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遺伝子検査と雇用・保険





立岩 真也『私的所有論』(1997)第7章注より

◆第7章注09

「…保険会社が…もし胎児に障害があり、両親が中絶を望まないとしたら、出産後の子供の医療費を払わない、と言うことは許されるべきことなのか? もし許されないとしたら、誰が支払うのだろうか?
 今日、アメリカに存在するような民間の医療システムと、遺伝子マッピングが両立するような形で、未来は約束されるのだろうか?/もしそうでなければ、社会はあらかじめ障害がわかっていたにもかかわらず生を与えられた子供の医療費の支払いを強制されるべきなのか?」(Wingerson[1991=1994:434])

「…遺伝病調査が常に任意であっていいのかという点…。PKUのような疾患について、親が検査を拒否することは認められるだろうか?これらは難しい問題だ。なぜなら個人の権利と社会の広いニーズをつき合わせるという、論議を生む問題に触れているからである。しかしながら前例はある。西側の多くの国では自動車に乗るときシートベルトを義務づけ、あるいはタバコ商品の広告を禁止する法案を成立させている。そのような法的規制は同様に幅広い基礎に立っている。ただしある種の遺伝子検査を義務づける同様の法案を成立させるには、広範な公共の議論が必要ではある。」(Bodmer ; McKie[1994=1995:390])

 PKU=フェニルケトン尿症――遺伝的な酵素欠陥のためフェニルアラニンが分解できず知的障害がもらされる病気だが、新生児スクリーニング(集団検査)によって発見し、新生児の段階で食餌療法を行えば障害は回避される(米本[1987b:25]))

◆12 「ヒトゲノム計画」「遺伝子マッピング」――「ヒトゲノム(解析)計画」は、ヒトの遺伝子地図を作り(ゲノム(遺伝子)マッピング)解析しようとする計画――等について書かれた多くの一般読者向けの書物(そして日本人にとっては翻訳書)――の、たいがいは末尾の方――で遺伝子検査やスクリーニング(集団検査)の倫理的、社会的問題が取り上げられている。

「遺伝的検査は、生命保険会社が保険料や保険への加入をコントロールするために、ひじょうに待ち望んできた方法となるだろう。家族と個人の医療歴にもとづく差別はすでに行われてきた。もし、すべての状態を予見できるなら、生命保険業者はすべての個人にたいする料率を調整する必要が出てくる。いっぽうもしあらゆる人が遺伝的分析を利用できるならば、生命保険会社は不利な選択に遭遇することになるだろう。つまり、健康や生命に関して広範な保護を得ようとするのは、そのほとんどが高い危険性をもつ人々だからである。」(Frossard[1991=1992:361-362])

「保険会社には、保険にはいろうと考えている顧客の遺伝子型を知る権利があるのだろうかという問題…。この問題は、アメリカではすぐに解決不能になってしまうのですが、それはこの国の底流に流れる市場経済信仰に完全に反して、多くのアメリカの権威者たちが、社会は被健康保険者の潜在的な危険に対して責任を持つべきだと信じているからです。」(Jordan[1993=1995:384-385])

「個人別の生命保険の場合…保険料は厳密に規定された重症遺伝病の存在を計算に入れなくてはならない。しかし、その保険料は途方もなく高いものになろう。したがって各個人の罹病見込み情報でなく、一般的な危険度を広く知らせることで、●胞性線維症の児童や高血圧症患者のニーズに対応している英国国民健康局のように、政府管轄の安全ネットワークを考案しなくてはならない。」
(Bodmer ; McKie[1994=1995:390])

 専門書、論文も米国等では多い。日本語で読めるものではMacer[1991]、雇用差別についてGostin[1991]、職場で得られた情報の守秘義務についてAndrews ; Jaeger[1991]、ゲノムマッピングの法的規制についてSkene[1991]、優生学との類比の妥当性についてProctor[1992]、等。日本では加藤・高久編[1996](雇用や保険との関わりについては加藤一郎[1996:108-110]、広海孝一・田中淳三[1996])等があるが、十分な議論はなされていない(→注16)。

◆13 職業と遺伝スクニーリングとの関わりの実際と、これに対する様々な意見はMcKie[1988=1992:146-150]で紹介されている。米国の技術評価局(OTA)が最大手五百社の化学、油脂、電子、プラスチック、ゴムの企業に出した遺伝スクリーニングを利用する計画についてのアンケートに対し、一八社が既にそのようなスクリーニングを始めていると、五四社が将来とり入れることを計画中と答えた(McKie[1988=1992:147])。スクリーニングが関心事になるのは大部分は環境がより危険な工場や精練所だが、ホワイト・カラーも対象外ではない。「企業の役員が、家族性高コレステロール血症の遺伝子を持っており、それほどの年齢でなくても心臓発作を起こす恐れがあると判明したら、昇任は見送りになるかもしれません。こういう行為に出たからといって、会社を非難できるでしょうか? このような遺伝子を持っていると知った個人には、情報を雇い主から隠しておく権利があるでしょうか?」(Mckie[1988=1992:148])。

 別書に同様の指摘。「マイクはいま四〇代だが、…副社長の地位を占めると思われている。しかし、遺伝子分析の結果では、平均よりは早い時期に心臓発作に襲われる危険性が高いことが示された。この機会に、雇用委員会はだれかほかの人をこの地位に就けようとするだろう。」(Frossard[1991=1992:361])

 一方に、「従業員のうち、ごく一部の者にとってだけ危険な作業過程を整備するのに数百万ドルを費やすことは、経済的に――もしそうした人を特定し、そのような過程に触れないようにすることができるのであれば――意味をなさない」「ある労働者が生死に関わる選択をしようとしているときに、親身になって守ってやろうとする行為を、われわれは拒否すべきだろうか?」という主張があるが、他方で「職場の整備よりも「感受性の人を一掃する」ことの方に重きを置きすぎるようになるだろう…それよりは職場環境をしっかり守るべきだ」という主張もある
(Mckie[1988=1992:147-149])。

 またDNA問題研究会編[1994:29-33]は、米国でのスクリーニングの歴史に簡単に触れ、「今日においてもなお、遺伝病の保因者であるというだけで職場から解雇されたり、保険に入れないという例は枚挙にいとまがない。遺伝病に基づく差別は広がっており、一九九一年にウイスコンシン州で遺伝子差別保護法が制定されたほどである」(DNA問題研究会編[1994:33])としている。

◆注14

「アメリカでは問題はとりわけ微妙なところがある。大部分のアメリカ人は、雇用主を通じて健康保険にはいる。それゆえある人が生物学的な状態を理由にして、職業の上で違う扱いをされることは、確かに可能性がある。十年のうちに誰が糖尿病になるか、心臓発作を起こすか、あるいは躁鬱症状とかアルツハイマーの初期の症状によって、誰が役に立たなくなるか、これを特定することで金が節約できるならば、雇用者としてそういった人の採用は見合せるようになるだろう。」
(McKie[1988=1992:149])

「会社側は採用を決定する前に、応募者のDNAシークェンスを調べるかもしれない。そして、健康保険の費用を節約するために、ガンにかかりやすい人間の採用は見合せるかもしれない」(Shapiro[1991=1993:255]。筆者はこうした可能性に言及しつつ、法的に禁止しても個人のDNA情報を調べることは容易であり、「DNA情報はいずれ漏れてしまうだろう。私たちのDNAシークェンスは原則的には個人のものだが、むしろ、かくさない方がよいということになるだろう」とし、行動、人格、能力などは生まれつき決まっていないこと、遺伝子の違いは民族の違いと対応しない部分がむしろ大きいから民族間の相違という感覚を後退させるだろうこと等を述べて、「DNAの知識によって脅かされるのは、無知と恐怖だけだと思いたい。」(Shapiro[1991=1993:257-261])と結ぶ。
 最初に引用した部分はいつの間にか忘れられ、個人のDNA情報が知られることは問題がない、あるいはよいことだとされているのである。)

「健康保険…はリスク評価のビジネスである。本当のリスクがわかったとき、何が起こるだろうか。…(この間に注09に引用した文がある)…だれかが、求職しようとして血液検査を受ける。その血液検査はある病気のリスクを示す。彼はそのリスクについて知ることはない。会社側は彼の採用を、あっさりやめてしまう。」
(Wingerson[1991=1994:433-435])

◆15

「(b)保険
 ・家族にハンチンソン舞踏病の遺伝子があるなどの理由で保険加入をキャンセル
  される例が多くみられる。さまざまな報告を総合すると、個人の保険加入の決
  定において遺伝情報は何らかのかたちで既に使われている。
 ・もともと保険加入の決定において、当該個人の医学的情報は以前から使用され
  てきた。この延長線上において、保険加入の決定において遺伝的情報を用いる
  のが適切であるか否かについては未だ定まった結論が出ていない。具体的には、
  「遺伝的特性を保険加入に当っての既住症とみるか」という質問に対し、民間
  医療保険会社の四六パーセントが「強く同意またはどちらかというと同意」と
  答え、四九%が「強く反対またはどちらかというと反対」と答えている(一九
  九二年)
 ・いずれにしても生命保険及び医療保険は予測できないリスクの分散、共有の原
  理に立つものであるから、個人の遺伝情報の使用は現在の保険の形態を大きく
  変えることになる。さらに、さまざまな検査結果が保険加入の選別に使われて
  いくことから、人々が検査そのものを避けるようになっていくことが懸念され
  る。
 ・個人の遺伝情報が保険分野でどのように使われていく可能性があるか、さらに
  詳細な検討が必要である。
 ・なお、ウィスコンシン州、アリゾナ州などいくつかの州では、遺伝情報に基づ
  く保険上の差別のうち一定の形態のものを州法で禁じている。
 (c)雇用
 ・医療保険を提供している雇用者は、高い医療費のかかる者を雇用するのを避け
  ようとし、当該個人や家族の遺伝情報に関心を向ける。新生児スクリーニング
  においてフェニルケトン尿症(PKU)を有していると診断された女児の父親
  が、そのために新しい職場での保険加入を断られた、といったケースがみられ
  る。
 ・スクリーニングやモニタリング以外でも、医療保険を提供している雇用者は、
  医療費の請求書の管理の過程で個人の健康データを集めることができる。
 ・雇用という場面におけるそれぞれの当事者は各々の利害をもっているが、いず
  れにしても雇用者と被雇用者の利害が直接に対立することは避けられず、遺伝
  情報の使用についてのバランスのとれたルールを確立していくことが急務であ
  る。
 ・この点に関しても、ニューヨーク州、ニュージャージー州、フロリダ州など少
  なくとも七つの州は、遺伝的特性に基づく雇用上の差別を(当該障害が業務の
  遂行に支障がある場合を除いて)禁じている。」
  (広井良典[1996:144-146]で紹介されているCommittee on Government
  Operations[1992]の一部)

 ハンチンソン(舞踏)病の解説としては新川詔夫・福嶋義光編[1996:30]。米本昌平[1987b:31-34][1988b:290]、Bodmer ; McKie[1994=1995:378-379]、DNA問題研究会編[1994:33]、保木本一郎[1994:229-231]等で言及されている。「この病気の多くは四〇歳前後に発病する。神経細胞に物質が蓄積して運動障害や記憶喪失や精神異常が緩慢に進み、何年もかかって死にいたる。」(米本
[1987b:32])

◆16

 「例えば、病気の素因というような個人的情報を企業や保険会社などが雇用や保険加入の条件として求めるようになったらどうだろう。これは、保険が相互扶助でなく利益をあげるための活動であるアメリカの今の保険制度の中ではとくに深刻な問題を起こす危険がある。日本の現行の健康保険制度は、国民皆保険、一人一人のリスクを皆で負っていこうというものであり、今後もこの考え方でいくなら問題はないだろう。生命保険については、遺伝の情報を組みこむかどうかはこれから直面する問題である。方向としては、これも相互扶助を基本に考えるのがよいのではないか。研究者の立場からはそう思うが、社会の判断が必要だ。このような点についても、国際的な議論が行なわれており、社会的な約束事をつくる動きが出ている。しかし、それにはまだかなりの時間がかかりそうだ。」
(松原謙一・中村桂子[1996:184])

 不十分な記述がいくつかある。繰り返すまでもないが、本文で述べたのは、「相互扶助」という発想の中で、リスクの高い人が排除されることがありうるということであり、「今後もこの考え方でいくなら問題はないだろう」などとはまったく言えない。また、私的な生命保険について、「これも相互扶助を基本に考えるのがよいのではないか」と言うが、これが原理的にどのようにして可能なのか。

 高齢化、慢性疾患への疾病構造の変化、さらに遺伝子技術の進展にともなう遺伝病概念の拡大にともない、「一億総障害者」の時代が到来しつつあるという指摘がある(広井良典[1996:157ff][1997:185-189]等)。この指摘は間違っていない。ただ、このことだけが語られるなら、同じ要因から医療費等のコストが問題とされ、負担の軽減が以上述べたような道筋で進行していく可能性を見落すことになる。


UP: REV: 20090423
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