HOME >

北全病院ロボトミー訴訟(札幌ロボトミー事件)

精神障害/精神医療精神外科:ロボトミー


19730104 北全病院(比田勝院長)開院(佐藤[1982(2):201])
19730214・加藤直信(仮名、当時29歳)入院 (肝硬変、糖尿病、慢性胃炎の診断で市内の病院に入院していたが、2月14日、福祉事務所のケースワーカーが加藤を北全病院に連れて来た→院長は精神病質ならびにアルコール依存症と診断し閉鎖病棟に入院させた
19730306 河合幸次(仮名)入院(当時三七歳、内科の病院と思って入院)(佐藤[1982(2):204])
19730312 河合脱走を企てる→失敗・保護室に収容され、電気ショックを受ける(佐藤[1982(2):204])
19730326 河合退院(佐藤[1982(2):204])
1973   河合再入院(佐藤[1982(2):205])
19730419・加藤直信、ロボトミー手術を受ける
19730605・加藤、再度ロボトミー手術を受ける(佐藤[1982(2):206])
 手術したのは札幌市立病院の脳外科部長・竹田武
19730611 入院患者の男性2人――河合(当時37歳)と高木昭男(仮名、当時42歳)――が脱走し札幌弁護士会に逃げ込む
19730614 「精神病院、患者抜け出し訴えか」『北海道新聞』第1面に掲載(佐藤[1982(2):200])
19730615 札幌市立ち入り検査(佐藤[1982(2):208])
197306?  日本精神神経学会人権問題小委員会調査に乗り出す
19720619 道衛生部精神衛生担当官が北全病院を訪れる
19720629・加藤直信退院(佐藤[1982(2):206])
197606末 北海道大学医学部の医師・学生「札幌の精神医療を明るくする会」準備会結成
19730725 証拠保全申し立て(佐藤[1982(2):209])
19730727・加藤直信と家族が提訴(佐藤[1982(2):201])
19730801 札幌市厚生委員会で取り上げられる(佐藤[1982(2):208])
19760621 第13回公判(佐藤[1982(2):209])
19761026 第14回公判(佐藤[1982(2):210])
19780929・札幌地裁で原告側勝→被告側控訴
「ロボトミー手術は厚生省(現、厚生労働省)の治療指針に入っている゛最後の治療法゛として認めており、手術そのものに違法性は無いが、北全病院はAさんの承諾を得ず、しかも最後の手段としてロボトミー手術をしたのではなかった事、竹田医師は診断義務を怠り漠然と手術をした点に責任がある」とした上でAさんに慰謝料など4152万円の賠償を命じた。
 →札幌高裁第4部(奈良次郎裁判長)
19860331・札幌高裁で、比田院長が2000万円、執刀医の竹田医師が1000万円をAさんに支払うことで和解成立

■1973 北全病院でのロボトミー手術で提訴→1978 札幌地裁で原告側勝訴→1986 札幌高裁で和解成立

吉田 哲雄 19781215 「北全病院「ロボトミー訴訟」の判決について」, 『精神医療』第2次7-4(29) :108-110(特集:世界の精神医療)

◆「札幌・ロボトミー訴訟事件」http://gonta13.at.infoseek.sk/newpage338.htm

『事件史探求』http://gonta13.at.infoseek.sk/index.htm


 「−経緯−
 昭和48年6月11日、札幌市の私立精神病院「北全病院」から入院患者の男性2人が脱走し札幌弁護士会に逃げ込んだ。2人は北全病院の実情を訴えた。これによると、同病院では病院関係者が患者に対して日常的に暴行を繰り返し、院外での様々な作業を強制的にやらされたり院外の人との関係を遮断するため手紙の検閲を行っていた。この事実を知った北大医学部の学生、医師、市民団体らが実態の究明に乗り出した。
 これが端緒となり、同病院でアルコール依存症により入院していた男性がロボトミー手術を受けさせられて廃人同様にされていた事実が判明した。この男性は元鉄筋工のAさん(当時29歳)で、飲酒がもとで体調を崩し札幌市内の病院で診察を受けたところ、肝硬変・糖尿病・慢性胃炎の診断を受けていた。
 Aさんには子供2人がいて生活保護を受けていた。この時、ケースワーカから北全病院を紹介され同年3月に転院した。北全病院の比田勝院長はAさんを精神病質ならびにアルコール依存症と診断し閉鎖病棟に入院させた。さっそく大量の向精神薬を投与したが、効果がみられなかった。そこで、同病院は札幌市立病院の外科医長・竹田保医師にロボトミー手術を依頼。同年4月19日と6月5日の2回にわたってロボトミー手術を行った。
−廃人同様−
同年6月29日に退院したAさんはまったく別人になっていた。無気力・無関心・尿失禁、衣類の脱ぎ着も出来なくなっていた。前述の市民団体らがこの実態を重視し7月27日、札幌地裁に提訴した。
 昭和53年9月29日札幌地裁は、「ロボトミー手術は厚生省(現、厚生労働省)の治療指針に入っている゛最後の治療法゛として認めており、手術そのものに違法性は無いが、北全病院はAさんの承諾を得ず、しかも最後の手段としてロボトミー手術をしたのではなかった事、竹田医師は診断義務を怠り漠然と手術をした点に責任がある」とした上でAさんに慰謝料など4152万円の賠償を命じた。
 昭和61年3月31日札幌高裁において比田院長が2000万円、執刀医の竹田医師が1000万円をAさんに支払うことで和解が成立した。ロボトミー手術は、昭和54年9月に起きた「ロボトミー殺人事件」同様、全国規模で社会問題となった。」

http://blog.goo.ne.jp/koneko5623/e/abc4081fdce7fb548bd96ffe15713644に引用

◆精神神経学会が北海道衛生部長に勧告書(古屋[2008])

◆1978 札幌地裁で原告側勝訴

 「かかる承諾は患者本人において自己の状態、当該医療行為の意義・内容、及びそれに伴う危険性の程度につき認識し得る程度の能力を具えている状況にないときは格別、かかる程度の能力を有する以上、本人の承諾を要するものと解するのが相当である。従って精神障害者或いは未成年者であっても、右能力を有する以上、その本人の承諾を要するものといわなければならない。とりわけロボトミーのように手術がその適応性ないしは必要性において医学上の見解が分れており、また、重大な副作用を伴うべきものである場合には手術を受けるか否かについての患者の意志が一層尊重されなければならない。また、ロボトミーについては、その性格上、精神衛生法第三三条による入院の同意手続を経ていてもこれで足りるものではなく、その手術につき個別的に患者の承諾を要するものというのが相当である」
 「札幌ロボトミー事件 札幌地判昭和53年9月29日」,『判例タイムズ』365, 132

吉田 哲雄 19781215 「北全病院「ロボトミー訴訟」の判決について」,『精神医療』第2次7-4(29):108-110(特集:世界の精神医療)

◆1986/04 札幌高裁で和解成立

 「札幌のロボトミー訴訟、医師と患者が和解
 朝日新聞1986年04月01日朝刊
 「大脳にメスを入れるロボトミー手術で無気力人間にされてしまった、と札幌市白石区の元鉄筋工Aさん(42)が同市内の当時の精神病院長と執刀医を相手取り損害賠償を求め、1審でAさんが全面勝訴し、さらに札幌高裁第4部(奈良次郎裁判長)で争われていた訴訟は、31日、被告側がAさんに3000万円を支払うことで和解した。提訴以来12年余り、控訴審だけでも約7年半の長期裁判だったが、奈良裁判長の重なる勧告で双方が和解に合意した。」

◆エンセン 2003/07/26 「ロボトミーの歴史と事件――精神外科の犯罪」
 http://www.asyura.com/0306/nihon6/msg/433.html

 「昭和48年6月11日、1月に開院したばかりの札幌市豊平区真栄にある精神科北全病院から2人の入院患者が脱走した。2人は札幌弁護士会に救いを求め、病院の惨状を告発した。2人は北全病院には看護婦が少なく、掃除などをする病棟婦、作業指導員らに注射や点滴をさせている事、患者を薬づけにし退院を遅らせている事、手紙の検閲をし、手紙を焼いたり不都合な部分を消したりしている事、不満をもらす患者には暴行し、電気ショックを加える事を訴えた。外見は小奇麗な北全病院だったが、中身は惨澹たるものだったのだ。
 2人のうち、河合幸次(37)は3月6日に北全病院に入院した。内科のつもりで北全病院に行き、診察もなく生年月日を確認しただけで入院手続きは終わった。河合は閉鎖病棟に入れられて、はじめて精神病院だと知った。退院を申し出たが許可が下りず、面会に来た妻も追い返された。
 河合は脱走を試みた。2階の窓ガラスを破って地上に飛び降りたが、その場で職員に捕まった。四畳半の保護室に連行され、電気ショックをされた。手足を抑え付けて拘束衣を着せられ、口に手拭いを突っ込まれた上に手足を固定し、左右のこめかみを濡らし、電極をあてる。一瞬体が痙攣し、意識がなくなる。
 北全病院では「作業療法」として様々な作業を患者にやらせていた。食事の配膳、後片付け、掃除洗濯、院長比田勝孝昭の車の洗車、死者が出た場合の死体処理まで患者がやらせられた。そのくせ、自分で用便の出来ない女性患者を全裸にし、オムツをあてがうのだけは男性職員がやっていた。
 脱走した2人は、作業療法を利用した。ゴミを捨てに行かされ、そのまま原野を横ぎり、山伝いに逃げたのだった。
 北全病院の実態は道内のメディアで大きく取り上げられた。北全病院に対する非難が高まって行った。その中で、ロボトミーをされた患者が発見された。
 元鉄筋工の加藤直信(29)は酒で体を壊し生活保護を受けていた。肝硬変、糖尿病、慢性胃炎の診断で市内の病院に入院したが、2月14日、福祉事務所のケースワーカーが加藤を北全病院に連れて来た。
 比田勝院長は加藤を慢性アルコール中毒、爆発型・意志薄弱型精神病質と診断し、内科ではなく精神科の患者とした。比田勝院長は病院は最初、加藤に大量の向精神剤を投与し、次に札幌市立病院脳外科の竹田保医長にロボトミー手術を依頼した。
 4月19日と6月5日、市立病院で加藤のロボトミーが行われた。6月29日に退院した加藤は北全病院への再入院を拒否、帰宅した。
 加藤はまったく別人となっていた。行動が遅く、まとまりがない。無遠慮で投げやりで身辺整理もできない。無気力で集中力がなく、記憶にも障害があった。その上、失禁をし、自分では着替えなかった。妻は、2人の幼子を抱え、こうした状態の加藤に手を焼いた。
 加藤が発見されたのは、そんな時だった。加藤のロボトミーには本人はもちろん、妻の同意書もなかった。比田勝院長は、入院の同意書を「ロボトミーも含めた入院中の全治療行為についての同意」とし、加藤には検査と説明して手術をしていた。3人の弁護士が代理人となり、3人の医師が特別補佐人となった。手弁当だった。
 裁判のための証拠保全で様々な事があきらかとなった。まず、カルテを書きかえていた。差し押さえたカルテと後に提出されたカルテと内容が違っていた。比田勝院長は「証拠保全で持っていかれたので、書き写した。その時に写し間違えた」と言い放った。コピーをとらずに手で書き写したというのである。こうして12年におよぶ裁判が始まった。
 昭和59年、突然、加藤が誘拐された。元道警札幌南署員と旭川市内の興信所員の2人が、7月22日午後1時頃、旭川市内の精神病院に入院していた加藤を「ちょっとドライブに行こう」と誘い出し、乗用車で札幌市内のマンションに連れ込んだのだ。
 加藤はその後、札幌高裁に訴えの取り下げ書と弁護団の解任届を提出し、11月7日にタクシーの無賃乗車で札幌西署に保護されるまで行方不明になった。
 弁護団は、訴えの取り下げなどに対して札幌高裁に異議を申し立てる一方、保護された加藤から事情を聴いた。加藤は、病院から連れ出されたあと、札幌市内のマンション2カ所で元警察官ら4人と共同生活をし、食事などは元警察官に用意してもらっていた。元警察官は加藤が保護された直後にマンションを引き払い、行方をくらませてしまった。昭和61年3月31日、比田勝孝昭院長が2千万円、執刀医1千万円を支払うという内容で和解が成立した。加藤は42歳になっていた。」

◆田坂 晶 200703 「治療行為に対する患者の同意能力に関する一考察――アメリカ合衆国との比較法的考察」,『同志社法学』60-4(319):217-277(1479-1539)
 http://doors.doshisha.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=BD00012298&elmid=Body&lfname=028003290005.pdf

 「以下では、成人の精神病患者の同意能力の有無について判断したいくつかの事案について検討し、そこから、この問題に対する裁判所の姿勢を探ってみたい。
 札幌ロボトミー事件判決  精神病を患った成人患者の同意能力の有無について判断した代表的な裁判例として、札幌ロボトミー事件判決があげられる(19)。本件の事実の概要は、以下のとおりである。本件患者Xは、高校中退後、転々と職業を替えてきたが、一九六七(昭和四二)年、Xが二三歳の時に事故に遭い、その頃から生活保護を受けるようになった。また、一九七一(昭和四六)年には飲酒が原因で肝臓障害となり、一九七二(昭和四七)年九月、肝硬変症、糖尿病、胃潰瘍と診断され、翌年二月までいくつかの病院に入退院を繰り返していた。しかし、言動が粗暴であるために、最後に入院した病院の内科で入院継続を拒否された。一九七三(昭和四八)年二月一四日、Xが妻子に暴力を振るうと聞いた福祉事務所係員の勧めによって、Xは精神科、神経科、内科を診療科目とするY病院に当時の精神衛生法三三条に基づく「同意入院」をした。同年四月一日頃、医師Y1はXの病状を肝炎のほか、慢性アルコール中毒症および(一四八六)<0224<爆発性・意思薄弱型精神病質であると診断、同人に対して前頭葉白質切截術(ロボトミー)を実施するべきであると判断し、同月一三日頃、S病院脳外科医Y2に手術を依頼した。Y2は、この依頼を引き受け、同月一九日、患者Xの同意を得ないまま、S病院でXに対し左前頭葉白質切截術を行い、次いで、六月五日、右前頭葉白質切截術を実施した。術後、患者Xは、本件手術による後遺症のため、精神的な活動能力・意欲が失われ、人格水準が低下し、怠惰で無気力・無抑制で浅薄な人格となり、独立生活を営むことができず、常に誰かの保護が必要な状態となった。そこで、Xとその家族らは、Y1・Y2に対して、ロボトミー手術を施すにあたって、患者本人の同意を得ていないとして、損害賠償請求訴訟を提起した。なお、Y1は、手術に先立ってXの妻からは書面により手術承諾を得ており、その旨をY2に伝えている。他方、Y2は、手術を実施するにあたって、改めて誰からも同意を得ていなかった。
 このような事実に対して、札幌地方裁判所は、一般論として、患者の承諾について以下のように述べている。「かかる承諾は患者本人において自己の状態、当該医療行為の意義・内容、及びそれに伴う危険性の程度につき認識し得る程度の能力を具えている状況にないときは格別、かかる程度の能力を有する以上、本人の承諾を要するものと解するのが相当である。従って精神障害者或いは未成年者であっても、右能力を有する以上、その本人の承諾を要するものといわなければならない。とりわけロボトミーのように手術がその適応性ないしは必要性において医学上の見解が分れており、また、重大な副作用を伴うべきものである場合には手術を受けるか否かについての患者の意志が一層尊重されなければならない。また、ロボトミーについては、その性格上、精神衛生法第三三条による入院の同意手続を経ていてもこれで足りるものではなく、その手術につき個別的に患者の承諾を要するものというのが相当である」。本判決では、精神障害が認められる患者であっても、問題になっている治療行為について適切に判断する能力が認められる場合には、患者本人の同意を得なければならないという原則が明示された。(一四八七)<0225<
 そのうえで、本件患者の能力に関しては、以下のような判断がなされている。すなわち、患者Xは、医師が自己の脳を切ろうとしていることを察知して、脳を切られることに対して拒否的言動をしたり、看護婦に対して「脳を切ると承知しないぞ」と言ったりしている。判決では、Xの症状やこうした言動に照らせば、本件患者Xは「行為能力は勿論本件手術につき承諾能力、判断能力を有していたものと認めるのが相当であり、かつ、本件手術の施行を拒否する意思を抱いていたことが明らかであるといえる。してみると、本件手術は患者である原告Xの承諾なしに行なわれたものであり、また、原告Xの前示症状、精神状態からすれば、原告Xには生命の危険の緊急事態に在ったものということはできず、また、原告Xに対し、承諾のための事情の説明が不可能であるとかこれをなすことにより却って事態を悪化させることが予測されるものということはできないものというのが相当であるから、違法たるを免れることはできないものというべきである」とされたのである。
 本判決中では、一般論として、精神障害者あるいは未成年者であっても、「自己の状態、当該医療行為の意義・内容、及びそれに伴う危険性の程度につき認識し得る程度の能力を具えている」以上、「本人の承諾を要するものと解するのが相当である」と明示された。ここから、裁判所が、治療行為に対して同意をするために必要とされる能力は、財産処分に関して要求される行為能力とは異なるものであるということを前提としたうえで、同意能力の有無の判断については、患者の言動や精神状態、症状などを総合的に考慮に入れて判断すべきと考えていることがうかがえる(20)。」
(10)町野朔『患者の自己決定権と法』(東京大学出版会、一九八六)一八一頁、唄孝一『医事法学への歩み』(岩波書店、一九七〇)一五頁。(一五二七)
(19)札幌地判昭和五三年九月二九日判時九一四号八五頁。
(20)町野朔・前掲注(10)二一頁。

◆小西 亮希 2011 「ロボトミー手術と精神障害者の自己決定権――北全病院ロボトミー判決 札幌地判S53.9.29」
 http://ocw.u-tokyo.ac.jp/wp-content/uploads/.../20110524_ijihou_case37.doc

「【事実の概要】
・原告X1は慢性肝炎、アルコール中毒により稼働不能、生活保護を受ける
・S48.2.14 X1は粗暴を理由に入院拒絶を受け、被告Y2が院長を勤める北全病院に入院
・S48.4.1 Y1はX1を爆発型・意志薄弱型精神病質、慢性アルコール中毒症と診断
・S48.4.19/S48.6.5 執刀医Y2によって2回のロボトミー手術を受ける
・X1は情意面の水準低下及び思考障害が見られる前頭葉症候群の後遺症が残り、独立した生活が不能に

【訴訟物】
不法行為に基づく損害賠償請求権
【主文】 請求一部認容
1.YらはX1に対し3806万9115円、X2らに金115万を、…支払え
【認定事実・評価】
1.本件手術の施行及び結果について
@手術の施行について
A本件後遺症について
2.原告の本件手術以前の症状について
@症状
A考察(争点1 精神疾患の診断の正当性→本件診断は疑問の余地は残しつつも正当)
3.ロボトミーについて
@ロボトミーの概要と沿革
A本件手術当時のロボトミーについての状況
B本件手術当時のロボトミーについての医学水準(争点2 ロボトミー手術の治療行為性)
4.本件手術の適否及び被告らの責任
@被告らの治療意思(争点3 治療目的であったか否か→治療目的である)
A本件手術の治療行為性(争点4 争点2のあてはめ→治療行為として許される)
B本件手術の相当性(争点5 ロボトミー手術が「最後の手段」として行われたか→「最後の手段」とはいえない)
C患者の承諾(争点6 ロボトミー手術に本人の同意は必要か→必要)
5.原告らの損害額(略)
※S61.3.31 X1が2000万、X2が1000万円を支払うという内容で和解が成立

【感想】
・当事者の人権保障の観点から
 精神病棟という自由を極めて制限される場所である中での同意の有効性は?
・治療優先の観点から
 妻ら家族を共に営む者としては一刻も早い改善が望ましい ∵入院費ならびに粗暴な態度
 勿論インフォームド・コンセントは重要である
 精神病質に対してロボトミーという極端に後遺症の大きい術式ゆえ、判決は妥当に思えるだけでは?
・後遺症の大きさ、その治療方法による完治の確率、疾患の態様の総合衡量
・ロボトミーという術式の選択の病院側のメリット…悪質な人格障害患者の排除」(全文)

■比田勝 孝昭

◆笠原 敏雄 「ADHDと呼ばれる状態像の歴史と現状」http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/psycho/adhd2.html,『心の研究室』http://www.02.246.ne.jp/~kasahara/index.htm

 「これらの手術は、効果がないどころか、かえって自発性や抑制をなくさせるなど、マイナス面が多いことが経験的にはっきりするようになり、向精神薬が広く利用されるようになってきたこともあって、次第に使われなくなりました。しかし、実際にはその後も散発的に行なわれ、1973年には有名な北全病院事件が起こります。この病院の院長は、比田勝(ひだかつ)孝昭という外科医出身の精神科医ですが、札幌に北全病院を開業する直前まで、私が勤めていた病院の常勤の医師だったので、個人的にもよく知っています。わが国では、1975年に日本精神神経学会が「精神外科を否定する決議」を可決しています。これは、精神科の苦渋に満ちた側面です。 」

◆厚生省医道審議会 1991.10.01
http://unkar.org/r/bio/1235533127
【医業停止三年】北全病院長、比田勝孝昭医師(62)=約一億四千二百万円の所得税脱税
◆計見 一雄 20041210 『統合失調症あるいは精神分裂病――精神病学の虚実』,講談社(講談社選書メチエ),290p. ISBN-10: 406258316X ISBN-13: 978-4062583169 \1890 [amazon][kinokuniya] ※ m(増補)

「「爆発型精神病質」診断によって、北海道の佐藤直人さんっていう人は、ロボトー(前頭葉切截術)されました。今から三〇年以上前の話です。その裁判の、原告側証人は私です。つまり、やった方の証人ではありません。やられた方の味方です。患者が訴えた、損害賠償請求。札幌地裁と札幌高裁と、二度行きました。その原告側の証人だから、私は知っているわけです。それが、なんの診断で行われたか。「爆発型精神病質」によって行われたんです。本当ですよ。だから私は、ボーダーライ<0099<ン・パーソナリテイ・ディスオーダーっていう診断で、治療行為を本人の意志に反してやる、閉じ込めるということに、きわめて強い不満を持っている。
 「衝動」はどこまで病的か
 この事件と同時に、「精神病質」っていう概念も医学概念じゃない、っていう決議が精神神経学会でなされたんです。「精神病質」は精神医学概念ではない、精神外科は行われるべきではない、という立派な総会決議を採択した精神神経学会が、「人格障害」パーソナリテイ・ディスオーダーって言った途端に、医療保護入院にして良い、措置入院にして良い、本人の意志に反しての治療行為をして良い、とみんなで言っている。みんなで言ってなくても、明快に反対の意志を表明しない。もはや私は老医師ですからこれ以上ぐずぐず言わないけれど、そういうことまでぐずくずと話は繋がっていく。」(計見[2004:99-100])

◆比田勝 孝昭 200604 「開かれた精神医療」,『秋元病院だより』2006年4月号
 http://www.akimoto-hospital.com/homepage2/pdf/akimotodayoriH18-4.pdf
 *千葉県鎌ヶ谷市

 「70 年以上前、精神病治療は脳病院と呼ばれる所に集約され、そこは一般社会から隔絶された特別の場所であった。ところが、これが世界的な精神医学の発達により急速にその姿を変え大きな変革をとげたのである。
 先ず、向精神薬の新しい開発に伴いフェノチアジン系やブチロフェノン系による冬眠療法なるものが行われ始め、それ迄適確な手段を持たなかった精神科治療に大きな様変わりをもたらした。当然電気ショックや、インシュリンショック等の古い療法は後退し、薬剤による精神症状の改善が大幅に認められる様になった。やがて精神科治療は内因性疾患のみならず心因性のものに迄大きく拡がり、精神科病院の門は大きく開かれて心の傷ついた多くの人達を迎え入れるようになった。
 この精神科医療の革命的傾向はその後益々拡大し、各疾患毎にすぐれた薬剤が発達し、身体症状をも含めた精神疾患全体が充実したものとなり、重要な医学部門の一つに上りつめたのである。先進文明国は皆そうであるが、もはや精神病院は特別に閉鎖された別世界等ではなく、内科や外科等の通常の医療機関と同様に誰もが気楽に出入り利用できるものとなり、精神科の門をくぐることは極く普通の全くいつもの受療行為となったのである。
 昔にしがみついた一部の社会人が抱く偏見は過去の錯覚のままの時代にそぐわない風化した観念であり非現実的な形骸的遺物である。精神科受療に訪れる人達は皆大切な患者様である。とんでもない思い違いはゆめゆめ起こさない様に。
精神科医 比田勝 孝昭」(全文)

■文献

◆神山 昭男(札幌の精神医療を明るくする会) 1974 「精神病院に何を求めるか」,『病院精神医学』37:43-45
◆神山 昭男(札幌の精神医療を明るくする会) 1974 「精神病院に何を求めるか」,『病院精神医学』38:98-100
◆新村 悟(札幌の精神医療を明るくする会) 1975/01/29  「北全病院告発の闘いから」 ,『精神医療』第2次4-2(16):25-31(特集:裁判闘争・行政闘争)
吉田 哲雄 19781215 「北全病院「ロボトミー訴訟」の判決について」,『精神医療』第2次7-4(29):108-110(特集:世界の精神医療) cf.北全病院ロボトミー訴訟
佐藤 友之 19820301 「北全病院事件――侵犯 第2部 ロボトミーはいかに裁かれたか・1」,『創』1982-3:200-211
◆藤野 邦夫・藤井 ヤヨイ 20061005 『裁判事例に学ぶ精神科看護の倫理と責任』,精神看護出版,197p. ISBN-10: 4902099896 ISBN-13: 978-4902099898 3000+ [amazon][kinokuniya] ※ m. m10h1973h.
◆田坂 晶 200703 「治療行為に対する患者の同意能力に関する一考察――アメリカ合衆国との比較法的考察」,『同志社法学』60-4(319):217-277(1479-1539)
 http://doors.doshisha.ac.jp/webopac/bdyview.do?bodyid=BD00012298&elmid=Body&lfname=028003290005.pdf
◆立岩 真也 2011/11/01 「社会派の行き先・13――連載 72」,『現代思想』39-(2011-11): 資料

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.
『造反有理――精神医療現代史へ』表紙


UP: 20110807 REV:20110809, 1007, 9, 12
精神外科:ロボトミー  ◇精神障害/精神医療 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)