HOME > 事項 >

ヴァナキュラー vernacular


last update:20150528
Tweet


■目次


紹介
文献
引用


>TOP

■紹介

 ヴァナキュラーという言葉の由来は、インド―ゲルマン語系の「根づいていること」と「居住」からきており、さらにその由来はラテン語のvernaculumという用語から意図されたものである。すなわちヴァナキュラーとは、その土地ないしは、その集団ごとの暮らしに根ざした固有の領域を指している。ヴァナキュラー自体の位置付けは多義(「ヴァナキュラー写真」「ヴァナキュラー建築」、「ヴァナキュラーな言語」等々)にわたるが、本頁では、イヴァン・イリイチのヴァナキュラーのことを指している。

 イリイチのヴァナキュラーのなかにも、ヴァナキュラーな場所やヴァナキュラーな言語、ヴァナキュラーな道具、ヴァナキュラーなジェンダーなどと、ヴァナキュラーは諸々の対象を指すものとなる。そのヴァナキュラーの一例として、交通としての道路が開拓される以前、路地や広場における場所は、人々が主として出会い、交流し、別れる場であって、そこに居る人々のためのものであった。そこでのヴァナキュラーは、ある場所から自分の身の丈に合ったもの引き出し、道具として利用する生活のことである。イリイチはその主体たる人びとを自律的主体と表現する。そしてヴァナキュラーとは、生活における互酬性から由来する人間の暮らしであって、貨幣による関係や上からの配分に由来する暮らしとは区別されるものだとした上で、イリイチはヴァナキュラーを「人間生活の自立と自存」だとしている。
 一方で、ヴァナキュラーはあくまで貨幣による交換形態によっての獲得行為ではないし、制度化されたサーヴィスでもない。またイリイチは交換形態や制度を通して、商品やサーヴィスを享受する人々を従属的であるとし、そのような人々は「他律的主体」であると述べている。


>TOP

■文献

Illich, Ivan 『シャドウ・ワーク――生活のあり方を問う』,1981,岩波書店.
◆―――― 『ジェンダー』,1982,岩波書店.
西川 長夫 「差異とアイデンティティのための闘争の先に見えてくるもの――タゴールの反ナショナリズム論とイリイチの「ヴァナキュラーな価値」を手がかりに」,20081015,生存学研究センター報告4.


>TOP

■引用

『シャドウ・ワーク――生活のあり方を問う』より
Z軸の[垂直軸]の頂点には、影の経済に属する生活よりも、むしろヴァナキュラーな仕事、つまり生存に固有の仕事を置く考えを、私としては提案したい。それは支払われない活動であるにしても、日々の暮らしを養い、改善していく仕事であって、標準的な経済学の内側で開発された概念を用いた分析では、まったくとらえきれないものである。私はこうした活動にたいして「ヴァナキュラー」という語を当てたい。それというのも、「インフォーマルな部門」とか「使用価値」とか「社会的再生産」などの用語がカバーしている領域内では、この語によるのと同様な区別が可能な、一般に流布されている概念が他に見あたらないからである。ヴァナキュラーとはラテン語の用語であって、英語として用いられる場合には、有給の教師から教わることなしに習得した言語にたいしてのみ使われる。ローマでは紀元前五〇〇年から紀元後六〇〇年にかけて、家庭で育てられるもの、家庭でつくられるもの、共用地に由来するものなど、そのような価値のいずれをもあらわすことばでとして使われた。さらにまた、人間が保護し、守ることのできる価値――ただし市場では売買されない――をあらわすことばとしても使われた。商品とその影に対置させる用語として、この簡素な「ヴァナキュラー」ということばを復活させてみてはどうだろうか。このことばによって、〈影の経済〉の拡大と、その逆、つまり〈ヴァナキュラーな領域〉の拡大とを区別することが可能になると思われる。[Illich 1981:73]
ヴァナキュラーな仕事と産業労働――後者には賃金を支払われるものと支払われないものとがある――とのあいだに生じる緊張とバランスは、第三の選択の次元における中心的な問題であって、それは、政治上の左・右の次元、技術上のハード・ソフトの次元とは明確に区別される。[Illich 1981:74]
この新しい先導者たちは技術上の進歩を、伝統的でもなければ産業的でもなくて、人間生活の自立と自存を志向し、理性的に選ばれるような、新たなタイプの価値をささえることのできるひとつの媒介具とみなしている。彼らの生活は、多少とも成功裡に、美についての批判的な感覚、特別な喜びの経験、独自な人生観を表現している。こうした生活態は、ひとつの集団の内部で養われるものであり、隣りの集団ではいちおう理解されるかもしれないが、必ずしも共有されるとは限らない。彼らは、現代の道具が、進歩しつつあるさまざまなライフスタイルを可能にする活動によって、また古い時代の生存と自立が含む骨折り仕事の多くを取り除く活動によって、人間生活の自立と自存を可能にしているということに気づいている。彼らは生活のなかに〈ヴァナキュラーな領域〉を拡張する自由を求めて奮闘している。」[Illich 1981:76]
商品から独立化したライフスタイルは、それぞれの小さな共同体のなかで新たに形成されなくてはならず、強制されたものであってはならない。なによりもヴァナキュラーな価値によって生活している共同体では、他の人に与えられるものといえば自身のモデルの魅力以外にはなにもないのだ。……新しいやり方で生きることができるだけでなく、その上この自由を主張することができるためには、「ホモ・エコノミクス」という人間観と他のすべての人間のあり方との相違を明確に認識することが必要である。[Illich 1981:77]


*作成:安田 智博
UP: 20150522  REV: 0528
Illich, Ivan 分配/贈与  ◇生活・生存 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)