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ロボトミー殺人事件(1979)
精神障害/精神医療
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精神外科:ロボトミー
◆1929 桜庭章司、長野県松本市に生まれる→後に一家上京
◆1935 向島の小学校に入学
◆1941 東京高等学校付属工科学校に進学 1年で退学 工員として働く
◆1945 一家、松本に引揚げる 飲食店を始める 工員→飲食店手伝い 英語塾に通う
◆1949/05 立川の米軍基地で通訳募集に応募、合格→家賃を払えず戻る
◆1949? 新潟で通訳の仕事に就く
◆1950/05/02 自殺未遂
◆1950/12 新潟電話局を退職。占領軍新潟基地のOSI(特別犯罪調査局)に再就職。翻訳、および通訳業に従事→家庭の事情で松本に帰る 土工として働く
◆1951/08 手抜きを発見、聞きいれられず馘首される 社長から5万円を渡され、松本に戻る
◆1952/10/14 暴行・恐喝の容疑で逮捕 高木が警察に訴え、事情聴取を受けた社長が金を渡したことを話していたのを、彼は後に知った。 ◆1952/12/28 野地裁松本支部、懲役一年六月、執行猶予三年の判決を下す
◆1954/05 両親が上京したのにともなって、東京へ 私立高校・予備校の英語講師
◆1955/05 辞職(アパートの雑音が気になり、転居を繰り返す 飲酒)
◆1964/03/03 「妹宅を訪れた彼は、しばらく言い争った後、茶ダンス、ガラスの人形ケース、陶器などを壊した。妹の夫が110番したため、ただちに駆けつけた警察官によって桜庭は器物破損の現行犯で逮捕された。
そして、そのまま志村署に留置されたのである。妹夫婦は翌日告訴を取下げたが、釈放されなかった。ばかりか、彼の父は、息子の様子を問われて、「息子は、昔1ヵ月間ほど精神病院へ入院していたことがあります」
と、口をそえた。
まったくのでまかせであった。桜庭は、精神病院へ入院したことは、1度としてない。」
◆1964/03/11 「志村署の4人の警察官が桜庭を梅ヶ丘病院へ連行したのは、逮捕から約1週間経った3月11日である。梅ヶ丘病院は、小田急線梅ヶ丘駅の近くにある、都立の精神病院である。志村署は、桜庭を精神鑑定にふしたのだった。」
◆1964/03/11 桜ヶ丘保養院に措置入院 主治医は藤井謄(きよし)医師(1926〜、54年に新潟大学医学部を卒業、翌55年から桜ヶ丘保養院に勤務)
◆1964/11/02 ロボトミー手術――チングレクトミー(前帯回切除術)――が行われる。執刀医は加藤雄司
◆1965/03/03 仮退院
◆1965/03/29 桜ヶ丘保養院に再入院 「6月には院内で原稿を書き始め、8月には退院を申し出ていたが藤井の許可が下りず、正式に退院したのはこの年の10月4日であつた。64年3月11日の入院以来、1年9カ月経っていた。」
◆1965/10/04 退院
◆1968/03 「68年3月、彼は自動車学校へ通い、建設重機運転用の大型特殊運転免許を習得。千葉県中山で従事していた。その合間に、東京へ数日間戻り、原稿執筆を続けた。術前の5分の1の速度でしかペンは進まなかった。この頃の彼の希望を繋いでいたのは、スウェーデンでの実験であった。脳細胞の再生に成功して、頭脳が回復するならと……。
新しい仕事もうまくはいかなかった。ブルドーザーを運転中、突然、はげしい目眩に襲われ、四肢を突張らせた。トラクターは暴走した。3日後にも同様なトラブルが起きた。後遺症のテンカン発作であった。職場を幾つか変えたが、いつも発作にみまわれた。睡眠薬を飲めば発作は防げるものの、運転はできない。運転はやめるよりほかはなかった。ロボトミーは、どこまでも彼を追いかけてきた」
◆1971/09 「71年9月、桜庭は新しい仕事を捜すために、横浜へやってきた。ブルドーザーの運転手をやめてからこの間、70年8月(恐喝)、71年6月(器物破損)に罪を問われていた。いずれも、睡眠薬で泥酔状態での軽微な事件であり、起訴猶予処分にされている。器物破損罪で捕えられ拘置所在監中、テンカン発作で転倒。彼は肋骨を折った。その傷がまだ完全に癒えていないうちに横浜へ向ったのだった。借金もあり、なによりも生活を支えていかなくてはならなかった。しかし、ここでも同じであった。特殊車の運転免許はもっていたものの、後遺症のテンカンがいつ発生するかもしれない。あきらめる以外なかった。
思い悩んだ末に、彼は強盗を企てようとした。「100万円あれば借金を返済し、再び自宅<0232< に籠って原稿が書ける」と、酩酊状態のなかで発作的に考え、その日のうちに実行に移したのだった。ナイフを一丁買い求め、閉店間際の貴金属店へ押し入った。 「おれは強盗だ、金を出せ!」
足はふらつき、ろれつも廻らない。やっとこれだけ言い、ポケットからナイフを取出そうとしたが指先が思うように動かず、とりだせない。その間に難なく店員に取押えられた。まったく間の抜けた強盗であった。たまたま通りかかった警官に、彼は現行犯で逮捕された。
73年7月、横浜地裁は、懲役4年の実刑判決を下した。現行犯逮捕とはいえ未遂であり、それにしては重い。「前科」が加味されたのだった。」
◆1979/09/27 殺人事件起こる
◆1979/10/18 殺人罪等で起訴され、身柄は八王子拘置所へ移される
◆2008/02/ 自死権を認めないとする地裁判決
◆『全国「精神病」者集団ニュース』
197911
「(5) 本年9月27日、東京都小平市で、脳外科医の妻と母が刺し殺された事件があった。警察は、この事件を単なる強盗殺人事件として片づけようとしている。
しかし、真実は、桜ヶ丘保養院のロボトミー医師=藤井謄に、被術者が正義の復讐をしたことにある。私たちは殺人を否定するが、Aさんが藤井に殺意をいだき、実行しようとしたことは、実に、ロボトミー被術者の正当な行為に他ならない。私たちはこの事件を契起として、桜ヶ丘保養院の没医療をはじめとする実態を暴露しなければならない。
今後、「病」者集団も保安処分の動向とにらみあわせて、Aさんの支援の方向を追求してゆきたいと思います。」
◆1979/10/25
『ロボトミー徹底糾弾』第1号
「桜庭さんを支援しよう
「九月二七日、東京都小平市の精神科医、藤井きよし(桜ヶ丘保養院勤務)の家へ桜庭なる人物がおしいり、藤井医師の妻と母を殺す」という事件がおきた。
詳しくは、同日の新聞を読んでほしいが、「桜庭の犯行の理由は、一五年前に藤井医師にやられた精神外科を恨んでのことである」という。
この精神外科は、チングレクトミー(前帯回切除術)という術式で、前頭葉の下部(脳の中心に近いところ)を吸いとってしまう手術であり、「凶暴性」をなくすために「効果」があると、一部の学者の間でいわれていたものである。
我々は、殺人を肯定するわけではないが、桜庭さんの怒りは正当であり、その怒りこそロボトミー糾弾斗争の原点だと考えている。
ロボトミーの創始者であるポルトガルのモニッツも、被術者にピストルでうたれるという事件があり、人の頭にメスを入れたやつらの血塗られた運命は、このようなものかと今さらながら思うものである。
もちろん、ロボトミー糾弾斗争は、医師を殺せばよいというものではない。
個別の怒りを普遍化し、ロボトミーを頂点とする保安処分攻撃をかけてくる国家権力との斗いへ向かわなくてはならないが、あまりにも医師の身勝手な対応ばかりみせつけられると、本当に「殺してやろうか」という気もおこるというものである。
ともあれ、精神外科に対する怒りを動機として、医師に直接的に制裁を加えようとする行為がはじめて明るみにでた。我々は、この行為の正当性を主張する。且つまた、裁かれるべきは、医師であり、精神外科を許してきた国であると主張する。
とりわけ、桜庭さんを手術した桜ヶ丘保養院は、東京で精神外科をさかんに行なったところであり、警察と最も緊密な関係をもつ精神病院である。我々は、この機会に、桜ヶ丘保養院に対する糾弾斗争を展開すべきだと考える。
桜庭さんは、一〇月一八日に殺人罪等で起訴され、身柄は八王子拘置所へ移された。
桜庭さんは、自分ひとりで裁判を斗かうといっているが、我々は彼の意志を尊重しつつ、彼の決起の意味を広く訴え、ともに桜庭さんを支援することを訴える。」
◆1980/08/01
『ロボトミー徹底糾弾』第6号
1980/07/13ロ全共第2回定期全国大会
ロ全共第2回大会へのメッセージ
「ロボトミー糾弾全国共闘会議第二回大会を祝して
東京拘置所在監
桜庭章司
ロ全共の皆さん、第二回大会、お目出とうございます。団結こそ、権力を倒す唯一の武器であります。皆さんの団結を聞いて嬉しくてなりません。バカな私は、「メダカはえてして群れたがる」ということばを信じて、いつもひとりで闘ってきました。私は学校へ行っておりません。政治では、独りということは存在しないということです。そのことを知ったのは五一才の今年に入ってからでした。
絶対ということばは使うと間違い易いものですが、権力は絶対に正しいことしません。権力は、外見は上品なこすい、小利口な薄情人間を大切にします。権力の本音は、命を捨てて正しいことをする勇気を恐れます。権力は自分に歯向う勇気ある人間を好みません。そういう人間は、失業させて、壊します。権力に迎合し、私達を直接に弾圧・迫害する手先は自分を平凡な、正直の真面目市民であると信じております。
私の肝臓と脳ミソの場所を間違えて、私の頭をチングレクトミーした医者は立派な市民です。その医学博士は地元でも名士として尊敬されております。彼は非常に上品です。その医者は、下品なツラをした下等人民は医学の進歩と権力即ち搾取資本主義発展維持のため、己を犠牲にする、というより消費するのは正義であると心底信じております。これら権力の手先医師は家庭では、やさしいパパであり、甘いハズバンドです。
権力の本家本元は搾取資本家ですが、一般市民には一体だれが権力かわからぬよう権力は巧妙に正体を隠しています。権力の同志・マスコミは高い知力を利用して、権力とか人民とか資本主義ということばを使う人間を危険な過激派と思わすことに成功しました。人民は国民とは戦前より桁外れに進歩しました。権力は法律を変えて、監獄でロボトミーをしようとしています。私達人民を直接弾圧する権力の手先は、それは被害妄想だ、ロボトミーするのは、十人に一人ぐらいだと笑います。
「これからの 刑務所は タバコプカプカ 通勤テクテク ワイワイイチャイチャ タノシイトコロ・・・・」という政府のコマーシャルにはマスコミを通して一般市民をごまかすのに成功しています。しかし二番目以下の歌詞、「文句いう奴、アタマクリクリ ロボトミー 理屈いう奴 アタマパクパク チンチンチンのチングレクトミー あゝ死にたいわのパープーアタマ お上に盾つく コワイコワイ 蹴られてニコニコ ぶたれてニコニコ 笑って暮せよ この囚人ブタども!」はまだ発表されておりません。
最近はロボトミーの代りにそれを改良したチングレクトミーという大手術をします。頭蓋を大きく切り開いて、脳ミソの奥を切ります。丈夫な人でも一ヶ月以上歩けません。四肢が固まり、一生片輪になった人もおります。
しかしロボトミーと違って知力は大体そっくり残り、その上、医師にとっては研究用の新鮮な生体脳が入手できるという魔法のような素晴らしい手術だと医師たちは自慢します。その通りです。チングレクトミーされると、知力は殆んど残り、外見もあまり変らないのに、気力も根気も失くなり、独立生活はできなくなります。手術の死亡率も高く、自殺者も絶えません。見たとこは普通のに生活もできなく、自殺して行くのは本当に魔法のようです。人が生きて行けるのは、知力や記憶力のためではないのです。人が失業や破産という大事件でも生きて行けるのは、情動のためです。チングレクトミーは、あんまり日常的なため、ことばでは説明できないけど、確実に存在している生きる歓びという情動を消します。
私をチングレクトミーした医師三人は、手術中吸いとった私の脳ミソを使ったと論文を書いたことは私には秘密にしています。 精神外科はどんなに発達したものでも、病気でない脳を壊すという意味で殺人と同じです。生きていることだけで恐ろしい人間はおとなしいに決まっています。死んだ人はもっとおとなしいです。神経衰弱やノイローゼからの自殺意志は必ずいつかは消えます。しかし精神外科からの自殺意志は死ぬ迄消えません。
私は手術のため、無気力になった上、八年間重いテンカン(発作性眩まい症)に苦しみました。自動車運転も自転車利用もできないのです。独りで入浴や水泳もできません。八年間毎月十回以上死に損っております。背中の骨折や動脈切断や海中転落、自動車衝突など数えたらきりがありません。しかし、私の母を説得した医学博士達は、「手術すると収入は半分くらいに減るかも知れないが、絶対に警察沙汰は起こさなくなる」とか、「非常に高価な手術だが、お宅の場合は特別扱い、無料にします。」とか色々説明しましたが、必ず起きるテンカンは一切隠しました。「手術すれば収入は半分云々」といった医師は今は国立大学の教授です。これがこの腐った社会の正体です。
精神外科されますと、人並みな希望とか信念ということとは縁が切れます。精神外科は脳を壊して、別の人間としてしまいます。チングレクトミーされた私は非常に疲れ易く、昔、書くのが仕事だったくせに本状をを五日がかりで書いているザマです。
私は三里塚闘争などで権力に歯向って頭を叩き割られたのでないことが口惜しい。反対にルンプロ出身のくせにして権力体制内で成功しようと汲汲し、権力の手先にチングレクトミーされたのが恥かしいです。皆さんは絶対こんな間違いはしないで下さい。
権力の手先医師達は色々とややこしい名の手術を開発しています。どんなにうまいウソを並べ立てても、みんなロボトミーと変りありません。ロボトミーは精神外科の原点です。あらゆる精神外科をロボトミーと呼びましょう。或は、精神外科・サイコロジカル・サージェリの頭文字をとって、PSと呼ぶかは皆さんが決めることです。
ロ全共の皆さん、人民は非国民となりました。権力は法律を変えて、監獄では人民を自由勝手にロボトミーしようとしています。ロボトミー反対運動して、監獄にブチ込まれて、ロボトミーされる―こういう社会を許すことはできません。
生きているという事実は、一瞬の幻に過ぎません。正しい世の中でしたら、この一瞬は永却の歓喜であり、それが人生です。しかし悪が栄える搾取資本主義では、人民はロボトミーで恫喝され、汚職の中に生かされます。人民という言葉を口にしても白い眼で見られます。正義や理想に従って行動すれば、失職したり破産します。こんな社会は叩き潰さねばなりません。権力の手先も多くは塗炭をなめています。ただ彼らの多くは事実を知らないか、又は勇気がないのです。貧乏も恐れます。
ロ全共の皆さん、
皆さんの団結したロボトミー粉砕の怒号は、搾取資本権力を粉砕します。
皆さん、死ぬことは一度しかできないのです。汚職をなめて生きる人生より、権力打倒の戦に散華する人生を選びましょう。美しい、意義ある散華こそ、人生を永遠とします。あなたの歴史に留めます。
皆さんの団結の戦いを祈ります。
人生は一瞬の幻に過ぎません。幻は美しくしましょう。
私の魂は皆さんと共にあります。
以上」
「○桜庭さんの支援○
さらに桜庭さんの支援の問題です。先に述べたことからも被術者の団結の重要性は理解してもらえると思いますが、その被術者の団結をつくる上でも、桜庭さんを支援していくことは重要なことだと思います。
精神外科に対する被術者の怒りこそが、たたかいの出発点であることを確認することです。私たちは殺人という行為を肯定するわけではありませんが、私たちの運動がもっと組織的につくられていたならば、桜庭さんはきっと私たちと共にたたかっていたと思います。私たちは、運動の不十分性をふまえた上で、今からでも獄中、獄外を結ぶたたかいをつくっていかなければなりません。たたかいに決起する被術者を断固として支援するという、たたかいの中での連帯の姿勢を貫くことが、本当にたたかう被術者との団結をつくりあげることだと思います。
みなさん、桜庭さんに手紙をだしましょう。
面接にいきましょう。鉄格子を越える連帯をつくりだすことからはじめたらよいと思います。桜庭さんが生き抜いて、ロボトミー糾弾斗争を私たちと共にたたかうように訴え、被術者との団結をつよめていきたいと思います。
以上 第二回大会で大きな柱として提起した問題について述べてきました。
第二回大会の成功を踏まえてさらなるロボトミー糾弾斗争の前進を着実につくりあげいこうではありませんか。」
◆佐藤 友之 1984 『ロボトミー殺人事件――いま明かされる精神病院の恐怖』,ローレル書房,259p. ISBN-10: 4795231125 ISBN-13: 978-4795231122
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[kinokuniya]
※ m. ps.
cf.
http://wapedia.mobi/ja/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%8F%8B%E4%B9%8B
◆長野 英子 2002/05/06
「ハンスト宣言」
「[…]私はこうした当事者(=「触法精神障害者」とラベリングされた同胞)抜きの議論を一切認めない。
桜庭章司さんを「肝臓検査」とだましてロボトミーしたのは誰か?」[…]」
◆風野 春樹 2003/05/20 「ロボトミー」
http://psychodoc.eek.jp/abare/lobotomy.html
,『サイコドクターあばれ旅』
http://psychodoc.eek.jp/abare/index.html
「[…]そして、誰もがロボトミーを忘れ去った1979年、ある衝撃的な事件が起こっている。都内某病院に勤務する精神科医の妻と母親が刺殺されたのである、やがて逮捕された犯人は、1964年この医師にロボトミー手術を受けた患者だった。彼は、手術でも奪うことのできないほどの憎しみを15年間抱きつづけ、そしてついにその恨みを晴らしたのである。
ロボトミーが大きな話題になったのはおそらくこのときが最後。そしてロボトミーは歴史の闇に消えていった。しかし今も、かつてロボトミー手術を受けた患者たちは精神病院の奥で静かに時をすごしている。そうした患者たちについても、すでに書いた。 」
◆森 炎 20080317
『市民裁判官への5つの扉』
,パロディ社,223p. ISBN-10: 4938688239 ISBN-13: 978-4938688233 1200+
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[kinokuniya]
※ ps. m.
◆2008/07/07 「ロボトミー殺人事件の現場を歩く(1)」
http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2008/07/post_e6db.html
2008年2月、河北新報は「『自死権』は認めません」という見出しで、無期懲役で服役している男性が起こした裁判を報じた。79年に2人の女性を殺害したとした桜庭障司79歳の訴えを退けた地裁判決だった。
「男は長期の服役による身体の不調を訴え、『生きていても仕方がない』などと主張していたが、近藤幸康裁判長は『自死権が認められる憲法・法律上の根拠はない。身体状態や刑務所の処遇状況にかかわらず自死権の根拠はなく、請求は前提を欠く』と指摘した」(『河北新報』08年2月16日)
いわゆる門前払いの判決である。法理論から考えれば当然だろう。しかし1988年3月には、3メートルの金網をよじ登り拘置所の5階屋上から飛び自殺を図った原告にとって、この判決は数奇な運命をたどった男の最後の希望を打ち砕いたような気がしてならない。
彼の犯した殺人容疑に対する裁判で、「被告は現在も医師の殺害を願っており、矯正は到底不可能」と検察は死刑を求刑した。ところが地裁判決は「極刑を科すには一抹の躊躇を感じる」、高裁では「死刑をもって臨むことはためらいを禁じ得ない」、最高裁でも「(被告が)割り切れない気持ちを募らせたことには理解できる面もある」と、被告への同情を示し無期懲役とした。こうした裁判所の「配慮」が、さらに桜庭を追いつめているのだから皮肉である。
1979年9月26日午後5時過ぎ、桜庭はデパート配達員を装い、円形の帽子を入れる段ボール箱を持って藤井擔(きよし)医師の家を訪ねた。対応に出た藤井氏の妻の母・深川タダ子さんを隙を見て押さえつけ、手足を手錠かけ、目と口をガムテープでふさいだ。それからしばらくして買い物から帰宅した妻の藤井道子さんも同じように縛りあげた。通常なら午後6時には帰ってくるはずの擔さんを殺害するためである。
しかし、たまたま同僚医師の送別会に参加していた藤井医師は夜8時を過ぎても帰宅しなかった。このまま藤井医師が帰らず、縛り上げた2人を解放すれば藤井医師に近づくチャンスはなくなる。それを恐れた桜庭は2人の首と胸を刃渡り8センチのナイフで切りつけて殺し、物取りに見せかけるため、約46万円が入っていた藤井氏の給与と約35万円の残高があった妻名義の預金通帳を持って逃走したのである。
しかしてんかんの発作を抑えるために大量に睡眠薬を服用していた桜庭は、かなりもうろうとしていたのだろう。藤井宅を出て2時間後には池袋駅の改札前で段ボールから手錠を落として職務質問を受け、そのまま西口交番まで連行。給与袋や血の付いたナイフなどが発見され、銃刀法違反の容疑で逮捕となった。
結局、藤井医師が帰宅したのは午前4時近くであり、それから警察に通報していることを考えると、遺体発見前に容疑者が逮捕されていたことなる。
わざわざ待ち伏せして殺す。そのために家族の口までふさぐ。そこまで桜庭の憎悪を募らせた原因が、藤井医師が事件の15年前に実施したロボトミー手術だった。そして手術の発端となったのは、なんと兄妹げんかなのだ。
64年3月、母親のことで妹夫婦ともめ、激高した桜庭は茶ダンスや人形ケースなどを壊して暴れた。その様子に恐怖した妹の夫が警察に通報。当時35歳だった桜庭は器物破損の現行犯で逮捕されたのである。
民事事件には原則として介入しない警察が逮捕したのだから、かなり暴れていたのだろう。しかし事件の翌日妹夫婦が告訴を取り下げたのにもかかわらず、警察は彼を釈放しなかった。それどころか1週間後に精神鑑定を行い、「精神病質」との鑑定を受けて精神病院に強制入院させたのである。こうした警察の行動に、彼の前科が関係したことは間違いない。過去に2度ほど逮捕されていたからだ。ただし、その2件が劣悪な犯行だったのかは疑問だ。
最初の逮捕は57年。暴行、恐喝容疑だった。当時、土木工として道路工事に携わっていた桜庭は、飯場で出稼ぎ労働者をいじめている男をいさめた。気の荒い連中の多かった飯場でのこと、たちまち殴り合いとなった。しかし19歳のとき社会人ボクシング大会で優勝した実績もある桜庭が負けるはずもない。簡単にノックアウトしたのである。
それからしばらくして桜庭は路肩の手抜き工事を発見する。正義感の強い彼は班長に抗議する。ところが班長は取り合わず、お前はクビだと脅した。これに腹を立てた桜庭は社長に直談判をする。それを受けた社長は桜庭にしこたま酒を飲ませ、5万円を握らせて同意の上で解雇した。大卒銀行員の初任給が1万3000円に満たない時代であった。かなりの金額ではある。しかし気の荒い連中を使うことになれていた社長が、事をうまく収めたとみることもできるだろう。
この事件から2ヵ月後、桜庭は逮捕される。訴えたのは彼がノックアウトした土木工だった。この件で事情聴取された社長が金を渡したと自供し、暴行に恐喝が加わることとなった。ただ初犯ということもあり、判決は執行猶予がついた。
次の逮捕は翌年8月。ダム工事の土木工をしていた彼は賃金不払いと不当解雇に怒り、社長に直談判した。これが恐喝にあたるとして逮捕だった。1年8ヵ月もの間、長野刑務所に収監されることになったのである。
こうした前科も影響し、強制入院として送り込まれた先が桜ヶ丘保養院だった。そこで医師をしたいたのが、後に妻を義理の母を殺されることになる藤井医師である。脳の一部を切り取るなどして精神障害を「治療」するロボトミー手術の1つチングレクトミーが、彼の専門だった。
爆発的な激情を抑え社会適応させるための手術として、藤井氏はこの手術を高く評価していたようだ。一方、桜庭はこの手術をかなり恐れていた。病棟で出会った若い女性がこの手術の1ヵ月後に首つり自殺をしていたからだ。手術をどうしても回避したいと考えた桜庭は藤井氏に懇願するとともに、母親にも手術の承諾書に絶対にサインしないよう手紙で頼んでいた。
ところが藤井氏は肝臓の検査と偽って桜庭氏を手術台にあげ、ロボトミー手術を強行した。母親を病院に呼び出して熱心に説得してまで実施した手術だった。
ここで問題になるのは、この治療に効果があるとしても桜庭に必要だったのかという問題である。
当時、彼は売れっ子スポーツライターと活躍していた。独学で勉強し米軍の諜報機関OSIにもスカウトされた英語力、ボクサーとしての経験、作家を夢見て磨いてきた文章力。どれもがライターとしてプラスに働いていた。
この事件を含め、ロボトミー手術にまつわる事件をルポした『ロボトミー殺人事件』(佐藤友之 著 エポック・メーカー)には、「いま評論家と呼ばれている人たちは、すべて桜庭さんの亜流みたいなものです。当時、海外の情報をきちんと紹介できる人は、他にいませんでした」という担当編集者の声が掲載されている。
実際そうだったのだろう。当時のサラリーマンの月収の3〜4倍を稼ぎ、資料の整理に2人のアルバイトを雇っていたのだから。そのうえ強制入院させられても、彼は病院で原稿を書き続けていた。編集者から厚い信頼を得ていた証拠だろう。
鬼山豊のペンネームで書かれた原稿は今読んでも古びた感じがしない。海外の報道で取り上げられた事実を織り込み、きちんと人の心を描いている。例えばベースボール・マガジン社発行の『月刊プロレス&ボクシング』では海外レスラーの人生を小説風に仕立てた読み切りの連載が続いていたが、第二次世界大戦中を述懐するプロレスラー、ブルーノ・サンマルチノに、桜庭は次のように語らせている。
「すべては破壊の中にあった。ものも人々の心も伝統も道徳も、一切が破壊と混乱の中にあった。私は多くの仲間たちのように不健康な遊びにおちいらぬため、なにかスポーツをやる決心をしたが、貧しい労働者の私に許されるスポーツといえば、重量挙げしかなかった。それなら、いつでも自分の都合のいいときに好きなだけやれるし金もかからない。はじめはあまり楽しくもなかったが、やがて、私はこのスポーツは肉体を強くする以上に心を美しく強くすることを知った」(『月刊プロレス&ボクシング』64年8月号)
このセリフは桜庭の人生とオーバーラップする。
東京高等工学院付属工科学校に進学したものの貧困により退学して働くしかなかったこと。それでも「禁欲昇華」を目指してボクシングやボディービルで体を鍛えていたこと。
この原稿は、ロボトミー手術による連載中断のわずか4号前、閉じこめられた桜ヶ丘保養院で書かれたものだった。(つづく)」
◆2008/07/21 「ロボトミー殺人事件の現場を歩く(2)」
http://gekkankiroku.cocolog-nifty.com/edit/2008/07/post_f4df.html
「桜庭のロボトミー手術が行われたのは1964年11月2日、逮捕されてから8ヵ月が過ぎていた。仮退院できたのは、それからさらに4ヵ月後の65年3月3日だった。この仮退院に際して藤井医師は手術の承諾書へのサインを要求したという。肝臓検査と偽って強行した手術の体裁を整えるためだ。医師の判断ひとつで監禁が続く環境で患者が逆らえるはずもなかった。
ロボトミー手術が考案されたのは1935年である。それから約30年後に桜庭は手術を受けたわけだが、すでにロボトミー手術の限界は医師の書いた論文からも伺い知れる状況にはあった。まず「矯正」後の人格が人間味を欠き、さらに後遺症として失語症や尿失禁、てんかんなどに見舞われるケースがほとんどだったからだ。
例えば広瀬貞雄医師が51年書いた『ロボトミー―主としてその適応に就て』(綜合医学新書)には、次のような記述がある。
「ロボトミーは、かかる症状を起し易い人の最も特徴的な性格――見方によっては相当価値のある性格傾向――を減殺することになるから、慎重にその発病の動機や環境を検討し、出来る限り精神療法的指導を怠ってはならない」
あるいはこうも書いている。
「要するに、病苦が長年に亘り、素質的の要素が相当大きいと思われる場合に限り、最後の手段として行うべきものであると思う」
つまり滅多やたらに手術するなということだ。ライターとして高い評価を受けている桜庭に手術をするなどは、とても「最後の手段」とは考えられない。
特に広瀬氏が問題にしていたのは、手術によって出現する別人格だった。
「将来に対する顧慮が少なく、その日その日に興せられた仕事を忠実にするが、自ら進んで先々の計画を綿密に立てたりすることも少なく、行き当たりばったりである。自己を反省することが少なく、困った事態に直面しても、心底から深刻に考えたり、悩んだりしない」
「患者はしばしば雄念が湧いて来ない。よく眠り、夢を見ない、取越苦労もしなくなったと云い、他愛なくよく笑うが、当人は以前のような喜怒哀楽の情が湧いて来ないとしばしば訴える。一般に外からの刺戟を素直に許容し、周囲の環境から孤立するようなことはない、平日すぎる日常生活。他人と受動的に円滑に接触する。しかし何となく深みがなく、情熱に欠けている」
一言で言えば、周りにだけ都合のよい人間になったということだ。しかも彼の統計によれば、精神障害の患者137人に手術して64人が「作業不能」だったという。「作業可能」も日常生活が送れるように人はまれという結果だったから、かなり悲惨な治療だったといえる。
桜庭に施された手術は、この本に書かれた方法より進化したものともいわれていたが、ロボトミー手術としての問題はそのまま残していた。実際、桜庭もてんかん発作に悩まされ続け、美しい風景を見ても感動できなくなり、執筆も進まなくなった。結局、術後しばらくたってライターを廃業した。感動できる心も、向上心も、計画性も奪われたら作品を生み出せなくなって当然だろう。クリエイターの彼から手術が職を奪うことなど、素人でさえ想像がついたはずだ。
実際、手術による連載休止が解けた『月刊プロレス&ボクシング』65年2月号に掲載した作品「世界タイトル取れぬ黒人レスラーのなげき」は、以前のようなキレがない。膨大な資料をうまくまとめているが、盛り上げどころに欠けている。文章力と構成力で一流への階段を登り始めていた桜庭は、自身の原稿の変化を痛感したに違いない。あるいは痛感することすらできなくなっていたのかもしれないが……。
家族を殺された藤井医師は、どうして彼の意向を無視してまで強引に手術したのだろうか?
可能性の1つとしてはあるのは、精神病質者に対するチングレクトミーの研究が彼の博士号のテーマだったことだ。つまり桜庭と同じ症例である。「精神病質者」とレッテルを貼られた者が入院しており、生かすも殺すも自分次第となれば、とにかく手術して研究を進めたいと考えても不思議はない。精神障害者への外科手術を進めようとしていた彼の母校である慶應大学医学部の医局の圧力もあったかもしれない。チングレクトミーが厚生省に正式に認められてからわずか7年。関係者にとっては、さらに発展が期待できる手術でもあったろう。
あるいは本人の意思を無視することが、本人の幸福につながると考えたのかもしれない。そもそも「精神病質者」とは、生まれつきの性格異常で、当人や社会がその異常性に悩む人物を指すという曖昧なものである。桜庭で考えるなら、重なった前科が社会を悩ませたということになるだろうか。このような「異常」を取り去るのが自分の仕事だと考えたのなら、藤井氏は桜庭のライターとしての評価など考えもしなかっただろう。
ただ、それはすでに治療行為ではない。善悪の審判と人格の改造を同時に司る「神の所業」だった。
藤井医師と近所付き合いをしていたという82歳の男性は、自分の持つ駐車場のアスファルトを補修しながら語った。
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◆立岩 真也 2011/11/01 「社会派の行き先・13――連載 72」,『現代思想』39-(2011-11):
資料
UP: 20110807 REV:20110809, 13, 1012
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