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非優越的多様性/優越なき多様性/非支配的多様性

Undominated Diversity


 内的賦与 (nternal endowment)
 外的賦与 (external endowment)
 包括的賦与 (comprehensive endowment)

◆Van Parijs, Philippe 1995 Real Freedom for All-What (if Anything) Can Justify Capitalism? Oxford University Press=20090610 後藤 玲子齊藤 拓 訳,『ベーシック・インカムの哲学――すべての人にリアルな自由を』,勁草書房,494p. ISBN-10: 4326101830 ISBN-13: 978-4326101832 \6000 [amazon][kinokuniya] ※

 "This procedure comes to a rest as soon as, for each pair of comprehensive, that is, internal-cum-external, endowments, there is at least one person who prefers either endowment to the other." (Van Parijs [1995:74=2009:120])

 「万人に付与される平等な金額を一律に減額し、「ハンディキャップをもつ」人への補償のための備蓄部分に充当することができる(おそらく、眼球手術のための資金などとして、彼らの内的賦与を増強するために使われるだろう)。包括的付与――すなわち、内的賦与プラス外的賦与――の各ペアを比較して、一方の賦与を他方の賦与よりも選好する人間が少なくとも一人あらわれた時点で、この手続は停止する。」(Van Parijs[1995:74=2009:120] 下線は本では傍点)

 "In this light, let us first consider the objection that our criterion justifies far too little redistribution. It is enough for one queer fellow to consider blindness a blessing for compensation to the blind to cease to be required. To tackle this challenge, one should begin by stressing that the relevant preference schedules must be genuine and somehow available to the people concerned. [・・・・] It can only stop when it is true that at least one person who knows and understands all the consequences of having B rather than A judges in the light of her coonception of a good life that B is no worse than A. Some of the queer fellows one may have in mind can no doubt be disqualified on the ground that they do not understand what they are talking about. If any are left, they are likely to belong to isolated subsocieties, whose cultural world is unavailable to others (this is precisely why these regard them as queer), and hence whose preference schedules cannot be viewed as generally available. If these two conditions are met, that is, if there is no problem with either understanding or availability -- and if, therefore, there is no 'queerness' left -- there is nothing shocking, it seems to me, in discontinuing redistribution." (Van Parijs[1995:77=2009:126])

 「この観点から、まず、われわれの基準ではあまりにも小さな再分配しか正当化できないという反論を検討することにしよう。一人の風変わりな人が、視覚障害とは神の恩寵であると考えるだけで、視覚障害の人に対する補償の要求を停止させるに十分なのである。この論難に対処するには、問題となっている選好表が真正のものでなければならないこと、さらに、当該社会の人々にとってなんとか利用可能でなければならないこと、これらを強調することから始めるべきだろう。[…]AではなくBを持つことの影響を知り尽くし、理解している少なくとも一人以上の人間が、彼女の善き生概念に照らして、BはAよりも劣っていくるわけではないと判断することが真である場合にのみ、停止できるのだ。本人たちが自分の語っていることを理解していないという理由で[社会的な]選好表から外される、風変わりな人たちを想定することは間違いなくできるだろう。その理由では外されないとしても、彼らは孤立した部分社会に属しがちであり、彼らの文化世界は他の人々にとって近付き難い(これこそが、他の人々が彼らを風変わりと見なす理由である)ので、彼らの選好表は一般的には利用不能と見なされるだろう。これら二つの条件が満たされるのであれば、すなわち、理解の点でも利用可能性の点でも何の問題もないのであれば――そうすれば「風変わりな人」は残らない――、再分配を縮小するのは何らひどいことではないと思われる。」(Van Parijs[1995:77=2009:126])

吉原 直毅後藤 玲子 200407 「「基本所得」政策の規範的経済理論――「福祉国家」政策の厚生経済学序説」,『経済研究』55-3:230-244 http://www.ier.hit-u.ac.jp/~yosihara/ronsou-9fukusikokkaseisaku.pdf

 「個人間での才能や労働技能の違いがある下では、外的資源の経済的価値の均等なシェアのみでは、才能や技能などの内的資源の賦存において不遇な境遇にある個人を補償するのに不十分であることが予想される。この点に関して、ヴァン・パレースはドゥオーキンの「資源の平等」論における「責任と補償」の観点に依拠しながら、個人の責任要因とは言い難い内的資源に関する不遇は、外的資源のより多い賦与によって補償されるべきであると主張している。ただし、その具体的な方法に関しては、ドゥオーキンの「仮想的保険市場」メカニズムを採用せず、代わりに「非支配的多様性(Undominated Diversity)」という基準を定式化した上で、それを満たすような配分方法を要請している。「非支配的多様性(Undominated Diversity)」とは、各個人に賦与する内的資源と外的資源の組み合わせ (「包括的資源(comprehensive resources)」と呼ばれる) に関する社会的ランキングの公理として定義される。すなわち、ある初期賦存に関して、全ての社会構成員が一致して、ある個人の初期賦存状態よりも他の個人のそれの方を強く選好するのであれば、この初期賦存は不公正な分配であると判断される。逆に、上記のような状況が起こらない限り、この初期賦存は公正な分配であると判断される。」(吉原・後藤[2004])

村上 慎司 2006/07/07「優越なき多様性について(On undominated diversity)」、Workshop with Professor Philippe Van Parij、於:立命館大学衣笠キャンパス→2007 報告書

 「優越なき多様性とは,ハンディキャップをもつ人々への補償を決定する基準であり,ヴァン・パレースは補償後に一律のベーシックインカムを給付する考えをを議論しているVan Parijs(1995, Ch. 3)).つまり,優越なき多様性こそが,先述した問題に対するヴァン・パレースの解なのである.この優越なき多様性のオリジナルは,ブルース・アッカーマンが提唱した分配基準である(Ackerman(1980)).ヴァン・パレースはそれを遺伝子や身体的能力,容姿のような移転不可能な内的賦与(internal endowment)だけでなく,貨幣や財のような移転可能な外的賦与(external endowment)も組み合わせた包括的賦与(comprehensive endowment)に関する分配基準として定義している.また,後述するように優越なき多様性は,経済学で頻繁に言及される無羨望状態としての衡平性と密接な関係がある.
 さて,優越なき多様性を用いることには,いくつかの問題点がある.まず,主観的選好に依拠するために生じる弱点である.このことは,合意の性質にも影響を与え,困難な問題を生じさせる.最後に,賦与における外的/内的という二分法の妥当性が疑問視される.
 これらの問題点に対して,アマルティア・センの社会的選択と潜在能力(capability)の観点から修正することを試みる.」(村上[2006→2007])

立岩 真也 2006/07/07 「質問(?)」Workshop with Professor Philippe Van Parijs 於:立命館大学

立岩 真也 2007/02/01 「ワークフェア、自立支援・3――家族・性・市場 17」,『現代思想』35-2(2007-2):8-19

 「他に、一人ひとりの違いに対応して保障は一律であるべきではないということが一つ。この主題はVan Parijs[1995]でも論じられているが、その論には奇妙なところがある。立岩[2006b]でこのことにすこしふれた。」

吉原 直毅 20070418 「ワークフェア(Workfare)とベーシックインカム(Basic Income)」http://www.ier.hit-u.ac.jp/~yosihara/rousou/ronsou-13.htm

 「「非支配的多様性(Undominated Diversity)」とは、各個人に賦与する内的資源と外的資源の組み合わせ(「包括的資源(comprehensive resources)」と呼ばれる)に関する社会的ランキングの公理として定義される。ある初期賦存に関して、全ての社会構成員が一致して、ある個人の初期賦存状態よりも他の個人のそれの方を強く選好するのであれば、この初期賦存は不公正な分配であると判断される。逆に、上記のような状況が起こらない限り、この初期賦存は公正な分配であると判断される。」(吉原[2007])

村上 慎司 2008/04/12「ベーシック・インカムと衡平性――Philippe Van Prijsの議論を中心に」,第2回ベーシックインカム日本ネットワーク準備委員会、於:同志社大学

 「Van Parijs による問題点の解決は,「優越なき多様性(undominated diversity)」という衡平性を利用
(hypothetical insurance market)」における「羨望テスト(envy test)」がある.
→「羨望テスト」は,理論経済学で言及される「無羨望状態としての衡平性(equity as no-envy)」と同じ概念である(「無羨望状態としての衡平性」に関しては,拙稿「経済学におけ→この発想の背景には,法哲学者Ronald Dworkin の平等論の中核にある「仮設的保険市場る衡平性の比較検討」を参照).
→「優越なき多様性」は「無羨望状態しての衡平性」の別のヴァージョンである.以下では,拙稿「福祉政策と厚生経済学の架橋についての試論」を参照する.「無羨望状態としての衡平性」は,任意の二者間で構成される.これに対して,「優越なき多様性」は三者間で構成される.Van Parijs によれば,Dworkin の「羨望テスト」は互いに相手の持ち分(資産だけでなく才能を含める)を選好する事態が頻出して,分配が実現される可能性が低くなる.これに対して,「優越なき多様性」は全員一致してある個人と他の個人を比較する.この条件が満たされるのは,障害を抱えた個人が該当するとParijs は考えている.
3 検討と課題
・優越なき多様性の性能:BI の制約条件であり,福祉の分配基準としては弱点を抱える.
→ Van Parijs の思考は,主流の厚生経済学がもつ価値判断の問題への態度と同じである.つまり,パレート効率性に代表されるように全員一致以外の判断は恣意的であると見なす立場である.
→これに対して,何らかの価値判断から「必要(needs)」を考慮した形でのBI は可能か.それとも,シンプルな一律給付のBI を遵守するべきか.」(村上[2008])

村上 慎司 2008/05/25「福祉政策と厚生経済学の架橋についての試論」,『経済政策ジャーナル』5-2:55-58(日本経済政策学会)

 「それでは検討作業に移るとまず,「優越なき多様性」は外部から与えられる基準を用いず,私的選好に基づく全員一致を分配基準の根拠にしている.このことは恣意性の回避という利点があるものの,適応的選好形成などの主観性に由来にする難問に直面する.これに対して,ヴァン・パレースは,選好の真正性と利用可能性を要請している.だが,選好の真正性の担保と利用可能性の明確化が必要だと思われる.
 また,私的選好による包括的賦与を福祉の指標と見なすことに疑問が生じる.なぜなら,諸個人の福祉を判断するために諸個人の差異への敏感さが求められ,包括的賦与は十分に把握できないと思われる.
 最後に,補償条件である「優越」での全員一致に目を向ける.これ以外の条件を課すならば,部分的に合意する人々の間で選択肢ランキングの循環性が生じる.ヴァン・パレースはこれを懸念している.だが,やはり強い条件であり,別の正当化を探るべきだと思われる.以上を踏まえて,次節では潜在能力からアプローチする.」(村上[2008])

岡部 耕典 2008/09/27 「関係性構築の消費/自由を担保する所得――ダイレクトペイメントとベーシックインカム」,経済と障害の研究(READ)プロジェクト研究会 http://www.eft.gr.jp/money/080927DP&BI_READ-ken.doc

 「残された課題1: ニーズ(必要)を考慮したBIは可能か?
 「優越なき多様性( Undominated Diversity)」(VanParijs1995,pp.58-88)の議論
   →村上(2008)を手がかりとしつつ
  「優越なき多様性( undominated diversity)」という衡平(equity)概念を用いることで障害のある個人に対して一律のBI以外の(手当等の)補償措置をおこなうことを正当化」

◆立岩 真也 2009/09/01 「『税を直す』+次の仕事の準備――家族・性・市場 46」,『現代思想』37-(2008-9):- 資料,

 「一つには、(知的能力も含む)身体の差に関わって社会に生ずる差異に対する対応について。この本では第3章「非優越的多様性」がこの主題に関係するのだが、訳書が出てあらためて読んでみてもやはりよくわらかないところが残る。徒労の予感もするのだが、考えてみようと思う。
 対して私(たち)の立場はすっきりしたものである。この社会(市場経済の社会)において生じる差異は――むろんそこで現実には依怙贔屓、偏見等も含む様々な力が働き、小さな差異が大きく増幅されることはいくらでもあるのだが――身体の力能(労働力商品としての価値)の差異に対応し、どうしても生じてしまう。それを市場の内部で解消しようとしてもそこには限界があり、うまくいかない。そこで政治的(再)分配も要請される。また、同じ暮らしをするのに(例えば介助・介護が必要で)資源を他の人よりも多く必要とする人たちがいる。すくなくともその超過分については社会的に支出されるべきである。分配の局面に限れば基本はそれで終わりであり、この差への対応が社会的分配がなされるべき根本的な理由でもある――人々がまったく同じ能力を有するのであれば、社会的分配の必要は少なくなるが、そんなことはありえない。その他の場面で身体に関わってその人が被る幸不幸については、不幸を生じさせる行ないが法的に禁止され強制によって規制されるべき場合もあり、それは適切でないとしても指弾されてよい場合もある。その結果不幸が完全になくなることはけっしてないのだが、それには仕方のないところがある。
 おおまかには以上に尽きると考える。しかし一律のベーシックインカムでは人と人の間の差異に対応することができずよくないのではないかという疑問に応えようとするヴァン・パリースの本の第3章「非優越的多様性」の論の運びはまったく別のものになっている。彼は、同じだけのベーシックインカムを得ている「二人の人間[…]のうちの一方が、肉体的にも精神的にも、他方の人ができる全ての事に加えてそれよりはるかに多くの事をできるとしたら、その二人は彼らが欲するであろう事をする実質的自由を同じだけ享受している、などと誰が言えるだろうか?」(Van Parijs[1995=2009:97])と述べて、「弱者」に対する対応がもちろん必要であると述べて、論を展開していく。そこに展開される議論は不思議で奇妙に私には思える。そしてそれは、いくらかはヴァン・パリースの個性によるところもあるだろうけれどもそれだけでなく、この数十年、おもには政治哲学の領域でなされてきた議論の枠組に規定されたものであり、さらに、次節以降検討しようと思う、生産と所有に関わるより強固な信仰、強固であるがゆえに自覚されることのない「癖」が関わっていると考える。とすれば、それを検討することもたんなる徒労ではない、かもしれない。」

立岩 真也 2010 "On "Undominated Diversity"", The Second Workshop with Professor Philippe Van Parijs http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2009/20100125.htm

立岩 真也 20100201 「ベーシックインカム・3:「非優越的多様性」――連載 51」,『現代思想』2010-2→ 文献表

立岩 真也 2010 「……」,『現代思想』→ 文献表

■文献

村上 慎司 2006/07/07「優越なき多様性について(On undominated diversity)」、Workshop with Professor Philippe Van Parij、於:立命館大学衣笠キャンパス→2007 報告書
◆――――― 2008/04/12「ベーシック・インカムと衡平性――Philippe Van Prijsの議論を中心に」,第2回ベーシックインカム日本ネットワーク準備委員会、於:同志社大学
◆――――― 2008/05/25「福祉政策と厚生経済学の架橋についての試論」,『経済政策ジャーナル』5-2:55-58(日本経済政策学会)
岡部 耕典 2008/09/27 「関係性構築の消費/自由を担保する所得――ダイレクトペイメントとベーシックインカム」,経済と障害の研究(READ)プロジェクト研究会 http://www.eft.gr.jp/money/080927DP&BI_READ-ken.doc
齊藤 拓 2009 「訳者解説」、Van Parijs[1995=2009:307-434]
立岩 真也 2006/07/07 「質問(?)」Workshop with Professor Philippe Van Parijs 於:立命館大学
◆――――― 2007/02/01 「ワークフェア、自立支援・3――家族・性・市場 17」,『現代思想』35-2(2007-2):8-19
◆――――― 2009/09/01 「『税を直す』+次の仕事の準備――家族・性・市場 46」,『現代思想』37-(2008-9):- 資料,
◆Van Parijs, Philippe 1995 Real Freedom for All-What (if Anything) Can Justify Capitalism? Oxford University Press=20090610 後藤 玲子齊藤 拓 訳,『ベーシック・インカムの哲学――すべての人にリアルな自由を』,勁草書房,494p. ISBN-10: 4326101830 ISBN-13: 978-4326101832 \6000 [amazon][kinokuniya] ※
吉原 直毅 20070418 「ワークフェア(Workfare)とベーシックインカム(Basic Income)」http://www.ier.hit-u.ac.jp/~yosihara/rousou/ronsou-13.htm
吉原 直毅後藤 玲子 200407 「「基本所得」政策の規範的経済理論――「福祉国家」政策の厚生経済学序説」,『経済研究』55-3:230-244 http://www.ier.hit-u.ac.jp/~yosihara/ronsou-9fukusikokkaseisaku.pdf


UP:20091230 REV:20100108, 10
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