◆「若年失業は,単に仕事がないというにとどまらず,貧困,社会的孤立,犯罪や疾病,社会保障の権利の喪失など,重大な困難をもたらす。とくに発達の途上にあり,職業経験を積みながら社会関係を広げていくべき年齢段階における失業は,成人の失業とは異なる問題を生むものであった。若者が,社会的に要求されているあらゆるものへのアクセスができない状態にあり,社会生活上も孤立し周辺化する現象を社会的排除(social exclusion)のひとつととらえ,この状態に陥ることを防止するのが,若者政策の重要課題となった。
1990年代半ばまで,イギリスでは長期に失業状態にいる若者,さらには最終学校卒業後,一度も職に就くことなく公的給付に依存している若者たちを,アンダークラス(underclass)に特有の問題としてとらえる動きがみられた。働く意欲の低さや福祉への依存体質が労働者階級とは区別される下層階級の特徴として,攻撃された。増加するティーンエイジャーの未婚の母は攻撃の矛先となった(Murray,1990)。いっぽう,1990年代に一部の研究者は若年者の実態調査をもとに,若者をアンダークラス問題として扱うことに対して反論し,社会経済構造が,成人期への移行を危機に陥れていることに警鐘をならした(Coles,1995;Furlong and Cartmel,1997;Jones,2002)。
1997年に政権についた労働党ブレア首相は,社会的排除防止局(Social Exclusion Unit)をたちあげ,社会のメインストリームから隔絶された若者への取り組みを開始した。社会的排除防止局は,全国調査を実施し,その結果を1999年にBridging the Gapと題するレポートにまとめた。報告によれば,毎年16〜18歳の若者の約9%が学校にも雇用にも訓練にも就いていないNEET(Young people Not in Education, Employment or Training)の状態にある。しかし9%という数字は問題の深刻さを十分示す数値とはいえない。NEETの状態をどの程度続けているかが重要であった。ちなみに,6カ月以上が6%,12カ月以上が3%であった。特定の地域,学校,エスニックグループ,特定の状況にあるグループで,平均値を大幅に上回っているのは,社会的不平等の存在とその固定化を示すものであった。」(p.18)
◆「社会的排除は,1980年代に若者の長期失業など従来の社会保障制度では対応できない集団の存在に直面したフランスに起源をもつ言葉だとされている(Madanipour et al.2000)。これが次第に長期失業層だけでなく,地理的空間的に区分された大都市の周辺部やゲットーに暮らし,経済,政治,文化のあらゆる側面で,通常の機会や制度から切り離された特定集団の問題全体を指すものとして使われるようになった。ヨーロッパでは近年この用語をヨーロッパ連合(EU)の新しい社会統合の中心にすえようとする政治戦略が現れ,「社会的排除との闘い」という共通目的や社会的統合のための計画策定が加盟国に課せられたために,この概念が貧困に代わるものとして急速に普及している。なお,この排除された層を,アメリカでなかつての「下層社会」アンダークラスというラベルで呼んで,19世紀型貧困の復活という意味を印象づけた。
むろん,社会的排除論の背景にあるのは19世紀への逆行ではなく,欧米では1973年の石油危機と為替変動相場制への移行を期に急速に進んだ「ポスト工業化社会」とグローバリゼーションによる「われわれの社会」自体の根本的な変容だといわれている(Harvey, D. 1989)。ブースやラウントリーの把握した貧困は工業社会の労働者の貧困であり,さらに福祉国家は,大量生産体制を基本とする工業常用労働者とその家族の生活変動を制度設計のモデルとした。そこでは主に雇用と賃金の安定維持,また子供の養育費や高齢期のニーズなどライフサイクル上のリスクが考慮されたが,ポスト工業化社会は金融や情報などの新しい部門を膨らませるとともに,これらの部門を資本が次々と移動するため,これらを支える労働市場の再編が,不正規雇用の拡大,外部化や下請け化というかたちで進行した。グローバリゼーションによる世界市場での競争がこれらの「変動」をさらに加速させていると理解することもできる。また離婚や未婚の増大など家族の変容も指摘されている。
こうした変化のもとで,中間層の膨らんだ「気球型社会」から「砂時計社会」のような貧富の差の大きな両極社会へ移行していることや(Lepietz et al. 2000),貧困の期間の長い「貧困経験者」の増大が,同一集団をくりかえし調査するパネル調査の結果から明らかにされはじめた。この「貧困経験者」の構成では従来の高齢層の比率が減って,代わりに若年者,一人親世帯,移民層の比率が高まっていることから,これらを「新しい貧困」と呼ぶ人びともいる。社会的排除論は,この「新しい貧困」の一部を,社会総体との空間的,制度的位置関係において,捉え直そうとした概念であるともいえよう。空間的にも、制度的にも「排除」されて,社会の周縁に蓄積された「彼らの貧困」は,同質の労働者階級,市民層の中の連続する生活水準レベルの,ある「解決すべき」閾値だけで判断されるものではなく,「われわれの社会」総体の排除と統合の動態的プロセスの中でしか把握されない,ということのようやく社会の関心が向けられるようになったわけである。」(岩田・西澤[2005],p.6〜7)
◆「□イギリス政府の指針――Our Healthier Nation
健康戦略のための白書である“Our Healthier Nation”には1990年代の健康の社会的な格差は拡大しており,ほとんどの死因において社会の最下層の人びとが最も打撃を受けている、と明記されている(Department of Health 1999)。
「全国民の健康を改善すること」,「健康の不平等を是正すること」の2つを目的とし,特にがん,虚血性心疾患と脳卒中,事故,精神疾患の4分野に関してデータをもとに2010年までの達成目標値が掲げられている。それぞれの問題解決のための目標値を掲げるだけではなく,目標値に到達するための具体的施策もまとめられている。
“Our Healthier Nation”では,食事,運動,性行動など個人のライフスタイルの決定には個人のコントロールを超えた多くの要因が直接的に健康に影響を与えている場合がある,と言明している。また,その要因として貧困,社会的排除,雇用,住宅,教育,環境などを例にあげている。」(p.123)
◆「ルノワールは、「社会的排除」という言葉を使用した先駆者とみなされている。『排除された人々:フランス人の10人中の1人〈Les Exclus: un Francais sur dix〉』において、彼は、排除された人びと――すなわち、経済成長の果実を手に入れる術をもたない人びと――にスティグマを生じさせるような見方を説いた[Lenoir, 1974]。実際、社会的に排除された者とは、精神障がい者または身体障がい者、自殺する人びと、高齢者や病人、麻薬乱用者、非行に走る者、社会に溶けこめない人びとなどであった。これらのさまざまな人びとに共通することは、彼らが工業社会によって設けられた規範に適合していなかったということであった。つまり、彼らは社会的に不利な立場の集団であった。しかしながら、「社会的排除」という言葉はこの時期には限定された意味しかもたず、社会的な受容の範囲も限られていた。というのは、社会的排除は社会全体に影響をあたえることのない周辺的な現象にかかわるものであったからである。」(p.3)