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序章 アフリカ農村社会と公共圏の概念/児玉由佳
第1章 エチオピア農村社会における公共圏の形成 ―市民社会/共同体の二元論をこえて―/松村圭一郎
第2章 アフリカ農村の生産者組織と市民社会−ガーナの事例から−/高根務
第3章 東アフリカ農村における森林資源管理と生計安全保障―タンザニアとケニアの参加型制度の事例分析―/上田元
第4章 ザンビアの農村における土地の共同保有にみる公共圏と土地法の改正/大山修一
第5章 ルワンダの農村社会と民衆司法―アブンジを中心に−/武内進一
補章1 新しい公共圏の創生と消費の共同体―タンザニア・マテンゴ社会におけるセングの再創造をめぐって―/杉村和彦
序 章 アフリカの紛争と国際社会 武内進一
第I部 紛争勃発後の和平プロセス
第1章 スーダンという国家の再構築 ―重層的紛争展開地域における平和構築活動― 篠田英朗
第2章 歴史の写し画としての和平プロセス ―内戦期コートディヴォワール政治における連続性― 佐藤 章
第3章 コンゴ民主共和国の和平プロセス―国際社会の主導性と課題― 武内進一
第4章 DDRとリベリア内戦 山根達郎
第II部 紛争後の制度構築を考える
第5章 ウガンダ1986、南アフリカ1994 ―紛争後の包括的政治体制の比較分析― 峯陽一
第6章 シエラレオネにおける地方自治制度改革とチーフ 落合雄彦
第III部 正義と和解の現実
第7章 紛争後の社会への司法介入―ルワンダとシエラレオネ― 望月康恵
第8章 ルワンダのガチャチャ―その制度と農村社会にとっての意味― 武内進一
第9章 モザンビークにおける平和構築の課題 ─国家レベルの共存と地域社会内部での対立の深化― 舩田クラーセン・さやか
「わたしたちがアフリカを学ぶ理由」とのサブ・タイトルも付された本は、内容がもりだくさんで、論じられている事象や地域についてなじみがない人にはちょっととっつきにくいかなと感じました。 ケニアの女性が立ち上げて運営するママ・ハニ孤児院を紹介する終章「立ち上がる草の根の人々とその声」、次いであやうく「姦通罪」への処罰としての石打ち刑で殺されるところであったアミナ・ラワルさんが直面したナイジェリアの政治情勢を分析する第7章「女性だけが背負う重荷」と読み進め、そこで論じられている問題を読み解くために他の章を読むという読み方がありそうだなと思いました。
序章 アフリカを勉強する10の理由
第1部 アフリカの「民族紛争」の神話と現実
第1章 アフリカの「民族」とは何か
第2章 アフリカの民族紛争の「神話」
第3章 突出する紛争犠牲者
第4章 選挙民主主義が紛争を生み出す矛盾
第5章 ナイジェリアの宗教紛争
第2部 ジェンダーから見るアフリカ
第6章 アフリカの女性と「人間の安全保障」
第7章 女性だけが背負う重荷
終章 立ち上がる草の根の人々とその声
その無惨なゴリラの死体はディジットだった。頭と腕が「戦利品」として切り取られた身体は、まるで血染めの布袋のように、力なく茂みに横たわっていた。
この衝撃的な死体を見つけたのは、イアン・レドモンドと地元のレンジャーだった。彼らは、アンテロープ(レイヨウ)の密猟者が仕掛けたわなに掛かってズタズタに切り裂かれた死体につまずいたのだ。悲しみと恐怖で困惑したイアンは、気を取り直してから森の別の場所いた私を探しに出た。私は、中央アフリカ、ルワンダのヴィルンガ山脈にあるベースキャンプを拠点に、危機的状況にあるマウンテンゴリラを調査していた。ゴリラの保護と調査を両立させようとしていたのだが、その志は優れた調査助手であるイアンも同じだった。
私は長年にわたってマウンテンゴリラと生活を共にしてきたが、この惨殺事件は最も悲しい出来事の1つだった。マウンテンゴリラは、いまではわずか220 頭ほどに激減してしまっている。20年ちょうどで半減したのである。ディジットは、私が調査対象としていた、人に慣れているゴリラの中でもお気に入りの1 頭であり、私は自然に「愛しのディジット」と呼んでいた。
そしていま、悲しみを超えて怒りがこみ上げてきた。この虐殺を行った密猟者たちへの激しい憤りである。だが、密猟という行為はマウンテンゴリラを絶滅寸前まで追いやった多くの要素(人間の侵入、無秩序な開墾、違法な捕獲、観光客の存在)の1つにすぎない。
1977年のディジットの事件は本当に悲劇だった。しかし、このような悲劇を埋め合わせてくれる貴重な経験も数多くあり、それらの経験を通してゴリラに対する理解をさらに深めることもできた。
素晴らしい出会いの1つは1972年の終わりにやってきた。この調査を始めて6年目に、新しい「恋人」が私の前に登場したのである。彼は気難しいグレーのシルバーバックであり、グループ5(キャンプの近くに生息していたゴリラファミリー)の活動範囲に現れた好感の持てる放浪者だった。
調査助手の1人が私のところへ駆け込んできて、「単独行動のシルバーバックです。年をとっています」と言った。雄ゴリラは、11歳から13歳のころに背中の毛が灰色から銀色に変化し、シルバーバックと呼ばれるようになる。
私は「そんな馬鹿な。年をとったシルバーバックが単独で移動することはない。常に自分のグループと一緒に行動するはずだ」と答えた。
私は、後にナンキーと呼ばれるようになるこのゴリラは、グループ5では下っ端の若いシルバーバックにすぎないだろうと確信していた。そういった類のシルバーバックは、育ったグループから独立して、外の世界で雌を勝ち取り、独自のファミリーを形成しなければならない。
しかしその考えは間違っていた。ナンキー(30代半ばと推定)はまったくの新参者だったのだ。彼は私たちが持っていた鼻紋(鼻孔の上にある線状の刻み目)のスケッチや撮影した写真のどれにも一致しなかった。
ナンキーの登場が端緒となり、私の調査も調査対象のゴリラのグループも、万事うまく回り始めた。彼のおかげで、ゴリラがグループをどのように形成し、大きくしていくのかということについての数々の疑問が解け始めたのだ。単純なグループ間の移籍から、子殺しという残酷な行為に至るまで、謎に包まれていたゴリラの行動に光が当てられることになったのである。
私は13年間、ルワンダ、ザイール(現コンゴ民主共和国)、ウガンダの国境の一部となっているヴィルンガ火山群の霧深い山麓で、マウンテンゴリラと共に暮らした。ビソケ火山の標高3000メートルにある森では、キャンプの周囲25平方キロに及ぶ調査エリアにおいて、最大の類人猿であるマウンテンゴリラのいくつかのグループが私の存在を受け入れてくれている。
この調査はナショナルジオグラフィック協会が一貫して支援してくれており、既に初期段階で1つの発見があった。私がゴリラの真似をしたら、力強い反面、内気で優しい彼らは、私の敬意を受け入れ、反応してくれたのである。私は彼らから、胸の掻き方や毛繕いの仕草、そしてドラミングの仕方を学んだ。私はゴリラの発声を真似て(わめいたり、うなったり、ゲップをしたり)、彼らが食べていた葉を一緒にむしゃむしゃと食べ、地面に付くほど低い姿勢を保ち、動作をゆっくりと行った。つまり、彼らが私に対して興味を示したときに取る行動を、私たちも彼らに示したのである。
その見返りは、ゴリラの行動に関する新しい知識という点で、私の期待を上回っていた。私は、ゴリラがとても知的で社交的な動物であることを理解するようになったのである。父親は母親から赤ん坊を奪い取るようにして毛繕いを行う。年老いた雄ゴリラが茎の長い花で幼いゴリラを撫でているところも見た。
一方、心が闇で閉ざされるような出来事も数々あった。密猟者に殺され五体を切り離された友人のゴリラたちを埋葬しなければならなかった。また、人間の侵入がマウンテンゴリラ(学名Gorilla gorilla beringei)の種の存続をいかに脅かしているかを目の当たりにした。人間は、当時すでに希少亜種とされていたマウンテンゴリラの生息域を、いまやヴィルンガ山脈周辺のみに追い込んでいる。
私の調査エリアでは、助手が何代にもわたってフィールドオブザーバーとして私を助けてくれているが、そこに暮らすゴリラたちの各ファミリーは、長い年月をかけてそれぞれの異なる運命に向かって進化していった。ナンキーは、影響力のある新たなグループを形成した。それは、私たちがこれまで観察し、単純に番号で識別し、調査してきた36のファミリーのうちの1つである。成熟途上のアンクル・バートが率いるグループ4 は、実質的な消滅に追い込まれるほど多くのメンバーが死んでしまった。高齢で経験豊富なベートーベン率いるグループ5はメンバーの損失と獲得を釣り合わせ、グループ安定化の好例となる団結を見せた。
最初に知る必要があるのは、各ゴリラグループの系図をはっきりさせることが私の調査にとってきわめて重要だということだった。グループ間の移籍、誕生と死、序列の変化という個体数動態の事象が、グループの構成を絶えず変化させてゆく。このように登場人物が流動的であることの理由を理解することが研究の主要な目標であるわけだが、名前と数がシャッフルされることで状況が複雑になることもある。
前述の通り、ナンキーはグループ内で個体数がどのように変化するのかについて新たな観点をもたらしてくれた(個体数は5頭から20頭の範囲で変化した)。調査エリアでの最初の1カ月間で、ナンキーはベートーベンのグループ5から若い雌を奪い取り、それから数週間後に彼はその雌を放り出している。次の数カ月の間に、正体不明の放浪者(ナンキーが疑わしい)がグループ5からさらに3頭の雌を奪い取っており、加えて暴力的ないざこざの最中に1頭の赤ん坊を殺したと考えられていた。
約1年後、グループ4を支配しているシルバーバック、アンクル・バートが未熟であることにナンキーは気づいたようだった。ナンキーはアンクル・バートのファミリーからパプースとペトゥーラという2頭の雌をさらった。彼女たちは現在もナンキーのファミリーにいる。ペトゥーラは、グループ4の中で序列が最も低い雌で、最初の子アウグストゥスを産んで以来アンクル・バートから性的な意味で無視されていた。
シルバーバックは、序列が高く年上の雌を優先して、低位の雌を無視することがある。ペトゥーラは、たしかにグループ4では繁殖期を無駄にしていたのかもしれない。そしてもし私が野生のゴリラについて何かを学んだとするならば、それは自然の繁殖サイクルへの介入を警告する体内(本能)時計によって、彼らが見事にコントロールされているということである。
ナンキーはすぐにペトゥーラと交尾を行い、11カ月後、ビソケ地区の調査エリアでナンキーが父親になった最初の子ども(雌)がペトゥーラによって産み落とされた。10カ月後には、今度はパプースがナンキーの2番目の子ども(雄)を産んだ。新しいファミリーを築く過程で、ナンキーはちょうど8年の間に、少なくともほかの3つのグループから奪った6頭の雌に6頭の子どもを産ませている。
そのハーレムと背負う責任が大きくなるに従って、ナンキーはビソケ火山の高いところで多くの時間を費やすようになっていった。そこはエサが豊富な場所ではなかったが、ビソケ火山とカリシンビ火山の間の肥沃な鞍状地にあるより上等な土地は、昔からのグループが先に占有していたのである。そしてこの傾向は、慎重なパトロールで密猟が減少し、開墾や放牧といった人間の侵入に対する抵抗が大きくなるにつれ、ますます強くなっていった。標高の高い場所を、ナンキーのグループは安心できる行動圏として固定した。それは、ファミリーグループの安定化にとって欠くことのできないものだ。
ナンキーの驚くべき台頭により、さらに3つの主要なグループが私の存在を受け入れるようになった。1967年から定期的に接触していた4つのグループのうち2つは、1978年までに崩壊してしまっている。その1つグループ9は、リーダーのシルバーバックが死んだ後に分裂した。もう1つのグループ8は、私が特に大事に思っていたラフィキという高齢のリーダーの死が原因で崩壊している。
子殺しは必要かもしれない
グループ8の崩壊で、子殺しという悲惨な習性が注目されるようになった。トップ格の雌ココが死に、ラフィキは新しいパートナーのマッチョとの間にソアという雌の子ゴリラを授かった。ラフィキは、ソアが1歳になる前に死んでしまう。この年寄りの雄ゴリラ、ラフィキは、シルバーバックの息子ピーナッツも残している。このピーナッツは、マッチョと幼い異母妹を保護しながら父親の地位を引き継ごうとしていた。しかし、グループ4とのいざこざの中で、ソアはアンクル・バートによって殺されてしまったのである。
犠牲者は通常、ひと噛みで頭骨を激しく砕かれ、同時に鼠径部の下部を深く噛まれることによってほぼ即死してしまうが、ゴリラがゴリラを殺すという行為は考えるだけで恐ろしく、当時の私には受け入れがたいものだった。それでもいまは、子殺しというのは雄が自分の血筋を残すためにとる本能的な手段であり、別の雄の子を殺して、犠牲となった子の母親と新たに子どもを作るのが目的なのだと私は信じている。場合によってこの戦略は、適度な異種交配を維持するために必要だと思われる。このような子殺しが原因で、13年間で生まれた38頭の子どものうち6頭が死んでいる。
ラフィキのパートナーのマッチョは、5カ月間ピーナッツと一緒にいた。その後、ピーナッツとアンクル・バート(グループ4を支配するシルバーバック)との激しいいざこざの後、マッチョはアンクル・バートと連れ添うようになる。ピーナッツは、滅ぼされたグループ8 からの唯一の生き残りとして放り出されてしまった。
まるでグループ8の崩壊が十分な損失ではなかったかのように、すぐにグループ4が全滅した悲劇は、グループ崩壊の教科書に載るような事例を提供してくれた。アンクル・バートというリーダーがいて、ディジットとタイガーという2頭の若い雄が補佐しているグループ4 は、もう1頭の雄ビーツミを受け入れた。これは、記録に残された最初であり、いまのところ唯一の雄ゴリラのグループ移籍である。一人前のシルバーバックになろうとしているディジットは、成熟した雌シンバ2世を妊娠させた。ディジットはアンクル・バートがグループを守るのを補佐し、この2頭のシルバーバックの相性は良かった。アンクル・バートにより近縁のタイガーという存在が、ディジットがグループを支配するシルバーバックになることの妨げになるだろうが、私としては、自分が必要とされている限りディジットがグループ4を放棄することはないだろうと考えていた。
1977年の大晦日の昼間まで、ディジットは実際に必要とされていた。自分の出身グループの監視役として、ディジットは6人の密猟者とその猟犬を撃退したのである。密猟者たちは、ビソケ火山の西側にある鞍状地で、アンテロープ用に設置していた一連のわなの最後のところで偶然にゴリラたちと出くわしたのだ。ほかの13頭のメンバーを逃がしながら、ディジットは5カ所の槍傷を受けた。なおかつ、激しい自衛の戦いの中でも、彼は死ぬ前にグループのことを考えて密猟者の猟犬を1匹殺そうとしていたのである。
アンクル・バートは、避難するグループをビソケ火山のふもとの安全地帯に連れて行った。血まみれの密猟者たちはその場に残って自分たちの勝利を祝った。
イアン・レドモンドがディジットのバラバラ死体を見つけた後、私たちは密猟者の1人を捕まえた。彼は、仲間5人の名前を明かし、そして2人を除く他のメンバーは刑務所行きとなった。
私にはいまでもディジットの死が悲しい。ビソケで私が過ごした最初の10年の間に、私たちが調査しているグループの中で密猟者に殺されたのは彼だけだった。優しく無邪気で誠実なディジットは、私の小屋の前の土に眠る思い出になってしまった。彼は自分の唯一の子、ムウェルを見ることなくこの世を去った。
シンバ2世とフロッシー(アンクル・バートのハーレムの年上メンバー)は、数週間をおいてそれぞれ雌の赤ん坊を産んだ。シンバ2世とディジットの子どもに与えられたムウェルという名前は、「かすかな輝き」という意味を持つ現地の言葉に由来する。
ディジットの死後、グループ4にとっては平和な夏の日々が過ぎていった。子どもたちは大きなハゲニアの木々の中を跳ね回り、大人たちは真っ青な空の下でうたた寝したり、日向ぼっこをしたりしていた。パトロールが強化されたおかげで、この数カ月間、私たちは密猟者の痕跡を見ていない。
しかしその牧歌的な光景は、既にダメージを受けていたゴリラの個体群に永続的な影響をもたらす悲劇によって、突如終わりを迎えてしまったのである。アンクル・バートとそのパートナーであるマッチョが、密猟者たちによって射殺されたのだ。彼らは3歳の息子クウェリの守ろうとしていたところだった。そのクウェリは、捕まえようとする密猟者たちによって肩を打ち抜かれていた。クウェリは、グループの生き残った者たちとともにタイガーに導かれてビソケ火山のふもとまで逃れた。
総括するとその内容は残酷だ。調査の期間全体で、定期的に接触した80頭のゴリラのうち6頭が密猟者によって殺されている。しかし、ヴィルンガ山脈全体で収集された64体の骨格標本が示す証拠に基づけば、すべての死の3分の2に密猟者が関与していることが疑われた。
外部の圧力に脅かされる類人猿
マウンテンゴリラは、カリソケ調査センターのあるルワンダの火山国立公園の中で法的に保護されている。しかしながら人口過密のルワンダでは、より多くの農地や食用肉が絶えず求められているのが現状だ。公園の範囲は削減されており、保護区やその野生動物への圧力は容赦なく続いている。
ゴリラ保護を支援するための資金が多くから寄せられている。しかし残念ながら、そうした資金に関する不正が目に余る形で横行しているのだ。ある地方の役人は、ゴリラを殺害し、それを「実例」として取り上げ、来訪した自然保護論者からの同情による資金提供を引き出すように指示されていたのではないかと言われている。
慣習と周囲の状況が、密猟者のゴリラ殺しの動機を複雑にしている。密猟者は、アンテロープやバッファロー用に仕掛けたわなで若いゴリラを意図せずに捕獲することがある。またある時は、バッファローやゾウの狩猟をする際にハシシで気持ちを高め、その状態でゴリラに遭遇すると、殺戮自体を目的として「獲物」を殺すこともある。時には、外国の動物園で展示するためや、地元の白人のペット用に若いゴリラを捕獲することで報酬が約束されている場合もある。
ゴリラの真の友人の1人、ルヘンゲリの保安官ポーリン・ンクビリ氏は、ゴリラの頭骨、手、および足を土産物として販売する慣習を厳しい罰を以って終わらせた。ンクビリ氏は、保護法に違反した者は黒人も白人も公平に処罰している。
アンクル・バートの死後、グループ4はシルバーバックのリーダー不在ではまとまりのある社会単位として群れを維持できなくなった。孤児となりべそをかいている、負傷したアンクル・バートの遺児クウェリはしだいに衰弱していった。リーダーの役割にトライできる状態のタイガーは、クウェリの最後の苦しい数週間、一緒に巣にこもっていた。親の殺害から3カ月後、クウェリは銃創の合併症と(私が考えるに)深刻なうつ病が原因で死んだ。彼が埋葬されたのは、ディジットの隣に横たわる母親と父親の間だ。実際のところ、その3頭の成熟したゴリラはクウェリを守ろうとして死んだのである。
グループ4のリーダーシップをめぐる争いは終わっていなかった。タイガーは、移籍してきたビーツミの挑戦に対抗できるだけの体格を持っていなかったのである。12歳という年齢で、性的に成熟してからまだ1年しか経っていないにもかかわらずグループ最高齢のシルバーバックになったビーツミは、縮小傾向にあるアンクル・バートのファミリーを絶対的に支配しようとしていた。私たちは、ビーツミの攻撃をつぶさに見ていた。体当たりしたり、叩いたり、噛みついたり、つかみ合ったりする彼の攻撃はフロッシーに集中していて、とりわけ彼女の生まれたばかりの赤ん坊フリトに向けられていた。アンクル・バートの子を殺すことで、フロッシーが発情期に戻り、彼自身の将来の繁殖に対応できるようになることをビーツミは気づいていたのだろうか。
そして「ギリシア悲劇」が展開された。ビーツミが、アンクル・バートの死からわずか22日でフリトの殺害を成し遂げたのである。これは、ビソケ地区で4 番目に有名な子殺しである。フリトの死から2日後、ビーツミはフロッシーからの誘いで彼女と繁殖を始めた。これは、グループ内での敵対的ないざこざを減らそうとするフロッシーなりの方法だったのである。しかし、若く未熟で血縁もないため、ビーツミはグループ4のリーダーにはなれない運命だった。
危機を乗り越える
私たちは、ビソケ火山とカリシンビ火山の間の鞍状地にあるゴリラのお気に入りの採食場所を、密猟者がいないかどうか定期的にくまなくチェックし、狩猟用のわながあればすぐに壊していた。ある日の午後、イアン・レドモンドとルワンダ人のレンジャーはキャンプへ戻ろうとしたときに、3人の密猟者が若木を切ってわなを仕掛けているのを見つけた。そこでイアンとレンジャーは、すぐに密猟者の視界から姿を隠した。密猟者が離れた後に、すべてのわなをこっそり破壊しようとしたのだ。
突然、彼らが隠れている小山の上に3本の槍の刃が小刻みに揺れているのが視界に入ってきた。そこでイアンは、その3人の密猟者たちに自分の存在を知らせるために立ち上がった。すると、まるでわなにかかった動物が本能的に反撃するかのように、密猟者の1人がマチェーテ(大型のなた)を振りかざした。そして次に彼は、マチェーテの先についた槍をイアンの心臓めがけて突き刺してきた。何の武器も持たないイアンは、心臓を腕でかばった。それは昔テレビのカンフー番組で見たポーズだったという。この防御によって心臓は守られたが、彼の左手首は槍をまともに受け止めていた。その密猟者は仲間と一緒に逃げていった。
危地に立つマウンテンゴリラ
イアンとレンジャーは、まず傷に包帯を巻き、それからわなを壊してキャンプに戻った。イアンは治療のためにルヘンゲリに行き、その後、追加治療を受けるためにイングランドへ向かった。彼の手首は後に回復している。
このようなことがあったため、私はわなの破壊をやめるようルワンダの役人から助言された。ゴリラが再び鞍状地を占有し始めたこともあり、私はこの忠告に仕方なく従った。
暴力と再調整のこの全期間を通じて、長期的な調査の利点がどんどん明らかになっていった。私がゴリラのグループを調査してきた13年間は、包括的なように見えて実は非常に限定的のものだった。調査を始めるずっと前から長い時間をかけて進化してきたグループ構造のメカニズムについて、調査の中でさまざまな疑問が生まれ、その疑問への回答が提示されてきたのである。
本題は非常に興味深いものである。人間の介入とゴリラ自身の行動パターンは、私が現場に来たときには既に定着していた特定のグループ構成を作り上げるために、過去にどのような役割を果たしたのだろうか。たしかに、私たちの調査では、野生ゴリラの行動範囲に人間が侵入することによって、驚くべきペースで社会の変化が加速し、なおかつ拡大していることが実証されている。
1978年の末までに、かつ1年という期間で、若いタイガーとタイタス(それぞれ11歳と4.5歳)だけを、若いシルバーバックのビーツミと共に残して、リーダーのいないグループ4は滅びてしまった。彼らは驚くべきことに、単独行動のシルバーバックである元グループ8のピーナッツと行動を共にするようになったのである。このピーナッツは、グループ4の再編成を始めるに当たって周辺のグループから雌と子どもをそれぞれ1頭ずつ集めた。
実際のところ、グループ4は最悪の状況から2年以内に不安定ながらも再生されている。そしてピーナッツが、新しい集団のシルバーバックリーダーを務めることになったのだ。
グループ4は、その再建のために新しい血を必要としていた。そしてそのことで思い出されるのは、1980年の1 月1日のことだ。あの日、密猟者から押収した、生きてはいるが衰弱している若いゴリラがポテトバスケットに入って私のところに運ばれてきたのである。その密猟者は、不正に捕まえたゴリラを1000米ドルで売ろうと思っていたが、刑務所に入ることになってしまった。
後にボーン・アンネと呼ばれるその若い雌ゴリラが健康を取り戻すまでの数週間、彼女は私の小屋で眠り、かなり過保護に扱われていた。しかし私はその迷子を野性に返すことに決め、私自ら木登りや森でエサをとる方法を指導したのである。
グループ4は、ボーン・アンネの里親ファミリーとして適切な選択肢だった。子どものメンバーがおらず、強い血縁もないグループ4は、ボーン・アンネに受容と安全の最高の機会を提供できたのである。
私自身にとっては、時間も行動を急がなければならない要因のひとつだった。あれは1980年の3月のことで、コーネル大学で授業を行うためにアフリカを一時的に離れることになっていたが、それが延び延びになっていたのである。
私たちとグループ4は不運に足をすくわれてしまった。ボーン・アンネを野生に返そうとした当日、グループ4は周辺の見知らぬグループとの暴力的ないざこざからいつものたまり場を放棄してしまったのだ。グループ4は興奮し、おそらくはヒステリックになって私たちを避けていたが、そうでなくてもとにかくメンバーたちは若い新参者を受け入れる状態ではなかっただろう。
次の日はグループ5に当たってみたが、これは私にとっては不本意なことだった。なぜなら、このファミリーには強い血縁と、緊密な母子関係があったからである。調査生のジョン・ファウラーに子どもを運んでもらって、私たちはグループ5が休息している場所の近くにある木に登った。
グループを支配するシルバーバックのベートーベンはボーン・アンネをじっくりと見ていたが、彼女に近づこうとはしなかった。若い雌のタックとその母親のエフィが彼女に近づくと、ボーン・アンネはジョンの腕をゆっくりと離れ、木を降りていって同じゴリラである仲間たちに加わった。
私は安堵してつぶやいた。「やはりゴリラでありたいんだ」。
ボーン・アンネとタックはしばらくの間抱き合っていた。しかしながらその後、タックとエフィの親子がこの子どもの所有権を争ってけんかを始めてしまったのである。彼女の手足を引っ張ったり、それぞれが相手から彼女を引きずって奪ったり、両方が彼女に噛みついたりした。ボーン・アンネは苦痛と恐怖から叫び声を上げていた。雨が激しく降り始めた。
私はなんとかボーン・アンネを奪い取って、木の上にいたジョンに手渡した。だが驚いたことに、この少女はすぐに再びタックとエフィのところに降りていって、ゴリラとして自由に生きていくことを決心したのである。しかし、2頭の雌とシルバーバックのイカルスが、猫とネズミの追いかけっこにも似た拷問を再開した。
イカルスによって雨にぬれた斜面を引きずり下ろされたり、落とされたりして打ちのめされたボーン・アンネは、私たちのいる木のところまで弱々しく這いつくばってきたので、私は彼女を再びジョンに引き渡した。彼は着ているレインジャケットの下に彼女を隠した。その後、なんとイカルスが木を登り始めたのだ。びしょぬれのブーツを突き抜けてくるイカルスの熱い息の感触を、私は決して忘れないだろう。彼は、上にいる2人の人間を見て動きを止めた。
イカルスとタックのせいで、私たちは1時間も身動きがとれなかった。最終的にいじめっ子たちは、採食に向かったグループについて行って視界から消えた。私たちは、ボーン・アンネと一緒にキャンプへ逃げ帰った。彼女の傷は大したものでないことがわかった。
孤児は居場所を見つけた
私は、ボーン・アンネの運命が決まらないままアメリカへ向かわなければならなかった。しかし、すぐに喜びに満たされることになる。目標が達成されたことを伝える手紙が届いたからだ。キャンプの調査生であるスチュワート・ペリミターが、ベルギー人の公園アドバイザー、ジャン・ピエール・フォン・デル・ベックと共に、どのようにボーン・アンネをグループ4の採食エリアへ連れて行ったのかを詳しく説明してくれていた。ジャン・ピエールは、グループ4から出た糞を使ってボーン・アンネににおい付けをしたのである。慣れ親しんだゴリラの香りで、彼女に付いた人間の臭気を消そうとしたのだ。
スチュワートは、倒木の大枝に彼が考案した給餌袋を縛り付けた。黄麻布の袋に果物を入れ、上部に開けられた穴にボーン・アンネが頭を押し入れたときのみ、その果物を取り出すことができるようにしていた。
ボーン・アンネは頭を袋に突っ込んで、パイナップルとバナナのぶつ切りを食べ始めた。スチュワートとジャン・ピエールが視界から消え、ボーン・アンネが一度鼻を鳴らすと(果物がなくなって自分が独りだと気づいたに違いない)、グループ4のメンバー全員がその子のところへ近づいていった。
危地に立つマウンテンゴリラ
1時間経ってスチュワートとジャン・ピエールが戻ってみると、それまでグループの最年少だったタイタスとボーン・アンネが一緒に遊んでいるのがわかった。3フィート離れたところで、シルバーバックのピーナッツがこの一部始終を見守っていた。
ボーン・アンネが人間の友人である2人を見つけ、そちらへ向かって斜面を降りてくると、ピーナッツが立ちはだかって威嚇してきた。それはまるで、「この子はいまはグループ4のメンバーだ」と言っているようだった。
かくして、捕獲されたゴリラを野生に戻そうというまったく初めての試みは成功したのである。
ベートーベン、グループ調和の鍵
グループ4が崩壊寸前だったのとは対照的に、グループ5は優れて安定的なファミリーの勇気づけられるような例である。グループを長く維持していくためには、力強いシルバーバック、若い雄からのサポート、および定期的な繁殖を実現できる十分な数の雌が必要だ。
ベートーベンという年老いたシルバーバックの安定したリーダーシップの下、13年間にわたって32頭のゴリラがグループ5に所属してきた。現在13頭いるメンバーのうち5頭は、私が1967年に初めて出会ったときからこのグループに属している。
誕生、死、移籍、シルバーバックの離脱、そして1頭の失踪に起因するメンバーの増減にもかかわらず、このグループはその拡大に雌の移入を必要としなかった。これは、グループが安定している証拠である。
年老いたベートーベンは、推定40年間グループを率いてきた後、息子のシルバーバックであるイカルスの精力的なバックアップを受けるようになった。ほかのグループとの間に起こる暴力的な衝突によって、ベートーベンは重傷を負うことが何度もあった。そのせいか、彼はトラブルを避ける癖が付いたようだった。言い換えれば、公然と逃げるようになったのである。それに反して血気盛んなイカルスは、常にすべての挑戦者に力で対抗しようという気力に満ち、その持続的な叫び声や胸のドラミングでグループ5に対する注目を集めていた。
親子の関係は、12歳ごろにイカルスが性的に成熟するようになるまでは調和がとれていた。この段階に達すると、イカルスのような従属的な雄には年上の雌と交尾を試みようとする行動が見られなくなる。そのような雌は、グループを支配するシルバーバックが「所有している」からだ。しかしベートーベンが衰弱するに従って、毎月の年長の雌が発情するころには親子の間で敵対心が強まっていった。ブタの鳴き声によく似たとげとげしくイライラしているような発声と突進が、グループ内で多くの軋轢を生んだのである。
イカルスの直面する問題は年々大きくなっていった。もし彼が生きていたら、間違いなく、ベートーベンが死んだときにグループ5のリーダーシップを継承していただろう。だから彼がグループを去ることは考えられなかった。とはいえ、性的に成熟してからの最初の3年間で、イカルスは大人の雌とは1頭か2頭としか接触を許されていない。しかしその一方で、比較的若い大人の雌との間には2頭の子をもうけている。彼の父親であるベートーベンは雌10頭のハーレムを過去13年間率いていて、そのハーレムから20頭の子が生まれ、そのうちの10頭がいまも生きている。
このような繁殖についてまわる限定的な役割を、イカルスがあとどのくらいの年月受け入れなければならないかということは、ベートーベンの余命とベートーベンが自分のために確保できる雌の運命にかかっていた。間違いなく、エフィとマルチェッサという最も年を取っている2頭の雌と交尾する権限は、ベートーベンはイカルスに明け渡さないだろう。
したがって、予期しない強烈な出来事がこのバランスを崩すまで、繁殖ということに関してイカルスはグループの比較的若い3頭の雌、あるいはほかのグループから獲得してきた相手に頼らなければならなかった。
ベートーベンのグループ内で最年長の娘であるパンツィーは、9歳と半年でベートーベンの子であるバンジョーを産んでいる。そのバンジョーは6カ月で姿を消してしまった。私は殺されたのだと思っていたが、糞から集めた骨のかけらから判断すると、ファミリーのほかのメンバーによってその一部分は食べられた可能性も考えられる。
パンツィーはその後ほとんどすぐに、イカルスと交尾をするようになっている。そして1年後に、パンツィーはイカルスの最初の子である雌のムラハを産んだ。ムラハという名前は、ザイール(現コンゴ民主共和国)の国境地帯で噴火した新しい火山にちなんで私が付けた。その火山はすぐに勢いをなくしたが、ムラハは違った。その誕生の日から、彼女の生命力、発育、俊敏さ、そして用心深さは尋常ではなかった。その輝く瞳は、「世界のみんな、いまそっちへ行くよ」と言っているように見えた。
グループ5は浮き沈みを乗り越えながら甘んじて居場所を転々と移動し、微妙に2つの小さなグループに分かれていった。年長の雌エフィとその血縁4頭、そして同じくマルチェッサとその血縁3頭という2つである。このような分団化は、ゴリラのファミリーという単位内で軋轢を緩和するのに役立つ。
エフィとその若い子どもたち(パック、タック、ポピー)は愛情の深い4人組である。8歳のパックは、早い段階から、常に観察している私たちとその奇妙な機材に異常に強い関心を示していた。パックの不屈の知的好奇心から数メートルの位置にあるレンズ、フィルムのカートリッジ、三脚、バッテリー、そして照明を守るために、カメラマンの手足はタコのように動いていた。
この若いゴリラは、長いレンズを望遠鏡や顕微鏡にでも使うつもりだったのだろう。私たちの触れ合いの多くは、持ち去られた撮影機材を私が取り返そうと探していたことから、まるでイースターエッグ探しのようになってしまうのが常だった。
パックは、好奇心が強いだけでなく優れて大胆でもあり、ずっと雄だと「認識」されていた。雌ゴリラや子どものゴリラに対するマウンティングの真似事を、私たちは何度も見たことがある。この若い成体のゴリラの犬歯はまさに雄そのものの成長を見せ、後頭部の毛はかすかに銀色がかっていた。
しかし10歳の時に、まだブラックバックのパックは雄の赤ん坊を産んだのである。その生まれたての「あり得ないもの」には、そのニュースを聞いて驚いた私が最初に発した言葉(Can't be)にちなんでキャンツビー(Cantsbee)と名付けられた。
ファミリーの階層が悲劇を引き起こした
イカルスとベートーベンの親子関係は、いまや新しい展開を見せている。悲劇的なニュースが届いたのは、ちょうど8カ月前のことだった。ベートーベンの昔からのパートナーであるマルチェッサが殺されたというのだ。悲しいことではあるが、ゴリラのファミリー階層にある厳格なルールに照らしてみれば、それは理解できることであり、同時におそらくは避けられないことでもある。
私が去った後にカリソケ調査センターを管理している調査生ピーター・G・ファイトとジョン・ファウラーが、マルチェッサの死とイカルスが果たした役割について、アメリカにいる私に手紙で教えてくれた。ピーターがその出来事を詳しく説明してくれている。どんなに厄介であり、どんなに不可解であろうとも、それはたしかにゴリラの血族的結び付きの強さを強く示しているのである。
とはいえ、イカルスは自分の行動をどのように認識していたのだろうか。思うに、マルチェッサを殺すとき、イカルスは自分の遺伝子を守ろうという本能に応えたのではないか。年老いたベートーベンがマルチェッサと再び子を作ることがないようにしたのである。
いまはイカルスがグループ全体を支配しており、自分の母親エフィを除けばどの雌とも自分の意志で交尾を行うことができる(当然ながらエフィとの交尾はタブーである)。
極めて骨の折れる作業になるが、カリソケ調査センターで私たちが行ったような長期的な調査には、発見という観点でも、誤った想定からいき着いた間違いを修正するという観点でも大きな報酬が待っている。キャンツビー、そしてもっと最近になって生まれたエフィの一番新しい子マギーの誕生は、生存しているゴリラの個体数を増やす上で一役買ってくれる。人間の侵入に起因するグループの崩壊が、グループの拡大と維持に関するゴリラ自身の戦略によって回避される、そういう日がおそらく来ると思われるし、少なくともそうなることを私たちは願っている。
(終わり)
cf. "Primate Visions: Gender, Race and Nature in the World of Modern Science" by Danna Haraway
アフリカ中部ルワンダからの報道などによると、6日、ルワンダの首都キガリの空港に着陸しようとしていた大統領専用機が墜落、炎上し、同機に搭乗していたハビャリマナ大統領(57)と隣国ブルンジのヌタリャミラ大統領(39)が死亡した。現地のラジオ放送や外交筋は同機がロケット砲攻撃で撃墜された可能性があるとしている。
両大統領はタンザニアのダルエスサラームで開かれたブルンジとルワンダの部族抗争問題を話し合うアフリカ関係国首脳会議に出席、ハビャリマナ大統領の専用機で帰国する途中だった。同機には両大統領以外に10人が搭乗していた模様だが。全員死亡したとみられている。
ブルンジの国会議長によると、同機にはブルンジのシザ副首相、シンビジ青年・文化・余暇相も同乗していたという。
同機は着陸態勢に入った後、地上からのロケット砲攻撃で墜落したとみられ、テロの可能性が強い。また、同空港周辺では同機の墜落直前、重火器などの発射音がしたとの証言もある。
ブルンジでは昨年10月、当時のヌダダエ大統領が暗殺され、フツ族とツチ族による部族抗争で政情不安が続いていた。またルワンダでは昨年8月に政府とゲリラ組織ルワンダ愛国戦線(RPF)が和平協定に調印したものの、対立が続いていた。
ルワンダのジーン・ビージマナ国連大使は6日、ルワンダとブルンジの大統領が搭乗した飛行機の墜落は「事故ではなく暗殺である」と国連安保理に報告した。
国連安全保障理事会は6日、非公式協議を行い、キーティング議長(ニュージーランド国連大使)が安保理を代表して、死亡したルワンダ、ブルンジ両大統領の追悼声明を発表した。たまルワンダに展開中の国連平和維持活動(PKO)要員の安全対策見直しを明らかにした。
国連はフツ族とツチ族の紛争解決のため、1993年10月からルワンダに2500人のPKO要員を派遣している。
東アフリカ内陸で隣り合う小国ルワンダとブルンジは、ともに多数派のフツ族と少数派のツチ族からなる双子のような国家だ。両国ともこの二部族間で泥沼のような抗争が続き、特に昨年10月、ブルンジで軍部によるクーデター未遂・大統領殺害事件が起きてからは大量の難民発生などで混乱は深まる一方。今回の大統領専用機墜落事件もこの部族抗争に絡んだテロの可能性が高い。
ルワンダでは1973年のクーデターでフツ族のハビャリマナ政権が成立した。難民となって北隣のウガンダなどに逃れたツチ族が反政府ゲリラ、ルワンダ愛国戦線(RPF)を結成して、90年に内戦に突入。93年8月、国連とアフリカ統一機構(OAU)の仲介で和平協定が結ばれたが、RPFが暫定政府への参加を拒否し、約2500人の国連平和維持軍の駐留する中、対立が依然続いている。
一方、ブルンジでは少数派のツチ族が政権を握ってきたが、93年6月に行われた独立以来初の複数政党制による大統領選挙で、フツ族出身のヌダダエ大統領が誕生。しかし10月、ツチ族中心の軍部の一部がクーデターを起こし、同大統領を殺害。クーデター自体は失敗に終わったものの、両部族間の抗争が再燃し、70万人近い難民が隣国に流出するなど事態は悪化の一途をたどっている。今回亡くなったヌタリャミラ大統領はヌダダエ前大統領の後任として今年1月、選出されたばかりだった。
ルワンダではフツ族85%、ツチ族が14%、ブルンジではフツ族が84%、ツチ族が15%と、いずれもフツ族が多数派。しかし15世紀ごろ、ナイル地方から南下した牧畜民ツチ族が農耕民フツ族を征服し、土地を独占して支配層を形成した。植民地時代、独立後も、この社会構造は温存され両国近代化への最大の課題となっていた。
アフリカ最大の地域機構、OAUも、両国の紛争を重視。ルワンダ和平には積極的に仲介に乗り出し、ブルンジには自前のOAU平和維持軍の派遣を検討していた。
ルワンダの首都キガリからの報道によると、同国のハビャリマナ大統領の搭乗した飛行機が6日、キガリ空港でロケット弾攻撃を受け、墜落、炎上した。飛行機には隣国ブルンジのヌタリャミラ大統領も同乗しており、両大統領とも死亡した。両大統領は、ルワンダやブルンジで激化しているツチ族とフツ族間の抗争収拾策を協議するためタンザニアのダルエスサラームで開かれたアフリカ関係国首脳会議から帰国するところだった。
ルワンダ当局者は「大統領機は着陸直前、激しい砲撃を浴び、少なくともロケット弾1発が命中、墜落、炎上した」と述べている。砲撃したのが何物かは不明だが、これより先、「キガリ市内では軍用車が走り回り、散発的な銃声音が聞かれる」との情報も流れていた。
ハビャリマナ大統領はフツ族出身で、1973年のクーデターで政権を掌握した。少数派のツチ族を主体とする反政府ゲリラ組織「ルワンダ愛国戦線」(RPF)と内戦状態にあったが、その終結のために約束した新政府、議会の設置が遅れ、RPFから激しく非難されていた。
また、ブルンジでも昨年10月のクーデター未遂事件をきっかけに部族抗争が激化、数万人が殺害されたと伝えられる。推定80万 100万人の難民が発生、近隣諸国に流入している。
国連安全保障理事会は6日非公式協議を行い、キーティング議長(ニュージーランド国大使)が安保理を代表して、死亡したルワンダ、ブルンジ両国大統領の追悼声明を発表した。またルワンダに展開中の国連平和維持活動(PKO)要員の安全対策見直しを明らかにした。議長は「(両国が抱える民族紛争の)深刻な情勢を考えると、悲劇は一層大きい」と述べた。
ハビャリマナ大統領に続き女性首相のユウィリンジイマナ氏も殺害された中部アフリカ・ルワンダの首都キガリでは八日、軍強硬派の戦闘に加え、和平協定を締結していた反政府組織「ルワンダ愛国戦線」(RPF)も政府軍への攻撃を開始し、全面内戦に再突入する事態となった。国連監視団は「和平協定は死文化した」としている。
キガリからの報道によると、同首相を殺害した多数派フツ族強硬派の大統領警護隊とこれに応戦する治安部隊との間で戦闘が激化。これまで静観していたRPFも政府軍との戦闘に入り、首都は全面内戦状態となっている。過去二十四時間に数百人の死者が出た模様だ。
ルワンダでは多数派フツ族政府と少数派ツチ族ゲリラRPFとの間で内戦が続いていたが、昨年八月に和平協定に調印。同十月に国連平和維持活動(PKO)監視団の展開が始まり、双方和解のうえでの連立暫定内閣発足の予定だったが、いまだに発足していない。
背景には、同協定内容の(1)兵力合体で政府軍六対RPF軍四の比率(2)新内閣閣僚ポストで同十五対五の比率(3)新議会議席で同七十九対十一の比率−−などを「RPFに譲歩し過ぎ」とするフツ族の不満がくすぶっていた。ハビャリマナ大統領とユウィリンジイマナ首相は同協定調印推進の立場にあり、これを不満とする軍内部の強硬派が決起したと見られている。
しかし、軍強硬派の決起をきっかけにRPFが戦闘に加わったことで、国連が積み重ねてきた和平努力は一気に崩壊しつつある。キガリには現在二千五百人の国連PKOが展開しているが、国連筋は「現時点で国連PKOの介入は難しく、通常の市街パトロールが精いっぱい」としている。
ルワンダとブルンジ両国はともにフツ族が多数派を占めるが、十五世紀に北部から南進してきたツチ族は領土支配を強め、少数民族でありながら「ツチ族=地主、フツ族=小作農民」の社会構造を作り上げた。
キガリからの情報によると、騒乱状態の続くルワンダで八日、イエズス会などカトリック教会の修道士、修道女ら少なくとも二十二人が、大統領警護隊とみられる兵士に殺害された。同警護隊はフツ族強硬派からなり、部族間抗争の激化から、かつてツチ族による支配を支持していた教会聖職者らを襲ったとみられる。 またキガリで働く援助機関のメンバー数十人も同日、大統領警護隊とみられる部隊に殺害された。
ナイロビで傍受したルワンダの反政府勢力ルワンダ愛国戦線(RPF)地下放送は11日夜、数百人のRPF部隊が首都キガリに突入したと報じた。キガリの国連当局者によると、11日には自動小銃の音が市内に響いており、ルワンダ政府軍とRPFゲリラとの戦闘が首都で始まっていることを示唆している。ルワンダ情勢は、内戦が始まった1990年以来、初めて首都攻防戦に突入した模様。
ベルギーのデハーネ首相は11日の議会証言で、アフリカ中部・ルワンダの国連平和維持活動(PKO)部隊に派遣している同国の要員約450人の撤収を検討していることを明らかにした。ルワンダの首都キガリでは先週、ベルギー人の国連PKO要員1人が殺害されている。
【ヨハネスブルク4日福井聡】ルワンダの反政府勢力、ルワンダ愛国戦線(RPF)は4日、首都キガリの政府軍腫瘍支配地域をすべて制圧し、首都全域を勢力圏内に置いた。政府軍兵士は相次いで南部、南西部に逃走している。またフランス軍とRPFとの間で3日、軍事衝突が起きた同国第二の都市、ブタレも同日、RPFによって選挙された。フランス軍は、従来の人道支援に限った作戦から「RPFの侵攻を阻止する」指令を発令。今年4月、ハビャリマナ前大統領搭乗機撃墜事件により再発したルワンダ内戦は、フランス軍とRPFが全面対決する恐れが出てきた。
ルワンダからの報道によると、RPFはキガリへの過去2日間の激しい砲撃で国防省を占拠。また首都中心街の教会所有地に駐留していた政府軍兵士を放逐。他の政府軍地域も陥落した。同教会所有地は、少数派ツチ族数千人が多数派フツ族の政府軍に監禁されていた場所で、RPFのムガンベ司令官は「主要地域を支配した。こうしてキガリを自由に歩き回れる日をどんなに長いこと夢見たことか」と首都制圧を宣言した。
一方、南西部ザイール国境地域に「人道支援のため」と限定して展開していたフランス軍部隊司令官は同日、ブタレがRPFによって占拠されたのをうけ、ブタレから20キロのギコンゴロに駐留している100人のフランス軍部隊に「RPFの攻略を食い止め、先への侵攻を阻止せよ」との指令を出した。フランス軍の介入目的を180度転換するもので、今後、同地域に侵攻したRPFとの全面対決が強く懸念されている。
当地の国連軍事筋によると、ルワンダ内戦で首都キガリをほぼ制圧下に置いた少数民族ツチ族でつくる反政府ゲリラ「ルワンダ愛国戦線(RPF)」は4日夜までに、さらに多数派フツ族臨時政府軍に対する攻撃を激化、キガリにある政府軍本部を占拠し、首都を完全に制圧した。同筋によると、RPFは主に追撃砲攻撃で首都攻撃を激化させ、政府軍本部のほかに国防省も占拠、さらにキガリ中心部のローマカトリック教会2施設も占拠した。
ルワンダからの報道によると、首都キガリと第二の都市ブタレを制圧した反政府勢力ルワンダ愛国戦線(RPF)のカガメ最高司令官は5日、キガリで会見し、数日以内にRPFを主体とした挙国一致内閣を樹立し、その後で一方的に停戦すると宣言した。
司令官は国際社会に向け「今や(内戦での勝利を確実にした)RPFが政府であり、ルワンダ政府側がゲリラ勢力と見なされるべきだ」と述べ、新政府の早期承認への希望を表明した。
ルワンダにはRPFのほか、主要5野党の勢力が存在しており、RPFはこれらの政党幹部に新政府樹立の協力を呼び掛ける。カガメ司令官は現政権与党を挙国一致内閣に参加させるかどうかは表明しなかった。
フランスは4日、RPFが安全地帯に進撃した場合、武力で排除すると表明、介入の条件とした中立の原則から方向転換し、南西部の前線で部隊を増強するなどの動きを見せたが、5日になってミッテラン大統領が、国連が軍事介入の前面に出るよう呼び掛けるなど、介入に関してトーンダウンしている。
【ヨハネスブルク14日福井聡】ルワンダ北部のザイール国境付近で13日から50万人に上るフツ族難民が国境を越えザイール側のゴマに入り始めた。フツ族民兵が虐殺してきたツチ族を主体とする反政府ゲリラ・ルワンダ愛国戦線(RPF)が首都キガリを制圧し、さらに北部国境地域へ進撃したためで、今後数日間大量の難民の国境越えが続くとみられ、食料、水不足が深刻になっている。
ルワンダからの報道によると、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や援助団体はフツ族難民が1時間に一万人の割合で国境を越えるのを確認した。13日のみで10万から15万人がゴマに逃げ込み、14日も早朝から大量の難民流入が続いている。今後数日間で50万人に達する見通しだ。ルワンダからの難民流入があまりに激しいため、これを恐れた地元のザイール人がさらに難民化して逃げ出しているという。
現地の赤十字国際委員会は「流入する難民があまりに多すぎて収用する場所さえない。食料や医薬品など極度に不足しており、どう対処してよいか分からない」とお手上げの状態だ。
RPFは首都キガリを制圧した後北上し、14日には北部のルエンゲリを押さえ、さらにザイール国境のギセニへ追撃中だ。旧政府軍はギセニを抵抗拠点としていたが、同地にいた旧政権の閣僚はすでにザイールへ逃亡した模様で、戦火を恐れたフツ族難民たちも一斉に移動を始めた。
RPFが暫定政権の首相に指名したトワギラムング氏は14日、ベルギーからキガリに戻り、近く新政権の陣容を発表する見通しだが、いまのところ難民流出への対応は何も提示されていない。
◇「祖国防衛」の側面薄れ、軍関係者の不満残るが…
「空輸回数は六百四十六回、搬送済み物資総計一万一千トン、内容は食糧、医薬品、浄水機器、毛布、トラック……」。米国防総省に特設されたルワンダ救援デスクに問い合わせると、電話の向こうから疲労感を漂わせながら、淡々とした答えが流れてきた。「空輸が本格化したのは五月二十二日だが、我々は空輸第一便をいち早く五月十一日に飛ばした。緊急事態は一段落しており、派遣部隊千九百人(八月末現在)は徐々に削減する」と担当報道官のシムス中佐。米軍の努力が十分に報道されていないという不平が、言外にジワリとにじみ出た。
米国務省によると、ルワンダ救援作戦の経費はこれまでに約一億五千百万ドル。クルド人救援、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ市民らを対象にした空中投下、ハイチ、キューバ難民救助 。冷戦終結後の米軍の作戦行動は、核ミサイルやハイテク兵器を連ねた伝統的な戦闘準備よりも、人災・天災などに対する地味な災害救援に駆り出される例が増えたのが特徴だ。
そのせいか、三軍の一部にも「我々は国際赤十字の予備軍でもなければ、救世軍の超大国版でもない」との不満が顔を出すようになり、ルワンダ作戦では「何かにつけて米国が主役に押し出される事態の改善が必要」(シャリカシュビリ統合参謀本部議長)といった発言が目立っている。
それでも米国に関する限りルワンダ救援は大きな成功を収めており、惨たんたる失敗に終わった昨年のソマリア出兵とは際立った対照にある。その陰で軍関係者にくすぶる不平を詰めていえば、「本来の使命である祖国防衛戦争の準備」という側面が大きく薄れ、国際的災害救援という「末節的使命」がますます正面に出てきたということだろう。
◇ポスト冷戦時代の新たな使命との評価も
ルワンダ経費の約九割は通常の国防予算から支出され、災害救援用に議会に要請した特別枠(三億ドル)も議会の反対で実現していない。財政面でも災害救援は出超気味で、国防総省は間接的に一部のハイテク兵器開発計画を中止せざるを得なくなったほどだ。
だが、現場や幹部らの不満とは別に、こうした形で「世界唯一の超大国」の誇る戦略規模の作戦能力が生かされることを高く評価する意見もある。ルワンダで発揮された救援能力について「ポスト冷戦時代の米国の新たな使命として定着し始めている事実が重要だ」とオルブライト米国連大使は指摘する。昨年、米陸軍の初級作戦教本には「非戦争型の作戦任務」という新章が追補され、災害救援の基本心得を教育するようになった。
米国にとって、軍の使命や国連活動の強化、個別国家の役割分担をめぐる論争が今後も長く続くのは間違いない。とはいえ、「まず行動」のルワンダ空輸を実践した米国流哲学と、国際「貢献」の在り方にこだわって後れを取った日本の姿勢には大きな違いがある。=つづく
◇各国のルワンダ支援
ルワンダ支援をめぐっては、約60カ国の代表が集まり8月初め、ジュネーブで支援会議を開催。これに基づき、米国のほか、英国なども救援部隊を派遣。ルワンダ国内から撤退した仏軍も数百人が周辺国にとどまり救援活動に従事している。ドイツは救援機3機や浄水機器を提供、オーストリアも同様の支援を行っている。
[虐殺の果てに]ルワンダの悲劇/6止(外信部・橋本晃)
神奈川県とほぼ同数の約七百九十万人が、そのほぼ十倍の国土に居住。めぼしい産業はコーヒーとお茶の栽培くらい。世界の最貧国の一つ 。中部アフリカのルワンダはこんな小さな国だ。冷戦の終結とともにアフリカは「忘れられた大陸」となった。その内陸に位置する小国の内戦への国際社会の介入は、「人道」の一語をキーワードに「自国が死活的利害を持たない小国の紛争収拾への支援はいかにして可能か」という問題を提起した。
四月初めの大統領機撃墜事件で再燃したルワンダ内戦への国際社会の対応は迷走を続けた。国連安保理は同月二十一日、要員の安全確保のため国連ルワンダ支援団(UNAMIL、二千五百人)を約十分の一に縮小する決議を採択。翌五月十七日、今度は難民救出のため逆に五千五百人への拡大を決めた(UNAMIL2)。しかし、思うように兵員が集まらず、結局、六月二十二日にはフランス軍の事実上の単独介入を承認する決議を採択し、事態の収拾を当事国と深い関係を持つ一大国にゆだねた。
◇ヒト、カネ足りぬ国連PKO
「もっと迅速に各国が兵員を出してくれていれば、多くの人命が失われずにすんだのに。みな“ポスト・ソマリア症候群”に悩み、ルワンダに巻き込まれるのをためらっている」。七月末、国連のアナン平和維持活動(PKO)局長は絶望的な“人手不足”の事態にうめき声を漏らした。拡大決議から二カ月たっても予定の十分の一の兵員しか集まっていなかった。
八月一日、ニューヨークの国連本部で、北大西洋条約機構(NATO)、独立国家共同体(CIS)、アフリカ統一機構(OAU)など十の地域機構の代表者を集め、行き詰まりの平和維持活動問題を協議する会合が持たれた。席上、ガリ国連事務総長は「紛争ぼっ発前の予防外交、伝統的な平和維持活動、平和強制活動のいずれにおいても、国連は地域機構に大幅な権限移譲を行うのをためらってはならない」と訴えた。活動の財政面についても、事務総長は「各地域機構は国連に依存すべきでない」とした。国連加盟国の分担金滞納額は六月末現在で、一九九四 九五年の二年間分の通常予算をはるかに上回る三十億五千万ドル。国連財政の悪化は深刻だ。
冷戦後の世界の安全保障の中核を担うべく推進されてきたPKOの拡大・強化路線の修正はすでに、いくつか目に見えるかたちで表れてきている。七月末、ガリ事務総長はNATO軍の進駐と引き換えに旧ユーゴスラビアに展開する国連防護軍二万八千人の完全撤退を提唱した。同じころ、国連安保理は軍事政権の居座るハイチに対して米軍主導の多国籍軍の武力行使を認める決議、アブハジア自治共和国の独立問題で揺れるグルジアにロシア軍の駐留を認める決議を矢継ぎ早に採択した。
◇大国の利害むき出しの介入に変質
平和維持活動の地域機構への権限移譲は国連憲章第八章に基づくもので矛盾はないと事務総長は説明するが、紛争の強制解決能力を実際に持つ国は世界にそう多くはない。多国籍軍や地域機構の旗を掲げて大国が利害を持つ国に軍事介入する 。ルワンダへの仏軍の介入は、非大国のこうした危ぐが増幅する中、行われたのだ。
民族・宗教対立の色彩を帯びた内戦が次々と噴出する冷戦後の世界で、一躍脚光を浴びた国連PKO。しかし加盟国はもはやその活動に人もカネも出さない。ソマリアで失敗した「人道」の名のもとの平和維持 平和執行活動は、その真価が不透明なまま大国による利害むき出しの介入へと変質しつつある。その他多くの国々のお付き合い程度の事後支援。ルワンダ内戦への国際社会の対応は、こうした流れの先駆的な形といえるのかもしれない。=おわり
政府首脳は2日夕、ルワンダ難民支援のための周辺国への自衛隊派遣に関連し、政府内で機関銃の携行が検討されていることについて「国連平和維持活動(PKO)参加5原則に照らしていいのかという議論がある」と述べ、機関銃の携行は参加5原則に抵触する可能性があるとの見解を表明した。さらに、同日の閣議後の閣僚懇談会で機関銃の携行に関して慎重論が相次いだ点に触れて「慎重ということは、なるべく持っていかない方がいいという意味だ」と協調した。
京都市下京区四条寺町角の藤井大丸五階美術サロンで三日始まった「戦禍を逃れて・アフリカ難民報告」(毎日新聞社、毎日新聞大阪社会事業団主催)には、難民の生活や悲痛な声が生々しく伝わってくる五十一点の写真パネルが展示され、訪れた人から「信じられない」「子供たちが可哀そう」などの声がもれた。
アフリカ中南部、ルワンダ、ブルンジ、モザンビークなどで撮影した写真。民族紛争による内戦が起き、難民救援のため自衛隊派遣が検討されているルワンダでは国民の一割近い五十万人が虐殺されたとされ、母国を逃れた難民が暮らすタンザニアのベナコキャンプで空の一点を見つめる子供の姿▽ブルンジのムブガ難民キャンプでたらいに入って体を洗う赤ちゃんなど、さまざまな姿がファインダーでとらえられている。
会場を訪れた京都市北区の会社員、木村浩二さん(40)は「日本にいると想像できないほど、ひどい状況のなかで暮らす子供たちの目が印象に残った。悲惨な状況をなんとかできないものだろうか」と、写真に衝撃を受けた様子だった。
七日まで。入場無料。
◆難民への救援金は〒530 51 大阪市北区梅田3の4の5、毎日新聞大阪社会事業団「海外救援金」係(郵便振替・00970 9 12891)へ。
ザイール 初の前向き姿勢
キャンプ内の軍 治安回復に乗り出す
【ヨハネスブルク29日福井聡】ザイールのモブツ、ルワンダのビジムング、ブルンジのヌティバンツンガニャの3大統領は28日、ザイールのバドリテで初めて会談し、ザイール東部ゴマなどに滞在中の約80万人に上るルワンダ・フツ族難民をできるだけ早く帰還させることで原則合意した。モブツ大統領が難民の帰還促進に前向きの姿勢を示したのは初めて。同時に、難民キャンプ内でザイール軍が大規模な治安回復に乗り出している。
会談後発表された声明によると、3大統領は難民が速やかに帰還するよう、国際社会の監視の下でルワンダ国内に「安全地域」を設置することを提唱。同時に帰還を拒む難民については、現在の国境からさらに離れたザイール内陸部に移動させるとしている。
モブツ大統領はこれまで、難民の中にまじっている旧フツ族軍部に協力的と見られてきたが、この日の会談では帰還促進を主張するビジムング大統領に同意し、帰還に協力する方針を打ち出した。ゴマでは27日、ザイール軍がフツ族難民37人を初めて国外追放、強制送還しており、モブツ大統領の帰還促進方針を裏付ける形となっている。
援助関係者によると、ザイール政府当局はキャンプ内のフツ族難民への対応を日ごとに強化。28日には首都キンシャサから派遣された舞台が暴力事件の続発したゴマ北部のカタレ・キャンプに入り、キャンプの住民たちを一カ所に集め、住居を焼き払ったり、略奪するなど強硬措置に出ている。先週の暴力事件の首謀者を捜索し、見つけ次第ルワンダに追放すると見られている。
カタレなどいくつかの難民キャンプでは、フツ族旧軍部が援助団体からの食料配給経路を支配することでキャンプ内の治安も支配し、援助団体やザイール側との衝突が絶えなくなっており、ザイール政府側が断固とした対応に出たと見られる。
【ヨハネスブルク25日福井聡】大量のフツ族難民が死亡する惨事が起きたルワンダ南西部のキベホ難民キャンプで、政府軍がキャンプ閉鎖を宣言した後の25日、依然約1000人のフツ族難民が残留し、これを包囲する政府軍との間で緊張が高まっている。
ルワンダからの報道によると、22日の大惨事直後から、生き残ったフツ族難民たちは一斉にキベホから脱出したが、フツ族軍部強硬派とみられる約1000人はキャンプを離れ故郷に戻った時の不安から解散を拒否し、キベホに立てこもった。これに対し、ルワンダ政府軍は武装部隊を送り込んで彼らを包囲。「降伏するか、立ち退くか」の選択を迫っている。
難民への武力制圧の可能性について、政府軍は「どのような手段を取るにせよ、国連ルワンダ支援団と相談したうえで決める」と明言。しかし、残った難民を政府は昨年起きた大虐殺の当事者とみているため、国連の「自由逃亡要請」は拒否し、緊迫したにらみ合いが続いている。
英BBCは二十日、昨年四月にルワンダで起きた大虐殺の直後も、フランス政府が虐殺の当事者だったルワンダ旧政府に軍事物資を支援し続けたと報じた。フランス政府は否定しているが、当時ルワンダに派遣されていたベルギー部隊員が証言している。BBCによると、ベルギーから派遣されていたマシャール大尉は「(大虐殺が始まった)昨年四月六日の翌日、仏軍機三機がルワンダに飛来し、政府軍に武器を供給、亡命希望の政府幹部らを乗せて飛び立った」と証言した。
【ナイロビ27日AFP時事】国際的な人権団体「アフリカン・ライツ」は二十六日、昨年のルワンダ内戦時に起きた多数派フツ族による少数派ツチ族の大量虐殺事件で、尼僧や医師、看護婦、教師を含む多数の女性が虐殺に加わったとする報告書を当地で公表した。
「全くの無実ではない」と題された報告書は、何千人も女性が政界や経済界、教育界に身を置いた教養ある女性の手によって殺害されたと指摘。殺された女性の多くは、高学歴でキャリアのある女性だったとしている。恐怖心から虐殺に加担した女性がいる一方、積極的に参加した女性も多く、生きたまま焼き殺したり、民間人に向けて無差別に発砲するなど、前例のない女性による大規模虐殺の様子が記述されている。
緑のクレヨンをいっぱいに塗りたくった画用紙に、倒れた無数の人が黒の鉛筆で描かれている。民家からは、赤い火の手が上がっている。
ルワンダの首都キガリ近郊の町ニャマタの小学校。十二歳のツチ族の少年、クランガ君は「この国で起きた虐殺の絵」と説明した。絵を指さしながらクランガ君は、脳裏に焼き付いた光景を消え入りそうな声でポツリポツリと話した。
「アフリカのスイス」とも呼ばれた高原国・ルワンダ。多数派部族フツ族と少数派部族ツチ族の対立に、政権争いが絡んだ内戦が昨年四月から七月まで続き、ツチ族約五十万人が犠牲になった。
クランガ君は話の途中、しばしば目を伏せ、指をくわえる。トラウマ(精神的外傷)の兆候という。
その心が傷付くきっかけとなったのは、昨年四月初めの白昼。フツ族の武装民兵たちが村を急襲してきた。当時、一家は六人家族。母ムカルリスさんは五年前に病死。父ツムイブケさんは会社勤めで、キガリに単身赴任中だった。
「人が殺されている!」。悲鳴が村に響き、一家は近くの「ルフンゾの森」の茂みに逃げ込んだ。
「一人ずつ分かれて隠れて」。それがクランガ君が聞いた祖母ムカブテラさん(当時七十歳)の最後の言葉。湖の水を飲み、追っ手のすきをうかがっては、畑で大豆やポテトを調達し、飢えをしのいだ。「パーン、パーン」。森に何度も銃声がこだました。
一カ月後、ツチ族主導のルワンダ愛国戦線(RPF)の兵士に助けられた。だが、町に並べられた遺体の中に、マシェット(草刈り刀)で首を切られた祖母と腹を切られた姉ブテラさん(当時十七歳)を見つけた。父が住んでいたキガリの家は別人に占拠されていた。父と三人の兄の消息は今も分からない。
クランガ君は孤児になった。近所に住むおばさんに引き取られたが、寂しくて仕方がない。「みんな死んでしまった。ボク一人になったんだ……」
クランガ君は祖母が殺される夢で、よく夜中に目が覚める。そのたび、祖母から教えられた言葉を思い出す。「勤勉な人になるんだよ」。クランガ君は、大人になったら、学校の先生になるつもりだ。(つづく)
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校舎の片隅。ひしゃげたブリキ缶に座り、一人、聖書をひもとく少年がいた。アセギニュンバ君(17)。洗濯した長そでシャツにスラックス、よく磨いた黒の革靴。思い詰めたような表情だ。
ルワンダ南部の町・ブタレの「キドゴ・スクール」。少数派部族ツチ族のルワンダ愛国戦線(RPF)元兵士たちに、社会復帰教育を行う学校だ。生徒は七歳から十七歳まで約二千五百人。キドゴとはスワヒリ語で「小さい」の意味。彼らは兵士たちにそう呼ばれていた。
アセギニュンバ君は八人兄弟姉妹の末っ子。熱心なクリスチャンの両親に育てられた。内戦がぼっ発した昨年四月、仲良しだった十六歳のいとこと七十歳を過ぎた司祭の祖父を、多数派部族フツ族の民兵に相次いで殺された。
「このままでは家族や親類がみんなやられる。ボクが守らなければ」
すぐ、RPFに志願した。南東部の町・キブンゴの小隊で、隊長のエスコート役を務めた。仕事はやりがいがあった。だが、殺された祖父らを思い出し、落ち込むこともあった。やがて、聖書に手が伸びた。
三カ月後、内戦が終結。それでも、兵役にこだわった。いつ戦闘が再開されるか不安だったからだ。だが、今年六月、隊長が諭した。「お前は勉強して、国の復興に力を貸せ」。隊長は、賢明で勉強好きなアセギニュンバ君の性格を見抜いていたのかもしれない。
内戦で多くの人が傷付いた。医師になって役立ちたい。父のように信仰心のあつい大人になりたい。そんな思いが膨らみ、ようやく踏ん切りがついた。
少年たちは、寮で寝起きを共にする。カメラを向けると、大半の少年が服や手で顔を隠す。どんなことにでも好奇心を抱く子供らしさはない。戦いに疲れた大人のようだ。
殺し、殺される修羅場に身を置いた体験は、社会復帰を難しくする。「卒業後、兵士に逆戻りするかどうかは子供次第」。校長は率直に認める。
「罪から解き放つ神を、神のことばを信じる人を、信じたまえ」。アセギニュンバ君は銃を捨てた。聖書にあったというこの一節が好きだ。だが、この国では今も内戦再燃のきな臭さが漂う。アセギニュンバ君が二度と銃を取らない保証は、どこにもない。(つづく)
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こんなにおなかいっぱい食べるのは一体、何日ぶりなのだろう。救援物資のビスケット、トウモロコシのかゆ、バナナ……。女児ガヒンジャちゃん(2つ)は、取材中ずっと口を動かし続けていた。
ザイールとの国境の町、ルワンダ・ギセニ。キブ湖畔のセンターは、国境の向こう側、ゴマのキャンプから帰還するルワンダ難民の受け入れ拠点だ。難民たちを乗せたトラックは、国境を越え、センター近くで難民らを降ろす。
ガヒンジャちゃんはその中にいた。十二歳と五歳の二人の兄と、十歳の姉の四人兄弟姉妹。両親はいない。叔母のニラヌウユクレさん(22)が親代わりだった。
内戦が激化した昨年七月。ガヒンジャちゃんたちは、父カブロさん(40)、母ナキルヒンカさん(35)に連れられ、ゴマのキャンプに逃げた。
だが、そこは病気の巣だった。コレラ、赤痢、マラリア……。母はコレラにかかった。ガヒンジャちゃんは当時、一歳三カ月。ぐったり横たわる母の胸にすがり、出ないおっぱいを求めた。
「私が死んだら、この子も死ぬかも」「もし生きていたら、育ててね……」。母は、ニラヌウユクレさんに言い残し、息絶えた。キャンプに着いて三カ月後だった。
ガヒンジャちゃんは、叔母にだっこされるたび、おっぱいをほしがり、その胸を手さぐりした。「これ、からいのよ」。なだめるのが、ニラヌウユクレさんにはつらかった。
翌月、父も母の後を追うようにコレラで死んだ。子供たちも、ひどい下痢に襲われた。キャンプは死体で埋まった。今年になって、病気のまん延は終息。だが、国際社会の関心が遠のき、資金難から食料は必要量の四分の一しか難民には届かない。
「ここではもう暮らせない」。ニラヌウユクレさんは、故郷に残った祖母を頼って母国に帰ることにした。
一家は受け入れセンターで一泊。翌朝、再びトラックの荷台に揺られ、約三時間。山深い村に着いた。
「これからどうして暮らしていくの」。記者は聞いた。ニラヌウユクレさんは困った顔で答えた。「ここには仕事もない。どうしよう……」
ガヒンジャちゃんは手に、ビスケットを握りしめたままだった。=つづく
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「あの子だけ、なぜここにいないの?……」。ムカムレンジさん(30)は、顔をゆがめて何度も何度も同じ言葉を繰り返した。わが子を抱きしめ、再会の喜びにひたる周囲の母たちとは対照的だった。
ルワンダの首都・キガリの赤十字国際委員会(ICRC)事務所前。内戦の混乱で親と離れ離れになった子供たちが、親元に帰ってくる日だった。
ムカムレンジさんは昨年七月、長男マタタ君(8つ)と生き別れた。戦闘が激化し、隣国ザイール・ゴマの難民キャンプに逃げる途中、数千人の渦にもまれ、はぐれてしまったのだ。
ムカムレンジさんはマタタ君の安否を心配しながら、その妹ウムトニちゃん(5つ)の手を引いてキャンプにたどり着いた。しかし、ツチ族の身には、対立するフツ族が大半のキャンプは住みづらい。食料も十分になかったため、一週間でキガリに戻った。
間もなくICRCから知らせが届いた。「あなたの息子は、ゴマのキャンプで生きている」
この情報通り、マタタ君はゴマ郊外のムグンガ・キャンプにいた。記者が捜し当てたとき、木の枝を組み、青いプラスチックシートをかぶせた小さな家で、叔母一家の世話になっていた。
なぜ、マタタ君は母のもとに送り返されないのか。幼い命をめぐって何があったのか。叔母は、言いにくそうに説明した。
マタタ君は一歳のころ、母と一緒に父のもとを離れた。その父が偶然にも、ゴマ郊外の別のキャンプに逃げ込んでいた。父はやがて、マタタ君の消息を知る。
「自分が育てる。ルワンダに返すな」。気まぐれともいえるそんな手紙が、叔母に届いた。ずっとマタタ君を育ててきた母に返した方がいいのは、分かっている。だが、父は強硬だ。
お互いの心を通わせることができなくなった両親。その事情は、マタタ君には分からない。しかし、今、母への思いは募る一方だ。身勝手な父に引き取られるのはいやだ。母の写真を食い入るように見つめ、記者に訴えかけるようにマタタ君はつぶやいた。「ムゼムジャーネ ママ(お母さんを連れてきて)」
だが、ツチ族の母が再びキャンプに出向くのは危険が伴う。内戦と部族対立が、大人の都合を余計に複雑にする。翻弄ほんろうされるのは、いつも子供たちだ。マタタ君が母の胸に抱かれる日は来るのだろうか。=つづく
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◇「ママが首を切られた」 半数の子供、目の前で家族を失う
「ママが首を切られた」。アフリカ・ルワンダの内戦で母を虐殺された女児が描いた絵にそう書かれていた。毎日新聞社と毎日新聞社会事業団の「飢餓・貧困・難民救済キャンペーン」取材で出会ったアフリカの被災民や難民の子供たち。肉親が殺されるのを目撃したり、悲鳴を聞いたりした子供たちの多くが深い心の傷を持つ。その「戦争トラウマ(精神的外傷)」をいやすため、子供たちに絵を描かせ、その体験を吐き出させている。
ルワンダの首都キガリ近郊にある町ニャマタの小学校四年E組。十歳から十二歳の四十人の児童の大半が内戦で親を虐殺されたりして身寄りがない。
母が殺された時の様子を描いた女児はムジランコニちゃん。母の遺体の傍らには、おなかに赤ちゃんがいる女性がマシェット(草刈り刀)で襲われた様子を描いていた。
男児ニヨムガボ君は首にロープを巻いて引き回される遺体やヘリコプターめがけ銃を撃つ兵士を描いた。
隣国・ウガンダの北部の町アジュマニの孤児院で暮らすスーダン難民の子供たち。その絵にも悲惨な体験が投影されていた。男児アニール君は燃え上がる草ぶき屋根の家から走って逃げる人々や銃で首を撃ち抜かれた男性などを描いた。
反政府ゲリラが勢力を持つスーダン南部の町レアーにいるガブリアル君(17)の絵には、遺体を食いちぎるライオンが描かれ、「たくさんの人々が途中、のどが渇き、飢えて死んだ」と説明があった。
国連児童基金(ユニセフ)の専門家によると、戦争で心に傷を負った子供たちは、いつも落ち着かない、夢で異常な体験を思い出す……などの症状を示す。不眠、頭痛を伴う場合もある。「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」といわれ、阪神大震災で被災した子供たちにも見られる症状だ。
治療の一つとして絵、作文、小劇などでその体験を表現させる方法が取られている。専門家が子供たちの気持ちをくみながら、忌まわしい記憶を吐き出させると症状が和らぐという。
ルワンダでは、昨年四月から七月まで続いた内戦で、少数派ツチ族を中心に約五十万人が虐殺された。親を殺されたり、肉親と離れ離れになった子供は計十一万四千人に上る。
ある調査では五六%の子供が「家族が目の前で殺されるのを見た」と答えた。しかも七五%が家族以外の人が殺されるのを目撃、四二%が子供が子供を殺すのを見ている。八〇%の子供は人が殺される時の悲鳴を聞いた。そして九六%が「自分も殺されると思った」と答えている。
スーダン南部とケニアの難民キャンプでは約二万人の身寄りがないスーダンの子供たちが暮らしている。調査ではその九七%が「だれかが殺されるのを見た」と言い、八五%が「戦争や飢えで肉親を失った」と答えている。
現在、ユニセフの主導で欧米の非政府組織(NGO)が中心になって、子供たちの治療やケアに乗り出している。だが救いの手はまだ一部の子供たちに届いているに過ぎない。
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月曜日(5月9日)、ブリュッセルで新たな法律の下、ルワンダの大量虐殺時における戦争犯罪容疑で、2人の兄弟に対する裁判が開始された。裕福な実業家エティエンヌ・ンザボニマナ(53歳)とサミュエル・ンダシキルワ(43歳)には、1994年の大量虐殺時(推定殺害者数約800,000人)、首都キガリ南西のキブンドでフツ族民兵が行ったツチ族及び穏健派フツ族に対する大量虐殺を支援した嫌疑がかけられている。<原文へ>
自分の排泄物から発生する天然ガスで調理された食物を食べる――ルワンダ共和国の刑務所に収容されている大勢の囚人たちにとって、それは想像の世界の出来事ではない。実際、そうやって生活しているのだ。
ルワンダの一部刑務所では、囚人たちの排泄物から、可燃性の「バイオガス」[家畜の糞尿や生ゴミを発酵させて得られる可燃性ガス]であるメタンガスが生成され、調理に使われている。この技術を開発したキガリ科学技術管理大学(KIST)のサイラス・ルワカバンバ学長の話では、これにより、1年に100万ドル近くかかっていた木材燃料コストを60%削減できたという。
排泄物を使ったバイオガス生成施設を刑務所に導入したことで、KISTは先月、持続可能エネルギーの優れた取り組みに贈られるアシュデン賞を獲得した。グリーン技術を推進するイギリスの慈善団体、アシュデン・トラストが主催するアシュデン賞の受賞者には、3万ポンド(約590万円)の賞金が授与される。
「この技術は、ルワンダの大量虐殺が生んだ悲しむべき社会状況を、地域の人々に利益をもたらすものに変えている」と、アシュデン賞の広報担当者は話す。
ルワンダ全土の刑務所には12万人の囚人がいるが、その多くは1994年に起きた大量虐殺事件に関わった容疑で投獄されている。ルワカバンバ学長によると、囚人の数は刑務所の定員の10倍にものぼるという。
過剰収容により、刑務所のエネルギー需要が著しく増加していると、ルワカバンバ学長は話す。また、大量の排泄物を刑務所内で適切に処理できない状況が発生している。
ルワカバンバ学長によると、ルワンダ南西部、チャンググ県の丘の上に立つ刑務所にバイオガス施設が建設される前は、排泄物の一部が丘に垂れ流しにされていたという。キブ湖など、自然の水域にほど近い場所だ。
「われわれが刑務所を訪ねて回ったところ、そのような状態だった。大量の人糞が近隣の河川に流れ込んでいることを知り、何とかしなければならないと考えた」とルワカバンバ学長。
ルワカバンバ学長によると、バイオガス施設は国内30ヵ所にある刑務所の半数に設置されており、各刑務所では現在、調理や照明に必要なエネルギーの半分をバイオガスでまかなっているという。
ルワンダのバイオガス施設はその規模や適用範囲から見て、世界で最も大がかりなものの1つだ。大きさは最大で1000立方メートルになり、蜂の巣のような形をしている。
この施設を使った処理プロセスでは、まず所定量の人または動物の排泄物を「消化槽」に投入する。消化槽の中でバクテリアを使って排泄物を発酵させると、メタンガスが発生する。このメタンガスを集めて燃料に利用するのだ。消化槽とつながった「調整タンク」からバクテリアが補給されることで、処理プロセスは自動的に継続される。
プロジェクトの技術主任、アイネア・キマロ氏によると、100立方メートル分の排泄物が4週間で50立方メートル分の燃料に変わるという。
バイオガスは、ネパールの家庭からスウェーデンの列車に至るまで、世界中で利用が進んでいる。
排泄物は初めのうちひどい臭いがするが、生成されるバイオガスに悪臭はない、とキマロ氏は話す。また、ルワンダの囚人たちは、調理に人糞の副産物を使うことに嫌悪感は抱いていないという。
「この国の人々には非常に適応力がある。うまくいくものは使ってみたいと考えるのだ」とキマロ氏。
メタンガスを発生させた後の残留物は、無臭の肥料として刑務所の庭で使われる。
環境問題を扱うイギリスの雑誌『グリーン・フューチャーズ』誌の編集長で、アシュデン賞の審査員を務めたマーティン・ライト氏は、ルワンダのチャンググ県にある刑務所を実際に訪れ、地面に四つんばいになって肥料の臭いをかいだ。
「(ガスを採った後の)残留物をかいでみたが、臭いはまったくなかった」とライト氏。
無臭の肥料も素晴らしいが、ライト氏はそれ以上に、この新たなエネルギー・プロジェクトに、チャンググ県での大量虐殺の罪で投獄されている人々がかかわっている点に感銘を受けたと語る。チャンググ県は、内戦で情勢が不安定になっているコンゴ民主共和国との国境にある。
「ここが先駆的なプロジェクト実行の地となったことは、人類の悲劇がもたらした結果から人々が何かを学び、希望に満ちた何かを生み出そうとしていることを意味する」と、ライト氏は語った。
[日本語版:石川あけみ/高橋朋子]
小柄で穏やかな口調のロザモンド・カール(Rosamond Carr)は93歳、一見、貧困と内戦に苦しむルワンダで孤児院を営んでいるようには見えない。同国では1990年代初期にツチ族率いるルワンダ愛国戦線(RPF)がフツ族主導政府の転覆を試み、1994年に発生した(ハビヤリマナ大統領暗殺事件をきっかけとする:IPSJ)「ルワンダ大虐殺」で、少数民族ツチ族と穏健派フツ族80万人以上が殺害された。大虐殺後にRPFが権力を掌握したが、虐殺に関わったフツ族武装勢力は隣国コンゴ民主共和国(当時のザイール)に越境し、同国内からルワンダ政府の転覆を試みることとなった。コンゴ民主共和国のL.カビラ大統領はこのような武装勢力を自国から追放することに失敗し、98年ルワンダは同大統領に対するコンゴ国内の反乱軍支援に乗り出した。
このように危険に満ちた流動的な地域情勢の中で、残された孤児たちに貴重な安息の場所を提供したのがカールである。1994年、カールは82歳にして6000ドルを元手にルワンダ西部ギセニ県に「インババジ(Imbabazi:母の愛を授かる場所)」を開設した。94年末に8人の孤児を受け入れて徐々に拡大し、現在は122人の孤児を受け入れている。
カールはアメリカに生まれ、ニューヨークで百貨店カタログのファッションイラストレーターをしていた。1930年代に24歳年上の英国人ケネス・カールと結婚。猛獣狩りと写真撮影を趣味とする夫はウガンダにコーヒー農場を所有していた。49年、夫妻はコンゴ民主共和国を訪れた。「キンシャサからコンゴ川を渡りギセニ県に入り、キブ湖の日の出を見たのは独立前だった」とカールは回想する。4年後に離婚したカールはルワンダに移住し、除虫菊の工場経営、パームビーチホテル経営などで生計を立てた。結婚生活とその後の生活で望んでも得ることのできなかった子供を「82歳にして手に入れた」とカールは言う。
しかし、カールは「年老いて、疲れた」ので「インババジ」の経営を後継者に引き継ぐ時期に来たと感じている。政府は孤児院の後継者探しを計画しているが、ギセニ県事務局長A.ンガボはカールの「代わりはいない」とし、「政府は徐々に子供たちを親族あるいは里親の下に戻すことを望んでいる」と言う。
ギセニ県のNGOコーディネーターであるアロイス・カベルカ氏は「カールは地域住民に好かれている。カールは子供を愛しているから」と言う。「カールはお金や食べ物がないと頼る人々を受け入れて、農場の職を与える」
1988年「愛は霧のかなた」の撮影でルワンダを訪れた米国人女優シガニー・ウィーバー(Sigourney Weaver)は「インババジ」にとって初めてのものとなる1000ドルの寄付をした。先月ウィーバーはウガンダに戻りドキュメンタリー作品「ゴリラ再訪」の撮影を行ったが、この中でカールも紹介される。カールは自叙伝「千の岡の国」に経験を綴っている。
混迷を極めるルワンダ国内に根をおろし、半生を捧げるロザモンド・カールについて報告する。<原文へ>
関連記事(インババジ孤児院、ルワンダ・コンゴ):
Rights-Rwanda:A Life Spanning Continents, Genocide -- And an Orphanage
From NY to Rwanda with love
Partners In Conservation
History of Rwanda
「失敗国家」を1つに繋ぎとめる試み
http://www.janjan.jp/world/0506/0506057901/1.php
http://www.janjan.jp/world/0505/0505116884/1.php
http://www.janjan.jp/world/0508/0508100669/1.php
ルワンダで銃を手にしなければならない少年、盗みでしか生きられない親と子、HIVに感染した子供と麻薬常習者の親…。7つの国の子供たちを、7つの国の監督たちが描いた本作は、我々が大人になった故に忘れ去ってしまった“インビジブル・チルドレン”(存在を忘れられた子供たち)を正面から描いた衝撃作。この映画に出てくる子供たちに幸せな子などいない。毎日を必死に生き抜き、ひたすら澄んだ眼差しで大人たちを見据えている。そんな今までになかった企画に世界の有名監督たちの心を動かし、『マルコムX』のスパイク・リー、『グラディエーター』のリドリー・スコット、『MI 2』のジョン・ウーらが賛同し、社会の問題意識を揺さぶりながらも胸を打つドラマを完成させた。スラムは遊び場に、ゴミ捨て場は冒険の場に…。この映画を見終わった後、映画に登場する子供たちを観て、生きる強さが体の芯からわき上がってくる事をお約束します。(文:羽富敏彦)映画『それでも生きる子供たちへ』 配給:ギャガ・コミュニケーションズ。6月9日(土)より、シネマライズほかにて公開! http://kodomo.gyao.jp/(公式HP)。
内戦や貧困のなかで子供たちが生きる姿を7本の短編で描き出すオムニバス映画「それでも生きる子供たちへ」が公開されている。スパイク・リーやジョン・ウーら8監督が参加し、重いテーマを鮮やかな物語に変えている。製作に最初から加わり、イタリア編「チロ」を作ったステファノ・ヴィネルッソ監督が「夢のプロジェクト」を語った。
「各監督の初期の味わいに近い作品が集まりました。7作品全体を通して、私たちの伝えたいテーマが希望とともに浮かびあがった気がしています」
ルワンダでゲリラに参加する子(「タンザ」)、サンパウロで廃品回収をして自活する兄妹(「ビルーとジョアン」)、ニューヨークでHIV感染して生まれた少女(「アメリカのイエスの子ら」)……。8人は自国の子供たちが置かれた劣悪な環境を描きだす。
「どの社会でも、こういう問題ははっきり言わない方が都合がいい。みんな砂のなかに頭を突っ込んで見て見ぬふりをしているために、問題がますます深刻化しています」
「チロ」では、貧しさのなかで窃盗に走る子供たちの姿を描いた。「イタリアで盗みを働く子供が増えているのは、物質主義の社会だからです。貧乏で、きちんとしたイタリア語も話せないのに、盗んだお金で、携帯電話を二つも持つ子もいる。欲望ばかりがあおられる社会です」
製作には国連の世界食糧計画(WFP)とユニセフも協力し、監督も報酬なし。日本を含め世界に販売する配給権の収益の9割がWFPに寄付される。
「7作に通じているのは大人のエゴイズムが子供を圧迫している姿です」と監督は結んだ。
◇東京・シネマライズほか。全国で順次公開。
国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊としてボリビアでボランティア活動に当たる佐藤加奈さん(25)=寒川町小谷=が十四日、山田文夫町長を訪問した。村落開発普及員として二年間を過ごす。
看護師を辞め、あえて協力隊へ参加。「現地の人とたくさんコミュニケーションし、自分に何ができるかを考えたい」と抱負を語った。
藤沢市では、日系社会ボランティアと青年海外協力隊の二人が十二日、山本捷雄市長に赴任を報告した。ブラジルで日本語教師の指導に当たる橋本武憲さん(63)=同市辻堂東海岸=と、ベネズエラで小学校教員の補助を行う同市遠藤出身の山川萌さん(25)。
橋本さんは「学生時代、ブラジル日系人社会にお世話になった。定年後の人生で微力ながらお返ししたい」、山川さんは「教育に携わるという目標に向け、現地での経験で視野を広げてきたい」と話していた。
湘南地域からはほかに鎌倉市の辻征史さん(32)がルワンダ、茅ケ崎市の池田和代さんが南アフリカ共和国へ派遣される。
東京(4日)発――UNHCR駐日事務所と日本UNHCR協会は第2回難民映画祭を開催する。
昨年の成功に引き続き、2007年度難民映画祭は紛争や迫害によって故郷を追われた人々の力強さと創造力(インスピレーション)を描写し、数多くの映画祭で受賞した映画作品とドキュメンタリー30本を紹介する。
7 月18日の難民映画祭初日には、日本初公開の『Iraq in Fragments (仮訳:イラクのカケラを集めて) 』を上映する。このオープニング作品はイラクをスンニ派、シーア派、クルド人の視点で描写し、サンダンス映画祭監督賞、アカデミー賞ノミネート作品でもある。7月26日の最終日には、クロージング作品として、ルワンダにおいて最も非人道的な状況の中における人間性を描いた『Shooting Dogs (邦題:ルワンダの涙) 』が上映される。
また本年の難民映画祭では特別に、カンボジア映画監督で自身も難民でもあったリティー・パニュの8作品を上映し、監督本人が参加するティーチ・インも行われる。また、駐リトアニア領事代理でありホロコーストのなかの幾千のユダヤ人難民の生命を救った、杉原千畝の驚嘆すべき生涯に焦点を当てたドキュメンタリー作品も含まれている。
これらの映画作品は4か所の会場(東京日仏学院、ドイツ文化センター、イタリア文化会館、スウェーデン大使館)で、すべて無料で上映される。上映後には、質疑応答の時間が設けられている。
難民映画祭は増え続ける3300万人の難民・避難民の窮状への理解と関心を促そうとするUNHCRの活動の一部である。なかなか聞こえてこない希望、絶望と勇気の物語に声を与え、次の一歩へのきっかけを呼びかけることを目的としている。UNHCR親善大使であるアンジェリーナ・ジョリーは、「映画は、世界各地における難民の多種多様な境遇や生き様を紹介できる重要な手段であり、エンターテインメントを通じ、この問題へのより良い知識と理解を育むことでしょう。」と支持を表明している。
上映映画のリスト、上映時間、特別イベントに関しては、難民映画祭の特設ホームページをご覧ください: www.refugeefilm.org
【7月5日 AFP】ブリュッセル(Brussels)の裁判所は4日、1994年にウィリンヂイマナ(Agathe Uwilingiyimana)首相(当時)の護衛をしていた国連平和維持部隊のベルギー兵10人を殺害した罪に問われていた、ルワンダ政府軍のNtuyahaga Bernard元少佐(55)に有罪判決を言い渡した。
12人の陪審員は5時間に及ぶ協議の結果、 ベルギー兵を拉致してキガリ(Kigal)のキャンプに連行するよう指示したとして、Bernard元少佐に「謀殺罪」で有罪の評決を下したが、ウィリンヂイマナ首相殺害については無罪とした。
ツチ人の同首相は1994年4月7日、ベルギー兵が武装解除された後、自宅で殺害された。その数時間前、フツ人のハビャリマナ(Juvenal Habyarimana)大統領が暗殺されたのを機に、ルワンダ国内で大虐殺が発生、少数派のツチ人と穏健派フツ人を中心に約80万人がフツ強硬派によって殺害されるという事態が発生した。(c)AFP
ブリュッセル(ロイター) ベルギーの裁判所は4日、ルワンダで1994年に国連平和維持部隊のベルギー兵10人を殺害した罪に問われていたルワンダ政府軍のトゥヤハガ元少佐(55)に対し、20年の禁固刑を言い渡した。
判決などによると、元少佐は94年4月、ハビヤリマナ大統領(当時)が乗った飛行機が撃墜され暗殺された翌日に、ウィリンジイマナ首相(当時)の自宅で護衛に当たっていたベルギー兵10人を拘束、ルワンダ政府軍側に引き渡した。ベルギー兵らは後に、暴行を受け、銃やおのなどで殺害された。
検察側は、ベルギー兵の殺害を受けて国連平和維持部隊がルワンダから撤退し、約80万人が犠牲となった大虐殺が発生したとし、元少佐には大虐殺を引き起こした責任があるとして無期刑を求めていた。一方、弁護側は、元少佐は偶然首相の自宅を通りがかり、ベルギー兵らの求めに応じて車に同乗させただけと主張していた。
元少佐は、ウィリンジイマナ首相に対する殺人罪にも問われたが、裁判所は無罪とした。弁護側は、上訴しない意向を示している。
ルワンダ共和国で先月27日、死刑を廃止する法律が発布され、死刑が全面的に廃止された。国際人権団体アムネスティ・インターナショナル日本(以下、アムネスティ)が同31日、伝えた。これにより、死刑を法律上廃止した国は100ヶ国に達し、事実上死刑を廃止している国を含めると130ヶ国で死刑が廃止されたことになる。
ルワンダで最後に死刑判決が出されたのは03年。虐殺犯として18人が死刑判決を受けた。また、最後の死刑執行は98年に行われ、民族大虐殺に関する罪で22人が処刑された。アムネスティによれば、ルワンダには現在約600人の死刑囚がいるとされている。
同国で死刑廃止が決まった背景としてアムネスティは、国連によって同国に設置されたルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)が、拘束している囚人を同国の死刑制度を理由に引き渡せない状態にあったことを挙げている。ルワンダ国際刑事裁判所は94年11月、ルワンダ政府の要請を受け、国連安全保障理事会がジェノサイドや非人道的行為など国際人道法の重大な違反を犯した者を訴追、処罰するために設置した。現在も審理が続いている。
一方、今年10月には、世界的な死刑執行停止を求める決議が国連総会で提案される予定。死刑制度反対を掲げるアムネスティは、今回死刑を全面廃止した同国が、この決議の共同提案国になり、決議を支持するよう近隣諸国に働きかけることを期待している。
[2007-08-03]
アフリカ・ルワンダ出身のR&B歌手コルネイユが日本でのデビューアルバム「ザ・バース・オブ・コーネリアス」を発表した。母国の内戦で家族を亡くし、カナダに逃れ、歌手になった。洗練されたブラックミュージックのなかで、苦難を経てきた自らの境遇を真摯(しんし)に、優しい声で歌う。
77年にドイツで生まれ、6歳で両親の故郷ルワンダに。歌手を志すが、94年にフツ、ツチ族の民族対立によるルワンダ大虐殺が起きる。彼以外の家族はみんな殺され、両親の友人を頼ってドイツに戻った。いまはカナダで暮らしている。
02年に、シンガー・ソングライターとしてデビュー。フランス語で2枚のアルバムを発表し、カナダの仏語圏やフランスで大ヒット。新作は英語で歌い、世界進出作となると共に、「自分を素直にさらけ出すことができた」作品となった。洗練された現代的なR&Bを、甘く、どこか愁いを帯びた声で歌う。だが、歌詞には強いメッセージが込められている。
祖国について率直に吐露したのが、収録曲「アイル・ネヴァー・コール・ユー・ホーム・アゲイン」だ。〈私たちの魂を焼き尽くした〉ルワンダに対して、〈私が二度と故郷と呼ばなくても許して下さい〉と歌う「ルワンダへの手紙」だという。「自分にとってルワンダは損失や苦しみの象徴だ。帰りたいかと聞かれれば、残念だけど帰りたくはない。そう答える」
〈どこに逃げても、私は異邦人だ〉と歌う「ア・マン・オブ・ディス・ワールド」。祖国を後にして、長い間アイデンティティーに悩んだが、「自分は世界人だ」と考えられるようになった思いを込めた。
「肌の色で差別が存在し、さらにはルワンダのように同じ肌の色のなかでもっとひどい差別があって、あんなむごい出来事を引き起こしてしまうことがある。民族、文化で分け隔てせず、自分は世界に生きていると言いたかった」
素直に自分と向き合える作品が生まれたのは、昨年結婚した妻との出会いがあったからという。
「家族を失うという体験から自己防衛のメカニズムが働き、ずっと愛情を感じられなかった。でも彼女と出会い、初めて本物の愛を見つけた。人を信じることで、自分を信じられるようになった。だから自分を解放できたんだ」
「21世紀に真の平和を−第26回平和のための郡山の戦争展」は13日、郡山市公会堂で始まった。
18日まで。
実行委の主催、市、市教委などの後援。
戦争を語り継ぐとともに、平和の尊さを考えてもらおうと、終戦記念日に合わせて毎年開催している。
会場は5つのテーマに分かれ、それぞれ戦争や憲法などについての資料や文献が並んでいる。
今回はNPOルワンダの教育を考える会も参加し、ルワンダの子どもたちの現状を伝える写真や絵も出展している。
入場無料で時間は午前10時から午後6時(最終日は午後4時)まで。
問い合わせは同委員会電話024(951)2988へ。
【糸満】平和への願いがこもった折り鶴を文房具として「再生」し、被災国などに送り子どもたちの未来の糧にしよう、と取り組む広島市のNPO法人「千羽鶴未来プロジェクト」(重松イングリングまゆみ理事長)の平原秀則副理事長が8日、糸満市摩文仁の県平和祈念資料館(宮城智子館長)を訪れ、同資料館に寄せられた約70万羽の折り鶴を受け取った。引き渡し式で、平原副理事長は「みんなの願いが込められた折り鶴に新たな命を吹き込みたい。広島と沖縄の子どもたちが一緒になって、『和平』の気持ちを広げるきっかけになればうれしい」と話し、活動支援に感謝した。
同プロジェクトは、平和の祈りを込めた千羽鶴を新たな形に変えて受け継ごう、と「再生」をキーワードに広島市を中心に活動を展開している。
折り鶴は、ノートやボールペンなどの筆記用具に再生され、アフガニスタンやルワンダ、カンボジアなど復興途上の国や地域の子どもたちに贈られる。
式典後、千羽鶴を解体して、箱に詰める仕分け作業も行われた。これまでは、千羽鶴のまま送るだけだったため、県内で 同作業を行うのは初めて。
知的障害者更生施設「てだこ学園」など育成福祉会の施設利用者や八重瀬町の「のびる保育園」の園児ら計60人が協力した。
同プロジェクト支援会議の仲田美加子議長は「折り鶴に新たな命を吹き込む『鶴の恩返し作戦』は、沖縄では今日からがスタート。皆さんの気持ちを合わせて頑張りましょう」と激励した。
活動への問い合わせは、同NPO事務局ファクス082(245)4667。HPはhttp://www.mirai.npo-jp.net/
(9/14 10:19)
OLPCプロジェクトは、米国でXOを一般販売することで資金を調達でき、このプロジェクトに対する意識を高められるとしている。
2007年09月25日 13時32分 更新
ニューヨーク(ウォール・ストリート・ジャーナル)
先進国と開発途上国とのデジタルデバイドを解消するための取り組みとして注目されているOne Laptop Per Child(OLPC)プロジェクトが、米国内にも照準を合わせようとしている。
何カ月にも及ぶ話し合いの結果、OLPCプロジェクトは開発途上国向けにカスタマイズした手ごろな価格のノートPC「XO」を北米でも販売する方針を固め、今週、発表する。ただし、この販売には条件がある。米国の一般販売では、コンシューマーはXOを2台まとめて購入しなければならない。1台は自分用、もう1台は開発途上国の子供たち向けだ。価格は2台で399ドルで、一部は課税控除対象となる。
非営利の慈善団体OLPC Foundationのソフトウェア・コンテンツ担当プレジデント、ウォルター・ベンダー氏によると、OLPCプロジェクトは現在、十数カ国以上の政府や多数の学区との間でXOノートPCの大量購入について交渉中という。「米国でXOを一般販売することで、海外展開のための資金を調達でき、また米国内の学生や教師の間でこのプロジェクトに対する意識を高められる」と同氏。
OLPCはマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボのニコラス・ネグロポンテ所長が中心となって2005年にスタートしたプロジェクトで、開発途上国の何百万人もの学童に手ごろな価格でノートPCを提供することを目指したもの。当初の目標としては、学童への支給を目的に政府や基金に1台 100ドルで大量販売することを目指していたが、製造コストの上昇により、この価格目標は今のところ達成が難しい状態にある。
ソーラーパネル式の充電器やがっしりした取っ手などを特徴とするXOノートPCは、既に試作機約7000台がカンボジア、ルワンダ、ブラジルなどの学校で使われている。
このノートPCの正式な初回出荷分となる4万台は10月に生産が予定されており、OLPCプロジェクトでは、年内にその2倍から3倍の台数を生産したい考えという。XOノートPCは南米およびアフリカ諸国で11月初旬までに出荷が開始される見通し。100ドルという当初の目標まで価格を下げるためには、速やかに生産量を増大させる必要がある。
こうした取り組みはそのほかにも各種進められている。例えば、韓国NComputingは1台のPCの性能を多数のユーザーで共有して利用できるようにするための低価格のアクセス端末を販売することで、コンピュータアクセスを拡大したいと考えている。またOLPCプログラムを支援している米AMD は、独自に「50x15」プロジェクトも展開している。このプロジェクトは、2015年までに世界の人口の50%をインターネットに接続させることを目指した取り組みだ。
OLPC Foundationは米国での戦略をめぐり、慎重な検討を重ねてきた。同団体のなかには、米国市場で一般販売することで開発途上国への照準がぶれる可能性を懸念する声もあった。だが一方では、米国での一般販売はXOノートPCに弾みを付けるだろうとの見方もあった(XOという名称は、この文字の並びが子供のように見えることから付けられたもの)。OLPC Foundationは結局、米国での一般販売を決めた。ただし、米国の消費者に受け入れられるよう、米国向けにはソフトウェアを追加するという計画は却下されている。
XOノートPCに対する米国での需要がどの程度のものになるかは、まだ定かではない。米国では、ノートPCの大手各社が、もっと機能の豊富なデバイスをどんどん値下げしている。一部の消費者にとっては、2台購入して1台は寄付しなければならないという条件もネックになるかもしれない。
ベンダー氏によると、XOノートPCは第三世界での厳しい気候に何年も耐えられるような設計となっているが、一方では、電子ブックリーダーや簡単なインターネットアクセスなど、世界中の子供たちの共感を呼ぶであろう機能を豊富に搭載している。「われわれは皆が望んでいるようなシンプルさを達成できた」と同氏。
XOノートPCは北米の消費者には2週間後に初回生産分から提供が開始される見通し。電話とWebサイトXOgiving.orgで11月12日から注文できる。
【9月25日 AFP】ルワンダのシャルル・ムリガンデ(Charles Murigande)外務協力相とフランスのベルナール・クシュネル(Bernard Kouchner)外相が24日、国連総会(UN General Assembly)に合わせて、ニューヨーク市内のホテルで会談を行った。2006年11月にルワンダ政府がフランスとの国交を断絶して以来、閣僚級としては初の会談となる。両国の外交当局者が伝えた。
両国は、1990年に起きた、ルワンダのハビリャマナ(Juvenal Habyarimana)大統領(当時)暗殺の容疑でポール・カガメ(Paul Kagame)現大統領の側近9人に対する逮捕状を仏司法当局が発行したことから、2006年11月にルワンダ政府がフランスとの国交断絶を通告していた。ハビリャマナ大統領の暗殺はルワンダ大虐殺の引き金ともなった。
ルワンダは、大虐殺を実行したフツ人強硬派を支援し、虐殺発生後の捜査にも消極的だったとして仏政府を繰り返し非難してきた。仏政府は一貫してルワンダ側の主張を否定している。(c)AFP
【ロサンゼルス26日AFP=時事】米タレントのパリス・ヒルトンさん(26=写真)が26日、ウェブサイトで今年11月に戦火で引き裂かれたアフリカのルワンダへの訪問を計画していることを明らかにした。ヒルトンさんは保護観察中の違法運転で6月に刑務所に収監されたあと、価値のある目的のために献身したいと語っていた。
ヒルトンさんはE!Onlineでルワンダ訪問の計画を明かし、「映画の撮影が終わる11月にルワンダに行くつもり。ルワンダは非常に援助を必要としているし、私が行くことによって、もっと人々の注意を喚起できると思う」と語った。
ヒルトンさんはさらに「貧困と子供の問題が大きな懸念となっているもっと多くの国々を訪れたい。このような問題に私が関与し、世間の注目を引くだけで、たくさんの貢献ができると思うわ」と人道的な活動への抱負を述べている。
ヒルトンさんは刑務所を出たあと、収監されたことによって自分は変わった、もっと大人になりたいなどと話していた。 〔AFP=時事〕
【9月27日 AFP】大富豪ヒルトン家の令嬢で女優のパリス・ヒルトン(Paris Hilton)が26日、現在撮影中の映画収録が終了した11月にルワンダを訪問予定であるとエンターテイメント情報サイト「E! Online」上で発表した。
パリスは「映画の撮影が終わった11月に行くわ。そこでは多くの助けが必要とされているの。私が行けば、できる手助けについて、みんながもっと注目してくれると思うの」と語った。
パリスは「貧困や子どもの問題が大きな関心事となっている国を訪れたいの。わたしがそのような問題に関わり、世間の注目を集めることだけで、私にできることはたくさんあると思う」と話し、将来は人道的な仕事により多く携わりたいと意欲を示した。
飲酒運転に関わる保護観察違反で6月に禁固刑に服したパリスは、出所の際、刑務所生活が自分を変え、今後は「成長する」との抱負を語っていた。(c)AFP
ルワンダのカガメ大統領は、ニューヨークで開催中の「クリントン・グローバル・イニシアチブ」で、同国に自然保護公園を設置し、森林破壊や気候変動から自然を守る計画を発表した。ルワンダには絶滅が危惧されるゴリラとチンパンジーが集中的に生息している。この計画は、米国アイオワ州に建設中の熱帯雨林体験施設「アースパーク」と類人猿の研究施設「グレート・エイプ・トラスト」を運営する自然保護運動家のテッド・タウンゼンド氏も支援しており、同保護公園内には類人猿研究のためのフィールド・センターが建設されることになっている。自然保護公園設立費用は、炭酸ガス排出権売却利益などで賄う計画。
本記者発表文の公式バージョンはオリジナル言語版です。翻訳言語版は、読者の便宜を図る目的で提供されたものであり、法的効力を持ちません。翻訳言語版を資料としてご利用になる際には、法的効力を有する唯一のバージョンであるオリジナル言語版と照らし合わせて頂くようお願い致します。
【ビジネスワイヤ】ルワンダのカガメ大統領は、ニューヨークで開催中の「クリントン・グローバル・イニシアチブ」で、同国に自然保護公園を設置し、森林破壊や気候変動から自然を守る計画を発表した。ルワンダには絶滅が危惧されるゴリラとチンパンジーが集中的に生息している。この計画は、米国アイオワ州に建設中の熱帯雨林体験施設「アースパーク」と類人猿の研究施設「グレート・エイプ・トラスト」を運営する自然保護運動家のテッド・タウンゼンド氏も支援しており、同保護公園内には類人猿研究のためのフィールド・センターが建設されることになっている。自然保護公園設立費用は、炭酸ガス排出権売却利益などで賄う計画。
【注】この記事はビジネスワイヤ提供。英語原文はwww.businesswire.comへ。
歌手IVY(アイビー)とスーパージュニア、声楽家シン・ヨンオクらが参加するSBS『2007 飢餓体験 24時間』が、10月5日から2日間、4部に分けて放送される。今年で11回目を迎える『2007 飢餓体験 24時間』には、ゴルファーチェ・ギョンジュ、IVY、国際救護専門家ハン・ビア、スーパージュニア、シン・ヨンオクらが『スターの時間を売ります』コーナーに参加する。落札金額は、世界の恵まれない青少年に寄付する。
彼らは、SBSラジオ『あなたの香りキム・ヒョンジュです』『ソ・ユジンのラブラブ』『イ・スンヨンのシネタウン』『キム・チャンリョルのオールドスクール』『即席 2000ウォンソング』『ソ・ユジンと友達の飢餓体験ミニトーク』『分かち合うということは』コーナーに参加する。
また今度のイベントでは、電話で2000ウォンを寄付する方法により一つのドミノチップを立て、大型ドミノを作る『24時間ドミノショー』が新しく披露される。『1万人結縁タイル壁画』では、結縁カップルが誕生する度に、結縁した子供の顔を集めて、大型タイルも完成する。青少年だけ参加した暖地キャンプの『24時間飢餓体験』は、家族キャンプに拡散している。
SBSとワールドビジョンが共同で主催する『飢餓体験 24時間』は、10年間飢餓体験を通じて募金されたすべての後援金を、飢饉で苦しんでいる北朝鮮の麺工場と児童病院、ケニア、ルワンダ、コソボ等の難民救護事業、低所得欠食児童たちを支援してきた。
【9月29日 AFP】記録的な大洪水に見舞われたアフリカ諸国は28日、新たに疫病まん延の恐れに直面していることから、国際社会に対して改めて支援を求める緊急アピールを出した。
各国政府、病院、人道支援関係筋からAFPが入手した情報を総合すると、この2か月間の洪水の犠牲者は20か国で合計300人を超えた。
被害の程度が明らかになるにつれ、コレラやマラリアといった疫病のまん延に対する懸念が拡大している。
ルワンダでは、9月に入って鉄砲水の発生により少なくとも15人が死亡したほか、被災地でコレラの発生が2件報告されていると述べた。
スーダンではコレラの発生により既に68人が死亡。国連は、同国で最大62万5000人が緊急援助を必要としていると発表した。
またスーダンに隣接するウガンダも大きな洪水被害を受けており、東部で少なくとも40万人が支援を必要としている。
欧州連合(EU)は、トーゴ、ガーナ、ブルキナファソに対して約200万ユーロ(約3億2700万円)の援助を決定したと発表。救援物資購入の他に、マラリア感染拡大を予防支援の費用に充てられる。
トーゴ政府は28日、食料・医薬品の支援を求める緊急アピールを独自に発表した。
今後新たに洪水が発生する可能性も懸念されている。国際赤十字社・赤新月社連盟(The International Federation of Red Cross and Red Crescent)によると、同連盟がアフリカで救援物資を提供した洪水の発生件数は2004年には5件だったが2006年には32件に急増し、今年は既に42件に達している。(c)AFP/Vincent Mayanja
パリス・ヒルトンは、今後は慈善活動に力を入れたいらしく、ルワンダ行きを計画しているという。「映画の撮影から帰ってきたら、11月にルワンダに行くつもりなの。あの地域には必要とされているものがたくさんあるのよ。だから行きたいと思うの。それに私が行けば、慈善活動に対する人々の意識を高めることもできると思って」「貧困や子供の問題が深刻に心配されている国へどんどん行きたいと思っているわ。私が参加することで、こうした問題への関心が高まるだけでも役に立つし」と語っている。刑務所暮らしで考え方が変わったのか、はたまたセレブの間での慈善活動の流行に遅ればせながらのっかっただけなのか、パリス的には“自分より恵まれない境遇の人々”を積極的に助けて行きたいらしいが、彼女を基準にするなら世界は恵まれない人々だらけになってしまうだろう。
(UK在住/ブレイディみかこ)
【ジュネーブ=市村孝二巳】特許権使用料を割引したエイズ治療薬の正規輸出が世界で初めて実現する。カナダ政府は5日、同国製薬最大手のアポテックスが割安なエイズ薬をアフリカ中部のルワンダに輸出すると世界貿易機関(WTO)に通報した。高価な医薬品を買えない途上国に配慮し、WTOが作った医薬品特許の例外規定を活用した。途上国の感染症対策に新たな道が開けそうだ。
深刻な感染症に悩みながら高価な治療薬を買えないという途上国の要請に応え、WTO加盟国は2003年8月、医薬品特許の例外規定で合意した。抜け穴を作ると不法な模造品が流通しかねないという特許権者の懸念に対応し、輸出国、輸入国の双方が事前にWTOに通報・承認を得ることを条件に、ルワンダのように製薬能力の乏しい国に限って必要な医薬品を輸入できるようにした。(18:29)
世界死刑廃止連盟(WCADP)が主催する「世界死刑廃止デー」を迎えて10日、国際人権団体アムネスティー・インターナショナルは世界各国の政府に対して、国連での全世界的な死刑執行廃止決議に賛成するよう呼びかけた。
アムネスティのアイリーン・カーン国際事務総長はこの日、死刑制度廃止が世界的な潮流となっていることを挙げ、「各国政府は国連総会での全世界的な死刑執行停止決議を支持し、死刑のない世界を建設するための重要な一歩を踏み出さねばならない」と語った。
現在、死刑廃止には世界的な弾みがついている。今年7月には、ルワンダ共和国が法律上で死刑を廃止し、法律上の死刑廃止国は100ヶ国となった。また、事実上死刑を廃止している国も含めると、国連加盟国の内133ヶ国が死刑を廃止している。昨年に限っては、死刑執行が行われた国は25ヶ国のみとなり、執行数も前年比で25パーセント減少している。
依然として死刑が行われている中国や米国でも動きがあり、中国では今年に入って死刑判決を再審理する制度が復活し、中国の法学者らはこれにより20〜30パーセントの死刑執行数が減少すると見ている。米国でも昨年の執行数は53件で、ここ10年間で最も少ない数となった。
一方日本では、8月に死刑囚3人の死刑が執行された。これに対して、日本キリスト教協議会(NCC)は声明を発表し、世論では死刑囚が犯した罪の大きさだけが取りざたされるが、死刑囚にも「人権」があると主張。「私たち宗教者は、一人ひとりの生命は、紡いでいくことをもって、その存在意義をなすことを大切な信仰の価値としています。ゆえに、その生命は、決して国家の暴力によって奪ってはならないものと確信します」と死刑執行に反対する姿勢を示している。
[2007-10-13]
パーティガールとして「空しく」感じたパリス・ヒルトンは、今度は「世界に足跡を残したい」と米「ニューズウィーク」誌最新号で語った。同誌は現地時間の22日に発売される。
「ヒルトンさんの真剣勝負、笑わないでください」と題された記事の中で、パリスはルワンダへの旅の計画を明かした。現地には5日間滞在し、学校や病院を訪問する予定だ。
「ええ、怖いわ。すごく危険な場所だって聞いたの」と彼女は旅へ出ることについて語った。「こういう旅行は初めてだわ」。
パリスに同行する、子供のためのチャリティ団体「Playing for Good」の創設者、スコット・レイザーソン氏は、「彼女はセレブリティであるということと、自身の慈善活動を追うカメラを活用するのです」と伝えた。
記事では、レイザーソン氏がこの旅を撮影して、「The Philanthropist」というタイトルのリアリティ番組として販売する計画も紹介されている。日本語で“博愛家”を意味するこの番組では、貧しい人々を助けるほかのセレブリティもフィーチャーされるとのこと。■
コンゴ共和国とルワンダの国境に横たわるキブ ( Kivu ) 湖の湖底には大量のメタンガスと二酸化炭素ガスが閉じ込められている。
周辺の住民へのガスによる被害を食い止め、またこれを使い発電を行えないかとスイスの研究者たちが現地で働いている。
ルワンダ政府とオランダの「環境インパクト評価委員会 ( NCEIA ) 」から依頼を受けて、湖低にあるガスの状態調査やガス抜きの作業にあたるのは、スイス連邦工科大学 ( ETH ) に付属する「水の科学技術スイス連邦研究所 ( Eawag ) 」である。
ガスの周辺住民への被害
表面積2400平方キロメートル、最大深度1500メートルのキブ湖周辺には約200万人の住民が住んでいる。湖底には大量のメタンガスと二酸化炭素ガスが閉じ込められているが、もし火山の噴火などで、ガスが湖の表面に噴出した場合、周辺の住民への被害はかなりのものになると「水の科学技術スイス連邦研究所」はみている。
1986年、カメルーンのニオス湖で二酸化炭素ガスが湖低から噴出し、およそ1800人がガス中毒で死亡するという事故があったからだ。ガス抜きはかなり簡単で、ガスが閉じ込められている湖底までチューブを差し込むと、チューブに入っている水は、チューブ内で泡の状態になっているガスの圧力によって上に押し出されるという。
エコシステムの観点からの保護
このガス抽出計画が発足した理由は、1970年代からメタンガスの量が増え続けていること、さらにルワンダ政府がガスによる発電のパイロットケースを2008年に計画しているからだ。
ガス抽出に関する議論が最近行われたが、とくにエコシステムの観点からの保護が問題になっている。「ガスが抽出された後、キブ湖がどのような反応をするか誰にも予想がつかない。従って、たとえどんな小規模なテストでも慎重に行わなければならない」と「水の科学技術スイス連邦研究所」の今回のプロジェクト責任人者、アルフレッド・ビュエスト氏は強調する。
スイスで400人の研究者を抱える「水の科学技術スイス連邦研究所」は、2002年の火山噴火以来、キブ湖でも研究を行っている。このプロジェクトにスイス連邦基金は、10万フラン ( 約1000万円 ) を投入している。
静岡県で十一月十四日開幕する第七回国際アビリンピック(国際障害者技能競技大会)に、アフリカのルワンダから、初めて障害者の女性が出場することになり、支援活動をしている茅ケ崎市の非政府組織(NGO)「ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト」が渡航費などの募金への協力を呼びかけている。 (小川慎一)
ルワンダから出場する女性はムテグワラバ・アニエスさん(48)。ポリオウイルス感染による急性灰白髄炎を患い、後遺症で両足が不自由だが、本国で障害者団体の代表を務める。テーブルクロスやハンカチ、バナナの幹の皮を使ったはがきを製作して販売し、障害を抱える女性の自立に結びつける活動をしている。
同NGOは一九九六年に設立。かつて激しい内戦が続いたルワンダで、事故や病気などで足などを失った人たちのために義肢製作所を開設し、支援を続けている。
代表の吉田真美さん(44)がアビリンピックの日本開催を知り、ムテグワラバさんに参加を持ちかけたところ、「チャンスがあるなら出たい。ルワンダには内戦や虐殺という負のイメージがつきまとうが、自立に向けて頑張っている姿を見てほしい」との返事を得た。
大会でムテグワラバさんは、刺しゅう部門に出場し、民芸品を作る技術を披露する予定だが、障害者福祉の進んでいない同国では大会への参加費用の補助はなく来日が危ぶまれる状況となっている。大会まで一カ月を切ったが、約六十万円かかる渡航費や滞在費が不足している。吉田さんによると、付き添いも必要のため、三人分百八十万円近くの募金を目標としている。
同NGOはシドニーやアテネのパラリンピックでも、ルワンダから選手を送り出した。「ムテグワラバさんは、日本人との出会いを楽しみにしている。多くの人に出会うことは、自信につながるので、支援をお願いします」と吉田さんは話している。
募金は郵便振替で口座「ムリンディ・ジャパン・ワンラブ・プロジェクト 00210−5−66497」。問い合わせは、同プロジェクト日本事務所=(電)0467(86)2072=へ。 (小川慎一)
[ロサンゼルス 25日 ロイター] 米人気タレントのパリス・ヒルトンさん(26)が、これまでのイメージを一新するために計画していたルワンダへの慈善活動の旅が延期されたことが分かった。
ヒルトンさんのルワンダへの旅を支援する慈善団体「プレイング・フォー・ゴッド」が25日発表した。
同団体が出した声明によると、団体内のリストラが延期の理由で、日程は再度調整される見通し。
ヒルトンさんの広報担当者からのコメントは今のところ得られていない。ヒルトンさんは今月に入って、米ニュース雑誌「ニューズウィーク」のインタビューに応じ、パーティーざんまいのイメージを払しょくし、世界に足跡を残したいと述べていた。
国際電気通信連合(ITU)と米Microsoftはアフリカのルワンダで開催中の「Connect Africa Summit」において現地時間10月29日,情報通信技術(ICT)の促進支援に関する覚書(Memorandum of Understanding:MOU)に署名した。
ITUとMicrosoftは,アフリカにおける技能開発および能力開発プログラム,関連アプリケーションやサービスの提供をサポートする。これには,同地域のICT開発プロジェクトを追跡する新しいオンラインの仮想化プラットフォーム「ITU Global View」の提供も含まれる。
ITU Global Viewは,Microsoftの3次元(3D)表示が可能な地図サービス「Virtual Earth」をベースとするもので,世界のICT関連のデータ・ソースを統合している。政府,業界,地域および国際的な組織などが,このオンライン・プラットフォームにより状況や格差を確認したり,取り組みの重複を回避するために利用できるという。開発には米IDV Solutionsが協力しており,ホステイングとメンテナンスはITUが担当する。
ITUとMicrosoftは,アフリカの若者向けにコンピュータ技術トレーニングや業界における就業体験の機会などを提供する。また,サイバーセキュリティに関して世界的に協調するほか,発展途上国における規制当局へのサポート提供でも協力する。
[シネマトゥデイ映画ニュース] ルワンダへ慈善旅行を企画していたパリス・ヒルトンだが、この旅行が延期となった。ヒルトンは、子供のためのチャリティー団体「プレイング・フォー・グッド・ファンデーション」の企画で11月にルワンダを訪問し、学校や病院などを訪れる予定だった。延期の理由は、主催団体が企画を再検討しているため、とのことで、詳しいコメントは出ていない。ヒルトンは今年6月に飲酒運転の罪で刑務所に収容され、23日間を過ごすことになったが、この慈善旅行は出所後に企画。ヒルトンはニューズウィーク誌の中で「ロサンゼルスには悪い人がたくさんいる。以前は、私の人生は楽しむことやパーティーに出かけることばかりだったけれど、それは幻想にすぎないの。自分を見直す機会があって、自分が空っぽな人間だと感じたわ。世界に何かの功績を残したいの」とコメント。また、過酷な内戦を経験したルワンダへの旅について「とても危険だと聞いているから、怖いわ。こういう旅をしたことがないもの」と語っていた。[10月26日 ニューヨーク]
【CJC=東京】米マサチューセッツ州マールバラの聖公会聖三一教会は、同性愛者の権利を認める同派の意向に反発、離脱を決めた。と言っても、教会堂始め財産までは「離脱」させられず、礼拝は近くのメソジスト教会を借りて行うことにした。
世界聖公会との関係では、ルワンダ聖公会が主宰している米州アングリカン・ミッションに所属することになった。
同教会は、平均出席70人ほどの規模。米聖公会を離脱して、神学的には保守的なアフリカ聖公会との関係を結ぶ動きがこの所進んでいるが、それに沿ったものと見られる。
[2007-11-05]
豊橋シニアライオンズクラブ(伊藤智運会長)は19日、とよしん研修会館で例会を開き、チャーターナイト(設立認証)5周年記念大会(浅井道郎大会委員長)について開催案を発表した。
記念大会は、2008年6月15日、豊橋グランドホテル蓬莱の間で開く。
記念事業は、講演、植樹、あいさつ運動の拡大、寄付を予定。
講演は、来年4月19日に豊橋市民文化会館で開く。20世紀3大ジェノサイド(大量虐殺)のひとつ、ルワンダ大虐殺(94年)を生き抜いたNPO法人「ルワンダの教育を考える会」副理事長カンベンガ・マリールイズさんを招き「教育こそ平和のみなもと」をテーマに命、教育、平和の尊さについて話してもらう。
あいさつ運動の拡大については、例年同クラブが春秋に豊橋駅前などで展開している取り組みについて市内のクラブに呼びかけ、大々的なキャンペーンにしていく意向。
マサチュセッツ州ケンブリッジ──途上国の子どもたち向けに開発された低価格のノート型パソコン、通称「100ドルPC(パソコン)」を、北米で1台購入するごとに自動的に1台が途上国へ寄付されるキャンペーンの期限が、年末まで延長されることになった。このプロジェクトを進める非営利団体「ワン・ラップトップ・パー・チャイルド(OLPC)」が22日、発表した。
当初の予定は11月26日までだったが、各方面からの問い合わせが予想以上に多く、期間の延期を決めたという。
この「100ドルPC」は、米マサチューセッツ工科大(MIT)の研究者らが提案したアイデア。途上国での使用を想定して手回し式の発電装置をつけ、ハードディスクの代わりにフラッシュメモリーを搭載する。量産は台湾のメーカー、クワンタ・コンピューター(広達電脳)に委託し、各国政府を通して子どもたちに配布する予定。
これまでにブラジルやリビア、タイ、ウルグアイ政府などが関心を示し、300万台以上の予約を受けていた。
この100ドルPCをさらに普及させるため、米国とカナダでは、1台を399ドルで販売し、1購入あたりにつき1台を途上国に寄付するというキャンペーンを実施。寄付先はルワンダやアフガニスタン、カンボジア、ハイチ、モンゴルなどとなっている。
OLPCのニコラス・ネグロポンテ氏は、「この10日間、各方面からたくさんの協力と励ましを受けた」と、人々の関心の高さに驚いている。
キャンペーン期間は12月31日まで。パソコンは子供たちが使いやすいデザインとなっている。
当初は100ドルという価格を目標にしていたが、為替相場の変動や材料の値上がりで、実質188ドルに値上がっている。しかし、OLPCは「100ドルは長期目標。当面は190ドルを超えないようにしたい」と述べている。
ビジネス編集者/飲料関連記者 各位
ルワンダ・キガリ/米国シアトル発--(ビジネスワイヤ) --スターバックス(NASDAQ:SBUX)のハワード・シュルツ会長は本日、同社がルワンダに同地域向けスターバックス・ファーマー・サポート・センターを開設すると発表しました。 同施設は、スターバックスにルワンダと東アフリカの農家と協同する機会を与えるもので、同国の高品質スペシャルティー・コーヒーを世界展開する努力をサポートする体制作りの継続を示すものです。
「われわれはルワンダにスターバックス・ファーマー・サポート・センターが開設することを大変すばらしいことだと思っています。われわれはルワンダや近隣諸国のコーヒー農家に新たなサポートを提供するスターバックスと仕事ができることを楽しみにしています。このセンターは、われわれのコーヒー生産方法の向上に数多くの新しい機会を与え、高品質のスペシャルティー・コーヒーの生産増大に貢献するでしょう。」とルワンダ共和国のポール・カガメ大統領は語っています。
ルワンダのセンターは今週初めに発表したエチオピアのセンターと同様、アグロノミスト(農学者)が常駐し、2004年にコスタリカに開設したスターバックス・ファーマー・サポートセンターと同様の施設となります。同センターのスタッフは、東アフリカのコーヒー栽培農家と協力して、コーヒーの品質と栽培法の向上を目指します。また、スターバックスの維持可能なコーヒー買付のガイドラインである「コーヒー・アンド・エクイティ(C.A.F.E.)プラクティス」に参加する農家の数の増加を図ります。同社のラテンアメリカン・ファーマー・サポート・センターの開設以来、スターバックスは品質評価スコアで1ヘクタールあたり生産量の 20%増加、殺虫剤使用量の80%削減、同地域の栽培農家の「C.A.F.E.プラクティス」への参加数の5%増加を達成しました。
スターバックスEMEA(欧州、中東、アフリカ)のクリフ・バローズ社長、スターバックス・コーヒー&グローバル調達担当ダブ・ヘイ上級副社長およびスターバックスCSR(企業の社会責任)担当サンドラ・テーラー上級副社長も、ルワンダでシュルツ氏に合流します。シュルツ氏は今回のルワンダ訪問の際、カガメ大統領と会談し、同地域のコーヒー農家を訪れる予定です。 「私どもは、ルワンダおよび東アフリカ地域でのコーヒー栽培の一層の開発に参加できることを大変名誉に思っています。同地域で栽培されている上質のコーヒーは世界の人々に愛されており、スターバックスは同地域の農家をサポートし、この素晴らしいコーヒーを弊社の約1万5000のコーヒー店を通じて世界の人々と分かち合えることを大変喜ばしく思います。」とシュルツ氏は述べています。 スターバックスは、スターバックスのようなスペシャルティ・コーヒーのバイヤーが買付ける高品質コーヒーを農家が生産するのをサポートするために、ファーマー・サポート・センターのような新しい技術確立プログラムに特に注力することで東アフリカとの関係を強化し、深めています。本日の発表は、スターバックスが過去5年にわたる東アフリカへの投資に基づいたもので、その内容は次のようなものです。: -- 2006年の東アフリカからの買付け総量を2009年までに倍にする確約 -- 東アフリカのコーヒー栽培農家コミュニティーの生活改善サポートのために学校や橋梁プロジェクトに400万ドル以上の投資 -- 当該地域の農村開発課題を目的としたCAREやウォーターエイドのような非営利組織とのプログラム -- 非営利融資団体のルート・キャピタルを通じて、世界中のコーヒー栽培農家に計1000万ドル、東アフリカのコーヒー栽培農家への低金利融資プログラムに追加100万ドルを出資 スターバックスについて スターバックス・コーヒー・カンパニーは、ひとりひとりにひと時のすばらしい1杯のコーヒーで生活を豊かにする高揚感を提供しています。この体験の共有は、 www.starbucks.com をご覧ください。 本記者発表文の公式バージョンはオリジナル言語版です。翻訳言語版は、読者の便宜を図る目的で提供されたものであり、法的効力を持ちません。翻訳言語版を資料としてご利用になる際には、法的効力を有する唯一のバージョンであるオリジナル言語版と照らし合わせて頂くようお願い致します。
【ビジネスワイヤ】コーヒー店チェーン大手の米スターバックス(NASDAQ:SBUX)は、アフリカのルワンダにコーヒー栽培農園を支援する「スターバックス農園支援センター」を開設すると発表した。これにより同社は、同国の高品質スペシャルティー・コーヒーを国際展開するサポートを行う。同センターには、同社の農業専門家が常駐し、コーヒー栽培技術と品質の向上を目指す。同社はラテンアメリカにも同様の支援センターを開設しており、1ヘクタール当たりの生産量20%増、殺虫剤使用量80%削減などを実現している。
【注】この記事はビジネスワイヤ提供。英語原文はwww.businesswire.comへ。
OLPCは各国政府から数十万から数百万単位の受注を受けることで、1台100ドルでの途上国教育機関へのノートPC販売を目標にしている。今のところOLPCのPC「XO」の販売額は1台188ドルとなっている。 ペルー村落の農家では、一家の月収がその188ドルにも満たない状況で、鉛筆、ノートを購入するのも困難な状況にあるため、このようなPCの小学校での大量受注が大きな変革を促すことにつながる。
OLPCのプロジェクトを率いる元米マサチューセッツメディア研究所所長のニコラス・ネグロポンテ氏によると、「XO」の大量生産は先月から開始され、来年の11月までに少なくとも150万台の「XO」が販売されることが見積もられている。
「XO」のスペックは、今のところAMD Geode LX700@0.8w 433MHz、256MB DRAM / 1GB フラッシュメモリ、直射日光に耐久性のある高精細7.5インチ画面、消費電力の大幅削減が可能なメッシュネットワークモードを持つ無線LAN、SDカードスロットとUSBポート、防塵キーボードとタッチパッド、12時間駆動バッテリーなどが装備されており、OSはLinuxとなっている。「XO」はOSに市場でメジャーなウインドウズではなくLinuxが採用されていること、製造費が当初より高くついたことなどで、今後の購入先での反響が試されている。
このような中ペルー政府は国内小学校での利用のために、27万2千台以上の「XO」PCの発注を行った。ウルグアイ政府は今のところ第2位の買い手で 10万台の発注を行っている。その他ルワンダ、モンゴリア、ハイチ、アフガニスタンにも2008年に15万台以上の「XO」PCが発送される予定であるという。
農村の小学校では、自分の親と同様に農家を営みたいとは思わず、会計士や法律家、音楽家などさまざまな職業を目指す子どもたちが多く存在しており、PCを通して夢の実現が支援されることが期待されている。
今後ペルー政府の発注した「XO」PCは太平洋沿岸からアマゾン河流域にかけて点在する9,000校のペルー小学校に提供されていくようになるという。小学校へ提供するPCには著作権フリーの100冊の書籍コンテンツや遠隔の小学校生徒との会話ができるチャットツールが事前にインストールされているという。
ネグロポンテ氏によると、今後の問題はPC教育を行う教師がどの程度PCの機能を十分に扱うことができるようになれるかにあるという。ペルー首都リマのカトリック大学コニュニケーション学教授のEduardo Villanueva氏は、「おそらく教師よりも生徒のPC運用能力が上回ってしまうのではないか」との懸念を示している。また他にもメンテナンス費用の問題もある。
今後OLPCは、小学校だけではなく新興国農村の一般の大人向けも視野に入れて「XO」の提供を行っていく方針であり、生活文化レベルが大きく改善されることが期待されている。
千葉の新監督に現ルワンダ(アフリカ)代表監督で96、97年にG大阪を指揮したヨゼップ・クゼ氏(55)が就任することが6日、決定的となった。すでに交渉は大詰めの段階で今週中にもクゼ氏が来日して正式契約する見通し。昨年12月のアマル前監督解任以降、新監督人事は難航したが、オシム前日本代表監督とも親交のあるクロアチア人監督の就任により、ようやく新シーズンに向けた体制が整った。
J1で最後まで決まっていなかった千葉の監督が、ようやく決まる運びとなった。関係者によると、千葉は今年に入って現ルワンダ代表監督のクゼ氏に正式オファー。日本で指揮した経験を持ち就任に前向きなクゼ氏は現在、代理人とともにルワンダ入りし、ポール・カガメ大統領に契約解除を申し入れている。解除が認められれば今週中にも来日して正式契約を結ぶことになる。
クラブでは昨年12月4日にアマル監督解任を発表した後、新監督人事に着手。当初はクラブW杯に出場したイラン・セパハンのボナチッチ監督と2度にわたって交渉を進めたが、同監督にはパリ・サンジェルマンなどからもオファーがあり難航。クラブ世界一に輝いたACミランのユース監督を務めるフィリッポ・ガッリ氏とも交渉していたが、ミランがリーグ戦で苦戦している影響でまとまらなかった。そこで浮上したのが日本での監督経験があり、実績もあるクゼ氏だった。
G大阪で指揮を執った際には、現在はフランクフルトで活躍する日本代表MF稲本を当時最年少の17歳6カ月25日でデビューさせるなど積極的に若手を起用。さらにエムボマの活躍もあって97年第2ステージで2位へと躍進させた。05〜06年にはクロアチアの名門ディナモ・ザグレブをリーグ優勝に導き、UEFA杯に出場している。
アマル監督解任後、千葉の淀川社長はオシム前日本代表監督が築いていた路線と決別することを宣言したが、現場ではオシム路線を踏襲できる人材を模索していた。チームの主力選手は後任監督が決まらないため次々と契約を保留してきたが、オシム路線を継続できる監督の決定は大きなプラス要素。今度は他のJ1クラブから続々とオファーが舞い込んでいる選手の引き留め作業に本格的に着手することになる。
◆ヨゼップ・クゼ 1952年11月13日生まれ、クロアチア出身の55歳。クロアチアの名門ディナモ・ザグレブでプレーし、旧ユーゴ代表にも選出された。ドイツのマインツやエッセンなどの監督を務めた後、95年にG大阪のコーチに就任し、翌96年から2年間監督を務めた。05〜06年にはディナモ・ザグレブをリーグ優勝に導き、UEFA杯にも出場。07年秋にルワンダ代表監督に就任していた。
[ 2008年01月07日付 紙面記事 ]
千葉の新監督に、ルワンダ代表監督のヨジップ・クゼ氏(55)が就任することが6日、決定的になった。同日、本人がルワンダでカガメ大統領と面会。契約解除の許可を取り、オファーを出す千葉との詰めの交渉が可能になった。10日にも来日し、正式契約する。
千葉は昨年末のアマル前監督解任後、複数の指揮官をリストアップ。セパハン監督のボナチッチ、元スロベニア代表監督のカタネツ、元イラン代表監督のイバンコビッチら「オシム路線踏襲派」や、バレージ(ACミランユース監督)ジェンティーレ(イタリアU―21代表監督)ら「課題の守備克服派」と、それぞれ交渉を進めていた。
そんな中、G大阪での指揮経験から日本を熟知するクゼ監督が急浮上。代表監督としての経験や、攻撃性のユーゴ出身、安定した守備のドイツ育ち。攻守のバランスの良さなどが、千葉の求める条件と合致した。ドイツ語を話せるスタッフが多い千葉では、意思疎通の問題もない。
クゼ監督はディナモ・ザグレブ指揮当時の06年、練習試合で千葉と対戦。4―0で圧勝した。当時千葉を率いたオシム監督は「ああいうプレーを我々も目指すべき」と絶賛。その後、監督を探す欧州クラブの友人には「クゼなら間違いはない」と太鼓判も押した。名将も認めた男が、主力流出の危機にひんする千葉に、救世主になる。
[2008年1月7日9時9分 紙面から]
【ザグレブ9日AFP=時事】当地の地元紙は9日、クロアチア出身のサッカー指導者、ヨジップ・クゼ氏(55)がルワンダ代表監督を辞任し、Jリーグ1部(J1)千葉の監督に就任すると報じた。
同紙によると、千葉との契約期間は3年で、年俸は40万ドル(約4380万円)。クゼ氏は「ルワンダでは素晴らしい2カ月を過ごしたが、日本からのオファーを断ることはできない」と語った。
クゼ氏は1996〜97年にG大阪の監督を務めた。(この項目時事)
千葉の新監督就任が決定的となっている元G大阪監督のヨゼップ・クゼ氏(55)が、早ければ13日にも来日する見通しとなった。千葉の昼田強化部長によると、クゼ氏はルワンダのポール・カガメ大統領と会談し、ようやく同国代表監督の契約解除の同意が得られたという。就任に向けた最大のネックがクリアされ、現在は自宅のあるクロアチアで来日の準備を進めている段階。昼田強化部長は「まず、チーム編成を話し合うことになる。クゼさんがクロアチアを出発する12日か13日には正式に発表できると思う」と“内定”を口にした。昨季、56失点を喫した反省から、まずはDF陣の立て直しを期待している。
[ 2008年01月10日付 紙面記事 ]
元G大阪監督のヨゼップ・クゼ監督(55)がJ1千葉の新監督に就任することが9日、決まった。11日にも発表される。関係者によると、現在ルワンダ代表監督を務めている同氏は、同国大統領と面会、契約解除が認められたという。クゼ氏は13日か14日に来日して正式契約を結ぶ。大宮からオファーを受ける日本代表候補FW巻が「(監督の)話を聞いてから(去就を)判断したい」と話すなど、まずは選手との面談が新指揮官の重要な任務となる。
Jリーグ1部(J1)千葉は11日、新監督にヨジップ・クゼ氏(55)が就任する、と発表した。クロアチア出身の同氏は1996、97年にJ1G大阪を指揮し、2007年からはルワンダ代表の監督を務めていた。
また、新たに元日本代表の真田雅則氏がGKコーチに就任した。(了)
2003年12月、私はルワンダの首都キガリに滞在していた。所属するNGO「アフリカ平和再建委員会(ARC)」の短期調査のためである。滞在中は、とにかく色々な人が訪ねてくる。NGOスタッフとして雇ってほしいという人や、自分たちの活動を支援してほしいという人、はたまた怪しげな商売の話を持ち込んでくる人などである。しかしこの年にはちょっと変わった訪問者が来た。その時も私は、(ああ、また活動への協力の依頼かな)程度にしか思っていなかったが、彼はこう言うのであった。
「あなた、映画に出てみませんか?」
「え、エイガ?」と私。なにしろキガリには映画館というものがなく、やっとこの時期に一つできたばかりであった。ルワンダでルワンダ人が映画を作るなど、まったく思いもよらない話であった。
「そう、映画のエキストラを探しているんですよ。ルワンダのジェノサイドのことを扱った映画です。」
「そ、そうですか。でも僕は見てのとおりアジア人ですよ。私がルワンダが舞台の映画でどんな役をできるというのですか?」
「おー、心配いりません。国連平和維持軍として派遣されたパキスタン兵の役をやってください!」
「・・・」
ルワンダでアジア人を見かけることはめったにない。どうやら彼は、「希少価値のアジア人」の一人として私に目を付けたようだったのだが、私は撮影が始まる前に日本に帰国しなければならなかった。私の銀幕デビューは幻に終わった。
しかしこの年以降、「ルワンダもの」映画が続々と登場し、一部は日本でも上映された。
“Hotel Rwanda(邦題「ホテル・ルワンダ」)”(2004)、“Shooting Dogs(邦題「ルワンダの涙」)”(2005)、 “Sometimes in April”(2005)等である。すべて、ルワンダのジェノサイドを扱ったものである。これらが欧米の映画人によって作られたのに対し、ルワンダの映画人もまた、予算などの制約がある中、ルワンダ人としてジェノサイドを正面から扱う映像作りに取り組むようになった。13年の時間の経過によって、ようやく人々は過去の忌まわしい記憶と向き合うことができるようになっていったのだろうか。
ルワンダでは過去の記憶をしのばせるものとして、全国いたるところに「ジェノサイド・メモリアル」と呼ばれる追悼施設がある。そこでは、人々が殺された教会や学校の跡地に遺骨や遺品が「展示」されている。これらは、ジェノサイドの記憶を風化させないための取り組みであり、このようなことを二度と起こすまいという象徴的な施設である。広島の原爆ドームと同じような意味合いを持つものといえよう。しかしこのように過去の記憶を温存することは、一方で人々の心の中にもつらい記憶をとどめることでもある。1999年、私はルワンダ人の友人とともにジェノサイド・メモリアルを訪れたことがある。そこは教会の跡地で、救いを求めたツチの人々が惨殺された所である。ジェノサイドから5年を経ており、遺体はすべて白骨化していた。しかし物を言わない無数の遺骨が、かえって雄弁に真実を語りかけているような気がした。そして友人はこう言った。「コミネ。ジェノサイドで家族を失った人はこれを見ても、加害者と和解することができると思うかい?」。彼の言葉に私は何も言えなかった。
和解―ジェノサイド後に発足した新政府は、「国民和解」を新国家建設の旗印に掲げた。ルワンダ人すべては同じ国民として協力し、新しいルワンダを作っていこうというものである。ジェノサイドという事件を法的に処理し、国民の和解を促していく政府の取り組みが、「ガチャチャ」という大衆裁判である。現在ルワンダ全土の村々で、約一万か所の「青空裁判」が行われている。一見すると村の寄り合いであるが、それぞれの地域で加害者の当時の行為を住民が証言していくのである。進行は、村の中で選挙で選ばれた判事団が行い、そこでの証言によって事実を明らかにし、量刑が行われるのである。
しかしガチャチャに参加する人の多くは、加害者に刑罰が下ること自体には関心が低いようだった。私はガチャチャの会場を訪れ、人々の話を聞いたことがある。その時にほとんどの人が言っていたのは、自分の家族の最後の様子のことを知りたいとか、家族の遺体が今どこにあるのか知りたいという理由で参加しているということであった。そしてそういった事実が明らかにされ、加害者が謝罪するのなら、「ゆるす」と言っていた。
もちろん、すべての生存者が加害者をゆるすなどということは容易なことではない。ジェノサイドによって父親を失ったルワンダ人の友人に聞いてみた。
「お父さんを殺した人をゆるせるの?」
彼は胸に手をあててこう言った。
「このあたりにはまだ、わだかまりはあるよ。でもね、もう殺し合いはいやだ」。
ジェノサイドから14年がたとうとしている今でも、人々は心の中に葛藤を抱えている。
そんな中でもかすかな光を見出すときがある。
ARCが行ってきた戦争寡婦のための洋裁学校の卒業生は、ジェノサイドの時に隣人に自分の親類を殺された。彼女はその殺人者の家族の近所に今も暮らしている。ある日彼女は、その殺人者の家族に、「あなたもこの洋裁学校に通ってごらんなさいよ」と話しかけたという。彼女は洋裁という専門技術を身につけたことで、未来にわずかでも希望を見出し、そのことによって過去という呪縛から一歩を踏み出したのかもしれない。
ルワンダは今では、国内の治安も安定し、経済成長も続いている。20世紀最大のジェノサイドを起こしたと呼ばれる国は、平和構築の成功例とまで言われる。しかし今でも多くの人は過去の記憶と向き合いながら生きているのである。
プロフィール
小峯 茂嗣(こみね・しげつぐ)
NGO「アフリカ平和再建委員会(ARC)」事務局長。1997年以後、難民帰還後のルワンダにおいて、現地NGOと支援活動を行う。現地支援活動のほか、2003年のTICAD IIIに対してアジア、アフリカの市民の声を反映させるための提言活動や、児童兵士問題のキャンペーン活動にも取り組む。早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター客員講師、東京外国語大学大学院地域文化研究科平和構築・紛争予防講座研究員もつとめる。
米地質調査所(USGS)によると、アフリカのルワンダ南部で3日午後零時56分(日本時間同7時56分)ごろ、マグニチュード(M)5.0の地震が発生、ロイター通信によると、少なくとも21人が死亡、200人が重傷を負った。
地元警察はロイターに「救助活動を行っているが、死者数が増える恐れがある」と語った。
USGSによると、震源地は同国ブタレ西方約85キロで、震源の深さは約10キロ。(共同)
ルワンダからの報道によると、同国とコンゴ(旧ザイール)の国境地域で3日午前9時半(日本時間同日午後4時半)と午後1時(同午後8時)ごろ、大きな地震があり、両国で少なくとも39人が死亡、約550人が重傷を負っている。マグニチュードは6.0と5.0。被害は隣国ブルンジでも出ている模様で、さらに拡大するとみられる。
地元ラジオによると、ルワンダ南西部のルシジ地区ではキリスト教会が崩壊して10人が即死した。
【2月4日 AFP】(一部更新、写真追加)アフリカ中部の大湖(Great Lakes)地域で3日、大きな地震が2度発生、少なくともルワンダで34人、コンゴ(旧ザイール)で6人が死亡、数百人が、骨折するなどのけがを負った。
最初の地震の震源地は、コンゴ東部のブカブ(Bukavu)北方約20キロメートル。マグニチュード(M)6を観測し、ブカブ中心地では、家屋が倒壊したり、ビルに深い亀裂ができるなどの被害が出ている。
同国ゴマ(Goma)の観測所によると、最初の地震は3日午前9時34分(日本時間同日午後4時34分)に発生、M5を観測した2度目の地震は、同日午後12時56分(日本時間同日午後7時56分)に発生した。(c)AFP
【2月20日 AFP】6日間の日程でアフリカ5か国を歴訪中のジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)米大統領は19日、3つめの訪問国ルワンダの首都キガリ(Kigali)に到着した。キガリ国際空港(Kigali International Airport)ではポール・カガメ(Paul Kagame)ルワンダ大統領が出迎え、歓迎式典が行われた。
完成した在ルワンダ米大使館の開館式では、赤いリボンにはさみを入れる際に、自分の頭を散髪するまねをして周囲の笑いを誘った。
ブッシュ大統領はこの後、キガリの虐殺記念館を訪問予定。カガメ大統領との会談では、スーダン西部のダルフール(Darfur)地方の危機的状況打開に向けて意見を交換する。(c)AFP
耳の日記念「第28回県ろうあ者福祉大会」は2日、福島市飯坂町のパルセいいざかで開かれ、県立の聴覚障害者情報提供施設の整備実現など7項目の大会決議を採択した。
約600人が参加した。
大会決議には手話通訳派遣事業の普及や、障害者自立支援法の応益負担の廃止を求める働き掛けをすることなども盛り込んだ。
記念講演も行い、NPO法人ルワンダの教育を考える会副理事長のカンベンガ・マリールイズさんが、内戦の体験から感じた平和や命、教育の大切さなどを語った。
Appleの共同創設者であるSteve Wozniak氏はNicholas Negroponte氏が進めるOne Laptop Per Child(OLPC)プロジェクトを大いに応援していることを明らかにした。しかし、OLPCのPCに完全に乗り換える計画がうまく行かなかったことを告白した。
Wozniak氏はシドニーで開催のBroadband and Beyondカンファレンスで現地時間3月3日、当初は同プロジェクトに懐疑的だったが、今では総合的に見て発展途上経済に寄与すると思っていると講演で語った。
「初めは、村落にコンピュータを持ち込んでどうするのかと疑問だった。自分で発電しなければならない。電気もなければ、インターネットもないのだ」(Wozniak氏)
「しかし、世界中の百科事典を利用するには、インターネットが是非とも必要だ」
Wozniak氏がこう語った数日前、Microsoftの創設者であるBill Gates氏は安価なコンピュータでは貧困層の支援にはならないと述べている。
Gates氏は、「確かに、コンピュータはすばらしい」と述べ、「安価なコンピュータがあれば助かるだろう。しかし、最貧困層の人々を見た場合、彼らがいま最も必要としているのはコンピュータではない」と語った。
Wozniak氏はOLPCを創設したNegroponte氏は国際的に評価されるべきだと付け加えた。
「ノーベル平和賞に値する」(Wozniak氏)
Wozniak氏は、OLPCプロジェクトが発展途上国の村落に雇用機会を生み出していることに感銘を受けていると述べ、OLPCのXOノートPCを使って村民がアウトソースのソフトウェア開発者として活動可能になったルワンダの例を挙げた。
「(OLPCプロジェクトが)さらに発展することを期待したい。私は大いに応援している」(Wozniak氏)
Wozniak氏はXOノートPCを持っているとも述べた。同氏はPCをこの1つにまとめようとしていたという。しかし、「乗り換えてどこにでも持ち歩くつもりだったが、うまくいかなかった」と述べた。
2005年には、Appleのもう1人の創設者であるSteve Jobs氏がOLPC FoundationにMac OS Xの無償提供を申し出たがオープンソースでないことを理由に拒否されたと、The Wall Street Journalは報じていた。
連邦外務省開発協力局のヴァルター・フスト局長は4月17日、スイスの過去15年間の開発協力と今後の方針を明らかにし、特に食糧安全保障問題について多く言及した。
フスト局長は4月末で退任し、アナン前国連事務総長が会長を務める「グローバル人道フォーラム ( Global Humanitarian Forum ) 」で事務局長を務める予定である。
国連の「ミレニアム開発目標」の第1目標、「貧困と飢餓の撲滅」に沿って、連邦外務省開発協力局 ( DEZA/DDC ) は貧困を削減することと、持続的な開発を今後とも目標にし、健康、教育、水、環境、移民、地域とグローバル経済の融合など10項目をテーマに掲げている ( 関連のインタビュー記事を合わせてお読みください )。
開発協力対象国を限定
開発協力対象国に関しては、1994年は24カ国だったが、15年後の2008年には14カ国に、さらに2015年には12カ国に限定される。予算は数年前から毎年5%増えているが、国の数を限定することで、開発協力の質を向上させたいという。
予算の内訳は、66%をこれら14カ国にあて、20%をキューバ、ルワンダなど紛争後の国の安定に、15%をさまざまな国の開発協力、援助にあてる。
また、開発協力の方法に関しても、「ミレニアム開発目標」の第8目標「開発のためのグローバル・パートナーシップの推進」に沿って、スイスと同規模の国が数カ国一緒になり、1つの国の開発に協力していくようにするという。
食糧安全保障
食糧安全保障問題に関しては、開発協力対象国の農業事情を分析する必要があるという。問題が、構造上の問題か、一時的な気候や災害の問題か、政治的問題かを分析し、その国にあった協力を行う必要がある。
実は、途上国の多くが、悪品種を使っていたり、自給用だけを生産しマーケットへの参加を理解していなかったり、採算性の合わない産物を生産し続けていたりといった構造的問題を抱えているという。
「つい最近、ラオスの代表が表敬訪問した際、スイスが18年かけてラオスの米の品種改良に協力し、40%の生産率を110%に伸ばし、輸出できるまでにしたことを感謝してくれました。米を生産しないスイスが協力できたのです」
とフスト局長は誇らしげに語った。
一方、先進国が途上国に輸出補助金を使って農産物を低価格で輸出し、その国の農産物生産を破壊する事実を挙げ、この農産物の輸出補助金をストップすることが大切だと語った。
「ペルーでは、自国産のジャガイモより、イタリアからくるパスタのほうが安く、人々はパスタのほうを買い、自国のジャガイモ生産を抑圧するのです」
さらに、穀物の値段を吊り上げるため、ストックしたりする途上国の行為は人道的に許されないとも語り、経済問題とも関わる食糧安全保障問題での開発協力の複雑さを提示した。
swissinfo、里信邦子 ( さとのぶ くにこ )
連邦外務省開発協力局 ( DEZA/DDC )
連邦外務省開発協力局は連邦外務省に属する。
開発協力相手国での、貧困を削減することと、持続的な開発を目標にし、以下のような10のテーマに沿って、活動を行っている。健康、教育、水、農業と地域の持続的開発、経済と雇用、環境、人権と民主主義、紛争の予防と改善、移民、地域とグローバル経済の融合。
主な開発協力対象国を以下の14カ国に絞っている。ベナン、ブルキナファソ、マリ、ナイジェリア、チャド、モザンビーク、タンザニア、ボリビア、ペルー、ニカラグア、バングラデシュ、ネパール、パキスタン、ベトナム。
スイスと国外を合わせ620人が働いている。開発協力相手国には、約1000人の協力者を抱える。2007年度の年間予算は13億フラン ( 約1300億円) 。
[eiga.com 映画ニュース] 「スター・ウォーズ」新3部作のアミダラ役で知られるナタリー・ポートマンが、米の地球環境問題ニュースサイトGrist.orgが毎年発表する、最も地球環境にやさしいセレブリティ“グリーンリスト”の第1位になった。
ポートマンは、アフリカ・ルワンダの絶滅寸前状態にある野生のマウンテンゴリラの保護に尽力、また低消費電力の電球メーカーの広告の顔になり、さらに動物保護のため動物の皮革を使わない靴メーカーを立ち上げたとして、地球にやさしいセレブ第1位に選ばれた。その他、レオナルド・ディカプリオ(07年第1位)、キャメロン・ディアス(07年第2位)、ジュリア・ロバーツ、ブラッド・ピットらが続いている。
反対に、地球環境を省みないワーストセレブには、欧米を中心に地球上をジェット機で飛び回っているデビッド・ベッカム、インドでの自分の結婚式に250名もジェット機で招待した英女優エリザベス・ハーレー、プライベートジェット機でワールドツアーを飛び回ったスパイス・ガールズが選ばれた。
第4回「アフリカ開発会議」の関連企画として23〜25日、横浜市のNYKホールなどで、ルワンダの劇団「ウルヴィントーレ」が初来日公演を行う。演目は「The Investigation(追究)」。第二次大戦後、フランクフルトで開かれたアウシュビッツ裁判を題材にしたペーター・ヴァイスの戯曲で、ドキュメンタリー演劇の金字塔と評されている。ウルヴィントーレは、俳優・演出家、舞踊家で、ピーター・ブルック劇団の中心俳優としても活躍しているドルシー・ルガンバを中心に2001年に結成。実体験に基づいたルワンダの虐殺をテーマにした作品などを発表し、世界で高い評価を得ている。詳細の問い合わせは(電)045・663・2812。
福田康夫首相と第4回アフリカ開発会議(TICADIV)出席のため来日したルワンダのカガメ大統領との27日の首脳会談では、両首脳ともに日本が1994年に旧ザイール(コンゴ民主共和国)に派遣したルワンダ難民救援隊の人的貢献について一切触れなかった。アフリカでの自衛隊の歴史的活動が忘れられたかっこうだ。
政府は94年9〜12月、内戦で追われたルワンダ難民支援のため、国際平和協力法に基づき旧ザイール・ゴマに自衛隊を送り込んだ。国連平和維持活動(PKO)の部隊ではなく、日本主体の人道的な救援活動として最初の例だった。
しかし、この日の首脳会談で首相は「94年の大虐殺の悲劇を乗り越え、現在の成功に導いた大統領の指導力を高く評価する」と述べたが、その過程で汗を流した自衛隊に関しては言わずじまい。大統領からも自衛隊、日本の支援への謝意表明はなかった。
アフリカへの外交攻勢をかける中国はアフリカでの6つのPKOミッションに計約1300人を派遣しているのに、日本は現在ゼロ。アフリカでは、日本の影が薄くなりつつあるだけに、首脳会談で自衛隊の活動への言及がなかったのは残念だ。(高木桂一)
【ナイロビ=古谷祐伸】80万人が犠牲になったとされる94年のルワンダ大虐殺に、当時部隊を派遣していたフランスの政治家らが積極的に関与したとする報告書が5日、ルワンダ政府によって発表された。AFP通信などによると、故ミッテラン元大統領やバラデュール元首相ら、当時の仏政府首脳らが名指しで非難されている。
大虐殺は、多数派のフツ族民兵などが、少数派のツチ族や穏健派のフツ族を襲撃して起きたとされる。仏政府は90年からのルワンダ内戦で、自国民保護による派兵やフツ族中心のルワンダ政府への武器供与などを行っていた。
120人の目撃証言に基づく報告書は、仏軍兵士が殺人やレイプに直接かかわったほか、民兵側の路上検問を黙認するなど、政治的・軍事的に支援したとしている。その責任者として、ミッテラン氏ら政治家と軍関係者計33人の名前が列挙されている。
94年4月の故ハビャリマナ・ルワンダ大統領(当時)の搭乗機撃墜事件をめぐり、仏捜査当局は04年、ルワンダのカガメ現大統領が首謀者だったとする報告書をまとめている。これに反発して、ルワンダ政府が06年、仏政府の大虐殺での役割を調べるための特別委員会を設けたいきさつがある。ルワンダは06年11月にフランスと断交。ルワンダ政府はすぐには起訴手続きを取らないとしているが、今回の報告書で両国関係がさらに悪化することは必至だ。
仏外務省は報告書を見ていないとして、コメントは出していない。
【ヨハネスブルク高尾具成】ルワンダ政府は5日、約100万人が犠牲となった「ルワンダ大虐殺」(94年)に関する報告書を発表。当時のフランス政府が積極的に虐殺に加担したとし、ドビルパン前首相や故ミッテラン大統領ら政治家13人と軍幹部20人の名を挙げ、訴追されるべきだと訴えた。AFP通信が伝えた。
フランス司法当局は06年、ルワンダ大虐殺の発端とされる94年4月のハビャリマナ大統領(当時)搭乗機撃墜事件に関して、当時反政府勢力指導者だったカガメ現ルワンダ大統領が指揮したと認定。側近9人の逮捕状をとり、国際手配した。ルワンダはこれに反発し国交を断絶。今回の報告書も意趣返しの意味合いが強いとみられる。
報告書は、仏政府が虐殺計画を事前に知りながら、実行した当時のルワンダ軍や民兵組織を指導するなどし、虐殺にも関与したと非難。ルワンダ司法省は「仏軍は、少数派ツチ人とフツ人穏健派の殺害に直接手を下した」との声明を出した。
フランス国防省報道官はAFP通信に対し、「(報告書は)独立性と公平性に欠ける内容だ」と話した。
毎日新聞 2008年8月8日 東京朝刊
【パリ=野見山祐史】モラン仏国防相は7日、1994年のルワンダ大虐殺に仏の軍隊や政治家が深く関与したとする同国政府の報告書について「全く容認できない」と強く否定した。国防相は「仏軍は何千人もの救命に尽くした」と強調し、「仏議会調査でも仏軍に過失がなかったことは証明済み」と説明した。国交を断絶している両国関係の一段の悪化は避けられない。
ルワンダ政府が5日発表した報告書は、80万人以上が犠牲になった94年の大虐殺について、フツ族による殺人やレイプに仏軍が加担したなどと明記。AFP通信によると責任者として当時のミッテラン大統領やバラデュール首相らの名前を挙げた。 (12:05)
ルワンダの4,000人以上もの難民は、カナダのNPOであるSole Responsibilityの寛大さのお陰で、もう裸足で過ごすこともなくなる。彼らは再び、難民の足に再び靴を履かせるためUNHCRを援助している。
「現在は雨季で、難民は素足のままで濡れた、泥の中にいるから、これは彼らにとって非常に素晴らしい援助となるだろう」と、UNHCRルワンダ代表で、 4,100足もの靴が到着間近であるということに感激しているアネッテ・ナイカン(Annette Nyekan)は述べた。
「昨年から、ルワンダにいる難民のための靴を探していた」と、UNHCR本部の中央アフリカおよび大湖地域のデスク・オフィサーであるポール・ダイトーロウム(Paul Ndaitouroum)は付け加えた。
Sole Responsibilityはオタワを拠点とする草の根団体で、活動理念は世界の家を追われた人々へ靴を提供することだ。彼らは丁寧に履かれた運動靴を集め、選ばれた難民キャンプへ送り届けるための送料をも募っている。
「UNHCRはSole Responsibilityの、世界の裏側にいる難民と避難民への靴の収集と寄付、さらには目的地まで届けるという努力に対し、心より感謝しています。この靴によって、難民の子どもたちは学び、遊び、特別で大事に思われていると、感じさせることができる」と、UNHCRカナダ事務所代表のアブラハム・アブラハムは謝意を述べた。
Sole Responsibility はすでに、来年への活動を見据えている。
アフリカ中部のルワンダで15日に投票が始まった下院選(定数80)で、国レベルの議会選としては世界で初めて女性が過半数の議席を獲得する見通しであることが19日までに分かった。選挙管理委員会のカラングワ委員長はロイター通信に、「最終結果には至っていないが、女性議員が50%を超えるのは明らかだ」と話した。
ルワンダでは、1994年の大虐殺で男性の人口が減ったこともあり、カガメ大統領率いる現政権は女性の政界進出に熱心といわれる。憲法でも女性議員数が全体の30%を超えるよう規定している。下院は下院または一院制議会として女性議員の比率が世界で最も高い48・8%だった。今回の選挙で、少なくとも55%に達するとみられる。
政党別では、与党ルワンダ愛国戦線(RPF)が圧勝を確実にした。(共同)
【11月20日 AFP】1994年のルワンダでの大虐殺前に発生した大統領暗殺事件に関与したとしてドイツで拘束されたRose Kabuye容疑者(47)の身柄が19日、フランス当局に引き渡された。
Kabuye容疑者は、ルワンダのポール・カガメ(Paul Kagame)大統領の長年の側近。元ゲリラ指導者で、現在はカガメ政権で儀典長を務めている。ドイツ警察は、フランス当局の逮捕状に基づき、フランクフルト(Frankfurt)の空港に到着したKabuye氏を拘束していた。Kabuye氏の身柄はフランクフルトでフランス当局者に引き渡され、パリ(Paris)へ移送された。
フランスの捜査当局によると、Kabuye容疑者は、ルワンダのハビリャマナ(Juvenal Habyarimana)大統領とブルンジのヌタリャミラ(Cyprien Ntaryamira)大統領(いずれも当時)、仏パイロット2人が死亡した航空機撃墜事件に関与したとみられている。
航空機撃墜事件後には、ハビリャマナ大統領の出身民族だったフツ(Hutu)人らによるツチ(Tutsi)人と穏健派フツ人への襲撃が始まり、100日間にわたって子どもや女性を含む約80万人が犠牲となった大虐殺が起きた。
フツ系の強硬派が襲撃の口実を作るため、同じ民族の大統領を殺害したとの見方もあるものの、フランス捜査当局は、カガメ大統領の率いていたツチ系反政府勢力が航空機を攻撃したと断定し、捜査を続けていた。
欧州の捜査当局では、Kabuye容疑者らに対し準備されている訴訟内容を弁護士らが知るために、Kabuye容疑者が意図的に逮捕された可能性もあるとの見方も出ている。
■ルワンダでは抗議デモ
ルワンダの首都キガリではKabuye容疑者の拘束を受け、3日間にわたって抗議デモが行われた。19日にも、Kabuye容疑者の身柄がフランスに引き渡されたのを受け、再び数万人規模の抗議デモが起きている。(c)AFP/Mathieu Foulkes
【パリ=国末憲人】ルワンダ大虐殺のきっかけとなった94年のハビャリマナ同国大統領機撃墜事件にかかわったとして、フランス司法当局は19日、カガメ現ルワンダ大統領の側近のアブエ儀典長に対する捜査に着手した。近年改善の兆しが見えていた両国関係を再び複雑化させそうだ。
アブエ儀典長は、撃墜事件の犠牲者遺族が「テロ組織と連携しての殺人共犯」容疑で告訴していたため、今月9日にドイツを訪れたところを当局に拘束され、仏に移送された。仏当局は19日、予審開始決定を通告した。
撃墜事件には、少数派ツチ族主体の反政府勢力で後に政権を獲得した「ルワンダ愛国戦線」(RPF)のカガメ現大統領らの犯行とする説と、大虐殺を主導した多数派フツ族強硬派の陰謀だとする説がある。仏司法当局はRPF首謀の事件とみなし、06年にアブエ氏らを指名手配。反発したルワンダは仏と断交した。
しかし、アフリカ中部への影響力回復をめざすクシュネル外相は今年1月キガリを訪問。「(仏に)政治的誤りがあった」と認めるなど、関係改善が進んでいた。
(CNN) ルワンダの大虐殺を裁く国際戦争犯罪法廷は18日、虐殺の首謀者とされたルワンダ軍のテオネステ・バゴソラ大佐(67)ら3被告に有罪を宣告し、終身刑を言い渡した。
有罪判決を受けたのはこのほか、ンタバクゼ少佐、ンセンギユンバ中佐の2被告。それぞれ大量虐殺、人道に対する犯罪、戦争犯罪の罪で終身刑を言い渡された。
一方、軍司令官を務めていたカビリギ被告は無罪となり、即時釈放が認められた。
ルワンダ大虐殺は1994年、大統領機が撃墜された事件をきっかけに、多数派のフツ族過激派が対立する少数派のツチ族の殺りくを開始、100日間で推定80万人が犠牲になった。バゴソラ被告はこの虐殺を首謀し、フツ族の民兵にツチ族の虐殺を命じたとして起訴された。
ルワンダ国際戦争犯罪法廷は国連が1994年に設置し、タンザニアのアルーシャに本部が置かれている。裁判では4被告とも無罪を主張していた。
【12月18日 AFP】1994年に起きたルワンダ大虐殺の責任者を裁く国連(UN)のルワンダ国際犯罪法廷(International Criminal Tribunal for Rwanda、ICTR、タンザニア・アルーシャ<Arusha>)は18日、80万人が犠牲となった大虐殺の首謀者とされる元ルワンダ軍大佐、テオネスト・バゴソラ(Theoneste Bagosora)被告(67)に終身刑を言い渡した。
同法廷は、バゴソラ被告の起訴事実であるジェノサイド(集団殺害)、人道に対する罪、戦争犯罪のすべてについて有罪と認めた。
バゴソラ被告のフランス人弁護士は、判決言い渡し後、被告が判決について「失望した」と述べ、控訴の意向を示していると語った。
同日の裁判では、バゴソラ被告のほかに元ルワンダ軍幹部3人についても判決言い渡しがあり、2人に終身刑判決が言い渡された。残る1被告は無罪となった。ジェノサイド共謀罪については3被告とも無罪とされた。
ルワンダ大虐殺は、1994年4月にフツ人のジュベナール・ハビャリマナ(Juvenal Habyarimana)ルワンダ大統領(当時)とブルンジのシプレン・ヌタリャミラ(Cyprien Ntaryamira)大統領を乗せた航空機が撃墜された事件が引き金となったとみられ、多数派のフツ人による少数派のツチ人や穏健派フツ人虐殺が100日間あまりにわたって続いた。虐殺を阻止できず、事実上ツチ人らを見殺しにした国際社会にも批判が集中した。(c)AFP
94年のルワンダ大虐殺(ジェノサイド)の国外逃亡犯を裁くためタンザニアに開設されている国連「ルワンダ国際犯罪法廷」は18日、重要首謀者の1人とされる旧ルワンダ政府軍(FAR)のバゴソラ元大佐(67)に終身刑を言い渡した。AP通信が伝えた。【ヨハネスブルク】
毎日新聞 2008年12月20日 東京朝刊
【ビジネスワイヤ】米コカ・コーラ財団は、開発途上国における飲料水の水質と下水処理を改善する革新的な4プロジェクトに、総額100万ドルを寄付すると発表した。これらプロジェクトは、コカ・コーラなどが創設した水問題解決を促す有力組織の連合体、米グローバル・ウオーター・チャレンジ(GWC)と、社会起業家を支援する米アショカ財団が、アショカの社会変革イニシアチブ「チェンジメーカーズ」のオンライン・コンペを通じて選定した。同コンペには、今年1−3月に世界54カ国の社会起業家から計265件のプロジェクト応募があった。その中から、インド、ルワンダ、ケニア、南アフリカ共和国向けのプロジェクトが選ばれ、GWC、チェンジメーカーズ、コカ・コーラ財団の助成を受ける。
【注】この記事はビジネスワイヤ提供。英語原文はwww.businesswire.comへ。(2008/12/22-13:31)
◇国の再生誓い
朝もやに煙る緑の丘が美しい。空気がきらめいているようだ。このすがすがしさは、車の排ガスや騒音がないせいでもある。
毎月末土曜日の午前、アフリカ中部ルワンダ全土で車が路上から姿を消す。「ウムガンダ」と呼ばれる政府主導の清掃などの奉仕活動が実施されるためだ。「大統領も掃除をする。今、ルワンダは心を一つにしなければならない」。首都キガリの石畳の道で、溝を丹念に掃除するボナバンチュール・ムバウェヨさん(30)は言う。
94年の大虐殺直後、街は遺体であふれた。野良犬がうろつき、異常な数の鳥が空を覆った。「虐殺の記憶を清算すると同時に、決して忘れないとのメッセージが奉仕活動に込められている」
キガリではビルの建設ラッシュが続く。03年に当選したカガメ大統領の指導下、年5%以上の経済成長を達成してきた。コーヒーや紅茶の輸出が主要産業だが、情報産業立国を目指す。実用的な電子政府を導入。小国を逆手にとり、周辺国の中継地としての可能性を見いだしつつある。04年以降、海外からの投資促進にも力を注ぐ。
「即」「15分」「30分」。政府の許認可書類には、役人が順守すべき「対応スピード」が記されている。営業免許や会社登録などは無料。官僚主義がはびこるアフリカでは異例だ。外務協力省幹部は「知恵を絞り、再建を模索してきた。それを農業生産で培われた勤勉な国民性が支えている」と胸を張る。
「大統領自ら車を運転する姿も珍しいことではない」とキガリのタクシー運転手は話す。清廉さもルワンダをきらめかせる。閣僚、次官級を除き公用車を原則廃止。援助国の車の供与も停止した。エレベーターのない省庁もあるが「(その整備より)他に優先すべき課題は山のようだ」と職員は階段を駆け上がった。07年には世銀が「世界ガバナンス指標」の汚職対策分野で中・東部アフリカでトップの評価をした。
今年2月、ブッシュ米大統領はアフリカ訪問国5カ国の一つにルワンダを選び、投資を進める2国間協定を締結した。ベルギーの信託統治領だった経緯から仏語圏諸国の影響が強かったが、キガリでは、米資本の飲食店なども目立ち始めた。
奉仕の日、郊外では植林も実施されていた。カラリサさん(40)は軽やかに語る。「この国には『規律』という美徳がある。大虐殺ではそれが間違った方向に働いた」
◇
ジェノサイドから来年で15年を迎えるルワンダの今を報告する。【キガリで高尾具成】
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■ことば
◇ルワンダ大虐殺
94年、フツ系ハビャリマナ大統領らの航空機が撃墜されたのを機に、政府軍やフツ系過激派民兵らによるツチ系住民やフツ系穏健派の襲撃が始まり、80万〜100万人が虐殺された。現カガメ大統領率いるツチ主導の反政府勢力「ルワンダ愛国戦線(RPF)」の全土掌握で収束した。
毎日新聞 2008年12月26日 東京朝刊
「未来を向いて」。94年の虐殺時に多数が殺されたルワンダ西部カロンジ地区。カユンバ・ベルナルド区長(39)は、各地の刑務所を時折訪ね、地区の虐殺を実行した受刑者に声をかける。罪は責めない。共通の知人の話題など世間話をして帰るだけだ。受刑者はか細い声で応じるという。
94年。カロンジ地区でも昼夜にわたる殺りくが行われ、ベルナルドさんは両親や兄弟姉妹を奪われた。助けを求めた近くの村の教会では、神父が避難民をフツ系過激派民兵に売り渡した。神父はフツ系だった。その後、フランスへ逃げたままだ。
現在、地区では被害者と加害者が道で当たり前のようにすれ違う。「両者がこれほど混住した虐殺の地は人類史上見当たらない。この国の特徴でもあり、難しさだ」
「聖職者になるのが夢だった」という区長の声は包み込むようだ。加害者と対話を続けるのは「和解を繰り返し意識し続けない限り、もろく崩れる怖さがある」からだ。「道のりは長く険しい」と区長は遠くを見つめた。
「我々はフツやツチである前にルワンダ人だ」。首都キガリの南約40キロ。約5000人が虐殺されたヌタラマ村の教会で、農家のニシミヤマナ・ロバートさん(23)は話す。
ベルギーはルワンダを植民地化した際、「分断して統治する」ため、国民をツチ系とフツ系に色分けした。ロバートさんはツチ系の父、フツ系の母の下に生まれた。虐殺で父は殺され、母は行方不明になった。
9歳のロバートさんは当時、6歳、4歳、2歳の弟と残された。学校にも行けず、食うや食わずの生活が続く。母と町中でばったり再会したのは2年後。抱き合ってただ、泣いた。「大虐殺でフツもツチも学ぶ機会を奪われ、貧困に直面した。虐殺はだれにも利益をもたらさなかった」
現在、「ツチ」や「フツ」を公の場で語ることは禁じられるようになった。ただ、ロバートさんは、将来、自分の子どもに何があったのか教えるつもりだ。「難しいのはわかっている。でも教育が必要だ。二度と繰り返さないために」【ヌタラマ村(ルワンダ中部)で高尾具成】
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■ことば
◇ツチ系とフツ系
一般的にツチ系は背が高い牧畜民族、フツ系は背が低い農耕民族とされるが両系間の結婚も多く、区分は不明確。フツ系が人口の85%。植民地時代、ベルギーは身分証明書を導入。ツチ、フツ系を明記させた。両系の間では内戦が繰り返されてきた。
毎日新聞 2008年12月27日 東京朝刊
のりのきいた桜色の服を着た男たちの列が続く。虐殺に手を染め、服役する受刑者たちだ。ルワンダ西部カロンジ地区。幹線道路を歩く受刑者の腕には手錠がない。沿道の住民は傍らで日々の仕事にいそしむ。受刑者の中には知り合いと会話する者さえいる。付き添いの警察官は制止せず見つめている。
彼らが向かっているのは清掃など奉仕活動だ。それは「可能な限り社会復帰を目指す」のが目的で、町中で行われる。
元漁師のヌクビト・ザカリアさん(42)も50人以上を虐殺したとして終身刑の判決を受けた。地元指導者の指示で、なたの一種マシェーテを手に近隣のツチ系住民を殺害。「顔見知りを殺しては家に帰る生活だった」
やがてツチ系反政府勢力が全土を掌握する。ヌクビトさんはいくつもの丘を越え、フツ系難民の波に紛れて隣国コンゴ民主共和国に逃げ込んだ。
難民キャンプは物資が大量に入り、生活に不自由はなかった。だが「楽しくはなかった。家族が恋しかった」。帰れば捕まるのはわかっていたが、いてもたってもいられなくなり、97年に帰国。直後に逮捕された。
「私はルワンダを愛している。虐殺があったことは非常に悪い。謝りたい」。償いの日々に終わりはない。
「ツチもフツも過去には一緒に生活していた。これからも共に生きていけるはずだ」。同じくコンゴ民主共和国に逃れた後、99年に帰国し、逮捕されたハブガリマナ・フランシスさん(45)は話す。
懲役39年の有罪判決を受けた。今は奉仕活動に精を出し、出所後、建築現場で働けるよう研修も受けている。
受刑者たちには家族からの差し入れが週1度認められている。だが最近、食べ物の差し入れが禁じられた。事情を知る警官は「親族が受刑者を恥じ、毒を盛るケースがあるためだ」と説明する。受刑者を取り巻く人間関係は複雑だ。
出所後は、被害者家族とすれ違うこともあるはずだ。「その時は黙って通り過ぎることはできない。許しを請うしかない」【カロンジ(ルワンダ西部)で高尾具成】
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■ことば
◇虐殺の裁き
国連ルワンダ国際犯罪法廷と別に、地域社会が虐殺の実行者を裁く「ガチャチャ法廷」が行われている。和解や、社会奉仕を通じた被告の社会復帰も視野に入れており、被告が進んで罪を認めれば減刑もありうる。06年7月から07年末までに約106万件が裁かれ、約3割の無罪判決が出た。
毎日新聞 2008年12月28日 東京朝刊
(CNN) アフリカ中部のルワンダ政府は23日、隣国のコンゴ民主共和国(旧ザイール)の反政府勢力「人民防衛国民会議(CNDP)」を率いるヌクンダ将軍をルワンダ領内で逮捕したと述べた。両国政府は同将軍の身柄などの問題を協議しているが、逮捕でコンゴ情勢が安定へ向かう可能性もある。
CNDPの勢力は約1万人とされるが、ヌクンダ将軍に忠誠を誓う戦闘員は約1500人ともされ、政府軍への編入が焦点ともなる。
コンゴ政府軍とCNDPの戦闘は同国東部で昨年8月ごろから激化。CNDPは1994年のルワンダ虐殺で犠牲になったツチ族を、コンゴ政府軍の支援を受けるフツ族民兵から守ることを戦いの名分としている。CNDPへのルワンダの支援も指摘されているが、同国は否定している。このため紛争解決には両国政府の協調行動が不可欠とされていた。
CNDPには住民の虐殺容疑もある。
ロイター通信によると、国連緊急援助調整官室(OCHA)は13日、地元筋の情報として、コンゴ(旧ザイール)東部北キブ州で9日、武装グループによる襲撃事件があり、地元住民60人を含む少なくとも90人が死亡したと明らかにした。
1994年のルワンダ大虐殺への関与が指摘されている民族フツ系の反政府勢力、ルワンダ解放民主軍(FDLR)の犯行とみられている。
コンゴと隣国ルワンダの合同軍は今年に入り、FDLR一掃作戦を実施。合同軍は作戦の成功を宣言したが、再びFDLRが勢力を活発化させている。(共同)
筑豊・遠賀地域出身の青年海外協力隊員6人による「世界をつなぐ写真展」が直方市湯野原のイオンモール直方で開かれている。土、日曜は協力隊経験者が常駐し質問に答える。10月4日まで。
海外ボランティアを身近に感じてほしいとJICA九州が企画した。6人は、アフリカや南米などで、パソコンや日本語教育、農村調査などで活躍。子どもの笑顔や自然、街角の風景など1人3点をパネル展示している。
中部アフリカのルワンダで2年間、ソーシャルワーカーとして活動した田中富美代さん(32)は「苦しいことも多いが、貴重な経験ができる。まずは協力隊のことを知って、興味を持ってほしい」と話していた。
10月16〜18日には、飯塚市枝国のイオンショッピングタウン穂波でも写真展を予定している。【伊藤奈々恵】
〔筑豊版〕
毎日新聞 2009年9月27日 地方版
カンパラ(CNN) フツ人とツチ人の間で1994年に起きたルワンダ虐殺の最重要指名手配者、イデルフォンス・ニゼイマナ容疑者がウガンダで逮捕され、国外に移送された。国連が支援するルワンダ国際犯罪法廷(ICTR)が6日発表した。
ニゼイマナ容疑者はウガンダの首都カンパラ近郊のホテルにいたところを国際刑事警察機構(ICPO)要員に拘束され、6日にICTRが置かれているタンザニア北部アルーシャの拘置施設に収容された。
ニゼイマナ容疑者はICTRに起訴された重要容疑者4人の1人。逃走者13人のうち、ここ2カ月余りで2人目の逮捕者となった。事件当時はルワンダ軍の幹部で、ツチ人から象徴的人物とみなされていた元女王の殺害を命令した罪に問われている。
ICTRによると、ウガンダ当局が容疑者逮捕に協力したのはこれで2度目。
フランス大統領府は29日声明を出し、アフリカ中部ルワンダのカガメ大統領(写真)との協議で、両国が国交を回復することが決まったと発表した。国交回復は3年ぶり(9月18日撮影)(AFP=時事)
【ヨハネスブルク=古谷祐伸】旧イギリス植民地などで構成される英連邦はアフリカ中部ルワンダの加盟を認めた。フランス語が使われてきたルワンダの旧宗主国はドイツとベルギー。英国の植民地経験のない国の加盟は、95年のモザンビーク以来。ルワンダ政府は2006年に仏政府と断交、先月末になって国交回復で合意したが、英国寄り姿勢を強めている。
英連邦は11月28日、カリブ海の島国トリニダード・トバゴで開いた首脳会議で、ルワンダの加盟を決定した。加盟国は54カ国になった。
ルワンダの地元紙によると、ムシキワボ情報相は「我が国が過去15年間になしとげたとてつもない進歩の承認と受け止める」と語った。
ルワンダは80万人が犠牲になった1994年の虐殺事件後、カガメ大統領のもとで急速に復興している。英語圏が多い周辺国との通商強化の狙いもあって2008年、英語を公用語に加えた。
仏との関係をめぐって、ルワンダ政府は、虐殺に仏政府が関与したと批判し関係が悪化。一方、仏司法当局は、虐殺事件の引き金になったハビャリマナ元大統領の暗殺事件の首謀者が、カガメ大統領や側近だと認定している。