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足利事件



報道
◆1991/12/01 「幼女殺害 容疑者浮かぶ足利」『読売新聞』朝刊:1
◆1991/12/02 「"ミクロの捜査"1年半幼女殺害、容疑者逮捕」『読売新聞』朝刊:31

■その他
◆2009/06/13 インタビュー「足利事件・菅家さんインタビュー」『江川紹子ジャーナル』
 http://www.egawashoko.com/c006/000290.html



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■報道

◆1991年12月1日 読売東京 朝刊 一面 14版 1頁
幼女殺害 容疑者浮かぶ足利
45歳の元運転手 DNA鑑定で一致

 栃木県足利市の渡良瀬川河原で昨年五月、同市内のパチンコ店員Mさんの長女M・Mちゃん(当時四歳)が他殺体で見つかった事件を調べている足利署の捜査本部は、三十日までに、容疑者として同市内の元運転手(四五)を割り出した。一両日中にもこの男性に任意同行を求め、殺人、死体遺棄の疑いで事情を聴取、容疑が固まり次第逮捕する。M・Mちゃんの衣類に付着していた男の体液のDNA(デオキシリボ核酸)と元運転手のものが一致したことが決め手となった。同市とその周辺では、昭和五十四年から六十二年にかけ幼女三人が他殺体で見つかる事件が起きており、捜査本部は関連に強い関心を抱いている。




◆1991年12月2日 読売東京 朝刊 社会 14版 31頁
"ミクロの捜査"1年半幼女殺害、容疑者逮捕
一筋の毛髪決め手 菅家容疑者ロリコン趣味の45歳

 容疑者に導いたのは一筋の毛髪――栃木県足利市の幼女殺害事件で二日未明、同市内の元運転手、菅家利和容疑者(四五)が殺人、死体遺棄の疑いで足利署に逮捕されたが、延べ四万人の捜査員を動員したローラー作戦とともに"DNA検査"が、四千人に及ぶ変質者リストからの容疑者割り出しにつながった。週末の「隠れ家」でロリコン趣味にひたる地味な男。その反面、保育園のスクールバス運転手を今春まで務めるなど、"幼女の敵"は大胆にもすぐそばに潜んでいた。
 事件発生から四か月が過ぎた昨年秋、ついに菅家容疑者が浮かんだ。ピーク時は四千人に達した変質者リストを基に、一人一人のアリバイをつぶすという途方も無い作業だった。捜査本部は、この後一年を超える内偵で、菅家容疑者の毛髪を入手。M・Mちゃんの遺体などに残された体液とDNA鑑定を依頼、先月下旬、ついに「他人である確率は千人に一人で、ほぼ同一人物と断定できる」との鑑定報告を手に入れた。

私がやりました
 「私がやりました……」
 菅家容疑者は、絞り出すような声でMちゃん殺しを自供した。午前中、取調官が事件に触れると、「容疑者に間違いない」と取調官は感じた。
 だが、菅家容疑者が事件について語り始めたのは夜十時近くになってから。取調べは一日朝から十四時間にも及び、事件発生から一年半にわたる捜査がようやく実を結んだ瞬間だった。



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■その他

◆足利事件・菅家さんインタビュー 江川紹子ジャーナル
 http://www.egawashoko.com/c006/000290.html

――連れて行かれる時は、どんな状況だったんですか?
「自分がね、午前7時頃に起きたんですよ。パジャマ姿です。玄関の方で音がするんですよ。誰だろうな、と。カーテンと鍵を開けましたら、『菅家、いる?警察だ』っていうんですよ。開けたら、ドカドカって入り込んできて。なんだこの野郎、と思ったら、『おう、そこ座りや』」って言うんですよ、刑事が。で、言われたまま、座ったわけですよ。そしたら、『お前、子ども殺したな』って言うんですよ。『子ども?! 知りませんよ』って言ったんですよ。そしたら、言った途端に肘鉄砲ですよ。自分をドーンと突き飛ばして。自分はどんとひっくり返って、ガラスが割れるわけですよ。もう少しで頭ぶつかりそうでしたよ。 略

――その日は遅くまで取り調べを受けましたよね?
「今からやるからと。「お前は子どもを殺したんだな」と。自分はやってないですから、『やってませんよ!』と。『お前がやったんだ』『やってませんよ』と。それの繰り返し。一日中。それで、夕飯が終わってから、『証拠がある』と。証拠があるとしても、自分は何の事か分からないし。当時、DNA鑑定のことは自分も分からないし。刑事も知らないと思う、DNAって。『やってる』とか、『やってない』って。同じようなこと(をずっとやりとりしていた)。夜10時くらいになって、これじゃあ、自分は帰れないと。もういいや、どうにでもなれと。『はい、分かりました、自分がやりましたよ』と言ったら『おお、そうか』と。こうですよ。その日は(取り調べは)それで終わったんです」

――その時(警察官の手をとって泣き崩れた時)の気持ちは?
「悔しい涙でしたよ。やったとか、やらなかったとか、そういうんじゃないですよ。悔し涙ですよ。自分はやってないのに、どうしてこんな事されなきゃならないの?って、ずーっと思ってました」

――お前がやったとなった後、結構細かいストーリーが出てきますよね?それはどういう風に作られた?
「事件当日、幼稚園の勤めに行ってたんですよ。送迎で。それで、実家から幼稚園まではバイクで通勤してたんですよ。それで、幼稚園の送迎が終わって、土曜日ですから、車の中を少し掃除して、実家に帰っていったわけですよ、バイクで。それで、うちへ帰ってきて、即席ラーメンですけど、食べて、バイクでなくて、自転車で行ったわけですよ、菓子屋まで。それで、菓子屋まで行ったんですけど。その日は、事件があった日なんですけど、私は自転車で行ったんですよね、菓子屋まで。その日は、自転車を使ってたんだから、自転車で、真美ちゃんを乗せたことにして、現場まで行ったことにしたんですよ。自分で作ったんですよ、それは」
――なんで、そんな話まで作っちゃったんですか?
「やはり、そういう風にね、言わないと、なかなか刑事っていうのは、なんていうんですかね、『おお、そうか』とか言ってくれないですからね。適当に、自分で、作っちゃったんです」


*作成:サトウ タツヤ 更新:岡田 清鷹
UP: 20091107 REV:
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