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グローバリゼーションにおけるアフリカン・フェミニズム


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アフリカアフリカ Africa 2015


おかねおくれ


作成:斉藤龍一郎
 *(特活)アフリカ日本協議会事務局長

女性史

グローバリゼーションにおけるアフリカン・フェミニズム

Patricia McFaddenとの談話

Patricia McFaddenはスワジランド生まれのフェミニズム社会学者である。1995年から2000年まで 『サザン アフリカン フェミニスト レビュー』誌の編集者であり、1998年から2000年の間、国際女性大学(IFU)の教壇に立った、アフリカン・フェミニズムの顔である。その研究は、南アフリカ女性のセクシャリティー、リプロダクション、そしてレイプに向けられている。コーネル大学、スペルマン大学、シラキュース大学にスミス大学など、多くのアメリカ合衆国の大学において教授職を務めてきた。その教育のテーマは主に、「グローバリゼーションにおけるアフリカン・フェミニズム」である。

南アフリカ女性の市民権の概念、そしてポストコロニアル・アイデンティティーの概念は共に、Patricia McFaddenが特に好む分野である。その独創的な思想を前にして、仏語圏読者がその思想を理解出来るよう、英語という言語の壁を取り除かねばならない。2009年3月29日、パリの女性センターにおいて、英語で行われた私達の談話のこの仏訳記事は、南アフリカ女性のためのフェミニズム機構空間の創生を主張している、ある南アフリカ女性の理論的貢献について光をあてる。

私は本人に会う前、Patricia McFaddenという人物は、こちら側が、その重厚な学歴に匹敵する高度な学識を持っていなければ理解できないような言説とボキャブラリーを駆使する学識者なのだろうと想像していた。ボツワナとスワジランドの大学で政治学と経営学の学士を取得し、選択科目として経済学と社会学も修める。タンザニアのダル・エス・サラーム大学で社会学の修士を取得。1987年にはイギリスのワーウィック大学で博士号を取得した人物であるのに、談話が始まるやいなや、私が持っていた先入観は爽やかに消え去った。彼女は、不可視化されてきたものを可視化したいと欲する「黒人女性」にはとても稀有な、しかしとても重要な才能を持っていた。つまり、万人に解りやすい言説である。今回の記事は、彼女がアフリカン・フェミニズムについて抱いている観点に対して明瞭なビジョンを得るために、私が最も肝要だと判断した3つの質問に言及する。その質問とは、フェミニズムとウーマニズムの違い、ソロリティーとソリダリティーの根本的な違い、そしてポストコロニアル・アイデンティティーの独特な定義である。1

BAZIE Yilargnin Justine
「フェミニズムとウーマニズムについて、どのような区別をしておられますか?」

Patricia McFadden
「フェミニズムとウーマニズム2には基本的な違いがあります。この違いは、フェミニズムというものがナショナリズムではないイデオロギーの排斥という位置にあった事からきています。私達は、ナショナリズムが私達「黒人女性」3に、ある価値をもたらす事を理解しています。何故なら植民地下にあって私達は、何者でもなかったのですから。しかし、国民の闘争や独立によって、私達は自分達の国で、何らかの形の可視化を得たのです。でもだからと言って、それが完全な権利を持った市民として見なされたという事ではありませんでした。私達黒人女性の中には、今この現代においても、父親や男兄弟の管理下にあり、男性間での交換通貨となっている女性達が居ます。世界のイデオロギーのビジョンにおいて、また認識論の世界においては、南アフリカ諸国のフェミニズムはナショナリズムには染まっていません。反対にウーマニズムや女性運動はナショナリズムに染まっています。でも御覧なさい、ナショナリズムはとても限定されたイデオロギーではないですか。この事実は、今日の新たな戦いや、私達をポストコロニアルへの探求へと駆り立てる新植民地主義によって、暈されてしまっているのだと思います。」

BAZIE Yilargnin Justine
「それではソロリティーとソリダリティーに話を移しましょう。この二つに関してはどのような区別をされますか?」

Patricia McFadden
「私達は、黒人女性のソリダリティーを構築せねばなりません。このソリダリティーを、空間としてまた表現として、想像し構築するのです。何故なら私達が黒人女性として必要なのは、今日の女性達が発展させている絆のようなものの、新たな表現であり新たな場所なのです。それは50年前に通用していたような関係や絆のようなものと同型ではありません。あの時代には、時代独特の背景、独特の要求や戦いがありました。特に私達の間で、どの地域の出身であろうと、アフリカの子孫の黒人女性として、私達は個々が連帯意識を持ちうる事、そしてソリダリティーについて、再考する必要があります。私はこのソリダリティーという考えは、白人性というものにより特権の恩恵を受けてきた女性達に立ち向かうための、パワーを私達に与えてくれると思っています。ソリダリティーは、人種的特権に対する戦いを助けると共に、私達の祖国における新たなリベラリズムや新たな帝国主義に対して戦う国際的ムーブメントに加担する事を可能にするのです。かつての家父長制的ソロリティーのプラットフォームは、黒人女性に対する植民地的偏見と戦ってきた白人女性4によって創られたものです。白人女性は、私達に、自立して聡明な、そして異なった女性であるという表現をする場は殆ど残してくれませんでした。私達は違ったプラットフォームが必要なのです。私達は戦う女性達の国際的ムーブメントと切り離されたくはありません、何故なら私達もそこに含まれるからです。事実、私達は世界中を旅し、世界を変えてきたアフリカ人であり、このムーブメントの始点なのです。だからより革命的、ラジカルで先見的な新たなプラットフォームが必要なのです。ソロリティーの観念は時代遅れです。それに包括的ではありません。だから私はオルタナティブとして、より包括的であるソリダリティーという観念を提唱するのです。

BAZIE Yilargnin Justine
「そういった意味で、ポストコロニアル・アイデンティティーを擁護されるのですね?」

Patricia McFadden
その通りです。私にとってのポストコロニアル・アイデンティティーとは、政治的実践のこの稀有な形態の反映なのです。でもポストコロニアル・アイデンティティーは、アフリカやカリブ諸国、南米など南側諸国の女性のみに限定されるものではありません。ポストコロニアル・アイデンティティーとは、反植民地主義アイデンティティーであり、世界全体に関わります。何故ならヨーロッパ人女性は、植民地主義の受益者である以上にもっと、また違った特殊な形で、植民地主義に関係付けられているからです。そして私達黒人女性は、搾取され抑圧され、売られた人間として特殊な形で植民地主義と関係付けられています。しかし、ポストコロニアルとなるためには、それぞれのグループがそれを越えて、ポストコロニアルの時を出現させなければならないのです。これには、ヨーロッパ人女性側から、とりわけ彼女達が植民地化から受け継いだ特権についての何らかの政治的ワークが実現される事が望まれます。そして私達の方はと言えば、新植民地主義を拒否し、そして新たな道、換言すれば、私達の祖国政府が採用した新たなリベラル思想や市民思想に対する戦いを通して市民となる、ポストコロニアルの時とはそういった方向にあるのです。私達は、新植民地主義そして大多数のアフリカ人が生きている経済的疎外に対して抵抗しなければならないのです。

Justine Bazie Yilargnin 

2009年4月29日 

原文 http://www.pluricitoyen.com/spip.php?article90


筆者

Justine Bazie Yilargnin

2006年から「アフリカンアートオブジェクトの専門家」を自称しているJustine Yilargnin BAZIEは、パリ第1パンテオン‐ソルボンヌ大学修士後期(マスター2)の学生である。その研究はブラック・クイアスタディーとポスト・コロニアルスタディーに基づき、人種、ジェンダー、性と階級そして特に学識における「知と力」の関係にアプローチしている。ウェブサイトhttp://blackstudies.blogspot.com で「Progressive Black Studies in France」を発表し、http://blackqueer.blogspot.comでは「That’s All Black Quare」を発表している。



UP:2009 REV:
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