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滑りやすい坂/滑り坂論/くさび論


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◆立岩真也 2015/03/01 「認知症→精神病院&安楽死(精神医療現代史へ・追記12)――連載 109」『現代思想』43-(2015-3):8-19

 「一つ、いったん始まるとその度合いが次第にはなはだしくなるという「滑り坂」、よって止めておかねばならないという「楔(くさび)論」の話はここでは有効だと思う。いくつかの国では、実際滑っていっているのであり、なんでもあり、になりつつある。そしてこの論は、杞憂でないことを証していないのにそのように言うとして批判されるが、この主題についてはそれは妥当しない。滑っていくことを正当化し楔になるものがないことを主張する論はあって知られているが(その一部は有馬[2012]に紹介されている)、滑り止めがあり楔があるという論は強くない。そして、先へ先へと進んでいこうという力は存在しており、現実にそれが現れている。そのことがよくないと考えるのであれば、停滞・後進の状態に留まっていることにも積極的な意義があることになる。」

◆立岩真也『私的所有論』第6章(p.240)・第6章注45(p.267)

「一方で、何かしてしまえば、最初は限定された範囲に限ったとしても、次第にその範囲が拡大し、やがて最悪の事態を招くだろう、だからそうならないように手を打っておかなければならないという「くさび論」がある。この種の議論は「滑りやすい坂」(slippy slope)論とも言われる。どのような根拠でどこまでを許容し、どこからを許容しないかを言わない場合には、確かに滑っていく可能性はある。だが同時に、どこまでも滑っていくかもしれないからすべてを認めないと主張することも、どこまでが(もしそれ以上に滑っていかなければ)問題はないのか、問題の本体はどこにあるのかを問わないですませてしまうことになる可能性があるということでもある◆45。」

「◆45 米本は、ナチス医療犯罪を研究したAlexander[1949]を「くさび論」の典型としてあげる(米本[1989a:194-195])。「滑りやすい坂」についてはWilliams[1985=1990]、Holtug[1993]、高橋久一郎[1996:93-94]等で議論されている。」(立岩[1997→2013:454-455])

◆Alexander, Leo 1949 "Medical Science under Dictatorship", New England Journal of Medicine 241 (July 14)

Whatever proportions these crimes finally assumed, it became evident to all who investigated them that they had started from small beginnings. the beginnings at first were merely a subtle shift in emphasis in the basic attitude of the physicians. It started with the acceptance of the attitude, basic in the euthanasia movement, that there is such a thing as a life not worthy to be lived. This attitude in its early stages concerned itself merely with the severely and chronically sick. Gradually the sphere of those to be included in this category was enlarged to encompass the socially unproductive, the ideologically unwanted, the racially unwanted and finally all non-Germans. But it is important to realize that the infinitely small wedged - in lever from which this entire trend of mind recieved its impetus was the attitude towards the nonrehabilitable sick.

森岡正博[1990:66]*[]内は立岩)
 *森岡 正博 1990 「遺伝子治療の倫理問題」,加藤・飯田編[1990:63-67] <428>

 「[遺伝子治療の]否定面では,まずクサビ論法がある。すなわち……体細胞の遺伝子治療はやがて生殖系列細胞の遺伝子治療に結びつき,果てには売買の対象になったり,優生学的に利用されたりする。このクサビ論法を無視できないのは,それが,人間の底にある「できることはみんな実際にやってしまう」という本性を見据えているからである。」


UP: REV:20150101, 0212
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