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脱施設 〜1999

施設/脱施設


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◆19930303 グループホーム促進検討委を設置 県議会で知事が表明 /神奈川――朝日新聞

◆19930617 [What]子宮摘出の背景 施設まかせの貧困福祉 介助負担、職員に重く――毎日新聞

◆19930930 肢体不自由児施設「ゆうかり園」統廃合、利用者に強い不満 /神奈川――朝日新聞

◆19940308 実効あるホームレス対策を 黒川洋治(論壇)――朝日新聞

◆19980629 シルバーシンポジウム特集 パネルディスカッション その1――毎日新聞

◆19981027 [深層]「1室4人以下」身障者療護施設の2割違反 “ついの住み家”大部屋なんて…――毎日新聞

◆19981031 分裂病、社会復帰に援助を 粥川裕平(ストレス手帳) /愛知――朝日新聞

◆19990618 [とれたてNEWS丼]宅老所 22歳の町田寛之さん、愛知の全施設を調査 /愛知――毎日新聞


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◆19930303 グループホーム促進検討委を設置 県議会で知事が表明 /神奈川――朝日新聞

長洲知事は二日、定例県議会本会議で「障害者のグループホームを障害者福祉の長期計画に位置付け、来年度、障害者地域生活促進検討委員会を設置する」と述べた。勝野健治議員(社会)の一般質問に答えた。
 県障害福祉課によると、知的障害者が地域の住宅で集合生活をするグループホームは県内で八十一カ所あり、三百六十九人が生活している。身体障害者のグループホームは四カ所ある。八六年度前後から急増したが、家賃の高騰などで苦労している障害者が多く、比較的重度の障害者が住むケースも増えているという。
 県は、「障害者の社会参加の足がかり」や「一生のすみか」などのグループホームの位置付けと、公営住宅の活用など助成のあり方について、来年度に設置する学識者や障害者を含めた障害者地域生活促進検討委員会(仮称)で基本方向を出す予定だ。

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◆19930617 [What]子宮摘出の背景 施設まかせの貧困福祉 介助負担、職員に重く――毎日新聞

 近畿と中部の国立大学付属病院で明らかになった障害者女性の子宮摘出は、施設が介助の苦労を理由にしていた。その背景には施設数の少なさや職員不足、さらに「障害者は施設に」という福祉政策そのものの問題もある。福祉先進国のスウェーデンでも一九七〇年までは、日本の優生保護法と同様の法律があり、子宮摘出も行われていたという。しかし、障害者が施設から出て地域で暮らす「ノーマライゼーション」の考え方が定着し、障害者の権利が尊重されるようになった。その試みは今、日本の福祉に何が必要なのか、を指し示している。(特別報道部・斎藤義彦)
 中部地方で子宮を摘出された女性障害者が、当時入っていた施設を訪ねた。重度の心身障害者八十人が暮らす。深い山の中にあり、世間から隔絶された空間だ。
 職員によると、摘出された女性は、生理になると興奮して一日中叫んだり、生理用品を投げつけるなどしていたという。六人部屋のため、他の入所者が眠れず、パニック状態に。夜間の介助者は二人だけで、「とても面倒は見られない」と生理時は親元に帰すようになった。
 担当者は、現場の苦労を分かって欲しいとしたうえで、「一人のために残りの入所者が迷惑を被るなら、七十九人の方をとる。子宮摘出はよかった」と話した。 一方、これとは違った対応をしている施設もある。重度の知的障害をもつ女性十九人が暮らす関東地方の施設。生理用品をはずす女性もいるが、日課の訓練を休ませて気持ちを落ち着かせ、上下つなぎの服を着せるなど工夫している。女子職員(47)は「生理は当たり前で気にしない。便をもてあそぶ方が困るが、子宮摘出は『だからこう門を取れ』という発想と同じ」と批判する。
 日本の福祉政策は施設を中心に行われてきた。全国の知的障害者の入所施設数は約千四百。ここで約十万一千人の知的障害者が暮らす。
 しかし、厚生省が定めた施設職員の最低基準は、入所者四・三人に対し職員一人。交代勤務の都合で、夜間一人で数十人を見る施設はざら。施設内で障害者は高齢化、重度化しており、ケアが難しくなっている。入所を待つ障害者も相当数にのぼる。こうした現状から、国は九〇年度から来年度までの五年間に百五十億円をかけ、二万人を施設に入れる計画だ。
 しかし、研究者らから「施設のあり方を改善するだけでは不十分」という指摘も多い。欧米などでは、施設中心ではなく、障害者が町で暮らすノーマライゼーションが政策の基本となっている。日本でも地域で暮らすためのグループホーム(介助者付きの共同住宅)制度が八九年から導入されたが、現在全国で約二千二百人分しかない。
 長くスウェーデンに住み、知的障害者の福祉政策を研究した河東田博かとうだひろし・四国学院大学教授によると、スウェーデンでは六〇年代からノーマライゼーションが社会に浸透。女性、労働運動の高まりもあり、障害者を差別する法は撤廃され、知的障害者の性の権利も認められた。
 さらに、八六年には従来型の施設解体をうたった「精神発達遅滞者等特別援護法」が施行され、知的障害者本人が自分への援護政策を選ぶ自己決定権などが定められた。グループホームを援助し、本人に介助者を派遣するよう自治体に義務付ける条文もある。本人が意思を表明できない場合、後見人が自治体に援護を申請し、その結果に不服がある場合、本人が裁判所に提訴できる。この結果、重度の知的障害者も地域で暮らしている、という。
 河東田教授は「日本もスウェーデンのように、だれもがハンディキャップをもつと考え、彼らに寛容な社会を作っていくべきだ。本人の声を生かす法体系を作れば、貧困な行政も変わっていくはずだ」と提言する。

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◆19930930 肢体不自由児施設「ゆうかり園」統廃合、利用者に強い不満 /神奈川――朝日新聞

 県立の肢体不自由児施設「ゆうかり園」(藤沢市亀井野)を廃止し「総合療育相談センター(仮称)」に統廃合する問題をめぐり、施設を利用する子を抱えた父母の間で、県の対応に不満の声が上がっている。冠婚葬祭などで子どもを預ける「緊急一時保護」の利用が十一月末で中止されるのに、センター建設中の二年間の代替施設が県からまだ示されていないからだ。
 ゆうかり園は、肢体不自由児の入所施設として一九五八年に開設された。現在、心身に障害のある児童のリハビリテーション施設として運営されている。
 利用者減を理由に、統廃合の構想が出たのは九〇年度だ。県は、中央児童相談所と障害者更生相談所の計三施設を統合し「総合療育相談センター(仮称)」をゆうかり園を取り壊した跡地に建設する計画で、約四十億円の予算を見込んでいる。九六年開設の予定だ。
 この動きに驚いたのが、ゆうかり園を緊急一時保護のために利用している父母たち。園には緊急一時保護専用の施設はなく、入園施設の空きベッドを利用しているが、その入園部門が、施設解体を前に、十一月に閉鎖されるからだ。「利用者にわかるような新しい施設の計画の説明がない」として五月、親たち約三十人が「ゆうかり園利用者父母の会」を作った。
 親たちの不満は、十二月からの代替などが具体的に示されていない、県の計画説明が遅すぎる、の二点だ。
 三月に会は代替施設問題など九項目の質問書を出した。県は八月、「他の肢体不自由児施設などを利用してもらうよう努める」などと文書で回答したが、会は「具体的に示されないと納得できない」と反発している。
 県によると、緊急一時保護の九二年度の利用状況は、実施している県内二十二カ所の福祉施設で延べ千百一人。八八年度の二倍強と増加している。このうち専用施設を持つところは五施設で、定員は計十七人と少ない。希望が多いのに代替施設が少ない現状が親たちの不満の背景にある。
 父母の会代表の竹内伸夫さん(四五)=二宮町富士見が丘二丁目=は「説明や理解を得ないまま四十億円の事業を進めるなんて利用者軽視だ」と話している。
 県福祉部の大沢隆参事は、「ゆうかり園の利用者に、五カ所の福祉施設を利用してもらえるよう検討しているが、具体案はまだ固まっていない。緊急一時保護は、これから整備するという過渡期だけに、対応は難しい」と話している。

 ○緊急一時保護
 肢体不自由、知的障害などさまざまな障害児(者)を介護する家族たちが、冠婚葬祭や病気などで一時的に在宅で介護できない場合に、施設で短期間、緊急に預かるサービス。在宅介護を援助するのが狙いで、介護による精神的な疲れをとるためにも利用できる。食費の実費以外は無料。

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◆19940308 実効あるホームレス対策を 黒川洋治(論壇)――朝日新聞

久しぶりに、東京・新宿西口の高層ビル街を歩き、ホームレスの人たちが増えたのに驚かされた。風を避けて、コンクリートの支柱の間に段ボールで箱形の寝床を作れる人はまだいい方で、場所の確保もできずにうずくまっている人も多い。その後、この段ボールハウスの一群は都によって撤去されたというニュースを聞き、相変わらずの「狩り込み」によってしか対処しようとしない行政の姿勢に強い疑問を感じた。
 「ホームレス」「ストリート・ピープル」「路上生活者」などと呼称は変わったが、かつては侮蔑(ぶべつ)的に「浮浪者」と表現されたこれらの人々の存在は、大都市にとっては古くて新しい深刻な問題の一つであり、時代はそれにふさわしいホームレスを生み出すようである。
 米国を筆頭に、イギリス、イタリア、ドイツなど欧米先進国においては数十万から百万単位のホームレスを抱え、ほとんど解決不能な社会問題になっている。ホームレスの発生は過密、貧困、失業、家庭崩壊、孤立、疾病など様々な要因がかかわった社会病理現象であり、容易な解決は困難であるにしても、比較的数の少ない現在に早急に実効ある対策を立てることが急務と思われる。
 私は一九八〇年代の中ごろ、東京都の精神保健行政に携わったことがあるが、当時から新宿、上野などのホームレスの問題があった。福祉、警察、衛生などによる協議も行われ(1)軽犯罪法や道路交通法などで保護・逮捕しても一泊二日程度の留置しかできない(警察)(2)救護施設などに収容してもすぐ出て行ってしまう(福祉)(3)精神障害があって自傷・他害の行動を伴わなければ人権の問題もあり対応困難(衛生)などという対応がなされ、結局、この人々は自由意思であのような生活をしているということにされた。この人たちを取り締まりや排除の対象と考え、ハードな対策をとろうとすれば、収容か放置しか方法がなかろう。しかし、人間として全くの無権利状態に置かれ、路上で死を迎える人が後を絶たないのを見る時、彼らが援助を必要とする絶対的な生活困窮者であることが理解できる。
 米国におけるストリート・ピープルの発生には、精神医療における脱施設化(デインスティテューショナリゼーション)政策、つまり大精神病院を廃止ないしは縮小し、多数の精神障害者を地域に出したことが大きく起因しているといわれている。
 この事業はケネディ大統領の教書に始まる革命的な精神医療改革に端を発しており、今日、世界的にみてこの理念を否定する人は少ない。必要なマンパワーや施設に対する予算措置がなされなかったことが失敗の原因とされている。また、三百万人ともいわれる米国のホームレスと退院精神障害者数には一けた以上のずれがあり、精神障害はホームレスの一要因と考える方が妥当であろう。
 わが国にストリート・ピープルが少ないのは精神医療がその役割を果たしているからで、米国の轍(てつ)を踏んではならないという意見は根強いが、日本の地域精神医療の遅れをそのことで合理化すべきではない。
 ホームレスと精神保健が深くかかわっているのは事実で、アルコール・薬物依存、精神分裂病、知的障害などで援助の手がさしのべられなかったり、治療を拒むケースもホームレスのうちの何パーセントかには見られると思う。しかし、私はホームレス対策と精神保健対策が同一視されることを恐れる。ホームレスの中での精神障害の問題は、地域保健サービスの充実の中で対応可能であり、その点では東京都の精神保健対策などは、改善の余地は多々あるといえ、前進していると思う。
 いま必要なことは、行政やボランティアによる具体的な援助を通して、ホームレスの実像に迫り、ケーススタディーの積み重ねの中からきめ細かい援助体制を確立することであろう。また、大都市においてはホームレスのための幅広い人材を結集した研究グループが必要と思われる。不況が長引き大量のホームレスが生ずるような場合は、きわめて政治的な問題であることから、別の特別な対策が必要になろう。
 それにしても、このような都市の光景を「見て見ぬふり」する風潮が全体に浸透し、かつて六〇年代の若者が有していた「社会正義」「平等」「人間の尊厳」などへの共感性が希薄になったのはどうしてなのだろう。
 (積善会曽我病院副院長、精神科医=投稿、小田原市)

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◆19980629 シルバーシンポジウム特集 パネルディスカッション その1――毎日新聞

坂巻 バリアフリーとは、障害のある人たちが普通の人と同じように地域社会で生きていくためのさまざまな障壁(バリア)をなくしていこうという考え。障害者問題は高 齢者問題とつながる。年を取れば足腰が不自由になる。障害者任せにせず、高齢者 や若い世代に何ができるか。物理的、制度的な障壁や、高齢者や障害者を保護の対 象とみてしまう心の壁を取り除き、だれもが誇りと尊厳をもって生きてゆける21 世紀の高齢社会を築くため、何をすればいいか考えたい。

定藤 私は21年前、交通事故で首の骨を折り、体の5分の4がまひしている。障 不幸と決めつける風潮があるが、ええこともある。ずいぶん稼げるようにもなった (笑)。
街づくりで一番大切なのは、だれもが1人で自由に移動できること。大阪はこの 10年間ではるかに住みやすくなった。だが全国的にみると、大都市はいいが、新 幹線から在来線に乗り換えたとたん、「同じ国かいな」という感じになる。段差が あっても駅員は無視。プラットホームと車両のすき間も大きい。
以前は1人で車いすで街に出ると、警察を呼ばれて保護された
多少危険を冒しても自由に外出できることが自立を尊重することだが、日本は安全 第一で、いまだに障害者や高齢者に「らしく」生きることを求めている。
公共サービスももっと利用しやすくすべきだ。1階が駐車場で中2階がレストラ   ンというスタイルが増えているが、ある店で車いす用の駐車場があるので入ろうと したら、入り口までが階段で、複雑な気分になった。図書館ではカウンターまで車 いすで行けても、コンピューターを使えなかったりする。エレベーターつきの映画 館に入ったら、中が階段だったこともある。カリフォルニアでは、映画館にもスタ ジアムにもスロープがあった。
 偏見もある。民間住宅は独居老人や障害者というだけで、「もしもの火事」を理由に入居を拒否されがち。だが、障害者は火事の危険に一番敏感だ。楽しみ憩うことでも日本は遅れている。アメリカの障害者はディスコが大好き。「車いす専用のディスコがあるんか」と聞いたら、「そういうのは差別というんや」と怒られた。普通のディスコが車いすで利用できるようになっている。
 最後の課題はだれもが平等に社会参加できる街づくり。この点でも、日本は取り組みが遅い。社会参加といえば教育、就労施設の整備が重要だが、条例が規制対象にしているのは、工場では5000平方メートル以上。教育施設は「特定の人が利用する施設」と考えられている。最近は阪神大震災で小、中学校が避難所になったことを教訓に、ようやく「学校にも車いす用のスロープやトイレが必要」という発想が出てきた。

 北村 私が所長をしていた大阪府立介護実習・普及センターでは約1000点の福祉機器を展示し、住宅改造の参考になるモデルルームもある。福祉機器には本人の自立を助けることと、介護が楽になることの二つの役割がある。見学者の相談で多いのは、ベッドやベッド周りの手すりやさく、車いすについて。そうしたものが整えば、家の中を動かしたり、外へ連れていきたくなる。
 家庭訪問などで感じるのは、住宅の中の問題。介護者の8割は女性だが、2階に住んでいる高齢者を背負って狭くこう配の大きな階段を上り下りするのは大変。手すりをつけるにしても、廊下の幅自体が狭かったりする。わずかな段差が室内の移動を困難にする。移動は自立を助け、楽しみにつながるが、なかなか実現できないのが現状。モデルルームを見ても「あんなにお金をかけられない」との声もある。福祉機器は開発が進んでいる。みんなが関心を持ち、良いものができるよう声を出していかなければいけない。
 私の住む街は三十数年前に開発された住宅地。山の上で、駅も遠い。若いころに家を買い、高齢になった人も多く、高齢者の割合は20%ぐらい。「足腰が弱って買い物にも行けない。えらい所に来ましたなあ」という話題が出る。段差解消とともに、高齢者が外に出て行く気持ちをどうやって持ち続けるかも課題だ。

 三星 4月にオープンした神戸中突堤の船客ターミナルの計画と設計委員会で委員長を務めている。計画前に全国の船客ターミナルを視察したが、条例には適応していても、本当に使いやすいかどうかは疑問があった。その疑問点の克服を試みた。多くの方に行ってみてもらいたい。
 この計画には画期的なポイントが四つある。まず、計画から実施まで行政の外部の意見を取りいれた点。次に、高齢者や障害者の対策を主軸に置き、お年寄りでも障害者でもメーンの通りを一緒に歩けるようにした点。例えば専用トイレは建物内に設置されていれば現行の条例はクリアできるが、奥にあるのでは便利とはいえない。
3番目に、委員やヒアリングに多数の障害者が参加した点。4番目に、幅広い人の利益を考える「ユニバーサルデザイン」の思想を徹底した点。
 これら四つすべてを適用した公共的施設は、福祉施設以外ではほとんどない(現在、阪急伊丹駅と広場整備で同じコンセプトによる建設作業が進んでいるとのこと)。神戸の取り組みを全国的に広げたいと思っている。
 福祉の街づくりのもうひとつの切り口は、高齢者と若者が共存できる活気ある街の創出。これには高齢者対策だけではカバーできない問題も含まれてくる。日本の場合、年齢や世代間に区分があり、分を越えないようにする傾向がある。その垣根を越えなければ。
 ホルム デンマークの福祉モデルの根底には「国民はだれでも必要とするサービス、社会的恩恵を受ける権利がある」という原則がある。本人の財政的状況や原因に左右されず、ニーズに合わせてサービスを提供する。一人一人の個人に対し、社会全体が責任を持つとの考えで、すべてのサービスが税金でまかなわれている。
 高齢者・障害者政策の3本柱はノーマライゼーション(標準化)、インテグレーション(社会への統合)、脱施設。サービスの目的は、できるだけ普通の生活を送るための手助け。具体的には経済的保障、援助制度や教育・雇用の促進、在宅看護や住宅改造支援など。
 1950年代までは、障害者は保護の対象との考えから、終身生活できる特別な施設を作っていた。50年代になって、この考えは障害者に孤立感を与え、社会から隔離しているという批判を受けた。70年代は本人に何かが欠けているのではなく、一人一人の条件と環境がマッチしていない、それが「障害」なのだ、という考えに変わった。個人への支援と同様、社会の障壁を取り除くことが大切だ。
 具体的な取り組みで一番重要なのは、経済的バリアの除去。支援の必要な人に市町村から各種年金を付与している。次に公共施設ではエレベーターを完備し、段差を一切なくす。住環境については、ニーズに合わせた共同住宅を無料提供している。福祉機器も郡レベルで必要期間、無料提供する。在宅ケアも完備しており、ボタンひとつで最寄りセンターからヘルパーや看護婦を呼べる。リハビリが必要なら、タクシーで最寄り施設まで連れてゆき、生活をエンジョイし、孤独感に陥らないようにしている。郡は重度障害者にバスやタクシーを提供する義務があり、自家用車の改善費用も自治体などで提供している。
 高齢者、障害者にとってやさしい街とは、だれにとっても優しい街をつくることにつながる。

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◆19981027 [深層]「1室4人以下」身障者療護施設の2割違反 “ついの住み家”大部屋なんて…――毎日新聞

 介護が常に必要な身体障害者が暮らす全国の療護施設の約2割が、「同室(相部屋)は原則4人以下」とした厚生省基準に違反している−−。こんな調査結果が今秋、東京で開かれた「療護施設自治会全国ネットワーク」の集会で報告された。療護施設で終生を過ごさざるをえない多くの入所者たちは、プライバシー確保のため、長く大部屋解消・個室化の実現を求めている。 【中村一成】

・香川は改築計画凍結

 調査は、高松市の香川県立療護施設「たまも園」(98人入所)の入所者サークルが行った。同園では5〜6人部屋が多く、入所者はこの20年、一貫して個室化を求めているが、県は財政難などを理由に改築計画を凍結している。

 サークルは県との交渉の資料作りや他の施設入所者との連携を目的に、全国174施設に調査票を送って102施設から回答を得た。その結果、20施設で5〜8人部屋があり、4人部屋も含めると76施設に大部屋が存在した。

・カーテンもなく

 施設入所者にとって最大の問題は、日常的なプライバシーの侵害だ。
 調査結果によると、多くの施設で大部屋のベッド間の仕切りはカーテンだけ。3施設はカーテンすらなく、重度障害者は遮るものがないベッドで排せつの世話を受ける。23年前から入所している「たまも園」の横山君子さん(50)は「親が死んだ夜に泣くこともできなかった人も多い。大部屋で一生、入院生活を送ることを想像してほしい」と訴える。

・管理が自立妨げる

 全国ネットワークの小峰和守会長(52)は「入所者は大半が生涯を施設で終えるか、重度化して特別養護老人ホームに移る。しかも、入所は行政措置で、利用者は施設を選べない」と語る。より良い施設に移る手立ても、施設を出る道もともにほとんど閉ざされているのが実情だ。
 療護施設入所者や職員、学者らでつくる「療護施設生活調査委員会」の事務局を務める伊藤勲さん(53)は、プライバシーの侵害にとどまらない、多人数の相部屋がもたらすマイナスをこう指摘する。「複数の人たちを同居させるため、施設はトラブル防止を掲げて規則を作る。消灯時間から個人の財産に至るまでの管理が障害者の決定権を奪って自立を妨げ、職員と入所者の上下関係を強めている」

・「改善は難しい」

 1996年のネットワークの総会で、米国の障害者団体から「刑務所以下の環境」と批判された日本の療護施設。厚生省基準に違反する施設の比率は、6年前の別の全国調査と今回でほぼ同じ。同省は「新改築の際に、2人部屋以下への移行を指導している」と言うが、「用地や資金の問題などがあり、速やかな改善は難しい」とも説明する。
 これに対し、調査委の伊藤さんは「職員不足の施設では大部屋が好都合。巡回する部屋は少なくて済み、手が回らない時は同室の入所者が職員の肩代わりをしてくれる」と、施設が大部屋解消に消極的な“事情”を明かす。さらに「障害者はいまだに『保護の対象』で、施設は『救貧的な場所』との見方が根強い。(全額公費負担で)『世話になってぜいたく言うな』が本音だろう」と、社会の無関心も問題にする。

・「集団生活強いるな」

 ネットワークの小峰会長は「入所者が生活を自分で決め、社会性や自立性を取り戻す。入所者を地域に送り出す、そんな機能が施設にあっていい」と言う。同時に、「利用者には施設の情報が不足している。もっと情報を公開し、改善しない施設は淘汰(とうた)される仕組みが必要だ」とも主張する。
 また、施設の実情に詳しい高山直樹・和光短大助教授(37)は「入所者1人当たりの措置費があれば、入所者の大部分は地域生活ができる」と試算。その上で「施設は行政の手間を減らそうとする発想の産物。障害者に集団生活を強いる考え方自体がおかしい。個室化は『脱施設』への第一段階だ」と強調する。

・生きるプライド

 東京都日野市の療護施設「日野療護園」(50人入所)は、完全個室化を全国で最も早い87年に実現した、国内ではまだ少数派の施設だ。部屋の飾りつけなどは入居者の自由で、金銭管理や起床時間などの規則も少なく、多くはやがて施設を出て自立生活に踏み出しているという。
 かつて日野療護園職員だった調査委の伊藤さんは「個室化要求には、他人の意思に従って生きてきた入所者たちの、『生きるプライド』を取り戻したいとの思いが込められている」と訴えている。

<大部屋での「プライバシー」をめぐる実例>

                       施設の所在地

部屋が狭く、カーテンやついたてが使用できない   香川県

部屋の中央をクローゼットで仕切っている      熊本県

ベッドの間にロッカーを置いている         三重県

着替えやオムツ交換の時だけ、ついたてを立てる   和歌山県

排せつ介助、着替えの時にカーテンを閉じる     岩手県

排せつ介助、着替えの時と夜だけカーテンを閉じる  群馬県

部屋の出入り時にノックと声掛けを必ずしている   大分県

面会は、部屋の外で行う              静岡県

テレビは午後9時半まで。見る時はイヤホンを付ける 山梨県

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◆19981031 分裂病、社会復帰に援助を 粥川裕平(ストレス手帳) /愛知――朝日新聞

 百万人をはるかに超えるといわれる米国のホームレスには、分裂病が多いと報告されている。ケネディ大統領時代の一九六三年、五十一万床だった精神科のベッドがいきなり五分の一に削減された影響がまだ残っている。
 施設への長期収容の弊害を批判する運動と、政府の医療費削減策があいまった結果だった。いったん始まった政策は後戻りしなかった。
 日本でも「鳥には空を、魚には水を、人には社会を」という詩がスローガンになった。精神病患者が意欲を失って一生を病院で過ごすより、地域で生き生きと暮らすべきだという趣旨だった。
 映画『聖者の眠る街』(一九九三年)は、そんな脱施設化後の都市を描いた作品だった。分裂病で退院したばかりのマッド・ディロンは、暮らしていた廃虚ビルが取り壊され、巨大な体育館のような宿泊所に収容されるが、路上で車のガラスふきをしてチップをせびりながら、街で寝泊まりするようになる。
 悲しみを内に秘めた聖者のような表情で、フィルムの入っていないカメラを手に、ホームレス仲間に向かってシャッターをきる。ときに示す無理に作ったような笑顔が忘れられない作品だった。
 分裂病は病状が安定するまでに五年、十年とかかる。退院して競争的社会に参入するストレスは大きい。二十四時間の手厚いケアを受けていたのが、服薬も食事も身の回りの細々したことも、一人でやらなければならなくなり、急激な自立を強いられる。
 分裂病者の社会参加は、もとより施設を減らしただけで進むものではない。国内でもようやく援護寮や福祉ホームなどが出来はじめた。単身アパートや共同ホームへの自立退院や、退院後を考えた居住環境づくりも少しずつ進められている。しかし、まだ周囲の理解が十分とはいえない。
 個々の患者に応じたきめ細かい援助が求められているのだが……。
 (名大病院精神科病棟医長)

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◆19990618 [とれたてNEWS丼]宅老所 22歳の町田寛之さん、愛知の全施設を調査 /愛知――毎日新聞

・設計士目指す22歳の町田さん−−高齢者介護の新しいかたち

 民家や公共施設を借りるなどして、市民が自主的に始める高齢者介護の小さな拠点「宅老所(託老所)」が全国で急増している。名古屋市千種区の設計事務所勤務、町田寛之さん(22)は、1年かけて愛知県内の宅老所をすべて調査し、この春、名古屋工大で卒業論文にまとめた。「人生の最後を生き生きと過ごす場」に必要な条件とは……。彼とともに考えてみた。【山田大輔】

 蛍光灯に照らされた白い壁、白い天井……という既存の施設のイメージから、「老い」は縁遠いものと思っていた町田さんは、たまたま訪れた宅老所で、利用者とスタッフが家族のように親密な姿に魅せられた。愛知は全国的に見て宅老所が多く、しかも大半がここ数年にオープンしている。町田さんは情報収集を重ねて19施設(現在さらに増加)をつかみ、活動内容や間取り、部屋の使われ方などを調べた。初の実態調査だ。
 内訳は、名古屋市内7、尾張知多6、東西三河6。14施設は専用の建物を持ち、うち10施設が自宅の一部や民家を借りて開設、2施設は自宅を建て替えて使っていた。ほとんどが床面積100平方メートル以下と小さく、1日の利用者は約10人まで。夫の遺産で築25年の民家を購入、3年前に「託老所たんぽぽ」(豊橋市)を開いた大須賀美恵さん(75)は、「夫が亡くなり、寂しくて始めた。特養ホームを辞めたスタッフなどが1対1のケアをしている」と話す。月1回、利用者の誕生会を開くほか、夫婦連れや若い障害者も区別なく利用する楽しい空間だ。

・民家改修し「疑似家族」

 古い民家が多いため、車椅子(いす)対応で玄関やトイレなどに改修の必要だった施設がほとんど。一方、「死ぬ前に一度ヒノキぶろに入りたい」との利用者の声でふろを改修したり、特徴的な壁画を描くなど、「使う人の共通の宝物」を設けるケースも同様に多いという。柱の傷まで、すべてが日常生活の延長にある「疑似家族」を演出しているらしい。「木造家屋は、直せばいくらでも使える。こういう『力』がなくなってほしくない」と町田さん。
 また、デイケアに加え宿泊サービスをしたり、建物を新設した場合ほど、各部屋が「食堂」「作業室」などと機能分化する「施設化」の傾向があると分析。配食など在宅支援組織がデイケアを始めた場合や、自宅などで建物が小さい場合は逆に、食卓を片付けて布団を敷くなど一つの部屋を多目的に使う「脱施設化」の傾向を指摘し、「自分のいる空間の変化を感じ、利用者の主体性や居心地の良さを生み出すのでは」と問題提起している。
 生活臭さもまた、不可欠らしい。

・施設と家庭の間で

 町田さんは現在、建築家の“卵”として「高齢者が居心地のいい施設は何か」を模索しつつ、デイサービス施設の新築計画を手伝っている。
 「機能や効率を追求するあまり、普段の生活と懸け離れた施設になってはおかしい」と考える一方、「施設が限りなく家に近づけば、建築家の役割はなくなる」とも悩む。
 保険金額や介護職場の状況に議論が集中しがちだが、建物自体にも「担い手は施設か家庭か」の問いが潜む。その両極端の中間に、さまざまなスタイルの宅老所が生まれているようだ。
 論文は、4月に発足した「あいち宅老連絡会」の活動にも生かされている。指導した高橋博久講師(コミュニティー建築論)=現在は愛知学泉大助教授=は「『在宅』が最良と言えず、『家族もどき』がそれ以上の機能を発揮する場面もあるはず。その時、学校や病院と同様、管理しやすい建物ではなく、お年寄りの立場から設計できるかどうかが重要」と話している。

・行政の役割も強調

 宅老所は、従来の介護施設や家庭を補う必要に迫られ、高齢化社会を地域で担おうとする試み。少人数の家庭的ケアが特徴で、密度の濃い人間関係により痴呆(ちほう)症の療養効果が高いとの研究もある。日本福祉大の平野隆之教授(地域福祉論)によれば、全国の宅老所は1991年の66施設から98年には約10倍に急増。活動内容も多彩で、実数ははっきりしないという。
 平野教授は「特に興味深いのは、自分の家を地域に開くケース。『家に近い』ではなく、家そのものだからだ」と指摘。「今後も増えるだろうが、一番のネックは高い利用者負担。宮城県では最近、高齢者住宅改造補助金を宅老所にも出すようになったし、ショートステイのベッド数(20床以上)の規定を緩和する国の動きもある。介護保険制度の中で宅老所の位置付けが欲しい」と多様性を認めた行政支援を求めている。

・宅老連絡会がフォーラム開催−−7月18日

 「あいち宅老連絡会」の初の催し「つくろう宅老所!育てよう小規模ケア フォーラム」が7月18日午前10時から、名古屋市東区上竪杉町の「ウィルあいち」で開かれる。宅老所の役割や設立の方法、来年4月に始まる介護保険制度との関係などが話し合われる。資料代込み3000円。問い合わせは「ヤモリクラブ」(0532・31・3023)へ。

*作成:三野 宏治
UP:20100408 REV:
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