新潟精神病院
last update:20221114
■新潟精神病院
■労働争議
ここでは、1950年代におきた新潟精神病院における労働争議について記述する。
時系列
この時系列は、中央労働委員会と東京地方裁判所との各事実認定に基づくものである。
以下はいずれも吉川創一郎が作成した。
昭和31年
- 2月15日 組合側は、病院側に2,000円の賃上げ(当時の賃金ベースは約8,700円であ
つた)を要求し、団体交渉が重ねられたが妥結するに至らなかつた
- 3月5日 病院側は、新潟県地労委にあっせんを申請
- 3月7日 組合側は組合大会を開き、争議行為を行う旨を決定(スト権を確立)
- 3月8日 信愛会組合が、新潟県知事及び新潟県地労委に争議行為予告(労調法37条)
- 3月14・15日 各部門別に分かれ、具体的にどのような争議行為を行うかを検討
- 3月16日 争議戦術会議を開催、最終的に四つの方針が決定された。
- 3月19日12日 以降地労委のあつせんが行われたが解決せず、同日朝あつせんは不調に終った。
- 3月19日〜21日 第一波事務職場が中心
- 3月23日〜4月2日 第二波薬剤師・看護師らも争議行為に参加
- 4月17日〜 争議中の賃金カットをめぐり紛争が再燃
- 7月11日 新潟精神病院は鷲尾、市川を懲戒解雇、慈仁会は松田を懲戒解雇
- 7月12日 組合側は解雇を不当労働行為であると主張、地労委に救済の申立
昭和32年
- 2月20日 新潟県地労委救済命令(組合側の主張を認める内容)
- 病院側はこれを不服として中央労働委員会に再審査を申立てた
- 12月18日 中央労働委員会申し立て棄却(病院側敗訴)
- ?月?日 病院側は中労委の救済命令につき取消訴訟を提起した
昭和34年
昭和36年
昭和39年
組合大会で決定された4つの方針
〔一〕三月一八日から二〇日までを第一波として、病棟を除く職場、つまり事務系統職員の職場放棄を行う。
〔二〕三月二一日から二六日までを第二波として病棟関係の職場、つまり薬局における業務の放棄、および看護人、看護婦、作業指導員による怠業行為を行う。
すなわち、第二波の期間中、薬局の業務はすべて放棄し、薬局員、看護人、看護婦による投、配薬の業務も行わない。
また治療行為である電撃療法、インシユリン療法など介補業務は拒否する。
日誌記載、巡回による観察、逃走の防止、面会業務、外来受付、入、退院患者の処理、急患発生の場合の検温、給食関係の業務は行うが、その他の看護人、看護婦による看護業務は行わない。
また慈仁会作業指導員は、作業療法の現場で作業の指導を行わない。
〔三〕三月二七日から無期限に第三波として、第一波、第二波の争議を合わせたものを行う。
〔四〕なお病棟関係の争議を行うに当つては、何よりも患者の生命の安全をはかり、非常事態が発生したときには、ただちに医局に連絡してその指示をあおぎ、いささかも手落ちのないようにする。
そのために病棟内の巡回による観察を強化し、危険の予防につとめるとともに、患者の逃走を防ぐこと、を大原則とする。
*作成:山口 和紀、吉川創一郎