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年表:出生に関わる技術・政策(総合)
年表:優生保護法・母子保健法
年表:優生保護法→母体保護法
出生前診断関連年表
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last update: 20150303
論文+資料集
『闘争と遡行・1――於:関西・+』
御注文承り中。
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186810 堕胎薬の販売禁止☆
1869 明治政府堕胎禁止令を出す☆
1880 明治旧民法公布☆
1898 明治新民法公布☆
>TOP
1907 現行刑法堕胎罪公布☆
1930 警視庁 産児制限・妊娠調節の禁止☆
1931 日本医師会答申「遺伝の濃厚な疾患について断種の法的規制を」
1934 民族優生保護法案提出 国会通過せず☆
1935 民族優生保護法案提出 国会通過せず☆
1936 民族優生保護法案提出 国会通過せず☆
1937 民族優生保護法案提出 国会通過せず☆
1937 母子保護法制定 母子栄養強化対策を目的とする
やぎ[1986:212]〇
1937 保健所法
山本勝美[1987:73-]
1937 陸軍 内閣支持の条件として国民体位向上のための衛生省(のちに厚生省)
の設置を約束させる
山本勝美[1987:73-]
1937 人口問題研究会,37年より,毎年人口問題全国協議会を開催
人口問題について建議を重ねる
『現代日本小児保健史』(ドメス出版)→母子保健法に…[資料集9]〇
1938 民族優生保護法案提出 国会通過せず☆
1938 厚生省設置
山本勝美[1987:73-]やぎ[1986:212]〇
19380101 母子保健法施行
「13歳以下の子をかかえた貧しい母が生活・養育・生業・及び医療扶助を
必要な限度に於て受けられる」 「私生児」とその母も対象となる
1946生活保護法に吸収☆
1938 保健所設置
やぎ[1986:212]〇
1939 厚生省に付属機関として人口問題研究所を設立
『現代日本小児保健史』(ドメス出版)→母子保健法に…[資料集9]〇
1940 国民体力法 戦時の栄養低下防ぎ徴兵チェックを目的とする(やぎ)
山本勝美[1987:73-]やぎ[1986:212]〇
1940 国民優生法成立
1941 厚生省人口局「人口政策確立要綱」提出 01の閣議で決定
「東亜共和圏の建設と発展に向け,内地では昭和三五年に一億人を目標と
する」(山本)
東亜共栄圏の「悠久にして健全なる発展を図る」ことを趣旨に「差当り昭
和三五年総人口一億を目標」として,人口増加の具体的方策を微細にわた
って規定。とくに出生の増加については,今後一〇年間に一夫婦平均五児
を目標」とし,死亡減少については二〇年間に三割五分の低下を望む。
(『保健史』)
山本勝美[1987:73-]☆
『現代日本小児保健史』(ドメス出版)→母子保健法に…[資料集9]〇
1941 人口政策確立要綱の実施機関として厚生省に人口局,局内には母子課がお
かれる
内閣に総理を会長とする人口対策審議会を設ける案は実現しない
『現代日本小児保健史』(ドメス出版)→母子保健法に…[資料集9]
19410701 国民優生法施行
山本勝美[1987:73-]やぎ[1986:212-213](『朝日』410701を引用)☆
1941 保健婦規則 25歳まで体力テスト 体力のふりわけ作業
山本勝美[1987:73-]
1942 妊産婦手帳制度「立派な子供を産み,お国のために尽くしましょう。」
人口政策確立要綱にそって「妊産婦保護手帳規定」施行:妊娠中の診察を
励行するとともに,必需物資および食糧の特配を行おうとする
(『保健史』)
山本勝美[1987:73-]母子保健法に…[10]〇
『現代日本小児保健史』(ドメス出版)→母子保健法に…[資料集9]
1942 「国民保健指導方策要綱」
保健所が国民保健指導網の中枢として位置づけられる
山本勝美[1987:73-]
>TOP
1947 厚生省児童局に母子衛生課が設置される
やぎ[1986:213]〇
1947 「保健所法」制定
やぎ[1986:213]〇
1947 「児童福祉法」制定
やぎ[1986:213]「目的」を引用
1947 「妊産婦手帳」が「母子手帳」に変わる 梅毒,結核を防ぐことが中心
(やぎ)
「立派な子供が生まれるように注意しましょう」(母子…)
やぎ[1986:213]母子保健法に…[10]
194809 優生保護法実施
山本勝美[1987:94-]やぎ[1986:214](第1章第1条引用)☆
1949 優生保護法一部改訂 「経済的理由」を加える
やぎ[1986:214]〇 ☆
>TOP
1952 優生保護法一部改訂
手続きの簡素化=優生保護法指定医の判断,本人・配偶者の同意だけで中
絶可能に 優生手術の枠を遺伝性ではない精神病にも拡大
やぎ[1986:214] ☆(前者のみ紹介)
19530612 厚生事務次官通達
「母体外において,生命を保続することのできない時期」を「妊娠第八月
未満」とする (28週まで)
1955 優生保護法一部改訂 受胎調節実施指導員に避妊薬の販売を認める☆
1956 羊水穿刺法による性染色質診断開始
19580401 売春防止法発効☆
>TOP
1960 この頃ピルが日本でも使われ始める☆
1961 三歳児健診 実施通達
山本勝美[1987:94-]やぎ[1986:197,214]〇
1962 製薬会社が厚生省にピルの製造許可申請をする☆
1963 サリドマイド禍発生☆
1964 母子福祉法公布
やぎ[1986:214]〇
1964 (東京オリンピック)
小林厚生大臣「堕胎天国の汚名をなくしたい」と発言☆
1965 画像診断(単純造影法)開始
196508 母子保健法公布
山本勝美[1987:85]やぎ[1986:214-215](第1・2条を引用)
1965 三歳児健診 母子保健法制定に伴い法律化
「よいお母さんになるために自分が健康でなければなりません」
やぎ[1986:197,214]〇母子保健法に…[10]
1965 母子保健法に基づき「母子健康手帳」が生まれる
やぎ[1986:215](第15・16条を引用)
1965 中央児童福祉審議会中間報告
「母子保健福祉施策の体系化と積極的な推進について」
やぎ[1986:214]〇
1966 厚生省「母性・乳幼児の健康審査及び保健指導に関する実施要綱」
山本勝美[1987:85]
1966 羊水穿刺法による染色体分析開始
1967 厚生省副作用を理由にピルの製造許可せず☆
1967 「成長の家」が中心となって「優生保護法改廃期成同盟」結成☆
1967秋 ガスリー法によるPKUスクリーニングが開始される。
成瀬[1978]→白井勲他[1982:20]
1967 英国「人工妊娠中絶法(Abortion Act)」制定。西欧諸国の中絶自由化
に大きな影響を与える。出生前診断が可能に。
196805 母子保健対策懇話会「母子保健総合政策の確立に関する意見書」
母子死亡率の高いこと,心身障害児の増加,出生率の著しい低下,新生児
管理の不備などをあげて,母子保健に対する国の責任と法財政上裏付けの
ある母子保健体系の拡充,労働婦人の保護対策などを要求(『保健史』)
やぎ[1986:215-216]
『現代日本小児保健史』(ドメス出版)→母子保健法に…[資料集10]
1968 日本小児保健協会など関係団体「母子保健推進会議」を結成して運動を開始
『現代日本小児保健史』(ドメス出版)→母子保健法に…[資料集10]
1968 中央児童福祉審議会意見具申
急激な社会変動に応じた母子保健医療体制の整備充実を早急に実現するよ
う…
『現代日本小児保健史』(ドメス出版)→母子保健法に…[資料集10]
1968 羊水穿刺法による酵素分析開始
1969 人口問題審議会中間答申
「人口の先細りをふせぐために出生力の回復が必要。政府はそのための社
会開発を強力に推進せよ」☆
1969 厚生省 日本医師会に委嘱して優生保護法実態調査を行う☆
1969 「成長の家政治連合(成政連)国会議員連盟」結成☆
1969 「優生保護議員懇談会」結成 「優生保護法改正期成同盟」の働きかけ
やぎ[1986:218]
>TOP
197003 衆院予算委で改悪の必要ありとする質問答弁が行われる☆
197004 衆院予算委で改悪の必要ありとする質問答弁が行われる☆
197005 障害児殺害事件(神奈川)に対する減刑嘆願反対運動
197008 日本医師会が前年の調査に基づいて「優生保護対策について」を発行
成長の家の動きには反対しながらも,「先天性異常児」発生の予防として,
中絶を許す条件に胎児側の理由を追加すべきである…と論じる☆
19701021 日本のリブ,初めての街頭行動を行う
夏から改悪反対運動に取組んでいた☆
1970 日経連が「雇用政策研究会報告」を発表
労働力人口増加対策の一つとして優生保護法改定をあげる☆
1970 中央児童福祉審議会「早急に実施しなければならない『母子保健対策』」
(68年のものと)いずれも予算削減に対する防衛戦ていどの役割しか果せ
なかった(『保健史』)
やぎ[1986:217-218]に紹介
『現代日本小児保健史』(ドメス出版)→母子保健法に…[資料集10]
1970 胎児鏡 胎児視診開始
197205 第68国会に優生保護法改悪案上程☆
197205 厚生省 ピルを「要指示薬」(医者の処方箋が必要)☆
197206 店頭でのピル販売禁止☆
1972 「保健所問題懇談会基調報告」
山本勝美[1987:76]
1972 羊水穿刺法によるαFP診断開始
1972 胎児鏡を用いた胎児生検開始。
1972 画像診断(超音波診断法)開始。
1972
日本脳性麻痺者協会「青い芝の会」
,神奈川県での障害児殺害事件に対
する減刑嘆願運動への批判を開始
1972 兵庫県で羊水検査開始。障害者団体から批判運動が起こる。
(谷奥克己[1973])
cf.松永真純 200112 「兵庫県「不幸な子どもの生まれない運動」と障害者の生」
『大阪人権博物館紀要』5:109-126 →
『闘争と遡行・1──於:関西・+』
に収録
19730314 「改悪法案再上程か」の新聞報道☆
197305 改悪案再上程 以後審議が行われる 反対運動☆
19730524 青い芝の会の質問状に対する田川誠一(当時自民党・衆議院社会労働委
員長)の
回答
19730924 次期国会でも継続審議が決まる☆
19731023 〜24 母性衛生学会(徳島市)で特別講演「不幸な子供を生まないために」
『リブニュースこの道ひとすじミニ版』5(19731010):3
197312 参議院の須原議員(薬剤師会)の「なぜピルを解禁しないのか」の質問に
田中首相が回答「医師の判断のもとに,避妊薬以外の目的で使用すること
は法の禁じるところではない。医師の処方があれば,薬局での購入も可」☆
19740420 障害者の入場を拒絶したモナリザ展に障害者の女性抗議行動を行い逮捕
最終日まで障害者,ベビーカー締め出しに抗議する女性グループ抗議☆
197405 改悪案再び審議に入るが,改悪阻止運動も活発に行われ,審議未了廃案決定☆
1974 中央児童審議会答申「今後推進すべき児童福祉対策について」
少産少死の次代を担う世代の資質向上のため,母子保健,医療,児童の健
全育成を図る
やぎ[1986:197]
1974 『厚生白書』(74年版)「人口資源の向上」の項に「人口資源の問題は,
好ましい資源の向上と好ましくない資源の排除という両面から考えて,関
連する各種の施策によって総合的に推進していくことが必要である」
やぎ[1986:221]
1974 胎児鏡を用いた胎児血採取開始。
1974 兵庫県羊水検査中止。
1975 国際婦人年世界会議,世界行動計画採択される☆
1975 じゅう毛採取法 染色体分析・酵素分析・DNA分析開始。
1975 フランス,妊娠10週まで女性の中絶の自由を認める
(出生前診断は1972年に開始されている)
197506 「青い芝の会」神奈川県連合会,胎児診断につき神奈川県知事に要請書
を提出,反対運動を本格的に始める。→1976年4月,県は胎児診断を
「子ども医療センターを始め県立病院で行うことを今後中止することを
確約。
1976 国際人口問題議員懇談会(岸信介会長)発足。
そこに第二分科会(家族計画・母子保健分科会)が設けられる
やぎ[1986:197]山本[1983:79]〇
1976 3度目の「母子健康手帳」の改定
やぎ[1986:221-223]に紹介
19760120 厚生事務次官通達
「母体外において,生命を保続することのできない時期」を「妊娠第七月
未満」とする (24週)
1976 羊水穿刺法によるDNA分析開始。
1976 英国「先天障害防止法(Congenital Disabilities Act)」制定。医師の
両親に対する義務の不履行のために生まれた子どもが障害児であるとき,
家族(両親)が医師に対して訴訟を起こすことが可能になる。
1976 米国「国家遺伝病法」制定。これにより胎児診断が普及。
1976 西ドイツ刑法218条改正。「子が遺伝的もしくは出生前の有害な影響のた
めにその健康状態に除去しえない損傷を被り,その損傷が妊婦に妊娠の
継続を要求しえないほど重大であると信ずべき有力な根拠があるとき」
には妊娠中絶が処罰されないことになる。
1977 1歳6カ月健診 市町村へ実施通達
山本勝美[1987:90-]やぎ[1986:191,214]〇
1977 風疹ワクチン女子中学生(13〜15歳)を対象に実施
石神[1987:153]
1977 フェニールケトン尿症・メイプルシロップ尿症・ホモシスチン尿症・ヒス
チジン血症・ガラクトース血症の5種類の先天代謝異常の検査,全国的に
始まる
やぎ[1986:197]
検査費は公費から(成瀬[1978]→白井勲他[1982:20])
1977 自・社・公・民四党の共同提案計画に至るが,国会上程成らず。
@母子保健改正案(家族計画指導と遺伝相談の条項化,母性を思春期以後
の女子とする,小児から成人まで一貫管理する)
A母性保健基本法案も併行して作成
山本[1983:79]〇
19781121 厚生事務次官通達>
「母体外において,生命を保続することのできない時期」を「妊娠満二三
週以前」とする(WHOの妊娠期間の表示法に従う)
1979 自民党「家庭基盤の充実に関する諸政策」発表☆
1979 77年の5種にクレチン症の検査追加
やぎ[1986:197]
198001 77年の5種に先天性甲状腺機能低下症が加わる
白井勲他[1982:20]↑?
19790613 「家庭保健法基本問題検討委員会」(厚生大臣の私的諮問機関)が発足
成長の家理事他24名
やぎ[1986:181-184]
(「家庭保健基本問題検討委員会」成長の家理事長他24名
山本[1983:79]〇↑?)
>TOP
198103 3月国会上程延期(慎重論が起こる)
やぎ[1986:181-184]山本[1983:79]〇
19811207 検討委員会報告書が出る
プライマリーケアを重んじる意味は「健康管理という問題を精神的にも肉
体的にも,そして個人的にも民族的にも実施すること」 その意図は「民
族にとって良質な子孫を残すため」「多種多様な健康を阻害する因子」を
第一段階から発見
この報告書についてやぎ[1986:181-184]山本[1983:79]〇
198202 中央児童福祉審議会母子保健対策特別委員会で検討を開始
やぎ[1986:184-186]
(…特別部会 山本[1983:79]〇↑?)
19820301 成長の家政治連合(成政連)国会議員連盟総会が開かれ憲法改定・優生保
護法改定の二大目標早期実現を決議☆
198203 優生保護法改定法案国会上程提案 「経済的理由」による中絶を認めるこ
とは生命尊重の精神に反する 「胎児条項」にはふれない
小沢[198710:332]やぎ[1986:220]〇
19820315 参議院予算委員会で生政連の村上正邦(自民党)が優生保護法について総
括質問を行い鈴木首相・森下厚相に改定実施を約束させる☆
19820327 「中央優生保護審査会」が改定について審議始める☆
198204 マザー・テレサ来日 各地で講演
国会議員と朝食会を持つなどして「生命の尊厳を守れ」とキャンペーン☆
19820624 日本母性保護医協会が「優生保護法に関する日母の見解」を発表
改定反対の立場を表明☆
19820713 ファミリーライフ協会の主催で「生命の尊厳を訴え,胎児のいのちを救う
国民の集い」が開かれ,「生命の日」制定,優生保護法改定実現を訴える。
森下厚相が出席し決議文をうけとる☆
19820717 優生保護法改悪阻止集会 「抗議及び要求書」を全員で採択☆
19820719 厚生省に「抗議及び要求書」を手渡す☆
19820817 衆・参両国会議員達に「優生保護法改悪についての抗議及び意見書」を配布☆
19820819 衆議院法務委員会で,蓑輪幸代議員(共産党)が改悪反対の立場で質問☆
19820830 「優生保護法施行及び公衆衛生審議会令の一部を改正する政令」公布
(公衆衛生審議会に「優生保護部会」新設。優生保護法「改正」に関す
る審議はここで行われることに☆
19821103 東京渋谷山手教会で10時〜6時「'82優生保護法改悪反対集会」1100人参加
全国各地で呼応集会開かれる☆
19830101 東北大学
体外受精・胚移植(IVF&ET)に関する憲章
198303 優生保護法案提出見送り 全国的な反対と運動と地方議会での請願採択な
どの結果 優生保護部会で時期尚早とする慎重論が多数派を占める
やぎ[1986:220]
19830412 徳島大学
「ヒト体外受精卵子宮内移植法」に関する申請についての倫理委員会判定
198305 自民党政調会社会部会「優生保護法等検討小委員会」中間報告
やぎ[1986:220]
(自民党政務調査会優生保護法等小委員会より中間報告「優生保護法の取
扱いについて」でる 山本[1983:80]
19830728 児童審議会同部会意見具申「今後の母子保健施策のあり方について」
8112の委員会報告書を受ける
やぎ[1986:184-186] 山本[1983:80]
198310 日本産科婦人科学会会告「「体外受精・胚移植」に関する見解」
『日本産科婦人科学会誌』35-10:7→日本不妊学会編[1996:215-219] <95>
198311 『ヴァンサンカン』1984年新年特別号に「結婚する前のコンセンサス・
よい血を残したい」とする記事掲載。→198312
198312 全国障害者解放運動連絡会議,婦人画報社に対して抗議。→198402
198402 婦人画報社全面的に謝罪(1984年2月)。
1984 79年までの6種に神経芽細胞腫の検査追加
やぎ[1986:197]
198403 厚生省 母性および乳幼児の健康保持,増進を目的とした母子保健法を20
年ぶりに改正する方針を固め,具体的な検討作業に着手することに
国会答弁 『読売新聞』840310(やぎ[1986:187-188]に引用)
198503 日本産科婦人科学会会告
「ヒト精子・卵子・受精卵を取り扱う研究に関する見解」
『日本産科婦人科学会誌』37-3:7
→日本不妊学会編[1996:220-223] <95>
19850722 行政改革審議会の地方行革推進小委員会答申
機関委任事務の一つとして「母子保健事務など十一項目を市町村の義務に」
19850825 「未婚女性に母子手帳」『読売新聞』850825(やぎ[1986:188])
19850923 「先天異常監視システム導入へ」『朝日新聞』850923(やぎ[1986:188-189])
19851031 「母子保健法の改悪に反対し,母子保健のあり方を考える全国連絡会」
厚生大臣に要望書を提出(やぎ[1986:189])
198403 政府母子保健法改定する旨を明らかにする
山本勝美[198710:]小沢[198710:333]
19850824 厚生省法改正の要旨を発表
(1) 妊娠前の母性の健康管理のため,「母性健康診査」「母性手帳」を設
ける
(2) 先天異常児の出生をチェックする「新生児モニタリング(監視)・シ
ステム」を整備するため全国の病院産婦人科にコンピュータの端末機
を入れ,常時出産の様態を中央に報告する
(3) 1歳6か月健診を法定化する
(4) 母子保健事業を都道府県から市町村に移し,市町村実施のものと一本
化する
山本勝美[198710:]
1985 厚生省「先天異常出生監視システム」を打ち出す
山本勝美[198710:113]
198512 医療法改定 都道府県に「地域(保健)医療計画」の策定を指示
山本勝美[198710:113]
19860612 杉山四郎 マスコミを通じパーコール法による「産み分け続行宣言」
「医学倫理とは別に家族制度のプレッシャーにあえぐ主婦,遺伝病の恐怖
にうろたえる夫婦にも倫理がある。」『読売新聞』0612
向井承子[1990:136-137](その後の反応も含め紹介)
198607 絨毛診断がすでに国内で実施され,臨床応用が70例に達していることが
明らかになる。(グループ・女の人権と性[1989:21](年表))
198609 日本産科婦人科学会の「診療・研究に関する倫理委員会」が,パーコー
ル法による産み分けについての意見書を報告。適用を原則として血友病
などの伴性劣性遺伝性疾患の予防に限定するなどの内容。
198609 日本医師会の「生命倫理懇談会」が男女産み分けにつき,伴性劣性遺伝
疾患の予防に限定するとの見解を発表。特例として日本産科婦人科学会
か大学の倫理委員会が認めた場合には実施を認めるとの臨床応用の道を
残す。
「「男女産み分け」についての見解」(日医生命倫理懇談会結論)
198611 日本産科婦人科学会会告
「パーコールを用いてのXY精子選別法の臨床応用に対する見解」
『日本産科婦人科学会誌』38-11
→岡本・馬場・古庄編[1988:213-214] <95,430>
重い伴性劣性遺伝性疾患に限り,実施の登録報告を義務づける。
19861129
「死亡した胎児・新生児の臓器を研究に用いることの是非や許容範囲についての見解」
(日本産科婦人科学会会告)
(1986年11月29日・理事会承認。のち1991年12月に「解説」を追加。)
198612 「団体事業化法案」(正式には「地方公共団体の執行機関が国の機関とし
て行う事務の整理及び合理化に関する法律案」)の一部として母子保健法
の一部改定が国会で承認される:母子保健法の定める事業が機関委任事務
であったものが,地方公共団体が実施主体となる。
山本勝美[198710:114-115]
1987
「「パーコールを用いてのXY精子選別法の臨床応用に対する見解」に関する解説」
『日本産科婦人科学会誌』39-3
→岡本・馬場・古庄編[1988:214-215] <95,430>
198711 日本産科婦人科学会
「先天異常の胎児診断,特に妊娠初期絨毛検査に関する見解」
『日本産科婦人科学会誌』40-1(1988.1)→
岡本・馬場・古庄編[1988:305-306] <95,430>
夫婦のいずれかが先天異常の保護因者,伴性劣性遺伝病の保因者,前に
生まれた子が先天異常児,高齢出産の場合等を対象とし,検査について
の説明を十分に行なう等の内容。
198801 日本産科婦人科学会 胎児診断に関する見解(上記)
性別は劣勢伴性遺伝病の場合以外は教えない 検査は「安全かつ確実な」
方法を習得した医師によって行われること 「倫理的にも社会的にも多く
の問題を包含している」
向井承子[1990:135]
1988 東北大学医学部小児科多田啓也教授の調査で,先天代謝異常症の胎児診
断の症例が全国で 260例に達していることがわかる。胎児診断実施の主
な大学病院15ケ所にアンケート調査した結果で,うち異常と診断された
のは63例。すべて両親の希望で中絶。羊水診断に加えて絨毛診断も使わ
れ始めていることがわかる
(『朝日』19880522→グループ・女の人権と性[1989:27](年表)
198805 東邦大学医学部が,筋ジストロフィーなどの遺伝病の出生前診断に,妊
婦の胎盤の絨毛組織から遺伝子を取り出して調べる遺伝子診断の実用化
を,大学内の倫理委員会に申請。本格的な臨床応用をめざすものとして
は国内で初めての試み
(『日経』880512→グループ・女の人権と性[1989:26](年表))
198812 東邦大学医学部倫理委員会,申請の出ていたデュシェンヌ型筋ジストロ
フィーの出生前遺伝子診断を承認。じゅう毛診断を大学の倫理委員会が
公式に認めたのは日本で初めて。
1988 日本産科婦人科学会 「ヒト胚および卵子の凍結保存と移植に関する会告」
『日本産科婦人科学会誌』40-4:1-2 <95>
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19900320 妊娠中絶の期間 第22週未満 (21週)
19900110 全国障害者解放運動連絡会議・日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会総連合会の
岡山県知事に対する
「抗議並びに質問書」
(子宮摘出事件に関して)
19900124
岡山県の回答
19910101 900320の決定実施
1991
日本人類遣伝学会
が臨床遺伝学認定医制度を開始
19920900 『出生前診断を考える ─1991年度生殖技術研究チーム研究報告書─ 』
生命倫理研究会生殖技術研究チーム著,生命倫理研究会,1992年9月,194p.,
2000円(連絡先:〒194 東京都町田市南大谷11号 三菱化成生命科学研究所・内
0427-24-6280 fax:0427-24-6301)
1994 カイロ国際人口開発会議 安積遊歩が優生保護法の実態を世界にアピール
1994 日本産科婦人科学会「平成五年度診療・研究に関する倫理委員会報告」
『日本産科婦人科学会誌』46-5 <89>
19941205 日本人類遣伝学会遺伝相談・出生前診断に関する委員会(松田一郎委員
長)会告
「遺伝カウンセリング・出生前診断に関するガイドライン」
(平成6年12月5日承認)
199504 日本人類遺伝学会臨床細胞遺伝学認定士制度を開始
→
日本人類遺伝学会臨床遺伝学認定医制度と同臨床細胞遺伝学認定士制度
1995 北京会議
19951207 自民党社会部会が優生保護法に関する勉強会を開く。精神保健課が歴史,
内容などを説明。この資料には国民優生法から優生保護法になった過程
で「優生思想が強化」となっていた。『JB』
19951213 各界女性有志が森井厚生大臣に面会。カイロ会議,北京会議のフォロー
アップを要望。優生保護法・堕胎罪の撤廃も訴える。『JB』
19951216 『朝日新聞』論壇に毛利子来の「優生保護法の廃止を望む」が掲載され
る。中絶はとりあえず母子保健法に移行することの主張に運動内部で議
論沸騰。『JB』
19951217
不妊と生殖技術を考えるオープンフォーラム第1回
不妊と生殖技術、いま何が問題か──〔患者のニ−ズ〕って何ですか?
19951218 DPI女性障害者ネットワークと阻止連が精神保健課・母子保健課と会
談。とりあえず優生思想を削除し,次に女性の自己決定権をとの2段階
論が厚生省から提起される。『JB』
19951226 なくそう優生保護法・堕胎罪,変えよう母子保健全国連絡会が社会党朝
日議員,堀議員,新党さきがけ堂本議員を呼び優生保護法の動きを議論。
『JB』
19960107 優生保護法をめぐる女性たちの意見交換,各地から17団体が集まる。
『JB』
19960126 なくそう優生保護法・堕胎罪,変えよう母子保健全国連絡会,社会党清
水議員,川橋議員,堀前議員を呼び討論。『JB』
19960202 『朝日新聞』論壇にDPI女性障害者ネットワーク樋口恵子の「堕胎罪
撤廃こそが必要だ」掲載される。『JB』
19960214 朝日新聞,優生保護法改訂に関する特集記事で各方面からの意見を掲載。
『JB』
19960217
不妊と生殖技術を考えるオープンフォーラム第2回
どう考える?『減数手術』
19960224 シンポジウム「もういらない!堕胎罪と優生保護法 わたしのからだ
わたしがきめる」に百名近い参加者集まる(よびかけ団体=女のからだ
と医療を考える会・女性と健康ネットワーク・全障連関東ブロック・D
PI女性会議・全国青い芝の会・日本婦人会議・阻止連)『JB』
19960322 女性議員有志とNGO有志が菅厚生大臣に面会。カイロ及び北京のフォ
ローアップを要望。「優生保護法の差別性はわかるが,中絶に関してい
ろいろ意見があって政治的な問題となり難しい」と答弁。他の問題では
つっこんだ意見が出てきたのに,相変わらずの答にちょっとがっかり。
『JB』
19960327 らい予防法廃止法が国会で成立。4月1日から優生保護法のらいに関す
る部分が削除される。『JB』
19960328 円より子(山崎順子)議員が参院法務委員会で堕胎罪と優生保護法の廃
止,女性障害者への子宮摘出に関して質問。『JB』
19960414
優生思想を問うネットワーク
が
講演とパネルディスカッション(大阪)
今こそ語ろう!自己決定って何だ?
─優生思想保護法・堕胎罪はいらない??─
荻野美穂(女性史研究家)・長谷川良夫(全国青い芝の会)
筒井純子(全障連関西ブロック)
生越久美子(母子保健法改悪に反対する女たち・大阪連絡会)
19960418 『読売新聞』夕刊,「優生保護法見直しへ」という記事を掲載。『JB』
19960427 鹿児島大学市民公開シンポジウム「着床前診断を考える」 全国障害者解放運動連絡会議(
全障連
)の機関誌『全障連』139号(19960530)に報告掲載
19960521
斎藤有紀子氏を囲む勉強会:周産期医療と生命倫理
19960526
不妊と生殖技術を考えるオープンフォーラム第3回
排卵誘発って何ですか?
19960529・朝8時半から自民党社会部会が開かれ,優生保護法改正案を決定。優生
思想を削除し,母性保護法に変えるという案。『JB』
・自民党社会部会 優生保護法改正案まとめる
1.法律名を「母性保護法」に改める
2.法律の目的から「不良な子孫の出生を防止する」との表現を削除する
3.「優生手術」を「不妊手術」に改め,要件を母体の生命に危険を及ぼす
場合や母体の検討度を著しく低下する恐れのある場合に限定する
4.人工妊娠中絶の要件を身体的または経済的理由により母体の健康を害す
る恐れのある場合や暴行,脅迫によって妊娠させられた場合に限定する
など
『朝日新聞』0530
19960530 与党厚生調整会議が開催されるが,自民党案は提出されなかった。『JB』
19960604 朝8時から与党厚生調整会議が開かれ,他2党に自民党案が提案される。
その後,自民党の総務委員会で改訂案を承認。社民党,さきがけの厚生
部会で自民党社会部会長の衛藤氏が自民党案を説明。5時から女性議員
を含めた「「優生保護法」改正を考えるネットワーク」が「女性の視点
からの改正を」と記者会見。『JB』
19960605 自民党の森山真弓,南野知恵子,野田聖子議員がネットワークに参加。
自民党案に反対の態度を表明。『JB』
19960606 夜,阻止連主催で女たちの緊急対策会議。『JB』
19960607 朝8時から社民党厚生部会厚生行政に関わる法律見直し検討小委員会と
両性平等委員会の合同会議で市民団体の意見を聞く。全家連・滝沢武久,
母子保健に従事する心理相談員の会・山本勝美,DPI・樋口恵子,丸
山百合子,阻止連・長沖暁子・鈴木良子(不妊の立場から)が発言。滝
沢氏以外は母性保護法の名称に異議を唱える。
9時からはさきがけが勉強会。DPI・加藤真規子・樋口恵子,阻止連
・米津知子,大橋由香子,山本勝美,丸本百合子,駒野陽子,北村邦男
医師らの意見を聞く。
午後から社民党の清水澄子氏と今井澄氏が自民党の衛藤氏と折衝。名称
を「不妊手術,人工妊娠中絶に関する法律」にし,配偶者の同意を削る,
見直しに関する付則を付け加えることを申し入れる。衛藤氏は自民へ持
ち帰るが却下。『JB』
19960610 4時からの社民党小委員会で名前の変更を再度申し入れることに決める。
夜8時から与党厚生調整会議でさきがけ,社民の修正提案を自民は拒否。
自民党案より後退した「与党厚生調整会議および福祉プロジェクト3座
長試案」が提出される。『JB』
19960611 女性議員を中心に名称変更を要望する「「優生保護法改正案」について
の要望書」への署名が始まる。『JB』
19960612 自民森山真弓・野田聖子,社民・清水澄子・千葉景子・岡崎トミ子,さ
きがけ・枝野幸男・堂本暁子議員が34名の署名をもって自民山崎拓政調
会長に名称変更を申し入れ。さきがけ渡海紀三郎,社民伊藤茂政調会長
にも申し入れ,その後記者会見(13日には署名は44名に増える)。『JB』
19960613 与党政調会長の会議で名称「母体保護法」,付則は付けない,政調会議
直属の「女性の健康の権利等の検討プロジェクト」を作ることなどで合
意。『JB』
19960614 11時半からの衆議院厚生委員会で和田静夫委員長が「優生保護法の一部
を改正する法律案」を提案。いっさい審議がなく可決。
1時からの本会議も審議はなく,拍手で可決。『JB』
19960617 5時から参議院厚生委員会で衆院厚生委員長和田静夫氏が改訂案を提案,
審議なしで可決。付帯決議を社民朝日氏が提案。これも全会一致で採択。
数名の女性たちが傍聴にかけつけるが,5時10分に委員会室に着いたと
きはすでに審議は終了していた。『JB』
19960618 9時から新進党有志が声明を発表し記者会見。
1時から参議院本会議,起立採択。着席1名のため全員一致にならず,
7名の女性議員は退席した。『JB』
「母性保護法」成立
19960619 国会閉会。優生保護法改正を考えるネットワークと阻止連が記者会見。
『JB』
19960626 「優生保護法の一部を改正する法律」公布される。3月後に施行。
19960710 優生思想を問うネットワークが
「優生保護法改正,「母体保護法」に関する声明及び要望」
19960908
不妊と生殖技術を考えるオープンフォーラム第4回
体外受精は福音ですか?
19960915 「アジア太平洋障害者の10年」中間年・課題別分科会・第2
「優生思想を問う分科会 テーマ=出生前診断を考える」
講演:
白井泰子
「出生前診断の現状と問題点」
運営:全国障害者解放運動連絡会議・優生思想を問うネットワーク
19961110
優生思想を問うネットワーク
連続講座第1回「知らずに受けた優生手術」
佐々木千津子(全国青い芝の会・広島)
於:大阪府同和地区総合福祉センター
19961214
優生思想を問うネットワーク
連続講座第2回
佐々木和子(京都ダウン症児を育てる親の会)
於:大阪府同和地区総合福祉センター
19970118
生命倫理研究会総会・シンポジウム
テーマ 母体保護法のこれから――優生思想は消えたのか
19970120 優生思想を問うネットワーク,日本産科婦人科学会と
着床前診断について話し合い
199702?? 優生思想を問うネットワーク,日本産科婦人科学会に
「抗議および要望書」
19970307 DPI女性障害者ネットワークが日本母性保護産婦人科医会に対して
「胎児条項発案に反対する意見書」
19970330
「日本人類遺伝学会遺伝性疾患胎児の中絶、法規定求める」
『読売新聞』
19970403 「SOSHIREN 女(わたし)からだから」が日本人類遺伝学会に
「胎児条項の導入に反対する意見書」
19970410
日本人類遺伝学会
が
「優生保護法改正に関する理事会声明」
『読売新聞』報道
DPI女性障害者ネットワーク他,日本人類遺伝学会と
話し合い
19970413 「出生前診断による中絶 法規定ない現状,論議重ね打開を」『読売新聞』
19970419
生命倫理研究フォーラム・第7回研究会
白井泰子「出生前診断の現状と問題点」
19970710 第1回厚生科学審議会先端医療技術評価部会
議事録
19971003 第2回厚生科学審議会先端医療技術評価部会
議事録
19971127 第3回厚生科学審議会先端医療技術評価部会
議事録
19971208 女の管理と優生思想を問う会・「あほう鳥」社
日本産科婦人科学会診療・研究に関する倫理委員会委員長への
「質問書」
19971211 第4回厚生科学審議会先端医療技術評価部会
議事録
19980129 第5回厚生科学審議会先端医療技術評価部会
議事録
出席団体:日本人類遺伝学会/日本臨床遺伝学会/日本弁護士連合会
19980129
日本弁護士連合会の意見書
厚生科学審議会先端医療技術評価部会「生殖医療に関する意見聴取」の際提出
19980210 玉井真理子→日本弁護士連合会
厚生科学審議会先端医療技術評価部会に提出された貴会の意見書に対する質問
19980216 第6回厚生科学審議会先端医療技術評価部会
議事録
出席団体:社会福祉法人全国重症心身障害児(者)を守る会/財団法人全国精神
障害者家族会連合会/社会福祉法人全日本手をつなぐ育成会/社団法人日本筋ジス
トロフィー協会/日本ダウン症協会/日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会
19980318 第7回厚生科学審議会先端医療技術評価部会
議事録
19980424 第8回厚生科学審議会先端医療技術評価部会
議事録
19980521 第9回厚生科学審議会先端医療技術評価部会
議事録
19980610 日本産科婦人科学会主催
「着床前診断に関する第2回公開討論会」
19980622 第10回厚生科学審議会先端医療技術評価部会
議事録
19980627 日本産科婦人科学会,受精卵の着床前診断を認めることを決定
19980703 SOSHIREN女(わたし)のからだから
日本産科婦人科学会への
抗議文
『女のからだから』157号(19980728)p.3
19980722 「SOSHIREN女(わたし)のからだから」
第10回先端医療技術評価部会の論議に対する意見書
『女のからだから』157号(19980728)p.10
19981206
障害者の出生前抹殺──受精卵遺伝子診断反対! 優生思想を問う講演集会
講師:市野川容孝
19990227 日本母性保護産婦人科医会法制検討委員会
母体保護法の改正問題に関する見解を盛り込んだ報告
(1)不治または致死的な疾患のある胎児の中絶を容認する、いわゆる
「胎児条項」を設ける
(2)妊娠12週未満の中絶について女性の自己決定権を認める
(3)不妊治療に伴って多胎妊娠となった場合に一部の胎児を消滅させる
減数手術を認める 等
0228『朝日』
19990323 からだと性の法律をつくる女の会→日本母性保護産婦人科医会
「「胎児条項」導入を求める見解に反対する意見書」
19990324 SOSHIREN 女(わたし)のからだから→日本母性保護産婦人科医会
「胎児条項」導入を求める見解への抗議文
19991117
日本母性保護産婦人科医会主催 母体保護法に関する公聴会
- 女性の権利を配慮した母体保護法改正の問題点(多胎減数手術を含む) -
日本人類遺伝学会第44回大会
※以上は立岩真也が作成しているデータベースから必要な事項を選んだもの。
※特記のない場合は日本についての事項。
※☆は優生保護法改悪=憲法改悪と闘う女の会編19820928
『優生保護法改悪とたたかうために』pp.30-31 の「優生保護法関係年表」より
(直接関係のないものを除き全部転載)
〇は記載内容全部の転載を示す
※『JB』は長沖暁子「女性の自己決定権は認められなかった──SOSHIRENおんなの
からだから」(『ジョイフル・ビギン』7(1997.1.20)pp.78-84)中の「年表」
※出生前診断関係については,グループ・女の人権と性『アブナイ生殖革命』
(1989年,有斐閣)末尾の「知っておきたい基礎知識」(作成:丸山百合子・
草野いづみ)「生殖技術関係年表」(作成:草野いづみ)から引用させていた
だいたデータが最も多い。
谷奥 克己 1973 「「羊水検査」実施のねらい──優生保護法「改正」の意図
と関連して <不幸な子どもを生まない運動とは>」,
『臨床心理学研究』11-1:41-57
グループ・女の人権と性 編 1989 『アブナイ生殖革命』,有斐閣選書792,270p.
1700
毛利 子来 1972 『現代日本小児保健史』,ドメス出版
やぎ みね 1986
山本 勝美
19871015 「母子保健とはなにか――保健所の歴史をふまえて」
日本臨床心理学会編[1987:61-118]
*この他自治体レベルで行われた,行われようとした様々なことを取上げないと
いけないのだが調べがついていない。
この文書の履歴 19900920 「選択的中絶・と・障害者/女性の運動 VER1.00」の一部として VER1.00/900926 「選択的中絶・と・障害者/女性の運動 VER1.10」の一部として VER1.10/910420 別FAILにする VER1.20/960603 少し追加 HPに掲載 REV:970430,970501,..980907...20031227, 20131030, 20150303
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