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中国在住のアフリカ人たちは意外な評価 ◆2011/11/01 asahi.com リビア、新首相を選出 学者出身のキーブ氏 ◆2011/11/01 外務省 外務大臣会見記録(タイにおける洪水に対する緊急無償資金協力,在リビア大使館の再開,TPP等) ◆2011/11/02 asahi.com 「復興さなかのPKO派遣に感謝」 潘基文国連事務総長 ◆2011/11/30 国境なき医師団 リビア:紛争後も切実なニーズを受け医療援助を継続 ◆2011/12/17 時事ドットコム 米国防長官、リビア訪問 ◆2011/12/17 アフリカビジネスニュース リビア国営電話会社、北アフリカ事業拡大を加速 ◆2011/12/27 外務省 リビアのカダフィ革命指導者及びその関係者に対する資産凍結等の措置の対象者の削除 ◆2011/12/31 GIGAZINE 2011年、米ギズが選んだ重大ニュースランキング!(4.エジプトで利用された催涙ガスの成分は? 8.これが戦争だ。リビア革命の戦火をヘルメットカメラで映しだす(パート1)) 【参考図書】 リビアを知るための60章 (エリア・スタディーズ) 塩尻 和子著 明石書店 ¥2,100 B6版 399ページ 2006年8月 [amazon] リビア物語―世界遺産と大砂漠の旅 滝口 鉄夫著 論創社 ¥2,625 B6版 196ページ 2007年1月 [amazon] 砂漠の思想―リビアで考えたこと 野田 正彰著 みすず書房 ¥2,730 B6版 240ページ 2005年2月 [amazon] >TOP カダフィは本当に悪者なのか? 中国在住のアフリカ人たちは意外な評価 2011.11.01(火) 姫田 小夏 リビアの元最高指導者カダフィ大佐が10月20日、同国中部シルトで死亡した。 「カダフィが死んだそうだ――」 10月20日、中国のアフリカ系コミュニティーにも激震が走った。アフリカの母国から電話を受けた者もいれば、メールで知らされた者もいる。情報を受け取ったアフリカ人の1人は「信じられない」とつぶやいた。 中国のメディアもこれを報じた。どの新聞(タブロイド判)もトップ面で扱い、10ページにわたって特集を組むところもあった。東方早報は「カダフィ最後の4時間」の見出しを立て、「市民は街に繰り出し独裁者の死亡を喜んだ」「戦争は終わった、暴君政治も終わった」と報道した。論調はどれも同じくカダフィを「狂犬」と見立て、独裁の終焉に拍手した。 上海には長期滞在するアフリカ人も多く、そのコミュニティーは拡大しつつある。彼らに「これで良かったと思うか」と筆者が聞くと、「何も殺さなくてもいいだろう」と、むしろ反カダフィ派の残酷さに反感の声を上げる者も少なくなかった あるアフリカ人はこう語る。「カダフィは確かに危険人物であり、変人ではあったが、天の裁きを受けるべき独裁者とは割り切れない。非常に複雑な心境だ」 当コラムでもお伝えしたが、中国在住のアフリカ人に聞くと、アフリカではむしろカダフィを肯定的に受け入れる人が少なくない。今回は、アフリカ人から見たカダフィ像を改めて浮き彫りにしてみたい。 毛沢東語録に匹敵する「グリーンブック」 「毛沢東語録を知っているでしょう? あれに匹敵するのが、カダフィのグリーンブックなんですよ」と、上海を訪れていたアフリカ人のY氏は語る。Y氏は西アフリカの大学で教鞭を執っている。 カダフィの最終目標は、リビア国内に「政府」を必要としない社会主義国家を建設することだった。「毛沢東語録が赤だったのに対し、彼のは緑。国民に所持が義務づけられていた」(同)という。 「グリーンブック(緑の書)」には、彼の哲学が凝縮されていた。だが、結果的に多くの矛盾を生むことになった。 確かに彼は、選挙によって選ばれた大統領ではない。日本では「大佐」と呼ばれるが、カダフィの称号は「リビア最高指導者および革命指導者」、あるいは「敬愛なる指導者」にとどまる。 しかし、彼なりの哲学があったことは確かだ。カダフィは1973年から文化革命を始めるが、彼が求めたのは資本主義でもなければ、共産主義でもない「第三の世界理論」だった。 彼に大きな影響を与えたのがエジプトの故ナセル大統領の存在だった。1940〜50年代にかけて戦火をくぐり抜け、激動するアラブ社会の幕開けをもたらした象徴とも言われている。 1948年にイスラエル建国を契機に始まった第1次中東戦争ではナセルも戦地に赴き負傷している。その後、52年のエジプトにおけるクーデターでは、ナセルが権力を掌握した。このエジプト革命により、王政は廃止され、エジプトは共和制に移行する。 56年に大統領に就任したナセルは、イギリスの管理下に置かれていた戦略上の重要拠点であるスエズ運河を国有化すると宣言。第2次中東戦争が勃発したが、英仏軍を退け勝利した。 こうした一連の動きの中で示されるナセルの革命政策にカダフィは触発され、熱狂的な崇拝者となった。リビアの国内政策は、ナセルがエジプトで行ったものと完全に同じである。69年にカダフィが行った演説もまた、ナセルが52年に行ったものと全く同じだったという。 だが、若き時代の熱い理念は続かなかった。最も直接的な民主制を実現するとしながらも、実際にはリビアの政治と経済は、彼とその家族の手中に収められていった。 アフリカ全土にばらまかれたカダフィマネー リビアは輸出収入の9割を原油が占め、年間の原油輸出額は422億ドルに上る。カダフィはその巨万の富を一族で支配したわけだから、桁外れの資産家であるはずだ。だが、すべて一族の懐に入っていたかというと、決してそうではなかった。 富を蓄えるのには、彼なりの理由があったようだ。 北アフリカのX共和国から上海に来たZさんは、「カダフィによるX共和国への投資は膨大なものだった」と話す。 広大な土地を買い上げて自らの邸宅を建築し、イスラムの祭りがあるたびに滞在した。その一方で、「国内の銀行やホテルやオフィスビル、その多くが彼の投資によるものだ。フランスを退けて最初にX共和国にテレビ局をつくったのも彼の資本によるものだった」と言う。 同国の農業に対するカダフィの貢献度も高い。100万ヘクタールにわたる灌漑農地があるが、そのうち2万ヘクタールは、カダフィの出資によるものだと言う。 これだけ出資したのは、カダフィの母親がこの国の北部の部族出身だったからだ。莫大な投資は確かにプラスの面での作用もあるが、「母親の出身部族」にカダフィが武器を送り、同国政府に攻撃を仕かけさせようとしたこともあるらしい。 こうした点でも、カダフィへの評価は「複雑」である。多くの資本を投下する一方で、政府を脅かそうとする彼の存在は「諸刃の剣」だとも言えた。 カダフィのオイルマネーは、リビア国内の砂漠の緑化プロジェクトをはじめ、ブルキナファソやセネガルなどの周辺諸国にも向けられた。アパルトヘイト撤廃に向けて活動する南アフリカのアフリカ民族会議も彼がサポートしていた。 アフリカ資本による通信衛星を計画したのもカダフィである。アフリカ通貨基金(African Monetary Fund)を創設しようとしたのも彼だったし、アフリカ連合(African Union:アフリカの53カ国と地域が加盟)を財政的に支えたのも彼だった。 エジプトを発展させたカリスマがナセルであれば、アフリカ全土を発展させようとしたカリスマは、実はカダフィだったというわけだ。実際に、彼はその莫大な資金力をバックに、着々とそれを実行に移していた。 しかし、リビア国内における富の配分には、確かに大きな偏りがあった。2010年には石油による外貨収入が320億ドルあったにもかかわらず、国民の月収は300〜400ドル程度にとどまるなど、「国は富んでも民は貧困」という状況が続いていた。 また、リビアには150を超える部族が存在し、カダフィ派とそうでない部族によっても格差が生じていた。 「殺すに相当する独裁者だ」と強調していたのは、反カダフィの部族だった。一方、「カダフィは日本車の購入に補助金を出したり、海外に派遣する留学生には相当額の生活費を与えたりしていた。すべてを独り占めしていたわけではなかった」というコメントもある。 カダフィなきリビアの先行きは不透明 カダフィが西欧諸国にとって目の上のたんこぶであったことは間違いない。カダフィの強烈な欧米嫌いは有名だ。石油価格決定権を握るために、西欧諸国に「油田を閉めるぞ」と脅すぐらいは朝飯前だ。 カダフィは西欧諸国による「経済植民化」に強く反対し、またアフリカ諸国も彼を支持した。アフリカ諸国には、このままではアフリカは先進国による資源略奪と部族間対立で荒土と化すばかりだという不安がある。これを食い止めるアフリカのリーダーとして、強烈なカリスマ性と資金力を持ったカダフィのような人物が求められていたことは否定できない。そんなカダフィに率いられて、力を持ったアフリカが反旗を翻してきたら・・・。 アフリカの識者は、西側諸国が仕組んだ「カダフィ落とし」の真相はここにある、と受け止めている。 カダフィ政権を倒したリビア国民評議会にも大きな問題が潜んでいる。 33人が代表メンバーとされているが、かつてカダフィ政権で法務大臣を務めた人物が含まれる。さらに、その水面下には、強力な勢力を持つムスリムグループが存在していると言われている。それがアルカイダである可能性も否定できず、事実、カダフィ政権の打倒のために、NATOがリビア国民評議会に供与した武器の一部がなくなっていることについても、「アルカイダに流れているのではないか」と周辺国は不安を強めている。 今後の憲法制定において原理主義が加速するのではないかと懸念する声もある。実際に10月23日に行った、アブドルジャリルの「シャリーア(イスラム教に基づく法体系)がリビアの法律になる」との宣言は国民を震撼させた。 また、カダフィ政権の打倒のために、NATOがリビア国民評議会に供与した武器の一部がなくなっていることについても、周辺国は不安を強めている。アルカイダに流れている可能性も否定できないからだ。 今後、新たなリーダーの下にリビア国民は団結できるのか。国民生活は、カダフィ政権時代よりも良くなるのだろうか。 カダフィなき後のリビアの将来について、答えられる者は誰もいない。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/27409 >TOP 2011年11月1日10時21分 リビア、新首相を選出 学者出身のキーブ氏 リビアで新政権づくりをめざす国民評議会は10月31日、近く発足させる暫定政府の首相に、学者出身で評議会メンバーのアブドルラヒム・キーブ氏を選んだ。評議会は、カダフィ政権からの全土解放を宣言した10月23日から30日以内の暫定政府樹立をめざしており、今後、キーブ氏を中心に組閣を急ぐ。 評議会のメンバー51人が新首相を決める投票に参加。候補者5人のうち、キーブ氏は26票を獲得した。当選後、キーブ氏は記者団に対し、「人権が尊重される国をめざす」などと抱負を語った。 キーブ氏は首都トリポリ出身。渡米後、1984年にノースカロライナ州立大で博士号を取得した。専門は電気工学で、米アラバマ大、トリポリ大、アラブ首長国連邦(UAE)の研究所などで教えてきた。 >TOP 2011年11月2日10時19分 「復興さなかのPKO派遣に感謝」 潘基文国連事務総長 国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長は1日、日本政府が南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に陸上自衛隊の施設部隊派遣を決めたことを歓迎する声明を発表。「日本が東日本大震災からの復興のさなかに、(南スーダンの)平和維持に貢献すると強く約束してくれたことに心から感謝する」とした。 国連外交筋によると、国連事務総長がPKO派遣を決めた国に個別に感謝の声明を発表するのは異例。声明は潘氏の強い意向で出され、「8月の被災地視察で日本の置かれた大変な状況をわかっているだけに、日本人に感謝の気持ちを伝えたかった」(国連幹部)という。(ニューヨーク=春日芳晃) >TOP 米国防長官、リビア訪問 パネッタ米国防長官(中央)は17日、リビアの首都トリポリを訪問した。米国防長官のリビア訪問は初めてで、リビア新政権が求めている安全保障上のニーズを探るのが目的。 【AFP=時事】 http://www.jiji.com/jc/p_archives?rel=j7&id=20111217221049-1887028 >TOP リビア国営電話会社、北アフリカ事業拡大を加速 http://www.africa-news.jp/news_rbW3xbQS0.html 地域での存在感拡大に意欲 リビアの国営電話会社LAPグリーン・ネットワークは、シエラレオネおよびトーゴでの事業展開を近く開始することを発表した。また、南スーダンでも、無線サービスの提供を開始するという。 LAPグリーンは現在、リビア以外ではウガンダ、ルワンダ、ニジェール、コートジボワールの4か国に進出している。今後もブルンジ、コンゴ民主共和国、エチオピア、タンザニア、ギニアへの参入を計画しており、北アフリカ地域の通信市場でプレゼンス拡大を狙う。 大手各社との競合を目指す
同社の目標は、南アフリカのMTNグループやボーダコム・グループ、仏フランステレコム傘下のオレンジといった、アフリカで強力な基盤を築いている大手各社に肩を並べることだという。ウェブサイトでも
「戦略的に適合した大陸で、積極的に成長機会を探っている」 *このファイルは文部科学省科学研究費補助金を受けてなされている研究(基盤(B)・課題番号16330111 2004.4〜2008.3)の成果/のための資料の一部でもあります。 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/p1/2004t.htm UP:2011 ◇アフリカ ◇世界 |