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岩倉病院問題(K氏問題)

精神障害/精神医療歴史

last update:20110113
◆古屋 龍太* 2008「日本病院・地域精神医学会の50年とわが国の精神保健福祉をめぐる流れ」,『病院・地域精神医学』51-3(173)
*日本社会事業大学大学院 / 国立精神・神経センター病院
 http://www.byochi.org/contents/07_shiryo/nenpyo2008.pdf
 http://www.byochi.org/contents/03_gakkaishi/173.html

「17.岩倉病院問題(K氏問題)
1974年、患者K氏の妻の要請で岩倉病院の医師が往診して同院に入院させたが、その後、同氏に関わっていた関西精神医療研究会連合が岩倉病院に押しかけて実力でK氏を退院させた。この問題をめぐって、精医研連合と岩倉病院・プシ共闘(精神科医全国共闘会議)との間で対立が激化することとなる。この問題の評価をめぐって、再建の目途がつきかかっていた地域精神医学会準備会(大津)は流会となり、再建は頓挫する。さらにこの対立は、保安処分反対闘争、精神医療改革運動の進め方全般にまで及び、諸団体を巻き込み、翌年の日本精神神経学会(神戸)、病院精神医学会総会(千葉)まで開催不能になるなど多大な影響を残した。地域において患者をどのように支え関わっていくのか、入院に際して患者の何を見て、入院の在り方はどうあるべきかなど、多くの課題を投げかけ、この問題をめぐるしこりは大きく残った。
[参考]第19回総会運営委員会:第19回総会運営委員会報告。病院精神医学、46集:87−107,1976

◆吉田 おさみ 19831201 『「精神障害者」の解放と連帯』,新泉社,246p. 1500 ISBN-10: 4787783157 ISBN-13: 978-4787783158 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「関東の東大精医連に対応するものとして、関西では1969年、精神科医師の活動家が結集して、関西精神科医師会議が結集され、後に精神科医全国共闘会議へと発展的解消をとげました。
 精神科医全国共闘会議は発足後、現在に至るまで保安処分問題、中間施設問題、岩倉病院問題などに精力的にとりくんでいます。岩倉病院問題とは、精医研(精神医療研究会)にかかわっていた患者K氏を、K氏の妻の要請で岩倉病院に入院させたのに対し、後に、関西精医研が岩倉病院に押しかけて、暴力的に退院させた事件です。この問題について精神科医全国共闘会議と精医研の間で対立が激化し、多くの団体がこれにまきこまれ、1976年には岩倉病院問題の評価をめぐっての紛糾から、日本精神神経学会も病院精神医学会も開催不能になるなど多大の影響をおよぼしました。
 精神科医全国共闘会議と精医研は、現在も主として野田レポートをめぐって対立しており、後者は前者を政治主義と規定するのに対し、前者は後者を技術主義ないし近代派と規定しています。ただし精神科医全国共闘会議は、闘う「病者」との連帯を追及しているのに対し、精医研は、「病者」が主体的に運動することに積極的ではありません。」(吉田[1983])


UP:20100113 REV:20110309, 0731
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