立岩『私的所有論』第3章注8(pp.94-95)より
「規制のあり方は州によって異なる。石川稔[1991a]、石川・中村[1995]、代理母等について棚村修三[1991][1993]。
一九七六年、米国で最初の代理出産が行われる。エリザベス・ケイン(Elizabeth Kane、仮名、本名はメアリー・ベス――後述のベビーM事件のメアリー・ベスとは別人)が一九八〇年十一月にアメリカで最初の合法的な代理母となる。彼女は後に「代理母に反対する全米連合 National Coalition Against Surrogacy 」で活動することになる(Kane[1988=1993][1989=1991])。米国の事情を取材した初期のルポルタージュとして松原惇子[1983]。新聞広告によって代理母を募り、代理出産を仲介する斡旋機関(企業)が存在する。一九八五年に、民間の媒介機関は全米で三〇社、報酬は一万ドル(『朝日新聞』1985.8.19)。白人の方が黒人より報酬の額が高いと言われる(加藤一郎[1987:121])。代理出産業を営むノエル・キーン(Noel P. Keane)弁護士を取材したものとしてNHK取材班[1984:88-96]、インタヴューに答えたものとしてKeane[1991]、著書としてKeane; Breo[1981]。Ince[1984=1986]に実際に適格審査を受けた体験が記されている(本章冒頭・67頁に引用)。人工授精は六月カ間、月二回、妊娠しなかったら計画からはずされ、新しい代理母に交替。この場合、報酬は受けない。流産した場合も報酬はなし。死産の場合は契約を完了したとみなされる。
…(中略:ベビーM事件について)…
他に、依頼者夫妻の受精卵を移植して出産した女性(先記したホスト・マザーのケース)が独占的親権を求めて一九九〇年に起こしたカリフォルニア州の「オレンジ郡訴訟」(第一審・第二審原告側敗訴)についてのルポルタージュとして山海谷超[1991]。実際に代理母を経験した女性がインタヴューに答えたFoster[1992]。より詳しい情報はhp。」