◆星野行則訳による『学理的事業管理法』出版
=Taylor, F. W., The principles of scientific management, New York ; London : Harper & Brothers
(星野行則訳、1913、『学理的事業管理法』、崇文館→上野陽一訳編、1969、『科学的管理法』、産業能率短期大学出版部)
「科学的管理法なるものはけっして単一の要素ではなく、この全体の結合をいうのである。これを要約していえば、
一、科学をめざし、目分量をやめる
二、協調を主とし、不和をやめる
三、協力を主とし、個人主義をやめる
四、最大の生産を目的とし、生産の制限をやめる
五、各人を発達せしめて最大の高率と繁栄を来たす」(「科学的管理法の原理」(1911)上野陽一訳『科学的管理法』p.333)
◇「まず、日本は戦前戦後をつうじて、アメリカ的な経営管理方式を世界でもっとも熱心に輸入してきた国のひとつだといっても間違いありません。ところが、テーラーシステムの母国アメリカと比べての相違点として、以下のような三点をあげることができます。
第一は、アメリカの場合、テーラーシステムの開発者であるF・W・テーラーがなんのために誰と闘って開発に取り組んだのかというと、労働生産性を向上させるため、当時生産の管理権を独占していた熟練労働者あるいはクラフト・ユニオンから生産の実権を経営側に取り戻すためでした。そこで決定的な意味を持ったのは熟練労働者の熟練を解体することでした。そのためには、生産の計画と実行の分離を徹底してすすめなければならなかった。具体的には、作業の細分化と労働職務区分の厳密化、動作・時間研究による標準作業量の設定、差別出来高賃金、生産計画の専門部の創設や職調整の導入など、これらがタスク・マネジメントあるいは「科学的管理法」として体系化されたわけです。他方、日本でも一九一〇年代から官営大工場や民間大工場へのテーラーシステムの導入が能率増進というかたちで始まりますが、日本にはそれに抵抗し妨げるクラフト・ユニオンが存在しませんでした。だから、現場の労働者の熟練やクラフト・ユニオンを解体するという必要性はなかった。むしろ日本では科学的管理法を工場内に適用しようとした場合、労働者の熟練や主体的な生産管理能力を積極的に引き出し活用するというかたちがとられたのです。
第二は、アメリカでは労働者の職務区分を狭め固定化させることが熟練やクラフト・ユニオンを解体させる手段でしたが、同時に職務区分は労働組合によっても闘う武器になりました。経営側に職務区分を徹底して守らせることによって、労働者の諸権利や人間性まで守るといった意味合いがあった。日本の場合にもタスク・マネジメントをやるために、形式的には職務区分が導入されましたが、実質的にはそれは固定化されませんでした。要するに、日本では欧米のような職務区分の厳密な固定化といった状態が労使関係上の慣行になってこなかったということです。
第三の特徴は、日本ではテーラーシステムの導入過程で、労働生産性の上昇と賃金の上昇との間に密接な関係性を見出すことができない点です。このことの持っている意味はたいへん大きい。結局日本においてはテーラーシステムが導入されたけれども、それは一口でどんなかたちだったかというと、労働者は一生懸命「頭を使って」働けということです。しかし、頭を使っても賃金はとくに上がらないということです。一九世紀からヨーロッパではこういうふうな言葉があるわけです。'A worker is paid to work, not to think.'「労働者は、働くことに対して賃金が支払われるのであって、考えることに対して支払われるのではない」ということです。このような考え方の行きつくところがテーラーシステムだと思います。ところが、日本では、私流の言い方をしますと、'Must think, but not paid to think.'(「考えなさい、けれども考えることには賃金は払いません」)ということになってしまう気がします。労働者の労働態度として、頭を使って働けということがたえず要求されるにもかかわらず、それに対する賃金は支払われないのが日本の現実です。」(基礎経済研究所編『日本型企業社会の構造』 pp.238-240)