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精神病・精神薄弱に関するケネディ大統領教書



■精神病・精神薄弱に関するケネディ大統領教書
(Message from the President of the United States relative to Mental Illness and Mental Retardation)
 野田正彰 2002:263−276より引用

 健康改善の分野において、わが国の最も緊急な課題に関する教書を、簡潔に議会に対して送るものである。ただ2つの問題に限ってであるが、この2つは非常に重大であり、かつ悲劇的なものである故に、しかも公的措置によってこの2つが改善され得る可能性が、従来払われていた注意に比べ、はるかに大きいものであるが故に、新らしい国策として議会に提出する特別教書に価するものである。このいわば双生児的な問題とは、精神病と精神薄弱の問題である。
 公衆衛生局の初期の時代から、国立精神衛生研究所の最近の研究に至るまで、連邦政府は保健問題に対処するため、公的エネルギーを援助し、刺激し、その道をつけることをその責任としてきた。伝染性疾患については、今やおおむね制御が可能となり、主な身体疾患のほとんどが、その原因と治療を見出そうとする人類のたえまない努力の前に敗北しつつある。しかし、精神障害に対する公衆の理解や、その治療・予防は、近代史の初期以来、未だこれに比肩すべき進歩をとげていない。
 しかも、精神病および精神薄弱は、われわれの直面する保健問題のうちで、最も火急のものである。この2つは他の疾患よりもはるかに頻度が高く、多数の人々をおかし、きわめて長期にわたる治療を必要とし、患者の家族に極度の苦痛を与え、きわめて大量の人的資源を浪費し、国家財政および個々の家族の大きな経済的負担となっている。
 こういう患者のうち、約60万人は精神病院に、約20万人は精神薄弱施設におり、あわせて80万人の患者が病院・施設に収容されており、毎年150万人に近い患者が、精神病院と精神薄弱施設において治療を受けているのである。患者の大多数は、時代おくれの巨大で超満員の州立病院に、すし詰めの状態で閉じこめられ、患者の治療費は一日僅か4ドルの平均支出である。この額は患者一人にとって余りに少額で、これではほとんどなにもしてやれないのである。しかし、精神衛生関係費を有効に使うという点でいえば、全体的に少額とはいえない。州によっては、平均一日2ドル以下しか支出できぬところもある。
 納税者である国民に課せられたこの税金の総額は、年間24億ドルをこえ、これが直接公的経費にあてられているのであって、約18億ドルが精神病、6億ドルが精神薄弱の対策にあてられている。これに福祉対策費や人的資源の浪費という間接的な公的支出を加えれば、さらに莫大なものになる。しかも患者自身と家族の苦悩は、こういう財政的な数字を超えたものである。ことに精神病と精神薄弱はいずれも幼児期に発病することが多く、一生患者にとって障害となり、その家族には生涯の苦労となるのである。
 こういう事態は、今まで余りにも長い間、放置されてきた。それは、われわれ国民の良心の痛みであったが、また、口にするのも不愉快で、容易にあとまわしにでき、しかもその解決はほとんど絶望的な問題であった。連邦政府は、その問題が国策的に重大であるにもかかわらず、解決を州政府にまかせ、州政府はその解決を監置的な病院や施設にまかせてきた。これらの病院・施設は、職員不足、過剰入院、居心地の悪さといった点で、恥ずべき状態にあり、この施設からのがれ出る唯一の確実な希望は死のみであった。
 今や大胆で新しい対策の望まれるときがきた。新しい医学的、科学的、社会的技術を彼らに適用することが可能なのである。議会、行政当局、関連する民間団体によって行われた一連の総合的研究が実を結び、その結論のすべてが同一方向を示している。
 連邦、州、地方のあらゆる段階における行政府は、民間財団や個々の市民とともに、この領域におけるおのおのの責任を果たすべく、立ち上がらなければならない。われわれの主な攻撃目標は、次の3点におかれる。
 第1に、精神病と精神薄弱の原因を追及し、これをなくさなければならない。「1オンスの予防は1ポンドの治療にまさる」のであり、予防のほうが関係者にとってはるかに望ましいからである。それは、はるかに経済的で成功の可能性が高い。予防をすすめるには、既知の原因に対する特別計画が必要であり、精神薄弱と精神病に関連する不利な環境条件を有効に排除・矯正できるような、基本的な地域社会対策、福祉対策および教育計画の強化が必要である。以前に私が議会に送った教育に関する教書と、近いうちに送る予定の国民健康に関する教書に述べた諸提案がこの目的達成に役立つであろう。
 第2に、将来、長年にわたって行われる精神障害に対するわれわれの闘いを開始し、これを持続させるために、必要な知的資源の強化、とくに専門家の増強を行わなねばならない。各種の専門職員が精神薄弱者のために役立つのであり、現存する訓練計画を充実させ、新しい諸計画を推進させなければならない。なぜならば今後十年以内に、これらの領域に働く専門職員を数倍に増やさない限り、われわれの努力は実を結ばないからである。保健関係職員の訓練・教育に関する私の提案は、この目標に不可欠である。すでに提案されている青少年雇傭計画と国家的サービスとは、ともにきわめて有力な助けとなるものであり、また、精神の欠陥や障害を予防し治療する方法を知るためには。研究への努力を拡充強化しなければならない。
 第3に、精神病者と精神薄弱者対策ならびに施設改善をはからなければならない。とくに精神障害者が治療され、その機能をできるだけ回復させるように、時宜を得た、しかも集中的な診断、治療、訓練およびリハビリテーションが強調されねばならない。精神病者と精神薄弱者に対する対策を、地域社会に直結したものとし、地域社会の要求にこたえるものとしなければならない。
 私はここに目的を置いて、新しい精神病・精神薄弱対策を提案する。この対策は、大まかにいえば、州、地方自治体ならびに民間活動を促進させるために、連邦政府の資金を投入する企図である。これが実行されると、従来の監置的隔離という冷たいやり方に代わって、開放的で温かい地域社会の関心と能力が示されるようになるだろう。患者を施設に閉じこめ、衰えさせてしまうという無関心さは、予防、治療およびリハビリテーションにとって代られるであろう。
 減税期における国内支出削減の努力のなかで、私は新規計画を延期し、あらゆる分野で追加支出をできるだけ削減してきた。しかし、精神障害に対する国策の転換は、一刻も延期できない。監置主義の施設にいる多数の精神障害者や、地域社会にあって援助を必要とするさらに多くの人々を、十分な治療もせずに放置しておいて、「資金が足りない」「将来の研究に待つ」「今後を約束する」といった口実で、余りにも長い間正当化されてきた。われわれはもう一刻の猶予も許されない。ここに国家的精神衛生計画および精神薄弱に対処する国策を提案し、速やかな議会の関心を要望するゆえんである。

 1 精神衛生に関する国策
 私は精神病者の医療にまったく新たな重点施策と方針を打ち出すために、国家的精神衛生対策を提案する。この対策は、多くの精神病者が在宅のままで有効な治療を短期間受け、有用な社会の一員として復帰できるようにした最近の研究と発見、すなわち新しい知見と新薬にその多くを負っている。
 こうして突破口が開かれ、患者を社会から隔離し、長期、ときには半永久的に、巨大で憂鬱な精神病院に押し込め、われわれの視野から抹殺し、忘れ去っていくといった従来の治療法は、今や古めかしいものとなった。私はこのような病院の状態を改善しようと努めた多くの州の努力や、病院職員の献身的奉仕に対し敬意を払うものである。しかし1961年の精神疾患および精神健康に関する合同委員会が指摘するように、こういう仕事は座折しがちであり、その成果も明るいものではなかった。
 州によっては、五千、一万、時には一万五千人の患者を、職員不足の巨大な施設に詰め込まざるを得ない状態である。その多くが経済的理由のためとされているが、こういうやり方は、人的にも損失であり、真の経済的見地からみれば高価につく。このことは次の統計が明らかに物語っている。
 州立279施設の5分の1近くは火災の危険にさらされて非健康的であり、その4分の3は第一次世界大戦前に開設されたものである、州立精神病院に入院中の53万人の患者の約半数は、3000床以上の施設におり、個人的な医療や考慮が払われることは、およそ不可能である。これらの施設の多くは、必要な専門職員数の半ばにも達せず、患者630人に対して、1名の精神科医がいるかいないかという状態である。しかも入院患者の45パーセントが10年以上継続して入院している。
 しかし明るい材料もある。それはここ数年、次第に増えていた施設へのつめこみ傾向が逆を向いてきたことである。それは、新薬の使用、精神病の本質に対する公衆の理解の増大、総合病院における精神病床、昼間通院施設(デイケア・センター)、外来精神科施設などを含む地域社会施設が設置されるようになったことによる。地域社会の総合病院では、1961年に20万人以上の精神科患者を治癒退院させているのである。
 私は確信する。もし医学的知識と社会の理解が十分に活用されるなら、精神障害者はごく少数を除いてほとんどすべてが、健全で建設的な社会適応をかちとることができる。精神病のなかでも最も多い精神分裂病が、3人のうち2人までは治療可能であり、6カ月以内に退院させることができることが実証されている。だが現在のような状況では精神分裂病の入院期間は平均11年に及んでいる。11の州では近代的な技術によって、精神分裂病の入院患者は、10人のうち7人までが9カ月以内に退院している。さらに一例として、ある州では要入院の患者に対してあえて入院に代わる方法を計画した結果、患者の50パーセントを在宅のままで治療するのに成功した。精神障害に対する一致した国策が今こそ可能であり、意義あるものとなった。
 広汎な新しい精神衛生対策を押し進めるならば、10年か20年のうちに、現在監置的医療を受けている患者の50パーセント以上を減らすことができよう。多くの患者が自分自身にも、家族に対しても、苦しみを与えずに家庭で生活させられるようになり。入院患者の社会復帰も促進されるだろう。患者はほとんど例外なしに、有益な人生をとりもどすことができ、精神病にともなう家族の不幸をなくすことができる。そしてわれわれは公的資金を節約し、人的資源を保存することができるのである。

 総合的地域社会精神衛生センター
 新しい精神衛生対策の中心は、総合的な地域社会対策である。現行の入院保護は時代おくれであり、これに対して引き続き国費を注ぎ込むだけでは、従来のやり方と大差がない。必要なのは新しい型の衛生施設であり、精神衛生対策をアメリカ医学の主流にもどし、同時に精神衛生サービスを向上させることである。ここに私は議会に対して次の諸点について許可を与えるよう勧告する。
(1)各州に対し1965会計年度から、総合的地域社会精神衛生センターを建設するための予算と、計画に要する費用の45ないし75パーセントを連邦政府が提供すること。
(2)総合的地域社会精神衛生センター設立当初の職員充足費として、短期補助金の75パーセントを連邦政府が計上し、その後漸減する方針で、4年程度の期間に前記経費の提供を打ち切ること。
(3)国立精神衛生研究所の指導のもとに、新しい地域社会対策の準備を促進させるため、建設または職員任用に要する準備費として、420万ドルを計上すること。この計画資金は1963会計年度に承認された同種の予算額に追加して、私が提案した1964会計県土予算に包含されている。
 総合的地域社会精神衛生センターの基本概念は新しいものであるが、そこに組まるべき要素は、現在でも多くの地域社会に見出すことができる。即ち、診断、判定期間、精神科緊急病棟、外来診療所、入院設備、昼間通院施設、夜間病院、里親保護、厚生指導、地域社会の他機関への相談指導および精神衛生の広報並びに教育活動などである。
 このセンターは地域社会の諸資源に焦点をあわせ、精神衛生対策のあらゆる面において、よりよい地域サービスを提供する。治療とともに予防も主たる活動になる。センターが自分自身の地域社会内に存在していることは、患者の要求をよりよく理解し、その回復によりふさわしい環境を保つことを可能にする。患者の要求が変わるに従い、異なったサービスへ、なんらの遅延も困難もなしに患者は動くことができ、診断サービスから治療サービスへ、厚生指導へと移動することができ地域にある別の施設へ移る必要がなくなる。
 連邦の援助を受ける総合的地域社会精神衛生センターは、地方のさまざまな組織の援助を受けることになる。連邦政府はかつて有効だったヒル・バートン方式によって、その建設を進め、公共基金または民間の非営利基金に釣り合う支出を与える。理想的には、このセンターを地域社会の適切な総合病院に設置するのが望ましい。総合病院の多くがすでに精神科病棟を持っており、こういう総合病院の医療設備をいちどきにまたは数段階に分けて、補充することによって総合的な計画を遂行することができる。あるいは現在の精神科外来診療部がこういうセンターの中核となって、仕事を拡大し、地域社会にある他の機関との統合を図ることもできる。センターその他種々の援助のもとに、たとえば州や郡政府または非営利民間団体の援助のもとに、州立精神病院分院のような形ででも、効果的にその機能を発揮することができる。
 開業医、精神科医および他の専門医を含む非常勤医はすべてセンターの仕事に直接参加ないし協力することが望まれる。これによって初めて多くの開業医は外来治療にも入院治療にも、直接かつ迅速に動員できる専門助力職員の配置された精神衛生施設で、自分の患者を治療する機会を持つことになる。
 このセンターは本来は地域社会の精神衛生上の要望に応えるために計画されるが、精神薄弱者に対しても、情緒的な問題があれば来所できるようにすべきである。センターはまた専門治療家の指導や、親や学校や保健所その他の公的・私的機関など、精神薄弱者に関係する機関への相談助言を提供すべきである。
 センターによって提供される医療は、他の医療費や入院費と同じように扱われねばならない。かつては精神病の予後が例外なくわるく、長期の、時には終身の治療を必要とすることが少なくなかったので、一般医療費と同じに扱うのは適当でなかった。しかし精神安定剤や、新しい治療法によって精神病は今日では比較的短期間に、何年というのではなく何カ月とか何週間とかで、きわめて高い治癒率でなおるようになった。
 その結果、患者の個人負担金、個人保険、団体加入保険、第三者による医療負担、民間の援助、州・地方自治体の援助は、これらの対策が整備され次第、患者の医療のための継続的負担にたえられるようになる。長期にわたる連邦政府の財政補助は不必要であるばかりでなく、望ましいものではない。しかし多くの地域社会にとって、新しく着手する高価な事業なので、センターを設置し運用するための初期段階の負担に見合う連邦の臨時援助資金が望ましい。この援助は目的に適った刺激であり、漸減の方針で数年後には打ち切りにする。
 地方財政および民間財団によるこの方式の成否は、健康保険計画とくにわが国経済における民間企業の健康保険が十分に整備されているかどうかにかかっている。最近の調査によると精神衛生のための医療、とくに新しいセンターの事業の重要部分である診断及び短期治療の費用は、比較的廉価に保険化できることがわかっている。
 私は健康・教育・福祉省長官に対し、民間の任意健康保険の拡充を援助して、精神衛生医療をそのうちに含める措置を研究するように指示した。私はまた、連邦政府公務員に対する健康管理計画のような現行の連邦の保険計画を検討し、精神衛生医療を増強するために、新しい処置が必要かつ望ましいかどうかについて検討をはじめた。
 この総合的地域社会衛生センターの準備ができ次第、できるだけ早く活動し始めなければならない。必要な人的資源と設備が準備され次第、計画の初期数年間にすべての主な地域社会に拡大されるよう、大きな努力を展開することを提案する。
 ここ数年のうちに、州および地方自治体の援助により増強された精神衛生保険計画と、州精神科施設からの州レベルの資源の再編成とがあいまって、地域社会中心の精神衛生対策を確立し、国民に役立てるというわれわれの目標達成を促進させる。

2 州立精神科施設における改善された医療
 地域社会精神衛生センター計画が十分発展するまでは、既存の州立精神科施設における医療の質の向上が要望される。施設の治療的機能を強化し、地域社会に役立つ開放された施設になることによって、この多くの施設は過度的役割を立派に果たすことができる。州立精神病院が集中的なモデル的研究や試験的研究を行って医療の質を向上させ、これらの施設に配置する職員の現任訓練が行えるよう、連邦政府の物質的援助が可能である。これは入院治療と現任訓練との実験計画に、特別交付金を与えるという形で行われるべきであり、この目的に対して、1000万ドルの支出を提案する。

3 研究および人的資源
 精神衛生に関する主な国家計画を提出したとはいえ、まだまだ知らねばならぬことが沢山ある。心理過程の基礎ならびに応用的研究、治療、精神疾患に関する他の研究分野に活動する開拓的な研究者を支援する努力を怠ってはならない。さらに多くの研究結果を実践に移し、それを改善していくことが必要である。私は精神疾患および精神衛生における臨床的研究、実験研究、地域調査を拡充していくことを提案する。
 われわれがいかに速やかに研究成果を拡大し、精神衛生の分野における新しい行動計画を推進させることができるかは、訓練された人的資源が利用できるかどうかにかかっている。現在、人的資源の不足は中心的専門職および補助職員のほとんどすべての範疇におよんでおり、精神科医も臨床心理職も、ソシアルワーカーも精神科看護者も不足している。計画を成功させるには、これらの分野における専門職の人的資源を急増しなければならない。すなわち、1960年当初の4万5000人から1970年にはおよそ8万5000人の供給が必要になる。この目標に対する対策として、私は年度会計よりも1700万ドル多い6600万ドルを、職員訓練費として充当することを勧告する。
 さらに私は、精神科施設および地域社会センターに雇傭する精神科看護助手とその補助員の研修を援助するため、人的資源開発訓練法規(The Manpower Development and Training Act)を発動するように指示した。
 しかしこの特別訓練計画を成功させるには、計画がすべて基礎的訓練の上に立てられていなければならない。この新しい精神衛生計画の成功のためには、議会が医師および関連領域の保健職員を訓練する援助を裏付ける法律を制定することが不可欠である。
 その対策は、間もなく議会に提出する衛生教育のなかで、相当ページにわたって論じられるであろう(第2章には「精神薄弱に対する国策」が述べられているが、ここでは略す)。
 われわれは国民として、今まで長い間、精神病者および精神薄弱者を無視してきた。このような無視はわれわれが同情と尊厳の理念を守り、人的能力を最大限に活用しようとするならば、すみやかに是正されなければならない。
 この伝統的な無関心さをなくして、国中のあらゆる層、地方、州、個人、すべての行政機関の段階において、力強い遠大な計画を実行に移さなければならない。
 そのためにはわれわれは次のことを実行しなければならない。
 すべての精神障害者に、社会のあらゆる恩恵をわかち与えること。
 精神病および精神薄弱の発生を、いついかなる場所においても防止すること。
 精神障害者になったものを、早期に診断し、社会においたままで持続的かつ総合的な治療・看護を行うこと。
 精神障害に対する州立・私立の病院・施設における治療・看護の水準を向上させ、地域社会中心の計画に切り替えさせること。
 これらの施設に閉じこめられた人びとを、数年にわたって、毎年数百人、数千人とその数を減らしていくこと。
 精神病者と精神薄弱者を地域社会内にとどめ、また連れ戻し、すぐれた保健計画と強力な教育・リハビリテーション活動によって、かれらの生活に再び活気を与えること。そして、この問題に対処できるように、地域社会の意志と能力を強化し、こんどは地域社会が個人やその家族の意志と能力を強化できるようにすること。われわれは能力の限りをつくし、あらゆる手段を用いて、国民の精神的・身体的健康を向上させなければならない。
 これらの重要な目的を果たすために、私は以上の勧告を議会が承認することを要請する。
1963年2月5日 ジョン・F・ケネディ



◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「それはどんな時代であったのか。大勢として見た時に、この時期は民間の精神病院が次々と作られ、多数の人々が収容されていった時期である。他方で、一九六三年には「ケネディ教書」が出されてもおり、「脱病院化」が始まっていることになり、他の領域と同じように、やがてそれが輸入され、「国策」ともされていくだろう★23。ただ日本では増え続けていくし、そして増床すべきことを、その後で「地域移行」を主張する人たちも主張している。両者の間に矛盾があると言いたいのではない。まず双方があったということだ(→342頁)。」(立岩[2013:55])

 「「ケネディ政権以来、力動精神医学はうさん臭いと言われだします。ケネディのお姉さんが精神病でさっぱり治らなかったところが、クロルプロマジンを飲むとずいぶんよくなったのです。一九五二年にフランスで初めて使われ、日本でも一九五五年−一九六〇年までの間に普及した向精神薬第一号です。大統領やその親戚の病気が非常に医学を左右するということがアメリカではよくあります。ポリオの研究が非常に進んだのは、ルーズベルトがポリオだったからです。アルツハイマー病研究が非常に進んだのもレーガンのアルツハイマー病発症と関係があるかもしれません。  そこで診断基準を力動精神医学でつくることを止めます。」(中井[2004:131])★09」(立岩[2013:150])

 「「精神病質はその実態を把握することが、精神薄弱に比していっそう困難であるが、最近の犯罪事件の中には、精神病質者の犯行と思われるものが少なくなく、その実態を明らかにして、適切な処理を講ずることは、社会秩序をまもり、社会生活の安定をはかるためにも、きわめて必要なことである。しかし、この方面の研究や施策は、わが国ではごくわずかな研究者以外にはほとんど手がつけられていない状態である。/[…]さまざまな精神症状をもち、なかにはその症状のために自分だけでなく、周囲に危険を及ばすおそれのある患者も合まれている、精神病患者の約五〇%がまったく医療をうけることなく放置されているのが、現実の姿である。精神薄弱は、医療の対象であると同時に、教育の対象であり、重い精神薄弱のためには、医療と教育とをかねた精神薄弱者サナトリウムやコロニーが、また、比較約軽いもののためには、そのための特別な教育施設や職業補導所が必要である。しかし、そのような機会をめぐまれているのは、わずかにそれを必要とする精神薄弱の九%にすぎないことを厚生省の調査は示している。精神病質者にいたっては、どこにいるのか、見当もつかない状態で、社会のいたるところに生息しているのが現実である。
 このように精神障害者の診療の実態は、ヨーロッパやアメリカの現状とくらべて、劣っているが、その理由は、第一には、精神障害に関する社会一般の理解の不足、ないし、偏見によるところが大きいと同時に、これと関連して国家的施策が貧困であるためでもある。わが国の精神障害に対する医療施設についてみても、精神病のための全国の病床数は十四万床であって、入院を必要とする患者の最小限度の数が三十五万程度とみつもられるから、必要数の三分の一程度をまかなうことしかできない。したがって、精神病院の病床利用率は一般病院のそれが八〇%程度であるのに一〇〇%をうわまわっており、定員以上の患者を収容しなければならない状態てある。人口一〇〇〇に対する病床数は国によっていろいろ差があるが、文化国家といわれるところでは三十〜四十台であるのに対して、わが国はわずかに十四にすぎない。日本は[…]この点に関するかぎり、文化国とはいえない。」(秋元[1964→1971a:167-169])

 三十五万は、おおむねこの国でやがて達成された――現在とんでもなく多いとされる――病床数である。「最小限度」期待・希望通りのことになったということだ★15。そして、この時もちろん著者は、米国で脱病院化を開始させたとされる、一九六三年に出された「ケネディ教書」を知ってもいる。日本精神神経学会は、ライシャワー事件後の政府の政策に反対はしたが、「保安処分」に反対の立場を明らかにするのはそのずっと後のことだ。そして、臺弘の「人体実験」を告発した石川清他を説得している最中にクモ膜下出血で倒れ、そして全快した(→216頁)後の一九七四年、『精神科看護』の創刊号に寄せた文より。さきに(→242頁)より長く引用したものの一部である。」(立岩[2013:342])

 「★09 所謂「ケネディ教書」によって米国における精神医療改革が始まり、大規模精神病院の閉鎖等が進められたという話は――時に、代わりにさしたることがなされなかったために、それで居場所を失った人たちの多くがホームレスになったり辛い目に会うことになってしまったという話(→180頁)とともに――比較的よく知られており、その時、ケネディの家族に精神障害者がいたことも記されるのだが、ウェブサイト上の複数のページ(→HP「精神外科:ロボトミー…」)によれば、「軽度の精神障害を患っていた」ケネディの妹のローズマリー・ケネディは一九四一年、二三歳の時に「本人の許可なくロボトミー手術をされ、施設を点々とする生涯を送った」という。」(立岩[2013:384])


UP:20140128 REV:
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