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貧困、ストリートチルドレンとエイズ
-アビジャンとアクラの事例-


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アフリカアフリカ Africa 2017


おかねおくれ


作成:斉藤龍一郎
 *(特活)アフリカ日本協議会理事、生存学研究センター運営委員

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※外務省ウェブサイトを基に、国名を表記しています。

貧困、ストリートチルドレンとエイズ -アビジャンとアクラの事例-

原著について:"Pauvrete, jeunes de la rue et sida; Les cas d'Abidjan et d'Accra" Momar-Coumba Diop ed. KARTHALA, 2002

序文

貧困問題の改善は、都市管理プログラムと技術協力公社GTZ(Deutsche Gesellschaft fur Technische Zusammenarbeit)プログラムの最重要課題となっている。これは、アフリカの都市部で貧困が増加しているという事実によるものである。

複数の著者が、特定のグループが生活最低限の必需品を十分に得られず、基本的社会サービスへアクセスできないという社会的弱者の問題を強調している。中でも社会的に最も弱いグループは、女性、若者、障害者、高齢者、そして失業者である。これらの人々の中で、とりわけ社会から周縁化されているのが若者であり、直面する主要な危険の一つにHIV感染がある。その結果、社会に対して悪影響を与える危険をはらんでいる。

一般に、都市の若者たちが被る悪影響が強まっているにもかかわらず、公的権力は都市の若者たちにほとんど目を向けていない。


都市の貧困

この20年間、アフリカでは、人口が急激に増加した(平均して4.35%)。アフリカ大陸の都市部の人口は、1975年の21%から1995年には35%へ、そして2025年には54%に到達すると言われている。この人口増加と、ますます制限される都市サービスと社会基盤の水準の問題は、社会政策の方針が再検討される必要があることを明らかにしている。都市の急速な成長と入手可能な資源の希薄さがもとで、生活状況の悪化が引き起こされている。

都市で暮らすにあたり、特定のサービスを受けるためにはお金を支払わなければならない。お金は生きていく術であり、水、住居、教育、健康等の基本的サービスへのアクセスを保証するものである。生活状況を改善するための収入を得るため、ストリートチルドレン、女性、失業者は、時に売春をせざるを得ない。そして、それによって、彼らは性感染症やエイズへの多大な危険にさらされるのである。特にストリートチルドレンは、性的暴力にさらされる危険もある。


エイズと地方行政

1990年代初頭より、「ガバナンス」は国家から国際レベルまで今日的な問題とされており、住民と行政の歩み寄り、そして、地方当局と中央政権が社会的サービス費用をより妥当に分担するよう推進することが、課題となっている。これらの政策の実施により、貧しい人々の負担増加が度々指摘されている。

都市の行政当局者たちにとって、このような状況での課題は、一方では貧困、社会的弱者、エイズと都市運営との関係を理解すること、他方では、問題解決のための積極的な行動に対するの障害を明確にすることである。エイズが都市から健康な労働力と若さを奪うことを考えると、中央政権と都市当局は適切な政策の立案をする上で重要な役割を担っている。

エイズがアフリカの都市の人的資源にもたらすインパクト(衝撃・影響)は、経済開発を大きく妨げている。社会政策と人々の生活の現状との間には溝が存在しているのである。よって、都市社会への悪影響、特に貧困層への悪影響を軽減するために、政治家、首長、保健衛生の専門家の協力を推進しなければならない。都市行政が彼らに対するHIV感染の危険性の高まりに対処しなかったことが、若者たちの社会的権利の回復を犠牲にして抑圧的政策(その限界はすでに見えているが)やあらゆる種類の問題を大きくしているのである。

このような受け入れがたい状況状況を改善するために、アフリカの市長、地方政府の当局者たち、『ガバナンス』の問題にかかわる機構が、市民社会と連携し、積極的に関与することをお互い約束する必要がある。そして、継続的な社会発展を促していかなければならない。こうした取り組みはまた、子供の権利条約に記されているように、若者の権利を保護するものでなければならない。


アビジャンとアクラのストリートチルドレン

GTZ(技術公社)のエイズ対策地域プログラム(PRS)が都市管理プログラム(PGU)へ協力を要請した結果、1995年、PGUの本部でこの2つのプログラムの専門家の会合が開かれ、1996年2月にはコンサルタント一人と共に一連の作業部会が組織された。これらの会合によって、都市の貧困とエイズの関係をさらに研究するための協力を確立することができた。そこでPRSとGTZのPGUは、ストリートチルドレン、彼らの性行動、生活状況、そしてエイズに関する認識の度合いに関して、コートジボアールのアビジャンとガーナのアクラで調査を実施することにした。

ストリートチルドレンが重要課題であることは、アフリカの都市でのその数の増加によって、説明することができる。彼らに関する研究論文は入手可能であるにも関わらず、性感染症やエイズと彼らの関係を知ろうとする努力はほとんどなされていない。よって、ストリートチルドレン、貧困、エイズに関する情報不足を補っていくために、この2つのプログラムが先行的な調査を行うことになったのである。

課題は、路上での非常に不安定な生活状況や家族という枠の崩壊が、ストリートチルドレン(の世界)が特にエイズや性感染症と関係が深いのかどうかを明らかにすることである。

この協力の目的は、社会的弱者、特にストリートチルドレンへのHIV感染のリスクを軽減するのに役立つ情報を、都市当局者、専門家、医療補助員、特にアフリカの知事たちに自由に使用してもらうことであり、その上、都市開発政策において、統合したアプローチを強化することも主要課題であった。

そのような理由により、(ストリートチルドレンに重点を置いた)都市における貧困とエイズに関するアビジャンとアクラでの調査に資金が投じられることとなった。この二都市が選ばれたのは、ガーナとコートジボワールで異なると推定される政治運営と経済運営を考慮に入れようとしたためである。大筋では、これらの調査の結果は、1997年3月にアクラで開かれた「アフリカの都市環境における貧しい子供に関する国際分科会」での行動計画検討の際、議論を行なう土台となった。このワークショップの後に『ストリートチルドレンとエイズ』というテーマのワークショップがアクラで続けて開かれたのだが、そのワークショップには15人のアフリカの市長とその他の参加者が集った。その際にこの調査結果の網羅的な発表がなされ、それにより、それぞれ経験してきたことの情報交換や優先して行われるべき活動の概略を作ることが可能となった。この二つの調査の主な目的は以下の通りであった:

二都市におけるストリートチルドレンの現象は、特に性行為とエイズに対する認識に重点を置きながら詳細に分析された。二つの調査結果は、ストリートチルドレン、また路上に立つ若者が、その生活スタイルがゆえに、HIV感染に曝されていることを裏付けている。二都市の両方で、ストリートチルドレンの大半は性的に活発である。彼らはエイズとエイズに伴う危険に恐怖を感じているが、全員が避妊具を用いているわけではない。

2カ国の政府はこの現象の重大さと規模の広がりに対する自覚はあるが、政策や公の率先した活動でストリートチルドレンの感染のリスクを減少させる事ができていない。ストリートチルドレンはアクラでは地方から出てきているのに対し、アビジャンでは都会の下層階級出身者が多い。

アビジャン市ではエイズと闘っているNGOに対する支援委員会があるが、その活動はストリートチルドレンだけを対象にしたものではない。アクラ市では一般に若者を考慮した政策が取られているが、それもまた特にストリートチルドレンだけに関係するものではない。しかしながらアクラ市はある程度の範囲でNGOと協力してはいる。

貧困は子供・若者が道端にいることの最大の原因である。この若者達の可動性は、彼らを対象とした行動を取ろうとするときに大きな障害となる。その一方で、彼らの学歴はとても低く、性的にも早熟である。コートジボワールでもガーナでも、公的機関はまだこの問題に対し長期的な解決法を見つけることができておらず、そのことが公衆衛生面で大きな不安材料となっている。

調査の方法計画は、1)エイズと性病に関してストリートチルドレンが持っている認識を測定するためのアンケート、2)ストリートチルドレンを集め、彼らの関心を喚起し実行に移すためには何が条件か意見を聞くfocus group、3)ストリートチルドレンをエイズから守るため、政府機構に対して出されたストリートチルドレンとの対話の手引 の3点を中心に立てられた。

この調査結果から、調査対象の集団は学校のレベルにおいても家庭のレベルにおいても、社会的な関係を築けてないことからリスクに曝されている事が判明した。その結果は様々で、彼らは貧困と周辺化の道をたどらざるをえないとても強い傾向がある。調査対象者のエイズに対する認識はとても乏しい。彼らの特徴としては、就学率は高いが多くの者の教育レベルは初等程度であり、その教育も修了したかしていないか、どのような環境で行なわれたのか分からないということが挙げられる。このことから、彼らのエイズに対する関心をフランス語によって高めるのは難しいであろう。彼らにとってより身近な口述・身ぶりによった注意喚起・動員方法を見つけねばならない。

この調査によって、政府のエイズ政策はストリートチルドレンに限って言えば微弱なものである事が分かった。NGOの注意喚起の手段も型にはまったものである。彼らに対して、もっと的を絞ってより有効なメッセージが送られるよう見直すことが望ましい。

ガーナにおける調査より、ストリートチルドレンの大部分は青少年であり、その中でも男子の方が女子よりも年齢が若干上である事が判明した。若者達は大体アクラへの移住者の第一世代であり、その出身は特に北部地域かアシャンティ地域である事が多い。彼らの教育レベルはとても低い。親との情愛的な関係は少なく、自分の悩みは親より友達に話す方を好む。

貧困は若いガーナ人達を道端へと押し出す最大の要因である。彼らの多くは親が彼らを養えないために道端に出ざるをえないのであり、その内何人かは家庭内暴力から逃げてきている。入手できるデータは仲たがいした家庭や機能不全に陥った家族の存在を浮き彫りにしている。ストリートチルドレンの大部分は市場、駅や店の前といった野外で寝ている。そのことにより、彼らは制約された環境に身をおいている。不適切な食事の習慣が身についており、食物の質の悪さにより健康をおびやかされている。彼らは生き延びるため、ささいな家事などの仕事をしている。また他のものは、生きていく手段として、あるいは、こづかいを稼ぐ手段としてとして売春や麻薬取引に手を染めている。ストリートチルドレンの日常の活動は、彼らが「道端にいる若者」であるのか、「ストリートチルドレン」であるのかということ、そして従事している活動の種類によって決まっている。

ストリートチルドレンの大部分は性的に活発である。初めての性的関係は平均で14〜15歳に経験している。何人かは10歳になるより以前から性的関係の経験を持っている。彼らは、同性愛を含め、様々な性的嗜好のことをよく知っていし、実際に同性愛者もいる。これはグローバル社会で起こっていることの反映かもしれないが、通常の規範とは違う性的なアンダーカルチャーを作り出しているのかもしれない。若者達は性的な行動について無頓着であり、麻薬使用時はその傾向がいっそうひどくなる。ストリートチルドレンは、通常より多く行き当たりばったりな性的関係を持つことが多い。

多くのストリートチルドレンはエイズの存在を知っている。しかし、エイズに対する意識はとても高いものの、エイズの感染経路についての知識は平均より低い。それでもエイズは性的関係により感染すると答えた者が圧倒的に多かったが、避妊具が身を守るのに役立つと知っている者のパーセンテージはとても低かった。

アクラとアビジャンにて行なわれた調査の分析結果は、既にこの問題について行なわれた他の調査により示唆されていた二つの要因を浮き彫りにした。

第一に、ストリートチルドレンの問題は明らかであり、各地域の下で支配的なマクロ経済的傾向、そしてその傾向による影響の一つである拡大する貧困を考慮にいれると、この問題は今後数十年間のうちに十中八九大きくなるであろう。第二に、彼らのエイズに対する知識の低さ、そして日常の生活態度という点から考えて、ストリートチルドレンは極めてエイズの危険にさらされており、同時にその感染拡大の源となっている。

二つの調査の分析結果はまた、ストリートチルドレンの問題と彼らがさらされているエイズ感染の危険に効果的に取り組むためのアプローチのタイプ・適切な対策を指し示している。

その一方で、示された結果は問題に取り組む手段の明らかな非能率を明かすものであった。また、より効果的な政策や介入を実行するために何が欠落しているのか、さらに詳しい調査が必要であることも確認させた。


アビジャンのストリート・チルドレン(コートジボワール)

都市の貧困、エイズ、性感染症

コートジボワールでは、特にこの10年で人口の都市集中により農村の過疎化が激化した。これは、これまでも不安定だった農民の生活状況を急激に悪化させている社会経済恐慌によるものだ。

今日、コートジボワールの都市一般に、とりわけアビジャンとブアケにこの国の人口の半分が集中している。この状況は重大な社会変化に加え、調和のとれた都市の開発を妨げて都市機能の不全を引き起こしている。この観点から言えるのは、人々の生活行動の多様性を生み出し、都市制度の枠組みが最低生活保障(住居、収入、雇用、健康)を享受できない新都市型貧困者にとって機能していなかったことだ。これらの輪郭は、人々の中でももっとも社会的弱者である女性や若者の上にその特徴をより濃く落としている。

この調査の目的は、ストリート・チルドレンや路上に立つ若者たちの状況とエイズや性感染症に感染するリスクとの関係を測定することにある。ストリート・チルドレンの極めて不安定な生活状況と家族という枠組みの崩壊により、彼ら(の世界)がエイズや性感染症がはびこるのに都合のいい場所をつくってはいないかを明らかにすることが課題である。

この疑問から以下の調査項目が用意された。

  1. アビジャン市でストリート・チルドレン(*1)のHIV感染リスクに対処するためアビジャン市当局、NGO、CBO、その他当事者が行なったこれまでの努力の実績を特定するエイズとの関係根絶を目指し、ストリート・チルドレンの生活状況を分析する
  2. アビジャン市のストリート・チルドレンのエイズや性感染症への意識・認識を調査し、彼らの性的健康状態についての情報を収集、彼らがHIVに感染するリスクを明らかにする
  3. 性に関する保健衛生サービス利用可能性を見きわめ、ストリート・チルドレンに提供されているかどうかを判断する
  4. エイズや性感染症への注意喚起と教育のためにストリート・チルドレンを啓発活動に動員することができるような活動の可能性を検証する
  5. 特にストリート・チルドレンの直接的関心の中心を明らかにし、勧告を行う
  6. 限られた人数のアフリカ諸都市の市長や専門家を招待する再建セミナーで討議の基礎として役立つ中間レポートを提示する
  7. セミナーに参加し、セミナー参加者の意見を加えた最終レポートを準備する
  8. 最終レポートはセミナー終了の2週間後、上記の2プログラムに提出される

方法計画

調査の準拠枠として、データ収集に3種類の方法が提案された:ストリート・チルドレンや路上に立つ若者向けアンケート調査、ストリート・チルドレンや路上に立つ若者と一緒に焦点グループを構成すること、国家管理組織や非国家管理組織に向けた対話の指針。


アンケート

アンケート調査は、ストリート・チルドレンや路上に立つ若者のエイズと性感染症への認識のレベルを測定し評価することと、彼らのイメージや認識を評価することにより意味をもつことになる。アンケート調査は、このような状況認識を評価する適切な方法である。事実、統計の面では、取り上げられた変数に応じて多様な形態を比較することが出来る。量的データ収集は個別に日夜を問わず行なわれた。路上に立つ若者の考えを集めるための調査は日中行なわれ、彼らのような若者が特に多く集中する場所で実施された。例えば市場、国鉄の駅、グロ野菜市(*2)だ。日中、このような場所で見かけるのは若者だけではない。アンケート調査はこのデータを考慮した上で実施されたが、ストリート・チルドレンが日中自発的に現れる割合は少ない、なぜならストリート・チルドレンの場合、特に夜、映画館や児童カトリック事務局(BICE)のストリート・チルドレン受付センターにやって来るのだ。夜、このセンターは家族と断絶状態にある全ての若者を受け入れている。しかし、センターは彼らに寝場所を提供するだけなので、彼らは、日中食べ物を自分たちでどうにかしなければならない。そこで少女たちに出会うことはなかった。むしろ少女たちに出会ったのは、映画館や酒場でなどだ。

このセンターによく現れる若者にアンケートした理由は、下記の通り。

変数

2つの従属変数をとりあげる:エイズと性感染症への認識のレベル、動員と意識化の状況。加えて、独立変数がその変化をよりよく測定するために定義される。とりあげられた独立変数は次の通り:年令、性別、仕事、教育レベル、身分、宗教

サンプリング

調査研究の主目的は、ストリート・チルドレンの世界がエイズの感染に都合が良いかどうかを判断することである。従って、エイズや性感染症についての彼らの認識について、動員と意識化の実態について、また政府当局・自治体当局・非政府団体の活動の現状について情報を集める必要がある。これらの関心は市町村で異なると言うものではないことから、地理的描写の研究に有効性はなく、また意味がないと推察される。従って、調査研究の場所として、アジャメ区が無作為抽出された。

ターゲットとする情報提供者は、家族と断絶状態にあることから、路上を生きる場として選んだ若者、そして家族との繋がりを維持しながらも何か満ち足りないものを埋合せようと路上に身をおく若者たちである。

ストリート・チルドレンに関連する統計は多様に分かれていて、この呼び名「ストリート・チルドレン」に相応しい標本を作り上げるためには信頼度の高い基本モデルが存在しない。 従って、何らかの代表性をめざすことは難しい。これらの理由からこの調査研究で採用されたもの:無作為に200人の標本を抽出した。

フォーカス・グループ 

データの定量収集技術では、調査の対象者の動員と意識化の実態、興味の中心的対象についての考えを引き出すことが出来なかったので、ストリート・チルドレンのグループと路上に立つ若者グループ、それぞれが2対2の割合で4つのフォーカス・グループが組織されることになった。目的は、調査対象者が彼らに関係する政策に参加できる方法を示すことであった。

参加する若者のカテゴリーにかかわらず、フォーカス・グループは、彼らに重要な場を与えオープンかつテーマ性ある話い合いのかたちで実施された。中心となったテーマは以下の通り:エイズとそのイメージ、コンドーム、売春、動員、路上での生活状況、帰属意識の発達、動員/教育のための内因的主導性。テーマは限定されなかったが、話合いは成年に達したと思われる若者を中心に組織された。

路上に立つ若者のフォーカス・グループ調査は日中に行なわれ、ストリート・チルドレの調査は夜行なわれた。調査は、ストリートン・チルドレン受け入れ施設や路上のストリート・チルドレンがよく集まる場所、映画館や酒場の近辺で実施された。

基本方法として選ばれたのは、リーダーたちと少女たち、路上に立つ若者、ストリート・チルドレンで構成された10人の混合グループとの半分、組織化された対話であった。この混合グループのメンバー選出は、定量調査時の様々なグループのデータ観測に基づいた。

対話の手引き

コート・ジボワールには、性感染症やとりわけストリート・チルドレンに関心をもつ組織はそれほど多くない。対話サンプルが少ない理由はそこにある。 我々が地区の組織をとり上げなかったのは、我々の調査の観点から、ストリート・チルドレンに関心を抱く組織は我々の知る限り地区に存在しないからである。

手順はあまり強制的でないインタビュー方式が取られ、技術支援となったのが「対話の手引き」であった。

対話では次の項目について発言された。

対話は個別に訪問した組織の室内で行なわれた。対象者は、関連する組織の主責任者、欠席の場合はそれに委託されたメンバーであった。対話の時間は平均1時間だった。

調査研究の限界

アンケート調査でストリート・チルドレンや路上に立つ若者の感染を容易にする職業が何かを特定することは不可能だった。調査データで示される職業は網羅的とは言えず、調査対象者にとって特に周辺的なものが少なくなかった。この変数についてはさらに緻密な研究により、感染が簡単かつ急速な広がりを促進する職業が何かを明らかにすることになろう。

定量データの解釈と説明

調査対象者

全調査対象者の平均年齢は19歳。最低年令が10歳、最高35歳である。標本は、いくつかの弱点があるものの同質的に配分:対象者全体の11%が19歳、13%が20歳、全体の60%は少年、40%が少女、少女たちは生活のために路上を利用している。

調査対象者は多様な職業に就いていて、アンケートではそれについて答えなかったものもいた:日用品販売(水、クスリ...)、髪編み、レストランの皿洗い、乗合バス・ターミナルでの案内人(*3)、万引きなど。調査対象者の91%は小学校教育レベルである。入手できた情報からは彼らが卒業したか否かの特定は不可能だ。68%は中学校教育レベルで、25%はこれまで、就学はしてなかった。大学就学レベルは少なく(7%)、その大半は、こづかいを稼ぐため路上に立ち、夜は家族のもとに帰っていく。彼らの多くは、失業青年で抜け目無い仕事を見つけている。

アンケートから解ることは、対象者の40%が家族と断絶状態にあることだ。60%は路上に立ってはいるが、家族との関係を維持している。このような若者は、収入の一部を家計の足しにしている。調査では、37%の若者がイスラム教徒であると表明している。43%がキリスト教徒、3%がアニミスト、17%が無宗教である。調査対象者は、調査で述べた宗教を実践しているのだろうか?アンケートから69%が実際には実践していないことがわかる。

ストリート・チルドレン、路上に立つ若者の性行動

性行為への慣れ

証言によると、調査対象者は性行為に慣れ親しんでいることがわかる。事実、調査対象者の88%はすでに性交渉を見た経験がある。この割合に関して、26%はテレビで、26%はビデオフィルムで、17%はポルノ雑誌で性行為を見たことがあり、17%は実際にその行為を直接目撃している。

では、この見ることで性行為に慣れ親しんでいる調査対象者はどのように分類されるのだろうか? 実際に性行為を見たことのある割合は、少女が34%に対して少年は66%である。小学校教育レベルの若者(42%)にもっとも多く、直接あるいはメディアを通じて性行為を目撃している。中学校教育レベル(36%)がそれにつづいて多い。家族と断絶状態にある若者の42%はすでに性行為を見た経験をもつ、生活のために路上を利用する若者の57%はすでに性行為を見た経験があり性行為に対しての慣れがある。路上に立つ若者(57%)の割合が多いのは家族との関係がつながっていることでテレビを見ることが可能であり、それによってそのような場面を見る機会があることから説明できる。性行為への親密さは宗教によってより強くなるかあるいはより弱くなるのか? 宗教という変数は調査対象者のこの行為に関してなんの影響も与えていない。キリスト教徒に関しては、43%が性行為をすでに見ていて、次に多いのはイスラム教徒で37%である。

この80%(キリスト教徒43%とイスラム教徒37%)の中で、宗教実践者の70%が性行為を直接あるいはメディアを通して見た経験者である。

ストリート・チルドレン、路上に立つ若者の性体験

ストリート・チルドレンや路上に立つ若者は、性行為について単なる観想的観察にとどまっているのだろうか?データから86%がすでに性行為を経験している。最初に性的関係をもった年齢は10歳から21歳と様々であり、14歳(18%)、15歳(17%)、16歳(17%)、17歳(16%)と示された。従って、性的活動は思春期に盛んで、最初の性体験の平均年齢は15歳である。

小学校教育レベルの調査対象者が際立っており(40%)、次に中学校教育レベルがつづく(37%)。このことからこのカテゴリーの若者が性的に早熟であることがわかる。

性行為体験者は家族との繋がりがある調査対象者により多い:家族と断絶状態にある若者が34%なのに対して65%を示す。ストリート・チルドレンの厳しい生活状況は、彼らに禁欲を強いることになり、ある程度の心配事(食事や看護・・・)を家族が引き受けてくれる若者とは反対の結果となっている。

このような早熟な性的交際(関係)は予防されていたのだろうか? 別の言い方をすれば、これら調査対象者はコンドームを使ったのか?調査対象者の10%が予防したと答え、89%がそうしなかったことを認めた。

予防して性交渉をもったと答えた10%の若者は、次の理由を上げている:64%≪MSTについて知っている≫または≪エイズについて知っている≫から、17%≪好ましくない妊娠を避けるため≫と答えた。コンドームなしでパートナーとの性交渉を持った若者は次のように主張する:≪コンドームについて知らない≫(62%)、≪よりよい快感≫(20%)、≪パートナーへの信頼≫(8%)。

最初の性関係(予防してもしなくても)後、パートナーがコンドームの使用を拒んだ時どんな行動をとったか? 64%はコンドームの使用を拒否したパートナーと性関係を持たなかったと答えた。33%はそのパートナーの意志に従った。

コンドームを使用しない性交渉を拒否したこの64%の若者の収入や身元をより特定出来る適切なデータ収集のため、再びアンケート調査を実施するのは大変興味深いものがある。たとえデータがこの質問の明確な答えに繋がらなくても、推測できることは、家族と断絶して不安定な状況にあり社会から外に追いやられた若者個人にとって、コンドームの使用を受け入れないパートナーを拒否することがどんなに難しいことかだ。彼らはこの性関係が商取引である事を知っているのだ。家族の枠組みから離れ、経済的手段を見つけられず社会的弱者になったことを自覚している彼らが、お金を稼ぐ機会を拒むだけの力量を実際にもっているだろうか?これらの考えは、彼らが政治あるいは現地のアクションのベースとしての役割を担うべきかどうか相対化するに値する。

ストリート・チルドレン、路上に立つ若者の性行動の動機

この研究部分は、調査対象者を性交渉に駆り立てるあるいは駆り立てた深い理由を特定する。この質問は、答える側の考えを左右しないように自発的に聞かれたものであった。

得られた回答は次の通り:99人(56%)≪欲望から性交渉をした又はする≫、まね事が36人(20%)、16人(9%)≪いたずらの結果として≫、4%≪お金のためと暴行≫、5%≪なぜ性関係をもったかハッキリわからない≫。低い割合(4%)が≪お金のための性行為≫と回答していて、4%が売春と知っていると回答している。

どれくらいの数の若者がそのことを知らずに売春をし、また何人が気付きながらも売春と認めるたくないのだろうか?この考え方を考慮すると、売春の割合を拡大させるだろう。

路上に立つ若者の方は欲望から(74%)、真似事から(20%)性交渉をするケースが多い。真似事で性交渉をするケースが多いという事実は雑居状態に置かれている彼らの生活状況から説明される。このような若者は両親の性行為を見ているに違いない。

36%の調査対象者は、すでにセックス・ワーカーと性的関係をもったことがある。この割合のうち、54%はコンドームを使用したが46%は使用しなかった。28%はMST感染者と接触をした経験がすでにある。この若者たちは路上に立つ若者(52%)が圧倒的で、セックス・ワーカーとは一度も関係を持っていないと答えている。もっとも蔓延している性感染症は梅毒(84%)である。調査対象者は、彼らのために用意された受け入れセンターがあるにもかかわらず、治療のため(66%)自ら近代保健衛生施設に出向いている。調査対象者の多くが保健衛生施設に行く理由は、彼らにとって施設に行くことが便利で近くにあるということだけではなく、近代医学があらゆる感染症や他の病気に最良の治療法であるという規範が彼らに浸透しているからである。

このようなストリート・チルドレンや路上に立つ若者の傾向はエイズや性感染症(MST)への動員、意識化、検診に役立つに違いない。一方で彼らが保健衛生サービスを利用することへの一貫した拒否や拒絶が確認されている。事実、保健衛生施設はこの種類の若者を受け入れるための準備が十分とは言えない。児童・母性保護センター(PMI)は両親、一般には母親連れで若者を受け入れている。これらのセンターでは、若者独りだけでは受け入れない。この状況は多くの問題を投げかけている。なぜなら調査対象の若者たちは家族と断絶状態にあるか、その家族の枠組がくずれている若者であるからである。従って、この若者たちが応急処置のためにセンターに受け入れられるのは難しいことなのだ。

さらに、PMIの他に学生専用の応急処置保健施設である社会医学センターがある。これらのセンターへのアクセスは、学校の疾病手帳が要求されることから、就学していることが前提となっている。もはや就学していない調査対象者はこのような応急処置・疾病検診施設にアクセスすることは不可能なのだ。一般的には、治療のため調査対象者がとる方法は個人的コネである。しかし、この方法は治療が保健衛生機関で有料になってから段々と難しくなった。

ストリート・チルドレン、路上に立つ若者のエイズ、感染症に関する認識

調査対象者の97%はすでにエイズについて聞いたことがあった。この若者たちは次のように分類される:少年の60%、少女の40%。宗教でみると、イスラム教徒の46%、キリスト教徒の34%のである。40%は家族と断絶状態にある若者、59%は生きるための路上を利用している若者である。アンケート結果から特定できる彼らの主な情報手段はテレビ(28%)、ラジオ(22%)、友達(18%)である。

この質問を対象者の身分によって情報手段が異なるかどうかを見ると、家族と断絶状態にある若者、ストリート・チルドレン、路上に立つ若者にとって、テレビや友達が情報の主な手段である。

ストリート・チルドレンや路上に立つ若者の中で一般化しているエイズについてのこのような報道に基づいて病気があることを、彼らはどのように思い描いているのだろうか?79%の若者はエイズを危険な病気と考えているが、42%はエイズと性感染症との違いを解っていない。MSTの症状は、生殖器官の炎症(25%)、泌尿器官の炎症(21%)、腹痛(16%)、38%は症状がなく病気が進行する。

MSTは人の健康にどのような結果をもたらすのか?36%は不妊、16%はエイズ、39%は知らない。

調査対象者の高い割合(58%)はエイズのウイルスが体を衰弱させることを知っている。感染経路は複数ある:32%は性交渉、19%は使用済みのカミソリや注射器の使用、18%は輸血。

調査対象者はどのようにエイズの症状を特定するのか?26%は下痢、23%はやせること、15%は黒斑点である。調査対象者の39%は、セックス・ワーカーとの交際によりエイズの感染リスクはさらに高くなると言っている。21%は、病院が感染のリスクが高い場所と考えている。路上に立つ若者の多くは、病院がエイズ感染リスクの高い場所であると言う。なぜなら施設設備の問題から注射器やその他の器具の使いまわしの可能性があると考えているからだ。

これらの回答は、若者自身の体験によるものだけではなく、家族や友人からすでに聞いたことにもとづいている。79%はエイズ検査があることを知っていると表明している。ストリート・チルドレンでそのことを知っていると表明している人数がより多い(77%)。10%は自分が感染しているかどうか情報収集したことがあると表明している。この10%のうち、75%は少年で25%は少女(50%はストリート・チルドレン、50%は路上に立つ若者である)

検査動機は、好奇心から(45%)、次に予防(27%)からとなっている。テストをしていない若者の理由にはいくつかある:恐怖(34%)、テストを知らない(57%)、羞恥心(8%)と答えている。

調査対象者の79%はエイズやMST対策啓発キャンペーンを評価している。このキャンペーンから彼らがどのような強い印象やイメージを受けたのだろうか?15%は≪とてもやせた人たち≫のイメージをもったと告白した。22%にとっては、医師が啓発活動キャンペーンを行なうのがもっとも適している。反対に、71%は自分たちが啓発活動キャンペーンをするのに向いていると答えた。彼らの58%は少年で42%は少女である。44%は小学校教育レベル、33%は中学校レベル、36%はストリート・チルドレン、64%は路上に立つ若者である。

焦点グループの調査結果発表と説明

路上で暮す若者と路上で稼ぐ若者たちに関して、それぞれの種類の特徴を説明する前にお互いの類似点を紹介する。

焦点グループの調査結果から、この世界では戦略の個別化傾向あるいは生活手段(保護、食料、宿など)が共用化される傾向のため、組織をつくる習慣を全く持たないことが分った。

この若者たちの世界は一見すると弱肉強食のジャングルに似ている。このことから、組織をつくる傾向はないが、連帯と防衛の小さなネットワークをつくる傾向が見られる。

これらのネットワークあるいは結束は、当座の窮極しのぎ(サバイバル、防衛)である。この世界では、エイズや性感染症問題は組織や集団をつくって戦略を立てる優先すべき問題とはならない。

調査対象者層は、本来、エイズに関しての一般的知識は持っている。しかし、エイズは致死の治療薬のない危険な病気だと信じている。我々の調査対象者によると、コンドームは効力がない上、快楽の邪魔である。多くがそれを拒み、自分からは使わないと言う。中には、次のようなに言うものもいる:≪コンドームをつかう人間は病人だ。もし、あなたがコンドームを持っていたなら、あなたは病人に見られるに違いない。性行動が品行方正ならどうしてコンドームを持つ必要があるのかと、皆が思う。≫

このディスカッションが示唆するものは、エイズに対する考え方が路上で暮す若者と路上で稼ぐ若者たちの間に不安と恐怖を呼び起こしていることだ。しかし、逆説的に、彼らは性的行動がリスクを持つとは考えていない。彼らにとってエイズはセックス・ワーカー、同性愛者、薬物常習者の世界で猛威をふるうものなのだ。彼らの想像では、これらの特徴は自分たちの世界には当てはまらない。彼らにこの問題の詳細を聞くと、ハッキリした答えは返ってこない。路上で暮す若者と路上で稼ぐ若者たちにとって、性(男性も女性も)は早くから路上で生きることを保障するものであるという認識を彼らは共有している。このような様々な性的関係や調査によって明らかにされた彼らの商取引価値は、この世界での感染リスクの増大を裏付ける。調査対象者の中には、もし自分がエイズであると知ったなら、自殺するだろうと言ったものもいた。これに対して、一人で死なないためパートナーに故意に感染させることもありえると言う他の若者もいた。

調査対象者のエイズに関する大筋の認識は、彼らの行動を左右するものではない。とりわけ、彼らの世界では、性がもっとも高い報酬をもたらすものであるなら、ほかのありようはない。

この種類の若者のレベルでは、動員や意識化を最良にするために協力し合う傾向は見られない。同様に、彼らに、「路上で暮す若者」あるいは「路上で稼ぐ若者たち」の範疇に属しているという考えが彼らの中に芽生えるほどに、自分たちの存在の物質的条件は明白でなくなる。

この調査対象者には、路上で暮す若者と路上で稼ぐ若者たちの状況は、一時的なのものと考えられている。だれもがいつかは路上を去り、タクシードライバー、機械工、小売店主になる野心を燃やしているのだ。多くは路上を出るために貯えをしている。路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちはその身分を不利だと考え、その身分を望んではいない;彼らは自分たちを青年労働者であると考えている。路上にいるのはむしゃくしゃするからだと彼らは言う。こうして、それぞれが路上を出るために闘っているのだ。

動員との関連で興味の中心や内発性とされるもののため、路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちは、自分たちが啓発キャンペーンの考慮の対象ではないと言い、衛生施設が対象としている枠から自分たちが排斥されていると言う。彼らにとって、エイズは大人や生徒や学生にしか感染しないものである。エイズは就職や就学に関係する問題ではないはずなのに、メディアで発信されるキャンペーンは大人や生徒や学生を守るためだけだと知り、それは不当だと彼らは捉えている。エイズは自分たちに関係していると彼らは感じていて、啓発キャンペーンやコンドーム配布キャンペーンで自分たちのことを考えてほしいと思っている。

検査やコンドーム配布のどんなキャンペーンも、彼らをターゲットにはしなかった、彼らはヘルスケア・サービスの恩恵に肖りたいと願っているだろう。彼らに関連した問題が法律的また経済的観点から分析されるなら、彼らは疾病検査や啓発キャンペーンによって考慮される必要がある。専門家(医師)たちが彼らのためにそれをすることを多くの人が待っている。エイズや性感染症の意識化や動員のための集団的イニシアティブや動機付けはない。その理由は次のことばで説明される:≪テレビでエイズ患者をみる。皆がエイズについて話してくれる。でも、今は食べていかなければならない。だからお金が必要。≫ 従って、路上で稼ぐ若者たちが仲間の啓発活動のために、自分から行動を起こすことはない。イニシアティブを取ることとそうしようとする意思は、個人の問題であり孤立しているものだ。それは、必要すなわち本来のもろさが、エイズから身を守るための備えにうち勝ってしまうからである。

路上で暮す若者たちの世界では、エイズは彼らの心配の種ではない。確かに、彼らは病気を認識している。しかし、重要な関心事ではない。お金が強い価値をもっていて、お金を得るためのあらゆる手段が試みられる。

制度、エイズと性感染症と路上で暮す若者・路上で稼ぐ若者たちの関係

路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちの世界におけるエイズのリスクという観点からみる都市貧困の分析は、国家権力やその社会的パートナーに代表されるものの視点でなされるであろう。こうした観点のもとでのアプローチでは、エイズや性感染症の感染に至らせるかもしれない社会的信用失墜のメカニズムは考察できても、路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちの現状は考慮に入れにくい。問題は、コートジボワール政府がとる政策やコートジボワール政府のパートナーの政策を通して、人々をエイズや性感染症から守り、感染時には彼らを支える目的で用意されている社会保障制度を対象者すべてが容易に受けられるプロセスであるのか、そうではなく困難にしているプロセスであるのか見極めることだ。

このアプローチは、コートジボワールにおける都市社会開発が、とりわけサービスの提供とサービスの享受という二重性の中で試みられている事実によって正当化される。この方法は、人々の日常を改善するための方法を設置することにおける公的機関の困難とためらいを示している。

コートジボワールでは、エイズ宣告を受けた人数が1994年5月の26,646人に対し1995年12月には31,963人を数えた。1989年から1993年まで年間の新患の数が3,000人を下回ったことは一度もない。1993年、HIV陽性者は640,000人、成人のエイズ発症者は34,000人、小児のエイズ発症者が7,000人、78,000人がエイズ遺児であった。

結核はエイズの増加とともに再び増えつつある。さらに、結核患者のHIV陽性者率は1989年に26%を超え、1992年からは50%を保っている。

コートジボワールの国民は非常に若く、20歳以下が56,2%である。就学率と識字率は相対的に低いままである。15歳以上の性活動年齢者で、総人口の53%を占める。さらに、この国は人々の大移動が特徴である(移住、季節労働者あるいは一時的移住者)。

北部から南部への季節労働者の流入に特徴付けられる国内移住、農村から都市への途切れることのない移動や他国からのおびただしい移住は、この国を流動的な人口の国にしている。これらの移動は、一部で人々の行動にリスクを生む社会現象を裏付けている。これらの現象のひとつは、より不安定でより短時間の男女間関係の増加である。

この人間関係の中には、移動する人間の需要と供給の法則に応えている関係もある。しかしまた、この人間関係は男性が支払い、その引き換えに女性がセックスを提供して収入を得ているというひとつの形となってあらわれる。

これらの2つの特徴、すなわち就学の輪の外にいる大量の若者たちや性取引を行う移住者たちは保健衛生行政を免れる一方で感染を助長している。それは、実際、政治による考慮が足りないかあるいは考慮されていない例証であり、保健衛生行政に挑戦する貧しさ弱さの悪循環を政治が考慮していない、あるいは考慮が不足していることの例証である。

路上で暮す若者・路上で稼ぐ若者たちとエイズと性感染症の関係:政府のアプローチ

政府レベルでは、3組織がその活動分野において路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちを活動の対象としている:保健・家族・女性開発省、雇用省、公共・社会福祉サービス省である。

エイズと性感染症の見地から公衆衛生省と路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちとの関係

公衆衛生省は省令によりコートジボワールにおけるエイズ、性感染症、結核対策国内プログラム(PNLS/MST/TUB)を設立した。このプログラムの目標は、とりわけ、これらの病理学が個人や家族や社会にもたらす影響と感染を減らすこと、感染者へのケアを組織すること、これらの疾病に関する研究を促進することにある。

エイズ、MST、結核のウィルス感染の絶えざる広がりは、保健衛生開発国内プログラムが優先順位の中でもPNLS/MST/TUBが何より不可欠である。VIH/MST/TUB予防はリプロダクティブ・ヘルスの枠組みに登録されている。

従って、この総合的脈絡の中に、ひとつで二つの狙いを掲げるエイズ・MST/TUB対策全国プランを位置付ける必要がある。

全エイズ対策プログラムに倣って、コートジボワールのPNLSは垂直的なプログラムと考えられてきた。従って、PNLSは設備と同様に小型機器供給において検査施設を稼動し活性化するために成すべきことの全てを重視してきた。その結果、PNLSは輸血保全のため必要な資源を動員し、少なくとも外見上は、HIV抗体検査薬利用の責任を負い続けた。この枠組みの中で、見張り監視システムが確立された。

PNLSは保健省の保健部門のために教育を行い、また情報・教育・コミュニケーション課(IEC)が付加された。PNLSは病人やエイズ発症者を支援するために共同体の動員を目指すようなプロジェクトを運営している。単なる技術支援としてプログラムの人的資源をもってNGOの実行する諸プロジェクトを支援してきた。また、PSI4に民間企業分野への配布を移譲するまでは、コンドームの配布と使用促進を行なってきた。

エイズ対策を他の部門の日常活動に統合させることなく、PNLSは、同様にイニシアティブをとって他の部門の介入を支援し続けてきた。MSTとの統合の後、国家ガイドラインの作成やその実現は唯一PNLS/MST/TUBに依存したままである。

1995年、PNLS/MST/TUBの下に結核対策と統合して、結核対策を専門とする基本組織はエイズ対策のためにその活動の幅を広げた。

プログラム当初より、NGOとパートナーシップを持つことは、ターゲット・グループへの接近の、また社会的引き受けやターゲットグループの動員のようなプログラムのいくつかの構成要素を活用するため適切な手段として意図的に研究されてきた。

特に、路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちに対して、これらの目的はどのようになし遂げられるのか? IEC担当チームとの話し合いから、PNLSは路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たち向けのプログラムを持っていないことが分った。疫学調査やPNLS/MST/TUBの実践的研究についてのIECプログラムは、本来、就業人口を対象にしている:成人や就学中の若者である。PNLS/MST/TUBによって、路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちが周辺化されているのは、彼らの世界での感染率が低い、感染リスクが少ないあるいは経済的、物質的、人的手段の欠落によるというよりも、むしろ怠慢からだと説明できる。事実、PNLSが優先するものは就業人口である。この目標は、就業人口がエイズで死亡し続けていることで達成には至っていない。従って、不十分な財力を他の社会階層に広げることは問題外である。ましてや、範囲を特定し追跡することが困難な非生産的階層に対しては広げられない。しかし、公権力はこれらの若者が将来の働き手であり将来の納税者であることを忘れているのだ。この観点から、この若者たちは、考慮されるべきでありプログラムの枠組みに入れられるべきである。将来あるいは現在の納税者の固定化は、衛生施設で差別的体制が取られていて、施設を利用できる条件から我々の調査対象である若者層を排除していることを説明している。この若者層の悲劇的状況と彼らの世界の内外でのHIV感染拡大のリスクは、保健省の官僚や政策に説明を求めるものではない。彼らにとって、PNLSは現実のそして潜在的な生産者を目指すべきである。しかしながら路上で暮す若者たちは納税者ではないかの?

家族・女性の地位向上省と路上で暮す若者・路上で稼ぐ若者たちの関係

当省は、路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちのエイズ・MST対策に関しては何の組織も持たず政策も行なっていない。路上で暮す若者たちは、当省の権限の管轄内であるが、これは最近になって割り当てられたもので、路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちのHIV感染のリスクに関して、この現象への総合的あるいは特定のアプローチに関する政策はまだ存在していない。当省は、路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちの現象の輪郭を捉え抑止するための事業に取り掛かろうとしている。しかし、エイズについての言及はまだ全くない。引き合いにだされるのは、むしろ親たちの責任、路上で暮す若者たちの弾圧(一斉検挙)、路上で稼ぐ若者たちの親たちの脅し脅しである。

雇用・人事・社会福祉省と路上で暮す若者の関係

当省の社会的保護・地位向上局は、とりわけ厳しい状況にある若者を担当している。当局は、路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちに関して長い経験(10年以上)を積んでいる。そのプログラムZS 202 ≪極めて困難な状況にある若者≫の中では、広範囲にわたって、エイズとMSTに関しての几帳面な啓発活動を展開している。中でも、このプログラムが目指すものは、アビジャンの6つの行政区:クマシ、アジャメ、ヨプゴン、アボボ、サベ、トレッシュビルにおけるヘルスケア・サービスの改善である。極めて困難な状況にある若者がこのサービスを受けることを可能にするため、啓発活動チームは路上で暮す若者たちの問題の予防を専門とする指導員によって構成されている。総合的プログラムは、路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちが、エイズ、MST、その他類似疾病の感染のリスクにさらされていることについて、また彼らに提供する援助のタイプについて、明確には言及していない。しかし、他の政府組織と比較すれば、当局は唯一、この社会階層に向けた政策とプログラムを持っているのだ。エイズは拡大が続いており、専門研究家によってつくられたIECのPRキャンペーンの中で取り上げられることになる。

すなわち、政府レベルにおいて、路上で暮し路上で稼ぐ幼少年者は、本質的な関心事ではない。主な理由として、エイズが成人や納税者の問題として捉えられているからである。国はエイズを国から働き手を奪う悪しきものと説明している:すべての啓発活動は、本来、性行動は成人の問題で若者の問題として議論するものではないという考えに支配され、その考え方が暗黙のうちに了解されて広く共有されている。このような状況では、政府プログラムが路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちの問題に明示的に関心を示すのは難しい。

アビジャン市、路上で暮す若者・路上で稼ぐ若者たちとエイズ・MSTの関係

アビジャン市の10の行政区すべてで、公権力はエイズ危機の拡大とその対策の必要性を認識している。従って、彼らはアビジャン市エイズ対策委員会(COLSIVA)を設立した。この組織の目標は、≪エイズと闘うグループやNGOを応援する≫ことである。この見地から、COLSIVAは直接行動か支援かの間で揺れ動いている。委員会は、全く実際の活動はしていない。特に、ひとつの社会的階層に狙いを定めていない。エイズは、全体性の中で人々に影響を及ぼし、その結果人々はわけへだてなく考慮に入れられる。

アビジャン市は、また路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちを生んだ原因に関心を抱いている。そこで、市は≪エスポワール(希望)≫と名づけた聴取センターを設立し、週2回ひとりの医師を派遣し若者の健康問題に対応している。問題は、医師がエイズやMSTの観点から性行動に関する問題に関心をもっているかどうか、あるいは彼が定期検診を行なっているかどうかである。交錯する情報からは、検診は特に若者の全般的な健康状態(傷、病変あるいはうわべの痛み)について行なわれるという。

プラトーの聴取センター≪エスポワール(希望)≫では、他の行政区内で実施されているものと同様に様々な教育がなされていて、とりわけその中にはエイズやMSTに関連したものがある。路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちに向けたエイズやMSTに関する啓発活動のために、センター≪エスポワール(希望)≫の事務所を活用する自由はリーダーに任されている。しかし、市は、現在のところ、エイズに関してひとつの社会的階層にアクセントを置くことを考えていない。

アビジャン市は路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちのために、彼らの専門的枠組みから見たプロジェクトを用意している;市は、エイズ対策プロジェクトを持っているが、それは特に彼らをターゲットにしているものではない。

その理由は、市にとってエイズは全ての人々に感染するものであり、従って、特定の階層にアクセントを置く必要はないという見解から来ている。

NGOと路上で暮す若者・路上で稼ぐ若者たちとエイズとMSTの関係

エイズと闘うNGOの活動

CASM

1991年2月に設立されたCASM(社会医療支援センター)は、保健省、エイズ対策全国委員会、トレッシュビル大学病院、COS-CI(エイズ対策コートジボワールNGO連合)の、他のNGOメンバーと協力して活動する慈善活動を使命とするクリニック目指している。当センターは基本的に以下2つの目標を掲げている。

CASMは主に四つの活動を繰り広げている:昼間のクリニック、往診、IEC、交友クラブ訪問。

昼間のクリニックは、月曜から金曜に診療を行なっている。1991年以来、様々なサービス機関(CHU、CIPS、血液バンクなど)からやって来る1,000人以上の患者を受け入れている(HIV 陽性者及びエイズ発症者)。クリニックは30〜40人の新患を受け入れ、月平均350〜400件の診察をしている。CASMの責任者にとって、目指す目標は、≪エイズである≫ことを認知される事による、死への恐怖によって時には精神的にダメージをうけている男性・女性・若者に手を差しのべることであり、もっとも基本的な要求(食料、衣料、住居…)に応えることである。

CASMの2つ目の活動は往診である。往診は、移動手段がないことで、社会医療支援センターに来ることができない患者の治療を目的に組織されている。センターの責任者にとって医療的かつ精神的サポートをクリニックの外で続けることができる手段が重要である。IECは、CASMの第3の主要な活動を続けている。エイズ対策は、医学的問題であるだけではなく、文化や精神にもかかわる問題であると考えられることから、IEC活動キャンペーンは行政区、公立あるいは民間教育機関、MACA(アビジャン留置所)や企業において、すべての人にエイズの恐怖と感染を避ける方法を知ってもらう目的で実施されている。

最後に、1994年7月、CASMは交友クラブを立ち上げ、患者を集めて彼らが団結と友情と博愛によってポジティブに生きることが出来るように努めている。我々の研究の対象となった若者たちは、このNGOにとって考慮の対象ではない。

エスポワール(希望)-コートジボワール

エスポワール-CIはHIV陽性者を支えるため1990年に設立された人道団体である。このNGOは様々な分野の80人以上のボランティアからなるグループである。目標は次の通り。

USAIDの財政的支援のおかげで、エスポワール-CIの中に1992年11月、エイズ予防情報センター(CIPS)が設立された。目標は、エイズ対策に必要な情報、教育、コミュニケーション、訓練、相談などの介入を強化することにある。

エスポワール-CI- CIPSの主な活動は、特に以下の通りである:

加えて、エスポワール-CIは2つの側面から支援を行なっている:患者やその家族への物質的・精神的支え。同様に、当NGOは無一文のエイズ発症者の食料費や診察費や肺X線撮影費用や移動費の支払いを引き受けている。

エスポワール-CIの責任者にとって≪路上で暮す若者たちだけがエイズやMSTに弱い立場の社会階層ではない。学生やセックス・ワーカーもそれは同じである。人間の生活は同じであるから、路上で暮す若者たちだけが特別プログラムの対象となる理由はどこにもない≫ エスポワール-CI責任者のこの言葉は、たとえ路上で暮す若者たちがエイズの危険に一番さらされているとしても、路上で暮す若者たちがこのNGOにとってのリアルな関心事とはなっていないことを示している。

ルミエール・アクション

ルミエール・アクションは1994年に設立され、HIV陽性者やエイズ発症者の若者たちが集まったNGOである。この団体は次のいくつかの目標をもつ:

ルミエール・アクションは、正々堂々と顔を出した証言を発案した唯一のNGOとしてこれまで来ている。HIV陽性者やエイズ発症者で構成されるこの組織は、路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちには関心を示していない、なぜなら発症者や健常者を特定するための有病率研究や検査活動がこの世界では全く実施されていないからである。

赤いリボン(Le Ruban rouge)

「赤いリボン」は様々な分野の人(医師、学生、会計士、失業者、生徒…)が集まり無償で活動する組織で、1994年に設立されエイズ対策の貢献に挺身している。「赤いリボン」の目標は:

このNGOの目標は、我々のアンケート対象者を活動対象としていない。このことは、路上で暮す若者や路上で稼ぐ若者たちがすべての活動計画において周辺化されることを意味している。

AUDE(開発のための全面的支援)

AUDEは、≪レ・ザミ・デュ・モンド 世界の友達≫クラブにより1991年9月に設立されたNGOである。非政治的かつ非営利を掲げ以下のような組織の目標をおく

AUDEは、アフリカの諸問題へのよりよいアプローチと開発にとって適切であると判断されるアイデアや解決策発信のため、連帯の輪をつくることを目指す交流と考察の組織でありたいと願っている。

CARITASコートジボワール

1955年に設立されたCARITASコートジボワールは、民法や教会法によって協会として認可された法人格を有する。この協会の目的は、正義と慈悲の共同体的精神と実践の訓練の推進である。CARITASコートジボワールが目指す目標は:

他のNGOと同様に、AUDEとCARITAS-CIは財源と人的資源が極めて少ないことが確認できる。しかし、この2つの組織はどのようにして路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちのために活動を展開していくことが出来るようになったのか?組織の責任者やスタッフは、エイズの危険に直面する路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちの弱さを鋭く意識している。CARITAS-CIの責任者は、路上は、とりわけ若者にとっては生きていく恒久的場所ではない、と考えている。

AUDEとCARITAS-CIの責任者は、路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちが四方八方に散らばっていることや大移動を続ける事実から、彼らと一緒に仕事をすることは容易ではないと一様に認めている。実際に、路上で暮らす若者たちは一定の場所に定住しない社会階層をつくっている。従って、近づくのが困難だ。特に、この青少年たちはNGOに対して疑い深く、つけこまれるという感情を抱くに至るのだ。彼らはNGOというのは国や資金提供者に対して資金援助を願い出るため自分たちを利用していると言い、そのくせ、自分たちの社会的状況は何にも変わらないと言う。

路上で暮らす若者たちは悲惨あるいは極度の貧困状況で生きている。生きていくための日常的束縛と闘い、最低生活分(食料、衣料、お金…)を彼らに与えることができない人間の話など聞く気には到底なれないのだ。しかし、このことが、彼らがエイズやMST対策プログラムから取り残されていることを正当化しえない。

この2つの組織にとって、数々のNGOが主導するエイズ対策プログラムに準拠した路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちの周辺化の根拠は、彼らに接近しにくいということに関連しているのではなく、その責任を負う経費にかかわっているのだ。多かれ少なかれ自給自足的な他の社会階層と違って、路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちは生存の数々の問題と直面している、このことが彼らにエイズやMSTの恐怖に耳を傾けさせないでいるのだ。

路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちにとって、優先すべきことは、まず食べること、服を着ること、そして眠ることだ。従って、問題は彼らの第一の欲求を満足させるためのお金あるいはインフォーマルな活動の絶えざる探求に行き着く。

これらの理由を総合すると、この種類の若者たちに対するどんな意識化政策も、彼らが直面している重大問題(失業、飢餓、服装、営利活動)を考慮に入れることを必要としている。そしてこの問題こそが、エイズの現実がもつその重大さを見えにくくしているのだ。さらに効果を高めるために、この若者たちに全責任を負うには莫大な人的資源と財源が必要となる。

AUDEによって活用されているもう一つの意識化の方法は、路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちで構成されたボランティアと協力した劇の上演である。講じる策は作品の内容にかかわる。それは、この若者たちでもわかる言葉使いで書かれなければならない。役者の身なりは、その役が見分けがつくように路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちのそれに似せることである。衣装の色は同様に重要で意味をもつ。例えば、赤い色は危険・暴力・地獄を象徴しHIV陽性を運命づける身なりであり、白は感染していない人を思わせる。白いセーターはAUDEに取り込まれた路上で暮らす若者たちのしるしで、彼らに清潔感をもたせようとするものだ。

AUDEの責任者にとって、この若者たちの意識化はある種の熟練と多くの機転を要する。例えば、コンドームのダンボールや他の備品が到着すると、AUDEは報酬を条件に箱を上階に運ぶ手伝いをしてもらうためプラトーの路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちに声をかける、こうして一度接触を持った若者には、今度は話し合いを目的にもう一度来てもらうように頼んでいる。この話し合いの間に若者の信頼を得ることが極めて重要だ。話し合いでは簡単な質問に答えてもらう。質問の種類は≪恋人はいるか?≫、≪彼女と一緒に何をするか?≫、≪淋病にかかったことはあるか?≫などである。 セックスが病気をもっとも感染しやすくする行為であることから、性病は重要な発見の手がかりである。≪彼らにコンドームの話をするのがそれほど簡単ではないのは、まだ性的交渉を持ったことのない若者にコンドーム着用の話をするのが微妙でありショッキングなことだからだ。≫ AUDEのこの戦略は、「赤いリボン」の責任者と共有されているようには見られない。「赤いリボン」によれば、路上で暮らす若者たちは、低年齢であっても、彼ら個人の体験あるいはポルノ映画や雑誌によってかなり早くから性生活について知っている。

CARITAS-CIの場合、エイズやMSTに対する戦略は、路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちの金銭的な生活状況(経済的貧困)や道徳的および精神的状況(文化的貧困)が考慮される。

CARITASの責任者は、若者たちのために何らかの支援を始める以前に、なぜ彼らは路上にいるのかを知ろうとしなければならないと言う。全ての若者は、皆が同じ理由から路上で生きているのではないし、それぞれのケースは同じように扱われるべきではないと彼は見ている。

意識的か否か、これらの基本データを知らなかったことで、中には若者に路上に留まって果てしの無い援助を受けつづけることをすすめる人間もいる。この同じ責任者は、路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちの現象は経済危機と明らかに関係があると考えているが、親の権威の失墜と密接に関係しているとも話している。精神的および道徳的価値基準が狂い、親たちはもはや自分の子供たちを管理することは出来ない。従って、初期段階で親たちに責任感をもたせ、人格の道徳的な面を強化する宗教教育の役割を自覚させる必要がある。

路上で暮らす若者と路上で稼ぐ若者たちの中には、(近くあるいは遠くに)両親がいるものもいる。取組むべき最初の行動は、彼らがどのような方法で家族の待つ家に戻り家族の一員に戻ることができるかを発見することである。両親ともいない若者、特に孤児について、CARITASは、国や青少年保護組織の協力を得て部部的責任引き受け慈善的な家族を見つけることを提言している。

結局、前述した2つの解決策が何ら良い反響を生まなかった彼らに対して、CARITASは孤児を受け入れるアボボSOS村をイメージした指導センターの設立を願っている。

CARITASは、社会的存在として、路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちを特定して世話することはない、しかし、むしろ彼らをもっと広い社会階層の中に組み入れている:困難な状況にある若者(売春の犠牲者である若者、孤児、被虐待者…)。従って、困難な状況にある若者たちのための活動の一環として、路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちが考慮されている。

CARITAS-CIの責任者にとって、エイズの現実を若者に紹介する特定の手段というものはない。エイズとMST対策プログラムで、CARITASは若者に禁欲、貞節、忠誠さを提言し性道徳を強調している。エイズとMSTに関する意識化戦略の効果について、CARITASの責任者によると、一定期間の性的行動の研究後でなければ、効果は計量することは出来ないという。なぜなら、MSTの危険の自覚は、行動の変化を意味し、そこから始まる、と彼は見ているからである。

福音伝道による意識化のための動員戦略

このキャンペーンはひとりの牧師ドエ氏によって組織されている。彼は路上で苦しんでいたり、問題を抱えていたり、病気だったり、仕事を探している若者たちにメガホンを使って神の声を聞きに来るように呼びかける。≪イエス様が問題を解決へと導いてくれる≫と彼は言う。

牧師は、若者たちに常に危険が付きまとう路上を離れ、彼のセンターに来るように呼びかける。そこで彼らは仕事を習得する、その仕事が彼らを社会に溶け込むことを保障してくれるのだ。訓練期間、若者は同時にエイズの現実、感染方法、予防方法を発見することになる。

NGOの目的や活動のある分析から分ることは、NGOは路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちの世界でエイズが提示する危険を一様には意識してはいないことだ。この階層は無視されあるいは知られていない。二つのNGOだけが特定的にこの社会階層に行き着く戦略と活動を行なっている。まったく不十分である。これらのNGOの経済的かつ人材的な困難は、現状では、変わりやすく不安定で貧しいこの社会階層を効果的にかばい追跡することを不可能にしている。この状況は、特に、ごく僅かな衛生費用では対処することが不可能であることを説明している。動員の観点から、NGOはエイズとMST対策にほぼ同じ方法を用いている。NGOはさまざまな方法に訴えている:PR用ポスター、横断幕、ラジオ・テレビ・新聞でのCMやスローガンの発信、パンフレット・ステッカー・コンドーム・Tシャツなどの配布をともなうコンサートなどである。

確かに、この昔ながらの伝染性の性病対策は、広い大衆を刺激することは出来ても、匿名性のうわべだけの方法である。

民族・文化・社会が混合したこの公衆は、同じ角度や同じアプローチではエイズ対策のメッセージを受けとらない。意識化のメッセージは、ある種の社会階層には到達しないことさえある。それは路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちのケースである。従って、アプローチを再点検する必要がある。

結論と勧告

我々の調査から、研究された三つの次元で考慮に入れることが必要ということになる:アンケートの対象階層の共通する特徴(収集されたデータから明らかになった特徴)、特定した社会階層(路上で暮らす若者と路上で稼ぐ若者たち)固有の特徴であり、そしてこの社会階層のための政策である。

この研究結果は、経済社会危機の影響から家族の結束と枠組みのゆるみが出ていることを表している。この若者の社会への順化は、学校水準と同様に家族水準においてもまだ完全ではないし、抜け落ちている。その影響は多様だ:貧困、脆弱性、社会からはみ出してしまう強い傾向などである。

この研究の標本は、小学校教育レベルが圧倒的であるが、高い就学率が特徴である。、小学校教育を終えたか否か、またその教育状況については不明である。しかし、その教育レベルにかかわらず、この若者たちはエイズに関するわずかな知識しか持っていない。彼らの教育レベルでは、フランス語によって意識化を働きかけるのは難しいことがわかる。従って、彼らにとって慣れ親しんだ話しことばあるいは身振りで働きかけることが優先される。

我々の標本の教育レベルは、エイズやMSTに関してぼんやりとした大まかな知識しか持っていないことを説明している。その知識は、≪火傷≫や≪不能・不妊≫と言った紋切り型のものでしかない。生存競争に忙しく、路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちはエイズやMSTに関する啓発キャンペーンに時間を割くことはない。彼らはポスターや仲間内の自称≪もの知り≫が解説することばに満足している。この若者たちの社会的な時間の使い方は、彼らを対象とする政策あるいは意識化・動員の活動で考慮されるべきである。もし我々が、実際に彼らが関わることを望むなら、キャンペーンに当てる時間の金銭的補償の仕組みを考えなければならないだろう。

路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちは、宗教を引き合いに出して、厳しい生活状況ではいつも都合が悪くなり規則正しい実践が持てないと自分を正当化する。宗教の道徳的価値観の受容性は、礼拝場所というものが意識化に好都合でありえるのか、またどのように神父たちやイマームたちをこの社会階層の意識化に関わらせるためにどのように動機付けし動員するのかを見極めるために深く研究を進める手掛かりとなる。

彼らを早くから大人にし、成熟させるその生活状況がいかにせよ、彼らは本来まだ青少年のままであり、時には呑気で世間知らずである。調査の本題から見えてくるこの特徴は、彼らの性的行動に現れている。それは低年齢の、無防備な、彼らが見たことのある映画や友人や保護者から聞いたことを真似た性的行動である。

このことから、路上で暮らす若者たちの世界は、感染の重大なリスクを負っていることに特徴づけられる。しかし、この結論は、この世界での有病率調査によって裏付けられる必要がある。

路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちは、エイズが感染する性病であることを知っている。彼らの大多数は、感染から守る有効な方法としてコンドームを認めている。しかし、すぐそれを着用することやパートナーに着用を要求することはない。このレベルでは、啓発キャンペーンやとりわけ社会経済的参入の援助の正当さを説明する人たちにとって危険が存在する。

彼らにとって、エイズはホモやセックス・ワーカーと性的関係をもつ特定の集団に感染する。このことから、感染は性交渉の方法(防御か否か)とは関連性がないのだ。このような意見が路上で暮らす若者たちに現れるのは、彼らがもし自分が自分たちの社会階層に入っていない人間と性的関係を持つ時の危険から守られていると感じているからだ。

彼らは、受け入れてもらえないことを知りながら、治療のため自分から一人でヘルス・ケア機関に出向くことがある。彼らがこのような組織を頼る自発性は、検査、意識化、動員のアクションに利用できる。治療するために専門機関に向かうこの傾向は、意識化への第一歩と見られることからとても重要なことだ。明確な政策により彼らが治療を受けることが出来るよう彼らを元気づけることが望ましい。この観点から、国の政策は例えばヘルス・ケア機関へのアクセスを助成できるであろう。

この研究は、この社会階層のために意識化およびエイズ対策キャンペーンが行なわれていないことを明らかにした。事実、路上で生きる戦略として性取引が日々行なわれているにもかかわらず、実施されるキャンペーンは大人たちに焦点をあてている。

エイズ対策キャンペーンを主導するメッセージが訴えるものは、禁欲、パートナーの認知、忠誠さである、どれもこれも効き目のない価値基準である。なぜなら性感染症の分野では、予防措置への尊重と適用は、主体だけの意志とは関係ないからだ。優れた知識だけが必要ではなく、同様に自分自身をコントロールする強い自制心が必要である。

この観点から、一般的な啓発キャンペーンや路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちに特定したキャンペーンは、個人個人が性的行動を変化させる能力を持っていることを考える必要がある。

もし彼らが危険を伴う性行動を持つなら、彼らの人格はうまく形成されず、とても強い社会的な圧力を蒙ることになる。それはとても弱く傷つきやすい人間で、予防規範を尊重し、それを実行することが出来ない人間と言うことになる。とりわけ、セックスは彼らの世界では商取引の価値がある。従って、社会的参入の活動と一緒に展開される意識化キャンペーンが、彼らのために展望することができる。この世界では、単なるキャンペーンは、ターゲットを絞り込んでいても、この若者たちを回復させそれが生産的な社会へ参入させる方法を伴っていなければ、実を結ばないであろう。

エイズに対する国の政策は、路上で暮らす若者や路上で稼ぐ若者たちにとっては、控えめである。政府は、抑圧(検挙)をこえてエイズの分野ではこの社会階層の啓蒙行動や指導行動を提案すべきであろう。

この勧告は、直接行動かNGO支援かを迷っているアビジャン市にとって有効である。アビジャン市はターゲット(路上で暮らす若者、婦人、生徒…)を絞った活動を実施するべきである。なぜなら、エイズがたとえ共通の問題であっても、キャンペーンは明確に社会階層にターゲットを絞るべきである。

NGOの意識化の方法は標準型である。特定のターゲットに狙いを絞り、ターゲットにある型のメッセージが届くように方法を再検討するのが望ましいであろう。

路上で稼ぐ若者たちはより感染のリスクを負っている。彼らの多くは、早い年齢で性的関係を経験し、MST感染者である。この調査は若者の社会階層に応じて違った意識化運動を要求している。MSTに感染している若者たちの割合とこれまでセックス・ワーカーと性的関係を一度も持ったことがないと言う路上の若者の割合が偶然にも一致することが注目され問題を呼んでいることから、家庭と意識化のネットワークとの結合は望まれる。

収集されたデータは、52%の路上で稼ぐ若者たちが感染していること、52%がセックス・ワーカーと一度も性的関係を持っていないと言っていることを示している。このことから、売春が公然化していない世界(家族、友達関係)で感染が広がっていると推測せざるを得ない。

路上で暮らす若者たちは、その運命に見捨てられるべきではない。


*1 当調査サンプルの対象には14歳以下の児童はほとんど含まれず、なので「若者」(31ページ、調査対象グループの年令を参照)という用語を選択した。本文へ

*2 栽培野菜の販売を専門とする市場、コートジボワールの一つの共同体によって管理されている。グロはその共同体の民族名である。本文へ

*3 乗合バスターミナルで乗客をつかまえバスまで同行する見習い少年。前もって決めた仕事以外の仕事もする。本文へ

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