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報道2010-: 神経脊髄炎(NMO)


last update: 20140226

■目次

◇2014/01/28 「こんにちは広島:難病を克服した体験記を出版、田坂真理さん /広島」:毎日新聞 地方版
◇2014/01/19 「(患者を生きる:2398)脳と神経 繰り返す炎症:6 情報編 合う薬選び免疫抑制」:朝日新聞
          デジタル
◇2014/01/13 「広島)寝たきりから教壇に復帰 小学校講師が体験を出版」:朝日新聞デジタル
◇2013/12/03 「教え子が支え、難病と闘う 小学校講師の体験記」:読売新聞
◇2011/02/15 「視神経脊髄炎、発症の仕組み解明 国立精神・神経センター」:日本経済新聞
◇2011/02/15 「難病の視神経脊髄炎、原因を解明 薬効く可能性、臨床試験へ」:共同通信(47NEWS)



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◇2011/02/15 「難病の視神経脊髄炎、原因を解明 薬効く可能性、臨床試験へ」:共同通信(47NEWS)
 http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011021401000348.html

「視覚障害やしびれ、痛みが繰り返し起きる難病の視神経脊髄炎(NMO)の患者では、血液で特定のリンパ球が増え、神経系の細胞を破壊する抗体をつくり出していることを突き止めたと、国立精神・神経医療研究センター神経研究所の荒浪利昌室長と山村隆部長らが14日付米科学アカデミー紀要電子版に発表した。
 このリンパ球は「プラズマブラスト」と呼ばれ、免疫活性物質「インターロイキン(IL)6」によって増えていた。山村部長は「IL6を阻害する薬を使えば、NMOを治療できる可能性が出てきた」と話し、臨床試験を計画している。
 NMOの患者は日本で約4千人。中枢神経系の難病「多発性硬化症」に似ており難病と扱われているが、研究が進み、二つは別の病気と考えられるようになってきた。
 荒波室長らはNMO患者24人の血液を分析し、プラズマブラストが健常者や多発性硬化症患者より多いことが分かった。このリンパ球はIL6に刺激され、NMOを起こす「抗アクアポリン4抗体」を作っていることを確かめた。
 IL6を阻害する薬は既にリウマチなどで使われている。この薬を試験管内で加えると、プラズマブラストは減少した。」


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◇2011/02/15 「視神経脊髄炎、発症の仕組み解明 国立精神・神経センター」:日本経済新聞
 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG14041_U1A210C1CR8000/

「国立精神・神経医療研究センターは視神経と脊髄の炎症を繰り返す難病である視神経脊髄炎(NMO)の発症の仕組みを解明した。免疫に関連する体内物質「インターロイキン6(IL―6)」の働きを抑える薬で治療できる可能性があるという。同センター神経研究所の山村隆部長らの成果で、米科学アカデミー紀要(電子版)に掲載する。
 患者の血液には神経系細胞を壊す特定の抗体が見られる。研究グループはこの抗体をプラズマブラストと呼ばれるリンパ球が作り出していることを発見。IL―6が抗体の産生を促していることがわかった。
 IL―6を抑える薬がNMOの治療に有効とみて、臨床研究を準備している。NMOは多発性硬化症に似た病気で欧米と比べ日本人に多く、国内の患者数は約4千人。発症の仕組みが不明で根本的な治療法がなかった。」


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◇2013/12/03 「教え子が支え、難病と闘う 小学校講師の体験記」:読売新聞
 http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=88962

「広島県三原市宮沖、小学校非常勤講師、田坂真理(本名・真理子)さん(39)が、突然襲われた難病との約2年の闘病生活を、ユーモアを交えて記した「全然大丈夫じゃない!」を出版した。
 田坂さんは「病気のことや、前向きに生きれば困難も乗り越えられることを知ってほしい」と話している。
 尾道市内の小学校で非常勤講師として勤めていた2011年4月、田坂さんは自宅で突然、足が動かなくなり、背中に激痛が走った。わずか3日で歩けなくなり、胸から下の3分の2がマヒして寝たきりとなった。
 診断は、中枢神経の炎症で視覚、運動障害などを引き起こす「視神経脊髄炎」。10万人に数人とされる難病だった。4年前に右目の視力を失ったのも、この病気が原因だったと判明した。
 壮絶な闘病生活が始まった。寝たきりなので排せつ、入浴もすべて人任せの状態になったが、田坂さんは「恥ずかしさを全部捨てたことで、逆に前向きになれた」という。免疫異常を改善するために受けた血漿(けっしょう)交換療法の効果で、奇跡的に足の指が動くようになり、「光明も見えて来た」と思った。
 しかし、同療法が終わった直後の同年5月、突然の呼吸困難で、瀕死(ひんし)の状態に陥った。もうろうとする意識の中で大好きな遊園地が見え、中に入ろうとした。盛んに自分の名前を呼ぶ夫の声で目が覚めた。「これこそが私にとっての『三途(さんず)の川』だった」と振り返る。
 この体験の後、症状は劇的に回復。「良くて車いす生活。最悪の場合、一生ベッドで寝たきり」と医師に言われていたのが、杖(つえ)をつきながら自力で歩けるまでに改善した。
 田坂さんの闘病生活を支えたのが、当時受け持っていた2年生42人とその保護者から送られた計60通の手紙だった。「待ってるからね」「頑張って!」とつづられた手紙に、「この子たちのためにも絶対に学校へ戻る」と決意した。
 同年10月に退院後は、自宅でリハビリを続けながら、ハローワークや三原市教委に通い就職活動。今年5月、市内の小学校で再び非常勤講師の職を得た。再発の不安もある中、外国人の子どもに日本語を教える。「子どもたちといると元気が出て、授業中は病気のことを忘れられる」と笑顔を見せる。
 長年の夢だった著書の出版が実現し、「次はフィクションを」と意欲を見せる。「夢を人に語ると、かなえるために頑張らなきゃと思えるので」と話す。
 泰文堂刊、B6判286ページ。1400円(税別)で、備後各地の書店で発売している。(田中昭二)」


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◇2014/01/13 「広島)寝たきりから教壇に復帰 小学校講師が体験を出版」:朝日新聞デジタル
 http://digital.asahi.com/articles/ASFDR3TJLFDRPITB003.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASFDR3TJLFDRPITB003

「視神経脊髄(せきずい)炎という難病を乗り越えた三原市宮沖の田坂真理さん(40)が、発症から回復までを書いた「全然大丈夫じゃない!」を出版した。深刻な病状をユーモアを交えて描写。同じ病で苦しむ患者や家族にとって貴重な情報源となるだけでなく、健康の大切さを多くの人に訴える一冊ともなっている。
 小学校の非常勤講師だった田坂さんが発病したのは2011年4月。足のしびれを感じ、翌日には背中に激痛が走った。4日目には立ち上がれなくなった。排尿できなくなり、救急車で広島市の病院に運ばれた。
 病名は視神経脊髄炎。血液中の抗体が神経を破壊する病気で、患者は国内に4千人という難病だった。
 発病前に右目を失明していたが、さらに胸から下の感覚もなくなった。入浴もできず、寝たきりで排泄(はいせつ)しなければならなくなった。
 薬は効かず、首の血管に穴を開けて血液の成分を入れ替える治療法だけが頼りだった。5回の治療のうち、3回目まで効果が見られず、死も覚悟した。
 折れそうな心を支えてくれたのが、家族の支えや、小学2年生の教え子とその保護者からの手紙だった。田坂さんの復帰を待ち望む子どもたちの手紙で、病気と闘う気力がわいた。
 4度目の治療で足の指がかすかに動いたが、5度目の最終治療を終えた後に突如、呼吸困難に陥り、生死の境をさまよった。しかし、意識が戻った後は劇的に回復。発病から半年後の11年10月に退院できた。
 大量の薬が手放せない生活は続くが、杖を頼りに出歩けるまでになった。昨年5月からは再び非常勤講師として教壇に立っている。
 ジェットコースターのような闘病生活だったが、持って行き場のない気持ちを発散しようと克明に日記を付けていた。退院後の12年夏に「日本感動大賞」という賞があることを知り、闘病記を応募。大賞は逃したものの、出版社から声がかかった。
 難病に関する情報はインターネットを探してもあまり見つからない。「患者や家族に貴重な情報源となれば」との思いから、構成し直して出版することにした。読んで暗い気持ちにならないよう、あっけらかんとした文章で体験談をつづった。
 「病気の人だけでなく、元気な人にもこの本を読んでもらい、健康であることが幸せなことなのだと気づいてもらいたい」と田坂さんは語る。税別1400円。問い合わせは泰文堂(03・6712・0333)へ。(井石栄司)」


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◇2014/01/19 「(患者を生きる:2398)脳と神経 繰り返す炎症:6 情報編 合う薬選び免疫抑制」:朝日新聞
 デジタル
 http://digital.asahi.com/articles/DA3S10933013.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S10933013

「「多発性硬化症(MS)」は中枢神経(脳・脊髄〈せきずい〉)と視神経に炎症が頻発し、視力が落ちたり、運動機能に異常が起きたりする病気。複数の場所に炎症が起き、症状が落ち着く「寛解」後にも再発を繰り返す多発性と、症状が治まったあと神経が硬くなる特徴からこの病名がついた。国内の患者は1万人以上で、3対1で女性が多い。
 神経細胞の信号を伝える電線(軸索〈じくさく〉)の周りを覆う絶縁体(髄鞘〈ずいしょう〉)が炎症で壊れ、様々な症状が出る。原因は未解明だが、免疫細胞が髄鞘を攻撃する自己免疫疾患とみられる。炎症はMRIで分かる。腰椎(ようつい)の骨の間から針を刺して髄液を調べても、異常がわかることが多い。
 根治療法はまだなく、再発時にステロイド薬を大量点滴するパルス療法など、免疫を抑制する対症療法が主体になる。
 「視神経脊髄炎(NMO)」も、視神経と脊髄に炎症を繰り返す。失明や手足の不随などに見舞われるため、MSの重症型と考えられてきた。
 しかし、神経細胞と血管との橋渡し細胞(アストロサイト)を攻撃する特殊な自己抗体(AQP〈エーキューピー〉4抗体)が10年前に発見され、MSと区別されるようになった。国内の推計患者数は3千〜4千人。9割が女性だ。
 病気に応じて最適な治療法を選ぶようにもなってきた。東京女子医大病院の太田宏平医師(神経内科)は「MSに使う薬で症状が悪くなるNMO患者の報告もある」と注意を促す。簡易なNMOの検査なら、最近は各地で受けられる。
 早期発見、予防は症状が多彩であるため難しい。斎田孝彦・関西多発性硬化症センター所長は「まずは神経内科など専門医を受診して欲しい」。
 再発予防の新薬開発も進む。国立精神・神経医療研究センターの山村隆・神経研究所免疫研究部部長は「関節リウマチ薬がNMOの再発を予防することを見つけた」と話す。MSも、欧米で実績がある点滴薬が年内にも使える可能性があるという。
 MSとNMOの関連情報は、全国多発性硬化症友の会(http://www.h2.dion.ne.jp/〜msfriend/)やMSキャビン(http://www.mscabin.org/)に詳しい。」


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◇2014/01/28 「こんにちは広島:難病を克服した体験記を出版、田坂真理さん /広島」:毎日新聞 地方版
 http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20140128ddlk34040593000c.html

「◇教え子支えに、前向きリハビリ??田坂真理さん(40)=三原市
 尾道市の小学校に非常勤講師として勤めていた3年前、視神経脊髄(せきずい)炎という難病を発症。医師から「最悪の場合、一生寝たきり。良くて車いす生活」と言われたが、教え子の励ましなどを支えにリハビリに努め回復した体験をつづった闘病記「全然大丈夫じゃない!」を出版した。
 学校が新学期に入って間もない2011年4月。自宅で突然足のしびれを感じ、背中に激痛が走った。3日後には歩けなくなり、救急車で広島市の病院に搬送された。診断は、血液中の抗体が神経を破壊する視神経脊髄炎。患者は10万人に数人という難病だった。
 発症の以前、右目を失明していた。さらに胸から下の感覚もなくなった。寝たきり状態で、入浴も排せつも人の手を借りなければできなくなり、「このまま治らないなら、死んでしまった方がまし」と一時は考えたという。
 薬は効かず、血液の成分を入れ替える治療法だけが頼りだったが、なかなか効果が見られず、絶望感にさいなまれた。そんな折れそうな心を支えてくれたのが、家族の看護と、小学2年生の教え子とその父母からの励ましの手紙だった。B4判の紙にびっしりと書かれた幼い文字。「田坂先生がおらんとさみしい」。1年生から受け持っていた子どもたちに、もう一度会いたい。その気持ちをバネに病気と闘う気力がわいた。
 呼吸困難に一時陥り、生死の境をさまようこともあったが、劇的に回復。半年後の11年秋に退院。自宅に戻った後はリハビリに努め、つえを頼りに出歩けるまでになった。三原市教委やハローワークに通って就職活動し、昨年5月から三原市内の小学校で非常勤講師として再び教壇に立っている。
 歩くことや食べること。普通にできていたことが本当は普通ではなく、とても尊いということ。困っている人、他人の気持ちを考える大切さ。闘病を通じ得たものを本にまとめた。「病気の怖さ、大変さを知ってもらい、前向きに生きれば困難も乗り越えられることをたくさんの人に知ってほしい」
 税別1400円。問い合わせは泰文堂(03・6712・0333)。【高田房二郎】」



*作成:小川 浩史
UP: 20140226  REV:
視神経脊髄炎(NMO)  ◇「難病」 
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