HOME > World / Africa >

南アフリカ共和国 1980年代


Tweet


アフリカアフリカ Africa 2018


おかねおくれ


作成:斉藤龍一郎
 *(特活)アフリカ日本協議会理事、生存学研究センター運営委員



Achmat, Zackie
Mandela
Xolani Nkosi (Nkosi Johnson)

TAC (Treatment Action Campaign)

○1970年代のニュース、企画案内 → 南アフリカ共和国 1970年代
○1990年代のニュース、企画案内 → 南アフリカ共和国 1990年代
○2000〜2006年のニュース、企画案内 → 南アフリカ共和国 2000〜2006年
○2007年のニュース、企画案内 → 南アフリカ共和国 2007年
○2008年のニュース、企画案内 → 南アフリカ共和国 2008年

○外務省 各国・地域情勢 南アフリカ共和国

◆1980/01/01 日経産業新聞 田中貴金属、金ブームで南ア金貨が飛ぶ売れ行き。
◆1980/01/05 日経産業新聞 南ア蔵相、金問題で国際会議が必要と強調。
◆1980/01/10 日本経済新聞 西独燃えるか、南ア金鉱株初取引始まる。
◆1980/01/15 日本経済新聞 南ア株式、金暴騰で踊るーー金鉱株に大衆どっと。
◆1980/01/18 日本経済新聞 大手為銀の外為取引で依頼人の信用力などで判断する国ーーパキスタンなど8カ国
◆1980/01/24 日経産業新聞 金相場、1トロイオンス当たり350 400ドルが妥当 南ア鉱業会議所会
◆1980/01/25 日経産業新聞 79年12月の南アフリカの金産出量 南アフリカ鉱山会議所。
◆1980/01/26 日経産業新聞 南ア、2ラウンド金貨を集中的に生産 鉱業会議所会頭語る。
◆1980/01/28 日経ビジネス 南ア共和国金貨の需要が急増、昨年末にはついに在庫ゼロ。
◆1980/02/08 日本経済新聞 南ア、英金鉱会社をねらう 買収資金すでに500億円、株価暴騰。
◆1980/02/10 日本経済新聞 南アの200カイリ水域対日漁獲割当量、あじは前年並みで合意。
◆1980/02/11 日経ビジネス ソ連に主要非鉄資源輸出停止の動きも、西側諸国は対南ア依存度高めて対抗か。
◆1980/02/14 日経産業新聞 フェルプス・ドッジ、南ア北部で高品位の鉄鉱石鉱脈を発見。
◆1980/02/15 日本経済新聞 英金鉱コンソリデーテッド・ゴールドの株価急騰 買い占め元は南アのライバ
◆1980/02/19 日経産業新聞 VW、南アで4600万ランドの積極投資 水冷エンジン工場建設に重点。
◆1980/02/22 日経産業新聞 1月の南アフリカ金産出量 南ア鉱山会議所発表。
◆1980/02/28 日本経済新聞 南ア・ルポ、ゴールドブームを追う(上)金鉱株掘り起こす 一斉に走る国際
◆1980/02/29 日本経済新聞 南ア・ルポ、ゴールドブームを追う(中)両刃の剣、インフレ カヤの外黒人
◆1980/03/01 日本経済新聞 南ア・ルポ、ゴールドブームを追う(下)ふえない金生産 相場にらみ需給調
◆1980/03/08 日本経済新聞 北海電、独自に海外一般炭輸入へ豪州社などと交渉。
◆1980/03/12 日経産業新聞 金とダイヤの“王国”、南ア探訪(上)商売うまい鉱山会社、投機ブームの中供
◆1980/03/13 日経産業新聞 金とダイヤの“王国”南ア探訪(中)採掘の原動力は黒人、技術者不足が大きな
◆1980/03/14 日経産業新聞 金とダイヤの“王国”、南ア探訪(下)高度成長へ手ごたえ。
◆1980/03/17 日経アーキテクチュア 修理に追いまくられた、南アの構造欠陥シェル。
◆1980/03/19 日経産業新聞 2月の南アフリカの金産出量 鉱山会議所まとめ。
◆1980/03/22 日経産業新聞 新販売政策で金の売却減る 南ア蔵相語る。
◆1980/04/16 日経産業新聞 激減する輸入液卵 南アなどが生産調整、需要家に国産の手当て必要。
◆1980/04/17 日経産業新聞 3月の南アフリカの金産出量 南ア鉱山会議所発表。
◆1980/04/25 日経産業新聞 新日鉄など高炉大手、南ア炭7.5%値上げで決着。
◆1980/04/30 日経産業新聞 欧米資本、南アで現地企業と共同でエタノール企業化相次ぐ。
◆1980/05/05 日経ビジネス 台湾・南ア共和国が急接近、兵器とウラン鉱石を取引。
◆1980/05/08 日経産業新聞 ベンツの南ア子会社UCDD、ホンダ車の生産を計画。
◆1980/05/11 日本経済新聞 本田技、南アで乗用車KD生産へ西独ベンツと提携も 子会社役員が来週来日
◆1980/05/21 日経産業新聞 4月の南アフリカの金産出量 南アフリカ鉱山会議所発表。
◆1980/06/03 日本経済新聞 南アで石油タンク炎上、ゲリラによる爆破か。
◆1980/06/06 日経産業新聞 イラン石油公社、革命前の海外投資見直しで南アの油化会社の株式売却。
◆1980/06/06 日経産業新聞 御幸毛、ことしから南ア牧場主にミユキ賞設ける 優秀モヘア確保に。
◆1980/06/09 日本経済新聞 南アの政情不安深刻化 ジンバブエの独立が影響
◆1980/06/09 日経産業新聞 南アのウラン埋蔵量39万t 西独・南ア商議所発表。
◆1980/06/12 日本経済新聞 丸紅、パルプ原料供給源を拡大 豪州に続き南アから年間約10万t輸入。
◆1980/06/13 日本経済新聞 南ア政府、ナミビアに自治政府に相当の閣僚会議を設置。
◆1980/06/15 日本経済新聞 南アフリカ、10人以上の集会禁止令出す。
◆1980/06/18 日本経済新聞 南アでの人種差別反対暴動激化 死者15人、負傷100人。
◆1980/06/19 日本経済新聞 南ア暴動、死者70人に。
◆1980/06/20 日本経済新聞 南アのスト広がる 賃金・人種差別に不満。
◆1980/06/20 日経産業新聞 南ア、ことしの金売却減らす 南ア紙報道。
◆1980/06/21 日経産業新聞 5月の南アフリカの金産出量 南ア鉱山会議所発表。
◆1980/06/27 日本経済新聞 「変革の波」南アにも高く “混血”も反政府に
◆1980/06/29 日本経済新聞 国連安保理、アンゴラ侵入で南ア非難決議を採択。
◆1980/07/05 日経産業新聞 日綿、南ア向け工作機械の輸出好調 村田機械・宮野鉄工所製の自動旋盤30
◆1980/07/10 日経産業新聞 細田商会とオリエンタル商事、南アのデビアス社製工具材料を輸入販売。
◆1980/07/12 日経産業新聞 80年の金供給、前年比40%減も、南アの生産量は前年並み AA社取締役
◆1980/07/15 日本経済新聞 昨年の大西洋上の不思議なせん光、やはり南アの秘密核実験か 米国防情報局
◆1980/07/17 日経産業新聞 南アの金生産、年700tを維持 アングロ・アメリカン社見通し。
◆1980/07/25 日経産業新聞 プレス工業、南アVWから車生産用のプレス金型2億円を受注。
◆1980/08/01 日経産業新聞 6月の南アフリカの金産出量 南ア鉱山会議所発表。
◆1980/08/03 日本経済新聞 南ア共和国の東京総領事夫妻、山形のニットと木工業視察。
◆1980/08/12 日本経済新聞 日軽金新潟工場、アルミ精錬設備を南アのアルサフ社に100億〜150億円で
◆1980/08/19 日経産業新聞 南アでも干ばつ被害。
◆1980/08/20 日経産業新聞 南アの干ばつ深刻 10年ぶりに小麦の輸入国に転落か。
◆1980/08/25 日本経済新聞 レンゴー、南アのコーラ社にも段ボール製造全分野で技術指導。
◆1980/09/08 日経産業新聞 住金、南ア国営製鉄所向けの成型炭設備を2基受注。
◆1980/09/18 日経産業新聞 8月の南アフリカの金産出量 南アフリカ鉱山会議所発表。
◆1980/10/03 日経産業新聞 金と石油のバーターせず、金売却で定期市場の利用を検討 南ア蔵相が表明。
◆1980/10/15 日経産業新聞 9月の金保有高、国際収支好調で20万トロイオンス増 南ア準備銀副総裁語
◆1980/10/28 日経産業新聞 ヘキスト、南アにアセチレン工場など3工場計画。
◆1980/11/04 日経産業新聞 シーメンス、南アと共同でマイクロ・エレクトロニクス設立、シリコン・チップ
◆1980/11/08 日経産業新聞 9月の南アフリカの金産出量 南ア鉱山会議所まとめ。
◆1980/11/27 日本経済新聞 インタナショナル・ゴールド社、南アのクルーガーランド金貨を12月から日本
◆1980/11/28 日経産業新聞 ソ連と南アフリカ、金販売で共謀か フィナンシャル・タイムズ報道。
◆1980/12/03 日経産業新聞 カネボウ化粧品、海外事業が本格化 仏・南ア・比でも販売。
◆1980/12/09 日経産業新聞 クルーガーランド金貨、11月の販売量は80年最高 南ア社まとめ。
◆1980/12/10 日経産業新聞 南アフリカ、生産量上回る金を先月売却。
◆1980/12/16 日本経済新聞 本田技研、ベンツ子会社と提携、南アで大衆車を共同生産へ。
◆1980/12/16 日本経済新聞 本田・ベンツの南アでの共同生産、思惑合致で全面提携も。
◆1980/12/16 日経産業新聞 ノルウェー船、南アにアラブ産油を密輸か 英紙報道。
◆1980/12/19 日経産業新聞 本田技研工業副社長杉浦英男氏 ベンツ子会社と提携
◆1980/12/23 日経産業新聞 白熱石炭液化レース(6)各国の戦略 脱石油へ全力投球、米国急追する西独
◆1980/12/26 日経産業新聞 イスラエルと南アの貿易高、2年で倍増 南ア蔵相発表。
◆1981/01/09 日本経済新聞 海と生きる(5)松島火力 “青い目の石炭”上陸。
◆1981/01/22 日経産業新聞 日産自九州工場、南ア向け部品輸出 苅田港に定期船寄港。
◆1981/01/26 日経ビジネス 現地に見た南ア・エネルギー事情 石炭液化で“優良企業”に、大胆・細心の ◆1981/01/31 日本経済新聞 南ア軍、モザンビークに降下部隊 強引な越境電撃作戦。
◆1981/01/31 日経産業新聞 80年12月の南アの金産出量 南ア鉱山会議所発表。
◆1981/02/18 日経産業新聞 ダイムラー南ア子会社、本田の乗用車生産協定に調印 82年に「バラード」
◆1981/02/21 日本経済新聞 南アでまた6つ子が誕生。
◆1981/02/25 日経産業新聞 南アフリカ金取引所、史上最大の金メダルを発行 重さは1kg。
◆1981/02/25 日経産業新聞 1月の南アフリカの金産出量 南ア鉱山会議所発表。
◆1981/03/05 日経産業新聞 日金工、南アフリカのサザンクロス社をステンレスの熱間圧延で技術指導。
◆1981/03/07 日本経済新聞 ナミビア独立問題討議の国連総会、南ア制裁強化を可決。
◆1981/03/12 日経産業新聞 米ファイアストン、南ア子会社株をボルクベレギンに売却 経営再建へ荒療治
◆1981/03/12 日経産業新聞 鐘紡の共同企画グループに豪社と南ア社が参加。
◆1981/03/13 日経産業新聞 仏インタナショナル・レター社長ユニベル女史 南アの消費財市場有望
◆1981/03/17 日経産業新聞 日本理器、南アのRW・ツールスと提携しモンキーレンチ現地生産。
◆1981/03/20 日経産業新聞 高炉大手各社と南ア山元4社の原料炭輸入交渉、24%値上げで決着。
◆1981/03/26 化学工業日報 住友化学、ピレスロイド系殺虫剤の家畜用の実用化を図る 海外で相次ぎテス
◆1981/04/02 日経産業新聞 ソ連と南アのデビアス社などが水面下で接近、貴金属が縁とりもつ 英FT紙
◆1981/04/13 日経メカニカル 日本理器、南アでモンキーレンチ生産、58年6月までに年産50万個体制。
◆1981/04/16 日経産業新聞 ソ連、南アとの金・プラチナ相場支配の秘密交渉説を否定。
◆1981/04/19 日本経済新聞 日立、南アの鉄道車両商談に応札 規模100億円程度。
◆1981/04/20 日経ビジネス ポーランド危機で石炭需給ひっ迫、代わって南アが急浮上。
◆1981/04/23 日経産業新聞 南ア、鉄道・港湾の施設拡充を計画 86年までに7億8000万ランド投資
◆1981/04/29 日本経済新聞 きょう南アフリカの国会議員選挙。
◆1981/04/30 日本経済新聞 南ア、濃縮ウラン生産に成功。
◆1981/05/01 日本経済新聞 南ア総選挙、首相派の国民党が多数獲得。
◆1981/05/02 日本経済新聞 国連安保理、南ア制裁決議案通らず。
◆1981/05/16 日本経済新聞 国連、人種差別の南アフリカに協力的な企業を発表 トヨタ・日産など含まれ
◆1981/06/01 日本経済新聞 南アのテロ・暴動事件 反白人闘争の激化映す
◆1981/07/20 日本経済新聞 ミッテラン仏大統領、南ア向け原子炉輸出を承認。
◆1981/07/21 日本経済新聞 南ア準備銀行、金下落で公定歩合引き上げ。
◆1981/07/31 日本経済新聞 南ア軍がアンゴラ侵入? 南アンゴラ国防相は否定。
◆1981/08/13 日本経済新聞 海運会社、途上国の要請でチリ・南アフリカ航路にコンテナ船投入相次ぐ。
◆1981/08/26 日本経済新聞 アンゴラ、南ア軍の侵攻で軍に総動員令。
◆1981/08/28 日本経済新聞 アンゴラ、国連緊急安保理を要請 南アの即時撤退を訴え。
◆1981/08/29 日本経済新聞 アンゴラめぐる国連緊急安保理、南ア非難めぐり対立 撤退決議採択は微妙。
◆1981/08/29 日本経済新聞 アンゴラ政府、南ア軍撤退報道を否定。
◆1981/08/29 日本経済新聞 南ア軍、アンゴラから撤退 “任務”を完了。
◆1981/08/31 日本経済新聞 ウガンダなど非同盟6カ国、国連安保理で南アフリカ制裁決議案を提出。
◆1981/09/01 日本経済新聞 米、国連安保理で南ア軍のアンゴラ撤退に拒否権発動。
◆1981/09/02 日本経済新聞 アンゴラ南部でソ連兵と交戦、捕虜に、直接介入の証拠 南ア国防相表明。
◆1981/09/02 日本経済新聞 ソ連、アンゴラ紛争に軍事介入 マラン・南ア国防相語る。
◆1981/09/04 日本経済新聞 南アフリカ軍、アンゴラに新たな侵攻。
◆1981/09/05 日本経済新聞 国連ナミビア総会、南アの討議締め出しを承認。
◆1981/09/05 日本経済新聞 西堀国連大使、南アを非難する演説行う。
◆1981/09/07 日本経済新聞 南ア・イスラエル・台湾、核兵器開発で協力 台湾有力議員の康氏確認。
◆1981/09/15 日本経済新聞 国連ナミビア緊急総会、「南ア制裁要求」を採択。
◆1981/09/20 日本経済新聞 ソ連、アンゴラ介入認める 南アの攻撃を激しく非難。
◆1981/10/02 日本経済新聞 岐路に立つ南ア(上)四面楚歌 複雑な多人種社会、“ナミビア支配”非難の
◆1981/10/03 日本経済新聞 岐路に立つ南ア(下)体制死守 豊かな資源武器に、レーガン政策に強い期待
◆1981/10/16 日本経済新聞 一般炭、南アから輸入急増 今年は前年比2.4倍の120万tに。
◆1981/10/27 日本経済新聞 ナミビア和平で西側5カ国グループ、調停案を南ア政府に提示。
◆1981/11/02 日本経済新聞 野生の楽園、南ア共和国 動物と出会いの旅、欲望の名残・ダイヤの掘り跡。
◆1981/11/07 日本経済新聞 米ITC、欧州などの鉄鋼メーカーをダンピング提訴へ準備開始。
◆1981/11/27 日本経済新聞 中国、核燃料輸出を公式に認める 南ア向けは真っ向否定。
◆1981/12/04 日本経済新聞 南アフリカの黒人自治地域「シスカイ」独立。
◆1981/12/09 日本経済新聞 米など西側5カ国、ナミビア独立問題で協議。
◆1981/12/21 日本経済新聞 南部アフリカ、特恵貿易地域発足へ 18カ国がきょう調印。
◆1982/02/07 日本経済新聞 住商と三菱商、クルーガーランド金貨の国内代理店に。
◆1982/02/19 日本経済新聞 南ア最大の軍艦「プレジデント・クルーガー」が沈没。
◆1982/02/28 日本経済新聞 米、イラク・南ア向け非軍事物資の輸出規制撤廃。
◆1982/03/19 日本経済新聞 新日鉄など鉄鋼大手の南ア炭輸入交渉、小幅値上げで妥結。
◆1982/06/02 日本経済新聞 住金、製鉄エンジニアリングで欧州・南ア向けに力。
◆1982/06/09 日本経済新聞 対南アフリカ漁業交渉決着 水深規制撤回で折り合う。
◆1982/07/04 日本経済新聞 南ア金鉱山の黒人暴動拡大。
◆1982/07/06 日本経済新聞 南アフリカ、クルーフ金鉱で黒人労働者が暴動 約1万2000人が車や建物
◆1982/07/17 日本経済新聞 南アの鉱山会社、山梨県立宝石美術学校にプラチナなどを寄贈。
◆1982/07/21 日本経済新聞 南アフリカ、ケープタウン近郊に建設中のコエバーク原子力発電所で火災発生。
◆1982/08/29 日本経済新聞 ダイハツ、南アに進出計画 アルファ・ロメオの現地子会社工場で小型車をKD
◆1982/08/31 日本経済新聞 南アフリカ軍3万人、ナミビア・アンゴラ国境に集結 アンゴラ大侵攻図る?
◆1982/09/07 日本経済新聞 金相場は年末までに500ドルも ホーウッド南アフリカ蔵相が予想。
◆1982/09/17 日本経済新聞 南ア、外貨獲得ねらい武器輸出に総力戦 年間1億5000万ドルめざす。
◆1982/10/05 日本経済新聞 南ア、IMFに10億SDR融資要請 金相場下落で国際収支悪化が打撃。
◆1982/10/05 日本経済新聞 米ソ外相第2回会談、南ア・中南米問題を討議 首脳会談には触れず。
◆1982/10/06 日本経済新聞 ダイハツ、南ア進出発表 58年にアルファ・ロメオ社と乗用車シャレード共
◆1982/10/09 日本経済新聞 JPC、南ア企業にパイプコンベヤー製造で技術供与。
◆1982/10/22 日本経済新聞 国連総会、IMF対南ア借款停止要請を圧倒的多数で採択。
◆1982/10/27 日本経済新聞 南ア向けのIMF融資、国連が「待った」 人種差別に発展途上国が反発。
◆1982/11/04 日本経済新聞 IMF、対南アフリカ共和国向け融資を承認 国連決議を無視。
◆1982/11/19 日本経済新聞 豪・チリなど危険 米シラキューズ大学がカントリーリスク調査。
◆1982/12/20 日本経済新聞 南アフリカ、原発建設現場で爆発事件 原因は不明。
◆1983/01/08 日本経済新聞 今年が“試金年”金貨商戦 3種、小粒・買いやすさで迫る
◆1983/01/20 日本経済新聞 南ア、ナミビア内閣総辞職に伴い2月末以降直接統治再開。
◆1983/01/24 日本経済新聞 南アのナミビア直接統治、武力背景に居座る公算も
◆1983/01/25 日本経済新聞 途上国、原発導入急ピッチ 使用済み核燃料の軍事転用懸念、核拡散歯止め強
◆1983/01/30 日本経済新聞 ナミビア問題、秘密交渉が進展か 南ア・アンゴラ停戦も。
◆1983/02/11 日本経済新聞 南ア経済、苦境を脱出 国際収支が好転、二重相場制を廃止。
◆1983/02/15 日本経済新聞 英国、クロム・マンガンなど南アから購入急ぐ 戦略物資の備蓄確保へ。
◆1983/02/19 日本経済新聞 南アで爆弾事件、86人重軽傷。
◆1983/03/06 日本経済新聞 ダイヤモンド原石・キンバリー(南ア)5000種類に分類
◆1983/03/08 日本経済新聞 83年度原料炭価格交渉、南ア炭は21%値下げ 高炉各社の要求通る。
◆1983/03/14 日本経済新聞 ジンバブエ・アフリカ人民同盟のヌコモ議長、ロンドン着 亡命でなく旅行者
◆1983/04/07 日本経済新聞 "資源大国"南アの光と影 石炭液化・原発では実績
◆1983/04/17 日本経済新聞 IISI理事会きょう南アで開幕。
◆1983/05/10 日本経済新聞 南ア、人種差別緩和で揺れる 審法改正図る首相に白人一斉反発
◆1983/05/21 日本経済新聞 南アの空軍本部爆破、黒人組織の犯行か 死傷者200人超す。
◆1983/05/23 日本経済新聞 南アの爆弾テロ、黒人解放組織が犯行声明。
◆1983/05/24 日本経済新聞 南ア軍、黒人解放組織の拠点モザンビークを越境攻撃 爆弾テロに報復。
◆1983/05/30 日本経済新聞 南ア機のモザンビーク空襲 ゲリラ側の爆弾テロに報復
◆1983/06/01 日本経済新聞 南アの爆弾事件
◆1983/06/15 日本経済新聞 南アフリカ鉄鋼公社会長T・ミューラー氏
◆1983/07/20 日本経済新聞 南ア、IWC脱退検討。
◆1983/07/28 日本経済新聞 富山共同火力発電、豪・南ア・加の3カ国から石炭購入 年内にも長期契約。
◆1983/08/10 日本経済新聞 南ア沖、9万tの原油流出 海洋汚染の原因となる危険性あり。
◆1983/08/14 日本経済新聞 ソ連、南ア隣国のモザンビークとアンゴラにミサイル設置 南ア兵器メーカー
◆1983/09/10 日本経済新聞 電源開発、豪州炭・南ア炭の契約量を4年で3〜4割削減 現地企業と交渉開
◆1983/09/12 日本経済新聞 ヨハネス・フォルスター氏(前南アフリカ首相)が胸部疾患のため死去、67歳
◆1983/10/07 日本経済新聞 南アのインタゴールド日本支社、近く金の宝飾品キャンペーン。
◆1983/10/31 日本経済新聞 南アの人種隔離政策 来月国民投票、差別緩和へ動く?
◆1983/11/03 日本経済新聞 南アで改憲国民投票実施 改正で混血・インド系にも参政権。
◆1983/11/04 日本経済新聞 南ア、有色人種に参政権与える改憲案を承認 国民投票で3分の2が賛成。
◆1983/11/19 日本経済新聞 電発の来年度一般炭輸入削減、まず南アと40%で合意 豪州も同意の見通し
◆1983/12/09 日本経済新聞 藤沢薬品、米サ社に抗生物質の販売権を供与 サ社、米・加・豪など5カ国で
◆1983/12/20 日本経済新聞 南ア軍機、アンゴラを空爆 民間人20人以上が死亡。
◆1983/12/23 日本経済新聞 アンゴラ軍と南ア軍が激戦 アンゴラ国営放送報道。
◆1984/01/04 日本経済新聞 アンゴラで戦闘激化 南ア侵攻軍約1万人。
◆1984/01/07 日本経済新聞 国連、アンゴラ侵入で南ア非難決議を採択。
◆1984/01/09 日本経済新聞 南ア軍、アンゴラ撤退を開始 ゲリラ掃討に成功。
◆1984/01/20 日本経済新聞 ほくさんの太陽電池、初の輸出成約 南アなど4カ国に出荷開始。
◆1984/01/23 日本経済新聞 南ア炭大幅値下げ 一般炭は第2次石油危機前に戻る。
◆1984/02/01 日本経済新聞 南アフリカ軍、アンゴラから部分撤退。
◆1984/02/10 日本経済新聞 USスチール、不正鉄鋼輸出できょう8カ国のうち5カ国を提訴。
◆1984/02/23 日本経済新聞 鉄鉱石の輸入価格、84年度も12%下げ。
◆1984/03/03 日本経済新聞 南アとモザンビーク、不可侵条約締結で合意。
◆1984/03/04 日本経済新聞 南ア対アンゴラ・モザンビーク、共存へ対話始まる 双方、反政府テロに疲弊
◆1984/03/05 日本経済新聞 ヨハネスブルク、高値更新後も堅調維持
◆1984/03/07 日本経済新聞 OAU、対南ア交渉支持避ける。
◆1984/03/09 日本経済新聞 南アのボタ首相とマシェル・モザンビーク大統領、16日に不可侵条約調印。
◆1984/03/17 日本経済新聞 南アとモザンビーク、不可侵条約に調印。
◆1984/03/19 日本経済新聞 南部アフリカに対話機運 南ア・対立国とも国力疲弊
◆1984/03/23 日本経済新聞 南ア・ボツワナ両国外相が会談。
◆1984/04/03 日本経済新聞 ソ連・南アなど、円・マルク買い活発 金売却し為替売買、ドルの先行きに不
◆1984/04/04 日本経済新聞 南アで爆弾事件、日本人1人ケガ
◆1984/04/07 日本経済新聞 英、南アフリカ生まれのゾーラ・ブッド選手に英国籍 ロス五輪へ特例。
◆1984/04/18 日本経済新聞 野間アフリカ賞にケニア、南アの作家。
◆1984/04/26 日本経済新聞 日産と西独VW、メキシコ・南アでの部品相互供給の合意を発表。
◆1984/05/02 日本経済新聞 新日鉄、伯・日・南ア・仏結ぶ三国間輸送に進出 石炭・鉄鉱石で仏海運会社
◆1984/05/02 日本経済新聞 北九州港、南アコンテナ船定期入港へ。
◆1984/05/25 日本経済新聞 南部アフリカ諸国、南アと相次ぎ融和策 経済危機打開を優先、黒人解放運動
◆1984/05/27 日本経済新聞 南ア首相、あすから西欧歴訪。
◆1984/05/29 日本経済新聞 南ア首相、西欧8カ国歴訪へ28日出発。
◆1984/06/03 日本経済新聞 北九州港に初入港、豪州航路コンテナ船。
◆1984/06/04 日本経済新聞 首脳会談で英首相、南アへの武器禁輸緩和要請など拒否。
◆1984/06/07 日本経済新聞 南アと国交正常化図る、自民の友好議連が発足。
◆1984/06/07 日本経済新聞 南ア首相語る、数ヵ月内にナミビア撤退も。
◆1984/06/08 日本経済新聞 南ア首相がベルギー入り。
◆1984/06/12 日本経済新聞 三菱石、初の北海原油輸入、来月上旬、140万バーレル船積み。
◆1984/06/13 日本経済新聞 サークル鉄工、少覚三千宏社長 ビート移植機軌道に。
◆1984/06/19 日本経済新聞 ブラジルは4.3%増える、世界の金生産昨年は67トン増。
◆1984/06/20 日本経済新聞 ルポ隠れた巨大市場アフリカ(1)資源を求めて 日米欧せり合う。
◆1984/06/27 日本経済新聞 南アの通貨、ランドが安値更新。
◆1984/07/02 日本経済新聞 米大統領選後、金相場は上昇 南ア鉱山相見通し。
◆1984/07/11 日本経済新聞 南ア経済、金輸出不振で苦境 財政赤字拡大へ相場の前途、悲観論一色。
◆1984/07/12 日本経済新聞 貴金属相場総崩れ、英国・南ア報告(上) 金地金、英は米高金利で売り一色
◆1984/07/15 日本経済新聞 白金・南アフリカ 採掘から地金に2カ月
◆1984/07/26 日本経済新聞 南ア、SWAPOと初の停戦交渉。
◆1984/07/27 日本経済新聞 ナミビア交渉決裂、SWAPO南ア案拒否。
◆1984/07/30 日本経済新聞 ナミビア独立問題 米大統領選後の展開に注目
◆1984/07/31 日本経済新聞 イランへの武器売却、中立諸国"死の商人"黙認 対立国イスラエルも。
◆1984/08/02 日本経済新聞 NZ、南アの領事館近く閉鎖。
◆1984/08/04 日本経済新聞 南アフリカのプラチナ鉱山、貴重な輝きを求めて
◆1984/08/18 日本経済新聞 南ア新憲法は無効、国連安保理が決議可決。
◆1984/08/20 日本経済新聞 南ア「有色人種議席」に賛否、新憲法下、初の選挙へ 黒人排除、反発も。
◆1984/08/23 日本経済新聞 南アでカラード議会選挙の投票開始。
◆1984/08/24 日本経済新聞 南ア・カラード選、労働党圧勝。
◆1984/08/25 日本経済新聞 公安官ら五人負傷、南アの官庁ビルで爆発。
◆1984/08/26 日本経済新聞 南ア人種別議会 見せかけ批判根強い
◆1984/08/27 日本経済新聞 国会議員団が南ア訪問。
◆1984/08/30 日本経済新聞 南ア政権に打撃、アジア系議会選挙も低投票率 有色人種の反感、予想以上。
◆1984/09/04 日本経済新聞 南ア暴動の死者21人。
◆1984/09/05 日本経済新聞 南ア、黒人暴動続く。
◆1984/09/06 日本経済新聞 南ア大統領にボタ氏、三人種別議会で初選出。
◆1984/09/07 日本経済新聞 金鉱山スト決定、黒人組合、無期限の方針 南アフリカ。
◆1984/09/16 日本経済新聞 南ア、有色人種2人が入閣 主要閣僚はすべて留任。
◆1984/09/17 日本経済新聞 南ア金鉱山の黒人労働者集会で衝突事件 労働者1人が負傷。
◆1984/09/17 日本経済新聞 南ア鉱山労働者スト突入か。
◆1984/09/18 日本経済新聞 南ア金鉱でスト突入。
◆1984/09/19 日本経済新聞 南ア鉱山スト一日で収拾。
◆1984/09/20 日本経済新聞 南ア金鉱山スト、96人死傷 山猫ストに警官隊発砲。
◆1984/09/24 日本経済新聞 南ア金鉱騒動再発で二人死亡。
◆1984/09/26 日本経済新聞 英・南ア関係緊張、英領事館に6人ろう城。
◆1984/09/29 日本経済新聞 国連総会が南ア憲法無効決議。
◆1984/10/05 日本経済新聞 停戦下のモザンビーク、南アの影響力鮮明に 協定監視へ軍派遣。
◆1984/10/07 日本経済新聞 南ア警察、ろう城の英領事館出た反政府派3人逮捕。
◆1984/10/11 日本経済新聞 アンモニア生産プラント、宇部興産、輸出を本格化 中国・南ア中心に。
◆1984/10/17 日本経済新聞 ノーベル平和賞、南アのツツ主教に 人種差別反対運動を指導。
◆1984/10/31 日本経済新聞 南ア・ランドが史上最安値。
◆1984/10/31 日本経済新聞 米、アンゴラ問題で南アを説得へ キューバ兵撤兵で協議。
◆1984/11/04 日本経済新聞 アンゴラと南ア、キューバ兵撤退合意か ナミビア独立急展開。
◆1984/11/13 日本経済新聞 アンゴラ大統領、米と包括的和平合意を協議。
◆1984/11/14 日本経済新聞 揺れ動く南部アフリカ(中)貿易、南アが頼り 周辺国、経済協力を切望。
◆1984/11/15 日本経済新聞 揺れ動く南部アフリカ(下)銃では人を養えず 飢餓がソ連離れに拍車。
◆1984/11/22 日本経済新聞 南ア共和国・トウモロコシ 雨降って作付け順調
◆1984/11/28 日本経済新聞 白い大国・南アの光と影、豊富な資源、秘める活力。
◆1984/12/10 日本経済新聞 対米鉄鋼輸出自主規制に、南ア・豪も合意
◆1984/12/11 日本経済新聞 ノーベル平和賞、爆弾予告、屋外で授賞式 南ア人種差別反対のツツ師。
◆1984/12/11 日本経済新聞 米大統領、南アの人種差別強く非難、人権外交へ新たな決意。
◆1984/12/20 日本経済新聞 金、南ア・ソ連は売却増へ 大台割れ秒読みの見方も。
◆1984/12/24 日本経済新聞 川崎製鉄、南ア社に転炉吹錬技術供与。
◆1984/12/31 日本経済新聞 米民主党の上院議員、南ア投資禁止法案を提出へ。


○楠原彰 日本の反アパルトヘイト運動小史とその問題点

【参考図書】
南アフリカの土地改革
佐藤千鶴子著 日本経済評論社 3800円+税 A5判 252p 2009年2月 [amazon]

序章 土地改革の意義
第1章 アフリカ人農村社会研究
第2章 土地問題の歴史的形成と農村の抵抗運動
第3章 政治的移行と土地改革
第4章 新生南アフリカの土地改革政策
第5章 民衆闘争と土地返還
第6章 土地闘争と和解の力学
第7章 土地改革と農村開発
終章 総括と展望

ジンバブエの土地問題を考える上でも参考になりそうです。

南アフリカ経済論 企業研究からの視座
西浦昭雄著 日本評論社 5400円+税 A5判 325p 2008年11月 [amazon]

南ア企業の歴史、経済活動、アフリカ諸国への進出、国際経済との関係に注目した研究。経済発展が注目される南アを知る貴重な視点が提示される。

国家の仮面が剥がされるとき―南アフリカ「真実和解委員会」の記録
アレックス ボレイン著 下村則夫訳 第三書館 2625円 四六判 285p 2008年12月 [amazon]

真実和解委員会副委員長だった著者が、真実和解委員会設立・活動の意義と現在にもつながる課題について体験を踏まえて記述している。真実和解委員会と法廷および法曹界との関係、証言を拒んだボタ元大統領の裁判めぐる記録がことに重要と感じた。真実を語り記録する動きと、被害者への補償を行い和解につながる道筋をさらに大きくしていく取り組みをスタートさせる出発点としての真実和解委員会の意味を考える必要があるとも感じている。


真実委員会という選択―紛争後社会の再生のために
阿部 利洋著 岩波書店 2310円 216p 2008年4月 [amazon]

紛争後社会と向き合う―南アフリカ真実和解委員会
阿部 利洋著 京都大学学術出版会 4620円 366p 2007年12月 [amazon]


 
 
>TOP

田中貴金属、金ブームで南ア金貨が飛ぶ売れ行き。

日経産業新聞
1980/01/01

 金相場が暴騰している折から、地金業者の田中貴金属工業が“蓄財”にと“輸入販売”を始めた金貨が売れている。この金貨は南アフリカ共和国発行の2ランド金貨。法定通貨だが、南ア政府が金を加工して“付加価値”を高め輸出しようというねらいで作ったもの。ちょうど収集家をあてにした記念切手と同じ。



 
 
>TOP

南アの200カイリ水域対日漁獲割当量、あじは前年並みで合意。

日本経済新聞
1980/02/10

国際漁業関係筋によると、南アフリカ共和国はこのほど同国200カイリ水域内のことしの対日漁獲割当量を3万7422tとすることで日本側と合意した。総量では前年を4.2%下回ったものの、主力のあじは前年と同量となったため、日本漁船の操業は前年並みの大型トロール漁船6ー7隻の入漁を確保できることになった。



 
 
>TOP

VW、南アで4600万ランドの積極投資 水冷エンジン工場建設に重点。

日経産業新聞
1980/02/19

 VW(フォルクスワーゲン)南アフリカは、今年積極的な拡張計画に基づき、4600万ランド(1ランド=2.1マルク)の投資を行う。重点は81年半ばから、年間約5万1000台の水冷エンジンを生産する工場の建設におかれる。さらに現在南アフリカで最もよく売れている「ゴルフ」シリーズの生産設備も、新たに拡充する計画で、黒人専門工の教育施設も拡張する。



 
 
>TOP

北海電、独自に海外一般炭輸入へ豪州社などと交渉。

日本経済新聞
1980/03/08

北海道電力が年間およそ120万tにのぼる大量の海外一般炭を長期輸入するため、オーストラリアなどの石炭会社と本格的な契約交渉に入ったことが7日、明らかになった。59年度運転開始の苫東厚真2号機で使用する計画で、58年度にも初輸入する見通し。交渉相手には山元10カ所程度があげられているが、最終的には5カ所以下にしぼり込んで遅くとも「この6月までには基本契約を結ぶ」(四ツ柳高茂社長)方針である。



 
 
>TOP

新日鉄など高炉大手、南ア炭7.5%値上げで決着。

日経産業新聞
1980/04/25

 新日本製鉄など高炉大手各社が南アフリカの原料炭の山元と交渉していたウイットバンク炭の1980年度価格交渉は、このほど7.53%の値上げで決着した。1t当たり2.97ドルの引き上げで、新価格はFOBで42.42ドルとなった。引き取り量は昨年度と同様、200万t。80年度は1年間だけの値決めとなったが、81年度以降については、5年間以上の中期価格(ベース価格プラスエスカレーション)を取り決める。



 
 
>TOP

欧米資本、南アで現地企業と共同でエタノール企業化相次ぐ。

日経産業新聞
1980/04/30

 石炭を原料に商業規模のエタノールを生産しようという合成エネルギー企業化計画が南アフリカで相次いでいる。欧米の有力な石油、化学企業が現地の石炭資本と共同で実現しようとねらっているもので、南アフリカ政府が合成エネルギーの企業化計画に対して、税制恩典などの優遇措置を講ずる方針を打ち出したため、一挙に脚光を浴びてきた。



 
 
>TOP

ベンツの南ア子会社UCDD、ホンダ車の生産を計画。

日経産業新聞
1980/05/08

 ダイムラー・ベンツの南アフリカ子会社が近くホンダ自動車の生産に乗り出す予定である。この子会社の名前はユナイテッド・カー・アンド・ディーゼル・ディストリビューターズ社(UCDD)で、同社はすでに政府当局から計画の原則的承認を取り付けている。またUCDDのモリス・シェンカー取締役が本田との提携契約のため近く来日する。



 
 
>TOP

本田技、南アで乗用車KD生産へ西独ベンツと提携も 子会社役員が来週来日

日本経済新聞
1980/05/11

本田技研工業によると、西独ベンツ社の海外担当役員と南アフリカのベンツの子会社ユナイテッド・カー・アンド・ディーゼル・ディストリビューターズ(略称UCDD)の会長が19日に来日、本田技研首脳と南アフリカでの本田製乗用車のKD生産について話し合う。KD生産は現地子会社の操業率向上のためベンツ側が強く希望しているものだが、本田もベンツの提案に乗り気をみせており技術提携を結ぶことになる公算が大きい。



 
 
>TOP

丸紅、パルプ原料供給源を拡大 豪州に続き南アから年間約10万t輸入。

日本経済新聞
1980/06/12

丸紅はパルプ原料用として、先に最大のユーカリの供給基地である豪州からの輸入量を増やしたのに続き、新たに南アフリカからユーカリを輸入し始めた。丸紅が現地の植林組合と結んだ契約は、今年から向こう6年間の長期買い付け。引き取り量は当初、年間約10万tで全量、丸太のまま輸入するが、丸紅は将来、「短材」の形で輸入することを検討しており、これが実現した段階では引き取り量を年40万ー50万t規模に増やす計画だ。



 
 
>TOP

日綿、南ア向け工作機械の輸出好調 村田機械・宮野鉄工所製の自動旋盤30

日経産業新聞
1980/07/05

 日綿実業によると、今までほとんど実績のなかった南アフリカ共和国向けの工作機械輸出が最近急増している。同社はことしに入って、村田機械や宮野鉄工製の自動旋盤約30台(3億円相当)を受注したほか、最新のNC(数値制御)旋盤の引き合いも寄せられた。現地の自動車、家電関連の部品メーカー向けのもので、他の総合商社、機械専門商社も南ア向け輸出に本腰を入れる動きが広がっている。



 
 
>TOP

プレス工業、南アVWから車生産用のプレス金型2億円を受注。

日経産業新聞
1980/07/25

 プレス工業は南アフリカVW(フォルクスワーゲン)社から自動車生産用のプレス金型を受注した。これは南アVWが生産している乗用車「パサート」のボンネット、ルーフなど4部品を生産するためのもの。受注額は2億円。プレス工業は自動車のボンネットやアクスルケースなど大型プレス部品の専門メーカーで、精度の高いプレス用金型の製作では内外に定評がある。



 
 
>TOP

日軽金新潟工場、アルミ精錬設備を南アのアルサフ社に100億〜150億円で

日本経済新聞
1980/08/12

日本軽金属は、新潟工場で凍結中のアルミ精錬設備(アルミ地金年生産能力8万7000t)を南アフリカ共和国のアルサフ社に売却することで基本的合意に達したと発表した。売却金額はまだ決まっていないが、ノウハウ込みで100億ー150億円になる見込み。精錬各社は、54年から凍結設備を海外に売却することを検討中だが、実現に持ち込んだのは今回が初めて。同設備は1982年から南アで稼働する予定である。



 
 
>TOP

レンゴー、南アのコーラ社にも段ボール製造全分野で技術指導。

日本経済新聞
1980/08/25

レンゴーは、南アフリカの最大手段ボールメーカーのコーラ・ブラザーズ社との間で、コ社が建設中の最新鋭大型段ボール工場の生産管理を軸に生産性向上のための全面的な技術指導をレンゴーが行う契約を結んだことを明らかにした。今回のレンゴーのコ社への技術指導は段ボール産業についても日本の生産性の高さが世界的に注目されていることを示したものといえる。



 
 
>TOP

住金、南ア国営製鉄所向けの成型炭設備を2基受注。

日経産業新聞
1980/09/08

 住友金属工業は、南アフリカ共和国の国営製鉄会社であるイスコール社から、非粘結炭をコークス製造用に使えるようにするための成型炭製造設備2基を受注した。住金は設計から操業指導までのソフトを担当、設備本体(ハード)は住金がライセンスを与えた西独のディディア社が供給する。



 
 
>TOP

ヘキスト、南アにアセチレン工場など3工場計画。

日経産業新聞
1980/10/28

 西独の化学グループ、ヘキスト社は、南アフリカで合計2300万ランドを投資する計画である。同社によれば、サソルブルグに工費約500万ランドのポリりん酸工場と、1300万ランドの包装用フィルム生産工場を建設する。このほか、同社は500万ランドを投じて、ニューキャッスルにアセチレン工場を建設する予定である。これらのプロジェクトはすべて同国のセントラケム社と合弁で実施される。



 
 
>TOP

シーメンス、南アと共同でマイクロ・エレクトロニクス設立、シリコン・チップ

日経産業新聞
1980/11/04

 シーメンス社は南アフリカ産業公社(IDC)と共同で親子会社を設立、同国でシリコン・チップの生産を始める計画である。子会社の社名は「マイクロ・エレクトロニクス・システム」で、シーメンスの南アフリカ子会社が49%出資、残りの株式はIDCが保有する。この種の工場は南アフリカでは初めてで、総事業費は1250万ランド、建設地はプレトリアの近くのケデスポールト。



 
 
>TOP

カネボウ化粧品、海外事業が本格化 仏・南ア・比でも販売。

日経産業新聞
1980/12/03

 カネボウ化粧品の海外事業戦略が本格化してきた。2日からパリで「カネボウ」商標の化粧品を発売したほか、南アフリカ共和国、フィリピンでもこのほど現地の有力企業と組んで化粧品販売を開始した。同社は昨春英国で化粧品を発売、続いてことし5月からはスイスとオーストリアへも進出するなど国外市場への取り組みを強化させている。



 
 
>TOP

本田技研、ベンツ子会社と提携、南アで大衆車を共同生産へ。

日本経済新聞
1980/12/16

本田技研工業は西独第2位の自動車メーカー、ダイムラー・ベンツ社の南アフリカの子会社ユナイテッド・カー・アンド・ディーゼル・ディストリビューターズ社(UCDD)と業務提携を結ぶことで最終的に合意した。南アにあるUCDDの工場で、82年後半から本田が開発した大衆乗用車を年間1万2000台の規模で共同生産するもので細部を詰めて年明けにも正式調印する。



 
 
>TOP

日産自九州工場、南ア向け部品輸出 苅田港に定期船寄港。

日経産業新聞
1981/01/22

 日本 南アフリカ間の定期航路開設に伴い日産自動車九州工場(福岡県苅田町)横の苅田港には定期航路の荷物船が寄り、同工場製自動車部品の南アフリカへの輸送を始めた。今後は毎月1回、苅田港に1万6000重量t級の貨物船が入り、南アフリカと日本を結ぶことになる。



 
 
>TOP

ダイムラー南ア子会社、本田の乗用車生産協定に調印 82年に「バラード」

日経産業新聞
1981/02/18

 西独ダイムラー・ベンツ社のスポークスマンは16日、同社が27%出資している南アフリカ子会社、ユナイテッド・カー・アンド・ディーゼル・ディストリビューターズ社がこのほど本田技研工業との間で、南アで本田の乗用車を生産する協定に調印したと発表した。協定内容は(1)ユナイテッドは本田の「バラード」モデルをイーストロンドン工場で生産する(2)生産は82年下半期に開始する などとなっている。



 
 
>TOP

日金工、南アフリカのサザンクロス社をステンレスの熱間圧延で技術指導。

日経産業新聞
1981/03/05

 ステンレス大手メーカーの日本金属工業は4日、南アフリカ共和国のステンレスメーカーであるサザンクロス社に熱間圧延の技術指導を実施すると発表した。日金工がステッケルミルによる圧延技術を持つため、サザンクロス社の技術者を受け入れ、独自の技術を“伝授”するもの。



 
 
>TOP

米ファイアストン、南ア子会社株をボルクベレギンに売却 経営再建へ荒療治

日経産業新聞
1981/03/12

 米国第2位のタイヤメーカー、ファイアストン・タイヤ・アンド・ラバー社はこのほど、同社の南アフリカの子会社の株式75%を、南アの産業持ち株会社、フェデラル・ボルクベレギンに売却することで合意したと発表した。売却条件など詳細については明らかでないが、ファイアストンの南アの資産は約8000万ドルと見込まれている。



 
 
>TOP

鐘紡の共同企画グループに豪社と南ア社が参加。 日経産業新聞

日経産業新聞
1981/03/12

 鐘紡は欧米など先進国のコンバーター(商品企画力のある製造、卸)とポリエステル、綿のプリント部門で共同企画、販売を行っているが、このほどオーストラリア、南アフリカのコンバーターが新たに参加、グループは6カ国に拡大された。新加入は、スノー・エリオット(豪州)、ブロック(南ア)の2社で、両社が本格販売に乗り出す82年春夏シーズンには扱い高は従来より30%増の130万m(幅115cm)に達する見込み。



 
 
>TOP

日本理器、南アのRW・ツールスと提携しモンキーレンチ現地生産。

日経産業新聞
1981/03/17

 日本理器は、南アフリカ共和国の大手作業工具メーカー、RW・ツールスと提携、日本理器が半製品や鍛造品を供給し現地で最終製品に仕上げるという形で、今年末からモンキーレンチの共同生産に乗り出すことを明らかにした。RW・ツールス社はスウェーデンの一流メーカーを退けて提携相手に日本理器を選んだもので、わが国の作業工具の技術水準が世界のトップレベルに達したことを示す動きとして注目される。



 
 
>TOP

高炉大手各社と南ア山元4社の原料炭輸入交渉、24%値上げで決着。

日経産業新聞
1981/03/20

 1981年度の原料炭輸入交渉のトップを切って、南アフリカ・ウィットバンク炭の価格交渉が約24%の値上げで決着した。新日本製鉄など高炉大手各社が南アの山元4社と19日まで交渉を重ねていたもので、新年度価格はトン当たり約10ドル値上げし、FOB(本船船積み渡し)で52ドル強となった。81年度の輸入量は80年度より30万t多い年間230万tとすることで合意した。



 
 
>TOP

日立、南アの鉄道車両商談に応札 規模100億円程度。

日本経済新聞
1981/04/19

日立製作所は南アフリカ共和国でこのほど実施された最大規模の鉄道車両商談の国際入札に応札した。この商談の規模は100億円程度といわれているが、鉄道施設増強に積極的な南アでは8月にも同規模の国際入札が予定されており、日立は現地企業と連合を組み一括受注をねらっている。



 
 
>TOP

1981/05/2

国連安保理、南ア制裁決議案通らず。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/05/16

国連、人種差別の南アフリカに協力的な企業を発表 トヨタ・日産など含まれ

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/06/1

南アのテロ・暴動事件 反白人闘争の激化映す

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/07/20

ミッテラン仏大統領、南ア向け原子炉輸出を承認。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/07/21

南ア準備銀行、金下落で公定歩合引き上げ。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/07/31

南ア軍がアンゴラ侵入? 南アンゴラ国防相は否定。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/08/13

海運会社、途上国の要請でチリ・南アフリカ航路にコンテナ船投入相次ぐ。

日本経済新聞

わが国を起点とする南北航路のコンテナ化が急ピッチで進んでいる。南北航路ではコンテナはこれまで、在来の貨物船で輸送されていたが、コンテナ貨物の増加に対応、コンテナ船を投入して本格的なサービス体制を整えているもの。今春、日本ーチリ、日本ーバンコク航路がコンテナ化されたほか、年末には日本ー南アフリカ航路でフルコンテナサービスが始まる。



 
 
>TOP

1981/08/26

アンゴラ、南ア軍の侵攻で軍に総動員令。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/08/28

アンゴラ、国連緊急安保理を要請 南アの即時撤退を訴え。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/08/29

アンゴラめぐる国連緊急安保理、南ア非難めぐり対立 撤退決議採択は微妙。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/08/29

アンゴラ政府、南ア軍撤退報道を否定。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/08/29

南ア軍、アンゴラから撤退 “任務”を完了。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/08/31

ウガンダなど非同盟6カ国、国連安保理で南アフリカ制裁決議案を提出。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/09/1

米、国連安保理で南ア軍のアンゴラ撤退に拒否権発動。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/09/2

アンゴラ南部でソ連兵と交戦、捕虜に、直接介入の証拠 南ア国防相表明。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/09/2

ソ連、アンゴラ紛争に軍事介入 マラン・南ア国防相語る。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/09/4

南アフリカ軍、アンゴラに新たな侵攻。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/09/5

国連ナミビア総会、南アの討議締め出しを承認。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/09/5

西堀国連大使、南アを非難する演説行う。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/09/7

南ア・イスラエル・台湾、核兵器開発で協力 台湾有力議員の康氏確認。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/09/15

国連ナミビア緊急総会、「南ア制裁要求」を採択。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/09/20

ソ連、アンゴラ介入認める 南アの攻撃を激しく非難。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/10/2

岐路に立つ南ア(上)四面楚歌 複雑な多人種社会、“ナミビア支配”非難の

日本経済新聞

(西谷記者)

第五世界という耳慣れない言葉をヨハネスブルグで聞いた。イスラエル、台湾、それに南アフリカなど「世界の孤児」のことだという。アフリカ大陸最後の白人支配の国、南アフリカはいま話題の国である。アパルトヘイト(人種隔離)政策に加え、ナミビアの“不法支配”で国際的に孤立している。九月十四日の国連ナミビア緊急総会で「南ア非難・制裁」決議が賛成一一七、反対〇、棄権二五で採択された。南ア・ラグビーチームもニュージーランドでボイコットされる有り様である。南アの白人政権は今後どうなるのか、そして金とダイヤに象徴される鉱物資源の宝庫、南アの経済がそれとどうかかわるのかーー。こんな疑問をかかえて南アフリカ観光公社と英国航空の招きを受け、遠くアフリカ大陸の南端へ飛んだ。(西谷記者)

南アのまた南端の港町ケープタウン。初春の太陽が大西洋のかなたに落ちかかるころ合い、市内でタクシーを拾って「黒人居住区へ往復してほしい」と頼んだ。黒人に近いカラード(混血)の運転手は一瞬けげんそうにしたが、やがて顔をほころばせて東北東へ走らせた。とたんに雄弁になり「美しい国でしょう。白人にとっては天国です。でも黒人や有色人種には地獄ですよ。四十三年生きてきて状況はひとつも変わらなかった」と訴えた。

南アの大都市では黒人、白人、カラードがそれぞれの居住区に住む。アパルトヘイトの一断面である。ケープタウンの中心から数十キロメートル、ステーンベルグ居住区へ着いた時、すでに夕闇が迫っていた。運転手はにわかにドアをロックした。「そんなに危ないのか」。「いや用心のためですよ」。小さく区切った黒人アパートが立ち並ぶ区域を過ぎて、貧民の住む家をみた。日本の終戦後のバラックがおびただしく軒を接するさまを想像してもらえばいい。屋根は極度に低い。電気はない。主食はトウモロコシのおかゆ。黒人たちが物珍しげにタクシーの窓へ寄ってくる。

白人が主人で黒人、カラードが召使、賃金格差はきわめて大きく黒人、有色人種がさまざまな形で差別されている。日本人は六〇年代初めに“名誉白人”の栄誉に輝き、白人志向の日本人たちの自尊心をくすぐった。“名誉白人”といっても、ここでは混合婚姻禁止法(一九四九年)により日本人は南アの白人とは結婚できない。

確かに、南アの白人政権を単純には批判できない。一四八八年、ポルトガルのバルトロメオ・ディアスの喜望峰発見が南アの歴史の端緒である。十七世紀半ばにオランダ人がケープ植民地を建設、オランダ移民(ボーア人)が先住民と衝突しつつも領土を広げ、こんどはオランダ人と英国人の長い抗争の時期を経て、一九一〇年、南アフリカ連邦ができた。三一年英連邦の自治領となる。四八年、オランダ系の国民党がついに政権を取り、英連邦から離脱したのはやっと六一年のことだった。こう簡単に歴史を振り返るだけでもこの「多人種社会」の複雑さが浮かび上がる。

南アには十以上の黒人部族が反目し合って存在している。カラードもいる。マレー人、中国人、インド人もいる。白人にしてもオランダ系と英国系の微妙な対立はいまなお続いている。オランダの植民たちは異文化、違った価値観のぶつかり合いの中で現在の南ア共和国を建設してきた。欧州的な白人エゴといえばそれまでだが、アパルトヘイトが白人の苦肉の自己保存策であるには違いがない。

「黒人はアフリカから白人を追い出そうとしている。だが私たちはもう三百年もここに住んでいる。しかも私たちこそは英国の植民地主義と闘ったのではないか」とプレスコン・ビジネスニューズ・エージェンシーのスプリング主筆は語気を強める。「アフリカの五十カ国で民主的に政権が変わった国はひとつとしてない。ここで働くのは議論の正しさではなくパワーなのだ。私たちの敵は黒人ではない。マルキストだ。白人と黒人は将来、和解できると思う」ーー。

ケープタウンで会ったあるインテリ女性は「私は他の知識人たちと同じく、アパルトヘイトに反対する。しかし、これをやめれば経済的にこの国は崩壊する。時はすでに遅い。もはやこの国に解決方法はない」と悲観的な表情をみせた。

南アの白人政権はまさに四面楚歌の状況にある。北東の隣国で永らく白人が支配したローデシアは、ブラック・パワーに押されて崩壊、八〇年四月、ムガベ黒人政権のもとにジンバブエとして発足した。南アの北西方面ではアンゴラがすでにソ連、キューバの支援で社会主義体制を確立し、ナミビアでの黒人社会主義政権樹立に側面から協力している。「ナミビアの白人少数派を保護し、赤い勢力の南アへの浸透を防ぐ」というのが、南アのナミビア不法占拠と南ア軍派遣の大義名分となっている。この交渉は現在行き詰まっているが、白人の権益を確保したうえでナミビアでの黒人の統治権を認めるという「ローデシア的解決」を少なくとも南アはいずれ受け入れざるを得まいーーとは日本の外務省の見通しである。

このように南アは次第に外ぼりを埋められてきている。しかも国内では非合法のANC(アフリカ民族会議)がソ連、SWAPOと連携しつつゲリラ活動を強めている。こうしてみると、南アの白人政権は袋小路に追いつめられているかにみえる。だが現実に見る首都プレトリア、ヨハネスブルグ、ケープタウンは少なくとも昼間は平和なにぎわいをみせ、繁栄をおう歌していた。南アの白人政権が急速に崩壊していく兆しはここからは決してうかがえなかった。南ア内部の白人パワーはまだ十分に強力である。



 
 
>TOP

1981/10/3

岐路に立つ南ア(下)体制死守 豊かな資源武器に、レーガン政策に強い期待

日本経済新聞

(西谷記者)

美しい国である。ケープタウンの輝かしい夜景、インド洋と大西洋を分ける荒涼たる喜望峰。北上すれば、四国ほどもの広さのある草深いクルーガー自然公園。そこに生息する動物たち。この自然の恵みが資源の恵みにつながる。地下資源の豊かさでは世界有数で、最大の産金国であることはつとに有名。ほかにダイヤ、ウラン、プラチナ、マンガン、クロム、鉄鉱石、石炭と五十種以上の長い鉱物リストができる。農・林業、漁業はもちろん、重工業も発達している。果物も豊富で、南ア産ワインは「世界一」との絶賛さえ浴びている。

この南アフリカの経済力こそが、白人政権を支える大きな要因となってきた。多くの国が政治的には南アを非難しても、その裏では経済的に緊密なつながりを持っている。日本にしても、国連のナミビア決議では、対南ア経済制裁には反対し、これを除いた修正案に賛成票を投じた。南アとの経済断交は大きく響くからである。

しかも、南アには十分な自給自足体制が整っているから、経済制裁への抵抗力はきわめて強い。南アは石油の輸入国だが、第一次エネルギー消費の七五%が石炭、残る二五%が石油にすぎない。石炭の大増産計画が進められており、石炭のガス化がさらに進めば、石油消費を半分に減らせるという見通しもある。南ア白人政権にとってはまさしく経済が武器である。「黒人政権になれば経済はめちゃくちゃになる」とのボタ政権の警告はそれなりの説得力を持つ。

南ア経済はいま下降局面を迎えている。これは主に金価格の下落による。八〇年は金価格の上昇で輸出がふえ、経常収支は四十億ドルの黒字、実質八%の成長率を達成した。しかし、今年は逆に四十億ドルの経常赤字、成長率も三、四%のマイナスと予想されている。インフレ率も八月で一六%と高水準。今年を見る限り、経済状況はよくない。

しかし、来年以降については、景気回復への自信がヨハネスブルグにみなぎっていた。まず金価格は目先、小反落しても基本的には上昇傾向をたどり、来年からは本格的に上昇するとの見通しが支配的。南ア滞在中に、アングロ・アメリカン社の「金価格は八八年までに一オンス=一〇〇〇ドルを超す」との予測が出た。八二年の成長率は一ー二%は堅い、ということだった。

南アはプラチナの輸出にも大きな期待をかけている。同国のプラチナは、自由世界全体の需要の約八割をまかない、米国、日本を主な輸出先としている。その他の鉱物資源も合わせると、南アの経済は強力な成長力を秘めている。八〇年度(八〇年四月ー八一年三月)の財政収支は世界でも珍しい黒字を記録した。

だが、南ア経済が政情不安に脅かされていることもまた確かである。たとえば七六年春、数カ月にわたり国内の黒人居住区で大きな暴動事件が起こった。この時、機を見るに敏なユダヤ人など白人の多くが国外に脱出し、地価の暴落を招いた。観光客も七六年に激減し、観光収入も大きく減った。その後、国内情勢が安定し、逃げた白人たちが戻ってきたほか、ローデシアの白人政権崩壊、ジンバブエの成立で白人たちが南アへ逃げ込んできたこともあり、大都市圏の住宅価格はこのところうなぎのぼり、観光客の数も八〇年には七五年の水準まで戻った。

こうして現在はかなり政情が安定してきたとはいえ、あくまで相対的な話。八〇年六月には南アの誇る石炭ガス化設備工場のタンク七基をANC(アフリカ民族会議)が破壊したり、今年にはいっては、首都プレトリアの近郊にANCのしわざとみられるソ連製ロケット弾がぶち込まれた。六月には、ヨハネスブルグのソウェト(黒人居住区)で黒人の教育水準の向上を求めるデモが生じている。

南アの白人政権がこれからどうなるのか、三つの可能性を想定することができる。一つは白人政権の存続。二つめは、黒人勢力による革命。三つめは白人の権益確保のもとでの黒人政権の樹立(ローデシア的解決)である。仮に南アの白人たちが強調するように、黒人政府が誕生して南ア経済が全くの混乱に陥れば、金はじめ鉱物資源の輸出が激減し、金価格の暴騰をはじめ、世界経済に大きな衝撃を与えることになろう。

プレトリアのボタ国民党政権は、今年四月の総選挙では右派と左派がともに台頭した中で、両者の均衡を取りつつ穏健路線を推進している。つまり、これまでのアパルトヘイト政策を維持しながら、黒人の市民権拡大、黒人福祉、教育水準の向上を図ることで、黒人勢力の離反を食い止めようとしている。

黒人側も部族間の反目が根強く、勢力を結集しにくい情勢にある。しかも、プレトリア、ヨハネスブルグなどで会った黒人の多くは無気力で、白人への不満をいたずらに内攻させているように見えた。ヨハネスブルグ駐在のある日本の商社マンは「米国の黒人の方がはるかに生き生きとしている」と評していた。

南アでテロ活動を強めているANCにしても、なお小規模な反抗にとどまっている。社会主義勢力が今後どこまで南ア白人体制に肉薄するか、そして無組織で無気力な黒人たちのナショナリズムをどこまでかきたてられるかがひとつの焦点となろう。

この点、ボタ政権にとって、米レーガン政権の誕生は歓迎すべきことだった。カーター前大統領の人権外交に露骨な嫌悪をみせた南アだが、レーガン大統領の親南ア外交に大きな信頼を寄せている。レーガン政権の後ろ盾で親ソ勢力をはね返すのが今後のボタ政権の主要な外交政策となるはずである。さらに、鉱物資源を武器に、日本や西欧諸国を引きつけたいところである。

もちろん今後の情勢は予断を許さない。歴史の歯車の回り具合からすれば、南ア白人政権に不利な状況がさらに強まってくるはずである。それかあらぬか、南アのユダヤ人などは常に逃げ出す準備を怠っていない。子弟を進んで海外へ留学させているのがその証拠との話をヨハネスブルグで聞いた。英国系南ア人も危急の際には逃げ出すとの見方も出ていた。

だが、アフリカーナーと自称し、黒人と英植民地主義と闘いつつ現在の南ア共和国を築いたオランダ系白人たちは、南アを祖国と信じている。しばらく前、黒人のストでゴミ回収サービスがなくなった時、率先して車を運転してゴミ回収に当たったのも彼らであった。その強い愛国心と自負心で、最後まで南ア白人体制を死守することになろう。

南アが核兵器を持っているとのうわさがしきりである。この点をプレスコン社のスプリング主筆にただすと、直ちに「ある」との答えが返ってきた。何発あるかはわからないとのことだった。豊かな鉱物資源、熱烈なアフリカーナー魂、核武装。南ア白人政権の砦(とりで)は想像以上に堅固のように見えた。



 
 
>TOP

1981/10/16

一般炭、南アから輸入急増 今年は前年比2.4倍の120万tに。

日本経済新聞

南アフリカ共和国からの一般炭輸入が急増している。大手商社によると南アからの一般炭輸入はこのところ前年同月実績の三倍近い水準で増え続け、五十六年一年間の輸入量は前年比二・四倍の百二十万トン、一般炭総輸入量の一〇%を超え、日本にとってオーストラリア、米国に次ぐ第三位の輸入国に躍進する見通しが強くなった。ストや滞船の多いオーストラリアや米国に比べて「過去一年間、一度も契約不履行がなかった」(大手商社)という供給国としての安定性が、需要家の電力、セメント業界に評価されてきたためだ。

南アからの一般炭輸入は一昨年末から始まり、昨年はオーストラリア、中国、米国、カナダに次いで五十万トンの輸入があった。しかし、ことしに入って輸入量は激増し、一ー七月だけで七十五万トンと昨年一年間の実績を軽く突破、中国、カナダを抜いてオーストラリア(三百三十八万トン)、米国(百十二万トン)に次ぐ量が輸入されている。

大手商社によると一昨年末からの石炭ブームで日本にとって最大の輸入国であるオーストラリアを中心に一般炭輸入量が急増したが、同時に多くの問題点も出てきた。その最大のものが石炭価格の高騰と、輸入コストをさらにつりあげることになったオーストラリア、米国の石炭ストや港湾施設未整備による滞船。

需給バランスの関係で一般炭の価格が二年で二倍以上にはねあがったうえ、昨年は滞船による輸送コスト増だけで「北米炭は一トンあたり十ドル、豪州炭も四ドル以上余分のコストがかかった」(大手商社)という。このため一般ユーザーや商社はより安く、より安定的な石炭供給国を求めて輸入先の多角化に走ったが、その結果、浮かびあがったのが南アだった。

大手商社によると南アの石炭輸出業者は十社足らず。産地、輸送機関、港湾における労使関係が極めて安定しているうえ、経営者も輸入業者に対してオーバー・コミットメント(過度な約束)を一切せず、昨年一年間でスト、出炭計画の狂いなどによる出炭量の減少や滞船は一度もなかったという。このため電力、セメント業界を中心に大手商社に南ア炭輸入を求める声が日増しに強まっているもの。

大手商社によると、ことしの南アの石炭輸出量は千二百万トン。輸出先は地理的に最も近い欧州が中心だが、このところ欧州の経済不況の影響と買い過ぎの反動で南ア炭にも需給のゆるみが見え始めている。このため大手商社は南ア炭輸入を増やす好機とみて、同国の来年の輸出計画量(二千四百万トン)のうち日本向けのわくを少しでも多く確保するため、輸入商談を活発に進めている。

セメント不況や原油価格の値下がりで一般炭輸入量は今後、一転して伸び悩むというのが大方の見方。その中で南ア炭の輸入だけは増え続けることは確実で、当分の間、“南ア炭ブーム”が続きそう。



 
 
>TOP

1981/10/27

ナミビア和平で西側5カ国グループ、調停案を南ア政府に提示。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/11/2

野生の楽園、南ア共和国 動物と出会いの旅、欲望の名残・ダイヤの掘り跡。

日本経済新聞

東京国際空港から二十一時間、英国航空のジャンボ旅客機BA25便は香港、コロンボ(スリランカ)、セーシェル島を経て朝もやの中、南アフリカ、ヨハネスブルグのヤンスマッツ空港に着陸した。眠い目をこすりながら入国手続きをすませ、国内線に乗りかえた。一時間ちょっとで五百キロメートル離れたクルーガー自然公園の南部に位置するスククザに着陸した。

クルーガー自然公園は南北三百キロメートル、四国ほどの広さのある世界最大の動物保護区である。早速ランド・ローバー(サファリ用ジープ)の出迎えを受け、動物たちを見ながらさほど遠くない宿泊地「ハリスハット」に向かった。前庭をせせらぎが静かに流れ、そのむこうはなだらかな斜面の林になっている。「川を渡って林の向こうへ」ーーアフリカを愛したヘミングウェイの気持ちがわかる気もした。

川に面した野外の食卓で昼食。太陽、微風、芽のふき始めた木々、口に広がる南ア産白ワインの辛い味、肉にサラダ、手焼きのパン。川に深紅の鳥が来て、猿たちは川辺で遊ぶ。都会の日本人にとって、ここは全くの別世界。非日常の世界である。黒人の少年がひとり、庭掃除をしている。カメラを向けるとにっこり白い歯がのぞいた。

しばしの午睡のあと、サファリに出かけた。夕刻から動物たちの活動が盛んになるからである。七人の客が楽に乗れるランド・ローバーに鉄砲を手元に置いてレインジャー(動物保護官)が運転席に座る。後部のステップには黒人の見張り役(トレッカー)。ブリティッシュ・レイランド製のローバーは林を切り開いた砂道を力強く走り、トレッカーのデービッド君は動物をもとめて左右を澄んだ瞳で見渡す。

さまざまな動物をみた。デービッド君の動物探しの天才的手腕のたまものである。白サイ、幾種類もの鹿にかもしか、大鷲(わし)、大トカゲ、チーターの親子、キリン、シマウマ、イノシシ、野牛、ジャッカル……。動物園のオリの中でみるのと全く違い、ここアフリカの草原の動物たちはいずれもしなやかで美しい。

デービッド君が肩をつついた。振り向くと、唇に指を当てつつ「ライオンだよ」とささやいた。ローバーは全力疾走する。すでに五時半、太陽は丘のむこうに赤く落ちかかっていた。一群の野牛が水を飲みに来たついでに草をはみつつたわむれている。三頭のライオンがそこへしのび寄り、まさに襲いかかろうと低く身がまえていた。

夕暮れの平原に沈黙がやってきた。聞こえるのは風のそよぎだけ。野牛たちは知らずにライオンの方へ近づく。ライオンが身がまえる。突然、野牛たちは気配を察して逃げ始めた。三頭のライオンは一斉に立ち上がった。

弱肉強食の大自然のドラマは突然終わった。見物人の間から失望と安どのまじった嘆息がもれた。立ち上がったライオンたちは野牛のあとを追うことをせずに見守り、やがてあくびをすると子ライオンたちとじゃれ始めた。デービッド君は「ライオンは腹が減っていなかった」とつぶやいた。

太陽が沈み、丘の上空は紫色に染まって、金星が輝き出した。ライオンに別れをつげ、手ぢょうちんで夜の動物たちを探しながら帰途についた。かもしかの一群が手ぢょうちんの光の中に美しく浮かび上がり、夢幻の世界に遊ぶ心地がした。

電気のない「ハリスハット」の各戸口に石油ランプが炎をゆらめかせ、部屋にはろうそくの光があった。夜八時すぎから野外の夕食が始まった。葦(あし)のくきを組んだ円型の“よしず張り”の中央にたき火が赤々と燃え、テーブルがそれを取り囲んでいる。かもしかのスープ、水牛のソーセージ、鹿肉のバーベキュー、サラダ、そして南ア自慢の赤ワインーー。ジャッカルの遠ぼえを聞きながらの野趣豊かな宴は十時半ごろまで続いた。

(外報部 西谷記者)

サファリが南アの観光のひとつの目玉とすれば、いまひとつの目玉はやはり喜望峰への旅ということになろう。

ケープタウンからケープ半島の美しい沿岸を南東に約六十キロメートル。半島の先端が喜望峰である。この周辺は「野山に豊かな緑と色鮮やかな花、地には獣、空には鳥、海には魚」との旧約聖書の「エデンの園」さながらのたたずまい。英エリザベス王朝時代のドレーク船長が「この世で最も美しい」と嘆賞したのもうなずける。だが喜望峰そのものはけわしい岩山、そこへ大西洋とインド洋の波がしぶきをあげる荒涼たる岬であった。

B・ディアスが一四八八年、この岬を発見した時「嵐の岬」と名付けた。しかし、十年後にここへ来たバスコ・ダ・ガマは縁起をかついでか「喜望峰」と命名したいきさつがある。実際に見る岬は、ディアスの表現に近いものだった。ワグナーの歌劇「さまよえるオランダ人」はこの岬の荒涼たる伝説にもとづくという。事実、喜望峰のふもとから岬の上へは「さまよえるオランダ人号」と胴体に大書した青いバスが通っている。強風に吹かれて、岬の頂上から灰色の海、岬の先端にぶつかる波を見ると、七年に一度しか上陸を許されない「オランダ人」の暗い運命を追想してしまう。

観光名所はまだまだある。金鉱の町ヨハネスブルグには七七年まで操業してきた金山をそのまま残した博物館(ゴールドミュージアム)があり、見学客でにぎわっている。この鉱山は地下二千メートルにも達するが、鉱石運搬用の地下昇降機で二百二十メートルまでおりても、鉱山労働の厳しさが身に迫る。このほか、プレトリアとケープタウンを結ぶ「豪華ホテル列車」ともいうべきブルー・トレインでの丸一日の旅、海辺のリゾート地域であるダーバンでの海水浴やサーフィン、さまざまな植物園めぐりと、書けばきりがない。

観光となると旅の安全がひとつの重要な要素となる。たしかに「世界で最も安全」といわれる日本から来ると南アの治安はよくない。ヨハネスブルグでも、ケープタウンでも夜間のひとり歩きはやめろと忠告された。もちろん、イタリアも決して安全な国ではないが、観光客はどっと押しかける。南アでも「おとなしくしておれば」そう心配はない。

SAR(南ア国鉄)旅行公社のフィッサー部長はこう語る。

「米欧日の国々からは遠いので、観光促進にむずかしい面はある。これに政治的要因がからむ。外国の新聞が事実を正確に伝えないため敬遠される空気もある。たしかに七六年の黒人暴動で観光客は激減したが、その後順調に回復し、八〇年の外人客は七五年水準まで戻した。ことしもふえている。百聞は一見にしかず、とにかく一度人々に来てもらい、南アの素晴らしさを知ってもらいたい。これが人づてに伝わること、それが南アの観光促進戦略といえばいえる」

アフリカ大陸の最南端にあるアフリカの経済大国。金、ダイヤのほか、ウラニウム、プラチナ、クロム、石炭、鉄、マンガンーーなど鉱物資源は実に豊富。また、自然環境も絶好の美しい国。観光資源においても天の恵みを受けている。

南アフリカにはブッシュマン、ホッテントットの先住民族がいたが、一四八八年、ポルトガル人のB・ディアスが喜望峰を発見、オランダ人が一六五二年にケープ植民地を設定した。その後ボーア人といわれるオランダ系植民と植民地主義的な英国とが白人支配をめぐって衝突を繰り返した。そして結局、一九一〇年、英国の自治領南ア連邦が成立した。四八年、オランダ系の国民党が政権を取って共和制へ移行し、六一年に英国とのつながりを断って南アフリカ共和国として独立した。現在もボタ首相のもとでオランダ系白人支配が続いている。

八〇年の国勢調査によると人口は二千三百七十七万人。複雑な人種構成となっている。行政上の首都はプレトリアだが、ケープタウンに立法府(議会)がある。

日本から南ア・ヨハネスブルグへは英国航空のジャンボ機(B747)直航便が週一回このほか、南アフリカ航空も毎週土曜日に香港発、同水曜日に台北発でジャンボ機をヨハネスブルグ直航で飛ばしている。



 
 
>TOP

1981/11/7

米ITC、欧州などの鉄鋼メーカーをダンピング提訴へ準備開始。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/11/27

中国、核燃料輸出を公式に認める 南ア向けは真っ向否定。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/12/4

南アフリカの黒人自治地域「シスカイ」独立。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1981/12/9

米など西側5カ国、ナミビア独立問題で協議。

日本経済新聞

【トロント八日=橋田特派員】

西側五ヵ国「ナミビア」で協議

米、英、西独、フランス、カナダの西側先進五カ国代表は八日、オタワで南アフリカのナミビア独立問題について協議した。この会議では、すでに発表されている五カ国のナミビア独立軍がアフリカ関係国に与える影響について検討され(1)第二段階としての国連アドバイザーグループ組織化と総選挙の具体的な実施対策(2)第三段階としての国連アドバイサーグループの正式発足と憲法制定ーーなど具体日程を取り決めた。



 
 
>TOP

1981/12/21

南部アフリカ、特恵貿易地域発足へ 18カ国がきょう調印。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1982/02/7

住商と三菱商、クルーガーランド金貨の国内代理店に。

日本経済新聞

住友商事、三菱商事の両社は南ア政府発行のクルーガーランド金貨の国内代理店となり、近く本格販売を開始する。両社は昨年来の爆発的な売れ行きに着目、販売元のインターナショナル・ゴールド・コーポレーション(本社ヨハネスブルグ)との間で代理店契約を結んだもので、国内では田中貴金属工業(本社東京・日本橋)を含め三社となった。今年は四月以降、銀行も窓口で取り扱いを行うだけに、市場はさらに膨らむ見通しだ。

クルーガーランド金貨は一昨年暮れの発売開始以来、田中貴金属工業が一手販売してきた。昨年一年間の売れ行きは当初目標の十万トロイオンス(一トロイオンス=約三一・一グラム)を大幅に上回る十八万六百八十七オンス(約五・六トン)と、世界に占める販売シェアは一気に約五%となった。インターナショナル・ゴールド・コーポレーションは今年の販売計画をこの二倍近い三十五万オンスと見込んでいるが、銀行への流通力のある三菱、住友両社が市場に加わることで販売量はさらに拡大するものとみられている。



 
 
>TOP

1982/02/19

南ア最大の軍艦「プレジデント・クルーガー」が沈没。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1982/02/28

米、イラク・南ア向け非軍事物資の輸出規制撤廃。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1982/03/19

新日鉄など鉄鋼大手の南ア炭輸入交渉、小幅値上げで妥結。

日本経済新聞

新日本製鉄など鉄鋼大手各社が南アフリカの原料炭山元、TCOA(トランスバール州石炭協会)との間で進めていた「ウイットバンク炭」の一九八二年度輸入交渉が十八日妥結した。契約数量は八一年度より四十万トン多い年間二百七十万トン、価格はトン当たり五十七ドルで八一年度と比べ二ドル(三・六%)上昇した。八一年度は二九・八%の大幅値上げだったが、一般炭を含む石炭ブームが鎮静化したのを反映して今回は小幅値上げにとどまった。

わが国鉄鋼業界は年間約六千万トンの原料炭を輸入しているが、新年度から価格改定を求めてきているのはこのうち約八〇%。南アとの妥結は中国炭の八二年(暦年)価格が二%アップで決着したのに続くものだが、中国炭と南ア炭は前年度の値上げが大幅だったために今回は特に小幅にとどまった形。

一方、主力の豪州炭、カナダ炭の山元は二〇%以上の大幅値上げを求めてきており、交渉は進展していない。原料炭価格の上昇は鋼材値上げの幅を左右するため、連休明けから本格化する豪州、カナダとの交渉が注目される。



 
 
>TOP

1982/06/2

住金、製鉄エンジニアリングで欧州・南ア向けに力。

日本経済新聞

住友金属工業は、製鉄エンジニアリング事業の主力市場である米国で製鉄所の閉鎖や設備投資繰り延べの動きが出てきたため、これまで未開拓だった欧州、南アフリカ共和国などに対する営業活動に力を入れる方針を固めた。USスチールなど米国の鉄鋼大手各社は、再生計画の一環として連続鋳造設備の導入などの設備合理化を迫られているが、米国内の鉄鋼需要の落ち込みから設備投資意欲はこのところ急速に減退している。わが国鉄鋼大手各社の製鉄エンジニアリング部門に対する米国からの引き合いも減ってきているだけに、今後も住金のように海外戦略の方向転換を検討するところが続出しそうだ。

住友金属の製鉄エンジニアリング事業は新日本製鉄などに比べると後発だが、五十四年に米国のローン・スター・スチール社から連続鋳造設備のエンジニアリングを受注、五十五年にはUSスチールへの大径管製造技術協力で成果をあげ、米国市場に根を下ろしてきた。製鉄エンジニアリング部門の売上高(ソフトのみで機器は含まず)は五十三年度の四億円から毎年倍増し、五十六年度は四十一億円に達した。このうち八〇%以上が米国向けとなっている。

米国の鉄鋼メーカーは設備の合理化を進めない限り国際競争力の回復は困難であり、設備投資の中でも連続鋳造設備などを優先的に扱っていた。このため住友金属では「これまでは特にセールス活動をしなくても商談が飛び込んできた」としている。しかし自動車や建設の不振で米国内の鉄鋼需要が落ち、このところ製鋼操業率は五〇%を割る状態で、米国の鉄鋼メーカーは工場閉鎖や設備投資の繰り延べに追い込まれている。

同社によると、これまでに契約したプロジェクトのキャンセルなどはまだ入っていないが、商談はめっきり減っている。例えば同社がUSスチールとの間で商談を進めていた技術協力案件のうちアラバマ州フェアフィールド製鉄所の連続鋳造および鋼板関連プロジェクトは、USスチールがこのほど同製鉄所の閉鎖を決定したため、成約の可能性がなくなった。

同社はこうしたことからこれまでの米国に偏った体制を改め、同市場以外でのニーズ掘り起こしに力を入れるもの。欧州では設備改善に積極的なフランス、イタリア、拡張計画を持っているスペインなどが有望である。南アフリカも拡張計画があるので期待できるとみている。



 
 
>TOP

1982/06/9

対南アフリカ漁業交渉決着 水深規制撤回で折り合う。

日本経済新聞

わが国政府・水産業界が八日明らかにしたところによると、操業規制問題をめぐって難航していた日本・南アフリカ共和国の漁業交渉が南ア側の事実上の譲歩でほぼ合意に達した。この交渉は南ア政府がこの春同国二百カイリ水域内で操業中の各国漁業者に厳しい操業規制を要求したのがきっかけになっている。国連が人種差別政策を理由に南アに対する協力自粛を呼びかけたこともあって、一時は決裂寸前になったが南ア側の譲歩で決着したものである。

交渉の焦点となったのは水深規制(水深百十メートル未満の漁禁止)と漁獲高チェック(漁獲した全魚種を陸揚げして南ア政府の検査を受ける)。南ア側は水深規制については漁獲方法の変更などを条件に事実上撤回し漁獲高チェックについては陸揚げせずに従来通り洋上で行うことで折り合いがついた。

これにより、大洋漁業、日本水産、宝幸水産の大手三社は南ア沖での漁獲が可能になった。同水域での対日漁獲割当量は二万七千トン(あじ類二万三千トン、いか類四千トン)。このほか漁獲割当量の五%を上限にメルルーサ(たらの一種)の漁獲も認められている。水産大手三社は、交渉の決着を受けて近く出漁再開に踏み切る見通し。

わが国と南アとは一九七七年十二月に政府間の漁業協定を締結して以来、両国漁業交渉はほとんど問題なく推移してきたが、南ア側の突然の操業規制要求でこじれた。水産業界からは「政治問題はあっても漁場を放棄するわけにはいかぬ」とする声が強まり、農水省は日本水産の大口駿一社長を団長とする政府交渉団を現地に派遣、南ア政府と交渉を続け、このほど合意したものである。



 
 
>TOP

1982/07/4

南ア金鉱山の黒人暴動拡大。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1982/07/6

南アフリカ、クルーフ金鉱で黒人労働者が暴動 約1万2000人が車や建物

日本経済新聞



 
 
>TOP

1982/07/17

南アの鉱山会社、山梨県立宝石美術学校にプラチナなどを寄贈。

日本経済新聞

地方経済面



 
 
>TOP

1982/07/21

南アフリカ、ケープタウン近郊に建設中のコエバーク原子力発電所で火災発生。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1982/08/29

ダイハツ、南アに進出計画 アルファ・ロメオの現地子会社工場で小型車をKD

日本経済新聞

ダイハツ工業は二十八日、南アフリカ共和国で小型乗用車の現地組み立て(KD)生産を計画していることを明らかにした。イタリアのアルファ・ロメオ社の現地子会社であるアルファ・ロメオ・サウスアフリカ社の工場を活用し、「シャレード」(排気量千cc)を生産する案が有力。

ダイハツはインドネシア、アイルランド、ギリシャなど五カ国で「シャレード」をKD生産しているが、インドネシアの年間二千八百台が最高で、五カ国合わせて同四千台にすぎない。南アについては昭和四十年代に一トン積み小型ボンネットトラックを輸出した実績があるが、ここ五ー六年は空白になっており、「新市場開拓の意味からも南アに着目した」と説明している。

現在南アには、トヨタ自動車、日産自動車を筆頭に東洋工業、三菱自動車工業とわが国自動車メーカー四社が進出している。本田技研工業も西独ベンツの現地出資会社と提携して近く、小型乗用車のKD生産を予定しており、ダイハツの進出が決まれば、わが国メーカーとしては六番目となる。

ただダイハツでは、「アルファ・ロメオの現地子会社とKD生産について交渉はしているが、生産開始時期、車種、台数など具体的なことは決まっていない」としている。またアルファ・ロメオがすでに日産と提携しており、ダイハツがトヨタ自動車系列であることからみて、現地工場の活用以外の提携に進む可能性はないものとみられる。



 
 
>TOP

1982/08/31

南アフリカ軍3万人、ナミビア・アンゴラ国境に集結 アンゴラ大侵攻図る?

日本経済新聞



 
 
>TOP

1982/09/7

金相場は年末までに500ドルも ホーウッド南アフリカ蔵相が予想。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1982/09/17

南ア、外貨獲得ねらい武器輸出に総力戦 年間1億5000万ドルめざす。

日本経済新聞

(Y)

南アフリカが兵器輸出に乗り出してきた。発展途上国を中心に市場開拓を積極的に進める計画で、当面は年間一億五千万ドル前後の輸出をめざすという。アンゴラ侵攻などで蓄えた兵器開発力を外貨獲得に生かそうというわけだが、「国際社会の異端児」といわれる同国だけに不気味だ。

南アのここ十年間の軍事予算は急テンポで増えている。七二年の約三億三千万ランド(一ドル=〇・九七ランド)が八一年に二十五億ランドに達している。当初は英、仏からの兵器輸入が主だったが、七七年、国内の黒人弾圧問題で国連の対南ア兵器禁輸が実施された。このころから兵器の国内生産を積極的に進め始めた。南ア国営兵器メーカーである兵器製造公社の幹部は昨年、「もはや兵器を輸入する必要はない」と豪語するまでになっている。

同公社はすでに年産十二億ドル、従業員二万八千人の規模に達しており、軽火器から戦車、戦闘機、地対空ミサイルなどを幅広く生産している。それだけに肥大化した軍事費を兵器輸出でカバーしようという狙いだが、南ア経済の不振がこうした動きに拍車をかけている。

世界不況と鉱産物市況の乱高下で、同国頼みの鉱物資源の輸出が落ち込んでいる。今年上半期の輸出は前年同期を一〇%近く下回った。八〇年には三十七億ドルあった貿易黒字が今年は一転して四十億ドルの赤字になる見込みだ。

もっとも、アパルトヘイト(人種隔離政策)やアンゴラ侵攻などで国際社会から孤立している同国だけに、市場開拓がどの程度進むかという疑問もある。当面はイスラエルや台湾、チリ、アルゼンチンなどへの輸出が有望視されている。中でもイスラエル、アルゼンチンはレバノン紛争、フォークランド紛争という今年の二大戦争の“仕掛け人”。南ア自体も再びアンゴラ国境に「三万人の大軍を集結中」(国営アンゴラ通信)と伝えられるなど、状況はきな臭い。兵器の増強がいずれ戦争につながるという単純な図式はいまも生きているようだ。



 
 
>TOP

1982/10/5

南ア、IMFに10億SDR融資要請 金相場下落で国際収支悪化が打撃。

日本経済新聞

ロンドン五日=竹内特派員

五日付の英フィナンシャル・タイムズがヨハネスブルグからの情報として伝えたところによると、南アフリカ共和国はIMF(国際通貨基金)に対し十億SDR(IMFの特別引き出し権、一SDRは約一ドル七セント)の融資を要請した。輸出の低迷、特に金相場の下落で国際収支が悪化しているため、IMF融資によって国際収支の赤字を補てんしようというものだが、メキシコ、ハンガリーなど多額の累積債務を抱えている国々から相次いで融資申し込みを受けているIMFにとって、また頭痛の種がふえたことになる。

南アフリカ共和国が要請した十億SDRの融資のうち、六億三千六百万SDRはIMFの補償融資制度(一次産品価格の下落で輸出額が減った場合にIMFの短期資金融資ワクを拡大する)で、残り三億六千四百万SDRはIMFのスタンド・バイ・クレジットで融資を受けたいという。

南アフリカ共和国のことし第二四半期の国際収支の赤字は年間に換算すると五十四億ランド(約四十八億ドル)で、昨年の赤字幅三十七億ランド(約三十二億ドル)を上回っている。また八月末の金・外貨準備高は三十六億ランド(約三十一億ドル)で二カ月分の輸入をまかなうのに精いっぱいの状況である。特に昨年からことしにかけて世界的に金相場が低迷を続けたことは産金国である南アフリカ共和国にとっては大きな打撃となっている。



 
 
>TOP

1982/10/5

米ソ外相第2回会談、南ア・中南米問題を討議 首脳会談には触れず。

日本経済新聞

ニューヨーク四日=田中特派員

シュルツ米国務長官とグロムイコ・ソ連外相の第二回会談は四日午後、五時間近くにわたってニューヨークのソ連代表部で行われた。両外相は会談の成果については何らの発表も行っていないが、会議筋によるとこの日の会談は九月二十八日の第一回会談では触れなかった南アフリカ、中南米問題などを取り上げたほか、第一回会談の中心議題となったSTART(戦略核兵器削減交渉)についても突っ込んだ話し合いが行われた。会談は穏やかな雰囲気で始まったと言われるが、ほとんどの問題で見解が対立した模様で、今回の会談の焦点の一つと見られていた米ソ首脳会談の開催問題は取り上げられず、年内開催の見込みはなくなった。

シュルツ米国務長官は先の国連演説でソ連の外交姿勢が世界の信頼関係を台無しにしていると強く非難、グロムイコ外相の提案した核実験の全面禁止についてもソ連がこれまで八回も約束を破ったとして米政府は拒否の構えを示すなど強い対ソ不信をあらわにしている。

一方、グロムイコ外相もベイルートの難民キャンプの大量虐殺事件では米国も共犯者である、と強く非難するなど対決姿勢を崩していない。

二十八日の第一回会談ではSTARTのほか欧州戦域核削減交渉、ポーランド問題、さらに中東情勢などを三時間にわたって話し合ったが、この日の会談では中南米情勢のほか、ナミビアの独立問題など南アフリカの懸案事項を協議、さらにSTARTを再び取り上げた模様。しかし第一回、第二回合計八時間に及ぶ会談でも具体的な成果は得られなかったようで、改めて米ソ両大国間のミゾの深さを見せつけている。



 
 
>TOP

1982/10/6

ダイハツ、南ア進出発表 58年にアルファ・ロメオ社と乗用車シャレード共

日本経済新聞



 
 
>TOP

1982/10/9

JPC、南ア企業にパイプコンベヤー製造で技術供与。

日本経済新聞

地方経済面



 
 
>TOP

1982/10/22

国連総会、IMF対南ア借款停止要請を圧倒的多数で採択。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1982/10/27

南ア向けのIMF融資、国連が「待った」 人種差別に発展途上国が反発。

日本経済新聞

IMF(国際通貨基金)の南アフリカ共和国に対する融資が同国の人種差別政策(アパルトヘイト)と絡んで難航していることが二十六日明らかになった。政府筋によると、南アは国際収支の悪化を理由にこのほどIMFに十億SDR(IMF特別引き出し権=約十一億ドル)の融資を申し入れたが、かねて人種差別政策に反対する発展途上国が中心となり国連で先週後半、南ア向け融資を事実上差し止める決議をしたため。これに対してIMF事務局は政・経分離の立場から融資を実行したい意向を示しているものの、IMF融資に関するこうした国連決議は初めてでもあり対応に苦慮している。

南アは西側諸国のなかで最大の金供給国だが、一時は一オンス=八〇〇ドルを超えていた金価格が暴落したのをきっかけに国際収支が悪化、例えばことし五月末の外貨準備高は四億九百万ドルで、八〇年ごろ(九月末十億八百万ドル)に比べて大幅に減少した。このため昨年後半から資本財や消費財などの輸入を規制、一部の輸入品については許可制を打ち出している。

南アのIMFへの融資申し入れは今月十日すぎに行われ、IMFも融資に必要な審査を始めた。ところが、南アの厳しい人種差別政策に反感を抱いているIMF加盟の発展途上国がこれに強く反発、結局先週後半の国連でIMFの南ア向け融資を事実上差し止める特別決議が採択されてしまった。

南アの人種差別政策に絡んだ国連の特別決議はこれまで個別国の対南ア融資規制などの例はあるが、国際機関の融資についての決議はこれが初めて。これに対してIMF事務局は(1)政治と経済を分離して融資するのがIMFの原則(2)しかも、南アはIMFの加盟国で六億SDR強の比較的大きな引き出し権をもっているーーなどの理由から審査が終わるのをまって融資を実行したい考え。

ただ、国連の異例の決議に加えて、IMFの第八次増資の遅れをめぐって先進国と途上国側のあつれきも増しているため、途上国の意向を無視して南アに対する融資に踏み切ることが得策かどうか日米欧の西側主要国の間で必ずしも意見が一致していない。融資決定までに曲折も予想される。



 
 
>TOP

1982/11/4

IMF、対南アフリカ共和国向け融資を承認 国連決議を無視。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1982/11/19

豪・チリなど危険 米シラキューズ大学がカントリーリスク調査。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1982/12/20

南アフリカ、原発建設現場で爆発事件 原因は不明。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/01/8

今年が“試金年”金貨商戦 3種、小粒・買いやすさで迫る

日本経済新聞

(土曜レポート)

シカとパンダとカエデの葉っぱが三つどもえの大合戦 といってもおとぎ話ではない。シカは南アフリカ・クルーガーランド金貨の模様スプリングボックのこと、パンダは中国・ゴールドパンダ、カエデはカナダのメープルリーフ。金貨の話である。いずれも金の含有率が高く価格が金相場に連動するので、地金型金貨と呼ばれる。パンダ、メープルリーフは先発クルーガーランドの売れ行きをみて昨秋発売されたばかり。将来性に富む市場として海外の目は日本に集まっており、今年が勝負の年と売り込み熱は高まる一方だ。

ゴールドパンダは日中国交回復十周年を記念して昨年九月から売り出された。販売総代理店泰星スタンプ・コインの岡政道社長は「どの金貨が一番人気があるかは消費者が決めてくれます」と世界の人気者パンダのデザインに自信を持っている。

メープルリーフは貴金属地金商大手の田中貴金属工業が総代理店。「世界初のフォーナイン(純度九九・九九%)の純金金貨」と胸を張る。カナダは七九年から純度九九・九%で一トロイオンス(約三十一・一グラム)のメープルリーフ金貨を生産しているが、今回、特に日本向けにフォーナインで〓、〓トロイオンスの金貨を売り出した。パンダは純度九九・九%、クルーガーランドは銅を加えて強度をもたせているため九一・六七%(二二K)。インターゴールドの渡辺氏に言わせれば「純金だと傷が付きやすいのではないかな」。言葉は穏やかながら火花がパチパチという感じ。

もっとも田中貴金属は三菱商事、住友商事とともにクルーガーランドの代理店も兼ねている。「やわらかいデザインのメープルリーフは女性向け、装飾品向けに、やや硬い印象のクルーガーランドは男性を中心にした投資用に」と神経を配る。

金貨は古金貨、記念金貨、地金型金貨に大別される。古金貨は日本の小判などの骨とう的なもの。記念金貨は建国、新国王就任などを記念したもの。このほかの金地金相場にスライドして価格が動く金貨を総称して地金型金貨と呼ぶ。

金地金と比べた金貨の魅力を探ってみよう。魅力の第一は世界のどこでも即座に換金出来ることである。地金の場合は検定、成分分析が必要になる場合がある。その点、金貨は本物とニセ物の判定がしやすい。特にクルーガーランド、メープルリーフなど産金国の発行している金貨は、金地金の販売促進と外貨の獲得を目的にしているため販売価格を極力抑えており、ニセ物を作ろうとしても採算が合わないという。

金貨の価格は金地金価格にプレミアム分を上乗せし、貴金属商、金貨商が毎日発表している。たとえばクルーガーランドの製造プレミアムは一トロイオンスで三%、以下〓、〓、〓トロイオンスでそれぞれ五、七、九%。小さいほど製造コストがかかるからだ。メープルリーフ、パンダもクルーガーランドに準じている。これに流通諸掛かりに当たる市場プレミアムが加わる。このため金貨の傷みがひどい場合はプレミアム分がなくなり、地金として評価されるので要注意。

金貨の第二の魅力はその装飾性。投資対象としてだけではなく、身につける楽しみもあるというわけだ。

第三には比較的少額で気軽に買えること。〓トロイオンスなら一万円余り、〓なら三万円前後。毎月〓を一枚とか、子供の誕生日記念に〓を一枚という買い方も出来る。地金にも五グラム、十グラムなどのミニバーがあるが、これらには一本につき二千円程度の手数料が必要。

もっとも金貨にも泣き所がある。一五%の物品税だ。日本では金地金は原材料として物品税がかからないが、金貨は製品なので物品税がかかる。免税点は三万七千五百円なので、現在の相場では〓トロイオンス以下の金貨には税金がかからない。カナダが〓と〓のメープルリーフを売り出したのもこのため。しかし金相場が上昇してくればまず〓が引っ掛かる。

八三年の販売目標はクルーガーランドが二十五万トロイオンス、メープルリーフは昨年十二月も含めた十三カ月間で十五万トロイオンス、パンダは五万トロイオンス。パンダがやや見劣りするが、これはひとつには中国の鋳造能力に限界があるため。

クルーガーランド、メープルリーフが強気なのはもうひとつ理由がある。販売方法の多様化だ。例えば田中貴金属の「新型定額購入システム」。もともと積み立て方式で地金を購入するシステムだが、今年から地金と金貨の等価交換に応じることにした。実質的には金貨を積み立て方式で買えることになる。また、日本信販、大信販と提携して地金を月賦販売している徳力本店は二月から金貨の月賦販売も始める計画。日本にも徐々に金貨が浸透していくことになりそうだ。



 
 
>TOP

1983/01/20

南ア、ナミビア内閣総辞職に伴い2月末以降直接統治再開。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/01/24

南アのナミビア直接統治、武力背景に居座る公算も

日本経済新聞

(ニュース問答)

問  アフリカ西南端のナミビアでマッジ暫定内閣が総辞職し、南アフリカ政府が直接統治に乗り出したようだね。確か昨年夏には、ナミビア問題で関係国による交渉が活発となり、今年中にもナミビア独立に向けての総選挙もあり得るとの期待が西側外交筋の一部には出ていたのだが、マッジ辞職のきっかけは何だったのか。

答  そもそもナミビアの暫定政府は、黒人の解放組織である南西アフリカ人民機構(SWAPO)に対抗するため南アが独立選挙に備えてつくったかいらい政権。形の上では七八年十二月の親南ア勢力だけの選挙で発足、穏健派の民主ターンハーレ同盟(DTA)のマッジ議長が首相を務めてきたが、最終権限はもちろん南ア派遣の行政長官が握ってきた。

総辞職の直接のきっかけは、ナミビアの暫定国民議会が先に可決した南アの祝日をナミビアに適用しないとする法案。ホフ行政長官が同法案をけったため、これを不満として辞表を提出したというわけだ。

問  南アとしては子飼いの政権に反逆されたというわけだね。

答  表面上はそうだ。マッジ議長は白人の大農園主だが、選挙に勝つためにはある程度、黒人側に譲歩の姿勢をみせる必要があると考えていたのだろう。南アが押しつけていた祝日の中には、ボーア人(白人)が土着のズールー族に勝った戦勝記念日も含まれていた。それに、SWAPOの中心となっているオバンボ族でありながら、DTAに参加していたカラングラ氏が昨年同党を脱退するなど、穏健派の足並みも南アの思惑通りにはそろっていなかった。

実際のところ独立選挙を実施すれば、人口の七割を占める黒人勢力の勝利に終わるとの見方が一般的だ。南アとしては、祝日法案を口実に暫定政府を解体、支配力を強化するとの意図がみえみえだ。

問  では今後の展開は。

答  南ア政府は国内強硬派の強い圧力もあり、少なくともアンゴラ駐留のキューバ軍撤退なくしては黒人勢力にナミビアを明け渡すわけにはいかない。機をみて七八年と同じく、間接統治に戻る可能性もあるが、強力な武力を背景に居座る公算が大きい。

問  米国を中心とする西側五カ国の「コンタクト・グループ」とSWAPOを支援するアンゴラ、ザンビア、ジンバブエなど周辺九カ国の間で進められている独立交渉の行方はどうだろう。

答  カギは米国の出方だ。南アがマッジ内閣解体の挙に出た背景には、米レーガン政権がナミビア独立の条件としてキューバ軍撤退という南ア寄りの主張を強めていることに勇気づけられた側面は無視できまい。しかし、米政府が今後もこの姿勢を強めれば、ブラック・アフリカを完全に敵に回す恐れもある。現に米国の議員も出席して、このほどジンバブエで開かれた「アフリカ・アメリカ協会」の会議では、「米国は南アと組んで(ブラック・アフリカを)恐かつしている」(ムガベ・ジンバブエ首相)との批判が続出した。



 
 
>TOP

1983/01/25

途上国、原発導入急ピッチ 使用済み核燃料の軍事転用懸念、核拡散歯止め強

日本経済新聞

第三世界で原子力発電が着実に広まっている。ブラジルが昨年、原発の試運転を始めたのに続き、今年から来年にかけ韓国、南アフリカ、フィリピンなどで原発の操業が予定されている。これはエネルギー供給源の多様化が目的となっているが、原発を保有、計画している途上国にはインド、パキスタンのように核拡散防止条約に加盟しない国も多い。このため、使用済み核燃料が軍事目的に転用される恐れもあり、核拡散に歯止めをかける動きが今後さらに強まる見通しである。

原発をすでに運転している途上国(東側は除く)は台湾、インド、韓国、アルゼンチン、パキスタンで、発電能力は世界の原発の発電量の三%強を占める。そして南アフリカ、メキシコ、フィリピンでは原発を現在建設中である。また、建設を計画しているのはエジプト、タイ、イスラエルのほか、昨年、中国が二基の原発計画を発表した。このため、いま世界で計画中の原発のうちの一五%強を途上国が占めている。たとえば七二年末では途上国で原発を持っていたのは印パの二カ国だけ。計画もごくわずかだったから、最近の第三世界の原発建設への動きはめざましいといえよう。

七三年の第一次石油ショック以降、第三世界は非産油国を中心にエネルギー問題の解決をめざして、原発の導入に意欲をみせてきた。このところ、中進国や途上国で原発の運転開始が相次いでいるのは、この石油ショック後の原発計画が操業段階にはいってきたためである。

途上国での原発の開発が進むにつれ、核拡散が深刻な問題となってきた。現在、これを防ぐための国際取り決めとして核拡散防止条約があるが、インド、パキスタン、台湾、ブラジル、南アフリカ、イスラエルはこれに参加していない。インドはすでに核実験を行っており、パキスタンも独自に核兵器を開発中と伝えられる。

特にインド、パキスタン、アルゼンチンではカナダ型重水炉が中心となっている。この原子炉は軽水炉に比べると、使用済み核燃料から軍事目的に転用可能なプルトニウムの抽出量が多いとされている。

こうした背景から、同条約不参加国への参加呼びかけ、核物質等を非核兵器国へ輸出する場合の規制強化などの動きが強まりそうである。



 
 
>TOP

1983/01/30

ナミビア問題、秘密交渉が進展か 南ア・アンゴラ停戦も。

日本経済新聞

ナミビアの独立問題をめぐる南アフリカとアンゴラの交渉が進展する兆しをみせている。南アのボタ外相がアンゴラとの間で秘密交渉が再開されたことをこのほど確認、交渉が「極めて微妙な段階」にあると述べたことや、二十六日からアンゴラの首都ルアンダで米・アンゴラ間の交渉が始まったためだ。西側外交筋の間では、ナミビア国境地帯に武力緩衝地帯を設けることと、二カ月間の停戦合意が成立するかどうかが当面の焦点といわれるが、これが実現すれば五年越しの独立交渉が実質的に大きく前進することになる。

ナミビア(旧南西アフリカ)は南アが不法統治しているアフリカ大陸西南端の旧国際連盟信託統治領。国連監視下での自由選挙をめざして七八年から断続的に米、英、仏、独、加五カ国による独立調停工作が進められているが、ナミビアの黒人解放勢力SWAPO(南西アフリカ人民機構)およびこれを支援するアンゴラ・キューバ軍と、南アおよび南アが支援するアンゴラ国内の右派軍事組織UNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)との間で武力衝突が続き、内戦状態にある。

しかし昨年十二月七日に、南ア、アンゴラ両政府はアンゴラ独立(七五年)以来はじめて直接交渉のテーブルにつき、さらに今月二十七日にはボタ南ア外相が、西アフリカの島国カボベルデに、南ア特使を再び派遣し、暫定的な敵対行動停止を目指してアンゴラ側と交渉を進めていることを明らかにした。

また、これと並行してプラト駐ザンビア米国大使が二十六日、ルアンダ入りし、アンゴラのモウラ次官と交渉に入ったと伝えられる。

ポルトガル(アンゴラの旧宗主国)など西側外交筋によると、今回の一連の交渉は、ナミビア国境地帯に武力緩衝地帯を設け、停戦を実現したうえでアンゴラのキューバ軍とナミビアの南ア軍の相互、段階的な撤退を狙っているものとみられる。

南ア、アンゴラ双方に妥協の可能性が出てきた背景には、アンゴラ側にUNITAとのドロ沼状態の内戦やキューバ軍維持による経済的な“疲れ”が出てきたこと。また南ア側にもナミビア内部の南ア“かいらい政権”が一月に入って崩壊したことなどの事情がある。なかでもアンゴラのサントス大統領が昨年末、単一政党アンゴラ解放人民運動(MPLA)の極左勢力三十二人を追放するなど、南アとの交渉をしやすくするような現実的な対応策を示しているのが注目される。

アンゴラにとっては、レーガン米政権がキューバ軍撤退を促すため全面的に南アを支援していることや、今年に入って南アの同盟国であるイスラエルのシャロン国防相が隣国ザイールを訪問、軍事協力の拡大を約束していることも大きな圧力になっているようだ。またソ連、キューバ側にも三万人といわれるキューバ軍維持の経済的負担が重くのしかかっている。最近でもSWAPO(ソ連派)のヌジョマ議長が武器援助を求めて北京に飛ぶといった具合だ。



 
 
>TOP

1983/02/11

南ア経済、苦境を脱出 国際収支が好転、二重相場制を廃止。

日本経済新聞

世界最大の産金国南アフリカ共和国(南ア)は、経済開発投資の行き過ぎと金相場の下落により国際収支が悪化していたが、ようやく苦境を脱しつつある。八三年の経常収支が金相場や鉱物資源の輸出価格の回復などから黒字に転換する見通しで、同国政府は二月七日資本流出食い止めのための二重為替相場制を廃止するなど、国内経済の先行きに対する自信を国際的にも印象づけようとしている。

一九七八年から八〇年にかけての世界的な金ブームに乗って、南ア経済は実質五ー八%の成長と国際収支の大幅黒字を続けていた。しかし、八一年以降は国内景気の過熱に加えて、金や鉱物資源の輸出減少と値下がりによって国際収支が急速に悪化した。このため同国政府は強い引き締め政策に転じた結果、一時は四半期ベースで前年同期比一六%台だったインフレ率も一四%前後にまで低下し始め、輸入も減少してきた。

南ア政府が自信を深めたきっかけは、最近の国際収支の大幅好転。八二年第一四半期(一ー三月)には六十九億ランド(一ランド=〇・八八ドル)に達していた経常収支の赤字が年末には十億ランドに縮小、八三年は二十億ランドの黒字の予想も出ている。金相場の下落を理由に昨年十一月にはIMF(国際通貨基金)から十億SDR(IMF特別引き出し権)の融資を受けざるを得なかったのがうそのようだ。これは、金や鉱物資源の輸出価格がかなり回復してきたことも影響している。

しかもここ数カ月間短期資金の流入が急増しており、これが国内金利水準を引き下げるのに大いにプラスになっている。例えば九十日もの財務証券の金利は九月の一六%から一一%に下落、金融当局の間からも「短期的には好材料だが、長い目でみれば手綱を引き締めなければ」との答えが出るほど。この結果、同国の対外準備は昨年半ばに比べ二十五億ランドも増えている。

このため同国政府は、二重為替相場制の廃止に踏み切ったもの。二重為替相場制というのは、一九六〇年の黒人虐殺事件をきっかけに流出し始めた外資を食い止めるために導入したもの。南ア通貨ランドの為替相場を非居住者用の「金融ランド」と、一般の「商業ランド」の二本立てにして、「金融ランド」には優遇レートを与えて南アへの投資を促進することをめざしてきた。

ホーウッド蔵相は「これからは国際舞台で自国通貨の信頼も回復し、外資調達も対等の立場で交渉できよう」と胸を張ったが、二月七日には、前週末の「商業ランド」レート比約五%の下落を示したランド相場が今後どう動くか。デ・コック中銀総裁は「この下落は一時的な現象にすぎず、着実に元の相場に戻るであろう」と予測しているのだが……。



 
 
>TOP

1983/02/15

英国、クロム・マンガンなど南アから購入急ぐ 戦略物資の備蓄確保へ。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/02/19

南アで爆弾事件、86人重軽傷。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/03/6

ダイヤモンド原石・キンバリー(南ア)5000種類に分類

日本経済新聞

(ルポ商品市場)(野村記者)

◎…南アフリカのダイヤモンド生産量は七百七十三万カラット(一九七八年。一カラットは〇・二グラム)。このうち宝飾用は四百五万カラットで、全体の五二%を占める。残りは工業用。

◎…キンバリーは近代ダイヤモンド産業発祥の地で、デ・ビアス・シンジケートの本社もここにある。周辺に有力鉱山を抱えるダイヤ鉱山都市で南半球では自動車、電気など文明の利器が真っ先に導入された。

◎…産出したダイヤ原石は、機械や仕分け技術者の手で色、形、重量別など五千種類に分類される。研磨されたダイヤ石が取引所での相対取引で決まるのに対し、原石はシンジケートの定める価格表に従って決まる。

ヨハネスブルグから南西へ約四百五十キロ、南アフリカ・キンバリーはダイヤモンドの町だ。ダイヤモンド・シンジケートで知られるデ・ビアス・グループの総本山、デ・ビアス・コンソリデーテッド・マインズ社(資本金二千四百八十万ランド、一ランド=約一米ドル)の本社もこの地にある。デ・ビアス社の実際の業務はほとんどヨハネスブルグに移っている。とはいえ、いまでも年四回、ここで取締役会が開かれる。このとき、H・オッペンハイマー会長は会長専用ジェット機で飛んでくる。

キンバリーの周辺にはデュトイツパン、ブルトフォンテン、ウェセルトン、フィンシュ、コフィフォンテンといったダイヤモンド鉱山がひしめいている。今でも家を建て直すため敷地を掘り返すとダイヤモンドが時折見つかるという。「この指輪は私の家の下から、そしてこれは親類の家から」と、デ・ビアス本社周辺の案内に当たった広報担当のバーバラ・キディー女史は、真夏の陽光に、きらめく"物証"をかざして見せた。十九世紀後半から今世紀初めにかけてのダイヤモンドラッシュでダイヤを掘り起こした跡は、深さ千九十七メートル、直径四百六十メートルの巨大な人工クレーターとなってデ・ビアス本社の近くに残っている。この穴は「ビッグ・ホール」とも「欲望の穴」とも呼ばれる。

ダイヤモンドの原石は、その八〇%がデ・ビアスのCSO(中央販売機構=本部ロンドン)を通じて供給・販売される。CSOには南ア、ソ連など世界各地からのダイヤ原石が集まる。キンバリーにあるHOH(ハリー・オッペンハイマー・ハウス)もCSOによるダイヤ収集ルートの一翼を担う。鉱山から送られてくるダイヤ原石はHOHで分析・区分けされる。購入価格もこの段階で決まる。HOHは、研磨石の市況に関係なく、定められた価格で持ち込まれた原石の全量を受け取る。市況動向に応じて供給を加減する販売部門と購買部門とは全く別個の存在だ。

だからHOHにはダイヤの原石が大量に集まる。ジョン・ギー主席評定鑑定人はジョークを飛ばしながら建物内を説明して回る。目の前に一山になっているダイヤモンドは手でさわることもできるし、ルーペを借りてのぞくことも光にかざすことも自由だ。だがそこかしこに監視カメラのレンズが配置され、従業員はもとより訪問者の行動も常にチェックされる。

HOHには二百八十人のソーター(区分け技術者)が働いている。このうち男性は六十八人。残りは女性だから、七六%は女性技術者ということになる。ソーターは経験年数によって給料が違う。ソーター歴七年という男性ソーターにそっと給料を聞いたら、はっきりは答えなかったが月収七百ランドぐらいとのこと。日本円にすると一ドル=二四〇円で換算して十六万八千円。

色の濃い石は多くが工業用ダイヤモンドに回る。色が着いていてもピンクや淡い緑、青といったダイヤは希少価値があるので別枠扱いだ。

色のうすい、つまり透明度の高い石はソーターの目で完全透明な第一ランクからやや黄色みを帯びた第九ランクまで九段階に分けられる。標準石と照らし合わせながらの作業である。直射日光では色の判断を間違えやすいのでソーターの座る場所はすべて南向き(北半球の北向きに相当)になっている。

「単調な作業のようですが、気を抜けないのです」とギー氏。見るとソーターのかたわらにはイヤホン・ジャックがあり、ソーターは耳にイヤホンを差し込んで仕事をしている。「イヤホンからは音楽が流れています。これも緊張を和らげる一手段」との説明だった。

「ソーターの仕事は重要です」とデ・ビアスのバイロン・ウーズィー広報部長が口を添えた。仕分けの五千種類の一つ一つに価格が定められていて、CSOから各鉱山に支払われる買い上げ金額も、仕分け作業の結果に基づいて決まるからだ。「それでは価格は買い手であるデ・ビアス側が一方的に決めることになりはしないか」との問いに対しては、「地元鉱山代表で結成されるダイヤモンド生産者協会があり、仕分け結果を確認する。価格表も鉱山側に配布してある。公正な支払いができるよう十分注意している」(ギー氏)と。

仕分けの済んだダイヤ原石はほとんどがロンドンのCSO本部に空輸される。だが一部は地元の研磨業者向けに地元で販売される。ミニ版のサイト(販売会)が開かれるわけだ。サイトのやり方はロンドンのサイトと同じ。すべてロンドンの本部の指示に基づいて行われる。五週ごとに年十回開かれ、デ・ビアスが認定するサイトホルダー(指定業者)にだけ販売する。ただサイトホルダーの数が四十社(ロンドンのCSOは約三百社)と少ないだけだ。サイトでの販売価格もロンドンのサイトと同じで、売値は買値のほぼ三倍になっているようだ。

デ・ビアス会長 H・オッペンハイマー氏

ダイヤモンドの原石供給を一本に絞るという構想は、一九二九年の大恐慌でダイヤモンド産業が壊滅的な打撃を受けた経験に基づいている。デ・ビアスの買い取り、売却機構が五十年も続いてきたのは生産から消費に至るまで、この機構の恩恵を受けているからだ。デ・ビアスは今後も経営を強化して、この機構を守り続ける。



 
 
>TOP

1983/03/8

83年度原料炭価格交渉、南ア炭は21%値下げ 高炉各社の要求通る。

日本経済新聞

新日本製鉄が七日明らかにしたところによると、わが国の高炉大手各社と南アフリカ共和国のトランスバール州石炭協会の間で進められていた一九八三年度の原料炭価格交渉は先週末、一トン当たり前年度より十二・五ドル(二一・九%)引き下げ四十四・五ドルとすることで合意に達した。南ア炭の輸入交渉は大幅値下げが期待される八三年度の鉄鋼原料炭共同商談の先陣を切って合意にこぎつけたもの。鉄鋼不況による収益悪化が著しい高炉大手各社は、最大のコスト圧迫要因だった輸入原燃料の値下がりに期待するところが大きく、今回の結果は今後の中国、オーストラリア、カナダなどの山元との交渉にも好影響をもたらすとみている。

今回の対象銘柄は南アのウィットバンク炭(弱粘結炭)で、七二年度から八六年度まで十五年間の長期契約に基づくもの。八三年度の輸入数量は前年度より七十万トン削減し、二百万トンとなる。当初、南ア側は一トン当たり五十ドルで二百四十五万トンの引き取りを求めたといわれるが、日本側としては、これが八三年度の共同商談全体にも影響するため、強い姿勢で臨み、結局は国際市況の下落幅に近い線まで圧縮した。

八三年度の個別商談ではさきごろ、米国炭の十二ドル値下げが決まっており、共同商談でも中国炭(八三年一ー十二月分)が、三月分の仮価格を昨年より十四ドル(二二・七%)安い四十七・七五ドルとすることになっている。中国炭については今月中旬に東京で再交渉する予定。また、オーストラリアのニューサウスウェールズ州の山元との交渉が八日から、カナダ炭の交渉も月内に始まる。鉄鋼減産による石炭需給の緩和や"逆オイルショック"など日本側に有利な条件が整っているため、大幅値下げ必至の情勢だが、オーストラリアなどはかなり抵抗するとみられ、全体が決着するまでには時間がかかりそうだ。



 
 
>TOP

1983/03/14

ジンバブエ・アフリカ人民同盟のヌコモ議長、ロンドン着 亡命でなく旅行者

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/04/7

"資源大国"南アの光と影 石炭液化・原発では実績

日本経済新聞

(経済教室)商品部 野村武正

「世界有数の資源国」「金とダイヤの国」「人種差別の国」 アフリカ大陸の最南端に位置する南アフリカ共和国はさまざまな顔を持っている。数年前の金ブームに躍った南アも、金暴落という試練を経て今、新規まき直し中。以下は、記者がこのほど同国を取材して得た「南ア経済の光と影」である。

面積は日本の三・三倍。人口は約三分の一。南アのアウトラインは表1に掲げた通りである。南アは決して"遠い国"ではない。

製鉄用原料炭をはじめ日本が南アに依存している原材料は多い。南アにとっても自動車部品、オートバイなど日本から購入する物資は拡大する一方(表2)。

カメラ、腕時計、電卓、オートバイ、建設機械 JAPANの名前は至るところで目につく。当然、日本への関心は強い。南アの企業経営者の間では日本的経営の研究が盛んだ。あるプラチナ鉱山では市況対策として五割操業を続けているが、余剰人員を解雇しない。同鉱山のトップは「定年退職の不補充と自発的退職で何とか苦境を乗り切る」と覚悟のほどを示していた。「日本的な家族的経営が、結局長い目でみて労使関係に好影響を与える」というのだ。

日本が南アから輸入しているものの大部分が鉱産物であることから分かるように、南アはソ連、オーストラリアと並ぶ世界有数の資源国である。プラチナ族金属、金、バナジウム、クローム鉱、アンダルサイト(紅柱石、耐火物原料)は世界一の生産国だし、マンガン鉱、バーミキュライト(蛭=ひる=石、建設材料)は世界第二位、アンチモニー、ダイヤモンド、蛍石、アスベスト、チタニウムは世界第三位といった具合だ(表3)。

「南アにはありとあらゆる種類の資源がある。ないのは石油くらいなものだ」といわれる。エネルギーは経済発展に欠かせない。確かに二度の石油危機は南ア経済にとって打撃だった。しかし、この国はいかにも資源大国らしい石油危機乗り切り策を実行した。まず金鉱山の採掘跡を巨大なタンクとして石油を備蓄した。備蓄量は二年分ともいわれる。さらに石油以外の資源で石油の穴埋めをする計画も着々と進んでいる。石炭の液化は全世界的にみればまだ実験段階。だがこの国では一足早く実用の域に達している。

このように南アは豊かな資源に恵まれているが、実は、南アは悩める国でもある。地図をみれば分かるように南アは周囲を黒人国に囲まれている。当然南アの人口構成でも黒人が全人口の七割と相当な部分を占める(グラフ1)。

予備知識なしに南アの人口構成を見たら、この国は黒人国とみるのが自然だろう。ところが実際はよく知られている通り、南アは政治も経済も中枢部分はすべて白人が管理する白人国である。

白人管理体制を放棄すれば、「南アは周辺国にみられるように社会主義化、共産主義化するだろう。そうなれば貴重な資源と重要なシーレーン(航路)を社会主義圏に譲り渡すことになる」 白人を他の人種(特に黒人)に比べて特別優位に置く「人種差別政策」は、この国を白人国として維持しようとする限り必要不可欠な選択ということになる。

人種差別政策は国際的に非難の的になっているし、日本との間に正式な国交関係がないのも人種差別政策が災いしている。だが人種差別は当の南アにとっても、経済発展の阻害要因になっているのだ。

経済が発展するには、必要な資源が必要なところへ円滑に配分されることが肝心である。人的資源についても同様だ。ところが人種差別政策は労働力の移動を人為的に制限してしまう。この結果、有能な黒人が頭を抑えられ、白人の間には怠惰な空気があふれるという弊害となって表れている。

南アの政府関係者、企業経営者に会うと、必ずといっていいほど「熟練労働力が不足している」と訴える。黒人の熟練労働者は、力がつくにつれて待遇に不満をもらす。在留邦人によると、社会的に待遇の上限が抑えられているので、こうした黒人の熟練労働者は「大体国外に職を求めて出て行く」という。

他方、白人側はというと 。白人は社会の中堅以上の地位を維持しなければならないが、能力的にこうした地位にふさわしくない白人も確率的には存在する。彼らは社会からはみ出し、地元では「プアー・ホワイト(貧しい白人)」として、社会問題化している。

南ア経済にとっての大きな悩みは人種問題だけではない。輸出構成にも頭の痛い問題がある。グラフ2は八〇年の南アの輸出構成である。南アの外貨獲得源は金に大きく頼っている。このため金価格の変動に経済が左右される。七九、八〇年は金価格が暴騰した年だった。南ア経済はわが世の春をおう歌したが、一面、マネーサプライの増加を招き、物価上昇を引き起こした。

やがて、八〇年後半に入って金価格は暴落の過程を迎える。世界景気の低迷も重なって南ア経済にも不況が襲った。南ア準備銀行によると八二年の実質成長率は一%台。しかし一度上昇した物価は容易に収まらず、八二年の消費者物価上昇率は一五%にも達した。南ア経済は物価高と不況が併存する典型的なスタグフレーションに陥った。失業率も二ケタを記録した。こうした南ア経済の不調は、昨年十月、IMF(国際通貨基金)に対して十億SDR(IMF特別引き出し権、一SDRは約一ドル)の融資要請となって表面化した。

南アは現在、変革期に差しかかっている。人種問題は二刀流で解決する姿勢がみられる。第一は国内に黒人の自治区(ホームランド)を設けて、黒人の勢力が拡散するのを防ぐ方法。七六年以降、トランスカイ、ボブタツワナ、ベンダ、シスカイと四つの黒人国を"独立"させた。だが、こうした国家は国際的には承認されていない。

ピーター・ボタ首相は進歩派として知られる。昨年は人種差別の極右で鳴らしたアンドリース・トリューニヒト国家管理相とハルツェンベルク教育相が閣外に去るといった事件も起きた。ボタ首相の進める有色人種政治参加に反対してのことだった。内閣は少しずつ差別緩和の方向へ動いているといえる。

輸出構成に対しても「金に頼り過ぎるのは好ましくない」といった反省がわき上がっている。金以外の外貨獲得源を育成しようとの空気が強い。その筆頭格に石炭が挙げられたのだが、原油価格の下落に直面して前途は必ずしも平たんではなさそうだ。中・長期的には資源だけでなく工業品も輸出したい考え。南アは二月、外国資本を差別してきた二重通貨レートを二十二年振りに廃止し、同時に外資に対する規制を緩和した。これは「IMFが十億SDRの貸し付け実施に際して、南ア側に強く要求したため」ともいわれるが、外国資本の対内投資を促進する政策として内外から一応の評価を得ているようだ。

南アはナミビア(南西アフリカ)独立問題などまだ多くの難問を抱えている。しかし南アもこれまでの閉鎖的、孤立的姿勢を開放的体制へと切り替えつつあるといえよう。



 
 
>TOP

1983/04/17

IISI理事会きょう南アで開幕。

日本経済新聞

ヨハネスブルグ十六日=江藤特派員

西側の主要鉄鋼企業首脳で構成するIISI(国際鉄鋼協会=正会員六十社)の今年初の理事会(社長会)が十七、十八の両日、南アフリカのケープタウンで開かれる。世界の鉄鋼業界は昨年かつてない不況に陥り世界の景気情勢にも大きな影響を与えただけに現在、どのような状況下にあり、また今後、いかに回復の糸口をつかんでいくのかなどが注目されている。

中でも今年は米国景気の回復や原油価格の下落などを背景に各国首脳が八三年の鉄鋼需要や設備投資計画などをどのような水準に設定するかなどが関心を集めている。

今回の会議には米、英、西独、フランス、オーストラリア、韓国などの有力鉄鋼業の首脳がほとんど参加、日本からも武田新日本製鉄社長、金尾日本鋼管社長、岩村川崎製鉄会長らが参加、すでに当地を経由して続々と現地入りしている。



 
 
>TOP

1983/05/10

南ア、人種差別緩和で揺れる 審法改正図る首相に白人一斉反発

日本経済新聞

(テレックス)(O)

アフリカでただ一つ残った白人支配の国、南アフリカ共和国がアパルトヘイト(人種隔離政策)緩和をめぐり揺れている。ボタ首相率いる国民党政権は五日に白人と現地人の混血(カラード)、アジア人に参政権を与えるための憲法改正案を国会に提出するなど相次いで人種差別の部分的緩和策を打ち出したが、南ア保守党など白人強硬派は「よそ者に支配されるのはまっぴらだ」と強く反発している。十日に行われる国会(一院制)の補欠選挙ではこの改正案が争点となっており、ボタ首相は苦戦を強いられそうだ。

ボタ政権が提出した憲法改正案の骨子は(1)白人だけでなくカラード(二百八十万人)、アジア人(主にインド系=八十万人)にも参政権を与える(2)一院制の現行国会を改組、カラード、アジア人向けに二院を増設して全体で三院制とする(3)国家予算、軍事、外交など重要事項については事実上白人が決定権を握る となっている。この改憲によっても直ちに人種平等が実現するわけではないが、アパルトヘイトを緩和する狙いがあるのは間違いない。

これに先立ちボタ首相は四月末、国会で「雑婚禁止法」と「不道徳法」の存廃を討議する委員会設置の意向を表明した。両法はアパルトヘイトを支えている法律で、雑婚禁止法は南ア白人国民と非白人の結婚を、不道徳法は白人と非白人の性交渉を、それぞれ禁止しており、「まれにみる人種差別法」と強い非難を浴びていた。

ボタ首相がこうしたアパルトヘイト緩和策を進めようとしているのは、カラードやインド人が一段と経済的に力をつけ、無視できない存在となってきたためだ。また少数白人国家の生存には、アパルトヘイトを強化するより段階的に緩和していく以外に生きのびる道はないという判断もある。

これに対して白人社会には「四百五十万人の少数白人社会の存続を危うくする」との危機感が高まっており、アパルトヘイトの継続を主張するトリューニヒト党首率いる南ア保守党への支持が高まっている。

もっともこの憲法改定案がかりに認められたとしても人口の七割を占める約二千万人の黒人は依然参政権を与えられない状態が続くわけで、カラードの一部に「この改正案は非白人を分断しようという政策だ」との批判もくすぶっている。



 
 
>TOP

1983/05/21

南アの空軍本部爆破、黒人組織の犯行か 死傷者200人超す。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/05/23

南アの爆弾テロ、黒人解放組織が犯行声明。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/05/24

南ア軍、黒人解放組織の拠点モザンビークを越境攻撃 爆弾テロに報復。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/05/30

南ア機のモザンビーク空襲 ゲリラ側の爆弾テロに報復

日本経済新聞

(ニュース問答)

問  南アフリカ空軍が隣国のモザンビークを空襲したね。

答  南ア側の発表によると、南アの非合法黒人組織「アフリカ民族会議」(ANC)が行った首都プレトリアの爆弾テロに対する報復として、南ア空軍機三機が二十三日、モザンビーク領空に侵入し、同国の首都マプト近郊にあるANCの拠点やモザンビーク軍の対空ミサイル基地などを空襲した。

南アは、二十日に起きたプレトリアでの爆弾テロの直後から報復攻撃を予告していた。攻撃がテロ事件のわずか三日後に行われたのは、南アの白人世論がANC非難にわき立っているうちにANCの拠点をたたき、白人国民の幅広い支持を得たいとのボタ首相の思惑もあったようだ。だが、爆撃を受けたのは工場や農家で、爆撃による死傷者の大半が民間人だったことから、空爆は最初から無差別殺傷を狙ったとの見方も出ている。

問  南アは八一年一月にマプト、八二年十二月にはレソトの首都マセルを攻撃したが、今回の空襲もその延長線上にあるのだろうか。

答  その通りだ。南アが攻撃したANCはもともと一九一二年に結成された組織で、「南アの白人政権打倒」を叫び、過激な黒人解放ゲリラ運動を展開している。南アでは非合法化されているため、現在ザンビアの首都ルサカに本部を置いている。約五千人といわれるゲリラは、タンザニアで訓練を受け、モザンビーク、ボツワナ、レソトを活動拠点として南アでテロ活動を繰り返している。

ANCは昨年まで南ア政府機関、鉄道、貯油タンクなどをプラスチック爆弾などで破壊、一般市民の殺傷は避けていた。だが昨年十二月、南アがマセルのANC拠点を急襲、ANC幹部ら二十七人、市民十五人を殺したことから、タンボANC議長は態度を硬化、南アに対する血の報復を示唆していた。

今回の南アによる空爆の引き金となったプレトリアの爆弾テロは、中心街にある南ア空軍司令部の前で車に仕掛けた爆弾が爆発したため死傷者が二百人を超え、都市テロとしては南ア史上最悪の事件となった。事件後、ANCは犯行声明を出し、タンボ議長も南アでの軍事闘争強化を表明している。このため南アはANCが戦術を強化、いよいよ無差別テロに踏み切ったと深刻に受けとめていた。今回の空襲には、ANCのテロ活動の過激化に対する南ア側の対抗措置との側面もある。

問  ANCがこの時期に無差別殺傷作戦に踏み切ったのはどうしてか。

答  黒人国民を除外した憲法改正政策を進める南ア白人政権に衝撃を与えることで、白人にANCの存在を再認識させる狙いがあると見られている。ボタ政権は今月五日に白人と現地人の混血、アジア人に参政権を与えるための憲法改正案を国会に提出したが、同改正案も黒人には依然参政権を認めていない。ANCとしては、この機会をとらえ、黒人解放運動を高揚させたいわけだ。

問  今後、ANCのテロ、南アによる報復攻撃は続くのか。

答  観測筋は、南アの空爆はANCの背後にあるブラック・アフリカ諸国に対して、南アが白人支配の維持を誇示したものと見ている。このため、ANCと南アとのテロ、報復攻撃の応酬がエスカレートし、南アフリカ情勢は混迷の度を深めそうだ。



 
 
>TOP

1983/06/1

南アの爆弾事件

日本経済新聞

(海外論調)

南アフリカは人種を隔離できるが、そのような政策から生じる暴力ざたから自らを隔離することはできない。これが二十日、首都プレトリアで起きた爆弾事件の意味である。爆弾は爆弾を呼び、南アはモザンビークに空爆を加えたが、その目標はゲリラの施設であると主張している。人種差別に起因する暴力ざたについて、南アの白人支配層が行う唯一の説明は、「それはソ連に支援され、非合法のANC(アフリカ民族会議)によって実行された共産主義者の陰謀である」というものだ。そして、彼らが持ち出す唯一の対策は「目には目を」である。

だが本当の原因はアパルトヘイト(人種隔離政策)にある。この政策は自らの土地に住む二千百万の黒人を"よそ者"にするというすさまじい効果を持っている。黒人への権力の委譲や白人と黒人との和解ということが永年言われているが、あらゆる重要な分野で南アの権力は四百五十万の白人が独占している。

アパルトヘイトの下で、理論的には黒人は身分証明書の携行を義務づけられ、都市の白人居住地域に七十二時間以上滞在することを禁じられている。だが、アパルトヘイトが字句通りに実施されたら、安い黒人労働力にささえられて繁栄している白人の経済は破産するであろう。しかも、この政策に疑いをさしはさむ黒人は、投獄、ごう問、死の危険をおかすことになるのだ。

エドマンド・バーク(十八世紀の英国の政治家・著述家)はフランス革命の教訓として、「変革の手段を持たない国家は自己保存の手段を持たない」と警告している。だが、南アの支配者たちは大多数の国民から、真の平和的な変革への希望を奪い去る制度を押しつけているのだ。(米、ニューヨーク・タイムズ=五月二十六日)

ANCによるプレトリアでの爆弾事件とモザンビークに対する南アの報復爆撃は、アフリカ南部における悲劇的で危険な暴力行為の拡大を示すものだ。ANCは過去二十年以上にわたり、暴力で南ア政府を転覆させると唱えてきたが、このように多数の市民の犠牲者を出すようなことをしたのはこれが初めてである。同様に、南ア政府がテロ行為に対応して、奇襲部隊を使って特定の目標に攻撃を加えるのではなく、かくも迅速かつ無差別的に隣国を空襲したのも初めてのことだ。いずれの行為も遺憾に耐えない。

紛争は不可避的に激化し、一層血なまぐさくなるとの理由で、一部の人々は今回の事件をこれまでの事件と区別するのは空理空論だと言うかもしれない。だが、南アの問題は同地域での全面対決を引き起こすことなく解決できるとの望みにまだしがみついている人々(同地域にかなりの投資を行っている英国や米国などの国々も含めて)にとっては、それは重要で不吉な兆候なのだ。

二つの行為とも欲求不満によるものであることは明らかだ。ANCは五十年に及ぶ平和的な抗議運動の後、非合法化され国外追放されたが、今日、黒人社会の多数の支持を得ている。しかも南アのボタ政権が黒人問題に理解を示したり、真の改革を行おうとする兆候はみられない。このために若い戦闘的な急進派の影響力が強まりつつある。

南ア空軍による報復も同様に盲目的な怒りと欲求不満の結果だ。ボタ首相とその軍事顧問たちは、南アの町に住み、時に奇襲攻撃に出る黒人急進派を封じ込め、鎮圧することができなかったのである。その結果、罪のない市民の犠牲者を増やし、国際的な非難を浴びているのである。(英、フィナンシャル・タイムズ=五月二十六日)



 
 
>TOP

1983/06/15

南アフリカ鉄鋼公社会長T・ミューラー氏

日本経済新聞

(ワールドビジネスマン)



 
 
>TOP

1983/07/20

南ア、IWC脱退検討。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/07/28

富山共同火力発電、豪・南ア・加の3カ国から石炭購入 年内にも長期契約。

日本経済新聞

地方経済面

北陸電力と住友アルミニウム製錬の共同出資会社、富山共同火力発電(本社富山市、社長矢部睦夫氏、資本金八十五億円)は富山新港共同火力発電所で使う石炭の長期購入契約を年内にもオーストラリア、南アフリカ共和国、カナダの三カ国の石炭会社と締結する方針を固め、交渉に入った。また同発電所の石炭転換工事が予定より遅れているため、運転開始を当初予定していた五十九年四月から十一月へ延ばすことにした。

三カ国からの石炭輸入比率はオーストラリア五五%、南ア三五%、カナダ一〇%を予定。発電所の運転開始日から逆算して、年内には購入契約を結びたいとしている。契約は長期契約が基本になり、スケジュール通りなら五十九年五月に第一船(五万ー六万トン級)が富山新港に入港する。取引はFOB(本船渡し)で行い、共同火力側が船の手配をすることになる。

石炭の購入相手先としては中国が地理的に便利だが、発電所のボイラーに中国炭が合わないとの理由で、中国からの輸入は考えていないという。

石炭転換後、富山新港火力発電所一、二号機(最大出力四十万キロワット、認可出力五十万キロワット)で使用する石炭量は、一キログラム当たり六千二百キロカロリーの石炭で年間約九十万トンになる計算だが、石炭の発熱量に応じて使用量も異なるため、どれだけの契約トン数になるかは未定。

一方、同発電所の運転開始は一号機が五十九年十一月、二号機が同年十二月にズレ込むことになった。これは石炭転換の本格工事着手が当初予定より七カ月ほど遅れて昨年十一月にズレ込んだため。工事の進ちょく率は五月末現在で二五・六%。ボイラーは重油だきも可能。

同火力発電所の重油から石炭への燃料転換は、住友アルミニウム製錬富山製造所の電力コストを引き下げることを主目的に総工事費約六百億円をかけて行うもの。費用負担は富山共同火力発電への出費比率に応じて北電が七割、住友アルミが三割となっている。石炭転換後の発電コストはキロワット時当たり重油の十五、六円から十二円程度に下がるとみられている。石炭火力発電所は北陸地区では同発電所が初めて。



 
 
>TOP

1983/08/10

南ア沖、9万tの原油流出 海洋汚染の原因となる危険性あり。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/08/14

ソ連、南ア隣国のモザンビークとアンゴラにミサイル設置 南ア兵器メーカー

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/09/10

電源開発、豪州炭・南ア炭の契約量を4年で3〜4割削減 現地企業と交渉開

日本経済新聞

電源開発は九日、同社が引き取り契約を結んでいる豪州炭と南アフリカ炭について五十九年度以降四年間にわたり、契約数量を三ー四割減らす方針を決め、現地の相手企業と交渉を始めたことを明らかにした。これは電力需要が低迷し、石炭火力発電所の建設を大幅に延期せざるをえなくなったため。内需減を理由にこれほど大幅に引き取り量を減らす例は珍しく、あらためて海外からの強い批判を招きかねない情勢である。

電源開発が交渉を始めたのは豪州がブレアソール・コール、ワークワース、ミラーなど五社、南アがトタール、シェルなど三社。いずれも十ー十五年間の長期契約を結んでいる相手で、九月下旬から十月上旬にかけて両国へ担当者を派遣し、「引き取り数量を削減したい」と申し入れた。

電源開発が大幅な引き取り削減を求めたのは、五十九年度から既存の契約に加えて新たに豪ブレアソール産の石炭の大量輸入が始まる半面、電力需要の低迷に対応して全体の輸入量を五十八年度並みの約四百万トンにおさえざるをえない事情があるため。豪ブ社から同社が五十九年度に輸入する予定の石炭は二百十万トンで、さらに六十一年度まで毎年、七十万トンずつ上積み、それ以降は六十一年度分と同量を引き取る契約になっている。

一方、同社は五十年代前半には五十九年夏に運転開始する予定だった長崎県の松浦石炭火力発電所の完成時期を最近、六十三年秋に延期することを決めたばかり。五十九年度以降の四年間、豪ブ社を含めて石炭の引き取り数量を大幅に削減しない限り、膨大な石炭在庫を抱え業績が悪化すると判断した。



 
 
>TOP

1983/09/12

ヨハネス・フォルスター氏(前南アフリカ首相)が胸部疾患のため死去、67歳

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/10/7

南アのインタゴールド日本支社、近く金の宝飾品キャンペーン。

日本経済新聞

南アフリカ共和国の産金業者が組織するマーケティング機関インターナショナル・ゴールド(略称インターゴールド)の日本支社は日本の宝飾品用金需要を拡大するため、近く大規模なキャンペーンを始める。日本は南アの年間産金量の二〇%以上を消費する大市場だが、総需要のうち宝飾品用は一五%の年間四十二トンに過ぎない。金の総需要の六五%が宝飾品用という世界の水準に比べて著しく低いことから今後の拡大の余地が大きいと判断した。

キャンペーンは消費者に対するPRと宝飾品メーカーに優れたデザインの商品を作ってもらうための活動を柱とする。消費者向けPRは二十五歳から三十四歳の女性向けと十八歳から五十四歳の男性向けの二本立てで、テレビと雑誌を使ってきめ細かく実施する。またメーカー有志と見本市を開催、消費者にも公開する。

一方、メーカー向けの活動はファッション傾向、市場動向などの情報提供とデザインコンテストが中心。インターゴールドは欧州の有名なファッション予測会社プロモスタイル社と提携しており、その情報網を活用する。

インターゴールドは欧州、米国では宝飾品用の金需要拡大に力を入れている。ただ日本支社はこれまでクルーガーランド金貨の販売促進に全力を挙げており、宝飾品用の需要拡大には手をつけていなかった。



 
 
>TOP

1983/10/31

南アの人種隔離政策 来月国民投票、差別緩和へ動く?

日本経済新聞

(ニュース問答)



 
 
>TOP

1983/11/3

南アで改憲国民投票実施 改正で混血・インド系にも参政権。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/11/4

南ア、有色人種に参政権与える改憲案を承認 国民投票で3分の2が賛成。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/11/19

電発の来年度一般炭輸入削減、まず南アと40%で合意 豪州も同意の見通し

日本経済新聞

わが国で最も多く海外から一般炭を購入している電源開発はこのほど豪州と並ぶ主要調達先である南アフリカ共和国の石炭会社との間で五十九年度の輸入量を四〇%近く削減することで合意に達したことを明らかにした。石炭火力の建設が遅れているうえ、来年度には日豪共同プロジェクトであるブレアソール炭の輸入が始まるため、藤原一郎副総裁らを派遣して協力を求めた結果、豪州など他の供給先と格差をつけないことを条件に南ア側が受け入れを表明したもの。豪州との交渉でも南アと同様の条件で合意が得られる見通しで、既契約分の一般炭輸入の大幅な削減が実現する。また、新規輸入となるブレアソール炭についても当初計画の四割削減で合意できるメドがついたとしている。

電発は松島火力発電所(長崎県、出力百万キロワット)と竹原火力発電所(広島県、出力七十万キロワット)で海外炭を燃料に発電している。五十八年度の輸入量は豪州百六十万トン、南ア百四十万トン、中国七十万トン、米国三十万トンの合計四百万トンで、海外の一般炭需要者としてはわが国最大である。このため、一般炭の輸入交渉は電発がリードしている。五十九年度は日豪合弁の開発事業であるブレアソール炭の輸入が開始され、年間三百万トン(このうち電発分は二百万トン)の新規購入が迫られている。

電発ではブレアソール炭は長崎県に建設する予定の松浦火力で使う計画をたて五十九年度に一号機の運転を開始する予定だったが、用地を所有している佐世保重工業が米軍跡地の代替地を要望し、この交渉が難航して着工さえできないでいる。このため、電発では「一律に四〇%削減」(門田正三総裁)という思い切った方針を打ち出し、今秋、藤原副総裁が南アへ、門田総裁も中国、豪州を訪問して大幅に輸入量を減らさざるを得なくなった事情を説明した。

その結果、まず南アが「各国とも公平に削減するならやむを得ない」と受け入れを表明したもの。電発では新規輸入するブレアソール炭二百万トンについても四〇%近い削減を通告済みで、了解を得られる見通しという。他の豪州炭についても同意が得られる見込みである。電発の輸入量削減交渉の成功は他の需要家の同様の交渉を促進する効果があるとみられる。



 
 
>TOP

1983/12/9

藤沢薬品、米サ社に抗生物質の販売権を供与 サ社、米・加・豪など5カ国で

日本経済新聞

藤沢薬品工業は八日、米国アメリカン・サイアナミッド社(本社ニュージャージー州ウェイン市、社長ジョージ・J・セラー・ジュニア氏、資本金二億四千五百万ドル)に藤沢が開発中の経口用セファロスポリン系抗生物質「FK027」の米国、カナダ、豪州、ニュージーランド、南アフリカ共和国の五カ国での開発、販売権を与えたと発表した。サイアナミッド社は米国で近く臨床試験に入り、六十一年末に製造承認を米国FDA(食品医薬品局)に申請する計画という。

「FK027」は藤沢が自社開発し、現在わが国で少数の患者を対象とした中期臨床試験を行っている。インフルエンザなどグラム陰性菌によっておこる感染症に効くのが特徴。わが国でも六十一年末に製造承認を申請する予定。

アメリカン・サイアナミッド社は薬品のほか、化学製品、農薬なども手がける大手化学会社。特に医薬部門では抗生物質の開発、販売実績があり、この分野で最も進んでいる「FK027」に着目、藤沢と契約した。



 
 
>TOP

1983/12/20

南ア軍機、アンゴラを空爆 民間人20人以上が死亡。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1983/12/23

アンゴラ軍と南ア軍が激戦 アンゴラ国営放送報道。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/01/4

アンゴラで戦闘激化 南ア侵攻軍約1万人。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/01/7

国連、アンゴラ侵入で南ア非難決議を採択。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/01/9

南ア軍、アンゴラ撤退を開始 ゲリラ掃討に成功。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/01/20

ほくさんの太陽電池、初の輸出成約 南アなど4カ国に出荷開始。

日本経済新聞

地方経済面

ほくさんは自社開発した太陽電池の輸出成約に成功した。中近東、南アフリカなど四カ国向けに商談がまとまったもので、すでに出荷を始めた。今後も東南アジア中心に輸出成約が相次ぐ見通しで、海外販売網の整備を図るため、輸出戦略拠点として、今春をメドに米国に同社では初の海外事務所を設置する考えだ。

輸出に成功した太陽電池は単結晶型のもので、販売価格はパネル(板)一枚当たり約八万円(日本円換算)。輸出先は南アフリカのほか、クウェート、サウジアラビア、ヨルダンの三カ国とみられ、今回の輸出総額は五千万円程度。用途は農業用〓(かん)水向けをはじめ、通信施設、家屋の照明、工業用実験設備向けなど。

昨年から海外での売り込みを進めてきたのが実を結び、引き合いは増加しており、近く東南アジア二カ国で成約を果たせる見通し。空港の管制設備、ヨットのバッテリー充電、温水パネルの温水を循環させるポンプ設備向けなど用途も広がりそう。

海外販売は本社の太陽電池事業所が担当、現在、海外市場の動向調査を急いでいるが、輸出拡大のテンポが速まりそうなことから、今春をメドに、米国に販売拠点を設ける計画。海外事務所の開設は、すでに輸出実績があり、海外で評価の高い牛の受精卵凍結装置についても、販路拡大を図るテコになると見ている。受精卵凍結装置の海外販売は現在、米国のデンバーに駐在員三人を置いて対応している程度だ。

ほくさんは、太陽電池のほか、受精卵凍結装置を核としたバイオ、エレクトロニクス、FA(ファクトリーオートメーション)など先端技術分野での多角化を推進している。今回の太陽電池の輸出成功により、多角化戦略にさらに弾みがつきそうだ。

ほくさんは主力の燃料・ガス部門の需要低迷を背景に、収益は伸び悩みを続けてきたが、五十九年三月期は太陽電池を中心とした新分野の売り上げ拡大により業績が回復する見込みで、特に太陽電池は今後、収益を支える大きな柱の一つとして期待をかけている。



 
 
>TOP

1984/01/23

南ア炭大幅値下げ 一般炭は第2次石油危機前に戻る。

日本経済新聞

わが国で最も多く海外から一般炭を購入している電源開発は、主要調達先である南アフリカ共和国の石炭会社二社との間で五十九年度の石炭価格を一〇ー一五%引き下げることで合意した。二ケタ台の大幅値下げにより南アの一般炭価格は第二次石油ショック以前の水準になる。南ア側は電発の輸入量についても四〇%の削減を認めるなど大幅に譲歩している。こうした大幅な値下げと取引量の減少は、これから始まる南アー欧州、日本ーオーストラリア、日本ー中国の石炭交渉に影響を与えることは必至で、世界的な石炭価格の下落に拍車をかけることになろう。

電発がいち早く交渉の決着に持ち込んだ南ア炭は、ウィットバンク炭とエルメロ炭の二種類で、五十八年度の契約輸入量は合計八十万トンだった。電発は南アとの交渉に全力をあげるため昨秋には藤原一郎副総裁を現地に派遣して輸入量の大幅削減と価格の引き下げを求めた。

その後の交渉の結果、五十九年度はウィットバンク炭をトン当たり約四ドル引き下げFOB(本船渡し)価格で三十二・五ドルとする一方、エルメロ炭は約六ドル引き下げ三十四ドルにすることが決まった。これはそれぞれ前年度に比べ一〇%、一五%の値下げになる。五十八年度に平均一九%も引き下げたのに続いての大幅な値下げである。これにより南ア炭は第二次石油ショックによる原油価格の高騰で一般炭需要が盛り上がり始めた五十六年度の三十五ドルを下回る水準に逆戻りする。ピーク時の五十七年度には四十五ドルに達しており、これに比べると二八%も下落するわけで、原油の一バーレル(百五十九リットル)当たり三十四ドルから二十九ドルへの五ドル値下げを率で大幅に上回る。

南ア側が欧州諸国との価格交渉が決着する以前に電発に対し二ケタ台の価格引き下げと四割もの引き取り量削減に応じたことについて、関係商社は「石炭需要の世界的な伸び悩みを背景に、わが国をはじめとする極東諸国に接近するのが狙いだ。今回の交渉をテコに需要回復時には引き取り量の増大を求めてくる」とみている。

一般炭の輸入については最大手の電発が決まった後に電力、セメント、紙・パルプなどの石炭多消費型の業界各社が交渉を開始する。これらの企業は電発の決着価格を目標にしている。

電発は石炭火力用に年間四百万トンの海外一般炭を輸入しているが、電力需要の伸び悩みに加え、五十九年度に一号機の運転を開始する予定だった長崎県の松浦石炭火力が用地の取得に手間どり着工が延びている。このため引き取り予定量の四割削減という思い切った手段をとった。



 
 
>TOP

1984/02/1

南アフリカ軍、アンゴラから部分撤退。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/02/10

USスチール、不正鉄鋼輸出できょう8カ国のうち5カ国を提訴。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/02/23

鉄鉱石の輸入価格、84年度も12%下げ。

日本経済新聞

新日本製鉄など鉄鋼大手が一九八四年度に輸入する鉄鉱石価格は前年度に比べ平均一二%程度値下がりすることが決まった。このほど南アフリカ鉱の共同商談がまとまり、全銘柄で交渉が妥結、または基本合意に達したため。この結果、輸入価格(CIF=着港渡し価格)は二年連続一二%程度の値下げが実現、第二次石油危機当時の五年前の水準に戻る。これにより、鉄鋼業界は年間約五百億円のコスト軽減効果が出ると試算されており、収益改善に大きな力を発揮しよう。

八四年度積み鉄鉱石価格交渉は一月中旬から始まり、まずブラジルが前年度比一一・六%引き下げで合意した。その後インド、カナダも一二%台の値引きで正式にまとまった。最大の焦点のオーストラリア鉱については、二月初旬に山元代表と高炉大手との間で開かれた東京交渉で、粉鉱一二・五%、塊鉱一二・九%の値下げで基本合意が出来上がっており、高炉メーカーは正式の返事を待っている段階。また、南ア鉱も一一ー一二%台の引き下げになっている。

八三年度はオーストラリアを中心に値引きに抵抗する声が強く、交渉は長期化したが、八四年度積みの交渉は予想外にスムーズにまとまった。鉄鋼生産の減少による世界的な鉄鉱石需要の減少と、わが国高炉メーカーの経営環境の厳しさが山元に認識されたためとみられる。

八三年度は鉄鉱石と原料炭の値下げが実現し、高炉メーカーにとっては約千億円の原料コストの負担減少となった。八四年度は原料炭価格交渉が難航しているが、高炉メーカーは鉄鉱石の約五百億円の負担減少効果を守るため、原料炭価格の引き下げに全力をあげる方針である。



 
 
>TOP

1984/03/3

南アとモザンビーク、不可侵条約締結で合意。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/03/4

南ア対アンゴラ・モザンビーク、共存へ対話始まる 双方、反政府テロに疲弊

日本経済新聞

南アフリカ白人政権とアンゴラ、モザンビーク、ジンバブエなど白人政権打倒をめざす前線諸国との対立が続いてきた南部アフリカに緊張緩和の兆しがでてきた。南アとモザンビークは二日、相互不可侵条約を結ぶことで基本合意に達した。また南アとアンゴラは一日から両国間の停戦の監視を開始、八年にわたるアンゴラ・ナミビア国境での紛争に終止符を打った。しかし南アへのテロ攻撃を行ってきたSWAPO(南西アフリカ人民機構)やANC(アフリカ民族会議)が活動を強化する可能性があり、戦闘休止は"もろい平和"でしかないとの見方も根強く残っている。

南部アフリカではこれまでモザンビーク、レソト、ジンバブエがANCを支援、アンゴラがSWAPOを支援、それぞれ南アと対立してきた。その一方で南アはアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)やモザンビーク民族抵抗運動(MNR)などの反政府勢力に援助を行い、前線諸国に揺さぶりをかけてきた。

ところがことしに入ってこうした南アと前線諸国の対立関係がゆるんできた、との見方が広がっている。南アとモザンビークの不可侵条約は、両国閣僚の初の相互訪問の結果合意にこぎつけたもので、互いにANCやMNRのゲリラに基地を提供しないのが狙い。近くボタ南ア首相、マシェル・モザンビーク大統領が会談し、正式調印するという。

一方、南アは先月アンゴラとの間で、アンゴラ南部からの南ア軍の撤退、およびそれに伴う双方の兵力引き離しを監視する合同委の設置で合意、この合意に基づいて一日から停戦監視が始まった。南ア軍は昨年十二月SWAPOを掃討する目的でアンゴラ南部に侵攻、これが成功したことからボタ首相は南ア軍の撤退を開始、アンゴラに停戦を呼びかけていた。

ボタ首相が前線諸国と「対話」の構えを見せている背景には、戦費負担の増大がある。南アはテロ活動から自らを守り、ナミビアの占拠を続けるのに「年間約十億ドル必要」(ボタ首相)という。しかも南アに対するテロ活動の犠牲者は累増しており、こうしたことが南アの外交姿勢を軟化させている。

もちろん反政府ゲリラや経済危機といった前線諸国のお国の事情が対南ア関係見直しを余儀なくしている側面もある。UNITAの反政府活動が続くアンゴラはキューバ兵(二万五千人)の援助がなければ崩壊しかねない。モザンビークは干ばつで百万人以上が飢えの危機にひんしているうえ、MNRのゲリラ活動で耕地は荒れる一方だ。

とはいうものの、この「対話」機運を疑問視する向きも多い。停戦、不可侵条約にはSWAPO、ANCが直接加わっていないためだ。ANCは「南アとの交渉は国際的に支持されておらず、アンゴラ、モザンビーク両国は手痛い教訓を得ることになろう」と、テロ活動の強化を示唆している。また一部にはSWAPOゲリラがアンゴラ・ナミビア国境から南下しているとの情報もある。

もともと南部アフリカの紛争は南アのナミビア占拠や白人支配をめぐる戦いだが、こうした問題はタナ上げにされたままだ。火種を残した緊張緩和とあっては、真の平和からはほど遠いと言えよう。



 
 
>TOP

1984/03/5

ヨハネスブルク、高値更新後も堅調維持

日本経済新聞

(世界の証券市場)(ロンドン=武市特派員)

ヨハネスブルグ(南ア)の株式相場は昨年後半から勢いを取り戻し、株価指数は一月九日に史上最高値を更新した。その後、調整場面に入ったものの、なお高値圏を維持している。南ア経済のカギを握る金の価格が一時的に持ち直したうえ、株式の需給関係のよいことが相場を下支えしている。しかし、経済の回復テンポが鈍く、インフレ、金利とも高水準で、相場の先行きには警戒的な見方が少なくない。

ヨハネスブルグ市場の工業株価指数(修正後)は八二年末の七三八・八が八三年末には九六六・一へと一年間で三〇・八%の上昇を記録。一月九日には一〇〇八・四まで買われた。

南アの株式市場が堅調なのはニューヨークをはじめ世界の株高に引っ張られた側面が強いことも確かだが、同国と密接な関係にある英国の証券会社などでは「需給関係が主な原因」とみている。昨年一年間の新規上場は不動産会社の「スタンダード・プロパティ」など四社にとどまったが、合併などによって九社が、また倒産などによって七社が証券取引所から姿を消した。昨年後半からは増資も減少している。

その半面、保険、年金などへの資金流入は引き続き好調で、こうした機関投資家の資金純増額は今年も二〇%見当伸びるものとみられている。ランド(南アの通貨単位)の価値下落を防止するため、同国では居住者の対外証券投資を原則として禁止しており、投資家の資金は国内の資本市場に向かわざるを得ない状況。

南アの八四年の実質成長率は二ー三%と三年ぶりにプラス成長に転じる見通し。しかし、金価格の低迷が原因で過去二年間の経済の落ち込みが激しかったうえ、インフレ率も一〇%強となお二ケタ。政府短期証券(三カ月物)の利回りは一六ー一七%、プライムレート(最優遇貸出金利)は二〇%に達している。昨年の企業収益は約一〇%落ち込んだ模様(英国のマーチャント・バンク、サミュエル・モンタギュ調べ)。株価は実体経済とはややかけ離れたところで動いていると言えよう。

南アの株式市場の時価総額は三百二十億ドル見当で、日本の約十六分の一だが、金価格がさらに上昇を続けないと経済実体の悪さが改めて嫌気される場面も出てきそう。



 
 
>TOP

1984/03/7

OAU、対南ア交渉支持避ける。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/03/9

南アのボタ首相とマシェル・モザンビーク大統領、16日に不可侵条約調印。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/03/17

南アとモザンビーク、不可侵条約に調印。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/03/19

南部アフリカに対話機運 南ア・対立国とも国力疲弊

日本経済新聞

(ニュース問答)



 
 
>TOP

1984/03/23

南ア・ボツワナ両国外相が会談。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/04/3

ソ連・南アなど、円・マルク買い活発 金売却し為替売買、ドルの先行きに不

日本経済新聞

ロンドン二日=竹内特派員

金価格の低迷とドルの先行き不安感からソ連、南アフリカ共和国など世界の主要産金国が外国為替市場で活発な動きを見せている。南アは金の売却代金として得たドルで円や西独マルクを買っているが、南ア、ソ連とも多い日は十億ドル近い為替売買をするだけに、市場への影響力は大きい。また中東の金保有国もスイスなどの銀行を通して為替売買を活発化させており、これら"産金国・金保有国集団"はドル相場の行方にかなりの影響を与えるとみられている。

南アに本拠を置く銀行は昨年からロンドン市場で外国為替売買を本格化させたが、ここへきてその売買が一段と目立つようになってきた。先月末にも南アのある銀行が邦銀ロンドン支店に対し、二千万ドルのドル売り、円買い注文を出している。こうした注文は鉱山会社の要請を受けたもので、市場筋は「鉱山会社の注文は一回につき二、三億ドル。これを受けた南アの銀行が二、三千万ドル単位で欧米や日本の銀行にさばく」と語っており、多い日は合わせて十億ドル近い商いになる。

一方、南アより一足先に外国為替市場での活動を強化していたソ連外国貿易銀行やモスクワ・ナロードヌイ銀行も一段と外国為替売買を活発化させており、一件の取引は二、三千万ドルといわれる。またオイルマネーで金を買い込んできたサウジアラビアなどの中東産油国がスイスの銀行に金売却と合わせて売却代金による為替売買を増やしている。

世界的な産金国や金保有国がここへきて為替売買に力を入れているのは、インフレの鎮静化などで金投機のうまみがなくなってきたことのほか、ドル暴落説などで金売却代金をドル資産として保有し続けることに不安を感じ始めたためとみられる。ロンドン外国為替市場では、米国景気の過熱感による金利上昇見通しからドルが再び強くなるとの見方と、米国の経常収支の大幅赤字などによるドル下落説の二つに分かれているが、いずれにしてもドルの先行きに不安感が漂っているおりだけに、ドル保有に対する警戒感が強い。

一時は一オンス=八五〇ドルまでハネ上がったこともある金相場はこのところ低迷し切っており、最近は同三九〇ドル前後となっている。レバノン紛争など国際緊張に対する金価格の反応はきわめて鈍くなっているし、多少反応して四〇〇ドルを上回ると、すかさず産金国や金保有国が売りに出るためだ。

インフレの鎮静化で当面は金投機の妙味が薄らいでおり、金価格の低迷は続くとみられる。このため産金国や金保有国は、金価格が少し上がれば金売却をふやし、その代金で為替売買をするという動きをますます活発化させそうだ。



 
 
>TOP

1984/04/4

南アで爆弾事件、日本人1人ケガ。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/04/7

英、南アフリカ生まれのゾーラ・ブッド選手に英国籍 ロス五輪へ特例。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/04/18

野間アフリカ賞にケニア、南アの作家。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/04/26

日産と西独VW、メキシコ・南アでの部品相互供給の合意を発表。

日本経済新聞

日産自動車は二十五日、西独VW(フォルクスワーゲン)とメキシコ、南アフリカでの部品相互供給について基本的に合意し、「これらを実現するための詳細について検討中である」と発表した。日産がVW設計の小型乗用車「サンタナ」を生産しているのに続く、提携具体化第二弾となる。

これは同日午前、ドイツ博のため来日中のC・H・ハーンVW社長が、東京・銀座の日産本社を訪ね、石原俊社長ら日産首脳と話し合ったもの。メキシコでの生産協力については昨年から折衝が続いていることから、今年後半にも具体化するものとみられる。

サンタナについては当初、わが国の国内販売を月間二千台と想定していたのが、三月実績は三千四百台と好調だった。このため、VW側が日産に供給するサンタナ用エンジン、変速機の増量などについても話し合ったとみられる。



 
 
>TOP

1984/05/2

新日鉄、伯・日・南ア・仏結ぶ三国間輸送に進出 石炭・鉄鉱石で仏海運会社

日本経済新聞

新日本製鉄はフランスの海運会社セトラッパと組んで、ブラジルー日本ー南アフリカーフランスを結ぶ三国間輸送に乗り出す。新日鉄はブラジルから日本に輸入する鉄鉱石、セトラッパは南アからフランスに運搬する石炭という大量の荷物を抱えるため、両社がそれぞれ鉄鉱石・石炭専用船を投入、相互の荷物を運び合うというもの。輸送コストを削減するために世界各地の荷物を組み合わせて運ぶ動きが活発になっているが、新日鉄が自らこうした三国間輸送ルートを設定するのは初めて。わが国海運会社に原料輸送を任せていた新日鉄がいよいよ自前での輸送を具体化することになる。

新日鉄とセトラッパの提携は六十一年から向こう五年間、年間五十万トンずつ鉄鉱石と石炭を運ぶという内容。このため、両社は十七万重量トン級の鉱炭船を一隻ずつ就航させ、ブラジルから日本までは新日鉄の荷物である鉄鉱石を運び、そのあと南アからフランスまでセトラッパの荷物である石炭を運ぶことになる。

新日鉄は鉄鉱石をブラジルを中心に大西洋沿岸諸国から年間約千三百万トンを輸入しており、今後も同程度の輸入を見込んでいる。この鉄鉱石を取りに行く場合、今のところ鉱炭船は日本からブラジルまで空荷で走っているケースがふつう。しかし、この船がインド洋や大西洋を回ってどこかで荷主がつけば全体的にみれば運賃が安くなることが多い。新日鉄は従来、原料輸送を海運会社に任せる政策をとっていたため、こうした三国間輸送を手がけていなかった。

新日鉄は鉄鋼生産が頭打ちになったこともあって、コスト削減をねらいに昨年秋から原料輸送体制を抜本的に見直していた。この結果、系列の日邦汽船(本社東京、社長三木乙彦氏、資本金二十七億円)との資本提携を強める一方、日鉄海運(同、同今井敬氏、同二千万円)を新設するなど、機動的に新造船や配船が出来る体制が整い、第一弾としてセトラッパと組んだ三国間輸送方式を実施することになった。

新日鉄が投入する鉱炭船は日鉄海運と日邦汽船が共同で所有する形をとる予定で、近く発注する。建造費は約八十億円。同船の運航業務は日邦汽船が担当する。



 
 
>TOP

1984/05/2

北九州港、南アコンテナ船定期入港へ。

日本経済新聞

地方経済面

南アフリカ航路のコンテナ専用船が北九州港の太刀浦コンテナ・ターミナル(門司区)に定期的に入港することが決まり、三日、大阪商船三井船舶の「大阪丸」(三万一千三百トン)=写真=が初入港する。同港には欧州、北米西岸航路とフルコンテナ船の寄港が相次ぎ、コンテナ貨物取扱量が急増している。新定期航路の開設でさらに貿易が活況になると港湾関係者は期待している。

南アフリカ航路にはコンテナも積み込めるセミコンテナ船が月二便、北九州港に入港しているが、積載個数が少なく、航海日数がコンテナ専用船より十日以上も多くかかるなどの不便があった。今回の入港は、大阪商船三井、日本郵船など六社の共同チャーター方式によるもの。これで同港のコンテナ専用船定期航路は、北米西岸、インドネシアなど七航路に増え、月間七十五便が行き交うことになる。



 
 
>TOP

1984/05/25

南部アフリカ諸国、南アと相次ぎ融和策 経済危機打開を優先、黒人解放運動

日本経済新聞

(太田記者)

飢えに苦しむ南部アフリカ諸国が白人政権の南アフリカ共和国との新たな関係を模索し始めた。モザンビークやアンゴラが南アとの関係改善を通じ経済危機の打開を図り、黒人解放運動が後退を余儀なくされている。これに伴いソ連の影響が強かったこの地域で、南アと同国を支援する西側が勢力を盛り返しつつある。

最近「パクス・プレトリアーナ」(プレトリア=南アの首都=の平和)という言葉が使われ始めた。「パクス・ロマーナ」(ローマの平和)と形容された古代ローマの繁栄に比べられるほど、現在南アは南部アフリカで強い影響力を誇っている。

アフリカ大陸に唯一残った白人国家の南アは、これまで同国のアパルトヘイト(人種隔離政策)打破を掲げる前線諸国(モザンビーク、アンゴラ、ジンバブエ、タンザニア、ボツワナ、ザイール)と激しく対立してきた。ところが南アは二月にアンゴラと、三月にはモザンビークとそれぞれ兵力引き離し協定、不可侵条約を締結した。また南アはスワジランドとも、二年前に同様の協定を結んでいたことが明らかになった。

南ア周辺諸国がこうした融和政策を打ち出したのは、南アに支援された反政府ゲリラ活動と干ばつの二重苦で、これ以上南アと対決し続けるわけにはいかない状況に追い込まれたことによる。一方で南アは非合法黒人解放組織ANC(アフリカ民族会議)のテロ活動に悩まされており、一連の協定締結によって、周辺国のANC支援を停止させることを狙った。

このような状況から、黒人解放運動は対南ア戦略の練り直しを迫られている。モザンビークが南アとの不可侵条約に基づいて同運動の中心勢力であったANCを追い出し、ANCの大部分は南アと国境を接しないタンザニア、ザンビアに後退した。ANCのタンボ議長は南アに対するテロ活動の強化を打ち出しているが、外からの武力による南ア黒人解放はもはや不可能との見方が広まっている。

事実、タンボ議長の呼びかけに応じて前線諸国は四月末、タンザニアのアルーシャで首脳会議を開いたが、同会議は「モザンビークのANCに対する精神的、政治的、外交的支援を評価する」にとどまった。モザンビークが不可侵条約締結で打ち出したANCを軍事的に支援しないという姿勢を、前線諸国が追認した形だ。前線諸国はアパルトヘイトを非難しながらも、南アとの経済関係をより重視していく現実的な姿勢を取りつつある。

こうした中で西側諸国が南部アフリカへ接近し始めた。六月上旬にロンドンで開かれる先進国首脳会議でも、対アフリカ援助が議題の一つとして取り上げられるという。またFAO(国連食糧農業機関)によると米国、西独、カナダなどは対アフリカ援助の拡大を検討している。先進国の援助離れが「対アフリカについては見直されつつある」との指摘もある。

西側が対アフリカ援助の強化に動いているのは、人道上の理由に加え、この地域が金、コバルト、ニッケルなど重要な地下資源の宝庫だからだ。しかもソ連の援助が武器中心のため、南部アフリカ諸国は西側の開発援助、食糧援助をこれまで以上に求めている。ソ連が支持するANCの後退と合わせて、西側にとっては勢力拡大の好機というわけだ。南部アフリカを襲った大干ばつは、アフリカにおける東西勢力バランスも変えようとしている。



 
 
>TOP

1984/05/27

南ア首相、あすから西欧歴訪。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/05/29

南ア首相、西欧8カ国歴訪へ28日出発。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/06/3

北九州港に初入港、豪州航路コンテナ船。

日本経済新聞

地方経済面

北九州港に初入港

オーストラリア航路のフルコンテナ船が四日、北九州港に初めて入港する。北九州港には東南アジア、北米西岸、南アフリカなど八航路のコンテナ船が定期寄港、欧州航路からも不定期の寄港があるが、同市はさらに豪州、欧州、中国航路などの誘致・定期化に力を入れており、今回の寄港で豪州航路の定期化に弾みがつくと期待している。

入港するのは川崎汽船が配船するパナマ船籍の「コリアン・ローダー」(一万二千トン)。今回の寄港は臨時の措置だが、北九州市や北九州商工会議所、北九州振興協会など地元は歓迎行事を予定、定期寄港を働きかける計画だ。



 
 
>TOP

1984/06/4

首脳会談で英首相、南アへの武器禁輸緩和要請など拒否。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/06/7

南アと国交正常化図る、自民の友好議連が発足。

日本経済新聞

日本と南アフリカ共和国との交流を深め、外交関係の正常化につなげようと、「日本・南ア共和国友好議員連盟」が六日、自民党内で発足した。日本政府は南アのアパルトヘイト(人種差別)政策に強く反対する立場から、大使を交換する正式な外交関係は持たず、実務を処理する領事館を置く"領事関係"にとどめているが、同議連は南アが希少金属の産出国であることから、航空機の相互乗り入れ、大使館の設置などの関係強化を図る方針。会長に二階堂副総裁、幹事長に石原慎太郎氏といったメンバーで構成されている。



 
 
>TOP

1984/06/7

南ア首相語る、数ヵ月内にナミビア撤退も。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/06/8

南ア首相がベルギー入り。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/06/12

三菱石、初の北海原油輸入、来月上旬、140万バーレル船積み。

日本経済新聞

三菱石油はペルシャ湾の緊張を背景に、初めてわが国へ北海原油を輸入する。日本までの航行日数が五十日強と中東からに比べ倍近くかかるためコスト増になるものの、「同社では、原油の安定供給確保のうえでこうした方法もあることを内外に訴えるため、あえて対日輸入に踏み切った」としている。七月初めに英スロム・ボウ港で船積みの予定。

三菱石が輸入する原油は北海原油の代表油種であるブレント(公式販売価格一バーレル=百五十九リットル=当たり三〇ドル)。外国籍大型タンカーをスポット(当座)用船し、北海原油を日本向けに輸送する。今回の輸入量は約百四十万バーレルとみられ、七月上旬船積み、南アフリカの喜望峰を経由、わが国には八月中ー下旬入港となる。

同社は原油調達先の多様化のため、昨年一月に英BP(ブリティッシュ・ペトロリアム)と日量一万バーレル、同八月にBNOC(英国営石油会社)と同一万一千バーレルの北海原油DD(直接取引)契約を結んでいた。しかし輸送距離が長くて運賃がかさむため、これまでは欧米市場で全量を転売し、かわりに中東原油を輸入していた。

今回、初めて同原油をわが国へ持ち込むのはペルシャ湾の緊迫化で石油業界の対応が課題となっているため。同社では「六月末までの原油手当ては終了。当面、緊急輸入の必要はない。ただ業界としては事態を冷静に見ながら打つべき手は打っていることを内外に知ってもらう意味がある」と指摘している。同時に石油の税率が九月から引き上げられるため、これに備えた前倒し輸入の一面もあるとみられている。

石油業界によると、荷役や予備日数を除いた正味の航海日数はサウジアラビアのラスタヌラ港ー横浜間は約二十三日だが、英国ー横浜間は約五十一日となる。この分運賃は原油一バーレル当たり一ドル弱高くなるほか金利負担も同二〇セント程度大きくなる。しかしペルシャ湾内に比べて保険料は低いため、あまり割高にならずにすむという。

なお今回輸入する北海原油はBNOC契約分とみられる。



 
 
>TOP

1984/06/13

サークル鉄工、少覚三千宏社長 ビート移植機軌道に。

日本経済新聞

輸出企業の八人(6)地方経済面

サークル鉄工のビート移植機が海外で使われるようになってから、今年でちょうど十年。これまで米国、カナダ、中国、イラン、フィンランド、デンマーク、南アフリカなど世界十三カ国で同社の移植機が活躍している。

五十八年十二月期の売上高は二十一億円で、このうち約五%に当たる一億円が輸出部門。まだまだ輸出比率は小さい。「他の機械は一年もすると新製品が矢継ぎ早に売り出されるが、農機は十年が一サイクルぐらい」。それだけ普及させるには、根気とたゆまぬ努力が必要だ というのが少覚社長の信条である。

移植機を初めて輸出する国には、必ず技術者も派遣する。日本甜菜製糖の担当者と共同で三カ月間、現地で育て方を教え込む。移植用の種は、従来の直接まいて育てる種と根本的に違うことを伝えるのがひと苦労。同時に土壌の成分を知り、適切な肥料を与える。「種屋と機械屋が組まないと、絶対に成功しない」。少覚社長は「技術を覚える速度で、その国の教育水準がわかる」と、クールに国際情勢の裏を見ている。

「これから先も、こんなに売り先はありますよ」とFAO(国連食糧農業機関)の「ビートの生産状況」の資料を書類入れから取り出した。十六カ国にまたがる世界のビート生産量は二億八千万トン(五十六年)、作付面積は九百三十万ヘクタール。

その中でこれからの狙い目はソ連だ。ソ連は世界の作付面積の三分の一を上回る三百六十万ヘクタールを占めている。日本は作付面積七万ヘクタールで、移植機は八千台が稼働している。規模で五十倍のソ連が、春先の冷害をこうむることのない移植法を採用すれば、と計算する。ソ連にはこの春、初めて移植機を二台輸出した。「動き出せば国家プロジェクトだから」と、三カ月間にわたる現地指導には特に熱を入れ、巨大な市場の制覇に向け動き出した。

ビート移植機ではサークル鉄工が独占状態にある。米国、英国、ベルギー、仏、西独、フィンランド、ソ連で特許を得ている。今年五月には米国、欧州のビート農家、研究者三十人が十勝地方のビート畑を視察、移植機の仕組みを学んだ。「関心を持ってくれましてねえ」。欧州で移植機普及が加速されることに期待を寄せる。

同社の従業員は九十人。ビート移植機を柱とする農業機械部門が五十人を占め、なかでも開発要員が二十人もいる。"研究開発型企業の典型"と他の企業から評されるゆえんである。「機械を専攻した者には電気、電気を専攻した者には機械を、一年間徹底的にたたき込む」のが少覚社長のモットー。会社の資産は製品など目に見えるものだけではない。「人」による部分が大きいと考えているからだ。ただ、「初めの十年間は、金を捨てる覚悟が必要だがね」と付け加えた。

研究開発型だけに失敗も多い。「ビート移植機だけに頼っていたら、何回倒産していたことやら」と振り返る。研究を陰で支えたのが施設部門である。これは空調、衛生設備などを手がける部門。ビート移植機の需要は春先に集中するため、施設部門が閑散期を補う形になっており、売り上げも農機部門とほぼ匹敵している。ただ、経営を安定させるには、「柱をもう一本育てる必要がある」と考えており、新分野を模索中。

サークル鉄工は少覚納現会長が二十四年に設立した。時代の変化を読み取るには若い頭脳が必要と、三千宏氏が三十一歳の時に呼び戻した。三千宏氏はそれまで、東洋工業(現マツダ)で自動車の設計をしていた。「自動車は最先端技術。これに比べれば農機なんか 」とバカにする気持ちがあった。しかし、農機は工学はもちろん、気象学、化学など総合的な知識が必要で、奥深いことに気付き、工場や畑で泥まみれで働くことになった。

「二十年後には売り上げの五〇%が輸出になるだろう」と言う。息の長い仕事である。



 
 
>TOP

1984/06/19

ブラジルは4.3%増える、世界の金生産昨年は67トン増。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/06/20

ルポ隠れた巨大市場アフリカ(1)資源を求めて 日米欧せり合う。

日本経済新聞

(ロンドン=竹内特派員、写真も)

はるかなる大陸、アフリカ。世界の主要国が資源を求めてせり合い、プラントの売り込みに火花を散らす。日本のビジネスマンや技術者も「明日の大市場」に夢を託して厳しい環境に体を張っている。ロンドンからナイジェリア、南アフリカ、ケニアの三カ国に飛び、隠れた巨大市場の奥行きを探った。

ジープが巻き上げる土けむりの中から、ぬっと姿を見せた男は色あくまで黒く、木製の刀を片手に仁王立ちになっていた。大きな耳飾りをつけ、顔面を斜めに走る化粧の線にすごみがある。

「このあたりのマサイ族はおとなしい」。ハンドルをしっかり握りながら、石井健二郎氏はすっかり慣れた口ぶりである。三菱グループが進めるオル・カリア地熱発電所の建設責任者として、この土地に来てからすでに二年余、「マサイ族と動物園の中で仕事をしているようなもの」と笑った。キリン、シマウマ、野牛、シカが群れるはるか向こうに地熱発電の蒸気が白煙を上げている。「ヒョウが現れたときはさすがに肝をつぶした」と石井氏の経験談は尽きない。

ケニアの首都ナイロビから西北へ百二十キロメートル、標高二千七百メートルのカルデラ式火山、ロゴナット山を巻き込むように車を飛ばすと、オル・カリアにつく。地熱発電所は標高千七百メートルの高所にあり、そこから見おろす広大な谷は「地球のヘソの緒」と呼ばれるリフト峡谷だ。北はエチオピアから紅海につながり、南はタンザニアまで続く、アフリカ大陸を縦に分ける割れ目である。

埋もれている資源は地熱だけではない。アフリカにしては鉱物資源に乏しいといわれてきた東アフリカだが、リフト峡谷、その西の約三十キロメートル地点をやはり縦に走るケリオ峡谷周辺で、鉱物資源をめぐる日本や欧州主要国のせめぎ合いが始まっている。

「アフリカは自分の庭先」とみる英国やフランスは一足先にケリオ峡谷で鉱物資源調査を開始、日本も国際協力事業団と金属鉱業事業団が昨年から三年計画で調査に乗り出した。いずれの国も金、銅、クロム、ニッケルなどがお目当てだ。国際協力事業団の長島俊一ナイロビ事務所次長は「基礎調査で商業化できることがわかれば、日本企業の進出も期待できる」と話している。

「ソマリア、ケニア、タンザニアにかけてのインド洋の大陸棚で米国が石油探査を始める」。ナイロビでそんなうわさを耳にした。米系メジャー(国際石油資本)が宇宙衛星を使って石油の埋蔵を調べるというのである。西アフリカの大国、ナイジェリアでも米国がナイジェリア政府の要請に応じてウラン資源の調査を始めるという話を聞いた。地点は東北部のゴンベ。ウラン輸出国であるお隣のニジェールから鉱脈が続いているらしい。

南アフリカの首都プレトリアはいま冬にさしかかり、ちょっぴり肌寒い。できたてのような近代都市を一望できる小高い丘に英国風の官公庁ビルが威容を誇っている。その一室で前駐日南ア総領事のJ・T・F・ボタ氏は「いい物を見せよう」と一枚の紙を差し出した。マンガン、バナジウム、プラチナ、クロム、金など貴重な鉱物資源の埋蔵量の一覧表である。マンガンは世界の埋蔵量の七八%、自由世界の九三%を南アが占めているのをはじめ、バナジウムはそれぞれ四九%、九〇%を占めるなど南アが鉱物資源大国であることが一目でわかる。

「アンゴラはソ連から随分遠く離れているのに、ソ連は十年ほど前に突然、アンゴラに興味を持った。この表を見ればなぜだかわかるだろう。アンゴラ、モザンビーク、そしてナミビアと南ア包囲網をつくり、鉱物資源をねらっているのだ」。南アにはソ連の影が見え隠れする。アフリカは日米欧という西側内部の資源獲得競争だけでなく、西側とソ連の資源争奪戦の舞台でもある。

ボタ氏は話を続ける。「南アまでもソ連が押さえることになれば、世界の鉱物資源、とりわけマンガンなどの希少資源をソ連が牛耳ることになる。原油でのOPEC(石油輸出国機構)のように」。ヘタをすれば"鉱物資源ショック"もありえないことではない、というのである。

「ソ連の脅威は誇張して語られている」と言う南ア国際問題研究所のジョン・バラット所長でさえ「ソ連のねらいは南アを支配することではなく、西側諸国にとって常に頭痛の種があるように、この地域を不安定にしておくことだ」と話している。

クロムは高級鋼材に欠かせず、建設機械、精密機械、車両産業向けなどに用途は広い。日本は南ア、ジンバブエを中心に一〇〇%近くを輸入に頼っている。ザイールなどが生産するコバルトは電子、宇宙産業など先端産業になくてはならない物資だ。これまた日本は全面的に輸入している。アフリカが政治的に大混乱すれば、日本経済も壁にぶつかるのは目に見えている。

一九七三年秋の第一次石油ショック。日本が油乞(ご)い外交に走ったのはその後だった。アフリカの鉱物資源で、その二の舞いを演じない保証はどこにもない。



 
 
>TOP

1984/06/27

南アの通貨、ランドが安値更新。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/07/2

米大統領選後、金相場は上昇 南ア鉱山相見通し。

日本経済新聞

ケープタウン三十日=藤木特派員

南アフリカ共和国のD・W・ステイン鉱山エネルギー相はこのほど、低迷が続いている金相場は十一月の米大統領選挙後に上昇に転じ、これにつれ南ア経済も立ち直るだろうとの見通しを明らかにした。主な発言内容は次の通り。

一、米国のレーガン政権のドル高政策が金相場の低迷を招いているが、こうした状況は十一月の大統領選挙まで続くだろう。しかし選挙後、仮にレーガン政権が継続することになっても、現在のドル高は調整場面に向かう可能性が強い。米国の金利が軟化すれば金の価格が上がるのは間違いない。

一、南アの鉱山業は不況に直面しているが、政府としては研究部門で協力する形を通じて鉱山会社が低コストで生産できるよう援助していく。日本など消費国に対しては信頼出来る供給国としての地位を固めたい。



 
 
>TOP

1984/07/11

南ア経済、金輸出不振で苦境 財政赤字拡大へ相場の前途、悲観論一色。

日本経済新聞

(藤木記者)

南アフリカ共和国はいま、深刻な経済危機に直面している。最大の収入源である金の輸出が相場の低迷で振るわず、財政は苦しく、政府の経済運営が思うにまかせないからだ。不況、インフレ、失業の三重苦が進み、黒人労働者の不満も高まってきた。米国の高金利、ドル高のもとで、金相場の低迷はさらに続くものと見られるだけに、経済の立て直しには相当の時間がかかりそうである。

南アで最も人気の高い政治家といわれ、一九七五年から十年近く財政の最高責任者の地位にあったホーウッド蔵相が六月末、辞任の意向を表明した。理由は明らかにされていないが、政財界には「経済の破たんに対して責任を取ったのではないか」と受け取る向きも多い。

南ア経済は金への依存度が極めて高い。政府が鉱山会社から金を買い取り、自らの手で輸出するため、国の収入のざっと半分を金の売却代金に頼っている。それだけに、経済も金相場に大きく左右される。金相場が一トロイオンス(約三十一グラム)当たり一〇ドル動くと、南ア政府の収入は約二億ドル増減する。八〇年のように金が急騰した年は高度成長を達成しているが、八二、八三年と逆に低迷した過去二年間はマイナス成長に陥っている。

今年も金相場を取り巻く環境は厳しいと見る政府は、八四年度(年度は四ー三月)の当初予算で歳入二百二十億ランド(一ランド=約〇・七五ドル)、歳出二百五十億ランド、差し引き三十億ランドの赤字予算を組んだ。歳入見積もりの前提となった金相場は一トロイオンス四〇〇ドル前後とみられている。

しかし、予算作成後、米国の高金利、ドル高を背景に、金相場は下げ足を速め、七月初めには約二年ぶりに一トロイオンス三四〇ドルを割った。この結果、歳入欠陥が生じ、財政赤字は当初の見込みを大きく上回りそうな情勢である。

歳入欠陥を少しでも補うため、政府は一般消費税の引き上げに踏み切った。一般消費税は今年二月一日、六%から七%に改定したばかりだが、七月一日からはさらに一〇%に引き上げた。政府はこれで約八億ランド増収を見込んでいるが、一方では増税がインフレを加速するとの指摘も多い。

金の輸出不振に伴うランド相場の下落から、輸入品を中心に物価は上昇傾向にあり、八四年一ー三月のインフレ率は一二・五%。政府はインフレ抑制を最優先課題としているが、今回の一般消費税引き上げはこの方針に矛盾するものとして、各方面から厳しい批判を浴びている。

また財政赤字を補う一環として中央銀行が国債を大量に売却して民間市場から資金を吸い上げたため、金利は急ピッチで上昇を続けている。指標となる短期プライムレート(最優遇貸出金利)は昨年五月の一四%を底に上げ続け、現在は二一%と記録的な水準に達している。

高金利で民間の設備投資はすっかり冷え込んだ。南ア最大の商業銀行であるバークレイ・ナショナル銀行が大企業を中心に最近実施した調査によると、五七%の企業が「八四年中に新規に設備投資する計画はない」と回答している。残りの四三%も「投資はするが、小規模」と答えている。

金相場が急騰すれば、経済は好転するが、国内には楽観論は全くといっていいほどない。金鉱山の監督者でもあるステイン鉱山・エネルギー相は「少なくとも十一月の米大統領選挙まで金相場の低迷は続く」と予測しているし、南ア最大の企業グループであるアングロ・アメリカンの幹部も「金相場の前途は真っ暗」と見る。

三年連続の干ばつで農業も大きな被害を受けており、経済危機は都市部から農村部に広がっている。黒人労働者の失業率は約八%。約四十五万人が職を失っている計算だ。黒人の給与水準は白人の二〇ー三〇%でインフレの影響をもろにかぶる。

商都ヨハネスブルグの町並みにも職を失ってたむろする黒人の姿が目立ってきた。治安も悪くなり始めている。たとえば、賃金交渉をめぐって労使対立が激化、ブライエイド鉱山では六月下旬に警察が出動し、黒人労働者に死者が出る騒ぎにまで発展した。南アは厳しい季節を迎えている。



 
 
>TOP

1984/07/12

貴金属相場総崩れ、英国・南ア報告(上) 金地金、英は米高金利で売り一色

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/07/15

白金・南アフリカ 採掘から地金に2カ月

日本経済新聞

(ルポ商品市場)(藤木記者)

◎白金の昨年の世界の総供給量は七十四トン。うち南アフリカ共和国が六十二トンと全体の八四%を占める。ソ連の売却量は一二%にあたる九トンだった。南アの白金鉱山はルステンブルグ・プラチナ鉱山、インパラ、ウエスタン・プラチナムの三社。

◎白金の世界最大の需要国は日本で、昨年の消費量は二十九トンと、世界合計(六十七トン)の四三%に達した。わが国の場合、装飾用の需要が全体の約六〇%を占め、自動車の触媒用がこれに続く。日本に次ぐ消費国である米国では、自動車の触媒用が約七〇%と圧倒的に多く、装飾用は三%前後に過ぎない。

南アフリカ共和国 鉱山・エネルギー相 D・W・ステイン氏

白金は南アにとって重要な資源のひとつである。政府は白金鉱山が低いコストで生産できるよう、技術協力などの形で援助に努めている。輸出価格が海外の経済事情に左右されるため、現在は苦しい環境に追い込まれているが、こうした時期にこそ、消費国にとって信頼できる供給国としての地位を固める必要がある。日本は最大の得意先。今後も多くの量を買って欲しい。

メレンスキー鉱脈 。南アフリカ共和国の北部、トランスバール州を走る全長二百五十キロメートルに及ぶこの大鉱脈が、世界の白金の供給源である。十九億七千万年前、火山の噴火で形成された火成岩層で、一九二四年、地質学者のH・メレンスキー博士の手で発見された。可採埋蔵量は世界の消費の百三十年分に匹敵する三億トロイオンス(約九千三百トン)に達する。

ルステンブルグ・プラチナ鉱山(略称RPM)は一九三一年、メレンスキー鉱脈の六十五キロメートル分を開発する目的で設立された。ルステンブルグ、アマンデルベルト、ユニオンの三鉱区を持ち、いまや世界の白金の総供給量の四〇%を占める大企業に成長した。

南アの商都、ヨハネスブルグから北へ二百キロメートル、アマンデルベルト鉱区は小高い丘の上にある。生産規模はルステンブルグ鉱区に及ばないが、最新の生産設備を誇り、世界各国から鉱山関係者の見学が絶えない。

ストープと呼ばれる採掘場は全部で二十五。なかでもJ・I・エローフ鉱区長のご自慢は、ウエストセクションの斜坑である。二百ー四百メートルと浅いところを掘っているため、黒人労働者の移動にはリフトが活躍する。金鉱山などエレベーターを使う採掘場は多いが、リフトで降りる鉱山は世界でも珍しい。

リフトで約六分、地下二百メートルの採掘現場では七十五人の黒人が働いている。二百メートルとはいえ、気温は三十度を超え、労働条件は厳しい。黒人労働者は二つの組に分かれる。最初の組は午前六時半から午後三時。岩壁にドリルで穴を開け、ダイナマイトを仕掛ける。爆破は午後二時から三時。

爆破のあと午後九時まで鉱内への立ち入りは禁止される。九時を過ぎると残りの組が動き出し、ベルトコンベヤーを使って、午前五時までに鉱石を地上に運び出す。

こうしてひとつのストープから掘り出す鉱石は一日平均約六百トン。「白金の含有量は企業秘密」(エローフ鉱区長)だが、鉱山関係者によると、メレンスキー鉱脈の含有量は一トン当たり三ー十二グラム。六百トンの鉱石から産出される白金は一・八ー七・二キログラムに過ぎないわけだ。

採掘された鉱石は、鉱区内の砕石工場で三回にわたって砕かれて製粉されたあと、白金の特性を生かした選鉱方法(浮遊選鉱、比重、振動選鉱)で精選される。それから電気炉、反応炉で溶解し、この工程で鉄、炭素、硫黄などの不純物を取り除く。南アの白金鉱石は銅、ニッケルを多く含むため、次に精錬工場で銅、ニッケルが分離され、相当な水準まで純度は高まる。

純度を高めながら、南ア国内で最終的に行き着く先は、ヨハネスブルグから東へ十六キロはずれたウェードビルのマッセイ・ルステンブルグ精製所。販売代理店の契約を結んでいる英国のジョンソン・マッセイ社とRPMの共同出資工場である。

「先端の技術を駆使して純度、重量とも需要家の注文通りの地金を作り上げるのが、この工場の任務」と、J・フォーブス工場長。二年前の大がかりな強盗事件をきっかけに、警備体制を強めており、見学者も個室で厳しいチェックを受ける。相当量の在庫を抱え、RPMが市況対策を打つ際には、ウェードビルの精製工場が重要な役割を果たす。

採掘から地金に姿を変えるまで約二カ月。金の二週間に比べ、四倍近い時間を要する。それだけに「機敏な生産調整が難しく、マーケットの現状に供給を合わせにくい」(G・H・ワデルRPM会長)という弱みを抱えている。

RPMで働く二万五千人のうち九〇%の二万二千五百人が黒人労働者。ボブタツワナ、モザンビークなど近隣諸国からの出稼ぎ労働者が多く、十七の部族にまたがる。白金の生産性を高めるには「黒人労働者の教育が欠かせない」(同)わけで、白金の鉱山会社はこの方面にも多くの投資を割いている。

ルステンブルグ鉱区のトレーニングセンターでは現在、八百五十人の黒人が労働予備軍として訓練を受けている。鉱内での安全標識の見方や、ダイナマイトの扱い方など、ここで三カ月近く学んだあと、現場へ送り出される。金鉱山より給料を高くして黒人労働者をひきつけているため、人手不足の懸念はないが、「技能工など高い教育を受けた労働者を増やす必要がある」(P・マックラッキー教育センター副所長)という。

豊かな鉱脈を抱える南アの白金鉱山も、現在の経営状態は決して万全ではない。白金取引の指標となるニューヨーク・マーカンタイル相場は、米国の高金利・ドル高から七月に入って急落、一トロイオンス三四〇ドル台と、二年ぶりの安値に落ち込んでいる。ワデル会長は「将来に備えて投資資金をプールし、黒人労働者に満足な賃金を支払うには、一トロイオンス四五〇ー五〇〇ドルは欲しい」と胸の内を明かしていた。

南ア国内でもウエスタン・プラチナムが政府との技術協力で、メレンスキー鉱脈の百四十メートル下に眠るUG2鉱脈の開発に乗り出すなど、白金鉱山三社間の競争が一段と強まっている。世界の白金市場を牛耳る南アだが、「相場が三〇〇ドルを割り込むようだと、減産に追い込まれるのではないか」(ジョンソン・マッセイのD・デュメニル専務)と懸念する声も広がっている。



 
 
>TOP

1984/07/26

南ア、SWAPOと初の停戦交渉。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/07/27

ナミビア交渉決裂、SWAPO南ア案拒否。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/07/30

ナミビア独立問題 米大統領選後の展開に注目

日本経済新聞

(ニュース問答)



 
 
>TOP

1984/07/31

イランへの武器売却、中立諸国"死の商人"黙認 対立国イスラエルも。

日本経済新聞

武器調達に躍起となっているイランに対して世界各国の"死の商人"が兵器売り込みにしのぎを削っている。イラン、イラク戦争はデクエヤル国連事務総長の都市攻撃中止提案を機に小康状態を保っているが、装備面で質量ともにイラクに劣るイランは、この間を利用して次の攻勢に備えて軍備増強を図っており、イランへの武器流入は今後さらに増加しそうだ。

イランは革命後、米国から武器供与を打ち切られ「七十五機あった米国製F4、F5、F14などの戦闘機のうち稼働可能なのは三分の一程度」(マーフィー米国務次官補)にまで落ち込んだ。しかし、イランに対し武器を供給する民間業者は多く、米国でさえ民間ブローカーが欧州のブラックマーケットを舞台に米国製戦闘機の部品などを盛んに売り込んでいるのを規制しきれないでいる。

イランへの主な武器供給国は中国、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、台湾、リビア、シリア、南アフリカ、イスラエルなど。なかでも北朝鮮はイランの武器の四〇%を供給しており、中国も八三年に十三億ドルの兵器売買契約を結んだといわれる。

また、米「ワシントン・ポスト」紙によると、イラン、イラク双方に対して厳格に中立の立場をとっている英国も、最近二隻の艦船をイランに輸出する動きを見せている。この艦船は戦車を九台まで運搬でき、四〇ミリ砲を搭載している軍艦だが、英国政府はこれに手術室や病室を備え病院船として輸出しようとしているという。また民間の武器請負業者も水陸両用強襲艦などをイランに供給している。

中立を国是とするスイス政府も自国業者がイラン、イラク両国に兵器を売却することは問題にしていない。例えば同国製PC7練習機はスイスから輸出される時点では武装していないが、イランはこれにボム・ラック(爆弾架)や射撃統制装置を取りつけ、亜音速戦闘機として使用している。

本来イランの"敵性国家"であるイスラエルでさえ八二年のレバノン侵攻でPLO(パレスチナ解放機構)から奪った武器をイランに売却したといわれる。




 
>TOP

1984/08/2

NZ、南アの領事館近く閉鎖。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/08/4

南アフリカのプラチナ鉱山、貴重な輝きを求めて

日本経済新聞

(NEWSスケッチ)(写真・文 藤木記者)

南アフリカ共和国は世界有数の資源大国である。金、マンガン鉱石など、埋蔵量で世界一を誇る鉱物は枚挙にいとまがない。なかでもプラチナ(白金)は世界の埋蔵量の四分の三を占め、わが国の宝飾用プラチナもほぼ全量を南アフリカに頼る。

商都ヨハネスブルグから北へ二百キロメートル、アマンデルベルトはプラチナの供給基地として栄えてきた。ストープと呼ばれる採掘場は二十四時間休まる時がない。早朝から午後三時にかけて、地下二百ー千メートルに眠るプラチナ鉱脈を爆破し、午前五時までに鉱石を地上に運び出す。ひとつのストープから毎日六百トンの鉱石を掘り出すが、一トンの鉱石が含むプラチナは平均六グラム程度、プラチナ指輪の二個分しかないのだ。

鉱山労働者の九〇%は黒人。モザンビーク、ボツワナなど隣国からの出稼ぎ労働者が多く、部族は十七を数える。各部族が独自の言語と文化を持ち、労働者同士の意思の疎通は難しい。この問題を解決するため、鉱山会社はファナガロ語を共通言語に決め、黒人、白人を問わず、全従業員の必修教育にしている。

経営者がアパルトヘイト(人種隔離政策)に反対していることもあって、プラチナ鉱山の黒人労働者への待遇は厚い。月給は三百ランド(一ランド=約〇・七五ドル)に満たないが、住居が与えられるほか、学校、病院、ショッピングセンターなどが完備されている。終身雇用を希望する黒人労働者も多いという。

南アフリカはいま経済危機に直面、黒人の失業者は四十五万人に達する。しかし、プラチナ鉱山は世界的な需要の増加にこたえるため、不況をよそに増産体制中だ。

温度三十度を超える地下の労働条件は厳しいが、黒人労働者は「ここにいる限り、食いはぐれないから」と割り切っているようでもある。



 
 
>TOP

1984/08/18

南ア新憲法は無効、国連安保理が決議可決。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/08/20

南ア「有色人種議席」に賛否、新憲法下、初の選挙へ 黒人排除、反発も。

日本経済新聞

ロンドン十九日=村瀬特派員

白人が独占していた南アフリカ共和国の議会に初めて有色人種の議員が登場することになり、そのための選挙が二十二日と二十八日に行われる。昨年秋の憲法改正で南ア議会は白人、カラード(混血)、アジア系(主としてインド系)の三種族による三院で構成されることになったが、制度的にも白人支配が続き、最大の人口を占める黒人が締め出されているため、有色人種には反発の動きもあり、ボイコット運動も起きている。しかしアパルトヘイト(人種隔離政策)の南アでこうした改革が行われるのは、わずかとはいえ前進といえるのかもしれない。

カラードが二十二日、アジア系が二十八日、それぞれ行われるが、カラード二百七十万人に八十五議席、アジア系九十万人に四十五議席が割り当てられ、白人は四百七十万人に対して百七十八議席だが、今回は選挙は行われない。三院は別々に運営され、意見が食い違った場合、三院合同委員会で調整するが、それでも対立が残る場合、白人が圧倒的多数を占める大統領評議会が最終議決権を持つ。また新憲法で米国型の大統領制に移行するが、大統領選挙委員会による間接投票でこの委員会も白人が過半数を占めており、制度的にも実質的にも白人支配は続く。

そのうえ二千二百万人と人口の七割近くの黒人が締め出されているため反発は強い。初の参政権を許されるカラードとアジア系の反応も複雑である。各人種を統合したUDF(統一民主戦線)も結成され、選挙ボイコットの動きも出ているが、政府発表によればカラードとアジア系の選挙登録も順調に進んでいるという。いずれにせよ投票率を通じて今回の改革に対するカラードとアジア系の態度が明らかにされよう。

南アでは黒人労働者によるスト権の合法化も進み、白人と他の種族の結婚を禁じた悪名高い雑婚禁止法の手直しにも乗り出すなど、改革は進んでいる。多くの国は南アに対してなお冷ややかで、ボタ首相が六月に欧州諸国を訪問した際、各国の態度は必ずしも温かではなかった。国連も十七日、議会改革を定めた南アの新憲法を無効であるとの決議を行った。しかし一部の欧州諸国には南アを評価する動きも出てきている。



 
 
>TOP

1984/08/23

南アでカラード議会選挙の投票開始。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/08/24

南ア・カラード選、労働党圧勝。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/08/25

公安官ら五人負傷、南アの官庁ビルで爆発。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/08/26

南ア人種別議会 見せかけ批判根強い

日本経済新聞

(国際情勢ファイル)

アパルトヘイト(人種隔離政策)をとる南アフリカ共和国で九月、白人、カラード(混血)、インド系の人種別三院制議会が誕生する。白人が独占してきた政治に初めて有色人種の進出を認めたもので、政府は「画期的な試み」(ボタ首相)と宣伝に努めているが、有色人種側には「人種間の分断を図るもの」と反発する空気が強い。二十二日に行われたカラード議会選挙での投票ボイコット続出はそれを裏付ける形となった。

人種別議会は昨年十一月の憲法改正で決まったもので、白人だけだった議会を非白人のカラード、インド系にも認め三院制とし、その上に権限を強化した大統領を置く。議席は人口四百七十万人の白人が百七十八議席に対し、カラード(二百七十万人)に八十五議席、インド系(九十万人)に四十五議席が割り当てられる。

三院の意見が食い違った場合は三院合同委員会で調整するが、それでも対立した場合は白人二十人、カラード十人、インド系五人に大統領任命の二十五人を加えた大統領評議会が決定する。形こそ変われ、白人支配の構造には大きな変化はない。

さらに国民の七三%(二千七百万人)を占める黒人は依然として政治参加は認められておらず、国連安全保障理事会はこのほど、議会改革を定めた南アの憲法について、「国連憲章違反」と無効決議を行っている。

南ア政府が議会改革に踏み切ったのは、直面している経済危機と無縁ではない。最大の収入源である金の相場が低迷、三年続きの干ばつも農業に大きな打撃を与え、不況、インフレに悩まされている。このため世界中から非難されているアパルトヘイトを見直す姿勢を強調し、先進国からの援助や投資を引き出すのがねらい。"世界の村八分"になった南アが国際社会復帰の切り札として打ち出した。

これに対して有色人種の反応は冷ややか。カラード知識人や人種を超えて結成された革新組織のUDF(統一民主戦線、百五十万人)は「白人支配を正当化するもの」「人種間の分断をねらったもの」とボイコット運動を展開。

南ア各地で警官隊と衝突、百人以上が逮捕される犠牲を払ったが結局、投票率は三一・七%にとどまり激しいボイコット運動が奏功した格好。二十八日にはインド系議会選挙が行われるが、見せかけの民主化を揺さぶる反対派と硬化する白人政権の対立は不気味な様相をみせている。



 
 
>TOP

1984/08/27

国会議員団が南ア訪問。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/08/30

南ア政権に打撃、アジア系議会選挙も低投票率 有色人種の反感、予想以上。

日本経済新聞

ロンドン二十九日=村瀬特派員

南アフリカ共和国の人種別議会のアジア系(主としてインド人)の投票が二十八日行われたが、前回二十二日のカラード(混血)に続いて極端に投票率が低く、南ア新憲法に対する有色人種の反感を示す結果になった。人口の七割を占める黒人を排除したまま、カラード、アジア系の有色人種の政治参加を目指したボタ政権の試みは出発点から大きな打撃を受けたかたちである。

二十八日の投票率は一八%(内務省筋)とされているが、全国各地で抗議デモと警官隊が衝突を繰り広げるなかで行われた。とりわけヨハネスブルグ郊外のアジア人居住区では百人を超す負傷者が出るという事態になっている。選挙民は選挙人名簿に登録したうえで投票するが、アジア系の場合、八五%と、カラードの六〇%を上回る登録率だったものの、投票率はカラードの三〇%よりもさらに低かったわけで、政府は予想外の低さに衝撃の色を隠していない。

南アの新憲法は昨年制定され、有色人種に初の政治参加を認めるものだったが、議会を白人、カラード、アジア系の三つに分け、事実上白人支配が続く仕組みになっているうえ、人口の七割を占める黒人は排除されたままである。このため有色人種が抗議運動を展開、選挙ボイコットを続けていた。しかし一部には初の有色人種の議員の選出を評価する向きもあり、ボイコット派と穏健派の力関係が注目されていたものの、低い投票率はボイコット派の勢力が予想以上に強かったことを意味する。

デクラーク内相は「ボイコット派の脅迫によるもの」と低投票率の理由について語り、予定通り新議会を秋から発足させるとしている。しかし低投票率は南ア政府の試みに対する不満が大きいことを示したものであり、新議会は重荷を背負った形で発足する。

選挙の最終結果は、次の通り。

国民党一八▽連帯党一七▽その他五。



 
 
>TOP

1984/09/4

南ア暴動の死者21人。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/09/5

南ア、黒人暴動続く。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/09/6

南ア大統領にボタ氏、三人種別議会で初選出。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/09/7

金鉱山スト決定、黒人組合、無期限の方針 南アフリカ。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/09/16

南ア、有色人種2人が入閣 主要閣僚はすべて留任。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/09/17

南ア金鉱山の黒人労働者集会で衝突事件 労働者1人が負傷。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/09/17

南ア鉱山労働者スト突入か。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/09/18

南ア金鉱でスト突入。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/09/19

南ア鉱山スト一日で収拾。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/09/20

南ア金鉱山スト、96人死傷 山猫ストに警官隊発砲。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/09/24

南ア金鉱騒動再発で二人死亡。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/09/26

英・南ア関係緊張、英領事館に6人ろう城。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/09/29

国連総会が南ア憲法無効決議。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/10/5

停戦下のモザンビーク、南アの影響力鮮明に 協定監視へ軍派遣。

日本経済新聞

(ロンドン=村瀬特派員)

南アフリカ共和国(南ア)の調停で、モザンビーク政府と反政府活動を続けるRENAMO(モザンビーク民族抵抗運動)との間で停戦協定が成立したのを受けて、南ア軍が休戦を監視するためモザンビークに派遣される方向が打ち出された。去る三月に南ア、モザンビーク両国間で相互不可侵と反政府活動支援の打ち切りを決めた「コマチ協定」を一歩進めたもので、南ア主導による秩序回復を目ざしている。ソ連寄りの社会主義国モザンビークがコマチ協定を含めこうした解決を受け入れること自体、干ばつとそれによる食糧不足に悩んでいるとはいえ、南アの影響力がそれだけ南部アフリカに及んでいることを意味し、ナミビア問題の解決にも微妙な影響を与えよう。

モザンビークは南アの人種差別政策を激しく攻撃していた国だが、今年三月に南アとの和解協定ともいうべきコマチ協定を結んだ。その内容は相互不可侵を約束するとともに、それぞれ相手国の反政府ゲリラへの支援を打ち切るというもの。この結果、モザンビークに拠点を持つ南アの反政府ゲリラANC(アフリカ民族会議)ははしごをはずされた形になったが、それまで南アの支援を受けていたモザンビークのRENAMOはコマチ協定後も活発な活動を続け、モザンビーク政府は同協定への疑念を示していた。

このため南ア政府はRENAMOへの支援を否定するとともに、モザンビーク政府、RENAMOとの仲介にたち、双方と個別折衝を続けて今回の休戦協定に持ち込んだものである。モザンビークの内戦状態を収拾するためには、現政府とRENAMOによる民族和解政権の成立が必要とされているが、背景に部族対立もあって、その機は熟していない。三日の三者の出席による停戦協定発表の記者会見で発言したのは南アのボタ外相だけと伝えられ、モザンビーク政府とRENAMOのこの停戦協定に対する態度には微妙なものがある。モザンビーク政府代表は帰国後「平和への一過程にすぎぬ」と国民に警告するなど、前途に困難が横たわっているが、ここで和平を成功させることが、南ア主導の南部アフリカ問題解決への一歩を意味するため、南アは積極的に推進する必要がある。

このため南アは自国の軍隊を監視軍として送り込み、強力にこの停戦協定を実施する構えであり、またその実力は備えている。南アはコマチ協定に先立ち、今年二月アンゴラと「ルサカ協定」を結び、相互に相手国の反政府ゲリラへの支援打ち切りを約束した。南アは敵対していた近隣黒人諸国と二国間協定で対処、南部アフリカの問題は南アを中心に地域的に解決するとの外交路線を明確に打ち出している。これはナミビア独立問題も国連決議のわく外でという南アの主張を裏づけるもので、その意味でもモザンビークの停戦協定がどこまで有効かが今後の南ア外交にとって大きなカギとなる。

モザンビーク、アンゴラはともに旧ポルトガル植民地で、七四年のポルトガル民主化クーデター後独立、その空白をついてソ連が進出していた国である。しかしアフリカにつきものの部族対立もあって、反政府ゲリラの活動が目立ち独立以来、内政は安定していなかった。そこへ百年来とも二百年来ともいわれる干ばつが襲い、経済不振は深刻をきわめている。

しかし、ソ連は自らの食糧不足もあって援助が息切れ状態になり、南アが攻勢に出ているわけだが、その背後にはソ連の影響力排除をねらう米国の動きがある。さまざまな障害はあるとはいえ、南アのねらいは一歩一歩実を結びつつあり、今回の南ア主導によるモザンビーク停戦協定もそれを象徴する一つのできごとともいえよう。



 
 
>TOP

1984/10/7

南ア警察、ろう城の英領事館出た反政府派3人逮捕。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/10/11

アンモニア生産プラント、宇部興産、輸出を本格化 中国・南ア中心に。

日本経済新聞

宇部興産は中国や南アフリカ共和国向けを中心に石炭ガス化によるアンモニア生産プラントの輸出に本格的に取り組む。特に石炭の埋蔵量が豊富な中国は、新プラントの導入に強い関心を持っていることから、清水社長が近く中国を訪れ、中国側の意向を聞く。同社は子会社の宇部アンモニア工業(本社山口県宇部市、社長鈴木義次氏、資本金六十億円)で新プラントによるアンモニア生産を始めており、従来の石油系原料より二〇%安く生産できるという当初のねらいが達成できれば、輸出商談は増えるものと期待している。

宇部興産が開発した新プラントは米テキサコから基礎技術を導入したもので、石炭から水素を取り出し、空気中のチッ素と混ぜてアンモニアを生産するという世界初の試み。今年六月にはおよそ三百億円を投入したプラントが宇部アンモニア工業の宇部工場(日産能力千トン)で完成、八月からアンモニアの生産が始まっている。

この新プラントはガス化効率と稼働率が高く、しかも安い石炭を利用できるため、従来の石油系を原料としたプラントに比べ二〇%程度コストダウンできる。このため、石炭の埋蔵量が多く、その有効活用の道を模索している国は早い段階から宇部興産の技術に注目しているという。特に食糧増産を至上課題としている中国は各国から肥料を輸入するのでなく、国内での肥料自給政策に基づいて、原料となるアンモニア生産のプラント建設に全力をあげて取り組んでいる。

宇部興産はこれまで、中国から石油からガソリンなどを抽出した残渣(さ)油を原料としたアンモニアプラント三基(いずれも日産千トン)を受注している。中国側は四号基以降のプラント建設について、石炭ガス化プラントの導入を強く望んでおり、今年六月に行われた宇部工場の火入れ式、試運転には担当大臣、次官クラスの要人を派遣するなど、強い関心をみせた。そこで近く行われる中国における二号基の完成式に清水社長が出席、石炭ガス化プラントの輸出問題について意見交換することになった。

同社によると、新プラントの価格は「約五百億円程度になる見通し」(同社幹部)。このため、外貨不足に悩む中国にとっては、支払い方法が最大の問題。石炭の現物支給という方法などもあがっており、清水社長としては中国側の支払い能力やプラントの規模、建設の時期などについて、考えをただすことにしている。

このほか、宇部興産が宇部工場で使用する石炭の一部を輸入している南アフリカ共和国も、自国内でアンモニア生産に意欲を示しているとされ、同社に対して新プラント建設打診を始めた。宇部興産も、宇部工場の稼働状況に関する情報を提供するなどつながりを強めており、近い将来、本格的な商談に入る可能性があるという。



 
 
>TOP

1984/10/17

ノーベル平和賞、南アのツツ主教に 人種差別反対運動を指導。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/10/31

南ア・ランドが史上最安値。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/10/31

米、アンゴラ問題で南アを説得へ キューバ兵撤兵で協議。

日本経済新聞

ヨハネスブルグ三十日=村瀬特派員

アンゴラのキューバ兵撤退の実現を目指す米国のクロッカー米国務次官補(アフリカ担当)は三十日、南アフリカ共和国のボタ外相と、アフリカの島国カボベルデで会談、キューバ兵問題、ナミビアの独立などについて協議する。レーガン外交の唯一の得点ともいわれる南部アフリカ問題だけに、米国は大統領選を前に何とかメドをつけようとの構えだ。

米国と南アが、アンゴラに駐留している二万ー二万五千といわれるキューバ兵の撤退を条件に、国連決議を無視した形で南アの統治下にあるナミビア独立を受け入れるとの立場をとって以来、キューバ兵撤退問題は南部アフリカ情勢の一つの焦点となってきた。米国務省のウィスナー担当官はこのところ、再度にわたってアンゴラの首都ルアンダを訪問、アンゴラとの調整を続けてきた。アンゴラのドスサントス大統領がこのほど米紙とのインタビューで、キューバ兵撤退を示唆し、またキューバ兵撤退に反対していたジョルジェ外相が更迭されたことなどから、アンゴラ側の態度はほぼ固まったのではないかとみられている。

アンゴラはキューバ兵撤退の条件として、(1)南アはアンゴラの反政府ゲリラ、UNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)への支援をやめる(2)南ア軍はナミビアから撤退する などを求めている。アンゴラにはナミビアの南アからの独立闘争を続けているゲリラのSWAPO(南西アフリカ人民機構)が基地を構えているが、南アとアンゴラは今年二月に「ルサカ協定」を結び、SWAPOのアンゴラ領内での活動を停止させることで合意している。ただSWAPOの活動はなお続いている。

このため紛争解消には、SWAPOをアンゴラ領内から撤退させ、ナミビアの新政権にどう取り入れるかが一つの焦点となっている。ただSWAPOの勢力を少しでもそごうとしている南アが、アンゴラが提示している条件に対してどういう対応をとるかは、まだはっきりとしていない。

レーガン政権としては、大統領選挙を間近に控え、南アとの話し合いに何とかメドをつけようと必死の構えである。



 
 
>TOP

1984/11/4

アンゴラと南ア、キューバ兵撤退合意か ナミビア独立急展開。

日本経済新聞

ロンドン三日=武市特派員

フィナンシャル・タイムズ紙によると、アフリカ南部の共産主義国、アンゴラが同国に駐留させている約二万五千人のキューバ軍を撤退させ、南ア側もアンゴラ南部から撤兵することで両国が基本的合意に達した模様である。これにより両国の谷間で自治権が奪われていたナミビアの独立問題が今後、急テンポで具体化する見通しとなってきた。

アンゴラはソ連の支援を得て七五年十一月にポルトガルから独立を宣言、同月末には新政権安定化のため同じ共産主義のキューバ軍が進駐した。しかし、アンゴラがアパルトヘイト(人種隔離政策)を理由に南アを激しく非難、さらに南アの反政府ゲリラがアンゴラ南部に拠点を作ったことから両国の間で戦争が繰り返され、このあおりでナミビアは八三年一月以降、南アの完全な支配下におかれてきた。

両国がここへきて歩み寄ったのは、キューバ軍を撤退させない限り和平の糸口はないとして仲介に入った米国のアンゴラ説得工作が功を奏したものとみられる。完全な合意が成立するためには一ー二カ月の時間が必要とみられる。



 
 
>TOP

1984/11/13

アンゴラ大統領、米と包括的和平合意を協議。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/11/14

揺れ動く南部アフリカ(中)貿易、南アが頼り 周辺国、経済協力を切望。

日本経済新聞

(ロンドン=村瀬特派員)

「黒人国と四十、いや正確にいえば四十二カ国と貿易している」と南アフリカ共和国のデビリアス貿易産業相は語る。OAU(アフリカ統一機構)加盟五十一カ国にはサハラ以北のアラブ国家も含まれているから南アはほとんどの黒人国家と貿易関係にあるわけだ。この十二日からアジスアベバで開かれているOAU首脳会議で恒例の南アとの経済交流禁止が打ち出されよう。にもかかわらず南アへの経済依存度を高めていく。それがアフリカの現実なのだ。

とりわけ南部アフリカ諸国の依存度は高い。たとえばジンバブエは輸入で四〇%、輸出で二〇%が対南アでジンバブエにとって最大の貿易相手国となっている。南アとともにSACU(南部アフリカ関税同盟)を構成しているボツワナ、レソト、スワジランドは輸入の八〇ないし九〇%が南アからである。南アからみると南部アフリカ諸国は総輸入の五%、輸出が一五、六%であり、それほど比重の大きなものではない。つまり一方的な依存なのである。

貿易ばかりではない。内陸国のジンバブエ、ザンビアは鉱石、砂糖などを中心とした輸出の経由地として南アが欠かせず、その依存度は五割前後にもなる。南部アフリカの鉄道網は南アから機関車を借りたり、南アの鉄道技術者の協力で運営されている例も多い。これら諸国からの三十万人を超える南アへの出稼ぎによる送金も各国経済に大きな比重を占める。南ア内部に陸封されたかのようなレソトは特殊なケースかもしれないが、出稼ぎ送金がGNP(国民総生産)の四割を超える。

もちろん南部アフリカ諸国の悲願はこの経済依存からの脱却である。ザンビア、タンザニア、ボツワナ、アンゴラ、モザンビークの"前線五カ国"でSADCC(南部アフリカ開発調整会議)を七九年に設立、その後、ジンバブエ、レソト、スワジランド、マラウイが加わったのもこの悲願を達成するためである。各国で機能を分担、経済発展を図ろうというものだが資金は大部分が援助をあてにしており、どう発展するかは今後の問題だろう。

南アのGNPはSADCC九カ国総計の三倍にも達している。一人当たりのGNPでは六倍だ。SADCC発足の会議が行われたのが南ア資本のホテルだったといわれるように、この地域での南アの経済力は圧倒的だ。ザンビア軍の軍服は南ア製という話も聞いた。いかに南アに敵意を燃やそうとも、東欧でドルが引っ張りだこのように南アの通貨ランドが大手を振っている。モザンビークの首都マプトのホテルは自国通貨のメティカルは受け取らずランドを要求する。東欧のドルショップに相当するランドショップの豊富な品ぞろえは町の商店街と対照的だ。

南アと敵対する"前線五カ国"のメンバーであるモザンビークが南アとコマチ協定を結んだのも南アの経済協力が得たかったからだ。三年続きの干ばつで飢饉(ききん)に襲われている同国にとって背に腹はかえられない。同協定の交渉と並行して六分科会からなる両国合同経済委員会をつくり、さまざまな分野での経済協力が話し合われた。スキッパー南ア貿易産業省次官は「扱い能力日量六千トンだったマプト港の能力を四万トンにするための援助を決めた。冷凍施設、鉄道の修理、食品加工、漁業などへも援助する」と対モザンビークへのプロジェクト援助を明らかにする。

モザンビークとの経済協力をモデルケースに近隣諸国に「南アとの平和共存が得策」という南アの戦略がありありとみえるが、それだけに意気込みはすさまじい。昨年九月発足した南部アフリカ開発銀行は当面、南ア内部の"独立国"とされているホームランドへの開発融資を対象としているが、ゆくゆくはモザンビークなどにも加盟を求め、南ア主体での南部アフリカの経済開発をねらっている。

いわば"札たば"で敵対する近隣諸国との関係改善を図ろうというものだ。経済大国南アの君臨ともいうべきか、コマチ協定でのモザンビークの変心を非難する声を前に「南部アフリカの経済の現実を知らないからだ」(ベロソ・モザンビーク経済相)の言葉は南部アフリカの置かれた苦しい立場を物語っている。



 
 
>TOP

1984/11/15

揺れ動く南部アフリカ(下)銃では人を養えず 飢餓がソ連離れに拍車。

日本経済新聞

(ロンドン=村瀬特派員)

南部アフリカは西側諸国、とりわけ欧州にとって苦い思い出の地である。七〇年代のデタント(緊張緩和)は七五年夏の全欧安保会議をピークに定着しそうにみえたが、それと相前後してこの地域へのソ連・東欧の進出が目立ったからだ。それからほぼ十年。干ばつなどの経済困難にソ連はなんらの有効な手を打てぬまま影響力が低下、アンゴラからのキューバ兵撤退も目前となってきた。流れは確実に変わり始めたのである。

七四年春のポルトガル民主化クーデターで宗主国の混乱が続き七五年、モザンビーク、アンゴラにマルクス・レーニン主義を標ぼうした政権が成立、アンゴラへのキューバ兵駐留もあいまって、これらの地域はソ連圏の橋頭保になったかの感があった。ザイールのシャバ州分離独立を目ざす反政府ゲリラがアンゴラを基地に活動、七八年にフランス、ベルギーが降下部隊を送って食いとめるという一幕もあった。南部アフリカ情勢の変化はデタントのもろさをいみじくも物語っていた。

旧態然たる植民地帝国ポルトガルとの解放闘争にソ連圏からの援助は貴重なものだったし、民族解放理論は精神的な支柱にもなった。独立後も続く国内抗争にソ連の軍事援助は欠かせないものだった。だが飢餓が広がり、経済が疲弊し、銃では人を養えないとなるとソ連の援助は輝きを失う。モザンビークが南アフリカ共和国との妥協に走ったコマチ協定の締結に先立ちマシェル大統領はコメコン(共産圏経済相互援助会議)への加盟を打診したといわれる。ことの真偽は別としても自国が食糧不足に悩むソ連からの援助を頼りにできないことだけは明らかだった。

アンゴラもルサカ協定を結び、さらにキューバ兵撤退に応じる動きを示すなど南アとの妥協に向かっている。そんななかで南ア軍と戦うSWAPO(南西アフリカ人民機構)はこの五月、いったん南アとの話し合いに入りながらもこれを打ち切りゲリラ闘争を続けている。「モザンビーク、アンゴラ両政府と違い国民を養う責任のないゲリラ組織」(ファンニーカーク南ア駐ナミビア行政長官)だからだとの見方もあるが、ソ連の援助は武装組織にはなお有効ということの一つの表れとも受けとれるだろう。

三年続きの干ばつが飢饉(きん)の原因である。しかし独立後の農業の国営化、集団化が農民の生産意欲の低下を招き、農業生産の不振に拍車をかけたことは間違いない。社会主義の基本線は守るとしながらもモザンビークのベロン経済相は「自営農業、民間農業を重視する」と大きく経済政策を転換、今年九月のIMF(国際通貨基金)加盟をはじめ、西側諸国の投資誘致に乗り出したのも「革命のための理論かもしれないが経済建設には不向き」といわれるソ連型社会主義の限界を示すものかもしれない。かつて食糧輸出国だったアンゴラが飢饉に悩むのはポーランドの農業不振を連想させる。

もちろんこの両国の反政府ゲリラを南アが支援、破壊活動を通じ経済不振に拍車をかけたのも間違いない。南アがいかに否定しようとも「相手の弱さは自国の強さ」という政策がなかったとはいいきれまい。アパルトヘイト(人種隔離政策)の南アとの妥協は黒人国家にとってきびしい選択である。「南アの黒人に飢饉はない。国民を食べさせてこそ革命の成就だ」。マプトで会ったモザンビークのエリート青年の言葉は苦渋にみちている。南アに餓死者がないわけではないだろうが、モザンビークと比べれば少ない。人権か飢えかは二者択一の問題ではないし、だれもがそんな問いをつきつけられたくない。

"金属のペルシャ湾"といわれる南部アフリカは鉄、非鉄のみならずハイテクには欠かせない希少金属の宝庫であり、その意味で日本の生命線でもある。とりわけ希少金属はこの地域とソ連に偏在しているため、ソ連の影響力増大はケープ・シーレンの確保ともあいまって西側諸国が最も懸念していることだった。アンゴラからのキューバ兵撤退に積極的に動いているレーガン政権だが二期目も南ア外交の後押しをする構えだ。

ルサカ、コマチ両協定の締結を手土産にボタ首相(現大統領)はいささか得意気にこの夏、訪欧の旅に出たが反応はいま一つだった。南アがアパルトヘイト解消に向けてさらに前進しない限り、黒人国家とあいいれず、いかに軍事力と経済力で圧倒しようが、ソ連につけ込むすきを与えるとの判断からだ。地域大国にのしあがった南アとはいえその経済力は限られている。日本を含め西側諸国がこの地域の安定と経済発展にどんな役割を果たすべきか。

南部アフリカに変化は始まった。だからその変化はなおもろさを抱えており、方向づけはこれからなのだ。



 
 
>TOP

1984/11/22

南ア共和国・トウモロコシ 雨降って作付け順調

日本経済新聞

(世界産地気象)



 
 
>TOP

1984/11/28

白い大国・南アの光と影、豊富な資源、秘める活力。

日本経済新聞

南アフリカ共和国特集



 
 
>TOP

1984/12/10

対米鉄鋼輸出自主規制に、南ア・豪も合意。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/12/11

ノーベル平和賞、爆弾予告、屋外で授賞式 南ア人種差別反対のツツ師。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/12/11

米大統領、南アの人種差別強く非難、人権外交へ新たな決意。

日本経済新聞



 
 
>TOP

1984/12/20

金、南ア・ソ連は売却増へ 大台割れ秒読みの見方も。

日本経済新聞




 
>TOP

1984/12/24

川崎製鉄、南ア社に転炉吹錬技術供与。

日本経済新聞

川崎製鉄は南アフリカ共和国最大の製鉄所、イスコール社に転炉の吹錬技術を供与することになった。同社が独自に開発した上下吹きの複合吹錬技術で、イスコール社のバンダビルパーク工場の転炉に導入する。川鉄は吹錬設備の建設・操業指導を行い、八六年初めに完成させる予定。

川鉄が供与する上下吹きの吹錬技術は転炉の上部から酸素、底の部分からアルゴンなどの不活性ガスを吹き込み、転炉内のかくはん力を強めることによって歩留まりと酸素の使用効率を高める技術。厚板、棒鋼などの素材を生産するのに適しており、川鉄は千葉、水島両製鉄所で実用化している。



 
 
>TOP

1984/12/31

米民主党の上院議員、南ア投資禁止法案を提出へ。

日本経済新聞



UP:2009 REV:20180906, 07, 18
アフリカ  ◇世界HIV/AIDS峯 陽一牧野 久美子
TOP HOME (http://www.arsvi.com)