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規律社会/管理社会
労働
作成:
橋口 昌治
(
立命館大学大学院先端総合 学術研究科
)
■ジル・ドゥルーズ1990→19920420『記号と事件』河出書房新社
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/deleuze.htm
「――フーコー論で、それからINA(国立視聴覚研究センター)のテレビ・インタビューでも、あなたは権力の三つの実践形態をつきつめて研究しなければな らないと提案しておられます。三つの実践形態とは、まず「君主型」、それから「規律型」、そして特に重要なのが「コミュニケーション」をあやつる「管理 型」の権力であるわけですが、この最後の形態が、いま、ヘゲモニーを獲得しようとしています。管理型権力の筋書きにしたがうと、一方では言論や想像力にも およぶ完璧このうえない支配の達成が想定されています。しかしもう一方では、いま、かつてないほどの勢いで、すべての人間、すべてのマイノリティ、そして すべての個別性が発言権をとりもどし、それと同時に自由の度合いを高める潜在能力をもつようになってきた。『グルントリッセ』のマルクス的ユートピアで は、コミュニズムは自由な個人を横断する組織の形状を呈し、その条件を保証するものとして技術的基盤が位置づけられていました。では、いまでもなお、コ ミュニズムは成り立つのでしょうか。コミュニケーション社会が到来したいま、コミュニズムは従来ほどユートピア的ではなくなったのかもしれません。この点 をどうお考えになりますか。
ドゥルーズ――私たちが「管理社会」に足を踏み入れているのはたしかです。社会はもはや規律型とは言いきれないものになっているのです。フーコーは、規 律社会と、その主たる技法である「監禁」(病院や監獄だけでなく、学校や工場や兵舎もそこに含まれる)の思想家とみなされることが多い、しかし、じつをい うと、フーコーは、規律社会とは私たちがそこから脱却しようとしている社会であり、規律社会はもはや私たちとは無縁だということを述べた先駆者のひとりな のです。私たちは管理社会に足を踏み入れている。管理社会は監禁によって機能するのではなく、不断の管理と瞬時に成り立つコミュニケーションによって動か されている。管理社会について、分析の口火をきったのはバロウズでした。(…)これから先は教育が閉鎖環境の色合いをうすめ、もうひとつの閉鎖環境である 職業の世界との区別も弱まっていくだろうし、やがては教育環境も職業環境も消滅して、あのおぞましい生涯教育が推進され、高校で学ぶ労働者や大学で教鞭を とる会社幹部を管理するために「平常点」の制度がととのえられていくにちがいありません。学校改革を推進するかに見せかけながら、実際には学校制度の解体 が進んでいるのです。管理体制のなかでは何ひとつ終えることができない。(…)管理やコミュニケーションの社会によって、「自由な個人を横断する組織」の かたちで考えられたコミュニズムを成り立たせる可能性を秘めた形態が生まれるのではないか、あなたはそう質問なさった。私にはよくわかりません。もしかす るとあなたのおっしゃるとおりになるかもしれない。しかし、それを支えるのはマイノリティによる発言権の回復ではないはずです。言論とかコミュニケーショ ンとかいうものすでに腐敗しきっている恐れがあるからです。(…)そこで重要になってくるのは、管理をのがれるために非=コミュニケーションの空洞や断続 器をつくりあげることだろうと思います。」(p.287-290)
「主体化も〈事件〉も脳も、私にはどうも同じものだと思えてならない。世界の存在を信じることが、じつは私たちにいちばん欠けていることなのです。私たち は完全に世界を見失ってしまった。私たちは世界を奪われてしまったのです。世界の存在を信じるとは、小さなものでもいいから、とにかく管理の手を逃れる 〈事件〉をひきおこしたり、あるいは面積や体積が小さくてもかまわないから、とにかく新しい字空間を発生させたりすることでもある。これはあなたが「ピエ タ」とおっしゃったものと同じです。抵抗する能力はどれだけのものか、あるいは逆に管理への服従はどのようなものなのかということは、具体的なこころみの レベルで判断される。創造〈と〉人民が同時に必要なのです。
「前未来」創刊号、一九九〇年春
聞き手――トニ・ネグリ」(p.291)
「T.沿革
フーコーは規律社会を十八世紀と十九世紀に位置づけた。規律社会は二十世紀初頭にその頂点に達する。規律社会は大規模な監禁の環境を組織する。個人は閉 じられた環境から別の閉じられた環境へと移行をくりかえすわけだが、そうした環境にはそれぞれ独自の法則がる。まず家族があって、つぎに学校がある(「お まえはもう自分の家にいるのではないぞ」)。そのつぎが兵舎(「おまえはもう学校にいるのではないぞ」)、それから工場。ときどき病院に入ることもある し、場合によっては監獄に入る。(…)しかしフーコーは、規律社会のモデルは短命だということも、やはり知りつくしていた。規律社会のモデルは、目的と機 能がまったく違った(つまり生産と組織化するというよりも生産の一部を徴収し、生を管理するというよりも死の決定をくだす)君主制社会の後を受けたもので ある。(…)」(p.292-293)
「したがって、改革の名のもとに問題となっているのは、死に瀕した諸制度に管理の手をさしのべ、人びとに暇つぶしの仕事を与え、目前にせまった新たな諸力 がしっかりと根をおろすのを待とうということにすぎないのだ。こうして規律社会にとってかわろうとしているのが管理社会にほかならないのである。「管理」 とは、新たな怪物を名ざすためにバロウズが提案した名称であり、フーコーが私たちの近い将来として認めているのが、この「管理」なのだ。ポール・ヴィリリ オもまた、いわば戸外で行使される超高速の管理形態を分析し、これが、閉じられたシステムの持続において作用した旧来の規律にとってかわるだろうと述べて いる。途轍もない規模に達した薬品の生産や、組織的な核兵器開発や遺伝子操作などは、たとえそれが新たなプロセスに介入してくる運命にあったとしても、あ えて引き合いに出すにはおよばない。もっとも冷酷な体制はどれなのか、あるいはいちばん我慢しやすい体制はどれなのかということは考える必要がない。冷酷 な体制でも、我慢できる体制でも、その内部では解放と隷属がせめぎあっているからである。たとえば、監禁環境そのものともいえる病院の危機においては、部 門の細分化や、デイケアや在宅介護などが、はじめのうちは新しい自由をもたらしたといえ、結局はもっと冷酷な監禁にも比肩しうる管理のメカニズムに関与し てしまったことも忘れてはならない。恐れたり、期待をもったりしてはならず、闘争のための新しい武器を探しもとめなければならないのである。」 (p.293-294)
■
酒井 隆史
20010723 『自由論』青土社
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0107st.htm
「(…)ちょうど日米欧三極委員会の『民主主義の統治能力』報告は七五年に提出されているが、それは、フーコーのいう規律・訓練権力の装置の配備の場とな る「市民社会」の危機を明確に記していた(16)。
それから一九七〇年代の後半にはフーコーは規律社会の終焉を展望している。フーコーはそこでは、リジッドなアイデンティティを主要な照準点として行使さ れる権力形態としての規律はもはや過去に属する権力テクノロジーであると断言しているのである。たとえば「ここ数年で社会も個人も変化してきており、ます ます多様化し自律的になっています。規律によって強制されたのではない人びとのカテゴリーがますます増大しているのです。それゆえ規律なき社会の発展を想 像するよう要請されています。支配階級はいまだ古いテクノロジーにとりつかれているようですが」(1978c p.533「規律社会の危機」)。」(p.34)
「ところが危機管理・緊急状態のポリティクスのメカニズムの機軸にあるのは「抑圧」ではなく〈排除〉である。それは「正常状態」の達成と維持を、媒介を省 略して性急に、そして暴力的に実現しようと試みる。〈排除〉の機制のもとでは、コンフリクトはシステムの言語に翻訳されないのであり、コンフリクトは正当 性の場に登録されないのである。敵対的な社会実践は端的に病理でありテロルとしてたちあらわれる。ただし問題は、こうした危機・緊急状態のポリティクスが ネオリベラリズムにおいては「正常な」統治のメカニズムを構成する傾向にあるという点である。」(p.35-36)
「ふたたび湾岸戦争を例にとるならば、それはネオリベラリズムのポリティクスの背後に存在する新しい権力のダイアグラムの存在をかいまみせているだろう。 現代の戦争においてはもはや陣地戦(war-of-position)は決定的に無効になるのである。陣地戦は時間・空間的にローカルに限定されたポジ ション、「場所(place)」に依存した闘いである。(…)つまりアイデンティティに依存する闘いは、スムーズな平面、あるいはマニュエル・カステルが 「場所(place)」に対比させる「フローの空間」のうちで完全に権力によって掌握されてしまう(Castells 1996 pp.376-423)。「無限にプログラム可能なコードと情報のフローで構成されたサイバースペースのスムーズ平面」、これが、規律社会以後の、すなわ ち「管理統御(コントロール)社会」(ドゥルーズ)の隠喩的空間なのである。資本主義のグローバル化の文脈でいえば、情報化によって資本は、世界のどこで あれ、投資と生産のための最適な環境を瞬時に把握し貨幣を動員する。それは国民国家のような「場所」に依存した単位を超えて、リアルタイムに世界単位で作 動するのである。」(p.38-39)
■Lazzarato, Maurizio 2004
La polotica dell'evento
,Rubbettino Editore.=20080625 村澤 真保呂・
中倉 智徳訳
『出来事のポリティクス――知‐政治と新たな協働』
,洛北出版,382p. ISBN-10: 4903127079 ISBN-13: 978-4-903127-07-1 \2800
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※ autonomia f05 sd-sc1
■熊沢 誠 20060220
『若者が働くとき――「使い捨てられ」も「燃えつき」もせ ず』
,ミネルヴァ書房,220p. ISBN-10: 4623045935 ISBN-13: 978-4623045938
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「ことの性質上はっきりとは時期を明示できませんが、およそ九〇年代以降の若者は総じて、就職先や職種や雇用形態の選択については、あなたの個性を発揮で きるようにあなた自身が選びなさいと投げ出されています。若者は長期にわたる「自分探し」が許され、「自分」が見つかるまでは、つまり「本当にやりたいこ とが見つかるまでは」、学校卒業後も就業上のステイタスは「とりあえず」でよいと認められています。ここには実は大きな階層差があって、恵まれない階層出 身の若者ほど無収入の「自分探し」を許されていないのですが、今では「就職斡旋力」の衰えた学校はもとより、貧しい親にしても、子弟を「いやでも地味な仕 事に就かせる」説得力を喪っているのです。」(p.119)
「およそ一五〜二〇年ほど前まで、日本の家庭や学校や企業は、次代を背負う若者たちにしかるべき成熟を遂げさせるように一種の「まともさ」を強制してきた と思います。」(p.120)
「家庭、学校、企業という三つのエスタブリッシュメント(既存の権威)が若者に迫ってくる「まともさ」への、ソフトに言えば誘導に、ハードに言えば強制 に、当時の若者は大勢としては従い、地味ながら堅実な生活者に成熟してゆきました。そして、そこに管理社会の支配を感じとった少数者は、反主流派の労働運 動や、八〇年代にはかろうじてまだその名に値した革新政党や、学会や言論界に立てこもって別の生きざまを模索する「左翼」になりました。ともあれ、ここで もっと注目すべきは、上に述べたような既存の権威による若者の誘導または強制は、一九九〇年の頃から急速に後退しているようにみえることにほかなりませ ん。」(p.122)
「このような「まともさ」への誘導または強制の後退は、つい最近に政府が若者労働対策に乗り出すまで、新自由主義という時代のキーワードだけを掬いとった スローガン、「自己選択」「個性尊重」の名のもとに正当化されてきました。つまり職業・職場選択の文脈では、「自分探し」は若者自身に丸投げされているの です、「やりたいこと」はきみ自身が探すんだよ、と。ちなみに基本的な感性がつくられるのは一五〜二五歳の時期といわれますが、二〇〇五年のいま、三五歳 の人の感性形成期は八五年〜九五年、いま二五歳の場合は九五年〜〇五年に当たります。いずれも完全に上の「後退」以降に属します。問題はこの「丸投げ」さ れた「自己選択」の現状なのです。」(p.124)
*このファイルは文部科学省科学研究費補助金を受けてなされている研究(基盤(B)・課題番号16330111 2004.4〜2008.3)の成果/の ための資料の一部でもあります。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/p1/2004t.htme
UP:20070806, 20090624 REV:0808
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