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自立生活/自立生活運動:社会福祉(学)・リハビリテーション(学)における




◆原田政美  1979
◆砂原茂一  1980
◆仲村優一  1984
◆仲村優一  1988
◆砂原茂一  1984
◆小島蓉子  1989
◆高松鶴吉  1991→1994
◆上田敏   1992
◆定藤丈弘  1993
◆上田敏   1996
◆三ツ木任一 1997
◆上田敏   2001
◆上田敏   2002


◆原田政美 1979

 「わが国の身体障害者福祉法は,完全なリハ法である。「すみやかな社会経済活動への参与」を目標とし,職業的自立を援助することを福祉と呼んでいる。一方,そういった意味におけるリハ困難な重い障害者には,厳密に言えば福祉法は関与しないというのが現状である。
 しかしわが国でも家庭奉仕員を初めとして,通達等により重い障害者に対する援護業務が行なわれており,相談員制度や「社会参加促進事業」というILプログラムに似た施策も行なわれている。今後ますますこの種の施設の拡充が要求されるものと思われるが,その場合の施策の方向として,受身的な救済援護でなく,積極的なILを基盤とすべき障害者の一群があることを忘れてはならないであろう。」(原田[1979→1983:13-14])

 「自立生活はアメリカのIndependent Livingの訳語である。わが国で自立といえば身辺処理などを他人の介助なしですること,あるいは経済的に独立した生活をすることなど,、いかなる形でも他からの援助を求めないことを前提としているが,自立生活における自立はむしろこの逆であるとさえいうことができる。すなわち就職の可能性がなく,身辺処理にも他人の介助を要するような重度障害者こそ自立生活の対象となるのである」(原田[1981→1983:56])

 これは少なくとも誤解を招きうる言い方である。
 上に引用した高嶺豊[1993],斎藤[  ]の批判がある。

・原田 政美 1979 「I.L.のための総合的施策」,『センターだより』53(東京都心身障害者センター)→障害者自立生活セミナー実行委員会編[83:9-14]
・――――― 1981 「自立生活」,『ジュリスト増刊総合特集』24:353-355→障害者自立生活セミナー実行委員会編[83:56-63]
・障害者自立生活セミナー実行委員会 編 1982 『第1回障害者自立生活セミナー報告書』,14p.,500

砂原茂一 1980 『リハビリテーション』

 砂原は『リハビリテーション』(岩波新書)の中で,デジョングの論文を紹介しつつIL運動について述べている。
 「IL運動者たちの基本的主張は,障害者問題の主体はリハビリテーションの専門家ではなく障害者自身であり,改善しなくてはならないのは障害者の側よりも環境であり,従来のリハビリテーションの過程であると考える。そしてリハビリテーションのルートに乗らない重度障害者にも独立自尊の生活が許されるべきであるというのである。」(砂原[1980])

・砂原 茂一 1980 『リハビリテーション』,岩波新書
 *「問い返される理念」,砂原[80:202-214]→障害者自立生活セミナー実行委員会編[1983:15-24]

◆山田 明 
 http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r041/r041_028.html

◆砂原 茂一 編 19840228 『リハビリテーション概論』,医歯薬出版,リハビリテーション医学全書1,379p. ISBN-10: 4263217616 ISBN-13: 978-4263217610 [amazon][kinokuniya] ※ r02.

第1章 医学的リハビリテーションの基礎
 1. 障害論 砂原 茂一
 2. リハビリテーションの理念 砂原 茂一
  1. 定義
  2. 社会思想としてのIL運動
  3. ILとリハビリテーション――3つのパラダイム
  4. IL活動の実際
  5. ILの今後の課題

◆仲村 優一 1984

 「本書で明らかにされているように,言葉の正しい意味での障害者の「自立」とは,生活保護や福祉サービスを受けないですむようになることを意味するのではありません。むしろ逆に,たとえどんな重度の障害者であっても,彼,または彼女が,地域社会において主体的に生きる全一的な人格者としてその自己実現をはかることこそが,本当の自立であるはずです。したがって,個別のニーズに応じてそれを充足するために,保護や福祉サービスを障害者が主体的に遠慮なく利用できるようになっていけなければなりません。」(仲村[1984:v])

◆仲村優一 1988

 「1.自立生活は,隔離・差別から自由な地域社会における生活でなければならない。
 2.生活の全体に目を向けなければならない。
 3.真の自立とは,人が主体的・自己決定的に生きることを意味する。
 4.自己実現に向けての自立が追求されなければならない。
 5.福祉への依存ではなく,福祉の主体的利用でなければならない。」
(仲村[1988:5])

◆小島蓉子 1989

 「…一九七〇年代半ばまでには,自己意識に目覚めたアメリカやスウェーデンの障害者リーダーたちを先頭に運動は起こった。世界の各地での障害者市民の生活の場の確保と自立生活の実現を目指す運動は,法律による援助そのものを重度者援助に振り向けされるような政治や行政に対する発言を行い,市民啓発活動を波及させた。
 障害者運動の指導者たちは,施設職員の管理下で他動的に生かされる生活に甘んじることなく,たとえ日常生活動作(ADL)レベルでは乗り越えられない不自由があったとしても,自らの置かれた地域の資源を活用し,生存の条件を整えることこそが,障害者の主体的な力量だとし,精神の自律性を価値とする自立生活概念を打ち立てた。」(小島[1989:9])
 「自立生活運動はスウェーデンの障害者住宅確保を基盤とするフォーカス運動やアメリカの自立生活運動の発端にルーツをもっている。
 ……
 その中心的な哲学は,「たとえ重度の障害者であっても,精神的な自立を放棄せず,日常生活動作は介助を受けても,自分の判断で自分の生活を管理し,自己の人生の目的に向かって主体的に計画して生きていこう」という自律概念である。物理的,医学的にみて不可能な領域を補うために,次のようなプログラムが永続的に障害を伴って生きる人々には必要であるとした。それらは,1.所得保障,2.介助サービス,3.生活の場としてのホステル又は障害者集合住宅の確保,4.交通・移送サービスの無料,又は低額の提供,5.仲間カウンセリングなどがある。そして何よりもこれらのサービスを利用・活用して,自己の生活を管理していける力を養う「自立生活訓練」プログラムが障害者自らによって開発され,障害者自身を職員として運営され,そのパイロット計画が有効性を立証したので,その後「自立生活センター」が政府の補助金によって全米約 200か所へと普及したのである。」(小島[1989:28])

◆秋元 波留夫・上田 敏 19900815 『精神を病むということ』,医学書院,326p. ISBN-10: 4260117505 ISBN-13: 978-4260117500 \4725 [amazon][kinokuniya] ※

 「地域の精神障害者リハビリテーション活動で、ユニークなのはファウンテンハウスです。今から四〇年前、州立精神病院を退院した数人の元患者が始めた、仲間同士のクラブ組織ですが、ニューヨークのタイムズ・スクエアの近所にある最初の組織のほかに、同じやり方をとっているものがアメリカ全体で一三〇か所あり、最近ではヨーロッパやアジアでも、この方式のリハビリテーション活動が始まっています。精神障害者の社会復帰、リハビリテーションがほとんどすべて、まわりから与えられるものであり、精神障害者は、常に保護される受け身の存在でしかなかったのですが、ファウンテンハウスでは、精神障害者は活動の主体であり、主人公であるという点で、精神障害者リハビリテーションの伝統的な構図を書きかえるものであり、身体障害者の「自立生活運動 Independent Living Movement 」と相呼応するものといってよいと思います。……
 彼らの活動が脱施設化の大きな支えになっていることは間違いありません」(pp.128-9)

◆高松鶴吉 1991→1994

 1991年9月日本ポーテージ協会の講演・研究発表での講演
 →高松『自立へ向かう療育』,1994-120,ぶどう社,175p. 1800 
 pp.95-122 第5章「早期療育と社会自立」

 「…「自立」という言葉ですが,障害を持った人々の自立という課題が国際障害者年で一〇年前に生まれてから,私は私なりに重度障害者の自立いうテーマをずっと考えてきました。これは肢体不自由側の解釈ですが,自ら律することこそ自立の基本である。生活の中で支援されるにしても,その精神において自律しているならば,これは立派な自立出はないかと思うようになって,私は解答できたと安定したのです。
 そのように思うと,自ら立っている人でも自ら律していない人が多いことに気づき,すると自立より自律の方が高次元にあるのか,自ら律することこそが本当の自立なのかと,考えは発展するのです。東ヨーロッパでもどこでも,自立独立を得ても自ら律することができずに混乱している国がたくさん存在している。自立はできたとしても,自律はむつかしい。自律こそが真の自立である。そういうふうな言葉づかいをさせてもらっております。
 精神遅滞の世界での自立ですが,彼ら自身の主張として「精神薄弱」に代わる「知的障害」という言葉が使われるようになってきました。また知的障害人が非障害人と大会を持ち,そこで自分の主張を自ら発表したということが世界でもわが国でも,ぽつぽつと起こってきています。
 知的障害人は社会的に主張することができないので,親が終始その代弁者として擁護していかねばならぬといわれてきたのですが,彼ら自身の願いと親の願いはいつでも一致するとはいえないこともわかってきた。同時に彼らの能力も開発されてきて,知的障害人自身が主張する。またそれを聞きたいという空気も生まれてきています。(p.106)
 目標は実はそこにある。障害を持った人々が住みやすい環境をつくっていく努力は引き続いてしなくてはならないが,障害を持った人々自身が主体であることを彼らも私たちも気づく。彼らが主体として自己決定権を行使し得る力を持つこと,そのように育てることが大変重要になってくるのです。」

◆上田 敏 19920510 『リハビリテーション医学の世界――科学技術としての本質、その展開、そしてエトス』,三輪書店,361p. ISBN-10: 4895900126 ISBN-13: 978-4895900126 3364 [amazon][kinokuniya] ※

 「北欧、イギリスなどの福祉先進国では身体的な能力障害の重度な障害者でも種々の機器(高度の電子機器を含む)、と人的介助の結合によって、知的な分野で働いたり、社会活動に参加することが広く保障されている。先に述べたホーキング博士などはその最も傑出した例である。また社会保障全般としてはこれらの諸国よりは遅れているアメリカでも、障害者自身の力で、重度障害者が一部またたほとんど全部の介助を受けつつも「自己決定権」を発揮することで自立した生活を送ろうという「自立生活(independent living)の運動が一九七〇年代に起こって非常に発展し、その影響はわが国にも及んでいる。すなわち能力障害がある程度以下には軽減できない重度の障害者でも、社会的条件の整備によっては社会的不利をきわめて少なくし、社会的により良い生活を送れるようにすることが可能なのである。
 しかしここで、当然のことながらこのような相対的独立性が、あくまでも相対的なものであることを忘れてはならない。出発点となる機能・形態障害が重いほど、能力の改善の余地はやはりそれなりに狭くなり、能力障害が重いほど社会的不利の克服にも一定の限界が生じてくるのは冷厳な事実である。」(上田[1992:142])

◆定藤丈弘 1993

 「…従来の伝統的な自立観では,経済的職業的自活や身辺自立を重視する考え方が支配的であった。その結果,身辺自立の困難な重度障害者,職業的自立が容易でない障害者は自立困難な存在として取り扱われ,隔離的,被保護者的な生活を余儀なくされてきたのである。
 これに対して障害者のIL運動の理念は,これらの伝統的な自立観の問題性を鋭く指摘し,身辺自立や経済的自活の如何にかかわりなく自立生活は成り立つ,という新たな自立観を提起したのである。例えば,「障害者が他の手助けをより多く必要とする事実があっても,その障害者がより依存的であることには必ずしもならない。人の助けを借りて15分かかって衣類を着,仕事に出かけられる人間は,自分で衣類を着るのに2時間かかるため家にいるほかはない人間より自立している」という有名な自立生活の代表的規定は,これまで絶対視されていた日常生活動作の自立を相対化しただけでなく,それとリンクして重視されていた経済的自活論をも相対化して,日常生活動作自立(ADL自立)から,その障害に適した生活全体の内容(例えばQOL)を充実させる行為を自立として重視する方向を明らかにしたのである。
 この新しい自立観の鍵となったのが自己決定権の行使を自立ととらえる考え方である。具体的にはそれは,障害者がたとえ日常生活で介助者のケアを必要とするとしても,自らの人生や生活のあり方を自らの責任において決定し,また自らが望む生活目標や生活様式を選択して生きる行為を自立とする考え方であり,これは端的には,1回限りの自らの人生を障害者自らが主役となって生きること,すなわち生活主体者として生きる行為を自立生活とする理念である。」(定藤丈弘[1993:8])

◆上田 敏 19960420 『リハビリテーション』,講談社,ブルーバックス,244p. ISBN-10: 406257117X ISBN-13: 978-4062571173 900 [amazon][kinokuniya] ※ r02.

 「医療の分野でQOLということを言い出したのは、実はリハビリテーション医学が最初であり(一九七九年、アメリカ)、その後に心臓病、ガンなどいろいろな分野に広まった。これはアメリカの障害者の人権運動である「自立生活運動」の人々から、従来のリハビリテーション医療は実際には障害者の人権を尊重せず、専門家の権威主義と温情主義にとどまっているのではないかという厳しい批判を受け、それをきっかけとしてリハビリテーション医学界が、その目標を、それまでのADL(日常生活行為、身の周りの動作)の自立から、より広いQOL(人生の質)の向上へと転換したことによるものであった。」(上田[1996:214])

◆三ツ木任一 1997

「3.わが国における障害者福祉の理念
〇身体障害者福祉法の目的
 身体障害者福祉法は,1950(昭和25)年に公布された,わが国発の障害者福祉法であるが,1984(昭和59)年,1990(平成2)年の改正で,法の目的,理念が,次のように改められた。
 「この法律は,身体障害者の自立と社会経済活動への参加を促進するため,身体障害者を援助し,及び必要に応じて保護し,もって身体障害者の福祉の増進を図ることを目的とする。」(第1条,法の目的)
 ……(p.31)
 〇自立と社会参加の促進の意味
 第1条の「自立と社会経済活動への参加の促進」を縮めて「自立と社会参加の促進」と呼んでいる。
 「自立」という言葉は,一般には,社会生活において安定した職業に就き,経済的にも他に依存することのない状態として理解されている。障害者福祉における新しい自立観では,自立とは人間本来の生き方であって,主体的な判断を重視する自律的な生活方式のことであるととらえている。重度の障害のため,日常生活にかなりの介助を必要とする状態であっても,自らの主体的な判断によって生活を設計し,管理していくことができれば,それを「自立」と呼ぼうという考え方である。」
(三ツ木任一「障害者福祉の理念」,三ツ木任一編『障害者福祉論』(1997,日本放送出版協会):22-35,pp.31-32)

◆上田 敏 20010615 『科学としてのリハビリテーション医学』,医学書院,223p. ISBN-10: 4260243993 ISBN-13: 978-4260243995 2400+ [amazon][kinokuniya] ※ r02.

 「「地域におけるリハビリテーションの組織化」を考える場合に欠かすことのできないものに、もう一つ自立生活を含む障害者の自助(セルフヘルプ)運動の問題がある。
 今述べた介護とリハビリテーションとの統合が唐突にひびくとしたら、自立生活・自助運動とリハビリテーションの統合というのはそれ以上に唐突で、ほとんど考えられないようにひびくかもしれない。というのは、障害者の自助運動はわが国では全国コロニーの運動や小規模作業所の運動(いずれも障害者の働く場作り)として、早くからリハビリテーション医学とは深い関係なし(精神障害者のリハビリテーションとの関係はより密接であったが)進められてきたし、障害者の自立生活(Independent living, IL)運動は一九七〇年代のアメリカで当時のアメリカのリハビリテーション医学・医療が障害者の自立を狭くADL自立に限定し、しかも病院・施設ケア中心で、地域ケアに関心をもたず、障害者への自己決定権を尊重していないなどの批判から出発した運動であり、その流れを汲んだ日本のIL運動も同様の医療批判、リハビリテーション批判への傾斜をもっているいることは確かであるからである。
 しかし、一九七七年にアメリカの第五十六回リハビリテーション医学会(American Congress of Re-<0215  また国際舞台では筆者が長年ナショナル・セクレタリー(日本事務局長)をつとめるリハビリテーション・インターナショナル(RI、旧国際障害者リハビリテーション協会)という広いリハビリテーション関連専門家の組織は、二十一世紀初頭の最大の課題として国連で「障害者権利条約」を制定することを提案し、障害者インターナショナル(DPI)その他の国際的な障害者組織(世界盲人連合、世界ろう連盟、インクルージョン・インターナショナルなど)と協力して運動を進めている。
 このように、かつてはむしろ対立が目立った障害者運動とリハビリテーション専門家との関係に、最近は相互理解と協力の動きが目立つようになってきている。また働く脳性麻痺者の「二次障害」の予防の問題のように、小規模作業所(共同作業所)運動の中からリハビリテーション医学に課題が提起されたというような例もある。
 リハビリテーション医療の側がパターナリズムを脱してインフォームド・コーペレーションを実<0216<践し、入院期間はできるかぎり短くして早期に自宅に復帰し、自宅でのQOLの高い生活・人生を外来リハビリテーションで支えるという活動を基本として、それに加えて種々の形で地域でのシステム作り(それは障害者の自立生活・自助運動を支えるものでもある)に貢献すべきことは本書で筆者が一貫して主張してきたことである。
 またIL運動が専門家によるリハビリテーションにあきたらず、それよりも有意義なものとして実践している「ピアカウンセリング」(障害者自身による相互援助・指導活動)にしても、リハビリテーションとは相互に対立するよりはむしろ相互に補完的な役割を演じうるものと考えられる。
 アメリカでは障害者団体の役員がリハビリテーションチームの一員として働いている例は決して希ではない。
 さらに自立生活と介護との関係も意外に重要である。それは自立生活は重度障害者の地域社会の中での自立の運動として出発しており、介護者の存在は当初から不可欠の要素となっているからである。ただ現在の姿の介護については、その中にひそむパターナリズムと、介護保険が若い障害者を対象としていないことなどから、障害者の側からの反発があるのも事実であり、解決のための努力が必要である。
 このように多くの問題があるのは事実であるが、遅くとも二十一世紀の第一四半期のうちには障害者の自立生活運動・自助運動、介護、そしてリハビリテーションの三者が手を結んで、互いに他の独自性を尊重しながらも開かれた心で協力すべきところは進んで協力するという「大連合」が作られることを期待したい。なぜならばこの三者が手を結んで、互いに他の独自性を尊重しながらも開かれた心で協力すべきところは進んで協力するという「大連合」が作られることを期待したい。なぜならばこの三者は障害のある人が自立した個人として地域社会の中でQOLの高い人生をと送るためにいずれも不可欠のサービスであり運動であるからである。これを抜きにしては「地域に<0217<おけるリハビリテーションの組織化」は語られないのである。」(上田[2001:215-218])

上田 敏 2002 「総合リハビリテーションの展望――全従事者と当事者の交流・協力・参加 特集にあたって」,『リハビリテーション研究』113:2-6

「1970年代における自立生活運動の立場からのリハビリテーション医療への批判は痛烈であり、リハビリテーションが本来の「全人的復権」の理念から逸脱し、「パターナリズム」、「施設中心主義」、「障害当事者の利益の上に専門家の利益をおく傾向」などに陥っていることが指摘され批判された。その批判の多くは残念ながら現在でも当たっている」(上田敏[2002:5]、杉野[2007:48-49]に引用)

杉野 昭博 20070620 『障害学――理論形成と射程』,東京大学出版会,294p. ISBN-10: 4130511270 ISBN-13: 978-4130511278 3990 [amazon][kinokuniya] ※ ds

 「既存の障害研究による障害学に対する矛盾した反応をよく示しているのが、リハビリテーション界のオピニオン・リーダーの反応だろう。たとえば、戦後日本の障害者リハビリテーションを主導してきた上田敏は、およそ20年前には以下のように障害者運動によるリハビリテーション批判の「行き過ぎ」に警鐘を鳴らしていた。

  障害者運動の一部にみられるような、社会環境改善のみがすべてであって、<0048<機能・形態障害、能力障害などの改善は必要でないという考え方(「健常者が障害者に近づくべきなのであって、障害者を健常者に近づけようとするのは間違いだ」という論)もこれまでのべたように、機能・形態障害の治療や能力障害の克服の技術的可能性が現実に存在する以上あきらかに誤りである(上田敏 1983:96)。

 ところが上田は、2002年に「総合リハビリテーション」を提案する際には、障害者運動や障害学の主張に対して、20年前とはずいぶん異なるスタンスを見せ、「障害当事者自助運動との協力」を「総合リハビリテーション」の「第3ステップ」と位置づけるなかで、70年代の障害者運動について以下のように「評価」している。

  1970年代における自立生活運動の立場からのリハビリテーション医療への批判は痛烈であり、リハビリテーションが本来の「全人的復権」の理念から逸脱し、「パターナリズム」、「施設中心主義」、「障害当事者の利益の上に専門家の利益をおく傾向」などに陥っていることが指摘され批判された。その批判の多くは残念ながら現在でも当たっている(上田敏 2002:5)。」(杉野[2007:48-49])


REV:... 20100712, 1106, 11, 13
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