HOME >

歴史記述


last update: 20130522


■エドワード・P・トムスン(市橋秀夫・芳賀健一訳), 2003, 『イングランド労働者階級の形成』青弓社.(=Thompson, Edward Palmer, 1963, The Making of the English Working Class, Victor Golancz: London.)
http://www.arsvi.com/b1900/6300te.htm

「人びとが[…]経験を同じくする結果、自分たちの利害のアイデンティティを、自分たち同士で、また自分たちの利害とは異なる(通常は敵対する)利害をもつほかの人びとに対抗するかたちで感じ取ってはっきり表明するときに、階級は生じる。[…]階級の経験は、主として、人びとが生まれながらにして入り込む[…]生産関係によって決定される。」(p12)

「階級意識とは、これらの経験を、伝統や、価値体系や、思想や、さまざまな制度に具現されている文化的な範疇で取り扱う様式である。経験はあらかじめ決定されているようにみえるとしても、階級意識はそうではない。」(p12)

「無数の経験をもつ無数の個人がいるだけだ。しかし、こうした人びとをある適切に区切られた社会変動の期間にわたって観察するならば、彼らの関係、思想、制度にいくつかのパターンが現れるのである。階級は自分自身の歴史を生きる人びとによって定義されるのであり、結局のところ、これがその唯一の定義なのである。」(p14)

「成功者(次に起こる進歩を先取りするような熱望をいだいていた人びとという意味での)だけが記憶される。状況の袋小路や、敗れ去った大義、敗北者自身は忘れ去られている。/私は、貧しい靴下編み工や、ラダイトの剪毛工や、「時代遅れ」の手織工や、「空想主義的」な職人や、ジョアンナ・サウスコットにたぶらかされた信奉者さえも、後代の途方もない見下しから救い出そうと努めよう。彼らの熟練と伝統は死に絶えつつあったかもしれない。新しい産業主義にたいする彼らの敵対行為は退嬰的であったかもしれない。彼らの共同社会主義の理想は幻想であったかもしれない。彼らの反乱の謀議はむちゃであったかもしれない。しかし、こうした激烈な社会的動乱の時代を生きぬいたのは彼らなのであって、われわれではない。彼らの熱望は彼ら自身の経験からみれば正当なものであった。だから、彼らが歴史の犠牲者だったというのであれば、彼らは自らが生きた時代のなかで犠牲者だと判決がくだされたから、いまもなお犠牲者なのである。/ある人間の行動がそれにつづく進歩の見地から正当化されるか否かをもって、われわれの唯一の判断基準とすべきではない。つまるところ、われわれ自身が社会的進歩の果てにいるわけではないのである。敗北を喫したとはいえ、産業革命期の人びとの大義のなかには、こんにちなお正さなければならない社会悪への洞察をみてとることができる。」(p15-16)

「ひきこもりにもかかわらず保持されたもの」(p38)=「まどろみ状態の急進主義」(p38)

「抑圧者がいずれ受けるだろう拷問を想像しながら抑圧者にたいするなんらかの報復を楽しむことが可能」(p43)=「政治的急進主義の眠れる胚種」(p45)。

「比喩的描写で自分たちの経験を表現し、自分たちの熱病を投企してきたのである。[…]それは、人間がどのように感じ、希望をもち、愛し、そして憎んだのか、また人間が特定の価値観を自分たちの言語という織物そのもののなかにどのように保存したのかを表す徴なのである。[…]われわれは、黙示的ではあっても言葉のなかに蓄積され――解放されている――心理的エネルギーと、実際の精神に異常とを区別するように努めなければならない。」(p61)

「われわれは、居酒屋世界の犯罪者や兵卒や船員たちの社会的態度をもっと研究する必要がある。また、われわれは道学者流の立場からではなく[…]ブレヒト流の価値観、つまり民衆の宿命論や、イングランド国教会のお説教をものともしない皮肉や、自己保身の強さなどを見抜く目をもって史料にあたるべきである。さらにわれわれは、バラッド歌手や定期市会場といった「ひそかな伝統」も記憶しておかなくてはならない。[…]「意志表明せぬ the inarticulate」人びとは、治安判事や工場所有者やメソジストたちの禁止しようとする圧力にもかかわらず、一定の価値観――娯楽や連帯の自発的能力――を保持したのだった。」(p72)

●救出の歴史記述、といっても、鎮圧され、失敗した運動を、あれは失敗ではなかった、と単純に正否を反転させて述べるのではない。一方で、後退し続けた結果としての現在の認識枠組みによって、顕在化された出来事のうわべを評価するのでもない。当時を生きていた人々が、どのような状勢のなかを生き、何を夢見ることが革命的であったのか、そしてそれが革命的でないとされていったとしたらその転換にいかなる暴力がふるわれているのか。内在的で同伴者的な歴史記述であり、過去が現在(あるいは記述行為)を批判するような緊張関係のもとでの歴史記述。そして、揺らぎ始める現在。

Cf. 「トムスンはいう。『木綿工場の新規性を余り強調することは、労働階級のコミュニティー生成における政治的および文化的伝統の連続性を過小評価することに導きかねない』と。産業革命→資本=賃労働関係の確立→労働者階級の抵抗、という経済過程重視の方法とは異なった、文化の次元を重視する方法が貫徹している。」(松村高夫, 1984, 「イギリスにおける社会史研究とマルクス主義史学」『歴史学研究』532, 26項)
●→「生活維持自体が日々の闘争であるコモン・ピープルの日常生活の経験は、多くのばあい、文献的証拠としてはいかなる痕跡を残すことなく歴史の舞台から消え去る運命にある」(松村 1984: 24)なかで、「日常」の闘争をいかに記述するか。顕在化した出来事のなかから遡り、潜在していたものを読み取り、言語化すること。


■田仲 康博 20100407 『風景の裂け目――沖縄、占領の今』 せりか書房.
http://www.arsvi.com/b2010/1004ty.htm

「沖縄の風景や身体に書き込まれた〈意味〉を読み解かない限り、思考は〈現実〉の枠内にとどまることになる。戦後沖縄の歴史を辿ることで、文化をめぐる抗争や交渉の不/可能性を浮き彫りにすること、そしてそこから次につなげるための知的枠組みを考えることが本書のもう一つの狙いである。
 それは、言葉を与えられ論理的に整理された(はずの)事柄をもう一度言葉が生成さっる現場に送り返す、ということなのだ。いまだ世界と私が不分明であった経験の場(世界と私が出会う地点)に立ち返って、もう一度風景と出会いなおす、と言い換えてもいい。風景に裂け目が開き、意味がほころぶ現場に立ち会うこと。その場にいた――いたはずの――自分に出会い直すこと。私的な経験を社会的文脈に投げ返すという迂回路を辿ることによって見えてくることもあるはずだ。」(8-9)

「それは、例えるならば、自分が見てきた過去のドキュメンタリーを作るという行為に近いのかも知れない。その場にいた自分の肩越しに事物を見つめることによって、当事者でありつつ、しかも同時に安直な当事者性を否定することができるのではないか。つまり、そこに生じる対象との微妙な〈距離〉故に見えてくることもあるのではないだろうか。当事者にしか歴史は語れないという立場と、歴史は結局のところ現在からの視点によって自在に書き換え可能だという立場。一見、相反するようでいて実際には相互補完してしまう、いずれの立場も否定すること。それには恐らく、問いが差し向けられる地点にではなく、問いが立ち上がる地点において考えを探してみる努力が必要となるだろう。探求の目は、まず自らに向けられなければならない。本書で多用した第一人称による記述は、その思いを形にしたものだ。」(9)

「私の興味はむしろ、沖縄の〈今・ここ〉の成り立ちを解明することにある。」(9)

「本書は、戦後沖縄の社会・文化史を空間、身体、日常意識の変容/編制という視点から読み解く試みであると言えるだろう。[…]本書の記述スタイルはしたがって、境界横断的な文法と文体、より具体的には社会科学と文学の狭間を行くものとなるだろう。〈過去〉を彼岸の位置につなぎ止めてしまうような従来の文法/文体では、当時の社会/文化状況が人々の記憶や身体や風景を媒介にして現在の状況に影響を与えるメカニズムをうまく表現できない。」(10)

●第一人称による出来事、歴史の記述というスタイル。別の「当事者性」をつくるプロセス。現在を歴史化しつつ、歴史(=「過去」なるもの)を書き換える。


■崎山政毅, 20010216, 『サバルタンと歴史』青土社.
http://www.arsvi.com/b2000/0102sm.htm

「ここで言いたい周辺とは、「中心」との関係においてのみ抽出されるものではない。[…]
剥き出しの周辺、周辺としての周辺はつねに「中心」が制御しえない脅威なのだ。」(11)

Cf. 暗黙の全体を想定する断片の数々という意味で断片的ではなく、全体性という観念ばかりか、「断片」という観念そのもの(というのは、いかなる全体もないとしたら、断片はいったい何の断片ということになろう?)に挑戦する断片なのである。(チャクラバルティ、D(臼田雅之訳)「急進的歴史と啓蒙的合理主義――最近のサバルタン研究批判をめぐって」『思想』第859号、1996、100頁)


■西川長夫, 2012, 『パリ五月革命私論』平凡社.
http://www.arsvi.com/b2010/1107nn.htm

「この試論にも68年5月革命私論という表題を付けたいと思っていたが、しかしイデオロギー的な独断や神話化は極力避けたいと思った。そのために自分なりの工夫はしたつもりである。たとえば断片的な記述の組み合わせ、自他の引用の併記、写真と文章、写真や図像などの自称の多用。さまざまな立場の引用。コラージュ、モンタージュ、ブリコラージュ。うんぬんとわけの分からぬ呪文を唱えながら記述と記述の間。記述と写真や図像の間、写真と写真の間に違和と共鳴の小さな空間を残す方法を考えていたのである。あまり成功しているとはいえないが、その意図を汲んでいただけるとありがたい。」(382)





*作成:大野光明
UP: 20130522 REV: 
TOP HOME (http://www.arsvi.com)