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武見太郎「精神病院は牧畜業者」発言

精神障害/精神医療


◆1960 武見太郎発言(↓大熊[2009])

◆日本精神神経学会 19691220 「精神病院に多発する不祥事件に関連し全学会員に訴える」

 「世に悪徳病院、病院業者と悪評の立つ一部の精神病院と経営者はたしかに存在する。日本医師会の武見会長は、かってこのような経営者を牧畜業者と批難した。いうまでもなく彼等からみれば患者は牧場に放し飼いする牛か羊と同じという意味である。いま一連の不祥事件を眼の前にし、われわれは残念ながら、この武見放言を謙虚に聞かざるを得ない。このような病院の存在を許す環境は何か。」

◆石川 清 19730915 「台氏人体実験批判の総会可決に際して考える」『精神医療』第2次3-1(11):21-30

 「昭和40年代になってから、特に昭和44年の金沢学会(第66回総会)以降、いわゆる精神病院不祥事件が次々に明るみに出され、わが国の戦後精神医療の腐敗がようやく追及されるようになった。それらの事件はほとんど公立、法人立そしてなかんずく私立の諸施設でおこった問題であり、事件内容は、殺人、傷害、焼死、私刑、自殺、強制労働などの一般犯罪であって、いずれも惨憺たるものであった。この現況に直面して、当時の精神神経学会理事会は、昭和44年12月20日付をもって、「精神病院に多発する不祥事件に関連し全学会員に訴える」という文書をまとめ、公表した。この意見書の内容は、精神科医の反省と自戒を促すものであって、不祥事件の根本原因に関しては、@医療不在、経済優先のいわゆる儲け主義の経営、A私立病院経営者の持つ封建性と病院の私物化、B経営管理を独占する精神科医の基本的専門知識の欠如の3点に主要な問題がひそんでいることを指摘し、さらに、別の要因として国公立病院の不備が私立病院にしわよせされている事実や、低医療費政策による病院の経済危機をあげている。そして改めて悪徳病院の存在を確認し、「精神病院経営者は牧畜業者」という武見放言に屈服しつつ、「以上により、これらの不祥事件の分析結果の根底には、実は医師としての道義心、倫理観の欠如という重大事が横たわっているのではないだろうか。」というコトバをもって根本的原因究明の項を結んでいる。
 私はこの文章を一読し、そこに一面の真実をくみとることができたが、上述の結語の唐突さにおどろくとともに、「医師としての道義心、倫理感の欠如という重大事」がどうして起ったかを、掘り下げて究明しない態度に、理事会の作為と怠慢を直感した。」

◆秋元 波留夫 19760531 『精神医学と反精神医学』,金剛出版,371p. ASIN: B000J9WA3M [amazon] 13567〜 ※ m. [広田氏蔵書]

 「また、ある患者家族は次のように訴える。

 病院では、医者は権威者で、患者、看護婦はものがいえません。病院の家族会は、PTAとおなじです。……公立病院では患者は薬づけにされていることを、一般の親は知りません。面会時間にいっても、トロリとしてねむそうにしていることが多いのです。これに自閉症などと名をつけていますが、医者だけではなおりません。……
 ”精神病院は牧畜業者だ”と日本医師会の会長が、もう何年か前に発言しています。そんなにもうかるものなのです。医者でなくても院長になれるし、精神衛生法でどんどんもうかるし。老人でもからだが不自由だと老人ホームにはいれませんが、精神病院では入れます。東京山谷のアル中、行きだおれ、非行少年などを措置入院でいれてしまいます。……
 これから患者の人権無視、保安処分にひっかける拘禁、差別などの事実が、どんどん出てくるでしょう。十五年も不当に拘禁していた精神病院、精神病の前歴のため、散歩していた人が逮捕され、精神病院にいれられ、アッという間に殺されてしまった事件など、告発はつぎつぎに出てきます(婦人民主新聞、昭和四十八年<0193<七月一三日、より引用)。

 医療者の側からの反論はもちろんあるだろうが、このような、患者と家族からの非難を真向から否定できない状況がわが国の精神医学と精神科医療に現実に存在することもまたたしかである。私は逆説的ないいかたかも知れないが、患者と家族の期待と信頼に応えるどころか、その裏切りさえあえてする精神医学とその実践としての精神科医療を"反精神医学"とよびたい。
 現代の反精神医学は世界的に蔓延している”反精神医学”的状況に対する抗議・異議申し立ての役わりを果たすことが、その本来の使命だと私は考えたい。だから、反精神医学は現代の”反精神医学”的状況の生んだ鬼子である。反精神医学の系譜は、それゆえ、彼の敵である”反精神医学”に結びっくのであり、両者はきってもきれない肉身の間柄である。
 けれども、”反精神医学”的状況は現代に特有な現象ではない。歴史的に見る時はそれぞれの時代にさまざまな構造をもった”反精神医学”的状況が存在した。それは精神医学が成立する以前から存在したのであり、狂気とともにそれはあったし、”反糟伸医羊”はむしろ狂気のなかに存在したといったほうが正しい。私はこの重要なことをいま論証したつもリである。」

◆仙波 恒雄・矢野 徹 19770310  『精神病院――その医療の現状と限界』 ,星和書店,345p. ASIN: B000J7TT42 3300 [amazon]※ m. i05.

 「最も大きいのが保健医療費体系の不備と言え、医療の中での技術料の評価が著しく低く、特に精神科では、技術料の低さ、または全く支払いの対象になっていない部分があり、病院経営を維持するためには、自衛的手段として、薬物にその利潤を求めざるをえないというところにある。また、日本の保険医療制度の中では、出来高払い制であるために(保険診療の審査はあるが)、薬づけの方向に流れ易く、それが精神科では薬づけという悪徳にもつながっていくのである。薬を使えば使う程、儲かるという仕組みであり、武見会長をして“物言わぬ患者の牧畜業者だ”と精神科医を評させたところである。更にそれを助長しているのが、医薬業者のシステムである。製薬会社としては企業であり、利潤追求の性質をもち、売上高を上げるべく各社が競うことも当然である。」(仙波・矢野[1977:158])

◆仙波 恒雄・石川 信義 198310** 『精神病院を語る――千葉病院・三枚橋病院の経験から』,星和書店,336p. ISBN-10: 479110093X ISBN-13: 978-4791100934 [amazon][kinokuniya] ※ m

 「武見さんが精神病院は牧畜業者だと言ったけれども、それは一面の真実をついていると思います。牧畜病院です。精神病院は。」(仙波・石川[1983:311]、石川の発言)

『全国「精神病」者集団ニュース』2000.12

 「かつて日本医師会の武見太郎氏がいみじくも「牧畜業者」と語ったように精神医療は現在も同様に精神障害者にはとうてい納得できるものではない。
 その具体性は「精福法」では「任意入院」が主流となった昨今でも同様と言える。「任意入院」であれ、「精福法」の「詳解」で述べている問題点を見れば一目瞭然である。
 具体的に「精福法」の「処遇」について述べる。」

◆大熊 一夫 20091006 『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』,岩波書店,249p. ISBN-10: 4000236857 ISBN-13: 978-4000236850 2520 [amazon][kinokuniya] ※ m. m01b2000. i05.

 「校了寸前、長年の疑問が解けました。
 国際的に奇異の目で見られる日本の精神保健政策の源流をたどると、私立精神病院「大濫造」にゆきつきます。世界に例のないこの道を開いたのは、故・武見太郎日本医師会長でした(本書一七頁)。一九六〇(昭和三五)年七月に始まった医療金融公庫の融資です。大蔵省は一業種への公的特別融資に反対でしたが、盟友だった佐藤栄作、保利茂、大野伴睦ら政界有力議員の後押しで、この制度は誕生しました。
 その武見会長自身が私立精神病院を「牧畜業者」と指弾し、この言葉は、日本の精神保健の貧しさ、異様さを語る文章には必ずといっていいくらい引用される歴史的名言となりました。
 ところが、何時、何処で、誰に、語られたものなのか、謎でした。
 日本精神神経学会理事会声明(本書六頁)に引用されて有名になったのですが、声明を起草した竹村堅次さんは記憶の彼方というご様子。手がかりはただひとつ、当時、学会関係者(誰だったか失念)から聞いた<0247<「あれはたしか、大分での記者会見発言」という言葉でした。大分での会見なら有力地元紙の大分合同新聞に載ったはずです。同社に問い合わせてみました。けれど、掲載日が特定されなければ探すのは無理というつれない返事です。あきらめかけたとき、私の携帯電話が鳴りました。同社特別顧問の高浦照明さん(七八歳、さる六月引退)からでした。
 「新聞に出たとすると、私が書いたとしか考えられません」
 高浦さんは昔のスクラップブックをめくってくれましたが見つかりません。それから時間をかけて、日時と場所を思い出してくれました。一九六〇(昭和三五)年一一月ニニ日、大分市で第六〇回九州医師会医学会が開かれたその前日の午後。大分県医師会幹部たちと大分合同新聞の二人の記者が大分県医師会館で武見さんを待っていました。正式記者会見の前の放談で先の仰天発言が飛び出し、その場にいた精神病院協会幹部が色をなしたというのです。武見さんはその四年後に大分に来た時にも高浦記者に「一向に変りませんな。要するに牧畜業であるという事は現実問題ですよ」と語ったそうです。
 半世紀近く前のことなのに、高浦さんの記憶は極めて具体的でした。@県医師会館はその日に完成したばかりの奇抜な建物(若き日の磯崎新の設計)だった。A武見さんは記者会見で「保険医総辞退」という特ダネを話してくれた……私は当時の新聞を読みました。@もAも真芙でした。
 では、件の歴史的発言はどこに載ったのか。高浦さんは懸命に記憶を振り絞ってくれました。一九六四(昭和三九)年一一月二五日からの三日間、別府市で開かれた第三回全国自治体病院学会の初日、シンポジウム「公立精神病院は如何にあるべきか」で、高浦さんは武見放談発言を紹介したというのです。
 そしてついに、高浦さんの発言が詳しく記録されている『全国自治体病院協議会会報』(一九六五年六・<0248<七月合併号)が見っかりました。ここまでに約一年かかりました。
 話は振り出しに戻ります。武見さんは医療金融公庫融資開始からわずか四か月後の一九六〇年一一月に「牧畜業」発言をします。まだ「牧畜業」が輩出する前に、です。おそらくは厚生省の指導で私立精神病院大増設作戦が流布され、融資の応募者が殺到して「牧畜業」の大出現が予見できた。それで黙ってはいられなくなった、というのが私の推理です。
 大蔵省の反対を押し切って融資制度を実現させた経緯を紹介した三輪和雄著『猛医 武見太郎』には、武見さんは公的融資制度を使って医師会立病院を日本のあちこちに建てて、医師会傘下の医院と医師会立病院で地域医療ネットワークを構築しようと夢見たのでした。
 しかし、この構想は全国的には成功したとは言えません。そして後の日本に大きな禍根を残すことになる私立精神病院の大増殖だけが、厚生省の計画通りに進んでしまいました。
 一九六〇年といえば、英・仏・米で地域精神保健が動きだした時期です。翌六一年にはイタリアのフランコ・バザーリアが、ゴリツィアで精神病院解体作業を始めました。しかるに日本は……いや、半世紀遅れを嘆いても始まりません。今日からの、賢い精神保健福祉行政を切望します。

   ニ〇〇九年九月一四日
                    大熊一夫」(247-249)

「第3章 不肖の息子とその親
 収容ビジネスのルーツ
 読者の皆さんは、「なんで性懲りもなく事件は繰り返されるのか」「行政当局は、未然に防ぐ手立てをなぜ打たないのか」と思うことだろう。私も、この分野にかかわった一九七〇年以来、国や自治体のお目こぼし体質がずーっと気になっていた。そこで、本書の軌筆を機に、日本の精神保健行政の歴史をかじってみた。
 六九年の学会声明は、不祥事多発の背景として、精神疾患の人々の収容が一種の「ビジネス」になっていることを指摘した。では「収容ビジネス」を許す路線を開いた人物は誰かといえば、それは、精神病院経営者を牧畜業呼ばわりした当人、日本医師会長の武見太郎だった。
 一九〇四年生まれの武見太郎は、旧伯爵家から妻を娶り、元首相の吉田茂とは義理の叔父・甥の関係にあった。臨床医として銀座に自由診療(医療保険がきかない診療)の医院を構え、大勢の政財界要人が患者として出入りした。敗戦直後、中央区医師会から日本医師会の代議員となり、一九五〇年に副会長になるが、GHQとの折り合いが悪くて退任。一九五七年に日本医師会長に就任し、以後、会長を連続一三期期つ<0017<とめた。
 自由党や日本民主党(自由民主党の前身)の幹部とはツーカーの仲で、党のブレーンとして、医療政策に絶大な発言力を発揮した。厚生大臣をアイヒマン(ユダヤ人を絶滅収容所へ搬送する作業の要のポストにいたナチ高官)呼ばわりして、武見天皇だの喧嘩太郎だの猛医だのと言われた。
 根っからの自由主義経済論者・市場原理主義者で、社会主義・共産主義・社会保障・労働組合が大嫌いだった。昭和三六年四月から始まった医療の国民皆保険制度は武見の趣味ではなかったが、時代の要請として甘受したという。医師会長になりたての頃は、厚生省内に「医療国営論者がいるのではないか」「赤色官僚がいるのではないか」と本気で心配していた。そんなことが水野肇著『武見太郎の功罪』にも書かかれている。
 その自由主義経済論者・武見の大仕事の一つが、医療金融公庫の創設だった。同公庫発刊の『医療金融公庫二〇年史』によると、昭和二五年ごろの日本国は、極端な物資窮乏の対処に追われ、金融政策は産業に集中した。開業医がまとまった資金を市中の金融機関から借りるのはむつかしかった。昭和ニ八年になると、日本医師会、日本歯科医師会、日本赤十字社、済生会、全国厚生農業協同組合連合会の、いわゆる関係五団体は、医療金融公庫法案を議員立法で国会に提案するべく準備を始める。この先頭に立ったのが武見だった。
 構想は、政府全額出資金を元手にして、私立病院等の新設や改築に貸し付ける、というものだったが、中小企業金融公庫の設立に先を越されてしまう。だが構想は生き残り、昭和三五年にやっと設立の運びとなった。年利六分五厘・二五年償還という起債なみの甘い融資条件だった。一方、公庫設立にともなって<018<厚生省は、人口一万に一八床(昭和三九年)、一九床(四〇年)、ニ〇床(四一年)といった調子で、病床融資基準なる枠を設定した。公庫発足前年の昭和三四年末、精神科病床は約八万床だった。制度ができてからの厚生省は、毎年、精神病棟をほぼ一万五〇〇〇床ずつ増床するように枠を広げていった。先ごろ小泉政権がやった郵政民営化みたいなことが、一九六〇年代に精神保健分野で起きた。厚生省内に見識ある専門家つまり有能な精神科医がいないことが、警察の仕事を民間警備会社に任せるのにも似た不見識を招いたのだ、と私は思う。」

◆長岡 和 20081015 『爆弾精神科医――医療崩壊への挑戦状』,情報センター出版局,238p.ISBN-10: 4795849420 ISBN-13: 978-4795849426 \1575 [amazon][kinokuniya] ※ m

 「精神医療は牧畜業だ」(p143)

http://www1.bbiq.jp/m-moyai/takagi.pdf

◆立岩 真也 2013 『造反有理――身体の現代・1:精神医療改革/批判』(仮),青土社 ※


UP: 20131011 REV:
精神障害/精神医療  ◇武見太郎 
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