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精神病院/脱精神(科)病院化

施設/脱施設  精神障害/精神医療

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病棟転換型居住系施設

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『生存学』3 表紙 ◆立岩 真也・天田 城介 2011/03/25 「生存の技法/生存学の技法――障害と社会、その彼我の現代史・1」『生存学』3:6-90 *お送りできます。

 「立岩 […]海外由来の脱施設の主張の流行があり、さらに、こちらはおもに(高齢者でない)障害者というよりたくさん数出てくる高齢者のことを考えた場合に、施設作っていったって足りない、在宅だということになるのはそれから十年ぐらい経ってからだと思います。ここにも、一方で脱施設運動の無視があり、後になって自分たちもそれを主張しているとか、前からそうだったとかいうことになる。ここでも学界・業界で「もっともな」ことが語られるその語られ方に注意深くなければならないということは言えます。精神病院についても同様のことが言えると思います。病院を増やすことを主張してきた人がある時期から別のことを言うようになったりします。それ自体がいけないと言うつもりはないのですが、その辺りの経緯・事情は調べておいた方がよいだろうと思います。三野さんが博士論文で取りあげてくれるだろうと思いますけれど。」

 「立岩 ちょっと脱線するけど、病院はだめで脱病院がいいと、基本的にそれでよいとして、病院というもの、精神病院というものはどういうものであったのかということだって、知らない。末安さんから聞いた話で、例えば田舎の精神病院の職員とかもけっこう病院に住みこんだりしていたっていうことがあったりする。その空間って、がっと増えていく時の精神病院とかそうやって田舎の方にあってわりとのんびりやってきた病院とか、違うかもしれない。
 それから、松沢病院みたいな有名な病院でも看護師の資格とか全然ない人を街から集めてきて、それで明日から、みたいな感じで働いてもらっていた。無資格看護師みたいな。そういうエピソードみたいなのも含めて病院ってどうだったのか、働いていた人も含めて。それをやってないっていう話を末安さんとしていて、特に彼は看護師だから医者が書いたものはいっぱいあるけど、看護師ってどうだったのってかといえば、ないんだそうです。今はいろんなところで聞き書きをやっていて、こちらの若い院生がついていって、一緒に聞くといいねみたいな話をしています。
天田 面白いところです。僕も知り合いの看護師に聞きましたが、この一〇年・一五年で大きく変わったといいますけども、例えば、田舎から出てきた娘が郊外の精神病院に雇われる際、なぜか母親や妹も一緒についてきて、家族で精神病院で働くみたいなことがあったようです。家族で精神病棟の女子病棟で働く。だけど、辞める際に困る。家族がみんなで働いているので、なかなか辞めるのに苦労するみたいな状況があったと言っていました。これも経済成長にともなって増設されていった病院がどのように働き手を雇ってきたのか、そこでの現実はどうであったのか、戦後において看護労働がどうなっていたのかというのは、詳しくは知りませんけど、記録としてほとんど残ってないんじゃないかなって気がしますよね。
立岩 多分文書にはなってない。大きな病院だと、なんとか病院何十年史みたいのがあったりもして、それはそれでほとんど誰も読んだことないものだから、新たな資料・史料として使えたりもするでしょう。そういうものは基本的には自らを賛美しているわけで、だから書いてないことも当然ある。ただ、それでも書いてあったりね。すると、この時には問題視されてなかっことがそれでわかったりする。そういう使い方もある。
 あとは、文字資料として存在しないから、聞くしかないですよね。これはある人々には「耳タコ」の話で何度も言ってきたことだけど、今そういう人たちが八〇、九〇になって、話をうかがうのが非常に困難な状況になってきている。聞くとしたら今しかない。僕は人の本はあまり褒めたことないのですが、でも、たまに褒めることがあって、必ず褒めることにしているのは大林道子さんの『助産婦の戦後』(大林[1989])です。一九八〇年代に、GHQの時代から働いてきた方々、助産師の協会で活動していた人たちにインタビューして本にしたんですけど、その時八〇歳とかですからね。もう大概の方はご存命ではない。もちろん、あれはあの時しかできなかった研究というだけでなく、理論的な含意も非常にある本で、よい本だと思っていますけど、そんな立派な研究じゃなくても、やれることが時間的に限られているというのがあります。
 そういうことを調べます、と書いた二〇一一年度の科研費の申請書類を、ちょっと大きめの金額で、送りました。書類たいへんだったんですけど、当たればそのお金使ってそういう研究を、僕はできないので、皆さんにしてもらいたいなと思っています。」

■関連事項(別頁)

精神病院/脱精神病院化・報道
施設/脱施設
精神障害/精神医療 
アメリカの脱入院化
精神病院不祥事件
「精神科特例」関連



国立精神・神経医療センター(旧:国立武蔵療養所)
松沢病院
十全会闘争(1967-)
東大病院精神神経科病棟(通称赤レンガ)占拠・自主管理(1969-)
岩倉病院問題(K氏問題)(1974-)
宇都宮病院事件(1984-)
◆陽和病院
藤澤(藤沢) 敏雄(精神科医,1934〜2009)
 1981〜1985年院長
島 成郎(精神科医,1931〜2000)
 1985〜1989年院長
森山 公夫(精神科医,1934〜)
 1990年〜院長
◆同和会千葉病院
 http://chiba-hp.on.arena.ne.jp/gaiyo/gaiyo.html#4
仙波 恒雄(精神科医)
 1970〜2007 同和会千葉病院院長
計見 一雄(精神科医,1939〜)

■全文掲載

三野 宏治 2009/06/07 「アメリカにおける脱入院化――ケネディ教書以前とその後」
 第7回社会福祉学会報告原稿 於:日本福祉大学名古屋キャンパス

■文献

◆仙波 恒雄 矢野 徹 19770310 『精神病院――その医療の現状と限界』,星和書店,345p. ASIN: B000J7TT42 3300 [amazon]※ m. i05. i05m
杉野 昭博 1994 「社会福祉と社会統制――アメリカ州立精神病院の『脱施設化』をめぐって」,『社会学評論』45(日本社会学会)
◆風祭 元 20040417 『松沢病院院長日記』,星和書店,235p. ISBN-10:4791105346 ISBN-13:978-4791105342 2940 [amazon][kinokuniya] ※ m.i05m.

■言説

◆秋元 波留夫 19610615 「精神衛生運動の組織と展開――啓蒙運動から実践活動へ」,『精神衛生』69(1960年10月、第8回日本精神衛生連盟全国大会における特別講演に加筆)→秋元[1971:250-268]*
*秋元 波留夫 19710715 『異常と正常――精神医学の周辺』,東京大学出版会,299p. ISBN-10: 4130050648 ISBN-13: 978-4130050647 \2520 [amazon][kinokuniya] ※+[広田氏蔵書] m.

 「精神病院の問題は、アメリカなどではすでに解決ずみと思っていたが、私がアメリカをみた折に、州立病院の中には、なお相当レベルの低いものがあった。ある州立病院では二百人の患者に対して医師一人ということで、わが国の状態の方がはるかに良いと思ったのである。先日、アメリカの国立精神衛生研究所のジョージ・スティンソンの精神衛生に関するある著書を読んでいたら、州立病院の中には、まだ病院(Hospital)という名前に値しない単なる収容施設(Habituation)にすぎないものが残っている、その改善が急務であると書いていた。彼は、これを改善する方法として、州の公衆衛生行政当事者が精神衛生にもっと積極的な関心を持つことが急務であり、さらに必要なことは優秀な精神科医をひきつける魅力を病院が持つことであり、そのための要件は単に医師や看護婦、職員のサラリーをよくすることだけでなくて、彼らの研究意欲を満足させるような設備と費用を州が提供することだといっているが、これは妥当な意見である。実際、州立病院の中にも、たとえば私のみたニューヨーク郊外のクリードモア病院のように、コロンビア大学と連携して充実した研究をやっているところでは、臨床方面も活発で、精神病院としても立派である。」(p. 259)

◆秋元 波留夫 19640516 「精神医学の新しい課題」,『日本医薬新報』1964.5.16→秋元[1971:160-169]*
*秋元 波留夫 19710715 『異常と正常――精神医学の周辺』,東京大学出版会,299p. ISBN-10: 4130050648 ISBN-13: 978-4130050647 \2520 [amazon][kinokuniya] ※+[広田氏蔵書] m.

 「アメリカの統計では、精神病院の入院患者は増加しているが、退院患者の数がそれ以上に多いために、在院思者の数はしだいに減る傾向にあることが指摘されている。アメリカでは精神障害者のための収容施設がわが国と比べるとはるかに整備されているが、それでも一時は病床の不足に悩み、州立病院では定員をうわまわる入院患者をかかえ、医師や着護婦が不足したことがあり、世論から、州立病院は「蛇の穴」(Snake-pit)であると攻撃されたが、薬物療法の発展はこのような状勢を一変させている。アメリカの精神衛生対策は、精神障害者を収容するための巨大な施設を作るこ<0164<とから、医学的診療と社会復帰後のアフター・ケアを組織的に行なう精神衛生センターを地域的に分散してつくっていくように変わっているが、このような変化は、精神疾患の治療が進んだ結果にほかならない。精神医学の新しい課題の一つは、社会から隔離された精神病院を社会の中の精神病院に変えてゆくことである。」(秋元[1964→1971:164-165)

 「精神病質はその実態を把握することが、精神薄弱に比していっそう困難であるが、最近の犯罪事件の中には、精神病質者の犯行と思われるものが少なくなく、その実態を明らかにして、適切な処理を講ずることは、社会秩序をまもり、社会生活の安定をはかるためにも、きわめて必要なことである。しかし、この方面の研究や施策は、わが国ではごくわずかな研究者以外にはほとん手がつけられていない状態である。精神病質の問題は、けっして新しい課題ではないが、精神医学にとって依然として重大であることはいうまでもない。
 ところで、これらの調査によって明らかにされたわが国の精神障害者はどのような治療、管理、保護をうけているだろうか。調査の結果は驚くべき数字を示している。まず、医学的治療を必要とする精神病についてみると、分裂病などの、さまざまな精神症状をもち、なかにはその症状の<0167<ために自分だけでなく、周囲に危険を及ばすおそれのある患者も合まれている、精神病患者の約五〇%がまったく医療をうけることなく放置されているのが、現実の姿である。精神博弱は、医療の対象であると同時に、教育の対象であり、重い精神導弱のためには、医療と教育とをかねた精神薄弱者サナトリウムやコロニーが、また、比較約軽いもののためには、そのための特別な教育施設や職業補導所が必要である。しかし、そのような機会をめぐまれているのは、わずかにそれを必要とする精神薄弱の九%にすぎないことを厚生省の調査は示している。精神病質者にいたっては、どこにいるのか、見当もつかない状態で、社会のいたるところに生息しているのが現実である。
 このように精神障害者の診療の実態は、ヨーロッパやアメリカの現状とくらべて、劣っているが、その理由は、第一には、精神障害に関する社会一般の理解の不足、ないし、偏見によるとこちが大きいと同時に、これと関連して国家的施策が貧困であるためでもある。わが国の精神障害に対する医療施設についてみても、精神病のための全国の病床数は十四万床であって、入院を必要とする患者の最小限度の数が三十五万程度とみつもられるから、必要数の三分の一程度をまかなうことしかできない。したがって、精神病院の病床利用率は一般病院のそれが八〇%程度であるのに一〇〇%をうわまわっており、定員以上の患者を収容しなけれぱならない状態てある。人<0168<口一〇〇〇に対する病床数は国によっていろいろ差があるが、文化国家といわれるところでは三十〜四十台であるのに対して、わが国はわずかに十四にすぎない。日本は、人間が多い点での大国かもしれないが、この点に閑するかぎり、文化国とはいえない。
 私はば精神医学の新しい諜題というテーマに答えるために、まず、精神医学の診療面における現状と、それから、わが国の村神障害者のおかれている実態について述べた。私は、学間としての精神医学が持っているさまざまな課題を指摘したけれども、しかし、学問の現状と、わが国の枯神障害者のおかれている実態との対比から明らかなように、その問のギャップはあまりにも大きい。精神医学の最も重大なこれからの課題は、両者の間のギャップをうずめ、精神医学の進歩が精神障害者の医療に直結する条件を作る努力をすることであると考えるのである。精神医学の真の進歩も、このような条件の設定なくしてはのぞめないであろう。」(秋元[1964→1971:167-169)

◆秋元 波留夫 19650615 「呉秀三先生と精神衛生法」,『精神医学』7-6第七巻第六号、昭和四十年六月十五日『(昭和四十年二月十三日に開催された第五十八回関東精神神経学会のシンポジウム「呉秀三と病院精神医学」における講演)→秋元[1971:206-219]*
*秋元 波留夫 19710715 『異常と正常――精神医学の周辺』,東京大学出版会,299p. ISBN-10: 4130050648 ISBN-13: 978-4130050647 \2520 [amazon][kinokuniya] ※+[広田氏蔵書] m.

 第一回答申(昭和三十九年七月二十五日)
 「精神科医療施設の主要部分を占める精神病院は、量と質の両面で多くの問題を含んでいる。量の点では病床の不足が速やかに解消されなければならない。人口一万に対する病床数を現在の一四から、五年以内に少なくともニ〇まで増加すべきであると答申は主張している。精神科病床を計画的に増加して、入院を必要とする患者を収容することができるようにするのは、精神障害者<0211<の野放しを解決する最低条件である。これを国の責任で行なうように改めなけれぱならない。現行法が精神病院の設置を都道府県の義務としながら、指定病院制度の存続によって、この義務が名目的になっていることも審議会で論ぜられ、現行法第四条の但し書、設置義務の延期を改正法では削除すべきだとの意見もあったが、これは採決されなった。そして答申では、都道府県あるいは営利を目的としない法人が設置する精神病院、および精神病院以外の病院に設ける精神病室の設置およぴ運営に要する経費に対する、国の補助の増額を要望するにとどまった。しかし精神科病床の増加と整備については国としてもっと緻密な計画をたて、これまでのように民問の闘士にゆだねるだけであってはならない。この点は答申が強く要望しているところである。病床の増加とともに、精神病院の質の向上も当面の重要課題である。」([211-212])

◆厚生省公衆衛生局 19651101 『わが国における精神障害の現状』,大蔵省印刷局,442p. ASIN: B000JA82MY 1800 [amazon] ※:[広田氏蔵書] m.

第1章 精神障害と精神衛生 加藤正明 1-2(全文収録)

 「最近各国ともに地域社会中心の精神障害者の社会復帰対策が急速に発展しており,たとえばイギリスでは1959年の法律改正以来,夜間寮と昼間通所施設を全国に組織設置することによって,人ロ1万人対田床の精神科病床を18床に減少させる計画がすすめられており,アメリカではとくに1963年のケネディ教書以来,各地域に総合的精神衛生センターを設置し,官私立の昼間通所施設を増やし,巨大な州立精神病院を改変していくなどの計画がすすめられている。
 わが国の精神科病床の8制は私立であり, 2割が官公立であるに過ぎず,医療職員の不足,医療費問題の不備,各種の専門職員の身分や権限の不安定などの諸条件のため,真に精神障害者の社会復帰を促進させるための体制ができていない。」(加藤[1965:2])

第5章 精神病院の統計 百井一郎

 4 精神病院および精神病床の普及状況
 昭和38年末現在におけるわが国の全病院数は6, 621施設で人ロ10万あたり6.9施設, 1病院あたりの人口は約1万5千人である。精神病院数(単科)は30年に260施設であったのが38年末では2. 4倍の629施設,さらに39年1月末では633施設となっており,一般病院で精神病床を有する施設数は225施設で精神科施設総数は958施設を数えるにいたった。
 なお,人ロ10万人あたりの全病床数,精神病床数,結核病床数,一般病床数の年次推移は表13のとおりである。結核病床数を除いていずれの病床数も増加している。また,とくに諸外国における精神病床の保有状況を表14によってみるとわが国の精神病床数がいかに少ないかがわかる。
 また,都道府県別に経営主体別に病院数,病床数,普及状況を附及状況を附表に示しているが地域的に非常な差がみられる。
 精神衛生法は都道府県に梢神病院の設置を義務づけているが,県立精神病院または精神病室の全くないのは埼玉,千葉,石川,滋賀,烏取,広烏,愛媛,佐賀,大分の9県である。この9県以外に,精神病床を有してはいるが,単科の県立精神院を有しないの<0099<は秋田,富山,岐阜,奈良,島根,徳島,香川の7県であり,つまり精神病床のみの県立単独精神病院を有しないのは16県となる。
 人ロ1万あたりの精神病床数は39年6月末で15.1床となっているが,都道府県別にみるとその普及状況には非常な差がみられる。もっとも低いのは静岡の8.1床,ついで岩手(8.6)の両県で他はいずれも10.0床を越えている。一方,もっとも多いのは鹿児島の24.6床で,ついで徳島(23.4),熊本,宮崎(22.5),福岡(21.6),高知(20.7)でいずれも20床以上であり,中国,四国,九川地方は全般的に精神病床の普及がよく,東北,関東,東海地方は低くなっている。(附表1-2)

日本 1963 794,044 136,320 83.4 14.3
アメリカ 1960 1,657,970 91.8 43.7
西ドイツ 1960  553,424 91,351 111.4 18.4
オーストリア 1960 76,170 12,131 107.6 17.1
デンマーク 1959 46,118 16,098 101.4 35.4
フランス 1959 657,200 88,000 145.7 19.5
アイルランド 1960 60,293 20,609 212.8 42.0
イタリア 1959 439,893 106,607 89.1 72.7
スコットランド 63,589 22,052 121.0 42.0
スェーデン 1960 116,681 32,940 156.0 44.0
ソ連 1,739,200 162,200 81.1 7.6

 5 精神病床の利用率
 精神病床の年問利用率を年次別にみると表14のとおりで,毎年100%をこしている。ということは,精神科では許可病床数をオーパーして精神障害者を収容していることである。全国平均で110%ちかい数字を示しているが,病院によっては許可病床数をはるかにオーパーして入院させておく病院もある。これはまさに人道問題であろう。いずれにしても精神病院が,いずこも満員の状態である理由としては,第1に要入院患者数に比して精神病床が極度に不足していることであり,第2に,精神病室の多くは畳敷であるため多少の無理をすれば収容できることなどであろう。いずれにしても許可病床数を上回って入院させておくことは早急に改善しなけれぼならない。
 なお, (単科)精神病院の病床利用率はその他の病院の精神病床の利用率よりも常に高い。しかし,一般病院精神病床の利用率は昭和36年3月までは100 %をこしたとがなかったが,同年4月以降はほとんど常に超過入<0100<院を続けている。なお,経営主体別に病床利用率をみると,法人・個人立の精神病床利用率は国公立などにくらべて高くなっている。(表16)

 6 精神病院の経営主体別構成
 わが国の精神病床の約8割は私的医療機関で占められていることは,諸外国がその殆んどを国公立で保有して[ママ]のとくらべてはなはだ特異的である。このことの良し悪しの議論はさておいても,精神障害の特質上,とくに性格異常,重症精神薄弱,重度心身障害,小児精神障害,中<0101<毒性精神障害等の患音は国公立の医療機関で医療保護を加えるべきであると主張されていることからも,今後の増床を図る必要がある。年次別にみた経営主体別による情神病床数と増床数の推移は表17に示すとおりである。
 […]<0102<<0103<<104<
 […]
 9 精神病院における在院日数
 昭和38年における全病院の平均在院日数は推計58日で,これを病床種別にみると,特に長いのはらい病床の9,337日(約26年)で,ついで精神病床の393日,結核病床の384日となっており,昨年にくらべてさらにながくなっている。ー般病床は30日である。とくに精神病床についてみると,単科精神病院の病床は424日で,一般病院精神病床は275日で前者の方が150日も多くなっている。
 なお,精神病床について開設者別にみた平均在院日数の年次推移を示したのが表26であるが,同種の病床においても開設者別によっていちじるしい差がみられ,年々延長の傾向がある。この原困としては,精神科治療の進歩によって治療効果の期待性が高まったためよくなるまで在院させようとする傾向が強まったこと,医療保障制度の進展とともに医療費のうらずけと見とおしができてきたこと,また一方では老年者の患者が多くなり,漸次引取リ人がなくなってきたことなどがあげられよう。
 平均在院日数の算出は次の方法によっている。
 平均在院日数=
        年間在院患者延数
 ――――――――――――――――――――
 1/2x (年間新入院患者数十年間退院患者数)
 […]<0105<」

◆石川清 19690625 「医学部闘争のなかで」,田畑書店編集部編[1969:86-114]*
*田畑書店編集部 編 19690625 『私はこう考える――東大闘争・教官の発言』,田畑書店,316p. ASIN: B000J9N2RA 540 [amazon] ※ tu1968.

 「大正八年(一九一九年)に新たに精神病院法が発布されたが、これは既存の私立病院に補助金を与え、その患者の入院費を公費で負担するという姑息的な内容のものにすぎなかったし、降って戦後昭和昭和二五年に改正された精神衛生法でも、国もしくは都道府県の精神病院の設置、運営についての義務規定は有名無実であって、この点はその後改正されないままに今日に至っている。つまり政府は金を出さずにロを出す式の態度を精神科医療について明治以来一貫してとっており、国はその責任を都道府県に、都道府<0094<県は、さらに私的医療企業こ押しつけており、こういう合理化、制度化によって実質的責任から避れようと計るばかりであった。さらに悪いことは、先年のライシャワー事件や、後の通報制の計画自動車運転免許の診断書問題の際のように、何かコトがあると警察が医療に本格的に介入しようとするのである。こういう次第であるから、わが国で公立精神病院がつくられたのは、都立松沢病院(東京府巣鴨病院の後身)などニ、三の例外はあるが、ほとんどんど昭和に入ってからのことであり、国立に至っては大学病院の少数の病床を除いて、ことごとく第二次大戦後に設置されたものである。しかも精神科病床は現在なお四十万床ほど不足しており、既存の全国の病床のうち、国公立施設に属するものはその二十%にすぎず、他は私的医療機関のものである。この比率は欧米では丁度逆になっている。そしてこれら八十%の私的医療機関のうちにも、もちろんすぐれた診療を行なっているところも少なくないが、しかしおおむね三分の一の私的施設は、昔の私宅監置室が合体して拡張したようなもので、むしろ廃絶した方がよいほどである。」(石川[1969:94-95])

◆斎藤 茂太 19710125 『精神科医三代』 ,中公新書,203p. ISBN-10: 4121002407 ISBN-13: 978-4121002402 250 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「日本の精神医療の現状とマスコミ批判
 昭和四十四年、われわれの属する日本精神病院協会は創立二十周年を迎えた。会員は八十二病院が実に七百五十病院にふえた。東京精神病院協会も九病院がいまは四十五にもなっている。その他、協会に入会していない病院がたくさんあるのである。表面は確かに「盛況」というほかはない。しかし、何事によらずものが大きくなれば、それに平行して弱点も大きくなる。
 昭和四十五年初頭、日本精神神経学会が私立精神病院の一部に対して警告的声明を発表した。それがキッカケとなってマスコミの私立精神病院に対するキヤソぺーソが爆発した。ある新聞の<0182<記者はアル中患者に化けて東京のある病院に「入院」し、病院の内情をセンセーショナルな筆致で暴露した。他の新聞と週刊誌がこれにつづき、われ遅れじと「便乗的」な記事をのせる三流週刊誌もあった。それらの記事の内容を綜合すれば、人権無視、拷問処罰的な治療、金もうけ優先のつめこみ主義、医師職員のモラル低下などをうたったものであった。私は日精協・東精協の理事をしているから責任上、人ごとではないのである。正直のところ毎日の新聞を開くのがこわかった。病院の職員の中には新聞片手に口惜し涙を流している者もいた。
 だが、「悪徳精神病院」などという活字をみるたびに胸が痛むけれど、正面切ってそれらの記事が全部ウソだと反発できないことも残念なことに事実である。警官の中にも飲酒運転をする者もいるのだ。新聞のキヤソぺーンは患者の家族を不安に陥れ、また患者の受診意欲を鈍らせた面もあったが、問題点をわれわれの眼前にさらけ出してくれたことはわれわれも認めるのにやぶさかではない。ただはなはだ残念なことは、そういういわゆる「問題点」がどうして形成されたかをもう少し深く突っこんでほしかった。
 そのよって来るところの第一に挙げられることは、国が敗戦による精神科病床の激減に対してきわめて安易に病院の新設を許可したことであろう。内容を顧みずただべッドの増加のみにカを仕ぎ、たとえば管理者は精神科の専門医でなくても許可された。医師会の集まりなどでも精神病阮はもうかるだろう、ひとつ僕もやるかな、などというムードがあった。そして精神病院ブーム<0183<などというイヤな言葉が横行した。病院の設立者の中には果樹園の経営者がいたり、パチンコ屋までがいた。また他科の医師が精神障害者に慣れぬまま、患者をなにか特別な人間扱いをしたことも否めなかった。福祉事務所あたりに「刺を通じて」おけば、生活保護法の患者がだまっていても入って来た。新設病院の開院式によばれて行くと、福祉事務所様などと書いた特別の部屋が用意されているのが常であった。そういったふんい気の中でモラルはしだいに低下した。しかし病床数は飛躍的にふえつづけ、昭和二十七年にはほぼ戦前の水準に回復し、昭和三十年には四万床(人口万対四・五)だったのが、昭和三十五年には約九万床、四十年には十六万床、そして四十五年には約二十四万床(人口万対二三・三)に達して、厚生省が一応の目標とした人口万対二五床に近づいたのである。いまわが国には精神病院に入院を要する患者が二十八万いるから、数字的にはもう一歩というところとなった。
 次に、世界にも類い稀な、国の低医療費政策をあげねばならぬ。「つめこみつめこみ」と言われるけれど、ある程度の超過収容をしなければ病院の経営が成り立たぬところに大きな問題がある。それでは定員を守り、良心的な治療なするといかなることになるか。たとえば都立松沢病院は最近の収容率九九パーセントであるから定員をわずかに下回るが、その経済は年間収入四億円に対して支出が八億であるという。しかもその中には建築費は含まれぬというのであるから、私立病院からみると開いたロがふさがらぬベラボウな数字である。大阪府立中宮病院も収入が人件<0184<費と同じであるそうだ。われわれが赤字を出しても誰もそれを補てんしてはくれない。病院はたちまちにしてつぶれ、患者の行き場所はなく、職員も路頭に迷うであろう。しかるに役所はわれわれに松沢と同じレベルを要求するのである。同じ市民が、同じ県民が入院しているのに、公私の差は開くばかりである。低収入はそのまま職員の低給料となり、従って人は集まらず、質も低下するのは自然の成り行きである。どこかで「無理」をしてつじつ庄を合わせる者が出てくるのは致し方ないだろう。
 また、健康保険に甲表、乙表というニつの診療報酬体系があるのをご存じであろう。甲表は病院向きにできているから、多くの精神病院は甲表を採用している。ところが甲表は不思議な制度で、外来患者が来れぱ来るほど損をするようになってレる。商店で客が来れば来るほど、品物が売れれば売れるほど損をするなどとはとうてい信じがたいであろう。このことがあるいは一部の一病院で退院率を低下させているかも知れない。
 指定病院という制度がある。都道府県には公立精神病院の設置義務が課せられているが、現実は国公立病院のベッド数は総ベッド数のわずか一五パーセントに過ぎない現実では、どうしても民間病院に精神衛生法による措置入院および緊急入院(一種の命令入院)を肩代りしてもらわなくては間に合わない。そのために都道肘県知事が指定した病院がつまり指定病院である。
 元来措置や生活保護などの公費患者は当然国公立病院が扱うべき性質のものであるが、民間病<0185<院がベッド数の八五パーセントを占める現代では、大部分を私立に委託せざるをえないのは当り前である。国や都は国公立の病院には赤字補てんのみならず、措置患者や生活作業療法に相当の補助金を出しているのに、同じ患者を任せている私立の指定病院には何らの補助もよこさない。一時は比較的「ラク」にみえ、他科の医師たちにうらやまれた時期もあったが、日本経済成長のあおりをくらって人件費、物価はうなぎのぼりなのに入院料(精神科は外科などとちがって医療収入の大部分を入院料に頼っている)は一向に上らず、四十五年のはじめにそれまで安いといわれるユーススホステルにも劣る九百三十円がやっと千二百円になったとはいえ、とうてい人件費物価の上昇には追いっけないのである。ぺルーという国は日本より遙かに経済的には劣る国であるが、それでも数年前に国は精神病者に一日三千円以上の入院料を払っていた。私のところにも外国からの見学者が時々あるが、こと入院料にかんしてはとても恥しくて言えない。彼らはその実態を知ると一様に目をまるくしておどろくが、やがてそれは人間を尊重しない国へのブべツと変っていくのだ。
 さっきも言ったように、私立病院の設立者には「素人」もいる。その「素人」が他の企業と同じ目で病院をみて、利益追求にきゅうきゅうとして、配下の医師に無理無体を強いるとそこに問題が起る。たとえ設立者が「素人」でも、万事専門家に任せているところはうまくいっている。
 精神衛生法による措置患者や生活保護法の患者など、いわゆる公費患者に、本人とくに家族に医師選択の自由のないことも医療の本質に反する。公費以外の健保・国保・自費の患者はもちろ<0186<ん医師選択の自由があるから、公費患者がそうなればあまり芳ばしからざる病院は自然淘汰されてゆくにちがいない。
 病院が何らかの意昧で問題視される場合、たいていアルコール中毒と精神病質(性格異常)がからんでいる。それはこの両者が無断離院の率が断然高いことからでもわかる。院内の平和を乱し、他の患者にいろいろな意昧で迷惑なかけるのはこの両者または両者の合併型である。これらが犯罪と関連ができると、さらに手に負えなくなる。われわれの反対で中止になったが一時車の免許証の取得または更新に「精神病に非ず」という診断書の提出が義務づけられたが、車の事故は実は狭い意昧の精神病には少なくて、病的性格者に多いことがわかっている。そこでこれらの患者は国で、たとえば保安精神病院(フランスにはこういう名称の病院がある)といった性格の病院をつくって収容治療すべきだと思うが、残念ながらわが国にはまだそういう施設はない。それならばせめく国公立病院へと思うのだが、中毒・精神病質の収容率が国公立病院は民間病院より遙かに低いのは理解に苦しむところだ。もっとはっきり言えば、イヤな患者を断わる傾向のあるところもあるとも言える。そのシワよせが弱体の私立病院へやって来るのだ。」(斉藤[1971:182-187])

中山 宏太郎 1971
◇中島 直* 2002/12 「精神障害者と触法行為をめぐる日本精神神経学会の議論」
 http://www.kansatuhou.net/04_ronten/08_01nakajima.html
 *精神科医/多摩あおば病院/日本精神神経学会精神医療と法に関する委員会委員

 「2 71年総会シンポジウム「刑法改正における保安処分問題と精神医学」 1971年6月14日、総会シンポジウム「刑法改正における保安処分問題と精神医学」が開かれた(精神経誌、74(3):189-230,1972)。司会は高木隆郎および逸見武光、シンポジストは平野竜一、中山研一、樺島正法の3人の法律家、および樋口幸吉、西山詮、中山宏太郎の3人の精神科医であった。[…]
 中山(宏)は、病床数の地域差から、入院率と経済・労働政策が密接に結びついているとし、また医療機関が大量収容と希薄な医療を前提としていること、措置入院は治療のための入院ではなく公安上の必要であること、慢性患者への精神医学の貢献は乏しいこと等を挙げ、保安処分は抑圧の強化であるとした。」

◆臺 弘 19720415 『精神医学の思想――医療の方法を求めて』,筑摩書房,筑摩総合大学,274p. ASIN: B000JA0T3E 900 [amazon] ※ m. ut1968.

 「精神衛生法以後、精神病床は急激に増加して、昭和四十六年現在では人口万対二十五、全国でニ十五万床の多数となり、結核病床をはるかに越えるようになった。この数は欧米諸国にならぶものであって、その限りでは結構な話である。ところが問題はその質である。わが国では、病床の増加について国や地方自治体が直接関与することが少なく、それを私企業の自由経済にまかせてしまった。現在では全精神病床の八五%が私立病院の経営によるものである。こんな体制をとっている所は世界中どこにもない。しかも国公立病院は、私立病院と機能の分担をせずに、通常、独立採算制をとらされているので、私立病院と同じレベルで並立している。精神病院の設立を市場経済にゆだねたためにどんな結果が起っているかは、東京都を見れぱわかる。人口稠密な江東地区には精神病<0252<院はわずかしかなくて、人口当りの病床数は万対十以下であり、一方、都心から西に五〇km離れた三多摩地区には万対三百の病床がある。江東地区の患者が西部の病院に入院した場合、退院後のアフタケアを受けようとしても病院に通院することは出来ず、一方、地域でそれを担当するはずの保健所には、精神科の嘱託医が一人バートでいるたけである。これでどうして一貫した治療ができよう。」(臺[1972:252-253])

◆小澤 勲 19741130 『幼児自閉症論の再検討』 ,ルガール社,204p. ASIN: B000J7SHV8 [amazon] ※ m. a07.

 「解説」より
 「だが、学問的にははぼ破産を宣告された精神分裂病概念が今なお根づよく生き残っているのは何故であろうか。それは、隔離、収容と管理、抑圧を主旨とする現代精神科医療の道具として、今なお便利だからというにすぎない。ニ、三の統計資料をあげれば、わが国では精神科の病床数はニ七<0192<万床をこえ、全科病床数の実にほぼ四分の一をしめるにいたった。平均在院日数は五〇〇日に近づき、結核病床を大幅に上まわっている。二七万床のうち七・五万床は精神衛生法に基づく強制入院(措置入院)であり、国の精神衛生関係予算の大部分は措置入院費にあてられており、また、病床の八割以上は営利を日的とした私的病院のものである。」(小澤[1974:192-193])

◆仙波 恒雄 矢野 徹 19770310  『精神病院――その医療の現状と限界』 ,星和書店,345p. ASIN: B000J7TT42 3300 [amazon]※ m. i05. i05m

◆計見 一雄 19790620 『インスティテューショナリズムを超えて――精神科医からのメッセージ』,星和書店,253p. ASIN: B000J8GI1I 2900 [amazon] ※ m.

 「こういう時には、ごちゃごちゃした議論を避けて、大なたをふるうに限るので、問題を私たちとあなたたちというふうに立ててみる。私たちとは精神科医療に従事するものの総体を、あなたたちとは、現在収容されている三〇万余の人々と、陸続として収容され続けようとしている人々を指す。
 戦略目標は、三〇万余の人々を一人でも多く、一日でも早く社会にもどすことであり、収容されかかっている人々を一人でも多く、一日でも長く社会の中にとどめておくことである。
 このように枠組みを立てた上で、この章では、地域精神医療(とされているもの)の仕事の整理をしてみることにする。なぜ地域かという理由は以下の三つにまとめられる。
 (一) 現状の地域精神医療は名のみあって実体がなく、現実的な有効性を発揮し得る潜在的なポテンシャルを保ったまま、頓挫しかかっており、
 (二) その結果として、またその原因の一つとして、実践に当る人々が<何をやっているのか、何を目標としているのか、自らの営為はどの辺に位置づけられるのか>についてまったくの昏迷状態<0186<に陥っていること。
 (三) 更に、病院医療を客観的に眺めるボジョンとしては地域は一定の優位性を保持しており、精神病院医療への有効な批判を構築し得る場としての可能性を有しているからつである。」(185-187)

◆友の会 編 19811116 『精神障害者解放への歩み――私達の状況を変えるのは私達』,新泉社,259p. ISBN-10: 478778112X ISBN-13: 978-4787781123 \1575 [amazon][kinokuniya] ※ m m-r

◇萩原一昭 「精神障害者家族会と友の会」,友の会編[1981:121-123]全文

 「私は自分の経験から「全家連」(全国精神障害者家族連合会)より「友の会」のほうがはるかに利益になるのを知る。なるほど、全家連は強力強大であり、毎年開かれる全国大会には、来賓に厚生大臣とか医師会代表を招く大がかりなものである。そして、患者のほうは保護者が全家連に入会することにより、国家公認の精神病者として家族から御墨付をもらうことになる。全家連に肉親が入会している限り、当の患者は社会人として自立することはおろか、家庭でも一人前とみなされていないことが分る。地方自治体や病院との取り引きはすべて涙の谷の頭ごしにされるのである。これに反し、友の会のほうは当事者が、それぞれの悩みを持って自分の意志で入会し、その総意によって会は運営されてゆくのである。
 友の会の性格を示すこんな出来事が最近あった。『鉄格子の中から』にも書いておられるKさんのことであるが、義兄夫婦がどうしても退院を承知しないので、会員Sさんに身元引受け人に<0121<なってもらい無事退院した。事はそれに止まらない。Kさんはその後Sさん宅から会社に通いはじめたが二度とも長続きせず、最後にSさんのつとめる福祉関係に職を得たようである。これが家族会ならどうであろうか。精神病院にたのんで勤めさせるのが関の山で、そこで労働ができねば再び病院へ舞い戻りという手順になるだろう。Kさんがこの恩を忘れぬ限り、友の会にその徳を新たに還元してゆくことであろう。Kさんにとってこの会がありこの会に入会したことによつて、運命は明るいほうへ覆りつつある。私はこの一件を見ても友の会の存在価値を疑うことはできぬのである。全家連に家族が入っている限りはどんな場合でも精神病院がついてまわるのである。
 私の地方の全家連は政治に食い込み、府会議員に会ったり知事に会ったりして、精神病院をひとつでも多く建設してもらえるよう奔命[ママ]している。とどのつまりニつに分裂し、一九七〇年に地元で開催された全国大会にはその一方だけが参加ということになった。NHKローカルなどは精神障害音の不幸のように報じていたが、京都府の入院患者にとっては全く無関係のことだったのである。患者の多くは厚生大臣の名もでる全家連全国大会の、悲壮劇とも猿芝居ともとれるものにあきあきしている。友の会のKさんの場合にみられたこまやかな人間愛のひとかけらもこの大組織にはないのであろう。それとも、国の続く限り不沈の大戦艦全家連は小回りがききにくいというのか。
 これに対し、私たち「友の会」はその人間愛によって、将来ますます悩める者ら苦しむむ人々へ<0122<のその存在価値を発揮してゆくことになろう。(『会報』8号、一九七六年一月)」

◆遠藤 康 編 19850501 『慢性分裂病と病院医療』,悠久書房,235p. 1800 ※:[広田氏蔵書] m.

◆はしがき     遠藤庸 3-4 全文

 日本精神神経学会理事会が、「精神病院に多発する不祥事件に関連して全会員に訴える」という声明文を発表したのは一九六九年のことである。当時の精神病床数は約二四万床であった。
 一九六〇年代から、アメリカでは複雑な問題を含みながらも精神病床の大幅な削減が行われ、イギリスでも地域精神衛生網の整備とともに着実に精神病床は減少してきた。
 厚生省監修の「我が国の精神衛生」によると、わが国では毎年確実に精神病床は増加しており、一九八三年六月末の在院患者数は三三万四〇〇〇人にいたっている。
 精神医療にかかわる者として、このような現象がどのような意味をもつのか、考えずに通りすぎることまできない大きな問題である。
 前記の学会の声明文が発表されて以来十数年が経過している。その間に各地で精神医療に対する激しい批判に答えるべく活発な改革運動がさまざまの形で展開されてきた。
 しかし現実に現われてきたのは精神病床の増床という現象であった。いろいろの原因が考えられるが、もう一度病院内に目を向ける必要も生じてきたように思われる。
 東北の比較的近接の地域で実践を通じて同じような問題をかかえる有志が集まり、医療のあり方<0003<について討論してきた結果が本稿である。
 年代的に批判をあびてきた者、批判者、その後の実践者が具体的な問題に的をしぽって討論してきたつもりである。
 リハビリテーションの技術的問題や地域医療、家族の問題にまで論議をすすめることはできなかったが、自己批判も含めて精神医療に対する今後の手がかりにしたいと願っている。
 一九八五年三月」

◆ 一一 都道府県別精神科病床較差要因に関する考察 猪俣好正

 精神病床供給パターンの分析に関連して、都道府県レべルの精神病床数較差の検討はすでに中山1)、宗像2)がその予備的分析を報告している。その中で、中山は主として人口流動並びに一部地域における炭坑崩壊のニつのフアクターが増床カーブの特徴を決定している可能性が強いと指摘し、宗像は農業粗生産額並びに失業者数・被生活保護者数という地域の貧困要因との相関を認めている。
 本小論では、これら二人の報告の一部を追試するとともに、厚生省の発表している統計資料をもとに、いくつかの分析を試みたい。
 なお一九八一年六月三〇日現在、人口万対在院患者数が四〇を越える県は、鹿児島の五二・八を筆頭に長崎・高知・熊本・徳島・宮崎・福岡・佐賀の八県(以下A群とする)であり、ニ〇以下の県は、一六・三の神奈川をはじめ滋賀・埼玉・宮城・岐阜・愛知・静岡・奈良・兵庫の九県(以下B群とする)を数える。これは人口万対精神科病床数でみても同様である。鹿児島と神奈川では実に三倍強の差がみられるわけであるが、ここではこれら病床の多いA群と比較的病床が少ないB群の比較についてもふれてみたい。
 なお、ここでとりあげた資料の大部分は「我が国の精神衛生」昭和五七年版、並びに厚生省が年次報告書として刊行している「医療施設調査」「病院報告」「衛生行政業務報告」「保健所運営報告」「社会福祉行政業務報告」<0189<図1<0190<昭和五五〜五六年版、に基づくものである。

1 病床利用率

 「宗像2)は「現在の診療報酬構造のもとでは利用病床数の確保が病院の死活問題であり、一九六二年以降は精神病床の供給が需要をプルしている」とその構造を分析している。
 図1は、人口万対病床数と病床利用率について、一九八一年六月時点と一九六一年一一月時点を直線で結んだものである。むろんこの間、病床数・利用率ともに直線的に変化しているわけではなく、正確にはより複雑な曲線を描くことになる。両者間にはバラツキが多く、統計上の相関はえられないが、病床数が多くかつ直線が右上に傾斜している県(鹿児島・高知・福岡・山口など)に代表的にあらわされるように、病床整備が進んでも超過収容は一向に改善されないこと、すなわち、現在の保険一医療制度のもとで経営を維持するために病院による患者の過剰な「取り込み」現象が推察される。またこの図か<0191<図2・図3<0191<らは、病床数の多寡にかかわらず利用率が急上昇している県(山口・広島・山形など)は将来的になお病床が増加していく可能性を示している。」

2 公費入院率

3 一人あたり県民所得
 「全国平均との対比でみた一九七九年度の一人あたり県民所得4)と人口万対在院患者数の相関をみたのが図3である。個人所得指数が低い県では在院患者数が多いという比較的高い相関を認めることができる。」(195)

4 年度保護率(人口千対)

5 人口流動
 図5は、縦軸に人口万対在院患者数・横軸に1980.10.1/1960.10.1の人口比をプロットしたもので、両者の童、目関道の人口比をプロットしたもので両者に強い相関を見ることができる。この間人口は全国で一二五・二パーセントに増加している(最高は埼玉の一二六・八パーセ<0195<図4・図5<0196<ント、最低は島根の八八・八パーセント)。
 すなわち、人口一一五パーセント以上の増加県は栃木・広島・茨城を例外として大部分低い在院患者数を示し、逆に一一五パーセント以下の諸県は、山形・福井・岡山を例外として高い在院患者数を示している。また中山1)が指摘するように、鹿児島・長崎で、仮に全国平均に相当する人口増加があったと仮定して万対病床数を求めても現在の値の三分の二程度にしかならず、これら人口流出が非常に進んだ県ではそれ以上に入院を促進させる要因が働いていると推察せざるをえない。

6 平均在院日数

7 在院患者の疾病分類

8 精神科医師数
 「人口一〇万対常勤医六・〇人以上では岡山を例外としてすべて在院患者が多く、逆に四・〇以下では愛媛・新潟を例外としてすぺて在院患者が少ない。人口比にして精神科常勤医が多い県は精神病床も多いという結果は皮肉といわねばならない。」(199)

9 医療施設

10 外来数

11 保健婦による精神衛生被訪問延人員

 「宗像2)は「保健所の精神衛生被訪問延人員は、精神病床数・新入院患者数との相関がみられ、在院日数との相関は低い。すなわち保健所の訪問を主とした精神衛生活動は、社会復帰より入院ルートにのせる活動が中心になっているとも考えられる」と指摘している。」(202)

12 その他の居住施設

文献

(1) 中山宏太郎「精神科における治療」精神経誌、八ニ巻五八六頁、一九八〇年
(2) 宗像恒次「精神医療需要と精神病床に関する研究――予備的分析報告」厚生科学研究報告(石原幸夫代表)、一九七九年<0203<
(3) 吉川武彦・竹内龍雄「精神衛生統計」「現代精神医学大系23C」中山書店、一九八〇年
(4) 日本銀行調査統計局『都道府県別経済統計昭和五七年版』 同調査続計局
(5) 朝日俊弘「精神医療供給のあり方について」精神経誌、八五巻八四一頁、一九八三年

◆浜田 晋 19910315 『一般外来における精神症状のみかた』,医学書院,250p. ISBN-10: 4260117548 ISBN-13: 978-4260117548 3700+ [amazon][kinokuniya] ※:[広田氏蔵書] m.

「5.コミュニティ精神医学
 1959年イギリスの精神衛生法に始まり,精神医学のあり方を精神病院から地域内医療,コミュニティ・ケアへと転換すべきと主張し,実践活動を始めた. 1963年故J. F.ケネディは「精神病および精神薄弱に関する教書」を議会に送り,「われわれはあまりにも長い間彼らを放置して来た」と,高らかに新しい精神医療の夜明けをうたいあげた(1956年精神科医になった私――当時新しい精神医療を模索していた若い精神科医たちにとって,それは1つの「希望の星」であった) 10).キャプランらを中心として,地域の中で危機的状況におかれでし間をどう支えていくかという実践活動が始まる.
 ところがそれもやがて挫折する。わが国でもその理念は導入されたものの,精神病院入院中心の精神医療の流れは依然として変わっていない11).」(浜田[1991:107])
1O)田村健二,坪上宏,浜田晋,岡上和雄編:精神障害者福祉,相川書房, 1982
11)吉岡真二:精神科医の訴え――偏見から理解へ,岩波ブックレットNo. 86, 1987

杉野 昭博 1994 「社会福祉と社会統制――アメリカ州立精神病院の『脱施設化』をめぐって」,『社会学評論』45(日本社会学会)

◆笠原 嘉 19981020 『精神病』,岩波新書,232p. ISBN-10: 4004305810 ISBN-13: 978-4004305811 777 [amazon][kinokuniya] ※+[広田氏蔵書] m.

 「日本の精神病院
 日本の精神科の病床数は三十六万床で、内科や外科あわせての全病床数である百六十七万床のうちニニ%にあたります。っまり五分の一強が精神科のべッドです。多いとお感じですか、少ないとお感じですか。
 それはともかく、日本の特徴は精神科病床をもつ病院約千六百のうち、民間病院が病院数で八ニ%、病床数で八九%を占める点です。官公立の病院は少ない。国立は九十三、県立・市立・町立などの公立は百六十一、その他の公立五十三です。
 これは先進諸国の精神科医療が公立中心でおこなわれてきたのと、決定的に違う点です。民活民活というこのごろ、これは必ずしも悪いこととは思われませんが、明治以来政府がこの方面の政策に積極的でなかったことを示す数字です。
 ついでに少し精神病院の歴史を述べます。一九五〇年に楕神斎生法という画期的な法律が施行され、それまで公認されていた私宅監置制度(病人を座敷牢に入れておくことを許す制度)が廃止され、精神病のすべての人を医療の下に入れるべし、ということになりました。そのため多数の<0140<精神病院が一挙に必要になりました。一九六〇年の医療金融公庫の発足は国公立のかわりに民間病院の発足は国公立のかわりに民間病院の発足をうながし、図X−1のように精神病院の急増をもたらしました。
 残念なことに当時まだ精神科医の数は少なく、精神病院の新規開設者の多くが精神科経験のない人だったことはやむをえませんでした。しかし、さいわい今日精神科医の数は八千人強(学会員数)と増加し、精神病院も年々成熟の度を加えました。

 今日の課題
 時代が移って「私宅監置から精神病院へ」という時代は完全に去り、今日の日本の精神病は「精神病の人をできるだけ社会のなかで治療する」という課題の前にあります。平たくいえば、次のような声の甲にいます。日本の入院患者は多すぎる。日本の医者は患者をかかえこみすぎる。早い段階から社会復帰をさせる努カをすべきだ。どの文明国も大胆にべッド数を減らしている。この面で先進的な英国は早くも六〇年代から地域ケア<0141<に転換し、今日では居住施設の類型に重症用のウオード・イン・ハウス(家の中の病棟)という新型を加えたというし、米国でもケネディ教書以来、州立精神病院の病床を大幅に減らすとともに退院後の居住施設を整備し、カナダでも同様に総合病院精神科と地域の多彩な居住施設と州立精神病院の三者がきめ細かな連携をしているという。イタリアにいたっては精神病院を少なくとも公式には全廃した、というではないか。」(笠原[1998:140-142])

◆風祭 元 20010530 『わが国の精神科医療を考える』,日本評論社,292p. ISBN-10: 4535981906 ISBN-13: 978-4535981904 2920 [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「昭和三〇年代から四〇年代にかけて設立された精神病院の大部分は、建設用地取得の困難性などの理由で、交通の不便な僻地に地域との関わりなく建設され、当時の生活水準の最低基準を満たす程度の建造物が立てられた。病室の多くは畳敷きの六人から一〇人収容の大部屋で、時には二〇人単位の部屋もあった。窓には鉄格子がはめられ、病棟はほとんど全部が施錠した閉鎖病棟、共有の生活空間はないに等しかった。物理的構造の劣悪なことよりもさらに大きな問題は、職員の不足と教育研修の不十分さであった。この当時は日本の戦後復興期にあたり、精神科医・看護職員の不足は著しかった。精神科医療に差別的な医療法の規定で精神病院の職員定数は他科の病院に比べて低く抑えられていたが、その定員さえも満たしていない病院が多く、コメディカルの職員はほとんど配置されていなかった。昭和三〇年代から四〇年代にかけては、入院患者一〇〇人に対して常勤医一人程度というのが平均的で定数が一〇〇床ぐらいの病院で医師は院長一人にパート医師数人といった病院も少なくなかった。また看護職員のかなりの部分が無資格者で占められていた。このような事情を背景として、昭和三〇年代から四〇年代にかけて患者の人権侵害(不法入院・患者の虐待)事件が発生した。昭和四四年(一九六九)十二月二〇日、日本精神神経学会理事会は「精神病院に多発する不祥事事件に関し全会員に訴える」なる声明を発表し、医療不在、経営最優先の経営姿勢と、精神科医の基本的専門知識、道儀感や倫理観の欠如を不祥事件の一因としてあげた。しかしこの後、精神神経学会は内部混乱によって精神科医を代表する資格を失い、弱体化してしまった。その後も、昭和六三年(一九八八)の精神衛生法から精神保健法への大幅改訂の契機となった宇都宮病院事件から、大和川病院事件に至るまで、精神病院における患者の人権侵害事件が跡を絶たないのは残念なことである。
 […]ごく少数の巨大公立精神病院と私立の中小病院が存在し、患者の自宅監置が公認されていた戦前はさておいて、現在では三六万床の八五%以上が民間で占められているという他国には見られない特異な状況となっている。精神障害者の医療には医療経済の見地にそぐわない一面があり、これに対しては営利を超えた公的な施策としての医療が要求される。欧米諸国ではこのような問題に国策として真剣に取り組んできたが、わが国では精神衛生法制定の際に、法律に謳ったような公立病院を中心とした医療体制を取れなかった行政の誤りが、今日の状況をもたらしたといえよう。またこの時期に精神科医同士の抗争や告発に終始して、日本の医療の中の精神科医医療のあり方に建設的な努力を怠ってきた精神科医の責任も大きいと思う。しかし、一方で、民間立精神病院には、公立病院にはない活力やより自由な活動が出来るという利点もある。」(風祭[2001:69-71])

◆風祭 元 20040417 『松沢病院院長日記』,星和書店,235p. ISBN-10:4791105346 ISBN-13:978-4791105342 2940 [amazon][kinokuniya] ※ m.i05m.

◆中井[2004]

 「アメリカにとって一九六〇年代は力動精神医学が中心でしたが、ケネディ大統領は、精神病院の病床を五十万床から十五万床に減らすことを一気に三年で行います。大統領の任期が四年ですから二十年計画でやるとういことはアメリカではあり得ません。精神病院を小さくする代わりに各地に精神保健センターをつくるという計画でした。しかし精神保健センターには患者さんは来ませんでした。カーター夫人が一九七七年に世界精神保健連盟(WFMH)の総会で、これは失敗であり、患者はセンターに来なかったということを話していました。実際、大部分がホームレスになったり、あるいはギャングに生活保護費のウワマエをハネられる存在になったといいます。
 現在アメリカではどうなっているかというと、メンタルヘルスセンターはとうとうレーガン大統領の時代には廃止されてしまったということです。」(中井[2004:129-130])

大熊 一夫 20091006 『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』,岩波書店,249p. ISBN-10: 4000236857 ISBN-13: 978-4000236850 2520 [amazon][kinokuniya] ※ m. m01b2000. i05.

 「第3章 不肖の息子とその親
 収容ビジネスのルーツ
 読者の皆さんは、「なんで性懲りもなく事件は繰り返されるのか」「行政当局は、未然に防ぐ手立てをなぜ打たないのか」と思うことだろう。私も、この分野にかかわった一九七〇年以来、国や自治体のお目こぼし体質がずーっと気になっていた。そこで、本書の軌筆を機に、日本の精神保健行政の歴史をかじってみた。
 六九年の学会声明は、不祥事多発の背景として、精神疾患の人々の収容が一種の「ビジネス」になっていることを指摘した。では「収容ビジネス」を許す路線を開いた人物は誰かといえば、それは、精神病院経営者を牧畜業呼ばわりした当人、日本医師会長の武見太郎だった。
 一九〇四年生まれの武見太郎は、旧伯爵家から妻を娶り、元首相の吉田茂とは義理の叔父・甥の関係にあった。臨床医として銀座に自由診療(医療保険がきかない診療)の医院を構え、大勢の政財界要人が患者として出入りした。敗戦直後、中央区医師会から日本医師会の代議員となり、一九五〇年に副会長になるが、GHQとの折り合いが悪くて退任。一九五七年に日本医師会長に就任し、以後、会長を連続一三期期つ<0017<とめた。
 自由党や日本民主党(自由民主党の前身)の幹部とはツーカーの仲で、党のブレーンとして、医療政策に絶大な発言力を発揮した。厚生大臣をアイヒマン(ユダヤ人を絶滅収容所へ搬送する作業の要のポストにいたナチ高官)呼ばわりして、武見天皇だの喧嘩太郎だの猛医だのと言われた。
 根っからの自由主義経済論者・市場原理主義者で、社会主義・共産主義・社会保障・労働組合が大嫌いだった。昭和三六年四月から始まった医療の国民皆保険制度は武見の趣味ではなかったが、時代の要請として甘受したという。医師会長になりたての頃は、厚生省内に「医療国営論者がいるのではないか」「赤色官僚がいるのではないか」と本気で心配していた。そんなことが水野肇著『武見太郎の功罪』にも書かかれている。
 その自由主義経済論者・武見の大仕事の一つが、医療金融公庫の創設だった。同公庫発刊の『医療金融公庫二〇年史』によると、昭和二五年ごろの日本国は、極端な物資窮乏の対処に追われ、金融政策は産業に集中した。開業医がまとまった資金を市中の金融機関から借りるのはむつかしかった。昭和ニ八年になると、日本医師会、日本歯科医師会、日本赤十字社、済生会、全国厚生農業協同組合連合会の、いわゆる関係五団体は、医療金融公庫法案を議員立法で国会に提案するべく準備を始める。この先頭に立ったのが武見だった。
 構想は、政府全額出資金を元手にして、私立病院等の新設や改築に貸し付ける、というものだったが、中小企業金融公庫の設立に先を越されてしまう。だが構想は生き残り、昭和三五年にやっと設立の運びとなった。年利六分五厘・二五年償還という起債なみの甘い融資条件だった。一方、公庫設立にともなって<018<厚生省は、人口一万に一八床(昭和三九年)、一九床(四〇年)、ニ〇床(四一年)といった調子で、病床融資基準なる枠を設定した。公庫発足前年の昭和三四年末、精神科病床は約八万床だった。制度ができてからの厚生省は、毎年、精神病棟をほぼ一万五〇〇〇床ずつ増床するように枠を広げていった。先ごろ小泉政権がやった郵政民営化みたいなことが、一九六〇年代に精神保健分野で起きた。厚生省内に見識ある専門家つまり有能な精神科医がいないことが、警察の仕事を民間警備会社に任せるのにも似た不見識を招いたのだ、と私は思う。

 お目こぼし体質の背景
 このころは、まだ日本社会に「私宅監置」(平たく言えば座敷牢)が残っていたので、精神病院増設は「座敷牢からの解放」の意味もあった。昭和二五年にはカリフォルニア州にならった精神衛生法ができて、郡道府県に精神病院の設置義務が生じた。だが、なにせ窮乏時代だから、都道府県は設置義務の履行にきわめて不熱心だった。そこで国は、医療金融公庫をフル活用しての民間精神病院”濫造作戦”に打ってでた。
 厚生省は、厚生省は、金融公庫発兄足二年前の一九五八(昭和三三)年に、次のような内容のおふれ(次官通知)を出している。「精神病院においては、精神科医は内科や外科など他の診療科の三分の一、つまり入院患者四八人に医師一人でいい。看護職も他科の三分の一三つまり入院者六人に一人でかまわない」。しかも四日後には、この恐ろしく低い基準さえ守らなくてもよろしい、という医務局長通知まで出した。これでは「精神病は収容あるのみ、治療は考えるな」と厚生省が公言したようなものである。<0019<
 今日の医療法は一九四八(昭和二三)年に制定された。その施行令第四条の七に「主として精神病、結核その他厚生大臣が定める疾病の患者を収容する病室を有する病院は、厚生省令で定める従業員の標準によらないことができる」とある。これが敗戦後の混乱期の暫定措置であることは明らかなのだが、厚生省はこの施行令に悪乗りして、「精神病院は薄い人手で経営できますよ。薄い人手基準を下回っても罰しませんよ」と、粗悪病院開設に呼び水までした。これで人手や食費をけちるほどに利潤があがる(つまり”良心をマヒさせるほどに儲かる”)仕組みができあがった。これが「精神科特例」である。
 この精神病に対する差別臭ふんぷんの特例は、ニ〇〇一年になって、医療法施行規則の一部を改正する省令で、一般病院精神科では解消した。しかし精神病院においては、”当分の間の経過措置”が許されて実質的に今日も続いている。
 厚生省の”大甘振る舞い”はまだある。精神科医ではない医師、たとえば産婦人科医が精神病院を開設することにも、いや、医療とは全く無縁の投資家が精神病院のオーナーになるのでさえ、なんらの歯止めもかけようとしなかった。だから、ひと儲けを企む志の低い事業家がいっぱい、この業界に参入してきた。しかも精神病院に限っては、都道府県内のどこだろうが好き勝手に建設させた。他科の病床数には二次医療圏(都道府県をいくつかに区分した制度上の地域)ごとに病床配置に上限を設けたのに、精神病院に限ってはこれをしなかった。だから地価の格別安い寂しい所に競うように建設された。東京都の八王子市や青梅市は世界に例のない精神病院密集地帯だが、それは愚かな政策が招いた結果である。
 さらに厚生省は一九六一(昭和三六)年、「措置入院」を奨励する通知を出す。
 措置入院とは、全額公費負担の公的強制入院のことで、本来は警察沙氷を起こしたような病人に適応さ<0020<れる。厚生省は、この公的強制入院制度を「同意入院」(家族の同意による強制入院。保険医療だから自己負担がある)のケースに使ってもよい、という「超法規的運用」(前、北海道精神保健福祉センター所長・伊藤哲寛の言葉)を奨励した。入院費用は全額税金だ。患者や家族の出費はない。このお墨付きは業界で「経済措置」と呼ばれてきた。患者や家族を経済的に救済するための措置人院、という意味だろう。

 「一人残らず入院させてしまえ」
 一九六四(昭和三九)年三月二四日、ライシャワー米国大使が統合失調症の少年に刺されて重傷を負い、”精神病者を「野放し」にするな”の嵐がまきおこった。
 恥ずかしながら私の所属していた朝日新聞も、入社翌年の一九六四年、社説や天声人語や社会面記事が”野放しにするなキヤンぺーン”に加担した。朝日新聞で一つ救いがあるとすれば、わが先輩である若き日の故・筑紫哲也が、この”キャンペーン”に精神科医たちが学会を挙げて危惧の念を表明したのを一面トップで報道したことぐらいだろう。
 時の首相池田勇人は閣議で「野放しの患者を見つけて、すべて病院に入れるようにせよ」と厚生大臣に命令した、と当時、厚生省精神衛生課技官だった大谷藤郎(ハンセン病の差別解消に大活躍したあの大谷さん)は、著書『医の倫理と人権』で書いている。
 厚生省はいくらなんでも、そんな乱暴な話には乗れなかった。そこで精神保健体制の改善を図るための精神衛生法改正を視野に入れて、一年の冷却期間をとった。<0021<
 翌一九六五年の精神衛生法改正では、外来通院自己負担分の公費半額補助制度、保健所の精神衛生相談制度など前進と評価できる新政策もあった。だが大蔵省は、大谷(「私は医療の社会化にかぶれていましたから」と本人はいう)が提案した同意入院を公費で賄う案をはねつけ、措置入院なら大きな予算をつけるからと言った。大谷は泣く泣くこれを呑んだ。
 家族が金の心配をせずに精神病院を利用できるという利点は確かにあった。しかし、措置入院は同意入完より拘束性が高い。経済措置のパイの拡張は、日本の精神病院の収容体質を更に強めることになった。武見太郎の「牧畜業者」発言(本書八頁)は、こんな事態を憂えてのグチだった。」

 「校了寸前、長年の疑問が解けました。
 国際的に奇異の目で見られる日本の精神保健政策の源流をたどると、私立精神病院「大濫造」にゆきつきます。世界に例のないこの道を開いたのは、故・武見太郎日本医師会長でした(本書一七頁)。一九六〇(昭和三五)年七月に始まった医療金融公庫の融資です。大蔵省は一業種への公的特別融資に反対でしたが、盟友だった佐藤栄作、保利茂、大野伴睦ら政界有力議員の後押しで、この制度は誕生しました。
 その武見会長自身が私立精神病院を「牧畜業者」と指弾し、この言葉は、日本の精神保健の貧しさ、異様さを語る文章には必ずといっていいくらい引用される歴史的名言となりました。
 ところが、何時、何処で、誰に、語られたものなのか、謎でした。
 日本精神神経学会理事会声明(本書六頁)に引用されて有名になったのですが、声明を起草した竹村堅次さんは記憶の彼方というご様子。手がかりはただひとつ、当時、学会関係者(誰だったか失念)から聞いた<0247<「あれはたしか、大分での記者会見発言」という言葉でした。大分での会見なら有力地元紙の大分合同新聞に載ったはずです。同社に問い合わせてみました。けれど、掲載日が特定されなければ探すのは無理というつれない返事です。あきらめかけたとき、私の携帯電話が鳴りました。同社特別顧問の高浦照明さん(七八歳、さる六月引退)からでした。
 「新聞に出たとすると、私が書いたとしか考えられません」
 高浦さんは昔のスクラップブックをめくってくれましたが見つかりません。それから時間をかけて、日時と場所を思い出してくれました。一九六0(昭和三五)年一一月ニニ日、大分市で第六〇回九州医師会医学会が開かれたその前日の午後。大分県医師会幹部たちと大分合同新聞の二人の記者が大分県医師会館で武見さんを待っていました。正式記者会見の前の放談で先の仰天発言が飛び出し、その場にいた精神病院協会幹部が色をなしたというのです。武見さんはその四年後に大分に来た時にも高浦記者に「一向に変りませんな。要するに牧畜業であるという事は現実問題ですよ」と語ったそうです。
 半世紀近く前のことなのに、高浦さんの記憶は極めて具体的でした。@県医師会館はその日に完成したばかりの奇抜な建物(若き日の磯崎新の設計)だった。A武見さんは記者会見で「保険医総辞退」という特ダネを話してくれた……私は当時の新聞を読みました。@もAも真芙でした。
 では、件の歴史的発言はどこに載ったのか。高浦さんは懸命に記憶を振り絞ってくれました。一九六四(昭和三九)年一一月二五日からの三日間、別府市で開かれた第三回全国自治体病院学会の初日、シンポジウム「公立精神病院は如何にあるべきか」で、高浦さんは武見放談発言を紹介したというのです。
 そしてついに、高浦さんの発言が詳しく記録されている『全国自治体病院協議会会報』(一九六五年六・<0248<七月合併号)が見っかりました。ここまでに約一年かかりました。
 話は振り出しに戻ります。武見さんは医療金融公庫融資開始からわずか四か月後の一九六〇年一一月に「牧畜業」発言をします。まだ「牧畜業」が輩出する前に、です。おそらくは厚生省の指導で私立精神病院大増設作戦が流布され、融資の応募者が殺到して「牧畜業」の大出現が予見できた。それで黙ってはいられなくなった、というのが私の推理です。
 大蔵省の反対を押し切って融資制度を実現させた経緯を紹介した三輪和雄著『猛医 武見太郎』には、武見さんは公的融資制度を使って医師会立病院を日本のあちこちに建てて、医師会傘下の医院と医師会立病院で地域医療ネットワークを構築しようと夢見たのでした。
 しかし、この構想は全国的には成功したとは言えません。そして後の日本に大きな禍根を残すことになる私立精神病院の大増殖だけが、厚生省の計画通りに進んでしまいました。
 一九六〇年といえば、英・仏・米で地域精神保健が動きだした時期です。翌六一年にはイタリアのフランコ・バザーリアが、ゴリツィアで精神病院解体作業を始めました。しかるに日本は……いや、半世紀遅れを嘆いても始まりません。今日からの、賢い精神保健福祉行政を切望します。

   ニ〇〇九年九月一四日
                    大熊一夫」(247-249)

◆織田 淳太郎 20121023 『なぜ日本は、精神科病院の数が世界一なのか』,宝島社新書,221p. ISBN-10: 4796695923 ISBN-13: 978-4796695923 800+ [amazon][kinokuniya] ※ m. i01m.

■松沢病院

◆岡田 靖雄 197910 『精神科慢性病棟――松沢病院1958-1962』,岩崎学術出版社,281p. ASIN: B000J8DTBK [amazon][kinokuniya] ※:[広田氏蔵書] m.

◆風祭 元 20040417  『松沢病院院長日記』 ,星和書店,235p. ISBN-10:4791105346 ISBN-13:978-4791105342 2940 [amazon][kinokuniya] ※ m.i05m.

三野 宏治 2009/06/07 「アメリカにおける脱入院化――ケネディ教書以前とその後」第7回社会福祉学会報告原稿 於:日本福祉大学名古屋キャンパス

■武蔵療養所

■神戸大学

◆中井 久夫 199310 「精神病棟の設計に参与する」,『精神科治療科学』8-10→中井[19950922:152-177]*
*中井 久夫 19950922 『家族の深淵』,みすず書房,389p. ISBN-10: 4622045931 ISBN-13: 978-4622045939 2884 [amazon][kinokuniya] ※ m.

◆中井 久夫 19980508 『最終講義――分裂病私見』,みすず書房,159p. ISBN-10: 4622039613 ISBN-13: 978-4622039617 2000+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「しかし、ここにはその建設や運営あるいは実習や見学に参加された方々もおおぜいおられますので、せっかくですから一言述べておきますと、開放病棟とは実際に開放感があふれているものでなければならないだろうということです。すべての空間を法的基準よりもずっとひろやかにし、採光と通風とを重視しました。玄関をホテルのような総ガラス張りにし、天井の高さまでの大きな窓にし、まん中に光庭を設けて、ここが光を呼び込み、また室内の空気を煙突のように吸い上げる効果を発揮するだろうと期待しました。ベッドとベッドとの距離をひろくしました。患者とおなじように職員の居心地・働き心地のよさ(アメニティー)もよくしようとしました。
 治療環境がどんなによくなくても治療ができないわけではありませんが、それ<0003< は富士山に登るのに海岸から歩きはじめるようなものです。五合目まではバスで行って体力はここぞという "胸突き八丁" のためにとっておくのが並みの人にはよいでしょう。まして、病棟とその庭は精神科においては唯一で最大の治療用具です。
 「病棟の居心地がよいと退院したがらないのではないか」というのは俗説です。そういうことは起こりませんでした。むしろ逆となりました。どんなに開放的にしても病院は病院です。私自身の入院体験からしても、一等室だろうが特等室であろうが、入院を必要としている間は有難いけれども、治ってくると自然に庇護感は色あせて、いつづけたい場所ではなくなります。むしろ、これまでは、一大決心をして鉄の扉を潜らされて未知の空間に入院し、入院したところが社会との落差が大きすぎるために出にくくなる。出ても外の社会への馴染みがむつかしくなるということがあったのではないでしょうか。お魚でも水族館に長く飼うと鈍い「水族館色」になるということですが、慢性病棟の臭気と暗さと過密とに馴染んでしまうと、ほんとうに皮膚の色までくすんでくるのではないかと思われます。この落差の大きさが入院の長期化につながってきた要因の一つではないでしょうか。<0004<
 鍵や鉄格子の有る無しは精神病院改革のシンボル的意味を荷ってきましたが、ただ鍵と鉄格子だけを廃止すればよいというものではありません。どの科の入院治療にも拘束や制限があります。そういうものが一切必要でない人は外来で治療できるであろうと思います(むろん通院できない身体障害の場合は例外です)。重要なことは拘束や制限が必要最小限度であることとルールが明示されていることです。清明寮は隔離室をも含めて鉄格子はありませんが鍵は使用しています。これは急性患者を主とし、救急、合併症患者の入院が多いという、地域精神科ネットワーク上の大学病院の位置からです。もっとも、今(講演の時点で二年間)ハーバード大学人類学部から私どものところに「日本の精神科医」を研究に来ている医療人類学者のブレスラウ氏によれば「これはアメリカの基準では閉鎖病棟ではないよ」とのことでした(ちなみにアメリカではこの二〇年間精神科病棟を建設していないそうです)。
 しかし、最終的には病棟の運用の仕方が重要です。開放病棟を閉鎖的に運用することもできますし、閉鎖病棟を開放的に運用することもできます。無自覚的に開放病棟を運用しますと、どうも薬の量が増えてゆく傾向が生じます。目に見える鉄格子の代りに目に見えない薬理学的拘束というわけです。あるいは旧式の暗<0005<い病棟で鍵をただ止めますと、患者は昼間は外出してしまいます。これ自体は患者の健康な動きですが、ちょうど医者のいる時間帯には患者がいないので治療密度が限界以下に下りがちです。病棟自体がゆたかな開放感を持ち、そこでゆったりと安心しておれるところでなければならない理由です。
 新しい清明寮がすべてを満足しているわけではありません。やり残したところもまだまだあります。運用の仕方にもまだ改良の余地があるでしょう。ちなみに旧病棟時代から精神科病棟は一般病棟よりも破壊が少なく上品に使われているとは実務に当っていた方から洩れ聞いたことです。一般病棟の精神衛生的配慮とアメニティーとに問題がないわけでないということでしょう。また、四六床の大学病院精神科だけをよくして事足れりとしているのかという見解もありえましょうが、大学病院は学生の見学の場、新研修医の実習の場です。初めて見る現場が「こういうものが精神科病棟だ」として心に強く刻印されるでしょう。また、大学病院はどうしてもその地域、その卒業生の医者がつくる病院のモデルになるでしょう。それにこの大学の病棟以上のものを、もっと歴史の古い大学の精神科はつくろうとなさるにちがいない――このような波及効果があると私は考えました。<0006<」(中井[1998:3-6])


UP:20100812 REV:20100819, 0821, 20110711, 14, 0806, 20130804, 14
施設/脱施設  ◇アメリカの脱入院化クラブハウスモデル 
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