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HIV/AIDSと所有・国境



科学技術/所有・国際競争・国家戦略・…


◆2000/09/25 田中宇「アフリカのエイズをめぐる論争」
 http://www.patentsalon.com/topics/aids/
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◆立岩 真也 2000/03/05「選好・生産・国境――分配の制約について(下)」
 『思想』909(2000-03):122-149 関連資料

「注40 分配を行ってしまったら、分配をされる側は依存してしまい、自力でなにごとかをなすことがなされなくなってしまう。それは停滞をもたらすという主張はまったく古典的なもので、根強く存在する。これは第二節でふれ、そして主題的には別途検討しようと思う「動機」の問題である。そして、福祉国家であれば国家内で起こるとされることが、国境を越えて存在することになるだろうというのである。
  あるものから自分が益が得られ、損害は自分に及ぶなら、益が得られ、損をしないようにうまくそれを管理するだろう。「共有地の悲劇」という議論を『私的所有論』第2章3節3で検討したのだが、それはこのことを言い、それによって私有や国境を正当化しようとする。前段は外れてはいない。しかし間違えてならないのは、それは所有に関わる現状の境界線を正当化することには一切ならないということである。例えば土地を均等に分配しても、同様に一人一人はその土地の面倒をよくみて、うまく生産し保全するかもしれない。「農地改革」は否定されないのであり、同様に、既存の国境に関わる不均等もなんら正当化されない。
  次に、私有権という語はもっと狭く、それを作り出した側にそれがもたらす利益を取得する権利のことを言う。この場合には、「共有地の悲劇」の場合とは異なり、所有の範囲は定められることになる。そして、作り出すこと、働くことを促す意味において、この線引きはたしかに有効であることがある。しかし他の正当化の理由を検討し、その妥当性を認めることができないなら、作り出す側、開発する側に利益を帰属させることが認められるのは、それによって作り出すこと、開発すること(が望ましいとして、それを)促すことができる場合のあることだけによるのだと、『私的所有論』第2章・第8章で述べた。だから、時に私有が有効であることを否定する必要はないが、このようにしか言えないということはすなわち、何が必要であり有効であるのか、それはどのような所有の形態によって実現されやすいのかという観点から判断されるべきことを意味する。このあり方が他と比較してどの程度望ましいか。
  それに国境のあり方が関わる。多くは個人や企業がその権利の主体として指定されるが、国境はそれを囲い、その内外の成員に利益の不均衡が帰結することがある。また国家そのものが、作り出し、そこから得られる利益を得、他が利益を得ることを排除する主体となることもある。作り出すこと、開発することにおいて、そしてそれが望ましいとして、競争がより効果的であるのかまた協調が効果的であるのか。もちろんそれは、場合によるということになろうが、例えば大きな費用を伴いながら利益を共有することのできる場合には後者の方が望ましいことがあるだろう。
  池内了が「エイズが問う「政治の良心」――南ア特許法に米が反発」という見出しの文章(『朝日新聞』一九九九年八月六日、科学をよむ)*で、性殖年齢にある成人の二二%がHIVに感染している(一九九八年春)南アフリカ共和国が、エイズ治療薬の安価な供給をはかるために一九九七年に制定した、いわゆる「コンパルソリー・ライセンス」法――厚生大臣が国内の製薬会社に対し、特許使用の権利取得に一定の特許料を払うだけで、より安価なエイズ治療薬を生産する免許を与える(他国の製薬会社が安価な薬を提供できる場合は、それを自由に輸入することを許可する条項もある)――をエイズ治療の特許を持つ国際的製薬会社と米国政府が非難していることを紹介し批判している。具体的にはこうした事態のことが想定されている。また、立岩「遺伝子の技術と社会――限界が示す問いと可能性が開く問い」(『科学』八〇〇号記念特集号:いま、科学の何が問われているのか、一九九九年三月)の後半で遺伝子に関わる「発見」の所有権について少し述べたのも、このような視点からである。
  また「地球税(グローバル・タックス)」等についての言及が、註(17)にあげた広井良典の著書の第三章4「地球化時代の福祉国家」の中にある。」

 

◆池内 了 1999

 「今年春、南アフリカ共和国で行われた健康調査の結果、性殖年齢にある成人の二二%がエイズウィルス(HIV)に感染していると推定され、二〇一〇年までに、エイズのために国民の平均寿命が四十歳以下になる見込身であことが明らかになった。このような重大事を既に察知していた南アフリカ政府は、一九九七年に、いわゆる「コンパルソリー・ライセンス」法を成立させていた…。
 この法律は、感染者がエイズ治療薬の恩恵を受けやすいよう、同薬の安価な供給をはかるために提案された。厚生大臣が国内の製薬会社に対し、特許使用の権利取得に一定の特許料を払うだけで、より安価なエイズ治療薬を生産する免許を与える、というものである。
 またこの法律には、他国の製薬会社が安価な薬を提供できる場合は、それを自由に輸入することを許可する条項もある。つまり、コンパルソリー・ライセンス法は、HIVまん延の危機に対処する緊急対策なのである。けっして、特許料不払いで国内業者を不当にもうけさせることを狙ったわけではない。
 ところが、エイズ治療の特許を持つ国際的製薬会社は、この法律の施行を遅らせようと、いっせいに南アフリカ政府を不公正だと非難し、告訴した。これにこたえるかのように、ゴア副大統領とアメリカ通商代表部は、南アフリカ政府に法律を改正するか破棄するよう、激しく要求した。…」(池内了「エイズが問う「政治の良心」――南ア特許法に米が反発」(科学をよむ)『朝日新聞』一九九九年八月6日)

 

◆立岩 真也 1999/03/01「遺伝子の技術と社会――限界が示す問いと可能性が開く問い」
 『科学』1999-03(‘科学’800号記念特集号(いま,科学の何が問われているのか)
 ※『科学』のホームページ http://www.iwanami.co.jp/kagaku/

  「生体の一部の別の生体での利用、移動の可能性が、臓器移植であれば免疫抑制剤、生殖については体外受精等の技術によって開かれた。(完全に人工的なものでは、多くの場合、少なくとも今のところ、うまくいかない。)もちろん移動や利用の対象になるものは今までも存在していた。だが、それはその場でしか使いようがなく、他に使いようがなかったものだった。例えばその人の心臓はその人によってしか使われようがなかった。それが、技術によって移動可能になり、別の場所でも、別の人によっても使えるようになる。この時、その移動についての規則、その所有(権)に関わる規則が問題になる。
 この問いに対する答は、どんなに体のことを知っても組織を覗いても出てこない。「誰のものか」という問いが、事実あるものがどこに存在しているかという問いなら、それはたしかにそのその人の身体の中にある。けれどここではそのことが問題になっているのではない。ここにあるのは、誰が権利をもつのか、もつべきなのかという問題である。
  二種類ある。一方には、腎臓の一つ、肝臓の一部や肺の一部の提供、代理出産、等。他方に、血液を与えること、(培養のために用いる)皮膚のごく一部を与えること、等。提供される者が受ける便益はいずれも大きく、この点に違いはない。違いは与える側にとってである。前者では、与える側に生存に関わりうる毀損、心理的な喪失がある。([1997:67-100,153-165]で生殖技術に即して検討した。)後者はどうということはない。この単純な違いは大切であり、遺伝子情報は基本的に後者である。★06
  たまたま誰かから新しい遺伝子情報が発見され、それが何かに対して有効であることがありうる。役に立つなら値段もつきうる。遺伝子情報は誰のものかという問いが現われる。現実に米国では裁判の事例がある。一つの考え方は、それが存在していた人に権利があるとする。たまたまある人が特殊なしかし決定的に重要な意味をもつ遺伝子をもっている人が、それを利用して巨利を得るといったことも考えられないではない。もう一つの考えは、発見・発明した人あるいは組織にあるとする。
  保有している者、あるいは作成した者に所有し処分する権利があるというのが、少なくとも近代社会における、一般的な了解である。裁判所もこの二者の間で考えた。しかし、どうしてそうであるのかと問うてみよう。とすると、根拠がないことがわかってしまう([1997:25ff])。いずれの人のものでもないと言える。にもかかわらず、ある程度の権利が付与されてよいとすれば、それは、権利の付与により発明や発見への動機づけを与えることができ、それが有意義だと(少なくとも許容されてよいと)考えられるからである。これ以外の理由はない。開発にかかるコストを回収させ、さらにある程度利益を出させる。そのために例えば特許権を付与する。もちろんそれ以前に、妥当な開発とその速度をどう判断するかという問題がある。また、こうした手段をとらないと技術の進展は望めないが問われる。逆に進展と利用を阻害する場合も考えられる。今存在し今後拡大するのは、悪い技術の問題であるよりも格差の問題だろう。というのも、人々は、少なくとも長期的には、自らにとって悪いものをなくしていこうとするのに対して、格差については、それを維持し拡大しようとする力がかかるからである。これに知識と技術の独占が関係している。もちろん、自由に委ねれば競争が働き格差が縮小していくだろうというのは幻想である。楽観的すぎる。科学技術とその結果の所有・配分を巡る規則について再考してみる必要がある。(所有に関わる規則について、一般論としてだが[1997:116ff])」

◆立岩 真也 2002/09/01「情報は誰のものか」小倉利丸との対談)
 『現代思想』30-11(2002-09):66-79

◆立岩 真也 2004/01/14 『自由の平等――簡単で別な姿の世界』
 岩波書店,349+41p.,3100

 序章・注11
  「☆11 自然に存在する天然資源、動植物の多くは偏在しながら、そしてそれに関わる問題を生じさせながらも分散しているのに対し、生産の方法である技術は唯一であることがありえ、それを独占することは規則の設定によって可能になる。エイズとその治療薬の問題について林[2001]。生産手段、とくに科学・技術に関わる所有権について[2000g:191-194][2001b:(2)][2001g]、小倉・立岩[2002]でごく基本的なことを手短に述べた。さらに考察するのは今後の課題になる。ただ、とくにコンピュータ技術との進展で所有の規範が解体していくだろうというある種の楽観論があるのだが、それが事態を単純化しすぎているのは明らかだ。財の流布や価格の決まり方は財の性質や財をとりまく状況、人々の布置によって様々に変わってくる。その解析が必要である。cf.山田[2001]、竹田[1999:121ff.]。」(p.290)

林 達雄  2001 「エイズと人間の安全保障――疫病と特許重視の時代の健康と医療」,勝俣編[2001:189-212] <290>
◇勝俣 誠 編 2001 『グローバル化と人間の安全保障――行動する市民社会』,日本経済評論社,NIRAチャレンジ・ブックス
◇竹田 茂夫  2001 『思想としての経済学――市場主義批判』,青土社, <290>
◇山田 敦 2001 『ネオ・テクノ・ナショナリズム――グローカル時代の技術と国際関係』,有斐閣 <290>


UP:2000 REV:..20040416作成:立岩真也
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