「こんな出会いをするなんて」や「へびのやさしいささやき」などにも、はっきりと示されている。前者は白人の少女が生まれてはじめて黒人と出会ったときの恐怖を、少女の感性と身体の反応をつうじて微細に描き出した小説で、差別者が差別されるものに対して抱く「抽象化された恐怖」をリアルに克明に描くなかに、この作家のもつ熱い人間への想いをひそませている作品である。

また後者は、車椅子にお乗った幻肢症をもつ身体障害者の夫とそれを押す妻が、片脚のないバッタと出会う一場面を描いた短編で、バッタが急に空へ飛んでいってしまうことで、夫婦が二人の心理の葛藤を越えた現実を、昆虫(自然)の思わぬ飛翔によって知る結末はすばらしい。以上はいずれも、冷酷なリアリズム作家のもつ繊細な感性と、差別を嫌悪する優しさや冷静な観察力が如実に示されている短編である。

ゴーディマの小説は、50年代、60年代、70年代、80年代に発刊された5冊の小説集からえらばれた短編をおさめた土屋哲訳『戦士の抱擁』(晶文社)などが邦訳されているが、この本のなかに反政府運動に加わる黒人労働者の少年の家族の話や白人リベラリズムの瓦解を暗示する小説や南ア共和国の周辺諸国の独立にともない、。アフリカ人共同体に対しての白人軍隊のなりふりかまわぬ破壊工作を鋭くカットしてみせる小説や、最近の南ア国内の白人親子による解放運動支援の一挿話を扱った小説など、南アの政情の変化する時代々々に応じて(作品のかかれた時期に応じて)、南アフリカの様子が白人の側からアフリカ人の側からと、ほとんど交互に描き出されているのを読むことができる。彼女の作風は、文体は自然や人間の内面・外面への詳細かつ冷静な観察による記録性ともいえるものにもとづいており(最近はそれに象徴的表現も加わっていると言われている)、作品の枠組みや人間を表現する際の遠近法のとり方は、彼女の傾倒するバルザック、スタンダール、トルストイなどの19世紀リアリズム風の手がたい構造のうちにある。そしてそのテーマは、人間性を圧殺する南アの社会への告発をふくんだ、骨太でがっちりした社会性を踏まえている。

彼女の評論活動については、日本では土屋哲訳『現代アフリカの文学』(岩波新書)がよく知られているが。そのなかでゴーディマは、20世紀のヨーロッパやアメリカの小説とアフリカの小説を比較し、欧米の作家がますます肉体・精神面での異常さの極限を小説で追求するようになっていること、しかし「これら白人固有のテーマは、アフリカ人作家の方がはまったく無縁のものである」こと、そしてアフリカ人作家の方が欧米作家の作品より正常で、健全で、創造性と未来の可能性を秘めていると述べている。

ゴーディマの創作活動は最新の長編小説『わが息子の物語』の発刊など、現在も旺盛に続けており、最近は南ア最大の文学賞CNA賞も受賞している。

南アの悪名高い人種隔離政策が少なくとも法律上は廃止となり、新しい節目とそれにともなう新しい困難にも出会っているとき、この半世紀にわたって人種差別反対と人権のために闘ってきた作家にノーベル賞が受賞されたことは、当然であるとともにまことに意義深い。



 
 
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1991.10.5

南ア、憲法改正で国民投票へ

日本経済新聞

ヨハネスブルク4日共同

南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)体制の改革を進めるデクラーク大統領は四日、共同通信との会見に応じ、新憲法制定の協議会でアフリカ民族会議(ANC)など黒人組織と一定の合意が得られた場合、必要に応じて現憲法の一部を改正する国民投票を実施する考えを初めて表明した。改革の最大課題である新憲法の制定を待たずに段階的に改革を進めていく方針を打ち出したもので、アパルトヘイトからの完全脱却を目指した南アの交渉プロセスは合意形成に向けて一層加速することになる。



 
 
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1991.10.8

「謝罪」に内外で反響 単独会見の南ア大統領 保守派にも配慮

朝日新聞

ヨハネスブルク7日=五十嵐浩司

南アフリカ共和国のデクラーク大統領が四日、朝日新聞の単独会見で、アパルトヘイト(人種隔離)政策に関して初めて公に謝罪したことが、南アの内外で大きな反響を呼んでいる。「黒人側との精神的和解をもたらし、話し合いによる新憲法制定を推進する」と歓迎する声が多いが、アパルトヘイト維持を図る白人右派の保守党は強く反発。大統領周辺は、白人保守層の国民党離れを懸念して「謝罪というより、遺憾の意の表明」と一歩、後退の姿勢を示している。

大統領はアパルトヘイトの否定的側面に対し、罪の意識を持つか、との質問に、「我々の歴史のその(アパルトヘイトの)時代がもたらした苦しみに対し、とてもとても申し訳なく思う」と率直に述べた。

これを受け、六日の南ア紙サンデー・トリビューン、サンデー・スターなどは、一面に「ついに謝罪」と大きな見出しを掲げ、「画期的」「歴史的」インタビューとして、今回の謝罪が新憲法制定の話し合い促進に大きく貢献する、と評価。またアーガス紙が、街角に「大統領謝罪」の張り出し広告を出したほか、南ア国内や欧州のラジオなども謝罪発言を大きく取り上げた。

トリビューン紙によると白人リベラル派・民主党のデビア党首は「これは我が党が一年以上にわたり求め続けていた謝罪だ。この謝罪で、来るべき全政党会議で、黒人側が大統領と建設的な話し合いを持つことが容易になった」と歓迎。また、黒人解放勢力の中心「アフリカ民族会議」(ANC)のマルカス広報担当(全国執行委員)は、謝罪を歓迎しながらも「アパルトヘイトの遺制はまだまだ存在し、過去のものとはなっていない」と述べた。

しかし七日の政府系英字紙シチズンは、「大統領はアパルトヘイトの罪に対して謝罪したのではなく、苦しみに対して申し訳ないと述べた」との大統領スポークスマン談話を一面に掲載。謝罪から一歩、退く姿勢を見せた。

フェンダー大統領報道官は朝日新聞に対し「質問に対する自然な反応として出た言葉で、謝罪というより遺憾の意の表明」と述べた。

統治の西側外交筋は、「新憲法制定の対話推進には謝罪が不可欠だが、国内で正面切って謝れば反発が強い。外国のメディアを通じ、謝罪の意を持つことを実質的に広め、国内ではこれをトーンダウンさせて白人層に配慮する戦術ではないか」と見ている。



 
 
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1991.10.8

黒人グループ衝突、18人死亡 南ア

日本経済新聞

プレトリア7日=影井記者

南アフリカ共和国で七日、黒人グループ同士の衝突事件が起こり、現地警察の発表によると少なくとも十八人が死亡した。南アフリカで黒人グループの大規模な抗争事件が発生したのは、南アフリカ政府と主要黒人グループが抗争中止の協定を結んだ九月十四日以来のこと。

警察の発表によると、ヨハネスブルクの近郊にあるトコザで反アパルトヘイト(人種隔離政策)運動家の葬儀が開かれた後、約一万五千人の参列者に対し、けん銃やナイフを持った黒人グループが襲いかかった。葬儀の参加者のほとんどはアフリカ民族会議(ANC)の支持者で、ANCの路線に反発するズールー人グループなどの犯行と見られている。

写真説明)7日、ヨハネスブルク市近郊の黒人居住区トコゼで、有力者の葬儀を終えて帰途に着くアフリカ民族会議(ANC)のメンバー



 
 
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1991.10.10

ノーベル平和賞候補に米大統領

日本経済新聞

ロンドン9日共同

ノルウェー紙ダーグブラデットがこのほど報じたところによると、十四日に発表予定の一九九一年度ノーベル平和賞受賞者候補にブッシュ米大統領をはじめ個人約八十人、団体約二十が挙がっている。候補者には米大統領のほか、リトアニアのランズベルギス最高会議議長、ローマ法皇ヨハネ・パウロ二世、南アフリカの黒人解放運動指導者ネルソン・マンデラ氏、ハベル・チェコスロバキア大統領らが含まれているが、ミャンマーの野党指導者、アウン・サン・スー・チー女史が最有力候補とみられるという。



 
 
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1991.10.12

ソ連のプラチナ売却

日本経済新聞

ヨハネスブルク11日=吉村記者

南アフリカ共和国最大の白金(プラチナ)鉱山会社、ルステンブルグ・プラチナ・マインズ社のB・ディビソン社長は日本経済新聞記者と会見し、現在のプラチナ価格低迷の主因はソ連の売却であると指摘、ソ連の一ー五月の売却量は三十トンに達したと述べた。ただ、ソ連による売却は今後、徐々に鎮静化し、景気の回復や自動車触媒用の需要の盛り上がりなどで価格は上昇に向かうとの見通しを明らかにした。会見内容は以下の通り。

一、プラチナの需要は世界的に堅調だが、現在の価格水準は満足のいくものではない。米国を中心に景気回復が遅れていることに加え、ソ連が外貨獲得を狙って売却を加速させていることが響いている。90年のソ連の売却量は二十二トンだったが、九一年には一ー五月だけで三十トンに達している。

一、ソ連の売却は西側金融機関に担保として預け、必要な外貨を得るといるスワップ形態をとっている。外貨の返済が不可能になった場合に担保分が市場に出てくる仕組みだが、現在の価格はこうした事態をすでに織り込み済みだ。また同国の生産動向や在庫水準から見て売却量は今後次第に減っていくだろう。

一、遅れている景気回復が実現すれば価格は間違いなく上昇に転じよう。EC(欧州共同体)では九三年から排ガス規制の強化が実施される。これを見越して九二年末にかけて駆け込み需要の盛り上がりも予想される。将来的に需要が拡大するのは確実で、南アの鉱山各社が進めている増産計画に何ら変更はない。



 
 
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1991.10.12

南アから黒人研修生 JICA 農業・建築など4部門20人

日本経済新聞

発展途上国への技術協力などを進めている外務省の外郭団体、国際協力事業団(JICA)が来年一月から南アフリカ共和国の黒人研修生を受け入れる。アパルトヘイト(人種隔離)体制を支えていた人種登録法が六月に撤廃されるなど民主化に向けて動き始めた南アの黒人の社会的、経済的な地位向上を支援するのが目的だ。農業、熔接、建築、工業技術の四部門で計二十人の研修生を受け入れ、黒人労働者の技術力向上に役立てる。

黒人研修生は部門別に分かれ、名古屋市や茨城県つくば市、北九州市などで二ヵ月半の技術研修を受ける。南アでは永年にわたる人種差別政策のためさまざまな面で人種間の格差が大きく、十分な教育が行われてこなかったこともあって人口の約七割を占める黒人の技術者不足が深刻化してる。黒人研修生たちは研修を終了して帰国後は、現地の職業訓練センターなどで技術指導にあたることになっている。

今回の研修生たちは、国連南部アフリカ教育訓練計画(UNETPSA)を通じてJICAが受け入れる。昨年来日したマンデラ・アフリカ民族会議(ANC)副議長と海部首相との会談を機に実現したもので、今年春には黒人団体の代表者ら六人が来日し準備を進めてきた。欧米など先進各国が相次いで南アの黒人への支援を打ち出していることもにらみ、当初の計画を上回る本格的な研修生受け入れとなった。

研修生二十人の受け入れは欧米各国の受け入れ計画などに比べると規模は小さいものの、今年度約六百万ドルの南ア支援を決めている外務省では「今後も研修生の受け入れ枠を順次拡大していきたい」(アフリカ二課)としている。



 
 
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1991.10.14

IMF融資望む 南ア蔵相会見 数日中に訪日

日本経済新聞

プレトリア13日=影井記者

南アフリカのバレンド・デュプレシ蔵相は日本経済新聞記者と会見し、「南アは資金不足という問題を抱えており、海外からの資金流入が不可欠だ」と述べ国際通貨基金(IMF)が対南ア融資を再開するとともに、日本を含む先進各国が早急に直接投資に乗り出してほしいと訴えた。また数日中に日本を非公式訪問して産業界関係者らと会い、南ア投資を呼びかけることを明らかにした。

ディプレシ蔵相はデクラーク政権の有力閣僚で、デクラーク大統領の後を狙う次世代リーダーの最右翼。

同蔵相は「対外債務は約百七十億ドルあるが、年間輸出額(約二百三十億ドル)からみれば問題ない」と述べる一方で、「諸外国による経済制裁によって流動資金が枯渇したため、ここ数年は政府支出の抑制政策を取るなど経済成長を犠牲にしてキャッシュを確保しなければならなかった」と、ここ二年以上続く景気低迷の背景を分析した。

「景気刺激型の経済政策を取ることを、来年四月ごろまでに決断しなければならない」とも表明、それによって生じる債務を埋めるためには、IMFの対南ア融資再開が不可欠だと訴えた。



 
 
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1991.10.16

南ア企業に24%出資 マツダが権利獲得

日本経済新聞

ロンドン15日=影井記者

マツダは南アフリカの有力自動車メーカー、サムコール社の株式二四%を購入する権利を獲得した。日本政府が南アに対する経済制裁を解除した後に、投資効果などの調査を実施して、実際に投資するかどうかを決める。出資が実現すれば、日本企業による南ア投資再開の第一号になりそうだ。

サムコール社は一九六三年以来、マツダから主要部品の供給を受けてファミリア、カペラ、プロシード(ピックアップトラック)などを現地組み立て(KD)生産している。

同社株式の七六%は南ア最大のコングマリット、アングロ・アメリカン(AA)が保有し、残る二四%を従業員持ち株会が持っている。同社は経営安定化の一環として従業員保有分の二四%を外資企業に売却することを検討、KD生産の受託で最も関係の深いマツダに買い取りを打診していた。

南アの自動車販売市場は一時年間四十万台あったが、現在は三十万台程度まで落ち込んでいる。日本企業ではトヨタ自動車を筆頭に日産自動車、マツダなどがいずれもKD生産し、日本車シェアは五〇%強に達する。ただ日本政府の経済制裁によって投資が禁止されているため相手先企業には出資していない。



 
 
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1991.10.17

南ア制裁解除 25日にも閣議決定

日本経済新聞

政府は南アフリカ共和国に対する経済制裁を月内にも解除する方針を決めた。解除するのは、一、投融資規制、二、クルーガーランド金貨などの購入自粛、三、銑鉄・鋼材の輸入禁止、四、航空機の相互乗り入れ停止ーーの四項目で、早ければ二十五日の閣議で決定する。

政府は南アがアパルトヘイト(人種隔離)政策の根幹となっていた人種登録法などを撤廃したことを評価し、六月に人的交流を解禁。次いで七月の米国の制裁解除決定後、経済制裁についても解除する方向で検討していた。

しかし、日本が立候補した国連安全保障理事会の非常任理事国選挙を控え「制裁を解除するとブラック・アフリカ諸国の反発を招き、選挙に影響が出かねない」との判断から、実施を先送りにしていた。十六日に選挙が終わったため、解除に踏み切る。



 
 
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1991.10.19

マンデラ氏が英連邦案同意 南ア経済制裁解除

朝日新聞

ハラレ(ジンバブエ)18日=五十嵐浩司

英連邦首脳会議にオブザーバー参加中の南アフリカ共和国の黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)のマンデラ議長は17日夜、記者会見し、「英連邦の三段階制裁解除案は、ANCの解除案とそうかけ離れてはいない」と同意の姿勢を示した。



 
 
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1991.10.19

南アの鉄鉱石輸入へ新契約 新日鉄など六社

朝日新聞

新日本製鉄は十八日、同社を含む高炉六社が、南アフリカ共和国の鉱山会社、イスコールと鉄鉱石の輸入について長期契約を結んだ、と発表した。今後、一九九六年三月までの約五年間、六社で年間四百万トンの鉄鉱石を輸入する。

イスコールとは七六ー八八年まで、毎年七百万トンの鉄鉱石を輸入する契約を結んでいた。しかし、八六年に欧米各国の南ア政府への経済制裁に合わせ、通産省から南アとの取引自粛を要請された。この時点で約千五百万トンの取引が未消化となっていた。

ただ、八八年以降も未消化分を消化する形で年間四百万トン程度の輸入を継続した。それが終了することから、新たな契約を結んだ。



 
 
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1991.10.19

対南ア制裁を解除 英連邦首脳会議が決定

日本経済新聞

ロンドン18日=後藤記者

ジンバブエの首都ハラレで開いている英連邦首脳会議は十八日、南アフリカ共和国に対する制裁措置の段階的解除を決議、第一段階として人的交流をすみやかに再開することを決めた。南アのデクラーク政権が今年にはいってアパルトヘイト(人種隔離)政策を相次ぎ廃止、民主化を推進していることを評価した。決議は参加国五十カ国が満場一致で合意した。

制裁解除に伴い、まず、外交、民間レベルでの往来、接触が全面自由化される。続いて、観光、文化、学術面での交流制限が撤廃され、英連邦諸国と南ア間の航空路が相次ぎ解説される見通し。

インドのラオ外相は会議後の記者会見で「永年、反アパルトヘイトの先頭に立ってきた英連邦諸国首脳は、南アの変化を歓迎、評価している。こうした変化を(制裁解除によって)後押しする必要がある」と述べた。



 
 
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1991.10.19

鉄鉱石輸入南アと再契約 鉄鋼大手6社 5年間、年400万トン 月末の制裁解除にらむ

日本経済新聞

新日本製鉄など鉄鋼大手六社は、南アフリカ共和国の鉱山会社、イスコール社との間で、九一年度から五年間にわたって南ア産鉄鋼石を購入する契約を結んだ。購入量は年間四百万トン。日本の鉄鋼各社は前回南アと結んだ長期契約が切れた八八年以降、米国などの経済制裁に配慮して、新規契約を見合わせていた。今月末にも政府が南ア経済制裁を解除する見通しとなり「政治的情勢が良くなった」(斎藤裕新日鉄社長)ため、新規契約を結ぶことにした。

契約は、今月十四日以降、各社が個別に調印する。内訳は、新日鉄が百八十万八千トン、NKKが六十四万八千トン、住友金属工業が五十五万二千トン、川崎製鉄が五十六万八千トン、神戸製鋼所が三十万四千トン、日新製鋼が十二万トン。いずれも数量契約で、価格は国際相場に従って毎年決める。

鉄鋼六社は七六年度から八七年度までの十二年間、年間七百万トンのペースで南ア産鉄鋼石を購入する長期契約を結んでいた。鉄鋼石は日本政府による南ア経済制裁の中の輸入禁止品目となっていないが、通産省が八八年以降は、貿易総額を前年実績以下に抑えるよう要請した経緯がある。このため各社は長期契約が切れた八八年三月時点で、自主規制の形で新規契約の締結を見合わせた。

八八年度から九〇年度までの間は、前回の長期契約で引き取っていなかった分約千五百万トンを、単年度契約の形で年間四百万トン程度ずつ引き取り、実質的な取引は続けてきた。長期契約の引き取り分が残り少なくなってきたこともあり、鉄鋼各社幹部が南アを訪れ、実情の把握や契約条件の詳細な爪を進めてきた。契約では今年四月にさかのぼって購入する。



 
 
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1991.10.20

「核兵器開発南アは放棄」 原子力公社総裁

朝日新聞

ワシントン18日=時事

南アフリカ共和国のワルド・スタンプ原子力公社総裁は十八日付の米紙ワシントン・ポストとのインタヴューで、同国が核兵器開発計画を放棄したことを明らかにした。



 
 
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1991.10.22

南ア制裁きょう解除 政府

日本経済新聞

政府は二十二日の閣議で、南アフリカ共和国への経済制裁の解除を決定する。解除するのは、一、投融資規制、二、銑鉄・鋼材の輸入禁止、三、クルーガーランド金貨などの輸入自粛、四、航空機の相互乗り入れ停止ーーの四項目。政府は今後、デクラーク南ア大統領の訪日実現に取り組むとともに、領事関係しかない南アとの外交関係樹立と大使館設置についても前向きに検討する方針。



 
 
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1991.10.22

南ア制裁解除決定 政府

日本経済新聞

政府は二十二日の閣議で、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)政策に対する経済制裁の解除を正式に決めた。席上、外相臨時代理の坂本官房長官はアパルトヘイト廃止をめぐる南アのデクラーク政権の改革努力に関して「人種差別のない民主的な体制の樹立に向けて引き続き積極的な進展が見られ、南アの改革は不可逆的なものと評価する」と発言。その上で「南アの経済成長回復が黒人多数を含む国民全体の福祉の向上と、現在の(民主化に向けた)交渉課程の前進を図っていく上で重要」として経済制裁の解除方針を表明、了承された。

坂本長官はこの後の記者会見で南アに対する経済的規制措置の解除について_

談話を発表、日本がこれまでとってきた、一、投融資規制、二、銑鉄・鋼材の輸入禁止、三、クルーガーランド金貨などの輸入自粛、四、航空機の相互乗り入れ停止ーーの規制解除を表明した。



 
 
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1991.10.23

ANC、制裁解除に「遺憾」

朝日新聞

ヨハネスブルク22日=共同

南アフリカの黒人組織、アフリカ民族会議(ANC)は二十二日、声明を発表し、アパルトヘイト(人種隔離)廃絶に向けた動きは後退もあり得るとして、日本政府の対南ア経済制裁の解除決定に遺憾の意を表明した。

ANCは、現時点での経済制裁の全面解除は真の民主主義への樹立にはつながらない、と批判した。

一方、南ア政府のボタ外相は、日本の決定は「デクラーク政権の大胆な改革が認識されたことの表れ」と歓迎、制裁解除は南アだけではなく、南部アフリカの利益になると述べた。



 
 
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1991.10.23

連合も解除反対の談話

朝日新聞

日本労働組合総連合会(連合)は二十二日、政府が南アフリカ共和国への経済制裁の解除を決めたことについて「南アに民主的な新憲法が成立し、民主化が逆戻りしないことが確実になるまで、経済制裁を継続するよう強く求める」との山田清吾事務局長の談話を発表した。



 
 
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1991.10.23

南ア制裁解除 財界は「歓迎」資源貿易に期待

日本経済新聞

政府が南アフリカに対する経済制裁を解除したことについて、財界首脳は「世界の平和と安定のためにきわめて重要で、まことに喜ばしい」(石川六郎日商会頭)、「決定を高く評価したい」(平岩外四経団連会長)と歓迎の意向を表明。「政策転換を定着させるためにも、南アの経済的回復にできるだけ協力したい」(速水優経済同友会代表幹事)など、積極的な協力が必要との認識で一致している。

制裁解除後の対南ア関係については「日本との外交、通商関係は一段と深まろう。南アはバナジウム、クロム、レアメタルなど地下資源の宝庫でもあり、産業界としても期待できる面が大きい」(永野健日経連会長)とみており、鉱物資源を中心にした経済交流に期待を寄せている。

金融取引再開 都銀など慎重

政府が南アフリカ共和国への経済制裁を解除したことを受けて、都市銀行など民間金融界は金融取引の再開を慎重に進めていく構えだ。「民主化策の堅持姿勢や経済体制を見極める必要があり、民間としては動きにくい」(末松全国銀行協会連合会会長)ためで、当面は凍結状態の資金決済(コルレス)取引の再開にとどまる銀行も多そうだ。

民間銀行では、「南ア国民の経済支援のために、人道的見地からも取引の再開は当然」(都市銀行幹部)としているが、本格的な金融取引を進めるには「同国の経済体制の確立が不可欠」と慎重な姿勢を続け、当面は資金・外国為替取引などにとどめる。



 
 
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1991.10.24

南ア経済再建へ日本資本がカギ デュプレシ蔵相会見

日本経済新聞

南アフリカ共和国のバレンド・デュプレ蔵相は二十三日、日本経済新聞記者と都内のホテルで会見し、日本の大企業、銀行の進出が経済再建に欠かせないことを強調。同国で合弁事業を設立するよう企業、銀行の幹部に直接働きかけていることを明らかにした。



 
 
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1991.10.25

南アフリカ 92五輪参加めざし来月、初の合同会議 競技団体統一など協議

朝日新聞

ヨハネスブルク24日=的地修

南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離)政策の廃絶により国際オリンピック委員会(IOC)へ復帰加盟が実現した南アフリカ五輪委員会(NOCSA)は二十四日、来年のバルセロナ五輪参加に向けて十一月初めにヨハネスブルクで国内競技団体を集めた初の合同会議を開き、参加種目、派遣選手や役員の数、復帰に伴う新しい国旗、国歌の使用などを話し合うことを明らかにした。肌の色で区別されてきたスポーツ組織、競技団体の統一が五輪参加実現の最重要課題になるため、合同会議では白人、黒人、インド系、カラード(混血、インド系以外のアジア人)の主張が対立している陸上などの一本化問題を協議し、年内に五輪参加の基本方針を固めることにしている。

NOCSAのダニエル・モヨ事務局長によると、現在南アにはアパルトヘイト時代にできた人種ごとの組織が残り、それぞれ独自で競技団体をまだ統括している。IOC復帰を目指してインド系のサム・ラムザミー氏が発足させたNOCSAは、黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)の支援を受けて設立された国内オリンピックスポーツ会議(NOSC)と共同で全人種参加の組織統一を呼びかけているが、複雑な組織構成はなかなかまとまらないのが現状だ。

一九七〇年にIOCから追放された白人だけの五輪委員会(SANOC)、レクリエーションなども含めて140団体を傘下に持つ白人の南アスポーツ連合(COSAS)に加えて、カラードだけの南アスポーツ評議会(SACOS)があり、五輪や国際協議会には全人種による参加の基本方針では意見は一致しても、組織の一本化となると主導権をめぐっての対立など歴史的なしがらみが依然、根強く残って複雑にからんでくるため、これまでの個別交渉は難航している。

東京の世界陸上をめぐって、白人の組織が単独参加を表明、黒人やカラードから強い反対があり、国際陸連は結局、南アの復帰加盟、世界陸上参加を見合わせたが、バルセロナ五輪も各国際競技連盟(IF)が南アを代表する統一の競技団体の復帰、加盟を認めないかぎり参加の道は開かれない。合同会議では、陸上など別個の組織がある八団体の統一を早急に図ることを協議したうえで、五輪競技の競技団体をNOCSAが統括し、五輪参加の代表選考会も全人種に平等の権利が与えられることを確認する方針。

もっとも、参加が実現しても南ア選手はすでにサッカーやバレーなど団体競技の予選が始まっているため、出場は極めて困難。バルセロナは個人種目の参加に限られ、選手団も五、六十人になる見込みという。



 
 
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1991.10.25

南アを初訪問 シンガポール首相

日本経済新聞

シンガポール24日=大橋記者

シンガポールのゴー・チョントク首相は二十三日、ジンバブエのハラレで開かれていた英連邦首脳会議からの帰途、南アフリカを訪問した。「私的訪問」だが、外国の首相が同国を訪れるのはこの十年間で初めて。



 
 
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1991.10.26

解除後の国際交流も白人中心 「本当の改革まだ」黒人系反発 南ア

朝日新聞

ヨハネスブルク25日=的地修

南アフリカ共和国には白人優位の構造がまだ根強く残っている。長い間、南アのスポーツ界に閉ざされていた国際スポーツ界への扉が開き初めたとはいっても、国際競技会に参加し始めたチームは白人選手で占められたり、解除された国際交流も白人中心で再開するなどアパルトヘイト(人種隔離)がもたらした差別の“後遺症”は多く、黒人系の団体からは「本当の改革はまだ」の不満も高まっている。

国際オリンピック委員会(IOC)が決定した南アの復帰加盟を受けて、体操やレスリングなど各国際競技連盟(IF)は歩調をあわせて南アの競技団体の復帰を認めているが、大半の組織は旧来からの白人組織。「全人種参加」の復帰条件を打ち出してはいるものの、黒人の間では、これまで施設不足や経済的な事情から普及していなかった競技がほとんどだ。

九月の世界選手権に参加した体操は、七月に国内予選会が行なわれたが、参加選手は白人ばかりだった、という。黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)のスポーツリーダーらは「体操など白人の学校や黒人の入会できないプライベートクラブで行なわれてきたスポーツで元々、組織が単一だったから国際体操連盟(FIG)も復帰を認めた。体操だけでなく、お金のかかるスポーツには、黒人は今でも無縁だ」と訴える。

二十二日、自転車の英国選手五人が二十八年ぶりに南アのロードレースに参加、南アのIOCへの復帰決定後では、初の国際交流となったが、これも白人グループの招待だった。テニスも来月には、ウィンブルドン男子チャンピオンのミヒャエル・シュティヒ(ドイツ)らを招いての国際大会が開かれる予定ながら、ANCや黒人のスポーツ団体関係者は「国際交流とは名ばかり。門戸開放は商業主義スポーツが優先されてエージェントなど一部の白人の懐を潤すだけだ」と非難している。



 
 
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1991.10.26

南ア・黒人居住区ソウェト 主導権巡り緊張続く 階層分化が進行 警官不法発砲も後を絶たず

読売新聞

ヨハネスブルク近郊ソウェトで小沢勝

南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)の象徴であった南ア最大の黒人居住区ソウェト。南ア政府はアパルトヘイト根幹三法の撤廃を決め、「後戻りのない改革」に踏み出したが、ソウェトでは、新生南アの主導権を争う殺し合いが依然続く、黒人間の階層分化も進み、持てる者、持たざる者、の間で、改革への意識のズレが目立ってもいる。日本政府は南アの改革努力を評価し、経済制裁の解除を決めたが、黒人居住区はなお以前と変わらぬ緊張に満ちていた。 (ヨハネスブルク近郊ソウェトで小沢勝)

階層分化が進行

警官不法発砲も後を絶たず

平屋建ての質素な黒人住宅が並ぶソウェトのマペトラ地区。黒人同士の暴力事件で今年すでに数十万人が命を落とし、今月13日にも酒場への無差別銃撃で8人が死亡した。ミニバス数台に分乗した襲撃隊が日曜日の夕方でにぎわう店内に向けて窓から銃を乱射した。犠牲となった電気工テボホ・ツクルさん(当時25歳)の父スティーブン・ツクルさん(62)は「息子は政治活動などしておらず、何でこんなことになったのか」と肩を落としていた。

警察官の不法な発砲で命を落とした、と遺族が主張するケースも後を絶たない。最大の黒人解放組織、アフリカ民族会議(ANC)支持者の多いディープルーフ地区で13日朝、ANCメンバーで南ア共産党(SACP)員のブヤニ・マバカさん(23)が制服の黒人警官に射殺された。南ア警察によると、カバカさんが最初に発砲したため、やむを得ず発砲したという。

SACPとANCはマバカさんの死を警察官の不当な発砲によるものとし、調査を始めた。黒人抗争終結を目指して政府とANC、ANCと敵対するインカタ自由党(IFP)は和平協定を結んだ。その中には警察官の不当な鎮圧行動を取り締まる条項も含まれ、今後、この射殺事件が和平協定に沿って適切に処理されるか、ANCは注目している。

一方、劣悪な住環境のソウェトでも階層分化が進み、高級住宅地が生まれている。そのうちの一つ、ブムビル地区は別名「プレステージ・パーク」と呼ばれている高級住宅街。ほとんどの家にガレージがあり、庭は刈り込まれた芝生が美しい。そこにあるヌチャリスチャリ家の車寄せには日本車とドイツ車。ご主人のイスラエルさん(59)は高校の校長。奥さんのオリンピアさん(59)はソウェト教育大で言語学を教える専任講師だ。

「満足しているわけではないわ。もっと広い庭が欲しいし、プールも欲しい。それが南アの普通の家ではないかしら」とオリピアさん。オリンピアさんによれば同地区の住民は大学教授や会社重役など「学歴のある人たち」。オリンピアさんの夢は今の家を売って、ヨハネスブルク市内に住宅を買うこと「ソウェトは電話のつながりも悪いし、夜は停電が頻繁。市内の方がいい」

南ア黒人の将来についてオリンピアさんはやや悲観的だ。「私たち黒人が現在、この国を経営していける能力はまだないと思う。教育から始めて、着実に国の経営のノウハウを白人から学んで行かなければならない。急激な変革はよくありません」と白人与党、国民党への支持を表明した。

この言葉に、ソウェトのズールー族ジャーナリストは「能力が劣るというのならそれは教育の白人、黒人間の格差があるからだ。それを直ちに解消するためには急激な変革もやむをえない」と言い、「プレステージ・パークに住む黒人は、肌は黒くとも気持ちはもはや白人になっているかもしれない」と怒りをあらわにした。

ソウェト居住区の黒人は現在約250万人。その中で明らかに生活格差や政治意識の分化が急速に進んでいる。



 
 
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1991.10.26

「反政府」で共闘 「愛国戦線」大会始まる

読売新聞

ダーバン〈南アフリカ〉25日=小沢勝

南アフリカの二大黒人解放組織、アフリカ民族会議(ANC)と汎アフリカニスト会議(PAC )が主張する新しい共闘組織、愛国戦線の結成大会が25日、東部の港湾都市、ダーバンで開幕した。大会には二組織の他、75団体が参加した。

アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後の新憲法制定について政府は国内の政治団体、組織の代表による全政党会議で協議したいとしている。しかし、ANC、PACはこれを白人政権の枠組みの中での非民主的な制定方法と批判している。二組織は一人一票制の自由選挙によって選ばれた制憲議会による憲法制定を主張している。さらに、制憲議会選挙を管理、実施するために暫定政府樹立の必要性を強調している。

ANCは新憲法の基本指針を検討する、という意味では政府が提唱する全政党会議への参加を内諾しているが、PAC は制憲議会選挙実施の確約を取付けるまでは参加は拒否する、としている。また、暫定政府の性格にも両者の間には細かい食い違いがあり、3日間にわたる結成大会ではこれらの意見調整が図られる。ANCより強硬派の立場を取るPACの全政党会議出席受諾が方向づけられれば、他の団体、組織への影響も大きく、同会議の年内開催、新憲法制定作業の加速も期待されそうだ。



 
 
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1991.10.28

南アはいま 92五輪を前に 上 門戸開放 黒人参加不可欠に

朝日新聞

ヨハネスブルク=的地修

来年のバルセロナ五輪参加をめぐって、南アフリカ共和国のスポーツ界が揺れ動いている。アパルトヘイ卜(人種隔離)政策の廃止を機に国際舞台への復帰が認められたものの、スポーツ界にはまだ人種の”垣根”が根強く残り、全人穐参加の新しい組繊づくりは難航したままだ。半世紀ぶりに扉が開かれた南アのスポーツ事情を現地から報告する。  ヨハネスブルク近郊の丘陵地に広がるワンダーラス地区は、さながら南アのビバリーヒルズだ。手入れの行き届いた広い庭は、青々した芝生が陽光にまばゆく輝き、ジャガランダのうす紫の花が彩る。白人が住むこのワンダラースを下ったところに、大きな黒人集落があった。むきだしの赤土の斜面に、トタン屋根のバラックがはうように延々と続いていた。  白人が足を踏みいれることはめったになかったこのアレクサンドル地区で昨年、ワンダラスにあるクリケット協会のユダヤ系白人の会長が、英国伝統のクリケット教室を初めて開いた。斜面の空き地を利用してフェンスで囲っただけの練習場は、テニスコー卜二面足らずの大きさ。それでも、人口三万人の地区では初めてのスポーツ施設の誕生だった。

コーチは、ボラシティアの白人大学生が引き受けて週酉画、小、中学生に教え負担。学校の帰り道に集まってくる子供らは、百人を超えることも多い。大学のクリケットクラブに所属し、このボランチィアに参加しているニール・マッコネル君(二〇)は「ここへ来で、黒人の子供たちが置かれている環境を初めて知った。学校にあるグラウンドといっても、サッカーボールをけって遊ぶ程度の広さしかない。白人の僕らの施設は、小学校からプールや体育館が設備され、グラウンドも芝生の大きなものがあった」と話してくれた。

南アのクリケッ卜は、数年前から、白人とインド系などの非白人人種に分かれたていた組織の一本化に乗り出した。英国系白人の間で人気が高いクリケッ卜をW杯大会など国際競技会に復帰させるには、人種の壁によってできた二つの団体を一本化した上、さらに黒人などにも門戸を開くという条件整傭が必要だった。

とくに、黒人問題は昨年初め、英国のチームが南アを訪れ、各地で白人チームとの試合を行った際、激しい抗議行動が起きた事情もあって、統一には黒人の参加が不可決の要素になった。南ア・クリケッ卜評議会のインティアス・パテル理事は「アレクサンドルの教室は、競技の普及活動を通じて黒人への理解、協力を求めることから発足した」と説明する。入会が白人に限られていたプライべートクラブには、黒人や非白人にも入会を認めるよろに通達が出され、クリケッ卜は組織統一にこぎつけた。だが、クラブの入会金は千ランド(1ランドー約四十八円)前後。月に二、三百ランドの収入しか手にできない多くの黒人にとっては、とても手が届かない。



 
 
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1991.10.28

南ア・ウンデベーレ族の写真展 壁画の腕競い合う妻たち 一夫多妻の抑圧をぶつける

朝日新聞

南アフリカ共和国に住むウンデべーレ族の女性たちが自分の家の壁に描き続けてきた伝統的な壁画を紹介するき写具展が、東京・渋谷のin The ROOM九階で開かれている。一夫多妻制の中で、ほかの妻たちと競い合って描いたという色彩豊かな絵は、厳しい生活を生き抜いてきた女性たちの、力強さ、たくましさを伝えている。

展示されている写具は、赤、育、黄、緑などの塗料で色鮮やかに描かれた壁画や、民族衣装に身を包んだ女性たちを写したものなど四十九点。ほかに、ビーズ細工のべル卜など民族衣装ニ十三点、壁画と同様の模様を描いたカンバス九点が飾られている。また、壁画を描く様子を撮影したビデオも流されている。

写真やビデオを撮影したのは、イタリア在住のフォトジァーナリス卜、マーガレッ卜・コートニー・クラークさん(四一)。南アの隣国ナミビアで生まれ育ち、南ア、イタリア、米国でフォトジヤーナリズムとグラフィックデザインを学んだ。

「アー卜、写真、アフリカ。人生でもっとも好きな三つを結ぶ仕事をしたかった。アフリカのアー卜は男性によるものがほとんどで、この壁画のように女性が担ってきたものは少ない。その貴重な文化が次々と失われていくのを見て、記録しておかなくては、と思った」

一九七九年から八五年にかけて毎年三カ月ほどウンデべーレ族の家に住み込み、年々少なくなる壁画を撮影した。クラークさんによると、ウンデべーレ族の女性は、大人として、十歳を過ざるころ母親から壁画の描き方を習う。結婚すると家の壁を自分の絵で飾るが、粘土と牛のフンで作った壁に描かれた絵は、雨期のたぴに洗い流されてしまうため、毎年描き直す。同じ男性を夫とする妻たちは隣り合う家に住み、お互いに影響し合いながら、それぞれの画風を作り上げる。

「抑庄された女性たちの自己表現の場になっていたのです」

直線や半円などを組み合わせた抽象的なデザインが主流だが、その中に、カミソリを描き込む女性が多い。カミソリは、結婚するときに髪の毛をそるほか、ビーズ細工や皮細工にも使われ、女性の人生を象徴するとされている。

二十九日まで。無料。問い合わせは電話○三ー三四七六ー八○四七へ。



 
 
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1991.10.29

南アはいま 92五輪を前に 中 門前払い 白人に偏重する諸施設

朝日新聞

ケープタウン=的地修

ケープタウン市内の印刷工場に勤める黒人のバイレイ・ホニックさん(二二)は今年六月、市主催の市民テニス大会に初めて参加を申し込んだ。工場にあるテニスサ一クルに所属し、工場対抗や黒人地区の大会で何度も優勝した実績を持つので「さらに自分の力を試してみたかった」のである。人種隔離(アパルトヘイ卜)政策廃止により市が主催する競技会から「人種差別」が姿を消し始めた。黒人にも出場の機会が与えられたわけだが、試合当日、その期待は裏切られた。ホニックさんが白のユニホームを持っていないことを理山に、主催者はその場で参加を取り消したのである。

ホニックさんは「ユニホームを買いたくても、お金がない。我々の練習や試合はいつも作業衣でやっているんです」と懇願したが、受付の白人には聞き入れられずに追い返された。かつては、白人の経営するスポーツ店に入ることさえ、許されなかったというホニックさんは、汗と手あかでグリップ黒ずんだラケットを大事そうに抱えて「このラケットを買うのにも、三カ月待たされ少しもよくなっていないんですよ」と訴えた。  ヨハネスブルク近郊のソウェトは人口二百万の最大の黒人居住区。だが、スポ一ツ施設はスタンドの付いたサッカー場が一つ、五十メートルの屋外競泳プ一ルが一カ所テニスコートが三面だけ。ソウェ卜にある企業やアフリカ民族会議(ANC)の支援でつくられたが、「住民の要求の一割も満たしていない。なぜなら、黒人のスポーツ普及には、政府の援助が全くなかったからだ」とANCのムンザナ・スポーツ広報担当は説明した。

ソウェ卜の屋外プールは春先の九月から青少年に開放される。水泳の指導にあ たるデビッドさん(二四)は「毎年、何人もの子供たちが、川や他でおぼれて死だり、汚い水で病気になったりする。泳ぎを教えるのは、事故防止のためで、競泳選手を育てるなん余裕んはここにはない」という。

水の浄化に経費がかかり、プールはしばしば休業する。「バルセロナ五輪の参加が決まっても、まず黒人の選手は代表になれない。家にプールがあって、子供のときから水泳を楽しんでいる白人にはかないっこないから」とつぶやいた。  南ア政府の年間スポーツ千算は約千二百万ランド(1ランド約四十八円)。白人の競技団体、白人の学校の体育施設へ援助されてきた。非白人メンバ一も加えて新編成された南ア五輪委員会(NOOSA)のダニエル・モヨ事務局長(黒人)は一五輪参加には白人と非白人の組織統一が大前提になる。阻害されてきた黒人が同じテ一ブルにリき、平等の権利を主張出来ないなら改革にはつながらないのだ」と強調した。



 
 
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1991.10.30

南アはいま 92五輪を前に 下 闘争 組織の一本化なお難航

朝日新聞

ヨハネスブルク=的地修

男子マラソンで2時間9分50秒の国内最高記録を持つデビッド・ツェべ(二四)は、白人の陸上クラブに所属する数少ない黒人選手である。ヨハネスブルク郊外のマンションに住み、クラブから支給される手当てとレースで稼ぐ賞金で母親と兄妹四人の一家の暮らしを支える。

トランスバール北部の炭鉱労働者の家に生まれ、少年期をずっとはだしで過したツェべは十五歳から陸上を始めた。工場で働くかたわら、ロードレースやクロスカントリーに出て活躍し、初めて出た八八年のポートエリザベス・マラソンで国内最高記録を出し優勝した。一年かかっても稼げない一万ランドの賞金、あこがれの自動車を手にしたでなく、白人のトラッククラブから入会を誘われたのにはなにより驚いた。「家を買い、家具も電気製品もそろえた。この国で貧しい黒人が成功するには、お金のかからないマラソンやサッカーぐらいしかないんだ」と笑った。  ツェべは八月末に東京で開かれた世界選手権の代表にも決まっていた。白人中心の南ア・アマチュア陸上連合(SAAAU)が国際陸連(IAA)に、ツェべら黒人選手も所属していることを理由として「人種差別」ではない、と参加を要望したのだ。が、アフリカ民族会議(ANC)から反対運動が起き、南アの参加は結局、見送られた。

人種を越えた組織の統一問題はその後も、尾を引きバルセロナ五輪参加を巡って、いまも立ち往生している。八四年ロス五輪では、南ア国籍だったはだしのゾーラ・バッド嬢が、五輪出場の夢をかなえるため、英国籍で出場したため、黒人グループから強い非難が出た。さらに、米国のかってのやり投げ世界記録保持者、ペトラノフが南アでの競技会に出場して米国陸連から追放され、南アに移籍するなどトラブルが絶えず、陸上を牛耳り続けた白人団体への風当たりは根強い。

SAAAUのある理卑(もちろん白人)は「黒人の主張する組織統一は、政治戦略である。社会的な力、地位を据るために、スポーツをその道具に使っている。我々には伝統があり、黒人選手も迎え入れているのだから、黒人の団体が率先して我々の傘下に入るべきである」と主張する。一方、黒人側は「ツェべのような優秀な黒人選手を抱える白人クラブは、いまやエージェン卜(代理店)そのものであり、ツェべらを刊用して利益をあげている。ひと握りの黒人だけを優遇するやり方には、妥協できない」と厳しく反論する。  陸上競技人口六万のうち、四割が黒人など非白人人種。現状では、五輪参加が実現しても、黒人が代表になるチャンスがあるのはツェべら長距離選手などほんの数人だけだ。黒人団体の代表を務めるバレリー氏は「でも、将来、力は必ず逆転する。世兄の陸上界をみても、圧倒的に黒人優位なのだから、その土壌は南アにもある。白人支配のいまのままでは、発展しない」。五輪へのトビラは開かれたのに、四つの団体による一本化の話し合いは、なお難航したまま。これが南アの現実である。



 
 
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1991.10.30

金貨市場 栄華再び バブルはじけ堅実性に的  各国売り込み活発 <クルーガーランド>南アも復帰ねらう

日本経済新聞

東京商品部 伊藤記者

低迷していた金貨市場に客足が戻り始めた。「金地金と同じように値上がりしない」と一時は投資熱の冷めた金貨だが、バブル(泡)経済の崩壊で「堅実な投資商品」というイメージが復活しているためだ。外国の造幣局や日本の販売代理店はこの機を逃す手はないとばかりに売り込みに知恵を絞り、競争は熱を帯びている。

オーストリア造幣局は九月、駐日事務所を開設した。外国の造幣局の事務所としてはカナダに次いで二番目。八九年に発売した地金型(金地金相場に連動して価格が変動する金貨)の「ウィーン金貨」を売り込むためだ。ギフト・宝飾品用に人気が高い十分の一オンス(一オンス=約三一・一グラム)金貨を日本で限定販売するなど、日本市場への期待は大きい。

国のイメージで売る

地金型金貨は知名度や純度、デザイン、発行国のイメージが売れ行きを左右する。オーストリアは産金国ではないが「安定した政治・経済や文化の象徴である楽器をあしらったデザインを売り物に、日本市場で一〇%のシェアを目指したい」(池田美子代表)という。

オーストラリア・カンガルー金貨を扱うクレディセゾンは十月から数個の小型金貨を大型金貨に等量交換するサービスを始めた。カンガルー金貨だけでなくメイプルリーフ金貨(カナダ)、イーグル金貨(米国)、ブリタニア金貨(英国)が対象だ。

ほぼ毎日申し込みがあるほど好評で、同社では「保管などに便利なため、消費者はより大型の金貨を持ちたがっているのでは・・・」とみる。将来は交換対象に人気のある一キログラム金貨を加えることも検討中。消費者の金貨投資への関心を呼び起こすとともに、カンガルー金貨への乗り換えを勧める一石二鳥の作戦のようだ。

政変でソ連製に人気

収集家向けに発行枚数を限定した記念金貨の売り込みも活発になっている。今年だけでもオーストリア、チェコスロバキアの「モーツァルト没後二百年」、スペインの「バルセロナ五輪」のほか、米国、ソ連、フランス、ドイツなども記念金貨を続々日本で発売した。プレミアム(地金との価格差)が小さく、希少性の高いことが人気を呼ぶための条件らしい。「政変などで注目されたソ連金貨は特に引き合いが多い」(泰星スタンプコイン=本社東京)という。

地金型でも中国のパンダ金貨とオーストラリアのカンガルー金貨は毎年変わるデザインが人気の的。「変化を楽しむ収集家が買っている」(住商ゴールド=本社東京)といい、投資家だけでなくコレクターにとっても欠かせない金貨になっている。

8月から復調の兆し

九〇年の日本の金貨輸入量は約八・三トンで、ブームの頂点だった八六ー八八年に比べ半減した。特に九〇年以降は金価格が下落、湾岸危機では「有事の金」神話が崩壊し,消費者の金貨離れに拍車をかけた。

しかし「今年八月から復調の兆しが見えている」(田中貴金属工業)という。金地金の価格は現在一グラム当たり千五百五十円強。南アフリカ共和国の鉱山が採算割れ寸前になっていることや、ソ連の金保有量が二百四十トンしかないと伝えられたことで「金価格がこれ以上大きく下がることはないと見る消費者が増えている」(同)ためだ。

さらに欧米各国に続き日本も南アへの経済制裁を解除した。制裁前には「金貨といえば南ア・クルーガーランド金貨」といわれた。南アは同金貨の再発行を計画、カナダのメイプルリーフに奪われたシェア奪還を虎視眈々(こしたんたん)と狙っている。ライバルのオーストラリアも「PR上手の南アが復帰することは金貨市場の拡大につながる」(ゴールド・コーポレーションのドン・マッカイコギル社長)と南アの復帰を恐れながらも期待する。

日本は世界有数の金貨市場。「黄金時代」の復活を目指す各国の売り込み合戦は今後ますます激しくなりそうだ。



 
 
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1991.11.1

燃えぬ南ア・ビジネス 経済制裁解除にも産業界クール 「政情不安定」に二の足

日本経済新聞

欧州共同体(EC)、米国に続いて、日本が十月二十二日、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)政策に対する経済制裁を解除した。南アは国際部隊に全面的に復帰、先進各国の同国への投融資活動にも道が開けた。これを機に海外から資金を呼び込んで経済の低迷を打開しようと意気込む南アだが、西側企業は将来性には注目しながらも、国内政治の不安定を理由に投資には慎重な反応を見せている。名実ともに南ア経済が軌道に乗るにはまだしばらく時間がかかりそうだ。

日本政府の制裁解除決定に合わせるように十月、南アフリカの政府要人や金融・ビジネスマンの来日が相次いだ。解除で再開される対南ア直接投資に備え、日本の関係者と接触、今後の太いパイプを築き上げるためだ。

「(日本の制裁解除は)喜ばしい。これで日本企業の南ア進出を妨げるものはなくなった。すでに日本の金融期間と投融資の話を進めている」(デュプレシア南ア蔵相)、「日本や諸外国からの最新技術の移転を望む」(セボベ南ア・ビジネス協会会長)と一様に日本との経済関係の拡大に期待を寄せる。

経済制裁が南アに及ぼした影響は予想以上に大きかった。各国が南アへの経済制裁を強化した八五年以降、南ア経済は低迷。高いインフレ率と失業率、財政赤字を抱え、実質経済成長率はマイナスに陥っていた。

解除を前にして動いたのは、南ア政府だけではない。日本側も、ECや米国などの動きを受けて経済制裁解除が間違いない状況になった今春以降、財界、産業界の南アへの関心が高まってきた。経団連は四月下旬、山口保東京銀行副頭取を団長とする視察団を南アに送った。南アの経済、社会の現状を視察し、日本企業の南ア進出の可能性を探るためだ。七月には金融機関の視察団が投資環境を調査するために南ア入りした。

マツダのように解除をにらみ、南アの自動車メーカー、サルコーム社への資本参加交渉を進める企業も現れた。

だが、日本政府の制裁解除発表後の動きは、思ったほどの盛り上がりに欠けるのが実情。「これから可能性を検討する」(大手商社)、「経済制裁下でも、クロムなど希少金属の輸入は除外されており、今回の制裁解除の影響はない」(非鉄金属業界)と冷静な見方が多い。解除項目の一つである航空機の相互乗り入れについても「現時点では南ア便の需要は少なく、魅力ある途中経由地もない」(日本航空)とつれない。このため、「貿易量が急激に増加することはない」(通産省中東アフリカ室)との見方が支配的だ。

盛り上がりに欠けるのは日本だけでない。日本に先駆けて制裁を解除した欧米でも、南アへの投融資が南アの期待ほど集まっていない。英国の大手証券、スミス・ニューこーとが南アを対象にしたカントリーファンドを初めてロンドン証券取引所に上場しようとしたが、募集の五千万ドルの半分も応募がなく、十月上旬、上場中止が発表された。

南ア経済の将来性に魅力を感じているものの、欧米の投資家が慎重なのは、現在の政治状況にいまだ不安感を持っているからだ。

南アでは、九月にアフリカ民族会議(ANC)やインカタ自由党など主要黒人勢力が和平協定を調印したにもかかわらず、黒人間の抗争がなお続いている。黒人の参政権が焦点となっている憲法改正問題も南ア政府と黒人勢力間の意見の相違が大きく、解決には時間がかかりそうだ。

ANCは日本の制裁解除決定に対し、時期尚早との否定的な反応を示した。ロンドンの金融街シティーでは「ANCが企業接収や国有化の可能性を口にしている限り投資はできない」との声が一般的だ。

東銀の山口副頭取は「南アの国内政治が安定するにはあと五年はかかる」と指摘する。それも新憲法の制定と浸透がうまくいっての話だ。投資環境が整うのはさらに先になるかもしれない。南アの政治状況が混乱している理由の一つに南ア経済の低迷がある。だが一方で、経済を活性化するため外資を呼び込むには政治の安定が不可欠だ。一連の経済制裁解除も南ア経済浮上の即効薬とはならないようだ。



 
 
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1991.11.2

南ア外相非公式訪ソへ

朝日新聞

モスクワ支局1日

ソ連タス通信は三十一日、ボタ南アフリカ共和国外相が十一月にソ連を非公式訪問したいと希望を表明したと報じた。ソ連政府高官の発言によるもの。

ボタ外相はモスクワ、サンクトペテルブルク、ウクライナ共和国の首都キエフを十一月の初旬にも訪問する意向。ソ連と外交関係のない南アの外相とクレムリンの公式筋が会見する可能性は強く、今回の非公式訪問が両国間の国交樹立につながるステップとなるかが注目される。



 
 
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1991.11.2

南ア大統領が14日から訪台

日本経済新聞

香港1日=桜井記者

台湾外交部(外務省に相当)は一日、南アフリカ共和国のデクラーク大統領が十一月十四日から十六日まで台湾を訪問すると発表した。ボタ外相らが随行し、台湾の李登輝相当ら当局首脳と国際情勢などについて協議する。



 
 
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1991.11.4

旧黒人居住区で警官ら7人死ぬ 南アで暴動

朝日新聞

ナイロビ5日=五十嵐浩司

南アフリカ共和国ヨハネスブルク周辺の旧黒人居住区ソウェト、トコザ、アレクサンドラなどで二日夜から三日朝にかけ、民家やバス、警察車両が相次いで銃撃を受け、警官一人を含む七人が死んだ。黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)系の南ア労働組合会議は四日から、先月導入された付加価値税に反対してゼネストを計画。保守派黒人政党「インカタ自由党はこのゼネストに強く反対しており、旧黒人居住区を中心に両者の緊張が高まっている。



 
 
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1991.11.5

労働者が衝突15人が死亡 南アでゼネスト巡り

朝日新聞

ナイロビ4日=五十嵐記者

南アフリカ共和国オレンジ自由州のアングロ・アメリカン社所有の金鉱で四日未明、同日から始まるゼネスト参加をめぐり、スト賛成派と反対派の労働者が衝突、十五人が死亡、三十人以上がけがをした。



 
 
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1991.11.5

南アで大規模ゼネスト

日本経済新聞

ロンドン4日=影井記者

南アフリカ史上最大規模のゼネストが四日、同国内の鉱山現場を中心に始まった。十月に導入された付加価値税(VAT)に反対する黒人勢力、アフリカ民族会議(ANC)などの呼び掛けによるもので、鉱山労働者を中心に約三百万人が参加、五日まで続く予定という。ゼネスト突入前夜の三日にはオレンジ自由州のベルコム金鉱山でストに反対する労働者との間で衝突が起き、十五人が死亡、四十三人が負傷した。



 
 
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1991.11.6

NY金、手じまいで反落 南アのスト材料視されず

日本経済新聞

米州総局

五日のニューヨーク金先物相場は反落し、コメックス(商品取引所)で取引の中心となっている十二月ぎりは前日比二・七ドル安の一トロイオンス三五五・四ドルで取引を終えた。

金は朝方は欧州市場の水準を受け継いで小幅高で始まった。一部のトレーダーがケイ線を手掛かりに買いを先行させたが、追随する向きは少なく、手じまい売りに転じると相場は反落。商品ファンドや地場投機筋の売りをきっかけに、「十二月ぎり下値支持線だった三五八ドル台半ばを割り込むと、下げが大きくなった」(シェアソン・リーマン・ブラザーズ)。前日の相場反発の材料になった南アの鉱山労働者ストライキについて、下支え要因とみる向きはほとんどなくなった。



 
 
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1991.11.7

南ア、五輪に復帰 32年ぶり

日本経済新聞

ロンドン6日=影井記者

南アフリカ共和国が三十二年ぶりにオリンピックに復帰することが決まった。南ア・オリンピック委員会(NOCSA)は六日の会合で、国際オリンピック委員会(IOC)の招請に応じ来年夏のバルセロナ五輪に選手団を派遣することを正式決定した。アパルトヘイト(人種隔離)政策に対する制裁の一環として、一九六〇年のローマ五輪に白人選手団を派遣したのを最後にスポーツの祭典から追放されていた南アは、バルセロナ五輪には黒人選手も含む統一選手団を派遣することになる。

IOCは今年七月に開いたNOCSAとの合同会議で、一、アパルトヘイト法の完全撤廃、二、人種別スポーツ組織の統一ーーといった五輪復帰の条件が満たされたと発表していた。南アでは黒人勢力を中心に「五輪復帰は時期尚早」との反対論も根強いが、非白人メンバーも加えて再編成されたNOCSAの実行委員会は全会一致で決定した。



 
 
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1991.11.8

実現にはなお課題 国旗や競技団体の統一

朝日新聞

バルセロナ7日=伊藤千尋

南アフリカ共和国オリンピック委貫会が来年のバルセロナ五輪に選手の派遣を決定したが、同国では使用する国旗をめぐって論争が起きたり、陸上競技団体が統一されていないなど、なお問題を残している。

選手派遣の決定に対して、アパルトヘイ卜(人種隔離)に反対する人権団体は、「まだ差別が完全に撤廃されたわけではない。オリンピック憲章を満たす状態ではない」として、同国チームの五輪復帰を不当と批判した。

一方で、スポーツ担当のピナール国民教育.環境相は、同国の国旗と国歌がオリンピックで使用されず、べートーベンの第九「歓喜の歌」が「統一歌」の代わりになるとの決定について「統一国民の顔をひっぱたくようなものだ」と、不満を表明した。

国論の分裂だけではない。陸上競技団体は依然として人種別に分かれている。南ア五輪委は来年一月までに統一するよう求めているが、亀裂は深く、統一の見通しは厳しい。

こうしたさまざまな問題を抱えてはいるが、選手たちは五輪委の決足を歓迎している。



 
 
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1991.11.9

「第九の代用」非難 南ア大統領が演説

朝日新聞

ナイロビ8日=五十嵐浩司

南アフリカ共和国のデクラーク大統領は七日、与党・国民党のトランスバール州大会で演説し、南アオリンピック委貝会(NOCSA)が来年のバルセロナ五輪参加の際に現行の国旗、国歌の使用を見直し、べートーベンの交響曲第九番「歓喜の歌」を使うとしたことを「誇るべき伝統を踏みにじるもの」と非難。「同委員会には国旗、国歌の使用を決める権限はない」と述べた。

また同委員会が、今世紀初めから南アの象徴となっているスプリングボック(カモシカの一種)に代わるシンボルマークを公募する方針であることにも、強く反対した。



 
 
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1991.11.9

国連の対南ア武器禁輸制裁 「日本含む38社違反」 南ア紙報道

朝日新聞

ナイロビ8日=五十嵐浩司

南アフリカ共和国の有力週刊紙ウイークリー・メールは八日、国連による対南ア武器禁輪制裁にもかかわらず、日本企業を含む三十八企業が南アに武器輸出を行っていた、と報じた。同紙が入手した政府文書に基づくものだ。

同紙によると、国連制裁に違反したのは日本のほか、米、独、英、仏、スイス、イタリア、オーストリア、豪、オランダ、スペイン、ブラジルの企業で、南ア武器公社(ARMSCOR)などに、大規模な武器、、部品、軍用品の売却を行っていた、という。

日本企業ではハイマウント社軍事用双眼鏡六百十五個を輸出したとされるほか、モリ・セイキ(英文の音読み)、丸紅の名前が挙がっている。輸入は、公社関連会社や一般企業を通じて行われ、公社や南ア軍の名前は表面に出ないよう工作。その一例として、丸紅がナタール州の衣料会社を通じて輸出した例が示されている。

丸紅ヨハネスブルク支店は、「古い話のようで、現時点では事実関係はよくわからない。ハイマウン卜社、モリ・セイキという名前にも、心当たりはない」と話している。また、同公社は八○年代半ぱに欧州、南米、アフリカ諸国などに武器、軍備品を売却。特にイラクへは、七千六百キロ分の爆弾、地雷、魚雷、手投げ弾とミサイルなどを輸出した、としている。 制裁実施後は全く輪出なし 森精機社長が否定  工作機械メーカー森精機製作所(本社・奈良県大和郡山市)の森幸男社長はアパル卜ヘイ卜(人種隔離)政策による経済制裁が始まる前までは、ヨハネスブルクに代理店や駐在員を置き、マシニシグセンターと旋盤を輸出していた。輸出時は通産省に届け出ていたし、制裁には協力して、以後全く出していない。納入先ははっきりとは覚えていないが、軍需関係のところはないはずだ。モリ・セイキとあればおそらくウチのことだろうが、工作機械を輸出していただけで、何が武器輪出に関連するのか、全く見当がつかない」と当惑している。 丸紅も否定 丸紅の秋山厚・広報担当取締役は「これだけでは確認のしようがないが、武器輸出などはとても考えられない」と強く否定している。



 
 
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1991.11.9

丸紅のは特殊繊維 輸出規制の対象外 日本総領事館が見解

朝日新聞

ヨハネスブルク8日=共同

ヨハネスブルクの日本総領事館は八日、南アフリカの週刊誌ウイークリー・メールが日本の丸紅などの外国企業が武器の密輸に関与していたと伝えたことについて、丸紅が輸出したのは消防服などに使用される特殊な繊維で、通産省の輸出規制の対象外との見解を示した。

総領事館によると、丸紅側はナタール州の繊維会社に繊維を輸出したことを認めたものの、「南ア武器公社に納入されるとは知らなかった」と説明した。



 
 
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1991.11.9

日本企業などが南アと武器取引 地元紙報道

日本経済新聞

ロンドン8日=影井記者

南アフリカ「ウィークリー・メール」紙は八日、八〇年代に世界の少なくとも三十八社が南アの軍需メーカーとの取引に携わっていたと報じた。取引内容によっては、国連による対南ア武器禁輸決議に反する恐れもある。同紙によると、このなかには日本の丸紅、森精機製作所、ハイマウント社の三社が含まれている。

同紙は、世界で十指に入ると言われる軍需メーカー、南ア・アームスコール社の内部資料を入手したと述べている。同紙が報じた取引企業は、日本のほか米国、英国、ドイツ、フランス、スイス、イタリア、オランダ、オーストリア、スペイン、ブラジルと多岐にわたる。

一部欧米企業の場合は兵器そのものや兵器部品を取引したと指摘しているが、日本の三企業による取引が軍需物資取引にあたるかどうかは不明だ。

秋田厚・丸紅取締役社長室長の話 当社が武器を輸出することはあり得ない話だ。報道された内容について詳細がわからないので何とも言えないが、仮に取引をしていたとしても、武器ではないはずだ。なぜ当社の名前が出たのか調査したい。

森精機製作所森幸男社長の話 武器輸出は、どんな角度から見ても、絶対ありえない。工作機械に関しては大型のマニシングセンター、NC旋盤を七〜八年前まで輸出していた。多い時は年十四、十五台だった。ヨハネスブルクに駐在員を一人置いていた。アパルトヘイト問題が表面化した八年前に駐在員は引き上げ、輸出は完全にストップしていた。工作機械の使用目的については完全には把握できない面もあるが、アームスコール社という社名にはまったく聞き覚えがない。



 
 
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1991.11.12

イスラエルを公式訪問

朝日新聞

ナイロビ支局11日

南アフリカ共和国のデクラーク大統領は10日、3日間の予定でイスラエルを公式訪問。ヘルツォグ大統領との会見で、「民主南アの誕生によっても、両国の友好関係は変わらない」と強調した。

イスラエルは南アと緊密な関係を持っていたが、87年に経済、文化交流などの対南ア制裁に参加、今年7月に解除した。これを受け両国は経済関係の再強化を図る意向で、11月にはソ連訪問を終えた南アのボタ外相とイスラエルのレビ外相が、経済、文化、科学などの分野での協力合意文書に署名の予定になっている。



 
 
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1991.11.12

再び労働者衝突52人死亡

日本経済新聞

ヨハネスブルク11日ロイター

南アフリカの警察当局が11日明らかにしたところによると、南ア・オレンジ自由州にある大手鉱山会社アングロ・アメリカン社の金鉱山で10日夜(日本時間11日未明)、鉱山労働者間の新たな衝突が発生、黒人労働者52人が死亡した。同鉱山で3日以来繰り返されてきた衝突の死者は、これで計89人になった。



 
 
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1991.11.13

対南ア武器輸出を否定

日本経済新聞

南アフリカ共和国の有力週刊誌が丸紅を含む三十八企業が国連の対南ア武器輸出禁止制裁に反して、南アに武器輸出をしていたと報じたことについて、丸紅は十二日、社内調査の結果、武器輸出の事実はなかった、と発表した。



 
 
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1991.11.14

和平結ぶ方法は対話だけ さすが経験者の確信 イスラエル訪問の南ア大統領が助言

朝日新聞

カイロ13日=六分一真史

イスラエル訪問中のデクラーク南アフリカ大統領は十二日、テルアビブで記者会見し、中東和平を成し遂げる方法について「相手がだれでも和平を結ぶ方法は一つしかない。対話を始めることだ」と語った。中東和平会議は、本格的な二国間交渉の開催地などをめぐって、アラブ側とイスラエル側の意見が対立したまま中断している。国内の黒人勢力との対話によって和解への道を順調に進める同大統領は、記者の質問に確信をもって答えた。

デクラーク大統領はまた、イスラエル国営放送を通じて、南アフリカとイスラエルがともに「運命にかかわる重要な歩み」を踏み出している、と語った。そのうえで、両国民がともに「公正な体制の中で、正義を抱いて、平和にやすらかに暮らせる時代が来るよう望む」と期待を述べた。

南アが六月、人種差別法の中で最後に残っていた人口登録法を撤廃した後、イスラエルは米国などの決定に追随して七月に、対南ア経済制裁を中止した。また、制裁中、南アがイスラエルから核兵器を含む軍事技術を提供されている、との疑いが持たれていたが、同大統領は、南アが核不拡散条約に署名したことを強調し、「すべての施設は、査察を受けられる」として、うわさを否定した。



 
 
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1991.11.14

高級車南アで生産 日産、「マキシマ」月500台

日本経済新聞

日産自動車は南アフリカ共和国の現地工場で新たに中型高級車「マキシマ」(排気量三千cc級)の生産を始めた。日本から部品を輸出、現地で組み立てる方式。当面月産五百台を目指す。南アではトヨタ自動車なども乗用車をKD(ノックダウン)生産しているが、マキシマ級の中型高級車の生産に踏み切るのは日系メーカーでは初めて。

南ア政府の人種隔離(アパルトヘイト)政策の廃止決定に伴う西側各国の経済制裁解除で今後自動車市場の拡大が予想され、日産は車種ぞろえの強化で需要拡大に備える。 日産は現地資本一〇〇%の日産サウスアフリカ社(本社プレトリア市)で現在、乗用車はスカイライン、サニーの小型二車種を組み立て生産している。商用車を含めた生産台数は現在月産約三千五百台。新たに生産を始めたマキシマは当初月産百二十台でスタートした。

現地生産車種にマキシマを追加したのは南アでも高級車の需要が徐々に拡大し始めたため。トヨタなど他メーカーに先行するかたちで中型高級車の生産を決めた。現地での販売価格は円換算で五百万円前後とした。日産は南ア国内の二百二十カ所に販売店を持つ。マキシマについても従来の販売網を通じて販売する。



 
 
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1991.11.15

今年のプラチナ6.5トン供給過剰に 英社が中間報告

日本経済新聞

英国ジョンソン・マッセイ社(本社ロンドン)は十四日、「九一年プラチナ中間調査報告書」を発表した。九一年の西側世界の需要量は前年に比べ五%増え過去最高の百二十・七トンに達する一方、供給量は九・七%増加し百二十七・二トンになると予測している。このため六・五トンの供給過剰になるとしており、過剰分は前年の一・一トンを五・四トン上回ることになる。

需要の伸びを支えるのは日本を中心とした宝飾品需要と投資需要。宝飾品向けは七・五%増の四十五・七トンが見込まれ、世界全体の消費量の三八%を占める。一方、供給面では南アフリカ共和国の供給が九十・二トンと前年実績を上回るほか、ソ連の売却が六・五トン増え二十八・九トンに達し供給過剰に拍車をかけるとみている。



 
 
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1991.11.15

南ア大統領、台湾を訪問

日本経済新聞

台北14日=奥村記者

南アフリカ共和国のデクラーク大統領が十四日、台北に到着した。南アフリカと台湾は公式外交関係を持つが、大統領が台湾を訪問したのはこれが初めて。三日間の滞在中に李登輝総統や台湾経済人と会談する。



 
 
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1991.11.16

南アを重点市場に 英貿易相講演

朝日新聞

ロンドン14日=時事

南アフリカ共和国を訪問中のセインズベリ英貿易産業担当相は十四日、ヨハネスブルクでの講演で、今後、南アを英国の重点市場と位置付け、貿易促進策を講じていく方針を明らかにした。

同相は、南アの政治改革進展を歓迎すべき状況と評価。政治的障害が取り除かれたことで、南ア市場への各国の関心が高まっており、英国としても貿易、投資両面のシェア拡大を目指す積極的な戦略を展開していくと強調した。

同相の南ア訪問には、ロールスロイス、ブリティッシュ・エアロスペースなど英有力企業の幹部が同行している。昨年の英国の対南ア輸出総額は十億ポンド(役二千三百億円)近くに達している。



 
 
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1991.11.18

白人進歩派が新憲法でANC同調

毎日新聞

南アフリカの白人進歩派、民主党は16日までに、新憲法草案について、従来の基本姿勢を転換し、アフリカ民族会議(ANC)など黒人勢力に譲歩、1人1票に基づいて選挙を経て新設する制憲議会が草案策定に当たるべきだとする新方針を打ち出した。今月末にも開催される制憲協議会で正式に提起する。



 
 
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1991.11.22

初の制憲協議会来月20日に開催 南アの3者合意

朝日新聞

ヨハネスブルク21日=共同

南アフリカの国民党政府と黒人組織、アフリカ民族会議(ANC)とインカタ自由党の三者は二十一日、新憲法制定問題を話し合う第一回制憲協議会を来月二十、二十一日の両日に開催することで合意した。

制憲協議会では、新憲法制定までの暫定統治問題が最優先議題として協議されることが確実視されており、南アは制憲交渉開始でアパルトヘイト(人種隔離)の完全撤廃に向けた新局面を迎えることになる。



 
 
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1991.11.23

南アとルーマニア国交

朝日新聞

ナイロビ支局22日

南アフリカ共和国を訪問中のナスタゼ・ルーマニア外相と南アのボタ外相は二十二日、正式な国交樹立の合意書に署名、近く大使を交換する運びとなった。両国は今年三月、すでに領事館レベルでの外交関係を始めている。



 
 
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1991.11.27

南ア・キューバも参加 バルセロナ五輪申し込み 19ヵ国は未回答

日本経済新聞

バルセロナ26日共同

九二年バルセロナ夏季五輪の国別参加申し込みが二十五日締め切られ、先に国際オリンピック委員会(IOC)に復帰した南アフリカ、一九八四年ロサンゼルス、八八年ソウル両夏季五輪をともにボイコットしたキューバと朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)など百五十一の国と地域がIOCに対して正式に参加を回答してきたことが明かになった。

五輪憲章では参加招請状の発送から四カ月以内に国別参加申し込みを完了しなければならないとしている。しかし、実際には締め切り後の申し込みも有効で、IOCに復帰したばかりでまだ回答していないエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国などが今後参加を伝えるものとみられる。

ボイコットのない"平和の祭典"を目指すバルセロナ五輪組織委員会(COOB)は、IOCの承認する百七十の国内オリンピック委員会(NOC)すべての参加を希望。大きな政治問題を抱えていない今回は、前回ソウル五輪の百六十カ国(地域を含む)を超す史上最大規模だけでなく、全NOCの参加の実現も可能とみている。

参加を回答した中には、内戦にゆれるユーゴスラビアや湾岸戦争の当事国であるイラク、クウェートなども含まれている。

まだ回答を寄せていないのは、バルト三国のほかアフガニスタン、ブルネイ、ニカラグア、パナマなど十九カ国。



 
 
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1991.11.29

ダンピングで初の調査

朝日新聞

政府は、中国、ノルウェー、南アフリカから輸入された製鋼用副原料「フェロシリコマンガン」の不当廉売で、二十九日ダンピング調査に入る。ダンピングの事実があればダンピング関税をかける。日本ダンピング調査開始は初めて。

フェロシリコマンガンの国内メーカーは日本重化学工業、中央電気工業など四社。業界団体の日本フェロアロイ協会(会長・小林和三日本電工社長)が今年十月八日、大蔵省に対し、輸入フェロシリコマンガンにダンピング関税をかけるよう求める提訴をしていた。



 
 
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1991.11.30

南ア、新憲法へ一歩

朝日新聞

アディスアベバ29日=五十嵐浩司

南アフリカ共和国の新憲法制定交渉の第一歩となる全政党(複数政党)会議の予備会議が二十九日、ヨハネスブルク郊外で始まった。会議は来月二十日開会の予定となっている全政党会議の細目を決める。新憲法制定に向けた交渉は、旧黒人居住区での暴力問題などで足踏み状態が続いていたが、交渉開始に向け大きく動き出した。

会議には白人政権、「アフリカ民族会議」(ANC)など約二十政党・組織が参加した。



 
 
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1991.12.4

「南ア制裁解除徐々に進めて」 マンデラ氏が国連演説

日本経済新聞

ニューヨーク3日=守田記者

アフリカ民族会議(ANC)のネルソン・マンデラ議長は三日、国連総会で演説し、「南アフリカは少数の白人が支配層を占めるアパルトヘイト(人種隔離)体制下にある」と強調、一、暫定政府の設置、二、民主的選挙による新政府の誕生ーーという民主化スケジュールに合わせて、徐々に南アに対する制裁解除を進めるべきだと主張した。



 
 
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1991.12.6

南ア第2の企業会長が貿易相に

毎日新聞

南アフリカデクラーク大統領は4日、同国第2の企業ジェンコー社のデレク・キーズ会長を貿易・産業・経済調整相に任命した。新憲法制定に向けて、「南アには健全な経済発展を企画・調整できる体制が不可欠」としており、南ア財界に改革路線支援を訴えている。



 
 
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1991.12.6

米大統領、マンデラ議長と会談

毎日新聞

ブッシュ米大統領は5日ホワイトハウスで、南アフリカ共和国のマンデラ・アフリカ民族会議(ANC)議長と会談した。マンデラ議長は席上、米国がデクラーク政権に対し、アパルトヘイト(人種隔離)政策完全撤廃と民主化をさらに促進するよう今後も圧力をかkれ続けるよう必要性を訴えた。



 
 
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1991.12.6

米大統領、マンデラ氏と会談

日本経済新聞

ワシントン5日=春原記者

ブッシュベイ大統領は日、南アフリカ共和国の黒人運動組織、アフリカ民族会議(ANC)の最高指導者、ネルソン・マンデラ氏と会談し、アパルトヘイト(人種隔離)政策廃止後の南ア情勢について意見を交換した。

会談後の講演でマンデラ氏は、米政府が今後も南アのデクラーク政権に人権問題で圧力をかけていくことを確約したと述べるとともに、南アへの直接投資を確保するため、開発銀行の設立にブッシュ米大統領が前向きの反応を見せたと語った。



 
 
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1991.12.7

南ア大統領13日訪ソ

日本経済新聞

モスクワ6日=為定記者

ソ連外務省のチュルキン報道官は6日の会見で、デクラーク・南アフリカ大統領が13日からモスクワを訪問することを明らかにした。南アからの申し入れに基づくもので、56年以来の国交断絶状態に終止符を打つ訪問となる。



 
 
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1991.12.12

南アに「対話」の時代

毎日新聞

(海外コラムニストの目)ジム・ホーグランド(米・ジャーナリスト)

私がちょうどネルドン・マンデラ・アフリカ民族会議(ANC)議長とインタビューしている時に、テレビ速報が、ベイルートで米人人質、テリー・アンダーソン氏の解放を報じた。長期拘禁といえば、マンデラ氏は27年間、政治犯として服役した。獄中の年月が、自分をどう変化させたかをたずねてみた。

答えはこうだった。「私が刑務所へ送られた当時、アパルトヘイト(人種隔離政策)の南アで、白いご主人と黒い召使の間の対話は皆無だった。だが、少なくとも服役中は、対話しないわけにはいかない。警官、裁判官、看守とじかに接するからだ。その結果、彼らも我々も、元のままでいられなくなる。彼らは正義が黒人側にあることに気付く。我々もまた、白人の中に『彼らは人間だ。このように扱ってはならない。こんなことしていると、立場が逆になる日が来る』と説く人がいることに気付く」

転換点のマンデラ氏

南アの黒人多数派に対する白人の専制が終わる日が、これほどの早さで近づこうとは、21か月前にマンデラ氏が釈放された当時には、考えも及ばなかった。いま、マンデラ氏が米国の四都市を、あまり目立たずに、急ぎ足で訪問していることは、南アの紛争が新局面に入りつつあることの重要な兆候である。

同氏はニューヨークの国連総会で、南アに民主的で人種差別のない新政権ができるまで、デクラーク大統領の政権に経済的、外交的圧力をかけ続けるよう訴えた。ワシントンではブッシュ大統領と会談した。

だが、その後のピッツバーグとヒューストンへの訪問こそ、南アがいかに大きく変わったかを示すものだ。この二つの経済都市で、マンデラ氏は企業と財団の代表者たちと精力的に会い、アパルトヘイトは廃止後の南ア投資について協議した。

彼は国連演説の中で、国際的経済制裁の段階的な解除を認め、オール・オア・ナッシングの姿勢を微妙に変えた。そして各地の企業グループに対して、新規の南ア投資計画(今すぐ投資せよというのではないが)を勧めている。

マンデラ氏の発言は、重大な心理的転換点が過ぎた事を示している。ANCの指導部は、デクラーク大統領が誠意を持って南アの白人専制を終わらせようとしている。との結論に達したのである。

交渉の成果近い

この20日に始まる憲法制定への全政党予備会議について語る時、マンデラ氏は「情勢は好転している」と、誇らしげに述べた。自分とデクラーク大統領は、相思相愛とまではいかないが、世界で最も長引いた、爆発的な人種対立に幕を引くための、共通の基盤を持っている、と強調した。

「デクラークと彼の国民党の仲間たちは、少なくとも言葉とイデオロギーの面で、アパルトヘイトを放棄した。ANCとは交渉しない、と言い続けていた彼らが、いまやANCの和平イニシアチブに沿って、話あっている」

個々の問題ではまだ多くの不信や相互批判が残っている。だが、マンデラ氏の米国での言動は、交渉の成果が実る時が遠くないことを示している。

デクラーク大統領は、あからさまに認めてはいないが、20日からの予備会議を、国民党、ANC、インカタの連立政権に向けて動かそうとしている。彼は政権の放棄ではなく、分担を望み、そのために交渉しようとしている。

1990年6月の訪米時、マンデラ氏はまだ、デクラーク大統領の意図を疑い、自分の自由を試していた。今回、彼の言葉は、驚くほど自信に満ちている。

デクラーク大統領が自分を釈放したことについて、マンデラ氏は「彼は変革を求める内外の圧力に、もはや抵抗できなかったのだ。彼は正直な人間だ。彼はいくつかの重要な改革を実行した。だが、なすべきことはまだ多く、いま国際社会からの関与をやめることはできない」と語る。

米議会内にも、制裁の段階的解除を求める動きが出ている。マンデラ氏が看守との間ではじめ、デクラーク大統領との間ではじめ、デクラーク大統領との間で続けてきた「対話」は、時代の主流になりつつある。



 
 
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1991.12.12

南ア政治犯120人が帰国

毎日新聞

南アフリカからの報道によると、政治犯として追われ、タンザニアに逃げて難民となっていたアフリカ民族会議(ANC)活動家か120人が11日、ダルエスラームからの直行便でヨハネスブルクの空港に到着した。マンデラANC議長夫人らが出迎えた。国外にいる南ア政治犯は約3万人で、これまでに7000人が帰国している。



 
 
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1991.12.18

PAC、全政党会議をボイコット

毎日新聞

南アフリカ共和国の黒人左派組織、パンアフリカニスト会議(PAC)は16日、今月20、21の両日に開かれる南ア新憲法制定を協議する初の全政党会議「民主南ア会議(CODESA)をボイコットすることを決めた。PACは、「CODESAは、黒人多数派への権力の移譲を保証する民主的な会議ではない」として、会議への不参加を公式に表明した。



 
 
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1991.12.20

中国・南ア、相互に事務所

朝日新聞

北京支局19日

中国外務省は十九日、中国と南アフリカが「民間団体」の事務所を近く相互に開設することを明らかにした。中国が南アに設置するのは研究機関の「南アフリカ研究センター」。南アは韓国と並んで、台湾が国交を結んでいる有力国の一つ。



 
 
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1991.12.20

きょう開催の南ア会議 「インカタ」は不参加 内戦への懸念も

毎日新聞

ヨハネスブルク

南アフリカの人種差別350年の歴史に終止符を打ち、黒人への参政権付与を含む新憲法制定問題を話し合う「民主的な南アを目指す会議」が20日、ヨハネスブルクで国内20以上の政党が参加して開かれる。アパルトヘイト(人種隔離)後に向け、黒人代表も含めた初の歴史的な正式交渉で、、新憲法草案作成や黒人を含めた議会構成を討議するが、黒人保守派有力組織「インカタ自由党」(IFP)のブテレジ議長が18日、出席取りやめを表明し、会議の基盤自体がゆらぎ兼ねない状況だ。

IFPが出席取りやめを表明したのは、同日の準備会議が、IFPの支持基盤ズールー族の元首、ズウェリシニ王が独自の代表団を率いて出席することを拒否したため。ブテレジ議長は18日の決定を「ズールー族の権威を侮辱するもの」と非難した。ズールー族は600万人を擁する国内最大の部族で、参加拒否の場合は会議の決定が拘束力を持たない恐れがでてくる。2日間の討議で単純明快な「一人一票制」が実現すれば南アの歴史的転換点となるが、失敗した場合は内戦になりかねない。



 
 
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1991.12.21

暫定政府へ改憲も民主南ア会議開幕 大統領、演説で提案

朝日新聞

ヨハネスブルク20日=五十嵐浩司

一人一票制の新憲法制定に向け南アフリカ共和国の白人、黒人団体が初めて正式に話し合う、全政党会議「民主南ア会議」(CODESA)が二十日、ヨハネスブルク郊外の世界貿易センターで始まった。南ア政府を代表して同日夕演説したデクラーク大統領は、新毛憲法検討期間の移行措置として、黒人勢力をも含む暫定政府の樹立と全人種参加の議会の設置を初めて公式に提案。この目的に沿って即刻、憲法の一部改正の話し合いを始める用意があることを明らかにした。

今回の会議は二日間の予定で、政府や黒人解放勢力の中心「アフリカ民族会議(ANC)など十九政党・団体が参加。新憲法の基本理念や制定の方法、暫定政府など移行措置を討議する。南ア民主化は、新憲法制定の最も重要な局面を迎えた。

デクラーク提案によると、暫定政府は「全国民を広く代表するもの」とし、憲法改正、新憲法制定を推進する役割を果たす。全人種による議会は、ANCが主張する制憲議会にもなるうる、としている。

参加政党・団体代表演説の中で、マンデラANC議長は、同会議の開催によって南ア民主化の動きが「後戻りできないものになる」と評価した。ANCはこれまで、デクラーク大統領の「民主化はすでに後戻りできない」との発言に反発、「後戻りもありうる」と国際社会に制裁の継続、関係改善の見合せを要求していた。同議長の評価は、ANCと政府の距離がさらに狭まったことを示している。



 
 
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1991.12.21

黒人参政権 受け入れ表明 南ア大統領

日本経済新聞

ロンドン20日=後藤記者

南アフリカ共和国のデクラーク大統領は二十日、同日開幕した民主南ア会議(CODESA)で、「議会に黒人の進出を認める用意がある」と述べ、黒人参政権を全面的に受け入れる考えを公式に表明した。同大統領は「政府をあらゆる人種の代表で構成することが、南アの最大の利益になることを確信している」と述べ、黒人参政権を中心とする憲法改正を早急に進める考えを表明した。



 
 
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1991.12.22

住む家を持たない南ア黒人を救おう カレンダー販売で支援 アフリカ行動委員会

朝日新聞

南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離)に反対する市民グループ、アフリカ行動委員会が、来年のカレンダーを作製した。売り上げの一部を、南アのホームレスの黒人の福祉活動に寄付する。

カレンダーは、縦八十五センチ横五十五センチ。ホームレスの男の子が夜風に吹かれている版画の横に、「ANTI-APARTHEID」(反アパルトヘイト)の文字が印刷されている。版画は、同委員会のカレンダー作製に毎年協力している画家、降矢洋子さんの作品だ。

同委員会によると、南アのアパルトヘイト体制を支えてきた、最後の人種差別基本三法は六月で失効したが、強制移住で黒人から収用した土地は返還されず、都市周辺の空き地にバラックを建てて住んだり、住む家を持てない黒人が多い、という。「法律は失効しても、実態としてのアパルトヘイトは残っているんです」  売り上げの一部は、こうした人たちを支援する活動に充てる。

一部千円、送料別。十部以上は二割引きで送料無料。カレンダーの申し込み・問い合わせは、東京都渋谷区恵比寿四の五の二三の三〇六、アフリカ行動委員会(電話〇三ー三四四三ー九七七五)



 
 
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1991.12.24

新憲法制定来年末にも

マンデラ議長

毎日新聞

ヨハネスブルク22日

南アフリカ最大の黒人組織「アフリカ民族会議」(ANC)のマンデラ議長は21日、2日間の「民主的な南アを目指す会議」を終えて会見。「新憲法は来年のクリスマスまでに制定できると確信している」と述べ、全人種に開かれた参政権導入など、南ア政府の速やかな対応を促した。



 
 
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1992/01/8

ポール・サイモン南ア公演 「反対」「歓迎」で論議 制裁解除の是非からみ

朝日新聞

ナイロビ7日=五十嵐浩司

南アフリカ共和国への文化交流制裁解除を受け11日から始まる米歌手ポール・サイモンの南ア公演が、南ア国内で論議を呼んでいる。アフリカ主義の強硬派「パンアフリカニスト会議」(PAC)は4日声明を発表し、民主政府樹立まで制裁は継続すべきだとして「何らかの行動を取る」と警告。一方、南ア政府、「アフリカ民族会議」(ANC)、インカタなどは公演歓迎で論陣を張る。大物芸能人としては制裁解除後、初の南ア入りとなるため、公演の行方が注目されている。

PACは、去年11月、南アで開くかれたプロテニスの国際大会に反対し、コートに石や鉄片を投げ入れた。また最近、武力闘争を激化させている。

PACの警告に対し、ボタ外相は同日、「もし何かが起きたら、南アの不名誉となるだろろ」とPACを非難。ANCのムベキ国際局長も同日、公演の招へい元に書面を送り「民主南ア実現の目的理解に役立つ」と改めて支持を表明した。ポール.サイモンは数年前、南ア入りし、地元音楽家とアルバムを作製。米国の音楽界の一部から「制裁破り」と非難を受けた。本人にはアパルトヘイト(人種隔離)反対の意図が曲解された、との思いがあるといわれる。



 
 
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1992/01/11

南アに新天地 東欧技術者

暮らし、ずっと楽に「左うちわ」は幻想だったが

毎日新聞

ヨハネスブルク福井聡

東欧の変革にともなって、技術者不足に悩む南アフリカが、専門職を持った移民を大量に受け入れたといわれる。国内で黒人の技術者を育てる代わりに、東欧から白人技術者を受け入れる「新たな白人優位主義製作」として、黒人側から猛反発を受けた。東欧の技術者はどういう経緯で南アに入り、その後どういう暮らしに落ち着いたのか――。

「祖国の経済は破綻状態。若く有能な人々は次々に国を出ている。ブルガリアにとっては多大な損失だが、私も自身と家族の将来を考えざるを得なかった」。内科医、ガンチェフさん(35)が、妻と共に首都ソフィアの東500キロにある故郷ドブレッチを出たのは昨年9月初め、ある病院から採用通知を受けていた。

ブルガリア国内は経済、社会が混乱していた。医師の月給1400レバ(約9000円)に対し、バス運転手は3000レバ。共産党員でなければ博士号を取得したり、出世したりするのは難しく、外国旅行の規制は異常に厳しい。第一、病院で薬や機材が極端に不足しており、寒い冬に三時間おきに停電し、暑い夏には断水が続いた。

出国先を南アと決めたのは、医師の免許が受け入れられたからだった。西欧各国はまったく無理で、米国、カナダは資格再認定が非常に厳しかった。ヨハネスブルク市内で見つけた公立病院の職は、当初5か月のインターン中は月収1500ランド(約7万5千円)だが、その後倍増予定で、家具付きのアパートが貸与された。

公立病院のため黒人の黒人の患者が多いが、ガンチェフさんは「医師にとっては肌の色など無関係。これまでの祖国での暮らしが経済的に異常で、ここでやっと落ち着け、研究や家族との団欒が楽しめます。」と笑顔を見せた。

やはりブルガリアは黒海沿いのバルナ出身の電気技師、デネフさん(34)=仮名=は今も希望の職探しに悪戦苦闘中。バルナ市のトローリーバス管理極次長のポストにいたが、共産党員でなく、党員の対抗馬が現われ、職を脅かされ始めた。三年間休みなく働いた分、二か月休暇を取ってヨハネスブルクに出た。

バルナでは、南アについて「白人幻想」というべきうわさが流れていた。アパルトヘイト(人種隔離)政策の中で、「白人技術者には国が家、車を与え、左うちわの暮らしができる」と。来てみてすぐに、それが幻想だと分かった。医師とコンピューター技師を除いて南アでの職探しは容易ではなく、市民権を取る前にまず労働許可証、さらに居住許可証を取らなければならなかった。

デネフさんは電気技師の職が見つかるまでのつなぎで、タクシー運転手となった。

労働許可証は知人に金を借り、専門のヤミ市場で500ランド(約2万5千円)で買った。毎日12時間、週7日の勤務で月収三千ランド。物価が違って正確に比較できないが、バルナ当時の20か月分になる。月900ランドのホテル住まいで、好きな服を買い、好きなものを食べて暮らしていける。

「あと一、二か月で居住許可証を得て職をみつけたら、バルナに残した妻子を呼ぶ。私にとってここは三、四十年前の米国のようだ」とデネフさんは目を輝かせる。

ブルガリア、あるいは東欧全体からの南アへの正確な移住数統計はないが、一説にはブルガリアの約150人を筆頭にポーランド、ハンガリー、旧東独が上位に並んでいるといわれる。ただ南ア側から組織的に技術者を引き抜いたというより、経済力の低い地域から高い地域へと自然に流れたようで。白人専門職の海外流出に頭を悩ます南ア政権には願ってもない機会となった。



 
 
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1992/01/14

南アで全人種参加の投票提案

朝日新聞

南アフリカ共和国のデクラーク大統領は24日、人種別3院制議会(白人、カラード、インド系)の開会演説で、新憲法制定に向けた移行措置として、黒人を含む暫定政府設立、議会の全人種への開放を提案。この実現に向け、参政権のない黒人を含む全人種による国民投票の実施を呼びかけた。しかし、移行措置はあくまで一部手直しを含む現行憲法に沿って行われるべきだと強調、黒人勢力の主張する現行憲法の停止、制憲議会設置に反対した。



 
 
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1992/01/22

中国外相、南ア入り ボタ外相と会談

朝日新聞

北京21日=和気靖

21日の新華社電によると、アフリカ諸国歴訪中の中国の銭其 (きたん)外相が20日、ナミビアへ向かう途中に南アフリカのヨハネスブルクに立ち寄り、空港内でボタ外相と会談した。中国の外相が、南ア入りして、政府首脳と会ったのは初めて。



 
 
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1992/01/25

南ア大統領 国民参加暫定政府めざし 国民投票を提案

朝日新聞

ケープタウン24日=五十嵐浩司

南アフリカ共和国のデクラーク大統領は二十四日、人種別三院制議会(白人、カラード、インド系)の開会演説で、新憲法制定に向けた移行措置として、黒人も参加する暫定政府設立と議会を黒人にも開放することを提案。その是非を問うため、参政権のない黒人を含む国民投票の実施を呼びかけた。一人一票制の新憲法制定前に、黒人に初めて政治参加の道が開かれることになる。しかし、移行措置一般はあくまで一部手直しを含む「現行憲法に沿って行なわれるべきだ」と強調、黒人勢力の主張する現行憲法の停止、制憲議会設置に反対した。

黒人勢力を含む暫定政府樹立、議会の全人種への開放は、同大統領が昨年十二月に開幕した全政党会議「民主南ア会議」で示したものだが、その時点では、現行憲法で規定されている有権者による国民投票の意向を示していた。

黒人解放勢力の中心「アフリカ民族会議」(ANC)は、現行憲法の改正による暫定政府を長期間続けることは、「白人権益の擁護につながる」と批判しているが、同大統領は「移行措置の期間の長さは、暫定政府、議会の意向による」と期間の特定を避けた。また、全人種による国民投票には黒人有権者名簿の作成などが必要で相当の時間がかかると見られ、実施時期についても言及を避けた。

新憲法制定や暫定政府樹立、議会開放などの移行措置では、民主南ア会議が決定の実権を持っており、国民投票を実施するかや、詳しい内容も同会議で検討される。議会の討議も同会議の進行を踏まえつつ行なわれることになるが、移行期間中も現行憲法の順守が前提になるとして「民主南ア会議は合意の場。決定は議会による」と強調。このためにも、全人種参加による民主的な議会の設立が必要、と述べた。



 
 
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1992/01/25

即時樹立を要求しデモ ANC

朝日新聞

ケープタウン24日=五十嵐浩司

南アフリカ共和国の黒人解放勢力「アフリカ民族会議」(ANC)は、黒人を除く人種別三院制議会初日に二十四日、議会のあるケープタウンで集会「人民議会」を開き、ウォルター・シスル副議長が「白人政府は、民主化に関する複雑な言葉遊びを続け、権力の維持を図ろうとしている」と批判。民主的な暫定政府の即時樹立で、新憲法制定の動きを促進するよう要求し、集会後数千人が市内をデモ行進した。

また強硬派黒人解放組織「パンアフリカニスト会議」(PAC)は、ANCの民主南ア会議参加などを不満として、独自に集会を開いた。マクエツ議長が「民主南ア会議は野合の暫定政府に向かいつつある」として、制憲議会賛成、反対両派に分かれて討議する新会議の創設を提案した。



 
 
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1992/01/25

南アの日本総領事館 来月1日、大使館に

朝日新聞

政府は二十四日の閣議で、南アフリカのプレトリアにある日本総領事館を二月一日付で大使館に格上げする施行令を決めた。



 
 
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1992/01/25

南ア大統領、ANC議長が来月欧州訪問

日本経済新聞

ロンドン24日=影井記者

南アフリカのデクラーク大統領と黒人運動指導者のマンデラ・アフリカ民族会議(ANC)議長は二月上旬、それぞれ欧州を訪問する。両氏は国連教育文化機関(ユネスコ)平和賞の受賞が決まっており、三日にパリで開かれる同賞受賞式に出席するのが主目的。デクラーク大統領は英国、スイスも訪問、マンデラ氏はスイス、デンマークなどを訪れ、それぞれの立場から各国の協力を訴えるとみられる。



 
 
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1992/01/25

南ア大統領「黒人参加の暫定政権を」

日本経済新聞

ロンドン24日=影井記者

南アフリカのデクラーク大統領は二十四日、九二年度白人議会の開幕にあたり演説し、「黒人の投票権を認め、黒人の参加する暫定政権を設立する用意がある」と述べるとともに、「暫定政権下で黒人が議会の議席を持つことを歓迎する」と表明した。初の黒人投票権は、新憲法制定のための国民投票で実行することになる見通し。ただ国民投票や暫定政権樹立の時期や具体的な方法については触れなかった。黒人運動組織のアフリカ民族会議(ANC)は年央には暫定政権を設立するよう求めている。

一方でデクラーク大統領は、国民投票の結果については白人に拒否権があるとしており、黒人の政治進出に根強く反対している白人保守層にも配慮した。



 
 
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1992/01/27

南アのデ・ビアス社 モスクワに事務所

日本経済新聞

ロンドン26日=欧州総局

世界のダイヤモンド原石の八〇%を供給する南アフリカのデ・ビアス社の海外事業部門の子会社デ・ビアス・センティナリはモスクワに駐在事務所を開設する。ロシアのダイヤモンド産業との結び付きを一層固め、同産業の長期的な安定に一役買う意向だ。

同社の中央販売機構(CSO)は、旧ソ連とこれまでも三十年以上にわたって直接、または間接的にダイヤモンド原石を取引している。同地域のダイヤモンドの生産量は公表されていないが、年間一千四百万ー一千五百万カラット程度といわれている。そのうち同社との取引額は年間約十億ドル。

九〇年七月に同社は旧ソ連のダイヤモンド組織グラバルマツォロト(現在のロスアルマツォロト)と五年間の販売協定を結んだ。

協定にはロシアのダイヤモンド産業の発展を援助する十億ドルの融資が含まれている。担保はロンドンのCSOに保管されているダイヤモンド原石。



 
 
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1992/01/31

政治的暴力による死者3割減

朝日新聞

ナイロビ支局

91年の政治的暴力による死者数は、前年より3割減ーー南アフリカ共和国の中立機関「人種関係研究所」が29日に発表したところによると、デモ規制、テロ、組織間衝突等による南ア国内での昨年の死者数が、前年を大幅に下回っていることが分かった。死者数は2672人で、昨年末から減少傾向が続いており、「今年の死者はさらに半減する」との予想を示している。



 
 
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1992/02/6

南ア大統領が東欧3国歴訪

日本経済新聞

ウィーン5日=小林(省)記者

南アフリカのデクラーク大統領が5日、ハンガリーを訪問した。同大統領は続いてチェコスロバキア、ポーランドも訪れ、二国間の経済関係強化などについて各国首脳と協議する。東欧三国は自らの民主化と南アの改革を受け91年までに南アと外交関係を結んだが、大統領を迎えるのは今回が初めて。



 
 
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1992/02/8

南ア亡命者が事故死

朝日新聞

ナイロビ支局7日

ヨハネスブルクの国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、タンザニアで6日、UNHCRによる帰国便に乗るためダルエスサラーム空港に向かっていた南アからの亡命者14人が、交通事故で死亡した。



 
 
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1992/02/21

民主化の是非問う国民投票

日本経済新聞

ロンドン20日=影井記者

南アフリカのデクラーク大統領は二十日、同大統領が進めている民主化路線の是非を問うための国民投票(白人が対象)を近く実施すると表明した。「国民投票で支持が得られなければ、内閣は総辞職する」とも述べた、来週初めに正式な日程を発表する。



 
 
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1992/02/25

ロシア、南アと外交関係改善へ

日本経済新聞

モスクワ=24日池田(元)記者

ロシア外務省のチュルキン情報局長は二十四日、記者会見し、コズイレフ外相が二月二十六日から三月一日までアンゴラ、南アフリカ、エジプトの三国を歴訪すると発表した。特に南ア訪問の際には、外交関係正常化や経済協力を中心とする二国間関係の発展問題を協議するとしている。



 
 
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1992/02/28

ロシア、南アと外交関係樹立

日本経済新聞

ロンドン27日=影井記者

南アフリカとロシアは二十八日、外交関係を樹立する。南ア訪問中のコズイレフ・ロシア外相とボタ南ア外相が同日、大使交換の合意文書に調印する。南アと旧ソ連は一九五六年に断交したが、南アの民主化を受けて昨年十一月に利益代表部の設置に合意、互いに領事を派遣していた。



 
 
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1992/03/3

南アの五輪参加承認へ

読売新聞

国際陸連(IAAF)の幹部が1日、ジェノバで語ったところによると、IAAFのネビオロ会長を含む代表団が四月に南アフリカ共和国を訪れ、南アの陸上三団体の統合を確認したうえで、バルセロナ五輪参加を承認する見通しという。(ロイター)



 
 
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1992/03/5

南ア 暫定政府を樹立へ 作業部会合意 黒人閣僚含む

日本経済新聞

ヨハネスブルク4日共同

南アフリカのデュプレシ蔵相は四日、各人種、党派間で新憲法制定問題を協議する「民主的な南アを目指す大会」(CODESA)の作業部会が、新憲法制定までの移行期間の政治形態について、CODESAが任命した閣僚で編成する暫定政府を樹立することで合意したこと明らかにした。

南ア政府は従来、暫定政府は選挙で選出された暫定国会を母体として編成されるべきだと主張してきたが、この作業部会での合意は、黒人組織、アフリカ民族会議(ANCの主張に大幅に歩み寄ったものになっている。

この結果、黒人閣僚を含む暫定政府が早ければ今年前半にも成立する見通しが出てきた。

暫定政府問題の作業部会に政府代表として出席している蔵相は、この合意は参加政党本部の承認を経たうえで、四月初めとみられる第二回CODESA会合で正式決定されると述べた。  蔵相はまた、黒人を閣僚に任命するため、現行憲法と法律の改正が必要だ述べるとともに、 現在の大統領制度の変更もあり得るとの見解を示した。



 
 
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1992/03/6

NZ・南ア産 羊毛上げ足急

日本経済新聞

オーストラリア羊毛相場の一段高を受けて、ニュージーランド(NZ)、南アフリカ共和国産羊毛の競売価格も上昇してきた。NZ羊毛の市場指標価格(MI)は一キロ四九四NZセント(一NZセント=約〇・七二円)と年明けの競売再開時に比べて七一セント(一六・七%)、南ア産も同一、四七六南アセント(一南アセント=約〇・四五円)と二一四セント(一七%)高く、ともに上げ足を速めている。

NZ羊毛は豪州産と違って雑種の太番手が中心。主にニット糸やカーペット原料に用いられる。昨年二月のフロアプライス(最低支持価格)制度の崩壊後に競売価格は急落。それに伴って牧羊家の生産意欲が減退し、特に成育に手間のかかるラム(子羊)の供給が大幅に減った。昨年秋ごろから紡毛糸を使った手編み調セーターなどの人気が高まってラムの引き合いが増え、価格が急伸している。



 
 
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1992/03/6

駐南ア初代大使に太田氏 大阪担当に谷口氏

日本経済新聞

政府は六日の閣議で、駐南アフリカ初代大使に太田駐プレトリア総領事、大阪担当大使に谷口駐イスラエル大使を充てること決め、同日付けで発令した。太田氏は人種隔離(アパルトヘイト)政策への制裁の一環として領事関係にとどめていた南アと一月に正式な外交関係を樹立したことから、プレトリアの総領事館を大使館に格上げしたのに伴い、昇格する。



 
 
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1992/03/12

海外在住者の投票始まる

朝日新聞

ナイロビ支局11日

南アフリカ共和国の改革路線への賛否を問う白人有権者信任投票の海外在住者投票が11日、各国の南ア大使館、利益代表部などに設置された63投票所で始まった。



 
 
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1992/03/14

改革不支持なら混乱招くと警告 国民投票でANC議長

日本経済新聞

ヨハネスブルク13日共同

南アフリカの黒人組織、アフリカ民族会議(ANC)のマンデラ議長は十三日、外国報道陣を前に記者会見し、デクラーク政権の改革を是非を問う十七日の白人国民投票で「反対」の結果が出た場合は、南アはかつてない混乱と対立へ向かうと強く警告した。  議長は、アパルトヘイト(人種隔離)体制は既に破壊され、南アには国民全員が民主的な権利を享受しうる新国家の道しか残されていないと強調。目標に向かって前進するか、後退するのかの選択だと述べ、白人有権者に賛成票を投じるよう求めた。



 
 
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1992/03/16

南ア大統領次男とカラード女性 「人種を超えた恋」実らず

朝日新聞

ヨハネスブルク15日=五十嵐浩司

南アフリカ共和国で人種隔離政策改革の象徴ともてはやされていたデクラーク大統領の次男ウィレムさん(二五)と、非白人女性エリカ・アダムスさん(二五)の婚約は破綻したーー十五日の南ア紙サンデー・タイムズは、エリカさん自身の話としてそう伝えた。友人らの話から大統領夫妻、とりわけマリケ夫人の反対が破綻の原因になったとしている。

二人は八九年、ケープタウンの技術系準大学で知り合った。ウィレムさんはその後、英国に留学、エリカさんも後を追って一緒に暮らし始め「人種を超えた恋」が発覚した。

エリカさんは、カラード(混血、インド系を除くアジア人)政治家の娘で、カラード美人コンテストの女王に選ばれたこともある。

エリカさんが友人に明かした話として、九〇年末には大統領夫妻が、昨年八月には大統領が、二人を呼び「この関係がだれの利益にもならない」と、”忠告”した、と同紙は報道。大統領自身は、この関係が大統領の政治的な経歴を傷つけると懸念した、ともいう。

エリカさんによると、ウィレムさんは両親からの「圧力」に悩み、先月婚約を解消し別れることで合意したらしい。



 
 
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1992/03/16

政治暴力の死者増える 南ア

朝日新聞

ケープタウン15日=五十嵐浩司

南アフリカ共和国で十五日、旧黒人居住区で暴力事件が続き、ヨハネスブルク南のカトレホンでは五人が後ろ手に縛られ殺害されているのが見つかった。同日朝には、他に三人の死体が発見された。

またヨハネスブルク北郊のアレクサンドラでは十四日、保守派黒人政党「インカタ自由党」系住民の葬儀に参列したインカタ支持者と警官隊が銃撃戦となり、その後インカタ支持者の住む単身出稼ぎ者用住宅付近で、四人の遺体が見つかった。



 
 
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1992/03/17

改革問い「白人投票」 南ア きょう実施 国民党優位動かず 反対派も追い上げ

朝日新聞

ケープタウン16日=五十嵐浩司

アパルトヘイト(人種隔離)体制の改革続行にイエスかノーかーー南アフリカ共和国の白人有権者信任投票は十七日、行われる。改革推進の与党・国民党優位は動かないが、反対する保守党・極右勢力も、白人浮動層の「アフリカ民族会議」(ANC)や社会主義に対する反感を取り込み、後半で追い上げてきた。ANCのマンデラ議長は、改革が否定されれば闘争を激化させ「内戦になる」と警告、白人有権者に賛成投票を求めている。

南アの政治、経済、文化、スポーツなど各分野の多くの団体が、賛成投票支持を表明。各新聞も「なぜ賛成すべきか」を説く。それでも、キャンペーン後半で改革反対勢力が支持を伸ばしているのは、白人側に「黒人支配」への不安が高いことを示す。

大統領は当初、「暫定政府樹立後に、その賛否を問う白人投票を」と考えていた。しかし、情報省の世論調査の結果、白人の六八%が「民主南ア会議」での話し合いによる改革を支持しているにもかかわらず、黒人勢力を含む暫定政府樹立については、半数以上が反対を表明した。

政府とANCは、すでに四月に予定される第二回民主南ア会議全体会議で暫定政府を樹立することで内々に合意しており、暫定政府樹立後の信任投票は不利と判断、補欠選挙の大敗を受けて、一気に白人信任投票に打って出たのだった。

国民党は白人五百万人の四割を占める英国系の多くと、本来の地盤であるオランダ系アフリカーナーの半数近くの支持を集めると見られ、「賛成投票は六割弱」との見方が強い。

信任を得られれば政府は、新憲法制定へ一気に進むことが出来る。

逆に「改革反対」となれば大統領、内閣は辞任、総選挙に追い込まれる。



 
 
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1992/03/18

南ア白人投票、1400カ所で実施

朝日新聞

ケープタウン17日=五十嵐浩司

南アフリカ共和国の白人有権者三百三十万人が、アパルトヘイト(人種隔離)体制改革の続行か否かを決める信任投票が十七日、全国約千四百投票所で行なわれた。投票は午後九時に締め切られ、十八日朝から開票、最終結果は同日午後一時(日本時間午後八時)ごろに判明の見込み。



 
 
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1992/03/19

南ア白人投票 改革信任が7割弱 大統領が勝利宣言 黒人参政権へ前進

朝日新聞

ケープタウン18日=五十嵐

南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離)体制改革続行の是非を問う白人有権者の信任投票は18日開票され、改革賛成が68.7%を占めた。デクラーク大統領は同日午後、「地滑り的大勝」を宣言。改革反対の保守党は敗北を認めた。白人社会は、人種差別の完全解消以外、南アが生き残る道はないと改めて選択したことになる。現政権が改革推進への正式な信任を得たことで、全政党会議「民主南ア会議」を舞台とした黒人参政権を認める新憲法制定作業の進展が期待される。

賛成投票は192万4186票、反対派87万5619票。15投票地区のうち保守派の牙城トランスバール州北部のピータースプルグ地区で反対票が57%を占めたほかは、賛成投票が過半数を占め、特にヨハネスブルク、ケープタウン、ダーバンなど大都市で賛成票が八割前後を占めた。

デクラーク大統領は同日午後、ケープタウンの議会前で「南アの歴史上、最も重要な転回点。アパルトヘイトの最終章が閉じられる」と勝利を宣言した。当初の予想を上回る支持率で、デクラーク政権の改革路線は地盤固めに成功した、といえる。

保守党は賛成投票を求めるマスコミの「偏向報道」などを理由に投票方法に不満を表明。今後の対応が注目される。

最終投票率は85.7%で、有権者の高い関心を示した。



 
 
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1992/03/29

南ア旧黒人居住区で銃撃

朝日新聞

ナイロビ支局28日

南アフリカ共和国ヨハネスブルク北郊の旧黒人居住区アレクサンドラで28日、マイクロバスに乗った男が無差別に銃撃。少なくとも住民2人が死亡した。



 
 
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1992/03/30

暫定政府樹立など南ア大統領案ANCが拒杏

朝日新聞

ナイロビ29日=五十嵐浩司

南アフリカ共和国の黒人解放勢力の中心「アフリカ民族会議」(ANC)のマンデラ議長は、二十九日付日曜紙サンデー・スターに対し、デクラーク大統領が先の全政党会議「民主南ア会議」で明らかにした暫定政府、全人種議会設置の提案を拒杏すると述べた。反対の理由として同議長は「大統領案は、黒人側との権力分担で暫定政府を十年ほども続けようとしている」とし、ANCとしては十八カ月以上の暫定政府は考えていないとした。



 
 
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1992/03/30

南ア新体制 少数派も参加させて 新しい差別生まないために

読売新聞

「エコノミス卜」誌3月21日号特約 西田和也訳

今月十七日に行われた南アの国民投票で、白人はアパル卜へイトのない社会をめざす改革に庄倒的な支持を示した。今後の改革論議には可能な限りの勢力が参加するよう働きかけるべきだと英誌は指摘する。

白人たちがついに発した言葉は、大多数の南ア黒人だけでなく、世界が聞きたがっていたものだ。「イエス」ということにより、そして、あれほど多数がそういうことにより、白人は、彼らだけが南アを代弁する人間ではないと確約した。彼らは、デクラーク大統領に対し、輝かしい勝利とともに、人種差別のない民主主義の創設に向かってまい進するよう一点のまぎれもない信任を与えた。しかし、白人が政冶の舞台から身を引いたわけではない。改革への道のりに横たわる障害を一掃したわけではない。大きな障害ではあるが、数ある障害のうちの一つを取り除いたにすぎないのだ。

次の任務は、暫定政府の樹立と新憲法の起草である。アフリカ民族会議(ANC)のマンデラ議長が獄を出て以来早くも、経済的衰退と政治的不安定、黒人居住区での暴力の二年間が過ぎた。黒人には、いまだに参政権がない。彼らが何らかの政治権力を今すぐ望むのは理解できる。しかし、速度だけがすべてではあり得ない。交渉は公正で、肌の色や政治的立場にかかわらず、将来にわたり、すべての南ア国民にとって有益な合意に至るものであるべきだ。それゆえ、即効を求める誘惑は避けなけれぽならない。

その誘惑は現に存在する。デクラーク大統領とマンデラ議長は、それぞれ別個に対決よりも対話を選ぶことを決定したが、その決定を正当化するために、二人は互いを必要としている。両氏が率いる国民党とANCは、二人にとってかなり強固な後ろ盾である。それだけに、両氏が南ア国民の多数派の名の下に働いて取引し、それを少数派グループにいやおうなく認めさせるのは、実際いともたやすいことだろう。

最近流された文書を含め、ANCと国民党の連立に向けた暫定政権と官法制度の青写真がすでに存在しているという兆候もある。この連立こそ、黒人と白人を問わず、他の勢力が最も恐れるものだ。この連立政権は、南アを際限なく支配することになりかねない。

そして、支持者の黒人と白人のために、国民党が長い間アフリカーナー(南ア生まれの白人)のためにしてきたような誘惑にかられるかもしれない。

ANCも国民党も、非の打ち所がないといえる民主的な過去をもっているわけではない。他の勢力に対し、そういった連立など考えていないとすすんで確約すべきだ。早けれぽ六月には、現在の議会が、新議会のための自由選挙を準備する「スーパー内閣」を指名するかもしれない。いくつかの党派と何人かの政治家が、これまで交渉をボイコッ卜しており、この特別内閣の外に置かれたままになる恐れもある。その中には、白人右派と黒人左派のメンバー、そしてインカ夕自由党のブテレジ議長が含まれる。これまでの交渉が依然として順調な軌道に乗っていることを国民投票が示した今、できるだけ多くのグループに参加するよう働きかけるべきだ。

いまのところ交渉の外にいる者の間に、改革を止めるほどの力を持つ者はない。国民投票の結果、「ノー」という立場で共闘してきた保守派たちも分裂すると思われる。白人だけの州を主張するため、話し合いに参加するだろうが、その一部の恐らく最後まで抵抗するボーア人(初期のオランダ系移民)たちが、不満を抱く警官や軍将校に支持を呼びかけるかもしれない。黒人左派も、交渉失敗を望んでいるようだ。パンアフリカニス卜会議とアザニア人民機構は、ANCの「妥協的な」戦術に対する不満感の増大を待ち受けている。

右でも、左でも、新秩序形成に参加しない者は、後になってその正統性に挑戦することに、何も気がとがめることがない。まさにそれが、可能な限り多くの少数派グループを交渉に参加させることが不可欠である理由だ。(そうすれば)最終的には、ブテレジ議長もボーア人農民も、新憲法が中央政府から地方に権力を分散させ、一定の地方自冶を可能にするものだと確信するにちがいない。

南アは多くのアフリカ諸国同様、少数民族.部族からなる国家であり、その全員が互いに好意を抱いているわけではない。新体制の成功に対する一定の利害関係を各グループに持たせることが、一つにまとめ上げる唯一の方法かもしれない。



 
 
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1992/03/30

国営シンガポール航空のシンガポール ー ヨハネスブルク間の定期便運航が二十九日開始された。運航回数は週二便。

日本経済新聞

シンガポール29日=ロイター

両国間の国交は樹立されていないが、シンガポールのゴー首相、南アのボタ外相が最近、相互訪問し、シンガポール側が石油など南アへの禁輸措置を解除するなど接近を強めている。



 
 
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1992/04/1

制憲議会選挙に黒人の参加同意 南ア政府

朝日新聞

ナイロビ31日=小沢勝

南アフリカのヘリト・フィリューン憲法開発相は三十日、アパルトヘイト(人種隔離政策)体制終結後の南ア新憲法制定について、初めて黒人が参加する選挙による制憲議会設立に政府も同意する、と発表した。



 
 
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1992/04/1

南ア 暫定政府と制憲議会成立 来月合意の見通し

朝日新聞

ケ一ブタウン31日=五十嵐浩司

南アフリカ共和国の新憲法制定に向けた全政党会議「民主南ア会議」の作業部会は三十日、第二回全体会議を五月十五、十六両日、ヨハネスブルクで開くことを決めた。第二回全体会議では、暫定政府樹立、制憲議会の形態や選出時期などで合意する見通しで、一人一票制の新憲法実現への大きな転回点となる。

全体会議は当初、三月末に予定されていたが、白人有権者信任投票の実施や、各作業部会で続く暫定政府などの細部の詰めのため五月開催となつた。

制憲機関について政府は、一人一票制による下院、地域代表の上院の二院制による「暫定議会」の設置を提案。黒人解放勢力の中心「アフリカ民族会議」(ANC)は、「上院が白人や反ANCのホームランド(黒人部族別居住地域)代表に強い権限を与える」と反対。一院制の「制憲議会」の設置を求めている。

しかし、暫定政府に関しては、その選出方抵、設置期間などを巡り、政府とANCの間で妥協点が模索されており、暫定政府の形態を含め「政府、ANCの距離は、確実に縮まっている」(モコズマANC広報担当.全国執行委貞)。このため、各作業部会が原案作りにこぎ着け、第二回全体会議で承認されるのは間違いない。会議では同時に、ホームランドの南アへの再統合でも結論を出すと期待されている。



 
 
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1992/04/1

南ア・ナイジェリア首脳会談

朝日新聞

ナイロビ支局31日

南アフリカ共和国大統領として初めてナイジェリア入りしたデクラーク大統領は10日、同国のババンギダ大統領と会談。記者会見で「外交関係を、早い段階で樹立できることを望む」と述べた。



 
 
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1992/04/3

ラグビー大国南ア、復帰へ 来月に欧州へ遠征8年ぶり国際舞台

朝日新聞

世界のラグビー関係者の目は南アフリカへ注がれている。三月二十日に人種に関係ない新統合組織、南アフリカラグビーフットボールユニオン(SARFU)が誕生。アパルトヘイ卜(人種隔離)政策反対のため、各国が自粛していた交流を復活するからだ。八年ぶりに「ラグビーの巨人」が国際舞台へ帰ってくる。

本格的国際交流は一九八四年、イングランドが南アを訪れたのが最後。昨年いわゆる人種差別三法が撤廃され、ラグビーでも分立してきた組織の協議が進展。白人系組織の南アフリカラグビーボードと非白人系組織の南アフリカラグビーユニオンが統合し、復帰を実現する。

南アのラグビーはW杯第二回大会優勝のオーストラリアに過去21勝7敗、第一回チャンピオン、ニュージーランド(NZ)には20勝15敗2分けをはじめ、イングランド、ウェ一ルズ、スコットランド、アイルランド、フランスの強豪を含め、同国代表同士のテストマッチすべてに勝ち越している。交流自粛のために力は落ちているといわれるが、依然トップクラスの力。

AP、AFP、ロイターの外電によると、六月か七月にニュージーランドが南アへ遠征。テストマッチを含め、4、5試合が行われる予定。八月に世界チャンピオン豪州が南アを訪れ、4試合(テストマッチ1)を行う。

両国を迎える準備として南アは五月にルーマニア、イタリアへ。南アの代表チームが海外へ出るのは八一年のNZ、アメリカ遠征以来。秋には十月から十一月にかけてフランス、イングランドを訪れる。



 
 
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1992/04/4

南ア・ユーゴ、国交樹立

朝日新聞

ナイロビ支局3日

南アフリカ共和国外務省は2日、南アとユーゴスラビアが外交関係樹立で合意したと発表した。当面、利益代表部を設置、正式な文書を交換後、全面的な外交関係を結ぶ、という。



 
 
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1992/04/6

マンデラ氏ついに夫人と別居 新たな暗殺計画疑惑浮上 英紙報道

読売新聞

ロンドン5日=本池滋夫

英紙サンデー・タイムズは5日、ヨハネスブルク特電として、マンデラANC(アフリカ民族会議)議長が、ついにウィニー夫人と正式別居することになった、と伝えた。殺人、誘拐、暴行などの容疑で、現在保釈中のウィニー夫人にANC幹部暗殺計画など、新たな嫌疑がかけられているためで、夫人は今後、ANCとの関係をはじめすべての政治活動からも身を引くものとみられている。

反アパルトヘイト(人種隔離)闘争にてい身するマンデラ議長にとって、ウィニー夫人との関係はかねてからの悩みの種。現在、係争中の事件に関しても頭を痛めてきたが、夫人の側近が新たな嫌疑を暴露したため、ついに意を決したものと、サンデー・タイムズ紙は伝えている。

「ウィニー夫人は完全な精神分裂症だ。これまでは何とか彼女を守ろうとしてきたが、自分の命までねらわれ、もう我慢できない」と言う側近の証言によると、夫人は今でも「暗殺部隊」を組織しているという。



 
 
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1992/04/7

南ア大統領が近くナイジェリア訪問

朝日新聞

ナイロビ6日=五十嵐浩司

ナイジェリアの大統領府は6日、南アフリ力共和国のデクラーク大統領が9日、2日間の公式訪問のためナイジェリア入りすると発表した。ナイジェリアはアパルトヘイト(人種隔離)に反対するアフリカ諸国のリーダーの一つで、南ア首脳の訪問は初めて。首都アブジヤで、アフリカ統一機構(OAU)の議長を務めるババンギダ大統領と会談する予定。



 
 
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1992/04/7

カナダ外相、南ア訪問

朝日新聞

ナイロビ支局6日

カナダのマクドーガル外相は5日、公式訪問のため南アフリカ共和国入りした。地元の報道によると、カナダから外相クラスの高官が南ア訪問するのは約30年ぶり。



 
 
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1992/04/8

対南ア制裁 石油も解除 ECが決定

朝日新聞

ルクセンブルク7日

欧州共同体(EC)は6日間開いた理事会で、85年から続けてきた南アフリカ共和国に対する石油禁輸措置の解除を決めた。

ECの決定は南アの国民投票でデクラーク政権の人種隔離(アパルトヘイト)政策廃止に向けた動きが支持されたことを受けたもの。

ECはすでに経済制裁のうち、新規投資の禁止や鉄鋼、金貨の輸入禁止措置は解除しており、これで対南ア経済制裁は武器などの禁輸だけとなった。



 
 
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1992/04/12

南アフリカ 「海外旅行大国」日本に期待 改革でイメージ向上「ビザ不要」呼び込み

朝日新聞

ワールドビュー ヨハネスブルク=五十嵐浩司

南アフリカ共和国が、ちよっとした観光ブームに沸いている。政治の民主化、各種制裁の解除で、海外かららの観光客が増加。ホテルやレジャー施設の建設が盛んだ。政府、業界はさらに誘致、受け入れ態勢整備に熱を入れる。特に極東の「海外旅行大国」日本へのまなざしが熱い。

南アは雄大な自然と、西欧並みに整った施設で、これまでも西欧や台湾から観光客を集めていた。しかし、アパルトヘイト(人種隔離)体制が障害になって、観光資源の豊かさの割には訪れる人は少なかった。ところが、90年2月のデクラ一ク大統領演説に始まった改革の進展で、各種制裁の多くは取り払われ、南アのイメージも向上した。この結果、昨年1月〜10月の観光客は115万人と、前年同期に比べて約六割増。昨年12月には、クリスマス旅行客の増加で前年の2.5倍にもなった。

90年の観光収入は25億ランド(約1200億円)で、国民総生産の1%に過ぎない。南ア観光協会はこれを「世界平均の5.5%まで高めたい」としており、2000年までに、年300万人を目指す。

この最大の標的が、年約900万〜1000万人が観光で海外に出る日本だ。

日本政府の対南ア渡航自粛要請は、昨年6月に解除された。昨年、南ア入りした日本人はビジネス、観光を合わせ約7500人。大手を含む観光業者は以前から要請を無視して南アヘ団体客を送りこんでいたが、解除後も「微増」にとどまっている、という。

しかし、南ア観光の将来性には日本側も注目、すでに数年前から大手業者の南ア進出の動きがある。現地に邦人が経営する日本人用の旅行代理店も出来た。

南ア政府は昨年四月、一方的に日本人はビザ不要とし、日本からの呼び込みを図った。観光協会も英国が作った日本人客接待の手引きを焼き直して、ホテルなどに配っている。

だが、依然残る障害は、旧黒人居住区の暴力事件や犯罪の多発。また、日本の反アパルトヘイト団体は「白人地区だけ見る槻光では」と強く反対を続けている。

しかし、数年内には黒人も参加する「民主政府」が出来るのは確実。ある業者は「これまでの金、ダイヤなどの地下資源に代わって、21世紀には自然の『美しさ』が南アを潤すでしょう」と話している。



 
 
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1992/04/12

非白人地区で初の政治集会 南ア大統領

朝日新聞

ナイロビ11日=五十嵐浩司

南アフリカ共和国のデクラーク大統領は11日、将来の全人種選挙に備え非白人層の与党・国民党への支持を高めるキャンペーンを開始、ケープタウン東部のカラード(混血、インド系以外のアジア人)地区を訪問して集会を開いた。南ア大統領が、非白人地区で政治集会を開くのは初めて。カラードでは国民党支持率が高く、同大統領は支持者の歓迎を受けたが、一部反対派が演壇に投石、演説は中止となった。

このキャンペーンは、3月の白人信任投票で国民党の改革路線が支持されたのを受けて計画されたもの。



 
 
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1992/06/16

黒人を直撃する干魃被害 南ア・オレンジ自由州 農場解雇、都市部に流入

朝日新聞

特派員報告 五十嵐浩司

アフリカ東部、南部で日照りによる被害が深刻化しているが、南アフリカ共和国でも「今世紀最悪」といわれる干魃が、底辺の貧しい黒人を直撃している。白人農場での仕事を失い、都市周辺に流れ込む黒人労働者が後を絶たない。民主化の波も、この人々までは届かない。干魃が最もひどく、保守的なアフリカーナ(オランダ系白人)農民の牙城でもあるオレンジ自由州に、被害の実態を見た。

「これで1ランド(約50円)にはなるね」。マリ・テナさん(74)は、今日の「収穫」を地べたに広げ、満足そうに言った。なべのふた、たきつけ用の木切れ、水のプラスチックボトル……。

そばで息子の妻が幼児をあやしながらうなずく。これから2人で、これを売りに行く。これはオレンジ自由州の州都ブルームフォンテーン南郊のごみ捨て場。500メートル四方ほどの荒れ地に、清掃車が次々とごみを運び込む。



 
 
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1992/06/30

ガリ国連総長近く南ア訪問

朝日新聞

ナイロビ支局29日

南アフリカ共和国の外務省は28日、ガリ国連事務総長が近く南アを訪問する、と発表した。ヨハネスブルク南の不法居住者地区で起きた襲撃事件と、これを理由とした黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)の新憲法制定拒否問題で、打開策を検討するため。



 
 
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1992/07/17

特別代表を南アに派遣 安保理決議

朝日新聞

ニューヨーク16日=村野英一

国連安全保障理事会(15カ国)は16日、南アフリカ共和国の暴力問題について公式協議を開き、住民虐殺事件で途絶えた「アフリカ民族会議」(ANC)と南ア政府との対話を再開させるために、国連事務総長に特別代表の南ア派遣を求める決議を全会一致で採択した。ボタ南ア外相は同日、バンス元米国務長官に内定している特別代表を受け入れる考えを示した。



 
 
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1992/08/8

ガリ事務総長、南アへの監視団派遣を提案

朝日新聞

ニューヨーク7日=外岡秀俊

国連のガリ事務総長は七日、安全保障理事会に対し、南アフリカ共和国での抗争終結と和平協定の実施を図るため、三十人規模の監視団を同国に派遣するよう提案した。

ガリ事務総長は提案の中で、昨年九月に三十余の団体が調印した抗争終結のための和平協定の実施を図ることが、現段階では最も賢明であると協調。和平協定の実施機構を強化するため、和平協定事務局と密接に協力しながら、和平プロセスの監視にあたる国連要員を送るよう提案した。監視団の規模は約三十人としているが、必要があれば欧州共同体(EC)など他の国際的機関がさらに人員を送るよう求めている。



 
 
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1992/08/8

南ア現職閣僚が暗殺に関与か

朝日新聞

ナイロビ支局7日

南アフリカ共和国の中立系スター紙は7日、フロック矯正相が法秩序省と国防省の次官だった1985年、東ケープ州の活動家マッテュー・ゴニウェ氏ら4人の活動家暗殺事件に関与した疑いがある、と伝えた。

スター紙は、東ケープ州の検事長がフロック矯正相の関与を示唆する文書を入手したとしている。



 
 
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1992/08/8

南ア勢がマラソンに 3人 復帰で実現国際舞台

朝日新聞

バルセロナ7日=武藤いずみ

アパルトヘイト政策への制裁のため、南アフリカ国内でしか走ることのなかった三人の黒人ランナーが、九日に行われるバルセロナ五輪男子マラソンで「未知の力」として注目されている。南アチームは、一九六〇年のローマ五輪以来三十二年ぶりに参加を認められた。

三人の中で一番若いアベル・モキベ選手(二七)は、五輪が二回目のマラソンとなる。一回目の国内選考レースで、いきなり2時間11分7秒の記録で優勝した。シトウレ・シンクエ選手(二九)、ヤン・タウ選手(三二)も11分台。「マラソンが好きというわけではなかったが、道具がなくても簡単にできるスポーツが、走ることだった」とモベキ選手はいう。

電気製品工場の工員として働く。三月の国内選考レースで、年収とほぼ同額の賞金を手に入れた。弟の学費と、腰を骨折した母の治療費に充てたという。「自分がランナーとして走れる時期と、五輪参加が重なったのは幸福だ」  タウ選手は開会式で旗手を務めた。「生きている間に五輪に出られるとは夢のようだ」という。炭鉱のスポーツクラブでトレーナーをしている。

三人は開会式直前、真冬の南アフリカから太陽が照りつけるバルセロナへ来た。「暑さと、国際レースに慣れた選手たちの駈け引きにどう対処するかが勝負になる」と話ている。



 
 
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1992/08/18

南ア監視団派遣を決議

朝日新聞

ニューヨーク17日=外岡秀俊

国連安全保障理事会(15ヵ国)は17日午後、南アフリカ共和国の抗争終結と和平協定の実施を図るため、緊急に監視団を派遣するというガリ事務総長の提案を認める決議案を、全会一致で採択した。



 
 
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1992/08/23

南アとナミビア共同管理

朝日新聞

ナイロビ支局22日

ナミビアからの報道によると、同国と南アフリカ共和国は21日、領有権を争っていたナミビア内の港湾都市ウォルビスベイを共同管理することで正式に合意。ウォルビスベイはナミビア内で唯一の良港とされ、英国から領有権を譲り受けたと主張していた。



 
 
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1992.9.4

東京貴金属 軒並み上昇 金は海外堅調・円安を映す

日本経済新聞

東京の貴金属先物は四日、軒並み上昇して始まった。シドニー市場で金が前日と比べて一トロイオンス二ドル近く高い三四〇ドル台で寄り付くなど国際相場が堅調に推移していることを映した。ロコ・ロンドン市場では八月の米雇用統計の発表を控えて売り方の買い戻しが先行、東京市場もつれ高となっている。小幅ながら円安・ドル高に進んでいることも強材料。

南アフリカ情勢が緊迫してきたことも値を押し上げた。アフリカ民族会議(ANC)が南ア政府と民主化交渉を再開しないと発表したことから、これまで下値を試してきた海外のディーラーは強気に転じている。  白金(プラチナ)は日経平均株価が続伸したことも材料となったが、「個人投資家の反応は今一つ鈍い」(商社)という。



 
 
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1992.9.4

ANC、新憲法交渉再開せず

朝日新聞

ナイロビ支局3日

南アフリカ共和国からの情報によると、黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)は3日夕、政府との新憲法制定交渉を当分再開しないとの声明を発表した。声明は前日まで3日間開いた全国執行委員会の決定に基づいており、政府側から譲歩を得るため、交渉とは逆に大衆抗議行動を強化するとしている。



 
 
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1992.9.5

南ア企業とサハ共和国 ダイヤと金で合弁会社

朝日新聞

モスクワ4日=共同

インタファクス通信によると、世界のダイヤモンド原石市場をほぼ独占している南アフリカのデビアス社と、ロシアのサハ共和国は3日、同共和国に折半出資で合弁会社「ポリャールナヤ・ズベズダ(北極星)」を設立し、ダイヤモンドの研磨事業とネジュダニンスク金鉱山の共同開発で合意した。合弁会社の資本金額は不明。

合弁会社は、年間10万カラットのダイヤを研磨し、その一部をデビアス社が国際市場で販売する。デビアス社はすでにサハ共和国のダイヤ原石輸出の10%を同社経由で販売することでも合意している。



 
 
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南ア保守党首が病気で急死

日本経済新聞

1993年4月23日 夕刊

【ヨハネスブルク22日共同】南アフリカの白人右翼野党、保守党のアンドリース・トリューニヒと党首(72)が22日、心臓病のためケープタウンの病院で死亡した。保守党は南ア議会第二党で、最近までデクラーク国民党政権の進める人種融和政策に強く反対してきた。

ハニ南ア共産党書記長暗殺事件に関して、保守党患部が相次いで逮捕されているこの時期に同氏が急死したことで、同党の政治的影響力の後退は必至となった。



 
 
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1993/9/5

南アの少数派集団

毎日新聞

[冷戦後の世界]第4部 挑戦するイスラム/47(ダーバンで福井聡、写真も)

◇「祖先の地」返還求めるが…

亜熱帯の湿気に包まれる南アフリカ・ダーバン。港を見下ろす白人住宅街・キングズレストにそのモスク(イスラム礼拝堂)はあった。通りに面して何の表示もなく、周囲から身を隠すようにこの百年余、ひっそりと祈りをささげてきた。イスラム僧のヨアヒブ・モハメッド師(68)とその家族だけが暮らし、日に五回の祈りを欠かさない。

ダーバンには十数万人のインド人が住み、強力なイスラム社会を築いている。しかしその片隅に、歴史の流れにかき消されそうな東アフリカ・ザンジバル出身者のイスラム社会があった。モハメッド師の祖先たちが前世紀末、不思議な巡り合わせでこの地にたどり着いたのだ。

一八三三年、英国が奴隷制度を廃止した時点で、タンザニア沖合のザンジバルは、奴隷仲介・積み出しの拠点だった。制度廃止の直後、百十三人の奴隷を積んだ密貿易船の一隻は送り先に困り、当時港湾開発が始まり労働力が不足していたダーバンに五年契約で送り込んだ。

契約が切れると、その間五百人に増えていたこの一団はキングズレストに定着。ザンジバル時代と同様に海で漁をし、野菜と果物を栽培。周囲の土地四三エーカー(約一七ヘクタール)を購入し、モスクを建て、平和に暮らした。彼らの出身地はザンジバルからタンザニア、モザンビーク北部に及んでいたが、イスラムという精神的支柱でまとまっていた。

一九六〇年前後、白人政府のアパルトヘイト(人種隔離)政策導入で、彼らは白人居住区となったキングズレストを追われ、北西郊外のチャツワースに強制移住させられた。元の土地は「集団地域法」によって没収された。彼らは黒人だったが、宗教や食生活など生活習慣が南アの黒人と大きく異なった。このため白人政府は「人口登録法」による彼らの人種区分に困り、インド人、カラード(混血)、そして「その他のアジア人」と二転三転させた。どの区分にも属さない少数派だったことで、人種隔離制度の矛盾が露呈した。

九一年二月、集団地域法や人口登録法などアパルトヘイト根幹法の廃止が宣言された。そして、チャツワースに移り住んだ若い世代から「祖先の地を取り戻そう」との声が上がり始めた。アルファ・フランクさん(37)たちは「ザンジバル市民協会」を結成し、市当局に土地返還を求めた。しかし過去三十年間に、もと持っていた土地のほとんどが白人の私有地となり、残る空き地五エーカーも「南ア国鉄高齢者協会」に払い下げられた。この協会は国鉄退職者用住宅建設を計画しており、返還は難しい情勢。

「四三エーカーとは言わない。残った五エーカーだけでも戻れば、移り住む。今もモスクと墓は残っており、我々は死んで初めてキングズレストに帰るしかない。こんな不合理はない。あの地は我々にとって特別の意味を持つ」。フランクさんは叫び続ける。

「アラーフ・アクバル(神は偉大なり)」。モスクでモハメッド師が午後の祈りを始めた。毎週金曜日には大勢集まるというが、この日の信徒は若者三人だけ。「私はここで生まれ、アパルトヘイト中も墓地を守り、死者とともにここで暮らした。今こそ全員が戻り、一緒に暮らしたい」。師の夢の実現ははるかかなたにある。=つづく

【南アフリカの宗教】

白人とカラード(混血)の大半、そして黒人の約80%がキリスト教徒。アジア系(インド人、約90万人)は70%がヒンズー教徒、20%がイスラム教徒、10%がキリスト教徒。ザンジバル系イスラム教徒はチャツワースに約4000人、そのほかに数千人で通常統計に表れない。



 
 
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南ア“人種融和”後の初の選挙、保守強硬派も参加へ 政府とANC、心理作戦が奏効

毎日新聞
1994年1月5日
ケープタウンで福井聡

 今春以降五年間の人種融和暫定政権を定めた南アフリカの暫定憲法が昨年末、ついに採択された。制憲交渉を脱退してきた保守強硬派「自由同盟」は直前に修正案を提出して憲法案に賛成する動きをみせたが、結局交渉に不参加のまま。しかし、自由同盟が四月に予定されている初の全人種参加選挙に参加するとの見方は根強い。新生・南アの胎動を現地に探った。

 「交渉には希望がもてる。南アの未来に向け全勢力の合意は可能だ」。先月二十二日の暫定憲法採択の二日前、自由同盟(五団体の連合体)のクロニエ事務局長は交渉復帰を強くにおわせ、国会周辺には楽観論が広がった。

 自由同盟の要求は「地方分権の明確化・自治権強化」で、暫定憲法に修正案を盛り込んで合意が成立する見通しが生まれていた。

 同じ日、自由同盟の中核団体・白人保守派「アフリカーナー国民戦線」(AVF)のフェイリューン議長は、最大黒人組織「アフリカ民族会議」(ANC)のズマ副書記長と初の共同会見に臨み、「双方は戦略的な暫定合意に達した。明日調印する」と発表した。これは、暫定憲法下でオランダ系白人アフリカーナーに独自の領土と自治権を認める大枠での合意成立を示唆していた。

 ところが翌日、フェイリューン議長は「調印は延期」と発表。結局二十二日の採択は修正なしで行われた。

 関係者の証言によると、クロニエ事務局長との交渉の場で、ラマフォサANC書記長は前日とは対応を変え「自由同盟参加五団体全指導者の暫定憲法順守の署名」を求めたという。ANCとAVFはほぼ妥協が成立していたが、ANCはより強硬な白人「保守党」と黒人「インカタ自由党」の署名を迫ったわけだ。同事務局長はこれには応じなかったものの、ぎりぎりで破談は回避し、一月二十四日まで結論が延期された。

 政府・ANC側は、黒人も入居でき中央政府とも連携するとの条件で「プレトリア周辺にアフリカーナーの自治領設置容認」まで譲歩したが、これをオレンジ自由州にも要求する保守党と、ズールー族の黒人自治領を求めるインカタ自由党は応じず、政府・ANC側はAVFだけとの単独合意によって自由同盟内の分断戦略に出たと見られる。インカタ自由党に対しては、昨年末発足した「暫定執行評議会」を通じてズールー族領内への治安警察派遣を決定しており、対決姿勢を崩していない。

 「二月二日に党大会を開いて候補者の最終リストを確定する。国民党は(ANCをしのいで)与党の座を獲得すると信じる」。復帰交渉が暗礁に乗り上げていた二十一日、デクラーク大統領(国民党党首)は四月の選挙に向けたキャンペーン計画を発表した。復帰交渉の成否にかかわらず選挙準備を進め、自由同盟に「乗り遅れまい」と考えさせる心理効果は小さくない。選挙に参加しない場合、四月以降の新生・南アへの公的発言権を失うことになり、自由同盟も最後には妥協する公算が大きい。(この記事には図「南アの新地方区分図」があります)



 
 
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合意条件に選挙参加 南ア 保守派5団体が発表

毎日新聞
1994年1月6日
ヨハネスブルク5日福井聡

 南アフリカの保守強硬派五団体からなる「自由同盟」は四日、「連邦制などをめぐる交渉で合意が達成されれば、四月の選挙に参加する」と公式に発表した。昨年末の交渉では、交渉で合意した際の選挙参加の確約を求めた政府・アフリカ民族会議(ANC)側に対し、自由同盟側はこれを拒否していた。



 
 
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統合軍事司令会議を設立 南ア

毎日新聞
1994年1月6日
ヨハネスブルク5日福井聡

 南アフリカで四月に実施される自由選挙の推進母体「暫定執行評議会」(TEC)は四日、南ア史上初めての黒人司令官を含む人種融和の「統合軍事司令会議」を設立した。

 同会議には、現在の南ア国軍と最大黒人組織「アフリカ民族会議」(ANC)の軍事部門「民族のやり」、さらに黒人ホームランドのベンダ、トランスカイの軍司令部が参加、選挙前に「新南ア軍」設立を目指す。



 
 
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イラン、南アと国交回復

日本経済新聞
1994年1月7日
テヘラン6日=松尾博文

イラン政府は5日の閣議で南アフリカとの外交関係を回復することを承認、外務省に対して必要な手続きをとるよう命じた。



 
 
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[ビデオパラダイス]マチネー☆サラフィナ!

東京読売新聞
1994/1/8

 南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策に抗して立ち上がったヨハネスブルクの高校生たち。ブロードウェーのヒットミュージカルの映画化。舞台でも同じ役を演じたレレティ・クマロが主演、ウーピー・ゴールドバーグが生徒たちに慕われる教師を演じている。実話に基づいたドラマチックな物語が、歌や踊りを交えて軽快に描かれる。ダレル・ジェームス・ルート監督、92年。(東宝、97分)



 
 
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インカタ、南ア議会選不参加

日本経済新聞
1994年1月9日
ナイロビ8日=共同

南アフリカからの報道によると、黒人右派勢力インカタ自由党(IFP)は7日夜の中央委員会で、4月に実施される南ア初の全人種参加の制憲議会選挙をボイコットすることを決議した。



 
 
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マンデラ氏「予定通り選挙」

朝日新聞
1994年1月10日
ナイロビ支局=8日

ヨハネスブルクからの報道によると、南アフリカ最大の黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)のマンデラ議長は8日、ヨハネスブルクで演説し、今年4月に予定されている南アで初めての全人種参加選挙を右派組織の反対に屈せず予定通り実施することを強調した。マンデラ議長は、ズールー族主体の黒人右派組織「インカタ自由党」(IFP)が7日に選挙のボイコットを示唆したことを受けて演説した。

マンデラ議長は「だれも選挙を中止できないことを明らかにしておかねばならない」と述べるとともに、白人右派組織が主張している白人のための準独立国家「白人ホームランド」の建設にも反対の姿勢を明確にした。



 
 
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[サラーム・ジャンボ]いでよ南ア映画

毎日新聞
1994年1月14日
(ヨハネスブルク・福井聡)

 年末年始にかけヨハネスブルクで当たりを取った映画は「ミセス・ダウトファイアー」だった。米サンフランシスコを舞台にしたコメディーで、客席は爆笑の渦。一緒に笑い転げながら考えた。

 映画は、子供とは仲がいいが大人の社会に適応できない俳優の夫に愛想を尽かした妻が離婚を宣言。子供たちから離れられない夫が英国人家政婦に女装して連日家に通うという筋。夫役のロビン・ウィリアムズは生粋のコメディアンで七色の声を使い分け、妻子にも気付かれず家政婦役を演じる。題名は、別居後、家政婦募集に電話で応募した夫が名前を聞かれ、手元の新聞の見出しにあった「不審火」としたことに由来。観客をけむに巻く筋とダブる。

 腹を抱えて笑い、時にしんみりと涙をそそる展開に南アの観衆は引きずり込まれた。その情景を見ながら、映画の世界と南アの白人社会の日常に差が少ない点に気付いた。同じ英語圏の新大陸で、生活様式や生活水準も近く、夫婦の離婚・裁判が日常茶飯事となっていることもそっくりだ。

 逆に、南ア人があまりに米国映画に浸り切っている姿が気になった。白人政権から黒人政権に移る、これほど大きな社会変革期に、米製映画一辺倒で南ア国内から世界に問うような映画が生まれてこない。米国とは富の全体規模が違い、映画産業にまで手が回らないのか、政治・経済にばかり熱中し、文化に縁遠いのか。「手のかかる物は買えばいい」という輸入体質が根底にある気もする。

 翻って日本映画界。相変わらず「絶滅の危機」と評される中、「月はどっちに出ている」の新聞評が抜群にいい。南アでは見られないが、赴任前に原作を読み感動した覚えがある。少数人種の哀楽をテーマにした快作が、多人種社会の南アでなく、均質に近い社会の日本から出てきた点が興味深い。ほんの一本でもそんな映画を生む祖国が、少し誇らしく思えた。



 
 
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南アのANCが政党登録へ

朝日新聞
1994年1月14日
ナイロビ支局13日

南アフリカ共和国の黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)は13日、最大多数の黒人が初めて参政権を得る4月27日の新憲法制定議会選挙に向けて、今月中に政党登録を行なうと発表した。



 
 
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交渉打ち切りの方針表明

毎日新聞
1994年1月15日
ヨハネスブルク共同

南アフリカの保守派黒人組織インカタ自由党のブテレジ議長は13日、政府および改革派黒人組織アフリカ民族会議(ANC)と続けてきた民主化交渉を打ち切るとの方針を表明した。 南アフリカ共和国の黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)は13日、最大多数の黒人が初めて参政権を得る4月27日の新憲法制定議会選挙に向けて、今月中に政党登録を行なうと発表した。



 
 
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景気回復に沸く南ア 制裁解除に金価格上昇… 新政権の安定がカギ

毎日新聞
1994年1月15日
ヨハネスブルク14日福井聡

 黒人を含む初の自由選挙が四月に実施される南アフリカが、景気回復の朗報に沸いている。アパルトヘイト(人種隔離)政策への経済制裁が解除されたことと国際市場の金価格が上昇に転じたためで、株価も高値を更新。四月の選挙で発足予定の黒人を中心とする新政権にとって、新国家建設にまたとない機会となっている。

 南ア国内の大資本「サンラム」のジョアン・ロウ主任研究員は、今年の南アの経済成長率を二・〇 二・五%(昨年一・〇%)と推定し、五年来の不況脱出を宣言している。その理由として(1)昨年中に主要経済制裁が一斉に解除された(2)その結果、国際通貨基金(IMF)・世銀の融資が流入(3)インフレ率が低下(4)金価格が高騰し、株式市場に外国の投資が流入 の各要因を挙げ、景気回復への好循環に乗りつつあるとしている。

 国際金価格は過去一年間一オンス当たり三百五十ドル前後を低迷してきたが、昨秋から上昇気流に乗り、現在、同四百ドル突破を目前にしている。これに伴い、ヨハネスブルク株式市場は年明け早々から、特に米国筋からの優良金鉱山関連株への投資に沸き、一日当たりの取引額が過去最高を記録した。また、IMF融資の流入も、南ア経済に心理的好影響を及ぼしている。

 しかし、景気回復傾向が持続するかどうかは、四月選挙以降の新政権が取る経済政策いかんにかかわってくる。新政権の中枢を握るとみられる最大黒人組織、アフリカ民族会議(ANC)は、特に五割に迫る黒人失業率の打開に「経済効率を無視した雇用創出策を打ち出すのでは……」との懸念も広がっている。

 また、現在四月選挙をボイコットしている保守強硬派、自由同盟の動向も関心の的。選挙不参加のままでは暴力抗争再燃が懸念され、国外からの投資熱に水を差す結果となってしまう。



 
 
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南アへの選挙監視団派遣を公式に表明 外務政務次官が大統領に

毎日新聞
1994年1月15日
ヨハネスブルク14日福井聡

 南アフリカを訪問中の東祥三外務政務次官は十四日、デクラーク大統領と会談した。東次官は四月に実施される南ア初の自由選挙に「日本としてできる貢献をしたい」と、選挙監視団を派遣する意向を公式に伝えた。

 会談はプレトリアの大統領府で行われ、同大統領は四月選挙について「必ず成功させたい。だれが大統領になろうと連合政権の中で自分は重要な役割を果たしていく」と述べた。日本との関係では「南アは長期的にはアフリカの日本を目指す」と関係強化を求めた。

 選挙監視団派遣については、ボタ外相が「日本からの監視団には暴力抗争が起こり得ないような投票地区に展開するよう特に配慮する」と述べた。



 
 
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南ア政府への武力闘争停止 急進黒人のPAC

毎日新聞
1994年1月17日
ヨハネスブルク16日福井聡

 南アフリカの急進黒人組織「パンアフリカニスト会議」(PAC)は16日、白人政府に対する武力闘争を停止すると発表した。

 PACの下部組織「アザニア人民解放軍」(APLA)は1961年から武装闘争方針を掲げており、南ア警察は昨年末にケープタウンのパブで白人9人が死傷した無差別テロなどについてAPLAの犯行として捜査している。



 
 
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暴力事件の死者25%増 黒人組織の抗争中心 昨年の南ア

朝日新聞
1994年1月19日
ナイロビ18日=村上伸一

 南アフリカ共和国からの報道によると、同国で起きた暴力事件の死者は昨年、計四千三百六十四人にのぼった。一昨年の死者三千四百九十九人に比べ、約二五%増えた。最大多数の黒人が初めて参政権を得る今年四月の新憲法制定議会選挙を自由で公正なものとするためには、暴力事件の沈静化が緊急の課題だ。

 暴力事件に関する独立系調査機関「人権委員会」が十二日、発表した。

 デクラーク大統領がアパルトヘイト(人種隔離)政策の撤廃方針を発表し、黒人解放組織を合法化した四年前から、こうした暴力事件による死者は一万四千人を超える。

 死者のほとんどは黒人で、ヨハネスブルク郊外の旧黒人居住区や東部ナタール州に集中している。黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)と黒人右派組織「インカタ自由党」(IFP)の支持者同士の抗争が中心だが、一部は白人極右集団が裏で画策しているとの見方が強い。昨年の死者の中には、警察や軍の治安要員二百五人と、黒人極左集団に襲われた白人五十五人も含まれている。

 同国では昨年、一日平均十一人を超すこうした暴力事件のほかに、その四倍の死者が強盗などの刑事犯罪で発生している。

 こうした暴力事件や犯罪の急増に対しては、白人主体の現政府だけでなく、選挙まで政府の政策決定を監視する黒人主体の「暫定執行評議会」(TEC)でも、対策の見通しが立っていない。



 
 
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南アの保守白人組織、独自政権を準備 自由選挙参加の折衝が難航

毎日新聞
1994年1月21日
ヨハネスブルク20日福井聡

 南アフリカのオランダ系保守白人組織「アフリカーナー国民戦線」(AVF)は十九日、アフリカーナーによる暫定政権を二十九日にプレトリアで設立し、ハーツェンベルク現保守党党首を初代大統領に選出することを決めた。AVFは四月二十七日の自由選挙の参加の是非をめぐり政府・アフリカ民族会議(ANC)と最終折衝を続けているが、妥協が難しいとみて独自政権設立の準備に入ったとみられる。

 決定によると、AVFは二十九日に国内から五千人の代表団を集め、ハーツェンベルク氏を大統領とする暫定政権を設立。政府・ANCなどが既に発表した四月選挙の前にアフリカーナーによる選挙を実施し、独自国家を築くとしている。

 独自国家の領土などは確定しておらず、二十九日に設立される暫定政権の議会で協議する。

 AVFは黒人右派「インカタ自由党」など他の三団体とともに「自由連合」を結成し、政府・ANCと四月選挙参加の是非などを交渉中。十九日から最終折衝に入ったものの、AVF内の強硬派は合意は無理とみている。

 交渉の最大の焦点は、四月選挙以降の新生・南アでアフリカーナー(白人=AVF)とズールー族(黒人=インカタ)にそれぞれの民族自決権を認めるか否か。政府・ANC側は、人種ごとに完全な主権を持つ独自国家・領土は認めない方針だ。



 
 
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マンデラ議長、名簿1位に ANCが全国区候補者発表 南ア選挙

朝日新聞
1994年1月22日
ナイロビ22日=村上伸一

 南アフリカ共和国からの報道によると、黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)は二十一日、全人種が初めて参加する四月末の新憲法制定議会選挙に向けて、下院の全国区候補者二百人を発表した。上位陣はマンデラ議長を筆頭に、ラマフォサ書記長、ムベキ全国委員長、ANCと連合を組むスロボ南ア共産党議長らが連なり、ANC内部での地位を反映した顔ぶれとなっている。

 愛人とのスキャンダルや殺人事件への関与疑惑などにもかかわらず、先月ANC幹部に復帰したウィニー・マンデラ議長夫人も、三十一番目に登録され、国会議員就任はほぼ確実となった。このほか、注目されるANC候補として、一九六〇年代にアパルトヘイト(人種隔離)制度を完成させ、マンデラ議長を投獄した当時のフェルブルト首相の孫の夫人で白人リベラル派のメラニー氏がいる。

 制憲議会は下院四百人、上院九十人で構成される。選挙は比例代表制で行われ、各政党の得票数をもとに、下院は全国区と地方区から二百人ずつを選ぶ。この得票数は、現在の全国四州から新たに九州に区分される各州議会議員の選出にも使われ、当選した各州議会議員の中から、上院議員が決まる。



 
 
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ANCが候補者名簿 大統領は地方遊説を開始 南アフリカ制憲議会選挙

毎日新聞
1994年1月23日
ヨハネスブルク21日福井聡

 南アフリカの最大黒人組織「アフリカ民族会議」(ANC)は二十一日、四月二十七日に行われる初の制憲議会選挙に立候補する候補者名簿を発表した。マンデラ議長が名簿の筆頭となったANCは、これまでの世論調査で常に六〇%以上の支持を得ており、ANCの候補者らが四月以降の新政権の中枢を占めるものと見られる。

 一方、国民党総裁のデクラーク大統領は二十日から本格的な地方遊説を開始。白人支持者より人口比の高い黒人に焦点を当てた戦術を展開している。

 ANCが二十一日発表した名簿は全国区に立候補する二百人(地方区二百人は未定、定員は双方とも二百人)。マンデラ議長以下(2)ラマポーサ書記長(3)ムベキ全国委員長(4)スロボ共産党議長らANCの要職者と、同盟関係にある南ア共産党幹部が上位を占めた。

 このほか愛人問題などのスキャンダルに見舞われながらANC幹部に復帰したウィニー・マンデラ夫人(三十一位)、アパルトヘイト(人種隔離)政策の基礎を作ったフルウート元首相の孫嫁、メラニー・フルウートさん(八十六位)、国際的黒人歌手のミリアム・マケバさん(百二十九位)らも含まれている。



 
 
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約1800人の選挙監視団派遣 国連総会が決議

毎日新聞
1994年1月23日
ニューヨーク21日共同

 国連総会は21日、南アフリカで4月27日に行われる初の全人種参加の総選挙に、選挙監視団約1800人を派遣する決議を全会一致で採択した。

 決議は各国に監視要員の提供を呼び掛け、南アの全政治勢力に総選挙参加と、政治暴力による選挙妨害を控えることを求めている。国安保理は今月14日に同様の決議を採択した。日本政府も選挙監視要員の派遣を検討している。



 
 
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マンデラ氏、比例名簿1位

日本経済新聞
1994年1月23日
〔ロンドン22日=藤野啓介〕

 南アフリカの黒人最大勢力、アフリカ民族会議(ANC)は、4月21日に実施する初の全人種参加選挙に向けて、全国区の比例代表制で争う下院(議席数400)の候補者200人のリストを発表した。順位第1位はマンデラ議長。31位のウイニー・マンデラ夫人含め66人の女性がリストに載っている。最近の世論調査では、ANCは7割近い得票を獲得する見込み。



 
 
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コンピューターの南ア輸出規制解除 政府が決定

朝日新聞
1994年1月25日

 政府は二十五日の閣議で、南アフリカの軍、警察向けのコンピューターと四輪駆動自動車の輸出規制を解除することを決めた。今回の決定で武器禁輸関連措置以外はすべて解除されたことになる。



 
 
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南ア政府とANC 右派との交渉開始 憲法制定選挙巡り

朝日新聞
1994年1月25日
ヨハネスブルク24日=村上伸一

 南アフリカ共和国の政府と黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)は二十四日、最大多数の黒人が初めて参政権を得る四月末の新憲法制定議会選挙への参加を求めて、黒人と白人の右派合同団体「自由連合」(FA)と大詰めの交渉を始めた。FAの選挙参加は、続発する暴力事件や有権者に対する投票阻止行動を防ぎ、選挙を自由で公正なものとするために重要なかぎを握っている。だが、両者の隔たりは依然として大きく、合意が得られるかどうかは微妙だ。

 先月に白人主体の臨時国会を通過した暫定憲法は、人種共存の単一国家を目指している。これに対し、FA傘下の白人右派組織「アフリカーナー人民戦線」(AVF)は、南ア国内で主にオランダ系移民の子孫アフリカーナーが統治する準独立国家の設立を要求。黒人右派組織「インカタ自由党」(IFP)は、地盤となる地方政府に強力な自治権を求めている。

 政府とANCは、人種の共存を否定するAVFの要求は一切拒否する方針を表明している。IFPに対しては、自治権の範囲で妥協する姿勢を見せており、FAを切り崩して、少数派の白人右派を孤立化させる形で決着を図る可能性もある。



 
 
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ココム対象国からチェコとスロバキアを除外 政府決定

朝日新聞
1994年1月25日

 政府は二十四日の事務次官会議で(1)対共産圏輸出統制委員会(ココム)の規制対象国からチェコとスロバキアを除外する(2)南アフリカ向け全輪駆動車の輸出規制を撤廃する(3)米国向け工作機械の輸出規制を撤廃するため、外国為替管理令及び輸出貿易管理令の一部を改正することを決めた。二十五日の閣議で正式に決め、二十八日に実施する。



 
 
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保守連合への説得工作難航 南ア政府とANC

日本経済新聞
1994年1月29日
ロンドン28日=藤野啓介

 南アフリカ政府と黒人最大勢力のアフリカ民族会議(ANC)が進めてきた、白人と黒人双方の保守派が大同団結した「自由連合」に対する説得工作が難航している。4月27日の初の全人種参加選挙に向けて各党の選挙戦は着々と進んでいる。しかし、人種、部族ごとの自治を一定の範囲内で認めるよう求めている自由連合は、選挙のボイコットも辞さない構えを見せており、交渉が決裂すれば、政情不安が再び増しそうだ。

 自由連合は、ANCと対立する黒人ズールー族主体のインカタ自由党や、白人政党の保守党などが昨年10月に結成した。ANCは自由連合の自治要求をアパルトヘイト(人種隔離)政策の温存につながるとみて強く反発、両者は31日に再度交渉するが、妥協が成立する見通しはいまのところ立っていない。



 
 
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南ア政府とANC、保守派の説得失敗 全人種選挙不参加か。

日本経済新聞
1994年2月1日
ロンドン31日=藤野啓介

 南アフリカ政府と黒人最大勢力のアフリカ民族会議(ANC)の両者が、黒人と白人双方の保守派組織「自由連合」に、四月末の総選挙に参加するよう促すために昨年来進めてきた話し合いは、交渉の最終期限とされた三十一日も歩み寄りがなく決裂した。自由連合が求める人種、部族別の自治を、政府とANCが拒否したもので、黒人に参政権を与えた初の全人種参加選挙を、保守勢力がボイコットするとの見方も出ている。

 自由連合には、白人議会第二党の保守党や、黒人ズールー族を支持基盤とするインカタ自由党らが参加、一連の民主化交渉に強く反発してきた。総選挙後に発足する新議会では、ANCが第一党になる見通しだが、自由連合は地方での権限を強化することで、中央政府に対抗することを画策している。



 
 
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国連人権委の年次総会開幕。

日本経済新聞
1994年2月1日
ジュネーブ31日=刀祢館久雄

 国連人権委員会の第五十回年次総会が三十一日、ジュネーブで開幕した。六週間の会期中、旧ユーゴスラビアやミャンマー、東ティモールなど世界各地の人権状況が議題となる。中東和平交渉の進展や南アフリカの民主化を受けて、イスラエルや南アフリカに対する非難決議の内容は、例年より穏健になる見通しだ。



 
 
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南アで少年20人を連続殺人

朝日新聞
1994年2月1日
ヨハネスブルク31日=村上伸一

 南アフリカ共和国の観光都市ケープタウンで一月中旬から下旬にかけて、いずれも首を絞め殺された少年十一人の遺体が見つかった。その一人がはいていたズボンのポケットには、「(犠牲者は)まだたくさんいる」などと、犯行継続を予告する手書きのメモが残されていた。同市では一九八六年以来、同じ手口で少年九人が殺された事件も未解決のままでおり、警察当局は同一犯人による連続二十件の変質殺人事件と断定し、捜査している。



 
 
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右派との交渉中断 時間切れで告示も 極右、武力妨害 南ア選挙

朝日新聞
1994年2月2日
ヨハネスブルク1日=村上伸一

 南アフリカ共和国で最大多数の黒人が初めて参政権を得る四月末の全人種参加選挙が、妨害なく行われるかどうかとの見通しに、暗雲が垂れ込めている。政府と黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)が、選挙への参加を求めて黒人と白人の右派合同団体「自由連合」(FA)と続けている交渉は先月三十一日夜、合意のないまま中断した。時間切れの様相が深まる中で、FA内部では武力に訴える機運が高まっており、混乱も予想される。

 政府とANCは先月二十四日にFAと大詰めの交渉を始めて以来、妥結の期限を三十一日まで三度延ばしてきた。合意が得られれば、昨年末に成立した暫定憲法を変更し、そのもとでFAも選挙に参加することになっている。

 だが、デクラーク大統領による選挙告示の最終期限は今月末に迫り、選挙管理委員会の準備を考慮、告示を早めるとの見方が強い。その後は暫定憲法の変更が不可能となり、FA抜きで選挙が実施されてしまう。

 FAは、白人が自決権の保障された準独立国家を、ANCと対立する黒人右派は強力な自治権のある地方政府をそれぞれ求めている。これに対し、選挙後の政権主導が確実視されるANCは、全国的な統一が必要とされる政策決定の最終権限は中央政府に残す、という立場を譲らぬ構えだ。

 FAは選挙方式についても、一人一票だけで国会と地方政府の両方の議員を比例代表制で決める方法に反発。国会と地方を分けた一人二票制にすべきだとしている。ANCは、ほとんどの黒人有権者が初めて投票するため、一票制のほうが混乱が少ないとして、変更を拒否している。一票制がANCに有利に働く、という打算も当然ある。

 FAの中で、極右も含めた白人右派連合「アフリカーナー人民戦線」(AVF)は武力路線に傾いている。AVF代表で穏健派のフィリューン元南ア軍参謀総長が先月末、支持者に選挙参加の選択を呼びかけた時、ヤジが飛んで降壇を余儀なくされた。

 AVFには爆発物の取り扱いに慣れた白人労組の「鉱山労働者同盟」が属している。先月だけで発電所近くの鉄塔や鉄道線路を爆破する事件が十数件起きており、極右が妨害工作を始めたと見られている。



 
 
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南ア、選挙日程を変更

朝日新聞
1994年2月2日
ナイロビ2日=村上伸一

南アフリカ共和国で白人主導の現政府とともに選挙までの共同統治機関となる黒人主導の「暫定執行評議会」(TEC)は一日午後、初めて全人種が参加する選挙日程を四月二十六日から三日間とする、と発表した。TECは先週、同二十七日から三日間と決めていたが、選挙管理委員会の勧告に基づき、変更した。



 
 


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米ハネウエル、南アに拠点、再進出 売却子会社を買い戻す。

日経産業新聞
1994年2月3日
シカゴ=山本浩司

 米ハネウエルは南アフリカに再進出する。米国政府の対南ア経済制裁下で南ア企業に売却した元子会社を買い戻し、事業活動を再開する。昨秋以降、米国企業の南ア進出が活発になってきている。ハネウエルも南アと周辺国の経済発展に期待している。

 南アの複合企業のマレー・アンド・ロバーツ(ヨハネスブルク)の制御機器などを販売している子会社、マルテックを買収した。

 マルテックは八六年十二月にハネウエルがマレー社に売却した会社で、現在は従業員百三十人の小規模な商社として活動を続けている。

 買収後、設備、従業員をそっくり引き継ぐ。マルテックはこれまでもハネウエル製の製品を輸入販売していたが、今後はさらに幅広い製品を取り扱う計画でいる。ハネウエルの製品はここ数年も南ア市場で年間二千五百万ドル程度の販売実績があるが、八六年の撤退以前に比べると大幅に売れ行きは落ちているという。



 
 
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旧黒人居住区に陸軍投入、警察部隊は引き揚げ 南アフリカ

朝日新聞
1994年2月3日
ナイロビ2日=村上伸一

 南アフリカ共和国のデクラーク大統領は一日午後、黒人勢力同士の抗争など暴力事件が最も多発しているヨハネスブルク東郊の旧黒人居住区に陸軍部隊を投入し、現在常駐している警察治安部隊を引き揚げる方針を表明した。主に白人が占める警察治安部隊は、黒人同士の抗争を裏であおっているとして、黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)が撤退を求めていた。



 
 
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南ア総選挙、保守派と最終交渉、政府・ANC 時間切れの公算も。

日本経済新聞
1994年2月4日
ロンドン3日=藤野啓介

 南アフリカ政府と黒人最大勢力のアフリカ民族会議(ANC)は三日、全人種参加選挙のボイコットを主張している保守勢力に選挙参加を促す三者交渉を再開したが、新たな進展はなかった。デクラーク大統領は二日、総選挙を四月二十六 二十八日に実施すると正式発表。これを受けて南アは本格的な選挙戦に突入するが、各政党、政治団体は十二日までに登録しなければ候補者を立てることができない。三者交渉は四日以降も続けられる見通しだが、状況は時間切れの様相を深めている。

 三日の政府とANC、それに白人と黒人双方の保守勢力が大同団結した自由連合(白人議会第二党の保守党や黒人ズールー族主体のインカタ自由党などで構成)の三者交渉では、国会と地方議会の選出方法が焦点になった。しかし自由連合のスポークスマンは「ANCから新たな提案はなかった」と述べた。

 自由連合は、これまで国会と地方議会選挙で各一票ずつを投じる「二票制」を支持。一方、ANCは、国会、地方議会選挙とも同一の政党に投票する「一票制」を主張してきた。自由連合は地方分権が認められない場合、内戦も辞さないとの強硬な態度をとっている。



 
 
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デクラーク南ア大統領、選挙を公示

朝日新聞
1994年2月4日
ナイロビ3日=村上伸一

 南アフリカ共和国のデクラーク大統領は二日、最大多数の黒人が初めて参政権を得る四月末の全人種参加選挙の日程を官報に公示した。大統領は三日、選挙への参加を拒否している黒人と白人の右派合同団体「自由連合」(FA)に向けて、「(FAの要求を満たすための暫定憲法改正には)時間の制約があるが、今後二週間以内なら可能だ」と、事実上の最後通告を突きつけた。

 南ア国内の各種報道は三日、黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)がFAの主な要求の一つである投票方法の変更を受諾する意思決定をした、と伝えている。一人一回だけの投票により、国と地方の両議会議員を比例代表制で決める方式から、二回の投票で国と地方を別個に選べるよう変更するものだ。これだと、FA傘下の各組織が地盤を維持できる利点がある。

 だが、FA内部には白人だけの準独立国家設立や、黒人部族別の地方政府に強力な自治権を与えない限り、選挙参加には応じられないとする主張が根強い。



 
 
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北朝鮮のエントリーの通知、まだ届かず リレハンメル冬季五輪

朝日新聞
1994年2月4日
リレハンメル(ノルウェー)3日=浜村康弘

 リレハンメル五輪組織委が、三日まとめた大会の国別エントリーは六十五カ国・地域で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のエントリー通知がまだ届いていないことがわかった。

 一方、旧ソ連から独立したウクライナなど各共和国は、共和国単位で参加する。南アフリカ、イスラエルの冬季五輪初参加も決まった。



 
 
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白人右派の民間ラジオ放送に仮免許交付 南ア政府

朝日新聞
1994年2月7日
ナイロビ6日=村上伸一

 南アフリカ共和国政府は四日、アパルトヘイト(人種隔離)政策の復活や白人が統治する準独立国家の創設を訴える白人右派の民間ラジオ放送「ラジオ・プレトリア」に対し、仮免許を交付した。政府はこれまで、同ラジオの放送停止を命令、最高裁でも二度にわたり、停止命令が妥当だという判決を勝ち取ってきた。だが、同ラジオは命令を無視して放送を継続。政府が折れる形となった。

 仮免許の有効期間は、暫定憲法で設置が決まった独立放送当局が正式に発足するまで、としている。



 
 


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ブリヂストン、駐在員を派遣、南ア・ケニアの工場に アフリカで事業拡大へ

日経産業新聞
1994年2月8日

 ブリヂストンは、買収した米ファイアストンの旧出資先でファイアストンブランドのタイヤを生産している南アフリカの工場と、ファイアストンが出資しているケニアの工場に対し、今春にも日本から数人の駐在員を派遣する。技術指導で生産性を引き上げるほか、現地市場を調査する。ブリヂストンはアフリカに少量の製品を輸出してきたが、先進国の市場成長が望めないため、現地生産の増強などアフリカでの事業拡大の布石を打つ。

 駐在員を派遣するのは以前ファイアストンが全額出資し、その後資本を引き揚げた「ファイアストン南アフリカ社」と、米ブリヂストン・ファイアストン社が二割出資している「ナイロビ工場」。南アには二、三人の駐在員を三月から四月にかけて派遣することを決め、ケニアは派遣する方向で検討を進めている。

 両工場とも生産規模などを明らかにしていないが、生産性は低く、南ア工場の場合、不良品率は日本の十八倍という。工場長の補佐役の形で駐在、生産性を高める。同時に市場の規模や消費者のし好などを調べ、本格的に販売できる体制を整える。

 ブリヂストンは南ア社に資本参加していないが、ファイアストンブランドのタイヤを現在も生産しているほか、再出資の要請もあるため駐在員を派遣する。これまで自社の資本が直接入っていない海外企業には技術供与をしない姿勢を貫いてきたが、アフリカ大陸は東南アジアを上回る成長が期待できることから“慣例”を破る。

 アフリカ諸国のタイヤの輸入関税は高く、事実上閉鎖市場となっているという。成長が望めるものの、日本や東南アジアからの輸出では市場開拓はできないと判断している。



 
 
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(地球24時)南アで女性・子ども12人が殺害

朝日新聞
1994年2月8日
ナイロビ支局7日

 南アフリカ共和国の警察当局の発表によると、ナタール州中部で6日未明、黒人武装集団が黒人の家屋7棟を襲撃し、大人の女性9人と3 7歳の子ども3人を射殺した。被害者はいずれも黒人解放組織「アフリカ民族会議(ANC)」の支持者の家族で、ANCは対立する黒人右派組織「インカタ自由党(IFP)」支持者の犯行だと非難している。



 
 
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(リレハンメル冬季五輪 あと4日)日本選手団、選手村入り

朝日新聞
1994年2月8日
リレハンメル臨時支局7日

 各国の選手団が選手村に入り始めた。日本選手団の入村式が行われたほか、内戦が続くボスニア・ヘルツェゴビナなど、七日で四十四カ国・地域が入村した。スピードスケートが行われるハーマル五輪ホールでは、日本勢がダン・ジャンセンなどを交え記録会を行った。五輪ムードがいよいよ高まってきた。

 選手村で前夜ノルウェー入りした日本選手団の入村式があった。

 午後二時、一緒に入村式を行ったベラルーシ、ギリシャ、ルーマニア、南アフリカの四カ国の選手団とともに、南洞邦夫団長ら三十八人の日本選手、役員が整列。「君が代」の音楽が流れると、頭にかぶっていた紺色の帽子を脱ぎ、掲揚される「日の丸」を見つめた。

 この日のリレハンメルは小雪がちらつく中、太陽が顔をのぞかせた。気温はふだんより暖かいマイナス8度。距離競技の横山寿美子選手(一九)=日大=は「別に緊張はしなかったけど、とても寒かった」と話していた。(三上雅俊)

 ◇

 日本選手団の南洞邦夫団長ら本部役員が七日、メーンプレスセンターで記者会見した。六日夜にリレハンメルの選手村に入り、各国に先がけての初の公式会見では、南洞団長が「自然を生かした素朴な五輪の印象を受けた」と話した。

 期待のノルディックについて八木祐四郎副団長は「期待の複合などは選手のコンディションも考慮して入村を遅らせ、ベストの状態で戦ってもらう。複合の個人と団体、ジャンプも個人、団体はメダル有望」と自信をみせた。(的地修)

 ◇

 「長野をよろしく」。各国記者団がつめかけるメーンプレスセンターに七日、長野五輪組織委のPRルームが開設された。

 公式ポスターや英文のパンフレットなどを用意した。大会中は組織委など主催で十四日と二十七日に、親善パーティーも開かれ、この機会に「長野をよく知ってもらいたい」と売りこみに懸命。(高橋町彰)



 
 
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国内第一人者・メイヤー、18年目の笑顔 五輪復帰の南ア

朝日新聞
1994年2月8日
(田中基之)

 南アフリカから、フィギュアとショートトラックの二人の選手がやってきた。夏はバルセロナ五輪に出場したが、冬はリレハンメル五輪が復帰の舞台になる。ショートトラックのシンディ・メイヤー選手(二九)=写真、溝脇正写す=は、五輪の舞台に立てる喜びをかみしめている。

 十歳から競技を始め、十二歳の時から十七年間、国内では第一人者の座を維持してきた。ショートトラックは、駆け引きが大切な要素。強い選手とレースで競り合うことが必要だ。が、アパルトヘイト(人種隔離)政策のため、国際競技会には出場できなかった。「国内でも、女子は相手にならないし、男子も私とはやりたがらなかった」。自費でオランダに行って、練習してきたこともある。

 「国際試合に出られない暗い時代は、すごくつらかった。この年まで待って五輪に出られて、うれしい」と語る。

 メイヤー選手はスケートのコーチでもある。ヨハネスブルクで、百人の子供たちにスケートを教えている。経済事情は苦しく、スケート靴も不足している。五輪の間にも「一足でも多く靴を買って帰りたい」と話す。



 
 
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アライドテレシス、伊に現法設立 地中海沿岸・南アをカバー、LAN普及見込み

日本経済新聞
1994年2月9日

 LAN(構内情報通信網)機器メーカーのアライドテレシス(東京、高木弘幸社長、03・3443・5640)はイタリアに販売・サービスのためのグループ会社を設立した。今後、LANの急速な普及が予想されるイタリアなど地中海沿岸諸国向けの販売・サービス拠点とする。日本のベンチャー企業も国際化を進めているが、イタリアに販売拠点を設ける例は珍しい。

 設立したのは「アライドテレシス・イタリー」。形の上では、日本法人の子会社である米アライドテレシスの全額出資子会社(日本法人の孫会社)になる。海外拠点の経営は現地スタッフに任せるのが基本方針のため、日本法人からは社員を派遣しない。

 新会社はイタリアをはじめ、スペイン、北アフリカ、中近東などの地中海沿岸の各国と南アフリカ共和国をカバーする。生産は日本法人、米国法人、シンガポール法人が担当し、これらの法人からLAN関連製品を輸入して、販売・サポートする。

 LAN関連機器の販売はきめ細かいサポートを必要とするため、同社は販売・サポート拠点となる海外法人を積極的に設立している。伊法人は同社にとって六番目の海外法人。伊は英独仏と比べると、LAN市場の立ち上がりが遅れていたため、これまでは仏法人がカバーしていた。しかし(1)伊では伊語によるサポートが必要(2)伊以外の地中海沿岸諸国でも今後LAN市場の成長が望める ことを理由に、拠点を設立することにした。



 
 
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右派との交渉決裂 選挙参加は望み薄に 南アフリカ

朝日新聞
1994年2月9日
ナイロビ8日=村上伸一

 南アフリカ共和国からの報道によると、黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)と政府が七日夜、最大多数の黒人に初めて参政権を与える四月末の選挙への参加を求めて、黒人と白人の右派合同団体「自由連合」(FA)と行った交渉は、なんの合意もなく終わった。選挙に参加するための政党登録期限は十二日に迫っており、FA抜きでの選挙実施の見通しが一層強まってきた。

 デクラーク大統領は「選挙が終わってからも、FAは新政府と交渉し、(白人の準独立国家や黒人部族別の強力な地方自治政府の獲得という)要求の実現を目指すことができる」と述べ、FAの不参加による混乱を回避しようと必死だ。

 ANCのマンデラ議長は選挙運動の演説で「白人極右が戦争をしたいというなら、こちらも(ANCの)軍事部門で対抗し、つぶす」と警告。白人極右側は「昔のように(黒人を)全滅させてやる」と反発を強めている。

 南ア北部では、高圧鉄塔や鉄道線路などに対する爆破事件が、昨年末から四十件以上も発生。警察当局は七日、この事件との関連で、白人極右組織の構成員五人を逮捕した。

 だが、ANCと黒人右派組織「インカタ自由党」(IFP)の支持者同士の抗争や、白人極右の妨害工作を予防するため、政府軍やANCの軍事部門などでつくる統合部隊「国家平和維持軍」は、選挙までの発足が間に合わないことが明らかになっている。



 
 


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機能効用ガム=江崎グリコ(新製品)

日経産業新聞
1994年2月10日

◎機能効用ガム=江崎グリコ
 〈商品名〉「キスミントガム〈ブレイク用〉」
 〈特色〉レモン紅茶とミントの味がする。美容と健康に効果があるといわれる南アフリカ産のルイボス茶の抽出成分を配合した。気分転換をしたいときにかむガムとして売り込む。
 〈仕様〉八枚入りカードタイプ、九枚入りスティックタイプ、六枚入りスティックタイプの三種類。
 〈価格〉八枚入り百円、九枚入り八十円、六枚入り五十円。
 〈販売目標〉初年度二十億円。
 〈発売時期〉十六日に近畿、四国地区で発売し、三月三日までに順次全国に展開。
 〈電話〉06・477・8357(広報室)
 〈コメント〉「キスミントガム」は機能効用ガムの先駆け商品。すでに販売している〈ブレス〉〈エチケット用〉などを含め合計七種になる。



 
 
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鉄鉱石7.6%値下げ 94年度豪・ブラジル産 原料炭に続き決着 鋼材値引き要求強まりそう

日本経済新聞
1994年2月11日

 新日本製鉄など日本の高炉とオーストラリア、ブラジルが進めていた鉄鉱石の94年度積み価格交渉が、平均7.6%の値下げで決着した。値下げは3年連続。既に豪州、カナダ産の原料炭は前年度を上回る引き下げで決着しており、製鋼原料は軒並み大幅値下げで決着したことになる。原料コストが低下したことで、家電メーカーなどの需要家が鋼材の値引き要求を一層強めることも予想される。

 新日鉄などによると、今回決まった鉄鉱石の日本向け出荷価格は、指標となる豪州・ハマスレーの塊鉱が前年比5.9%安の1トン21.29米ドル(FOB=本船渡し)、粉鉱が9.5%安い16.42米ドル(同)。ブラジル・リオドセの鉄鉱石もほぼ同程度の値下がりとなった。

 今後インド、チリ、南アフリカなどとの間でも価格交渉を行うが、指標となる豪州、ブラジルの出荷価格が決まったため、最終的に同程度の値下げで合意する公算が大きい。

 鉄鉱石の価格交渉は1月から始まり、日本の高炉各社は鉄鋼市況の低迷による経営状態の悪化などを理由に、冒頭から10%を上回る大幅値下げを要求していた。

 これに対し海外勢は、中国、韓国などアジア各国を中心に鉄鉱石需要がおう盛なことなどを強調し、小幅な値下げにとどめたいと主張。交渉は難航していたが、最終的に双方が折れ合う形で決着した。だが市場では「世界的に鉄鉱石需給のバランスがとれていることを考えれば、日本側に有利な結果」との見方が多い。

 新日鉄によると、鉄鉱石の値下げによって、国内の高炉全体で170億円のコストを削減できる見通し。これに1月末に決まった原料炭の値下げ分を合わせると、計370億円のコスト圧縮が図れるという。

 だが原料価格の大幅低下を根拠に、家電、自動車メーカーなどの需要家が鋼材の値引き要求を強めるのは必至との見方も多い。



 
 
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19年間、捕らわれの身… マンデラANC議長、「悪魔島」を再訪

毎日新聞
1994年2月13日
ヨハネスブルク12日福井聡

 南アフリカのマンデラ・アフリカ民族会議(ANC)議長(75)は釈放されて四周年に当たる十一日、アパルトヘイト(人種隔離)体制下で二十七年間拘束されたうちの十九年間を過ごしたケープタウン沖のロベン島を訪れた。

 かつて自由を奪われた鉄格子の中で同議長は「多くの人々がより多くの犠牲を払い、二度と戻らぬ人も多かったが、ここでの日々は価値あるものだった」と述べた。

 また、母や兄の葬儀への出席を拒否された時の怒りを語ると同時に、鉄格子の中で培われた同志とのきずなや「いつか黒人の時代が来ると信じていた何人かの白人看守の親切さ」が忘れられないと話した。

 ロベン島は長年、生きて脱出した者のない南アの「悪魔島」として知られたが、現在は監獄は閉鎖され、観光地となっている。



 
 
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リレハンメル五輪開幕 66カ国・地域から2200人

朝日新聞
1994年2月13日
リレハンメル12日=西村欣也

 第十七回リレハンメル冬季五輪大会は十二日、史上最北の開催地となったノルウェーの小都市、人口二万三千人のリレハンメルに、史上最多の六十六カ国・地域から約二千二百人の選手、役員が集い、開幕した。北緯六一度の町を夕やみと肌を刺す冷気が包むなか、午後四時(日本時間十三日午前零時)から、約三万五千人の観客で埋まったリレハンメル五輪パークで、開会式が行われた。

 ノルウェーでの冬季五輪開催は一九五二年のオスロ大会以来、四十二年ぶり二度目。国際オリンピック委員会(IOC)が従来の冬季、夏季同一年開催を変更、二年ごとの交互開催としたため、リレハンメル大会は九二年のアルベールビル大会から二年後に行われる変則開催となった。

 「自然にやさしい五輪」をテーマに、「スポーツと文化の調和」という五輪の理念に、今大会は「環境保全」という理念を加えた。

 気温は零下一二度。粉雪の舞う中、入場行進は五輪発祥の地、ギリシャを先頭に始まり、最後尾は開催国ノルウェー。前回は独立国家共同体(CIS)として参加した旧ソ連は、ロシア、ウクライナなど各国の国旗の下に顔をそろえた。パレスチナ解放機構(PLO)との和解へ向けての「歴史的合意」が成立したイスラエルが冬季五輪に初参加。南アフリカが六〇年のスコーバレー大会以来、三十四年ぶりに冬季五輪に復帰した。戦火がやまないボスニア・ヘルツェゴビナからも十人の選手団がやってきた。

 米国は参加国のなかで最大の百五十七選手を数え、四年後に冬季五輪長野大会を開催する日本は六十五選手を派遣した。役員も含めて百十人の選手団は、札幌冬季五輪と並ぶ最多人数。

 三万五千人の観客は入場の際に白いビニール製のマントを支給され、スタンドはまるで雪で覆われたよう。ハラルド国王の開会宣言に続き、聖火が点火され、男子距離スキーのベーガール・ウルバンが選手宣誓。大会は二十七日まで十六日間にわたって、6競技61種目で競われる。



 
 
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「自由同盟」は不参加 参加は19政党 南ア選挙・登録締め切り

毎日新聞
1994年2月14日
ヨハネスブルク13日福井聡

 ◇懸念される極右の妨害

 南アフリカの選挙管理委員会は十二日深夜、四月二十六日から三日間行う制憲議会選挙に参加する政党の登録手続きを締め切った。登録したのは政府与党「国民党」、最大黒人組織「アフリカ民族会議」(ANC)など十九政党。参加交渉が続けられてきた保守連合「自由同盟」(四団体)は登録せず、選挙に向けて傘下の極右団体による妨害行為が懸念され、政府、ANC側はさらに交渉を続け、登録期間を延期して参加させる方策を探っている。

 登録したのは国民党、ANCのほか白人民主派「民主党」、黒人急進派「パンアフリカニスト会議」(PAC)、それに「アフリカン・クリスチャン民主党」など諸派十五党。各種世論調査によると、ANCが六〇%以上、国民党が二〇%弱、民主党とPACが各数%を得票すると見られている。

 自由同盟は締め切りぎりぎりまで交渉を続けたが、国民党、ANCが「緩やかな中央集権の下での地方分権」を提唱するのに対し、「民族自決、強固な地方分権」を主張。再三妥協に近付きながら合意できず、選挙不参加となった。

 自由同盟四団体は潜在的には得票率一〇%を超える集票力があり、特にズールー族主体の「インカタ自由党」(IFP)はナタール州でANCと対抗できる有力勢力。参加しない場合、票が国民党とANCに流れて両党の圧勝につながるうえ、四月以降の公的発言権を失ってしまい、登録が締め切られた今も選挙参加を望む声が強い。

 また、アフリカーナー人民戦線(AVF)はオランダ系保守白人組織で、IFPに比べ集票力は強くないが傘下に極右団体「アフリカーナー抵抗運動」などを抱え、参加しない場合、テロ行為が懸念される。

……………………………………………………………………………
    選挙参加政党          不参加政党
白人  国民党             アフリカーナ人民戦線(AVF)
    民主党             保守党
黒人  アフリカ民族会議(ANC)   インカタ自由党(IFP)
    パンアフリカニスト会議     ボプタツワナ
    他に15政党



 
 
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南ア選挙で右派が登録を拒否 政府は期限延長の方針表明

朝日新聞
1994年2月14日
ヨハネスブルク13日=村上伸一

 南アフリカ共和国で最大多数の黒人が初めて参政権を得る四月末の選挙に参加する政党の登録が、十三日午前零時(日本時間同午前七時)にいったん締め切られた。しかし、人種共存の単一国家樹立に反発する黒人と白人の各右派組織は登録を拒否した。選挙後の政権主導が確実視される旧黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)と白人主体の現政府は、選挙妨害などの混乱を回避するため、これら右派組織の参加を求めて政党登録期限を延長する方針を表明している。

 これまでに登録したのは、ANCや政府与党国民党など十四政党。黒人、白人の各右派組織の合同団体「自由連合」(FA)は、選挙の妨害工作をひそかに計画しているとの報道もあり、ANCと政府はFAに交渉継続を要請。政府は臨時国会を開いて選挙管理法を改正し、登録期限を延ばすことができるとしている。



 
 
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(園芸)カネノナルキ 花が咲くまで約10年 水のやり過ぎに注意

朝日新聞
1994年2月14日
(園芸ライター 藤野昌也)

 太い枝に丸みを帯びたコインのような分厚い葉をつけた観葉植物のカゲツ(花月)。本名よりカネノナルキやナリキンソウの俗名で親しまれている。十年ぐらい育てた、七十センチ前後の古株にならぬと開花しないから花を見るにはじっくり栽培するのが肝心。冬に咲く淡い桃色の五弁・星形の集合花=写真=はけっこう美しく、風情がある。

 枝に五円玉をつけたりして楽しむ人もいるが、英名でダラー・プランツと呼ばれるところからカネノナルキと名づけられたらしい。南アフリカ原産のベンケイソウ科の多肉植物で、昭和の初期に導入された。つやつやした厚い葉や茎には貯水組織があって長い乾燥にも耐えられる。

 高温期に生育するので、鉢植えは春から秋にかけてよく日の当たる軒下などに置き、表土が白く乾いたら水をやる。晩秋から春までは室内に取り入れ、日の差す窓辺などに置く。

 寒さには割合強く、最低五度前後で冬を越すが、水やりは極力ひかえ、表土が乾いてからでも一週間ぐらい待つ感じで。

 根がいっぱい鉢に回ったら五、六月ごろやや大きめの鉢に植え替える。赤玉土、鹿沼土、ひゅうが土、川砂、ピートモスをそれぞれ等量混合した、水はけのよいサボテン培養土などを使うとよい。水のやり過ぎで根を腐らさぬよう、あらかじめ湿らせた用土に植え替え、約一週間たったころから初めて水やりをする。

 施肥は夏までに一回置き肥するか、時々液肥をやる程度で。五、六月ごろ枝先を十センチほど切り、切り口を乾かしてから挿し木するとよくつく。



 
 
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手軽にソーラークッキング 市販セット使い一時間弱 主婦が提案

朝日新聞
1994年2月14日

 豊かな太陽の熱と光を利用して、簡単な料理を楽しみませんか 神奈川県綾瀬市の主婦、鳥居ヤス子さん(六二)が、市販されている簡単な道具を使った「ソーラークッキング」を呼びかけている。アルミ箔(はく)を張った段ボール片で組み立てた箱を太陽に向けるだけで、中の卵や芋が調理でき、あつあつ、ほくほくの味が楽しめるという。無公害で燃料は無尽蔵。まさに究極のエコロジカルライフというわけだ。

 鳥居さんは市民グループのボランティアとして毎年、南アフリカ共和国へ出かけ、森林を守る運動を支援している。地元民が料理の煮たきに大量のタキギを使うため、なんとかソーラークッキングを広めようと日本で市販されている組み立て式の「太陽熱オーブン」を持参したところ、大いに喜ばれたという。

 鳥居さんは「省エネのうえ無公害、日本でも利用できる」と昨年一月、キット一式(二千五百円)を買って自宅で一年間使っている。「今年は晴れた日が多いのでわが家の食卓には毎日のように、卵やベークドポテトが並んでいます」と鳥居さん。

 快晴のある日、鳥居さん宅を訪ね、ソーラークッキングのやり方を見せてもらった。南向きの日当たりのいい二階の部屋。大きく開けられた窓際のベッドの上に「太陽熱オーブン」をセットする。

 内側にアルミ箔が張られた八片の段ボールをパラボラアンテナ状(開口部の直径約五十センチ)に組み立て、基部に内径六センチ四方、深さ五センチの調理箱を組み込む。中に卵一個と耐熱ポリ袋に入ったサツマイモ一本、ジャガイモ二個を収め、太陽にまっすぐ向ける。

 「アルミ箔に光と熱を反射させ、基部の箱に集中させる仕組みです。冬は夏と比べて太陽熱は弱いと思うでしょうが、冬の空は透明度が高く、さえぎられずに地上に降り注ぎます。箱の中の温度は二〇〇度以上にもなるんですよ。物にもよりますが、三十分から一時間で調理できます」。鳥居さんの解説だ。

 四十分経過。ポリ袋の内側が汗をかいてきた。「そろそろできあがりです」。鳥居さんは箱をはずした。卵を取り出してみた。アツツ……そうとうな熱だ。サツマイモもジャガイモもゆでたようにふっくらしている。

 卵の皮をむいてほおばる。うまい!

 温泉卵のようだ。「もう少し早く取り出せば、半熟も楽しめますよ」と鳥居さん。次はジャガイモ。これもいける、ほくほくしている。サツマイモ。石焼き芋そっくりの味でとても甘い。

 鳥居さんは「うちで使っているのは、すべて無農薬野菜。太陽の恵みでできた実りを、太陽の熱で調理できるなんて最高の幸せ。わが家では洗濯日和はクッキング日和です」。サトイモやトウモロコシもおいしく仕上がるという。ご飯を炊いたり、魚も調理できるが、容器が小さいので少し無理とのことだ。

 「無尽蔵のクリーンエネルギーの有効利用。おまけにタダ。これこそエコロジカルライフだ、と思います。簡単な道具でできるクッキングを多くの方に知ってもらいたい」と鳥居さんは話していた。

 ◇

 「太陽熱オーブン」は京都の紙器メーカー、高橋紙器(〇七五 三一二 〇六七八)が製作、販売している。同社によると、八年前に米社と技術提携して製作を始めた。その後、改良を加え、現在の形に。主に理科の教材として利用されているという。

 ○日本女子大の江澤郁子教授(栄養学)の話

 楽しい話ですね、太陽の熱で調理するなんて。(太陽熱は)無尽蔵にあるし、クリーンで環境にもやさしい。有効利用するのは結構なことと思います。ガス代も浮き、家計も助かりますしね。



 
 
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南ア大統領「保守派なお説得」。

日本経済新聞
1994年2月15日
欧州総局

南アフリカのデクラーク大統領は十四日、ケープタウンで記者会見し、白人、黒人双方の保守派勢力「自由連合」が、黒人に参政権を与えた初の全人種参加選挙(四月二十六 二十八日)のボイコットを決めたことを「深刻な事態」とし、政府として引き続き同派の説得にあたる考えを示した。



 
 
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新聞編集者が国際大会 南ア・ケープタウン

朝日新聞
1994年2月15日
ケープタウン14日=村上伸一

 世界の新聞、通信、テレビ各社の編集長らが加わる国際新聞編集者協会(IPI)の第四十三回大会が十四日、南アフリカ共和国の観光都市ケープタウンで始まった。約三十カ国から三百人が参加、十六日まで続く。日本からは新聞協会会長の中江利忠朝日新聞社社長らが出席した。



 
 
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豪・南ア産一般炭、スポット価格が反発 炭鉱ストなどで需給改善。

日本経済新聞
1994年2月16日

 オーストラリア産、南アフリカ産の一般炭スポット価格が反発している。世界的な景気低迷と需給の緩和が響き、市況は長期間低迷していた。だがアジア諸国の経済成長や米国の炭鉱ストなどを背景に需給バランスが改善に向かっている。スポット価格が上昇していることで、これから国内の電力会社が進める九四年度の一般炭価格交渉にも影響が出そうだ。

 アジア地区の標準品である豪州一般炭の日本向けスポット価格は昨年末から上昇に転じ、現在は一トン三〇ドル前後(基準発熱量六七〇〇キロカロリー、FOB)と、これまでに約一五%上昇した。欧州向けでは南ア炭が二六ドル前後(同)で、こちらも昨年末から約一八%上昇している。

 豪州炭の値上がりは、韓国の九三年の一般炭輸入量が前年を約二五%、台湾では一〇%以上上回るなど、アジア地区の経済成長で電力向けを中心に需要が増加しているため。九三年末の豪州の一般炭在庫は、昨年初の水準を約三〇%下回る四百五十万トンに減少するなど、需給は急速に引き締まっている。

 一方南ア炭の主要供給先である欧州市場では、ロシア国内の経済混乱でロシア炭の供給不安が高まっているほか、炭鉱ストで米国炭の供給が急減。このため南ア炭の引き合いが急速に増加し、同国の九三年の一般炭輸出量は前年を一〇%以上上回る勢いを見せている。

 日本の電力会社は、豪州などと進める九四年度の一般炭価格交渉で、一月末に決まった高炉向け原料炭の値下げを理由に、同程度の値引きを求める構えを見せている。だが海外勢がスポット価格の反発を理由にこれに難色を示すのは必至で、市場では「交渉は難航が予想される」との見方が支配的だ。



 
 
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南ア選挙、保守派に譲歩案 ANC、各人種の自決権明記。

日本経済新聞
1994年2月17日
ロンドン16日=藤野啓介

 南アフリカの黒人最大勢力、アフリカ民族会議(ANC)のマンデラ議長は十六日、ヨハネスブルクで記者会見し、四月二十六日に予定している全人種参加選挙のボイコットを打ち出している保守勢力の主張を取り入れた暫定憲法の改正案を発表した。各人種の自決権の明記や地方州の権限維持などが柱となっている。デクラーク大統領も改正案に賛意を示しており、来週中にも臨時議会で憲法や選挙法の改正が承認される見通し。保守勢力がこれを受け入れて選挙への参加を決めれば、南アの政情安定につながりそうだ。

 憲法改正案の柱は、(1)白人ホームランド(独立国家)樹立の検討などを含め各人種や部族などの自決権を明記する(2)選挙で全国区、地方区の「二票制」を導入する(3)九つある地方州の権限を選挙後も縮小しない の三点。

 マンデラ議長は、今回の提案で保守勢力が総選挙をボイコットする理由は「すべて取り除かれた」と語り、同勢力の同意を強く求めた。また提案が人種、部族別の分裂をもたらすものではないと語り、「統一国家としての南アを築くわれわれの方針に変わりはない」としている。

 白人組織のアフリカーナー民族戦線(AVF)や黒人組織のインカタ自由党(IFP)は、大同団結して自由連合(FA)を昨年十月に結成、ANC主導の中央集権国家が総選挙後に生まれることを強くけん制してきた。マンデラ議長はFAが内戦突入を示唆するなど強硬姿勢を示していることを憂慮してFAに譲歩、和解のための最後のカードを切った。



 
 
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南アANC、右派に大幅譲歩 地方政府の権限拡大案

朝日新聞
1994年2月17日
ヨハネスブルク17日=村上伸一

 南アフリカ共和国の旧黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)のマンデラ議長は十六日、黒人に初めて参政権が与えられ、ANCの圧勝が予想される四月末の選挙への参加を拒否している黒人と白人の右派合同団体「自由連合」(FA)に対して大幅な譲歩案を提出する、と発表した。FAが選挙阻止の決意表明をするなど、内乱の危機が高まる中で、土壇場の混乱回避に打って出たものだ。

 譲歩案には、白人が統治する準独立国家樹立への配慮を含めた民族自決権の保障や、地方政府による徴税権の拡大、独自の行政機構の設立など自治権の強化が含まれている。

 マンデラ議長は「我々は内戦の脅迫を真剣に受け止めなければならない。これらの譲歩案が、(FAの選挙参加に向けて)残る障害を取り除くと信じている」と強い期待を述べた。

 これを受けて、デクラーク大統領は来月の第一週に白人主体の臨時国会を開き、昨年末に可決した新国家の暫定憲法を改正、ANCの譲歩案を取り込む意向を表明した。また、FAの対応次第で、十二日に締め切られた選挙参加のための政党登録期限についても、延長手続きを取るとしている。

 これに対し、FAは「譲歩案の詳細を検討する必要がある」として、慎重な対応を示している。

 マンデラ議長は譲歩案を発表した際、「地方政府に最大の自治権を与えるが、南ア全体は統一国家を維持する」と断言し、中央政府の介入を受けない白人右派の独立国家構想は否定した。

 譲歩案ではこのほか、支持政党を選ぶ一回だけの投票で国会と地方議会の議席数を割り振る方法を改め、両方を別々に選ぶ一人二票制にする。また、各地方政府が州名を独自に決められるようにしている。これらはANCと対立する黒人右派組織「インカタ自由党」(IFP)の要求を全面的に受け入れたものだ。

 IFPは今年に入って、選挙実施への抵抗運動などで数万人を動員し、無視できない力を見せつけた。このため、ANCと政府はIFPだけでも取り込み、FAの内部分裂を狙っているとの見方が強い。



 
 
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インカタ自由党議長声明、マンデラ議長の妥協案を拒否。

日本経済新聞
1994年2月18日
ヨハネスブルク17日=AFP時事

 南アフリカ共和国の黒人右派組織、インカタ自由党(IFP)のブテレジ議長は17日、暫定憲法修正に関する16日のマンデラ・アフリカ民族会議(ANC)議長の妥協案について、「全く不充分だ」との声明を発表し、これを拒否することを明らかにした。またブテレジ議長は、マンデラ議長が「安っぽい政治的駆け引き」をしていると非難した。ただ、右派合同組織、自由連合(FA)に参加するIFP以外の政党の指導者たちは、マンデラ議長の妥協案によって、暫定憲法の修正に関する交渉の行き詰まりを打開する希望が持てるようになったという楽観的評価を示した。



 
 
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(社説)南アの夜明けの平和を願う

朝日新聞
1994年2月18日

 南アフリカの黒人差別反対闘争を描いた映画「遠い夜明け」の原作の中で、著者のドナルド・ウッズ氏は、白人ジャーナリストとしての半生を振り返って、

 「三十年後の今日、およそ百万語以上の言葉を費やしてアパルトヘイト(人種隔離)に反対した結果、その努力は成功によって報いられていないことを認める。人々は偏見をなかなかぬぐいきれないものだし、ことに少数派である白人は、圧倒的多数の黒人を恐れている」

 と書いている。それほど強固に見えた差別の体制は、その後十五年で崩れた。白人支配は、四月末の制憲議会選挙を経て終わろうとしている。だが、その歴史的な夜明けが、新たな紛争の幕開けになりかねない、憂慮すべき状況が生じている。

 黒人解放運動の主力を担ってきたマンデラ議長の「アフリカ民族会議」(ANC)が圧倒的勝利を収めそうな選挙情勢に、白人のアフリカーナー人民戦線(AVF)や黒人のインカタ自由党、ボプタツワナがボイコットを表明したからである。

 これら右派勢力はアパルトヘイト時代の遺物ともいえる。AVFに加わる白人は、いまだに強い差別意識を持っており、黒人による支配を受け入れない。南アの内部に白人の準独立国をつくると主張する。

 インカタは黒人を部族別に狭い地域に押し込めた「ホームランド」の一つ、クワズールーの政府と一体の関係にある。マンデラ氏が率いることになる中央政府に支配されない広範な自治を求めている。

 またボプタツワナはツワナ族のホームランドで、世界のプラチナの三分の一を産出しており、既得権を守ろうとしている。

 もちろん時代錯誤を認めるわけにはいかない。だが、右派勢力を武力闘争に走らせることも避けねばならない。

 この四年間に南アでは、インカタとANCの抗争をはじめとする政治暴力で、一万四千人が死んでいる。ここで最大の部族であるズールー族を支配するインカタが、選挙後の新政府に公然と戦いを挑めば、その犠牲は計り知れない。

 アフリカでは一九六〇年代の独立後、各地で部族紛争が起きたし、有力部族を背景にした一党支配がさまざまな問題を生んできた。それに比べてANCは開かれた組織として、白人を受け入れてきたし、部族を組織の基盤としていない。

 すべての住民が南ア国民であり、人種や部族を超えた一つの社会をつくる、という彼らの理想は、間違いなく評価に値する。とはいえ、いまの南アはこの理想をすぐに実現できる環境にあるとは思えない。

 南アでは、都市の白人社会を第一世界とすれば、農村の黒人社会は第三世界だといわれる。近代的なものと前近代的なものとが混在する特異な国なのである。

 インカタやAVFの存在の背景にこの現実がある。ANCは、それを十分踏まえて対処しなければならない。

 私たちは、マンデラ議長が右派に譲歩し、地方自治権を大幅に拡大する提案をしたことを歓迎する。右派もかたくなな姿勢をとらず、これに応じて、すべての勢力が選挙に参加することを切に願う。

 新しい南アの夜明けは、平和な夜明けでなければならない。



 
 
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自治権拡大などの譲歩案をインカタ自由党が拒絶 南アフリカ

朝日新聞
1994年2月18日
ヨハネスブルク17日=村上伸一

 南アフリカ共和国の旧黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC、マンデラ議長)が表明した地方政府の自治権拡大などの譲歩案に対し、ANCと対立する黒人右派組織「インカタ自由党」(IFP)党首のブテレジ議長は十七日、全面的に拒絶する声明を発表した。IFPや白人右派などの合同団体「自由連合」(FA)内部で影響力のあるIFPの拒絶により、土壇場の混乱回避策の効果は微妙となった。

 ブテレジ議長は声明で「(ANCの譲歩案は民族自決という)生死にかかわる問題に対し、安っぽい政治宣伝にすぎない」とし、「あらゆる民主的手段で、選挙に反対する」と表明した。

 一方、FA内の白人右派組織の対応はまだ明らかでない。だが、ANCの譲歩案が他の人種を排除する白人だけの独立国家樹立をあくまで拒否しており、IFPの影響も受けて、ANCの譲歩案に応じる見通しは弱いと見られる。



 
 
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(市場の話題)米大手証券、南アで業務再開 起債・資金調達など助言

日本経済新聞
1994年2月19日
(ロンドン=藤野啓介)

 メリルリンチやリーマン・ブラザーズといった米大手証券会社が、八五年から撤退していた南アフリカでの証券ビジネスを再開する。昨年十月に米政府が経済制裁をほぼ完全に解除、カリフォルニア州議会も今年に入って解除を決めたことを受けたものだ。

 投資家がヨハネスブルク証券取引所(JSE)に上場された株式を売買する際の仲介や、南ア企業を対象にした起債など資金調達関連業務が中心になる。

 JSEの株価は九三年、全銘柄を対象にした指数で見ると五〇・一%上昇した。(1)民主化の進展への一定の評価(2)かんばつによる農業生産の落ち込みや金価格の低迷でマイナス成長が三年続いた国内総生産が、四半期ベースで上昇に転じた(3)諸外国の経済制裁の解除による先行きへの期待 が挙げられる。

 日本の証券当局はJSEを指定証券取引所にしていないため、日本の一般投資家は南ア株に事実上投資ができない。「米系証券会社に南アの市場を取られるのを黙って見ているのはしゃくにさわる」と日系証券ロンドン現法の幹部は嘆く。しかし、政治的リスクだけでなく、「証券ビジネスの将来性に疑問がある」との見方も少なくない。

 南アでは今、人種や部族別の自治にこだわる保守派が総選挙のボイコットを主張、内戦突入も辞さない構えを見せている。政府とアフリカ民族会議(ANC)主導の民主化プロセスからこぼれ落ちた白人、黒人双方の保守勢力は完全に孤立し、一触即発・ ムードも一部にある。

 不透明な要素はほかにもある。南アの産業界は、アングロ・アメリカンなど少数の財閥が支配、株式の持ち合いが定着している。総選挙後に発足するANC主導の政権は、黒人の中間所得層の育成を大義名分にビジネスに介入、様々な形の所得の再分配政策をとる可能性が高い。

 外国の投資家が南ア株に投資する際は、通常レートよりドルに対して三割程度切り下がったフィナンシャル・ランド(ランドは南アの通貨単位)で株式を売買できる。外貨準備が乏しい中であえて外資導入を優先させたこの特例措置は、政情が安定すれば廃止されることが決まっている。

 建国以来初めて黒人に参政権を与えた「全人種参加総選挙」が四月に実施される。アパルトヘイト(人種隔離)政策の廃止から約三年。政治体制の民主化で、証券市場も外国の投資家を一気に引き付けられると見るのは早計だ。「アフリカ一の経済大国」の行方を見定めるには、しばらく時間がかかりそうだ。



 
 
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選挙教育の「アフリカ民族会議」支持者14人殺害 南ア

朝日新聞
1994年2月20日
ヨハネスブルク19日=村上伸一

 南アフリカ共和国ナタール州南部の小村で十九日早朝、旧黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)の支持者たちが銃や刃物を持った集団に襲われ、十四人が死亡、二人が負傷した。ANC支持者たちはこの日、黒人が初めて参政権を得る四月末の全人種参加選挙の投票方法などについて、住民たちに説明する集会を開く予定だった。ANCは、黒人右派組織「インカタ自由党」(IFP)支持者による犯行だと非難している。

 現場周辺は南ア最大の黒人部族ズールー族主体のIFP支持勢力が強い地域といわれる。IFPは白人右派とともに「自由連合」(FA)を結成、ANCの圧勝が予想される選挙への参加を拒否している。

 世論調査によると、ナタール州に集中するズールー族は、大半がANCを支持しているが、IFPが選挙参加を拒否する限り、ANCなどの選挙運動に対する妨害が増えると見られる。



 
 
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装飾品ブーム、金鉱開発急げ 中国が外資導入でてこ入れ

朝日新聞
1994年2月21日
北京20日=永持裕紀

 中国政府は産出量で世界第六位とされている金の生産に低迷傾向が出てきたため、外資導入で金鉱開発をてこ入れする方針を打ち出した。所得が向上した市民層の間で、指輪、ネックレスなど金装飾品の人気が広がっており、このままでは、世界最大規模になっている金の輸入量がさらに膨らみかねないためだ。

 国際的な金の販売促進機関、ワールド・ゴールド・カウンシル(WGC)香港支店が昨年暮れ、北京、上海、広州で実施した市場調査によると、昨年中に装飾品など金製品を買った人は約二割に達していた。とくに十六 三十四歳の層でインフレ対策も兼ねて金装飾品を愛用したり、贈り物にする傾向が目立った。

 「金購入の主役は、資産家に代わって、人口の多い市民層に移った」とWGCはみており、今後の中国の金消費もそれだけ底堅いと予測している。

 中国全体の昨年の宝飾品など加工向けの金需要は世界全体の一五%にあたる約三百トン(前年比約二〇%増)に達し、八 九割を輸入でまかなったとみられる。昨年までは買い上げ価格が国際価格より極端に安く、生産が停滞。「横流し」も増えて、政府が買い上げる国内金が十分集まらなかったのが、輸入増大の原因だ。

 中国政府は生産刺激策として、昨年九月から買い上げ価格を従来の二倍近くに引き上げた。さらに抜本的な生産増強策として、外資導入に踏み切る。二十日の新華社電によると、金など鉱物資源開発での外資導入に関する規定を中国政府は今年中に発表する。

 関係者によると、金の外資導入については冶金工業省などの検討チームがすでに発足しており、南アフリカ共和国や、米国、カナダなどの採掘企業との接触を始めているという。最近発見された、沿海地区の山東省の金鉱脈開発が、外資導入第一号になる可能性が大きいという。



 
 
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仙台育英の留学生がジュニア男女制す 千葉国際クロスカントリー大会

朝日新聞
1994年2月21日

 国際陸連(IAAF)のクロスチャレンジ第11戦となる千葉国際クロスカントリー大会は二十日、千葉市の昭和の森で、世界クロスカントリー代表選考会を兼ねて行われた。

 一般は男女とも外国勢が制した。男子はゲート・タイス(南アフリカ)が同タイムの接戦に勝ち、女子はナデジダ・ガリアモワ(ロシア)が逃げ切った。

 日本勢は、男子は十二位が最高と振るわず、女子は吉田光代(ダイハツ)が四位に健闘したのが目立った。

 【男子】
一般(12キロ)
 (1)ゲート・タイス(南アフリカ)35分35秒(2)アブレヒム(エチオピア)35分35秒(3)キンタニラ(メキシコ)35分40秒
▽ジュニア(8キロ)
 (1)ダニエル・ジェンガ(仙台育英高)24分11秒(2)野田(日体大)24分18秒(3)渡辺(京都・宇治高)24分26秒
▽中学(3キロ)
 (1)宮井将治(埼玉・上藤沢中)8分42秒(2)武井(栃木・第二中)8分54秒(3)土谷(千葉・光中)8分57秒

 【女子】
一般(6キロ)
 (1)ナデジダ・ガリアモワ(ロシア)19分25秒(2)魏麗(中国)19分36秒(3)ボンダレンコ(ロシア)19分37秒
▽ジュニア(4キロ)
 (1)エスタ・ワンジロ(仙台育英高)12分31秒(2)宮崎(リクルート)12分36秒(3)ジェシンタ・ワンジロ(仙台育英高)12分45秒
▽中学(3キロ)
(1)吉松久恵(山口・熊毛中)9分43秒(2)秦(千葉・南流山中)9分47秒(3)三原(千葉・白山中)9分55秒

 <駅伝に続いて>
 ジュニアの部は、男女とも仙台育英の留学生が勝った。高校駅伝でもケニアからの留学生が活躍して、アベック優勝を飾って話題となったばかり。
 女子の部で、先行した宮崎(リクルート)を、終盤に追い上げて逆転したエスタ・ワンジロは「調子がよかった。クロスカントリーは得意」と喜んだ。男子のジェンガは、「子どものころから、アップダウンのコースを走っているから、クロスカントリーは好きです」。
 二人とも、世界クロスカントリー選手権や世界ジュニア大会などの国際大会に出場するのが今季の目標。しかし、強豪が目白押しのケニア代表になるのは大変で、「出られれば、うれしい」と声をそろえた。



 
 
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中台「陣取り外交」激化、台湾の東南ア接近に対抗、中国は南アと国交協議へ。

日本経済新聞
1994年2月22日
北京21日=岡崎守恭

 中国と台湾の「陣取り外交」がし烈になってきた。台湾の李登輝総統が休暇旅行を名目にした「南進外交」を展開したのに対抗するように、中国の田曽佩外務次官が二十日からのモザンビークなどのアフリカ諸国歴訪中に、台湾と外交関係を結んでいる南アフリカにも立ち寄ることになった。中国との国交樹立をめぐる協議があるのは確実と観測されている。

 田曽佩外務次官は南アのプレトリアにある南アフリカ研究センターから中国国際問題研究所が招待を受けた形で訪問するもので、中国外務省は「中国は平和共存五原則に基づいて、南アとの関係正常化が実現することを望んでいる」として、この機会に国交樹立に関する話し合いがあることを示唆している。



 
 
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USアフリカ、米 南ア直行便、6月に運航開始。

日経産業新聞
1994年2月22日
シカゴ=山本浩司

 米USアフリカ航空(ワシントンDC)は米国と南アフリカを結ぶ直行便を六月から運航することを決めた。資金調達面でトラブルが続き、運航開始がすでに半年近く遅れており、ライバル航空会社が参入を表明するなど事業開始を危ぶむ声もあったが、ようやくメドが立った。

 計画によると、六月からワシントン ヨハネスブルク間を週三便運航する。さらに九月からはケープタウンとジンバブエのハラーレとワシントンを結ぶ便も就航させ、全部で週六便体制を整える。

 USアフリカ航空は米運輸省の認可を受け、昨秋にも運航を始める予定でいたが、資金調達が思うようにいかず、延期を重ねていた。米運輸省はこの三月までに運航を始めるよう迫ってていた。今回、機関投資家から三千万ドルの資金を受け入れ、ようやく運航のメドが立ったが、準備の関係からさらに三カ月遅れの就航となる。

 USアフリカ航空は運輸省に対して運航開始の再延期を申請しているが、一方でチャーター専門の航空会社のワールド航空が同路線の運航を申請しており、運輸省が週六便の権利すべてを当初の予定通りUSアフリカ航空に与えるか、あるいは一部をワールド航空に与えるかが注目されている。



 
 
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白人右派、旧黒人解放組織「アフリカ民族会議」の譲歩案を拒む 南ア

朝日新聞
1994年2月22日
ナイロビ22日=村上伸一

 南アフリカ共和国で、最大多数の黒人に初めて参政権を与える四月末の選挙への参加を拒否している白人右派のハーツェンバーグ保守党党首は二十一日夜、公共テレビ放送の会見番組で、旧黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC、マンデラ議長)が先週表明した民族自決権の保障などの譲歩案を拒絶する、と表明した。ANCと対立する黒人右派組織「インカタ自由党」(IFP)も譲歩案をすでに拒絶しており、白人・黒人右派がこのまま選挙参加を拒否し、混乱の起きる可能性が一層高まってきた。



 
 
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南ア議会、28日に招集。

日本経済新聞
1994年2月23日
ロンドン=時事

ケープタウンからの報道によると、南アフリカの議会が28日に特別招集され、昨年12月に可決したばかりの暫定憲法の修正案を可決する。会期は2日間だが、3日間になる可能性もある。



 
 
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フェロシリコマンガン、対日輸出価格が軟調 産地値上げ足踏み。

日経産業新聞
1994年2月24日

 フェロアロイ(合金鉄)のひとつ、フェロシリコマンガンの対日輸出価格(スポット)が軟調に推移している。日本の鉄鋼不況で需要が低迷しているため、中国や南アフリカなど産地が値上げを打ち出せない状況。粗鋼生産は九四年も前年実績を下回るとみられ、市場では「フェロシリコマンガンも当面、対日輸出価格が上昇に転じる公算は小さい」との見方が多い。

 中国産フェロシリコマンガンの対日輸出価格は現在一トン四八〇ドル前後(CIF=運賃・保険料込み)、南ア産は五一〇ドル前後(同)。中国品は昨年半ばまでは五二〇ドル前後、南ア品も五五〇ドル前後の取引が中心だったが、日本の粗鋼生産の低迷を理由とした需要家の値引き要求が相次ぎ、その後は値下がりの一途をたどっている。

 海外の輸出業者は「現在の対日輸出価格は採算線を下回っている」と値上げの意向を示しているものの、日本の需要家は「需要が落ち込む局面での値上げは受け入れられない」と反発。九四年の国内粗鋼生産が前年を四 六%下回る九千万 九千二百万トンに落ち込むとみられることなどから、市場では「むしろ今後も値下がりする可能性が強い」との声が支配的だ。



 
 
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非核地帯など説明 駐日南アフリカ大使が広島市役所を訪問 /広島

朝日新聞
1994年2月24日

 駐日南アフリカ大使のクリストフェル・カイザー・プリンス氏が二十三日、広島市役所を訪れた。同国はアパルトヘイト(人種隔離)問題があったため、政府関係者がここ数年、同市役所を訪れたことはなかった。最近の民主化の流れのなかで訪問が実現した。同氏は応対した平岡敬市長に、非核地帯設置など同国大統領が提唱している平和政策について説明した。



 
 
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白人極右が「統治宣言」 二つの町で一方的に 南ア

朝日新聞
1994年2月25日
ナイロビ24日=村上伸一

 南アフリカ共和国からの報道によると、白人極右集団が二十二日、二つの町をデモ行進し、両方の町が自分たちの求める将来の白人独立国家に属する、と一方的に宣言した。最大多数の黒人に初めて参政権が与えられ、旧黒人解放組織「アフリカ民族会議」(ANC)の圧勝が確実視される四月末の選挙への参加を拒否する中で、白人極右の勢力範囲を広げておこうとする象徴的な行動、としている。

 白人極右が“統治宣言”を行ったのは、オレンジ自由州のブルームフォンテーンとナタール州のニューキャッスル。このほか、トランスバール州北部の町では町役場自体が、すでに白人右派による統治を一方的に宣言している。

 これらはいずれも、他の町に比べて白人の人口比率が高いものの、結局は黒人が多数派を占めている。

 白人と黒人の右派合同団体「自由連合」(FA)は、四月末の選挙参加の条件として、白人が独立国家、黒人が中央政府の介入を受けない部族別の自治州の獲得をそれぞれ求めている。要求が認められなければ、内戦も辞さないと公言している。先月から、白人右派が独立国家を構想しているオレンジ自由州とトランスバール州の一部で、高圧線鉄塔や鉄道線路、ANC事務所を狙った爆破事件が四十件以上も発生。この関連で、白人極右集団が警察に逮捕された。

 ANCのマンデラ議長はFAの脅迫を真剣に受け止めるとし、各州ごとの独自憲法制定、民族自決権の保障、国会内で白人の準独立国家樹立を検討する評議会の設置などの譲歩案を提示。今月末からの白人主体の臨時国会で正式に決まり、暫定憲法を改正する。

 だが、FA内部の有力組織は譲歩案の拒絶を次々に表明。白人右派はあくまで独立国家の樹立に固執しており、“統治宣言”は、他の町にも広がりそうだ。



 
 
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白人名士「黒人メードに遺産」 4500万円相当 看病の恩返しに 南ア

毎日新聞
1994年5月16日(金)

【ヨハネスブルク15日福井聡】南アフリカ・ヨハネスブルクで南ア鉄鋼技術連盟会長を務めた白人名士が死亡し、財産150万ランド(約4500万円)を、最期をみとった黒人メードに贈ると遺言した。

 この名士はボタ元大統領の経済顧問も務めたイロル・ドラムンドさん(78)。4月19日に急性心不全で死亡したが、死去するまで10年間看病を続けた黒人メードのグロリア・ムシマンゴさんに時価1200万円の自宅と現金3300万円を贈ると遺言した。しかし、生前ドラムンドさんと親交のあった白人女性が「遺言はムシマンゴさんが誘導したもので真意ではない」と主張して、遺産相続権に名乗りをあげている。主張によると、ドラムンドさんは当初、この白人女性と地元大学への遺産寄贈を表明していたが、死の5日前に「この白人女性が死んだ後」という条件付きでムシマンゴさんに遺産を寄贈すると変更したという。

 南アではまれに、白人資産家が黒人メードに遺産を残す例が起きる。



 
 
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グリニッジ標準時:日本より南アの方が明るい

毎日新聞
1994年5月16日(金)
欧州総局長 黒岩徹

 新生南アフリカのマンデラ大統領が、就任式で「この美しい土地で人が人を抑圧することが、二度とあってはならない。決してだ」と言った時、22年前の出来事を思い出した。

 初めて南アを訪れたとき、交通機関、レストランなどは、白人用、黒人用と分かれ、日本人は名誉白人として白人席に、中国人は黒人席だった。新聞記者の物見高さで中国人と見せかけてレストランの黒人席に座ってみた。隣の白人席とはカーテンだけで仕切られており、白人席から白人たちが、こちらをジロジロ見ていた。その目が、差別の視線を発していた、と知ったとき、体中を言いようのない悪寒が走った。黒人が、反アパルトヘイト(人種隔離)に立ち上がった原動力に、あの視線への憎悪、憤怒、反発があったのではないか−−と南ア黒人運動の報道に接する度に感じていた。

 だがマンデラ氏の偉大なことは、すべてを許せ、と黒人たちに訴えたことである。黒人が、報復を誓ったら、新政権は、黒白の対立に巻き込まれて国の発展を望めない、との現実的判断があった。しかし白人によって27年間、人生の三分の一以上をろう獄で犠牲にした男が和解を訴えたのは、精神の気高さとしか言いようがない。最も白人を恨んでもおかしくない男が「白人を許せ」と言ったとき、その言葉の重みが黒人の胸にずっしり乗ったはずだ。虐げられた27年間があったからこそ、マンデラ氏は権威をもちえたのだ。

 社会の革命的変革が起こるとき、マンデラ氏のような権威をもった英雄が現れるが、必ず名補佐役も出る。今回の補佐役はデクラーク氏である。戦いで最も難しい役柄は、敗北する兵をまとめて退却するしんがりの隊長であるとされるが、デクラーク氏は、まさしく敗軍の将として見事なさい配を振った。極右派白人の取り押さえはできなかったが、大半の白人にアパルトヘイトを続ければ続けるほど、結果は暴力的に悲惨になると説いて納得させた。

 しかし現実には、この権威ある英雄と老練な補佐役をもってしても、南アに山積する問題の解決は難しい。二人が石もて追われることもありうる。英国人テレビ特派員が「確実なことは、不確実性が大きいことである」としゃべっていた。

 おや、どこかで聞いたことがあるなと思ったら、日本にいる同僚が、日本の政治についてコメントした言葉だった。だが、日本の場合、どうすべきか、どうなるか、「一寸先はやみ」だが、南アの場合、挙げられた問題を着実に解決していけば展望が開ける。南アの方が明るさがある、といったら言い過ぎだろうか。



 
 
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台湾、対南ア外交維持 総統訪問で当面の成果。

日本経済新聞
香港16日=山本勲
1994年5月17日

 台湾の李登輝総統が中米、アフリカ四カ国歴訪を終え、十六日シンガポール経由で台北に戻った。李総統にとっては初の各国公式訪問だったが、就任したばかりのマンデラ南アフリカ大統領と会談、当面の外交関係維持に成功するなど、一定の成果を収めたと言えよう。

 李総統は四日に台北をたち、まず中米のニカラグア、コスタリカを訪問した。コスタリカではフィゲレス新大統領の就任式典のために集まった中米五カ国の元首と会談した。中米諸国はかねて台湾の国連復帰を支持しており、李総統はトップ外交を通じてこれら諸国の台湾支持を再確認した。

 今回の外遊の最大の狙いは、南アフリカのマンデラ新政権が直ちに中国と国交を回復し、台湾と断交するのを阻止することにあった。台湾は七六年から南アの白人政権と外交関係を維持してきたが、中国はかねてマンデラ大統領の率いるアフリカ民族会議(ANC)との関係が緊密で、南ア新政権が中国と復交するのは時間の問題とみられているからだ。

 李総統は就任して間もないマンデラ大統領と十一日会談した。十五分間の短い会談だったが、台湾側報道によると双方は「関係をさらに強化することで合意した」(台湾中央通信社)という。

 李総統は南ア滞在中に外交関係のないザンビア、ウガンダ両国の大統領と会談、その後スワジランドを訪問するなど、今後のアフリカ外交の布石も打った。



 
 
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プラチナ、供給過剰幅拡大。

日本経済新聞
1994年5月17日

 英国の大手精錬会社、ジョンソン・マッセイは十六日、プラチナ市場に関する年次報告書「プラチナ1994」を発表した。九三年のプラチナの需要は前年比六・三%増の百二十五・七トンと過去最高だった九一年と並んだ。一方、供給量は南アフリカの増産計画が順調に進んで前年比一四・七%増の百三十六・二トンと過去最高に達し、供給過剰の幅は十・五トンで前年の〇・七トンから大幅に拡大している。

 同報告書は需要の増加について(1)自動車触媒向けが過去最高を記録した(2)日本の宝飾品需要が好調だった(3)円建てプラチナ価格が過去三十年間の最低水準に落ち込んで日本の投資需要が拡大した ことを理由に挙げている。



 
 
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南ア人種融和、経済にも朗報 外資の活動加速へ

日経産業新聞
(世界の鼓動エネルギー・素材)(国際産業評論家 田口定雄)
1994年5月17日

 南アフリカの初の全人種参加による制憲議会選挙が成功裏に実施され、マンデラ大統領を中心とする「人種融和」の新政権がスタートした。

 このことは戦後最悪の不況からの回復過程にある同国経済にとっても朗報といえよう。八六 九二年の西側諸国からの経済制裁の後遺症を脱し、国際社会に本格復帰するためには、政治的安定と外資誘致が不可欠だからである。

 しかし、南アの主要産業にとって、市場開放は国際競争の寒風に身をさらすことでもある。石炭化学をベースに独自の発展をたどった南ア化学工業界でも、人員削減や合併・提携による合理化が進められてきた。

 南アの化学工業の売上高は九二年に約三百四十五億ランド(約九十八億ドル)で、製造業売上高の一八%、従業者数は約十万人で製造業雇用の七%を占める。三大企業が化学売上高の三〇%を占める。

 最大手のサソールは、石炭からの合成燃料を生産する国営企業であるが、肥料と火薬に多角化、さらに合成燃料と並産されるオレフィン、アルコール、ケトンなど「石油化学製品」に進出し、最近はPPやアクリル繊維、アルファ・オレフィン、パラフィン・ワックスなどに展開するなど、石油価格の低迷から、合成燃料よりも高付加価値の化学品生産にシフトしてきた。

 そのサソールが、昨年、第二位のAECIと、オレフィンおよびポリマー事業を統合して、合弁会社「ポリフィン」を設立、業界再編を先導した。新会社にはサソールのエチレン、プロピレン(各年産四十万トン)、PP(十二万トン)事業、AECIからはポリエチレン(LDPE八・六万トン、LLDPE七・三万トン)、PVC(十六万トン)、食塩電解およびシアン化物の各事業が編入され、年間売上高二十五億ランドの石化最大手となる。

 AECIがこの統合を決断した狙いが原料からの一貫生産にあるのは明らかだが、とりわけ塩ビ生産をカーバイド・アセチレンからエチレンに原料転換することによって一五 二〇%コスト削減できることが大きな魅力であり、九六年完成予定で塩ビモノマー年産十六万トン設備の建設を準備中である。

 もう一つの重要な業界再編はAECIと英ICIの関係が再編成されたことである。すなわち、ICIはAECI産業用火薬部門の五一%を取得する代わりに、AECIへの持ち株比率を三八%から一三%に引き下げた。

 これによりAECIは、ICIとの関係をある程度維持しつつ、他企業との提携が容易になった。ICIは昨年、ゼネカ分社化を機に世界的にコア事業に集中する事業再編中で、今回の措置はその一環。

 第三位のセントラケムも投資や提携戦略を強化している。ヘキストと合弁のサフリポールは高密度ポリエチレン(HDPE)やPPを生産しており、ポリフィンとはライバルになる。一方ではセントラケムはサソールとアルキルアミンを共同企業化中。同社はまた、塩化シアヌール酸やクエン酸の工業化を進め、農薬合弁のサナケムを全額出資に移す計画である。

 南ア化学工業への外資進出は制裁期間中も完全に途絶えたわけではなく、同国第四位のヘキストをはじめ、欧米二十社足らずの多国籍企業が売り上げの二三%を占めているといわれる。政情が安定すれば南ア市場の将来性にかける外資の活動は加速されよう。



 
 
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93年のプラチナ需要、車触媒向けなど最高 ジョンソン・マッセイまとめ。

日経産業新聞
1994年5月17日

 英国の大手貴金属メーカー、ジョンソン・マッセイ(ロンドン)は九三年のプラチナの世界市場に関する統計をまとめた。需要は自動車触媒向けと宝飾品向けが過去最高を記録したことにより、前年比六%増の百二十五・七トンとなった。一方、供給は南アフリカの生産増加で過去最高を記録、前年比一五%増で需要を上回る百三十六・二トンとなった。同社は九四年の需給について、需要は小幅に増加、供給は南アの生産の伸びが鈍化する、としている。

 需要では、最大の自動車業界向けが日本の生産台数減少にもかかわらず、前年比四・七トン増の五十二・九トンになった。また宝飾品向けは日本市場で低価格帯商品が好調で、前年比三・一トン増の五十・一トンとなった。

 供給では南アフリカが前年比十九トン増の百四・五トンを生産。ロシアの売却は二・二トン減少して二十一・二トンにとどまった。



 
 
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仏大統領が南ア訪問 経済支援計画を発表へ

毎日新聞
1994年7月5日(火)

【ヨハネスブルク4日福井聡】フランスのミッテラン大統領は4日、南アフリカ公式訪問のため2日間の日程でケープタウンに到着した。西側先進国の元首の南ア訪問は、5月上旬にマンデラ大統領による黒人主導政権が発足し、アパルトヘイト(人種隔離)政策が撤廃されて以来初めて。

 ミッテラン大統領は同日午後、南ア国会で演説し「フランスは南アの民主主義が完全に根付くよう支援を惜しまない。来世紀のフランス・南ア関係が、これまで以上に緊密なものとなるよう期待する」と強調。アパルトヘイトを廃絶した南アへの全面支援を約束した。

 今週末の先進国首脳会議(ナポリ・サミット)では、南ア経済支援が主要議題の一つとなっており、ミッテラン大統領は滞在中に大規模な経済援助計画を発表することになっている。またマンデラ大統領との会談では、フランス軍が人道支援のために介入したルワンダ情勢への対応などを協議する。

 来年の大統領選に出馬しないとみられているミッテラン大統領は、歴史的選挙を終えた南ア訪問で「ミッテラン時代を内外に印象付けたい」(外交筋)ようだ。



 
 
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マンデラ南ア大統領が退院

毎日新聞
1994年7月15日(金)

 南アフリカのマンデラ大統領は14日、左目の白内障の手術を終え、入院先のヨハネスブルクの病院を退院した。

 執刀医によると、大統領はケープタウン沖のロベン島刑務所で政治犯として服役していた時、石材切り出しの強制労働で涙腺を痛め、それ以降、涙が流せない状態が続いていたため、今回の手術で涙腺も併せて治療した。

(ヨハネスブルク・ロイター共同)



 
 
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南ア、非常事態宣言を廃止

毎日新聞
1994年9月2日(金)

 南アフリカ政府は1日、今年4月の制憲議会選挙実施前の暴力抗争対策で、クワズールー・ナタール州全域に施行していた非常事態宣言の廃止を発表した。同宣言廃止は5カ月ぶり。同州内では4月選挙後もインカタ自由党(IFP)とアフリカ民族会議(ANC)の支持者の間で部分的な抗争が続いたが、新政府は先月末までにほぼ沈静化したとして廃止に踏み切った。(バマコ=マリ=福井聡)



 
 
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CORVETTE OR FRIGATE IT S STILL A WARSHIP

Mail&Guardian
Chris Louw
September 02, 1994

IN Denmark they are known as frigates, powerful battleships used in war. But South Africa's Minister of Defence, Joe Modise, insists that they are nothing more than corvettes, or patrol boats.

The South African Navy will soon acquire four "corvettes" from a foreign country, and indications are that Denmark will be granted the tender in return for buying South African coal.

This week a Danish frigate, the Vaedderin, docked in Cape Town's harbour and the public was allowed on board for a sneak preview. Modise was treated to a dinner on the Vaedderin on Wednesday evening.

In a recent speech in parliament, Modise insisted that the navy intended buying corvettes "and not frigates". However, military sources disclosed this week that the Danish ships on offer and eyed by Modise are in fact frigates. This is confirmed by leaflets distributed by the Danes to visitors.

"All that is needed is to remove one container on the ship and replace it with missile guns to change the 'corvette' back to a frigate," an expert said.

The Vaedderin docked in Cape Town at a time when the navy chief, Vice-Admiral Robert Simpson-Anderson, was being entertained by the government in Denmark. Rumours that Simpson-Anderson was secretly flown out by helicopter to inspect the Vaedderin before it docked in Cape Town could not be confirmed.

The ANC leftwing strongly opposes the strengthening of South Africa's military capability. Permission has, however, been given to the National Defence Force (SANDF) to acquire patrol boats.

This is believed to be the reason why the frigates are now being disguised as "corvettes'.

Deputy defence minister Ronnie Kasrils recently referred to the navy as the "cutting edge" of the SANDF. The navy hopes to be given the green light to purchase "corvettes" after years of behind-the-scenes lobbying. It is believed that naval officers were flown to Denmark during the sanction years to inspect the ships.

* Collins Dictionary describes frigates as: "Brit, a warship smaller than a destroyer; US, a warship larger than a destroyer." A corvette is described as "a lightly armed escort warship".



 
 
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KASRILS CAUGHT UP IN ARMY LAND BATTLE

Mail&Guardian
Stefaans Brummer
September 02, 1994

DEPUTY defence minister Ronnie Kasrils this week found himself caught in the middle of tensions between the Northern Cape ANC and the army. ANC VIPs were barred from entering the army's Lohatla battle-training school, at the centre of a land dispute, when Kasrils and Land Affairs Minister Derek Hanekom went on a fact-finding mission last Thursday.

Hanekom and Kasrils visited the giant army base north- west of Kimberley to investigate a dispute between the Khosis Griqua community, who claim title to part of Lohatla, and the army, which wants 30 to 40 remaining Khosis families to vacate the base. The ANC and Hanekom have opposed the removals.

While a party including Hanekom and Kasrils were flown into the base for an army presentation and to talk to the Khosis, troops refused road entry to legislator Abdul Panker, ANC provincial secretary general William Steenkamp and other ANC representatives, the Khosis' lawyer, media and a representative from the National Land Committee. Heated arguments followed.

Also barred was a delegation from a Tswana community allegedly forcibly removed in 1977 from the area and shunted to former Bophuthatswana, who now demand to be allowed to return to their land. The Tswana delegation staged a placard demonstration at an entry gate.

No one was willing this week to own up to issuing the no- entry orders. Steenkamp said a lieutenant colonel at the gate had told him the orders had come from National Defence Force chief General Georg Meiring and the commander of Lohatla.

Steenkamp charged it was a clear example of "absolute non-recognition of the new government" by the military. Steenkamp said he was under the impression Kasrils had been expecting to meet him in Lohatla. National Defence Force communication chief Major General Gert Opperman said the ministerial visit had been a "private fact- finding mission".

While Opperman would not say who had issued the orders, military sources pointed fingers at the Ministry of Defence, both for creating the perception among Steenkamp and others that they were welcome, and for ordering that they not be allowed in.

A ministry spokesman dismissed the charges as "disinformation", and Northern Cape premier Manne Dipico, who accompanied Kasrils and Hanekom, said it was "nonsense" that the Defence Ministry had given the orders. He said he had informed Kasrils before the visit that Steenkamp would be there.

Meanwhile, high-level meetings have been scheduled in a bid to solve the land dispute. A Kimberley Supreme Court application has been postponed to early December to allow the parties time to settle.

The Defence Ministry, in an application launched under the De Klerk government, wants to eject the Khosis from Lohatla. The Khosis are challenging the army's right to 72 000ha of the total 135 000ha comprising the battle school.



 
 
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1994.11.30

南アに駐在員事務所 NEC 通信インフラに参入

日本経済新聞

NECは12月1日、南アフリカ共和国に駐在員事務所(ヨハネスブルク市)を開設する。南アは今年5月にマンデラ政権が誕生、経済復興に向けた5カ年計画を推進しており、通信インフラなどの需要が見込めると判断した。同国の通信インフラビジネスは独シーメンスと仏アルカテルが独占していた。米AT&Tも今夏に事務所を設立したばかり。NECは2 3年後に伝送装置など通信機器の現地生産を検討しており、今後、5年間で年間100億円規模の事業に育てる考えだ。

駐在員事務所は5人でスタートする。営業範囲は南アのほかナミビア、ボツワナなど5カ国。93年11月の対南ア経済制裁解除とその後のマンデラ政権の誕生で政情が安定してきたことに対応、第一弾として通信インフラ整備事業への参入を目指す。情報・放送機器などの受注活動も行い、駐在員も増員する。

対南アビジネスでは日本の家電メーカーや自動車メーカー、商社などが駐在員事務所を構えているが、通信機メーカーではNECが初めて。同国の電話普及率は10%とアフリカ諸国の中では高いが、地域によってばらつきが目立っている。マンデラ政権は通信インフラなどの地域格差是正に積極的で、需要の拡大が見込まれている。NECの参入で、日米欧通信機メーカーの受注競争が激化しそうだ。



 
 
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1994.11.30

南アフリカでのトラック生産開始 三菱自動車・ベンツ提携

日本経済新聞

フランクフルト29日=柿木英人

三菱自動車工業と独メルセデス・ベンツによる南アフリカでの提携事業が29日、動き出した。この日同国イースト・ロンドンにあるメルセデスの工場で、三菱のピックアップ・トラック「コルト」の組み立てラインが稼働、一号車が完成した。同事業は三菱グループ4社とダイムラー・ベンツ・グループが93年11月のベルリン会談で合意した6項目提携の一つで、90年春にスタートした両グループの提携では初めての本格的事業といえる。南ア工場では2、4座席のコルト9車種を年産8000台生産する予定。



 
 
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来月、マンデラ大統領来日

毎日新聞

1995年6月6日朝刊

政府は6日の閣議で、南アフリカ共和国のマンデラ大統領を7月2日から6日まで国賓として招くことを決めた。

マンデラ大統領は滞在中、天皇、皇后両陛下主催の宮中晩さん会に出席するほか、村山富市首相と会談する。マンデラ大統領は過去2回日本を訪問しているが、大統領就任後は初めて。



 
 
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1995.6.18

アフリカの首脳会議欠席に批判も

毎日新聞

ヨハネスブルク支局

南アフリカのマンデラ大統領は、26日から28日までエチオピアの首都アディスアベバで開かれる「アフリカ統一機構」(OAU)首脳会議に欠席する。同時期に国内行事があるほか、7月2日からの訪日日程が迫っているため。ただ「アフリカの顔」でもあるマンデラ大統領のOAU欠席に批判も出ている。



 
 
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1995.7.17

禁止令破り心臓移植 州当局が解雇求める

日本経済新聞

ニュースギャング ヨハネスブルク=共同

世界初の心臓移植手術が実施された南アフリカで、このほど首都プレトリアにある大学病院の外科医が州当局の禁止令を破って心臓移植手術を強行、州側が医師の解雇を求める事態になった。

16日の新聞報道によると、プレトリアのあるハウテン州当局は「心臓移植は多額の費用が掛かる。移植を中止し、浮いた予算を遅れた黒人医療の改善に回す」と提案。今年1月、当面州内での心臓移植を禁止して、患者を1967年に初の心臓移植に成功したケープタウンの病院に転院させることを決めた。

しかし、プレトリア大病院のサーフォンテーン医師(32)が先週「患者を長期間、集中治療室に収容するより、移植手術をした方が費用が安い」として白人男子学生(22)に心臓を移植した。



 
 
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1995.7.18

プラチナ、円安受け3カ月ぶりの高値

日本経済新聞

プラチナの国内現物価格が17日、上昇し3カ月ぶりの高値を付けた。海外高や為替相場が円安に振れていることを受けて大手地金商が売値を引き上げた。17日の大口需要家渡し価格は1グラム1279 1289円と先週末に比べ19円高く、4月上旬の高値に戻した。

世界最大のプラチナ生産国である南アフリカ共和国で鉱山ストライキの公算が高まり国際価格は伸び悩む金、銀などとは対照的に基調を強めている。



 
 
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1995.7.18

漁船で短銃200丁密輸 南アから 容疑の元船員2人逮捕

日本経済新聞

静岡県警と沖縄県警は17日午後、約200丁の短銃と実弾約4000発を密輸入したとして、銃刀法違反の疑いで沖縄県宮古郡城辺町西里添704-8、元マグロ漁船員、伊良部博(44)、千葉県館山市那古1164-5、同、坂田敏之(39)の両容疑者を逮捕した。

伊良部容疑者らが密輸入したのはブラジル製の「ロッシ」(38口径)で、現在までに静岡県や沖縄県など19都道府県で約60丁が押収されており、その中には、92年3月20日、栃木県足利市の市民会館大ホールで起きた金丸信自民党副総裁(当時)狙撃で使用された銃も含まれていることが分かっている。

静岡県警などの調べによると、伊良部容疑者らは91年3月ごろ、南アフリカ共和国のケープタウン市内の銃砲店で短銃195丁、実弾約4000発を購入、同市に停泊中のマグロ漁船に積み込み、同年8月、静岡県の清水港から密輸入した疑い。

これまでの調べで、伊良部容疑者らは89年ごろからこれまでに同様の手口で数回にわたり数百丁の短銃を密輸、暴力団関係者に売りさばいたとみられ、警察庁は情報交換のため、近く担当官を南アに派遣する。



 
 
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1995.9.1

Corruption probe into Sanco donations

Mail&Guardian

Stefaans Brummer

Cash donations made by developers to the civics organisation are to be investigated by police, writes Stefaans Brummer

THE South African National Civics Organisation (Sanco) acknowledged this week its relationship with business donors was "open to manipulation" following charges that the movement had accepted bribes from developers in the Free State.

Free State MEC for Safety and Security Papi Kganare instructed the police commercial crime unit to investigate corruption charges against, among others, Sanco, developers Stocks & Stocks and Ninham Chand Consultants. It was claimed last week that both companies had paid, or promised to pay, tens of thousands of rands to Sanco at a time when Sanco could have influenced tender decisions affecting the

Meanwhile, Sanco has owned up to "records of understanding" with more private and state-owned companies, including Sun International, Spescom, Escom, the Post Office and Telkom. Sanco also had a R2,2- million deal with Professional Builders in respect of the Ironsyde housing development in Vereeniging, the same development that spawned an ongoing corruption investigation against Winnie Mandela and the company Professional Builders earlier this year.

Sanco president Mlungisi Hlongwane told the Mail & Guardian this week Sanco still believed its policy of accepting "donations" from individual companies was, in principle, correct. But he acknowledged it was "open to manipulation" and that "many of our structures may be unavoidably sucked into that".

Next month his national executive committee would review Sanco's relations with companies that had an interest in government contracts; in the meantime, it was consulting former executive committee members now in national and provincial government who had entered Sanco into earlier records of understanding with companies, Hlongwane said.

Kganare's announcement of a corruption probe followed publication by the Sowetan of details from minutes of a Sanco Free State working committee meeting on June 13, which note that developers Stocks & Stocks promised R150 000 to fund a Sanco conference, and of evidence that Ninham Shand Consultants had promised to co- ordinate building contractors to donate R52 000 for Sanco loan guarantees and administration costs.

Both companies, the article said, had at the time tendered in a provincial contract for a R60-million shopping complex in Bloemfontein -- while the provincial tender board contained two members nominated by Sanco.

The minutes note: "Development of Hoffman Square, a proposed multi-million rand complex, has been hampered by a bad impression created at the tender board as Stocks has been treated very badly. This hindrance could have a zero response on the R150 000 funding towards Sanco's conference." Stocks & Stocks, which was later awarded the tender, has confirmed it gave Sanco R210 000 and "other assistance".

The M&G has a copy of a document, dated May 21 1994, in which Professional Builders Bop managing director Vic Daniels promised a "donation" of R2,2-million to the local Sanco structure in respect of a housing development it wanted to start at Ironsyde,

It appears that Daniels had not yet secured all rights from authorities, and that a good word from civic leaders could have clinched it. The document makes it clear that payment of the "donation" was dependent on Sanco providing "adequate protection for construction workers, delivery vehicles and building inspectors"; on Sanco ensuring that repayments to finance houses "not be boycotted" by the community; and on Sanco "assisting with the marketing of this project to ensure its speedy and successful completion".

The question to be asked of the Ironsyde agreement -- and about records of understanding with other companies -- is whether Sanco's side of the deal can be equated to a demand for "protection money", and whether a clause like Sanco "assisting with the marketing of the project" means Sanco will use its civic influence to get authorities to approve a development.

Internal resistance and leakage of details apparently led to Sanco pulling out of the Ironsyde deal. But just how thin the ice the movement was skating on is demonstrated by what happened when, as it is alleged, Winnie Mandela took Sanco's place.

When Mandela's home, the offices of her Co-ordinated Anti-Poverty Programme and premises connected to Professional Builders were raided by police earlier this year, a document surfaced which appeared to confirm that Professional Builders Bop had given Mandela an option on 50 percent of the shares in a new company, Professional Builders South Africa. The document appeared to show that Mandela, then still deputy minister, had nominated her daughter Zinzi as owner of the shares.

The implication was that shares would have been dished out in exchange for Mandela using her influence to get approval for the development proposal. Police confirmed this week that Professional Builders, its directors and Mandela were still under investigation for alleged contraventions of the Companies Act and the Corruption Act -- and that the investigation was "aimed at proceedings in court".



 
 
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1995.9.1

Whose version of socialism

Mail&Guardian

ANC MP Ela Gandhi argues that the state's social assistance schemes are discriminatory, and should be extended to all

Among the many pieces of apartheid legislation in our country there is one which has major implications for the Government of National Unity -- the Social Assistance Bill and its regulations.

In terms of this Bill, grants and pensions are provided. The most radical form of social assistance programmes was introduced by the National Party soon after it came into power, but sadly it was extended only to the white community, and later to the Indian, coloured and African communities on a descending scale.

The NP implemented a comprehensive welfare policy for the white community, yet it extended a residual scheme for the black population and continued to advocate it. When one looks at the success of the welfare scheme for whites in the past, one begins to realise how socialist the NP really was.

The dilemma that the welfare movement faces now is that financial assistance schemes which provided for the Indian, coloured and white communities have not been extended to Africans. One such facility is the maintenance grant, which is a grant awarded to widows, disabled widowers, single parents, and to spouses and children of people who get an old age pension, disability grant or war veteran's pension. It incorporates a grant for the parent and grants for each child to a maximum of four children.

This grant is presently being awarded to Indians, coloureds and whites and I believe a few Africans. The majority of Africans do not receive this grant. So the scheme is discriminatory both in terms of race and in terms of the number of children it is extended to.

The racial discrimination cannot be tolerated, but one can argue that the limit of four children is due to financial constraints and that the grant can be utilised by the family as a whole. The provisions do not impose any exclusion of children from benefits.

Some 500 000 people benefit from this facility at present. If it is extended to Africans, it will result in a sharp increase in the budget of the Welfare Department. Estimates range from R4-billion to R16- billion.

Are we ready to provide a safety net for our widows, orphans and destitute? Are we going to deprive the 500 000 who now depend on these grants by cancelling the grants they presently receive? Or are we going to continue to protect the "haves"?

If the latter , most of these families will be destitute. Having worked with thousands of families who are dependent on these grants, I know the struggle they have to survive. At the same time, there are those women who are presently struggling to survive on a pittance derived from agriculture, and other informal business, and do not have the privilege of any state assistance. They have no child care facilities. By cancelling grants we will only encourpoverty. The question is whether South Africa is prepared to accept this responsibility.

There are those who believe that these grants are being abused. From my own experience I can vouch that the proportion of people who abuse grants is very small. Yet there is a high rate of unemployment in South Africa.

These grants are paid to single parents with children and to parents who are disabled, old or in receipt of a war veteran's pension. Criteria such as age of the parents, limitation on the number of children for whom the grant will be paid without depriving others from benefiting from the grant, providing the grant to people who are not living with a partner, and having a ceiling on income and property valuation, would limit the number of people that would qualify, and also deal with the issue of people who may exploit the welfare provisions. Others, of course, can benefit from unemployment benefits and other social security.

Alongside these security measures, there has to be a concerted effort to create subsidised child care facilities and employment opportunities which would encourage people to move away from social security and into the mainstream of the economy.

Let us devise a programme which offers a true safety net for our people and at the same time creates opportunities, services and development programmes which will be able to absorb the potential skills and energy of the people.



 
 
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ピンクダイヤがキラリ 市場成長率5-10% 95年、豪鉱山見通し

日本経済新聞

1995年9月2日 朝刊

世界のピンクダイヤの8-9割を生産するアーガイルダイヤモンド(オーストラリア・パース市)は、95年の市場成長率が前年並みの5-10%を維持するとの見通しを示した。一般的なホワイトタイプも含めたダイヤモンド全体では欧州、日本などの小売市場が冷え込んでいるが、「ピンクダイヤは希少性が高く、0.1カラット程度の値ごろ感のあるタイプは特に需要がおう盛」(同社デービッド・ファードン氏)という。

ピンクダイヤモンド相場はホワイトタイプの20-25倍程度するといわれる。同社は、世界のダイヤ原石の8割を握るデ・ビアス(南アフリカ共和国)を通さず、独自の入札会でこのダイヤを販売している。

4月から東京で始まる今年の入札会では、合計45.22カラットが出品され、香港、ジュネーブでも開催する予定。



 
 
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南ア政権、分裂の危機 副大統領が「軍介入」発言 誤報加わり人種対立激化

毎日新聞

1995年10月17日朝刊

【ヨハネスブルク15日藤原章生】昨年5月のマンデラ政権成立後初の統一地方選を来月1日に控えた南アフリカでは、多数派のアフリカ民族会議(ANC)とデクラーク副大統領率いる国民党との間の対立が激化してきた。一時はデクラーク氏辞任のうわさも飛び交い、ズールー族主導のインカタ自由党を加えた三党連立で昨年スタートした国民統一政府は、地方選を前に分裂の様相さえ見せ始めた。

くすぶっていた両党の確執は11日付の南ア紙「シティ・プレス」による誤報を機に激しさを増した。デクラーク副大統領がインタビューで「大統領時代に軍を介入させていれば5年から10年は政権を維持できた」と発言した。ところが、紙面では「大統領職復帰のためには軍の招集も辞さない」と伝えられ、ANC閣僚の反発をあおった。

マハラジ運輸相(ANC)が「国家を脅迫した」としてデクラーク紙の閣僚委員会議長職をはく奪するようマンデラ大統領に提案。翌12日にはデクラーク副大統領「辞任」のうわさまで流れた。

誤報やうわさはマンデラ大統領が「デクラーク氏も私も互いを必要な存在と認めている」との声明を発表して否定された。だが、15日にヨハネスブルクで開かれたANC集会では、誤報が既成事実して取り上げられ「黒人政権移行を遅らせる旧アパルトヘイト(人種隔離)政権のやり口」との非難が繰り返された。

一方、デクラーク副大統領は「国民党批判はANCがパニック状態にある証拠」と反論している。

国民統一政府は、昨年4月の総選挙で圧勝したANC(得票率62%)、国民党(同20%)、インカタ自由党(同10%)の三党連立で同年5月にスタートした。しかし、黒人の生活向上を公約に掲げるANCと旧来の利権維持を図る国民党、州の自治権拡大を狙うインカタでは歩調が合わず、今年に入り対立があらわになり始めていた。

11月の地方選挙も白人主体の農場経営者団体や黒人貧困層らが現政権への不満を理由にボイコットを表明、貧困層を中心に未登録者も多く、選挙運営に懸念が出ている。



 
 
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人種隔離政策時代の政治・人権犯罪を検証へ 南アフリカの「真実委員会」

毎日新聞
1995年10圧23日朝刊

【ヨハネスブルク22日藤原章生】南アフリカ政府は21日、人種隔離(アパルトヘイト)政策時代の政治、人権犯罪を検証する「真実委員会」の委員候補299人を発表した。候補者にはツツ大主教をはじめ、映画「遠い夜明け」の主人公にもなった元編集者ドナルド・ウッズ氏、人気テレビ司会者デニス・デービス氏ら著名人が名を連ねている。選考委員会が1週間以内に候補者を40人に絞り、最終的にマンデラ大統領が11から17人の委員を決定する。真実委員会は結成後1年半にわたり、個別犯罪について恩赦の対象になり得るかどうかを討議する。



 
 
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南アフリカ人殺害 英国人に死刑判決 日本経済新聞
1995年11月11日 夕刊

【シンガポール=ロイター】シンガポールの裁判所は10日、南アフリカ人を殺害したとして起訴された英国人ジョン・マーティン被告(35)に死刑判決を言い渡した。

シンガポールは、昨年9月に麻薬所持でオランダ人が欧米人として始めて死刑判決を受け、処刑されたが、殺人罪での欧米人への死刑判決は初めて。



 
 
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「大きな衝撃」マンデラ氏

毎日新聞
1995.11.11
オークランド11日大塚智彦

英連邦首脳会議に参加している南アフリカのマンデラ大統領は11日、サロウィワ氏処刑について、「大きな衝撃を受けている。ナイジェリア軍事政権による民主化に疑問を抱かざるを得ない」とのコメントを発表した。



 
 
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すぐ再婚?

毎日新聞
1996/01/05
[海外の社会面]ロイター

 南アフリカのマンデラ大統領が、女性誌「コスモポリタン」の南アフリカ版で、「最も結婚相手にふさわしいセクシーな男性」に選ばれた。同誌によると、マンデラ氏には「女性が男性に求めるものすべてがある」とか。「すごくパワフルなうえに優しくて思慮深く、ユーモアのセンスも抜群」「えくぼがキュートで笑顔は世界一、洋服のセンスもいい」など、ベタぼめの連発。マンデラ大統領は夫人のウィニーさんと離婚を協議中だが、77歳の高齢といえ、この様子では再婚話もあり得そうだ。



 
 
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Avoiding the unavoidable

Mail&Guardian
1996/01/05

The truth commission nears, but the main players in the drama -- from National Party leaders to MK guerrillas -- show little inclination to step forward

PIK BOTHA says he has nothing to confess. Former police minister Adriaan Vlok says ex-president FW de Klerk is going to do it for him. And one time military intelligence chief Tienie Groenewald hints his story may be told as part of a group "confession".

A week before President Nelson Mandela names the chairman of the key amnesty committee within the Truth and Reconciliation Commission, most of those from the former government who will have to come forward to describe their part in the war have made no preparations.

Only a handful, mostly former security force operatives who have already told much of their story to the press, but want their bosses to take the rap for giving the orders, have given serious consideration to the road leading to the truth commission. Some have consulted private lawyers who are weighing up the implications of the bulky legislation. The rest are either saying, like Pik Botha, that they do not need to confess, or are waiting to see how the commission shapes up, or are trying to avoid the inevitable.

But it is not only former South African government operatives who are hoping the truth commission will go away, but some from the liberation movements as well.

While former umKhonto weSizwe chief Joe Modise has already publicly committed himself to going to the commission, some of the men he commanded are less than sanguine about confessing who bombed what and whom.

They, who physically fought against apartheid, are more than uneasy at being processed through the same system as the men who went to war to maintain the status quo.

And Patricia de Lille, one of only two Pan Africanist Congress members of Parliament, says some Azanaian People's Liberation Army members will not go forward to confess to the commission.

This includes operatives who presently have no temporary indemnity and could therefore be prosecuted at any time.

And then of course there are the abuses by the African National Congress in exile, both in its camps and at its headquarters in Lusaka. The truth commission will have the muscle, and will use that muscle and information already in the public arena, to subpoena and identify precisely which ANC guard/official hurt whom, and how much.

When the names of the 17 commissioners were gazetted on December 15, the clock started ticking towards the two-year deadline set by Parliament for the truth commission to finish its work. And deputy chairman of the commission Alex Boraine is fairly optimistic the commission will be ready to begin officially collecting information and processing applications for amnesty by the end of this month.

But although the day of reckoning is at hand, the main players in what is going to be the great unfolding drama of 1996 have not yet engaged the reality of the road ahead.

Those who fail to seek amnesty can be prosecuted at any time after the commission closes up shop in 23 months' time, and that includes all those senior members of the ANC who still have temporary indemnity from prosecution granted in 1990 -- a process set in motion by the former government to allow negotiations to proceed

And anyone already charged in a court of law will be unable to apply for amnesty until the trial is over, so there could be a rush of arrests before the end of this month when the commission begins work.



 
 
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Which judge will head the amnesty probe?

Mail&Guardian
1996/01/05

LEGISLATION provides for a judge to head up the truth commission's amnesty committee, and legal insiders say President Nelson Mandela is likely to appoint a supreme court judge: either Judge Andrew Wilson from the Natal Provincial Division Supreme Court or Judge Edwin King, a supreme court judge from the Cape. An outsider also being punted is Judge Mahomed Navsa from the Transvaal Provincial Division Supreme Court in Pretoria, although he is relatively inexperienced, having only been appointed within the last year.

It may be that the president appoints two judges as both chair and deputy; two members can then be appointed from among the 17 commissioners, including themselves, and three others.

The second committee, which is already in place, deals with human rights violations. It is here the commission will get much of its information -- which can be given, if requested, in secret. Information given can not be used against the informants, but inevitably lawyers will advise their clients not to come forward unless there is about a 90 percent chance of the information leading to amnesty.

And there are some informants who can come forward simply to help investigators. Among them will be the victims of human rights abuses and their families.

The truth commission will have probably cost taxpayers about R100-million by the time it closes up shop, if its budget is passed in March.

Its operational headquarters are in Cape Town, but it will hold regional hearings. It will have a staff of between 150 -- 200 which will be recruited as the need arises.

The amnesties to be considered will include applications from those in jail, for example former policeman Brian Mitchell, sentenced to death for his part in the Trust Feeds massacre in which 11 people, including women and children, were killed.

His application for amnesty under the previous dispensation was turned down.

There are five Zimbabwean citizens in prison in Harare for treason and murder -- the last of the National Party's agents still in jail. They are looking for freedom via the truth commission, but this is a difficult diplomatic problem and Harare wants to know even more than was led as evidence in their trials.

There are about 2 000 applications for amnesty held over from the previous dispensation, but sources in the Department of Justice believe about 90 percent of them are from chancers.

It's a mammoth task, the clock is ticking and former police minister Adriaan Vlok said this week: "It's hanging over us. I wish it was over."



 
 
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The unwilling and the unready

Mail&Guardian
1996/01/05

FW De Klerk won't say. Pik Botha has nothing to hide. The IFP leaders won't co-operate ...

FORMER president FW de Klerk would not confirm or deny whether he is going to seek amnesty.

He said this week: "As is known, other leaders from the former dispensation and I are at present preparing at our own initiative a comprehensive submission for the truth commission on all relevant aspects of the past conflict.

"We will approach the whole process positively and in the letter and spirit of the Constitution. I trust that other leaders from other political parties and movements who were involved in the conflict of the past will take the same position.

"We will not allow the process to be exploited against us for party political purposes. I have nothing to hide."

De Klerk would not state what status his submission would take, nor how it would be addressed, nor how he expected it to be dealt with when the commission gets going.

Former foreign affairs minister Pik Botha is adamant that he has nothing to confess to the truth commission and that there is no reason for him to seek amnesty.

This is despite the fact that he served apartheid governments for decades, held a key portfolio and was a decision-maker in the State Security Council.

"The members of the State Security Council -- people like myself, Barend du Plessis and Neil van Heerden -- would not sit together and plan the cold-blooded murder of any other party and I hope that nobody in this country believes that we did," he said this week.

Botha said he would be happy to testify as a witness at the commission, if subpoenaed: "If I could throw light on any matter I would welcome it," he said, "but I have nothing to tell them -- I was not party to any decision that can be considered as a criminal offence in terms of South African law."

Pik Botha said that cross-border raids in retaliation for ANC attacks on South African civilians had been justified in terms of international law and he claimed these acts had been supported by the vast majority of South Africans at the time.

When asked who were the dirty players under apartheid rule, if not the cabinet and the security council, he replied:

"I read of cases subsequently that came as a shock to me and my colleagues about things that took place ... let that evidence come out in the truth commission."

When told that he had not answered the question, Botha responded: "I am not in the dock and you are not a judge ... How must I know who those people were? ... I was working in foreign affairs 24 hours a day. Where were the investigative journalists then? I would welcome the opening up of these things ... I have reason to believe that my phones were tapped and I was being observed and I would like to know by whom."

Botha said he hoped that the truth commission would be a positive experience for all South Africans.

Said Mo Shaik -- formerly MK, now a senior intelligence adviser: "I have been thinking about the question of applying for amnesty. I did apply for indemnity in 1991 for Operation Vula and I am not sure whether I will have to reapply ... I shall be guided by MK and its political leadership as to what I should do."

Philip Powell, an Inkatha Freedom Party senator alleged to have been involved in "third force" activities and in violence in KwaZulu-Natal, had no comment when asked whether he would be applying.

The IFP's spokesperson on the truth commission, Senator Ruth Rabinowitz, says: "The likelihood that members of the IFP will come forward willingly and tell their tales to the commission is slight. They may well fear reprisals ... particularly in the light of the ongoing assassinations of IFP members in KwaZulu-Natal.

General Tienie Groenewald, Freedom Front senator and one of those accused in the 1987 KwaMakutha massacre, said he would not apply for amnesty "in his personal capacity", and had not even considered doing so. But he was at pains to point out he was not attempting to defy the commission.

General Constand Viljoen told the Mail & Guardian in an earlier interview he would consider applying for amnesty regarding "actions by myself and the farming community for the period prior to the elections when it was our aim to exert pressure on the political process and when we planned a war".

National Intelligence Agency employee and former ANC intelligence operative Ricky Nkondo said: "I am not going to appear before the commission. I see no reason why I should."

The premier of Northern Province, Ngoako Ramatlhodi, who worked in the late ANC president Oliver Tambo's office in Lusaka, has also not made any firm plans over seeking amnesty, and his spokesman Jack Mokobi is not sure whether his chief will need to go to the truth commission.



 
 
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THE CHRISTMAS MASSACRES

Mail&Guardian
1996/01/05
Eddie Koch and Mehlo Mvelase

The man who buried his family ... is murdered himself ...on Christmas day

Eddie Koch and Mehlo Mvelase on the tragic life and death of Kipha Nyawosa

THERE are two things about Kipha Nyawosa that endure from the discussions we had with him before they came and ripped out his heart on Christmas Day.

The first was a fatalism, an almost detached acceptance, that he would die like the rest of his family. The second was an uncanny sense of humour, an ability to laugh and smile, in the face of the trauma which surrounded him. Both were macabre symptoms of the terror that has gripped parts of KwaZulu-Natal.

We first met Nyawosa in September last year during a visit to Shobashobane. He spent much of the afternoon hopping from one pile of stones in the village to the next as he described, almost proudly, how he and his brothers had dug these mass graves for members of the family.

The last funeral, he said, was particularly wearisome. "Why?" we asked. "Because I had no more brothers or family left to help dig the graves and collect the stones." Between October 1994 and June 1995, Nyawosa buried 14 of his kin killed in a spate of massacres which have become endemic in the civil war that rages between supporters of the IFP and the ANC around Port Shepstone.

The violence had thrown a black shadow over the April elections for the people of Shobashobane, he said. "Before the elections my family was alive. Now they are dead. I don't feel this new South Africa we got last April. At the moment it is not so good, because people are dying like flies."

Shobashobane, once a stronghold for the ANC, had become a ghost town because of repeated attacks from the neighbouring settlements. Most residents had fled, swelling the ranks of half-a-million refugees who have been driven from their homes by low-intensity civil war in various parts of the province.

Nyawosa refused to move out because he saw it as his job to defend what remained -- houses that hadn't been burnt, furniture, roofing material, windows and door frames -- from being plundered by people who lived in "enemy" villages across the valley from Shobashabane.

It was clear that Nyawosa ran a defence unit to protect the village from further attack. He refused to admit this, though, and joked instead about the young boys who had ridden up to us on old bicycles with buckled rims that had no tyres when we entered the village.

This rag-tag army, he admitted, was a "scout unit" set up to patrol the dirt road that winds through the village and report any sign of "enemy movements" from the settlement across the valley. Strangers who failed to provide the pre-arranged community password were stopped and questioned and the scouts were instructed to rush over to a mobile police station nearby at the first sign of an impending attack.

"But you don't really think these boys could fight off an army of trained fighters," said Nyawosa. "We need the army here. If we can get the SANDF I can sleep nicely and I think the people would come back so this place would get better."

At the time, the Mail & Guardian ran a front-page report describing the motley band who protected Shobashobane as a group who had been abandoned by national and provincial authorities, who failed to send in the troops -- despite extensive evidence that further massacres would occur. The article was headlined "The Great Betrayal".

Later, while he was being interviewed by a television crew making a programme for Mail & Guardian Television, Nyawosa predicted the next attack would come at Christmas time and instructed his scouts to begin preparing for that possibility.

Then, late in November, in the last interview before his death, he explained how he had seen death coming his way. The young man appeared resigned to this. And this stoicism encouraged him to talk quite frankly about things that were troubling his conscience.

He pointed to the rough-hewn headstones that surrounded his homestead and explained how the Nyawosa family had been torn apart after he encouraged his father and brothers to join the African National Congress while his uncle and aunt remained staunchly loyal to the Inkatha Freedom Party.

"I joined the ANC because I believed they stand for the values I also believe in. But today I've lost all my family members and I have no future. We are not protected here. Some of them, like my mother, were religious people. My younger sisters had nothing to do with politics," he said.

"I am living with the guilt because it was I that made them join the ANC. They died for my cause. That is why I have decided to resign from work to come and die where my family was slaughtered."

That prediction came horribly true on Christmas Day when 600 armed men carried out a military-style attack on Shobashobane. Eyewitnesses allege the last surviving Nyawosa family members -- people who had becomes emblems of resilience -- were singled out by the attackers.

The reports say Kipha Nyawosa was disembowelled, his heart ripped out and the genitals cut from his body.

Police believe this was part of a black magic ritual designed to strengthen the attackers from the spirit of their dead foe. This may well be true. But the gruesome nature of the slaughter was also designed to underscore a political message: any sign of dissent in this grim corner of the countryside will be obliterated through sheer terror.

Nyawosa is survived by his five-year-old son, Sibahle. The boy, who walks on crutches, escaped death because he had been shot through the hips during an earlier attack and had been sent by his father to live with relatives in a safe part of the province.



 
 
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THE CHRISTMAS MASSACRES
Burnt huts stand silent as bickering stalls probe

Mail&Guardian
1996/01/05

Killings continue following three Christmas massacres in KwaZulu Natal ... but political bickering has stalled police probes

A COMPROMISE team of policemen sent to KwaZulu-Natal to probe a string of massacres which rocked the region over the Christmas period represents a political defeat for the African National Congress and Safety and Security Minister Sydney Mufamadi.

Mufamadi was effectively prevented from using his capable Investigative Task Unit (ITU) to probe the killings on the province's south coast. At least 37 people were slaughtered in attacks on three villages, two in ANC areas and the third in an Inkatha Freedom Party section.

The IFP objected to the ITU being sent in to probe the series of massacres, claiming the unit -- which conducted the investigations which led to the prosecution of General Magnus Malan for the 1987 KwaMakhutha massacre -- is a "front" for the ANC.

Independent monitors and survivors complained that the first police team sent by the provincial government to investigate the killings was headed by an officer involved in a controversy over the mysterious deaths of suspects in police custody.

A compromise was reached at a crisis meeting attended by Mufamadi, Deputy President Thabo Mbeki and KwaZulu-Natal Premier Frank Mdlalose last Friday. Police Commissioner George Fivaz has now set up a team of 37 detectives, including 14 from other provinces, to probe the massacres.

The political bickering has cost investigators time. A proper police probe has only begun three weeks after the first massacre in which IFP supporters were killed and more than a week after 600 men went on a Christmas Day rampage in an ANC settlement.

Human rights organisations are complaining that political agendas and infighting over who controls policing of KwaZulu-Natal have undermined impartial investigations into violence committed by various political factions in the province.

The new, compromise police unit is based in Port Shepstone. Director Harold "Bushy" Engelbrecht, from Pretoria, says the investigation into the massacres is the challenge of his career and he is determined to arrest the killers. The unit includes a contingent of detectives from other parts of the country to ensure it will not be compromised by popular beliefs that KwaZulu-Natal policemen are biased. The rest of the team comes from Durban.

The latest and worst massacre in the series was carried out at Shobashobane on the morning of Christmas Day. Six hundred armed men attacked the settlement, despite the presence within walking distance of a mobile police station.

The highly experienced Network of Independent Monitors (NIM) had warned police authorities of an impending attack. But although 19 people were killed and the settlement was burnt down in a methodical act of destruction, a police patrol arrived only 24 hours after the attack.

About 90 survivors of the massacre, who had eyewitness accounts and were able to identify some of the killers, took refuge at a community hall in Port Shepstone. The survivors refused to be interviewed or provide evidence to the provincial police unit because its leader, Senior Superintendent Johan Booysen, is alleged to have been involved in the mysterious killings of police suspects. Booysen was also one of several policemen criticised by the Goldstone Commission during its investigations in the province.

Mufamadi is facing a civil claim in connection with the deaths of four young men in Umlazi township in June last year during an investigation Booysen headed. Booysen was cleared during an inquest into the deaths of the four, but lawyers for their families are proceeding with a civil claim.

Booysen was sent in to head up the first police team by the provincial government -- even though the NIM had asked for the ITU to be used because of its track record of providing professional and robust investigations into political violence in the province. Shortly after his arrival in Port Shepstone, Booysen was identified by the mother of one of the men killed in Umlazi and the survivors then refused to talk to his team.

By late Wednesday -- 10 days after the massacre -- no statements had been taken by police because the survivors were terrified of retribution and wanted an effective witness protection programme.

The appointment of Engelbrecht was part of the political compromise hammered out by Mufamadi. A witness protection programme is now being set up by an official from the Department of Justice in Durban.

Witnesses and survivors were also assured by Health Minister Nkosazana Zuma on Wednesday that they would be provided with an impartial police team and proper protection. "I think the people accept me. I think we have sorted out the problem of witness protection," said Engelbrecht this week.

The ITU has a witness protection programme and has arrested and charged members of the IFP, the ANC and members of the security forces since it was established. The IFP has been unable to prove its accusations of political partiality against the ITU, but has, particularly in recent weeks, repeated them with increasing ferocity.

Inkatha spokesman Ed Tillet said this week he could not comment about the team as he had not met the members but said its establishment had set an important precedent: that safety and security was an important provincial function, which could not be controlled by the central government only.

Meanwhile, four warrants have been issued for people accused by survivors of the massacre at Shobashobane of being involved in the attack. The police refuse to identify these suspects but survivors have told reporters that an Inkatha leader and alleged warlord in the Port Shepstone area, headed up the attack.

Asked to comment on the allegations, the alleged attacker told the Mail & Guardian: "I feel bad about what happened to Kipha Nyawosa (a Shobashobane leader who was murdered and his body mutilated in the massacre) but I am innocent about this attack ... Those who say they saw me among the attackers at Shobashobane are lying. (If) I am arrested there will be more violence because ordinary people will fight."



 
 
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ラグビー界にプロ化の大波激震 南半球が震源、日本にも風圧 日本経済新聞
1996/01/06 夕刊
スポーツ&ビジネス

 「アマチュアリズム最後の砦(とりで)」といわれたラグビー界がプロ化の波にほんろうされている。豪州やニュージーランド(NZ)など南半球でプレーの対価としての金銭授受が公然の動きとなり、統括団体の国際ラグビーボード(IRB)は形がい化したアマ規定を撤廃した。頑固なまでにアマの立場を貫いてきた日本にとっても他人事では済みそうもない。

 「商業主義が先行する中で、アマチュアリズムを存続するのは不正直な行為でしかない」。パリで昨年八月末開かれたIRBの特別理事会。加盟する各国協会の大勢はアマ規定撤廃やむなしの方向に傾き、同九月末の東京での理事会で正式に承認された。

 ラグビー界には、各国協会が管轄する十五人制の「ユニオン」と反目する形で、約百年の歴史を持つ十三人制の「リーグ」が存在する。

 豪州や英国などではプロリーグとして活動、ユニオンから有力選手を高額契約金で引き抜くなどして勢力を急拡大していた。

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 これに対し、豪州、NZ、南アフリカ共和国の南半球の三協会は昨年六月、豪州生まれのメディア王、ルパート・マードック氏が支配するテレビと十年契約を締結。その放映権料約五百五十億円をプロリーグへの流出を防ぐための有力選手との契約金に充てた。すでにユニオンの足元からアマチュアリズムは崩れていたのだ。

 IRB関係者によると、NZの場合、オールブラックス(国代表)で千五百万円、州代表で四百五十万円程度が“年俸”として支払われているという。スーパースターのWTBロムーは二千万円を超える。ワールドカップ(W杯)創設で拘束期間が長期化しているだけに、選手の間では歓迎ムードが広がっているのもうなずける。

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 南半球から英国やフランスへと波及しつつあるプロ化の流れは、日本にとっても無縁ではない。日本ラグビー協会は来季から適用する新規定で、協会承認を条件に社会人選手のテレビやCMへの出演を認める方針だ。

 日本は極端なアマチュアリズム信奉国として知られてきた。日本代表選手でも秩父宮ラグビー場で料金を払って観戦、会社では一般社員と同じように夕方まで就業し、給与で優遇されることもない。部分的ながら規定を見直すのは、「時代の変化に対しあまりにうぶだった」(金野滋会長)との反省からだ。

 だが、プロ契約選手を認めず、全国社会人大会の出場資格として就業規則の順守を従来通り義務付けるという。選手にとっても、企業が合宿や遠征費用を負担してくれ、休業補償もあるのは魅力のはず。「プロ契約をしても大卒の選手寿命は長くて十年。その間に生涯給料分を稼げる選手がどれだけいるのか」と東芝府中の向井監督も指摘する。

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 しかし、今年から環太平洋の八カ国・地域によるパンパシフィック・シリーズが開催されるなど海外遠征の機会は格段に増える。夜間練習を終えてから再び残業に戻るという“清貧生活”をどこまで続けられるか。協会も選手も企業もアマにこだわり続ける日本ラグビーは新たなビジョンを描く時期に来ている。 (運動部 岩本一典)



 
 

アテネなど9都市 正式に立候補申請 2004年夏季五輪開催地

毎日新聞
1996/01/07
共同

 国際オリンピック委員会(IOC)は6日、2004年夏季五輪開催地にアテネ(ギリシャ)ブエノスアイレス(アルゼンチン)ケープタウン(南アフリカ)リオディジャネイロ(ブラジル)セビリア(スペイン)ローマ(イタリア)サンクトペテルブルク(ロシア)サンフアン(プエルトリコ)ストックホルム(スウェーデン)の9都市が同日までに正式に立候補を申請したことを明らかにした。

 リール(フランス)は9日に立候補届を提出する予定で、10日の締め切りまでには立候補都市は10都市になる見込み。