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自己決定を巡る言説 医療




◇唄孝一 1965(町野[1986:15]紹介)
◇松田道雄 1969(町野[1986:274]に引用)
◇町野朔 19860131『患者の自己決定権と法』より
◇八木晃介 19871225
◇小松美彦 1996『死は共鳴する』より
◇山口研一郎編 1998より

唄孝一 1965

「この考え方の基本的発想は次のシュミットのことばの中に端的に表現されている。
 「しかし裁判所が、そもそもこの意味で患者の自己決定権を力強く保護しようと努めることは、根本的には全く正しい思想である。患者の自己決定権に対する尊重は、医師の黙秘義務とともに、医師と患者との間の人間的=道義的関係の中の本質的契機の一つであり、それなくしては信頼関係は存続しえない。患者は、手術を受けるかどうか、そして(何にもまして)誰に手術を受けようとするかについては、自ら決定しなければならない。……」(E.Schmidt, Arztliche Rechtskunde, bei: Ponsold, Lehrbuch der gerichtlichen Medizin, 2. Aufl., 1957, S.37)……」(唄[1970:4])
「端的にいうと、当問題の底にある問題は二つの価値の対立であり、その二つの価値の間の優劣の問題であると説かれることが多い。一つは、個人の自己決定権 personale Selbstbesitimmung、一つは生命、健康、幸福 Leben、Gesundheit、Wohlergehen である。前者が Volenti aegroti suprema lex(意思は至上の法)を説くのに対し、後者は Salus aegroti suprema lex(健康は至上の法)を説くのである(2)。」(唄[1970:64])
 「(2) ……カウフマン… (S.360)」(p.66)
(唄孝一196502「医事法の底にあるもの――一つの思想的状況」,『契約法大系』補巻。執筆は1964年7月→唄19700320『医事法学への歩み』,岩波書店,pp.1-76(第1章))

◆町野朔 19860131『患者の自己決定権と法』,東京大学出版会,365+7p. 5800

「ドイツにおいては,専断的治療行為が障害罪(Korperverletzung)として刑法上加罰的であることを認めたライヒ裁判所の判例(骨癌判決)が一八九四年に登場,アメリカにおいては,患者の授権のない治療行為が assault and battery として,民事上,不法行為責任を発生させることを認めた判例が一九〇五年に出ている。しかし,わが国で専断的治療行為を行なった医師に責任を肯定した判例は,後に紹介するように,戦後もかなりあとの昭和四六年になってからはじめて出現するのである。それまでは,専断的治療行為の違法性を明確に認めた判例は存在しなかったとい(p.13)ってよいであろう。」(pp.13-14)

唄孝一 1965

「……唄教授は昭和四〇年に「治療行為における患者の承諾と医師の説明」という論文を発表され……た。唄教授の研究に触発され,以後,医療の場における患者の自己決定権尊重の必要性,医師の説明義務の存在を認め,外国法を参照しながらその具体的内容を考察する論文が次々と現れた。その多くは当然民事法の価値から書かれたものであるが,判例評釈も含めるなら枚挙にいとまがないほどである。一方,民事判例も,昭和四〇年代の後半に至って大きな変化を見せるようになった。」(町野[1986:156])

◆松田道雄 1969

「「生き方について,とかやく人から指図してもらいたくない,自分のことは自分できめるというのを,法律のことばで自己決定権というのだそうです」。松田道雄「基本的人権と医学」『世界』二八四号(昭和四四年七月号)八六八−八六九頁。松田氏は,胃の病気だというのに医者にもかからず,安食堂でカツ丼を食べて死んでいった永井荷風の「ぜいたく」の例をあげておられる。」
(町野朔 19860131『患者の自己決定権と法』,p.274)

唄 孝一 19700320 『医事法学への歩み』 岩波書店,447p. 3500 ※

 「端的にいうと、当問題の底にある問題は二つの価値の対立であり、その二つの価値の間の優劣の問題であると説かれることが多い。一つは、個人の自己決定権 personal Selbstbestimmung、一つは生命、健康、幸福 Leben、Gesundheit、Wohlergehenである。前者が Volenti aegroti suprema lex(意思は至上の法)を説くのに対し、後者は Salus aegroti suprema lex(健康は至上の法)を説くのである(2)。」(p.64)
 「(2) ……カウフマン… (S.360)」(p.66)*
 *1961

◆「乳腺症判決」 1971

 「……
 一方,民事判例も,昭和四〇年代の後半に至って大きな変化を見せるようになった。その嚆矢をなしたのは,昭和四六年の東京地裁「乳腺症判決」である。事案は次のようなものであった。
 患者である原告(若い映画女優)は,左右乳房内部の腫瘍について被告らの診察を受けた結果,右乳房内の腫瘍は乳腺癌であることが判明し,原告はその剔出手術に同意した。ところが被告は,右乳房の手術を行なったあと,左乳房内の腫瘍は乳腺症であり,将来癌になるおそれがあると判断し,その点についての原告の同意を得ることなく,ただちに左乳房の手術を行なった。その結果,原告の乳房は,左右とも皮膚・乳首を残すのみで,内部組織のまったくない状態となった。裁判所は,被告の行なった左乳房手術は医学的には不当だとはいえないが,「承諾を得ないでなされた手術は患者の身体に対する違法な侵害であるといわなければならない」とし,被告に慰謝料(一五〇万円)の支払を命じた。裁判所は次のようにいう。
 …略…(p.15)
 本判例は,医学的に正当な治療な行為も,患者の意思を無視して行なわれたときには違法となることを結論的に肯定した最初の判例である。しかも,患者の意思の尊重,医師の説明義務についても述べているところに,唄教授以後の学説の影響が認められる。」(町野[1986:15-16])

◆臺 弘 19720415 『精神医学の思想――医療の方法を求めて』,筑摩書房,筑摩総合大学,274p. ASIN: B000JA0T3E 900 [amazon] ※ m. ut1968.

 「一体、精神科医療は何を目的としているのだろうか、直接的には精神障害によって起ってきた社会的適応の困難さを和らげ、独立生活ができるように助けることだといえば、社会に対してそのように受動的な立場で、個人を社会のわくにはめてしまうことであろう か。どうもそうではあるまい。家庭や社会の側に欠陥がある時、それに適応する人間を作るのが、精神科医療のつとめだとはいわれなれない。
 前にものべたことであるが、自分で自分の生き方を決定して行くこと――つまり自己決定――を助けるのが目的だという主張がある。だが精神障害の場合には、自己決定自体が妨げられている場合も多いのである。自己決定を助けて、そこから不幸が生れてきた場合には、その不幸は当人の責<0216<任であり、その不幸は当人のその後の発展の契機になるはずだと主張する人たちがいる。この立場は、一見相手を真の独立人として人格を尊重しているように見えるが、当人に対してもまたその周囲の人々に対しても無責任な甘い考え方である。自殺したいという人に自殺をすすめる医者がいるだろうか。
 相手を信頼して、寝ていたいという人は一日中寝かせておけばよい、といったとする。相手が不貞くされて寝ている場合には、いつかは起きて来て、馬鹿馬鹿しいことをしたと反省するかも知れないし、そんな時に周りから起きろ起きろというとかえって不貞寝する傾向を助長するかも知れない。しかし、相手が現実離れして夢想の世界に浸っている分裂病者だったら、彼は一生そのまま寝てくらすだろうし、夢想はとめどなく助長されるだろう。この辺に、相手の状態を見分けて、それぞれに治療方法を考えなければならないという診断技術の重要性がある。
 私は「自己」自体の病態がある場合には、「自己決定」は治療の基準にはならないと考える。ある時点である状況のもとで、「自己」が決定することが、他の時点で他の状況のもとで「自己」が決定することとちがうのはざらにあることである。「自己」は連続的ではあっても変化しつづけるものである。そしてそのどれもが当人自身であるのだから、相談者や医者は、当人のもっている可能性を見越した上で、それが最も発揮されるような方向に助力するべきである。これは「自己実相現」とよぶのがふさわしい。
 寝てばかりいる人を起して、仕事や遊びの実生活の中に置くと、彼らは始めは自分の意志に反す<0217<ることのように思っても、その生活の中から今まで気がつかなかった生き方の可能性を見出す場合がある。こうして、彼自身で、新しい生き方の道が自分にもあることを体験する時、彼の「自己」は変化するのである。  何事も経験、可愛い子には旅、当人はその中から自分をつくり上げて行くたろうという期待、これが最も素朴な「生活療法」の基礎である。
 生活訓練が自己実現に意昧があるという生活療法の主張は、形の上では精神療法としばしば対立する。この両者は精神科医療の中だけでなく、教育や心理相談の中でも治療者の姿勢として対立的に取扱われることがある。だがこの対立は治療者の観念の産物で、現実に患者や相談者な相手にした時には、生活療法も精神療法も互いに補い合ってすすむものだというのが私の意見である。」(臺[1972:216-218])

◆八木 晃介 19871225 「安楽死の陥穽と呪縛――「自立と共生」の視点から」
 『季刊福祉労働』37:138-153

「……「死ぬ権利」なる自己決定権にかかわる用語が容易に「死ぬ権利」という自己疎外語に転化し、同時に、その部分において事態が制度化のフレーム・ワーク(枠組み)として定着していきそうになる。」(p.139)

◆森岡 正博 1988 『生命学への招待――バイオエシックスを超えて』
 勁草書房

「インフォームド・コンセントの原則は、自分のことは自分で決めるという、英米法の自己決定の伝統に根ざしたものであるが、むしろ英米圏という狭い枠を超えて、世界的な患者の権利の基盤としてとらえてゆく必要があると思う。」(p.126)
「およそ三つほどの考え方がある。……もう一ひとつは、女性の自己決定権の考え方。人口妊娠中絶するか否かは、純粋に妊婦の自己決定権にゆだねられる問題である。」(p.249)
「すべてを女性の自己決定権に収斂させる考え方は、私がこれ以上苦しむのがいやだから他者を捨て、今度はその捨てた行為によって自分が苦しむという苦しみの重層性が、全く見えないような構成になっている。」(p.250)

◆山口研一郎 1998

「今や、遺伝子診断から安楽死・脳死の選択、臓器の提供、ありとあらゆる事柄が「自己決定」の名のもとに、正当化されようとしている。自分で決めたことは絶対であり、他人がとやかく言う筋合いはないとされる。しかし自ら決めることの一つひとつが、周囲に影響を及ぼし、人類全体に波及していかざるを得ないほど、科学は人間を解き明かし、暴力的なまでに手を加えている(p.23)のである。
 遺伝子診断を例に挙げるならば、自分の遺伝子構造が解明されることは、自分と血縁関係に当たる人々の遺伝子構造を推し量ることを可能にする。そこに差別が存在する場合、自分だけが差別されるのではなく、親類縁者すべてが差別されることになる。「自己決定権」の論理は、現代医学の矛盾をおおい隠すベールでしかないと言えよう。」
(山口研一郎[1998:23-24])

◆清水昭美 1998

「最近、自分の生命の終わりは自分で決めるなどと言われるようになり、「死の自己決定」という言葉が飛び交い、自分で決めることが非常に望ましいことのように広がっている。
 一九九四年、日本学術会議が「尊厳死」を容認するという発表をした。その内容をみると、近親者の物心両面の負担や医療経済上の効率性からは認められないが、本人の意思を尊重し、本人が自己決定した場合は容認するというのである。
 本人の意思で決めるといっても、近親者の精神的、経済的負担を考えると、そう決めざるを得ない状況のもとでは、「尊厳死」の道しかないと考える。選択ではなく、それしか方法がないという状況に追い込まれて、自分の意思で決めたと書かざるを得ないのが実情といえよう。学術会議は、近親者の負担や医療経済上の効率性からは「尊厳死」は認められてないと述べながら、本人がそのような背景のために、死の自己決定をせざるを得ない場合は、認めようというのである。つまり、本人の死の自己決定というオブラートに包めば、さきに認められないといった条件は問われないまま容認される。
 施設に入所している老人が「長生きしすぎた」とか「長生きは恥」と身を引くような表現をしている。老人が子や孫に迷惑をかけずに死んでいきたいと願う。自分が生きていることがまわ(p.102) りに迷惑をかけると考えざるを得ない社会状況のもとでの「死の自己決定」は、本当に自分の本心から決めるというより周囲から追い込まれて、「仕方なくさせられる死の自己決定」ではないだろうか。
 さらに、自分で決めるといいながら、社会的圧力、見えない強制となる危険がある。例えばあるテレビ番組では、「前もって自分で書いておくことですね」と解説者が気軽に述べていた。マスコミを通して「死の自己決定」を伝える時、今、病んでいる人や老人、重い障害を持っている人、世話を受ける人々に「決めなさいよ」「早く書いておきなさいよ」と声高に言い、見えない圧力をかけているのではないだろうか。
 このようにして老人や障害者が一層生きにくい社会に傾斜しつつある。老人ホームや病院で老人たちが社会の見えない圧力により「死の自己決定」をすれば、医療関係者は、今以上に治療放棄や看護放棄がやりやすくなるであろう。本人が決めていることだとして、ためらいや罪の意識もなく、本人の意思を尊重してさしあげるという形で、治療放棄、看護放棄をそれとは自覚せず、むしろ善と錯覚して行なう
のではないか。」
(清水昭美[1998:102-103])

◆利光恵子 1998

「 自己決定の顔をした優生思想

 新しい生殖医療技術の応用や選択的中絶について語られるとき、最近、頻繁に持ち出される言葉がある。それは、「選択の自由」や「本人の同意」とりわけ「女性の自己決定権」だ。
 一九九六年二月、『遺伝子技術とこれからの医療』と題したNHKの番組の中で、松田一郎氏が述べた言葉である。松田氏は、人類遺伝学会の実力者、先の厚生省の出生前診断の実態調査の班長であり、先端医療技術評価部会の委員も務めている。
 「(胎児診断による妊娠中絶について)もしこれが、政策としてそういう子供をもったなら妊娠中絶しないさいというふうに強制的になったならば、これは明らかにナチズムだろう。しかしそこに自己決定権ということでもって、お母さんに選択権を与えればですね、その後、どのようにしますかという決定権はお母さんに委ねられていると、そういうことにすれば、ナチズムにいくという考え方に反論できるだろうと思う。」
 次は、一九九七年一月、着床前診断について「優生思想を問うネットワーク」と学会が話し合いをもった時の佐藤倫理委員長(当時)の発言。(p.201)
 ……
 あらゆる新しい医療技術も本人が選び取る限りすべて導入可能、倫理的な問題も、本人の同意さえとれればすべてクリアということか。「自己決定権の尊重」という耳触りのいい言葉で、その(p.202) 実、個人に苦汁の選択を強いて、その責任まで押し付ける。だが、ひとつひとつは個人の選択のように見えても、同じ環境の中で同じ情報に基づいて、ひとつの方向への選択をすれば、全体としておぞましい優生的な社会ができあがる。自己決定の顔をした優生思想を注意深く見抜き、拒否したいと思う。
 さらに、これらの選択を中絶の合法化を求める女たちの声にことさら結びつけ、あたかも障害胎児の選択的中絶やそれにつながる新たな出生前診断の開発を強く要望しているのが女性ら自身であるかのように喧伝している。選び取るのは女たち、めんどうな倫理的な問題も、自分のからだにふりかかる害作用でさえ、すべての責任は女たちにありと言わんばかりだ。
 しかしながら、女性たちの主張は、自分のからだに直接かかわる妊娠・出産という事柄を、国や社会・宗教・家族・男たちが決めている事態に対して、からだや性や生殖について女性が自らコントロールするのは基本的人権のひとつだということだ。子供をもつかもたないか、産むとすればいつ何人の子供を産むかの決定権は女性にあると言っているのだ。
 はっきりさせよう。
 産むと決めた後に、どんな子を産むかを選ぶこと、その生命の質によって産む・産まないを選択することを求めているのではない。その選択に女性の自己決定権(権利という意味で)は持ち込めないし、持ち込みたくもない。どの子供も、その子ひとりの全存在として生まれてくる。障害があろうとなかろうと、その子はその子として受け入れられるべきだと思う。」(利光恵子[1998:201-203])

福本英子 1998

 「「自己決定」による粉飾[…]。「自己決定」は、どこからも強制されず自分が決めることで、人権のひとつだとされている。医療の場合は、権利の主体は患者で、その医療を受けるかどうかを患者自身が決めるということになる。これは高い密室性をもち、傷害と同じ行為が行なわれる医療空間の危険性から患者が身を守るための″武器″と考えられていて、医師から医療内容の充分な説明がされることが前提になっている。(p.263)
 […]
 もちろん素人の私たちに専門用語のまじる専門的な医療内容の説明がすべてわかるわけでも、医師が不都合なデータを洗いざらい話すわけでもなく、そんなことで医療の密室性が解かれるはずもないのだが、それでもいくらか医師へのブレーキになって、医療の逸脱を防ぐことにはなっているだろう。その安心感が生じるのは確かだ。生命操作医療は、私たちのこの安心感をフルに利用するのである。
 臓器移植法案は、九四年以来数年に及ぶ継続審議、廃案、再提出が繰り返されたあとに、臓器摘出に対する脳死ドナー本人の書面による同意をとるという厳しい条件を入れるということで、ようやく国会を通った。患者の自己決定を保障することで立法への抵抗をやわらげることに成功したわけで、これによって、この立法が医師の特権に「殺す」権限を上乗せするためのものだという本質は覆い隠されることになった。体外受精も男女産み分けも顕微受精も受精卵凍結も、それを望み、必要としている患者が現にいるということで、臨床に持ちこまれた。
 つまり私たちはなにも知らされていないということである。治療だ、生命の尊厳だ、患者の自(p.265) 己決定だといわれて、むしろ知ることを妨げられてきたのである。私たちは医療の本性どころか、医療が資源狩りの場になっていることさえ知らされていない。私たちが知るのは、死の定義をどうするかといった社会的解決が必要なことが出てきたり、体外受精や遺伝子治療が臨床に初めて持ちこまれたり、それが成功したりというような突出したことがあった時に、それをひどく断片的に見せられるか、あとは極端な医師の逸脱行為がたまたまマスコミを通して露出してくることがあって、そこから片鱗を知るか、せいぜいそんなものだ。」
(福本英子[1998:263-265])



山口 研一郎 編 19980320
『操られる生と死――生命の誕生から終焉まで』
小学館、287p. 1900

山口 研一郎 19980320 「「治療」という名の生命操作」
 山口研一郎編[1998:005-032]
寺尾 陽子  19980320 「心肺同時移植を拒否して」
 山口研一郎編[1998:033-052]
阿部 知子  19980320 「脳死・臓器移植――虚像から実像へ」
 山口研一郎編[1998:053-078]
清水 昭美  19980320 「「安楽死」「尊厳死」に隠されたもの」
 山口研一郎編[1998:079-108]
小松 美彦  19980320 「「死の自己決定権」を考える」
 山口研一郎編[1998:109-152]
粟屋 剛   19980320 「臓器移植と現代文明」
 山口研一郎編[1998:153-172]
利光 恵子  19980320 「生殖医療と遺伝子診断」
 山口研一郎編[1998:173-204]
芝田 進午  19980320
 「医学者の倫理と責任――「医学者」の戦争犯罪の未決済と戦後被害」
 山口研一郎編[1998:205-242]
福本 英子  19980320 「生命操作医療の構図と生命の唯一性」
 山口研一郎編[1998:243-272]
山口 研一郎 19980320 「私たちに与えられた課題」
 山口研一郎編[1998:273-287]

◆小松美彦1996『死は共鳴する』より

「…「個々人の死は相互に関係しない」という死の把握…。この把握が死の自己決定権の対他影響性・拘束性を考慮せぬ現状を許しており、そしてまた、…「死の自己決定権」の説得性を生み出して入るのではあるまいか。死には対他影響性・拘束性がないという思いがはっきりと自覚化されぬままに人々の中に棲みついており、それゆえに自己決定権という論理に反論できないのではないだろう。」(小松[1996:152])

「ハイデガーにあってまず死亡の代理不可能性が確認される。これ自体は否定しようがない。そこで内属性が言えたとしても、それは死ではなく死亡である。しかしながら、そもそも死と死亡との置き換えがなされているため、死亡の代理不可能性を根拠に、死が個人に内属す(p.168)るものとして捉えられることになる。」(小松[1996:167-168])

「一体、何故に生命や死は当然のごとく個人の所有対象となりうるのか。それは、生命や死が個人に内属するものとして捉えられているからであろう。もし仮に、私の生命や死が私ではない他者に属するものとして、あるいは他者との間にまたがって属するものとして、さらにはまたどこかに属するものとして、あるいは他者との間にまたがって属するものとして、さらにはまたどこかに属するというのとはまったく別のしかたで把握されているとすれば、そうたやすくは私の所有対象とはなりえないだろう。」(小松[1996:169])

「死を死亡に還元し、死を個々人に内属するものとするこの基本的了解こそが、「死の自己決定権」(p.169)を根底から支え、その太刀打ち″不能″の説得力を生み出しているのではないだろうか。″私の死は私に属する。だから私の所有下にある。したがって私が決定すべきであり、他人にとやかく言われる筋合いはない。一方、他人の死は他人に属し、他人の所有の対象である。それゆえ私が口出しすることはできない。″「死の自己決定権」を前にして、こうした論理が自覚の程度の差はあれ各人に生じ、たとえ「死の自己決定権」に何か釈然としない気持ちをいだく場合であっても、そこに沈黙せざるをえないのではないか。」(小松[1996:169-170])

「……「個人閉塞した死」を″見えざる根拠″として、「死の自己決定権」が乗り越え″不能″な砦としてわれわれの前に(p.203)いま立ちはだかっているのだ。だがこの不動のものに思える砦ですら、歴史的に形成されてきた「個人閉塞した死」たるドクサに支えられているものにすぎなかったのだ。」(小松[1996:203-204])

「われわれは、かけがえのない者の不在のさなかにあって、その者への極限的な近さとともにとてつもない遠さを瞬時のうちに体験し、その間を揺り揺られるのだ。″それ″がないことが死なのではなく、絶望的なまでに″それ″でありながら、″それ″はもはやないことが死なのである。そしてまた、この死は一回性の事柄ではない。何かの折に間歇的にかけがえのない者が再臨し、彼(女)らは沈黙を何度も破る。…松浦寿輝氏の言葉を借用し、より的確に規定するなら、それは「密着的不在」と呼ぶのが相応しいだろう。」(小松[1996:209])

「…死は決して死にゆく者個人だけにかかわる問題ではなく、その者に死は帰属していないのではあるまいか。死ぬのは当該の個人であっても、たとえ周囲の者が死はその個人だけに訪れると思ったとしても、事態としては死亡は死にゆく者と(p.218)その場に集う人々との間で分かちあわれ、そこにおいて死は両者の関係のもとにはじめて成立しているのではないだろうか。」(小松[1996:218-219])


REV:20130504
自己決定
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