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精神病院不祥事件

精神障害/精神医療

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<目次>
■精神病院不祥事件年表
 ◆戦後の精神病院不祥事件年表
 ◆安田系列三病院関連年表
関連団体
宇都宮病院事件(別頁)
大和川病院不祥事件関係
 ◆新聞記事
栗岡病院不祥事件関係
十全会事件/闘争(京都)(別頁)


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■戦後の精神病院不祥事件

 1950 東大医学部台弘教授が松沢病院入院中の患者80余名にロボトミー施行
 1954 東教授事件:日本女子大東佐誉子教授がパラノイアの診断で自傷他害の恐れが全くないのに措置入院させられる
 1957 新潟精神病院事件:国立大学医学部内科教授がツツガムシ病研究のため講師らに命じて患者149人に病原菌を注射、人体実験
 1958 毛呂病院事件:精神病とされ、強制入院せしめられ、不当に断種手術をされた
 1961 石崎病院事件:
 1962 中江病院事件:
 1965 南光病院(岩手県立):院長が新薬エピアジンを、てんかん患者十数名に与える人体実験で2名が死亡
 1968 栗岡病院(大阪):入院患者13人に看護人が暴行患者2名が死亡。院長がリンチ指揮
    南埼病院(埼玉):東京山谷からアル中労務者を狩り集め、事故を起こしかつ贈賄事件を摘発された
    近藤病院(高知):患者であった暴力団員が病院の経営権を握り、女性患者への暴行。健保の水増し請求
 1969 安田病院(大阪):看護人による暴行で統合失調症の患者が死亡
    十全会双丘病院(京都):違法な拘束・極量の薬剤投与で患者死亡
    伊藤病院(千葉):病気でないのに強制入院させられる
 1970 山田病院
    十全会双ヶ丘病院(京都):患者虐待・看護職員の水増し
    碧水荘病院(三鷹市):不当な保護室監禁・懲罰的電気ショック
 1971 中村病院(福岡):入院患者をリンチ殺人リンチで患者一人死亡
    恩方病院(東京):アルコール中毒患者に過剰な電気ショック・10倍量の投薬で患者死亡が増大
 1872 富士山麓病院(静岡):アルコート患者に無制限な電気ショック実施
    アヤメ病院
 1973 水口病院(滋賀)
    北全病院(札幌市):同意なくロボトミー実施廃人同然とされる
    七尾松原病院:不当な強制入院・使役労働・暴行
    十全会双ヶ丘病院(京都):患者虐待・看護職員の水増し (京都): 1月から9月までの間859人の患者死亡が発覚
 1974 甲田病院(千葉):医師不在・無資格看護者・使役労働・薬剤過剰投与・保護室への懲罰的拘束
 1975 秋田病院(徳島):不法な入院で5年間もの間強制拘禁・使役労働
 1979 大和川病院(大阪府):3名の看護人が患者暴行、死亡する
 1984 宇都宮病院(栃木県):看護職員による集団リンチで患者死亡・無資格者の医療行為・強制労働・人権蹂躙・東大医師の患者モルモット化・診療報酬の水増し・4年間で患者222名死亡
    田中病院:患者暴行
    上毛病院:不審死と死因操作
    菊池病院:無資格診療
    聖十字病院:無資格検査・女性に乱暴
    岐阜大病院:人体実験
 1985 大多喜病院:不法入院・リンチ殺人
    吉沢病院:無資格診療
    絋仁病院:不当拘禁・不審死
    成木台病院:患者の金銭流用
 1986 青葉病院:保護室不正使用と患者死亡
    根岸病院:不審死を病死と記載
 1987 大洲病院:入院患者の不審死
 1993 大和川病院(大阪):看護者による入院患者撲殺・劣悪な診療内容・診療報酬水増し・使役労働
    越川記念病院(神奈川):違法入院・入院患者の不審死
    湊川病院:暴行傷害の発覚
 1996 栗田病院(長野):
 1997 山本病院(高知):
 1998 奄美病院(鹿児島):不適切な身体拘束で患者死亡
    平松病院(北海道):
    国立療養所犀潟病院:不適切な身体拘束で患者死亡
 1999 松口病院(福岡):
 2000 上妻病院(東京):
    朝倉病院(埼玉):不適切な拘束・薬剤大量投与・不審死・診療報酬の水増し
 2001 松沢病院(東京):痙攣伴う電気ショック閉鎖病棟で常態化
    箕面ヶ丘病院(大阪):違法拘束・人権侵害
    山口県立精神病院:入院患者不審死・両親の面会拒否
 2008 千葉県八千代氏の精神病院:看護師による患者右腕骨折で、件の立ち入り調査
    大阪貝塚市の精神病院:不当な身体拘束で患者死亡


  第二東京弁護士会編(1987)『精神医療人権白書』悠久書房 pp15〜54、山下剛利(1985)『精神衛生法批判』日本評論社 p21、戸塚悦朗・広田伊蘇夫編(1984)『精神医療と人権 1 日本収容所列島』;『精神医療と人権 2 人権後進国日本』亜紀書房、188−197 より引用


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■安田系列三病院関連年表

1956年       大阪円生病院開設
1963年03月     大和川病院(当初は医療法人安田会として)開設 
1969年03月22日   第1回大和川病院事件(看護者による患者傷害致死事件)
   12月     医療法人北錦会と改名
1979年08月     第2回目大和川病院事件(看護者による患者傷害致死事件)
1980年03月     てんかんで入院中の男性(27歳)不審死

1988年       安田記念医学財団、府の許可で設立
1993年02月22日   第3回大和川病院事件発覚
   04月09日   大阪府環境保険部健康増進課健康保健室による第一回立ち入り検査
   09月20日   大和川病院・安田病院・円生病院3箇所同時立ち監視大阪府が実施
1994年02月16日   大阪府の立ち入り検査の実施
1997年03月18日   大阪労働基準局が3病院を一斉立ち入り調査
   03月19日   厚生省・府・市が3病院合同立ち入り調査
   04月04日   大阪労基局が関係11箇所を労働法違反容疑で捜索
   04月25日   府・市が3病院に医師・看護婦不足の改善指導
   05月09日   府が大和川病院の患者処遇問題で改善命令
   05月19日   府が医療スタッフ数の調査結果公表。看護婦は病院側報告の3割、医師は4割しか確認できず
   06月27日   府が3病院の保険医療機関の指定取り消しに向けて聴聞会
   07月17日   大阪地検・大阪府警が詐欺容疑で強制調査
   07月28日   地検が安田院長ら詐欺容疑で逮捕。府が3病院の保険医療機関の指定取り消しを諮問
   07月29日   3病院の入院患者の転、退院始まる
   08月08日   府が3病院の保険医療機関の指定を取り消す
   08月18日   地検が安田院長ら3人を詐欺罪で起訴。4人を再逮捕
   09月08日   地検が安田ら3人を追起訴
   09月30日   地検が安田ら3人を追起訴し、詐欺事件の捜査終了
   10月01日   府が3病院の開設許可、医療法人の設立許可の取り消しを通知
   10月03日   大阪労働基準局が安田被告を労働基準法違反で書類送検
   11月14日   初公判。安田被告らが起訴事実を認める
1998年02月16日   安田被告側が診療報酬の不正請求分約24億円を自主返還
   03月05日   検察側が安田被告に懲役5年、罰金200万円を求刑し結審

(NPO大阪精神医療センター編『精神病院は変わったか』2006年 関西障害者定期刊行物協会pp103-106、ならびに「朝日新聞」夕刊(1969.8.9)、「毎日新聞」夕刊(1980.1.16)、「毎日新聞」朝刊(1980.3.14)から引用)


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■関連団体

■日本精神神経学会

◆1969(昭和44)年12月20日「精神病院に多発する不祥事件に関連し全会員に訴える」日本精神神経学会理事会
◆1974(昭和49)年07月24日「「通信及び面会の自由」に関する決議」第71回日本精神神経学会総会
◆1975(昭和50)年05月13日「精神外科を否定する決議」第72回日本精神神経学会総会決議
「精神外科とは、人脳に不可逆的な侵襲を加えることを通して人間の精神機能を変化させることを目指す行為である。かかる行為は医療としてなさるべきでない。」
◆1983(昭和58)年06月08日「精神医療改革に関する宣言」日本精神神経学会理事会決議・同評議員会決議
◆1984(昭和59)年05月22日「宇都宮病院事件問題についての見解――精神障害者の人権擁護のために」日本精神神経学会評議委員会


■日本精神病院協会(社団法人)

◆1985(昭和59)年04月02日「声明」


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■大和川病院不祥事件関係

■書籍

◆第二東京弁護士会人権擁護委員会編(1987)『精神医療人権白書』悠久書房

 大和川病院事件とは、平成5年(1993)2月、大和川病院(大坂府柏原市大字高井田)に入院中、何者かから暴行を受けた患者が、他の病院に転院後に死亡した事件が報道された。
 大和川病院は、以前より入院患者の対する不適切な医療や処遇などの問題が指摘されていたが、この死亡事件を契機として、過去長期にわたる不正が明確なものとなり、平成9年(1997年)10月、廃院の措置がとられた。
 この事件は、入院患者に対する劣悪な医療内容のみならず任意入院患者に対する違法な退院制限、入院患者に対する違法な隔離・拘束・常勤の精神保健指定医不在のままの医療保護入院の実施、医療保護入院に際しての精神保健指定医の診察義務違反、患者の代理人である弁護士への面会拒否等の実態を明らかにした。大和川病院事件は、精神障害者の人権を大きく侵害する事件として、全国的にも注目され、「精神保健福祉法」の改正に影響を及ぼした。さらにこの事件は、@我国の精神医療が、なお非医療的な、単に精神病院に入院(収容)させて、地域から隔離するといった機能を残していること、A精神障害者のことを正しく理解していなければならないはずの精神病院内において、人権侵害が行われていた事実が発覚したことで、精神医療に従事する者でも偏見と差別意識があることが改めて明らかになったこと、B精神障害者に対する差別意識は、適切な精神科医療を受ける権利を持つ精神障害者とその家族にとって、医療を受ける上で大きな障害となり、社会復帰を遅らせる原因となっていることなどの諸問題を改めて提起するところとなった。(精神保健福祉審議会・意見具申)
 看護人から殴る蹴るなどの暴行を受け、死亡するに至った例(安田病院患者リンチ事件昭和44年)。同病院に精神分裂症で入院していたA 氏が昭和44年3月22日脱院しようとしていたのを発見され、看護人から殴る・蹴るなどの暴行を受け、昏倒、死亡した事件。死亡診断書は院長が書き、「死因急性心不全」として処置。病院側は遺族に対して遺体を引き渡すことも、納棺の立会いも拒否し、職員に対して「事件を内聞にするように」と指示していた。(P16)

 昭和55年1月16日毎日新聞紙上に大坂大和川病院において、3名の看護助手が患者D氏をリンチ、同氏は2日後に死亡と報道され、日本精神神経学会理事会の調査もその事実を確認している。事件は、昭和54年8月2日に起こったもので、居室の布団の中でたばこを吸っていたことから、「堪忍してくれ」と謝罪しているD氏を3名で2時間にわたって暴行した。D氏の死亡後同院院長は「死因急性心不全」との診断書を書き、病死扱いとして警察に届けなかった。精神神経学会は調査団を派遣し、その結果、毎日新聞報道の暴行事件は『事実として存在したと判断される』「この事件の背景には、日本の精神医療・精神病院の貧困さがあることは論をまたない。同時に精神衛生法の問題としても浮かび上がってくる。法の名の下に保護されてかかる劣悪病院に強制入院が委ねられてきたのである。当院入院患者の警察への訴えがなければ事件は闇に葬り去られ、知事審査も行われなかったであろう」大和川病院は、患者リンチ事件を起こしたかっての「安田病院」なのである。この病院は何ら改善されることなく、全く同様の事件をおこしたのである。(p21)

◆大熊一夫 1992 『ルポ・精神病棟』朝日新聞社

 44年8月19日、大坂「毎日新聞」夕刊見出し、集団リンチで患者死ぬ 看護人ら3人で 土下座 許しこうのを 院長が"病死"で診断書

 柏原市高井田、安田病院(安田基隆会長49歳)舳松(へのまつ)達一院長(70歳)、3月22日起こった入院患者の怪死事件を内定していた大阪府警捜査一課と柏原署はこの事件が看護人による集団リンチ事件によるものと断定。19日朝、同院本階2階、元診療係長、松本正美(36歳)を傷害致死容疑で逮捕、あとの2人を同容疑で取り調べるとともに病院を捜索、死亡診断書・カルテなどを押収。一課は、死亡診断書を書いた舳松院長と最高責任者の安田会長から事情を聞くが、精神病院の乱脈ぶりと監督官庁の指導監督のあり方が問題となるとみられる。リンチ事件は、3月22日午前6時ごろに起こったもので、精神分裂症で入院中の藤井寺市無職Aさん(31歳)が、本館屋上から逃げようとしてロープをたぐっていたところを夜勤職員にみつかった。彼は、別館一階ロビーに連れ込まれ、ここで松本と副主任の宵(よぎ)英世(40歳)、看護人三田義孝(38歳)の3人に殴る、蹴るの暴行を受けた。松本らはさらに、A さんが「こらえてくれ」と土下座するのにもかかわらず、「逃げたいなら走れ、何ぼでも走らせてやる」とロビーを数10分間走らせ、これを見つけた看護婦の忠告も聞かず制裁を続けた。このためAさんは昏倒して同9時頃様態が急変、手当てを加えたが死亡。死亡診断書は舳松院長が書き、「死亡時刻は午前10時20分、死因急性心不全」として処置。この後病院側は、Aさんの衣服を新しい浴衣に取り替え、遺族を立ち合わせずに納棺、フタだけを家族に釘うちさせた。しかし遺族がから見たとき死体左手に切り傷や打撲傷があったので不審を抱き、職員や患者の間でもリンチ事件がうわさになり柏原署に投書や訴えが相次ぎ事件が明るみになった。19日強制捜査に踏み切った。Aさんの家族の話では、病院からの連絡でかけつけ「死体を引き渡して欲しい」と頼むと「医療補助患者なので病院で火葬する。死体は3階にあるがお通夜は1階でして欲しい」と答え、死体を引き渡そうとせず、納棺にも家族を立ち合わせなかったという。(pp104−106)


◆長野英子文/一の門ヨーコイラスト(1997)『精神医療』現代書館.

 1978年8月、入院患者Aが3人の看護人の暴行により死亡した事件。1980年1月6日に3名の看護人は暴行容疑で逮捕された。他にも職員による入院患者虐殺としては、1971年の中村病院(福岡)看護人の暴行による傷害の例として1974年水口病院事件(滋賀)病気でないのに強制入院させられた例として、1969年の伊藤病院(千葉)、1976年秋田病院事件(徳島)がある(以上は、「宇都宮病院問題」1984年5月『精神医療』特集号による)(p90)

◆「精神障害者の主張」編集委員会(1998)『精神障害者の主張』解放出版社.

 「事件報道は1993年2月26日朝日新聞夕刊である。それによると、「患者・暴行死?」というものでした。北錦会・大和川病院から肺炎ということで一般病院に送られた。移送に関係した救急隊員の記録を見ても「全身あざ」という記載、搬入先の病院においても全身の打撲傷が明らかで、肋骨4本骨折、そして砂漠の中を10日間ほど歩いたような脱水症状があり重い状態であるとの診断が下された。治療するも転送先で死亡。大和川病院は10年前さらにもう10年前とこれまでオープンになっただけで、患者のバットによる撲殺事件を2度起こしている。
 ここでの特徴は、医者とスタッフの数を減らして其の分を患者による看護人補佐役を任命することで現場を取り仕切る暴力的支配です。怖さで患者に何も物を言わせなくさせていく。昼間でもベットから出てはいけない時間を作る。患者にさまざまな役(当番)を割り振り、守らない場合、懲罰が待ってている。小遣い銭の所持は百三人に対して10円玉が50枚、其の状態が今でも続いている。監査に入った行政に対しては、「毎日10円玉100枚を渡している』と虚偽の報告をしている。「指定医・常勤意が1日5名いる」という報告であったが、山本氏が調べた結果、実質1日8時間以上週4日以上勤務している精神科医は1名しかいなかった。そういう中でなされる医療は最終的には拘禁に向かうのは目に見えている。その中で患者さんが出来ることは、脱院か自殺かあるいは仲間やのなかで言葉のしゃべれない人や高齢の人への暴行・いたずらなどかなり荒んでいく事態が中から報告されてきた。」(p139−140)

◆藤沢敏雄(1998)『精神医療と社会』批評社

 「1997年に、大坂府安田病院事件が、公となる。この病院については10年以上前から、内外の告発が続いていたが、大阪府は動くことがなかった。人権の侵害・医療法の違反。脱税など限りない違法行為の上に成り立つこの病院は、阪神地区の行き場のない人たちを飲み込んで殺していた。なぜ国税庁は動かなかったのか、栗田病院と同じく、行政にとって便利な存在であったからに違いない。一説によれば、政権党の有力な政治家の圧力が大阪府を縛り、政治が病院をガードしていたといわれている。」(pp271−272)

◆石川信義(1998)『心病める人たち』岩波書店

 「昭和43年大坂の安田病院で、病院を逃げ出そうとした患者を三人の看護者がバットで滅多打ちにして死亡させた。この事件は病院が「病死」として隠蔽していたがその3ヵ月後に、今度は看護助手をさせられていた患者が他の患者を絞め殺すという事件が起こり、それが明るみにでるとともにこの撲殺事件も発覚した。
 その安田病院は、そのあと、大和川病院と名前を変えたが、11年後の昭和54年、またも一人の患者を看護者たちが撲り殺してしまった。「寝てはいけない時間に寝ていた」という理由だった。」(pp64−65)

◆里見和夫(1999)「法律家の立場からー大坂・大和川病院事件が語るもの」『病院・地域精神医学』42(1)

 大和川病院事件とは、安田基隆が1963年大坂府柏原市に開設した安田病院が、その後医療法人経営となり、名称も医療法人北錦会大和川病院に変更した(1969年)ものである。
 安田は、医療法人の理事にはなっていないが実質上のオーナーであった。大和川病院は、定員534床で常時500人前後の患が入院し,ほぼ満床状態。警察・福祉ルートの入院患者多数。1993年2月2日警察の紹介で入院したIさんは、2月15日意識不明の重体となり大坂八尾市内の病院に転院、2月21日転院先で死亡した。転院時Iさんには、肺炎のほかに全身打撲による皮下出血・肋骨骨折・肺挫傷など暴行により生じたと推定される症状が見られたため警察は傷害致死容疑で捜査を開始した。(ただし結果として被疑者不詳により不起訴処分がなされたようである)。Iさん事件を契機として大坂精神医療人権センターによる患者との面会活動・大和川病院の劣悪な医療実態(医療従事者数の水増し・画一処方・保護室の乱用等)の大阪府への告発、改善指導を求める活動等が進められた。4年後の1997年3月、大阪府はようやく大和川病院ほか系列2病院に同時一斉立ち入り調査を行い、労働基準監督署の調査、警察・検察の捜査も行われた結果、医療従事者数の大幅水増し等により、2年半で少なくとも24億円強の診療報酬を不正受給していた事実や劣悪な医療実態が明らかとなった。安田他3名は、1997年9月までに約5億9000万円の診療報酬不正受給・詐欺等で起訴され(1998年4月安田は懲役3年の実刑判決を受けた)大和川病院他系列2病院は1997年10月開設許可を取り消され全て廃院となった。
 精神保健福祉法からの問題点;
 1、面会の妨害(面会を嫌忌する病院の姿勢)面会は月〜土の午後1時半〜3時で、日・祝日の面会を一切認めない。保護者以外の面会を原則認めず友人・知人が面会しようとすると保護者の同意書(実印押捺・印鑑証明書付き)を要求し、退院を促進しようとする(保護者でない)家族についても保護者の同意書を要求した。
大阪府は、面会時間の延長・日・祝日の面会については改善指導し、面会時間は1時間だけ延長されたが、日・祝日の面会に関する指導事項は4年以上にわたって無視されたままであるにもかかわらず、強い指導や改善命令には一切踏み込まず。また、同意書を要求していることについての改善指導は行わず。
弁護士の面会すら妨害(法36条2項・厚生省告示128号により患者の代理人である弁護士との面会は一切制限してはならないとある);病院は、患者に「弁護士は要りません」となどのメモを書かせたり、弁護士を門扉の外で待たせ、そこへ医師及び多数の職員が患者を「連行」してきて「弁護士は要りません」などと言わせて、弁護士と患者のとの面会を妨害する行為を繰り返した。大阪府はこれらに対して個別のケースで指導に来たことはあるものの、このような面会妨害は許されないという抜本的かつ強力な改善指導をせず、無論改善命令を出す素振りも一切示さなかった(法には面会妨害に対する罰則は規程されていない)。
 2、任意入院患者に対する保護室の乱用
  大和川病院には、常勤の指定医がいないため患者をとりあえず任意入院させ、しかし、処置としては、閉鎖病棟や保護室に入れている。」(77−80)


◆里見和夫(2003)「大和川病院事件から精神医療を問う」『精神神経誌』105(7)

 「大和川病院とは、1963年大阪府柏原市(大坂府の最東部、奈良県と隣接)に開設された精神病院。1993年当時、大和川病院は、定床524床で常時ほぼ満床、警察福祉ルートの入院患者が多数であった。大和川病院事件とは、1969年看護者による患者に対する傷害致死事件―第一時大和川事件;1979年看護者による患者に対する傷害致死事件―第2次大和川事件;1993年不明者による患者に対する傷害致死事件(傷害を受けた患者に適切な医療を行わなかった結果、患者は死亡した)―第3次大和川事件。
 大坂医療人権センターは、第3次大和川事件について、患者・家族・看護師など病院職員・その他多数の人たちの訴えや情報提供に基づいて調査を進めた。その結果@大和川病院が医師・看護師の数を大幅に水増しし、診療報酬を不正に受給していること、A実際には医師・看護師が極端に少なく、満足な治療はほとんど行われていない、Bそのため患者の症状とは関係なく画一的な投薬や点滴が行われている、C患者が看護者に質問したり、反抗的な態度を示したりすると懲罰的に保護室に入れられるなどの実態が明らかになった。
 人権センターは、大阪府に対し、大和川病院における医療実態の早急な調査と徹底した改善指導を要請した。しかし、大阪府の対応は驚くほど鈍く、むしろ病院をかばおうとするかのような対応が随所に見られ、結局、大阪府が大和川病院に対する本格的な調査を開始したのは人権センターによる要請から4年以上経過した1997年3月になってからのことであり、それもマスコミがこの問題を大々的に取り上げるようになったためである。
 ついに大阪府は大和川病院の開設許可を取り消す(廃院)に至った。」(p868―871)


◆月崎時央(2004)『精神障害者サバイバー』中央法規出版

 「大和川病院事件を捉える視点――大和川病院では、相次いで死亡する人が出ていた。それも若い人が腸閉塞などで死亡していた。私(人権センターの山本深雪)は、そのとき、病院に対するジャッジがおかしいと感じた。私たちは新規入院の停止を求めたが、結局、廃院を決めるまで、それは認められなかった。97年になり、いよいよ医療内容がおかしいと行政が認め、転院措置をとり始める。言い方は悪いが「医療監視はあってなきに等しいんだな」と無力感を感じていた。
 「社会がね、世の中の困りごとを、みんな精神医療に押し付けていると思う、精神病院に措置入院になるまでにはいろんなことがある。たとえば両親から世話をしてもらえなくなった思春期の子ども、夫から虐待を受けた女性、教育のなかではじき飛ばされた知的障害のある人、経済的に困窮した人、その人たちも最初の問題はそんなに複雑ではないのです。問題がシンプルなうちなら、別な援助の方法もある。それを怠った結果、つまりそういったシステムを作ることにお金をやエネルギーをかけることを怠った結果、問題が解決のつかないほど複雑化し、まるで、最終処分場のように精神医療に投げ込むことになっているんです」」(p237−242)


◆広田伊蘇夫(2007)『立法百年史』批評社

 宇都宮事件発覚後の1984年3月15日衆議院予算委員会において、他の精神病院での類似事件ついて質問(高杉議員)に、厚生省医務局長の答弁によると大阪の大和川病院において、1969年・1979年の2回看護者による患者のリンチ殺人事件、また、1968年大阪栗丘病院でも、院長・看護者の集団リンチにより患者が死亡したと発言。(p119)


■雑誌

◆1980年02月20日 大阪新希望の会「抗議文」


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■新聞記事

◆1969年08月19日 毎日新聞夕刊「集団リンチで患者死ぬ」

1997年5月20日 読売新聞朝刊「安田系3病院調査結果公表 大阪府、弁明に終始 虚偽報告に批難もせず」(cf朝日新聞にも記事あり)
1997年7月18日 読売新聞朝刊「職員偽装94年初めにも・安田系3病院を捜索 看護婦が常時不足」
1997年7月29日 読売新聞朝刊「崩れた『病院錬金術』 どう喝、罰金で徹底支配」「患者は物同然・薬で眠らせよ あきれた実態」
1997年7月31日 産経新聞朝刊 「必要悪・非公開が生んだうみ」
1997年8月1日 毎日新聞夕刊 「大和川病院常勤医師指定医取り消しへ」
1997年8月2日 読売新聞朝刊「『北錦会』認可取り消し 大阪府方針 安田系消滅へ」
1997年8月3日 読売新聞朝刊 「医師たちは見てみぬふり;問われる自浄作用;身内に甘い体質根強く」
1997年8月5日 朝日新聞朝刊 「人権侵害など府と実態調査(安田病院事件で大阪市)」
1997年8月5日 読売新聞夕刊「なくなって当然 大和川病院 元患者、怒り消えず」
1997年8月5日 産経新聞夕刊 「大和川病院保護室を「悪用」軽症でも懲罰的に」
1997年8月9日 朝日新聞朝刊「安田病院グループから・・・寄付・賞金もらっても困惑」
1997年8月19日 産経新聞朝刊「転院してよかった 安田系列三病院の患者」
1997年8月19日 読売新聞朝刊 「詐欺罪で起訴、再逮捕」
1997年8月27日 読売新聞朝刊 「「精神科救急」立て直し・官民の役割を分担」
1997年8月31日 読売新聞朝刊「死因は適当に…」「大阪府は状況把握せず」(社会部 原昌平記)
1997年9月6日 毎日新聞朝刊 「大阪府が責任認める」
1997年9月18日 読売新聞朝刊 「医療行政の"剛腕"顔役・大阪府汚職浜之上容疑者」
1997年9月10日 毎日新聞朝刊 「安田三病院月末廃院へ」
1997年9月20日 毎日新聞夕刊 「改善指導に異例"介入"大和川病院担当者に報告求める」
1997年9月22日 産経新聞朝刊 「「大阪府医療汚職・安田財団」設立で助言」
1998年4月14日 読売新聞 「安田病院事件の判決要旨」
1998年4月14日 産経新聞夕刊 「安田(系3病院)病院事件の判決要旨」
1998年4月14日 産経新聞夕刊 「安田系3病院被害者弁護団・位田浩弁護士」


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◆1997年5月20日 朝日新聞朝刊

 〔大和川病院における大阪府の調査結果〕(3月19日)
       病院の報告数  実在が確認された数  架空の疑いが判明した数
医師       28        13              10
看護職員    137        47              63

  (注)本人の協力が得られなかったなどの理由で調査不能のケースがあり、右の2項目の合計が「病院からの報告数」にはならない。



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◆1997年7月18日 読売新聞朝刊

大和川病院(ベッド数:524床)

不正請求の看護料(患者1人1日)

・新看護料(6B補10) 〜 適用開始(1996年7月)
  患者数と看護職員の比率
   6:1=3170円

・本来の看護料(精神その他3種)
  患者数と看護職員の比率
   7:1未満=1320円

・差額 =  1850円

(*金額は1997年7月現在;(B)は正看護婦比率40%以上、「補10」は患者10人に看護補助者1人配置の意味)


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◆1997年7月29日 読売新聞朝刊

 @事件発覚後の対応経過

 28日、安田院長大阪地検に詐欺容疑で逮捕(午後3時20分)を受け、大阪府は午後3病院への緊急監視実施。適切な医療の継続は困難と判断、29日から病院に計60人の職員を常駐させ、「今週中にも472人の入院患者を全員、転退院させる」との方針を決定。
同時に、大阪市と合同で「安田系三病院患者転退院対策連絡会」設置。
一方、府から三病院の保険医療機関取り消しの諮問を受けた府社会保険医療協議会はこの日全員一致で取り消しを了承、29日日に知事あてに答申。実際の取り消し処分は9月1日を目途にしている。緊急医療漢詩アは36人で行い、診察や給食の状況を調べたが、翌日の点滴の在庫もなく「病院機能が停止しかねない」と判断。29日から各病院に「現地対策チーム」を置き、保健所には患者家族らの相談窓口を設置する。公立病院などにスタッフの派遣準備の要請をする。28日現在の大和川病院の入院患者228人。今月中に全員転院予定。

Aあきれた実態―「患者は物同然」「薬で眠らせよ」

 大和川病院では、新規患者の無診察での一律保護室隔離、職員による患者への暴行、退院希望者の不当な留め置きなどの人権侵害が繰り返された。安田容疑者は「患者は薬で眠らせるのが基本〕と公言。病院にとって不都合な患者に強い薬が投与されることなどが日常化していたため「鬼の大和川」と怖れる患者・家族もいた。

B粘りで国動かした―4年半の追求実った市民団体

 大阪医療センターの取り組み評価;1993年2月に起きた大和川病院の男性患者不審死事件をきっかけに、4年半にわたって三病院の実態を追求してきた市民団体「大阪医療センター」(代表・里見和夫弁護士)の粘り強い取り組みがあった。入院患者への面会、元職員からも院内の実情を綿密に聞き、大阪府や厚生省に再三実態把握を要請した。病院側は面会妨害や民事訴訟、刑事訴訟などで攻撃したが、昨年夏には現職職員を同行して、厚生省に生々しい証言を示し、これが同省の姿勢を前向きに転換させる原動力になった。山本深雪事務局長(44)は「安田容疑者が詐欺罪に問われるのは当然。ほっとしたけれど、課題の一つの山を越えただけで、問題解決は諸に付いたに過ぎない。特に行政の対応が遅すぎた。この間に、どれだけの患者の命が失われたことか」と指摘。・入院患者の声を反映する窓口がない・医療機関の実態が市民に隠されている・患者への差別がまかり通っている―などの問題を挙げ、「まず三病院に残る患者全員の早期転院を実現し、きちんとフォローすること。そして行政システムや医療界のウミを出し切り、根本的に変革することが必要だ」と訴えている。


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◆1997年7月31日 産経新聞朝刊 「必要悪・非公開が生んだうみ」

 「安田病院グループの入院患者の多くは、他の病院では受け入れてくれない重度の精神障害者や薬物中毒患者、寝たきりのお年寄りだった。日本の医療制度では、長期入院のお年寄りや精神障害の患者の診療報酬は低く抑えられている。「採算が取れない」患者で病院経営を続けるためには、人件費や設備費を抑え、看護職員を水増しして看護料を稼ぐ以外なかった「必要悪」という指摘もある。
 医事評論家の水野肇は「国や大阪府は(安田系病院と)同じ役割を担える医療機関がほかにあるのかということを、まず考える必要がある。第三セクター的経営の医療機関を新設するのも一つの方法だ」と提案する。そして、審査機構の充実以上に、医師に「既得権」を与えてしまった医師法を見直し、医師の不正を未然に取り締まれる法への変革が必要―とする。「閉ざされた医療」のうみともいえる。」


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◆1997年8月1日 毎日新聞夕刊 「大和川病院常勤医師指定医取り消しへ」

 厚生省は、1日までに大和川病院に勤務する精神保健指定医(46)の指定を取り消す方針を固めた。退院可能な患者の退院要求に応じなかったり常勤医なのに欠勤が多いことなどから、指定医として著しく不適格と判断した。勤務実態を理由にした取り消しは前例がない。精神保健法によると、精神病院は、3年以上精神障害の診断や治療をした経験豊富な医師を常勤の精神保健指定医として置くことを義務付けられている。「指定医失格」の確認が取れれば聴聞を経て、公衆衛生審議会に諮問したうえで指定を取り消される。」
 「大阪府は5月、大和川病院に常勤指定医の確保を命令したが、病院は「新たな確保は困難」と返答。さらに7月28日の緊急立ち入り調査時も、この指定医1人だけしかおらず、適切な医療の継続が困難と見て、全患者の転退院を急いでいる。


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◆1997年8月2日 読売新聞朝刊

残り入院患者17人。8日付けで保険医療機関取り消し通知。厚生省は、1日、大阪府が予定している開設許可・法人許可の取り消しを認めることを決めた。安田基隆(77歳)の医師免許取り消しも早ければ今秋の医道審議会に諮る方針。


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◆1997年8月3日 読売新聞朝刊 「医師たちは見てみぬふり;問われる自浄作用;身内に甘い体質根強く」

 「7月29日、住吉区医師会の理事会が行われた。当初は26日の予定であったが台風で延期、安田逮捕の翌日となったが、安田事件は話題に上らなかったという。同会の幹部は「保険医療機関指定取り消し処分も出ておらず、現段階では対応の仕様がない。事件は遺憾であり、きちんと対応したいのだが」。安田系病院の劣悪な環境や診察実態は、同業者である他の医師にも知れ渡っていた。が、正面切って指摘してきた医師は数えるほどしかいない、という。「住吉区の医師会は、問題を起こした人物をそのままにしてきた伝統ある医師会なんですよ」ある医師は自嘲気味に話した。6年間会長を務めた安田容疑者は、衆院選に出て収賄で逮捕され、脱税で摘発された会長もいた。そのたびに除名ではなく、戒告などでお茶をにごしてきたというのだ。「医師会は親睦団体の性格が強く、弁護士団体のような懲戒規定もない。会員でなくても開業できる。皆さんが思うほど権限も力もない」と同医師会の幹部。そんな医師会の「限界」に加え、何かあれば恫喝、中傷文書、訴訟の手段で安田容疑者が攻勢をかけるため他の医師はますます沈黙した。ある医師は、「変に楯突いて訴えられ、中ノ島(裁判所)通いなんてかないませんわ。そりゃ安田院長は診察せえへんから時間はたっぷりあってええけど」。医師会全体にしり込みする空気が蔓延し、病院とは名ばかりの実態にも見て見ぬふり。そんな体質が安田容疑者の独善性を許す一因になった。という見方もある。「身内に甘い」体質は、特定の医師会に限らない。八尾総合病院の森功院長は、「他の病院のことは何も言わない。その代わりこっちのことも何もいうな。そんな「不干渉主義」が医師の不文律。問題のある病院をチェックし、医療の質を高めていく意識が薄いところに、日本の医療の悲劇がある。
 大阪府医師会は、7月30日、一連の問題の発覚以来始めてコメントを出した。「行政制度と社会を欺いた不正な利益の搾取は絶対に許すことができない」。大北昭同会理事は、力説する。「以前の医師会は、会員を「守る」ことばかり。今回も「なぜ(安田容疑者を)守らないのか」という声を耳にした。そんなことは社会的に通用しない。悪い者は悪いという意思表示をしなければ、まじめな大多数の病院が迷惑だ。「かばいあい」をしてきたように見える医師たち。医療の相互監視は無理なのだろうか。安田病院事件は医師たちの<自浄作用>を問いかけている。」


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◆1997年8月5日 読売新聞夕刊

最後の患者が退院。
93年ごろまで1年あまり入院していた元患者は「閉鎖病棟では中庭にさえ出してもらえず、体表を見たこともなかった」と振り返る。面会時間は制限され、電話も隣に看護人が座って通話先をチェック、身内以外にかけるとすぐ切られた。知人と面会に来た大阪精神医療人権センターのメンバーに訴えて、家族に取り次いでもらい、何とか退院できた。「一生あの病院から出られないと思っていた。苦しい思い出ばかり」と語る。
 今年5月に退院した男性は10年間入院。「あんな病院はなくなって当然」と怒りをあらわにした。「府から退院請求の書類を取り寄せると<書類を破ったら退院させる>と請求を諦めさせたうえ、約束を破る。むちゃくちゃだった」
 大阪精神医療人権センターには、大和川病院の元患者から、院内の実態を伝える手紙がしばしば寄せられていた。<看守の患者への暴行は日常さはんじです。ひたすらとじこめておくだけの病院です―これではいっそ、ほんとうの刑務所のほうがましです>そう訴えた一人は手紙の最後に<こんなひどい病院がよのなかからなくなるようにしてください>と書いていた。


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◆1997年8月5日 産経新聞夕刊 「大和川病院保護室を「悪用」軽症でも懲罰的に」

 保護室は院内に10箇所ありトイレとベッドしかない三畳ほどの広さ、扉は外からしか開かない構造。症状が重い患者を一時的に隔離する保護室を、症状が軽い患者に対しても懲罰的に使用していたことが大阪府の調査などで明らかになった。本人の意思で退院できる「任意入院」55人のうち36人を保護室に収容するなど杜撰な医療実態の詳細も判明した。
 大和川病院では、看護職員に反抗的な態度をとる患者に対し「懲罰的」な使われ方がされることがあったという。看護職員の監視を逃れこっそり電話した患者を保護室に収容したこともあった。


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◆1997年8月9日 朝日新聞朝刊

安田病院グループから・・寄付・賞金もらって困惑 団体・医師ら「軽率だった」「できれば返したい」
     
安田記念医学財団からの医学賞・海外派遣賞・奨学賞

88年度  11件   900万円
89年度  21件  1630万円
90年度  23件  2100万円
91年度  23件  1830万円
92年度  24件  1790万円
93年度  39件  4800万円
94年度  43件  4650万円
95年度  39件  4190万円
96年度  51件  4700万円

計2億6590万円

その他の主な寄付

94年2月  エイズ予防財団        10万円
94年3月  日本糖尿病財団        100万円
94年4月  骨髄移植推進財団      1000万円
95年9月  大阪から肺がんをなくす会   500万円
95・96年  阪大医学部           1000万円
96年    京大医学部           100万円

計2710万円

  安田院長からの寄付金は、府の環境保健部長室で、当時の江部高弘部長の立会いのもと贈呈された。ところが、府はその2年前の93年、職員水増しの疑いを持って安田系三病院に異例の立ち入り調査をしていた。同部は調査の担当部署。江部氏は「当時から問題のある病院だったとの認識はあり、部長室で授受させたのは軽率だった」と話す。
 骨髄移植推進財団は「問題がある病院とは知らなかった」・エイズ予防財団も「寄付金の出所に疑惑が出て残念に思う』と話す。
 大阪大学医学部では、5つの教室(第32内科・第三内科・第二外科・老人科・病理部)が奨学寄附金として授受。各教室の教授の話を総合すると、安田院長から「母校の教室に寄付したい」と言う申し入れがあった。岸本忠三医学部長(次期学長)は安田財団の審査選考委員も務めていたが、「院長は奇特な方だとばかり思っていた」疑惑発覚後、選考委員をやめる。他の担当教授も「院長を診察したことがあるが、紳士的な人だった」「返せる者なら返したい」などと話した。
 このうち3教室では、今春まで大学院生らが安田系病院で当直医などのアルバイトをしていたという。教授たちは「アルバイト派遣と寄付金は関係ない。疑惑発覚後、当の院生から初めて病院内の実態を聞かされた」などと釈明している。
がん研究への助成金として医学賞を受けた学者たちも戸惑いを隠さない。優秀賞を受賞した国立大教授は「初めは安田生命が関係した財団だと勘違いをしていた。贈呈式に出てみると、政治家や厚生省の役人がずらりと並んでいる。政治色の強い財団なんだなと驚いた」と話した。
安田院長は、こうした寄付について「役所に言われるまま金を出してきた」と強調。潔白を訴える材料にした。」


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大和川病院から28人転院した大阪貝塚市の精神病院で、「大和川とは雲泥の差。正規の人数なら、こんなに多くの看護婦さんがいるんですね。看護婦さんと接触する回数も増えた。聞きたいことがあったらすぐに聞けるし、ちゃんと答えてもらえますから」と男性患者(67)はいう。精神科では、医師や看護職員との触れ合いが患者の心のケアにも必要。大和川時代は、食事の量が少なく、小遣いで買ったパンやバナナで空腹をしのいでいたが、食事も質・量とも改善したという。「大和川病院では患者同士での暴力事件もあった。でもここでは看護人が多いからそんなこともないでしょう」男性は満足そうな表情を浮かべた。


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◆1997年8月19日 読売新聞朝刊 「詐欺罪で起訴、再逮捕」

 安田容疑者は先月28日の逮捕時、いったん容疑を認めたものの、30日の拘置質問で否認に転じた。以後、取り調べで看護婦不足を示す証拠資料をつきつけられ「不正受給していたことはわかった」と供述したものの「看護婦はちゃんといたと思っていた。私は知らなかった。だまされていた」などと詐取への関与を否定。「不正とわかっていたが、院長の指示で仕方なかった」と容疑を認める系列三病院の総事務長小西三郎容疑者(67)(再逮捕)ら4人に責任をなすりつけているという。
 同病院グループは、診療報酬や生活保護受給患者の日用品代の振込みを受けるのに金融機関の数十の口座を使用。各容疑者やその家族、病院職員らの名義で、各自治体ごとに口座を使い分け、開設後すぐに休眠口座にしたり、安田容疑者の指示で頻繁に金を移し変えたりしていたといい、複雑な管理方法をとっていた。
 院長室からは約百キロの金の延べ板(時価1億3千万円相当)と約1億5千万円の札束をはじめ、プラチナも見つかり、銀行の貸金庫には総額5億円を超える定期預金証書があった。
 ―来週中にも廃院方針通知―
 大阪府は来週中にも廃院とする開設許可取り消し処分の方針を病院側に通知する予定。
(開設許可取り消しは、1980年に病院ぐるみの無資格診療が発覚した「富士見産婦人科病院」(埼玉県所沢市)や84年に患者のリンチ死が明らかになった「報徳会宇都宮病院」(宇都宮市)など、大きな社会問題となった事件でも見送られた)。


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◆1997年8月27日 読売新聞朝刊 「「精神科救急」立て直し・官民の役割を分担」

大和川病院に患者の救急搬送が相次いでいた反省から、精神科救急医療システムの見直しを進める大阪府は、全ての救急患者をいったん当番病院に受け入れてもらい、対応が困難な患者についてはその後、府立中宮病院(枚方市)が積極的に受け入れ症状が安定すれば再び患者を民間病院に転院させるなどバックアップ体制を整える。


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◆1997年8月31日 読売新聞朝刊(社会部 原昌平記)

大和川病院における患者の変死および不審死(判明分)1992年2月〜1997年2月間分

発生年月   性  年齢   死亡状況             事後処理

1991年2月  男   54    入院当日、保護室で首吊り   柏原署に届出
    3月  女   54    入院まもなく保護室で首吊り   同上

1993年2月 男 57  暴行受け、転院後に死亡  遺族が民事訴訟
   3月 男 20代  腸閉塞を放置 心不全とする
   3月 男 55  ウインナーをのどに詰める  柏原署に届出
   9月 男 27  逃走?12日後に川に遺体  不明5日後通報

1994年7月 女 33  熱射病?転院直後に死亡  遺族が民事訴訟

3年ほど前の春 男 50前後  巻き寿司をのどに詰める  病死とする
3年ほど前 男 若年  患者同士で入浴中に溺れる  病死とする

1994年ごろ 女 中年  夕食の焼き魚をのどに詰める  病死とする

1995年3月 女 31  飛び降り          目撃者が通報
   5月   男 48  飛び降り          柏原署に届出
   6月 女 36  飛び降り          柏原署に届出
   8月 男 43  飛び降り          柏原署に届出
   10月 男 35  飛び降り          柏原署に届出
   10月 男 35  けんかで保護室へ。首吊り  柏原署に届出

95−96年の冬 女 50代  ちくわをのどに詰める      病死とする

1996年1月 男 中年  便秘を放置され、内臓破裂  死因をごまかす
   4月 男 32  深夜に急死。暴行を受けた?  柏原署に届出
   8月 男 21  職員に殴られ保護室で首吊り  柏原署に届出
   9月 女 73  食べ物をのどに詰める      心不全とする
   9月 男 62  3階窓から逃走図り転落      数時間治療せず
   12月 男 29  便秘を放置。胃内容物吐く  心筋梗塞に

1997年2月 男 48  入院3日目に保護室で首吊り  柏原署に届出
   2月 男 47  パンをのどに詰めて窒息  心不全とする
   2月 男 63  パンをのどに詰めて窒息  心不全とする


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◆1997年9月6日 毎日新聞朝刊 「大阪府が責任認める」

 「府はこれまで「それぞれの段階でできる限りのことをしてきた。調査に限界があった」と主張してきた。しかし、環境保健部の浜之上友三郎次長は「用意周到で極めて悪質なごまかしだったが、結果的に見抜けなかったという事実を真摯に受け止めて反省したい」と発言。納屋敦夫医陵対策課長も「昨年までは面談調査をしなかったため、実態を把握できなかった。不十分だった」と述べた。今後の対策として、書類の照合だけでなく職員への聞き取り調査も行う。患者の人権侵害などの告発には迅速に対応する、とした。」


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◆1997年9月18日 読売新聞朝刊 「医療行政の"剛腕"顔役・大阪府汚職浜之上容疑者」

浜之上大阪府環境保健部次長は、安田系三病院問題で、環境保健部の対応を取り仕切り、開業中の病院では全国初の開設許可取り消しという厳罰方針を決める一方、医療行政の不備を認め「抜本的な改善を近くまとめる」とも述べていた。
 大阪精神医療人権センターの山本深雪事務局長は、「やっぱりそうか、という感じだ。病院側に甘い大阪府の姿勢の裏側がよく見えた。行政と病院業界が一緒になって医療監視などの情報をひた隠しにしてきたからこそ、癒着がはびこった。病院と医療行政の徹底した情報公開が何よりも必要だ」と話した。


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◆1997年9月10日 毎日新聞朝刊 「安田三病院月末廃院へ」

安田系三病院の診療報酬詐欺事件で、大阪府は、医療法に基づき三病院の開設許可の取り消しを正式に決め、9日病院側に通告した。同法で最も厳しい処分で、開業中の病院への適用は初。同時に府は、安田病院以外の系列2病院を経営する医療法人北錦会の設立許可取り消しも通知した。


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◆1997年9月20日 毎日新聞夕刊 「改善指導に異例"介入"大和川病院担当者に報告求める」

病院許認可をめぐる贈収賄事件で、大阪地検特捜部に収賄容疑で逮捕された前大阪環境保健部次長、浜之上容疑者が、診療報酬詐欺事件で摘発された安田病院グループへの調査に際し、「どういう指導をするのか」と担当課に再三問い合わせるなど不自然な介入をしていたことが20日、関係者の証言でわかった。安田病院から盆暮れの付け届け(1万円前後)が行われていたことも判明。病院の指導内容に次長が介在するのはきわめて異例。府内の49精神病院で、こうした対応は大和川病院だけだったという。


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◆1997年9月22日 産経新聞朝刊 「「大阪府医療汚職・安田財団」設立で助言」

同財団は、昭和63年10月、がん予防や治療研究への助成を目的に安田が10億円の資財を投じ、大阪府の認可財団として設立。浜之上は当時、環境保健部医療対策課の課長代理で、財団の設立事務も担当。安田は、同年春ごろから府側に相談を持ちかけ、具体的な設立準備を始めていたが、提出書面の不備などで手間どっており、浜之上ようが資金や設立目的等に関し、安田側に認可を早急に得るための具体的な助言をしていたと見られる。同財団は、平成4年、安田が20億円を追加寄付して厚生省の所轄団体になっており、浜之上はこの時期、医療行政全般を担当する環境保健総務課長だった。


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◆1998年4月14日 読売新聞 「安田病院事件の判決要旨」

<犯罪事実の概要>

 被告人安田基隆は、大阪市住吉区所在の安田病院院長であり、また、同市東住吉区所在の医療法人北錦会大阪円生病院および柏原市所在の同会大和川病院(以下、3病院という)を経営していた。被告人小西三郎は、右各病院の総事務長を、同大村恵美子は、総婦長をそれぞれ努めていた。
 被告人安田は、平成6年10月の社会保険制度の改正により、入院患者数に対する看護婦数の割合が4対1以上であれば、保険期間から支払われる看護料が割高になるという、「新看護制度」が導入されるや、他の被告人らと共謀し、看護婦数を水増し申告して、右の看護料をだまし取ることを企てた。そして、大阪府知事に対し、内容虚偽の届け出をした上、7年2月ごろから9年3月ごろまでの間、前後26回にわたり、大阪府社会保険診療報酬支払基金や大阪府国民健康保険団体連動会あてに、一般病棟で前記基金による看護を行ったように装った内容虚偽の診療報酬請求書やレセプトを提出して、看護料を請求した。
 そして、基金の担当者に、安田病院関係では、前記看護料合計2億3千92万4632円、大阪円生病院関係では、同合計2億7千489万1千786円を支払わせ、連合会の担当者に、安田病院関係では同合計3千211万28円、大阪円生病院関係では同合計5千165万8591円を、支払わせて、これをだまし取った。
 また、被告人安田は、この間に、3病院の看護婦ら9名から、合計55万円余の給料の天引きを行った。
 弁護人らの主張に対する判断
 被告人安田の弁護人は、本件の犯行動機や態様について、被告人安田は、他の病院が嫌う終末患者や金のない生活保護者に対しても、勤めてこれを引き受け治療し、患者に優しい医療を施してきたと主張する。また、被告人安田も、当公判廷で一貫して、自らの治療方針は弱者救済の趣旨で「ナイチンゲール精神」に立脚して行ったものであると述べる。
 確かに、本件の一面では、同被告人が、率先して3病院に大阪府下およびその周辺の介護を要する貧しい老人の患者らを多数受け入れ、その治療改善にいくばくかの貢献をしたことは否定し得ない。3病院が長期にわたり存立し、本件のような医療活動を維持継続できたのも、これに相応する社会的需要が背景にあったものと推測される。したがって、被告人が本件当時、右のような意識を多少とも内心に有していたことも考えられなくはない。
 しかし、本件における被告人安田の診療方針や診療内容などの諸事情によれば、同被告人の右のような活動の主たる動機目的は、金銭への飽くなき執着にあり、患者はそのための手段道具でしかなく、その福利は二の次であったものと解さざるを得ない。弁護人の前記主張は、同被告人による本件診療報酬の不正受給を不当に美化し、無理な正当化を図るものと言うほかなく、当裁判所としては、到底賛同することができない(その他の主張に対する判断・略)。

 <量刑の理由>

1.本件は、被告人安田を総師とする、いわゆる安田グループが、傘下の安田病院および大阪円生病院を舞台にとして、社会保険機関等から、水増しした看護料をだまし取ることを企て、右病院の一般病棟の看護婦および准看護婦の数が、いわゆる「4対1」の算定基準に適合しているもののように装い、虚偽の届け出をなした上、さらに、右基準にしたがって患者に対し良好な看護を施したとの記載された内容虚偽の診療報酬請求書およびレセプトを、26箇月間にわたり、前記の関係機関に提出し、診療報酬をだまし取った、という事案、および、被告人安田が「罰金」と称して看護婦や事務員らの給料を天引きし支払わなかった、という事案である。
 詐欺の手段に使われた患者の診療件数、および、関係機関に提出されたレセプトの枚数は、起訴された分だけでも合計5561件、実質的な被害を受けた生活保護の事業主体の国、および、保険者の地方公共団体等の総数は実数で合計31団体、だまし取った看護料の総額は、合計5億8千958万5千41円の多額に及ぶ。これらの点からは、被告人らの本件犯行が甚だ重大であることは明らかである。
 被告人らは、既に、前記基準の前身にあたる、「その他2種」基準の社会保険制度のもとでも、本件と同様の不正行為を実施してきた。そして、本件の遂行にあたっては、前記のとおり、3病院の幹部および職員の総力を挙げて、被告人安田の打ち出した営利本位の経営方針に協力し、専従の看護婦を配置して内容虚偽のレセプトを作成提出し、これに見合う水増し診療現に実施した。
 さらに、事後的には、上部機関による厳しい監視に対し、各種の労務関係書類を偽造するなどして隠蔽工作を徹底し、本件の発覚を、長年にわたってかいくぐってきた。そして本件犯行が一部発覚した後も、なお刑事責任等を回避するため、執拗に隠蔽工作を重ねた。その犯行態様は、高度に組織的・計画的、かつ知能犯てきなものであり、また、常習性も顕著であって、犯情は極めて悪質という他はない。
 本件の被害対象は、国民の拠出による、生活保護事業に向けられた国税や社会保険事業に共せられた保険料という、社会福祉の公的資金である。すなわち、本件は公金を侵害する詐欺なのであって、犯行の結果はこの点でも軽視することはできない。
 本件はまた、前記社会保険制度等が予定した、入院患者に対する手厚い看護の実現という制度目的にも真っ向から背くものであった。被告人等は、社会保険の点数制度の陰に隠れて、なりふり構わず利潤のみを追求したが、その反面として3病院の看護の質を劣悪なものとし、ひいては多くの終末患者らの健康や身体生命の安全を危険に曝したのである。本件犯行は、この点からも厳しい社会的非難を免れるものでない。
 本件は、国民一般の医療や看護に対する不信を招き、生活保護および社会保険の各制度に対する信頼を大きく失墜させたものとして、その社会的影響は図り知れないものがある。
 本件の主たる動機は、被告人安田の安田記念財団への寄付金や関係企業の運営資金厚めにあった。右財団は、一応はがん撲滅等の高まいな目的のために設立されたものであった。しかしその真の設立の意図は、被告人安田の社会的名声欲しさであると見ざるを得ない。関係企業の運営に至っては、同被告人のさらなる利潤追求の手段に過ぎないものであった。被告人安田は、金塊やプラチナの購入も趣味としていたが、本件はだまし取った保険料が、少なくとも間接的に、右のような蓄財等の資金となったことは疑う余地がない。
 結局、本件の動機は、被告人安田の私利私欲の充足以外の何ものでもなかった。本件犯行は、この点でも厳しい非難を免れない。賃金不払いの事案も、病院運営の強化と営利を目的とするもので、動機に酌量の余地はない。

2の(1).被告人安田は、前記のとおり、安田グル−プの総師として、独裁的に他の共犯者や配下の職員らを指揮・統括していたばかりか、医療監視等の際には自ら陣頭指揮に立つなどもして、本件犯行に及んだ。本件の遂行に必要な人的・物的な組織は、ほとんど同被告人が考案し形成したものであった。そして、組織の職員らに対しては、平素から恫喝を加え、給料の天引きや前借金等の違法な手段に訴えてでも、これを拘束して自己の犯罪に協力させた。本件の不法な収益は、その大部分が同被告人のもとに帰属した。
 医師として、また3病院を統率する院長の立場にありながら、営利や蓄財に汲々とし、その職業的倫理や社会的責務を忘れ、本件のような悪質重大な医療犯罪に及んだのである。これらの諸点を考えると本件の責任の大半は同被告人にあるといっても過言ではない。
 同被告人は、また、本件が発覚するや、その隠蔽工作も中心となって行い、その途中では他の被告人等に責任を転嫁させるような言動をとったこともあった。そして、逮捕後は、全面否認の姿勢を貫き、ひたすら自己の責任を回避することに努めた。同被告人の責任は、本件中で最大といってよく、厳しい社会的非難を免れない。
2の(2).被告人小西・同大村関係(省略)

3の(1).他方、被告人安田は、本件後、診療報酬詐欺の関係では、社会保険機関に対し、被害金額の総額を含む合計24億7千517万4千916円を、その請求に応じて返納した。また、労働基準法違反関係では、天引きした給料の全額を、被害者らに対して返還した。前記のとおり、同被告人は、捜査段階では、かたくなに犯行を否認し、犯行の全ぼうを明らかにすることを拒み続けてきた。しかし、本件の最終の被告人質問においては、犯行の動機やだまし取った金の使途などの重要な点を告白し、自己の刑責を認めるなど、反省悔悟の姿勢が見受けられる。
 本件後、3病院は、保険医療機関の指定や病院設立許可を相次いで取り消され、廃院となっている。また、本件で相当長期の身柄拘束を受けたほか、マスコミによる厳しい非難もうけ、一定の社会的制裁を受けている。従前、昭和57年に公職選挙法違反による執行猶予付き懲役刑に処された前科があるが、他に前科はない。また前記安田記念財団を設立して、がんの治療研究に尽力し、医学の発展に貢献した面もあった。被告人安田は、高齢に加え、前立腺がんに罹患しており、健康状態がすぐれない。
3の(2).被告人小西・同大村関係(省略)

4.その他、被告人らにとり、有利、不利な情状の一切を考慮し、被告人らに対して主文掲記の刑に処し、被告人安田を除くその他の被告人には、その刑の執行を猶予することにした。


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◆1998年4月14日 産経新聞夕刊 「安田(系3病院)病院事件の判決要旨」

▽<犯罪事実の概要>
 被告人安田基隆は、大阪市住吉区所在の安田病院院長であり、また、同市東住吉区所在の医療法人北錦会大阪円生病院および柏原市所在の同会大和川病院(以下、3病院という)を経営していた。被告人小西三郎は、右各病院の総事務長を、同大村恵美子は、総婦長をそれぞれ努めていた。
 被告人安田は、平成6年10月の社会保険制度の改正により、入院患者数に対する看護婦数の割合が4対1以上であれば、保険期間から支払われる看護料が割高になるという、「新看護制度」が導入されるや、他の被告人らと共謀し、看護婦数を水増し申告して、右の看護料をだまし取ることを企てた。そして、大阪府知事に対し、内容虚偽の届け出をした上、7年2月ごろから9年3月ごろまでの間、前後26回にわたり、大阪府社会保険診療報酬支払基金や大阪府国民健康保険団体連動会あてに、一般病棟で前記基金による看護を行ったように装った内容虚偽の診療報酬請求書やレセプトを提出して、看護料を請求した。
 そして、基金の担当者に、安田病院関係では、前記看護料合計2億3千92万4632円、大阪円生病院関係では、同合計2億7千489万1千786円を支払わせ、連合会の担当者に、安田病院関係では同合計3千211万28円、大阪円生病院関係では同合計5千165万8591円を、支払わせて、これをだまし取った。
 また、被告人安田は、この間に、3病院の看護婦ら9名から、合計55万円余の給料の天引きを行った。

 ▽<弁護人らの主張に対する判断>
 被告人安田の弁護人は、本件の犯行動機や態様について、被告人安田は、他の病院が嫌う終末患者や金のない生活保護者に対しても、勤めてこれを引き受け治療し、患者に優しい医療を施してきたと主張する。また、被告人安田も、当公判廷で一貫して、自らの治療方針は弱者救済の趣旨で「ナイチンゲール精神」に立脚して行ったものであると述べる。
 確かに、本件の一面では、同被告人が、率先して3病院に大阪府下およびその周辺の介護を要する貧しい老人の患者らを多数受け入れ、その治療改善にいくばくかの貢献をしたことは否定し得ない。3病院が長期にわたり存立し、本件のような医療活動を維持継続できたのも、これに相応する社会的需要が背景にあったものと推測される。したがって、被告人が本件当時、右のような意識を多少とも内心に有していたことも考えられなくはない。
 しかし、本件における被告人安田の診療方針や診療内容などの諸事情によれば、同被告人の右のような活動の主たる動機目的は、金銭への飽くなき執着にあり、患者はそのための手段道具でしかなく、その福利は二の次であったものと解さざるを得ない。弁護人の前記主張は、同被告人による本件診療報酬の不正受給を不当に美化し、無理な正当化を図るものと言うほかなく、当裁判所としては、到底賛同することができない(その他の主張に対する判断・略)。

 ▽<量刑の理由>
 1.本件は、被告人安田を総師とする、いわゆる安田グループが、傘下の安田病院および大阪円生病院を舞台にとして、社会保険機関等から、水増しした看護料をだまし取ることを企て、右病院の一般病棟の看護婦および准看護婦の数が、いわゆる「4対1」の算定基準に適合しているもののように装い、虚偽の届け出をなした上、さらに、右基準にしたがって患者に対し良好な看護を施したとの記載された内容虚偽の診療報酬請求書およびレセプトを、26箇月間にわたり、前記の関係機関に提出し、診療報酬をだまし取った、という事案、および、被告人安田が「罰金」と称して看護婦や事務員らの給料を天引きし支払わなかった、という事案である。
 詐欺の手段に使われた患者の診療件数、および、関係機関に提出されたレセプトの枚数は、起訴された分だけでも合計5561件、実質的な被害を受けた生活保護の事業主体の国、および、保険者の地方公共団体等の総数は実数で合計31団体、だまし取った看護料の総額は、合計5億8千958万5千41円の多額に及ぶ。これらの点からは、被告人らの本件犯行が甚だ重大であることは明らかである。
 被告人らは、既に、前記基準の前身にあたる、「その他2種」基準の社会保険制度のもとでも、本件と同様の不正行為を実施してきた。そして、本件の遂行にあたっては、前記のとおり、3病院の幹部および職員の総力を挙げて、被告人安田の打ち出した営利本位の経営方針に協力し、専従の看護婦を配置して内容虚偽のレセプトを作成提出し、これに見合う水増し診療現に実施した。
 さらに、事後的には、上部機関による厳しい監視に対し、各種の労務関係書類を偽造するなどして隠蔽工作を徹底し、本件の発覚を、長年にわたってかいくぐってきた。そして本件犯行が一部発覚した後も、なお刑事責任等を回避するため、執拗に隠蔽工作を重ねた。その犯行態様は、高度に組織的・計画的、かつ知能犯てきなものであり、また、常習性も顕著であって、犯情は極めて悪質という他はない。
 本件の被害対象は、国民の拠出による、生活保護事業に向けられた国税や社会保険事業に共せられた保険料という、社会福祉の公的資金である。すなわち、本件は公金を侵害する詐欺なのであって、犯行の結果はこの点でも軽視することはできない。
 本件はまた、前記社会保険制度等が予定した、入院患者に対する手厚い看護の実現という制度目的にも真っ向から背くものであった。被告人等は、社会保険の点数制度の陰に隠れて、なりふり構わず利潤のみを追求したが、その反面として3病院の看護の質を劣悪なものとし、ひいては多くの終末患者らの健康や身体生命の安全を危険に曝したのである。本件犯行はこの点からも厳しい社会的非難を免れるものでない。
 本件は、国民一般の医療や看護に対する不信を招き、生活保護および社会保険の各制度に対する信頼を大きく失墜させたものとして、その社会的影響は図り知れないものがある。
 本件の主たる動機は、被告人安田の安田記念財団への寄付金や関係企業の運営資金厚めにあった。右財団は、一応はがん撲滅等の高まいな目的のために設立されたものであった。しかしその真の設立の意図は、被告人安田の社会的名声欲しさであると見ざるを得ない。関係企業の運営に至っては、同被告人のさらなる利潤追求の手段に過ぎないものであった。被告人安田は、金塊やプラチナの購入も趣味としていたが、本件はだまし取った保険料が、少なくとも間接的に、右のような蓄財等の資金となったことは疑う余地がない。
 結局、本件の動機は、被告人安田の私利私欲の充足以外の何ものでもなかった。本件犯行は、この点でも厳しい非難を免れない。賃金不払いの事案も、病院運営の強化と営利を目的とするもので、動機に酌量の余地はない。
2の(1).被告人安田は、前記のとおり、安田グル−プの総師として、独裁的に他の共犯者や配下の職員らを指揮・統括していたばかりか、医療監視等の際には自ら陣頭指揮に立つなどもして、本件犯行に及んだ。本件の遂行に必要な人的・物的な組織は、ほとんど同被告人が考案し形成したものであった。そして、組織の職員らに対しては、平素から恫喝を加え、給料の天引きや前借金等の違法な手段に訴えてでも、これを拘束して自己の犯罪に協力させた。本件の不法な収益は、その大部分が同被告人のもとに帰属した。
 医師として、また3病院を統率する院長の立場にありながら、営利や蓄財に汲々とし、その職業的倫理や社会的責務を忘れ、本件のような悪質重大な医療犯罪に及んだのである。これらの諸点を考えると本件の責任の大半は同被告人にあるといっても過言ではない。
 同被告人は、また、本件が発覚するや、その隠蔽工作も中心となって行い、その途中では他の被告人等に責任を転嫁させるような言動をとったこともあった。そして、逮捕後は、全面否認の姿勢を貫き、ひたすら自己の責任を回避することに努めた。同被告人の責任は、本件中で最大といってよく、厳しい社会的非難を免れない。
2の(2).被告人小西・同大村関係(省略)
3の(1).他方、被告人安田は、本件後、診療報酬詐欺の関係では、社会保険機関に対し、被害金額の総額を含む合計24億7千517万4千916円を、その請求に応じて返納した。また、労働基準法違反関係では、天引きした給料の全額を、被害者らに対して返還した。前記のとおり、同被告人は、捜査段階では、かたくなに犯行を否認し、犯行の全ぼうを明らかにすることを拒み続けてきた。しかし、本件の最終の被告人質問においては、犯行の動機やだまし取った金の使途などの重要な点を告白し、自己の刑責を認めるなど、反省悔悟の姿勢が見受けられる。
本件後、3病院は、保険医療機関の指定や病院設立許可を相次いで取り消され、廃院となっている。また、本件で相当長期の身柄拘束を受けたほか、マスコミによる厳しい非難もうけ、一定の社会的制裁を受けている。従前、昭和57年に公職選挙法違反による執行猶予付き懲役刑に処された前科があるが、他に前科はない。また前記安田記念財団を設立して、がんの治療研究に尽力し、医学の発展に貢献した面もあった。被告人安田は、高齢に加え、前立腺がんに罹患しており、健康状態がすぐれない。
3の(2).被告人小西・同大村関係(省略)
4.その他、被告人らにとり、有利、不利な情状の一切を考慮し、被告人らに対して主文掲記の刑に処し、被告人安田を除くその他の被告人には、その刑の執行を猶予することにした。


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◆1998年4月14日 産経新聞夕刊 「安田系3病院被害者弁護団・位田浩弁護士」

 安田系3病院での巨額の診療報酬詐欺と職員給与の違法天引きについて、大阪地裁は実質的オーナーの安田基隆被告に対し、懲役3年、罰金百万円の実刑判決を言い渡した。私たちは、平成5年2月の大和川病院での患者暴行死事件以来、3病院のスタッフすそ区による劣悪医療と入院患者への虐待を告発してきた。今年に入って、同地裁は患者暴行死事件について遺族への損害賠償を認め、弁護士の患者面会事件についても安田被告側の責任を認めたが、今回の判決はそれらに引き続いて、私たちが指摘してきた事実が刑事裁判でも認定されたといえる。しかし、私たちが病院への立ち入り調査を厚生省や大阪府に要請してから4年以上も放置され、患者が医療なき収容に曝されてきた背景について、踏み込んだ解明はなされていない。社会の中で発言する機会を封じられている精神障害者らを食い物にしてきた病院と、その病院を利用してきた行政。医療機関と行政との根深い癒着が真相をうやむやにし、そのつけを長い間、患者に払わせてきたのだ。また診療報酬の過剰請求などは安田病院に限らず、他の病院でも行われているという。医療を提供する側も病んでいるのではないか。
 事件は、刑事責任が認められたことで片付いたわけではない。自己負担分を支払った患者も、診療報酬基金と同様に医療費をだまし取られているが、変換はされていない。この詐欺額もかなりの金額に上るはずだ。劣悪医療にさらされた患者の被害回復が図られているとは言い難いし、まだ多くの課題が残されている。他方で、こういった病院をなくし、患者主体の医療を実現することが求められている。そのためには、病院情報を公開して、市民が病院を監視し評価することを可能にし、不当な医療や処遇に対し声をあげることの困難な入院患者の権利擁護を行うシステムを構築することが急がれる。

『大和川病院問題の経過』(大阪精神医療人権センター資料集)1997年9月22日作成より引用


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■栗岡病院不祥事件関係

◆大熊一夫(1981)『ルポ・精神病棟』朝日新聞社

 昭和44年10月11日「大坂新聞」は次のような見出しで報じた。

 また看護人リンチ ハダカの13人に木刀 "病死"で処理した疑いも
 昭和44年10月11日、「看護人リンチ、ハダカの13人に木刀"病死"で処理した疑いも 」という見出しで、栗岡病院(医療法人:大阪府北河内郡四条縄手町)における患者虐待事件が報道(大阪新聞)された。
 暴力行為の疑いでつかまったのは、栗岡良幸病院長(32歳)看護次長の常川覚(36歳)指名手配されたのは看護長の渡辺貞夫(60歳)。昨年 12月23日精神神経科の入院患者数人が「今夜患者たちが看護人を殺して集団脱走する計画を立てている」というウワサが広まっているのを聞いた。このため患者全員の270名を集めて、クリスマスパーティを開き、気持ちをやわらげるとともに、脱走に備えて病院の周りを看護人らに厳重警戒させた。それでもウワサが気になったため看護次長の常川と看護長の渡辺が翌24日午前10時ごろ作業をしていた元クツ商(42歳)ら入院患者13人を2階ホールに呼び出し、「脱走するつもりだろう。ほんとのこといえ」「看護人に逆らうとこうなるんや」と木刀・バットで患者の背中、肩、腰などを乱打してケガをさせた。Aさんらは素裸で板の間に正座させられ「そんな計画ウソや。かんにんしてくれ」と土下座して許しを求めたが常川らは木刀をふるい続けたという。この集団リンチ事件で常川らに暴行を受けた鹿児島県出身の元土工B(30歳)さんはその後死亡した。捜査4課の調べでは、Bさんは殴られたときぐったりし、真っ青になったので4,5人の看護人がBさんを布団でくるみ、老人室に運びこんだ。その後Bさんは死亡したが、病院側はこっそり「病死」として処理した疑いがあり、同課ではBさんが常川らのリンチが原因で死亡した―とみて障害致死の疑いでも追及している。今度の集団リンチは退院患者の訴えや厳しい監視の目をくぐって、入院患者が走り書きしたメモで石ころを包んで病院外の道路に投げ、市民が入手したことなどから明るみに出た。メモにはリンチ事件のあった当日の模様や同病院の看護人らの実態が詳しく書かれており・・・・
 44年11月5日の大阪の「読売新聞」夕刊も次のように報じた。院長がリンチ指揮 
 栗丘病院の患者虐待事件を捜査している大阪府警捜査4課四条縄手署は・・・昨年12月24日の患者に対するリンチを追及していたが、被害者13人のうち盛俊広さん(当時36歳)が翌25日頭部裂傷のため死亡した事実をつかんだ。事態を重視した大阪地検刑事部は5日午後、リンチを指揮したと見られる栗岡良幸院長に任意出頭を求め傷害致死の疑いで、同病院内のリンチと"隠された殺人事件"を調べることにした。暴力行為で逮捕されたのは、大阪府北河内郡四条畷町、医療法人栗岡病院・栗岡良幸(32歳)院長、看護次長常川覚(36歳)、指名手配看護長渡辺貞夫(60歳)。
 昨年12月23日精神・神経科の入院患者数人が、「今夜看護人を殺して集団脱走する計画をたてている」という噂を聞いた。脱走に備えて病院の周りを厳重警戒させた。それでも噂が気になったため、看護次長の常川と看護長の渡辺が翌24日午前10時頃、作業をしていた元クツ商Aさん(42歳)ら入院患者13人を2回ホールに呼び出し「脱走するつもりだろう。ほんとのことをいえ」「看護人にさからうとこうなるんや」と木刀、バットで、患者の背中・肩・腰などを乱打してケガをさせた。阿倍野区のAさんらは、素裸で板の間の正座させられ「そんな計画ウソや。かんにんしてくれ」と土下座して許しを求めたが、常川らは木刀をふるい続けたという。この集団リンチ事件で鹿児島県出身のBさん(30歳)はその後死亡した。捜査4課の調べでは、Sさんは撲られたときぐったりし、まっさおになったので4・5人の看護人が布団でくるみ、老人室に運びこんだがその後死亡した。病院側は「病死」として処理した疑いがあり、警察はリンチが原因で死亡したとみて傷害致死の疑いで追求している。
今度の集団リンチは、退院患者の訴えや、厳しい監視の目をくぐって入院患者が走り書きしたメモで石ころを包んで病院外の道路に投げ、市民が入手したことなどから明るみにでた。メモにはリンチ事件のあった当日の模様や病院の看護人らの実態が詳しく書かれていた。」(pp106−108)

◆戸塚悦朗(1984)「精神医療と人権をめぐる諸問題」戸塚悦朗・広田伊蘇夫共編『日本収容列島』

 「1980年5月22日大阪地方裁判所が精神病院の元院長、被告人栗岡良幸ら三人に対し、患者をリンチで死亡させたとの罪で有罪判決を下した。懲役3年の実刑判決が下った。入院体験者である松末三郎氏の報告(患者を虐殺した栗岡病院を糾弾する会編「つぶせ栗岡」収載)
 4条縄手市上田原の山中にある栗岡病院(患者撲殺事件発覚へ後、阪奈サナトリュウムと改称)にアル中患者として入院したのは、昭和43年12月、いやひょっとすると11月末頃だったかも知れない。記憶が確かでないのは、入院時の刑罰的電気ショックによる喪失のためである。当時造船所の下請け会社の鋼材玉掛工として働いていた。日銭の入る日雇い労務者の哀れさか仕事から帰ると毎日3・4合の酒を飲み、酔うと警察に行ってモヤモヤとしたものを打ちつけるくせがあった。しかし手が震えることもなく、決してアル中患者ではなかったが、警察にとって私は迷惑で厄介な人間に違いなかった。それ故、わたしとて、警察庁が全国警察に指令した厄介者掃淘の網にかかったものと観念していた。しかし、46年10月までのまる3年間、無給の掃除夫として監置されたのは私にとって長い長い年月であった。
 病院の救急車の中で注射(イソミタール)されて、昏睡状態だったので病院に着いたの夜の何時頃であったか分からない。はっきり覚えているのは、院長・看護長・看護人等4・5人の男達に、一糸纏わぬ真裸にされて両手両足をまるでいのこ石臼つきのようにとられ、体が宙に高く上げられたり床に打ち付けられたりしていた。その歓声が今だに耳に残っている。未開の土人が大きな獲物をとってきた時のような歓声だった。だれかが言った「もうこの位でいいだろう」これで助かったと思った。とたんに院長の声がした。「まだあかん、高いところから落としてウーンとうならせんと」院長の命令で再び宙に躍った。下腹部に激痛を感じ床の上にのけぞった。まさしく白衣をきた土人たちに囲まれた哀れな一個の獲物でしかなかった。しかし、それだけではなかった。電気ショックがまっていた。その後保護室での生活が1月、朝7時から晩8時まで、強制作業労働(別棟の工場で輸出用のコンパスの組み立て・農家から閉耕地を借りうけ患者・職員の食べる野菜をつくる農耕係、家を建てれば土方・建築の作業系、整地すればブルトーザーの運転手、朝5時からかりだされる炊事夫、重症失禁患者の大小便の始末から食事の世話までする1・2号室の世話系、患者の衣服の洗濯、散髪、購買、掃除夫などありとあらゆる方面に患者はかりだされた。文句をいえば保護室がまっていた。44年正月などは、3日から作業療法と称して作業をさせられた。」(p29−36)

◆石川信義(1998)『心病める人たち』岩波書店

 「昭和43年暮れ、大阪の栗岡病院、ここでは大勢の看護者に院長までが加わって、患者十数人を裸にし、角材で撲ったり足で蹴ったりした。彼らが逃亡を相談していたというのが理由だった。そのうちの一人がそれで死んだ。院長が書いた死因は「肺炎」。患者が石をくるんだ紙をメモを外に投げて事件は発覚した。発覚後に院長は警察で「リンチによる死亡」を認めた。」(pp16・65)



◆風祭 元 20010530 『わが国の精神科医療を考える』,日本評論社,292p. ISBN-10: 4535981906 ISBN-13: 978-4535981904 2920 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「わが国の医療制度の特徴として、国民皆保険制度・自由開業医制度・診療報酬の出来高払い制がある。1960年代に国民皆保険制度で、医療が保障されるようになったが、その際に、元来は福祉的医療であったはずの精神科医療もその中に組み込まれた。また、諸般の事情(精神科医療への無理解・専門的技術に基づくサービスを評価する習慣の欠如、精神科医が医学会の中で力が弱かったことなど)によって、出来高払い制の社会保険診療報酬表の中で、精神科医療は低く評価されたままになっていた。」(風祭[2001:49-50])

 「わが国の精神病院の問題点;昭和30年代から40年代にかけて設立された精神病院の大部分は、建設用地取得の困難性などの理由で、交通の不便な僻地に地域との関わりなく建設され、当時の生活水準の最低基準を満たす程度の建造物が立てられた。病室の多くは畳敷きの6人から10人収容の大部屋で、時には20人単位の部屋もあった。窓には鉄格子がはめられ、病棟はほとんど全部が施錠した閉鎖病棟、共有の生活空間はないに等しかった。物理的構造の劣悪なことよりもさらに大きな問題は、職員の不足と教育研修の不十分さであった。この当時は日本の戦後復興期にあたり、精神科医・看護職員の不足は著しかった。精神科医療に差別的な医療法の規定で精神病院の職員定数は他科の病院に比べて低く抑えられていたが、その定員さえも満たしていない病院が多く、コメディカルの職員はほとんど配置されていなかった。昭和30年代から40年代にかけては、入院患者100人に対して常勤医1人程度というのが平均的で定数が100床ぐらいの病院で医師は院長1人にパート医師数人といった病院も少なくなかった。また看護職員のかなりの部分が無資格者で占められていた。このような事情を背景として、昭和30年代から40年代にかけて患者の人権侵害(不法入院・患者の虐待)事件が発生した。昭和44年(1969)12月20日、日本精神神経学会理事会は「精神病院に多発する不祥事事件に関し全会員に訴える」なる声明を発表し、医療不在、経営最優先の経営姿勢と、精神科医の基本的専門知識、道儀感や倫理観の欠如を不祥事件の一因としてあげた。しかしこの後、精神神経学会は内部混乱によって精神科医を代表する資格を失い、弱体化してしまった。その後も、昭和63年(1988)の精神衛生法から精神保健法への大幅改訂の契機となった宇都宮病院事件から、大和川病院事件に至るまで、精神病院における患者の人権侵害事件が跡を絶たないのは残念なことである。  […]ごく少数の巨大公立精神病院と私立の中小病院が存在し、患者の自宅監置が公認されていた戦前はさておいて、現在では36万床の85%以上が民間で占められているという他国には見られない特異な状況となっている。精神障害者の医療には医療経済の見地にそぐわない一面があり、これに対しては営利を超えた公的な施策としての医療が要求される。欧米諸国ではこのような問題に国策として真剣に取り組んできたが、わが国では精神衛生法制定の際に、法律に謳ったような公立病院を中心とした医療体制を取れなかった行政の誤りが、今日の状況をもたらしたといえよう。またこの時期に精神科医同士の抗争や告発に終始して、日本の医療の中の精神科医医療のあり方に建設的な努力を怠ってきた精神科医の責任も大きいと思う。しかし、一方で、民間立精神病院には、公立病院にはない活力やより自由な活動が出来るという利点もある。」(風祭[2001:69-71])


作成:仲あさよ
UP:20091216(小林勇人) REV:20091224, 29, 20100114, 21, 20110801, 0908, 20141029
精神障害/精神医療  ◇「精神科特例」関連  ◇「社会復帰」障害学
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