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弘前ロボトミー裁判(1980-)

精神障害/精神医療精神外科:ロボトミー


◆1938/01 S(佐藤[1982]では仮名:佐々木明)、朝鮮で生まれる。後に父を失う(佐藤[1882(4):204])

◆1945   佐々木、母・兄弟とともに日本に戻る(佐藤[1882(4):204])

◆1953/10 弘前精神病院開設 「「弘前精神病院事件」の舞台となる、弘前精神病院は、五三年十月に開設された。経営の主体は、財団法人・愛成会(代表理事・三浦昌武)、院長は桜田高である。
 開設当初から同院は、弘前大学医学部精神科のいわば研修機関としての機能と役割をはたしてきた。精神科の医学生は、同院で"実技"を学ぶ。
「青森県内で精神医療に就こうとする弘大出身の医師は、一度ここに勤務してから他へ転身していく、といっても過言ではありません」
 と、地元では話している。
 弘大医学部は、青森県内唯一の医学部である。その大学と密接な関係にあるといえば、県下に及ぼす影響力は知られよう。
 概して精神医学は、大学と病院とが手を唆ずさえて発展してきた。東京では、東大と松沢病院、慶応大と桜ケ丘保養院など、もっとも顕者な例であろう。精神医療にかかわらず、病院とは、大学の"実験室"にほかならなかったのだ。
 弘前精神病院は、全国病院名鑑によると、ベッド数三百四十五。医師、看護人など計百 <262<三十人が従事している。県内では最大規模の精神科単科病院である。院長の桜田高は、病院開設の二年前、五一年に青森医専を卒業していた。」(佐藤[1882(4):203])

◆1957   佐々木、弘前市立商業高校を卒業→神戸や東京で店員や工員をする→うまくいかず弘前に戻る(佐藤[1882(4):204])
◆1959/07/25 佐々木、弘前病院に入院
「「いつ、何のために入院したのか、その日にちも、覚えていないのです。気がついた時には、格子のある病院の一室へ閉じ込められていました。おそらくべ私が眠っている間に、睡眠薬でも注射して、連れていったのに違いないんです……」
 佐々木は言う。
 入院期日は、五九年七月二十五日。母親の同意入院ということになっている。当時、彼は二十一歳であった。弘前精神病院は、「精神分裂病」と診断した。  診断名、入院期日など、佐々木には思いだすことはできなかった。睡眠薬を打って連れていったとなれば、当然かもしれない。診断名も、本人に告げないことが多い。これらは後にあきらかにされたことなのである。」(佐藤[1882(4):205])

◆1960/03/01 ロボトミー手術(当時22歳)(佐藤[1882(4):205])

◆1961/03/02 退院(佐藤[1882(4):205])

◆1961/06/13 再入院(佐藤[1882(4):205])

◆1964/07/31 退院(佐藤[1882(4):205])

◆1965 健生病院に入院(佐藤[1882(4):205])

◆1966? 「一年ほどで退院すると、つぎは、浪岡町立総合病院精神科だった。」(佐藤[1882(4):205])
 「浪岡病院にはF医師(とくに名を秘す)が勤<0206<務していた。佐々木が弘前精神病院へ入院していた当時の、担当医の1人であった。弘大医学部出身のFは、一時期弘前精神病院に籍を置いた後、回ってきたのであろう。青森県内の精神病院では、十分ありえるめぐり合せとはいえ、佐々木は驚きを隠せなかった。弘前精神病院時代の不愉快な印象が脳裏のどこかにこびりついていた。
「浪岡病院でリンチを受けたことがあるんです。直接手を下したのは看護人ですが、指示したのはFに違いないんです」
 佐々木は、述懐する。彼は、退院を申し出ていた。何回頼んでも、Fは首を縦に振ろうとしない。入院後すでに1年余り経過していた。ある日、2人の看護人が彼の病室へやってきた。
「お前は、F先生に文句をいったそうじゃないか!」
 看護人はえらい剣幕で息巻いた。
 「文句いったなんて……。家に帰して下さいって、お願いしただけです」
 「なにおっ、それが生意気だというんだ!」
 言うより早く、看護人の1人は、佐々木の胸ぐらをつかんでいた。後ずさりする佐々木を押さえつけ、2度、3度と柱に頭をぶちつけた。その時はそれで済んだものの、翌日、彼を呼出したFは、
「お前は、看護人に抵抗したそうではないか。しばらく保護室だな」
 佐々木は弁解することも許されず、その場で注射を打たれて、保護室へかつぎこまれた。「脱走する以外ない」と、この時から佐々木は機会をうかがっていた。」(佐藤[1882(4):206-207])

◆1968 浪岡町立総合病院を脱走→十和田湖→山谷

◆1978秋 「78年の秋であった。札幌ロボトミー判決(9月29日)の前後だった。山日労の電話が鳴った。「A会のビラを見た」という男の声が、受話器を通して流れてくる。何を言おうとしているのか、もう1つはっきりしない。
「どんな御用でしょう」
「あのー……」
 こう言ったきり、男の声はとぎれた。電話は切れたわけではない。何か言いにくそうであった。再度の催促に、男の声はようやく後を続けた。
「実は、相談に乗っていただきたいことがありまして……」
「どういうことでしょう?」
「Aさんのビラを読ませてもらいましたが、私もロボトミーをされていたのではないかと思うんです」
「えっ、ほんとですかっ!」
「……わかりません。ロボトミーっていうのは、頭に穴をあけて、脳を手術<0204<するんでしょう? ビラにそう書いてありましたね。だとすれば、私もロボトミーされていたのに違いないんです。
 で、話を聞いていただきたいと思いまして……」
 男は、佐々木明と名乗った。やはり山谷に住んでいて、日雇い労働をしていると身分をあかした。
 山日労は、咄嵯の対応に苦慮した。ビラの読者は、たいがい、支援の申し出か、その問い合せである。被術者だという人からの相談依頼は、むろん、始めてであった。早速、A会の佐久間茂夫代表に連絡を取り、期日を改めて会うことにした。
 その日、やってきた佐々木は、かつて、弘前でいくつかの精神病院へ入退院をくりかえしていた。その時、いちばん最初に入院した弘前精神病院で、ロボトミーをやられたのではないかへと言うのだった。」(佐藤[1882(4):204])
(佐藤[1882(4):204])
※2 訴状では以下のように記されている。「原告は、ごく最近まで自らがロボトミー手術という名さえ知らなかった。原告は、ロボトミー手術という名さえ知らずに生きてきた。原告は、昭和五三年(七八年)九月二九日札幌地裁におけるロボトミー手術の損害賠償請求事件の判決報道を見、その後病院にて診察を受けて、初めて疑いを抱いたのである。」(佐藤[1982(4):212]に引用)。

◆1979/06/15 「帰京直後の79年6月15日、彼は、東京都立墨東病院で診察を受けた。高屋涼彦医師は、傷病名を「脳葉切截術(ロボトミー)後遺症」として、「頭部・胸部X線写真、頭部CTスキャン、脳波、心電図、血液、尿の諸検査を行ったが、特に頭部X線写真でロボトミー手術像が証明されている」と診断している。」(佐藤[1882(4):208])

◆1979/07/07 「7月7日、証拠保全にともなう差押えを実施。カルテによって、60年3月1日に施術されていたことがあきらかにされた。当日の欄にはドイツ語でおおむねつぎのように記されていた。
「無関心で、思いやりがなくて、自閉的で、まったく原始的行動のみめだつ状態に対し右側ロボトミー施行。
 脳外皮より脳室まで6・8センチ。ロボトーム5〜6センチのところで前頭葉内側110°位切載。
 手術中脈圧、7〜5になり、処置しながらおこなう」(佐藤[1882(4):208])

◆1979/09/07 「9月8日、ロ全共のメンバーほか支援グループは弘前精神病院を訪れ、「質問ならびに要求書」をつきつけた。」(佐藤[1882(4):208])

◆1979/09/18 「9月18日、桜田高、愛成会理事長三浦昌武連名の「回答書」が送られてきた。文面はごく短く、「(さきに)申入れのあった自主交渉の要求について、当方で協議の結果、応じないことに決定したので回答致します」とのみ記されていた。質問事項に対する回答はない。」(佐藤[1882(4):209])

◆1979/09/28 「弘前精神病院事件」は、東北地区の精神病院にかなりの衝撃を与えたようだ。ある病院は古いカルテを焼却処分したとも伝えられている。ロボトミー廃絶運動のたかまりに、怖れをいだいたのであろう。9月29日、東北学会は緊急評議員会を開き、弘前大学精神科教授の佐藤時次郎は「10月7日、弘前大学に於ける総会を開催すれば学内問題をひきおこす恐れがあり、混乱のため総会の正常な運営ができない可能性がある」との理由で、総会中止を決定した。「"子分"の桜田高が座長をおりるといいだしたので、親分の佐藤は学会を中止した」と、もっぱら噂されている。」(佐藤[1882(4):209])

◆1979/10/06 「10月6日、佐々木明、ロ全共のメンバーほか約20人は、弘前精神病院を訪れた。「交渉拒否」の回答を得ていたが、再度交渉を迫ったのである。日本精神神経学会は77年の総会の席上精神外科廃絶にむけて、
「学会員は、精神外科被術者の要求に対しては最低限、誠意をもって話し合いに応ずるべきである」
 と、決議している。これに準じて、交渉を要求したのだ。
 […]院長、理事長は不在だとして、病院側は事務長の小田切信吾が応対した。ロ全共側は、前述したように、自主交渉の開催、もし開かないのであれば、次回交渉日を明らかにせよ、と要求したのに対し、「話合いには応じない」と、小田切は応戦。自主交渉路線は、暗礁に乗り上げた。」(佐藤[1882(4):210])

◆1979/10/25 『ロボトミー徹底糾弾』第1号

「ロボトミー糾弾!弘前精神病院糾弾!
弘前精神病院に再度自主交渉要求
 一九七九年、十月六日、ロボトミー糾弾全国共斗会議に結集する被術者S氏・A氏を先頭とした東北・関東各県の労働者、学生約五十名は、弘前精神病院前において、再度病院側に対し自主交渉を開くよう強く要求した。
 今回の現地斗争は、前回九月八日に確認した第一回目の自主交渉としてあったにも拘わらず、それに先き立ち病院側は、手紙で自主交渉の破棄、法廷における斗争方針といった全く許さざるべき回答を示してきた。我々ロ全共は、そうした病院側の居直り的態度を断固糾弾し、なにがなんでも自主交渉を開かせるため斗争を展開していったのである。
我々は、受付で事務長小田切に、今日、自主交渉を開きその席に院長も着くよう強く迫まった。これに対し小田切は、九月八日と同様に院長の不在を主張し、病院ぐるみで我々の追求を逃がれようと図った。こうした病院側の不誠奥極まりない態度にとりわけ、S氏・A氏の怒りは、推し計るべくもないものであったろう。事務長小田切は、両氏のこの激しい怒りに恐れをなしたのであろうか。しぶしぶ我々との交渉に応じる気配をのぞかせた。
 交渉の影としては、ロ全共の代表数名との話し合い、院長抜きで我々の意向を後程、小田切が伝えるといった。非常に我々としては、不満足なものであったが、自主交渉が一歩でも二歩でも進めばよいと考え、この話し合いの条件をのんだ。我々は、代表S氏・A氏、ロ全共事務局長浅利氏それに弘前現地から、一名を加えての計四名で交渉に臨んだ。約一時間の激しいやりとりの後、認識されたことは、次のことである。
 今回話されたことは、責任をもって事務長小田切が、院長に伝える。
 数日中に、病院側は理事会を開き、再度、ロ全共との自主交渉をもつかどうか前向きに検討する。といった内容である。
 その後、昼近くより市役所の記者クラブで、記者会見、さらに午後一時頃から土手町、駅前付近で、情宣活動を中心に斗争を展開していったのである。
我々があくまで、自主交渉を基本にして斗うのは、医師や弁護士などの専門家による代行主義を非し、「やられる側」の怒りを斗いへと組織してゆくためだからである。
裁判で決着をつけようとする病院側の意図を粉砕し、断固自主交渉を克ち取っていく斗いを今後とも、Sさんと共に強力に差し進めて行こうではないか。

 弘前精神病院内で、自主交渉を申し入れる。
 Sさんから自主交渉開始せよとの申し入れ書を受けとり、あわてる病院側事務長小田切信吾。
 記者会見後、弘前市内でビラまき、情宣を行う。
(写真 10月6日)

病院側自主交渉を拒否
昭和54年9月18日
ロボトミー糾弾全国共闘会議
事務局長 伊 藤 彰 信 殿
財団法人 愛 成 会
理事長  三 浦 昌 武
弘前精神病院
院長 桜 田 富
回答書
去る、昭和54年9月18日に申入れのあった自主交渉の要求について、当方で協議の結果、応じないことに決定したので回答致します。
病院前でシュプレヒコール
(写真 10月6日)

1979年10月6日
東北精神神経学会
会長 江島達憲殿
ロボトミー糾弾全国共斗会議
議長 伊藤彰信
抗 議 文
 ロボトミー糾弾全国共斗会議は、去る9月30日、ロボトミーを糾弾し精神外科の廃絶をめざす全国のたたかう仲間によって結成された。まず我々は、1977年10月3日、ロボトミーを糾弾しAさんを支援する会が、貴学会にあてた要求書をひきつぐことを結成大会で確認したので、ここに貴学会に通知するものである。
 さて、我々の要求は、@杉田孝は、2・26確認書を遵守し、自主交渉を再開すること、A厚生省の治療指針から精神外科を削除するよう要求すること、B精神外科被術者の追跡調査をおこない、その自覚的決起に協力すること。以上三点を学会総会で決議することというものであった。貴学会は、一昨年の総会において「誠意をもって検討する」と答え、昨年の総会では、「精神外科被術者の追跡調査をするため委員会を設置する。@A項についてはさらに誠意をもって検討する」という会長報告を3承したにすぎなかった。
我々は、このような貴学会の態度に不満は述べたものの貴学会の誠意を信じ今年の総会に期待を宅したのであった。
 しかし、貴学会は、9月29日に緊急評議会を開催し、10月7日弘前大学において開催される予定になっていた総会を中止することを決定した。その理由たるや「総会を開催すれば学内問題をひきおこす恐れがあり、混乱のため総会の正常な運営ができない可能性がある」というものである。我々は緊急評議員会が開かれる前日の9月28日、貴学会にたいして、「我々は総会を混乱させることを目的としない。前回同様我々の発言を保障してほしい」と電話で申入れ、「当事者は我々と貴学会であり、弘前大学の学生は我が会議に結集している部分は、我々と共に行動してもらい、勝手な行動をさせないように責任をもつ」と明言したのである。
 にもかかわらず、貴学会の総会中止理由は我々がいかにも総会を混乱させるような行動をとるかのような印象を貴学会の会員に与えていることはきわめて心外である。問題の正しい解決は、我々の要求にどう応えるかを真剣に討論し総会で決議をあげるべきであるのに、貴学会は、自らなすべきことをタナにあげ。いかに逃げるかしか考えていないと判断せざるをえない。また聞くところによると追跡調査の進展ははかばかしくなく、ある病院ではカルテを焼却したという。我々は増々貴学会の誠意を信じるわけにはいかない。
ここに我々の要求に背を向けて学会総会を中止したことに厳重に抗議する。
ただちに総会を開催せよ。我々の要求に応えよ。
以上

昭和54年10月7日(日曜日)
自主交渉で解決を
ロボトミー手術の損害賠償
共闘会議が再び要求
病院側 「再検討を」と事務長
 「人権無視のロボトミー手術を行ったことに謝罪し、損害賠償支払いなどについて自主交渉で解決せよ。」十九年前、弘前市北園一丁目の弘前精神病院(桜田瀬院長)でロボトミー手術を受け、その後遺症に悩む東京都足立区千住柳町、無職Sさん(四一)を支援しているロボトミー糾弾全国共闘会議(伊藤彰信議長)は六日、去る九月上旬に同会議が病院側に申し入れた要求書が拒否されたことについて抗議、再度「自主交渉を開け」と申し入れ書を提出した。また、きょう七日に弘前大学医学部で開かれる予定の第三十四回東北精神神経学会(会長・江島達憲宮城県精神衛生センター委員長)の総会が、同問題で混乱が予想されることから中止したという異例の事態にまで発展した。
 Sさんを支援するロボトミー糾弾全国共闘会議(去る九月下旬、準備会から組織変更)を当初、民事訴訟での解決の方向で闘争を進めていたが、裁判の長期化など不利な点が予想されるところから当事者間双方の自主交渉に変更。去る九月八日には、病院側に「自主交渉のテーブルにつけ」とする要求書と九項目にわたる質問事項を漏らした質問状を手渡していたが、病院側では同月十六日付の文書で「自主交渉の要求について―応じない」旨の回答を出していた。これに対して共闘会議側では反発。
 「あくまでも自主交渉で解決を」とこの日の病院側への再度の申し入れ書提出となった。
 同日午前十時半、病院を訪れたSさんを含む同会議メンバーら約十五人は、桜田院長が出張中で不在のため小田切信吾事務長と応対。五十二年に日本精神神経学会総会で決議された「学会員は、精神外科被術者の要求に対しては最低限誠意をもって応ずるべきである」に基づき@この場で自主交渉を開始することA不可能なら次回の交渉日時を明らかにせよ―と二点を要求した。
 これに対して、小田切事務長は、九月十八日付の回答書が「理事会決起で動かせない」ことを報告。しかし「再検討する」旨を同会メンバーらに約束。今月末までには理事会決定を再検討、同会議側に連絡することを確認してこの日の交渉を終えた。
 ロボトミー手術問題は、昨年九月に札幌地裁で同手術を行った病院が敗訴。現在全国各地で裁判闘争などが繰り広げられているが、東北地方でも弘前のほか、秋田県横手市で係争中で、関係者の間に種々の波紋を投げかけている。きょう七日に予定されていた第三十四回東北精神神経学会中止―もそのあおりを受けた形だが、同会議側では六日付で@精神外科被術者の追跡調査を再開せよA精神外科被術者の問題を討論すべく学会議会を速やかに開催せよ―などの内容を漏らした抗議文を江島会長あてに発生した。

=神経質過ぎる?不測の事態=
紛争発展恐れ中止
東北精神神経学会総会 弘大が強く要請
 弘前市弘大医学部を会場に、きょう七日開かれる予定だった東北神経学会(江島達憲会長)の第三十回総会が、急きょ中止される事になった。中止理由は同議会の達憲委員長である弘大医学部神経医学の佐藤時治郎教授が同学会評議会に「開催すれば大学粉砕の火ダネとなる恐れがあり、通常の責任を持てない」と中止を要請したためだが、江島会長は六日午後「学会と大学内部の問題は全く無関係。こうしたことで三十四年目を迎えた議会を中止したのは前代未聞であり、会長として大変な失意であると同時に、責任を適切に感じている」と語った。
 弘前での総会開催は、昨年の福島大会で決定。以来弘大の佐藤教授が運営委員長として戦術を強め、きょう七日には、同大医学部会議を主会場に開催予定で、会員三百余人のうち約百人が出席することになっていたもの。
 当初、評議会内部にも大学構内への会議設定は、ロボトミー問題が全国的にも高まっている折だけに懸念する声もあったが、弘大闘は楽観的な態度だったという。ところが九月中旬になって佐藤委員長から「自分たちが責任を持って会議できそうにもない」との連絡が入り、同二十九日の評議会の席上、改めて県議員でもある佐藤委員長から開催地返上の要請が出されたもので、三時間に及ぶ論議の末、「混乱が起きるかもしれないという予測に基づく中止は問題があるが、不測の事態が発生してからではむしろ会員たちに迷惑がかかる」との結論に達したもの。
 しかし現在、仙台市の精薄施設「総本園」園長の江島会長は「弘前大学では学生紛争を中止理由としているが、ロボトミー糾弾全国共闘会議(伊藤彰信議長)メンバーとは、一昨年の山形大会、それに昨年も会っており、総会を中断させるような、かつてのはねかえり分子でなく、紳士的で節度のあるメンバーと知っている。過去の総会でも混乱はなかった。中止を決めた総会では、会場変更、延期といった提案も出された。弘前の内部事情の犠牲になったことは残念でならない」と語っている。
 一方、佐藤委員長は「学会は自分にとり自分の子供みたいに手塩にかけて育ててきたもので、中止は残念でならない。しかし当事者として、弘大紛争に発展する火ダネになる心配がある以上、重大な決断をせざるを得なかった」と語っているが、同会議メンバーには同大医学部生も加わっており、中止により反発が高まっているときだけに今後に尾を引きそうな情勢下にある。
 なお桜田高弘前精神病院長は、去る三十二、三十三年に弘大医学部神経精神医学講師を選任。今次議会では「同意入院」をテーマとしたシンポジウムの司会をすることになっていたが、同病院に対する損害賠償請求問題が起き、司会を辞退していた。」

◆1980/02/27 愛成会弘前精神病院と当時の執刀医を青森地裁に提訴

 「自主交渉が絶たれると、裁判に訴えるほかない。
 佐々木明は、60年3月1日にロボトミーされていた。したがって、「被害発生後20年」の時効は、80年2月28日いっぱいで成立する、時効は、目前に迫っていた。いうまでもなく、時効が成立すると、法的処置はとれなくなる。支援グループは、急きょ、提訴の準備にかかった。
 まず、弁護士を捜さなくてはならない。それが容易ではなかったのだ。もちろん、充分な報酬を用意できるなら、すぐにも見つかろう。ところが、精神外科廃絶運動に理解があり、しかも、実費程度で引受けてくれる弁護士は、簡単にはみつからない。東京はもとより、青森、弘前周辺で、医療訴訟にたずさわっているような弁護士を当ったが、承諾してくれる弁護士はなかなか捜し出せなかった。
 証拠保全をおこなったとき、申立て代理人を引受けてくれた弁護人にも相談したが、「資料不足で自信がない」と断わられていた。
 佐々木はじめ、だれもが焦りの色を深めた。暦はすでに80年の2月を告げていた。
「こうしていてもはじまらない。自分たちで書こう」
 彼らは、訴状の作成に取組んだ。
 泥縄式だった。しかし、事態は切迫していた。一刻の猶余も許されない。泥縄式ではあ<0211<るが、佐々木の名乗りでるのが遅れていたら、時効の壁にかかっていたかもしれないのだ。まだしも不幸中の幸いといわなければならないだろう。
 東京では、ロ全共のメンバーを中心に集って、討議を重ねた。国も被告に加えるか。慰籍料や、損害額はどう見積るか。徹夜に継ぐ徹夜が続いた。
 彼らの前に、よき"手本"があった。横手訴訟の訴状である。"事件"の概要、原告の状態など、まったく異っているが参考になった。それでもなお不明な箇所が多く、知合いの弁護士を訪ねて知恵を借りた。
 国、弘前精神病院、院長の桜田高を被告とする訴状ができあがったのは、2月26日だった。ロ全共の有志、佐々木明らは、訴状をたずさえると、早速、青森行夜行列車に飛び乗った。青森駅にはS会のメンバーが迎えに出ていた。彼らともう一度検討しあい、青森地裁へもっていった。よく眼を通したつもりだが、何箇所か記述のミスを書記官に指摘された。専門外の者は、訴状一本書くのも難しい。余談になるが、民事訴訟にも国選弁護人をつけるべきだというのが、わたしの自論である。「貧困その他の事由」(刑事被告人に国選弁護人を付すための、刑事訴訟法上の条件)によって、被害の救済を求められない人たちは、多いのではあるまいか。ともかく、彼らはその場で訴状を訂正、提出した。時効の2日前であった。訴訟費用(貼用印紙代)はなく、訴訟救助を申し立てた。
 "手づくり"と言ってもよいこの訴状は、ロボトミー裁判史上、ひとつの記念碑になるだろう。精神外科の違法性を、一般の市民が法の前に引摺り出していたのだ。ロボトミー糾弾闘争の成果でもあろう。その意味では全文紹介したいのだが、スペースに余裕がなく、本レポートの中でこれまでみてきたこととたぶんに重なる。ここでは、「原告の損害」の項を掲げよう。」(佐藤[1882(4):210-211])

◆ロボトミー糾弾全国共闘会議(ロ全共) 1980/08/01 『ロボトミー徹底糾弾』第6号

 「6・29ロボトミー糾弾秋田集会開かれる
―午前にはロ全共幹事会―
 Aさんがロボトミー糾弾に立ち上がって、早七年が過ぎた。秋田におけるロボトミー糾弾斗争は、斗う労働者・学生の支援を受けながら続けられている。Aさんの斗いは、現在東京地裁における裁判斗争にその重点がおかれている。この秋田集会が、弘前の地において今年二月、国・病院を相手取ってロボトミー糾弾裁判に立ち上がったSさん・S支会を初めとする五十余名にのぼる参加によってから取られたことは、今後のロボトミー斗争の広がりを示しているだろう。
 集会は、A支会と秋大医問研の共催により開かれた。東北精神科医師連合の壇原氏の講演では、精神外科の歴史、精神外科が人間性を奪い去るものであり廃止されねばならぬこと、最近では精神外科手術が巧妙になってきていること等、Aさんと共に斗い、さらに斗いの輪を広げていかねばならないと、述べられた。次に、秋大医問研より基調報告がなされ、ロボトミー斗争の現状、ロボトミーの思想性・人体実験的性格をふまえて、ロボトミー糾弾斗争を、差別糾弾・治安管理体制粉砕の斗いと位置づけ、権力そのものと対峠する斗いとして斗いぬかねばならないとの力強い報告であった。その後、AさんSさんからの決意表明、A支会・S支会・秋田青い芝の会、秋大教育問題研究会、秋大医問研・ロ全共など各団体からの連帯アピールがあり、成功に集会がかちとられた。
 同日、午前中には、ロ全共幹事会が開かれた。Aさん・Sさん・A支会・S支会・秋大医問研・秋田の斗う労働者・ロ全共事務局等20数名の参加があった。事務局から、ロ全共第二回大会に向けた活動報告・情勢・運動方針などの草案が提案され、活発な討論がかわされた。S支会からは、Sさんの第一回公判決起集会で、全障連東北Bとの交流がかちとられ、今後も精神障害者解放運動を中心にして、ロボトミー糾弾斗争を斗っていきたいとの発言があった。またA支会からは、裁判斗争が証人尋問に入る段階であり、国批判を文章化していきたいとの報告があった。さらに『精神病者』表現についての問題が出され、治る治らないという観点で考えることは危険であり、「精神病」が社会的に作られたものであることを考えれば、「精神障害者」という表現に訂正・統一すべきであるとなった。
 今年度のロ全共運動は、裁判提訴の限界の時期であることを考えれば、被術者結合をもとに、厚生省斗争・学会斗争へさらに一歩踏み出すことが必要であるとの発言があった。これに対し、議長から、具体的に、Mさんの斗い、桜庭さんの斗いを強化していき、大衆斗争としてロボトミー糾弾斗争を盛りあげていく必要性が述べられた。討論の後、基本的には、事務局原案が認められ、幹事会は終わった。」

◆1980/05/06 第1回公判 「80年5月6日、第一回公判が開かれた。原告側の席に、高橋耕弁護士が腰を下していた。この前日、高橋は盛岡から駆けつけていた。訴状提出直後、盛岡で弁護士をする高橋が代理人を引受けていた。
 訴状朗読に続いて、「弘前精神病院に付いての自己意見書」を、佐々木は読み上げた。  「現在我国の精神病院に付いての意見などを云わせてもらうならば、国のため、家族のため、その他いわゆる社会的な機構に役立たない人間に対しては、問答無用で一般社会から追放するという野蛮きわまりない態度で抑圧して来ます……」
 と、精神医療の歴史的、社会的役割について、諸外国の例もあげながら述べたあと、弘前精神病院でいかなる処遇を受けたか、彼は<0213<訴えた。電気ショックや、インシュリン・ショックの恐怖、薬づけによって手足がしびれ、全身が麻痺したこと。激しい頭痛にさいなまされ、屈辱に満ちた病棟での長い長い日々、あげくのはてのロボトミー手術。手術のさ中、死線をさまよい、20年経ったいまも、頭部に痛みが走る……。弁護士の知恵も借りたが、「意見書」は、この日のために用意してきたのだ。静まり返った法廷に、佐々木の声が響いた。
 彼は最後をこう結んだ。
「どうか皆さん、あらゆる抑圧、偏見、差別、悪徳に対して力の限り戦いましょう」(佐藤[1882(4):211-212])

◇1980/10/28 第3回公判(『ロボトミー徹底糾弾』6)

◆1986/07/11 「ロボトミー訴訟、最後の青森も和解 被告が1000万円支払い」
 朝日新聞 1986年07月11日 朝刊
 http://mimizun.com/log/2ch/occult/1103050148/

 「精神分裂病を治すために脳の神経を切るロボトミー手術をされ、 知能障害など精神的損害を被ったのは、人権の侵害だとして、手術 を受けた青森県弘前市の無職Aさん(48)が弘前市北園1丁目、 財団法人愛成会弘前精神病院と当時の執刀医を相手取り損害賠償を 求め、青森地裁(斎藤清実裁判長)で争われていた訴訟は10日、 被告側の病院と医師がAさんに1000万円を支払うことで和解した。また、原告側は国に対する訴訟を取り下げた。これで、48年の札幌での提訴をはじめ、名古屋、東京、青森と4件争われてきたロボトミー訴訟は、すべて和解が成立した。」

◆1985/07/10 被告側の病院と医師が1000万円支払うことで和解

■文献

佐藤 友之 19820601 「弘前精神病院事件――侵犯 第2部 ロボトミーはいかに裁かれたか・4」,『創』1982-6:200-213

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.
『造反有理――精神医療現代史へ』表紙


UP: 20110810 REV:20111008
精神外科:ロボトミー  ◇精神障害/精神医療 
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