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府中青年の家事件



※このファイルの作成:藤谷祐太(立命館大学大学院先端総合学術研究科・2005入学)*
 *http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/g/fy01.htm
 *藤谷 祐太 2007/03/21 「同性愛者の社会運動――1990年、府中青年の家事件を事例として」,立命館大学大学院先端総合学術研究科博士予備論文

■生存学創生拠点関係者による文章(PDFデータ付き)

 ◆藤谷 祐太「トラブルを起こす/トラブルになる――1990年「府中青年の家同性愛者差別事件」と1991年から1997年の「府中青年の家裁判」を事例として」 『コア・エシックス』Vol.4、2008年3月、pp. 319-332 [PDF]

■「府中青年の家事件」とは−

 動くゲイとレズビアンの会(以下アカー)は1990年2月11日、12日に東京都立府中青年の家を宿泊利用した際、同性愛者の団体であることを明らかにしたことによって、他の宿泊利用の団体から嫌がらせを受けた。そして1990年3月24日の東京都との話し合いの席で、東京都から府中青年の家におけるアカーの今後の使用を拒絶するとされた。アカーはそれをうけて1991年2月12日に東京都を提訴し、1994年に1審で、そして1997年に2審で、それぞれ勝訴した。ここで用いる「府中青年の家事件」とは、以上のような一連の出来事を指している。

「動くゲイとレズビアンの会(通称アカー)」とは−

 1986年3月に同性愛者の状況を変えるため、そして当事者が仲間と協力して同性愛者という自己を受け容れるために、設立された団体である。1999年の12月には、エイズサービス事業体、同性愛者の社会サービス事業体として所轄庁から特定非営利活法人(NPO法人)の認証を受けている。現在では、全国に約350名の登録会員と、2500名の登録支援者がおり、東京の事務所を中心に約50名がボランティアスタッフとして活動に従事し、レズビアン/ゲイのための電話相談・エイズ/STD情報ライン・法律相談などの各種専門相談、また、エイズの予防啓発イベントなどの社会サービス事業をはじめ、人権擁護、調査研究、政策提言、国際協力などの各分野の事業を総合的に展開している。
(アカーのホームページ http://www.occur.or.jp/より)。

■年表

1990年2月11日、12日 アカーの府中青年の家での合宿
同年3月24日 アカーと当時の府中青年の家の瀬川渉所長(当時)の交渉
同年4月11日 アカーが府中青年の家に使用申込書を持参したが、受理されず
同年4月26日 都教育委員会がアカーの府中青年の家の使用を不承認とした
同年5月30日 『SPA!』,1990年5月30日号,pp.111,「おすぎとピーコの三つ目が行く」扶桑社
同年8月20日 風間孝さんと掛札悠子さんが関西テレビの番組(トゥギャザー)に出演し、番組内で府中の事件のことを紹介。
同年10月12日 『朝日ジャーナル』,1990年10月12日号,pp.90,「日本でも広がるか ゲイ・ムーブメント」

1991年1月18日 『週刊朝日』,1991年1月18日号,pp.163-164,「法の下の平等 憲法14条違反で東京都を訴えるゲイの人権裁判」朝日新聞社
同年2月12日 アカーが東京都を提訴
同年2月28日 『アサヒ芸能』,1991年2月28日号,pp.184-186,「日本初 200人のゲイとレズビアンが立ち上がった「同性愛差別」裁判の行方」徳間書店
同年5月   初公判
同年7月2日 『Weekly プレイボーイ』,1991年7月2日号,pp.55-56,「"ゲイの人権"を問う裁判が始まった!」集英社
同年8月15日 『インパクション』第71号 特集ゲイ・リベレーション 発行
 掛札悠子,19910815,「ゲイ差別とレズビアン差別は同じものか 府中裁判への一レズビアンの視点」『インパクション』第71号pp.98-104 インパクト出版会
 風間孝,19910815,「私はなぜ裁判を決意したか 第一回口頭弁論冒頭意見陳述」『インパクション』第71号pp.62-67 インパクト出版会
 永田雅司,19910815,「前向きに生きるために 第一回口頭弁論冒頭意見陳述」『インパクション』第71号pp.68-70 インパクト出版会
 アカー・動くゲイとレズビアンの会,1991,「府中青年の家・同性愛者差別事件とは」『インパクション』第71号pp.52-61 インパクト出版会

1993年1月15日 『ゲイ・ライツ 臨時増刊号 特集:トム・アミアーノ−同性愛,教育,そして家族』動くゲイとレズビアンの会,発行

1994年1月25日 井田真木子『同性愛者たち』文藝春秋,発行
(1997年に本書の文庫版『もうひとつの青春 同性愛者たち』文春文庫 が出版される)
 同性愛者の連帯を生み出したエイズパニックについての記述。

 「予防法をめぐるこのような事態は同性愛者たちを大きく変えた。たとえば,エイズ以前,同性愛者の問題は,たとえば二丁目での人買い事情に対する苦情や,家族や社会に受け入れられないといった悩みに終始していた。あくまでも個人的,私的レベルでの苦悩であり,心配事である。それらは解決しなくてはいけない問題だが,同時に,瑣事に近い,そのたぐいの問題をいくら問いつめたとしても,そもそも同性愛者全般にわたる問題とは何なのかという本質的な問いへの光明が見えにくいのも事実だった。/エイズパニックはその限界を打ち破る事件だった。」[井田,1994:132][井田,1997:167-168]

繁華街のゲイの裁判に対する反応に関する描写。

「府中青年の家」でおこったことを,裁判の場に持ち込むことについては,繁華街に関係する多くの人々が反対していた。
「とくに,ことをあらだてることはないじゃないか」
 代表的な意見はこうだ。
「女とケンカして勝ち目はないよ」
 そういう人もいる。女というのは,この場合,教育庁の女性担当官のことを言う。
「いいじゃないか。ホモは,地下にもぐっているからホモなんだ。日のあたる場所にはふさわしくないんだよ」
 これも,またよく聞かれた見地だ[井田,1994:200-201][井田,1997:244]。

裁判は退屈なものとなった。それは同性愛者が罵られなかったからだ、と井田はいう。

 「原告となった若い同性愛者たちは,むしろ,罵言を予期していた。日本社会が同性愛を排除する積極的な理由を求めていた。それが得られるなら,反論も可能だからだ。だが,被告側の釈明は言い訳にすぎなかった。非難でもなく,罵りでもなかった。積極的な敵意は撃ちたおされる可能性はあるものの,攻撃も可能だ。しかし,青年の家の職員に代表される“世間”は,いわば積極的な排除,あるいは無意識のうちに内在化された嫌悪によって動いているだけだった。
 そのため,同性愛者たちは,攻撃を行なう前に,まずは本人たちが気づいていない差別感や嫌悪を顕在させなくてはならなかった。」[井田,1994:227][井田,1997:274-275]

 「(被告側は)誰も,はっきりとした見解を述べるわけではなく,ただ時間だけが経過していった。
 裁判が始まってから一年あまりその事情はかわらず,その後,92年にいたって,口頭弁論が10回を数えるようになると,傍聴席は多数の傍聴人で埋まるようになったが,裁判の主役たる原告側の士気はそれに比して,実のところ,あまりあがらなかった。
「どうしても被告に人たちに敵意を持つことができない。誰がそんなことできるっていうんです。口頭弁論でも手ごたえはまったくないし,役職上,こんな裁判の場に引き出されてしまった気の毒なお役人とか思えないですよ。これが,とても裁判に望んだ当事者の感想とはいえないことはわかるけど」
 風間孝は被告団について,こう感想を漏らした。」[井田,1994:230][井田,1997:278]
井田は裁判の報道について次のように述べている。

 「裁判に関しても,私が取材を始めたさいの予想をたがえることなく,その経過を追う報道はまれだった。裁判史上初めてのケースであるにもかかわらず,また,原告,被告ともに味わっていた疲労のたかにもみあわず,同性愛者をめぐっての裁判は,まるでこの世に存在しないようにあつかわれた。」[井田,1994:242][井田,1997:291]

1996年の秋,井田の新美への取材で,新美は裁判について次のように語る。

 「裁判は手段ですか,それとも目的ですか。
「手段。
 でも,それは最初,まったく理解されなかった。裁判をおこすと言った途端に,周囲は短期決戦をほとんど例外なく迫りましたね。でも,俺は違うと思ってた。短期決戦型は,つねに破綻していくんだ。それ,周囲のケース見ててよくわかった。勝った,で,どうした。何も残らなかったってことになるんですよね。だいたいの場合。
 だから,勝つことは目的じゃないというのはちょっとした信念としてありましたね。とにかく,裁判は長期作戦に限ると。とくにこんな特殊なケースの場合は。でも,これが理解されにくい。弁護士さんを探すときも,その点を理解してくれる人を,というのがあったけど,10人いれば9人までが,とにかく勝つことが目的だといいましたね。
 負けたっていいんだ。裁判は手段でしかなくて,その時間を使って,何が作れるか考えればいいという考え方に共感してくれたのが今の弁護士さんたちですけど,それまでに,どれだけ勝訴,勝訴とこだわる人がいたかわからないよ。支援してくれる人にも多かったな。支援してくれるのは,とてもありがたいんだけど,当事者の俺たちより勝つことに熱くなっちゃうのには参った」[井田,1997:366-367]

同年3月30日 府中青年の家裁判の地裁判決でアカーが勝訴
 判決抜粋:http://www.ne.jp/asahi/law/suwanomori/fuchu_sub_2.html
同年4月12日 東京都が判決を不服として東京高裁に控訴
同年6月10日 平野広朗『アンチ・ヘテロセクシズム』現代書館,発行
 「隠花植物として隠微なところに置いておいたほうが言いという美学云々」の発言は,竹中労があるテレビ番組でしたものだが,このときのテーマは,東京都教育委員会がアカーから提出された東京都府中青年の家利用請願を却下した事件をどう考えるか,というものであった。「隠花植物→葉隠→同性愛容認の文化伝統」の論法でもって,「日本には同性愛差別などない」と呑気なことを言う人も多いが,それは同性愛者が息を潜めて社会の体制に身を委ねていればこその太平楽であって,ゲイが己が生を前面に打ち出したとき,どのような差別・偏見がぼくたちゲイに襲いかかってくるか,府中青年の家事件が如実に示すことになった。もちろん,これまでだって同性愛者であることが発覚して自殺したり親子絶縁をされたり職場を追われたりという,個々の人生のレベルでは数知れぬ悲劇が繰り返されてきたが,ゲイ自らがカムアウト(ゲイであることを公言すること)して行動することによって社会に問題を突きつけたという意味では,これは画期的な事件であろう[平野,1994:74-75]。
事業係長は・・・・・・被害者を威嚇し,セクシュアリティの問題と同性愛差別の問題を考える学習の場を奪い,青年の家利用者間の協調を図るという所員の職務をサボタージュしたのだ。
 ところが,都教育長のコメントは,これらの問題点をすべてうやむやにして,「男女間の規律」という一点に問題をすり替えてしまった。
 世間の「良識」の支持を頼みにした教育長の論理展開は,しかし,彼の性差別性を浮き彫りにしてしまったのである。
 このコメントは,男女が同室で宿泊すれば性行為が行なわれるだろう,男女の関係とはそういうものである,という推断を前提にしている。…中略…
 もちろん,この推断は「男の性欲は抑えられない」「据膳食わぬは男の恥」などなどの,「男の性欲=本能」神話の上に成り立っている。この強固な神話が打破されていない状況では,たしかに男女同室宿泊のとき,女性の側が一方的に不快な想いをすることが圧倒的に多いであろうことは,容易に想像できる。
 しかし,悪いのは性行為・愛の行為そのものでもなく,男女同室宿泊そのものでもない。悪いのは「男の性欲は抑えられない」などと,無遠慮に男が性欲を発散することを許してきた性意識のあり方であり,それを当然のこととしてほくそ笑んできた「男」たちであり,そのような「男」を野放しにしてきた男優位社会なのである。…中略…
 このような本質的な問題に目を向けることなく,たんに男と女を別室に「隔離」したところで,根本解決には程遠い。「青少年の健全な育成」には性教育が必要不可欠であることは自明すぎるくらい自明なことであるが,性教育の果たすべき役割とは,青少年が自分自身の,そして他者のセクシュアリティに真摯に向き合える人格を形成できるよう導いていくことであろう。そのために,異性愛者が自己のセクシュアリティを相対化する,つまりゲイと“出会う”ことは,またとないチャンスであったはずなのだ。・・・・・・異性愛者は同性愛者と“出会う”といった「事件」にぶち当たらないかぎり,自己相対化を迫られない。…中略…
 その意味でも,都教委は同性愛者を排除すべきではない[平野,1994:79-80]。
  ある映画評論家は−これも敢えて名を伏せる−「わざわざ体制に喧嘩を売ったみたいなもの」と評し,「差別撤廃とか人権獲得などというのはステップ・バイ・ステップ」で取り組むべきだと批判するが,「一歩」を踏み出す以上,「自分は何者なのか」明かすこと,この「一歩」が何者の「一歩」なのか主張することは,闘いの大前提ではないのか。…中略…第一,「体制に喧嘩を売っ」て,どこが悪い。
 ケンカを売らなければ,ぼくたちゲイはいつまでも「ヘテロの演技」と,発散された「自分」と「世間のつくりあげたゲイ・イメージ」とのあいだで,自己分裂を強いられたままになってしまう。もちろんケンカの売り方は,人それぞれであっていい。ゲイ・タレントにも,ゲイであることをカムアウトできない人にも,それなりの闘い方があるだろう。しかし,カムアウトして闘おうとする仲間の足を引っ張ることはなかろう[平野,1994:81-82]。

1995年 キース・ヴィンセント+河口和也+田崎英明「<ゲイ・スタディ>の可能性」『イマーゴ』11月号pp.22-43 青土社
河口 さきほど話していた日本におけるホモフォビアのあり方,例えば裁判であんなに時間をかけて,やっと,「やはり同性愛はいけない」となった(笑)。だから最初から同性愛者という存在自体が無視されているという現状があって,差別があるかどうかという段階に至っていないところからやり出す場合には,本質主義的にやらないと認められないわけです。…中略…裁判の過程でいろいろな運動を展開していく中で,裁判所の第一審の判決では,「性的指向」という一つの獲得物があった。同性愛という性的指向について裁判所がコメントをしたという,これは非常に画期的なことではあったと思うんです。日本の同性愛の運動を語る上では,公的な部分が初めて同性愛について言及したという意味において重要なことだったと思います。これでまず,同性愛についての議論の土壌が与えられたという始まりだったわけです。そのときに相手側の東京都の主張は,まず同性愛をいかに隠していくか,,周縁に追いやるかということをしていて,東京都側としては真正面から同性愛を問題にして闘いたくないという傾向があったんです。要するに「男女別室ルール」をもちだす。東京都立の青年の家では,男女が同室に泊まることは許されていない。同性愛者は男女というアナロジーでとらえられ,同じ部屋に泊まるということは許されない,ともってきて,同性愛自体について取り上げるのではなくて,異性愛のルールを同性愛にもってきてしまう。
ヴィンセント それこそジェンダーとセクシュアリティの混同ですね。
河口 ええ,そういう論理で一審を闘ってきた。いま第二審に入っているわけですが,ここで初めて,同性愛について東京都が意見を出してきてた,それは「同性愛というのはSMとかフリーセックスと同じものである」と。「だからこそ排除しなければいけない」という論理をもってきているわけです。まだ第二審は判決が出ていないのですが,同性愛について真っ正面から闘って,やっと本当の意味でのホモフォビアが東京都から出てきたなという感じですね[ヴィンセント他,1995:36-37]。

1996年9月10日 風間孝,19960910,「運動と調査の間−同性愛者運動への参与観察から」佐藤健二編『都市の解読力』pp.65-102,勁草書房
T 同性愛者たちの研究を志して−方法の模索
 風間はアカーのメンバーの一人であり,原告の一人でもある。風間はそのような立場から,「府中青年の家裁判」がアカーの中にもたらした様々な影響について論じている。具体的には,裁判を通して同性愛者の社会運動や,同性愛者のアイデンティティのことを論じている。
 風間は,調査方法について「会の活動に参加しながら,参与観察をし,また時間を見つけてはメンバーの生活史を聞き取り,データとして蓄積していく[風間,1996:69]」と述べている。さらに自分自身の生活史をもフィールドとして捉えている。

U 「府中青年の家裁判」の概要と経過
 風間は「府中青年の家裁判」の性格を,三つ指摘している。一つ目は,「日本の法廷ではじめて,同性愛者に対する差別と人権とが争点となった[風間,1996:70]」こと。二つ目は,「公的な空間を管理する論理のなかに潜む常識を問う経過をたどった[風間,1996:70]」こと。三つ目は,「裁判という公共の場にかかわることを通じて,運動主体それ自身もが変容していかなければならない,社会運動としての質をもつこととなった[風間,1996:70]」ことである。

V 運動の展開が明らかにしてくれたものに沿って
1 拒絶の論理と権威
 ここでは,青年の家所長の拒絶の論法が,事典や辞典のような「権威」によって強化されていると論じられている。

 証人尋問の際に,青年の家所長は,アカーとの交渉に先立ち,同性愛についての知識を得るために用語事典の『イミダス』,国語辞典の『広辞苑』,文部省発行の生徒指導資料『生徒の問題行動に関する基礎資料』を調べたことを明らかにしている[風間,1996:70]。

 (用語事典や国語辞典を参照して,アカーの宿泊利用を断るという所長の見解には)おそらく社会の中で,とりわけ所長の中に培われた否定的な認識を,「学術」的権威が支えたという構造が見て取れる[風間,1996:75]

 所長や課長の発言のときと,教育委員会の決定における拒絶の論理が大きく変化していく・・・(中略)・・・。東京都は,同性愛は青少年の健全にとって正しいとは言えない影響を与えるので利用を認められないという主張を薄め,男女別室ルールを根拠にした主張,性意識一般へと問題を再定義したのである。その理由として考えられるのは,弁護士が代理人となり,法的な観点からアカー側の主張が展開されるようになったことである。つまり,自らの主張を法的な側面からも問題とならない体裁をとらなければならなくなり,裁判をも意識して決定を下す必要が出てきたのである[風間,1996:75]。

2 運動の中のアイデンティティの模索
 続いて風間は,裁判を担った多くの若い男性同性愛者たちが,「どのようにして同性愛者としてのアイデンティティを形成していったのか[風間,1996:76]」ということに言及している。ここではまず,青年の家のリーダー会での自己紹介への,アカーとしての態度について述べられる。風間自身の印象は,「自己紹介すべきかについての話し合いの場を持つことへの驚き[風間,1996:76]」であり,「青年の家という公共の場で同性愛者の団体であることを言う必要はない,適当に架空のサークルで利用すればよいと思っていた[風間,1996:76]というものだったようだ。アカーの他のメンバー間でも,「正直に言おう」という立場と,「言わない方がよい」という立場に別れたそうだ。
 次に風間は,差別されたことに対して同性愛者が「怒る」ということがどういう意味を持つのか,ということを論じている。アカーの中で「嫌がらせが起こった場合は団体として対処しよう」と決めていたにもかかわらず,嫌がらせをされたメンバーが,「いつもと同じことがおこったんだから,とりたてて言う必要はない[風間,1996:78]」と思って言わなかった。

 彼等二人にとっては,笑われるということ=嫌がらせではなく,学校や友人との関係のなかで日常的に生起する出来事と連続する出来事でしかなかった[風間,1996:78]。

このような状況の中で,アカーのメンバーの多くが直面したのは,他の利用者からのいやがらせに対して「怒る」という感情が共有できるかということだった[風間,1996:78]。さらに風間は次のように指摘する。

 「怒る」ということは,同性愛者としての立場を引き受け,その立場から行動するということに他ならない。あるメンバーは,「これまで同性愛者であることに向き合わないように,向き合わないようにしてきたから,急に同性愛者の立場に立って,ものを考えることなどできなかった」と語っている[風間,1996:79]。

 仮にある出来事が差別とされうるような行為であっても,問題なのは同性愛者であることではなく,同性愛を揶揄する側にあるという認識がなければ怒ることなどできない[風間,1996:79]。

風間はこのように,アカーのメンバーにとっての「怒る」ことを論じている。その後,運動について次のように述べる。

 社会意識として同性愛者に対する偏見があったとしても,具体的な差別事象を批判することなしに被差別者の異議申し立ては起こりようがない[風間,1996:79]。

すなわち,異議申し立てには,「同性愛者」という立場を引き受けることと,同性愛者である自己を肯定することが必要なのである。
 その後風間は提訴までの過程におけるアカーの内部での活動に言及している。ここでは,意識的にライフヒストリーを語るということについて論じている。

 自分が同性愛者であるということを受け止め,ライフヒストリーを話すということは,同性愛という観点から自己像を再構築する作業であった[風間,1996:84]。

 ライフヒストリーを語ることは,自己の被差別経験を掘り起こすことにとどまらず,過去から現在に至る同性愛者としての自己を受容し,自己を肯定することにつながった[風間,1996:84]。

 アカーにおいてライフヒストリーを語るということは,自分ひとりの経験と思ってきたことが他の同性愛者にも共通していることに気づくことであり,ひいては同じ同性愛者としての連帯感の形成,および同性愛者として同じ社会構造のもとにあるということを認識していく上での素地を作ることにつながっていった。そこまで明確な目標が設定されていないにしても,合宿等を通じてライフヒストリーを語り合うことは,同性愛者が直面している問題を認識することにつながっているといえるだろう。
 このように,府中事件,そして裁判という過程を通じて培われたライフヒストリーを語ることは,アカーのメンバーにとって意識覚醒の場となり,アイデンティティの確立に有効であったと思われる[風間,1996:85-86]。

 次に風間は,訴状づくりでの戦略について記述している。「男女別室ルール」に対抗するものとして弁護士から提案された反論方法は,次のものである。

 なぜ男女が同室で宿泊することができないのか,男女が同室で宿泊すること=健全育成が出来ないという考え方自体がおかしいのではないか[風間,1996:86]

こうした主張は,当初アカーのメンバーにも当然のことと受け入れられたようだが,次のような異議が唱えられることとなる。

 このような方向から主張を展開することになれば,法廷で中心に論じられるのは,異性愛者の男女のことになってしまう。アカーがこの裁判を始めた理由は,府中青年の家で起こった出来事を単なる偶発的なものとして片付けるのではなく,同性愛者に対する侮辱や嫌がらせ,人権侵害が日常茶飯事となっているということを問題提起し,さらに法廷で同性愛について論じることで都の決定の背後にある偏見を明らかにすることにあった[風間,1996:86]。

 異性愛者の男女のことを論じるよりも,どうして複数の同性愛者が同室に泊まることができないのか,この点を中心に議論を展開してほしい[風間,1996:87]。

 結局,法廷では後者の主張が採用された。
 次に風間は,カミングアウトと家族という問題について論じる。裁判にともなってアカーの活動に時間を割かれることになり,家族にそのことを説明しなければならない状況が生まれる。

 初期においてはこのような理由から家族や親へのカミングアウトが行われたが,裁判が進行していくにしたがって新たな理由が加わることになった。それは,同性愛者であるということを前提に家族・親と新たな関係を築いていきたいという考えが生じてきたことである[風間,1996:90]。

 こうした変化を準備していった理由として,風間は「役割モデル」の存在をあげる。

 府中事件以降,次第に,家族や親にカミングアウトをするメンバーが少しずつ増え,ある割合でカミングアウト後も親と良好な関係を築いているメンバーが出てきたことは,これからカミングアウトをしようとするメンバーにとっては,役割モデルとして機能するようになったのである[風間,1996:90]。

 役割モデルは,単なるアカーのメンバーからの経験を聞くだけではなく,裁判を傍聴に来るメンバーの親の存在を目のあたりにすることによって,より強められていった。裁判開始以来,のべ30人の親が裁判傍聴に足を運んでいる。この裁判傍聴によって生じたアカーと家族とのネットワークは,92年には「家族とアカーの集い」が開催されるまでになっている[風間,1996:91]。

W 現代都市と同性愛者たちの社会運動
 ここでは,都市における同性愛者の集まる繁華街とゲイサークルについて述べられている。大きな都市のゲイユースがサークルを立ち上げたが,それらは大半が繁華街に吸収されていった。
 アカーは1986年に5人のゲイユースによって結成された。創設メンバーたちは,日常生活において同性愛者の友人すら見つけることが容易ではなく,グループという場を作ることによってこのような孤立状況を解消しようと考えた[風間,1996:95]。これは他のサークルと変わらない。異なっていたのは,繁華街以外の行き方の模索という方向性を持っていたことと,事務所の存在であると風間は言う。

 事務所の設置は,連絡・交流のスペースを恒常的にし,そのスペースにおいては時間や周囲の人を気にすることなく同性愛について話すことを可能にしたという意味で,グループを継続していく上で大きな役割を持っていた[風間,1996:96]。

 アカーの活動はこうした積み重ねのうえにつくられたものである。裁判への取り組みが,アカーに大きな影響を与えたとして,風間は次のように述べる。

 それまでにもエイズ予防法案への反対運動など,アカーとして社会的に主張していく機会もなくはなったが,よりアカーの主張が鮮明になり,社会にたいして主張の機会が増えたのは,裁判を開始して後のことであった。これまでの固定観念化されてきた同性愛者像に対し異議を唱え,同性愛者も社会の構成員として差別されることなく異性愛者と同等の権利を保障されるべきであるという主張を明確にしていったのである[風間,1996:96]。
 裁判への同性愛者からの反応は,激励と反発があったという。激励としては,「勇気づけられた」という手紙があったようだ。一方,反発として,次のものがあげられている。

 「なぜ同性愛者が群れなければいけないのですか。小さな力だから,数をたよりに集まれば出来ないことが出来るようになるとでも思っているのかしら。「人権」なんてステップ・バイ・ステップでやっていかなければなかなか手に入らないものなのです。それとも,この事件は,端から公共施設を相手取って団体の存在を宣伝したかったというのでしょうか」(『薔薇族』1990年8月号,第二書房:風間[1996]より重引)

 提訴以降,アカーが裁判をしている団体であることを承知の上で参加する人が増えたらしい。風間はこのことについて次のように論じる。

 裁判という公的領域への働きかけが,繁華街を訪れることに抵抗や恐怖感を持っていた同性愛者たちに新しい生の様式の実践であると感じ取られた結果であった[風間,1996:99]。

 最後に風間は,アカーの活動が裁判を通してピア集団という方法にたどりついたとし,次のように述べる。

 アカーとこれまでの同性愛者の動きとを比較したときに,大きく異なるのは,同性愛者どうしで相互作用していく中から,同性愛者としての自己を受容し肯定することをグループ活動の中心に据えたことであった[風間,1996:99]。


1997年6月15日 ヴィンセント,キース+河口和也+風間孝,19970615,『ゲイ・スタディーズ』青土社
同年9月16日 府中青年の家裁判の高裁判決でアカーが勝訴
 判決抜粋:http://www.ne.jp/asahi/law/suwanomori/fuchu_sub_3.html
同年9月25日 都教育委員会は上告しないことを決定
同年12月10日 井田真木子『もうひとつの青春 同性愛者たち』文春文庫,発行
 本書は井田[1994]の文庫版であり、加筆されている。


1999年3月15日 風間孝,19990315,「公的領域と私的領域という陥穽──府中成年の家裁判の分析」『解放社会学研究』13 pp.3-26
 風間はこの論文のなかで,岡野によるハンナ・アレントの再読を基に,府中青年の家の裁判を事例として用いながら,同性愛と異性愛における「公/私」の「区分け」がいかに恣意的に構成されるものであるかということに言及している。

本稿では,日本の同性愛者たちがおこなったあるひとつの政治的実践−「動くゲイとレズビアンの会(通称 アカー)」が東京都を相手に7年間にわたって展開してきた裁判闘争−を取り上げ,公/私をめぐって配置される言説構築のダイナミズムに対して,いかなる実践が対置されたのかを述べたい[風間,1999:4]。

 風間が言及している「公/私」の「区分け」には,以下の三つがあげられる。@「異性愛/同性愛」という「区分け」,A「法の内=政治/法の外=自然」という「区分け」,B「法の内=都民の青少年/法の外=同性愛者」という「区分け」。
 @「異性愛/同性愛」という「区分け」については,同性愛者のカミングアウトが「私的なことだから言わなくてよい」とされることがあげられている。こうした言説によって同性愛者は公的領域から排除される。
 A「法の内=政治/法の外=自然」という「区分け」では,法の埒外に置かれたものが,何をしたかではなく,何であるか(属性)によって判断されることを示している。こうした「公/私」の図式では,「区分け」が恣意的であることを隠すために,元々あった「自然」が法によって「政治」として生成したという先後関係があるかのように錯誤させられる。このように,元々あったものとして「区分け」は後から構築され,正当化される。
 B「法の内=都民の青少年/法の外=同性愛者」という「区分け」は,裁判における東京都の主張によって,「都民のコンセンサス」によって後から構築され,正当化された。すなわち,東京都は,元々「都民のコンセンサス」があったという主張をしてきた。しかし,裁判所の一審判決では,コンセンサス自体の不在が述べられ,この主張は棄却された。
 さらに風間は「男女別室ルール」における,こうした「公/私」の「区分け」に言及している。

「男女」別室ルールは,異性愛を「前提」にしていたのだとする法以前を持ちだし,ジェンダー(男女)を分離するルールではなくセクシュアリティ(異性愛)を前提にしていたルールであったかのように装うのだ。こうして,同性愛というセクシュアリティにも適用可能なルールであったかのように錯覚させるのである。このような法以前への遡及によって,男女別室を法の内側(公的領域)におき,男女同室と複数の同性愛者を法の外側(私的領域)におく区分けを正当化しているのである[風間,1999:13]。

 また風間は,宿泊の是非の判断において,異性愛者は「何をしたか」が問われるのに対して,同性愛者は「何であるか(属性)」が問われると述べている。

 「東京都がこうした「区分け」を構築してきたことに対するアカーの戦略のひとつは,同性愛と異性愛の同等性を強調することであった。なぜなら,青年の家の所長が同性愛について『イミダス』の記述を採用してきたような,同性愛者に対して付与されたステレオタイプから距離をとる必要があったからである。
 しかし,男女別室ルールは,同性愛者と異性愛者を同等の存在として見なしつつ,同性愛者を法の埒外に置く論理構成を持っていた[風間,1999:15]。つまり東京都は,同性愛者を「異性愛者が異性に対して抱く感情を同性に対して抱く者」とした。
 このような男女別室ルールに対して,アカーは当初の,「なぜ男女は同室に泊まれないのか」という問いから,「複数の同性愛者が同室に泊まるとどのような不都合が生じるのか」という問いへと転換した。これによって,問いをジェンダーの枠組みからセクシュアリティの枠組みへと転換したのである。」[風間,1999:18]

 判決は,東京都が主張してきた同性愛者に男女別室ルールを類推適用することはできるという観点に立ちつつ,動くゲイとレズビアンの会が主張してきた複数の同性愛者が同室に宿泊すると具体的にどのような混乱が生じるのかという観点から利用拒絶の是非について検討した[風間,1999:21]。

2001年6月30日 風間孝,20010630,「同性愛/異性愛,その関係性の再構築――府中青年の家裁判を事例に」慶應義塾大学経済学部編『家族へのまなざし<市民的共生の経済学3>』pp.123-145,弘文堂

2004年4月30日 風間孝,20040430,「同性愛に「寛容」な文化と社会運動」大畑裕嗣・成元哲・道場親信・樋口直人編『社会運動の社会学』pp.231-233 有斐閣



府中青年の家での事件をめぐる一連の流れについては、下記のサイトがある。
諏訪の森法律事務所
http://www.ne.jp/asahi/law/suwanomori/fuchu.html


■事件に関する資料

伏見憲明,19940416,「論壇 同性愛者に社会的認知を」『朝日新聞』1994年(平成6年)4月16日(土曜日)付,朝刊
伏見憲明編,19991110,『クィア・ジャパン Vol.1 [特集]メイル・ボディ クィアの90年代』頸草書房
伏見憲明,20040105,『ゲイという[経験]』ポット出版
平野広朗,1994,『アンチ・ヘテロセクシズム』現代書館
伊野真一,20051220,「脱アイデンティティの政治」上野千鶴子編『脱アイデンティティ』pp.43-76 頸草書房
伊藤悟,1994,「僕にとっての同性愛差別裁判」『創』,1994年7月号,pp.106-114
掛札悠子,19910815,「ゲイ差別とレズビアン差別は同じものか 府中裁判への一レズビアンの視点」『インパクション』第71号pp.98-104 インパクト出版会
風間孝,19910815,「私はなぜ裁判を決意したか 第一回口頭弁論冒頭意見陳述」『インパクション』第71号pp.62-67 インパクト出版会
風間孝,19960910,「運動と調査の間−同性愛者運動への参与観察から」佐藤健二編『都市の解読力』pp.65-102,勁草書房
風間孝,19971031,「同性愛者の人権について司法が下した画期的な判決」『週刊金曜日』第193号(1997.10.31) pp.9
風間孝,19990315,「公的領域と私的領域という陥穽――府中成年の家裁判の分析」『解放社会学研究』13 pp.3-26
風間孝,20040430,「同性愛に「寛容」な文化と社会運動」大畑裕嗣・成元哲・道場親信・樋口直人編『社会運動の社会学』pp.231-233 有斐閣
清野幾久子,1997,「同性愛者団体の公共施設宿泊拒否と法の下の平等−東京都青年の家事件(東京高判平成9・9・16)」『判例セレクト'97』pp.4 有斐閣 
Luncing,Wim.,1999,"Japan:Finding Its Way?",Barry D Adam,Jan Willem Duyvendak,Andre(´) Krouwel.(eds.)The global emergence of gay and lesbian politics:national imprints of a worldwide movement;Philadelphia:Temple University Press.pp.293-325
棟居快行,1997,「都青年の家宿泊利用拒否損害賠償請求事件(東京都)」『判例地方自治』No.160 平成9年6月号 pp.112 ぎょうせい
永田雅司,19910815,「前向きに生きるために 第一回口頭弁論冒頭意見陳述」『インパクション』第71号pp.68-70 インパクト出版会
アカー・動くゲイとレズビアンの会,1991,「府中青年の家・同性愛者差別事件とは」『インパクション』第71号pp.52-61 インパクト出版会
アカー・動くゲイとレズビアンの会,19930115,『ゲイ・ライツ臨時増刊号/特集:トム・アミアーノ−同性愛,教育,そして家族』
須藤陽子,1999,「同性愛者の団体に対する「府中青年の家」宿泊利用申請不承認事件−地方自治法244条2項「公の施設」の利用を拒む「正当な理由」」『自治総研』11月号(通巻第253号)pp.1-18 財団法人地方自治総合研究所
内野正幸,19920720,『人権のオモテとウラ−不利な立場の人々の視点−』明石書店
ヴィンセント,キース+河口和也+風間孝,1997,『ゲイ・スタディーズ』青土社
山本直英編著,『セクシュアル・ライツ――人類最後の人権』明石書店
好井裕明,『「あたりまえ」を疑う社会学――質的調査のセンス』光文社新書

『判例タイムズ』No.859(1994.12.15)pp.163-179
『判例タイムズ』No.986(1999.1.1)pp.206-215

『朝日ジャーナル』,1990年10月12日号,pp.90,「日本でも広がるか ゲイ・ムーブメント」
『アサヒ芸能』,1991年2月28日号,pp.184-186,「日本初 200人のゲイとレズビアンが立ち上がった「同性愛差別」裁判の行方」徳間書店
『創』,1997年11月号,pp.17「ゲイ差別で東京都が敗訴した「府中青年の家」判決の意義」創出版
『SPA!』,1990年5月30日号,pp.111,「おすぎとピーコの三つ目が行く」扶桑社
『週刊朝日』,1991年1月18日号,pp.163-164,「法の下の平等 憲法14条違反で東京都を訴えるゲイの人権裁判」朝日新聞社
『Weekly プレイボーイ』,1990年5月29日号,pp.82-83,「ブラック・ファックス 同性愛者は公共施設を利用できないのか?」集英社
『Weekly プレイボーイ』,1991年7月2日号,pp.55-56,「"ゲイの人権"を問う裁判が始まった!」集英社



■部分的な言及

伊田広行 19950228 『性差別と資本制』,啓文社,473p. 3400 ※
 「[…]ゲイ・レズビアン等の問題は、「標準家族」を相対化し、それに属さないあり方をどれだけ許容できるかという人権意識の水準を調べる試金石である。だがこの問題は日本では特殊視され続け、本質的に重要な問題であるとの認識はされてこなかった。ゲイ・レズビアンに対する差別の解消をめざして活動しているアカー(OCCUAR、動くゲイとレズビアンの会)とメンバー三人が、東京都の施設「青年の家」の利用を拒否されたことに対し、損害賠償を求めて九一年に訴訟をおこしたが、これがゲイ・レズビアンに市民権を求める日本で初めての裁判という状況であった。なお、九四年三月、東京地裁は、都側の利用拒否に違法性を認め、二七万円の賠償命令を下した。こうした判決が出され、判決が「同性愛を異常視する従来の傾向の見直しが行なわれるなど、状況は近年急激に変化している」と言及したことを考慮するならば、ゲイ・レズビアンの人権がようやく議論の俎上に載る入口にさしかかったと期待することができよう。ただし、それが異性愛結婚制度、カップル単位制度自体への見直しに直ちに進むような楽観的希望をもつ根拠はみあたらない。」(伊田[1995:229])

好井 裕明 20060216 『「あたりまえ」を疑う社会学――質的調査のセンス』、光文社、光文社新書、254p. ISBN: 4334033431 777 [boople][amazon] ※
第5章「語りだす」:「法廷闘争」(pp.165ff.)


UP:20060302 REV:0308 20070404,0412
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