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障害学研究会関東部会・1999

障害学研究会関東部会



◆19990725研究会の案内

第3回を下記の要領で行います。

日時  7月25日(日)午後2時ー5時
場所  東京都障害者福祉会館
     (最寄り駅 地下鉄三田・JR田町駅)
     電話 03ー3455ー6321 ファクス 03ー3454ー8166
テーマ 「障害学への招待」第5章「優生思想の系譜」(市野川容孝)
             第6章「ろう文化と障害、障害者」(森壮也)
会費  未定

*PC要約筆記と音声・手話通訳があります。

長瀬修
NAGASE Osamu
AXV44520@biglobe.ne.jp
office tel/fax +81-(0)45-503-1219

 
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◆19991105
 第5回(関東)障害学研究会 於:東京

 
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◆19990925
 第4回(関東)障害学研究会 於:東京

 第4回(関東)障害学研究会 於:東京
 日時  9月25日(土)午後1時半ー5時
 場所  東京都障害者福祉会館2階「B1」室
     (最寄り駅 地下鉄三田・JR田町駅)
     電話 03ー3455ー6321 ファクス 03ー3454ー8166
 テーマ〇「障害学への招待」第10章「障害学から見た精神障害」      山田 富秋
    〇「<精神障害>の社会的位置と家族責任」(仮題)      南山 浩二
    〇"disability in different cultures: local concepts and beliefs.."
     Dr Majid Turmusani

 会費  1000円、学生 500円  *PC要約筆記と音声・手話通訳があります。
  第4回(関東)障害学研究会 於:東京
  テーマ:精神障害者と社会(仮)

  南山さんは 19990730
  「精神保健福祉システムの変容と精神障害者家族研究(1)」
  『静岡大学人文学部人文論集』第50号の1:1-19
  をもとに話されます。この論文は以下にも掲載されています。
  http://133.70.21.55/sociocourse/Minamiyama/syogaiken.html

〇ヨルダンのマジッド・トゥルムサニ>さんの発表
 「東と西の障害研究パラダイム:方法の政治学」

このペーパーは、研究がなぜ障害者にとって重要であるか、
政策立案を目的として障害者に接する際に研究手法・方法の選択が
どのような影響をもたらすかという疑問に答えようとするものである。
言い換えれば、障害研究の政治学、そして異なる文化の文脈での
違いを議論する。このペーパーは先進国、途上国での障害研究の
主要な二つのアプローチ、すなわち参加パラダイムと
解放パラダイムを吟味する。

後者のアプローチは先進国で広範な支持を得ているものの、
世界の多数の国で用いられた場合には多くの制約がある。
したがって、このペーパーは、
低開発状態において、参加アプローチは
(1)その地域の文化に大切な意味を持つこと、
(2)社会的不利をもたらす社会構造に向けての障害者の意識を強め、
    障害者を政治的過程に参加させること、
ができるとする。

 しかし、このペーパーは参加アプローチの改善を提案し、障害者が
参加型研究の過程・実施にいっそう関与することを求める。
どの研究手法を用いようが、障害者は研究過程に関与することが
できれば優れた研究ができるというのが、このペーパーの結論である。
これを実現させるために、研究者は自らの専門的知識を障害者に提供し、
研究者の役割は監督者(コントローラー)から促進者(ファシリテーター)
に変わらなければならない。

このペーパーは二つの部分そして結論からなる。第1部は、障害研究に
関する現在の批判に関する議論を再考する。また、障害(ディスアビリティ)
を社会的関係の具現化でなく、個人の悲劇であると見なす伝統的な
研究の役割を再考する。この批判は、これまでの不公正を是正するための
参加パラダイムや、解放パラダイムといった民主的パラダイムの発展を
もたらしたと信じられている。第1部は研究手法が持つ、障害者の暮らし、
研究手法の政治学に与えるかもしれない危険性に関する理論的議論である。
第2部は、先進国と途上国での障害者研究手法に関する、相違点と共通点
を比較する。全ての手法には欠陥があり、全ての場面に使える完璧な
研究手法はない。したがって、障害者を様々な場面で研究する際には、
文化相対主義のアプローチを用いる必要がある。

前述したように、発表は結論として、用いられる手法、障害者が住む国
の文化的文脈に関係なく、研究者の役割を監督者(コントローラー)
から促進者(ファシリテーター)に再定義する必要があるとする。
とりわけ、障害者は研究の過程でパートナーと見なされるだけでなく、
研究の主人公として見なされるべきである。

DISABILITY RESEARCH PARADIGMS BETWEEN EAST AND WEST:
THE POLITICS OF METHOD

Majid Turmusani

This paper attempts to answer the question of why research is
important at all to disabled people and how the choice of certain
research method makes all the difference when dealing with
disabled people for policy making purposes. In other words, it
discusses the politics of disability research and how this differs in
various cultural contexts. The paper examines two major
approaches in doing disability research in developed and
developing countries, namely the participatory and the
emancipatory paradigms.
It is argued that while the latter approach has widespread support
in industrialised nations, this same approach has many limitations
when applied to the majority world countries.  Therefore, the paper
suggests that within such underdeveloped conditions a
participatory approach may be of a particular relevance to local
culture and can play an important part in stimulating the
awareness of disabled people towards their disabling societal
structure and thus bringing them into the political process itself.
Yet, the paper suggest some improvement on the participatory
approach and calls for a greater involvement of disabled people in
the process and the production of participatory research. The
paper concludes that disabled people - no matter what research
method is used - can do good research if they are allowed into
research process. For this to happen, the researchers role must
change from controller to facilitator by putting their expertise at the
disposal of disabled people.
The paper is divided into two main parts and a conclusion. The
first part reviews the debate on current critique of disability
research and the role of traditional research in conceptualizing
disability as individual tragedy rather than as embodied in social
relationships. This is believed to have led to the emergence of
other democratic paradigms such as participatory and
emanicipatory ones in an attempt to remedy previous
inadequacies. Thus this section provides theoretical discussion
of the potential implications of research method on disabled
people's lives or what is named here the politics of research
method. The second section compares differences and
similarities between disability research methods in developing
countries as opposed the developed ones. It argues that all
methods are flawed and there is no perfect research method that
can suit all situations. Therefore, the need to adopt a cultural
relativist approach when researching disabled people in different
contexts.
As mentioned above this presentation concludes by reaffirming the
need to redefining the role of researcher from that of controller to
facilitators regardless of the method used or the cultural context in
which disabled people live in. Moreover, disabled people should
not only be regarded as a partners in the research process but
also as owners of research production.

◆第四回 関東障害学研究会部会報告

この報告は,瀬山紀子が書いています.
長くなるので,発言者の順に報告を分けて送信します.はじめは,山田
富秋氏の発表の報告になります.

発表者:山田富秋さん,南山浩二さん
ゲストスピーカー:マジッド・テゥルムサニさん

司会:石川准さん

三田の障害者福祉会館で行われた第四回障害学研究会関東部会は,40
人近くの方が集まりました.今回は精神医療,精神障害のことを取り上
げると言うことで,精神医療のサバイバーのかたや,兄弟姉妹会,家族
会,また精神障害当事者の会などの方々も多数参加されいました.

はじめに,山田富秋さんが,『障害学への招待』第十章「障害学から見
た精神障害」を題材に,精神医療の現場や作業所などでのフィールド
ワークをもとに考えてこられたことを話されました.
山田さんは,障害学とは,「これまで支配的な文化の元で否定的な意味
を与えられてきた障害者の独自文化を何らかの形で見いだし,支配文化
を脱構築する学問」,と捉える方向に関心を向ける.しかし,精神障害
(者)を取り巻く現在の状況では,精神障害者の独自文化といっても,
それを見いだすのは容易ではないと言う.また,現在の障害学が,精神
障害を持つ人々にとっての学問となり得ていないことに問題を見いだし
ている.
報告のなかで一貫して述べられたのは,精神障害(者)を取り巻く状況
が,現在もなお「医療の文脈」「医療言説」で覆われているというこ
と.医療モデルを否定するような言説(例えば,精神医療を体験し,そ
れをくぐり抜けてきた人々が,「サバイバー」という概念を積極的に
使っていく試みなど)は,最近になって少しずつ語られ始めたが,山田
さん曰く,精神障害を取り巻く現実の90%以上の言説は,未だ,「医
療言説」で覆われているのだという.その意味で,精神障害者の独自文化
は,現在のところ精神医療文化に覆われている,というのが,山田さん
の指摘した問題だった.
また,医療言説ということと並行して山田さんが述べられたのは,精神
医療,また,福祉が,パターナリズムにおちいっているという指摘.作
業所などでも,通ってくる人の生活の仕方に介入し,作業所で働く精神
障害当事者(精神医療ユーザー)を「しつけ」ようとする所員などを見
かけることが多いという.その意味で,作業所や家族も「精神医療の文
化」が覆っている場所になっているという.
しかしながら,山田さんは,地域での精神障害者の生活を支える場(作
業所などを含む,精神障害者のセルフヘルプグループなど..)を,多
数作りだし,そのような場を起点にして,医療,福祉といった精神障害
者を取り巻く支配的な文化をくずしていくことに,可能性を見いだした
い,と述べていた.具体例は,元になっている論文に詳しい.(一つの
例は,北海道にある「ベテルの家」という作業所で年に一回行われてい
る「妄想大賞」など.)

質疑応答
サバイバーとは何かという問いかけに対して,自ら精神医療サバイバー
を名乗る広田和子さんから,「閉ざされた精神病院,精神医療から地域
へ生還してきた人」という意味だという応答があった.精神医療ユーザー
や,コンシューマーという表現もなされてきたが,それよりも強い意味
で,「精神医療サバイバー」という言葉が使われているということだっ
た.広田さんからは,現状の作業所の問題も指摘された.
また,身体障害をもつ参加者(太田修平さん)から,施設での自分自身
の経験から,精神障害とおなじような状況が,特に重度の身体障害を持
つ人々の施設(だけでなく地域でも)で見られると言うことが言われ
た.
また,青い芝の会などを起点とする「障害文化を主張できる」というこ
とと,「(何かを主張する)能力」は,どのような関係にあるのか,と
いう質問が他の方からあった.知的障害でも重度の人々や,痴呆症の老
人などと障害文化はどうつながるのか? これに対して山田さんは,
「ぼけることやぼけつつあること」を認め,そのような自分を肯定的に
見ることの必要性..のようなことを言われたと思うが,どうだっただ
ろう..「ぼけつつあることを認めなさい」ということを誰がどのよう
な立場から言うのかによって,それが「指導」になるのか,ならないの
かということが変わってくるだろう..という話で時間がきたように記
憶している.

以上が山田富秋氏の発言の報告になります.以下,別便になります.

◆南山浩二さんの報告

この報告は,瀬山紀子が書いています.

南山浩二さんの報告は,1999「精神保健福祉システムの変容と精神障害
者家族研究」『静岡大学人文学部人文論集第50号の1』pp.1-19に基
づいて行われました.

南山さんは,全国精神障害者家族連合会(通称:全家連)の研究所で働
いていたという経緯で,精神障害をめぐる問題に関わってこられたとい
うことから話し始められました.
現在,精神障害医療は,「病院から地域へ」ということが言われ,入院
期間の短縮などがいわれているが,一方で,「社会的入院」と言われる
人たちが少なく見積もっても7万人はいるという.これは,数年間横這
い状況.地域生活の必要性が言われながら,なぜ実体は変わらないのか
,それには,実質的に地域生活の場となっている「家族」に目を向ける
必要があるだろう...
ということで,「家族が,精神障害者の自立生活を不可能にする状況を
作り出す役割を担っている」ことを明らかにするという.(具体的な,
内容については,論文に書かれています.)

特に,家族が,精神障害当事者の代弁者になっている状況,保護的立場
に立ってしまうことの問題性をいわれていました.南山さん曰く,家族
も「精神医療文化」からのがれているとは言えず,今後,当事者にとっ
て「家族」がどのような意味を持っているのか,という「当事者の意味
世界」を考える必要があるだろうということでした.
南山さんは,そのなかで,「家族会」は,精神医療当事者との関係をど
のように変え,作り直していくかということを問われているという意味
で,分岐点にさしかかっていると捉えられていました.具体的には,論
文にも示されていたように,精神障害当事者のかたのセルフヘルプグ
ループや語りの可能性を見ていくと言うことだったかと思います.

質疑応答では,「家族会」の成立の経緯や,役割などが説明されまし
た.特に,家族会というのが,精神医療,治療の一環として専門家指導
で,成立してきたという経緯が話され,当事者の「翻訳者」としての位
置を家族が占めてきたことの問題性が指摘されました.
同時に,家族会が権利獲得や,生活実態調査などで果たしてきたプラス
の役割についても述べられました.
また,「親なき後」問題というのが,家族会のなかでは?,問題になる
ことがしばしばあり,それに対して,その問題の立て方自体が,「当事
者」の視点が欠けているという主張が当事者によってなされたと言うこ
とです.それに対する家族会,又は家族からの応答はなされていない,,
という当事者の方の話も出ていました.
その他,ハンナ・アーレントとケアの問題に関する話や,マスコミ報道
と精神障害者のイメージの問題などが,取り上げられました.

南山さんは,今回の発表は,これまでの自分の立場;福祉や医療に関係
する人々と仕事をしてきた,を相対化するために,障害学という幅の広
い場所での発表を試みたということでした.

南山さんの発表の報告は以上です.

◆マジッド・トゥルムサニさんのお話の報告

この報告は,瀬山紀子が書いています.


マジッドさんは,ヨルダン出身で,英国のリーズ大学で博士号を取られ
たところだという研究者の方です.研究内容は,ヨルダンにおける障害
者の社会,経済的ニーズ,政策論など.研究会には,日本の障害学を学
び,共有することが目的で,長瀬さんの紹介で,こられたということで
した.
障害学といってもヨルダンを含む発展途上国と,日本などの先進国の間
では,関心の方向が異なるということを指摘され,ヨルダンでは,生活
の基本的ニーズが問題になり,日本などでは,平等,人権,政策など,
基本的ニーズは,整った上での問題が出てきているのではないか,とい
うことを話されました.彼自身は,そのような違いも含めた国際的な視
点をもつ必要があるだろうということを強調されました.
また,イギリスでの障害学は,具体的な障害当事者の運動の取り組みと
の連携が明らかで,社会モデルという言葉も,障害学を通じて,現在で
は当事者の運動で広く使われているということがあるが,日本ではその
辺りの連携はどうなのだろうか,と問われていました.
障害学は,障害当事者の参加を必要とし,そのなかで現状の障害者を取
り巻く力関係を変えていくことが求められるということ.それは,社会
調査の方法,当事者のニーズを調べる方法とも深く関係しているという
こと.調査方法(誰が,どのように聞くか,)によって,そこにどのよう
な権力関係が働いているかが見えてくるということ.当事者のニーズを
調べるのに,家族に質問をしたという話は,そこに働く力関係を表して
いるという話.
障害者に関わることに,障害を持つ人々が関わることで,障害者をめぐ
る権力関係を変化させていくことが必要だ,,ということでした.

質疑応答では,ヨルダンでの障害を持つ人々をめぐる状況や,イスラム
教との関係などが話されました.
もっとも,最後は,時間が余りなく,質疑応答は,短い時間となりまし
た.あとは,交流会などで話されたのではないかと思います.

以上,9/25関東部会の報告でした.
瀬山紀子(お茶の水女子大学 大学院生)

 
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◆19990725
 第3回(関東)障害学研究会 於:東京

◆19990611
 第2回(関東)障害学研究会 於:東京

◆19990430
 第1回(関東)障害学研究会 於:東京

 199904 長瀬

関東での障害学研究会(関西との名称の調整も
いずれ必要ですね)ですが、第1回を下記で行います。
関心を表明された方にまず下記の日程で打診しましたが、
少なくとも7名の方が参加できるということなので、
連休の谷間ですが、以下で進めます。

日時  4月30日(金)午後6時ー9時
場所  東京都障害者福祉会館(最寄り駅 地下鉄三田・JR田町駅)
      電話 03ー3455ー6321 ファクス 03ー3454ー8166
テーマ 「障害学への招待」第1章(長瀬)・第2章(石川)・全体の構成
参加費  有料・金額未定(要約筆記等アクセス関係の費用を参加者で分担)

現在、要約筆記を手配すべく準備中です。他にアクセス面で必要が
ある方は早目にご連絡頂ければ幸いです。

よろしくお願いします。


UP:1999 REV:随時
障害学
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