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代理母 surrogate mother/代理出産

2001  2002  2003 …  2014
「ベビーM事件」

[English] 文献(本頁内)

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◆代理出産を問い直す会
 http://nosurrogacy.lib.i.dendai.ac.jp/
◆「代理出産を問い直す会」代表者
 https://twitter.com/i/notifications

■生存学研究センター関係者による文章

貞岡 美伸 2007/10/26 『立命館人間科学研究』第15号 pp.127-139
 「代理出産を容認する条件の検討――ケアリングによる身体の道具化の克服をめぐって」[PDF]
◆貞岡 美伸 2009/03/31 『Core Ethics』vol.5:191-200
 「代理出産の自己決定に潜むジェンダーバイアス」[PDF]
◆貞岡 美伸 2010/03/31 『Core Ethics』6:209-218
 「代理懐胎における子どもの福祉――依頼者の親としての適格性」 [PDF]
◆立岩真也『私的所有論』第2版(文庫版)

■立岩真也『私的所有論』第3章注2(p.89)より
第2版(文庫版)

 「人工授精・体外受精の技術の登場により、性的な関係を持たずに提供者の精子・卵子・子宮を利用することによって、他方で多くの場合は子を持とうとする側の遺伝的なつながりを保ちながら、子を持つことが可能になる。特に問題になるのは、依頼された女性が出産に関与する場合である。一九七〇年代後半に始まったもので、依頼された側を「代理母surrogate mother」と言う。多くは人工授精の技術が用いられ、精子は依頼者、卵子は提供者=代理母のものだが、体外受精を用い、精子と卵子ともに依頼者側のものである場合もあり(「借り腹」とも言われる)、この依頼に応ずる側を「サロゲイト・マザー」と区別して「ホスト・マザー」と呼ぶことがある。他に、遺伝上の父親が妊娠した女性の夫である場合、匿名のドナーである場合も(「貰い卵」)。一九八四年の英国のウォーノック報告では「ある女性が別の女性のために、出産後子供を渡す目的で、子供を妊娠すること」と定義されている。一般には卵管性不妊症、乏精子症等の不妊症に用いられるが、それ以外の理由で用いることも可能であり、さらに単独の男性・女性や同性愛者のカップル等も利用できる。
 精子・卵子・子宮のそれぞれについて子を持とうとする当人のものの場合と提供者のものの場合を想定でき、また卵子と子宮については提供者が同一の場合と各々異なる場合がある。「普通」の場合を男Aの精子・女Aの卵子→女Aが妊娠→女Aが出産とする。男A・Bの精子×女A・Bの卵子×女A・B・Cの子宮の選択が可能になる。可能性としては十通り、このうち提供者が関与する型が九通りある。以下、精子・卵子・子宮の順に、@AAA:普通の場合あるいはAIH。ABAA:AID。BABA:借り卵。CBBA:受精卵提供。DAAB:借り腹(ホストマザー)。EBAB:借り精子・借り腹。FABB:代理母(サロゲイト・マザー)。GBBB。HABC。IBBC:借り受精卵+借り腹。全てが提供者のものである場合もGとIの二通り含まれる。技術的にはその全てが可能である。さらに子宮を機器または人間外の生物により代替することも考えられないことではない。この技術は両面を持っている。一方では、AIHを除き、別の者の精子・卵子・子宮を介することによって、他者の契機を介在させることになる。全てが他者によって提供されたものであることもある。しかしその場合でも、それは「私の子」を持つための技術であり、さらに、多くの場合には、可能な限り自分(達)に遺伝的に繋がった子を持とうとする技術である。だから、この技術の利用が伝統的な家族像、親子像からの逸脱を促すと考えるのは少なくとも一面的である。」

●米国について

 立岩『私的所有論』第3章注8(pp.94-95)より
 「規制のあり方は州によって異なる。石川稔[1991a]、石川・中村[1995]、代理母等について棚村修三[1991][1993]。
 一九七六年、米国で最初の代理出産が行われる。エリザベス・ケイン(Elizabeth Kane、仮名、本名はメアリー・ベス――後述のベビーM事件のメアリー・ベスとは別人)が一九八〇年十一月にアメリカで最初の合法的な代理母となる。彼女は後に「代理母に反対する全米連合 National Coalition Against Surrogacy 」で活動することになる(Kane[1988=1993][1989=1991])。米国の事情を取材した初期のルポルタージュとして松原惇子[1983]。新聞広告によって代理母を募り、代理出産を仲介する斡旋機関(企業)が存在する。一九八五年に、民間の媒介機関は全米で三〇社、報酬は一万ドル(『朝日新聞』1985.8.19)。白人の方が黒人より報酬の額が高いと言われる(加藤一郎[1987:121])。代理出産業を営むノエル・キーン(Noel P. Keane)弁護士を取材したものとしてNHK取材班[1984:88-96]、インタヴューに答えたものとしてKeane[1991]、著書としてKeane; Breo[1981]。Ince[1984=1986]に実際に適格審査を受けた体験が記されている(本章冒頭・67頁に引用)。人工授精は六月カ間、月二回、妊娠しなかったら計画からはずされ、新しい代理母に交替。この場合、報酬は受けない。流産した場合も報酬はなし。死産の場合は契約を完了したとみなされる。
 …(中略:ベビーM事件について)…
 他に、依頼者夫妻の受精卵を移植して出産した女性(先記したホスト・マザーのケース)が独占的親権を求めて一九九〇年に起こしたカリフォルニア州の「オレンジ郡訴訟」(第一審・第二審原告側敗訴)についてのルポルタージュとして山海谷超[1991]。実際に代理母を経験した女性がインタヴューに答えたFoster[1992]。より詳しい情報はhp。」

●英国:代理母の斡旋に関する法律 (Surrogacy Arrangement Act) 等

 立岩『私的所有論』第3章注4(p.92)より


「アンナ・マカーレー夫人が提出した営利的代理妊娠仲介業を合法化する法案は一九八三〜一九八四年の議会では時間不足のため成立しなかった(Lockwood[1985=1990:333])。一九八四年に、米国の営利目的の代理母斡旋機関がロンドン近郊で業務を開始し、米国人夫婦にイギリス人女性を斡旋し、一九八五年一月にAIDで生まれた子を裁判所は米国に連れ帰る許可を与えた(三木[1995:360-361])。このコットン(Cotton)事件後、一九八五年七月一六日、「代理母の斡旋に関する法律(Surrogacy Arrangement Act)」が制定され(山崎康壮[1994]、丸山[1996:148])、「代理妊娠」に関する仲介、金銭の授受、広告が禁止された。また、一九九〇年一一月一日には「人間の受精と発生学に関する法律(Human Fertilisation and Embryology Act)が成立(武藤[1994]、三木[1995:354-361,363]が詳しく紹介、刑法学的分析としては甲斐[1992])。代理出産の取決めを強行しえない(unenforceable)としている。代理出産取決めの効力自体には言及されていない。第三〇条は、一定の条件下で、胚の形成のために夫もくしは妻、または双方の配偶子を用いられた場合、裁判所は依頼主夫婦を親と決定することができるとする。」

●代理出産情報センター

 立岩『私的所有論』第3章注9(pp.95-96)[→『私的所有論 第2版』pp.175-176]より

「一九九二年四月七日、米国の代理母斡旋会社の日本事務所「代理出産情報センター(東京都千代田区、鷲見ゆき代表)は、日本人夫婦が米国人の代理母によって米国で出産し、戸籍上は実子として届け出て帰国したことを公表(『朝日新聞』1992-4-7夕刊、棚村[1993:172-173]に紹介)。九三年六月には、このセンターの紹介により米国で日本人留学生の提供した卵子と夫の精子との体外受精による受精卵を自分の子宮に移植して妊娠したことが報じられる。代理出産情報センターの活動について鷲見[1992a][1992b][1993]、高杉裕子[1993:169-170]、菰田麻紀子[1996]。」


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■ずっと前に作った資料

 ※以下は論文執筆のために個人的に作成を始めた資料で、情報量としても不十分
であり整理もされていない。

 1992.11/1996.08 僅かの加筆

◎文献

大野 和基 19880701 「代理母と精子銀行のかかえる問題」(ニューヨーク現地報告),『婦人公論』073-07:303-309 ※COPY
―――――  19910718 「ああ私は代理母 ! 140万円で子宮を貸した27才
 「日本人夫婦の子供を生みます」(←表紙)
 「代理母――あなたの子供、私が生んであげます。」(←本文)
 『女性セブン』29-27:079-086 ※COPY

・実際
・各国の実態、規制の現状 米国・英国・ドイツ・フランス・日本
・擁護する立場/批判する立場
・問題化した事例(裁判)

■■ 緒言

 生殖技術をめぐって議論がなされている。しかし批判のかなりの部分はそのまま
維持することは難しいのではないか。だが、そこに大きな抵抗があるのだとすれば、
それは何かを語っているはずだ。
 家族社会学は生殖技術の進展を重要であろうこととしてしばしば取上げる。しか
し重要なことであろうと言われるだけだ。検討されてはいない。だから検討してみ
る。

■■ 代理母とは何か

 代理母は surrogate motherの訳語である。
 1984年の英国のウォーノック報告(Warnock Commitee[1984=1991])では
 「ある女性が別の女性のために、出産後子供を渡す目的で、子供を妊娠すること」
 と定義されている。

 通常は
・A夫婦と契約し、夫の精子を用いた人工受精によって受精卵を宿し、出産して契
 約者に引き渡す。したがって、卵子は代理母の卵子である。
 この他に
・B依頼した女性が卵を提供する(体外授精)場合…借り腹
・C遺伝上の父親が妊娠した女性の夫である場合、匿名のドナーである場合も
 …貰い卵

 Bのケースが2つKlein ed.[1989=1991:207-208]に挙げられている。
 そのうちの1つは「48歳の南アフリカの女性(パット・)アンソニーは、自分の
娘の卵と義理の息子の精子で体外授精した四つの胚を移植された。彼女は1978年10
月1日に帝王切開で三つ子を出産した。すでに子どもが一人いるアンソニーの娘は、
お産の事故で子宮を摘出していたという。」(p.208)

 いつの頃から始められたか。→次項
 1971年発行の『ルック』(Look)誌に、記者Rorvik がこの種の予想をしている
(彼の著書?の翻訳があったが現在絶版)。彼は卵を採取された女性とは別の女性
の子宮内に受精卵移植を行う対象として次のような候補をあげている。
 (1) 心臓病があって妊娠や出産に耐えられない女性…B
 (2) 子宮も卵管も正常だが卵巣の機能が正常でない女性…C:貰い卵
 (3) 妊娠、出産のためたとえ短期間であっても現在の活動状態や活動の舞台から
   離れたくはないが、「自分の」子供が欲しい場合…B
 斎藤[1985:54-55]斎藤[1985:97]
 以下は基本的にA(+B)について

■■ 現状

■米国

・1976年 合衆国で第1号

・Elizabeth Kane 1980年11月にアメリカで最初の合法的な代理母に
 (後に「代理母に反対する全米連合」で活動 Kane[1989=1991])

・斡旋機関(企業)の存在 新聞広告によってつのる 実態:
 1985年 民間の媒介機関 全米で30社。報酬は1万ドル(朝日85.8.19)
 代理出産業を営むノエル・キーン弁護士を取材したものとして
 NHK取材班[1984:88-96]

・白人の方が、黒人より報酬の額が高い(加藤一郎[1987:121])

・「適格審査と事務手続きは簡単で、いままでの人はすんなり通ったと理事は説明
した。これから代理母になるためには、理事と心理カウンセラーが経歴のチェック
と健康診断をし、私はそのチェックに合格しなければならないというのである。最
後に、弁護士に会い、正式にこの計画に参加する前に契(p.67)約の説明を受ける。
代理母サービスを望む親たちもまた理事と心理カウンセラーの適格審査を受けなけ
ればならないし、契約に署名するときには25000ドルを支払う。代理母とそのサー
ビスを買う人は決して会うことはない。が、互いの情報は規制してあるわけだから、
もし両者が会うことを望むならば可能である。この会社と契約すれば、弁護士を通
して個人的に話をまとめる場合と違って、完全な秘密が守られることが強調されて
いる。
 さて、妊娠期間中、代理母は妊婦服を買う費用として 200ドルを受け取る。交通
費として 1.6キロメートルごとに15セントが支払われる。出産経費をカバーする医
療保険に入るかどうかは代理母側の責任とされている。会社側は代理母がこの契約
に従事している間、彼女が入っている医療及び生命保険の掛け金と、保険でカバー
されない医療費を支払う。赤ん坊が生まれ父親に手渡されたのち、代理母は彼女の
報酬10000ドルを受け取る。(p.68)」
 人工授精は6月カ間、月2回、妊娠しなかったら計画からはずされ、新しい代理
母に この場合、報酬は受けない 流産した場合も報酬はなし 死産の場合は契約
を完了したとみなされる ……
 (Ince[1984=1986]…実際に適格審査を受けた体験を記述)

■英国

・アンナ・マカーレー夫人。彼女が提出した営利的代理妊娠仲介業を合法化する法
案は1983-4議会では時間不足のため成立しなかった。(Lockwood[1985=1990:333])

・1985年1月 英国初の代理母ベビーが誕生(Kane[1989=1991:250])

・代理母については、1984年7月のウォーノック報告(Warnock Commitee[1984=
1991])の第8章で取り上げられている。「代理出産を行うこと自体は非合法なこ
とではない。商業ベースで取り扱いをしている代理業者を含めて、代理出産を手配
するどなグループも、現在ある刑法には抵触しないが、双方の合意の条件が、養子
に関して報酬が支払われることを禁止している、養子提供に関する法律を犯してい
ない限りのことである。」
 勧告は以下のようなものである。
 「英国において、代理妊娠のための女性の募集や、代理母サービスの利用を望む
個人やカップルのための斡旋を目的とする、代理業を作ったり運営したりすること
が、犯罪と見なされるように法律を作るべきである。この法律は、営利・非営利を
問わないように十分広義なものでなければならない。さらに、代理妊娠をすること
を知っていて協力した専門家及び第三者の行為が、犯罪としてみなされるよう、十
分広義の法律を作るべきである。」8-18「我々は、この法律によって、代理母契約
を結んだ個人を犯罪を犯したとは考えない。…」
 アメリカ人経営の営利的妊娠仲介業者が英国で活動している。
 厳格な規則のもとでは、非営利的な仲介業に、提供してよいと認めるべきかどう
か。少数意見は認めるべきだとするものであった。
(以上Lockwood[1985=1990])
 反対は16名中2名(d'Adler & Teulade[1986=1987:206])

1985 政府は「代理妊娠」に関する仲介、金銭の授受、広告を禁止。ただ、二人の
女性が同意した上で、一人がもう一人のために子どもを産む場合は、個人の問題。
彼女たちが起訴されることはないし、治療をした医者も起訴されることはない。
(d'Adler & Teulade[1986=1987:206])

1985 British Medical Association ……[82]。

■ドイツ

 民法では懐胎した母親が法律上の母親とされている。
 1990年10月に24日に成立した「ヒト胚保護法」によって, 代理母の仲介者や強力
した医師は処罰の対象とされることが法制化している。ただし、この処罰が医師を
対象とし、この制度を利用した良心には及ばないことから、海外で代理母制度を利
用し、生まれた子供を養子にすることは可能。
 1991年現在、旧西ドイツには代理母によって生まれた子供が約1000人いるという
 報告もある。(西野[1991:83])
(「胚保護法については市野川・クリスタリ[1992])

■フランス

「代理母を斡旋する団体が2つあるが、非合法とされている。代理母「契約」は、
産みの親に子の遺棄をそそのかし、産まれた子を売買することになるからである。
当然、このような契約は無効とされる。また子を引き取った親がこれを実子として
身分簿に登録させるのは、5年以上10年以下の懲役にあたる犯罪とされている(刑
法354条)。
 フランスでは、子どもを産むことを市場原則から切り離すために、定額補償の制
度をとっている(非資本主義的方法)。その考え方の基本は、出産には負担(予備
検査・非受精機関・妊娠・出産などの苦労)がつきものであり、しかも少なくなっ
たとはいえ、出産で死亡する割合いは 15000人に1(p.79)人という統計があるよ
うに死亡する危険もあるのだから、仕事に応じた報酬を支払うのは当然だというの
である。
 さてその「報酬」の額だが、これは一律5万フランと決められている。妊娠期間
が9か月で産後に1か月として10か月の期間に対する報酬と考えると、1か月で
5000フラン。しかし実際には、予備検査と非受精期間を計算に入れていないので、
もしこれらの期間も「拘束期間」として考慮するならば、結局、予備検査と非受精
期間という準備期間に5か月を要するから、報酬の平均月額は 3333.33フランとな
り、最低時間給(SMIC)4.62フランに比べて、24時間「勤務」であるからこと
からすれば、7、8分の1という低い割合いになる。これでは家政婦としての働き
のほうがずっとよい。
 そこで、マルエイユ(ママ)の生殖機能検査研究所(CEER)の所長サシア・ジ
ュレール博士(Sacha Geller)は、代理母に対して社会保険による手当が必要だと
主張している(1985年1月16日付ル・モンド紙)。その構想は、代理母に産れてく
る子の養子縁組についての同意権を与えることについて、いわば「養子妊娠」特別
手当の請求権を与えるというものである。この手当の額は受胎・妊娠・出産・産後
に応じて異なるそうである。「こうすることによって、代理出産という篤志行為を
呼びかけ、アメリカ流の《オープン・マーケーット》よりもっと悪い《ブラック・
マーケット》の発生を防ぎ、金持ちでなくても代理母を利用できるようになるのだ」
とジュレール氏は提案の狙いを語る。
 このような事態を前にして、政府は1985年1月18〜19日に内外の学者を招へいし
て「遺伝、生殖と法」という大討論会を開催した。(p.80)」
(新倉修[198909:79-80])

 「……世論調査(1985年5月23日付ル・モンド紙)によると…(p.81)…精子の
提供(人工授精)・ また代理母に対する報酬については、政党色による意見の違
いはほとんどなく、報酬を受けるべきではないという否定的な意見が、報酬を受け
るべきだという肯定的な意見のほぼ倍ほどみられる。性別では、女性のほうが否定
的な意見を強く支持しており(61%)、男性では否定的意見が42%にとどまのとは
対照的な傾向が見られる。宗教別では熱心なカトリック信者ほど否定的な意見が強
い(60%)。」
(新倉修[198909:81-82])

■日本

 国外で契約を結んだ例がいくつかあり、新聞・TV等でも報道された。
 また関係学会が少し動きを見せている…1992秋 (未収録)

■■何が問題になるのか。

■動機

〇依頼者側
・不妊
・負担の軽減
 基本的に前者ということのようだが、子どもが一人もいないという場合だけとは
限らない。
 「やがてわかったのですが、私を雇った夫婦には子どもがいないわけではなかっ
た。奥さんのほうには、前の結婚か、その前の結婚かで、三人の子どもがいるので
す。」(パトリシア・フォスター、Klein ed.[1989=1991:230])
 子を産んだ後に事故等で不妊になる場合も(この文章冒頭にあげたパット・アン
ソニーのケース)

〇代理母の側
・不妊の夫婦のために
・経済的動機
 「あのときの私のおもな動機は、利他心だったようだ。私のまわりにはずっと不妊の女性がいた。まず、子どものころ、大好きな伯母は不妊だとはけっして口にしなかったが、その美しい顔には空しさの表情が刻まれていた。そのあと高校時代には、子どもを産めないとわかった親友がいた。彼女はだれも結婚してくれないだろうと思いつめていた。/私が新婚生活を迎えるころまでは、4、5人の友だちが不妊検査を受けていて、どうしたら夫に子どもを産んであげられるか、「よい妻」になれない不適格者なのではないか、というようなことばかり話していた。物質的な所有欲をみたすのが夫の仕事で、家庭を誇りにし、そこを子どもでいっぱいにするのが私たちの仕事だと、だれもが知っていた。カトリック信者の友だちは、少なくとも4、5人の子どもを産むのを期待されていた。彼女たちは夫を失望させただけではなく、両親やローマ法王の期待にも背いたのだ。不妊の友だちはまもなく自分のことを「できそこない」と言うようになり、私は、子宝をお恵みください、とひたすら神に祈った。(p.244)
 1969年までに私は2人目の子どもを産んだが、妹は子どもをもてないということがわかった。数年後には、兄夫婦は婦人科医に通うようになり、ベビーベッドはいつまでもからっぽのままだった。
 このころには、私は不妊女性には何か解決策が必要たと強く感じるになっていた。1970年ごろだっただろうか、友だちのかわりに赤ん坊を産んであげられないものかと、夫に話したことがある。私はシスターフッドからそうしたいと思った。不妊の男性には手助けをしてくれる精子提供者がいる。それなら、どうして、不妊女性には肩代わりの方法がないのだろうか? 彼女たちはそれを期待しているのではないか?」(Kane[1989=1991:244-245])

 「面談で、どうしても子どもがほしくて、あらゆる手をつくしたけれどだめだった人たちの話をたくさん聞かされていると、もう同意しさえすれば聖者になる、これは命の贈り物、人間が人間にしてあげられるもっとも無私の行為だと思わされてしまいます。/子どもは依頼した夫婦の子どもであって、あなたのではないと言われても、こんなすばらしいことができる、この人たちを苦しみから救ってあげられる、と考える私のような女はいるのです。」(パトリシア・フォスター、Klein ed.[1989=1991:242-253])

■擁護する議論

・Singer & Wells[1984=1988]
・「卵の冷凍保存+代理母、の組合せで、自分では出産できない年齢(50〜60歳く
らい)の女性でも、自分の子供をもつことが可能ではある。」(p.124)
→だが、なり手が少ない→人工子宮(橋爪[1990])
(卵子は自分のもの→Bの類型)

・ラディカル・フェミニズムの一派? Firestone[1968=1970] むしろ人工子宮へ

・「リベラル・フェミニズムは必ずしも代理母制度に反対しない。すなわち、インフォームド・コンセントが十分になされた上で、本人が自由意志に基づいて契約を交わし、彼女たちが妊娠の全てのプロセスを通じて自分の身体のコントロールを維持する限り、代理母契約は維持されるべきだ、本人が理性的に行動している限り、彼女の目的は他人の分析の範囲外にあり、その個人的選択は単なる嗜好の問題であると考える傾向がみられる。
 例えば、リベラル・フェミニストの有名な弁護士Lori Andrewsは、ベビー・M事件の際に、赤ん坊の誕生時に契約上の決定に従わなかった代理母のWhitehead 夫人の心の変化を脅威とみなした。妊娠中のホルモンの変化があらかじめ取り交わされた法的決定を無効にするという議論が成り立つのなら、それは女性の決定は信用できないという口実に使われるというのが彼女の考えである。そこで彼女は代理母契約に際して、赤ん坊を譲渡する時に代理母が気持ちを変える機会を与えるべきではないと主張した。」(五条[1991:49]、cf.Andrews[1990](ベビーM事件に関連して))

・身体に対する自己決定をまず言う。むろん、嫌な人までこれをするべきであるというようなことは誰も言ってはいない。
 確かにこの原則を持ってきた時には批判は難しい。そして自己決定の擁護はフェミニズムが主張してきたことそのものでもある。

・フェミニズムの側からの議論としてZipper & Sevenhuijen[1987]が注目される。「代理母はフェミニストの問題か?」という問いを立てる。10年前、自らの友人が代理母出産をしたという話から始める。
 「代理母それ自体が制御されうるという主張は神話である。生殖技術という文脈での議論は代理母が医学的あるいは他の規制的な介入なしで行われ、将来より頻繁に行われうるという事実を曖昧にする。卵提供のない代理母は簡単なのだ。」(Zipper & Sevenhuijen[1987:137 )
 「いくつかの政府の委員会は、確かに、例えば自己・受精のような自助的な技術が禁止されるべきことを推薦している。しかし、「体内」受精あるいは自己・受精である限りそれらは効果的に抑止することは不可能である。」(Zipper & Sevenhuijen[1987:138])

■批判する議論

・ウォーノック報告は、一般的にある否定的な感情を尊重するという。しかし、むろん、これだけでは(Warnock[1985=1990]自身述べているように)弱い。

・こうして、批判は何かしらパターナリズム(不適当な語であるとしても)的なものになってしまう。批判がそれぞれに妥当な内容を持つということ、こうした要素があることとは別のことである。このことは確認しておかねばならない。私達の社会は、他人が気に要らないことをやっていても、道徳的に褒められない行為を行っていたとしても、それが誰かの権利を侵害しない限り、危害を加えない限り(何をもって侵害・危害というかは大問題だが)、それを許容する(許容せざるを得ない)社会である。
 要するに「合意」「契約」「自発的行為」という原則が私達の社会にあっては尊重されており、これを持ち出された場合に、反論は難しいということ。この大きな原則はむろん批判可能だが、そう簡単に崩せるとは思われない。以下批判の論点を拾っていくが、このことはよく批判者に自覚されているか。
 ただ、合意の原則を前提しても、事前に提供される情報が不正確である、あるいは虚偽のものであるという場合には、契約の有効性を否定しうる。そして実際、そのような事例がいくつも報告されている(どこまで事前に情報提供すべきなのか、という問題は残るにしても)。事前になされた約束が果たされないといった事例も。
・「会社がやる「カウンセリング」は…見当違いで、不適切きわまるカウンセリングだった。私は誤った情報を与えられ、「こんなすばらしいことができるのは、喜び以外のものものではない」と感じるだろうと、言われたのだ。…(p.236) …産みの母親が味わう悲嘆の過程や、赤ん坊を渡したあとに私が感じるはずの長期にわた否定的な情動については、一言も話してくれなかった。妊娠中に赤ん坊とのあいだにできる関係の深さや、赤ん坊を連れていかれたときに感じると思われる大きな喪失感や悲しみについては、何一つカウンセリングされなかった。」(ナンシー・バラス、Klein ed.[1989=1991:236-237])

・「養母となる女性は、娘と私はこれからもずっと拡大家族の一員であり、生まれる子どもに会ってもかまわないと、たびたび私に請けあった。子どもに会う法的な権利、ましてや子どもの消息をたずねたり写真をもらったりする権利すら私にないとは、センターは一度も言わなかった。写真はもらえるだろうと言った。義母は写真や手紙を送ると言った。息子が5カ月になった1978年2月以来、夫婦か一度も写真は送られてきていない。いま私は息子に会うことも抱くこともできない――ましても拡大家族の一員などではない。」(ナンシー・バラス、Klein ed.[1989=1991:237])

・「私は生物学上の父親の細菌に感染した精子で人工授精を受けた。このことは夫
婦からも医者からも知らされなかった。」(ナンシー・バラス、Klein ed.[1989=1991:238]、その他経費の不払い、等々…)

・斡旋機関を介さない場合での詐欺、契約違反
→アリハーンドラ・ムニョース、Klein ed.[1989=1991:218-227]

 契約が、一般的に、明らかに契約する一方の側に不利益をもたらすようなものであればそれを制限すること、あるいは禁止することは認められよう。この場合は…

●女性(の身体・感情) 女性と男性の関係…

〇「愛のないセックス……代理母は、セックスなしのヒト作りなのだ。
 ついこの間まで、人間はセックス以外の方法で、子どもが作れるとは考えたこともなかった。」(ヤンソン[1989:106-107])

 「相手との結婚を継続したいのなら、子どもができなくても、子どものない人生を二人で引き受ければいいではないか。第三者の生殖機能を利用してまで子どもがほしいという人は、すでに自分の妻をパートナーとみなしていない。それなら、なぜ、新たなパートナーを探さないのだろう。子どもができるかもしれない別の女性とやりなおすべきではないか。愛しあって子どもを作ることができるかもしれないのに、なぜいままでの相手との結婚をつづけ、人工授精などという七面倒臭いことをするのか。」(ヤンソン[1989:108])
 これは変だ。そして、それがどうした、と言うこともできる。

〇「代理母やAIDを使っての生殖は、そのカップルの不妊の治療にはならないではないか。なぜなら、彼ら二人の不妊性はそのまま残るかである。」
(ヤンソン[1989:108])
 これも批判の根拠にはならない。子どもを産むことが不妊の治療によってなさねばならないと考える必要はないからだ。

〇そこで、身体の擁護。身体そのものが私である。しかしそれは私によっても制御してはならないものである。身体過程の分断。…

〇動機を問題にする
 産まされているのであるという批判。女は子どもを産むものだという社会的な規範、圧力、斡旋する企業の説得(→「動機」の項)。
 確かに当たっているのかもしれない。しかしこのことによって、自発的にこれに参加しているのだと考えている(少なくともつもりになっている)人の参加についても全面的に否定することはできないはずである。

〇専門家/依頼者による自己決定の阻害。
 特に体外受精において専門家が介在するのは事実。だが(Zipper & Sevenhuijen[1987]も言うように)AIDであればどうか。また、まずは、専門家が代理母になること自体を強制するわけではない。これはとりあえず自己の決定なのである。専門家の介在を予期して、しかも契約に同意したとき。
 よく語られるのは妊娠中(及び妊娠前の)の身体管理、検査(→次項)

〇商品化についての批判
 身体を商品としている。確かにそうである。これを売買春との関連で述べるものがある。しかし、身体そのものを売買しているわけではない。そしてこうしたことは一般に私達が行っていることだ。→別資料「生殖技術の歴史と現況」でも言及
 「代理母産業は売春宿型のうちで女性たちに子宮を別売りさせる。母性は、いまや実験と権力のために子宮へ手を伸ばしたがる科学社の手を通して、女性の売春の新分野となりつつある。医者は生殖の代理店となって、受精と生殖を支配し管理することができる。女性たちは昔から売春婦が性を売り物にしてきたのと同様に、今度は生殖能力を売り出すのだ。しかもその上、性行為はしていないから売春婦という烙印を押されずに済む。」(Dworkin[1983]、Ince[1984=1986:87]に引用)

〇実質的な強制であるとする批判。
 低所得者層においてこの仕事が担われるという。しかしこれを言うなら、あらゆる労働がこうしたものである。なぜ代理母だけを取上げてこのことを言うのか。

〇不平等を生み出すという批判。
 職業労働に専念する女性がいる一方、その子どもを生む女性がいるというのである。高い賃金を得ることができる人が代理母と契約をし、そうでない人が代理母になる。しかしこれについても上に述べたことと同じことを言い得る。

〇男性支配の強化
 男性支配の道具、産む(産まされる)性としての女性という理解。

〇「子」に対する感情 …ベビーM事件でも。結局これが残る?
・「出産…七カ月後…(p.248)美しい茶色の目とバラ色の頬をした子どもの写真が届くようになった。その子は生まれたときのように父親と瓜二つではなくなっていた。それどころか、顔の上半分は私にそっくりだった。そのときになってはじめて私は、この子は私(・)の(・)息子でもあるという事実に気づいた。この子は私の遺伝子を一つの世代から次の世代へと伝えていく。そして私は、11500ドルと引き換えに彼とまた会える権利を捨ててしまったのだ。」
(Kane[1989=1991:248-249]…この文章が収録されているKlein ed.[1989=1991]には、他にも代理母を経験した女性のインタヴュー等がいくつか掲載されている。)

・「代理母会社はいまだに、赤ん坊は夫婦の子どもだと言いつづけています。でも、からだは自分を主張します。頭も心ももう納得しなくなる。この小さな人間は自分を主張します。動くのです。けるのです。1日24時間、ここにいるよと告げているのです。この小さな人間がだんだん成長してゆくのがわかっているのです。でも、おまえは代理母だと言われる。代理母とは「代用品」。でも、そんなことあるだろうか? 卵子はどこからきた? そして、この赤ん坊の46本の染色体は? 男からもらうのは23本――たった23本だと言うのに。
 心が自分を主張するから、感じはじめたこの罪悪感! 大きくなってゆくお腹に手をあてれば、それに応えるこの小さな人間。健康な赤ん坊でありますようにと、毎晩祈る。自分の感情がこわ(p.232)いから、心の奥底で、赤ん坊もママもどうにもならないと知っているから、泣きながら眠る。赤ん坊と引き離される分娩の時がきませんようにと祈る。
 やがて、その子は生まれる。父親がへその緒を切ったあと、その子をさしのべて抱かせてくれる。震える手で泣きはじめるその子の顔をみつめて、背中をなで、だいじょうぶ、ママはここにいるわ、と安心させる。そのことにはもう、この子は自分の息子、手放すことなどできないのがわかる。でもそのとき、赤ん坊を愛するがゆえに罪悪感を強く感じる。」(パトリシア・フォスター、Klein ed.[1989=1991:242-253])

 卵子が代理母のものである場合(A)と依頼者の側の場合(B)と異なりはするだろう、としても……

●子の問題

 報酬を払って子を得るのは、人間の売買であるという批判がある。これに対してどのように考えるのか。よく行われるのが養子との比較である。
 養子法の問題:
 これに対してこれは子供についての対価ではなく、代理母の側の負担に対する対価であるとする論理がある。このような論理によって正当化することはできるであろうか。例えばある製品を作る。その商品に対してつけられる価格は、作業工程に対するものであったのであり、その製品に対して価格がついているわけではないという論理が通用するであろうか。

〇質の管理
・障害を持った子どもが生まれ、引き取りを双方が拒絶するといった場合が問題になる。契約においてこのことを明確にすることは可能である。ではこのようにすれば問題は解消されるか。
・妊娠期間中の(あるいは妊娠前の)検査・管理
 「夕食時にグラス一杯のワインも飲んではいけない、煙草を吸ってはいけない、頭痛がしても500キロ遠くに住むレヴィン医師の承諾書なしにはアスピリンさえ飲んではいけない、と言われた。カップルに完璧な子どもを保証するために、数えきれないほどの血液検査と超音波検査、羊水検査を受けた。人工授精前にも、年齢が年齢なので羊水診断を受けるようにと言われた。しかし、いったん代理母斡旋業者がやると言えば、私(p.247)はいやとは言えなかった。」
(Kane[1989=1991:247-248])
・男女産み分けを求められる(男の子を)…パトリシア・フォスターの場合
・(30歳前だったが)羊水診断を受けるよう要求される。検査の結果、望ましい子どもでなはないと判明した場合の中絶が契約に定められていた…メアリー・ベス・ホワイトヘッドの場合(この条項は裁判(ソルコウ判事)でも支持されなかった)(以上、Klein ed.[1989=1991:205])

〇子が何を感じる(ことになる)か
 「私の息子は、生まれたときに私に捨てられることを願ったわけではない。私が会ったこともない男とほかの州で暮らしたいと、決めたわけでもない。現在、彼の父親は、彼にはウィスコンシン州に産みの母親と二人の姉と一人の兄がいることを話さないでいる。私の息子の父親は妊娠(p.251)には中絶を要求して私たちを引き離す権利をもっていたし、いまでは子どもが21歳になるまで引き離しておく権利をもっている。いつか私の息子は、自分が新車一台分の値段で買われたことを知り、その重荷を背負って生きていかなければならなくなるかもしれない。」
(Kane[1989=1991:251-252])

■何が抵抗感を生じせめているのか?

 感じる抵抗感は、以上にあげたものだけなのか?
 出産から育児へという、連続的な行為としてあったものを分断することに対する恐れのようなもの。確かにこれにしても歴史的な出来事ではあるかもしれない。しかし

 「調査委員会の仕事が私に印象づけた一つのことは、代理母制度の実行にたいして一般の人々の間にあるように思われるきわめて広範でかつ深く感じられた反感である。このことは、提出されてくる一片、一片の証拠において明らかになった。ところで、私は、道徳性を感情から切り離すということはできないと信じている。もし人々が、女性達が子供を引き渡すつもりで金のために定期的に妊娠するようになる社会に住みたくないときわめて深く感じるならば、その感情は尊重されるに値すると私は信じる。民主主義においては、人々はその感情が尊重されることを期待する権利を持っている、と私は思う。 ……」(Warnock[1985=1990:285])

■親とは誰のことか? 誰に認めるのか?

・親・家族
 「普通」の場合 男A・女A→生殖→女Aが妊娠→女Aが出産
 だが 男A・Bの精子、女A・Bの卵子、女A・B・Cの子宮→別FAIL
 ここでは狭義の代理母に限らず考えてみたい。
 例えば、フェミニズムはシングル、同性愛、事実婚、等々を擁護してきた。このこととの関係においてどうなるのか。
 代理母(契約)そのものにある問題 代理母と依頼した女性(と男性)との関係

■■問題となった事例

■代理母が、契約に反してその子を自分の手元に留めておきたいと願うケース

ベビーM事件

□オーストラリアでの事例

 ニューサウスウェールズ州 代理母が引き渡しを拒否 この種の事例における自然上の父親には父親としての資格の要求を認めない、ニューサウスウェールズ州人工受胎法が発効したのは、この母親が引き渡しを拒否した前日(Warnock[1985=1990:292](The Times、19840803より))

・日本の法律 「母子関係当然発生主義」
 「母とその非嫡出子との母子関係は原則として母の認知を俟たず、分娩の事実により当然発生すると解する」(最高裁1962年4月27日判決)→斎藤[1985:134]

・代理母は、妊娠を依頼したカップルに子どもを引き渡すまでは、契約を破棄する権利を持つべきであり、彼女が受け取っていた全てのお金を返すべきである。けれども、一旦、子どもが生物学上の父親と彼の妻の家に入ったら、その契約は十分効力を発し、子どもを要求する母親の権利は終了する。一方、父親はその母親が適切な親である限りは争えない。彼は、その子を養子にしないことを受け入れ、代理母取り決めや他の方法で別の子を養子にしてもよいし、また、自分が同意して生まれた生物学上の子どもとの関係を展開させ、続けていくことを選ぶ権利を持っている。この権利は、他の養育権のない父親に与えられるのと同等の、憲法上の保護すら受けるだろう。その場合、彼は、子どもを支える法的責任があることになり、その子どもが成年に達するまで、他の生物学上の父親がそうであるように、その責任を全うするよう義務づけられるべきである。
 このような法規によるメリットは、@母子関係の尊重、A関係者の各々の権利が明確になるので、不必要な訴訟を避け、訴訟が生じても簡単に解決できる、B代理母が訪問権や養育権を持つ可能性を認めることで、依頼人が代理母を使うのをやめるケースが出て来るということである。」
(Fields[1990]、難波[1991]による紹介)

■双方が(むしろ依頼者が)引き取ろうとしない場合 …障害児の出産

・アメリカ・ミシガン州でのケース(1983年1月)
 「アレグザンダー・マラホフ氏は妻が不妊なので、ジュディ・スタイバーさんという26歳の既婚女性と契約して代理妻(ママ)になってもらい、自分の精子でジュディさんに人工授精をしてもらった。子供は9か月早産したが小頭症があったので、マラホフ氏は血液型が自分と適合していなどの理由をあげて子供の引き取りを拒否したという。真相はともかく…」斎藤[1985:137]

■ 文献表

◇Keane, Noel P. ; Breo, Dennis L. 1981 The Surrogate Mother, Everest House, 357p. ※
◇松原 惇子  1983 「ご主人の精子をください、奥さんに代って赤ちゃん生みます(アメリカルポ)1)〜3)」,『週刊文春』25-33:44-50,25-34:72-8,25-35:44-9 <94>
石川 稔 1984 「代理母契約――新・家族法事情 1・2」 『法学セミナー』29-5(353):98-103,29-6(354):88-93  
◇Ince, Susan 1984 Inside the Surrogate Industry Arditi et al.eds.[1984:99-116]=1986 「代理母産業を暴く」,Arditi et al. eds.[1984=1986:65-88]
◇Warnock, Mary 1985 A Qustion of Life: The Warnock Report on Human Fertilisationand Embryology, Basil Blackwell, 110p.=1992 『生命操作はどこまで許されるか――人間の受精と発生学に関するワーノック・レポート』,協同出版,222p. 2000 <92>
◇斎藤 隆雄  1985 『試験官ベビーを考える』,岩波書店,180p. <89>
◇岩志 和一郎 1986 「西ドイツにおける代理母問題――「家族と法」研究レポート・1」,『判例タイムズ』37-30:7-16
◇人見 康子 1986 「生命科学の進展と法律――代理の母の法律をめぐって」 『民事研修』350:25-39  
◇酒井 眞知江 1987 「アメリカ代理ママ事件を追って」 『婦人公論』72-2:352-359
◇酒井 眞知江 1987 「ルポ代理母出産繁盛記――引き受けるのは貧しい母親たち」 『朝日ジャーナル』29-19:108-111
◇ヤンソン 由実子 1987 「アメリカ代理母裁判が問うもの」,『日本婦人問題懇話会会報』46:43-47  
◇Chesler, Phillis 1988 Sacred Bond : The Legacy of Baby M, Times Books, 212p. ; Vintage Books, vii+212p.=1993 佐藤雅彦訳,『代理母――ベビーM事件の教訓』,平凡社,377p. ISBN-10: 4582824013 ISBN-13: 978-4582824018 [amazon][kinokuniya]  ※
◇Kane, Elizabath 1988 Birth Mother, Harcourt Brace Janovich=19931210 落合恵子訳,『バースマザー――ある代理母の手記』,共同通信社,438p. 2200 ※
◇ヤンソン 由実子 19891030 「”代理母”が問うもの」,グループ・女の権利と性[89:96-111] ※
◇Field, Martha A.  1990 Surrogate motherhood : The Legal and Human Issues, Expanded edtion, Harvard Univ. Press, x+244p. (1st edition 1988) <95>
◇アメリカ医事法研究会 1991 「ヒト生殖技術および代理母に関するモデル案」 『ジュリスト』973:95-106  
◇難波 貴美子 1991 「不妊における生殖技術の諸問題」,お茶の水女子大学生命倫理研究会[1991:10-39] <90>
◇Keane, Noel P. 1991 「「今月,私のところで代理母による初の日本人ベイビーが生まれる」」(インタヴュー) 『週刊朝日』96-46(1991-11-8):52-53  
◇矢木 公子 19910525 「ポスト・モダンと母性 代理母が私たちに問うもの」 『ニュー・フェミニズム・レビュー』02:230-235
◇お茶の水女子大学生命倫理研究会 1991 『女性と新しい生命倫理の創造――体外受精と家族関係をめぐって』,お茶の水女子大学生命倫理研究会,259p.
◇人見 康子 1991 「人工生殖と代理母」,『法学教室』125:22-26
◇人見 康子 1991 「生殖援助技術と法律」,『民事研修』409:19-28  
◇難波 貴美子 19921030 「不妊の最後の選択――AIDと代理母制度」 お茶の水女子大学生命倫理研究会[1992:117-160] <79,90>
◇お茶の水女子大学生命倫理研究会 1992 『不妊とゆれる女たち――生殖技術と女性の生殖権』,学陽書房,290p. <90,98>
◇鷲見 ゆき 1992 「代理母を認めないのは残酷な行為ですよ――「代理出産情報センター」代表,鷲見ゆきさん」」(インタビュー),『サンデー毎日』71-18(1992.4.26):25(今週の顔)
◇鷲見 ゆき 1992 「私はなぜ代理母を斡旋するのか」 『婦人公論』77-10(939):240-245
◇二宮 周平 1992 「代理母 法は代理母契約を受け入れることができるか」,『法学セミナー』37-5(449):58-61
◇野村 豊弘 1992 「フランスの判例における代理母と養子縁組」,『現代社会と民法学の動向 下』,有斐閣
◇Foster, Patricia 1992 「代理母は悪夢でしかなかった」(インタヴュー),『ビーコモン』1-6(1992-3):37
◇棚村 修三 1993 「アメリカにおける代理母契約」 東方編[1993:154-176]
◇鷲見 ゆき 1993 「今の日本の不妊治療は,不妊の人を救っていません」 『別冊宝島188』:85-89
◇加藤 秀一 1993 「書評:フィリス・チェスラー著『代理母』」,『季刊・窓』17
◇小□ 信男 1994 「代理母をめぐる医学と法」,『大阪大学医学雑誌』46-2・3:59-70(159-170)
◇山崎 康壮 1994 「「代理母」問題への法的対応――英国の対応を素材として」,高島編[1994]
◇鷲見 ゆき 19950723 『鷲見ゆきの赤ちゃんが授かる本』,発行:見聞ブックス,発売:三弥生書店,197+33p. 1500 ※
◇菰田 麻紀子 19960615 『代理母出産――子宮がなくても子供が抱けた!!』,近代映画社,197p. 1800 ※
◇立岩 真也 1997 『私的所有論』,勁草書房(第3章・第4章)
柳澤 桂子 20010629 『いのちの始まりと終わりに』,草思社,206p. ISBN-10:4794210655 ISBN-13: 978-4794210654 \1470 [amazon][kinokuniya] ※ r01006 c19 et
◇浅井 美智子 20021010 「生殖技術と自己決定――代理母のエシックス/ポリティクス」,金井・細谷編[2002:159-178]*
 *金井 淑子・細谷 実 編 20021010 『身体のエシックス/ポリティクス』,ナカニシヤ出版,224p. \2200 ※
◇白石 拓 20080716 『医師の正義』,宝島社,255p. ISBN-10: 4796663002 ISBN-13: 978-4796663007 \1200 [amazon][kinokuniya] ※ f02 ot r01 r01006

 <>内は立岩『私的所有論』で言及されている頁を示す


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