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脱精神病院化 in USA


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■本ファイル内目次
 ■歴史
 ■精神病・精神薄弱に関するケネディ大統領教書(別頁)
 ■文献
 ■米国脱精神病院化についての日本の反応

■本サイト内関連ファイル

 ■事項
  ◆施設/脱施設
  ◆精神障害/精神医療 

 ■全文掲載
  ◆三野 宏治 2009/06/07 「アメリカにおける脱入院化――ケネディ教書以前とその後」
  第7回社会福祉学会報告原稿 於:日本福祉大学名古屋キャンパス


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■歴史

○前史(1800-1960)

1817 最初の「道徳療法」を行う精神病院が開設

1830 ドロシア・ディックス(Dorothea Dix)改革運動をおこなう

1861 南北戦争で政府の財政が悪化.精神医療に経済的な面で影響

1905 全米慈善矯正会議の席で、精神病院から退院した人に当座の援助を与えることが 及され、アレクサンダ ー・ジョンソンとハマー・フォークスは、過去3か月の間に州立マンハッタン病院を退院した患者たちの追跡調査を行う
1905 マサチューセッツ総合病院においてPSWの事業化

1907 ニューヨークにてアフターケア事業が開始

1908 クリフォード・ビアーズ(Clifford beers)、コネチカット精神衛生協会設立

1909 クリフォード・ビアーズ『わが魂に逢うまで』(A Mind That Found Itself)刊行

1909 全国組織全国精神衛生委員会 設立

1913 ボストン精神病院のジャレット(M.C.Jarrett)による家庭歴の調査

1926 全米精神科ソーシャル・ワーカー(PSW)協会が設立

1930- アメリカ医学会(AMA)精神病院の調査を開始 John Grimeが任名

1946 全国精神衛生法(National Mental Health Act)制定
1946 精神衛生局(United States Public Health Service )設立
1946 情報調査センター(後の国立精神衛生研究所 National Institute of Mental Hygiene Division )設立

1950 朝鮮戦争で多くの兵が精神疾患罹患

1955 精神衛生研究条例(Mental Health Study Act)
1955 精神疾患と精神衛生に関する合同委員会 設立

1961 合同委員会が精神衛生行動計画(Action for Mental Health )をまとめる

○ケネディ教書以後

1963 「精神病及び精神薄弱に関する大統領教書」(Special Message to the Congress on Mental Illness and Mental Retardation「ケネディ教書」)
1963 精神薄弱施設及び地域精神保健センター法(Mental Retardation Facilities and Community Mental Health Center Act)  
1970 ジョンソン判決 「治療のない拘禁は違法である」「35カ条の項目が最低基準として病院に満たされていなければならない」

1977 カーター大統領の政権下大統領の諮問機関として「精神衛生調査委員会」(The Commission on Mental and Health)発足
1977 国立精神衛生研究所(NIMH)システムの開発奨励、資金援助を始める。
ACT (the program of assertive community treatment),クラブハウスモデル、など助成対象になる

1978 「精神衛生調査委員会」最終報告書
1978 バザック(Bassuk)調査=1973年のアメリカの精神障害者の総数は520万人.うちの320万人が地域で生活
1980 精神保健体系法 (Mental Health Systems Act)成立


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■文献(年代順)

秋元波留夫 19641031 「精神障害者の人間性回復のために―精神衛生法の全面改正にあたって―」、『精神衛生』NO92-93:p3
秋元波留夫  198608 「精神障害者の地域サービスはどうなっているか―「共同作業所」の実践から―」、『臨床精神医学』第15巻第8号:p1327
秋元 波留夫 1987 『精神障害者の医療と人権』 ぶどう社.
秋元 波留夫 監 共同作業所全国連絡会 編1988 『アメリカの障害者リハビリテーション』 ぶどう社.
秋元 波留夫 1991 『精神障害者リハビリテーション ―その前進のために―』 金原 出版.
◆Ciardiello, Jean A Bell Morris D 1988 Vocational Rehabilitation of Persons with Prolonged Psychiatric Disorders The Johns Hopkins University Press=1990 岡上 和雄・松為 信雄・野中 猛 監訳 『精神障害者の職業リハビリテーション――蔓延性精神分裂病をもつ人のために――』 中央法規出版
◆江間 由起夫 2005  「医学モデルからリハビリテーションモデルへ:アメリカの脱施設化にみるコミュニティケア実践とパラダイムシフト」,『精神障害とリハビリテーション』:9号1巻,40-45
◆Ennis, Bruce 1972 Prisoners of Psychiatry Harcourt Brace Jovanovich=1974 寺嶋 正吾・石川 毅 訳 『精神医学の囚われ人』 新泉社.
◆The Group for the Advancement of Psychiatry 1978 The Chronic Mental Patient in the Community=19800527 仙波 恒雄・高橋 光彦 監訳,『アメリカの精神医療』,星和書店,151p. ISBN-10: 4791100468 ISBN-13: 978-4791100460 2400 [amazon][kinokuniya] ※ m.
◆蜂谷 英彦 村田 信男 編 1989 『精神障害者の地域リハビリテーション』 医学書院
◆蜂谷 英彦 岡上 和雄 監修 2000『精神障害者リハビリテーションと専門職の支援』 やどかり出版
◆藤森 正大  198207 ≪海外便り≫「アメリカにおける精神科領域の問題点と薬物療法の動向」、『臨床精神医学』第11巻第7号:pp909-910
◆石原 幸夫  197304 「精神衛生センターの歩み」、『心と社会のメンタルヘルス』第9巻:pp240-243
◆石原 幸夫  1977 「地域精神医療と通院医療」、『心と社会のメンタルヘルス』第11巻:p256
◆石川 信義 1990 『心病める人たち』 岩波新書
一番ヶ瀬 康子 1963 『アメリカ社会福祉発達史』 光生館
◆岩田 泰夫 1994 『セルフヘルプ運動とソーシャルワークの実戦』 やどかり出版
◆Raymond, Jack 1998 Residential Versus Community Care Macmillan Publishers =1999 小田 兼三・杉本 敏夫・斉藤 千鶴・久田 則夫 監訳 『施設ケア対コミュニティケア』 勁草社
◆柿谷 正期 2004 「精神疾患へのアプローチ再考」,『立正大学大学院紀要』,20:71-93
◆金子 嗣郎 198610 「精神衛生法改正について」、『心と社会のメンタルヘルス』第12巻:p362.
◆加藤 正明 197307 「今日の病院医療と精神衛生」、『臨床精神医学』第2巻第7号:p823
◆加藤 正明  197402 「地域精神衛生活動の理念と現状」、『臨床精神医学』第3巻2号:pp152-153
◆加藤 正明  1983 「国際障害者年に寄せて」、『心と社会のメンタルヘルス』第12巻:p223
◆加藤 正明  1983 「アメリカにおける精神衛生の現状」、『心と社会のメンタルヘルス』第9巻:pp116-117
河東田 博 編 2007『福祉先進国における脱施設化と地域生活支援』 現代書館
◆柏瀬 宏隆  197404 ≪海外便り≫「私のみた海外精神医学―T、アメリカ―」、『臨床精神医学』第3巻第4号:pp427-432
◆桑原 治雄 198006 「アメリカの社会復帰活動について―カリフォルニア州北部を例として―」、『臨床精神医学』第9巻6号:pp712-713
◆小林 司 19660228 「日本における精神衛生運動のあゆみ」『精神衛生』NO100:p5
◆小林 司   19690301 「第16回精神衛生全国大会ルポタージュ」、『精神衛生』NO116-117:p15-16
◆小林 司 1972 『精神医療と現代』 日本放送出版協会
◆国立法律家委員会 編 1996 『精神障害患者の人権』 明石書店
◆松下 正明 総編集 1999 『臨床精神医学講座 S1巻 精神医療の歴史』 中山書店
◆松下 正明 総編集 1999 『臨床精神医学講座 第20巻 精神科リハビリテーション・地域精神医療』 中山書店
◆森山 公夫  197606  「近代精神医学の軌跡」、『臨床精神医学』第5巻第6号:p715
◆宗像 恒次 1984 『精神医療の社会学』弘文堂
◆松村 常雄  19641031 「精神病・精神薄弱に関するケネディ大統教書―まえがき―」、『精神衛生』NO92-93:p10
◆西園 昌久  197408 「現代の精神科医療に関する提言」、『臨床精神医学』第3巻第8号:p836
野田 正彰 2002 『犯罪と精神医療――クライシス・コールに応えたか』 岩波書店 
◆岡村 正幸 1999 『戦後精神保健行政と精神病者の生活――精神保健福祉序論』 法津文化社
◆岡村 正幸 2002 『まちづくりの中の精神保健・福祉――居宅型支援システムの歩みと思想―』 高菅出版
◆小田 晋  198610 「現代精神医療論の陥穽と迷走――精神衛生法改正によせて」、『心と社会のメンタルヘルス』第12巻:pp366-367 ◆杉野 昭博 1994 「社会福祉と社会統制 ――アメリカ州立精神病院の「脱施設化」をめぐって―」,『社会学評論』:117,16-30
◆田中 英樹 2001 『精神障害者の地域生活支援-総合的生活モデルとコミュニティソーシャルワーク-』 中央法規出版
◆Trattner,I,Walter 1974 FROM POOR LAW TO STATE A History of Social Welfare in America A Division of Macmillan Publishing =1978 古川 孝順 訳,『アメリカ社会福祉の歴史』 川島書店
◆財団法人日本精神衛生会 1990『アメリカにおける精神障害者のコミュニティケア』
◆「精神衛生」編集委員  19641031 「編集後記」、『精神衛生』NO92-93:p16


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■米国脱精神病院化についての日本の反応

●1960年代●

○19630701 厚生省 精神衛生実態調査(精神障害者124万人うち精神病57万人、知的障害40万人、その他27万人と推定)
●1964年

○196403(昭和39年)ライシャワー事件
※ライシャワー駐日大使が大使館前で統合失調症患者にナイフで刺され重傷を負った。

○19640402 厚相 精神衛生審議会に精神障害者対策を諮問(0428 警察庁 厚相に法改正意見具申)

◆秋元波留夫  19641031 「精神障害者の人間性回復のために――精神衛生法の全面改正にあたって」、『精神衛生』NO92-93:p3

三、医療施設の問題
 精神衛生における医療施設の問題はAction for Mental Health(1961)のなかで、Jack Ewaltが強調しているように、依然として精神衛生法の中心課題core problemである。どんなに精神医学的治療が進歩しても、精神病院の問題は常に新しい相貌を呈しつつ論ぜられ、改革されなければならないだろう。わが国における医療施設の主要な部分をしめる精神病院は、量と質との両面において多くの問題を蔵している。まず病床数の絶対数の不足ができるだけ速やかに解消されなければならないが、この最も大切な精神病床の増床が、これまあであまり計画的に行われなかったことは遺憾である。[……]
公私の比は九三対七となり、精神障害者に対する医療施設がもっぱら公共の責任において運営されていることがわかるのである。米国における私立精神病院は公立のそれとは性格を異にしており、経済的に比較的恵まれた階級の患者を扱うデラックスな病院が多い。このような様相はひとり米国に限らず、欧州各国の精神病院の在り方に共通する。[……]
私立精神病院は公共の病院とは異なった機能と性格をもち得るものであり、それはすでに欧米諸国において証明済みである。この点で日本のみが例外であるとは考えられない。pp3-4(東京大学教授)

◆松村 常雄  19641031 「精神病・精神薄弱に関するケネディ大統教書――まえがき」、『精神衛生』NO92-93:p10

 「このような近年における欧米諸国の動向に鑑み、わが国でも、日本精神神経学会では、現行の精神衛生法の改正を必要と認め、既にこのための委員会を編成してその全面的改正について検討を続けていたのであった。所が本年三月二十四日に起こった不幸なライシャウアー大使傷害事件が契機となって四月二日には精神衛生審議会が「精神障害者対策」について審議の上四月二十一日に厚生大臣に意見書を提出した。更に五月九日付で「精神衛生法の改正問題について」諮問を受け、審議会は取り敢えず先づ特に財政措置を必要とする施策について先議し、七月二十五日にそれを中間的な答申書として提出した。おそらく十一月には最終的な答申が提出される予定である。
 わが国が、精神衛生面における新しい国策を決定すべきこの大切な時期に際し、故ケネディ大統領の教書の全文を邦訳して諸賢に呈上し、又ここにヨーロッパの二、三の国における現状をも簡単に付記してご参考に資したい。文化国家の建設を志している筈のわが国として、従来後廻しにされ勝ちであったこの問題を、この機会にどのように扱うべきか、十分にご検討を願いたいのである。」p10 日本精神神経学会 精神衛生法改正対策委員会会長

◆「精神衛生」編集委員  19641031 「編集後記」、『精神衛生』NO92-93:p16

 「故ケネディ大統領の教書については全訳としては初めて公にされますが大統領が直接こういう教書を議会に提出されたことは誠に重要な意味あることとその人間愛に心を打たれるものがあります。」

●1965年

○19650114 精神衛生審議会答申(精神鑑定医・精神障害者の緊急入院・保護拘束制度の創設など)

○19650630 精神衛生法改定公布(通院医療費の1/2公費負担、私宅監置制度廃止、精神衛生センター設置など)

○19650904 精神障害者家族会連合会結成

●1966年

◆小林 司 19660228 「日本における精神衛生運動のあゆみ」『精神衛生』NO100:p5

 「アメリカでは精神病患者の九八%は公立病院に居り、そのベッド数は五四九、三三〇に達している。これを維持する予算だけでも八一二、八三六、〇六八ドルに上がり、アメリカが一年間に精神病に費する金額は約三七二億ドル(アメリカ総予算のおよそ三、五%)になっている。精神病研究費は四、四五八万ドルで、ロッキード戦闘機の五〇機分にあたり、決して多額とは云えないが、日本の研究費総額が何千万なのか比較するにも勇気を失ってしまう。」p5(神経研究所)

●1968年

○19681200 法制審議会精神障害者の犯罪に保安処分施設新設案を出す

●1969

◆小林 司   19690301 「第16回精神衛生全国大会ルポタージュ」、『精神衛生』NO116-117:p15-16

 「次に「望ましい精神障害者対策と家族のあり方」(久山照息湊川病院長司会)というパネル・ディスカッションが行われた。
 佐分利輝彦厚生省精神衛生課長は、精神衛生対策が次第に地域社会的ケアに移りつつある世界の状況を英米佛の現状を例にして述べた。(その内容は、一九六四年に出たケネディの「精神病および精神薄弱に関する教書」の日本版まえがきで松村精神衛生研究所所長が書いたものと同様である)
 しかし時間が不足したためわが国の政策や方針については触れられなかったので、その点はどうなのかという質問があった。[……]
 河野正衆議院議員(社会党)は「精神衛生法が実行されていない。法の改善をして、実行されるように政府を督励する。最近続発する凶悪犯罪の大部分は精神異常者によるというが、政府は一向に対策を示さない。保安対策では駄目で、精神衛生対策をうちたてるべきだ」と述べ、「五つの国立結核病院が精神科に転科したのに、専門家が院長なのはその中の一つにすぎない。心身障害者には高崎市に五十万坪のコロニーを作るというのに、精神障害者のアフターケアには三十人の施設を八ヶ所作るだけでごまかそうとしている」と追加して政府の無策を攻撃した。[……]
 不幸な患者や家族たちに何をしてやるかというこではなくて、彼らと共にどう生きるか、という思想の問題である。[……]
 精神障害者やその家族に対して絵に描いた餅を見せるだけなのは馬鹿げているが、実際のパンや薬を投げ与えさえすれば満足するだろうと考えているのは、それ以上に馬鹿げている。」pp15-16 (神経研究所 主任研究員)

●1970年代●

●1970年

○1970(昭和45年)〜 第2次開放化運動始まる

○19700401 精神障害回復者社会復帰施設整備費予算化

◆懸田 克躬・加藤 正明 編 19700205 『社会精神医学』   医学書院.

「1963年のケネディ大統領による精神病・精神薄弱に関する教書が出された。「アメリカの精神病院はアメリカの恥である」とまで強調されたこの教書によって、精神病院の改善と総合精神衛生センターの設置費が計上されたが、現在この方向への努力が積み重ねられてきているとみてよい」p26

秋元 波留夫 19700815 『職場の異常心理』 日本工業新聞.

「一九六五年には三九二万人が何らかの精神治療を受け、一般内科外来患者中六〇〇万人が精神症状を併発しているという。
米国の精神病院の職員は二三万人を越し、そのうち精神科医が五、二一四人もいるのにまだ一万人の専門医が不足していて、州立精神病院のうち二一病院には精神科医が一人もおらず、九一病院にはわずかに一人から四人の精神科医がいるに過ぎぬという(州立病院は普通二、〇〇〇〜三、〇〇〇人の精神病患者を収容している)医師一人が受け持っている入院患者数は平均一一〇名となる。米国の精神病院全体としてはさらに一二万人の職員が不足している。」(pp.89-90)


●1971年

○19710327 東大医学部台弘教授が20年前に行った精神病患者へのロボトミー手術が人体実験だったと告発される。

◆寺嶋正吾 19710601 「地域精神医学の理念」『月刊福祉』 第54巻:第6号  社会福祉法人 全国社会福祉協議会

「アメリカでは精神病院の入院人口は五十五万九千人(一九五五年)から四十万千人(一九六八年)へと十五万八千人減少したし、その後もさらに早いスピードで減少し続けているという現状を生んだ。(……)
コミュニティに開いた精神病院であってこそ、はじめて入院治療を各種治療計画のなかの一つにすぎぬとみなすことができ、責任ある後治療の連続性が確保できる。このような考えに基づいて地域精神医学の展開が始まったのであるが、この転換を精神医学の第三革命とさえ呼ぶ人があるほど、この新展開は革新性を持っているのである。
 その変革は、アメリカでは医療の偏在、空白を埋める目的で各地に精神衛生センターを数多く配置することから始まった。人的資源の不足に悩みながらも、一九七〇年に五百番目のセンターをつくるところまで進んだ。(……)
まさに戦略的一大転換である」p27(福岡県精神衛生センター所長)

秋元 波留夫 19710715 『異常と正常――精神医学の周辺』 東京大学出版会.

「私がアメリカをみた折に、州立病院の中には、なお相当レベルの低いものがあった。ある州立病院では二百人の患者に対して医師一人ということで、わが国の状態の方がはるかに良いと思ったのである。先日、アメリカの国立精神衛生研究所のジョージ・スティンソンの精神衛生に関するある著書を読んでいたら、州立病院の中には、まだ病院(Hospital)という名前に値しない単なる収容施設(Habituation)にすぎないものが残っている、その改善が急務であると書いていた。彼は、これを改善する方法として、州の公衆衛生行政当事者が精神衛生にもっと積極的な関心を持つことが急務であり、さらに必要なことは優秀な精神科医をひきつける魅力を病院が持つことであり、そのための要件は単に医師や看護婦、職員のサラリーをよくすることだけでなくて、彼らの研究意欲を満足させるような設備と費用を州が提供することだといっているが、これは妥当な意見である。実際、州立病院の中にも、たとえば私のみたニューヨーク郊外のクリードモア病院のように、コロンビア大学と連携して充実した研究をやっているところでは、臨床方面も活発で、精神病院としても立派である」p259


●1972年

◆小林 司 19720420 『精神医療と現代』日本放送出版協会.

「米国を例にとってみると、一〇人に一人が精神障害者で、病院ベッド総数の半分以上(七一万床)が精神科ベッドである。米国の精神科医は一四、二〇〇人も居るのになお一万人が不足しており、精神病院に働く職員は三三万人いるがさらに一二万人が必要だという」p130 (1965年時点―三野)


●1973年

◆石原 幸夫  197304 「精神衛生センターの歩み」、『心と社会のメンタルヘルス』第9巻:pp240-243


精神衛生の現状といえば、関係者にとって忘れられないものがある。それは1963年のケネディも議会教書である。このメッセージは今なお精神衛生活動の金字塔として忘れられないものである [……]
今日の日本の精神医療の現状は、10年前のこのケネディ教書とどれほどのちがいがあるであろうか。このメッセージのわずかな部分を改めさえすれば――たとえば「60万人」を「25万人」に、「25億ドル」を「360億円」に、「州立病院」を「私立病院」に、「連邦政府」を「厚生省」に、「州政府」を「都道府県」に――そのままそっくり日本の現状を浮き彫りにするものではないだろうか。地域の例から日本の精神病院の現状をながめた時に、私はとくにその感を強くする。[……]
ケネディ教書である。彼はアメリカの精神医療を意図して、つぎのようにのべている。「今や大胆で新しい対策をとるべき時がきた」、「連邦政府の基金を、今なお広く行われている時代おくれの施設対策(institutional care)を存続させるために注ぎこんだのでは、ほとんど期待することはできない」、「今必要なのは新しい型の衛生施設、すなわち総合的地域社会衛生センター(omprehensitive community mental centers)の設立であり、この施設を中心にして、これまでの入院治療を中心とした総合的な医療対策(comprehensitive community care)を押しすすめることである」と。
 そしてこの新しい対策は直ちにthe Community Mental Centars Act(1963)として単独立法化され、地域精神衛生センター網は全国的な組織としてつくられ、各センターは総合的地域計画の支点として働き、精神病の予防または診断、あるいは精神病者のケアと治療、その社会復帰のためのサービスを行い、4年後の1967年6月には256の精神衛生センターがつくられ、アメリカ48州4100万人の人口に精神衛生サービスがなされるようになったという。
 もっとも、米国における精神衛生センターは「そこに組まるべき要素として、診断、判別機関、精神科緊急病棟、外来診療所、入所設備、昼間退院施設、夜間病院、里親保護、厚生指導、地域社会の他機関への相談指導および精神衛生の広報ならびに教育活動」などがあげられており、地域精神医療に不可欠な、まさしく総合的な機能をもちあわせ、日本のそれとは意図するところはおなじであっても比較することはできない。しかしながら、アメリカでの精神衛生センターの発展過程は、わが国のあり方を示唆するところがきわめて大きい。pp240-3(神奈川県立精神衛生センター)

◆加藤 正明 197307  「今日の病院医療と精神衛生」、『臨床精神医学』第2巻第7号:p823
 
 ケネディ教書以来10年、州立精神病院を減らして総合地域精神衛生センター(CCMHC)の増設するという方針が300のセンターを生みだし、例えばカリフォルニア州のショート・ドイル法も大きく改正されて、精神病院の廃止や転換がおこっている。入院規定がむずかしくなり、退院のパイプは太いが入院のそれは細いという日本と逆の状況になり、デイ・センター、ハーフウェイ・ハウス、保護工場の増設によって患者をできるだけ地域社会において治療し、治療の持続性と責任性を保っていく努力が続けられている。しかし、最近の情報ではこれらの予算が大幅に減らされて新たな困難に遭遇しているという。個人精神療法から出発したアメリカ精神医療の動きが、集団精神療法を経て地域社会人口の精神障害者に対するケアの持続性の保持を目的とする動きとなった。このコミュニティ・ケアへの方向づけが精神療法の発展であるか後退であるかの評価は将来に待つほかない。  (国立精神衛生研究所)


●1974年

○1974   第1回全国精神障害者交流集会 於:東京
 その場で全国「精神病」者集団結成

◆加藤 正明  197402 「地域精神衛生活動の理念と現状」、『臨床精神医学』第3巻2号:pp152-153

ことにカリフォルニア州ではランタマン・ドイル法が制定されて、精神病院入院とくに強制入院が著しく制限されることになった。いわば入院の入り口は狭い門になり、退院の出口は広い門になって、どっとコミュニティに患者が帰ってくることになったのである。
1973年8月アメリカ精神医学雑誌には、ニューヨーク市社会サービス局、精神医学部長のライヒ(Robert Riech)が次のようなエディトリアルをよせている。[……]
以上のライヒのエディトリアルからみて、余りに急激な慢性精神障害者の退院が、大都市では大きな問題になっていることを示している。[……]
全体的にみると、1963年以後10年間に300余のCCMHCがつくられ、州立精神病院の病床は60万から40万に20万床減ったが、これらの退院患者のアフタケアや新しい患者の医療やリハビリテーションが一部では活発に行われているが、大都会ではとくに高齢者の受けいれに困難があり、加うるにこのCCMHCに働く職員の不足や訓練問題に悩んでいるという現状にある。今後古い州立精神病院は大きく変化していくであろうが、community careはあり方については、なお多くの問題が残されているように思われる。
(国立精神衛生研究所)

◆柏瀬 宏隆  197404 ≪海外便り≫「私のみた海外精神医学―T、アメリカ―」、『臨床精神医学』第3巻第4号:pp427-432

私は1972年7月より1973年6月までをアメリカのフィラデルフィアAlbert Einstein Medical Center(テンプル大学関連病院)に精神科インターンとして、そしてそれに続く3カ月をボストンのハーバード大学医学部精神科(Mass Mental Health Center)にClinical Fellowとして留学[……]
アメリカの精神医学にはいまや2つの大きな流れのあることに気づくのである。1つは、community psychiatry(social psychiatry,community mental healthと呼ばれるもの)であり、もう1つは、精神疾患に対する広い意味でのbiological studiesの擡頭であろう。前者は、実によく訓練された優秀なsocial warker,psychiatric nurse,psychologist,psychiatric aide等の協力体制(チーム)によって、ここ10年来確実に広がり、もはや社会に定着しつつある感を受け、日本の精神医療の貧困さにくらべてかん嘆息をつくばかりである。[……]
なるべく入院患者を社会の中で社会の一員として治療していく、入院中のものは早く“脱収容化”をはかる、なるべく入院はさせない、という方針なのである。このためには、精神科患者を受け入れてくれる社会の寛大さ、地域の施設との連携をよくすること、医師、social worker,nurse等のチームワークの良さ、等が必要であろう。また、この脱収容化を成功させた裏に、投与の容易なlong-acting phenothiazine のあったことも忘れてはならないであろう。私は、BostonのErich Lindemann Mental Health CenterやNew HeaveのConnecticut Mental Health Center等の、高級なコンサートホールやホテルを思わせるような壮麗な建物を見学して、アメリカ精神医療の素晴らしさをみせられる思い出、日本との差を感じたものであった。
 かくしてアメリカは、community psychiatryを他の国よりはるかにひきはなして進歩させた[……]
もちろんアメリカも、州立病院の事情や高医療費の問題など解決すべき課題をかかえており、ここでそれらに触れる余裕のないのは残念であるが、われわれは諸外国から良い点を学べばよいのである。pp34-35 (慶應義塾大学医学部精神神経科)


◆西園 昌久  197408 「現代の精神科医療に関する提言」、『臨床精神医学』第3巻第8号:p836

わが国の入院治療中心主義は次第に世界の常識はずれのできごとになりつつある。現にアメリカでは病院に入院している患者は次第に減少しつつある。毎月わたくしのところに送ってくるNIMHの資料によると、アメリカ全国の統計で、この10年間で、入院患者も減っておれば、疾病構造も変化している。[……]
わが国の現状はアメリカの10年前とほとんど変わりないが、今後、アメリカに代表されるような先進国に共通する精神科医療体制の変化が起こるであろうか。この2月1日から健保改正にともない、精神科作業療法とデイ・ケアとが新しく認められた。しかし、多くの期待からは程遠く、現状固定の免罪符みたいなものである。[……]
自分の勤務している病院とのネットワークの中で、主治医が自宅で外来診療してくれたら、病院と家庭、社会との橋渡しはずい分円滑にいくだろう。患者さんに都合がよいばかりではない。病院にいろんな問題がおこりうるが、社会に開かれた病院になることは確かだし、医師の定着もできやすくなろう。何よりも、勤務する医師が自分の主体性が発揮しやすくなるだろう。p62


●1975年

○1975   クーパー、サズ 精神神経学会(東京)に来訪

○1975 日本精神神経学会「精神外科を否定する決議」

●1976年

○19760529 法制審議会は保安処分新設を含む「改正刑法草案」を法務大臣に答申

○1976   「前進友の会」(京都)発足

◆森山 公夫  197606  「近代精神医学の軌跡」、『臨床精神医学』第5巻第6号:p715

1963年以降は、むしろ「地域精神医学」時代に入ってゆく、との感が強い。このことは、ドイツにおけるHafner,HやKisker,K.P.らの「転向」の中に顕著に認められるが、同様の現象は、アメリカでもまた、著しいのである。
 だが、このような「地域化」も、それが経済的功利性の動因に貫かれている限りは、さらに新たな問題を呼びよせる以外のものではないであろう。そしてそれは、今回は、「地域管理」か「地域放置」か、という両極分解の問題として現われてこざるを得ない、 といえよう。(東京大学精神科医師連合)


●1977年

◆仙波 恒雄/矢野 徹  19770310 『精神病院――その医療の現状と限界』 星和書店,345p.

「米国のアラバマ州にあるブライス州立病院は、物心両面においてヒューマニズムに満ちた配慮に欠け、有資格スタッフの絶対数が不足し、患者個々への治療計画が欠如のため、医療上、憲法上で求められる最低限の必要諸基準を欠いていた。この病院の医療状況に対して、一九七二年四月三〇日、フランク・M・ジョンソン連邦判事が下した判決文「精神障害者に十分な治療を与えるため最低限の合憲的基準」が出された。これは裁判過程で、アメリカの高名な精神科医が、両方の立場から証言したことで「ワイアット対スティクニ―事件」として知られ、精神医療上、有名である。全三五項目にわたるものであるが、その中で二四項目、職員配置割合について、患者二五〇名につき次の表のように、治療職員最少限数の配置を定めている。……
この数をもって、“最小限の数”としている。この職員数は、患者一〇〇人に対し七八・二人であり、日本の公立病院の二五%増し、私立病院の約二倍に値する」pp193-4

◆石原 幸夫  1977 「地域精神医療と通院医療」、『心と社会のメンタルヘルス』第11巻:p256

アメリカにおけるこれらの変化は、医療制度も異なるので直ちにわが国と比較するわけにはいかないが、しかしながらわが国よりすでに早くから隔離収容時代と決別し新しい治療モデルの実践に取り組んでいる欧米諸国のこの変化は、わが国にとってもまた注目に値することであろう。p256 (神奈川健精神衛生センター)


●1978年

◆Committee on Psychiatry the Community 1978 The Chronic Mental Patient in the Community the Group for the Advancement of Psychiatry=1980 仙波 恒雄・高橋 光彦 監訳 『アメリカの精神医療』 星和書店

「この原著“The Chronic Mental Patient in the Community”を入手したのは、1979年9月、日本精神病院協会の全米精神医療視察団の一員としてニューヨークに立ちよったときである。今まで日本で想像していたものよりはるかに激しい“病院医療から地域医療への変換”(deinstitutonalization monvement:脱施設化運動)に大きな衝撃を受け、これらの現象をもたらしたアメリカ精神医療の実情を包括的にまとめたものはないかと数多く持ち帰った資料を整理しているうち、本書が多角的に現状を分析、解読してあり、アメリカ精神医療の今日を知る格好の書であるように思い、選書した」p8

「1960年代後半から始まった20年近くのアメリカ精神医療の実践は、私たちの目には大きな実験とみられ、多くの試行錯誤の歴史であると思われる。もちろん、日本と異なる社会情勢、経済状況にあるのだが、日本でこれから地域医療の実践を始めるとき、充分にこれを分析し、他山の石として参考にたる資料として本書が役立てば、訳者としても望外の喜びである」pp11-2

「アメリカでは、逆にこのように入院医療費が高いため無駄な入院を防止せざるを得ないし、また政策的にも、短期入院を目途としての1960年後半から行われてきた脱入院運動(Deinstitutionalization)は、医療理念の他に経済的理由が動機になったのである」p17

●1978年

●1979年


●1980年年代●
●1980年

◆桑原 治雄 198006 「アメリカの社会復帰活動について―カリフォルニア州北部を例として―」、『臨床精神医学』第9巻6号:pp712-713

米国の精神医療は1963年の地域精神衛生センター法以来地域医療が中心となってきている。けれど、この趨勢は地域社会に受け皿ができてから、在院者数が減少したのではない。
 むしろ退院者数の減少が先行し、その地域体制を整備する以前に社会へもどってゆき、そのギャップから生じた整備が1970年代で大規模に行われ始めたと思われる。1978年2月の「精神保健に関する大統領諮問委員会報告」は15年間の総括といえるものである。DJ.Finkらは米国の地域精神医療は、病者の居住や就学や生活保障など、まるで福祉活動であり、医学的側面が相対的に低下して医者の参加も少なくなってゆくのではないかと批判している。また、地域活動は医療サービスにとどめるべきではないかとの意見も多い。これについてL.Mosherが述べているように、Community Support Systemは予想以上に症状のコントロールに有効であり、それは例えば、New YorkのFountain Houseの活動の成果を見ても明らかである。だから、入院を基盤としない家族療法と、多様な入院代替施設を含む居住治療システムの発展こそ望ましいとする考えがある。いずれにせよ、米国の公式な見解は精神障害者を施設内ケア―から地域内ケア―に移すことにあることに変わりはない。
 けれど、地域社会に移しただけであっても規模が小さくても、閉鎖的、拘禁的な環境では慢性化した社会脱落症状をつくってしまう。
 だから地域内施設の質的な向上が課題となってくるし、そのためにも一定のキャッチメントエーリアの中にリハビリテーションや健康な機能維持の事業を設けてゆくことが目下の急務である。これが大統領諮問委員会の結論であり、Bates法にもあらわれている今後の目指す方向の内容であると思われる。 (北野病院神経科)


●1981年

○1981   「「精神病」者グループごかい」発足

○1981118 刑法改悪・保安処分阻止全国総決起集会
 『日本労働年鑑』第53集 1983年版 第二部「労働運動」XII「政治的大衆行動と平和運動」

●1982年

◆NHK取材班  19820320 『あすに挑む―― 障害者と欧米社会』,日本放送出版協会.

「こうした脱病院化の動きを取材するために、私たちは、ニューヨーク州精神衛生局に新しい型の精神病院の紹介を依頼していた。紹介されたのは、ニューヨーク州立サウス・ビーチ精神衛生センターであった。このセンターは、1969年、精神医療の地域化がすすむ中で設立された地域指向型の州立病院で、ニューヨーク市の中心部から車で1時間弱、スタッテン島にある。担当する区域はスタッテン島全体と対岸にあるブルックリンの西側で、およそ150万人の市民をサービスの対象にしている。ベッド数は400、子どもと成人の精神障害者と、アルコール中毒の入院治療をするためだ。

古い型の州立病院に比較すると、規模が小さい。さらに、このセンターを中心として、担当地区に10か所の診療所があり、ネットワークを作っているという特徴がある。ネットワークをつくることによって、地域の人たちは、精神衛生センターが地理的に手近なところにできてりようしやすくなった」pp156-7

「サウス・ビーチ精神衛生センターは、スタッテン島の海岸通りにある。付近には海水浴場もあり、敷地はかなり広い。センターは金網に囲まれているが、特に監視が厳重だということもなく、正面玄関にガードマンがいるわけでもない。
 敷地の中は、入院棟、事務棟、職業訓練棟などがある。入院棟はすべて平屋である。扉には鍵がかけられているが、窓には鉄格子はなく、部屋の中は外の陽ざしがさしこんで明るい」p160

「ここに記された患者の権利や治療に関する手続きは長たらしく、ある意味で味気ないものである。しかし、こうした権利の行間を読んでいくと、かつての州立病院で、精神障害者がどのような扱いを受けていたかが浮かびあがってくる。[……]
 私は、ニューヨーク州発行のパンフレットを読みながら、1960年初頭の巨大な収容所での生活についてペンハーストの所長が語ったことを想い出した。

「……トイレには石鹸やタオルもなく、トイレットペーパーさえありませんでした。シャワーは集団で使い、プライバシーはまったくありませんでした。床は汚物でまみれ……あたかも強制収容所のようでした。」

 1960年以前の障害を持つ人たちの生活が、いかに苛酷なものであったかということは容易に想像できる。それが1960年代を境に大きく変わったことは確かだ。今まで紹介してきたことは、アメリカでも先導的な部分で、全般的にはここまできているとは言えないかもしれない。しかし、障害を持つ人たちを社会から隔離してしまい、社会には障害を持つ人は一人もいないかのように考えてきた健常者を中心とした社会は否定されようとしている。 それでは、具体的に何をすればいいのか。世界各国で今ようやく模索を始めたというのが現状ではなかろうか」pp168-70

◆藤森 正大  198207 ≪海外便り≫「アメリカにおける精神科領域の問題点と薬物療法の動向」、『臨床精神医学』第11巻第7号:pp909-910

入院患者が減少した理由には2つある。第1は、1955年からアメリカでもphenothiazineを主とするneurole-pticaが使い始められ、外来治療が容易になったことであり、第2は1962年から、John F. Kennedy元大統領の発案によりCommunity Mental Health Center (地域精神医療センター、CMHC)という構想が打ち出され、患者はできるだけ地域社会で面倒をみるようになったことである。[……]
とくに著しいのは、州立精神病院あるいは群立病院の患者の減少である。アメリカの州立病院の規模は日本より大きく3,000から7.000人ぐらいの患者を収容しているが、過去10年間で約35の州立病院が閉鎖になった。
 CMHCについてふれると、最初Kennedyが出した計画では全米各地に合計2.000ヶ所作る予定であった。しかし現実には、1981年の統計によると約800しかつくられておらず、しかもそのうち約150は活動していない。この主な理由は予算不足ということもあるが、CMHCで働く意思が少ないことに一番の問題があるようである。[……]
CMHCに関連した動きの一つとして、アメリカでは4,5年前から、患者をできるだけ地域社会にもどすためにDeinstitutionalization(退院促進)を強力に行っているが、このことについての正式な議論が行われた。肯定派と否定派に分かれて1時間にわたり議論が展開され、聴衆の60%が失敗している方に、40%が成功している方に賛同していた。
 失敗とみる主な理由は、病院から出された患者を受け入れる中間施設が不十分な点にある。すなわち、十分なスタッフと管理のゆきとどいたHalfway House やBoarding House,あるいはDay Care Centerなどの不足である。日本においても5年、10年先に同様の現象が起こるのではないかと思われる。そのさい、中間の受け入れ施設をしっかり作っておかないと、アメリカの二の舞になるおそれがある。(アメリカン。サイアナミッド社レダリー研究所臨床研究部次長)

●1983年

◆加藤 正明  1983 「国際障害者年に寄せて」、『心と社会のメンタルヘルス』第12巻:p223

欧米、とくにアメリカの一部とイタリ―では思い切った処置がとられており、精神医療と福祉が大幅に減額されている。精神科病床が人口1万人対27床という比率は、北欧の現状よりまだ低いが、在院平均日数が530.8日に達しているのは、まさにアメリカのナーシングホームの在院日数に等しい。日本の精神病院の患者1人当たりの医療費平均が5,000〜6.000円というのは、アメリカのナーシングホーム以下であり、アメリカのそれは約10倍の5万円から10万円という高額であるが在院日数が短縮されている。在院5年以上が12万人、10年以上が8万5千人という精神病院の長期在院者の平均年齢は40歳台になっている。今後、高齢社会化とともに増加するであろう老年精神障害者ががこれに加わってくると、中高年の精神障害者対策をいかに樹てるかという重大な課題がある。
 しかし、他方では外来で扱える精神障害者の数は増えているのであって、外来診察が入院よりも経済的に有利であるようにすることが、当面きわめて重要であることは、すでに15年前にクラーク報告が指摘したことである。だがその現実も遅々としており、外来診療がいかに多忙で患者が増えても、経済的に成り立たない問題がある。p223 (東京医科大学)

◆加藤 正明  1983 「アメリカにおける精神衛生の現状」、『心と社会のメンタルヘルス』第9巻:pp116-117

地域精神医療の展開が渋滞しているという悩みはあるが、1978年の「精神衛生に関する大統領委員会」報告の方針が変わったわけではなく、現在推定2,000万の人に対する精神サービスのうち、約半数が一般外来診療所で扱われ、600万人が総合病院外来で治療を受けているほか一時的診療所以外の診療所で230万人、精神科外来で170万人、地域精神衛生センターで160万人の順である。州立・群立精神病院は年間80万人弱を扱っているにとどまる。
 この変化は1955年当時にくらべて、1976年には外来が23%から60%以上に増え、州立・群立精神病院が49%から26%に低下していることことにも示されている。
 これらの状況を反映して、最近Greenblattが興味ある論文「社会的ネットワークと精神衛生」という展望を発表している。ここで「いわゆるサポート・システムとしての社会的ネットワークは、単に親密度が高いことだけでなく、その質が重要であり、ある状況で役立つ社会的ネットワークも、他の状況では役に立たないことがある。たとえばある人が精神障害になった場合、むしろ広がった友人や隣人や知人の方が、きちんとした均一のネットワークよりも、情報を得たり、患者を専門治療にもっていくのに役立つのである。しかし危機の時期には、濃厚で均一的なネットワークの方が心理的支持を準備できると思われる。
 次に社会的ネットワークと精神障害について、それが健康者のためのネットワークとは異なること、精神障害者の場合はネットワークの人の3分の2が家族・親類であり、健康な人が22人から25人の知人や友人をもっているのと対照的である。ただし、精神分裂病患者は家族から助けを求めるのをためらい、彼らにたいしてひどく敵対的であり、家族も患者がはっきりした症状を示さない限り、病気と思っていない。なお退院した精神分裂病患者に対する周囲の敵意や批判は、退院後9カ月以内が最も著しい。
 さらに社会的ネットワークによる働きかけがたいせつであり、本来の核家族よりも地域内に広がった「心理社会的な同族システム」にむすびつく必要がある。病院からハーフウェイハウスや地域ロッジ、アパートへ4人から6人のグループで移動することによって、社会への適応が促進されている。世界中スウェーデン、ゲール、イギリス、ソ連などおのおのの特徴ある同族システムを発展させている。それはAAと同様な自主的集団として分裂病集団、ギャンブラー集団、回復者集団が広がっている」。
 Greenblattの述べるようなサポート・システムの発展によって「脱入院」を促進させていく方向は、経済制約のなかでも依然としてつづけられていくと考えられる。pp116-7
(国立精神衛生研究所)
 

●1984年

○19840313 宇都宮市報徳会宇都宮病院 看護職員のリンチで患者2名死亡が判明

○19840913 厚生省が精神病院の患者処遇へ指針作りを始める

◆戸塚悦朗/広田伊蘇夫 編 19841101 『日本収容所列島――精神医療と人権I』 亜紀書房

「一九五〇年代以降ははイギリス・アメリカをはじめ全世界で精神医療の大改革が進行している。入院中心主義から、外来・地域医療中心主義へ、強制から自由への改革だ」p58  戸塚悦朗(弁護士)

●1985年

○19850116 日精協が厚生省に「強制入院・隔離見直し」と「精神科医療費の引き上げ」を主に精神衛生法の改正申し入れを行う。

○19850326 宇都宮地裁 宇都宮病院前院長に懲役1年の実刑判決

○19850331 前年実施された「精神衛生実態調査」の結果のまとめが出された

○19850323 精神医療人権基金発足(運営委員長、柏木博日弁連元会長)

○19860423 病院を抜け出した措置入院中の患者が路上で警察官をナイフで殺傷・横浜

○19850505〜16 国際法律家委員会、精神医療人権基金合同第一次調査団 宇都宮病院事件関連で来日調査 *

○19851019 厚生省 精神病院入院患者の通信・電話・面会について運用ガイドラインを通知*

○19851100 大阪精神医療人権センター開設(同年 東京精神医療人権センターも開設)* 

●1986年

○19860515 通院やめた精神障害者に保健所が訪問指導を始めることを決める
※再発予防と社会復帰の促進を図るためとされているが、治療中断による凶悪犯罪の防止目的がある。

○19860726 公衆衛生審議会が精神障害者の社会復帰促進に関する意見書をまとめ厚生省に提出した。
※「わが国の制度、事業面の立ち遅れは否定できない」と早急に是正が必要なことを指摘。施設の整備、事業実施、関係職種の人材育成、行政の体制整備など。

◆秋元波留夫  198608 「精神障害者の地域サービスはどうなっているか―「共同作業所」の実践から―」、『臨床精神医学』第15巻第8号:p1327

わが国の精神病の人たちに対する病院ケアと地域ケアのレビューは、おのずからそれらの欠陥を改革するために何が必要かの解答を導きだすだろう。
 1.病院ケアと地域ケアのアンバランスを是正するために、これまでの病院ケアに偏向したわが国の精神保健施策を方向転換すること。
 2.精神病院を慢性患者の収容所から治療とリハビリテーションの拠点に改革すること。ただし、アメリカの「脱施設施策」の轍を踏まないこと。
(都立松沢病院) 

○19861001 国立精神・神経センター設置*

◆金子 嗣郎 198610 「精神衛生法改正について」、『心と社会のメンタルヘルス』第12巻:p362.

私見では、精神衛生法改正改正を含めて、精神科医療の問題で最も重要なことは、患者がどのような質の生活をし、どのような質の治療をうけているかということである。この二点quality of life,quality of treatmentについては、入院患者であろうが、地域ケア、外来通院の患者であろうが、共に質のよいものが保障されなければならない。
 精神衛生法の改正にあたって、前者については法を福祉的方向と施策とを明らかにすることが大切であろう。この点を見逃すと、アメリカ、イタリアの脱病院化におけるように、bag pepleの増加をきたすことにもなろう。
 後者についてみれば、いわゆるハード面では精神病院の建築、設備の向上、改善が必要となる。アメリカにおけるワイアット対スティクニー裁判におけるジョンソン判事の基準が、わが国の医療費、生活習慣の上かみて妥当なものであるかどうかは別としても、このような判決もあることを留意すべきであろう。p362 (都立松沢病院)

◆小田 晋  198610 「現代精神医療論の陥穽と迷走―精神衛生法改正によせて―」、『心と社会のメンタルヘルス』第12巻:pp366-367

一部では、米国およびイタリアが精神病院を廃止し、脱入院化政策にふみきったことを賞賛し、日本もその範例にならうべきことを主張する声がある。しかし反精神医学の主唱者であるBasagliaの主唱の下に精神病院の閉鎖にふみきったイタリアにおいても、ローマのような大都市では、法の執行そのものが困難で、精神衛生関係者は「むしろ大都市そのものを解体する他ない」と述べていると、イタリア・モデルに対して最も好意的な「週刊朝日」のルポタージュも伝えている。米国の場合、脱入院政策の始まった1970年代以降の研究は、それまでと異なって精神障害者の犯罪率や暴力犯になる逮捕率が一般人口比より高いことを述べるようになった。また、Steadman,H.らのように、この増加を近年の患者を地域に移動させる医療イデオロギーおよびその結果「抛り出された」患者が高犯罪率地域に移動したことに求める論文もある。Geller,J.は、「放火―脱入院化の予測されざる帰結」という論文の中で、州立病院から退院して地域医療サービスに移された一群の患者が、自分の不満を表現するための意思表示放火(communicative arson)という新タイプの放火を行うようになったことさえ報告する。また、Brawn,P.らの展望をみると、脱入院化政策によって患者の長期予後、社会的予後は少なくとも改善されていない。こうなると慢性分裂病患者の病態像は、hospitalismによる人工産物だという説にも疑問が生じる。「最も非拘束的な治療的代案」(least restrictive therapeutic alternative)である中間施設nursing homeの効果についても、Linn,M.らの研究は、nursing homeに移した患者の方が病院の改良された病棟に移した場合より予後は不良であるとしている。CMHCを中心とする米国の地域医療神話にも再検討を加えなければならない時が来ているようである。
pp366-7 (筑波大学 社会医療系)

◆池末美穂子 佐藤久夫 本家慶昭 森川英一 19861120 『「精神障害」のベクトル』 ミネルヴァ書房

「精神病院は三十年代から登場した向精神薬など医療技術面の進歩にも関わらず、治療の場としての側面よりも隔離収容の場としての側面をその主たる機能として持ち続けてきた。……
全体として病床数の増大、入院期間の長期化が進行し、閉鎖病床率もほとんど減っていないのが現状である。アメリカやイギリスなどで大幅に病床を減らし、地域で支える体制を充実してきた同じ時期に、わが国ではこのような事態が進行してきたのである」p6 佐藤久夫 日本社会事業大学助教授

○19861223 厚生省・公衆衛生審議会精神衛生部会が精神衛生法改正へ向けて中間メモを厚生省に提出
※ @地域精神保健対策
  A入院制度等…(1)自由入院の法定化、(2)同意入院の見直し(指定医の診断、定期的にチェックする仕組み)、(3)入院患者の人権確保(入院継続可否のチェック、行動制限、信書の発受信、保護室の使用)
  B精神障害者の社会復帰・社会参加の促進

●1987

○19870130 厚生省が各省庁に精神障害者の欠格条項の見直しを要請
※精神障害者であることだけを理由に権利や資格を制限する条項。調理師法、栄養士法、美容師法、理容師法、公衆浴場法、警備業法、通訳案内業法、風俗営業法、診療放射線技師および診療エックス線技師法、製菓衛生師法、鳥獣保護および狩猟に関する法など。
○19870225 精神衛生法改正案要綱・要旨の発表

○19870601 身体障害者雇用促進法改定(障害者雇用の促進等に関する法律と題名を改正、精神障害者にも対象範囲を拡大、法定雇用率に知的障害者を含む) * 

○1987   精神衛生法改悪阻止闘争

秋元 波留夫 19870610 『精神障害者の医療と人権』 ぶどう社. 

 「脱施設化政策は、もともと第2次世界大戦以後の精神医学の進歩と障害者の人権擁護を2本の柱として、理想主義的な色彩の濃い、したがって現実とギャップをもつ施策だから、蹉跌や破綻を覚悟しなければならない弱点というべきものをはじめからもっていた。
 1970年代の破綻は、脱施設化政策の要である地域でのCMHCをはじめとする、精神病院に代わるべき、地域ケアシステムがほとんど整備されないまま、州立・郡立病病院からの大量の、しかも重い慢性患者を退院させたことが第一の原因である」 p99

 「アメリカの脱施設化と地域リハビリテーションの歴史と現状を、私自身の眼で確認することができた事実を重点をおいて概観した。……
脱施設化に蹉跌をもたらした地域精神保健体制の不振、停滞は、精神保健体系法(1980年)の施行によってストップされ、地域精神保健センター、地域精神保健協会、市民ボランティア組織による精神障害者の自立を援助するさまざまな取り組みが展開されている。そのなかで注目されるるのは、精神障害者による精神障害者のための自助組織としてはじまったファウンテンハウスの存在である。それは地域リハビリテーションのモデルとして、いま全世界に影響を与えている」p129

○19870919 精神衛生法案(新・精神保健法)が成立(1988年7月1日より実施)・・・社会復帰の理念が始めて法律に盛り込まれた。

○19870926 精神衛生法を改め精神保健法公布 * 

●1988

○19880217 厚生省 精神障害者の社会復帰施設運営要綱を都道府県に通知*

19880219 改正精神衛生法(新・精神保健法)により、精神障害者の社会復帰と自立の促進のための施設として「援護寮・福祉ホーム、通所授産施設」を制度化し、その設置・運営要綱を各都道府県に配置

○19880522 「精神障害回復途中者の社会復帰に関する調査」発表(総務庁)

○19880701 改正精神保健法実施日に、厚生省が各都道府県に「社会復帰施設の設置を急がなくともよい」と通知する

○19880905 精神障害者に証明書(手帳)発行の予算化
     通院患者のリハビリに協力を得るため、事業所の開拓へ。(都道府県→保健所)


秋元 波留夫 監 共同作業所全国連絡会 編 1988 『アメリカの障害者リハビリテーション』,ぶどう社.  

「アメリカでは1960年代初頭にはじまった合衆国および州の脱施設化政策によって、全米の公立精神病院から多数の精神障害者が退院して地域で生活するようになった。地域精神保健センターをはじめとする地域サポートシステムの整備が脱施設化のテンポに追いつけなかったこと、合衆国政府がそのための財政支出を削減したこと、などの理由が重なって1970年代後半からニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスなどの大都市で浮浪生活をおくる精神病院を退院した元患者がふえはじめて社会問題となっている。1980年以降、世論の批判が高まり、合衆国政府の精神障害者リハビリテーションに関する新しい施策とそのための財政的措置が講ぜられ、改善されているが、まだその後遺症は完全に修復されていない」p15

「資料―1  ファウンテン・ハウス年次報告(1983-1984)

住む家のない精神障害者
ニューヨークの街々で見かける多数の家のない精神障害者の面倒をファウンテン・ハウスが見ようとすれば、私たちの住居計画はたちまち危機に瀕することになる。我われの地域の住居プログラムの拡張することだけでは問題は解決しない。
 私たちの考えるところでは、家のない精神障害者に必要なことは、単に住居を提供することだけでなく、彼らの地域への適応をはかり、将来の住居を確保できるような機会への門戸を開くことである」p140

●1989


●1990年代●

○199010  守山荘病院事件
※措置入院中であった患者が丹羽元労相を刺殺した

○19901227 守山荘病院に対し愛知県が、精神保健法に基づく病院指定の取り下げ、院長辞任の勧告

●1991年

○19910716 「精神保健推進員制度」新設を提言−−厚生省の公衆衛生審議会

秋元 波留夫 19910930 『精神障害者リハビリテーション―その前進のために―』 金原出版.

「アメリカの有力週刊誌タイム(1979年4月2日号)「ニューヨーク、マンハッタン上流の偏見の少ない地域の市民でさえも、精神病院を退院した元患者をたくさん抱え込んで悲鳴を上げている。革新の立場に立つマンハッタン選出のニューヨーク市会議員アントニオ・オリヴィエは、精神病患者のやみくものダンピング(放出)によって、いまアメリカのいたるところの都市に精神病者の居住区・無法地帯が作り出されている。脱施設化(deinstitutionalization)などいう政策は理不尽だ」とその廃止を要求しているいう趣旨の記事をトップに掲載している。ニューヨークの中央公園のベンチにたたずむ全財産をつめた紙袋をもつ女bag-lady,下町の廃屋で暮らす家のない人たちhomeless people の多くが精神病院を追いだされた元患者だと新聞は書きたてた。
 朝日新聞ワシントン特派員は「あてなき旅“ホームレス”」という記事をおくってきている(1982年12月28日、朝日新聞)。
「この豊かな国の底辺で、ホームレスたちが放浪の旅をつづけている。“バッグレディ”はバッグ(紙袋)を提げて放浪する女性たちのことである。ワシントンのボランティア・グループの若者は『いつもの冬の2,3倍は増えましたね。レーガン政治の弱者切り捨ての結果ですよ』と憤慨に堪えない口調である。……ホワイトハウス前にうずくまっていた“バッグレディ”に話しかけると『私?何をしていたかって?一流会社の秘書よ。なぜこんな姿に?裏切られたのよ。男に?いや、男にも女にもよ』という答えである。本当の話なのか、空想をいつかそう信じるようになったのか、彼らに声をかけてみると、例外なく精神的な異常がかじられるのだ。アルコール中毒、麻薬中毒、精神異常、身体障害者、軽症の患者は、コミュニティで生活したほうが治療があがる、という医学的議論の結果、過去20年この方針(脱施設政策―筆者)がとられてきた。だが、ボランティア・グループには、それを理由に病院から患者を追いだしていると疑う者もいる。
 しかし、このパイオニアの国には、敗残者はやはり敗残者なのだ、という割り切りが感じられる。そうでなければ、レーガン大統領や、いまをときめく新保守グループの主張する、救済に安じている者が利益を得るのはおかしいとの理由で、年金や社会保障手当てに税金をかけようといった議論がかなりの支持を集めたりしないだろう。」」pp91-2

○19911200 国連総会「精神病者の保護及びメンタルヘルスケア改善のための原則」採択*

○19920618 1986年に病院を抜け出した措置入院中の患者が警察官を殺傷した事件で、病院側に管理責任があるとする判決。

○19920715 国際法律家委員会 精神保健法見直しを前に日本政府への勧告をまとめる *
○199207 栃木県喜連川にぜんかれんのセミナーハウス建設(保養施設)の話が持ち込まれる

○19921112 栃木県喜連川のぜんかれんセミナーハウス建設計画が地元に受け入れられる

○19921118 茨城県・県立友部病院、精神保健医療基本計画を発表。全国で初。

○19930200 (大阪)精神医療人権センター大和川病院で入院患者が暴行を受け放置され死亡した事件への取り組み始める*

○19930317 全国精神障害者団体連合会(全精連)発足

○19930318 公衆衛生審議会、精神保健法の見直しに関する意見書を厚生省に提出

○19930611 精神保健法改定公布*

○19930822〜27 世界精神保健連盟’93世界会議開催(千葉・幕張)*

○19931203 障害者基本法交付・・・精神障害者が障害者として位置づけられ、福祉サービスの対象となった。

障害者基本法
○1993年12月3日公布

○19940424 神奈川県・越川記念病院の乱脈診療。県の指導に虚偽の報告。
※精神保健指定医の不在、違法な患者の身体拘束、文書の偽造。県の監視の甘さ問われる。

○19940804 「ハートピアきつれがわ」着工

○19940826 公衆衛生審議会が、結核・精神医療の治療費を公費負担から医療保険で賄うことにすべき、との意見書を提出。

○19940904 「通院患者リハビリテーション事業」の事業主らが「京都精神保健職親会」を設立(京都)

○19950419 阪神大震災で全半壊した神戸の精神障害者共同作業所、市社会福祉協議会が3ヶ所の仮設作業所を建設することになる。

○19950701 精神保健福祉法公布*
○19950701 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(精神保健福祉法)の施行

○199510 精神障害者保健福祉手帳制度が施行

○19951218 障害者プラン策定

○19960625 ぜんかれん・ハートピアきつれがわオープン

○19960729 精神保健福祉がテーマのシンポジウムで国の社会的入院者試算に批判・神奈川
※厚生省試算…入院者33万人のうち「数万人」とみて、2002年までに3万人弱の社会復帰を目標とする。県精神障害者連絡協議会事務局長広田和子氏…「もともと国は三分の一が社会的入院と言っていた。受け皿ができれば6割は退院できるとする専門家もいる」と反論。

○19961125 精神科の休日夜間救急システムの拡大へ・群馬

○19970109 東京都 精神障害者の地域生活支援センターの設置及び専門のホームヘルパー養成を新年度から始めると発表 * 

○19970804 安田系3病院 入院患者0になる(8.8 保険医療機関取り消し。10.1医療機関開設許可取り消し) * 

○19980130 病院内で患者を「準職員」扱いではなく社会復帰促進へ・長野栗田病院

○19980414 大坂地裁 安田病院グループの元院長安田基隆に懲役3年罰金100万円の実刑判決(元院長控訴)

○19990226 元郵便局職員、精神病で長期間休職していたことを理由に免職処分にしたことについて神戸地裁が処分の取り消しを命じた。

○19990910 精神障害者の雇用に向け、事業主らが「県精神保健福祉協力事業所の会」を設立・山梨県

○19990922 厚生省 知的障害者と精神障害者の通所授産施設相互利用制度を通知*


●2000年代●

○2000   大阪府、退院促進事業開始

○20000224 精神障害者授産施設(定員20人)、知的障害者の援護施設(定員65人)の施設建設に対して妨害をした一部住民(建設反対の会)に大阪地裁が妨害禁止を命じた。

○20000609 長野県精神保健福祉ボランティア連絡協議会が発足

○20001130 「精神障害者社会復帰施設あり方検討会」は現在133ヶ所しかない施設を560ヵ所に増やす必要があると報告をまとめた。東京都

○20010215 精神障害者向けの就労センターが渋谷にオープン・渋谷マークシティ『ハートバレーしぶや』

○20010520 日本精神神経学会、偏見解消へ行動計画など策定

○20010602 精神障害者施設の建設反対に「人権侵犯のおそれ」と判断、通知。埼玉県春日部市

○20010608 大阪池田小児童殺傷事件

○20010719 春日部市双里会、計画縮小し施設建設することを県に届け出た

○20010824 「精神分裂病」の名称変更を希望する取り組みが始まる。

○20011113 触法精神障害者の処遇システム検討。自民党が報告書をまとめた。

○20020203 触法精神障害者・政府案

○20020215 触法精神障害者の処遇問題、患者を入院させる施設ちして、全国約30ヶ所、国公立病院を中心に800〜900床の確保を検討

○20020315 心神喪失等の状態で重大な他害行為を行ったものの医療及び観察等に関する法立案、が決定。

○20020401 精神障害者のホームヘルプ制度開始

○20020717 朝日新聞、「精神分裂病」を「統合失調症」に表記変更

○20020823 精神障害者「社会的入院患者、10年で7万人社会復帰目指す」厚生労働省が報告書骨子案。

○20021114 豊明栄病院、作業療法名目で入院患者が院内業務を行っていた県で県が立ち入り調査。

○20021116 政府の心神喪失者処遇法案、今国会断念し修正の方向へ。

○20021224 新障害者基本計画・新障害者プランを策定

●2003年

○20030304 精神障害者を市が臨時職員として雇用・福岡県中間市

○200304  包括型地域生活支援プログラム(ACT−J)開始・国立精神神経センター

○20030618 近畿2府4県、精神障害者が社会復帰する施設整備費の補助を求め、近畿2府4軒の担当部長が厚労省に緊急要望。
※近畿では厚労省と協議した26件のうち4件しか認められなかった。

○20030710 心神喪失者処遇法が正式に成立

○20030828 大阪教育大池田小・児童殺傷事件で殺人罪に問われた宅間守被告に死刑判決。

○20030828 無年金障害者について、初の生活状況調査を発表・厚労省

○20040907 精神障害者グループホームで刺殺事件、機にグループホームの閉鎖決定・茨城友部町

秋元 波留夫・天野 直二・仙波 恒雄 20030911 『二十一世紀 日本の精神医療――過去・現在・未来を見据えて』 SEC出版.

「この「ケネディ教書」の全文は私の『実践精神医学講座』に載っていますが、これまでの施設収容中心の精神障害者対策を地域ケアに転換する具体的政策を提いしたものです。この転機を一口でいうと脱施設化(deinstitutionalization)とノーマライゼーション(normalization)ということになります。脱施設化というのは、精神病院を隔離収容施設から社会復帰の拠点に変えること、ノーマライゼーションとは障害者が差別されないで普通の暮らしができるようにすることです。……
脱施設化が実行された結果、アメリカの精神病床(主として州立病院)は、1950年代の55万床から60年代以降どんどん減少して、80年代には12万台となり、現在全米の州立病院の病床は10万程度、わが国の精神病床の三分の一です。……
 この脱施設化を支えたのが、精神障害者の地域生活を援助するさまざまな仕組み、例えば、行政の中心としての地域総合精神保健センター、生活の場としてのホステル、働く場としての福祉作業所、あるいは自助組織として発展したクラブハウスモデルなどバラエティに富んだ地域リハビリテーション活動でありました。これらが、連邦および州政府の資金的、制度的援助に支えられて発展したことが精神科医療の脱施設化を可能にしたといってよいでしょう」pp.21-23 秋元 波留夫

「米国があれだけドラスティックなことをしたのは医療費が高かったからです。半分の費用ですむ施設に移すという政策がとれたのです。私も『アメリカの精神医療』という本を書いて、脱施設化のインセンティブに経済的な因子が政策を決定したことを証明したかったのです。理念だけでなく、州立病院の財源を減らせることが大きな要因であったのです」p.46  仙波 恒雄

○20060209 厚労省・2011年までに精神病床を5万床削減の数値目標発表

○200605  刑事施設・受刑者処遇法施行

○20060401 障害者自立支援法施行

○20070410 病棟を「退院支援施設」として運用可能に・厚労省

○20070401 ぜんかれん(全国精神障害者家族会連合会)破産。「ハートピアきつれ川」事業譲渡。全国精神障害者家族会連合会(全家連)→全国精神障害者社会復帰施設協会」(全精社協)へ。負債総額約11億円。

○20071001 PFI方式刑務所開所・播磨、喜連川(4月・美弥(山口県))


*作成:三野 宏治
UP:20090620 REV:20090817, 20090907,0923,20100812, 20211008
施設/脱施設  ◇精神障害/精神医療  ◇クラブハウスモデル 
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