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マリ共和国 〜2010年




アフリカアフリカ Africa 2018


おかねおくれ


作成:斉藤龍一郎
 *(特活)アフリカ日本協議会理事、生存学研究センター運営委員

○外務省 各国・地域情勢 マリ共和国

◆1992/01/24 朝日新聞 地球環境と経済7 産業技術の夢と現実 砂漠化防止 進む構想、資金が難関
◆1995/01/25 毎日新聞 ひと 人模様:伝統楽器の音にのせ アフリカ人の生きざまを
◆1996/04/12 All Africa Press Service Tuareg War Ends As Foes Burn Weapons
◆1996/05/08 Office of the President of South Africa South Africa President Addresses the Business Community
◆1996/05/08 日本経済新聞 中国主席 アフリカ歴訪へ 台湾の外交けん制
◆1996/05/09 毎日新聞 アフリカ6カ国歴訪へ 江主席
◆1996/05/18 日本経済新聞 アフリカ舞台に援助外交 中国、台湾の資金力に対抗 「人権」でも支持固め 江沢民主席
◆1996/08/21 毎日新聞 アフリカ出身者数百人 滞在許可証求めパリでハンスト
◆1996/08/24 毎日新聞 教会占拠の移民300人を排除 パリで仏警察
◆1996/10/07 Reuters New Media Christopher, in Mali, Seeks U.N. Candidate
◆1996/10/09 Reuters New Media Christopher a Hit in Mali
◆1996/10/29 ロイター・インターネット速報 マリ共和国で、大統領含む暗殺計画が発覚
◆2007/04/04 時事ドットコム マリ大統領選挙に伴う治安情勢 外務省スポット情報(2007/04/04)
◆2007/04/25 国境なき医師団 アフリカ・マラリア・デー2007 パノラマ −MSFのマラリア治療プログラムー
◆2007/05/06 JANJAN マリ:大統領選に初の女性候補者
◆2007/05/06 毎日新聞 NEWS25時:マリ 現職大統領の再選発表
◆2007/05/06 毎日新聞 マリ大統領選:トゥーレ氏が再選 対立候補は反発
◆2007/06/06 AFP BB News G8に対抗、アフリカ各国のNGOが集まる会議を開催
◆2007/06/07 中国新聞 ベネチアで美術展開幕 日本館には岡部氏の作品
◆2007/06/27 外務省 マリ共和国に対する無償資金協力(第三次小学校建設計画(第2期))に関する書簡の交換について
◆2007/07/08 livedoor SPORTS ル・マン松井、初練習試合で冴え。新人2人が強烈アピールでライバル出現?
◆2007/07/08 中央日報 潘総長、国連情報通信技術局長に韓国人任命
◆2007/07/09 NIKKEI NET 第4回「離婚・愛人・同性愛・・それがどうしたの?」(2007/07/09)
◆2007/07/12 fcjapan セビリアがマリ代表ケイタを補強
◆2007/07/13 GOAL.com セビージャ: デ・ムルとケイタのお披露目
◆2007/07/24 中国情報局NEWS 広州:冷蔵庫に黒人男性のバラバラ死体、同居者失踪
◆2007/08/05 GOAL.com 5つのタイトルを視野に入れるカヌーテ セビージャに残留したマリ代表FWカヌーテが、新シーズンへの意気込みを語った
◆2007/08/13 ITmedia 「ネットの恋愛、気をつけて」、誘拐被害の男性が呼びかけ
◆2007/08/14 外務省 マリ共和国に対する無償資金協力(カティ市教員養成学校建設計画)に関する書簡の交換について
◆2007/08/14 AFP BB News 豪男性、ネットで知り合った恋人に会いに行き監禁される
◆2007/08/15 IBTimes 外務省、マリへの無償資金協力を発表
◆2007/08/21 SANSPO.COM セビリアが優勝
◆2007/08/27 JANJAN マリ:国民議会選挙、最悪の予想は回避
◆2007/09/01 中日新聞 アフリカの人たち助けてあげよう! 滑川で支援米刈り取り
◆2007/09/07 JANJAN マリ:国民議会選挙、最悪の予想は回避(全訳記事)
◆2007/09/14 AFP BB News マリ共和国で反政府勢力が米軍機を銃撃
◆2007/09/15 朝鮮新報 金正日総書記が水害慰問電を寄せた各国首脳に答電
◆2007/09/28 ECO JAPAN 第3回 巨大道路とコカ・コーラ、そして遊牧民(前編)
◆2007/09/30 日本農業新聞 愛の米、アフリカへ/福井・小浜市【北陸】
◆2007/10/01 外務省海外安全ホームページ マリに対する渡航情報(危険情報)の発出
◆2007/10/05 ECO JAPAN 第3回 巨大道路とコカ・コーラ、そして遊牧民(後編)
◆2007/10/10 JANJAN アフリカ:途上国に対するAFT(貿易のための援助)への期待と課題
◆2007/10/12 BIZ PLUS ボルヴィックの"水"をテーマとしたソーシャル・キャンペーン、「1L for 10L」プログラム(2007/10/12)
◆2007/10/14 AFP BB News モザンビークでアフリカ最大規模のエタノール生産事業が開始へ
◆2007/10/15 livedoor sports アフリカ杯大丈夫!?マリ代表選手がトーゴで刺され重傷
◆2007/10/15 livedoor sports R・マドリー痛い、悩みの種は1月に欠くディアラ
◆2007/10/15 livedoor sports トーゴサポーターが暴徒化、カヌーテらが負傷
◆2007/10/16 AFP BB News アフリカサッカー連盟 トーゴ対マリ戦での暴動を調査へ
◆2007/10/16 GOAL.com 代表戦でカヌーテが襲撃を受ける トーゴのファンがピッチに侵入!
◆2007/10/16 livedoor sports カヌーテ、トーゴ代表戦後にベルトで暴行を受ける
◆2007/10/16 GOAL.com ブラルーズ、咽頭炎でダウン オランダ代表合宿から病気で離脱
◆2007/10/17 AFP BB News カヌーテ 代表戦後の襲撃は「人生で最悪の瞬間だった」
◆2007/10/17 livedoor sports カヌーテ「セビージャで起こった事件も忘れる事はできない」
◆2007/10/18 UK Today 10/18 英国における10代の妊娠率、西ヨーロッパでは『最高』に
◆2007/11/07 jp.reuters.com チョコで環境保護、バイオ燃料トラックがアフリカへ
◆2007/11/13 fcjapan セビリアのカヌテが全治2週間
◆2007/11/16 外務省 マリ共和国に対する無償資金協力(貧困農民支援)に関する書簡の交換について
◆2007/12/14 中国情報局NEWS 広州:アフリカ系住民が急増 大半は不法就労か
◆2007/12/15 伊那毎日新聞 マリ共和国に援助米 南箕輪中生徒会の落ち穂拾い米など発送 [伊那毎日新聞]
◆2007/12/26 外務省 我が国大使館等の新規開館について
◆2007/12/28 BARKS デーモン「メディアの99%はいらない」
◆2008/01/05 GOAL.com カヌーテ:「ダービーに勝利してチームを離れたい」 マリ代表としてアフリカネーションズカップに参戦
◆2008/01/09 GOAL.com シュスター:「エトーはカメルーンの王様」 ディアラとの差に不満
◆2008/01/10 中日新聞 PKO施設に自衛官派遣検討 政府、訓練指導で国際貢献
◆2008/01/17 外務省 マリ共和国に対する無償資金協力「シカソ地域飲料水供給計画(詳細設計)」及び「マリーセネガル南回廊道路橋梁建設計画(詳細設計)」に関する書簡の交換について
◆2008/01/19 中日新聞 甚目寺で「大切なもの」写真展 アフリカ・マリからも100点
◆2008/01/22 AFP BB News マリ ベナンを降し初戦を白星で飾る
◆2008/01/22 GOAL.com ユーヴェ、シッソコもメルベリも獲得へ(トゥット・スポルト紙) 移籍実現が近づく2選手
◆2008/01/24 jp.reuters.com サッカー=シソコ、ユベントス移籍は間近と認める
◆2008/01/26 JANJAN マリ:砂漠の祭りで文化交流
◆2008/01/27 Sponichi ドログバ口火弾で決勝T一番乗り
◆2008/01/27 nikkansports.com コートジボワール決勝T/アフリカ選手権
◆2008/01/28 GOAL.com シッソコ、28日にも正式契約へ(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙) 移籍金1100〜1300万ユーロで2012年までの契約
◆2008/01/29 GOAL.com シッソコ、ユーヴェ移籍が正式決定! アフリカ・ネーションズカップ終了後に合流
◆2008/01/29 fcjapan マリ代表シソコがユベントスへ
◆2008/01/30 jp.reuters.com サッカー=ユベントス、リバプールのMFシソッコを獲得
◆2008/01/30 Daily Sports アフリカ選手権 ナイジェリアが8強入り
◆2008/01/30 GOAL.com 移籍に夢中のシッソコに怒りを示すマリ ユーヴェ移籍のために大会中にトリノへ向かった同選手
◆2008/02/02 時事ドットコム 2008/02/02-21:28 アフリカMVPにカヌーテ=サッカー
◆2008/02/02 時事ドットコム 2008/02/02-11:32 最優秀選手にカヌーテ=アフリカ・サッカー
◆2008/02/02 nikkansports.com マリFWのカヌーテがアフリカMVP
◆2008/02/02 中日新聞 炭坑節で友好の輪 甚目寺と万博友好国・マリ
◆2008/02/02 GOAL.com カヌーテ、アフリカ年間最優秀選手賞を受賞 欧州生まれの選手として初の受賞
◆2008/02/03 nikkansports.com マリ代表カヌーテ07年アフリカMVP
◆2008/02/05 livedoor sports アフリカ最優秀選手、実はドログバだった
◆2008/02/22 外務省 マリ国に対する無償資金協力(食糧援助)に関する書簡の交換について
◆2008/02/26 中日新聞 アフリカなどに支援米 市役所で発送式 休耕田を利用し栽培
◆2008/03/13 外務省 人間の安全保障基金による「アフリカン・ミレニアム・ビレッジ(AMV)第2フェーズ」への支援について
◆2008/03/14 KFB 15日に未来館国際シンポ/二本松
◆2008/03/17 毎日新聞 アフリカ・マリからの報告:/上 安全な水求め、10キロ離れた村へ
◆2008/03/24 毎日新聞 アフリカ・マリからの報告:/下 水くみから解放、通学児童増える
◆2008/04/15 AFP BB News アフリカのスター選手がチャリティーマッチに集結
◆2008/04/24 国境なき医師団 マリ:マラリアによる死はもはや回避不可能ではない
◆2008/04/27 Daily Sports 北京五輪バスケ 女子は米国、中国がB組
◆2008/05/01 ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版 2008年5月号 IMFと飢餓
◆2008/05/02 Daily Sports 中鉢明子、アフリカ・マリに小学校を
◆2008/05/11 毎日新聞 ぶっく・えんど:『写真に見るアフリカ・西アジアの風俗文化』 /東京
◆2008/05/19 外務省 マリ共和国に対する無償資金協力(「シカソ地域飲料水供給計画」及び「マリーセネガル南回廊道路橋梁建設計画」)に関する書簡の交換について
◆2008/05/31 asahi.com アフリカ 未来へ学ぶ 共同体学校の挑戦
◆2008/09/10 外務省 マリ共和国に対する無償資金協力(貧困農民支援)に関する書簡の交換について
◆2008/10/07 AFP BB News マリにEU初のアフリカ移民センター、不法流入防止を目指して
◆2008/10/20 AFP BB News PS3用『リトルビッグプラネット』、コーラン関連表現で発売延期
◆2009/01/09 農業協同組合新聞 マリ共和国へ長野から援助米 ーJA長野県グループ、長野県労農会議(1/13)
◆2009/01/14 Web-Tab 空飛ぶ車「Skycar」、ロンドンからアフリカ・マリへ6000キロの冒険旅行に挑戦
◆2009/01/15 AFP BB News アルビノ救済のためのチャリティ番組収録、地元アーティストも出演
◆2009/02/02 uefa.com ローマが期限付きでモッタを獲得
◆2009/02/06 外務省 マリ共和国に対する無償資金協力2案件に関する交換公文署名式について
◆2009/03/04 AFP アフリカ最大の映画祭フェスパコ、注目は「アルビノ殺害事件」題材のマリ映画
◆2009/03/13 innolife 国際刑事裁判所長に韓国人初選出
◆2009/03/14 SerieA.jp アマウリ、戦線離脱!!
◆2009/03/23 外務省 マリ共和国に対する無償資金協力案件に関する交換公文署名式について
◆2009/04/24 外務省 マリ共和国に対する無償資金協力(食糧援助)並びに青年海外協力隊派遣取極に関する交換公文署名式
◆2009/05/02 jp.reuters.com マリ軍、アルカイダ系メンバー4人を拘束
◆2009/05/19 cnn.co.jp 干ばつで死ぬゾウが続出、保護団体が窮状訴え マリ
◆2009/05/25 外務省  マリ共和国に対する無償資金協力2案件に関する交換公文署名式
◆2009/07/08 外務省 マリ共和国に対する無償資金協力案件に関する交換公文署名式
◆2009/07/08 外務省 マリ共和国に対する無償資金協力案件に関する交換公文署名式について
◆2009/08/04 外務省 マリ平和維持学校への自衛官講師の派遣
◆2009/09/02 APF BB News 女性の権利を向上させる「家族法」、5万人の抗議デモで頓挫 マリ
◆2009/10/11 いなまい・ドットコム 国際協力田の稲刈り作業
◆2009/10/23 cri 西アフリカ8カ国、統一ビザを出す
◆2009/10/26 APF BB News FCバルセロナ ケイタのハットトリックなどでサラゴサに大勝
◆2009/11/17 nikkansports.com ガーナがマリとドロー/W杯予選
◆2009/11/20 AFP BB News アルビノを呪術師の魔の手から守れ!歌手サリフ・ケイタと赤十字社が緊急アピール
◆2009/11/30 AFP BB News 「アルビノ殺人」恐れ、1万人が避難 アフリカ南東部
◆2010/01/03 時事ドットコム 北朝鮮、敗れて優勝=国際親善サッカー
◆2010/01/05 農業協同組合新聞 アフリカ支援米への取り組み  JA若狭
◆2010/01/11 AFP BB News マリ 4点のビハインドからアンゴラと引き分ける、アフリカ・ネイションズカップ
◆2010/01/11 cnn.co.jp 拉致の仏人殺害脅し、20日内の仲間釈放を要求 アルカイダ系
◆2010/01/15 yomiuri.co.jp サッカー・アフリカ選手権、アンゴラが首位
◆2010/02/26 asahi.com マリのモスクで16人圧死 儀式に各地から数千人集まる
◆2010/02/27 cnn.co.jp モスク近くの小路で宗徒が多数圧死、数千人詰め掛ける マリ
◆2010/04/15 CDJournal.com ハービー・ハンコックの新作はジェフ・ベックら参加の豪華コラボ作!新曲の無料DL配信も実施中
◆2010/04/23 国境なき医師団 マリにおけるマラリア対策プログラム
◆2010/04/23 国境なき医師団 マリ:幼いマラリア患者の証言(アブロ・コネ、10歳)
◆2010/04/23 国境なき医師団 マリ:幼いマラリア患者の証言(ナンタネ・トラオレ、13歳)
◆2010/04/23 国境なき医師団 マリ:幼いマラリア患者の証言(カンダ・コネ、5歳)
◆2010/04/23 国境なき医師団 マリ:「もうマラリアで命を落とす子はいません」
◆2010/04/25 国境なき医師団 世界マラリアデー 2010
◆2010/04/28 JICA 人々が切望する「交通インフラ」−内陸国マリの生命線を握る国境橋建設に着工−
◆2010/04/29 ウーマンエキサイト 最高品質のシアバターを贅沢に使ったプレミアムローズクリーム
◆2010/04/30 PJNEWS マリに住む幼いマラリア患者の証言=ルポ「国境なき医師団」
◆2010/05/01 PJNEWS マラリアを患うアフリカ・マリの少女=ルポ「国境なき医師団」
◆2010/05/05 PJNEWS 「サッカーができなくなる」マラリア患者の証言、マリのアブロ・コネ(10)君=ルポ国境なき医師団
◆2010/05/25 AFP BB News 5歳未満児の死者数は年770万人、40年で6割減 米研究
◆2010/07/26 NIKKEI NET 「人質のフランス人男性殺害」 アルカイダ系組織が声明
◆2010/07/26 AFP BB News アルカイダ系組織、仏人人質を処刑と発表 メンバー殺害の報復
◆2010/07/27 毎日新聞 アルカイダ系組織:「仏人男性処刑」 ニジェールで誘拐
◆2010/07/27 AFP BB News サルコジ大統領、アルカイダ系組織による仏人殺害に報復を宣言
◆2010/07/28 毎日新聞 フランス:アルカイダとの戦闘強化の方針--政府決定
◆2010/07/28 AFP BB News 仏首相「アルカイダとは戦争状態」、北アフリカへの軍事的関与強化へ
◆2010/07/28 NIKKEI NET  仏首相「アルカイダと戦争状態」 北西アフリカで
◆2010/08/09 OOPS! No.182 ご先祖さまにも届けたい6枚
◆2010/08/11 ECO JAPAN 沖大幹教授のアフリカ現地リポート:「1L for 10L」の現場、マリを訪ねて
◆2010/10/16 いなまい・ドットコム 南箕輪中 落穂拾い
◆2010/10/24 Fashionsnap.com レンツォ・ロッソ バーチャルヴィレッジで貧困撲滅
◆2010/11/21 いなまい・ドットコム あぐりスクールがマリ共和国へ支援米
◆2010/11/30 WirelessWire News 新興国に広がるモバイル・バンキング - 潜在成長力に期待する欧州系通信キャリア
◆2010/12/21 NYTimes.com African Farmers Displaced as Investors Move In

【参考】
○アフリカ理解プロジェクト 「故郷に錦をかざる」人々


 
 
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地球環境と経済7 産業技術の夢と現実 砂漠化防止 進む構想、資金が難関

朝日新聞
1992.1.24
松島みどリ

 じわじわと進む地表の砂漠化を防ぐ技術に大手の建設会社が取り組んでいる。いずれ、これが世界的な公共事業にとの期待がある。

 清水建設のデザー卜・アクア・ネッ卜構想は、海水を砂漠に引き込み、運河で結ぶ複数の人工湖を造る。人工湖と縦横に走る運河から大量の水分が蒸発し、雲ができやすくなって、降雨最が増えるという仕組み。

 同社が、直径三十キロ(東京湾程度)の大きさの湖七つを造り、五万四千平方キロ(九州の一・三倍)の土地を総延長千八百キロに及ぶ運河で囲う計画を立てて試算したら、総費用十八兆円程度といろ途方もないカネがかかることがわかった。

 「気温、湿度、風がどんな条件のときれだけ水分が蒸発するかがまだよくわからない」と、前垣内(まえがいと)正記・砂漠開発グループ長。コンピユー夕ーを使った解析を二年前から進めており、近く結果が出る予定だ。

 砂漠には、ワジという、雨期だけ水が流れる川がある。乾期には、干上がった川筋が見えるだけで、伏流水となっている。そこで、「地下ダム」を造り、伏流水の流れをせき止めて蓄え、それを太陽光発電を利用してくみ上げ、かんがいに使うー大成建設、大林組、清水建設、東燃、クボタの五社が共同で研究しているサヘル(サハラ砂漠の南縁部)グリーンベル卜計画はこんな構想だ。

 大昔は谷だった化石谷を利用し、超高層ビルの基礎工事に用いる地中連続壁の技術を生かす。マリのメナカ地域で調査したところ、高さ二十メートル、幅二キロの地下ダムと太陽発電などをつくると、総費用はざっと百億円と出た。

 八九年夏から昨年秋にかけて七回、調査団をニジエールとマリに派遣したが、本格的な調査は費用がかさむため中断。今はマリで、防風、防砂林に適している樹種や、住民にとってどんな農産物、農法がいいのか、など地味な研究を続けている。

 大林組土木技術本都の中田礼嘉技術課長は昨年七月、中国・ゴビ砂漠を訪れ、同地域に古くから伝わる横井戸(カナー卜)が、砂漠化防止に利用できるとの考えを強めた。

 カナー卜は、斜面の横腹から水脈に達するまでトンネルを掘る。この下半分をコンクリー卜で固めれば、乾期に貯水槽として使えるというわけだ。

 東急建設は直径一 二キロの膜製のドームを造り、太陽光は取り入れるが、熱は遮断して植物を育てる構想を持っている。最初は海水を淡水化して供給。植物が育ち、やがて雲がわき、雨が降りやすくなつたところで、ドームをはずす。

 砂漠化防止は、建設会社だけではない。昭和電工は、水分を有効に使う保水剤としてNビニルアセトアミドという新しい化合物の製造技術を確立、その実用化に取り組んでいる。

 こうした技術が実際に使われるかどうかの最大の難関は資金だ。研究者たちは一民間企業に技術開発はできても、巨大資金の提供はとても無理。国際的な協力体制ができなければ前へ進めない」とため息をつく。

砂漠化 国連環境計画(UNEP)によると、毎年、日本の耕地面積を上回る六百万ヘクタールがあらたに砂漠化している。気候変動のほか、家畜の放牧が増えたり、燃料用のまきを取り過ぎたりするのが原因。国連食糧機関(FAO)によると、砂漠化によって八〇年時点で約二千九百三十万人が飢餓など深刻な影響を受けている。



 
 
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ひと 人模様:伝統楽器の音にのせ アフリカ人の生きざまを

毎日新聞
1995年1月25日

「ほかのミュージシャンは愛や平和ばっかり歌うけど、まずどうやって生きていくかが大切。人間のパワーがあれば何でもできる」と話すのは西アフリカ・マリ出身の在日ミュージシャン、ママドゥ・ドゥンビアさん(29)。西アフリカの伝統的な楽器、コラとンゴニを使い、旋律にマンディンガ語の詩を乗せて訴える。コラは柔らかな音色のアフリカン・ハープ。弦が釣り糸でできたンゴニは、三味線のような音を出す。

11歳からフォークギターを始め、マリ国営のバンドなどで活躍。パリで音楽活動後、サリフ・ケイタのワールドツアーに参加して1990年に初来日。日本人の優しさにほれ込み、翌年再来日して現在に至る。

28日(土)午後7時半から東京都台東区のアフリカ居酒屋「バオバブ」(電話03・5685・6648)で、ソロ・ライブ。2500円。



 
 
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Tuareg War Ends As Foes Burn Weapons

All Africa Press Service

1996/04/12

Nairobi - by A Special Correspondent

March 27 marked the beginning of an end to former warring sides in a four-year Tuareg war in Mali, when some 3,000 firearms were burnt in a ceremony to exorcise the ghost of a conflict that has claimed more than 1,000 lives.

But in neighbouring Senegal, the government was forced late on April 6 to call off peace talks set for April 8 after separatists from the southern Senegalese region of Casamance announced a boycott.

At the "flames of peace" ceremony in Mali's festive Timbuktu, the town in the south of the Sahara Desert, Tuareg nomad rebels and their rivals in the Malian army, as well as the settled black population set fire to assault rifles and mortars on March 27.

The blaze lit up the sky after nightfall in the presence of the Presidents of Mali and Ghana, Alpha Oumar Konare and Jerry Rawlings, respectively, who appealed to foes in all African countries still gripped by civil war to do likewise.

But scarcely had the flames the two leaders sparked with a torch died down than representatives of the former foes stressed the fragile nature of the peace and called for concrete measures by the authorities to ensure that it lasts.

Leaders of the United Fronts and Movements of the Azawad (the name Tuaregs give to the territory they claim) and of the Ghanda Koy, "black settled people's Patriotic Movement, issued a joint statement calling for the "rightful, diligent and fair application of the national peace pact and subsequent accords, to the benefit of the peoples of the north."

The implementation of the peace pact, first signed in April 1992 and later breached, depended on the "creation of the moral, material and psychological conditions for the return of people displaced because of insecurity."

The joint statement also called for further development efforts to "bring about the real socio- economic integration of northern regions with the rest of the country" in West Africa.

"It is misery, famine and drought which pushed people in the north into this stupid reaction of war," the Foreign Relations Secretary of Ghanda Koy, Firoun Maiga, warned on March 28.

He said that newly established peace would remain fragile if the government in Bamako and Mali's foreign partners did not take appropriate measures in education, health and development.

A committed advocate of peace, Tuareg sociologist Azag Ag, stated that solid foundations had been laid, but proper centres would have to be set up rapidly for Tuareg refugees from Mauritania, Algeria and Burkina Faso.

"The UN High Commissioner for Refugees (UNHCR) has never succeeded in bringing about the organised repatriation of refugees, whose hopes have been dashed," Ag charged in reference to staff of the UNHCR.

President Konare declared that "the peace process must be irreversible in spite of the difficulties which will arise from it."

"Peace is gaining ground each day," Konare added, and called on all parties to "favour dialogue in a spirit of tolerance. Through my own voice, Mali appeals to all her sons to return to the fold so that we can build peace and national unity together, for there can be no turnkey project for development in Mali," he added.

The end of four years of Tuareg insurgency in Mali, marked in Timbuktu by the bonfire of 3,000 weapons, immediately fuelled dreams and nostalgia of a rebirth and a new golden age for the mysterious African relic of bygone glories.

Today's 40,000 residents of Timbuktu have continued to retain a folk memory of the 15th century when their town was a rich trading city with a population topping 100,000.

They had 180 Koranic schools and dozens of big arts and crafts workshops, as well as ornate tapestries. Gold and salt wended their way north across the Sahara Desert in caravans and went south down the River Niger by boat, dispatched from a legendary and prosperous crossroads of camel and canoe.

After a lengthy drought and four bruising years of rebellion which drove people away and stifled commerce, life and business are picking up as people return and fear recedes.

Two dance halls have opened, and the three main markets and a host of shops are bulging with merchandise of all sorts. At long last it is once more possible to get hold of all 12 of the precious condiments used for the renowned almarga mafe, the sheep dish with a sauce which takes the roof off one's mouth.

Tired of waiting for the US dollars 200 million promised by aid donors last July for an ambitious economic development programme in northern Mali, Timbuktuans are banking on tourism to restore the town's vitality and fortunes.

Tourist attractions include the 14th century Djinguareiber mosque, the camps of Tuareg nomads, and the houses of the European explorers who fell under Timbuktu's spell, including Rene Caille, Heinrich Barth, Mungo Park and Alexander Gordon Laing. Their houses are to be restored.

The Ahmed Baba centre containing many works, some dating from the 14th century, is to be upgraded to university institute level.

For all the trading on nostalgia, there are hardheaded plans to bring this city of the desert sands into the 21st century by installing international telephone links and building a modern airport with a new control tower. The runway is to be lengthened to 2,500 metres.

If desertification can be stemmed, there are high hopes for a market gardening venture, provided touchy problems of land ownership can be ironed out, said local Member of Parliament Moulaye Haidara.

"Timbuktu is going to live again, and its 333 saints will keep watch day and night to ensure it stays both unique and universal," affirmed Firoun Maiga, a member of the black African movement Ghanda Koy, which fought against the Tuareg raiders.

But in neighbouring Senegal, the prospect of a prolonged 13-year separatist war in its southern province of Casamance hangs over the country as "the sword of Damocles."

On April 6, a government announcement said the ceremony to mark the opening of the talks planned for the Casamance capital of Zuiginchor on April 8 had been postponed until further notice.

The announcement followed a letter written to Senegal's Prime Minister Habib Thiam by Abbe Augustin Diamacoune, secretary general of the Democratic Forces of Casamance Movement (MFDC), which said the separatist group would not attend the talks.

Diamacoune linked the rebel boycott to the government's refusal to issue passports to MFDC leaders, permitting them to travel abroad, link up with the movement's members-in-exile and find a neutral spot for negotiations.

"Senegal is not a credible country. The MDFC will not attend your (the government's) meeting on April 8 at the Zinguinchor town hall," Diamacoune, currently being held under house arrest in Zinguinchor, the province's main town, wrote in his letter.

Diamacoune has repeatedly urged a cease-fire in the 13-year separatist war, which flared again last year, but his calls have gone unheeded and he is believed to have little influence over the rebels, led by Salif Sadio.

The Senegalese government said it deplored Diamacoune's change of heart, at a time when conditions seemed to have been met to begin negotiations.



 
 
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South Africa President Addresses the Business Community

Office of the President of South Africa

1996.5.8

Bamako -

Address By President Nelson Mandela To The Business Community Of Mali, March 3, 1996.

Honoured Guest;

Ladies and gentlemen,

It is a great honour to be in Bamako as your guest, I thank you sincerely for the very warm welcome you have extended to me.

It is a privilege to be among the members of the business community of Mali. It symbolises the new era in which we now live:one of co-operation between two great Africa nations. Above all I welcome the opportunity to share ideas with you on how we can expand economic links between our countries in order to benefit our peoples.

We are able to discuss these matters because our South Africa has freed itself from apartheid, with the support of the people of Mali. We can now together, and in co-operation with the rest of Africa, face the challenges of Africa's renewal through development.

The entrepreneurs and traders of Africa should be in the forefront of our continent's regeneration, for the well-being of our continent is directly linked to its economic development. For this reason the South African Government is committed to working for the rapid promotion of economic ties with its fellow African States. It seeks to do so within a framework which both rewards enterprise and promotes balanced economic development. South Africa sees its destiny as inextricably linked to that of the continent.

A significant dividend resulting from South Africa's transition to democracy has been the normalisation of our relations with the countries of Africa. In the case of mali this has already meant the establishment of full diplomatic relations, a doubling of bilateral trade and the initiation of major South African investment projectsin Mali.

We hope that the business people of Mali will take advantage of the accessibility of the South African Trade Counsellor in Abidjan who frequently visits Bamako, to identify further opportunities for trade with South Africa.

We are also confident that the conclusion of an Agreement for the Promotion and Reciprocal Protection of investment between Mali and South Africa will strengthen confidence in our economic links We take pride in the fact that South Africa's presence in Mali also symbolised by gold. The Anglo-American Corporation's extensive involvement in the development of the Sadiola Hill Gold Mine will bring benefits to the peoples of both Mali and South Africa.

We encourage South African enterprise to participate in construction and development projects in other African countries, where this is done in such a way that it s also assists those countries efforts to achieve sustained development. For South Africa the Sadiola project creates trade and employment opportunities. For Mali it should bring not only jobs and exports, but also a transfer of South African mining technology and skills which will permanently increase the capacity of Malians to contribute to the wealth of the nation.

This is a particularly opportune moment for Mali's businessmen and entrepreneurs to engage their counterparts in South Africa.

The policies adopted by our government in order to create a climate for growth are beginning to bear fruit. The South African economy is healthier than it has been in many decades. The rekindling of business confidence and optimism reflect the solid foundation on which the economic upswing is based. Expansion of the manufacturing sector, substantial growth in fixed investments and large inflows of capital promise a durable recovery. They hold out the possibility of an even better performance.

Welcome as this development is, we are determined to achieve still higher levels of growth. For, we need to so if we are to make a significant impact on employment and produce more resources to uplift the living conditions of our people. To this end government has been galvanised with the challenge of formulating medium term strategy for sustained development and growth to lift us beyond our present constraints, some of which we share with most of Africa.

Amongst other things such a strategy would include expanded trade and investment relations with African countries and a resolute pursuit of regional co- operation and development integration.

It would include measures to promote investment in particular sector and areas. Investment that entrance foreign exchange earnings, build infrastructure and make our people more productive would have high priority.

To achieve these objectives on a regional and continental scale will call for a concerned pursuit of unity and co-operation. That will also give our regions and our continent a more powerful voice in the world markets than any nation would have on its own.

The challenges facing our countries in transition and the whole of Africa is magnified by the fact that we live in a time when the advanced industrial countries are consolidating themselves into powerful economic and political blocs to strengthen their bargaining positions in world markets.

South Africa is particularly sensitive to this at the moment as we seek to establish a new framework of agreement within which our trade relations with the European Union could be conducted on an equitable and mutually advantageous basis.

South Africa is also working with its Southern African partners to engage the industrial world in development of the region, and further afield on the continent. The increased levels of foreign interest in Southern Africa as a destination for investment reflect the passive potential or our region for sustained economic growth and development. Democratic systems of governance, a commitment to the peaceful resolution of conflict, disciplined use of public resources together with ambitious programmes of reconstruction are the key ingredients which are attracting this interest.

Ladies and gentlemen;

South African business, now freed from the narrow confines created by apartheid, are eagerly looking to Africa, including Mali, for opportunities for trade and investment. There is every reason why you, the economic actors of mali,l should visit South Africa and see for yourselves the many opportunities for doing business.

It would also be an opportunity to experience South African hospitality, which we enjoy extending to fellow Africans who come to see our own beautiful country.

May our partnership prosper to the benefit of our countries and the people of Africa!

I thank you.



 
 
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アフリカ出身者数百人 滞在許可証求めパリでハンスト

毎日新聞

1996.8.21

パリ20日西敏彦

フランス政府に対し滞在許可証の発行を求め、アフリカ出身者数百人がパリ・サンベルナール教会でハンストに突入し、仏社会の大きな反響を巻き起こしている。20日夜には、ハンストに入って47日目のマリからの男性(29)が救急車で病院に収容された。

パリ周辺では今春から、アフリカのマリ、セネガル、ザイールなどからの不法移民とされた人々が仏政府の滞在許可証を求め鉄道施設、キリスト教会などを転々と占拠してきた。

それらの数は徐々に膨れ上がり現在は110人の子供も含め、全体で300人を超えている。これに対し、仏国内の人権擁護団体や革新政党、労組などが同調、サンベルナール教会には支援者が連日数百人訪れる騒ぎとなっている。

これに対し、保守、中道の政府は移民規制法を盾に、一切の対応を拒否、強制帰還などをちらつかせ、左、右の政治対決の様相を帯びている。

経済不振を背景に、シラク大統領は昨年5月の大統領就任以来、年間数万人、累計で100万人といわれる仏の不法移民の流入阻止や本国送還に熱心で、貸し切り飛行機による強制送還をほぼ毎月のペースで実施している。

20日夜、ジュペ首相が政府と教会占拠者代表との対話を唱える連立与党の一部、仏民主連合の国民議会議員団長と会談、今回事件の落着に向けた動きがようやく始まった。



 
 
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教会占拠の移民300人を排除 パリで仏警察

毎日新聞

1996.8.24

パリ23日西敏彦

フランス警察の機動隊は23日、パリ18区のサンベルナール教会を占拠中だったアフリカ人移民約300人を排除、入国管理所に収容した。催涙ガスなども使われ、教会内でハンスト中だった9人は担架で病院に収容された。占拠していたのはマリ、ザイール、セネガルなどの出身。仏政府に、正規移民としての滞在許可証の発行を求め、パリ市内の鉄道施設、教会などを転々と占拠し、社会問題となっていた。行政措置に関する最高判断機関の参事院が国外退去を容認する判断を示したのを受け、排除に踏み切った。



 
 
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Christopher, in Mali, Seeks U.N. Candidate

Reuters New Media

1996.10.07

BAMAKO, Mali (Reuters) -

U.S. Secretary of State Warren Christopher, on his first visit to sub-Saharan Africa, urged Africans on Monday to put up a candidate from the continent to be U.N. chief.

He had flown to Bamako from Jerusalem where he pressed Israel and Palestinians to urgently produce results in newly resumed peace negotiations.

Embarking on a five-country African tour, Christopher was unusually blunt as he tried to get Africans to focus seriously on U.S. determination to replace U.N. Secretary-General Boutros Boutros Ghali when his term ends on December 31.

"Everywhere I go, I'm going to be talking about the importance of Africa coming forward with good candidates for the U.N. secretary-generalship," he told reporters aboard his U.S. Air Force jet en route to Mali.

"It's time for Africa to come forward with some strong candidates," he added, insisting that U.S. views on the issue were firm.

"We think African candidates deserve special consideration (in the selection process) but unless some are offered up we're going to be left without some to consider," he said.

The United States announced several months ago it would veto Boutros-Ghali if his name was submitted for reappointment to the Security Council for a second five-year term.

But most governments have not entered the fray, apparently believing Washington will reverse itself after the U.S. presidential election on Nov 5.

The administration insists Boutros-Ghali, an Egyptian, must be replaced with a more reform-minded secretary-general who will retool the world body to meet the challenges of the 21st century.

But skeptics say President Clinton only took that position to disarm the arguments of his Republican challenger Bob Dole and other critics that the U.N. needs much work and change.

U.S. officials have tried repeatedly to persuade the world Clinton will not change his mind. Christopher appears to be forcing the issue by warning Africans they must put forward candidates or see the U.N. post go to some other region.

African candidates mentioned include Kofi Annan of Ghana, U.N. undersecretary-general for peacekeeping, and Salim A. Salim, chairman of the Organization of African Unity. Hamid Algabid of Niger, head of the Islamic Conference, has also announced his candidacy.

Christopher is the first U.S. secretary of state to visit sub-Saharan Africa in more than six years and the first to stop in Mali, a west African country of 9.4 million people.

The per capita income is about $300 but U.S. officials say economic reforms have begun to pay off in increased growth.

U.S.-Mali bilateral ties have been good since Mali gained independence in 1960 but strengthened after the first democratically elected civilian government was installed in 1992.

A meeting is planned with private voluntary organizations and Malian parlimentarians.

Christopher told reporters the Mali stop underscored his desire to focus on Africa "success stories" and flatly rejected suggestions that the United States, which has cut back foreign aid significantly in recent years, has disengaged from Africa.

Christopher holds talks on Tuesday with Malian President Alpha Oumar Konare. In addition to Mali, he will visit Ethiopia, Tanzania, South Africa and Angola, returning to Washington on October 15.



 
 
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Christopher a Hit in Mali

Reuters New Media

1996.10.09

BAMAKO, Mali (Reuters) -

U.S. Secretary of State Warren Christopher ventured 12 miles outside this poor and dusty African capital to a village where his coming was a major event.

Women dressed in stunningly colourful dresses and matching turbans danced frenetically to the beat of primitive drums and xylophones as most of the 2,000 villagers turned out to greet him Tuesday.

The Malian government had spent days grading the rutted, rust-red clay road that leads to Samaya so that the chief American diplomat, who travelled by van instead of his usual limousine, would have a smoother ride to see a Peace Corps project.

One newspaper proclaimed "Bienvenue Warren" (welcome Warren) while the Bamako TV news led with his words and picture.

The local excitement generated by the first trip ever of a U.S. secretary of state to Mali underscores how eagerly some Africans embrace the United States and the aid -- political and financial -- that the world's remaining superpower can bestow.

But some experts contend Washington is disengaging from the continent. They cite the fact that U.S. development aid to Africa has decreased by 25 percent. This is the first trip to Africa by a U.S. secretary of state in six years, compared to nearly two dozen trips by Christopher alone to the Mideast.

The disastrous U.S. engagement in Somalia in 1993, when the body of an American soldier was dragged through the streets of Mogadishu, has cooled the appetite for direct intervention.

U.S. troops were deployed there to help overcome a famine but ended up in a failed effort to chase down a warlord and rebuild a functioning society.

Liberia is the closest thing to a colony the United States has had in Africa, but Washington appears to have washed its hands of the country in the face of an endless civil war.

Some analysts also see the new U.S. initiative to create an all-African force to respond to humanitarian crises in sub-Sahara as evidence the United States is further weaning itself from the continent, much like it is weaning many poor Americans from the welfare system in effect for decades.

With the Cold War over, Africa is no longer an East-West battleground.

Christopher rejects the charge of disengagement and insists visiting Africa is something he has long wanted to do.

"The secretary of state always has a lot of pressure on his time and I'm afraid so often the urgent takes the place of the important," he told reporters travelling on with him to Ethiopia, Tanzania, South Africa and Angola.

The Israel-Palestinian crisis nearly forced him to scuttle the Africa trip, which had been in the planning for two months. But he found a way "to combine this time the urgent and the important" by visiting Israel and Gaza before coming to Africa.

Mali is as poor a country as can be found in Africa. Even used underwear is sold in a tin-roofed shop along a bustling commercial strip. Per capita income is $300 annually, over half the population is under 16 and the literacy rate is 19 percent.

But even though Mali faces daunting economic and environmental challenges, the United States sees the country as proof Africa is not hopeless. Enlightened leaders here have made economic reforms and traded dictatorship for democracy.

This is what Christopher aimed to highlight on his trip, as he avoided trouble spots like Liberia and Nigeria, whose human rights record has been criticised in the West.

Unlike in other African countries, U.S. aid to Mali has nearly doubled in five years to $30 million and Mali hosts the largest Peace Corps program on the continent.

In the village, Christopher pumped water from a new system Peace Corps volunteers helped build to ensure clean water and he planted a mango tree, part of a Peace Corps effort to replace forests devastated by the need for firewood. Some day, the secretary told the villagers, he hopes to return when the tree bears fruit and "see the results of your labor."



 
 
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マリ共和国で、大統領含む暗殺計画が発覚

ロイター・インターネット速報

1996.10.29

[バマコ 28日 ロイター]

アフリカ西部にあるマリ共和国で28日、コナレ大統領はじめ、同国首相や国防相の暗殺を計画していたと思われる一味が、警察当局の手によって逮捕されていたことが判明した。政府消息筋が明らかにしたもの。

現地情報筋によれば、逮捕された被疑者には軍関係者や民間人が含まれており、中には1991年のクーデターで政権から追い出されたトラオレ前大統領に関連する人物もいるという。

コナレ氏は、民政移管の第1ステップとして1992年に大統領に選任されており、同国では1997年初めに大統領選含む議会選、地方選の実施が予定されている。



 
 
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2007/04/04-10:14 マリ大統領選挙に伴う治安情勢 外務省スポット情報(2007/04/04)

※ 本件渡航情報は下記の通り発出されましたが、随時更新されます。

(件名)

マリ:大統領選挙に伴う治安情勢

(内容)

  1. マリでは、4月29日に大統領選挙(第1回目)が予定されています。同大統領選挙には、3月28日現在、現職大統領を含めて9人が立候補を表明しており、4月29日の第1回目の選挙で過半数を獲得する候補者がいない場合には、5月13日に上位2名による第2回目の選挙が実施される予定です。
  2. 現在のところ、同選挙に関連した大きな事件等はなく、治安情勢に変化はありませんが、マリ国民の関心は非常に高いため、今後状況が変化する可能性も考えられます。
  3. つきましては、マリへ渡航される場合には、4月8日から選挙運動が本格的に始まり、上記1.の日程で投票が行われますので、大統領選挙についての不用意な言動は慎むとともに、政治集会等が行われる場所には近寄らないように注意してください。

(問い合わせ先)

○外務省領事局海外邦人安全課

住所:東京都千代田区霞が関2-2-1

電話:(代表)03-3580-3311(内線)2306

○外務省海外安全相談センター

住所:東京都千代田区霞が関2-2-1

電話:(代表)03-3580-3311(内線)2902

○外務省 海外安全ホームページ:

○在セネガル日本国大使館

住所:Boulevard Martin Luther KING, DAKAR, SENEGAL

電話: (221) 849-5500

FAX : (221) 849-5555



 
 
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G8に対抗、アフリカ各国のNGOが集まる会議を開催

* 2007年06月06日 12:48 発信地:バマコ/マリ

■途上国自体が主体となる国際協力を協議

ドイツの主要国首脳会議(G8)に対抗して同時期に開催されたもので、1週間の日程で行なわれる。会議では、アフリカの債務問題、食の安全保障、移民問題などの議題とともに、世界銀行(World Bank)に代わる、途上国のための国際的な金融機関の設立についても協議される。

約60のNGOを傘下に擁するマリの組織「African Coalition for Debt and Development(負債問題と開発のためのアフリカ同盟)」のBarry Aminata Toure議長は、「会議は、農民や、新自由主義の犠牲になっている住民ためのもの」と、反G8の意義を強調した。

また、同会議の広報官は、「G8は欺瞞の代名詞。先進国は約束を守らない。発展途上国の運命は、発展途上国が決める必要がある」とG8を批判した。

■G8での合意の履行に対する不信感

2005年、英国のグレンイーグルス(Gleneagles)で開催されたG8サミットでは、世界の最貧国18か国の債務を帳消しにするとともに、2010年までに発展途上国への援助を年間で500億ドル(約6兆700億円)増額することが合意された。そのうち半分がアフリカ向けであった。

債務帳消しの公約は守られたが、援助増額の履行は、現在、実行が危ぶまれている。これに対して、マリのアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(Amadou Toumani Toure)大統領は今週始め、「G8は援助の約束を破ろうとしている」と非難していた。

会議には、ベナン、ギニア、コートジボワール、マリ、ニジェール、セネガルなどのアフリカ各国及び欧州のNGOなどから、約1000人が参加している。(c)AFP



 
 
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ベネチアで美術展開幕 日本館には岡部氏の作品 '07/6/7

【ローマ7日共同】現代美術の世界的祭典、第五十二回ベネチア・ビエンナーレ(隔年開催)が七日、北イタリアのベネチアで始まった。今年の欧州は、五年に一度ドイツで開かれるドクメンタなど、四つの主要イベントが十年に一度重なる「美術の当たり年」。ベネチアがその皮切りとなる。

ビエンナーレでは、過去最多の七十七カ国が国別の展示に参加。日本館は、原爆にさらされた旧国鉄宇品駅(広島市)の遺構の表面を「フロッタージュ」という手法で紙に写しとってきた岡部昌生さん(64)が出展。「ヒロシマ」の記憶を引き継いでいこうとの試みだ。会場には、遺構の一部の石も広島から持ち込まれた。岡部さんは「入館した人に、歴史の現場に抱かれる気持ちを持ってもらえればうれしい」と語った。

一般公開は十日から十一月二十一日まで。国別展示の最優秀賞(金獅子賞)は秋に発表の予定。

今回の目玉の一つはアフリカ現代美術の特集で、生涯業績部門の金獅子賞には西アフリカ・マリの写真家マリック・シディベ氏が選ばれた。

欧州では今月、スイス・バーゼルのアートフェア、ドイツ・カッセルのドクメンタ、同ミュンスターの彫刻プロジェクトの三イベントも次々に開幕する。



 
 
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ル・マン松井、初練習試合で冴え。新人2人が強烈アピールでライバル出現?

2007年07月08日22時02分

松井大輔が所属するリーグ・アンのル・マンが7日、2007-08年シーズンに向けて最初の練習試合を行なった。対戦相手は、所属クラブが未定のプロ選手で構成される北部地方の選抜チーム。試合はル・マンが2―0で勝った。

ル・マンはほぼ全員を入れ替えて前後半を戦った。松井はスタメンで出場し、前半4分に最初のシュートを放ったが、わずかにクロスバーの上を越え、惜しくも得点はならず。その後も華麗なテクニックで右サイドを突破してセンタリングをあげるなど見せ場をつくった、とル・マンの公式ホームページで称えられている。

松井が出場した前半は0−0で終わったものの、後半の2得点はいずれも新加入の20歳コンビが決めた。2点ともジェルビーニョ(コートジボワール)のパスをマイガ(マリ)がゴール。2人とも、松井にしてみればうかうかできない存在になり得る。



 
 
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潘総長、国連情報通信技術局長に韓国人任命

潘基文(パン・キムン)国連事務総長が6日、国連の情報通信技術局長に韓国人のチェ・スンホン氏(57)を任命した。

情報通信技術局長は事務次長補クラスで、昨年7月、国連改革事業の一環として新設された。チェ氏は9月1日から業務に臨む。国連の岡部万里江・次席報道官は「チェ氏は国連の情報・通信技術関連の業務を総括し、国連組織の現代化に向けた効率的な戦略を開発、維持、監督する」と述べた。

チェ氏は81年以来、国際通貨基金(IMF)の業務にかかわり、04年から今年2月までIMF情報技術総括室長を務めた。西江(ソガン)大工科大出身のチェ氏は、米ジョージワシントン大コンピュータ工学科の修士課程、ペンシルベニア大経営学の修士課程をそれぞれ修了し、ジョージワシントン大で公共政策学の博士号を取った後、米有数の大企業で勤めた。

一方、潘総長は6日、国連のディアル・マリ大使を発展途上国担当代表に任命した。ディアアル氏は、国際関係・国際法・国際開発などの専門家で、03年から国連マリ大使を務めた。

2007.07.08 11:25:23



 
 
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第4回「離婚・愛人・同性愛・・それがどうしたの?」(2007/07/09)

マリ共和国大統領の愛人

西アフリカのマリ共和国では、地元の日刊紙「インフォ・マタン」が先月1日、アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ大統領の愛人関連記事を掲載して以来、ある論争が過熱しています。この大統領の愛人関連記事を掲載した5人のジャーナリストとこれを授業につかった高校教師が、「国家主席に対する侮辱罪」で逮捕・拘留され、これに対し、彼らの釈放を要求する運動が高まりました。例えば、ジャーナリスト協会は、彼らの釈放を求めて「新聞のない日」を設定、20紙のうち16紙がこれに参加し休刊、多くのラジオ局が、通常番組を中断、この開放要求の動きを伝えました。こうした動きにもかかわらず、5人とも禁固刑に罰せられたのです(6月26日付AFP通信)。

ところでマリ共和国は、13世紀マリンケ人の王スンジャータによって、ニジェール川流域に建国されたマリ帝国を起源とし、国内3ヶ所がユネスコの世界遺産に指定されるなど歴史と文化が豊かな美しい国です。1904年に同地域を植民地化したフランスから、1960年に独立しました。その後軍事独裁体制を経て、1992年に憲法を制定、大統領制をとる立憲国家となり、アフリカでは数少ない複数政党制が機能する国になりました。

この愛人記事問題は、こうした民主国家のお手本とされる国における「言論と表現の自由の抑圧」という側面がマスコミで取り出させられています。しかし、私は寧ろ、この問題の背後にある、「愛人がいる政治家=公職の立場にある人間として相応しいか否か」、更には、「1人の個人である政治家の公職と私生活を、関連付けるか又は切り離すか」という政治家の倫理と自由の観点から興味深くこの記事を読みました。

少し古い話ですが、フランス国民から根強い人気のあった故ミッテラン元フランス大統領は、ある愛人との間に娘さんがいました。これに関する記者の質問に対し、「それがどうしたの?」と同氏は切り返しました。彼に愛人がいることは、既に大統領に就任後の80年代から友人や政治記者の多くがこれを知っていました。1994年にある週刊誌がこれを報道した時、多くの国民は、彼の倫理観ではなく、むしろ彼の私生活を暴露した週刊誌を批判しました。

大西洋を挟んだアメリカでは、1998年、クリントン元大統領による、当時のホワイトハウス実習生モニカ・ルインスキーとの不倫・姦通スキャンダルに全国民が注目しました。舞台がホワイトハウスという公職の場であり、両者合意の上での行為でないセクハラ(つまり犯罪)疑惑がありました。しかも、同氏は同年8月法廷証言とテレビ演説で、モニカ・ルインスキーとの「不適切な関係」を認めるまで、国民を欺いていました。こうした状況にもかかわらず、同年 10月国民に対し行われた世論調査では、回答者の67%が「大統領は任期までつづけるべき」、63%が「大統領の仕事ぶりを支持する」と答えています。

この2例が共通して示すことは、私生活(異性関係)と仕事(公的職務)は別のものと捉える思想です。こうした異性関係が公職と切り離されることを示す例は、他にも多くあります。最近では、フランス大統領選でニコラ・サルコジ氏に敗れた社会党のロワイヤル元環境相(53)です。国民議会選挙の最終投票が行なわれた先月17日、私生活上のパートナーだった社会党党首のオランド第1書記(52)と別れたことを明らかにしました。両氏は結婚こそしていませんでしたが、4人の子どもがいて、政界のおしどりカップルと言われていました。早速、このことを私の周りのフランス人に聞いてみると、「それが、どうしたの?」「別に公表するようなことじゃないと思うけど・・」と答えが返ってきます。又、当日、国民議会選挙の結果発表のTV番組に出演していた社会党幹部も、「それは、私生活のことだから何もコメントすることはない」と、この別離(私生活)と政治(仕事)は全く別のものと公言しています。

他の例では、サルコジ新大統領とセシリア夫人です。共に再婚同士で前パートナーとの間にそれぞれ2人ずつ子供、2人の間にも息子が1人います。セシリア夫人が2年前、サルコジ邸を去り愛人の元へ去って行った際、サルコジ氏は日刊紙フィガロの記者とのつかの間の恋愛を楽しんでいたとも伝えられています。それでも国民から大統領に選ばれました。

同性愛・・それがどうしたの?

先日、「民主党公認の参院選比例代表候補で元大阪府議の同性愛者、尾辻かな子さん(32)が人前挙式を行ない、親族や知人ら約1000人が出席、パートナーの選挙事務所スタッフ、木村真紀さん(32)とそろって純白のウエディングドレスに身を包みバージンロードに登場、民主党の小沢一郎代表や鳩山由紀夫幹事長、太田房江大阪府知事から祝電も届いた」と新聞報道で見ました。(余談ですが、今週、フランス訪問中の太田房江知事とお話しする機会がありました。赤を貴重としたエルメスのスカーフが似合っていました)

この尾辻さんのニュースは、仏AFP通信や英ロイター通信も配信、フランス最大のゲイ・サイト「ウー・リコ」も記事を取上げ、同性愛を含め性の多様性のメッカ欧州でも注目を集めました。

私は、この尾辻さんの挙式を知ったとき、現パリ市長ベルトラン・ドゥラノエ氏のことが頭をかすめました。彼は、2001年3月のパリ市長選挙で、右派の現職ジャン・ティベリ氏を破り、フランス史上初の左派系パリ市長であると同時に、はじめてゲイを宣言した市長となりました。実は、この3年前、彼は、あるテレビのトーク番組で、異性カップルのみならず同性カップルの権利も保障する準結婚制度「PACS(連体市民協約)」への賛成論者として出演していました。その中で突然、「私はホモセクシュアルです。今日この場の議論の重大さを私はわかっています。しかし、私はもう48歳です。自分の信念を持って生きなければならない」と発言。

続いて、「自分のキャリアなど、私にとっては最も重要なことではない」と付け加え、自分の政治生命を絶つ爆弾発言になりかねないことを承知の上で、自らゲイであることを告白していました。ところが、その後も彼の政治生命が絶たれることはなく、パリ市長の座を射止めることになったのです。選挙当選の報が届けられた時、視聴者広場には、GBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の象徴であるレインボー・フラッグが高らかに掲げられ、多くのゲイとレズビアンが喜びを分かち合っていたニュースの映像が今でも思い出されます。

このように、フランスでは、国民やマスコミは、こうした政治家の性的嗜好や交友関係と職務は別のものと捉えます。私も、個人の自由と権利が確立された自由・民主社会では、これは当然のことだと思います。

ある不愉快な一言

私個人の例で恐縮ですが、私には、自分の私生活を人から干渉され不愉快な思いをした経験があります。その中で、今でも強く残る2人の言葉を敢えてご紹介します。

1つは、中学3年当時、担任の先生から言われた言葉です。高校受験を控え、私なりにそれなりの成績はあげていたつもりでした。又、勉強だけでは退屈なので、部活と恋愛にも精を出していました。彼女との行動が目立ったためか、ある日担任の先生から、「女の子もいいけれど、勉強がおろそかになるのが心配だ」と言われました。私にとっては大ショックでした。勉強と恋愛は無関係と考えていた私に対し、先生から私生活(恋愛)を指摘されたからです。そのショックのせいか次の中間試験で成績を落としました。勿論、先生の熱心な教鞭には大変感謝していますが・・。

2つ目は、私が三十路を迎えようとしていた頃、当時の会社上司から、「永田もそろそろ結婚したらどうだ」と突然言われたことです。この方には、仕事の面では色々お世話になり今でも大変感謝しています。しかし、私の友人でもない彼が、なぜ私のプライベートなことに干渉するのかわかりませんでした。そこで、「なぜですか?」と尋ねたところ、「君の年になると結婚した方が、社会的に周りからの信頼性も増すからだ」という返事でした。この理屈では、一定の年齢に達しても独身でいる社員は、いい仕事ができないし昇進も難しいと解釈できます。私は、当時から「年・結婚・仕事は、それぞれ別のもの」、それ以前に、「仕事とプライベートは無関係」と考えていましたので、彼の言葉がさっぱり理解できず、むしろ未婚であったことに対する一種の差別を受けた感じすらしました。

会社は、社員の私生活に干渉すべきではない

前述の2人の言葉は、私が個人的に受けた些細なものにすぎません。しかし、世の中には、独身・離婚・母子家庭・夫婦別居・社内恋愛・同性愛などの立場にある人や、私生活上の訴訟問題を抱えている人が多くいます。こうした人達の中には、自分の私生活を会社から干渉され、周りの人達から冷ややかな視線を感じ、社内で片身の狭い思いをされている方が、多くいるのではないでしょうか。

会社は、社員の私生活上の立場・行動・交友関係等に干渉すべきではありません。公私分離の原則は、先の政治家の例と同じように企業でも同じです。勿論、社員から、私生活上の相談を持ちかけた時は別です。

また、会社が、リスクマネジメント上、社員の私生活部分を干渉せざるを得ないこともあるとは思います。例えば、社員が帰宅後近所の女性宅から下着泥棒を繰り返し逮捕されたことが勤務先名入りでマスコミに発表され、本人の懲戒処分を検討せざるを得ないような時です。

しかし、こうしたケースを除き、皆さんが社長や上司だったとして、仕事仲間のセンシティブ情報を知ったところで何の役に立つのでしょうか。社員は会社の所有物ではありません。彼ら・彼女らがどのような私生活を送るかは、会社には無縁で、社員個々人の自由と責任の範疇です。そして、この自由と責任は社長や上司でも同じです。彼らも、仕事を離れると一人の人間です。私生活上の立場・交友関係や行動は、周りから干渉または批判されるべきものではありません。社内では、上司であれ社員であれ、互いの私生活を尊重しましょう。

夜10時ごろまで空が明るいパリより、願っています。

永田 公彦



 
 
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セビリアがマリ代表ケイタを補強

セビリア(スペイン)は11日、今夏3人目の新戦力として、ランス(フランス)のマリ代表でキャプテンも務めるMFセイドゥ・ケイタ(27)を獲得したと発表した。契約期間は4年。

ケイタは2002年にロリアンからランスに移籍し、昨季はリーグ戦37試合で11ゴールを挙げる活躍。過去にはマルセイユでもプレーした経験がある。



 
 
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セビージャ: デ・ムルとケイタのお披露目 二人の選手はブロックを構成し、強化部長のモンチは全体の役目を果たすと確信

セビージャは12日に二人のお披露目を同時に行った。セビージャのファンには馴染みのない顔だが、いつものように歓迎し、期待を寄せた。絶頂と発展を続けているクラブに二人はやって来た。

ベルギー人デ・ムルもマリ人ケイタも、これから仲間になる新しいチームに最初の印象を語った。

アジャックスから移籍したデ・ムルは、ベルギー代表でU−21欧州選手権を終えたばかり。「セビージャのサッカーはサイドをよく使うから僕にぴったり」と認め、「ヘスス・ナバスら素晴らしい選手たちと競うのは光栄だ。すぐにリガに慣れる」と抱負を語った。

マリ人のケイタは代表でチームメートのカヌテと話したと語り、「セビージャは素晴らしいクラブ。これから、もっと、ちょっとだけ良くなる」と答えた。



 
 
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広州:冷蔵庫に黒人男性のバラバラ死体、同居者失踪

2007/07/24(火) 16:03:06更新

広東省広州市白雲区のマンションで21日夜、黒人男性のバラバラ死体がみつかった。死亡したのはアフリカのマリから来た男性とみられ、警察では殺人事件として捜査している。23日付で南方都市報が伝えた。

男性は今年2月から部屋を借りていたが、7月は家賃を滞納していた。21日も大家が部屋を訪れたが、応答はなかった。このため警察とともに部屋に立ち入ったところ、冷蔵庫中のバラバラ死体を発見した。

部屋ではマリから来た男性がもう1人生活していたが、行方が分からなくなっており、警察で探している。(編集担当:菅原大輔)



 
 
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2007/08/05 10:44

5つのタイトルを視野に入れるカヌーテ セビージャに残留したマリ代表FWカヌーテが、新シーズンへの意気込みを語った

当初、セビージャを離れてプレミアリーグに復帰するのではないかと言われていたマリ代表FWカヌーテだが、残留することになったセビージャで新シーズンを迎える準備ができていることを強調。チームとしての目標を高い位置に設定すると共に、その意気込みを次のように述べた。

「3つの大会(リーガ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグ)はどれも同じくらい重要だ。そして、どのチームもチャンピオンズリーグで成功を収めたいと考えているし、それ故に私たちは彼らに立ち向かっていく必要がある。また、昨季同様、スペインと欧州のそれぞれのスーパーカップでチャンピオンになりたい。どんな試合でも勝利を目指し、セビージャが野心的なチームであることを証明したいんだ」

昨シーズン、セビージャは3つの大会で最後まで優勝争いを演じ、最終節でリーガのタイトルを逃したものの、UEFAカップとコパ・デル・レイの2冠に輝いた。そのため、彼らはセビージャがチャンピオンズリーグでも結果を残せると信じているが、チャンピオンズリーグの予選3回戦で対戦するAEKアテネを「非常に難しい相手」と評し、「よりによって、困難な相手だと考えていたチームのうちの1つと対戦することになってしまった」と、警戒心を強めている。



 
 
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「ネットの恋愛、気をつけて」、誘拐被害の男性が呼びかけ

偽の「婚約者」に会うためにアフリカのマリを訪れたオーストラリアの男性が誘拐された。無事に戻ってきた男性は、皆に注意を促している。

2007年08月13日 16時13分 更新

アデレード、オーストラリア(Associated Press)

オーストラリアの農家の男性が、オンラインで恋人を探している女性を装った集団に12日間マリで人質にされた。この男性は、インターネットでロマンスを探すときは気をつけるよう呼びかけている。

デス・グレガー氏(56)は先月、インターネットで出会って結婚の約束をしたナターシャに会い、持参金の10万豪ドル相当の金の延べ棒を受け取るためにマリを訪れた。

だが同氏は到着するなり武装した男性の集団に連れ去られ、縛り上げられてマチェーテ(ナタのような刃物)で殴られ、現金とクレジットカードを盗まれた。

同氏は8月12日に警察に付き添われて南オーストラリアの故郷の州に戻った。誘拐犯は同氏に、10万豪ドルの身代金を払わなければマチェーテで足を切り落とすと言ったという。

グレガー氏の家族から通報を受けたオーストラリアとマリの警察は、誘拐犯をだまして、身代金の受け取りのために同氏をカナダ大使館に連れてくるように仕向け、事件は解決した。

アデレード空港で取材に応えた同氏は、空港で身なりの良い男性に出迎えられたと語った。この男性に、マチェーテと自作の銃を持った男性2人がいる部屋に連れて行かれ、金を要求されるまでおかしな兆候はなかったと話す。

「そのときわたしが何を考えたか、説明しがたい」と同氏は言う。「基本的には、何が起きているのだろうかと思っていた。それから彼らは金を要求し始めた。そのとき事態の深刻さが分かった」

グレガー氏はこの経験から学んだとして、インターネットで恋愛相手を探すときには注意するようにと人々に促した。

「もう2〜3日遅かったら、わたしは戻ってこられなかっただろう。気をつけて。なんでも必ず100%チェックして」(同氏)

オーストラリア連邦警察は声明文で、グレガー氏の事件は、インターネット詐欺の被害者に起き得る事態としては「極端な例」だとしつつも、オーストラリア国民に自衛するよう注意を促している。



 
 
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豪男性、ネットで知り合った恋人に会いに行き監禁される

* 2007年08月14日 19:19 発信地:シドニー/オーストラリア

【8月14日 AFP】インターネットで知り合った「恋」を求めてアフリカを訪れたところ、現地で誘拐され、殺害されそうになったオーストラリアの男性が12日、無事オーストラリアに帰国した。

サウスオーストラリア州Hoyletonに住むデズモンド・グレガー(Desmond Gregor)さん(56)は、インターネットを通じて知り合ったナターシャ(Natacha)と名乗る女性に会うために7月27日にマリを訪れたが、到着した直後に複数の男性に拉致され、バマコのアパートに12日間監禁された。

ナターシャは結婚持参金として10万豪ドル(約988万円)相当の黄金を持参すると約束していたが、実際にはグレガーさんが誘拐犯から10万ドルの法外な身代金を要求された。誘拐犯はグレガーさんをナタで殴打し、手足を切断すると脅したという。

グレガーさんから金を無心する電子メールが頻繁に届くようになり、疑念を抱いた家族が外務省に連絡。

8月9日に、オーストラリアとマリの両警察当局が、バマコのカナダ大使館にグレガーさんの身代金が届いていると誘拐犯を信じ込ませ、グレガーさんの救出に成功した。誘拐犯は、グレガーさんが身につけていた675ドル(約8万円)とクレジットカードを盗んだだけで逃走した。

文字通り着の身着のまま州都アデレード(Adelaide)に戻ったグレガーさんは、「生きて帰れたのが幸運だった」と告白。出迎えた家族は、グレガーさんが恋ゆえに盲目となり、詐欺に引っかかったことを理解できなかったのだと語った。(c)AFP



 
 
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外務省、マリへの無償資金協力を発表 2007年08月15日 14:23更新

14日、外務省は、日本政府がマリ政府に対し、「カティ市教員養成学校建設計画」の実施を目的として、5億9300万円を限度額とする無償資金協力を行うことに関する書簡交換が、セネガルの首都ダカールにて、齊藤隆志駐マリ特命全権大使とヨロ・ジャロ在セネガル・マリ臨時代理大使との間で行われたと発表した。

マリは、アフリカ西部に位置し、人口1390万人(2005年)、1人あたりのGNI(国民総所得)は380米ドル(2005年)。2002年に策定した「貧困削減戦略文書(PRSP)」において、教育分野を優先分野の1つに定めている。さらに、「教育開発10ヵ年プログラム(PRODEC)」(2000年〜2010年)及び「教育部門投資計画(PISE)」において、基礎教育の量的拡充と質的改善を最重要課題とし、毎年2450名の新規教員の養成、採用及び能力向上を目標に定めている。

マリの基礎教育は、第1サイクル(6年間)と第2サイクル(3年間)からなり、2005/06年の留年率は第1サイクルで17%、第2サイクルで22.1%とセネガル、ニジェールなどの近隣国と比較して高く、教育の質の向上が大きな課題となっている。一方、教員については、1990年代に教員養成学校が閉鎖・縮小されたため、教員不足が深刻な問題となっている。このため同国政府は、短期の訓練を受けた無資格教員を養成し、採用している。

このような教育事情の下、国民教育省は、PRODECに基づき、各州に1校または2校の教員養成学校を設置し、国全体で15校の教員養成学校を設置して毎年2450名の新規教員を養成する目標を掲げた。今回、このうちカティ市に教員養成学校を建設するために必要となる資金について、日本政府に対し無償資金協力を要請してきた。

同計画の実施により、カティ市教員養成学校から毎年130名強の卒業生が新規教員となり、マリ全体では2072名の新規教員が輩出される。第2サイクルの教員養成に必要な専門科目として、生物化学教育課程及び数学物理化学教育課程の2コースを備えることで、近年需要が高まっている理数科分野の教員の強化も図る。



 
 
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セビリアが優勝

スペイン・スーパー杯は19日、決勝第2戦で昨季国王杯覇者のセビリアが、アウエーでリーグ王者Rマドリードを5−3で下し、2戦合計6−3で優勝した。マリ代表FWフレデリック・カヌーテ(29)がハットトリック、ブラジル代表MFレナト(28)が2ゴールを決めた。セビリアは2度のUEFA杯と国王杯、欧州スーパー杯を含め、この15カ月で5度目の栄冠となった。



 
 
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アフリカの人たち助けてあげよう! 滑川で支援米刈り取り

2007年9月1日

食とみどり・水を守る富山県民会議(宮越勝義議長)は三十一日、滑川市坪川で、アジア・アフリカ支援米として作付けした稲を収穫、市内のあずま保育園の五歳児二十人も刈り取り作業に参加した。

支援米はわせ品種「てんたかく」で、五月に同県民会議会員の藤井宗一さん(59)の田んぼ三・七アールに苗が植えられた。藤井さんが水管理をして、黄金色の立派な稲穂に実った。園児たちは藤井さんら県民会議会員らの指導で、かまを使って丁寧に稲穂を刈り取り、束にしてはさがけにした。

藤井さんは「世界には食糧に苦しむ国があることを知ってもらいたい。これからも支援米づくりを続けていく」と話していた。

県民会議による滑川市での支援米づくりは六年目。同市のほか立山町の立山北部小でも支援米としておくて品種「日本晴」を作付けしており、こちらは十一年目。

支援米の収穫量は滑川市で約二百キロ、立山町で約四百八十キロが見込まれる。両方を合わせた全量が非政府組織(NGO)「マザーランド・アカデミー」を通じて、来年一月から三月までの間にアフリカのマリ共和国に船便で送られる。 (武田寛史)



 
 
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マリ共和国で反政府勢力が米軍機を銃撃

* 2007年09月14日 02:53 発信地:バマコ/マリ

【9月14日 AFP】アフリカのマリ共和国で12日、同国政府軍に食料を投下していた米軍機が銃撃を受けた。現地の米外交関係者が13日、伝えた。

この外交関係者は「銃撃があったが被害はなかった。(銃撃したのは)トゥアレグ人反政府勢力だ」と語った。

また、当該航空機は、政府軍とトゥアレグ人反政府勢力との戦闘が続くマリ北部を飛行中に銃撃を受けたが、任務を完遂し首都バマコ(Bamako)に無事帰還したという。

地元のNGO関係者はAFPの電話取材に対し「銃撃は合計2回あったが、米軍機は1回目の銃撃の後、高度を上げていたため無事だった」と語った。銃撃後も、米軍機はマリ北東部キダル(Kidal)近郊で投下任務を行ったという。

米政府関係者が12日に明らかにしたところによると、米軍機は、前週に終了した軍事演習「Flintlock 2007」に参加後、マリ政府からの支援要請を受け食料投下任務を行っていた。(c)AFP/Serge Daniel



 
 
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第3回 巨大道路とコカ・コーラ、そして遊牧民(前編)

ノンフィクション作家=島村 菜津氏

水を求めたらコカ・コーラが出た!

モーリタニアを出てこうして2日目の午後、マリの国境から30分ほどでナラという村に着いた。

狡猾(こうかつ)なミーシャ(夫)は、この時になってやっと、運転手のおやじさんに2人分の60ドルと、おまけの10ドルを支払う。普通の外国人のバックパッカーが、より快適で、より人道的な車で旅して、1人50ドルだそうだから、妥当な値だ。

中古トヨタも、そろそろ買い換えの時期ようだし、助手のお駄賃も要るだろう。私も、心の底から尊敬の念を込めて「ありがとうございました」と、頭を下げた。すると、終始、無表情だったおやじさんが、この時ばかりは白い歯を見せて笑い、さっと、どこへか姿を消した。

乾きは、頂点に達していた。まずは水探しだ。

「水、水……」とつぶやきながら村を歩くと、ほどなく1軒のカフェを見つけた。叫んでも、主人がなかなか姿を現さないので、お勝手を覗くと、村人が庭先に集まって、さざなみの立つテレビドラマに見入っていた。

こんな“土の村”にも、テレビが欧米の消費社会のイメージを運んでくるのだ。若者たちが国を離れていくのは無理からぬことに思えた。

「あの…」と懇願すると、ようやく物憂いそうに立ち上がった主人に、詰めよった。

「み、みずを」

「水はないよ」

「えっ!」。眉を潜めると

「でも、これなら」と、奥の倉庫のような部屋に置かれた、これまた古い冷蔵庫から取り出したのは、何と懐かしいコカ・コーラの瓶だった。

さすがは街、電気が通っている。瓶の表面には氷の皮膜が白くはり、冷え冷えで、なんともそそるではないか。

あっという間に飲み干した。

「ああ、おいしい。生きててよかったあ」と、思わず、口をついて出た。

「おじさん、もう1本ずつ」というわけで、気がつけば、2本も飲んでしまった。

半日も水にありつけず、喉はからからだった。乾いた砂漠の景色が、モンスーン気候育ちの脳に飢餓感を植えつけ、それがまた、コカ・コーラの味を格段にグレードアップさせていた。

命拾いはしたが、後味が悪い

それにしても、日本では10年くらい口にしていなかったコカ・コーラを、よりによってサハラで飲む羽目になるとは。なんとも皮肉な運命ではないか。しかも、東京やニューヨークならまだしも、「どうしてサハラまで来てコカ・コーラなんだ?」と思うと、少し悔しくなってきた。

そういえば、ティンベトラでも、筵(むしろ)の粗末なキオスクに、唯一、輝いていた看板はコカ・コーラだった。

さすがは200カ国で親しまれ、「世界一のマーケティングと流通システム」を誇る世界最大手清涼飲料の会社だけのことはある。

だが、その時、ふと数年前に読んだ『For God, Country and Coca-Cola: The Unauthorized History of the Great American Soft Drink and the Company That Makes It』(Mark Pendergrast著、Scribner社、1993年4月発行、イタリア版はPIEMME社より発行)という分厚い本の背表紙が頭に浮かんだ。

「なぜ、99パーセントが砂糖水である大衆的な飲料水が、アメリカの究極のエッセンスとなり、その文化を代表するものになったのか?」

ほとんど水なんじゃないか。だったら、水の足りない砂漠でまで独占的なシェアを占めているのは、ちょっと嫌味な話である。せめて地元企業の果実100%のジュースでもあればいいのだ。

命拾いはしたものの、どうも後味が悪かった。

そこで帰国してから調べてみると、コカ・コーラにとって、アフリカは、全体のシェアの4%ほどしか占めておらず、将来性に燦然(さんぜん)と輝く中国や北欧に比べれば、さほど大切な市場とも思えない。ならば無関心かといえば、そうではない。

コカ・コーラは、アフリカには1976年、南アフリカ共和国の政情不安に乗じて参入。この時は、売上げの8分の1が政府に入り、人種差別政権に寄与していると非難された。その後も内戦が終結を見たアンゴラに乗り出し、共産政権が倒れたエチオピアに投資し……となかなか熱心である。

上の書籍によれば、残りはコカの実、ライム果実、バニラやコリアンダーなど7つのエッセンスだそうだから、アフリカに熱心なのは素材の調達のためだろうか。

いったい誰のための援助だろう?

ナラでは、もうひとつ、気になる事件があった。この街で、世界銀行と国連のIMF(国際通貨基金)が建設する道路を作るための調査をしているという 2人のイタリア人と出会った。彼らは、真新しいクーラー付きの7人乗りのアルファロメオ、2台で現われた。そして、次の目的地カンカンまでルートが同じだから、乗せてくれると約束してくれた。

ところが、それも糠(ぬか)喜び、私たちが「雑誌に記事を書いている」と口にした途端、ボスの態度は豹変。「そうだった。現地の調査員を7人乗せなきゃならないから、残念ながら無理だよ」と断られてしまったのだ。

定員14人(7人乗りのアルファロメオ×2台分)に、2人プラス調査員7人の計9人なら、まだ相当に余裕があるじゃないか。「国際機関には、部外者を“拾っちゃいけない”って規約でもあるのさ」とミーシャはあっさり断念したが、底意地の悪い私は大いに勘ぐった。世の中、恐ろしいのは、義憤より私憤である。

何か、きっとやましいことでもあるに違いない。

そこで、これも帰国してから調べてみると、世界銀行のアフリカ構造調整プログラムは、みごと失敗に終わったと、新しい総裁も認めていた。そもそも世界銀行とは、戦後に発足された経済の安定を図るための国際機関で、本部はワシントンにあり、なぜか慣例で総裁には歴代アメリカ人が就任している。出資額は同国が1位で、2位は日本だ。

ちなみに、6000kmを超える縦断道路、2000kmを超える横断道路は、アフリカの各国の貿易には、ほとんど寄与しておらず、整備の行き届かない道路は、ところどころ砂に埋もれている。これを目にした時に思い出したのは、モーリタニアの海岸で見た日本の援助の下に建てられたコンクリートのりっぱな魚市場や、ギニアのカンカンの市場の大きな冷蔵庫だった。電気不足ということもあって、それらは、まるで使われていなかった。よもや日本向けに輸出されるタコやイカ、イセエビが水揚げされた時だけに使うわけでもあるまい。いったい、誰のための援助だろう。

巨大な道路も同じだ。何も、“列強”が必要としている石油や鉄鉱石やボーキサイトを港に運ぶためだけにあるわけではないだろう。

アフリカ人たちの暮らしとのアンバランス

2005年に世界銀行の総裁に就任した元米国国防副長官であるポール・ウォルフォウィッツは、日本の雑誌のインタビューの中で、こう告白している。

中国や東アジア、インド、南米では(世界銀行の役割は)成功を見たが、「しかし悲劇的なのは、サハラ以南のアフリカ諸国が後退してしまったことです。20年前、4分の1だった貧困層が、現在では2分の1になってしまいました。これらの人々は極貧で、1日1ドル、もしくはそれ以下の生活を送っています。サハラ以南の6億人の住民のうち、半分の人々がそのような生活を送っています。これは決して健全な世界といえません。またそのようであってはなりません。」、と(括弧内、東洋経済新報社の『東洋経済』2006年6月24日号より引用)。

その理由について、総裁は、あくまでも地元の政治の腐敗を挙げているが、長年、アフリカをフィールドにしてきたイギリス人学者、マイケル・ブラウンの意見は違う。

「IMFと世銀の外国人専門家が、アフリカの政府を説得して推進させた政策が、過剰生産の原因となり、取引条件を悪化させ、旱ばつや土壌劣化を引き起こしたのだと判明した。そして、それは、手馴れた小規模農業、村落経済での女性たちの中心的な役割、穀物の混植栽培、都市の手工芸、都市と農村の生活の調和、農耕民と遊牧民の豊かな交流など、アフリカ社会に残されていた力を壊滅させた。」と辛辣である(『アフリカの選択』塩出美和子・佐倉洋共著訳、つげ柘植書房新社、1999発行より引用)。

しかし、あらためてこれを読むと、ナンシーが会わせてくれた遊牧民の暮らしや、私が憧れるたくましいアフリカは、風前の灯火なのか。

まだ、あった。

『世界の水が支配される!』(国際調査ジャーナリスト協会著、佐久間智子訳、作品社、2004)では、世界銀行がアフリカの10カ国で融資の条件として推し進めている水道の民営化への批判が展開されていた。それによれば、例えば南アフリカでは、民営化された高過ぎる水道代を払えず、川の水などに頼らざるを得ない人々の間でコレラが流行したなどと報告されていた。

おそらく、どの指摘にも、道理があるのだろう。

ただ、私のような無知な旅行者の目からみても、世界銀行の援助の下に建設された巨大な砂漠の道路や、すべてのブランドを凌駕して君臨するコカ・コーラの看板といったものは、周りの土造りの家や粗末なテントで営まれるささやかなアフリカ人たちの暮らしと、どうにもバランスが悪かった。

そして、その道路を質の悪いガソリンで疾走する先進国の“お払い箱”車が公害を引き起こし、交通事故も絶えない。あまり知られていないが、アフリカでは、疫病に倒れる外国人の数より、交通事故で命を落とす人の方がずっと多いのだ。くわばら、くわばら……。

だというのに、国際機関のクーラーつきの車に見放された私たちは、その後、さらなる生命の危機を体験することになった。

後編に続く



 
 
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愛の米、アフリカへ/福井・小浜市【北陸】

掲載日:07-09-30

飢餓で苦しんでいるアフリカの国に救援米を贈ろうと、福井県のJAわかさ小浜青壮年部と小浜市の国富小4年生児童ら40人はこのほど、小浜市次吉の水田で稲刈りを行った。

同青壮年部国富支部が中心となり、地元農家の上野一夫さんの水田14アールを借りて行った。水田は「チャレンジ農園」、米は「あいLoveライス」と名付けている。

長靴に軍手姿の児童らは、自分たちで植えた「コシヒカリ」がたわわに実る水田に入ると、慣れない手つきでかまを使い、心を込めて丁寧に刈り取った。

学校では、これまでに総合的な学習の時間を使い、送り先のマリ共和国の食料事情を学んだ。刈り取り後、代表してあいさつした吉村悠希さんは「世界には食べることができない人がいることを知った。感謝の気持ちを忘れずに食事したい」と話した。

収穫した米のうち300キロを東京の民間救援米団体を通じて11月中旬にマリ共和国に送る。

(福井・わかさ)



 
 
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第3回 巨大道路とコカ・コーラ、そして遊牧民(後編)

前編はこちらから

事故だけは勘弁、定員オーバーの乗り合いルノーの旅

ギニアの国境まで、壮絶な振動音を立てる夜行バスに揺られて着くと、そこで見つけた乗り合いルノーの旅は、まさに空前絶後だった。

私たち2人と、英語を話すガーナ人とナイジェリアの青年、無口な青年が1人、ムスリムの親父が1人。加えて、まだ若い運転手君と“奴隷”のような少年1人──。

なぜ“奴隷”のようかといえば、少年は車中に入りきれず、ある時は上に詰んだ荷物にしがみついていたり、ある時はトランクの中から出てきたりしたからだ。

悲惨さをきわめたが、「代わってあげようか」と言う勇気はとてもなかった。

これで8人だから既に定員オーバー。とはいえ、ここからシクロまでは、まだしも人道的だった。

ところが貪欲な運転手は、このシクロの市場で、商売を終えた大型のおばさんトリオを拾ったのだ。1人は背丈が180cmはあり、1人は体重が180kgあろうかという体形で、各々がまた「引越しですか!?」というようなものすごい荷物を抱えている。

今度はアスファルトの道が主体だったものの、嫌な予感の通り、何度もエンコし、エンジンに水をかけたり、タイヤを替えたり……。なだめすかしながら進む。こうなると、どこかにしがみついている少年のためにも、事故だけは起きないように祈るしかない。

おばさんの大きなお尻に挟まれ、息苦しい車中で、「もし、この車が炎上でもすれば、脂身はよく燃えそうだ…」と地獄絵が頭をよぎる。すると、道路の脇に、まだ煙を上げている黒焦げの横転トラックが現れるのだった。事故を目撃するのは、これで3度目だった。

夜のニジェール川を車を乗せたカヌーで渡る

だが、思い起こせばそこまでは、まだよかった。想定外は、夜のニジェール川渡りだった。

橋があるにはあるが、長年、工事中のままで、そのまま遺跡にでもなってしまいそうだ。暗い岸辺で、ずっと迎えの船を待ったが、これがまた待てど暮せど来ない。

理由はなぞに包まれていたが、売店の1軒もあるでなく、乗客は川辺をうろうろしたり、用足しをしたり、所在ない。ついには、運転手まで自暴自棄な態度に出て、車で居眠りを始め、数時間がたった時、どこで手に入れたものか、自転車でひゅっと姿を消した。「とんずらか!?」と思われた頃、また自転車で戻ってくると、想像を絶する行動に出た。

彼は、車を川岸のぎりぎりのところに寄せると、みんなに降りろと支持する。

「荷物を持って、いよいよとんずらか!?」と思いきや、暗い川から、細い木造のカヌーに乗った新顔のすらりとした青年が現われた。いったい何事かと見守っていると、青年は、もう1艘カヌーを運び、その2艘のカヌーを岸辺に平行に寄せ、そこに直角に2本の板を乗せた。

それから、おもむろに運転手が、大荷物を乗せた車を、その板にそろりそろりと乗せたではないか。

でもって、カヌーの上から「おいで、おいで」をする。

「おーい、ここは中世か。アフリカの川で死にたくないぞお」と日本語で悪態をついたが、誰も構ってなどくれない。戸惑っていると、みんな黙って乗っていく。

「そんなアホな、無理に決まってるさ」と最後まで疑り深いのは、ガーナ君とミーシャ、それに私だった。

それでも、横綱級のおばさんトリオが乗っても、カヌーがずぶずぶっと沈没しないのを見届けると、かすかな希望が湧いた。原初的かもしれないが、この舟の浮力はたいしたもので、あるいは、生きて向こう岸につけるかもしれない。

ついに、悪あがきをやめてカヌーに乗り込む覚悟をした。

まるで、キツネにでもつままれているかのようだ。舟は音もなく、黒々とした夜の川を滑る。恐怖心からか、みんな押し黙っていた。

無事、生きて渡った時に味わったカタルシス

長い棒切れ1本の櫓をあやつり、青年は器用に舟を進めていく。きっと幾度も同じことをやってのけてきたのだ。川の流れに逆らわないように、途中で、カヌーの向きを変えた時、青年の長い腕と櫓の間から、砂に霞んだ黄色い満月が川面すれすれに浮かんでいるのが見えた。そして、よく引き締まった少年の体のシルエットがくっきりと浮かび上がった。つかの間、はっと息を呑むような神々しい眺めだった。

すると、毒舌ガーナ君が、恐怖心を払うかように「そういえば、ニジェール川ってフカがいるんだぜ。昔、俺さ、中国人相手にフカヒレ商売したことあるから知っているんだ」などと法螺を吹いて、ナイジェリア君に「ウソこけ」と一喝された。

反対岸にたどりついて一同、ほっとしたのもつかの間、陸に上げる段になって、車の“お尻”が川にはまってしまった。運転手が、みんなに、川に入って車を押してほしいと懇願する。

だが、長年、オランダ暮らしのガーナ君は、「アフリカの川に素足で入るなんて、僕はまっぴらだね」と態度を悪く、「あの、ワニっていない?」とミーシャも逃げ腰だ。私とて、ヒルやら寄生虫がちょっと気になる。

偉かったのは、ナイジェリアの青年で、「そんなことを言わないで、みんな、力を合わせようぜ」と学級員気質である。それまで、外国暮らしの若造と旅行者を舐めきっている風情だったトリオも、この時は、ためらわずに川に入った。力が強そうで逞しい。こういう時にこそ、真の人間性が試される。

こうして、めでたく車は川から脱出、みんなで拍手し、再出発を祝った。

あんな不条理な体験は二度とごめんだ、とも思うが、そこには、クーラー付きの新車では決して味わえない、ある種のカタルシスと、トラブルを語源とする旅の醍醐味が、確かにあった。

今も、その晩のことを思い出すたびに、人間、ゆめゆめ自分だけのちっぽけな物差しで、世間を見てはいけないなと、呆けている。

遠くから、1日1ドル以下の暮らしは悲惨だと同情するのは簡単だ。けれども、そこに“先進国”の人間が忘れてしまったような、命を根底から揺さぶられるような逞しさや、しなやかさがあることも、忘れてはいけないな、と思う。



 
 
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ボルヴィックの"水"をテーマとしたソーシャル・キャンペーン、「1L for 10L」プログラム(2007/10/12)

ナチュラルミネラルウォーター“Volvic(以下ボルヴィック)”の商品を通じて7月2日(月)から9月30日(日)まで全国的に展開されたソーシャル・キャンペーン、「1L for 10L(ワンリッター フォーテンリッター)」プログラム。同社が有するCM枠の約半分をこのプログラムのために使用するなど、その大々的なコミュニケーション手法により、「アフリカに清潔で安全な水を」というメッセージは多くの人々に届き、大きな反響を呼んだ。今回は、このプログラムを成功に導いた理由を探るべく、ダノンウォーターズオブジャパン代表取締役社長のリチャード・ホール氏と、同プログラムのリーダーであるキリンMCダノンウォーターズマーケティング部部長の吉沢直大氏にお話を伺った。

1L for 10Lプログラムのしくみ

このプログラムは、ダノングループがボルヴィックブランドを通じて支援するグローバルプログラムで、2005年にドイツでスタートし、2006年にフランスでも展開され、2007年に日本での実施に至った。「1L for 10L」とは、文字どおり“ボルヴィック出荷量1Lごとに10Lの清潔で安全な水がアフリカに供給される”ということを意味している。

グローバル企業と国連機関との本格的パートナーシップ

現地の支援に関しては、ユニセフとのパートナーシップにより、ドイツではエチオピアを、フランスではニジェールを、日本ではマリ共和国を支援している。現地で支援活動を行うユニセフとの連携によって、より持続可能な協力活動を可能とし、住民主体でメンテナンスできるためのトレーニングも含めた、持続的な井戸の使用実現を支援する。また、生活の中心である水へのアクセスを改善することで、就学率の向上、栄養状態の向上、それによる乳幼児死亡率の低下が期待されている。ユニセフという信頼できるパートナーとの協働により、支援金がどこに、どのように使われるのかが分かりやすく、消費者の参加インセンティブをより高めることにつながっている。

アウェアネス向上への努力

水問題に対する人々の関心を高めることについては、様々な工夫によって成功へと導いている。まずは事業とキャンペーン・テーマの合致であり、水を扱うボルヴィックが水問題への支援に取り組むという分かりやすさ、さらに「1L for 10L」という分かりやすいメッセージによって、消費者に受け入れられやすいプログラムとなった。次にプログラムへの参加のしやすさに対する工夫であり、今回日本では、水の需要が高まる夏の間(7月〜9月)の3ヶ月間にプログラム対象期間を設定したことで、より多くの人が通常の購入行動によって参加できるしくみを実現した。これらに加えて、効果的な告知活動が徹底して実施され、同社が有するテレビCM枠の約半分をこのプログラムのために利用し、Web上のプログラムサイトでは、設定された目標“マリ共和国に10年間で延べ約7億リットルの清潔で安全な水を”に対して、毎週金曜日に「現在○○リットル」の表示が更新されるなど、臨場感のある演出もなされた。

マリ共和国と水問題

支援対象国に関してはユニセフとダノンが協議の上決定しており、日本のプログラム支援先には、清潔で安全な水へのアクセスの地域格差解消が国家戦略計画として掲げられている、西アフリカのマリ共和国が選ばれた。ユニセフによると、現在、世界で安全な水にアクセスできない人は10億人以上で、毎日4,100 人以上の5歳未満の子どもが、安全な水や衛生施設がないために下痢性の病気にかかり、亡くなっている。水へのアクセスが困難な地域では、子どもたちが水汲みに従事することが多く、このために学校へ通えず、教育を受けられなかったり、また衛生に関する適切な知識を得ることができない。

マリ共和国の伝統的な井戸は地面に穴を掘っただけの単純なもので、プログラム実施のために現地を訪れた吉沢氏によると、子どもたちが描く水の色は「茶色」であるくらいに、清潔で安全な水とは縁遠い生活環境にある。現地では、子どもたちが茶色く濁った水をそのまま口にして、病気になってしまうことも多い。マリ共和国の5歳未満児死亡率が、出生1000人あたり218人と世界で7番目に高い(ユニセフ「世界子供白書2007」)のも、清潔で安全な水へのアクセスが圧倒的に不足していることが大きな原因となっている。

こうした課題を背景に、ボルヴィック「1L for 10L」プログラムの展開が、日本でもスタートした。

プログラムの成功と、ソーシャル・マーケティングとしての成功

同プログラムの“成功”とは、その目的である現地の持続的支援の実現と、水の社会的課題に対するアウェアネスの向上にある。一方でこの取り組みがソーシャル・マーケティングという視点からも興味深いのは、アウェアネスの向上が直接、消費者の商品への支持につながりやすいものだったということである。売上増を目的としたプログラムではなかったが、“何か社会に貢献したいと思っていても何もしていない状態の人たちも参加したくなるように”、積極的にその潜在層に働きかける工夫を行った結果もあってか、7・8月のボルヴィック売り上げも前年比134%と増加。猛暑日が続いたことや新商品の発売等、様々な要因が関係しているものの、ブログ上でもプログラムの好意的な意見が多数見られるなど、プログラムの実施によって同商品に対する消費者の支持が増えたことは確かである。

テレビCM等における効果的な告知展開に加えて、誰もが口にする「水」という商品を介在した同プログラムは、より多くの消費者の参加を促すことに成功した。現地の支援とアウェアネスの向上のためのプログラムが、結果として商品の販売増にも貢献したという、ソーシャル・マーケティングの成功事例である。1972年よりダノングループ創業者であるアントワーヌ・リブー氏が唱えてきた、「経済的成長と社会的発展の一体化」の思いに通じるプログラムであると言えるだろう。

「ダノンウェイ」によるCSRの浸透

今回の取材を通じて最も印象に残ったのは、持続的な発展を目指すダノングループ全体における、価値観共有ための仕組みとその効果である。2001年より同社で行われている「ダノンウェイ」という自己評価ツールがその仕組みにあたる。

「ダノンウェイ」では、各事業部門で従業員が参加するワークショップが行われ、責任を果たすべきステイクホルダーに対して、ダノンの目指す方向性と事業がどのくらい適合しているかが議論される。その自己評価のための指標として、イントラネット上で、ダノングループにおける数多くのベスト・プラクティスの事例が紹介されている。

先日、全世界のダノングループ子会社の社長が集まってアイデアを出し合うワークショップに出席してきたというホール社長。ダノングループ傘下の会社が全て同じ軸で、社会や環境に対する企業の責任を事業運営の中核に据えてビジネスを行うために、「ダノンウェイ」はとても重要であると語る。「1L for 10L」プログラムが誕生し、そのグローバル展開が実現したのは、「ダノンウェイ」が効果的に作用し、グループ全体、社員一人ひとりにダノンとしての CSRが浸透しているからこそである。プログラムの誕生は、ダノングループのドイツ支社本社の広報担当マネージャーを中心にした社員同士のディスカッションの中からであり、日本展開については、部長吉沢氏を始めとするマーケティング部の社員たちからの働きかけによって実現した。そのグローバル展開は、ダノンウェイによってベスト・プラクティスを学ぶことが、グループにふさわしい、よりよいCSR活動を社員が自発的に広げていこうとする行動に結びついたからである。ダノングループの特徴としてホール社長に挙げていただいた、「ボトムアップ型」の企業風土と、グループ企業との水平な「ネットワーキング」が、この事例からも伝わってくる。

「水のリーディング・カンパニー」として、また「ソーシャル・マーケティングのリーディング・カンパニー」として、今後の展開が楽しみである。

取材/執筆:西山庭子(ソシオエンジン・アソシエイツ)、取材/服部直子(同)、上田敬(NIKKEI NET BIZ PLUS)



 
 
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アフリカ杯大丈夫!?マリ代表選手がトーゴで刺され重傷

2007年10月15日23時43分

08年アフリカ杯ガーナ大会予選トーゴ対マリ戦が14日、トーゴで行われた。試合はアウエーのマリが2−0の勝利を収めたが、予想外のトラブルが発生した。

試合後マリ代表のフレデリック・カヌーテが暴漢に顔面を殴打され、数針縫う重傷を負った。また、ストーク・シティ所属のマリ代表FWママディ・シディベがナイフで腕を刺され、止血の為に緊急手術を受けている。

この日の勝利でマリ代表は08アフリカ杯ガーナ大会出場を決めていた。



 
 
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R・マドリー痛い、悩みの種は1月に欠くディアラ

2007年10月15日04時56分

2008年の始まりと同時にR・マドリーに重大な問題が迫っている。ガーナで行われるアフリカ選手権出場のため1月6日からマリ代表に合流するディアラをR・マドリーは約1ヶ月間に渡り欠くことである。

マリ代表はアフリカ選手権予選トーゴ代表をセビージャFWカヌーテとロスタイムのディアジョのゴールで勝ちアフリカ選手権出場を決めた。これによりシュスター監督は1月中ディアラ抜きの布陣を考えなくてはならない。唯一中盤の底でプレーできるのがガゴ。最低でもリーガ6試合と国王杯も勝ち進めばベスト8までの3試合をディアラ抜きで戦わなければならない。

2006年8月にR・マドリー入団以降5試合しか欠場していないディアラ。すでにチームに欠かせない存在となっているためR・マドリーはディアラ抜きの戦い方に慣れなくてはいけなくなる。ディアラがマリ代表の試合を蹴ってまでR・マドリーへ残ることはありえそうもない。なぜなら「代表の試合は一番大事」と位置づけているディアラ。昨シーズンのクライマックス、リーガ最終戦対マジョルカ戦もマリ代表へ合流する意志をみせていた。



 
 
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アフリカサッカー連盟 トーゴ対マリ戦での暴動を調査へ

* 2007年10月16日 10:48 発信地:パリ/フランス

【10月16日 AFP】アフリカサッカー連盟(CAF)は、12日に行われたアフリカ・ネイションズカップ(the African Nations Cup)予選のトーゴ対マリ戦で起きたトーゴ代表のサポーターによる暴動事件の調査に乗り出した。

マリ代表に2-0で敗れたことにより2008年にガーナで開催される本大会への出場を逃し激怒したトーゴ代表のサポーターがピッチに流れ込み、60人のマリ代表のサポーターと2人の選手が怪我を負った。マリ代表のフレデリック・カヌーテ(Frederic Kanoute)は、トーゴサポーターからベルトで殴られ傷口を縫い、またマハマドゥ・シディベ(Mahamadou Sidibe)はナイフで腕を切りつけられ手術を受けた。

アフリカサッカー連盟は15日、AFPに対し「現在我々は状況の確認をしており、試合の報告書を待っているところです」と語っている。この事件は18日に本大会の組み合わせ抽選会が行われるガーナのアクラ(Accra)で同大会の組織委員会による会議で議論される。

現在シディペは所属するイングランド2部リーグのストーク・シティ(Stoke City)に戻り治療を受けているが、怪我の具合については明らかにされていない。チームの最高責任者のTony Scholes氏は、「我々はまだ事件の詳細を把握しているわけではないが、このような出来事を見たいと望む人間はいないだろう。我々としてはまずシディペのことが心配だ、重傷でないことを願う。しかしながら我々にはクラブと所属する選手を守るという責任があるので、今後しかるべき組織に陳情する」とコメントした。 (c)AFP



 
 
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代表戦でカヌーテが襲撃を受ける トーゴのファンがピッチに侵入!

マリ代表は、12日に敵地で行われたトーゴ戦に2-0で勝利し、来年の1月に行われるアルフリカネーションズカップの出場権を獲得した。しかし、試合終了後に数名のトーゴ・サポーターがピッチ内に乱入。セビージャ所属のマリ代表FWカヌーテがベルトで殴られ、傷口を縫うことになった。

また、ストーク・シティ所属のシディベも腕を刃物で切られ、マリ代表のジョダル監督は、「まるで戦場のようだった。ロッカールームの至るところには血の痕があった」と、試合後の惨状を『L'Equipe』に語った。



 
 
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カヌーテ、トーゴ代表戦後にベルトで暴行を受ける

2007年10月16日02時57分

マリ代表として2008年アフリカ選手権予選対トーゴ代表戦を戦ったセビージャのFWカヌーテが、試合後グランド内に乱入したトーゴサポーターにベルトのような物で殴られ針を縫う怪我を負ったとセビージャ公式ウェブサイトは発表した。

事件はトーゴホームで行われた試合後、0−2で敗れた悔しさからかトーゴ代表のサポーターが乱入。マリ代表選手達が暴行を受けた。ママディ・シディベ(ストークシティー所属)は刃物で腕を切られ出血するなどの騒ぎとなった。

マリ代表のジャン・フランソワ・ジョダル監督がフランスのレキップ紙に「戦場のようだった。我々の選手達が逃げ込んだロッカールームの中は血の海状態だった」とその悲惨な状況を説明した。マリ代表選手達はグランドから直接飛行機で移動する事態にまで至った。



 
 
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ブラルーズ、咽頭炎でダウン オランダ代表合宿から病気で離脱

セビージャはこの代表ウィークで、次節レバンテ戦に向けてゆっくり準備していられないようだ。マリ代表のカヌテとケイタが命からがら逃げてきたと思ったら、今度はオランダ代表DFハリド・ブラルーズが病気にかかっているとの報告が届いた。ブラルーズは咽頭炎にかかり、すでに代表合宿から離れている。

今週末の試合に間に合うよう、ブラルーズがセビージャに戻ったら全力を挙げて治療にかかるとクラブのメディカル・スタッフは言っている。

カヌテとケイタの他にも、フランス代表から戻ったエスキュデが股関節炎で、マレスカとハビ・ナバロも負傷中。リーグ戦で4連敗と低迷中のセビージャには頭の痛い話ばかりだろう。



 
 
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カヌーテ 代表戦後の襲撃は「人生で最悪の瞬間だった」

* 2007年10月17日 12:16 発信地:パリ/フランス

【10月17日 AFP】スペイン・リーガエスパニョーラ1部のセビージャ(Sevilla)に所属するマリ代表ストライカーのフレデリック・カヌーテ(Frederic Kanoute)が、12日に行われたアフリカ・ネイションズカップ(the African Nations Cup)予選のトーゴ対マリ戦の試合終了後に起きた暴動でナイフを持ったサポーターによる襲撃を「人生で最悪の瞬間だった」と振り返った。

トーゴの首都ロメにあるKegue Stadiumで行われた試合に0-2で敗れたトーゴのサポーターが試合終了後にピッチになだれ込み、カヌーテはベルトで殴られた背中を縫い、またイングランド2部のストーク・シティ(Stoke City)に所属するマハマドゥ・シディベ(Mahamadou Sidibe)はナイフで切りつけられ手術を受けた。

「率直に言って、あれは人生で最悪の瞬間だった。サッカー場であのような問題が起こるなんて人生で一度も経験が無い。試合の後に何より寂しさを一番感じた。勝利の喜びに浸れなかった。本当に本当に最低な出来事だった」と語ったカヌーテは、既に調査を始めているアフリカサッカー連盟(CAF)に続き、国際サッカー連盟(FIFA)にも調査をするよう求めた。(c)AFP



 
 
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カヌーテ「セビージャで起こった事件も忘れる事はできない」

2007年10月17日06時41分

アフリカ選手権予選トーゴ代表対マリ代表の試合終了後に敗れたトーゴ代表のサポーターがグランドに乱入しマリ選手達を暴行した事件を受けて「アフリカは野蛮な所」とする表現がいくつかのメディアから出たことについて、マリ代表でセビージャFWのカヌーテは「みんなアフリカは野蛮だって言っているみたいだけどセビージャ対ベティスの試合でも同じような事が起こっている。警察の監視がスペインの方が行き届いているだけで、もし観客がグランドに乱入していたら同じような事態になったと思う。イタリアでは死者も出たほどだ。とにかくもうあのような事態が繰り返されないように努めることが大事」とした上で「確かに野蛮な行為だった。でもヨーロッパでも同じような事は起こっている」とカヌーテはコメントした。

自身も四針を縫う怪我を負ったが「たいした怪我ではないよ。トーゴのサポーターがグランドに降りた。最初はひどい状態ではなかったけどその後状況が悪化してロッカールームに逃げ込まなければならない状態になった。僕等はグランド中央に居たのでどのようにロッカールームに引き上げるか分からなくなった。人がどんどんグランドに流れ込んだからね。そして僕等に向かってきた。これまでで最悪な状態を経験だったと思うよ。勝ったのに喜べる状態ではなかった。もっと最悪な事件に発展しかねない状態だったと思う。なにせトーゴに住んでいるマリ人も僕等の応援に来ていたからね」と話した。

トーゴ代表への処罰については「それはFIFAの仕事。間違いなく何かしらの処罰になると思うよ。もしマリで同じ事が起こっていたとしても僕はそう言うね。放って置けない事件だと思う」とカヌーテは語る。今後トーゴ代表ホームで試合をするかどうかについては「状況次第だろうね。今回は大事な試合だった。トーゴはアフリカ選手権出場圏内に居ながら最終的に行けなくなった。だから事件に発展した。でもだからといってもうトーゴでプレーしないとは限らない。どこでも起こりえることだからね」と続けた。

「もしトーゴ代表に勝てばどういうことになるか予想はついた。でももし負けていたら僕達がマリでどういう目に合ったか分からないけどね。僕は自分の国のためにこれからも戦いたい。事件が繰り返されるようなら考えものだけど国を捨てるわけにはいかない」と母国への忠誠心を語った。

マリ代表がアフリカ選手権出場を決めたことでセビージャはカヌーテを1月と2、月失うことになるが本人は「それは前から予想できた事。セビージャには申し訳ないが両方でプレーすることはできない。日程は決まっているものだからね」と嘆いた。「アフリカ選手権出場が危うかったマリ代表がようやく切符を手に入れた。それなのにアフリカ選手権をパスするなんてことはできない。何のために死ぬほど頑張ったか分からなくなる。セビージャは僕がチームに残ることを望むだろうけどFIFAの規則に従わなければならない」と言うカヌーテ。しかし、1月6日のセビージャ・ダービー、対ベティス戦には出場の意志をみせた。



 
 
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チョコで環境保護、バイオ燃料トラックがアフリカへ

2007年 11月 7日 11:33 JST

[ロンドン 6日 ロイター] チョコレートを製造する際に生じる廃棄物を燃料とする特殊なトラックが今月、チャリティー活動の一環として、南アフリカのマリに向けて英国南岸のプールを出発する。

英国企業エコテックは、チョコレートの廃棄物をバイオエタノールに転換し、植物油と混ぜてバイオディーゼル燃料を製造。この活動の主催者は「(廃棄物は)これまで埋め立てに使われていた。今はバイオ燃料として移動に利用することができる」と述べた。

このバイオトラックは26日に出発予定。約3週間かけて4500マイル(約7245キロ)を走行し、マリ中部のトンブクトゥに到着する見通し。



 
 
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セビリアのカヌテが全治2週間

セビリア(スペイン)は13日、マリ代表FWフレデリック・カヌテが右ふくらはぎの負傷で全治2週間と診断されたと発表した。

今季リーガエスパニョーラで6ゴールを挙げ、得点ランク2位と好調のカヌテだが、11日のビジャレアル戦(2−3)で右脚のふくらはぎを負傷。前半だけでベンチに下がっていた。 検査の結果、全治2週間と判明。27日にホームで行なわれる欧州チャンピオンズリーグのアーセナル戦への出場が危ぶまれている。



 
 
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マリ共和国に援助米 南箕輪中生徒会の落ち穂拾い米など発送 [伊那毎日新聞]

(2007/12/15)

飢餓に苦しむ国に援助米を送る「国際協力田運動」の合同発送式が14日、活動に参加している南箕輪村立南箕輪中学校であった。アフリカのマリ共和国に送るため、運動に取り組むJA上伊那に寄せられた援助米をトラックに積み込んだ。

南箕輪中生徒会伝統の落ち穂拾いで集めた米は、94年から飢餓に苦しむ国に送っている。今年は10月12日に全校生徒が落ち穂を拾い、地域住民から寄せられた米も合わせ玄米で160キロになった。

JA上伊那の春日営農担当常務は「皆様のご協力で援助米を送れることは大変ありがたい」と感謝。南箕輪中地区生徒会長の岡部啓祐君が「自分たちの力がどこかの国で困っている人のためになるならと、全校の力を合わせて活動してきた。援助米が1人でも多くの方の役に立ち、喜んでいただけるといいなと思う」と発送メッセージを寄せた。

協力団体と援助米は南箕輪中のほか、赤穂東小学校5年生60キロ、青壮年部美篶支部300キロ、農団労上伊那360キロ、あぐりスクール生徒120キロ。米袋にバマラ語で「皆さんのために作りました」「いつか会えますように」などのメッセージを書き込んである。

全県では18JAが参加し7180キロ集まる見込みで、来年1月下旬に東京港に送り、マリ共和国に届ける。



 
 
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カヌーテ:「ダービーに勝利してチームを離れたい」 マリ代表としてアフリカネーションズカップに参戦

セビージャに所属するFWフレデリック・カヌーテは、日曜日に行われるベティスとのアンダルシア・ダービーに勝利して、アフリカネーションズカップに出場するマリ代表に合流したいと考えている。

「過去2年、僕らの方がベティスよりも良い成績を残した素晴らしいチームだったし、そのことをあらためて証明しなければならない。もちろん昨季は僕らが本命だったけど、今季はお互いに思うような結果を残せていないという現状がある。それだけに、今季はより拮抗した試合になるんじゃないかな」

「僕はチームを離れることになるけど、それは本当に短い期間だよ。長くても1カ月だし、それより短い可能性だってある。だけど、ダービーはとても重要な試合であり、僕はその試合に出場したい。シーズンで最も重要な試合の1つだからね。フォワードにとってダービーで得点することは常に重要なことなんだ」

「僕らは守備面で苦しんでいるが、もう少し集中することができれば、守備面の問題は解決されると思う。重要なことは、僕らが自分たちのスタイルで試合を進めるということだ。ベティスはここ数年、思うような結果を残せていないが、僕らはそのことを忘れる必要があるだろう。ダービーではどんなことでも起こりうる可能性があるからね」



 
 
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シュスター:「エトーはカメルーンの王様」 ディアラとの差に不満

国王杯対レアル・マジョルカ戦を明日に控え、レアル・マドリーのシュスター監督は記者会見と招集選手発表を行った。

マジョルカは1部のクラブなので、前のアリカンテ戦よりもレギュラーを起用すると明かしている。ただ、DF陣に負傷者がいることを嘆いている。

「明日はアリカンテ戦と同じチームにはしない。相手は1部のクラブだからね。カップ戦を勝ち抜きたいから、選手の起用にこれまでの2試合ほど大きな変化はつけない」

「今季はDF陣の負傷が多い。その点はとても運が悪いと思う。全員そろって出場できないのは残念なことだ」

また、アフリカ・ネーションズ・カップに出場するため、マリ代表に合流したディアラの穴埋めについては、「ガゴにチャンスを与える。彼は才能で劣っていないから、全幅の信頼を寄せられるね」とコメント。ただ、遅れて合流することが認められたバルセロナに所属するカメルーン代表FWエトーの待遇を皮肉っている。

「エトーが代表に遅れてもよくて、ディアラが行かなければならなかったのは地位の違いだろう。エトーはカメルーンの王だ。しかし、ディアラはまだマリの王様にはなっていない。その違いは大きい。エトーは彼の国での影響力が強い。私の選手やカヌーテ(セビージャ)、他の選手よりもずっとある。彼は力があり、誰よりも監督より決定権の強い会長の近くにいられる。我々のケースとは違うのだろう」



 
 
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甚目寺で「大切なもの」写真展 アフリカ・マリからも100点

2008年1月19日

愛・地球博でフレンドシップ国だったアフリカ西部のマリと交流を続けている甚目寺町で、マリの人たちと町民の「私の大切なもの」をテーマにした写真展が、2月に開かれる。開催を前に、町役場には約260点の作品が集まった。 (市川真)

マリはサハラ砂漠と重なる内陸国で、主な産業は農業。甚目寺町にはこれまで、ギセ・マイムナ・ジャル駐日大使が2度訪れている。写真展は、日本から数千キロ離れたマリのことをよく知ろうと、町民ボランティアでつくる国際交流推進ミーティングが主催する。

マリの写真は、在日大使館を通して、現地の生活が分かるものを写してもらうように依頼。新しい井戸からきれいな水が出たことを喜ぶ様子や、市場に並んだフルーツ類、元気な子どもたちが学ぶ学校の様子などを写した100点が届いた。町民からは、「友達は最高の宝物」などのコメントが入った160点が集まった。

町企画情報課は「マリの子どもたちの目がキラキラ輝いているのが印象的」と話す。作品は、2月3日に「国際交流の集い」が行われる町民会館(甚目寺町甚目寺)で展示された後、5−10日には町中央公民館でも展示する。

集いでは、アフリカ太鼓コンサートや在日外国人が調理した外国料理の試食もある。問い合わせは町企画情報課=電052(444)3166=へ。



 
 
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マリ ベナンを降し初戦を白星で飾る

* 2008年01月22日 09:29 発信地:セコンディ/ガーナ

【1月22日 AFP】サッカー、2008アフリカ・ネイションズカップ(the African Nations Cup 2008)・ガーナ大会・グループリーグB、マリvsベナン。試合はマリが1-0でベナンを降し、初戦を白星で飾った。

後半4分にマリのフレデリック・カヌーテ(Frederic Kanoute)は、PKを落ち着いてベナンGKのラシャド・シトゥ(Rachad Chitou)の逆をついて決め、決勝点を奪った。

試合後にカヌーテは「ここで試合をするのは厳しかったです。初戦だったので、体を慣らす必要があり、かなりの暑さに加えてピッチも重かったため厳しい試合でした。ただ最も重要なことは勝利することでした。グループステージ最大の難関はこれからです。我々はナイジェリアにコートジボワールという素晴らしいチームと対戦しなくてはなりません。厳しい試合になると思いますが、今日のような試合をすれば先も見えてくるはずです」と語った。

グループBで同日に行われたもう1試合では、コートジボワールがナイジェリアを1-0で降している。(c)AFP/Andrew Thompson



 
 
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ユーヴェ、シッソコもメルベリも獲得へ(トゥット・スポルト紙) 移籍実現が近づく2選手

21日に行われたリバプール戦に出場したアストン・ビラDFメルベリと、ベナンとのアフリカ・ネーションズカップ初戦でスタメンから外れたリバプール所属のマリ代表MFシッソコ。ユヴェントス内部からの情報によると、両選手がそれぞれユーヴェ移籍へと向かっている。

つい先日まで、メルベリが1月にユーヴェへ移籍する可能性は、アストン・ビラを率いるオニール監督によって閉ざされていた。そこで、状況の打開を図ったのがメルベリの代理人だ。ようやく来季に向けてユヴェントスと合意に至っていることを認めたのである。これを受け、満足したオニール監督は50万ユーロから75万ユーロにアップしたユヴェントスからのオファーを考慮することを受け入れたのである。ユヴェントス側は楽観的でいるようだ。21日まで、ユヴェントスのオフィスにFAXは届いていない。すべては今日に持ち越しとなる。近いうちにメルベリ移籍問題は解決され、同選手は予定を早めてトリノに来ることになるとみられる。メルベリ本人は新チームでのリスタートに必要な時間を十分に手にするため、予定通りに来季からユヴェントスでプレーすることを望んでいたと言われるが・・・

一方、シッソコの代理人は昨日、「我々はユヴェントスと合意に至った」と語っている。シッソコ本人がユーヴェ移籍を望んでいるのは周知の事実だが、代理人が認めたことで、さらに移籍が近づいたと言える。だがいずれにしても、ラニエリ監督はアフリカ・ネーションズカップが終わるまでシッソコの加入を待たなければいけない。



 
 
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サッカー=シソコ、ユベントス移籍は間近と認める

2008年 01月 24日 10:42 JST

[ローマ 23日 ロイター] サッカーのイングランド・プレミアリーグ、リバプール所属でマリ代表のMFモモ・シソコがイタリア・セリエA、ユベントスへの移籍が間近であることを認めた。シソコはイタリアのスポーツ紙ガゼッタ・デッロ・スポルトに対し「数日で決定する。すべては3日か、遅くても4日で決まる」とコメント。

さらに「ユベントスのユニフォームを着られたら最高だ。私は子どものころからユベントスを応援していた。小さい時は(ジネディーヌ)ジダンにあこがれていた。ジダンを愛するということは、ユベントスを愛することだ」と述べた。



 
 
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シッソコ、28日にも正式契約へ(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙) 移籍金1100〜1300万ユーロで2012年までの契約

リバプールMFシッソコは金曜夜、深夜0時前にイタリアへと向かった。27日朝にミラノのマルペンサ空港へ到着。ここでパリから来た家族と合流し、彼らはプライベート車でトリノへと向かった。目的地はトリノの中心部にあるホテル『プリンチペ・ディ・ピエモンテ』。ここでユヴェントスとのファースト・コンタクトとなった。部屋代はユヴェントスが支払ったのである。シッソコは感謝をし、部屋で眠りについた。夜を通しての移動は非常に大変だったからだ。

そして今日11時、ユヴェントスのオフィスでサインは交わされる。契約は2012年までとなる見込みだ。まずは半年間、そしてそれから5年目のオプション付きとなる4年契約ということである。年俸は250万ユーロとなる見通しだ。先日リヨンへ移籍したばかりのDFブームソンと同額だ。ブームソンは年俸300万ユーロだった?確かにそうだが、そのうちの一部はシッソコ獲得を実現するために投じられているのだ。移籍金はすぐに1100万ユーロを支払い、その後シッソコの出場試合数によってさらに200万ユーロが加わることになる。

シッソコはサインを終えると、アフリカ・ネーションズカップが行なわれているガーナへと向かう。明日29日、彼が戦うマリ代表はコートジボワールと対戦するのだ。大会の決勝戦は2月10日。マリはどこまで勝ち進むのか。いずれにしても、“モザイク”を完成させるための新たなピースを、ラニエリ監督はもろ手を挙げて待ち望んでいることだろう。



 
 
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シッソコ、ユーヴェ移籍が正式決定! アフリカ・ネーションズカップ終了後に合流

以前から濃厚と言われていたリバプールMFシッソコのユヴェントス移籍に関しては、今週が山場になると報じられてきた。ユーヴェはその期待を裏切らなかったようだ。29日、クラブはDFステンダルドに続いてシッソコを獲得したことを正式に発表したのである。

22歳の同選手は現在、マリ代表としてガーナで開催中のアフリカ・ネーションズカップに参戦している。大会終了後にチームへ合流する同選手は、ユーヴェと5年契約を交わした。

食欲とは食べながら湧いてくるもの。次にユーヴェが狙うのは果たして・・・?



 
 
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マリ代表シソコがユベントスへ

イタリア・セリエAのユベントスは29日、リバプール(イングランド)のマリ代表MFモハメド・シソコ(23)の獲得を発表した。

契約期間は5年。移籍金は1100万ユーロ(約17億4000万円)だが、シソコの出場試合数によっては200万ユーロ(約3億2000万円)が追加される。

フランス出身のシソコは、オセール、バレンシアを経て2005年からリバプールでプレー。今回はユベントスのほか、古巣のバレンシア、モナコなども獲得を狙っていた。



 
 
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サッカー=ユベントス、リバプールのMFシソッコを獲得

2008年 01月 30日 09:02 JST

[ミラノ 29日 ロイター] サッカーのイタリア・セリエA、ユベントスは29日、イングランド・プレミアリーグのリバプール所属でマリ代表のMFシソッコと5年契約を結んだと発表した。移籍金は1100万ユーロ(約17億4000万円)。

シソッコは先週末、身体検査のためにイタリア入りし、その後すぐにアフリカ・ネーションズ杯のコートジボワール戦出場のため、ガーナに戻っていた。

シソッコは2004年のバレンシア在籍時、現在のユベントス監督のクラウディオ・ラニエリ監督の下でプレーしていた。



 
 
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2008/01/31 23:23

移籍に夢中のシッソコに怒りを示すマリ ユーヴェ移籍のために大会中にトリノへ向かった同選手

もしもマリ代表がコートジボワールと引き分け、アフリカ・ネーションズカップでベスト8に進出していれば、おそらくは何も問題なかっただろう。だが、29日のコートジボワール戦でFWドログバらに3ー0と大敗を喫し、マリは大会から姿を消すこととなった。そして報道によると、その“戦犯”として先日ユヴェントスへの移籍が決まったMFシッソコが挙げられたという。

情報によると、マリ代表のジョダール監督はロッカールームで扉を蹴り上げ、大事な一戦を前にしてユーヴェとの契約のためにトリノへ向かったシッソコに激しい言葉を浴びせ、裏切り者扱いをしたというのだ。

ただ、今大会であまり起用されなかったシッソコは、ただ肩をすくめただけという。いずれにしても、人員不足に悩むユヴェントスだけに、新しいユニフォームでのデビュー戦は近づいているのだ・・・



 
 
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2008/02/02-21:28 アフリカMVPにカヌーテ=サッカー

【ロメ1日AFP=時事】アフリカ・サッカー連盟は1日、昨年のアフリカ年間最優秀選手に、スペイン1部リーグのセビリアに所属するマリ代表FWフレデリック・カヌーテ(30)を選出したと発表した。(写真はアフリカ最優秀選手に輝いたカヌーテ)

欧州生まれの選手が選出されるのは初めて。候補にはカヌーテのほか、イングランド・プレミアリーグのチェルシーで活躍するFWドログバ(コートジボワール)やMFエシエン(ガーナ)の名前が挙がっていた。

一方、最優秀新人賞には、ザンビアのMFクリフォード・ムレンガが選ばれた。 〔AFP=時事〕



 
 
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2008/02/02-11:32 最優秀選手にカヌーテ=アフリカ・サッカー

【ロンドン1日時事】アフリカ・サッカー連盟(CAF)は1日、昨年のアフリカ年間最優秀選手にマリ代表のFWフレデリック・カヌーテが選ばれたと発表した。カヌーテはフランス出身で、欧州圏生まれの選手が受賞するのは初めて。

CAF加盟53協会の代表チーム監督の投票で選出された。カヌーテはマリのアフリカ選手権出場や所属するセビリア(スペイン)の欧州連盟カップ、スペイン国王杯制覇に貢献したことが評価され、連続受賞を狙ったFWドログバ(コートジボワール)、MFエシエン(ガーナ)らを退けた。(了)



 
 
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マリFWのカヌーテがアフリカMVP

アフリカ・サッカー連盟は1日、2007年のアフリカ最優秀選手にフランス生まれのマリ代表FWカヌーテを選んだ。マリ選手として1970年以来の、欧州生まれの選手としては初の受賞となった。

スペイン1部リーグ、セビリアの一員として昨季のUEFA杯とスペイン国王杯獲得に貢献、代表でもチームをことしのアフリカ選手権出場に導いた。

[2008年2月2日9時50分]



 
 
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炭坑節で友好の輪 甚目寺と万博友好国・マリ

2008年2月2日

「月が、出た出た−」で有名な盆踊りの定番「炭坑節」のフランス語訳を、甚目寺町のボランティア組織「国際交流推進ミーティング」が作った。3日に開かれる「国際交流の集い」に、万博フレンドシップ国のマリ駐日大使が参加する予定で、大使の前で初披露する。

フランス語はマリの公用語。万博終了後、数千キロ以上離れたマリとの交流をどのように続けていくか、町と国際交流推進ミーティングが検討。今年5月に国際交流協会を設立し、本格的に取り組むことになった。

国際交流の集いは、協会設立に向けて幅広く参加を呼び掛けようと計画された。

炭坑節のフランス語訳は、「日本の盆踊りをマリの人と一緒に踊れば、肩ひじ張らない交流ができるのでは」と企画。町がホームページで募集した通訳ボランティア2人に翻訳を依頼した。

ボランティアは、日本語との発音の違いに苦労しながらも、合いの手の部分「はーよいよい」を「アーボンボン」とするなどして、1月初旬にようやく完成した。「大使にも言葉の意味が分かってもらえるはず」と自信満々という。

国際交流の集いでは、町婦人会民踊クラブが指導しながら、参加者がフランス語で炭坑節を歌い踊る。町企画情報課は「炭坑節のフランス語訳は世界初なのでは」と話している。

集いは午後1時半−4時、同町甚目寺の町民会館で。マリのジュース試飲や中国人研修生手作りのギョーザ試食、アフリカの太鼓ジェンベの演奏もある。参加無料。

(市川真)



 
 
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カヌーテ、アフリカ年間最優秀選手賞を受賞 欧州生まれの選手として初の受賞

アフリカサッカー連盟(CAF)は1日、セビージャに所属するマリ代表FWフレデリック・カヌーテが2007年度のアフリカ年間最優秀選手に選出されたことを発表した。また、カヌーテはフランス生まれであり、ヨーロッパで生まれた選手が年間最優秀選手賞を受賞したのは初めてとのこととなる。

その他の候補としては、チェルシーのFWディディエ・ドログバ(コートジボワール)やMFマイケル・エッシェン(ガーナ)、アーセナルのFWエマニュエル・アデバヨール(トーゴ)、レアル・マドリーのMFマハマドゥ・ディアラ(マリ)といった選手の名前が挙げられていた。

しかし、所属クラブのセビージャでUEFAカップとコパ・デル・レイ、そしてスペイン・スーパーカップを制したことが評価されたようだ。また、リーガでは得点を量産し、最終節まで優勝争いを演じたチームをけん引した。

なお、同賞はCAFに加盟する各国の代表監督53名の投票によって決められ、昨季はドログバが受賞。2004年から2006年まではバルセロナのFWサミュエル・エトー(カメルーン)が3年連続で受賞していた。



 
 
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マリ代表カヌーテ07年アフリカMVP

マリ代表FWフレデリック・カヌーテ(30)が、07年のアフリカ年間最優秀選手に選ばれた。加盟53協会の代表監督が選出するもので、コートジボワール代表FWドログバ、ガーナ代表MFエシアンを抑え、初めて栄冠をつかんだ。代表チームをアフリカ選手権出場に導き、クラブレベルではセビリアの昨季UEFA杯、国王杯の2冠獲得に貢献した。カヌーテはフランス生まれで、初の欧州出身の受賞者ともなった。

[2008年2月3日8時37分 紙面から]



 
 
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アフリカなどに支援米 市役所で発送式 休耕田を利用し栽培

2008年2月26日

飢餓が深刻な国へ送る支援米の発送式が二十五日、金沢市役所前であった。一九九六年から続く恒例行事で、今年の発送量はアフリカのマリに八百四十キロ、カンボジアに千百四十キロ。連合石川などの団体でつくる「食とみどり、水を守るいしかわネットワーク」が主催した。

コメは金沢、小松、七尾三市で休耕田を利用して栽培。マリへは東京のボランティア団体を通して送る予定で、五月ごろに現地に着くという。発送式でネットワークの上田弘志代表は「飢えと栄養不足は世界の死因の第一要因。子どもが五秒に一人死んでいます」と飢餓の深刻さを訴えた。

カンボジアへは世界食糧計画(WFP)を通して三月上旬に送る予定。同ネットワークは発送費用の寄付を集めている。申し込み、問い合わせは同ネットワーク事務局=電話076(232)7172=へ。 (白名正和)



 
 
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15日に未来館国際シンポ/二本松

2008年03月14日 11時36分

県男女共生センターのインターナショナル事業「未来館国際シンポジウム」は15日午後1時半から、二本松市の同センターで開かれる。

アイスランド、ウルグアイ、シンガポール、マリの4カ国の駐日特命全権大使に日本観や日本の家族観、それぞれの国の文化や生活を話してもらう。

本県で複数の国・機関の代表が集うシンポジウムが開かれるのは極めて異例。

テーマは「世界の“大使が語る、日本の今”〜もっと知ろう世界のこと、日本のこと〜」。

佐藤雄平知事が出席してあいさつする。

大使4人がそれぞれ20分程度、各国の文化や生活について説明し、パネルディスカッションを展開する。

参加者は定員に達している。

問い合わせは同センター電話0243(23)8304へ。



 
 
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アフリカ・マリからの報告:/上 安全な水求め、10キロ離れた村へ

◇多くが生活に疲れ、村を離れた/水の問題が何もかも妨げている

国土の6割が砂漠・半砂漠地帯のアフリカ西部・マリ共和国。国民の半数が安全で清潔な水を得られず、健康や教育に深刻な影響を受けている。水をめぐる課題を2回に分けて報告する。【足立旬子】

◆乾期に枯れる井戸

首都バマコからニジェール川沿いに車で8時間のモプティ地方。川には人や食糧を満載した木造船がせわしく行き交い、女性たちが布を広げて洗濯していた。川沿いには緑の木々も茂る。だが、川岸から約30分走ると風景は一変し、乾いた黄色い大地が広がった。

乾期の3月初めは、昼間の気温が40度を超え、ジリジリと肌を刺すような強い日差しが注ぐ。「今は20戸しかないが、かつては50戸あった。乾期に水が枯れるから出ていってしまった」。サラマディ村のオマル・ジボ村長がかつて日干しれんがの家だった廃虚を指した。

村の水源は、直径1メートル、深さ10メートルほどの浅井戸。男たちが手で掘っただけの穴だ。マリの1日1人あたりの家庭での水使用量は平均10リットルで、日本人の約20分の1、水洗トイレ1回分だ。その井戸も、乾期の終わりの4〜5月には枯れてしまう。このため、女性たちは2カ月間、5〜10キロ離れた近隣の村の井戸へ水をくみに行かなければならない。

6人の子どもを育てるファトマタ・アラマさん(30)は1日2回、15リットルのバケツを頭に載せて炎天下を歩く。試しにバケツを持たせてもらったが、腰の高さまで持ち上げることすらできなかった。水をこぼさないようにバランスを取りながら歩くのは、女性にとって大変な重労働だ。

「多くが生活に疲れて、村を離れた。水さえあれば、農業や牧畜もできる。村人も戻ってくる。水の問題が何もかも妨げている」とジボ村長は訴える。

◆以前は家畜と共用

同じモプティ地方のジリジャラ村では昨年5月、国連児童基金(ユニセフ)が手押しポンプ式の深井戸を完成させ、生活が一変した。井戸の脇で生後3カ月の赤ちゃんの体を洗っていたハリモト・ディッコさん(26)は「以前は汚れた水で洗っても服がきれいにならず、人前に出るのも恥ずかしかった」と笑顔で話した。日本ユニセフ協会の浦上綾子さんは「1年前に比べると、別人のように明るくなった」と驚く。

村で暮らす10家族は、昨年4月まで手掘りの井戸の泥水を家畜と分け合っていた。濁った水を飲んでいたとき、ディッコさんは日常的に腹痛や下痢に悩まされていた。汚れた水で顔を洗い、眼病も珍しくなかった。

地下水をくみあげる深井戸の水を飲むようになり、「おなかの不調がなくなった。赤ちゃんも1日3回洗っている」と喜ぶ。古い井戸は家畜専用とし、水が十分にいきわたるようになって鶏や牛の数が増えた。

◆1基建設に100万円

井戸1基あたりの建設費は1万ドル(約100万円)。ミネラルウオーター「ボルヴィック」を扱う「ダノンウォーターズオブジャパン」(東京都)の支援でまかなわれた。ダノングループは売り上げの一部4200万円を昨年、ユニセフに寄付。4月までに同地方などに計20基が完成する予定だ。

マリでは国内に1万2000ある村のうち、約2割に安全な水源がない。政府は04年から年1100基ずつ手押しポンプ式井戸を設置する10カ年計画を立てた。だが、資金不足で毎年、目標の50%しか達成できずにいる。

さらに、水をめぐる事情が地域によって大きく異なることも対策を困難にしている。乾燥地帯では乾期が長くなり、より深く掘らなければ地下水にたどりつけない。一方、雨期のたびに洪水が起き、被害を受ける地区もある。ユニセフ・マリ事務所の水担当、トゴタ・ソゴバさんは「水はあってもアクセスできないか、清潔でない。飲み水に使える水が足りない」と訴えた。

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◇マリ共和国

日本の約3倍の124万平方キロに1196万人が暮らす。北部にサハラ砂漠があり、65%が砂漠・半砂漠地帯。1人あたりの国民総所得(GNI)は440ドル(4万4000円)で日本の約90分の1。国民の6割が貧困層。5歳未満児の死亡率は出生1000人あたり217人で、世界で6番目に高い。1960年にフランスから独立した。乾期(10〜5月)と雨期(6〜9月)に分かれる。

毎日新聞 2008年3月17日 東京朝刊



 
 
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アフリカ・マリからの報告:/下 水くみから解放、通学児童増える

アフリカ西部・マリ共和国では、農村部の子どもたちは6歳になると、5リットルのバケツを頭に載せて、遠くまで水をくみに行くのが普通という。マリの水をめぐるリポートの2回目は教育への影響について報告する。【足立旬子】

■学校に深井戸完成

「井戸ができて、うれしい。体を洗いたい。木にも水をやりたい」。ネネ・カサンブラ君(10)はクレヨンで描いた絵を手に説明した。

2月下旬に訪れたモプティ地方べセナ村にあるべセナ小学校(児童数205人)では、国連児童基金(ユニセフ)の手押しポンプ式深井戸が完成したばかりだった。

ビーガ・ウワリ校長は「『井戸ができる』と親を説得して、今年から学校に通う児童が男女とも30人ずつ増えたんですよ」と喜んだ。

電気もガスも通っていない農村部では、家事や農作業のほとんどが手作業だ。水くみや家畜の世話などで子どもは一家の重要な労働力となっているため、マリの小学校就学率は男子56%、女子45%しかない。井戸近くにいた少女、パロマタ・カンボちゃん(10)は「1年だけ学校に通ったけど、家の手伝いがあるので通えない」と寂しげだった。

親が教育を受けていないと、子どもにも受けさせないという悪循環が起きやすい。井戸は、その悪循環を断ち切る役割も果たす。ウワリ校長は「学校で水が手に入るとなれば、もっと学校に通える女子児童が増えるはずだ」と期待を込めた。

■課題は人材の育成

村では村民から選ばれたボランティアが各戸を回って、水や子どもの健康相談にのっていた。ノフム・タンガラさん(43)もその一人だ。待ち時間が長くなっても汚れた川の水ではなく井戸水を使うよう指導し、各家庭で水がめにためてある水が不衛生になっていないかをチェックし、乳幼児の健康状態について母親の相談にのる。

井戸ができても、適切な衛生習慣が根付かなければ、地域住民の健康は守れない。タンガラさんのような、訓練を受けた指導員による教育もきれいな水同様に必要なのだ。

ユニセフによると、同地方ではポンプ付き井戸の約3割が故障して使えなくなっている。井戸の維持管理ができる技術を持った人材育成も重要な課題だ。

ユニセフ・マリ事務所のトゴタ・ソゴバさんは「井戸が継続的に使われるには、地元の人材を育てるのがとても大切だ」と話す。

■国連が八つの目標

世界で安全な水を利用できない人は10億人、トイレ施設を持たない人は26億人にのぼる。その結果、不衛生な水に起因する病気で毎日4100人の子どもが命を落としている。

国連のミレニアム開発目標は、安全な飲料水とトイレを利用できない人の割合を2015年までに半減することや、極度の貧困と飢餓の撲滅、乳幼児死亡率の低減、妊産婦の健康の改善など八つの目標をたてている。

12日に世界銀行東京事務所で開かれたセミナーで、横田妙子・日本水フォーラムチーフプログラムオフィサーは「水と衛生の問題は貧困、保健、教育、ジェンダーなど、ほかの分野とも密接にかかわる。水問題が解決すれば、ミレニアム開発目標の3分の1が解決できる」との試算を示した。

◇解決のかぎ握る資金集め−−トゥーレ・マリ共和国大統領

マリ共和国のアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ大統領は毎日新聞社のインタビューに応じ、5月に横浜市で開かれる第4回アフリカ開発会議(TICAD4)で、水問題の重要性について訴えることを明らかにした。

−−水問題の現状と政府の取り組みは?

マリには水の問題が存在しない村や町はない。首都バマコでも3〜6月は水問題に悩まされている。質の悪い水を飲んで健康を害するだけでなく、女性の家事労働の大変さや、子どもが水に関する病気にかかりやすいという問題もある。

政府として対策をとっていて、長期的には解決できると考えている。しかし、問題はどのようにして資金を集めるかだ。

−−TICAD4に期待することは?

1月に日本大使館がマリに開設されたこともあり、日本への敬意と親愛の情をますます深めたいと思っている。

TICADの中心テーマは経済、政治などにあるようだが、私が話したいのは水と農業の問題だ。マリには水はあるが、きちんと管理できないために川に流れていってしまう。本当は水を供給できるはずのところに供給できていない。これは、マリだけではなく、アフリカ大陸全体の問題だ。

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■人物略歴

◇アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ

91年にクーデターで元首となり、92年に新憲法制定後政権を移譲。02年の大統領選で当選し、現職。

毎日新聞 2008年3月24日 東京朝刊



 
 
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アフリカのスター選手がチャリティーマッチに集結

* 2008年04月15日 11:16 発信地:セビリア/スペイン

【AFP】5月13日にスペインのセビリア(Seville)でアフリカ大陸の子供たちを支援するために開催されるチャリティーマッチに、コートジボワール代表のディディエ・ドログバ(Didier Drogba)や、カメルーン代表のサミュエル・エトー(Samuel Eto’o)ら同大陸のスター選手が出場することが明らかとなった。

同チャリティーマッチは、セビージャFC(Sevilla FC)に所属するマリ代表のフレデリック・カヌーテ(Frederic Kanoute)が主催し、国連児童基金(ユニセフ、UNICEF)の協力の下セビージャの本拠地サンチェス・ピスファン・スタジアム(Sanchez Pizjuan stadium)で開催される。

セビージャは「チャリティーマッチの主な目的は、アフリカにおける乳幼児死亡率の低減を図るための資金と、カヌーテと共にマリの首都バマコ(Bamako)に『子供たちの街』を築くための資金を集めることです」と声明で発表している。

また、2007年のアフリカ年間最優秀選手に輝いたカヌーテは「アフリカの友人であり大陸のベストプレーヤーが参加することになる。ドログバをはじめエマヌエル・アデバヨール(Emmanuel Adebayor、マリ)、エトー、ミカエル・エシアン(Michael Essien、ガーナ)から良い返事を貰っている。出場したがっていたよ」と語っている。

なおこの試合は、2007年8月に心臓発作で試合中に倒れ、その後22歳の若さで亡くなったセビージャのアントニオ・プエルタ(Antonio Puerta)への追悼の意味も込められている。(c)AFP



 
 
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北京五輪バスケ 女子は米国、中国がB組

北京五輪バスケットボールの組み合わせ抽選が26日、北京で行われ、日本が出場の可能性のある女子は、アテネ五輪金メダルの米国が地元の中国、マリ、ニュージーランドとともに1次リーグB組に入った。

1次リーグは12チームが2組に分かれて行われ、A組はロシア、オーストラリア、韓国が決まり、B組の残り2、A組の残り3枠は、日本も出場する世界最終予選(6月・マドリード)で出場権を獲得したチームに割り当てられる。

既に日本が出場権を逃している男子は、米国がスペインなどとともに1次リーグB組。前回覇者のアルゼンチンはロシアなどとともに同A組となった。



 
 
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ぶっく・えんど:『写真に見るアフリカ・西アジアの風俗文化』 /東京

◇写真・解説 齊藤隆

地図で有名な出版社「帝国書院」の元社長、齊藤隆さんが撮った写真と文章でつづる写真資料。マリ、ナミビア、エチオピアなどのアフリカの国々やトルコ、シリアなど西アジア地域の人々や自然風景、遺跡などが数多く紹介されている。

エチオピアで来客をもてなす際のコーヒーセレモニーの様子など、生活や風俗文化も写真と共に解説する。

エジプトのピラミッドは下から近くに寄って撮影。大きな四角い石が一つ一つ積み上げられている状態がよく分かる。ナミビア北西部に住む女性が全身にバターと赤い石の粉末を混ぜた塗料を塗る様子も紹介され、防虫や日差しよけなどの目的を持つことが紹介されている。

日本からはるか遠い国で、力強く生きる人々の姿が間近に感じられる一冊。読み終えた後、旅に出たい気持ちになる。帝国書院。4620円。【吉永磨美】

〔都内版〕

毎日新聞 2008年5月11日 地方版



 
 
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アフリカ 未来へ学ぶ 共同体学校の挑戦

2008年05月31日02時59分

最果ての村に、学校ができた。国にはつくれなかった。だから、村人がつくった。

質素な土間の小さな教室に、小学1年生49人がひしめき合う。「僕はアリ君とボール遊びをします」。公用語の仏語の読み方の授業中。

みな学校には、持っているなかでもきれいな服を着てくる。年齢「7歳ぐらい」の少女アワ・ジャロさんも、銀色のピアスとビーズの腕輪で着飾っていたが、腰巻きは穴が開いて泥だらけ。貧しさは隠せない。それでも「毎日学校が楽しみ」とうれしそうだ。

西アフリカの内陸国マリ。コートジボワール国境に近いゴンコロニ村は、雨期には道路が荒れて交通が途絶する。昨年11月、ここに初めての小学校ができた。村人が資金と労力を出し合って運営する、共同体学校である。

公立小学校に通うには、炎天下を片道3時間歩かなければならない。弁当代を出せる余裕のある家庭は少ない。近年、公立校はまったくつくられず、村人は2年前、自前の学校建設を決めた。

綿花生産で積み立てた非常時用の資金を取り崩した。校舎の壁塗りも、黒板作りも、村人自らやった。教師は、県都コロンディエバから月給3万2500フラン(8千円余り)、住宅・食事付きで招いた。学校運営委員のドナンティエ・コネさん(40)は「私たちの苦労を子どもらに味わわせたくなかった」と話す。

こうした共同体学校が農村部で増えている。国連機関や国際援助団体が支援する。

ゴンコロニの北約80キロ、ミサラカ村のアダマ・コネ村長(76)は学校建設に大賛成した。自らは学校に通ったことがない。仏語が話せないのが、いまも悔しい。

男児は畑仕事、女児は家事。村で子どもが重要な労働力であることは今も変わらない。しかし、学校に通い始めた子どもたちには苦にならないようだ。ミサラカ村共同体学校6年生のムハマド君は「毎日牛飼いの手伝いもするけど、学校が好き。いろんなことを知ることができるから」。

マリは最貧国の一つ。識字率23%、就学率61%は世界最低レベルだ。低賃金で身分も不安定な公立校教員に不満は強く、教育制度は崩壊状態にある。国の失敗を、共同体学校が埋める。ただ、共同体学校も問題の根本解決ではない。

支援する援助団体セーブ・ザ・チルドレンのママドゥ・トラオレさんは「国が何もしてくれない以上、自ら動くしかない」と言う。(ゴンコロニ〈マリ南部〉=国末憲人)



 
 
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マリにEU初のアフリカ移民センター、不法流入防止を目指して

* 2008年10月07日 20:26 発信地:バマコ/マリ

【10月7日 AFP】マリの首都バマコ(Bamako)に6日、欧州連合(EU)初のアフリカ移民のための情報センターが設立された。設立式には、マリのアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(Amadou Toumanu Toure)大統領と、フランスのブリス・オルトフー(Brice Hortefeux)移民・国家アイデンティティー相がEU高官らとともに出席した。

マリは、豊かな暮らしを夢見て欧州への移住を希望するアフリカ人にとって、有数の中継点となっている。この「移民情報管理センター(Centre for Migration Information and Management, CIGEM)」は、移民希望者にアドバイスを与えるだけではなく、本国に帰還した移民の復帰支援もする。オルトフー氏は開設に当たり「欧州への不法移民が減るだけではなく、合法的な入国を目指す人々を援助できると期待する」と語った。

西アフリカから欧州への不法移民は、年間で数万人に上る。

マリでは全人口の三分の一にあたる約400万人が海外に居住しており、移民からの送金額はマリのGDPの約10%を占める。大半はコートジボワールやセネガルにいるが、約20万人が欧州に移住している。なかでも旧宗主国のフランスに12万人が住むが、うち合法的な移民は4万5000人程度で、その大半が低賃金労働で生計をたてている。(c)AFP/Serge Daniel



 
 
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PS3用『リトルビッグプラネット』、コーラン関連表現で発売延期

* 2008年10月20日 22:23 発信地:ロンドン/英国

【10月20日 AFP】ソニー(Sony)の家庭用ゲーム機「プレイステーション3(PlayStation 3)」用ゲームソフトで発売前から話題になっている『リトルビッグプラネット(LittleBigPlanet)』で使用されている音楽がイスラム教を冒涜する恐れがあるため、発売が延期されることになった。同ソフトを開発した英企業Media Moleculeが20日、明らかにした。

『リトルビッグプラネット』は、主人公のキャラクターをカスタマイズして、いろいろな国を旅しながら様々な挑戦をクリアするインタラクティブ・ゲーム。米ゲーム情報サイトIGNでは発売前から「まさに驚異的」と評され、10点満点の評価で9.5点を付けられた。 

しかし、1つのシーンで使われているマリ出身の音楽家、トゥマニ・ジャバデ(Toumani Diabate)の曲にイスラム教の聖典コーランに含まれる表現が2つ含まれており、ゲームでの使用がイスラム教の冒涜と受け取られる可能性があることが明らかになった。

Media Moleculeは不適切だったとして謝罪し、早急に該当部分を修正するという。北米への出荷は27日の週にずれ込むことになった。(c)AFP



 
 
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マリ共和国へ長野から援助米 ーJA長野県グループ、長野県労農会議(1/13)

JA長野県グループと長野県労農会議は1月13日午後12時20分から「国際協力田米、アジア・アフリカ支援米合同発送式」をJA長野県ビル前で行う。

JA長野県グループは「国際協力田運動」を、長野県労農会議は「アジア・アフリカ支援米」活動を平成9年から行っており、JA組合員、一般市民や子どもたちが共同作業をして収穫した米を、毎年合同でアフリカのマリ共和国へ贈っている。 JA長野県グループの「国際協力田運動」には県下17JAが参加、今年は約7tを贈る。労農会議も約7tを贈る。

発送式後、援助米はトラックで東京港に運び、船で約40日間、1万3000kmを航海し、西アフリカ・セネガルのダカール港に陸揚げされ、さらにトラックでマリ共和国へ運ばれる予定。現地に着くのは約2か月後(昨年の場合)という。

(2009.1.9)



 
 
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ローマが期限付きでモッタを獲得

2009年2月2日(月)

イタリア・セリエAのASローマが1日、ウディネーゼ・カルチョのU-21イタリア代表右SBマルコ・モッタ(22)を今季終了時までの期限付きで獲得した。移籍金は700万ユーロ(約8億円)、契約には完全移籍オプションも含まれた。

守備陣を強化

アタランタBCのユースアカデミー出身のモッタは、2005年にウディネーゼに加入。その後、期限付きでトリノFCへ移籍したが、昨夏にウディネーゼに復帰していた。今季はセリエAで14試合、UEFAカップでも5試合に出場。ローマは31日にもUSレッチェからマリ代表DFスレイマン・ディアムテーヌを今季いっぱいの期限付きで獲得しており、守備陣を一気に強化した形になった。ローマはUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦でアーセナルFC と対戦する。



 
 
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アマウリ、戦線離脱!!

(09.03.14)

ユベントスに所属するブラジル人FWアマウリがチームから離脱することになった。アマウリは右太ももを負傷しており、1ヶ月に渡ってチームを離れる模様。 3月15日に行われるセリエA第28節のボローニャ戦から4試合を欠場するものと見られている。なお、ユベントスは、イタリア代表MFマウロ・カモラネージやマリ代表MFモハメド・シッソコといった主力選手が長期離脱を強いられているだけでなく、元チェコ代表MFパベル・ネドベドはろっ骨、イタリア人DF ニコラ・レグロッターリエは左ヒザを痛めるなど、負傷者の続出に苦しんでいる。



 
 
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マリ軍、アルカイダ系メンバー4人を拘束

2009年5月2日印刷ソーシャルブックマーク

[バマコ 1日 ロイター] アフリカ西部マリの治安当局筋は1日、同国軍が今週アルジェリアとの国境付近で北アフリカのアルカイダ系メンバー4人を拘束したことを明らかにした。

首都バマコの当局筋によると、アルジェリアとの国境から約60キロのサハラ砂漠の外れで先月26日、軍のパトロール隊が4人の男が乗ったトヨタの四輪駆動車を停止させたところ銃撃戦となり、その後全員の身柄を拘束した。4人の国籍はそれぞれ、アルジェリア、ガーナ、マリ、モーリタニアだという。

北アフリカのアルカイダ関連組織は、昨年12月─今年1月に西アフリカの砂漠地帯で起きた外国人観光客や外交官の誘拐について犯行を認めていた。



 
 
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2009.05.19 Web posted at: 20:48 JST Updated - CNN

干ばつで死ぬゾウが続出、保護団体が窮状訴え マリ

(CNN) 干上がった泉の前に、茶色い土埃にまみれた若いゾウが横たわる。水を飲もうとして長い鼻を伸ばし、窪みに落ちて動けなくなったまま死んだ姿は、アフリカ北西部マリ共和国の干ばつの悲惨さを物語っている。ゾウ保護団体のセーブ・ザ・エレファンツが18日に写真を公開した。

西アフリカの砂漠に生息するゾウは、厳しい気象条件に適応して生き延びてきた。しかし、マリでは過去26年で最悪の干ばつに見舞われて気象条件がさらに悪化、生態学的にぎりぎりのところまで追い込まれているという。

この地域のゾウは約350─450頭しか残っていないとされ、セーブ・ザ・エレファンツはこれまでに6頭のゾウが死んでいるのを発見した。さらに、水を飲もうとして泉に転落した子供3頭を含む4頭を助け出したが、生き残ったのはうち1頭だけだった。子ゾウは鼻が短いため、わずかに残った泉の水に届かず、特に危険にさらされているという。

マリは国民の生活の質を表す国連開発計画の人間開発指数で世界最下位に近い。貧困率は56%に達し、人口の3分の1は40歳までに死亡、非識字率は77%に上る。世界食糧計画によると、乳幼児の大部分は栄養失調で死亡する。

干ばつと気温の上昇で畜牛も死に、一帯には死臭が漂っているとセーブ・ザ・エレファンツの科学者ジェイク・ウォールさんは話す。わずかに残った水は悪臭を放ち、とても飲める状態ではないという。

ゾウの生息地では「ゾウと遊牧民の平和的な共存関係が崩れ、水の奪い合いが起きつつある」とウォールさん。

しかし6月になれば雨が降ってゾウたちもわずかな水が飲めるようになり、7月から8月にかけては豪雨が期待できるという。それまでの間、ゾウのために水を確保する必要があるとセーブ・ザ・エレファンツは訴え、マリ政府の協力も得て資金集め運動を展開している。



 
 
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女性の権利を向上させる「家族法」、5万人の抗議デモで頓挫 マリ

* 2009年09月02日 16:28 発信地:バマコ/マリ

【9月2日 AFP】西アフリカのマリで、女性に対しこれまで以上の権利を認める新しい家族法が議会を通過したが、これがイスラム保守派らの激しい怒りを招き、大統領が議会に見直しを迫る事態にまで追い込まれている。

女性の権利の強化を狙ったこの法案は、約10年前から修正を重ねながらも議題に上っていたが、前月始めに議会で過半数の賛成を得て承認された。

その内容は、結婚は民事婚のみ認める、結婚可能年齢を18歳に引き上げる、別居状態が3年続いた場合にのみ離婚を認める、婚外子にも相続権を与える、など。同国ではこれまで、結婚年齢に関する規定はなく、しきたりにより13歳や14歳で結婚させられる少女もいた。

■5万人が抗議集会

だが、同国のイスラム高等評議会は、同法を「イスラム教への冒涜(ぼうとく)」と断罪。前月22日には、首都バマコ(Bamako)のサッカースタジアムに約5万人が集まり、同法への抗議デモを行った。会場には、「西洋文明は罪悪だ!」「マリ国民を分断する法律にはノー!」といった横断幕が掲げられた。

一方、デモを扇動したイマーム(イスラム教指導者)らは、「法案を支持する者たちはアラーを裏切った。今後は、彼らとその家族に対するいかなる宗教儀式も行わない」という旨の声明を発表した。  

一連の抗議を受けてアマドゥ・トゥマニ・トゥーレ(Amadou Toumani Toure)大統領は、同法を発効させるための署名を取りやめ、議会に差し戻した。

社会学者のママドゥ・サマケ(Mamadou Samake)氏は、マリ国民の90%がイスラム教徒だとしたうえで、「この法案はよく見てみると、女性に特段の利益があるわけではないのだが、議論は文化や宗教の色に染まりつつある」と話している。(c)AFP/Serge Daniel



 
 
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国際協力田の稲刈り作業

(2009/10/11)

食糧難民への支援米を作っている伊那市美篶の国際協力田で10日、稲刈りが行われた。

これは食糧難に苦しむアフリカのマリ共和国に米を送ろうと、JA上伊那の職員でつくる労働組合が毎年田植えから稲刈りまでを行っている。

この日は労働組合のメンバーやその家族約70人が参加した。

ほ場は台風18号により多くの稲が倒れていて、参加者らは稲を起こしながら一束ずつ刈り取っていた。

マリ共和国は面積が日本のおよそ3倍、そのうちの7割が砂漠という過酷な環境で、食糧難に苦しむ人たちが数多くいるという。

ある参加者は「現地の人たちの自立を助けられるよう少しでも力になれたらうれしい」と話していた。

刈り取った稲は年明けに発送し、来年2月頃マリ共和国に到着するという。



 
 
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西アフリカ8カ国、統一ビザを出す

2009-10-23 14:12:55 cri

西アフリカ諸国経済共同体の8の加盟国は統一の旅行ビザを出し、加盟国旅行業の発展を促進します。

マリの手工業や旅行業のエンディエ・バー部長は22日首都バマコの「第2回国際旅行サロン」の閉幕式で、「西アフリカ諸国経済共同体の8の加盟国はここ数年、統一旅行ビザを出すことを計画し、加盟国国民の自由行動に利便を与えることで、旅行業の発展を促進する。このほか、加盟国ホテルの付加価値税は18%から6%まで引き下げる」と発表しました。これは、西アフリカ諸国経済共同体が地区一体化で新しい一歩を踏み出したことを示します。(翻訳:婉)



 
 
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FCバルセロナ ケイタのハットトリックなどでサラゴサに大勝

* 2009年10月26日 09:57 発信地:マドリード/スペイン

【10月26日 AFP】09-10スペイン1部リーグ第8節、FCバルセロナ(FC Barcelona)対レアル・サラゴサ(Real Zaragoza)。試合はバルセロナが6-1でサラゴサに快勝した。

マリ代表のセイドゥ・ケイタ(Seydou Keita)が初のハットトリックを達成したバルセロナが復調を見せ、2位のレアル・マドリード(Real Madrid)に勝ち点差3をつけて、単独首位の座を守った。

20日に行われた欧州チャンピオンズリーグ2009-10(UEFA Champions League 2009-10)でルビン・カザニ(FC Rubin Kazan)戦に敗れ、調子を落としていたバルセロナだったが、最高級のサッカーを見せつけた。

バルセロナはケイタが前半24分、同41分、後半41分に得点を重ね記念すべきハットトリックを達成すると、ズラタン・イブラヒモビッチ(Zlatan Ibrahimovic)が2度のオフサイド判定でゴールを取り消されながらも2得点を決め、リオネル・メッシ(Lionel Messi)も1得点を記録した。

リーグ戦での得点数を7得点に伸ばしたイブラヒモビッチは、バレンシア(Valencia CF)のダビド・ビジャ(David Villa)と並んで得点ランク1位に立ち、メッシも6得点で2位タイにつけている。(c)AFP/Phil Seery



 
 
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北朝鮮、敗れて優勝=国際親善サッカー

【ロンドン時事】4カ国によるサッカーの国際親善大会は2日、カタールのドーハで最終戦が行われ、北朝鮮はイランに0−1で敗れたが、2勝1敗で優勝した。1勝1敗同士のカタール−マリ戦は0−0で引き分けた。

ワールドカップ南アフリカ大会に44年ぶりで出場する北朝鮮は、1次リーグでブラジル、コートジボワール、ポルトガルの強豪がそろったG組に入り、苦戦が予想されている。 (2010/01/03-12:18)



 
 
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【「Tierra」 1月号 (福井県)】

アフリカ支援米への取り組み  JA若狭

「とぴっくす」のコーナーで紹介されているのは、開始から15年めを迎えたアフリカへの支援米の話題だ。

「Tierra」1月号 米の輸送は食糧難に苦しむ人たちを支援し、子どもたちに食料や農業の大切さを知ってもらいたいと消費者団体や県中央会からなる組織が主催している。  今年度も小浜青壮年部、内外海小学校などが作った米1230kgを12月2日の発送式でマリ共和国に送ったと報告している。今年の作付面積は県内あわせて43aで、これまで発送した支援米の累計は1万7656kg(294俵)に上っている。

女性部の活動では地域に根付く食文化の見直しと継承のため、11月に「若狭のスローフードを楽しむ会」を開いたと紹介。

今年6回めとなる同会では管内の伝承料理や創作料理の試食や講演、意見交換などを行い、地産地消や健康な食生活を考える場となったと伝えている。

(2010.01.04)



 
 
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マリ 4点のビハインドからアンゴラと引き分ける、アフリカ・ネイションズカップ

* 2010年01月11日 10:30 発信地:ルアンダ/アンゴラ

【1月11日 AFP】サッカーアフリカ・ネイションズカップ(アフリカ選手権、African Nations Cup 2010)グループA、アンゴラ対マリ。試合は4-4の引き分けに終わった。

開幕戦でマリは、4点のビハインドから奇跡の同点劇を演じた。

前半にフラビオ・アマド(Flavio Amado)が2得点を記録した開催国のアンゴラは、後半にもジルベルト(Sebastiao Gilberto)とマヌーチョ(Manucho Goncalves)のペナルティーキック(PK)で追加点を挙げ、最高のスタートを切ったかに見えた。

ところがノックアウト寸前にまで追い込まれたマリは、セイドゥ・ケイタ(Seydou Keita)の2得点、フレデリック・カヌーテ(Frederic Kanoute)とムスタファ・ヤタバレ(Mustapha Yatabare)の得点で追いつき、試合はまさかの引き分けに終わった。(c)AFP/Nick Reeves



 
 
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拉致の仏人殺害脅し、20日内の仲間釈放を要求 アルカイダ系

1月11日16時51分配信 CNN.co.jp

(CNN) アルジェリアに拠点があるテロ組織「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織」は10日、昨年11月にアフリカ西部のマリで行ったフランス人男性の拉致で、マリ政府が今後20日間内に投獄する同組織構成員4人を釈放しなければ男性を殺害すると警告する声明を発表した。

テロ組織の情報収集、分析を専門にする米企業インテルが明らかにした。男性はマリのホテルで拉致されていた。同組織は声明で、フランス政府に対しマリ政府に釈放を促すよう求めた。

イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織は昨年6月、英国政府がアルカイダ指導者オサマ・ビンラディン容疑者の側近で欧州での活動の責任者とされるアブ・カターダ容疑者を釈放しなかったとして英国人男性を処刑している。

同組織はかつて「布教と聖戦のためのサラフ主義集団」(GSPC)と名乗り、アルジェリア政府転覆のテロ活動を行っていたが、2004年ごろにアルカイダ系に転じていた。

最終更新:1月11日16時51分



 
 
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マリのモスクで16人圧死 儀式に各地から数千人集まる

2010年2月26日23時24分

【ナイロビ=古谷祐伸】アフリカ西部マリからの報道によると、同国中部の古都トンブクトゥのモスク(イスラム礼拝所)で25日夜、詰めかけたイスラム教徒ら16人が折り重なり圧死した。現場は、14世紀に主に泥で建てられ、ユネスコ世界遺産に指定されているジンガリーベル・モスク。預言者ムハンマドの生誕を祝う儀式のため、各地からイスラム教徒数千人が集まっていた。改修工事のために一時的に狭くなった通路を通ろうとして、事故が起きたという。



 
 
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2010.02.27 Web posted at: 12:56 JST Updated - CNN

モスク近くの小路で宗徒が多数圧死、数千人詰め掛ける マリ

(CNN) アフリカ西部、マリ中部の古都トンブクトゥのモスク(イスラム礼拝堂)外で25日夜、詰め掛けた宗徒が次々と押し倒され、26人が圧死する事故が起きた。同国の国営メディアが報じた。犠牲者の約半数は子供だった。

少なくとも41人が負傷した。

宗徒は、イスラム教預言者ムハンマドの生誕を祝う式に参加していた。事故が起きたのは、ジンガリーベル・モスク近くで、約4000人が押し掛け、狭い道路に密集していた。パニック状態に陥り、事態を悪化させたという。

モスクへ通じる主要道路は工事で閉鎖されていた。

トンブクトゥは首都バマコから北西へ約1000キロ離れている。



 
 
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サルコジ大統領、アルカイダ系組織による仏人殺害に報復を宣言

* 2010年07月27日 10:29 発信地:パリ/フランス

【7月27日 AFP】ニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)仏大統領は26日、国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)系の「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織(Al-Qaeda in the Islamic Maghreb、AQIM)」に誘拐されていた仏人男性ミシェル・ジェルマノ(Michel Germaneau)氏(78)が殺害されたことを確認した。

サルコジ大統領は、同氏殺害を「野蛮な」行為だと非難するとともに、「ジェルマノ氏に対して犯された罪は許されるべきことではない」と述べ、報復措置をとると明言した。報復措置の詳細については明らかにしなかったが、専門家や軍当局筋はAFPに対し、サヘル(Sahel)地域の武装勢力に対する諜報活動や特殊部隊の活用が強化されるとの見方を示している。

同大統領はさらに、フランス国民に対し、モーリタニアやマリ、ニジェール、アルジェリア南部にまたがるサヘル地域への渡航を避けるよう注意を促した。

■首を切断され殺害か

マリの地元議員はAFPに対し、モーリタニア軍とフランス軍が前週行った救出作戦時にはジェルマノ氏は生存していたが、アルジェリア国境に近いキダル(Kidal)の山岳地帯に隠されていたことを明らかにし、救出作戦後に首を切断され殺害されたと語った。(c)AFP



 
 
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南箕輪中 落穂拾い

53回目の伝統行事

(2010/10/16)

南箕輪中学校の秋の恒例行事「落穂拾い」が15日、村内の田んぼで行われました。

南箕輪中学校では、毎年この時期に落穂拾いを行っています。

集めた落穂を食糧難の国に送ろうというもので、今年で53回目です。

1人1キロ、全校生徒合わせて450キロを目標としています。

ある生徒は「拾った米が人の為になるので、少しでも多く拾いたい」と話していました。

集めた落穂は、JAを通じて国産支援米としてアフリカのマリ共和国に送られるということです。

http://inamai.com/news.php?c=shakai&i=201010151831570000040510



 
 
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あぐりスクールがマリ共和国へ支援米

(2010/11/21)

JA上伊那の子どもたちの農業体験教室あぐりスクールは20日、飢餓に苦しむ西アフリカのマリ共和国に米を贈りました。

あぐりスクールの子どもたちが、支援米を受け付けているJA上伊那の宮下勝義組合長に米60キロを託しました。

支援米を送る活動は、JA長野県グループが10年ほど前から行っています。

あぐりスクールでは5年目の取り組みです。

今回贈呈された米はコシヒカリで、子どもたちが伊那市東春近の田んぼで育てました。

200キロ収穫し、そのうちの60キロを送ります。

宮下組合長は、「皆が作ったお米を必ずマリ共和国に届けます。本当にありがとう」とあいさつしました。

子どもたちは、米の袋にマリ共和国の言葉で「このお米が役立ちますように」などのメッセージを書いていました。

米は、JA長野県グループのほかの米と合わせ、来年、マリ共和国に送られる予定です。

http://inamai.com/news.php?c=norin&i=201011201058050000040899



 
 
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African Farmers Displaced as Investors Move In

Tyler Hicks/The New York Times

Published: December 21, 2010

SOUMOUNI, Mali ― The half-dozen strangers who descended on this remote West African village brought its hand-to-mouth farmers alarming news: their humble fields, tilled from one generation to the next, were now controlled by Libya’s leader, Col. Muammar el-Qaddafi, and the farmers would all have to leave.

“They told us this would be the last rainy season for us to cultivate our fields; after that, they will level all the houses and take the land,” said Mama Keita, 73, the leader of this village veiled behind dense, thorny scrubland. “We were told that Qaddafi owns this land.”

Across Africa and the developing world, a new global land rush is gobbling up large expanses of arable land. Despite their ageless traditions, stunned villagers are discovering that African governments typically own their land and have been leasing it, often at bargain prices, to private investors and foreign governments for decades to come.

Organizations like the United Nations and the World Bank say the practice, if done equitably, could help feed the growing global population by introducing large-scale commercial farming to places without it.

But others condemn the deals as neocolonial land grabs that destroy villages, uproot tens of thousands of farmers and create a volatile mass of landless poor. Making matters worse, they contend, much of the food is bound for wealthier nations.

“The food security of the country concerned must be first and foremost in everybody’s mind,” said Kofi Annan, the former United Nations secretary general, now working on the issue of African agriculture. “Otherwise it is straightforward exploitation and it won’t work. We have seen a scramble for Africa before. I don’t think we want to see a second scramble of that kind.”

A World Bank study released in September tallied farmland deals covering at least 110 million acres ― the size of California and West Virginia combined ― announced during the first 11 months of 2009 alone. More than 70 percent of those deals were for land in Africa, with Sudan, Mozambique and Ethiopia among those nations transferring millions of acres to investors.

Before 2008, the global average for such deals was less than 10 million acres per year, the report said. But the food crisis that spring, which set off riots in at least a dozen countries, prompted the spree. The prospect of future scarcity attracted both wealthy governments lacking the arable land needed to feed their own people and hedge funds drawn to a dwindling commodity.

“You see interest in land acquisition continuing at a very high level,” said Klaus Deininger, the World Bank economist who wrote the report, taking many figures from a Web site run by Grain, an advocacy organization, because governments would not reveal the agreements. “Clearly, this is not over.”

The report, while generally supportive of the investments, detailed mixed results. Foreign aid for agriculture has dwindled from about 20 percent of all aid in 1980 to about 5 percent now, creating a need for other investment to bolster production.

But many investments appear to be pure speculation that leaves land fallow, the report found. Farmers have been displaced without compensation, land has been leased well below value, those evicted end up encroaching on parkland and the new ventures have created far fewer jobs than promised, it said.

The breathtaking scope of some deals galvanizes opponents. In Madagascar, a deal that would have handed over almost half the country’s arable land to a South Korean conglomerate helped crystallize opposition to an already unpopular president and contributed to his overthrow in 2009.

People have been pushed off land in countries like Ethiopia, Uganda, the Democratic Republic of Congo, Liberia and Zambia. It is not even uncommon for investors to arrive on land that was supposedly empty. In Mozambique, one investment company discovered an entire village with its own post office on what had been described as vacant land, said Olivier De Schutter, the United Nations food rapporteur.

In Mali, about three million acres along the Niger River and its inland delta are controlled by a state-run trust called the Office du Niger. In nearly 80 years, only 200,000 acres of the land have been irrigated, so the government considers new investors a boon.

“Even if you gave the population there the land, they do not have the means to develop it, nor does the state,” said Abou Sow, the executive director of Office du Niger.

He listed countries whose governments or private sectors have already made investments or expressed interest: China and South Africa in sugar cane; Libya and Saudi Arabia in rice; and Canada, Belgium, France, South Korea, India, the Netherlands and multinational organizations like the West African Development Bank.

In all, Mr. Sow said about 60 deals covered at least 600,000 acres in Mali, although some organizations said more than 1.5 million acres had been committed. He argued that the bulk of the investors were Malians growing food for the domestic market. But he acknowledged that outside investors like the Libyans, who are leasing 250,000 acres here, are expected to ship their rice, beef and other agricultural products home.

“What advantage would they gain by investing in Mali if they could not even take their own production?” Mr. Sow said.

As with many of the deals, the money Mali might earn from the leases remains murky. The agreement signed with the Libyans grants them the land for at least 50 years simply in exchange for developing it.

“The Libyans want to produce rice for Libyans, not for Malians,” said Mamadou Goita, the director of a nonprofit research organization in Mali. He and other opponents contend that the government is privatizing a scarce national resource without improving the domestic food supply, and that politics, not economics, are driving events because Mali wants to improve ties with Libya and others.

The huge tracts granted to private investors are many years from production. But officials noted that Libya already spent more than $50 million building a 24-mile canal and road, constructed by a Chinese company, benefiting local villages.

Every farmer affected, Mr. Sow added, including as many as 20,000 affected by the Libyan project, will receive compensation. “If they lose a single tree, we will pay them the value of that tree,” he said.

But anger and distrust run high. In a rally last month, hundreds of farmers demanded that the government halt such deals until they get a voice. Several said that they had been beaten and jailed by soldiers, but that they were ready to die to keep their land.

“The famine will start very soon,” shouted Ibrahima Coulibaly, the head of the coordinating committee for farmer organizations in Mali. “If people do not stand up for their rights, they will lose everything!”

“Ante!” members of the crowd shouted in Bamanankan, the local language. “We refuse!”

Kassoum Denon, the regional head for the Office du Niger, accused the Malian opponents of being paid by Western groups that are ideologically opposed to large-scale farming.

“We are responsible for developing Mali,” he said. “If the civil society does not agree with the way we are doing it, they can go jump in a lake.”

The looming problem, experts noted, is that Mali remains an agrarian society. Kicking farmers off the land with no alternative livelihood risks flooding the capital, Bamako, with unemployed, rootless people who could become a political problem.

“The land is a natural resource that 70 percent of the population uses to survive,” said Kalfa Sanogo, an economist at the United Nations Development Program in Mali. “You cannot just push 70 percent of the population off the land, nor can you say they can just become agriculture workers.” In a different approach, a $224 million American project will help about 800 Malian farmers each acquire title to 12 acres of newly cleared land, protecting them against being kicked off.

Jon C. Anderson, the project director, argued that no country has developed economically with a large percentage of its population on farms. Small farmers with titles will either succeed or have to sell the land to finance another life, he said, though critics have said villagers will still be displaced.

“We want a revolutionized relationship between the farmer and the state, one where the farmer is more in charge,” Mr. Anderson said.

Soumouni sits about 20 miles from the nearest road, with wandering cattle herders in their distinctive pointed straw hats offering directions like, “Bear right at the termite mound with the hole in it.”

Sekou Traore, 69, a village elder, was dumbfounded when government officials said last year that Libya now controlled his land and began measuring the fields. He had always considered it his own, passed down from grandfather to father to son.

“All we want before they break our houses and take our fields is for them to show us the new houses where we will live, and the new fields where we will work,” he said at the rally last month.

“We are all so afraid,” he said of the village’s 2,229 residents. “We will be the victims of this situation, we are sure of that.”

This article has been revised to reflect the following correction:

Correction: December 22, 2010

An earlier version of this article misspelled the given name of Kalfa Sanogo, an economist at the United Nations Development Program in Mali.

http://www.nytimes.com/2010/12/22/world/africa/22mali.html?_r=4



UP:2007 REV:20180618
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