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◆20000122 障害者の地域生活へ講演会とシンポ開催 30日に大阪 /兵庫――朝日新聞
◆20001019 虐待に挑む・米イリノイ州からの報告/中 裁判闘争で「解放」――毎日新聞
◆20001024 街で普通に暮らす、自分らしい生き方求めて 北海道・伊達市の障害者242人――読売新聞
◆20000122 障害者の地域生活へ講演会とシンポ開催 30日に大阪 /兵庫――朝日新聞
アメリカの入所施設から地域移行についての研究者チャーリー・レーキン博士の講演会「知的障害者が主体的に暮らすということ」(通訳付き)と障害者本人によるシンポジウムです。30日13時−16時半、大阪市此花区西九条6のクレオ大阪西・ホール。当日先着380人。参加費1500円(障害者は500円)。
講演する同博士は知的障害者の地域生活運動に長年関わっている中心人物で、アメリカ合衆国でその優れた援助活動に対して与えられるディブウッド賞を昨年受賞しました。主催は愛知県コロニー発達障害研究所。問い合わせは共催の朝日新聞大阪厚生文化事業団(06・6201・8007)。
◆20001019 虐待に挑む・米イリノイ州からの報告/中 裁判闘争で「解放」――毎日新聞
◇繁栄の陰で知的障害者は施設に放置された
米国で工業化と都市化が急速に進んだ20世紀初頭、知的障害者は繁栄を妨げる「反社会分子」とみなされ、各州で施設へ収容する法律が作られた。数千人規模の施設が過疎地に次々と建てられ、劣悪な環境の中に障害者は放置され虐待を受けていた。1960年代半ばには施設入所者は約15万人に上った。
50〜60年代、「全米親の会」の活動やケネディ政権の登場でようやく障害者施策の見直しが始まったが、流れを大きく変えたのは70年代以降の裁判闘争だった。州立施設にいる障害者一人一人の教育や医療サービスを充実させることを州政府に命じたワイアット訴訟(72年)、障害者が不必要な拘束を受けず、安全で人道的な環境に住む法的権利を認めたペンハースト訴訟(76〜78年)など画期的な判決が続いた。
「この30年間に障害者や親の会が起こした訴訟は約50件あるが、原告が負けたのは1件だけだ」。フィラデルフィア法律事務所で障害者問題を専門に取り組んでいるジュディス・グラン弁護士=写真=は言った。同法律事務所は顧客から手数料を取らず、勝訴で得られる賠償金や和解金、民間財団からの助成や寄付金などで運営されている。こうした非営利の法律事務所は全米で100カ所ほどあり、人権、教育、環境などをテーマに活動している。グラン弁護士自身は数々の「脱施設化訴訟」にかかわり、障害者を大規模施設から解放し地域でより自由な生活を送る権利の獲得を進めてきた。
だが、裁判闘争は、勝訴判決で終わるわけではない。多くの州は予算もノウハウもないため、裁判所から施設の解体を命じられても、それに代わる地域サービスを提供できず、すぐに判決に従わないことが多い。原告は動かない州政府を法廷侮辱罪で訴え、これを受けて裁判所は虐待の防止や障害者の地域生活を促す具体的計画の提出を州政府に命じる。それにも従わない場合は、裁判所が監視人を州の行政機関に派遣し日常業務を報告させる。「ここまでやって、ようやく障害者の地域生活の基盤ができる。あきらめず、しつこくやり続けなければ」とグラン弁護士は語る。
裁判闘争で重要な役割を演じているもう一つの勢力は各州にある人権擁護機関「P&A(プロテクト・アンド・アドボカシー)」だ。連邦議会が70年に制定した発達障害法に基づいて設立され、多くは各州の補助金で運営されているが、州政府を提訴することもあり、公的機関とは絶えず緊張関係にある。
イリノイ州のP&Aは、障害者や親に対して権利擁護に関する学習や法律相談を行っているが、「州議会に障害者施策の立法化を働きかけたり、裁判闘争による制度改革への取り組みが特に重要」とジーナ・ナディチ代表は言う。施設での虐待を通告されながらすぐに調査しなかった州公衆衛生局を提訴▽精神障害者の学生を退学処分にした大学を提訴▽けがをして身体障害者になった警察官の就労を認めなかったシカゴ市警を提訴▽障害を持った子が看護婦付き添いで授業を受けられるよう学校を提訴−−。裁判闘争はマスコミを通して大きな反響を呼び、数々の制度改革が実現した。
一つの裁判闘争によって共通の課題を持つ人々全体の被害救済を果たす訴訟は「クラスアクション(集団訴訟)」と呼ばれる。イリノイ州P&Aによる一連の裁判闘争は、一個人の訴訟を通して社会システム全体の変革を目指すさらに新しい訴訟概念を提起し、「インパクト訴訟」などと表現されている。
障害者施設での虐待を調査する州民政局や成年後見人制度の改善などを目指した特別プロジェクトにも取り組んでいるが、「州政府の補助金に頼っていては独自性や自主性を維持できない」とナディチ代表。現在は資金集めの専門スタッフを雇用し企業や民間財団、一般市民から寄付や助成金集めに力を入れている。【野沢和弘、写真も】
◆20001024 街で普通に暮らす、自分らしい生き方求めて 北海道・伊達市の障害者242人――読売新聞
働いて、結婚して、旅行に行って…
「まちで、ふつうに暮らしたい」。障害を持つ人のこんな思いをサポートする「地域生活支援」の取り組みが広がってきた。だが、施設入所が障害者福祉の中心だった経緯があり、課題も少なくない。障害があってもなくても、共に地域で暮らせる社会をつくる「ノーマライゼーション」の理念の実現には、何が必要なのだろうか。(坂上晃一)
・ノーマライゼーション根付く
「函館の夜景はきれいだったよ」。結婚5周年を記念して旅行に出た北海道伊達市の小山内明さん(45)、昭子さん(35)夫妻は、自宅を訪ねた「暮らしの相談員」の高野小枝子さん(50)に笑顔で語りかけた。
夫妻は知的なハンデを持つ。市街地の借家に住み、明さんは食肉会社、昭子さんは製菓工場で働く。「けんかもするけど、やっぱり2人で暮らすのはいい」と明さんは言う。
高野さんは、伊達市地域生活支援センター(0142・23・5603)のスタッフとして、2人の生活を支える。料理の献立から金銭管理、人間関係まで、あらゆる相談に乗る。今回の旅行にも助言をした。
有珠山のふもとにある人口約3万5千人の同市には、道内各地から集まった知的、精神障害者242人が暮らす。家族と同居している人もいれば、夫婦で借家やアパートに住む人、世話人のいるグループホームで仲間とともに暮らす人もいる。多くはクリーニング業や食品加工業などの企業、共同作業所や授産施設で働く。
◇ ◇
これだけ多くの障害者が一つの街で暮らしているのは、全国でも例がない。そのきっかけになったのが、郊外にある道立の知的障害者施設「太陽の園」(定員420人)。入所者の「まちで暮らしたい」という声にこたえ、1973年、施設から出て社会生活をするための通勤寮ができた。今は、地域生活支援センターが、彼らの暮らしを応援している。
「近視の人が眼鏡をかけるように、障害のある人にも生涯にわたる支えが必要。一度きりの人生を思う存分生きてもらうことが生活支援です」と、同センターの小林繁市所長(54)。地域生活のできる必要条件は〈1〉お金〈2〉住まい〈3〉働く場〈4〉余暇を楽しむ場〈5〉世話をする人――だと言う。
地域生活支援が始まった当初は、障害者本人や家族はもちろん、住民や職場の関係者も不安を抱えていた。センターの職員らは、本人や家族を励ます一方で、職場の責任者や不動産屋を説得して回り、仕事や住まいを確保。今では障害者との触れ合いがごく普通の光景になり、「まちが障害者に慣れた」(小林所長)という。
・各地域で障害者と暮らす仕組み必要
◇北野誠一・桃山学院大教授(社会福祉)
「入所施設か、親と同居の在宅か、という二者択一で障害者福祉をとらえるべきではない。グループホームや作業所のほか、施設を利用するのなら短期入所(ショートステイ)にするなど、様々な社会資源をうまく活用して障害者が暮らせる仕組みが、各地域に必要だ。施設整備の理由として入所希望待機者の存在が言われるが、障害者が地域で暮らすことを権利として認めているアメリカなどでは、地域生活への移行を望む待機者リストがある。日本でも、発想を変えて新しい障害者プランを作り、地域でともに暮らす『ノーマライゼーション』の考えをみんなが持つようにしたい」
・施設から地域へ 福祉政策の世界的潮流
入所施設から地域へ――。「ノーマライゼーション」の理念に基づき、地域生活は世界の福祉政策の大きな流れとなっている。しかし日本では、特に知的障害者について、「保護者の要望がある」「入所待機者が多い」などを理由に、入所施設を増やしてきた。
95年の厚生省調査によると、知的障害者は全国に41万3千人と推計され、28%にあたる11万6千人が施設に暮らす。18歳以上では3分の1が施設にいる。
北海道での調査(98年)では、施設入所者の70%以上が「グループホームで暮らしたい」「結婚して暮らしたい」など、地域での生活を望んでいた。しかし、全国知的障害者施設実態調査(98年)によると、1年間に地域に出て就労した人は0・79%だった。
厚生省の「入所施設から地域移行に関する研究」研究班は、昨年実施した実態調査をもとに、「日中の活動の場や住宅の確保という条件整備ができれば、施設入所者のうち少なくとも4千人は、すぐにでも地域生活への移行が可能」と分析している。
住まいの条件整備で注目されているのがグループホームだ。一戸建て住宅などで、数人で共同生活する知的、精神障害者を「世話人」と呼ばれるスタッフが支えるもので、地域生活支援事業として制度化されている。世話人の人件費などは、国や地方自治体からの補助金でまかなわれ、伊達市の支援センターでも制度を活用している。
知的障害の場合、国の制度は89年にできた。96年に障害の重い人に「重度加算」がつき、今年4月からは就労要件がなくなって、通所施設やデイサービスに通う人も制度の利用が可能になった。
国の障害者プランでは2002年度までに1万5860人分の整備を目標としている。厚生省ではさらに、原則的に知的障害者施設を新設しないよう都道府県に求めるなど、地域生活支援への転換を図っている。
・自立生活センター、全国に約100か所 「暮らしを設計」障害者同士で実践
ハンデがあるというだけで、買い物をしたり、友達と遊んだり、仕事をしたり、といった「当たり前」の経験をする機会を逸している障害者は多い。そんな人たちを同じ障害者の立場から支援するサービスが、地域に根づいている。
全国に100か所近くある「自立生活センター」。知的、精神障害者に限らず、身体障害者も含めて、総合的なサービスの提供を目指している。
ここでいう「自立」とは、身の回りのことが自力でできるとか、自らの稼ぎで暮らす自活という意味ではなく、「どう生きるのかを自分で考え、決めること」。介助や所得の保障など必要に応じた援助を受けながら、自分の意思で暮らしを設計することだ。
2年前にできた「自立生活センター・ナビ」(06・6760・2671)は、大阪市東住吉区の住宅地にある。スタッフ5人のうち、車いすの尾上浩二代表(40)ら4人が障害者だ。
「ナビ」の事業は▽ピアカウンセリング▽自立生活プログラム▽制度など社会資源の開発・権利擁護▽情報提供――など。「ピア」とは仲間の意味で、同じ背景を持つ対等な立場で、共に考え、問題の解決に向けて相談にのる。
自立生活プログラムでは、自立生活を実践している障害者をリーダーに、様々な経験を通して地域で暮らすためのトレーニングを行う。電動車いすで外出を経験したり、メニューを考えて自分で調理したり、パーティーを企画して開いたり。尾上代表は「たとえ重い障害を持っていても、自分らしい生き方ができるし、してもいいんだ、と思ってもらえるように働きかけを続けたい」と話す。
各地の自立生活センターではほかに、ホームヘルパーら介助者派遣や、移送サービス、自立生活体験室などのサービスを展開する。ピアカウンセリングなどの取り組みは国も後押しし、95年の障害者プランの「市町村障害者生活支援事業」で制度化。センターの多くが事業を受託している。
93のセンターが加盟する全国自立生活センター協議会(東京都立川市、042・529・1169)の奥平真砂子事務局長は、「障害者の権利擁護をする運動組織としてだけではなく、障害を持つ当事者がサービスの担い手になることに意義がある。まだセンターのない県もあり、リーダー育成に努めたい」と話している。
*作成:三野 宏治