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臓器移植・脳死 メディア報道 2010年4、5、6月

brain death / organ tranpslantation 2010

臓器移植・脳死 2010


◆2010年04月03日 読売新聞 脳死小児 虐待判別リスト案
◆2010年04月06日 朝日新聞 虐待受け脳死の子から臓器提供、防止へ厚労省素案
◆2010年04月06日 読売新聞 「長期脳死」も臓器提供対象 厚労省委が確認
◆2010年04月06日 毎日新聞 「臓器提供拒否」15歳未満も有効
◆2010年04月08日 読売新聞〈解〉子どもの心臓移植
◆2010年04月08日 読売新聞 病室見守った「雲の犬」 心臓患う少年、生前撮影
◆2010年04月29日 読売新聞 改正臓器移植法指針案 虐待疑い児童から提供認めず
◆2010年04月20日 朝日新聞 臓器提供病院を3分類へ 厚労省の臓器移植委
◆2010年04月20日 毎日新聞 改正臓器移植法:虐待疑いの児童、臓器移植は禁止 厚労省の運用指針
◆2010年04月29日 朝日新聞 脳死の子どもから臓器提供 厚労省運用案決まる
◆2010年05月08日 朝日新聞 ありのまま、追い求めて 人工呼吸器の子、在宅ケアを支援「バクバクの会」/大阪
◆2010年05月14日 朝日新聞 腎臓病や臓器移植、関係者ら考える 23日、和歌山で大会 /和歌山県
◆2010年05月18日 読売新聞 映画「孤高のメス」インタビュー 堤「実在の医師参考」
◆2010年05月19日 毎日新聞 医療ナビ:15歳未満の臓器提供 改正移植法の7月全面施行を前に…
◆2010年05月19日 毎日新聞 臓器移植:「親族優先」角膜を妻へ、改正法初適用 50代男性、生前登録
◆2010年05月22日 朝日新聞 角膜を親族へ優先提供 心停止の夫→妻 臓器移植法改正後初
◆2010年05月22日 朝日新聞 臓器移植目的の「渡航は自粛を」 WHO総会、決議採択
◆2010円05月22日 読売新聞 渡航移植自粛 「国内の患者 苦境に」 支援団体が懸念
◆2010年05月22日 読売新聞 渡航移植は「自粛」 WHOが新指針
◆2010年05月22日 読売新聞 角膜 初の親族優先提供 改正臓器移植法 病死男性から妻に
◆2010年05月22日 毎日新聞 WHO:臓器売買、禁止 移植規制で指針案を採択
◆2010年05月23日 朝日新聞 公平性、根深い問題 法改正後初、角膜を妻に優先移植
◆2010年05月23日 毎日新聞 WHO:生体ドナー健康調査を 臓器売買を禁止−−移植指針、総会で採択
◆2010年05月23日 毎日新聞 全腎協全国大会:腎臓移植への理解訴え 医師が最新の治療を紹介 /和歌山
◆2010年05月24日 毎日新聞 心臓移植:拡張型心筋症、ゆうと君の渡米手術費用を 知人ら「救う会」設立 /宮城
◆2010年05月25日 朝日新聞 (患者を生きる:1281)臓器移植 息子のカード:1 「本人の意思」あったから
◆2010年05月25日 朝日新聞 「米国で心移植を」募金開始 倉敷で「きなちゃんを救う会」 /岡山県
◆2010年05月25日 読売新聞 渡米移植1億5000万円募金 心筋症女児の両親ら/岡山
◆2010年05月26日 朝日新聞 改正臓器移植法で申し入れ 日弁連
◆2010年05月26日 朝日新聞 (患者を生きる:1282)臓器移植 息子のカード:2 危険な仕事自覚し、署名か
◆2010年05月26日 読売新聞 臓器提供拒否権など要望
◆2010年05月26日 毎日新聞 臓器移植:親族優先移植が終了−−初適用
◆2010年05月27日 朝日新聞 (患者を生きる:1283)臓器移植 息子のカード:3 承諾書、緊張で書き損じた
◆2010年05月27日 読売新聞 臓器提供カード 記載不備→家族が判断 可否両方○など 本人意思「不明」に
◆2010年05月28日 朝日新聞 (患者を生きる:1284)臓器移植 息子のカード:4 心臓が患者の体で動き出した
◆2010年05月29日 朝日新聞 (患者を生きる:1285)臓器移植 息子のカード:5 「人のために」孫に伝わった
◆2010年05月30日 朝日新聞 (患者を生きる:1286)臓器移植 息子のカード:6 情報編 家族の判断、大事に
◆2010年06月01日 朝日新聞 妻への角膜移植、成功 日本アイバンク協会
◆2010年06月01日 朝日新聞 (患者を生きる:1287)臓器移植 提供の現場で:1 出血し脳圧迫、目覚めぬ夫
◆2010年06月01日 読売新聞 妻に角膜 手術終了
◆2010年06月02日 朝日新聞 (患者を生きる:1288)臓器移植 提供の現場で:2 「助からない」でも温かい肌
◆2010年06月03日 朝日新聞 臓器提供、運転免許証で意思表示 警察庁、裏に記入欄
◆2010年06月03日 朝日新聞 (患者を生きる:1289)臓器移植 提供の現場で:3 「本当に脳死か」戸惑う息子
◆2010年06月04日 朝日新聞 (患者を生きる:1290)臓器移植 提供の現場で:4 夫の死、実感わかぬ妻
◆2010年06月07日 朝日新聞 (患者を生きる:1291)臓器移植 提供の現場で:5 「植物状態と違う」
◆2010年06月07日 朝日新聞 (患者を生きる:1292)臓器移植 提供の現場で:6 情報編 「脳死」の受け止め
◆2010年06月08日 朝日新聞 (患者を生きる:1293)臓器移植 屋上のジュース:1 息子の顔がパンパンに
◆2010年06月08日 読売新聞 [医療ルネサンス]「孤高のメス」(上)脳死移植の緊迫感 映画で(連載)
◆2010年06月08日 読売新聞 家族の同意で臓器提供OK 「知っている」4%
◆2010年06月09日 朝日新聞 (患者を生きる:1294)臓器移植 屋上のジュース:2 厳しい食事制限に涙も
◆2010年06月09日 毎日新聞 ニュースBOX・福島:改正臓器移植法来月施行 提供への理解、浸透の鍵 /福島
◆2010年06年09日 読売新聞 [医療ルネサンス]「孤高のメス」(下)移植医療の関心高めたい(連載)
◆2010年06月10日 朝日新聞 (患者を生きる:1295)臓器移植 屋上のジュース:3 研究中の治療法、使えず
◆2010年06月10日 読売新聞 子どもの臓器移植で要望
◆2010年06月10日 毎日新聞 ファイル:小児の提供臓器、小児に移植を
◆2010年06月10日 毎日新聞 映画:「孤高のメス」上映会 山形で16日、脚本・加藤さん講演も /山形
◆2010年06月11日 朝日新聞 子の脳死判定に基準 拒否、書面以外も可 指針案了承
◆2010年06月11日 朝日新聞 (患者を生きる:1296)臓器移植 屋上のジュース:4 ドイツでの治療を決意
◆2010年06月11日 朝日新聞 小児の心臓移植実施計画を承認 国循センター倫理委/大阪
◆2010年06月11日 毎日新聞 心臓移植:なっちゃん救え 移植目指し募金活動、余命半年「改正法待てない」 /東京
◆2010年06月12日 朝日新聞 (患者を生きる:1297)臓器移植 屋上のジュース:5 法改正につなげて
◆2010年06月13日 朝日新聞 (患者を生きる:1298)臓器移植 屋上のジュース:6 情報編 子どもの提供課題
◆2010年06月15日 朝日新聞 (患者を生きる:1299)臓器移植 紅いほっぺ:1 事故、冷たくなる息子の手
◆2010年06月16日 朝日新聞 (読む)長期脳死 娘、有里と生きた一年九カ月 中村暁美著/大阪
◆2010年06月16日 朝日新聞 (患者を生きる:1300)臓器移植 紅いほっぺ:2 体の一部でも生きてほしい
◆2010年06月17日 朝日新聞 (読む)「いのちの選択 今、考えたい脳死・臓器移植」 小松美彦ら編
◆2010年06月17日 朝日新聞 (患者を生きる:1301)臓器移植 紅いほっぺ:3 「病気に苦しむ子に」と希望
◆2010年06月17日 朝日新聞 カナダでの心臓移植、両親ら支援呼びかけ 中野・古家菜沙ちゃん /東京都
◆2010年06月17日 読売新聞 心臓病の女児救って 渡航移植 募金協力訴え/東京
◆2010年06月17日 毎日新聞 改正臓器移植法:施行まで1カ月 臓器提供、意思の表示を
◆2010年06月18日 朝日新聞 (患者を生きる:1302)臓器移植 紅いほっぺ:4 男児の腎臓 透析の40代女性に
◆2010年06月18日 読売新聞 [気になる!みやぎ]海外心臓移植 なぜ高額/宮城
◆2010年06月18日 毎日新聞 生体肝移植:20年記念し公開講座 法改正前「考える契機に」−−26日信大 /長野
◆2010年06月21日 朝日新聞 (患者を生きる:1303)臓器移植 紅いほっぺ:5 息子の腎臓の成長がうれしい
◆2010年06月20日 朝日新聞 (患者を生きる:1304)臓器移植 紅いほっぺ:6 情報編
◆2010年06月22日 朝日新聞 (患者を生きる:1305)臓器移植 家族の1年:1 健診で肺に影、腫瘍を切除
◆2010年06月22日 毎日新聞 心臓移植:小児移植は3施設/長野
◆2010年06月23日 朝日新聞 (患者を生きる:1306)臓器移植 家族の1年:2 肺炎、呼吸困難「あと3日…」
◆2010年06月24日 朝日新聞 (患者を生きる:1307)臓器移植 家族の1年:3 肺移植へ気持ち固めた
◆2010年06月25日 朝日新聞 (患者を生きる:1308)臓器移植 家族の1年:4 手術成功、肩抱き合い涙
◆2010年06月26日 朝日新聞 (患者を生きる:1309)臓器移植 家族の1年:5 支えに感謝、社会復帰目指す
◆2010年06月27日 朝日新聞 (患者を生きる:1310)臓器移植 家族の1年:6 情報編
◆2010年06月29日 朝日新聞 子どもの心臓移植実施、東大など3施設 学会協議会が発表
◆2010年06月29日 朝日新聞 (患者を生きる:1311)臓器移植 生駒の空:1 妻のB型肝炎感染が判明
◆2010年06月29日 読売新聞 小児心臓移植施設に3病院 学会協議会方針
◆2010年06月29日 読売新聞 循環器病センター 阪大病院など3施設 小児心臓移植
◆2010年06月29日 毎日新聞 改正臓器移植法:施行に備え、小児脳死移植を訓練−−阪大
◆2010年06月30日 朝日新聞 (患者を生きる:1312)臓器移植 生駒の空:2 血液型は違う、でも「おれが」
◆2010年06月30日 読売新聞 改正臓器移植法 誰もが対象者 家族で確認を(解説)
◆2010年06月30日 読売新聞 改正臓器移植法 本社世論調査
◆2010年06月30日 毎日新聞 改正臓器移植法:17日施行 小児脳死に対応、36%−−毎日新聞アンケート
 
 
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■「臓器移植 息子のカード:1 「本人の意思」あったから(2010年5月25日)朝日新聞

http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201005250222.html

写真:近所の土手で草花を摘む。「この花はなあに?」と尋ねる孫に、亡くなった息子の面影を見る=滝沢美穂子撮影(略)
 2月、神戸市。献眼をした人の遺族や角膜移植を受けた患者が集う兵庫県アイバンクの慰霊祭で、小学生の男の子(8)の声が会場に響いた。
「お父さん、よくがんばったね。その目でぼくを見守っていてね。ぼくもがんばるよ」
 そんな孫の姿を見て涙が止まらなかった。《そうや。あんたのお父さんの目も心臓も肺も肝臓も、みんな生きているんや》
 孫の父、つまり息子が、30代の若さで脳死状態になったとき、その臓器を、様々な病気で臓器移植を待つ患者らに提供しようと最初に決意したのは、母親である自分(60)だった。
    ◇
 「助からないなら、臓器提供のようなことはできるやろか」
 ある冬の日、兵庫県内の救急病院。こう打ち明けると、12畳ほどの家族控室に集まった家族が静まりかえった。離婚して実家に戻っていたトラック運転手の息子が、仕事中の転落事故で意識不明になり、消防防災ヘリで運びこまれた。しかし、脳死状態だった。
 「わかっとって口にしとるんか。考えてもの言いや」
 猛然と反発したのはめい(35)だった。息子とは小さいころ一緒に暮らすなど、きょうだい同然に育った。まだ小さな子どもがいるではないか、父子で1時間でも長く過ごさせてやることの方が大事ではないか、と訴えた。
 《それはわかるけれど、死ぬのを待っているだけでは、かわいそすぎるやん。なんですべて灰にせなあかんのん。息子を何とか残してやりたい》
 こんな思いが頭の中を駆け回り、思わず泣き叫んでいた。「ほかの誰かを助けたいんやない。この子を助けたいんや」
 「どっちも正解やと思う」。医師でもあるめいの夫(37)は困ったように言った。「でも、臓器提供に動き出したら止めるのは簡単やないです。もういっぺんよく考えて」
 再び沈黙が続いた。そして、黙って聞いていた夫(61)が重い口を開いた。「母さん、それでええと思う」
    ◇
 事故当日。病院に駆けつけると、集中治療室(ICU)で息子が横になっていた。腕や頭に血圧や脳圧を測る管やケーブルをつながれ、人工呼吸器を着けられているが、外傷はほとんどない。スヤスヤと眠っているようだ。
 しかし、コンピューター断層撮影(CT)画像の脳の断面図では、右側が大きく膨らみ、全体的に左に寄っている。「きわめて重篤な頭部外傷で脳が腫れている状態です。行いうるすべての治療を施しても回復の見込みはありません」。脳の機能が失われていることを医師に告げられた。
 目の前で眠る息子の手に触ると温かい。心臓もトントントントンと鼓動を続けている。手を握ると、息子の目から涙が流れた。「起きろ。目を覚ませ」「がんばれ」。枕元に置いてある携帯電話に、友人たちからメールが次々入っていた。
 事故の翌日、親類の一人が「脳死、いうことでしょうか」と尋ねた。医師は「脳死と思われるが、判断するには臓器提供を前提とした法的脳死判定が必要になります」。
 《臓器提供か……。お母さんがあんたの心臓の入れ場を探したげる。姿はいらん。よそさんの体で生きてくれれば》。そう思って決意した。
    ◇
 悩み、話し合った末に家族の考えがまとまったのは事故から3日目。夫とめいの夫が臓器提供の意思を主治医に打ち明けた。
 主治医は驚きながらも、臓器移植コーディネーターに連絡を取ってくれた。しかし、「脳死下での臓器提供については、本人の意思表示があるドナーカード(意思表示カード)がないとできません。一度探してみてはいかがですか」。
 「ドナーカード? そんなもんあったかいな」
 首をひねりながら、息子がいつも持ち歩いていたリュックサックを開けてみた。財布、カード類、給与明細までもがきちんと整理されていた。十数枚のカードの束を繰った。中から健康保険証が見つかった。裏の保護シールをはがすと、意思表示カードの文面が現れた。
 自筆の署名と心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓(すいぞう)、小腸、眼球、すべての臓器に丸がつけてあった。「これやわ」。夫と顔を見合わせた。息子と気持ちが通じた。命のバトンがつながった。そう思った。(香取啓介)
    ◇
家族の同意だけでも可能に 7月に改正法施行
 自分が脳死になったら、病気で困っている人に臓器をあげたい。意思表示カードなどにはっきりそう記している人が実際に脳死になった時だけ、臓器は摘出され、移植のために提供される。これが今の仕組みだ。改正臓器移植法が7月17日に本格施行されると、本人の考えがはっきりしていなければ家族の同意だけで提供できるようになる。
 提供を増やすのが狙いだ。1997年の現行法施行以降、脳死の人からの提供は86件。欧米に比べて少ない。書面による本人の意思確認の仕組みが原因の一つとされる。海外ではほとんどない厳格な制度と言われる。
 法改正は、脳死を人の死とする考え方で進められた。国会審議では、脳死を人の死とするのは臓器移植の場合に限られるとの説明もあった。意思表示カードがなく、本人の考えがわからない場合、日記などから思いをくみ、家族が提供を申し出ることができる。本人は提供しない意思を残すこともできる。家族も提供しないことを選べる。
 本人の意思がわからないまま決断を求められると、家族の負担は重くなりかねない。そこで国は、意思を残しやすくするため、運転免許証に意思を記す方法を広げようと準備している。
 改正法施行で15歳未満の子からの提供も可能になる。小さな子は大人の臓器ではサイズが合わず、移植を受けられないことがある。特に心臓は脳死の人からしか提供してもらえず、年齢制限撤廃は患者や家族らの願いだった。ただ、子どもの提供が大幅に増えるとみる専門家は少ない。(野瀬輝彦)
   ◇
 臓器移植をめぐる仕組みが、大きく変わります。脳死提供で「本人の意思」が必須ではなくなり、患者ではない家族の決断で、移植を待つだれかのもとに臓器を届けるプロセスが始まることになります。一方、移植でしか助からない人たちに、健康な家族らが自らの臓器の一部を提供するケースもあります。患者と家族の選択を通して、臓器移植のいまを考えます。
    ◇
 「患者を生きる 息子のカード」は6回連載します。

 
 
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■臓器移植 息子のカード:2 危険な仕事自覚し署名か( 2010年5月26日)朝日新聞

http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201005260211.html?ref=reca

写真:息子のリュックサックから意思表示カードが見つかった(略)
 「息子の臓器を提供したい」。仕事中に事故に遭い、兵庫県の救急病院に運び込まれた息子が脳死状態になったとわかった母(60)は、どこかで臓器移植を待つ患者に臓器を提供しようと思い立った。その決意に家族は戸惑い、反発しながらも、最終的には寄り添うことを決めた。息子のリュックサックから意思表示カードが見つかったからだった。
 息子はなぜ、意思表示カードを持っていたのか。思い当たることがある。
 事故の8カ月前の晩だった。移植を扱ったテレビドラマを家族で見ていた。「なんかあった時は、私の角膜とか、使ってもらうことはできるんやろか」とつぶやいた。「そんな小さい目で間に合うか」と冷やかす夫(61)の横で、息子はまじめな顔でこう言った。
 「今は医療も発達しとる。そういうことも考えなあかん時代や。おかんがその気でも、ドナーカード(意思表示カード)がいるんや。コンビニでもどこでも置いてるから、今度また詳しく教えてあげる」
 普段は無口な息子が、珍しく冗舌だった。
 トラック運転手の息子は、結婚して男の子が生まれた直後に離婚。子どもを引き取り、自分たち両親と4人で暮らしていた。
 住宅用の材木を運んでいた。関西を中心に全国を飛び回った。一つの工場を任され、荷の積み込み、配車、輸送、すべてこなした。面倒見が良く、週末に運転手仲間とスナックで焼酎の緑茶割りを飲むのが楽しみだった。
 事故が起きた冬の日、兵庫県の山あいの町には雪が降っていた。
 息子は朝5時半に家を出た。正午前、仕事先の建材工場の荷積み場で、仰向けに倒れているのを発見された。荷台の上で材木をくくる作業中に3メートル下の地面に転落したらしい。
 事故を知らせる電話口からヘリコプターの音が聞こえた。救助ヘリ? 「もう、あかんかもしれない」と思った。息子は10日ほど前、15トントラックを新調したばかりなのに……。
 リュックサックから出てきた息子の意思表示カードを見ていて、署名の日付に目が止まった。息子は数年前、荷下ろし中に、荷台のふたに挟まれて右手の親指を切断する大けがをした。そのころの日付だった。
 「自分の仕事が危険と隣り合わせや、ということは分かっていたんやと思う」
 病院で息子の気持ちに思いをはせていたら、臓器移植コーディネーターが到着した。

 
 
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■臓器移植 息子のカード:3 承諾書、緊張で書き損じた(2010年5月27日)朝日新聞

http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201005270230.html?ref=reca

写真:臓器摘出承諾書と脳死判定承諾書(略)
 事故に遭い、兵庫県内の病院に運ばれた息子は脳死状態だった。脳死になったら移植を待つ人に臓器をあげたい。そんな息子の意思を生かそうと、母親(60)ら家族は決意し、主治医に告げた。県の臓器移植コーディネーター、藤原亮子(ふじわら・りょうこ)さん(32)らが駆けつけた。
 臓器移植コーディネーターは、臓器提供の候補者が現れたら、家族に説明し、意思を確認する。提供が決まると、検査の手配や移植チームとの連絡など最後まで調整に携わる。
 事故から3日目の午後7時半、集中治療室脇の面談室。家族は息子の意思表示カードを差し出した。「家族の気持ちは一つです。すぐにでもお願いします」。藤原さんは「まず臨床的脳死診断が必要です」と言った。
 臨床的脳死診断は午後9時半に始まった。つめの生え際を押して痛みに反応しないか▽目にペンライトで光を当てても瞳孔が拡大したままか▽のどにカテーテルを入れるとせきをするなどの脳幹反射が消えているか▽脳波の検査に反応がないか、などを2時間かけて調べ、「臨床的脳死」と診断された。
 提供には、法律に基づく2回の「法的脳死判定」も必要で、間を6時間空ける、2回目の終わった時が死亡時刻になる、などと藤原さんは丁寧に説明してくれた。
 「承諾には家族で話をして、意見を一つにしてから決めて頂きます。臓器摘出の手術前であれば、いつでも撤回できます」。家族の気持ちは固まっていた。母親は言った。「では、承諾手続きをお願いします」
 脳死判定と臓器摘出の2通の承諾書に代表して夫(61)が記入した。緊張で住所を書き損じた。親族、病院スタッフ、コーディネーター計14人が署名し終えたとき、深夜1時を回っていた。
 一夜明けて、1回目の法的脳死判定があった。臨床的脳死診断の検査に加え、人工呼吸器を外して血液中の二酸化炭素濃度を測る「無呼吸テスト」をする。家族が同席することもできるが、医師に任せた。
 「父ちゃん、いつ焼くん?」。判定を待つ間、孫(8)が尋ねた。最初に1度だけ病室に入ったが、あとは怖がって入らなかった。
 「父ちゃんは焼かんよ。他の人に心臓も目もあげるんや」。そう答えると、孫は目を見開いて、「じゃあ、父ちゃん死なんやん。おれ、父ちゃんに会う。がんばれって言う」。
 孫の姿が涙でにじむ。別れのときが迫る。


 
 
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■臓器移植 息子のカード:5 「人のために」孫に伝わった( 2010年5月29日)朝日新聞

http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201005290195.html?ref=reca

写真:息子が亡くなった後、飼い始めた犬。すっかり家族の一員だ(略)
 トラック運転手だった息子は仕事中の事故で脳を損傷。「脳死」と判定された後、目、心臓、肺、腎臓、肝臓、膵臓(すいぞう)が摘出され、移植を待つ患者たちに提供された。それは意思表示カードに込められた息子の意志であり、母である自分(60)の思いでもあった。
 手術から3日後の葬儀に、約800人が参列した。新品の作業着と、気に入っていた息子の4歳の頃の写真をお棺に入れた。臓器提供のことは小さな町に広がっていたが、非難する声は聞かなかった。葬儀社の人たちも「僕らの精いっぱいの気持ちです」と祭壇を飾り立ててくれた。
 同級生や仕事仲間が「がんばったな」と次々とあいさつに訪れ、会場に入れず外で手を合わせる人がいた。知らない顔も多く、「こんなに人気者やったんや」と驚いた。同級生は「最後に、誰もできひん、ごっついことをやってのけたな」と弔辞を読んだ。
 「私は今、東京マラソンにチャレンジしたいと思っています。二人分の力で走れるところまで走りたいです」
 「おかげさまで、大学院に戻ることができました」
 息子の臓器の移植を受けた患者たちから、臓器移植コーディネーターを通して手紙が届く。どこの誰かは分からない。でも、息子がマラソンを走り、大学院で勉強している――。手紙を読むたび、息子から便りをもらっているような気がして、悲しみを乗り越えることができる。
 それでもたまに、息子を亡くしたという思いがこみ上げる。悲しい顔を見せたとたん、孫(8)にしかられる。「ばあちゃんがそんな顔しとったら、父ちゃん悲しむやろ」
 人の役に立つのはいいことだ、と、この子にはしっかり伝わっていると思う。息子は親としての役割を立派に果たしている。
 「とうちゃんのいしょくをうけた人はもうすぐたいいんします。ぼくはそれをきいてなみだがすこしでました」
 孫が、小学校の作文に、臓器の提供者(ドナー)になった父を誇らしげに書いた。出かけるたびに、「あの人が父ちゃんかな」と想像して喜んでいるそうだ。
 5月の月命日に詠んだ。
 名も知らぬ 住所も知らぬ 幾人の ドナーとなりて 吾子の生き継ぐ
 (香取啓介)



 
 
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■臓器移植 息子のカード:6 情報編 家族の判断、より大事に (2010年5月30日)朝日新聞

http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201005300113.html

図:(略)
 臓器移植法が施行された1997年以降、国内では脳死になった人からの臓器提供が計86例あった。日本臓器移植ネットワークによると、提供された心臓や肺、肝臓といった臓器の移植は合計374件という。
 提供が年間約8千例の米国などと比べ、圧倒的に少ない。現在、ネットワークに登録して心臓移植を待つ患者は166人、累計422人。心臓提供は70例あった=グラフ。
 全国の救急や脳神経外科の施設を調べた厚生労働省の研究班(主任研究者=有賀徹・昭和大教授)によると、脳死と判断されるケースは少なくとも年間2千例ありそうだという。臓器提供に至るのはごく一部だ。
 昨年成立した改正臓器移植法は、臓器提供を増やすことが最大の目的だ。これまでは、自分が脳死になったら臓器を提供する、という本人の意思が書面に残されていることが必要だった。改正法が施行される7月17日からは、本人の意思がわからなくても家族の同意で提供できるようになる。
 「患者を生きる 息子のカード」で紹介した家族は、最初は意見が割れた。医師でもある親族の一人は「本人の意思が、親族など周囲の気持ちを一つにして進ませる大きな力になった」と振り返る。新制度については、「脳死についての考え方は人によって様々。それぞれの考え方に合わせていろんな選択肢がとれるようになったと考える。家族の考え方がより大事になると思う」と話す。
 日本移植学会は、現在も家族の同意だけでできる心停止後の腎提供を参考に、法改正で脳死下の臓器提供が年間30〜80人に増えると予想する。内閣府の08年度世論調査では、自分が脳死になったら臓器を「提供したい」という人は、「したくない」を19ポイント上回る43.5%。家族だと、「体を傷つけたくない」「少しでも長く一緒に」と考える人が少なくない。
 法改正で意思表示カードの記入方法も変わる。これまでは提供したい臓器に○をつけることになっていたが、今後は×をつけた臓器以外は提供に同意したものと判断する。カードは、「提供したくないという意思を残す手段」としての側面が強くなるとみられる。厚労省は「いずれの意思でも、そのことを表示してもらうことが重要」と説明する。
 このほか、親族に提供したい、皮膚や骨といった組織を提供したいといった場合は、特記欄に書き込む。(香取啓介、野瀬輝彦)



 
 
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■臓器移植 提供の現場で:2 「助からない」 でも温かい肌(2010年6月2日)朝日新聞

http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201006020308.html?ref=reca

写真:屋上のヘリポートに着陸した救急ヘリに医師が乗り込み、患者の治療に向かう=市立札幌病院(略)
 くも膜下出血で倒れた夫(当時56)は2008年8月、市立札幌病院救命救急センターのベッドで眠り続けていた。モニターが心臓の鼓動を映し出すが、意識は戻らない。胸を上下させる人工呼吸器の音が、深夜のICUに響いていた。
 同じころ、女性(56)は、夫の免許証入れから黄色いカードを見つけた。脳死となったとき、臓器を提供する意思を示していた。それを見て、思い出した。
 10年ほど前、居間でくつろぐ夫がカードを手に上機嫌で話し始めた。「もしものとき、これで人の役に立つことができるんだ」
 長女(30)と次男(26)も、カードを持っていると明かした。「死んでも体を傷つけるの?」。女性は驚いたが、夫はこう話した。「死んだら、ものでしかない。だれかの役に立つなら使って欲しいんだ」
 倒れた翌日、夫の状態は悪化した。画像診断の結果、出血した場所から脳の腫れが広がり、頭の中のすき間を埋め尽くしていた。
 午後1時半。家族の目の前で、脳の機能を調べる検査が始まった。まぶたを開いて瞳孔に光をあて、のどの奥に器具をあてた。反応はない。脳波も平らで、脳死が疑われた。
 鹿野恒(かのひとし)医師が説明した。「この状態だと、もう回復は見込めません、成人の場合、脳死から平均して2週間程度で最期を迎えます」
 センターは、脳死が疑われる患者には早めに診断をする。今後の見通しをたて、回復が難しければ、家族にそう伝えるためだ。患者を個室に移し、面会の制限をなくす。
 告知が早ければ、家族は残された時間を少しでも長く、一緒に過ごすことができる。家族の希望で、子どもが大好きだったおもちゃをベッドに並べたり、思い出を語り合いながら、女性患者に化粧をしたりすることもある。センターは「みとりの医療」と呼ぶ。
 女性の夫も、ICU内の個室型のベッドに移され、静かな環境で面会できるよう配慮されていた。検査や処置も全部見せてもらい、なんのための検査でどんな結果だったか、その都度、説明を受けた。「もう助からないと、肌で感じていた」
 しかし、「夫の体は温かい」。転倒時のけがで、目の周囲は腫れ、肩の骨は折れていたが、とても死ぬほどのけがとは思えない。人工呼吸器の動作で胸は上下し、このまま眠り続けていくようにしか見えなかった。


 
 
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■臓器移植 提供の現場で:3 「本当に脳死か」 戸惑う息子 (2010年6月3日)朝日新聞

http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201006030257.html?ref=reca

写真:病院で受け取った免許証入れの中から見つかった意思表示カード(略)
 2008年8月、札幌市内の女性(56)は入院中の夫(当時56)が脳死状態だと告げられた。夫は、バイクを運転中にくも膜下出血で倒れ、市立札幌病院の救命救急センターに運ばれていた。
 しかし、人工呼吸器をつけた夫は胸を上下させ、体も温かい。生きているとしか思えなかった。
 お盆明けのセンターは、昼夜の別なく運ばれる患者でいっぱいだった。八つのベッドの上の患者はみな、人工呼吸器や輸液ポンプに囲まれ、生死の瀬戸際にいるように見えた。
 それでも、多忙なはずの医師たちは、気づけばいつも近くにいてくれた。夫の状態を繰り返し聞いても、丁寧にこたえてくれた。
 「ここは、治療で打つ手がなくなっても投げずに向きあってくれる。最後まで夫のことを一番に考えてくれそうだ」
 脳死状態と判断された日、センターの面談室で夫の病状を説明した鹿野恒医師が、家族に聞いてきた。「脳死になれば、臓器を提供することもできます。だんなさんは、提供を希望していましたか」
 女性は「実は意思表示カードがあります」と伝えた。助からないのなら、せめて夫の願いをかなえたいと考えたからだ。
 次男(26)は、コンビニから持ち帰ったカードに記入する父の姿を思い出していた。
 脳の出血で、手術もできないほど容体が悪い。こうして迷っている間にも、状態はさらに悪化して、臓器の提供もできなくなってしまうかもしれない。
 いま、父のためにできることは、家族として提供に同意すること。「ほかに選択肢はないんだ」。そう考えていた。
 長男(27)は、少しだけ違っていた。もう、助からないかもしれない。あきらめの気持ちはあった。でも、父が脳死だということに、なかなか確信が持てなかった。ひょっとしたら、脳波が戻るんじゃないか。そんな思いが消えなかった。
 その日の深夜に日本臓器移植ネットワークのコーディネーターが到着した。その翌日、法的脳死判定が始まった。しかし、脳波に筋肉から出る電気信号が混じってしまい、2日後に再度の判定をすることになった。「もしかしたら、脳死ではないかもしれない」。延期された脳死判定に、長男はかすかな希望をつないだ。


 
 
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■臓器移植 提供の現場で:4 夫の死 実感わかぬ妻 (2010年6月4日)朝日新聞

http://www.asahi.com/health/ikiru/TKY201006040228.html?ref=reca

写真:みとりの一環として患者の顔をメークする道具。元気なころの思い出を語り合う場にもなる(略)
 くも膜下出血で倒れた夫(当時56)の法的脳死判定は、市立札幌病院救命救急センターに運ばれて5日目の朝に始まった。
 「反応があってほしい。もう一度だけ、話がしたい」。長男(27)は、まだ望みをつないでいた。結果をこの目で確かめたい。立ち会いを希望し、家族と判定を見守った。
 午前9時15分。ベッドを囲む判定医らが、検査を始めた。光をあて、皮膚を刺激して反応があるかどうかを調べ、耳に少量の冷水を入れて目に表れる反射をみていく。
 そして脳波の検査。頭に接着用のジェルが塗られ、20枚ほどの電極がはり付けられた。モニターや記録用紙に描かれた波形の線は何を意味しているのか。長男は何度も鹿野恒医師に確かめた。
 2度の判定で、脳の活動を示す兆候はなく、無呼吸テストにも反応はなかった。「もう、元の父にはもどらないんだな」。長男は、そう受けとめた。
 「法的脳死判定の結果をもって午後7時41分、お亡くなりになりました」。死を告げる医師の言葉を聞きながら、女性に実感はわかなかった。夫の心臓は動き続けている。
 でも、脳死なら心臓が止まるのもそう先ではない。ならば、無数のチューブにつながれた夫を早く解き放ってあげたい。「もう少しだからがんばって」。そう言葉をかけた。
 翌日までに各病院で移植手術を担当する医師の移植チームが次々と到着した。静かだった夫の周囲が、あわただしくなった。
 午後10時、移植できるのかを調べる臓器の検査が始まった。通常は家族が立ち会うことはない。しかし、すべてを見届けるのが家族の責任と話し合い、同席を希望した。
 移植チームが交代で入室し、心臓や肝臓のあたりに超音波機器をあてたり、肺のX線写真を撮ったりした。晩酌を欠かさず、愛煙家だった夫の臓器が使えるのか心配で、「肺は大丈夫ですか」「お酒で肝臓は悪くなっていませんか」とチームの医師に質問した。
 翌日午前5時半。心臓、肺、肝臓、腎臓、皮膚組織がヘリコプターや車で続々と運び出された。手術室から出てきた夫の顔は、バイクの転倒の時にできた目の周りの腫れもメークで隠された。大仕事をやり遂げ、誇りに満ちているように見えた。
 夫の死について、後に思い悩むようになるとは、この時は予想もしていなかった。





*このファイルは生存学創成拠点の活動の一環として作成されています(→計画:T)。

*作成:伊藤 未弥(立命館大学大学院社会学研究科・2009入学)
UP:20091013 REV:
臓器移植  ◇臓器移植・脳死 2010
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