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世帯更生資金貸付に関する報道


last update:20201031

■目次


世帯更生資金貸付制度の創設をめぐって
制度創設後〜1959年まで
1960年〜1969年
1970年〜1979年
1980年〜1989年まで(生活福祉資金貸付への改正をめぐる報道を除く)


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■世帯更生資金貸付制度の創設をめぐって



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■制度創設後〜1959年まで



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■1960年〜1969年



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■1970年〜1979年

◆1978年
◇厚生省、スモン恒久対策を12月実施――ハリ・キュウを週1回無料化、世帯融資。
(1978/10/10, 日本経済新聞 朝刊, 22ページ)
スモン患者を救済するための恒久対策を検討していた厚生省は9日、スモンの会全国連絡協議会の代表との交渉で、ハリ、キュウ、マッサージを週1回に限り無料化するほか、生活に困っている患者に世帯更生資金を貸し付けることを決め、いずれも12月から実施することを明らかにした。東京スモン訴訟の判決が出た8月に、同省では5項目の恒久対策を打ち出しているが、政府の具体的な内容を示したのは今度が初めて。



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1980年〜1989年まで(生活福祉資金貸付への改正をめぐる報道を除く)

◆1981年
◇“細る”世帯更生資金、泣く低所得世帯――原資不足20億円にも。
(1981/10/21, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ)
国と都道府県の補助金を原資にして低所得世帯に貸し出す「世帯更生資金」がピンチに見舞われている。利用者の急増などで原資が底をつきそうな状況になっているためで、同資金支給の窓口になっている都道府県の社会福祉協議会の半数以上が「原資不足」を訴えており、融資申し込みの受け付け業務をストップするところも出始めている。このままの状態ではこれから申し込みが増える子供の進学資金の貸し付けに応じられなくなるおそれも出てきており、全国社会福祉協議会(全社協、灘尾弘吉会長)では、「最終的には二十億円ぐらいの原資不足になりそう」として厚生省に追加補助を強く要請することにしている。  世帯更生資金の貸付制度は三十年度からスタートした。市町村民税の非課税世帯などの低所得世帯に生業費や療養費に必要な資金を長期、低利で貸し付けている。生活に困っている世帯の経済的自立を援助するのが目的で、更生資金(生業費)、身体障害者更生資金、住宅資金、修学資金など八種類ある。現在の対象人員は約一千万人とみられる。最も一般的な更生資金の場合、償還期限七年以内、年利三%で最高百六十万円まで借りることができる。  貸し付けの申し込みは地域の民生委員を通じて行い、民生委員から市町村の社会福祉協議会を経由して都道府県の社協で交付が行われる仕組み。この貸し付け原資は国が三分の二、都道府県が三分の一を負担、五十六年度の国庫補助金は三十三億円だった。現在の資金総額は約五百九十億円に達している。  これに対し、ここ数年の貸し付けは五十四年度三万四百件、五十五年度三万六千八百件とふえており、今年度はこれをさらに上回ることが予想されている。  このため全社協ではこのほど、都道府県社協の同資金運用状況を調査した。その結果、今年度末までの見込みで、「手持ちの原資でまかなえる」と回答したのは愛知県など七県、「まだ少し余裕がある」と答えたのは十五県で、北海道、東京、大阪、福岡など二十五都道府県が「原資が足りない」と訴えていることがわかった。原資の不足総額は全国で約十億円と見られる。しかし、全社協では「市町村社協の段階で受け付けをストップしているのを加えれば不足額は二十億円にのぼりそうだ」と言っており、制度発足以来初めてピンチを迎えた。  資金不足を招くほど貸し付け需要が急増した理由として全社協は、(1)北海道、東北地方を中心に夏場の風水害の被害が大きかった(2)国際障害者年を機に、身障者更生資金の限度額を百六十万円から二百万円に引き上げた(3)民生委員の活動強化で、同資金を利用する世帯が増加した――などをあげている。  一方厚生省では、「世帯更生資金の財政事情がひっ迫している地域が出始めていることは承知している。早急に詳しい調査を実施したい」(社会局生活課)としているが、現在の財政事情では補助金の追加交付は難しく、また、余裕のある県から不足している県に資金を回すことも制度上むずかしいため、対策に頭を痛めそうだ。

◆1982年
◇日本帰国の中国孤児養父母らの扶養、国が融資――厚生省が試案、別離の痛手救済へ。
(1982/07/08, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ)
厚生省は中国残留日本人孤児が帰国後、中国に残して来た養父母、配偶者などの扶養問題について検討を進めていたが、こうした残留家族の生活費を補償するため孤児に資金を貸し付け、公的機関を通じて送金することなどの方針をまとめ、七日開かれた中国残留日本人孤児問題懇談会(座長、円城寺次郎・日本経済新聞社顧問)に報告、了承を得た。厚生省は細部について関係各省と協議し、早急に中国政府と折衝することにしている。厚生省ではこのほか、帰国した孤児のために「収容センター」を設け、社会復帰を援助することも決めた。三十数年ぶりに日本の肉親と再会し希望に胸をふくらませて永住帰国する一方で、中国に残した養父母、配偶者らの扶養が現地で大きな問題になり、こじれた場合、肉親捜しがストップする恐れが出ていた。  養父母や配偶者、子供など、孤児が中国に残して来た家族の扶養については、五月末、孤児問題を協議するため厚生省援護局の岸本正裕庶務課長らが訪中した際、中国側が初めて正式に意思表示した。中国側によると、養父母の中には「一緒に日本に行きたくない」という人や、「養育した子供を帰したくない」と渋る人も多く、日本永住を望む孤児との間で感情的な対立も生じている。また配偶者や子供と別れ別れになるという新たな悲劇も生じているという。  厚生省担当者らとの協議で中国側は(1)養父母については老後保障のためこれまでの養育費相当額(2)妻については今後の生活費(3)子供は養育費――などの算定について日中双方で協議するよう求めてきている。  厚生省でも「孤児の帰国を円滑に進めるためには扶養問題の解決が先決」として、孤児への養育、生活費低利融資を決めた。  厚生省の試案では、帰国した孤児のうちで養父母らにこれまでの養育費や今後の扶養費を送金する必要があり、実際には支払いが難しい人に対しては、公的資金を低利で貸し付け、一定の据え置き期間の後に返済を始めさせるというもの。貸付事業、中国への送金は公益法人が代わって行う。同省は、現在生活保護受給世帯を中心に生活援護、技能習得などの資金として融資している現行の「世帯更生資金制度」を適用するか、あるいは新たに制度を新設するかなど、細部についてはさらに詰めることにしているが、いずれにしても世帯更生資金と同様、利率年三%程度、据え置き期間三年以内、償還期限は据え置き期間経過後七年以内のものを考えている。  孤児に貸し付ける金額は、これまでの養父母の養育費と今後の配偶者への生活費、送金手数料を合わせた額が限度で、養育費、生活費の基準は日中両国間で折衝する。  この問題をめぐっては、こうした費用は全額国が肩代わりすべきだとの声も出ているが、厚生省はあくまで孤児個人の問題であり、孤児が自立するためにも無償融資はしないことにした。  厚生省では今秋と来春の二回にわたり計百二十人の孤児を肉親捜しのため来日させることにしているが、中国側の“注文”がつき宙に浮いた形になっている。この日本案を中国側が受け入れれば、今後の残留孤児の身元確認作業や一時帰国も進むことになるものとみられる。  厚生省はまた、この日の懇談会の席上、帰国した孤児が日本での社会生活に早く適応できるよう日本語教育や生活指導を行う「収容センター」を設置する構想を明らかにした。  それによると、全国に一カ所収容センターを設け、帰国した孤児を三―四カ月間程度入所させて、集中的に日本語教育と生活指導をしようというもの。集中教育で短期間に効果があげられることや、ある程度日本語ができるようになってから社会に出るためトラブルも少なくなるなどのメリットが大きいが、問題は財政事情。  このため同省は全国に数カ所教室を開設し、いったん親元に帰った孤児が教室のある都市まで出て来て合宿、指導を受けるとか、各地に小規模の教室を開設、孤児が通うなど、代案も含め検討することにしている。

◇厚生省、中国残留孤児の親捜しは60年度に完了の方針――帰国者センター設置も計画。
(1982/08/07, 日本経済新聞 朝刊, 23ページ)
厚生省は六日開かれた中国残留日本人孤児問題懇談会(厚相の私的諮問機関)で、肉親捜しを依頼してきている孤児全員の訪日調査を六十年度までに完了したいとの方針を提示した。また孤児が日本に戻ってからの日本語教育と生活指導を効果的に行うため、中国帰国者センター(仮称)を設立する計画も示した。懇談会はこれらを含めた厚生省の孤児問題対策について二十六日、森下厚相に答申する。この日の懇談会では、最近の教科書問題をめぐって、孤児問題への影響を心配する声も出たが、出席した外務省の担当者は「教科書と孤児問題は別との感触を得ている」と報告した。  厚生省によると、ことし七月末現在で千三百九十一人の孤児から身元確認の調査依頼があり、五百七十人の身元が判明。同省は残る八百二十一人のうち、既に訪日調査に参加した三十八人を除く七百八十三人の訪日調査を進める考えだ。  調査は孤児が中年になっており、肉親側も高齢化して身元確認が年々困難になってきていることから時間的な余裕はないとし、五十八年度以降訪日させる孤児数を増やして六十年度までに肉親捜しを終了する予定。  一方、孤児が帰国後、言葉の壁などさまざまな障害があるため、厚生省はインドシナ難民を対象とした「難民定住促進センター」と同じような中国帰国者センター一カ所を来年度中に設ける計画。センターは定員が百五十人程度で、一回三―四カ月の期間、集中的に日本語教育と生活指導をし、年間延べ約四百五十人を収容、費用は全部国で負担する。  設置場所は東京周辺が考えられており、孤児以外の引き揚げ者も希望があれば入所させる。  残留孤児の肉親捜しに関しては、このほか中国政府から中国に残された養父母や配偶者の生活補償をしてほしいとの申し入れで、同省はこの費用を生活保護家庭などに貸し付けている「世帯更生資金」を利用、孤児に貸し付け、送金させることを決めた。同省はこの貸し付けのための公益法人を近く新設する。

◇群馬県、国際障害者年の長期計画を策定――スポーツ大会など開催。
(1982/11/23, 日本経済新聞 地方経済面 (北関東), 4ページ)
群馬県は国際障害者年群馬県長期行動計画(昭和五十七―六十六年度)を作った。障害者福祉の基本的方向と施策の目標をまとめたもので、主な柱は(1)第十九回全国身体障害者スポーツ大会「愛のあかぎ大会」を契機とした啓発の強化(2)小児医療センターを活用した早期発見、早期治療体制の確立(3)県立身体障害者総合スポーツセンターの建設――など。  雇用促進面では、前橋高等職業訓練校を障害者のための重点的受け入れ校と定め、訓練施設を整える。自営業に従事する障害者を育成するため、世帯更生資金、開業資金などの貸付制度を活用するとともに、公共施設内で優先的に売店を出せるようにする。また心身障害者職業センターと連携して、職業能力の判定、指導の充実を図る。

◆1983年
◇中国残留日本人孤児問題、日中事務レベルで協議――行き詰まり打開。
1983/01/13, 日本経済新聞 朝刊, 26ページ
養父母対策などで行き詰まっていた中国残留日本人孤児問題打開のため、日中両国政府の本格協議が十二日から再開された。外務省で開かれた初会合には、中国側から十日来日した劉慶有・外交部領事司(外務省領事局)副司長、李宝林・同副処長の二人と中国大使館関係者、日本側から厚生、外務、法務の関係各省担当者が出席、約二時間にわたって事務レベルの協議をした。  この日は、主に日本側から昨年十月、中国政府に提示した養父母らを扶養する公的資金(世帯更生資金)の孤児への貸し付け、送金手段として公益法人を新設する問題など孤児対策全般にわたって詳しく説明し、改めて中国側に理解を求めた。また、五十八年度予算案で中国帰国者が自立するための施設、中国帰国者センター(仮称)建設費四億三千三百万円が認められたことも伝えた。

◆1984年
◇58年度の栃木県内低所得者・障害者向け世帯更生資金、3年ぶりに貸出額増加。

(1984/01/28, 日本経済新聞 地方経済面 (北関東), 4ページ)
栃木県社会福祉協議会が行っている県内低所得者、身体障害者向けの世帯更生資金の貸出金額が、五十八年度は三年ぶりに増加に転じることが確実となった。特に今年度は身体障害者更生資金のウエートが高まってきているのが特徴。「過去の例では景気が良い時ほど貸出金額は伸びる傾向」(同協議会)があり、ここにきての景気回復を反映したものと関係者はみている。  世帯更生資金は低所得者の修学資金や身体障害者の更生資金などを貸し出す制度。各地区の民生委員を窓口として受け付けているもので、貸付金利も修学資金が無利子で他は年三%と低利だ。  同協議会の調べでは、同資金の貸出金額は五十五年度をピークにして減少傾向をたどり、五十七年度は約一億七百三十万円となっていた。特に住宅資金の貸し出し減少が目立っていたが、五十八年度の貸出金額は昨年十二月末までですでに約一億五百六十万円と前年度並みとなり前年同期比では三七%増となった。特に前年度は貸出金全体の二五%のウエートだった身体障害者更生資金が今年度は三七%の割合にまで拡大している。

◇栃木県、59年度から勤労者向け融資制度開始――生活資金に50万円、サラ金苦防止
(1984/02/19, , 日本経済新聞 地方経済面 (北関東), 4ページ,)
栃木県は中小企業の従業員などに生活資金を貸し付ける「勤労者生活資金融資制度」を五十九年度からスタートさせる。県内では大企業のように低利の社内融資制度を持たない中小企業も多く、こうした勤労者の緊急時の生活資金を貸し付けようというものだ。五十九年度の国の予算案では、来年度から医療保険についてサラリーマンなどの被用者本人の負担が現行のゼロから一割に、六十一年度にはさらに二割に引き上げられるなど、今後、厳しさを増しそうな勤労者の生活費負担の増加に対処しようというねらいだ。  勤労者生活資金は、勤労者やその家族の災害、事故、傷病、盗難、冠婚葬祭、出産などの不時の出資や、教育費などを貸し付ける。企業などに勤める一般の勤労者ならだれでも融資を受けられるが、借り手の中心は、身近で安心できる借入先を持たない中小企業の従業員が主体となりそう。「こうした勤労者がやむなく高利のサラ金から借りて返済に苦しんだりするケースの防止にもなれば幸い」(県労政課)と県では期待している。貸付限度額は一件当たり五十万円で、返済は期間五年以内の月賦払い。金利は年六・二%前後を予定している。現在、一般勤労者を対象とした県の融資制度としては失業者向けの失業者生活安定資金があるが、ここ数年、年間千二百万円の融資枠に対して利用額は半分以下と貸し付けが低迷している。  このため、新しく作る勤労者生活資金の原資は失業者生活安定資金の原資と一元化して、融資枠も失業者資金の利用が少なそうな時には勤労者資金の枠を拡大するといった弾力的なものとする。両資金合わせた融資枠は七千五百万円程度。預託する金融機関は栃木県労働金庫でここが貸し付け窓口となる。  低所得者層や身体障害者に対する融資制度としては、県社会福祉協議会が行っている世帯更生資金の制度があるが、これらのどの融資対象にもならない中小企業従業員などへの貸し付け制度の新設が望まれていた。

◇カネミ訴訟、国が和解を拒否――「法的責任ない」、きょう回答へ。
(1984/02/09, , 日本経済新聞 西部朝刊 (社会面), 17ページ)
カネミ油症訴訟で福岡高裁民事四部(美山和義裁判長)から一月中旬、和解の勧告を受けた国側の法務、厚生、農水の関係三省は八日までの内部協議で「和解拒否」の方針を固めた。九日、三省の関係局長がそれぞれの見解を持ち寄って協議、最終的な国の意見を取りまとめたうえ、同日午後、福岡法務局を通じて裁判所側に伝える。  国が和解に応じない理由は、事件発生当時の状況から油症被害拡大の予見は困難で「国に法的責任はない」と、これまで一、二審の審理経過で厚生、農水両省が主張してきた内容と変わらない。  このほか一審判決では国が勝訴しており、法的責任が明らかでないのに和解に応じる根拠がない点や、政府の財政事情なども「和解拒否」の背景にあるようだ。  厚生省は当初から「食品衛生法上の責任問題はない」との態度を取り続けており、今回の勧告を受けての内部協議でも、和解に応じると、今後あらゆる食品公害事件で国側の責任を認めなければならなくなるとしている。  しかし法的責任とは別に被害者救済については従来通り、患者・家族に対する世帯更生資金の優先貸し付け、年二回の検診実施、治療法の開発・研究に前向きに取り組むとの意向を「和解拒否」に当たって強調する方針。(後略)

◇カネミ油症判決、患者は生活不安訴え。
(1984/03/16, , 日本経済新聞 大阪朝刊 (社会面), 16ページ)
カネミ油症全国統一第一陣訴訟原告団(三吉康広団長)は十六日までに、一陣原告七百十九人を対象に、被害の実態や生活状況を調べた結果をまとめた。それによると、油症発生から十六年たった現在も、なお手足のしびれや内臓疾患などさまざまな症状に苦しみ、生活不安を訴えている姿が浮き彫りになっている。  調査は昨年九月から十二月にかけて行い、四百五十二人(六二・九%)から回答があった。  調査結果によると、現在、吹き出物のある人が全体の六〇%に当たる二百七十二人いたほか、色素沈着が五三%、頭部の脱毛が三二%と油症特有の皮膚疾患が依然多く残っている。また手足のしびれや目やにが出たり、視力の低下などで満足な日常生活が送れない人が全体の半数以上いた。  日常生活では寝たきりの人が四人、ほとんど寝たきりが十九人おり、百三十六人は「仕事がきつい」と答え、配転させられた人や退職を迫られている人も。このため職場で自分が油症患者であることを隠している人が百十九人もいる。  一方、国の世帯更生資金や市町村の生活資金を借りている人が半数近くおり、医療費がかさんで経済的にも苦しい状況。  治療については、回答者全員が早く治療法を確立し、すべての医療機関で無料で治療を受けられるよう訴えている。  この調査結果について岡林勝芳第一陣原告団事務局長は「このアンケート結果は、油症患者が何を望んでいるかを端的に表したものだ。油症が完全に治っておらず、生活が依然苦しいことが分かると思う。被告はこの結果を無視できないはずだ」と話している。

◆1987年
◇三原山噴火から1年、観光客大半日帰り――融資がたより生活再建。
(1987/11/15, , 日本経済新聞 朝刊, 31ページ)
伊豆大島三原山で約二百年ぶりの大噴火が起きる前触れとなった噴火から十五日で丸一年。新名所となった割れ目噴火口や、三原山外輪山周辺に団体客らの姿が増え、島はにぎわいを取り戻しつつある。しかし、噴火への警戒感から宿泊客は激減、総額約二十二億三千万円に上る災害関係貸付金の返済問題など、大噴火の後遺症は今も残り、復興への道は遠い。  「怖いもの見たさで大島観光に来るものの、昨年の大噴火を思い起こすせいか、家族連れや老人の団体客はほとんど日帰りなんです」と嘆くのは大島町中部民宿組合長・高田福次さん(65)。  同町の調査では、六月に天皇陛下が視察されたこともあり、一カ月当たりの来島者数は約三万三千人(一―十月平均)と、前年比八七%まで回復した。しかし、このうち島内に宿泊する人は二割程度。噴火前はほぼ六割が一泊以上滞在していたから、島内二百軒(収容能力約七千人)の民宿、旅館、ホテルの痛手は大きい。  三原山観光のシンボルだった乗馬組合の四十人は今も失業状態。流出溶岩で登山道が埋没した上、乗馬コースのカルデラ内が立ち入り禁止区域に指定されているためだ。四十四頭いた馬のほとんどは千葉県内の知人に預け、組合員は島内の建設工事現場などで働いている。  大島の人たちが災害復興のために都、町から借りた資金は、世帯更生、中小企業、農、漁業など各種で総額約二十二億三千万円に上る。このうち一般の島民が生活資金や住宅修復のために借りた「世帯更生資金」は、六十年度の約九百万円から、一挙に約五億六千万円にはね上がった。  植村秀正町長は「全島民が融資金を滞納せず返済できた時、初めて復興と言えるだろう」と語る。  三原山では最近も火山性地震が連続しており、気象庁火山噴火予知連の見解は「なお厳重な警戒が必要」としている。全島民避難の一周年に当たる二十一日には、島ぐるみの総合防災訓練が予定されている。

 

 




*作成:角崎 洋平
UP: 20101031  REV:
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