「実際、法人税は転嫁されていることを実証する研究が続々と現われている。すでにコルムは1954年の時点で、法人税の税率が引き上げられたにもかかわらず、投資と法人利潤が増大していることから、法人税が転嫁されていることを指摘している。ラーナーとヘンドリクセン(Eldon S. Hendriksen)も、1927年から29年、36年から39年、55年から57年という三つの時期について考察し、いずれの時期においても著しく増税された法人税は、完全に転嫁されたと結論づけている。
こうして今や、法人税の転嫁を肯定する議論が、常識になっているといって<0177<もよい。このような法人税が、生産物市場で転嫁されているとすれば、法人税が直接税ではなく、間接税だといわなければならなくなる。租税に転嫁するか否かを確定することは難しい。シュタインがいうように、転嫁は不可知論の領域に属するといったほうがよいかもしれない。
そうだとすれば、転嫁の有無を分類とする直接税と間接税の区別は、きわめて曖昧な租税の分類の基準となる。そのため直接税と間接税の区別は、実際の転嫁の有無ではなく、立法上の規定に委ねられるようになっている。つまり、法律上、納税者が負担することを予定している租税が直接税であり、納税者が負担しないで、取引相手が負担することを予定している租税が間接税、と理解さているのである。」(神野[2007:177-178])
pp. 147-148
「クライナウ=メッツラー:それでは、企業は高収益を得た場合でも、企業は税金をまったく支払わなくてもよいというのですか?
ハードルプ:ええ、そうです。それを理解するために、まずはっきりさせておかねばならないことがあります。つまり、私たち消費者は、企業レベルで徴収される税金をそっくりそのまま商品価格に反映された形で支払うわけです―企業レベルでは税はことごとく価格に転嫁されて、したがってブーメランのように消費に跳ねかえってくる。消費者は、従来<0147<の 手続きでは、この税金を実質的に消費者が負担していることも、その規模も知らずに支払っているのです。企業と企業家は、企業を経営し、企業に投資するために、課税後の利益を必要とします。利益は一国の経済の成長能力を示すもので、それは経済が発展するための余地を意味します。このことがしばしば見えなくなるのは、企業家の消費収入と投資収入とが統計上では区別されずに「企業家利益」として表示されるという事情があるからです。元来これは、農民ならだれでも知っていることです。すなわち、収穫の一部は消費にまわされ、収穫の一部は種として保存されねばなりません(投資)。企業家は個人的な所得を得るだけでなく、なによりも彼らの投資を確保しなければならないのです。」([147-148])