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公務労働

労働


 作成:橋口 昌治立命館大学大学院先端総合学術研究科

■本

◆西谷 敏・行方 久生・晴山 一穂編 20040806  『公務の民間化と公務労働』,大月書店,283p. ISBN-10: 4272210815 ISBN-13: 978-4272210817 1200 [amazon]

■賃金

◇木下 武男 19990820 『日本人の賃金』,平凡社,208p. ISBN-10: 4582850138  ISBN-13: 978-4582850130 693  [amazon]

「(…)地方公務員の人事政策で問題なのは、ゼネラリスト(一般職)の養成に傾斜し、専門職を軽視する傾向がみられることです。このことが、専門職の非常 勤化、委託化、そして廃止につながっています。とくに自治体における専門職の非常勤職員は急増しています。保育園や給食調理の職場にはかなり前からパート タイマーが配置されていましたが、今や行政サービス窓口事務員、図書館司書、生活指導相談員、社会教育指導員、女性センター運営委員など、あらゆる分野で 非常勤職員の活用がおこなわれています。
 これに対して、自治労の賃金政策では、「管理職につながる単線的なキャリアを唯一の望ましいキャリアと考え」るのではなく、「専門職制度」や「特定部門 における業務推進を担当する専任職」を確立するよう提起していることは大切でしょう。」(p.202)

■教師/教員

◇浦野 東洋一・坂田 仰・青木 朋江・横澤 幸仁・渡邉 光雄 編 20010420 『学校経営と法研究会叢書3 現代教師論』,八千代出版 272p. 2625 ISBN-10:4842911875 ISBN-13: 978-4842911878 [amazon]

「教師がもつ志向性(=教師文化)や職場の仲間との関係性(同僚性)の2つが,バーンアウト等に関与しているということだが,バーンアウトを誘発する教師 文化が教師という職業集団に共通してみられる特性であるのに対して,教師文化の弊害をやわらげバーンアウトを抑制するとされる職場の同僚からの支持や援助 は,教師個人の性格や各学校の状態などによって多様な現われ方をする。同僚間で励まし合い支え合う雰囲気(同僚性)が職場内に醸成されていれば,自然と支 持や援助を受け入れやすくなるし,そうした関係性が育っていない学校では,お互いが孤立してしまう。次節で述べるように,教師文化と上手につきあう鍵は, このあたりにみつけることができそうである。
 なお冒頭で紹介した本の著者の一人,酒井朗は、日本の教師が頻繁に用いる「指導」という言葉の中に,多忙化の鍵は隠されていると指摘している(7)。ア メリカの教師は自己の教育行為について,もっぱらteachやinstructという言葉を用いて説明する。teachやinstructに続く目的語は 特定の知識やスキルであり(分数をteachする,作文の書き方をinstructするなど),アメリカの教師が自らの役割を教授者としての側面に限定し ていることがわかる。ところが,日本の教師が頻繁にもちいる「指導」は,学習面だけでなく生徒指導面をも含む,広い場面で用いられる。つまり「指導」とい う言葉が,「学校内のすべての営みを教育的に意味づけ,教師の本来的役割に含めてしまうマジックワード」となり,「多忙な職務の実態は,学校に広く浸透す るこのような指導の文化によって維持され」る仕組みとなっているというのである。われわれの無意識的な思考の枠組みそのものが,多忙を生み出す構造なのだ という酒井の言葉には,この問題の根深さを改めて考えさせられてしまう。

*(7)酒井朗「いじめ問題と教師・生徒」苅谷剛彦ほか『教育の社会学』有斐閣,2000年,40〜42頁」(p.129-130)

「聖職とは、『新明解国語辞典』(三省堂)によると、キリスト教の僧侶と記述されている。広義には、教師・牧師など、単なる労働者・サラリーマン以上の奉 仕が期待される職業を指すとも書かれている。このような宗教的な聖職者像は、日本の場合、明治政府によって意図的に作られたと考えられている。(…)いず れにしても、地位、名誉、報酬などにとらわれない滅私奉公を美徳として教員に求め、国民もそのような教師を敬愛したのである。このように国家主義の臭いが 濃い教職観であるが、一方で、教師の仕事が、人間の精神の発達にかかわる尊い仕事であるということで聖職と呼ぶに値するという見方もある。とくに、後の方 の教職観は、新しい聖職者論として現在も生きている。」(p.158-159)

「1947年には、教育基本法が制定され、第6条2項には、「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努 めなければならない」と示された。戦前の聖職者論とは異なった見方が唱えられたのである。
 労働者論の礎となったものは、1952年6月の日教組の第9回定期大会である。この大会で、日教組は「教師の倫理綱領」を採択し、「教師は労働者であ る」と宣言したのである。
 労働者とは、労働により得た賃金で生活していく人という意味である。そこで問題になったのが、教師の超過勤務である。日教組は、超過勤務手当請求訴訟で 当時の文部省に対抗し、労働者論と聖職者論は激しく対立したのである。結局、1971年に「国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特 別措置法」が公布され、教職調整額を支給することで決着した。」(p.159)

「聖職者論と労働者論のどちらが適切な教職観であるかということは、決着がつきにくい議論であった。このような状況の中で、新たな教職観として導入された のが、専門職論である。とくに、この見方に多大な影響を与えたのが「教員の地位に関する勧告」であった。この勧告は、ユネスコとILOの共同作業で準備さ れ、1966年9月のユネスコにおける特別政府間会議で採択されたものである。
 (…)
 それでは、専門職とは何だろうか。アメリカのリーバーマンの指標を参考にしてみると、高度で複雑な知識が必要であること、長期的な訓練を必要とするこ と、広い範囲にわたって自立性があること、社会的に公認された免許資格があること、仕事に対して責任を負うことなどをあげることができる。
 なかでも自立性ということが中心的な特徴になっている。教師は、教育公務員特例法によって、一般公務員よりも若干の特殊性が認められているものの、教師 を一般公務員と別の身分にしているわけではない。教師は意思や弁護士ほどに自立的ではなく、単なる公務員の一人にすぎない。例えば、教科書の採択、教育課 程の決定、学習計画について、個々の教師の裁量が及ぶ範囲は限られている。専門職の理想からは現実の教師は離れたところにいるのである。理想と現実の溝を 埋めるのは容易なことではなく、それこそが教育改革のひとつの方向を示していると考えられる。」(p.160-161)


*このファイルは文部科学省科学研究費補助金を受けてなされている研究(基盤(B)・課題番号16330111 2004.4〜2008.3)の成果/の ための資料の一部でもあります。
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/p1/2004t.htme

UP:20070816 REV:
労働 
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