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◆20010114 続く精神病院「社会的入院」(あなたの隣で)――朝日新聞

◆20010407 バリアフリーへ障害者も行動を 日當万一さん(いわて論壇)/岩手――朝日新聞

◆20010421 [野宿]2001アメリカ(4)行き場失う精神障害者(連載)――読売新聞

◆20010803 精神医療と家族・アンケートから 貧困な医療、福祉−−地域で孤立感深め――毎日新聞

◆20011205 「受け皿」充実を 触法精神障害者の処遇 訓覇法子 【名古屋】――朝日新聞

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◆20010114 続く精神病院「社会的入院」(あなたの隣で)――朝日新聞

電極を持った医師の手が、ひたいに当てられる。次の瞬間、バットで殴られたような衝撃が駆けめぐる――。
 いつもそこで、東京都三鷹市の岡田寿夫さん(六五)は目を覚ます。
 精神病院を九年前に退院した。無認可の作業所で働く今も、悪夢によみがえる。精神分裂病と診断され、電気ショック療法を何度も受けた。おびえる日々のなかで、自立して暮らす自信を奪われた。入院生活は通算、約二十五年に及ぶ。
 入院治療の必要がないのに、家族の事情や受け入れ先がないなど社会の事情で退院できない。それを「社会的入院」と呼ぶ。
 
 ◇精神病院入院…いつしか25年
 
岡田さんは、精神病院が運営する共同住宅で一人暮らしだ。入院生活が長かったため、スーパーで値札を見ても高いか安いか、よく分からない。作業所職員に尋ねてから買い物する。
 作業所では、お菓子を詰める箱を組み立てたりしている。約三十人の仲間のリーダー的な存在で、「あと少しだから頑張れ」と声をかける。でも時折、職員に「研究を続けていたかったなあ」と話しかける。
 慶応大工学部を卒業した。大手造船会社に就職して長崎県の研究所に配属され、合金成分の分析に打ち込んだが、ある日、母親から届いた手紙を読んでいるうちに「別人の筆跡ではないか」との思いにとらわれた。うつ状態になって東京の実家に戻った。結婚話に反対されて腹を立てる姿を母親が怖がり、入院を決めた。二十八歳だった。
 病棟の窓には鉄格子がはめられ、十五人から二十人が十五畳ほどの畳部屋で生活していた。朝六時起床、午後九時就寝。ふろは週に一、二度で、セメントむき出しの湯船の湯は深さ二十センチほどしかなかった。
 昼食をはさんで続く袋作り作業の報酬が気になった。一度も渡されたことはなかったが、尋ねられなかった。「電気ショックが怖くて医師の機嫌を損ねることはできませんでした」
 それは、看護婦の言葉が合図だった。
 「タオル持ってきて」。週に二回、畳の上に十人ほどが仰向けに寝転がり、舌をかみきらないようタオルをくわえる。説明もなく、医師が順番に電極を頭に当てる。一回、五秒ほど。
 「扱いは囚人のようでした。でも、電気ショックが体に染み通っているので、病院側に従うようになり、劣悪な環境にも慣れてしまうのです」。三十八歳の春、退院して自宅に戻ったが、町並みも物価も変わってしまっていた。不安感から、今度は自ら電話して別の精神病院に入院し、さらに約十五年を過ごした。
 岡田さんはいま、作業所の仲間とすき焼きを囲むひとときが楽しみだ。病院では、黙々と食事をした。会話しながら夕食するたびに、生きている喜びを実感している。
 岡田さんを支える病院関係者(五三)は「住居や仕事など地域の受け皿が当初からあれば、数年の入院で社会に戻れたのに」という。
 電気ショックは麻酔をかけ、本人か家族の同意を必要とするなど、入院患者の待遇は徐々に改善されてきた。しかし、中心静脈栄養(IVH)や「拘束」が問題になった埼玉県の朝倉病院のような問題は後を絶たない。
 埼玉県の調べでは、朝倉病院の患者の平均入院期間は千二百九十日で、全国平均の約三倍にあたる。入院患者百九十人の平均年齢は七十一・七歳。家族も支えられず、地域にも受け入れ施設がないために送り込まれてくるお年寄りが多い。
 
 ◇時間を返して…病院側を提訴
 
「失われた時間を返してほしい一心です」。高松市の和幸さん(五二)=仮名=が昨春、強く訴えた言葉が「NPO大阪精神医療人権センター」の事務局長、山本深雪さんは忘れられない。
 和幸さんは母親の依頼で一九八五年から約十年、高松市の精神病院に入院した。
 退院後の一昨年、退院を引き延ばされて社会復帰が困難になったなどとして、病院を経営する財団法人に慰謝料を求めて提訴した。
 訴状によると、和幸さんは入院中、患者のおむつ取り換えや看護婦詰め所のエアコン掃除、病棟の鉄格子の塗装などをした。病院側は「入院の必要があった」「仕事は作業療法であり、本人が希望した」と反論している。
 「訴訟を通して、退院できるのに病院から出してもらえない人をなくしたいのです」
 和幸さんは、山本さんにこう話していた。
 (くらし編集部 石井暖子 生井久美子)
 
 ●3割が「社会的入院」 日本の精神医療、復帰支援体制育たず
 
日本の精神病棟に入院している人は、いま三十三万人いる。
 うち三〇%に当たる十万人が、入院の必要がない、いわゆる「社会的入院」という。厚生省が一九八四年に公表した調査結果だ。
 日本精神神経学会が九九年に実施した調査でも似た結果が出ている。一年以上入院している長期入院者のうち約三二%が、すぐ退院できるか、通院や地域生活の問題が改善されれば退院できる人だった。
 日本の精神医療の歴史をみると、「社会的入院」の背景が見えてくる。
 秋元波留夫さん(九四)は、日本の精神医療の生き証人だ。七十年前から、精神科医として患者と向き合い、東大教授から精神病院長をへて、いまは、障害者を地域で支える共同作業所全国連絡会顧問だ。
 一九〇〇年、最初にできた法律は精神病者監護法だ。「監護」は、「監禁」と「保護」からとった。当時は、自宅の座敷ろうを「私宅監置」として法的に認めていた。
 「カンゴと聞けば看護かと思うけれど、監護。国家が家族に監禁を義務づけた、おかしな名前です」
 秋元さんが東京府立(当時)松沢病院に勤め始めた三五年、精神病院の入院患者は約二万人だった。それ以外に私宅監置は七千人以上いるとみられていた。
 戦後間もない五〇年、ようやく監護法が廃止され、精神衛生法ができた。民間病院の建設に助成金がついたほか、他科より少ない人手基準によって建設が促進された。五年間で精神科病床数は三倍に急増した。一方、地域で患者を受け入れるケア体制は置き去りにされていった。
 「自宅監禁から、病院監置に変わっただけ」
 欧米諸国との決定的な分岐点は六〇年代だ。
 六三年には、患者や医師の提言を受けて、米国のケネディ大統領が年頭教書で「精神障害者に強いている残酷な問題を放置することはできない」と訴え、脱施設対策にのりだした。
 当時、東大教授だった秋元さんは、米国の精神医学会に出席して、そのことを知った。瞬く間に、一万人の精神病患者が入院していたニューヨークの州立病院では千五百人に減るなど、入院患者は激減した。
 一方、日本では六四年、精神障害者が駐日米国大使を襲った事件を機に、精神障害者を危険視する声が強まった。
 「病院の建設誘導策はさらに強まり、病床数はどんどん増えた」
 病院を造るほど入院患者は増え、長期入院も増えた。患者は社会から隔離され、地域で支えるサービスも十分には育たなかった。
 社会復帰の理念が法律に初めて盛り込まれたのは、八八年に施行された精神保健法だ。
 社会復帰施設の法定化や立ち入り検査などの指導監督や精神医療審査会も創設された。だが、復帰施設は条件が厳しく、育たなかった。
 実際に地域で支えたのは、単純労働や農園、リサイクルショップなど無認可の小規模作業所だ。しかし、その数も十分とは言えない。自治体の助成もあるが、自治体の格差は大きい。
 国が精神障害者の社会復帰策に目標人数を初めて掲げたのは、九六年からの障害者プラン・ノーマライゼーション七カ年戦略だ。
 二〇〇二年度までに約三万人分の社会復帰を可能にする施設・事業を整える計画だ。だが十万人といわれる社会的入院の実態からみると、あまりに少ない。
 「政府が病床削減と社会復帰策を、重大な政治課題として本格的に取り組まない限り、実態は変わらない」と秋元さんはいう。

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◆20010407  バリアフリーへ障害者も行動を 日當万一さん(いわて論壇)/岩手――朝日新聞

バリアフリーへ障害者も行動を 日當万一さん(いわて論壇)/岩手

 バリアフリーという言葉を耳にすることが多くなりました。バリアフリー住宅や車いすマークのトイレ、駐車場を様々な場所で目にするようにもなりました。
 この言葉の始まりは1960年代に北欧を中心に、障害者への政策がそれまでの保護・隔離の考えから、あるがままの姿で一般の人々と同等の権利を保障して基本的人権を尊重するという考えに方針転換されたのがきっかけでした。68年に米国で世界初のバリアフリー法(建築障害撤廃法)が定められ、障害者が一般社会に生活の場を移す脱施設化が進みました。
 日本で公共的建築物のバリアフリー化が始まったのは94年で、福祉先進国より26年も遅れてのスタートでした。一般家庭ではさらに遅れています。本当のバリアフリーとなっているのでしょうか。介護保険法の制定をきっかけに流行になってしまったように感じます。
 公共施設は少しは使いやすくなっていますが、まだ利用する人の立場での設計にはなっていないと感じます。例えば、スロープはこう配がきつくて上れない。入り口のドアが引き戸になっていない。トイレは手洗いや水を流す音の出る機械の設置場所が悪いなどなど。
 原因は身体にハンディのない人が頭で考えた設計になっているからではないかと思います。設計などの段階から実際に利用する障害者が一人でも加われば、かなり改善されるはずです。
 大切なのは障害者を含めた社会全体の意識の改善です。障害者用の駐車スペースにそうでない人が駐車してしまう。スロープには自転車を置き、トイレも空いているからとつい入ってしまう。こんな意識では本当のバリアフリーは実現できない気がします。
 障害者自身の発想を逆転してはどうでしょうか。自身がもっと外に出て行動し、バリアにぶつかることでその不便さを周囲の人にアピールする。バリアフリー社会作りに積極的に参加することで、社会の意識も変わるのではないでしょうか。
 私自身、ハンディがあり車いすの生活ですが、家の中に閉じこもらずなるべく外に出かけるようにしています。ハンディキャップ住宅専門会社でバリアだらけの建築現場に入り、本当のバリアフリーをアピールしています。
 心にも社会にもバリアのない世界にしていくために、本当のバリアフリーを目指す行動を障害者の方からも始めましょう。
     *
 ひなた・まんいち 1960年、大野村生まれ。15歳の時に転落事故で頸椎(けいつい)を損傷。99年から高齢者・ハンディキャップ住宅専門会社の岩手営業所長。
   
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◆20010421 [野宿]2001アメリカ(4)行き場失う精神障害者(連載)――読売新聞

地下鉄の車内で歌う、街角で意味不明のことを叫ぶ、話しかけても視線が動かない。そんな人を各都市でよく見かけた。日本とは頻度が違う。米国ではホームレスの人たちの20―40%が精神障害者だという。
 「病院から解放されたのはいいが、サポートが足りず、一部の人は路上に追いやられた。政策の大失敗です」。ロサンゼルスの貧困地区スキッドロウにある精神障害者の福祉団体「ランプ」のモリー・ロワリーさん(55)は憤慨する。
 米国は一九六三年のケネディ教書で「脱施設化」をめざした。巨大な州立精神病院の劣悪な環境と人権侵害が問題になり、七十万床あった精神科ベッドは今では九万床に減った。ところが、それに代わる地域精神医療への補助がレーガン政権時代に打ち切られた。
 日本は逆に「収容主義」の大国だ。精神病院の入院患者三十万人は先進国で群を抜いて多い。人口比でも米国の七倍にのぼる。社会復帰が著しく遅れ、米国とは両極端にある。
 「民間のクリニックに貧しい人はかかれない。公立の精神保健センターは投薬だけで、生活支援の施設と連携しない。それに最近は何でも逮捕される。ロスの刑務所だけで精神障害者が三千人もいる」。モリーさんは顔を曇らせた。
 ランプの事業は、路上で声をかける活動に始まり、シャワーや衣類の提供、緊急宿泊所、半年から二年の滞在施設、さらに援助付き住宅、恒久住宅、農場に及ぶ。その場限りでない継続的ケアを進めるためだ。路上の人たちの四割を占める薬物、アルコール依存者にも手を差し伸べている。
 スキッドロウの滞在施設を見学した。居室は四十八床。間仕切りでプライバシーを確保、クリーニングなどを請け負う共同作業所もある。スタッフは「細かい規則はない。ゆったり過ごせます」と説明する。
 貧困と、社会的、個人的な要因が絡み合う米国に比べれば、日本の野宿者は失業など経済的要因が中心で、解決しやすいはずだ。それを阻むのは行政の姿勢や市民の意識だろう。
 ただ、米国民の意識も一筋縄ではいかない。
 「NIMBY(ニムビー)」という言葉を何度も耳にした。「ノット・イン・マイ・バック・ヤード(うちの裏はやめて)」の頭文字をとった造語だ。ホームレスの人や精神障害者に同情はしても、施設計画が浮上すると、周辺住民の反対運動が起きる。
 サンフランシスコのNPO(非営利法人)「ホームベース」の活動の一つは、そうした摩擦の解消だ。メンバーの弁護士トニー・ガードナーさん(42)は「ある程度、成功するようになった」という。
 「まず時間をかける。闘うのではなく、何が心配なのかきちんと聞き、事実に基づいて説明する。施設は小さい方が効果的。大規模だと目立ち、管理が厳しくなって利用者にも好かれない」。長居公園の避難所をめぐる大阪市と住民の対立を思い、今後に役立てたい意見だと感じた。

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◆20010803 精神医療と家族・アンケートから 貧困な医療、福祉−−地域で孤立感深め――毎日新聞

◇首相発言にショック/身内からも白眼視/安心して暮らしたい

 児童8人が犠牲になった大阪・池田の学校乱入殺傷事件をきっかけに重大事件を起こした精神障害者の処遇問題がクローズアップされる中、毎日新聞が全国精神障害者家族会連合会(全家連)の協力を得て実施したアンケートで、精神医療や福祉の乏しさに偏見が重なり、障害者と家族が孤立している実態が浮かんだ。調査結果の詳細と、日本の精神医療の現状を報告する。(調査結果の一部は7月22日朝刊で紹介しましたが、その後、回答が増えたためデータに若干の変更があります)【精神医療取材班】

◇「親亡き後」に不安−−病院、保健所に支援求め

 ●生活状況

 アンケートは毎日新聞が全家連に加盟する東京、大阪の各家族会を通じ、会員計500人を対象に実施した。最終的に248家族から回答を得た。

 回答者のうち、障害者本人の年代は30〜40代が67%を占め、介護する家族の高齢化が目立った。本人の発症から10年以上の家族が72%に達した。

 本人の生活状況は、「家族と同居」が85%と圧倒的に多く、「一人暮らし」は7%、「グループホームで生活」は2%にとどまっている。日中、作業所に通う人は46%いたが、社会復帰施設は7%に過ぎず、地域での福祉の受け皿の少なさが際立っている。また、「どこにも通っていない」人が21%おり、「作業所が満杯で、行き場がない」との記述もあった。

 ●短い診療時間

 通院の不満で最も多いのは「診療時間が短すぎる」で、回答した4割以上の世帯が訴えている。

 回答者の平均診療時間は約6分で、「心の病を5分や10分の診療で治療できるとは思えない」「待ち時間は長く、診療は1分程度で薬を出すだけ。患者にどう接していいのか、疑問がたくさんあるのに聞いてもらえなかった」などの声が相次いだ。

 入院中の処遇では、「おむつをして2週間ベッドに縛りつけられ、看護士から殴られた」「保護室に長期間入れられ、人間としてのプライドが傷ついた」「髪をつかんで廊下を引きずられた。患者は人間と思われていない」などの記述もあった。

 精神科救急医療については66%が「利用したことがない」と答え、そのうち「利用の仕方を知らない」という家族が12%あった。利用した経験のある家族は22%いたが、「『空きベッドがない』と診療を拒否された」「なぜ救急車で搬送してくれないのか」など、問題点を挙げる回答も目立った。

 東京都は都内4ブロックの都立病院が4床ずつ救急用の病床を確保しているが、措置入院が必要な「ハード救急」を対象にしたもので、自傷他害の恐れのない「ソフト救急」にはほとんど対応できていない。大阪府はハード救急に計8床(うち大阪市分4床)を確保するほか、ソフト救急は民間病院の輪番制で府全域で7床を確保し、119番を通じて振り分けている。いずれも体制、マンパワーは不足しており、特にソフト救急の受け入れ体制の整備は多くの患者、家族から強い要望が上がっている。

 ●将来への心配

 困っている問題では、入通院する子供の「親亡き後」の生活を心配する声が圧倒的に多い。「精神病の息子と難病の妻を抱え、死の淵(ふち)をのぞいたこともあった」=東京都調布市、男性(67)▽「生活支援の中心となる施設がどうしても必要」=東京都武蔵村山市、男性(70)−−など、地域の受け皿づくりが進まないため、高齢になってから不安を募らせている家族も多い。

 これに続くのが、「偏見などが気になり、地域での生活に不安がある」。退院後にアパートを借り、共同作業所などに通う人もいるが、「偏見があり、アパートを借りられない」という人もいた。また、「温かい保健婦さんの巡回が皆無になっている」など、保健所のフォロー体制の不備も多く挙げられた。就労支援や住居の確保は難しく、「身体障害、知的障害と同じレベルに福祉施策を引き上げてほしい」といった要望も6割近くに上っている。

 また、差別や偏見は深刻で、4割近い家族が「啓発活動の充実」を求めている。「本人がいとこに電話で『親せきの恥だ』と言われた」「他の親族と疎遠になった」など、身内でも孤立している家族もあった。東京都内の男性は「偏見を是正し、精神障害者への理解を進めることで、大半の問題は解決する」と話し、心の病に対する啓発の不十分さを指摘している。

◇報道にも傷つき

 ●事件の影響

 大阪・池田の学校乱入殺傷事件で、逮捕され鑑定留置中の宅間守容疑者(37)には精神科の入通院歴があった。この報道で、本人、家族のいずれかが「影響を受けた」と回答したのは140人に上り、どのメディアの報道によるかを尋ねたところ、テレビ(87%)▽新聞(61%)▽雑誌(10%)−−の順(複数回答)で多かった。

 「精神障害と犯行の関連について、鑑定結果が出る前の段階で容疑者の通院歴を報じたことで、多くの精神障害者が危険視された」という意見が代表的で、「ラジオで芸能人が精神障害者を差別するような発言をしていた」「専門家のコメントがあまりに無責任」「(刑法改正を示唆するような)小泉首相の発言にショックを受けた」などの記述があった。一方で、容疑者に対して精神医療の適切なフォローがなかったことを問題視し、「十分な支援があれば、事件は防げたのではないか」という意見や、「なぜ(容疑者の)担当医がコメントしないのか」という批判もあった。

 具体的な影響では「同居している家族から『もう一緒に暮らせない』と言われた」など深刻な事例もあった。東京都内では地域のバザーに毎年模擬店を出してきた家族会が、バザーの協力者から「怖いと思われて客が減るのではないか」との指摘を受け、看板から「精神障害者」という言葉を削除した。

 マスコミへの要望では「今回の事件を機に正しい啓発をしてほしい」「一生懸命に社会復帰に努力している精神障害者の存在を日ごろから伝えるべきだ」などが多かった。


・老いた母「現状変える」−−長男発病を機に家族の会

 ◇退院後の受け皿求め「体制充実を」

 「ボケてなんかいられません。入院する必要のない精神障害者が病院に吹きだまっている状況を、何としてでも変えなければ」

 東京都足立区の服部百合子さん(76)は語気を強める。中学生で発病した長男(49)の世話をする傍ら、地元の家族会の事務局長として会員の相談に乗り、行政機関や作業所を訪ねては体制の充実を訴えてきた。喜寿を前にしても緊張の糸が切れないのは、「親なき後」への不安が頭から離れないためだ。

 内向的な優等生だった長男は中学2年の時、学級委員に選ばれた。重圧でふさぎがちになり、ある時、日記に「犬になりたい。そうすれば人と付き合わなくていい」と書いた。高校に進学して1カ月で自殺騒ぎを起こし、退学。部屋にこもり、暴力もふるった。医師から精神分裂病と診断されたが、百合子さんには信じられず、寝ている息子の首を絞めて自分も死のうと何度も考えた。

 「何かしてやれることはないのか」。そんな思いで参加した講演会で「精神病は家族の気持ち次第で治せる。治そうという強い信念を持つことが大切」という話に勇気付けられた。69年、夫の高彦さん(82)と地元で精神障害者の家族会を発足。今は「ひだまりの会」という名称で、約60家族が集まる。高彦さんは80歳を超えて体が弱り、百合子さんが活動を担う。

 足立区の精神障害者は約6000人。区民100人に1人の割合だ。しかし、区内の施設はグループホームが5カ所、作業所が13カ所、地域生活支援センターが1カ所だけ。「軽快して退院しても、結局また病院に戻るしかないのが現状」と百合子さんは嘆く。

 そんな百合子さんを支えるのは「薄紙を一枚一枚はぐように、息子の回復の手応えが感じられること」。長男は通算21年間入院し、89年に退院。今は両親と暮らしながら、週4日、近くの作業所に通う。最近は風呂上がりの高彦さんに冷たい水を差し出すほど、家族を気遣うようになった。

 「精神障害者の家族は、強い偏見にさらされ、声を上げられない。その思いを代表し、見えも恥もかなぐり捨てて運動するしかない。息子たちが社会の一員として、安心して暮らせる日のために」と百合子さんは言う。

 ◇娘と息子が患者、人の輪避けて…

 「おかんが死んだら、オレが姉ちゃんの面倒みんとあかんなあ」。大阪市内の公営住宅。夕食時、新聞配達をしながら精神科に通院する長男(35)の言葉に、木内淑子さん(59)=仮名=は涙がこぼれそうになった。

 生来耳の遠かった長女(38)は会社員だった約13年前、先輩のいじめを苦に退社。好意を寄せていた男性にもふられ、鏡を見ては「私の顔はゆがんでいる」と繰り返し、精神分裂病と診断された。5年後、長男も大学を退学して家に閉じこもった。夫は「仕事もせんと、何しとんのや」と怒声を浴びせ、家族関係にきしみがうまれた。

 離婚し、木内さんは祖母(81)の生活と二人の子の治療のため、仲居仕事で信州や北陸の旅館を回った。午前2時に起き、食費を切り詰め、月15万円を送る生活を4年続けたが、長男の病状が悪化し大阪に戻った。

 公営住宅に引っ越した直後、昼間家にいることが多い長男のことを近所の人に聞かれた。「心の病なんです」。木内さんが思い切って告白すると、井戸端会議で「お兄ちゃん、部屋で暴れない?」と聞かれた。「ひと様に疑いをかけられてはいけない」と、長男の服装に厳しくなり、人の輪を避けるようになった。

 唯一の居場所は、1年前に入会した地元の家族会だ。毎月1回の会合で悩みを打ち明け、副作用の少ない薬の情報も交換する。「病と闘う我が子が、親亡き後に偏見にもさらされず生きていける社会は、いつ訪れるのでしょう」

 ◇差別や偏見、訴え切々−−自由記述欄に寄せられた声

 ★劣悪な閉鎖病棟

 措置入院した息子に初めて面会に行った時、「この世にこんな世界があるのか」と頭がくらくらした。鉄格子の窓からはわずかな光しか入らず、便所には扉がなく、看護士は仮面のような顔をしていた。閉ざされた世界にはリハビリにつながるものは何もなく、あの状態では治るものも治らない=匿名

 ★医師の質に疑問

 子供が入院中、医師に「悪化してコミュニケーションが取れる状態ではない」と治療を放棄するようなことを言われた。薬を大量に飲まされていたので、「副作用ではないか」と減らすよう訴えた。薬が減ると状態は良くなった。薬のさじ加減すら分からない医師に、日本の精神医療のお粗末さを見せつけられた=匿名

 ★治療薬開発を

 娘に包丁を突き付けられた妻は「それでお前の病気が治るなら、殺して構わない」と言った。娘は包丁を投げ出し、妻に抱きつき号泣した。娘が悪いのではなく、病気が暴力をふるわせていると気付いた。10年前、医師に「21世紀の初めに新薬ができ、治療は画期的に進む」と聞いたが、もう21世紀になり、娘は今年亡くなった。偏見をなくすためにも、国は治療薬の開発に力を入れるべきだ=東京都目黒区、元会社員、男性(74)

 ★保健所に不満

 以前は保健所の保健婦が相談や訪問要請にも気安く応じてくれた。だがここ数年で削減され、「高齢者や乳幼児の世話で手いっぱい」と相手にしてくれない。20年間病に苦しむ息子は病気を隠して働き続けたが、会社組織の中で疲れきり、「障害者として生きていく」と言いだした。だが、作業所はどこも満杯で、失業状態。社会的な受け皿の整備を急いでほしい=東京都大田区、主婦(75)

 ★センター設置進まず

 長男(41)は会社の会合で部長から「この中に辞めてほしい人がいる」と言われ、自分のことだと思い、引きこもった。99年から市に地域生活支援センターの設置を訴えている。センターは子供の自立を進めるとともに、親が息を抜ける貴重な時間をつくり出す。だが、周辺の自治体にはあるのに、いっこうに進まない=東京都武蔵村山市、女性(67)

 ★親だけでは限界

 地域や社会のサポートなど何もない。保健所も週末はしっかり休み。「親の長生きが一番の福祉」と言われたことがあるが、親だけの力では限界がある。夫婦で白内障や神経痛を患い、あと5年は生き抜きたいが、社会に対応する能力を失った息子を一人で残すわけにもいかず、本人に冗談まじりに「わしより先に死んでくれ」と言っている=大阪市城東区、工場経営、男性(76)

 ★就労差別をなくして

 作業所に通所しているが、月曜から金曜まで働いて、月給は3000円程度。社会常識から大きくかけ離れている。どうやって生活していけというのか。社会全体の差別をなくし、就労できるようにしてほしい=匿名

 ★報道に配慮を

 地域の理解を求めながら作業所を立ち上げ、やっとの思いでやってきたが、今回の事件の容疑者に精神科の通院歴があったという報道で、「やはり危険な人たちだ」と思われるようになってしまった。メディアには表現に配慮し、地域で苦労している障害者や家族のことももっと取り上げてほしい=匿名

 ★社会の理解を

 マスコミにも政治家にも、もっと精神病のことを勉強してほしい。重大事件を起こした人の専門病棟をつくるという声が出ているが、精神障害者が今まで以上に恐れられるだけで、いい結果はないと思う。病気になる人は純粋でまじめな人が多く、この国の政治家のように、悪いことをしても保釈金を積んで大きな顔をして出てこられるぐらいのずぶとさを持ってほしいと思うぐらいだ=匿名

 ★親族とも疎遠に

 事件があるたびに、親族からも「精神障害者は怖い」と思われる。ある時、親族の家で患者の子供が「もう来ないでくれ」と言われた。連れて帰る時、子供は自動車に飛び込もうとした。それ以来、親族とは付き合わなくなった。本人も家族もつらい思いをしている=東京都調布市、主婦(63)

 ◇依然高い入院率−−開かぬ社会復帰への扉

 厚生労働省の患者調査によると、精神病院などに入院・通院する精神障害者数(推計値)は93年の157万人から96年には217万人と急増。99年時点でも204万人に上り、「心の病」は誰にとっても身近な問題となっている。

 急増の背景について、同省は「社会全体のストレスが増えたことや、精神科を受診することに抵抗感が減ったことが挙げられる」と分析する。外来患者は93年に124万人だったが、96年には183万人と1・5倍になっている。目立つのは、中高年層を中心にしたうつ病などの増加だ。

 入院患者数は94年の34万3126人から年々減り、99年には33万2930人となった。しかし、欧米諸国に比べると依然として入院率が高い。平均在院日数は331日、5年以上の長期入院患者は46・5%(いずれも96年患者調査)に上り、社会復帰は進んでいない。

 欧米では「脱施設化」の流れが顕著だ。「我が国の精神保健福祉(00年版)」によると、米国では55年に56万床だった州立精神病院の病床数が、脱施設化の進展で92年には9万床に減った。しかし、退院後のケアやリハビリ施設などの受け皿が不十分だったため、患者が入退院を繰り返す結果になった。英国は病院閉鎖で生じた資金を地域の態勢づくりに再投資する法律をつくり、地域ケアを進めている。イタリアでは78年のバザーリア法で新たな入院や、精神病院の設立を禁止し、各州に公立精神病院を廃止する権限を与えた。

 脱施設化に不可欠なのは、社会の受け皿づくりだ。99年版厚生白書には、家族の高齢化や、単身で暮らす精神障害者の増加などから、「精神障害者の生活支援を家族に依存することが難しくなってきており、身近な地域で支援する施策が求められている」と記されている。しかし、昨年7月、旧建設省は公営住宅法の政令を一部改正し、介護を受けられる身体障害者の単身入居を認めたものの、知的障害者や精神障害者は見送られた。

 国としての取り組みの遅れが、精神障害者の社会復帰への道を遠のかせているのが実情だ。
 
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◆20011205  「受け皿」充実を 触法精神障害者の処遇 訓覇法子 【名古屋】――朝日新聞

30年前、私は日本で、精神医療ワーカーとして、精神障害者と向き合う現場で働いていた。十分な精神医療も地域の受け皿もない中で、重度の人を「措置入院」させることは、隔離的意味合いが強い。力不足、そして仕事に疑問を感じ、挫折した。
 今、触法精神障害者への新たな処遇システムが日本で議論されている。「社会の安全」を求める世論のみが強調されれば、根源的な議論なしに安易に隔離的政策が進められるのではないかと危ぐしている。
 
 ○脱施設化の挑戦

 触法精神障害者への対応は、スウェーデンでも長年、社会的課題の一つになっている。昨年、こんな事件が起きた。国立劇場と国が共同で、服役中の囚人を劇に実際出演させるプロジェクトを実施し注目されていた。しかし、3人の服役者(人格障害者)がけいこ中に逃走。銀行強盗後、警察官2人を射殺した。
 衝撃的な事件が発生すると、スウェーデンでもやはり「社会の安全」を求める声は上がる。だが、世論の主流は、障害者へのケア対応が遅すぎる、すなわち社会の受け皿が不十分だ、という指摘だ。「隔離」では問題は解決しないことをスウェーデンは体験的に学んでいる。
 隔離収容中心の精神医療から脱する「脱施設化」に踏み出したのは60年代後半。治療法の発展、隔離政策への批判に加え、隔離収容はコスト高の割にあまり効果が見られない、という経済上の理由が政治的決定を促した。
 95年に実施された精神保健改革では、重度の精神障害者のための住宅の保障、社会参加支援など生活状況の改善が図られた。24時間いつでも援助する「在宅支援可動チーム」の活動は、入院期間の短縮、救急科への訪問回数の減少などの効果をあげている。
 
 ○強制ケアは存続

 だが、「強制ケア」(強制入院)は、何度も議論されながらも完全廃止には至っていない。強制ケアは、隔離を目的とする「保安処分」とは異なり、困難な状況に置かれた人々を援助(治療)する可能性を放棄しないという観点から、触法精神障害者らに対して適用されている。
 原則として逮捕者は皆起訴され、裁判所の判断で、平均4週間かけて精神鑑定がおこなわれる。犯罪との因果関係と、深刻な障害が明らかになれば、刑務所服役の適用は禁止され、強制ケア、保護観察、執行猶予などが適用される。強制ケアを受け、地域での支援を受けたグループは、そうでないグループよりも再犯率が低いという調査結果も出ている。
 しかし、このシステムにも問題はある。刑務所服役者の数%が精神障害者であり、また10〜20%が人格障害者と想定され、彼らの過半数が精神鑑定を受けてないことが分かっている。裁判所の判断の不十分さ、刑務所での精神障害ケアの不十分さが指摘されている。
 また、精神鑑定を担当する精神科医によって判定が異なる点も問題になっている。精神障害と犯罪の因果関係は、人がなぜ罪を犯すのかを科学的に分析し因果関係を明確にするのと同様に、非常に難しい。ただ一つ言えることは、犯罪は、社会構造や権力関係を如実に反映しているということだ。
 
 ○根源の議論必要

 触法精神障害者の処遇をめぐる議論には、民主主義社会をどうとらえるか、という根源的な問いが絡む。
 民主主義の基本的価値観は、すべての人が対等な価値を持つことにある。同等の価値を認めるのであれば、だれかによって社会の安全を脅かされることも覚悟して生きなければならない。スウェーデンは、このような国民合意のもと、社会の安全と共生社会の両立を図る努力をしている。94年に犯罪被害者保障援護局が設置されたのも、犯罪被害者への支援が不十分だという反省からだ。共生を可能にするには多様な対応が必要だ。
 日本はどうか。与党は、裁判官や精神科医などで判定機関を作り、責任能力を問えない触法精神障害者の処遇を決める案を検討しているという。肝心な精神医療の充実や地域の「受け皿」づくりについては具体案を欠く。どういう社会を形成するのか選択せずに、医療の名のもとに触法精神障害者の「閉じこめ」効果を求めるのか。技術的な解決でお茶を濁そうとしているように見える。
 触法精神障害者とともに生きる社会、共生社会・民主主義社会を目指すのか否か。同じ国民であっても健常者を国民第一軍とみなし、社会発展に十分貢献できない社会的弱者は国民二軍とみなすのか。こういった根源的な議論は日本の政治の場では、無理なのだろうか。
 排除社会に生きる精神障害者は治療によって不安を解消されるどころか、社会から受容されないという実存的な不安に絶えず脅かされることになる。すなわち、排除社会自体が排除された人たちによる犯罪発生の根源をつくる皮肉な結果を生むだろう。
 社会に、精神障害者と共に生きる能力が欠けるがゆえに、治療や保護の名の下に精神障害者を社会から隔離する思想が生まれるのだ。
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 くるべ・のりこ ストックホルム大学大学院研究員 47年、三重県生まれ。日本福祉大学教授。社会福祉学専攻。アルコール乱用者のケア、高齢者ケアも研究。著書は『スウェーデン人はいま幸せか』(日本放送出版協会)など。


*作成:三野 宏治
UP:20100408 REV:
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