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強制医療/医療観察法:文献紹介


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■目次

強制医療の根拠
◇中山 研一『心神喪失者等医療観察法の性格――「医療の必要性」と「再犯のおそれ」のジレンマ』(刑事法研究第10巻)、成文堂、2005年
◇足立 昌勝「市民社会に差別をもたらす心神喪失者等処遇法案の本質」、『季刊福祉労働』、95、2002.
◇町野 朔「精神保健福祉法と心身喪失者等医療観察法――保安処分から精神医療へ」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇前田 雅英「司法的判断と医療的判断」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇五十嵐 禎人「触法精神障害者の危険性をめぐって――刑事司法と精神科医療の果たすべき役割」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇横藤田 誠「強制治療システムとその正当化根拠――アメリカの憲法裁判を中心に」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇林 美月子「責任能力制度と精神医療の強制」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

措置入院(精神保健福祉法)と観察法による強制入院の差異
◇中山 研一『心神喪失者等医療観察法の性格――「医療の必要性」と「再犯のおそれ」のジレンマ』(刑事法研究第10巻)、成文堂、2005年
◇平野 龍一「精神障害者の処遇」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇近藤 和哉「警察・検察と措置入院」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇川本 哲郎「強制治療システムのこれから」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇加藤 久雄「触法精神障害者と検察官の追訴裁量権――心神喪失者等医療観察法における検察官の役割を中心として」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

処遇困難者≒触法精神障害者
◇中村 一成「『リスク管理』としての医療――報道された事件、されなかった事件を巡って」、インパクション、141、2004.
◇西山 詮「触法精神障害者に対する捜査と裁判」、『精神医療』、26、2002
◇平野 龍一「精神障害者の処遇」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇前田 雅英「司法的判断と医療的判断」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇柿本 美和「人格障害に罹患した犯罪者の処遇――イギリス国内裁判所・欧州人権裁判所の判決を手がかりに」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇町野 朔「精神保健福祉法と心身喪失者等医療観察法――保安処分から精神医療へ」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

再犯予測
◇高木 俊介「ソフトな保安処分としての医療観察法案」、『季刊福祉労働』、95、2002.
◇足立 昌勝「市民社会に差別をもたらす心神喪失者等処遇法案の本質」、『季刊福祉労働』、95、2002.
◇八尋 光秀「『再犯のおそれ』を理由にした強制隔離は憲法に違反しないか」、『季刊福祉労働』、95、2002.
◇中島 直「精神医療・医学における『予測』の新しい展開」、『精神医療』、32、2003.
◇吉岡 隆一「リスク評価パラダイムへの転換――司法精神医学と一般精神医学の包摂」、『精神医療』、32、2003.
◇平野 龍一「精神障害者の処遇」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇前田 雅英「司法的判断と医療的判断」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇五十嵐 禎人「触法精神障害者の危険性をめぐって――刑事司法と精神科医療の果たすべき役割」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇平田 豊明「重犯精神障害者の処遇政策」論考――医療と司法の重複領域に医療者はどう関わるか」、『精神医療』、26、2002

PSWに求められている役割
◇冨山 一郎・崎山 政毅・田崎 英明「保安処分の新展開」、『インパクション』、141、2004.
◇足立 昌勝「市民社会に差別をもたらす心神喪失者等処遇法案の本質」、『福祉労働』、95、2002.
◇三好 圭「医療を中心に」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇蛯原 正敏「保護観察所の役割について」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.[工事中]
◇平田 豊明「重犯精神障害者の処遇政策」論考――医療と司法の重複領域に医療者はどう関わるか」、『精神医療』、26、2002

司法福祉/司法手続き→「少年法」との差異
◇山口 幸男『司法福祉論(増補版)』、ミネルヴァ書房、2005年
◇中山 研一『心神喪失者等医療観察法の性格――「医療の必要性」と「再犯のおそれ」のジレンマ』(刑事法研究第10巻)、成文堂、2005年
◇町野 朔「精神保健福祉法と心身喪失者等医療観察法――保安処分から精神医療へ」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

責任能力
◇横藤田 誠『法廷のなかの精神疾患――アメリカの経験』(日本評論社、2002年)
 →cf. 詳細な文献紹介もあります
◇池原 穀和「刑法の責任主義と『裁判を受ける権利』をめぐって」、『季刊福祉労働』、95、2002.
◇西山 詮「責任能力の概念――医療から」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇西山 詮
「触法精神障害者に対する捜査と裁判」、『精神医療』、26、2002
◇岩井 宣子「責任能力の概念――法律から」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇山上 皓「責任能力の概念と精神鑑定のあり方」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇前田 雅英「司法的判断と医療的判断」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇五十嵐 禎人「触法精神障害者の危険性をめぐって――刑事司法と精神科医療の果たすべき役割」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇加藤 久雄「触法精神障害者と検察官の追訴裁量権――心神喪失者等医療観察法における検察官の役割を中心として」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
◇平田 豊明「重犯精神障害者の処遇政策」論考――医療と司法の重複領域に医療者はどう関わるか」、『精神医療』、26、2002
◇佐藤 直樹「責任能力論についてのメモ――刑法39条の刑法典からの削除を」、『精神医療』、26、2002[工事中]
*以下,別ページ(書誌情報のみ)
◇足立 昌勝 20020630 『Q&A心神喪失者等処遇法――精神医療と刑事司法の危機を招く』,現代人文社,103p. ISBN-10: 4877980962 ISBN-13:978-4877980962 1995 [amazon] ※ b f01 ml



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【強制医療の根拠】

中山 研一『心神喪失者等医療観察法の性格――「医療の必要性」と「再犯のおそれ」のジレンマ』(刑事法研究第10巻)、成文堂、2005年

 第1節 医療保護入院を正当化する根拠
「そこで、現在では、『医療保護入院』の正当化は、以下のように構成されることになった。『……これまでの同意入院は、保護義務者の同意が入院を正当化する根拠であったが、新しい医療保護入院では、医師の判断が入院を正当化する根拠であり、保護義務者の同意は、医師が入院させるのが適当と判断した場合でも同意がなければ入院させることができないという、いわば消極的な要件にすぎない』(平野・精神医療と法、1988年、75頁)。この考え方を徹底して行けば、保護義務者の拒絶権も否定することになるが、その場合には、医療保護入院という強制入院の正当化は、保護義務者の意思に依存せず、『医療行為の必要性』という点にのみ絞られることになり、そこではパレンス・パトリエの思想、つまり医学的パターナリズムによって、強制入院を正当化することを正面から認めることになるであろう(町野『保護義務者の権利と義務』法と精神医療3号、1989年、25頁)。」114

※精神科医療における医学的適応性が入院適応性に直結してしまう問題

 第2節 措置入院を正当化する根拠
「この措置入院が『強制入院』であることは明らかであるが、その正当化の根拠については、より複雑な問題がある。/『措置入院』については、責任能力が認められない限り、触法行為という前提事実に対して『刑罰』を科すことの正当性が存在しないことは明らかである(責任主義)。問題は、触法行為の原因となった精神障害の『治療』が『強制入院』として正当化される根拠は何かという点である。ここでは、上述の『医療保護入院』が要件としていた保護者の同意という点は消えて、新たに『医療及び保護のために入院させなければ、その精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがある』という要件が加えられている。したがって、『医療適応性』と『自傷他害のおそれ』との関係が問題となる。/第一は、この『自傷他害のおそれ』が『強制入院』を正当化する根拠であるとするもので、それはいわゆる『ポリス・パワー』の思想に由来する。触法精神障害者は、医療及び保護のために入院させなければ『自傷他害のおそれ』があるが故に、『強制入院』が正当化される。『自傷行為』は本人の保護のために、『他害行為』は社会の『保護』のために必要な要件に対応し、全体として『社会的危険性』が強制医療を正当化するというのである。/この考え方は、ポリス・パワーの不当な拡大を限定するという問題意識からは、明白な危険性が認められない限り強制入院を制限するという方向にも働くが、他方では、現行の措置入院制度にも『保安』的観点が存在していることを認めた上で、さらにこの思想を保安的な『治療処分』の立法化にまで拡大する方向にも働くことに注意しなければならない(加藤久雄『処遇困難者の処遇』法と精神医療2号、1988年、57頁)。」116
「これに対して、第二は、『強制入院』としての措置入院の正当化根拠もまた、上述した『医療保護入院』と同様に、『パレンス・パトリエ』の思想に基づき、医療保護にとって必要であるという医学的適応性と、入院させることについての精神科医療の技術性にあるとするもので、精神障害者の犯罪防止と社会の安全は、保護のための強制入院の反射的な利益として位置づけられるのである(大谷・上掲書92-3頁)。これは、他害の要件を警察・保安的に理解するのではなく、医療保護に伴う反射的な利益として位置づけられる点で、注目すべき見解であるが、なぜ法が『自傷他害のおそれ』を『強制入院』の要件としたのかという関連性が今ひとつ明確でないように思われる。そして、現に他の箇所では、強制医療が社会の安全に寄与するという場面では、ポリス・パワーの思想を全面的に否定すべきではなく、危険性基準による強制医療も許容すべきであるとも述べられており、必ずしも首尾一貫しているとは言い難いところがある。/他方、この点については『他害のおそれ』を根拠にして精神障害者を拘禁できるとすることは、精神障害者であるという地位・身分を理由として健常者と差別することになるから許されないという明確な指摘があることにも注目しなければならない。…(町野『医療』・保安・患者)戸塚=広田編・精神医療と人権(2)、1985年、92-3頁」116-117

 第3節 新法案の強制入院制度を正当化する根拠
「現行の『措置入院』との決定的な違いは、心神喪失等の状態で一定の重大な犯罪(放火、強制わいせつ・強姦、殺人、傷害、強盗)に当たる行為をした精神障害者を、検察官が不起訴にした場合に、知事に通報して措置入院を求めるのではなく、裁判所に審判を申し立て、裁判所が指定医療機関に入院の命令を出すというシステムを新設しようとする点にある。与党プロジェクトチーム案によれば、改革案の特色は、(a)新たな処遇手続きの創設(裁判所の関与)、(b)対象者の処遇施設の整備(専門治療施設)、(c)退院後の体制の確立(保護観察所の観察)、(d)司法精神医療の充実、にあるとされている。」119
「…しかし、政府の最終案には、他には見られなかった重大な特色が顕在化したことに注目しなければならない。それは、政府案になって初めて、裁判所による入退院の基準が、『入院させて医療を行わなければ心神喪失等の状態の原因となった精神障害のために再び対象行為を行うおそれがあると認める場合』と明文化された点にある。これは、法案が『再犯のおそれ』を基準に入退院を決定することを明言したことを意味する。それが、措置入院の際の『自傷他害のおそれ』を踏襲しなかったことは、政府案が実質的に『保安処分』に接近し変質したものといわざるを得ないのである。」119-120

「…しかし、新法案のように、正面から『再犯の危険』が判定基準として規定されてしまうと、もはやこれまでのように、患者の医療適応性と治療の必要性を『強制入院』の正当化根拠として維持することはいよいよ困難となり、正面から『再犯の危険性』を正当化の根拠とする本命の保安処分制度への移行を観念しなければならなくなるであろう。しかし、反社会的な行為に出る危険があるというだけで(精神障害者を)拘禁できるということになると、精神障害者であるという地位・身分を理由として健常者と差別することになるという深刻な批判(町野)のほか、強制医療を正当化する程度の社会的危険性を予測するのは困難であるという大きな壁(大谷)にも直面しなければならなくなるはずである。」120


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◇足立 昌勝「市民社会に差別をもたらす心神喪失者等処遇法案の本質」、『季刊福祉労働』、95、2002.

 5法案の本質:「社会的安全の確保」という神話
「しかし、近代刑法で認められてきたように、責任無能力者に責任を問うことはできない。側面は異なるが、刑の執行についても、その刑の本質を理解することができない精神障害者については、刑の執行延期が定められている(刑事訴訟法479条1項、480条)。」22
→結局、「社会的安全の確保」を念頭に置いたものである。

触法精神障害者対策としての司法関与
「そもそも、司法は何に対して関与するのであろうか。入退院の決定であるとすれば、裁判官に入院要件を決定できる資質が必要となる。法案における『再び対象行為を行うおそれがある場合』の判断を果たして裁判官は行うことができるであろうか。裁判官がそれを行えば、もはや、それは医学的判断ではない。社会的危険性の予測である。裁判官は、行為の事実とそれに対する責任を確定し、刑罰を言い渡すことはできても、医学的判断としての再犯予測は不可能である。」23


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町野 朔「精神保健福祉法と心身喪失者等医療観察法――保安処分から精神医療へ」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

5 精神保健福祉法と心神喪失者等医療観察法
(1)ポリスパワーとパレンスパトリエ
「改正刑法草案における保安処分から心神喪失者等医療観察法に至るまで、問題の核心はやはり、何故触法精神障害者の自由を制限し強制的に医療を与えることが許されるかということである。原理的に許されないことを新法が行ったとするなら、それは憲法違反で無効としなければならない。法律ができれば問題が終わるというものではない。/そして、再犯の防止というポリスパワー的目的を達成するために、再犯を行う可能性があるに過ぎない精神障害者の自由を奪うことは許されないといわなければならない。それを認めるなら『治療なき拘禁』をも許容せざるをえなくなるであろうし、何よりも触法精神障害者以外の人には許されない予防拘禁を認めることであり、法の下の平等(憲14条)に反することだからである。」73
→※触法精神障害者はいいのか?


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◇前田 雅英「司法的判断と医療的判断」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

※「責任能力」に関する考え方の見直し
※「強制」のねじれ→「措置入院」VS「観察法」
「刑事治療処分を必要だとする加藤教授は、犯罪を犯していない者まで強制的に入院させる現行の措置入院制度は憲法違反であり、他害のおそれを理由とする(犯罪は犯してはいない者の強制入院の)強制入院は一切認められるべきでないとする。それに対し、浅田教授は『触法精神障害者』の一部は、措置入院で対応できるとする。その範囲では、刑罰を加え得ない行為者に対し、強制的に病院に収容することは認められるのである。もちろんそれは保安的な処分ではなく、医療的な処分でなければならないが、医療的な処分である限りは、刑事処分でないので責任主義とは抵触しないということになる。」91
「そして、両教授が責任主義の射程外にあるとされる『刑事医療処分』『措置入院』という強制入院がなぜ法的に許容されるのかが、問われなければならないのである。強制治療(収容)の理論的根拠に関しては、ポリスパワーの必要性を正面から認めて、社会防衛上、現に重大犯罪を犯した者には再犯のおそれの認められる範囲で強制的入院を認め得ると解するのか、あくまで、治療のために必要だから強制的に入院させ得ると考えるのかが対立しているといってよい。」91

「結局、両者の実質的差は、現に犯罪(特に重大な犯罪)を犯し、これからも同様の犯罪を犯すのではないか危惧される(他害のおそれがある)が、医学上緊急に強制的に入院させる必要のない責任無能力者を、本人の意思に反して強制的に入院(収容)させることを可能と考えるか否かということにある」92

※「他害のおそれ」、「緊急な治療の必要性」、「同様の行為を行うことなく社会復帰が可能となる治療の必要」のちがいは?92

2 精神医療の視点と刑事司法の側からの視点
「医療の側で『治安・保安』を考慮する見解が暗黙のうちに存在してきたという事実は措くとしても、刑事法の世界では、医療の世界以上に、障害者の身柄拘束への慎重な態度が見られたのである。それは、戦後の刑法学説における、新派的責任概念(社会的危険性を重視する考え方)への消極的態度と、被害者の利益よりも被疑者への人権侵害を排除することを重視する解釈の方向性に起因する面が大きかったように思われる。そして、刑法学界の『保安処分論』へのアレルギーが決定的な意味を持ったのである。」92
※しかし昭和30年代は刑法学界は二元主義
※昭和40年代の刑法改正議論A案とB案

3 措置入院の変化と制度の間隙
※措置入院の保安機能の減退
→それに伴う「隙間」の患者:他害のおそれは高く、且つ、責任無能力下で犯罪を犯した者
「ここで、確認しておかなければならないのは、精神科の医師に『かつてのようなゆるやかな他害判断を用いて、重大な犯罪を犯す危険がある者を措置入院させて欲しい』と望んでも、ほとんど受け入れられないであろうという点である。犯罪発生を要件としない措置入院が許されるのは、医療の世界では『緊急の治療を要する場合』に限るのであり、『医学的には、犯罪を犯す危険は強制の根拠にはならない』という考え方が医師には強い。その結果、処罰(責任非難)できる犯罪者と強制的に入院させることのできる緊急患者の間に『他害のおそれの高い責任能力下で犯罪を犯した者』が生じざるを得ないのである。」93

※なんらかの対応として・・・
@刑事責任能力概念(非難可能性)の中に被告人の危険性判断を取り込む・・・
A措置入院制度の「刑事的運用」・・・
B「精神病院収容処分」の新設→「刑罰とは全く異質の治療処分を導入して刑事責任の純化をしつつ、国家予算ににより一部の患者に濃密な治療を行うことにより、一般の病院における触法患者の負担を解放しつつ、我が国の司法精神医療の水準を高めることが期待される。」93


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◇五十嵐 禎人「触法精神障害者の危険性をめぐって――刑事司法と精神科医療の果たすべき役割」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

2 精神科における医療の強制と危険性
※パレンス・パトリエ思想とポリス・パワー思想
「周知のように、精神科医療における強制が許容される根拠としてはパレンス・パトリエ(parens patriae)思想とポリス・パワー(police power)思想の2つの考え方があるとされる。パレンス・パトリエ思想とは、精神障害者は自己の医療的利益を自ら主体的に選択し決定する能力を欠いているから、本人に代わって社会が選択・決定して医療を加える必要があるとする思想であり、ポリス・パワー思想とは、精神障害者の社会に与える脅威を除去することに強制医療の根拠を求めるものである。パレンス・パトリエ思想に基づけば、医学上患者の利益になると考えられる場合には常に強制医療を行ってよいということになる。これをメディカル・モデル(medical model)とよび、ここでの強制治療の判断基準は治療の必要性である(治療必要性基準:treatment model)。これに対してポリス・パワー思想に基づけば、強制医療は医療を目的にするものであるとはいえ、身体の自由を奪って行われるものであり、法の適正手続(due process of law)に基づいてのみ許容されるとする考え方である。ポリス・パワー思想に基づけば、すべての強制医療は裁判所の責任によって行われるべきであるということになる。これをリーガル・モデル(legal model)とよび、ここでの強制治療の判断基準は自傷または社会に対する危険性である(危険性基準:dangerousness standard)。」97

※インフォームド・コンセント→「同意」だけですべての医療行為が正当化されるわけではない。「医療の必要性」が必要。しかし必要性の不確実性がある。「同意」はそれを阻却している、と考えることができる。97

「つまり、精神科医療の強制は、@『医療の必要性があること』、A『本人が同意能力を欠いていること』というパレンス・パトリエ思想が前提条件である。…(中略)・・・つまり、精神科医療の強制は、パレンス・パトリエ思想に基づくものではあるが、その適用にはポリス・パワー思想に基づく制限が課されていると考えるのが妥当である。」97

4 触法精神障害者の処遇における刑事司法と精神科医療
「触法精神障害者とは、刑罰法令に触れる行為を行った触法者としての側面と治療や介護を必要とする精神障害者としての側面の二面性をもった存在である。そして個々の事例ごとに精神障害の重症度も、触法行為の重大性も異なっており、触法者としての側面と精神障害者としての側面のどちらを重視した処遇とすべきかは、個々の事例によって異なっている。」98

「したがって、同じ精神科治療法の中でも、精神科医療の強制を正当化する理由になり得るのは、事実上、身体療法による利益が期待できる場合のみであって、精神療法や環境療法によってしか改善できない精神障害については、精神科医療の必要性は、自由の制限の根拠とはなりえないと考えられる。」99
※身体療法≒薬物(向精神薬)療法


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◇横藤田 誠「強制治療システムとその正当化根拠――アメリカの憲法裁判を中心に」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

※アメリカ合衆国の憲法裁判例を参考に強制入院の正当化の根拠について考察。
※著書に『法廷のなかの精神疾患・アメリカの経験』(日本評論社、2002)。
はじめに
「1970年代に至って、刑事法学者や精神医学者によって強制治療の根拠・要件について批判的な検討がなされるようになってきたが、憲法学においては、人権との関係が意識されるようになってもなお、強制入院制度は感染症予防のための隔離と同列に扱われて合憲と解されるのが常であった。そのなかにあって、強制治療システムを憲法13条・14条・18条・31条等の観点から吟味したうえで、強制入院制度や入院後の自由制限を合憲とするためには法律を厳格かつ限定的に解釈しなければならないと主張する論考の意義は、現在もなお重要である。」105
※「論考」→105の下に
※日本での強制入院に関する判例105後半に

「1970年代を中心にした革命的な精神医療改革の中で重大な訴訟に関わった弁護士Bruce Ennisがこう語っている。『自由の本質的前提とは、人が自ら欲することを、自己に害あることを含めて、他人を害しない限りにおいて、なし得るということである。・・・何故人は自分の生命に関して自己の欲するままにできるのに、誰かが彼を精神病といった瞬間からその自由を奪われるのか?』と」106
「これに対して、マサチューセッツ州精神保健センターの精神科医Thomas Gutheilが、『医の論理』を印象的な言葉で語ったことがある。『精神疾患はそれ自体最も甚だしい強制的マインド・コントロールであり、最も激しい『人間の完全性への侵入』である。医師は患者を病気の鎖から解放しようとするのに対して、裁判官は治療の鎖から解放しようとする。この道は、患者にとっては『権利のうえに朽ち果てる』ことにほかならない』と。この一節を含む論文の題名は『真の自由の追求』であった。」106
「ここで問われているのは、『自由とは何か』ということである。後者の精神科医がいう自由は法的意味の自由ではないと一応いえよう。では、これを無視して純粋に法的意味の自由を追求すれば問題は解決するのか。医師が重視する利益を『健康』『福祉』『真の自由』などどのような言葉で呼ぼうと、この視点を無視しえないところに問題の複雑さがある。自由とそれに対立する価値のいずれが重視されるのか。強制治療システムの法的評価は、この点をめぐって紛糾するのである。」106

2 強制入院の正当化根拠
(1)「自他への危険」故の収容

(2)「治療の必要性」要件の登場
※「危険でない」精神障害者の強制入院について

(3)「危険」要件の厳格化

(4)連邦最高裁の強制入院観
「・・・このことの反面として、入院要件に該当しない者を誤って入院させる際の自由損失の重大性は、相対的には軽視されている。」108

(5)新「治療」要件の登場

3 強制入院はいかにして正当化されるか
※アメリカ合衆国連邦憲法修正5条及び14条のデュープロセス「適正な法の手続によらないで・・・自由・・・を奪われない」権利→「身体的拘束から自由である権利」109

「1960年代後半以降、強制入院制度が『身体的拘束からの自由』を侵害せず合憲であるというためには『危険』要件を前面に押し立てるほかないとの認識が一般的になった。そして、『危険』の内実が問われるようになり、社会防衛の目的に真に適する者に強制入院の対象を厳しく限定する方策(要件の緻密化と危険予測の正確性増進)が追求された。要件の緻密化という点については、まず予測される危害が重大でなければならない。そこで、財産への危険を除外し、『人の身体への重大な危害』に限る傾向が生まれる。次に危害発生の確率が極めて高いことが求められる。Lessard判決の要件はこれを表している。以上のように要件を絞るとしても、そもそも精神科医による正確な危険予測は可能なのかとの疑問は残る。多くの研究が、現在の予測技術は過大予測を生みがちであることを指摘している。危険予測の正確性を高める努力のひとつが、Lessard判決が憲法上の要件として採用した『明白危険行為』の要件である。」109
※→しかし、ポリス・パワーに基づく強制入院の目的「公共の安全確保」→精神障害者であると否とに関わらず
※→精神障害者のみの予防拘禁は?
@一般人より危険性が高いという社会通念→実際はむしろ低い
A精神障害者は行動の制御ができず犯罪抑止効果が働かない→科学的な証拠なし
B強制入院後の治療は精神障害者の利益になる→必ず治療可能性がなければならないし、精神障害者に限定できない
110

4 新たな難問
※性犯罪常習者を刑期満了後も継続して収容する制度が、アメリカの「少なからぬ州」で採用。111

5 強制治療システムの法的評価を支える要素


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◇林 美月子「責任能力制度と精神医療の強制」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

1 責任無能力制度と処罰
「刑罰を科して、行為者の生命、自由、財産を強制的に奪う根拠は、犯罪行為に対する規範的予防である。有罪判決と刑罰による非難をとおして、行為者が将来、犯罪を行ったのと同様の事態が生じた場合には今度は犯行を思いとどまらさせるように動機付けて、予防をする。しかし、責任非難ができない場合には刑罰は科せない。」

2 責任無能力後の強制医療
※保安処分
「わが国では、1940年の改正刑法仮案126条以下、1974年の刑法改正草案97条以下に保安処分が規定されたが保安的色彩が強いとして立法には至らず、法務省は1981年に名称を治療処分とし、対象とする罪種を放火、殺人、傷害、強姦、強制わいせつ、強盗に限定し、収容施設も治療施設としたがそれでも反対が強かった。」113
→しかしその後2003年に心神喪失者等医療観察法成立、施行
「このような強制的な処分の根拠はどこに求められるのであろうか。責任無能力による無罪の場合、また、不起訴処分のように裁判によって犯罪行為が認定されていない場合が対象とされることから明らかなように、過去の犯罪行為に対する非難を強制処分の根拠とすることはできない。したがって、犯罪行為は非難の対象ではなく、将来の対象者の医療及び保護の必要性を示すものとして理解すべきことになる。『自己の医療的利益を選択する能力が欠如・減退している精神障害者には、公権力が親代わりとなって彼に強制的に精神医療を実行しうるとする』パレンス・パトリエが強制入院・強制通院といった強制医療の根拠である。・・・」113
→ドイツ:刑法で収容処分を規定、フランス:措置入院、アメリカ:多くの場合、特別収容手続を規定。

「第1に、対象となる重大犯罪を犯したことを非難する意味でこの強制処分を運用してはならない・・・」113
「第2に、心神喪失者等医療観察法の罪種が限定されていること、将来の犯行のおそれが、対象行為を行うことなく社会復帰可能であるかという形ではあるが、強制入院等の要件とされていることから、過去の犯罪行為に将来の犯罪行為の危険性の根拠としての意味があることは否めない。」114

3 措置入院
「措置入院などのいわゆる民事収容では、過去の犯罪行為からの危険の推定ではなく、現在の状態が重要である。他害のおそれは、治療によって幻覚・妄想等の精神症状が治まっている場合には認められない。医師は診察の時点での入院の要否を判断する。このことは、しばしば指摘されるように、精神医療の開放化の流れの中で、わが国の精神病院が犯罪傾向を有する患者を入院させ、あるいはさせておくことを躊躇することと関係しているであろう。」115
「措置入院を保安処分のかわりに、現在の危険性ではなく、将来の危険性に対処するものとして用いることはできない。」115

4 責任無能力制度と強制医療
「患者の治療拒否の自由とパレンス・パトリエによる治療の必要性をどのように調整すべきかについては、周知のように、国連総会が1991年に採択した『精神疾患を有する者の保護及び精神保健ケアの改善のための原則』の11に規定がある。それによると、精神外科的手術や実験的治療等を除く、通常の治療の場合には、患者のインフォームド・コンセントなしに治療ができるのは次の2つの場合である。第1に、独立機関が、治療の診断上の評価、目的、方法、予想される治療期間、期待される効果、より侵襲の少ない治療法の選択肢、提案されている治療法の苦痛、不快、危険、副作用についての情報を得た上で、その時点で、患者がインフォームド・コンセントを与え又は与えない能力を欠くと判断し、国内法に規定がある場合は、患者自身の安全又は他人の安全を考慮すると、患者が不当にインフォームド・コンセントを与えない場合であると判断し、かつ、独立機関が、患者の健康に照らして治療計画が患者にとって最善の利益になると判断する場合である。第2は、法によって権限を与えられた資格のある精神保健従事者が、患者自身の又は他人に対する即座の又は切迫した危害を防止するために緊急な必要があると判断した場合である。」116
→第1が、何を言っているのかよく分からん。



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【措置入院(精神保健福祉法)と観察法による強制入院の差異】

中山 研一『心神喪失者等医療観察法の性格――「医療の必要性」と「再犯のおそれ」のジレンマ』(刑事法研究第10巻)、成文堂、2005年

 1精神保健福祉法上の措置入院制度との関係
※「措置入院」を前提にした一種の特別法との位置づけは可能か?
「この路線は、最初の自民党案の段階で、検察官による全件起訴を前提とする制度改正(保安処分制度の導入)の方向をとらず、検察官による不起訴処分を前提とした治療措置の申立制度という選択肢を選んだ時から、すでに確定していたといえよう。そしてそれは、法務省の意向にも沿うものであったのである。/ところが、自民党案は、日精協などからの『司法介入』の要請を受け入れて、治療措置判定機関を『地方裁判所』に置くということになり、そこから、現行の精神保健福祉法上の『行政処分』性との間に乖離が生じ、手続の『司法化』が始まった。…」147
「…問題は、そのことによって、精神科医による医療判断が裁判所による司法判断に転化する契機が生じたという点にある。」148
「…乖離を示す第二の点は、重大な触法精神障害者のための『専門治療施設』の創設…」148
「現行法と異なる第三の点は、強制入院のほか強制通院の制度が構想されたこと、しかもその通院および退院後の通院を担保するために、『保護観察所』の役割が法的に位置づけられたことである。…保護観察所による『保護観察』は、刑法上のもの(執行猶予者の保護観察、仮出獄者の保護観察)のほか、少年法上のもの(保護処分を受けた者の保護観察、仮退院者の保護観察)があるが、これが触法精神障害者にも及ぶことになるからである。」148
「第四点として、現行の「措置入院」の判断基準である『自傷他害のおそれ』が、政府案では入退院の基準である『再び対象行為を行うおそれ』に変わったことが重要である。」→再犯のおそれへ148


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平野龍一「精神障害者の処遇」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

(2)入院要件の審査
※二元的
「…刑の執行に代えて入院させることを認めるのならともかく、そうでなく入院だけのために法廷で弁論をするのは、医療に馴染まない感を免れない。しかも従来の措置入院は残っているのであるから、二元主義になってしまったわけである。」6


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◇近藤 和哉「警察・検察と措置入院」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

はじめに
1 警察と措置入院:24条通報の争点
2 検察と措置入院:25条通報の争点
※起訴便宜主義→心神喪失については無し、心神耗弱について
※二重基準→起訴する場合と不起訴の場合とで、二重基準をとる119


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◇川本 哲郎「強制治療システムのこれから」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

1 強制治療システムの現状と課題
(1)措置入院
「・・・その基準とは、以下のようなものである。すなわち、『入院させなければその精神障害のために、抑うつなどの病状又は状態象(躁、幻覚妄想、精神運動興奮、昏迷、意識障害、知能障害、人格の病的状態[含む精神病質])により、自殺企図等、自己の生命、身体を害する行為(自傷行為)又は殺人、傷害、暴行、性的問題行動、侮辱、器物破損、強盗、恐喝、窃盗、詐欺、放火、弄火等他の者の生命、身体、貞操、名誉、財産等又は社会的法益等に害を及ぼす行為(他害行為)を引き起こすおそれがあると認めた場合』である。」122

(2)医療保護入院と任意入院
※平成11年改正で保護者の自傷他害防止義務が削除。
「そして、この改正によって、任意入院患者数が減少し、医療保護入院患者が増加した。これは、主として老年痴呆患者の入院形式の変更が行われたためであるが、1999年(平成11年)と2001年を比較すると、任意入院は233,509人から215,438人へと減少し、医療保護入院は91,699人が110,930人へと大幅に増加しているのである。」124

※任意入院の現状
「・・・43.1%の者は閉鎖処遇を受けている。」124


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◇加藤久雄「触法精神障害者と検察官の追訴裁量権――心神喪失者等医療観察法における検察官の役割を中心として」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

※人格障害犯罪者は新法のターゲットではない
「・・・その『対象者』として、重大触法行為(この法律では、心神耗弱も含むので、有罪者も含まれる)を行った者に対する、いわゆるドイツ型の『刑事処分』ではなく、応報的刑罰一元主義を維持しつつ、典型的なメディカル・モデルである現行『措置入院』制度に上乗せする形で、法務省管轄の施設は一切使わず厚生労働省管轄の国立の保安病院・病棟を新設・改築して、同省に下駄を預けようとするものであると言えよう(その意味でこの法律は、現行精神保健福祉法の『措置入院』制度(都道府県知事の行政処分と地方裁判所の司法処分との違いはあるが)と入院患者の法的性格の面では大差のない一種のメディカル・モデルと言えよう。)/これはまさに、重大事件の犯人でかつ統合失調症のような重大な精神障害のためにその『責任能力』がない触法精神障害者に対する新たな『特別措置・強制入院制度』の導入に関する提案であり、大阪池田小事件の犯人のような責任能力があったり、減弱している凶悪『人格障害犯罪者』に対する立法提案ではない。」134



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【処遇困難者≒触法精神障害者】

◇中村一成「『リスク管理』としての医療――報道された事件、されなかった事件を巡って」、インパクション、141、2004.

6 「社会防衛」の為の医療
※処遇困難者=触法行為者といういびつな等式
「医療関係者や当事者、弁護士などの反対の中、保安処分の再来ともいえるこの法律の成立を後押ししたのは、彼女が批判する『日本の精神医療』を担う民間病院の集まり、『日本精神科病院協会』(日精協)だった。病院側が『処遇困難』とする人たちと触法行為を犯す人たちを同一視し、彼ら彼女らを特別施設に移せば、日本の精神科病院の九割を占める民間病院には触法行為の恐れのない『社会性ある患者』が集まり、開放化が進められるという主張、言い換えれば、『患者を選別し、危険とされる人物は社会から消せばいい』という無茶苦茶な理屈で法案成立を推進した。この時期には、日精協からも厚生族議員への巨額献金も表面化している。」49


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◇西山詮「触法精神障害者に対する捜査と裁判」、『精神医療』、26、2002

「昭和62年度〜平成元年度厚生科学研究報告書『精神科領域における他害と処遇困難性に関する研究』によると、処遇困難者950例のうち『入院経路(紹介者)』が検察庁である場合は14例(1.5%)に過ぎず、矯正施設32例を合わせても計4.8%である。犯罪歴の例でさえ19.9%であるから、今日の精神病院の多くは犯罪と関係のない人々に対処できないと言うのである。」43
※要は→「日本精神科病院協会(以下は日精協と略す)の重大な犯罪を犯した精神障害者の処遇のあり方に関する検討委員会の委員長は、『国公立病院とは民間病院を補完するためにある』と言って憚らないが、日精協提案の『司法精神医療病棟(仮称)の新設』は、国公立病院に期待しているのである。精神科救急(警察官通報)までは日精協も参加するが、触法精神障害者の治療(検察官および矯正施設長の通報)は扱いたくないというのであろう。」43


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平野龍一「精神障害者の処遇」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

※「処遇困難者」について
「保安処分という言葉の響きがよくないので、道下案では処遇困難者対策という語が用いられた。このことをとらえて、『処遇困難者とは、病院の中で、規則に従わず他人に迷惑をかける者をいい、触法精神障害者は必ずしもそうではない。道下案も公衆衛生審議会も対象者をとりちがえている。』という批判があった。だが、これは制度の由来を無視した言葉の表面的な批判である。他方、この案に対しては暴力的な批判もあった。そのため、この案はつぶれてしまったのである。」6


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◇前田雅英「司法的判断と医療的判断」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

「たしかに、当時、一部の精神病院は非常に劣悪な人権環境にあった面があり、患者の人権を中心に据えた議論は一定の説得性を有した。ただ、刑事法における保安処分議論の空白はあまりにも長く、その間に精神医学の世界が徐々に転換していったのである。/その結果、日本精神病院協会などを中心とした医師の側から、刑事治療処分の必要性が主張されてくる。その背景には、病院の問題状況がある程度は改善されたという事実が存在する。そして、治療の開放化が進行し、病院外での患者の犯罪・不法行為に対応する必要が生じたのである。一般の患者のノーマライゼーションを進めるためには、より濃密な治療を必要とする者、特に犯罪を繰り返す者について、特別の病院(施設)が必要だとする意見が、公にされるようになっていった。その後、治療の困難な、そして犯罪を犯した患者の取扱いについては、公立病院においても困難な問題として意識されていく。」92‐93


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◇柿本美和「人格障害に罹患した犯罪者の処遇――イギリス国内裁判所・欧州人権裁判所の判決を手がかりに」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

※主に英国の触法精神障害者(というより「触法人格障害者」)の処遇に関する議論について
※英国2002年6月「精神保健法草案(Draft Mental Health Bill)」→「人格障害者」の不定期強制入院
→欧州人権条約と照らし合わせても問題ないとの見解
「精神医療において、『危険』を理由に入院を強制できるのは、本人にとって治療を受ける利益が存在するからである。治療の必要性・治療の可能性・適切な医療の保障がない状況で、『危険』のみを理由に入院を強制することは許されない。もちろん、治療の可能性が少しでも認められる以上、治療の対象となるのは当然である。そして、それは、強制的な精神医療の対象とならない危険な人格障害者を、やみくもに釈放すればよいと言っているのでもない。ただ、イギリスは、危険な人格障害者の処遇において、刑罰によってだけでは満たされない保安的欲求を精神医療に求めるあまり、この原則を見失っているように思われる。」63

1 イギリス現行法における触法精神障害者の処遇
「触法精神障害者に関して、イギリスには、裁判で『精神異常ゆえに無罪』、あるいは『訴訟無能力』とされた者のための制度と、責任能力の有無に関係なく、刑事手続の各段階での精神状態に応じて、精神医療手続へ移行させる制度が存在する。精神医療への主な移行制度としては、未決勾留者の治療のための病院への移送、有罪とされた被告への拘禁刑に代わる強制入院命令、退院等制限付き強制入院命令、受刑者の治療のための病院への移送などがある。」64

※治療可能性
「・・・1983年法は、触法の有無を問わずに『精神障害』者を強制入院・強制治療の対象としているのであり、『精神障害』とは、精神病(mental illness)、重度精神遅滞(severe mental impairment)、精神遅滞(mental impairment)、精神病質(psychopathic disorder)、その他の精神障害(any other disorder or disability of mind)に分類されている。但し、人格障害に罹患した患者を強制的に入院させるためには、治療によって病状を軽減するか、病状の悪化が防止できるという『治療可能性(treatablity)』の要件が満たされていなければならない。この要件は、1983年法によって初めて精神保健法に導入された。・・・」64

2 人格障害に罹患した犯罪者処遇
※「触法人格障害者」に対して、英国の司法、医療はどのように対応してきたか?
(1)1959年精神保健法とバトラー委員会報告書64
(2)1983年精神保健法における「治療可能性」
(3)審議会報告、精神保健法草案66
→2002年、英国の精神保健法改正、保健大臣、内務大臣「…『公共の保護が最優先である』・・・」

3 リード事件:貴族院と欧州人権裁判
「スコットランド政府は、1999年9月に人格障害に罹患した危険な精神障害犯罪者の退院を防止する1999年精神保健(公衆の保護と上訴)(スコットランド)法(以下、1999年法という)を制定した。この法律によって、犯罪を行った危険な人格障害者は、全く治療の必要性・可能性がない場合でも、精神病院への収容が継続されることとなった。この法律制定の契機となったのは、リード判決である。」67
→以下、リード判決についての詳細。

※触法精神障害者の治療可能性のない場合の強制的な入院継続について
「欧州人権裁判所は、この判決によって、他害の危険がある限り、治療の利益や必要がなくても入院継続が可能であることを示した。」68


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町野 朔「精神保健福祉法と心身喪失者等医療観察法――保安処分から精神医療へ」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

(2)「処遇困難者」問題の登場71
「しかし、精神医療を開放化し、患者の権利の制限を最小限に止めようとする精神科医たちは『危険な』精神障害者についてはこれと切り離された特別な処遇が必要であると考えるようになっていた。‐精神医療先進諸国では、犯罪を行った危険な精神障害者に対して特別の精神医療を行う制度が存在する。このような特別の精神医療があるからこそ、そこでは一般の精神医療が開放的に行われ、精神障害者の社会復帰が可能となるのである。日本では、刑法改正によって保安処分を作ることが不可能となった以上、精神保健法の改正あるいはその運用の改善によってこれを行うべきである。」71

※平成3年、公衆衛生審議会の中間意見、「措置入院の申請(警察官・検察官・保護観察所長・矯正施設長の通報〔精神24〜26条〕)のあった精神障害者のうち、一般の精神病院では処遇困難な危険な精神障害者を『処遇困難者専門病棟』に収容して特別な処遇、いわゆる『ウルトラ措置』を行うという方向を示した。」71

@触法精神障害者と処遇困難者71
「注意すべきことは、ここで議論されているのは一般の精神病院で処遇が困難な患者の問題であり、保安処分の議論における再犯の危険のある精神障害者の問題ではないということである。実は、精神病院から外に出たら犯罪を行う可能性のある人間と、精神病院の中で暴力を振るったり医療スタッフに抵抗するような人間とは、精神障害者の類型としても異なる存在である。先ほどの基礎研究によると、国内の精神病院から『処遇困難者』として報告されたもののうち、措置入院患者、すなわち自傷他害の危険のある精神障害者は20%にも満たない。そして、精神障害者の再犯防止のためにいかなる施策をとるかと、入院している精神障害者が精神病院内の秩序を乱し、他の入院患者への医療の妨害になることをいかにして防止しうるかとは、別の問題である。」71

A北陽病院事件72
「以上の背景の中で、精神医療関係者に大きな衝撃を与えたのは『北陽病院事件』に関する最高裁判決であった。それは、県立病院に措置入院になっていた患者が院外散歩の途中で離脱し、強盗殺人を行い、最高裁判所は医療側の過失を認め、国家賠償法によって1億2千万円の損害賠償を被害者の遺族に支払うよう命じたというものである。こうなると、このような患者は最初から受け入れないか、受け入れたら閉じ込めて外に出さないようにするしかない。そうならないためには、立法によって、触法精神障害者を処遇困難者病棟に収容しそこで精神科治療を行うようにしなければならない。−精神病院の関係者たちはこのように主張したのである。/しかしこの事件の患者は、刑務所出所後に所長の通報によって措置入院となった者で、検察官の不起訴処分の後、あるいは裁判所が実刑判決を言い渡さなかった後に、検察官の通報によって措置入院となった者ではない。触法精神障害者に刑罰の科せられないときに何らかの再犯の措置を取るべきだとするのがこの時期の議論であり、成立した新法もその限度での処遇を準備したに過ぎない。簡単にいえば、法律ができていたとしてもこのような事件を防ぐことはできなかったのである。」72



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【再犯予測】

高木 俊介「ソフトな保安処分としての医療観察法案」、『季刊福祉労働』、95、2002.

 2「精神障害者と犯罪」に対する偏見:差別を背景とした立法
「精神障害者は犯罪を犯しやすいという誤った思いこみが広く流布していますが、実際には、犯罪を犯した者のうち精神障害者が占める割合は非常に低いのです。例えば、業務上過失致死傷および重過失死傷を除く刑法犯検挙人員約32万人のうち、精神障害者の占める割合は0.2%に過ぎません。殺人・放火という重大犯罪について取り出した場合の精神障害者が占める割合の高さが指摘されることがありますが、殺人と放火については、@その実質的内容が拡大自殺などの近親者を巻き込むものが多いこと、A病的酩酊によるものや自宅への放火、であることがわかっています。しかも、そのほとんど(8割以上)が初犯であり、現在の制度のもとでも再犯率は非常に低いのです。」38

 3「再犯」とその予測:医療観察法案の最大の問題点
「あたかも精神障害者が特に犯罪を繰り返しているように言われますが、犯罪白書によれば一般の刑務所出所者が5年以内に再入所する比率は、40%を超える非常に高い数値となっており、重大犯罪に限ってみても、精神障害者の再犯率は一般犯罪者の4分の1にすぎないということが事実です。あたかも精神障害者の再犯をなくすことが治安の強化につながるものであるかのようにとりあげられて、今回の法案上程がなされましたが、犯罪の現状全体に対する無知と精神障害者に対する偏見がないまぜになった結果と言ってよいでしょう。」39

「精神科医はすでに措置入院の決定に際して『自傷他害のおそれ』を予測しているではないか、という反論があります。しかしここで精神科医が行っているのは、病状に基づいてまさに行われんとしている問題行動について判断しているということなのです。措置入院における『自傷他害のおそれ』は、現在そのおそれがあるかどうかを絶えず検証するものであって、数ヶ月・数年後の犯罪行為のおそれを予測するものではありません。」40


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◇足立 昌勝「市民社会に差別をもたらす心神喪失者等処遇法案の本質」、『季刊福祉労働』、95、2002.

 4入院又は通院の要否の審判
 (1)審判の開始‐検察官による申立(33条)
「検察官は、不起訴処分をした又は心神喪失者等として有罪・無罪が確定した者について、『継続的な医療を行わなくても心神喪失又は心神耗弱の状態の原因となった精神障害のために再び対象行為を行うおそれが明らかにない』と認定した場合を除き、裁判所に対し、入院又は通院決定(四十二条一項)を求めて、審判開始の申立をしなければならない(必要的申立)。」16

※問題点・・・
@「・・・まず第一に、これは、法的判断と医療的判断を混同したものであると言わざるを得ない。・・・」
A「・・・法案は再犯のおそれが『明らかにない』場合を申立除外事由としているが、検察官に『明らかにない』ことを認定する能力があるのか。・・・」
B「・・・精神障害の同一性および精神障害と再犯の恐れとの因果関係についてである。・・・(中略)・・・。さらに、精神障害と再犯のおそれとの間には因果関係が必要である。その因果関係は、誰がどのようにして判断するのか。精神科医師は、急性期での自傷他害のおそれは判定できるが、長期的スパーンでの判定は不可能であると言う。医師にできないことを、検察官が判定できるものではない。ここでも、検察官は、社会的安全の観点から判断することになろう。」16

 (5)退院又は入院継続(49条)
「裁判所による入院の決定には、期間の定めは存在しない。場合によっては無期限と理解することができる。」
「法案では、入院させた病歴の管理者に、『再犯のおそれ』を判定させ、それがあると認める場合には、入院の日から六月以内での入院継続の申立を義務付けている(2項)。」21
→論理の逆転、裁判所が自らの判断で「再犯のおそれ」を判断しているのにも関わらず、病院の管理者にさせる。


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◇八尋 光秀「『再犯のおそれ』を理由にした強制隔離は憲法に違反しないか」、『季刊福祉労働』、95、2002.

「精神障害者」の犯罪率、再犯率、犯罪件数はどうか
「今回の法案作成のための資料として、法務省法制局が作成した『犯罪精神障害者対策について』(試案、手続メモ)は端的に言及している。/『精神障害者』の犯罪は、『最近、特に増加しているわけではない』し、『法務省において、犯罪を犯した精神障害者とそれ以外の者との再犯率を比較検討しているが、精神障害を持たない者と比較して、精神障害者の再犯率が高いとの調査結果は得られていない』のであるから、『精神障害者を危険な存在(犯罪予備軍)と見ることは社会情勢からみて困難』だとする。」29


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◇中島 直「精神医療・医学における『予測』の新しい展開」、『精神医療』、32、2003.

※「(再犯)予測」の問題
 →主に心神喪失者等医療観察法と運転免許の欠格条項について
1はじめに

2従来の「予測」判断
 1)日本の民事裁判例
「岩手県立北陽病院に措置入院中であった患者が無断離院しその後通行人に対して強盗殺人を行った件に関し、遺族が病院等を相手取って起こした民事訴訟で、病院側の責任が肯定された判決は大きな反響をもたらした。…」54‐55

2)Tarasoff判決→横藤田論文、文献に詳細あり
「米国カリフォルニア州最高裁判所で1976年に出されたいわゆるTarasoff判決は大きな議論を呼んだ。日本でもいくつかの紹介がみられる。1969年にある男性が知り合いの女性(この女性の姓がTarasoff)を殺害した。この加害者は週1回の精神療法を受けており、殺害の2ヶ月前に、治療者に対して殺害の意図を打ち明けていた。被害者の両親が治療者らを相手とする訴訟を起こしたもので、裁判所は『治療者には、その危険の予見しうる被害者を保護するために合理的な注意をなすべき義務が課せられる』とし、治療者が被害者に対して警告を怠ったことが問題とされたのがこの判決である」56

3新しく精神科医が強いられる「予測」
 1)心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(心身喪失者医療観察法)に関し  
   て
「同法は、原案において『継続的な医療を行わなければ心身喪失又は心神耗弱の状態の原因となった精神障害のために再び対象行為を行うおそれの有無』となっていたものが『対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するためにこの法律による医療を受けさせる必要があるか否か』に修正されたが、『同様の行為を行うことなく』と明言されているおり、また『この法律は、…同様の行為の再発の防止を図…ることを目的とする。』という『目的』が修正されていない以上、再犯予測・予防は依然として要件として残されていると理解するべきである。」57
※しかし「感受性」(実際に犯罪を犯す人を見逃さない率)、「特異性」(実際には再犯を犯さない人を犯すと間違えない率)ともに70%…57

「危険な人を解放してしまうfalse negativeは可視的かつ扇情的である一方で、誤った拘禁false positiveは不可視であ
る。また、判断を下す合議体に精神科医のみでなく裁判官が入ったことは、本人の精神医学的判断以外の要素が重要なものであることを制度的に定めたことである。これは当然保安上の観点が強く入れられることを意味する。こうしたことから、より拘禁的な方向に向かうと考える方が自然である。…」58

「筆者は不確実性がある場合の入院それ自体を悪いとは考えない。医療というのははっきりと判断ができないときに入院という形で様子をみるということがあり得るのであり、それが本人の利益となる場合もしばしばある。救急の現場では特にそういう場面は多くなる。ただ、それが精神医学的判断以外の要素を入れられ、長期拘禁をもたらすとき、問題が格段に大きくなることを指摘しているのである。…」58

 2)運転免許に関する欠格条項と「予測」
「…臨床化の率直な実感からしても、1年以上再発のおそれがないと断言することは困難であろう。…」59

4新しい「予測」がもたらすもの


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◇吉岡 隆一「リスク評価パラダイムへの転換――司法精神医学と一般精神医学の包摂」、『精神医療』、32、2003.

※「リスク評価」vs「臨床判断」
※「再犯のおそれ」と「再発」
※「リスク評価パラダイム」の検討
0はじめに
「・・・また、医療観察法に対しては、それが重大再犯の予測に基づく保安処分であり、刑事手続き面では、責任能力判断を現状よりゆがめ事実審理の機会を奪うものであること、医療面では、急性期治療を遅延させながら、不確実な再犯予測によって偽陽性者に対する拘禁と矯正的『医療』をもたらし、偽陽性者の出現によって、当事者に偏見と差別を、精神医療には非難を強化する結果になることを指摘してきた。」39

「『再犯のおそれ』とは、現在の司法精神医学にいう『(再犯の、暴力の)リスク評価』にほかならない。・・・」39

1司法精神医学におけるリスク概念の導入
「司法精神医学とその発展をもたらした現実の条件は、保安処分ないしそれと同等の法制度である。・・・」40
→※「司法患者」40

「以後20年以上にわたる経験的研究と討論に基づき、今日の司法精神医学は危険性概念をリスク概念に置き換えた。すなわち、暴力的行動は『ある患者に内属する不変の傾向性』(=危険性)の結果ではなく、『諸因子の影響を受け、ある期間内での生起の確率が変動する事象』(=リスク)とみなされるようになった。そうして司法精神医学は、社会防衛のための強制入院が正当化されるためには、不透明で不正確な臨床家の直感的判断にもっぱら依拠することはできず、保険数理統計的手法を中軸にしたリスク評価が必要であると考えるようになった。」40

2リスク評価法とその性格
 1)暴力のリスク評価法の例示
 →※カナダ「VRAG -Violence Risk Appraisal Guide法」
   7年間の長期期間で、暴力再犯ないしは重保安病院への再入院になる確率を予測する方法。
 →※アメリカ「ICT」40
   精神科急性期病棟退院者が退院後20週という短期・中期的な予測期間中に、身体的接触にいたる暴力一般(犯罪とまではいえないものも含)に至る確立を予測するもの。

 2)リスク因子の性格とその問題点
※リスク因子と暴力の関連
「第一に問題になるのは、リスク因子と暴力の関連が統計的な関連であって因果的ではないことである。・・・」41
「第二に問題になるのは、医療領域外因子が強制『医療』をもたらす主役を務める不自然である。・・・」41
「第三に問題になるのは、いわゆる可変的因子(changeable factor)の果たす役割が少ないことである。・・・」41
→「翻って、医療観察法が人身の自由を行動に制限しうる根拠はやはり『治療』(の有効性)ではなく、(結果の発生の)予測に依拠するしかない。」41‐42
「第四に問題になるのは、患者本人に帰することの出来ないリスク因子があることである。・・・」42

3)暴力のリスク評価は医学的予後診断と同一か
※リスク評価と予後診断の差異について
「一般に予後診断は、疾患の長期的経過と転帰に関する診断を指す。」42
「第一に、医学的予後判断は、何より疾患の直接的な経過やその転帰に関連するのに、リスク評価は、疾患が間接的に関係する(かもしれないし場合によっては結果に対してネガティブに関連する)・生起の確率が動揺する・結果(暴力)の可能性の判断でしかない。」
「第二に、医学的予後判断は、何よりも本人の利益に関連するが、リスク評価に基づく結果は、他害防止という公共的利益を目的としている。」
「第三に、医学的予後判断ではないからこそ、新法の場合なら、合議体=裁判所が、鑑定を受けた後に更に法的決定として決定を下すのである。」
「要するに暴力のリスク評価の性格は医学的予後判断の性格と異なるのである。」42

4)暴力のリスク評価と個人への適用
※統計的に暴力的群とされるかどうかの評価→人身の自由の制限
「こうした困難を一見解決するかに見える方法は、保険数理統計的方法に加えて、臨床的判断を加味するという方法である。ところが、ここには二つのジレンマが生ずる。」
→「まず、臨床的判断が保険数理統計的方法より信頼性にかけるとされたがゆえに保険数理統計的方法が生み出されたのであるという司法精神医学の歴史が忘れ去られている。VRAGの考案者は臨床的判断の加味を有害とみなしてきた。」43
→「第二に、原理的に、臨床的判断が個人個別の特性に立脚すればするほど、判断の妥当性は検証可能性を消失する。・・・」43

5)暴力のリスク評価の性格と精神病質(的傾向)
※HCR‐20法→現在開発中⇒精神病質チェックリスト(PCL)に拠っている。
「…つまり新法下のリスク評価法が先にあげた予測法のどれにもっとも類似するにしろ、結局精神病質(的傾向)ないしPCLの評価が中心的な役割を果たすことになる。諸外国では、矯正施設収容者一般に対してPCLを用いた研究がなされ、収容者一般の再犯にPCL得点が相関することが知られている。すなわち司法精神医学は矯正領域と共通する評価法によって犯罪傾向を測定し、それに対して共通する介入法を要求されるのである。我が国でも、健常者犯罪者と新法下に処遇される者について、特に精神病質(的傾向)について両群でのPCL等の妥当性を検討する作業が必要になろう。『同様の行為を行うことなく』社会復帰を推進するべき新法下の処遇・『治療』は、現在司法のうちでとりくまれている性格の矯正と共通した目的・手法を参考にしない限り、充実したものにはならない筈である。」43

6)「暴力のリスク評価」に関する司法関与の意味
※「司法」は「(再犯)予測」のためではなく「高度な人身の自由の制限」(権利の制限)のために…
「第154国会、第155国会では再犯予測が病状以外の因子(例えば監護に当たるものの存在)に基づくので医師に予測を任せないといった趣旨の答弁がなされ、あたかも裁判官も予測を行うようである。一方、精神科医達は、再犯予測の困難性を意識しているがゆえに、予測の不確かさを裁判所の曖昧な権威で補強・正当化できるかのような錯覚を持っているのではないかと思われる。どちらも誤りである。」44

「対象者が本来持っている人身の自由という基本的権利は、重大犯罪のリスクという公共の利害への債務を社会という債権者に対して負っている故に、新法での強制処遇を受ける義務という形で支払う(制限される)べきという判断、これが、新法で裁判官が行う法律関係の判断の内実である。裁判官は、予測の為にではなく現在の精神医療に見られない『高度の人身の自由の制限』の為に呼び出されたのである。」44

7)暴力のリスク評価の精度の法的位置づけ
※高度な人身の自由の制限に対してリスク評価は正当な精度に達していないということについて
「特に、リスクありとされたものの半数以上(ICT法)・ベースレート次第では8割を占める者達が実際には危険でないということは、どう考えたらいいのか、説得力のある議論はまだない。」44

3「リスク評価パラダイム」の概念と指標
※公共の福祉? 公益?
「心神喪失者等医療観察法の依拠するパラダイムの概念は次のようにまとめられる;ある対象者が『公共の利害に関わる長期的将来の危険性』が『医療外の因子をも含む予測方法』で『統計的関連をもって予測』される『集団に帰属』する場合、集団に属する患者個々人にその予測が妥当するかどうかを厳密に問題とすることなく、『高度の人身の自由の制限にいたる処遇と効果が明白でない"治療"を行う』ことが、司法関与で法的に正当化できる。」45

「現在の措置入院では、<公共の利害に関わる切迫した危険性>が<個々人の精神状態>に起因する<因果的関連>を持って<ある諸個人>に認められる場合、<一般的な精神科治療>を行うことが、精神保健指定医と行政命令によって法的に正当化できる。」45
→<>をリスク評価と比較すると、個人に対する治療を通じた公共の安全という伝統的観点から、集団に対する予測を通じた治療以外の手段をも用いる公共の安全へとシフトし、司法の関与も持ち出した45

4責任能力判断とリスク評価
※責任能力判断の性格をリスク評価の性格と比較して…
「責任能力判断はある個人の、過去の時点(犯行時点)での精神状態が犯行へと与えた影響を評価して、過去の時点での弁識統御能力を、司法官が判断するものである。過去の事実の再構成という回顧的視点からの判断という免れがたい制約があるものの、ある個別例における精神状態と犯行の関連が直接的であることが確定的と考えられる場合にのみ、責任能力減免につながる。その際の考慮事項は最高裁によれば、動機犯行の様態、精神状態、日常生活における障害等である。」46
「一方リスク評価における考慮事項=リスク因子は、暴力という結果と統計的関連におかれているに過ぎない。リスク評価は、個人のリスク集団への帰属という集団定位的判断である。つまり、リスク評価法でのリスク因子を、責任能力判断での考慮事項に単純にいわば流用するならば、判断の性質・判断における考慮事項との関連の相違を無視することになる。」46

5リスク評価とリスクマネージメントの交錯:VRAGの研究から
 1)司法患者のプロフィール:リスク評価は可能・「治療」は不可能というケース
「もっとも問題をはらむのはB(「危険な模範患者群」p.47‐樋澤注)のグループである。臨床的ニーズがなく、社会防衛上のリスクは高く、しかも対象者の2割を占める。こうした人のプロフィールは、オンタリオグループのその他の研究から推測するに、彼らに言わせれば、精神病質で犯行を行い、その後施設では学習し・適応に成功し破綻を見せなくなった(その実変化していない)人ということになるだろうか。日本でも、精神病質による犯行が心神喪失や耗弱とされ新法下処遇を受けることになった場合には、同じような問題をはらむ患者群が出現し、堆積するだろう。臨床上問題や対策がないのにリスクを発見してしまうリスク評価パラダイムの帰結である。そして、ただ拘禁することは、純粋な『治療なき』予防拘禁に他ならない。」48

※先ず医療→司法
「明確に治療必要な問題についてまず医療適応判断を行い、一般精神医療の水準の治療を行い、その後に厳密精密に責任能力判断を完成させるという道筋をとって司法のもとでの矯正を行うことにすれば、Bのようなグループが司法精神医学に集積する問題をかなりに解決できる。急性期精神病状態は一般医療で解決できることが大きい問題であるから、状態の改善の上で、刑事責任能力が存在する場合には、刑事手続きのうちに身分を戻して、その内で薬物教育や精神病質(的傾向)への矯正を行うことは可能である。その経験は、我が国でも外国でもある。」49

 2)リスクマネージメントにおいて評価されるべきdynamic factorは何か
「精神医学的兆候は暴力再犯には無関連で…」→QuinseyらのVRAG等を用いた研究49

「すでに学会委員会報告に引用したBontaの研究は精神医学的特徴と暴力再犯の関連がうすいこと、精神科医はしばしばそれを忘れていることを注意していた。これに加えて、現下の研究は、診断名としての統合失調症(というstatic factor)ばかりか精神医学的兆候の悪化(というdynamic factor)も、再犯に関係しないことを示唆したのである。」50

6リスク評価パラダイムへの包摂
「国会審議では法学者や政府からしばしばこれまでの精神保健福祉法『措置入院における自傷他害』のおそれの判断と『新法における再犯予測』の判断が同一であることが主張されたが、両者はむしろ2、3、4章で見たように断絶しているのである。」50

「…司法患者と非司法患者というようにまずは法的制度的に分けられるけれども、精神医学のパラダイムとしては同一のパラダイムに属せしめる準備は国際的になされつつある。新法導入は実務上で接点を保障したことになる。」51


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平野 龍一「精神障害者の処遇」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

(1)再犯の予測
「たしかに、精神障害者の再犯の原因は複雑で個性的であるから、いくつかの要素で統計的に確率を示すことはむずかしい。かりに確率を示すことができたとしても、この人はその例外に属しているかもしれないのである。しかしこの場合の危険性とはこのような事実の予測をいうのではない。人を殺す確率が50%程度ある人が自由に歩き回ったのでは、一般の人は外出できなくなる。その危険性が問題なのである。五十嵐禎人氏は前者をdangerousness、後者をriskとことばを使い分けておられるが、適切であろう。この50%を10%に減少させるために強制入院という強制が認められるのである。その確率の減少は病気の治療、社会復帰の促進などの方法で行われる。その際には患者の意志は最大限尊重しなければならない。しかしわれわれは他人に迷惑をかけない限り病気になる自由を持っているのであり、強制的治療は憲法違反だという州もあることに注意しなければならない。強制入院の正当根拠はポリス・パワーであって、パターナリズムではない。」


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◇前田 雅英「司法的判断と医療的判断」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

4 再犯のおそれの認定可能性論
「しかし、この案に対しては、精神科医当から『再犯のおそれ』『再び対象行為を行うおそれ』、そして『他害のおそれ』は判断不能であるという強い批判があった。そして、その点を重視した法律家の反対意見も見られた。しかし、医師の中には、都立松沢病院長松下正明医師の発言に見られるように、現実に予測判断を行っているという議論も見られる。/『この法案の成立の過程でいろいろなディスカッション、賛否両論の激しい意見が闘われた中で、いま話題になっている「再犯のおそれ」が中心的な話題として取り上げられているという状況はよく分かるのですが、それを私ども現場の者から見ると、法律論はともかくとして、本当に大事なことを議論していない。「再犯のおそれ」など、未来の行動を100%予測できないことは明らかで、あくまでもそこでの議論はプロバビリティの世界であるわけですから、そんなことをいちいち議論してもしょうがいないのではないかと思うのです。また、現行法の精神保健福祉法でも、「自傷他害のおそれ」ということである種の行動の予測をしているわけですから。理論的にいうと、裁判所の判決、あるいは起訴前鑑定での心神喪失とか心神耗弱という判定は、精神状態と犯罪行為との因果関係を認めるということですよね。ということは、もうすでにそこで因果関係の予測をしているということになります。』・・・」94
※精神科医は、措置入院の場面において、短期的な緊急の入院の必要性+中長期的な「再犯の予測」もしているはず
※犯罪を理由にする処分は刑罰。刑罰である以上は責任非難を向け得る者に対してのみ。しかし「治療を伴う強制入院」という不利益を課すのに常に刑罰と同じ要件が必要であろうか?94

「これに対しては、『精神障害者という「病」者を対象とする以上、『有効な治療』という視点以外を混在させるべきでない。そうすれば、治療効果は減殺する』という主張が存在する。・・・」94


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◇五十嵐 禎人「触法精神障害者の危険性をめぐって――刑事司法と精神科医療の果たすべき役割」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

3 危険性の予測をめぐって:触法精神障害者の再犯予測に精神医学の果たす役割
※dangerousness(個人の性向、資質、経歴など範疇的現象)とrisk(一定の状況を仮定して、その状況に関連した種々の要因を考慮して行われる一種の確率的な判定)

「つまり、精神科医が日常行っている臨床的判断の中には、riskの評価(リスク・アセスメント)が含まれている。そして、患者の自傷・他害行為を防止するために行われる治療的介入は、こうしたriskを最小限にするためのリスク・マネージメントにほかならない。」98


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◇平田 豊明「重犯精神障害者の処遇政策」論考――医療と司法の重複領域に医療者はどう関わるか、『精神医療』、26、2002

 (2)「指定入院医療機関」への入退院の判断基準
※指定入院医療機関への入院の要件として「当該精神障害者による同種犯罪の再犯可能性を挙げ、…多くの医療者が最も抵抗を感じるのは、この『再犯可能性の評価』であろう。…しかし、人格障害や知的障害を含めて、慢性的に持続ないし断続する精神症状に起因する犯罪の場合には、『病状の再燃』という概念が成立しがたいため、その予防策を講じることも困難である。したがって、勢い入院継続の判断に傾きやすい。…」39



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【PSWに求められている役割】

 →cf. 別資料あり

◇冨山 一郎・崎山 政毅田崎 英明「保安処分の新展開」、『インパクション』、141、2004.

※日本学術会議の報告書『精神障害者との共生社会の構築をめざして』についての言及
「またこうした強制は、同時に現在進められている『共生』や『ノーマライゼーション』といった脱施設化の動きとも並存しています。一方で問答無用の強制が発動され、『厄介者』を拘禁した上で、『共生』や『ノーマライゼーション』が『それはいいことだ』としてもてはやされる。たとえば今回、医療観察法の必要性を打ち出した日本学術会議の報告書の表題は、『精神障害者との共生社会の構築をめざして』となっています。今展開しているのは、この『それはいいことだ』という秩序感覚とつながっている漠然とした『それはいけないことだ』とか『連中はいけない人たちだ』とか『迷惑をかけてはいけない』といった不確かな日常感情が、そのままハードな法的権力の発動へと直結していく事態であり、そのときの法的権力の発動は、法というより無法であり、文字通り『ただの暴力』としかいいようのない力として登場しています。」73冨山


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◇足立 昌勝「市民社会に差別をもたらす心神喪失者等処遇法案の本質」、『福祉労働』、95、2002.

 3裁判所:合議制審判廷の採用
「また、精神保健福祉士等の専門家が精神保健参与員として参加することとされた(十五条)。しかし、この精神保健参与員の性格はあいまいであり、どのような権限があるかは不明である。法案では、『処遇の要否及びその内容』に関する審判への関与を認めているが、それも裁判所の判断に任されているにすぎない(三十六条)。/事実認定と責任能力の判断については、精神科医である精神保健審判員は関与することができず、単独の裁判官が行うこととされている(一一条一項但書、二十四条二項)。」14


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◇三好 圭「医療を中心に」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

※人員配置について…
「…現在、欧米の司法精神医療の例を参考としつつ検討を進めているところである。」35
 B指定入院医療機関において提供される医療35
 (イ)対象者の病状に応じたプログラムの実施
 (@)急性期ユニット35
(A)回復期ユニット35
「…PSWによる社会復帰に向けたプログラムの策定も開始される。」35
(B)社会復帰ユニット35
「…病院のPSW等が保護観察所の社会復帰調整官と連絡を取りつつ、実践的な社会復帰プログラムを策定することとなる。」36

(2)通院による医療40
 A地域における関係機関相互の連携
「通院決定を受けた者については、指定通院医療機関による医療の提供を受けることとなるが、社会復帰の促進のためには、医療のみならず地域社会内の関係機関が相互に連携を図りつつケアを行っていくことが重要となる。このため、本法律においては、全国の保護観察所に新たに置かれる社会復帰調整官が、精神保健観察の実施や、都道府県・市町村・社会復帰施設等の関係機関相互の連携の確保等の事務の遂行に当たることにしている。」40


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◇蛯原 正敏「保護観察所の役割について」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

→も参照[工事中]


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◇平田 豊明「重犯精神障害者の処遇政策」論考――医療と司法の重複領域に医療者はどう関わるか、『精神医療』、26、2002

 (4)「精神保健監察官」は地域ケアに責任を持てるか?
※当然、「社会復帰調整官」のこと→「全国50ヵ所程度というの保護観察所の配置密度で、きめ細かな地域ケアに責任が持てるかという問題がある。…生活支援というよりは再犯防止のためのモニタリングに傾くであろうから、対象ケースや支援スタッフとの関係の取り方が難しいのではないかと予測される。…」40



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【司法福祉/司法手続き→「少年法」との差異】

◇山口 幸男『司法福祉論(増補版)』、ミネルヴァ書房、2005年

第1章 司法福祉の意義と課題※
「…すなわち、社会問題の著しい激化という状況にあって、上述のように、ある種の紛争ないし問題に対しては、裁判自体がその規範的解決と同時に、あるいは規範的解決を可能ならしめるために、問題の実体的解決ないし緩和をはかる機能を、あわせて持たざるを得なくなってきたのであり…」14
※司法→規範的解決+(?)福祉→問題解決 ⇒たとえば少年犯罪に対する司法的措置

「以上のように『国民の司法活用の権利を実質化し、司法を通じて一定の社会問題を個別的・実体的緩和−解決を追求する政策とその具体的業務』を『司法福祉』と呼んだ場合、それは個別問題の個別的緩和を追及するものではあるが、終局的には司法が責任を負うもの、したがって規範的解決と離れて存在するものではないこと、したがって実体的解決・緩和も司法過程そのものにおいて展開されるものであるという点で、一般社会福祉業務との間に明確な相違がある。」17
※規範的解決→社会の規範を体言した法秩序に照らし合わせた司法的解決方法

第2章 現代の少年審判と司法福祉※
「それでは少年裁判ないし少年保護とは何なのであろうか。少年保護事業は少年の犯罪ないし犯罪もどきの行為・状態を契機として展開される。犯罪を制圧し市民社会の安全を守ることは近代国家の重要な責務であり、たとえそれが少年によるものであろうと一定の犯罪防止上の介入を行うことになる。この場合、古くから未成年者に対して刑罰を軽減する制度(寛刑制)を維持してきた国家は、刑罰に代わる柔軟な措置を発達させ、その必然的結果として成人に対するもの以上に広範かつ柔軟な社会防衛的介入の道を用意するに至った。市民社会の大原則である罪刑法定主義の近代的修正である。本質的考察を行えば、"保護処分"は未成年者の『未成熟性』(障害の一形態)を根拠にした特殊な『保安処分』なのである。したがって保護処分は少年の権利なのではなく、権利の制限の特殊な形態であると言える。」99

第3章 現代の矯正・保護と司法福祉※→保護観察所について記述あり
「一般にわが国の少年法が定める『少年保護』は、児童福祉制度に基づく福祉的措置と、刑事司法制度に基づく刑罰的措置との『中間』に位置づくものであるといわれる。…諸葛藤の所産…」114

「『施設への収容ということが、このように強制的な身柄拘束を伴い、行動に規制を加え得るという性格を持つのは、もとより、収容自体が矯正教育を行うために身柄の確保を必要とし、環境面での悪影響から少年を保護するという目的をもつ反面、少年の非行ないし犯罪の持つ反社会的な危険性に着目して、少年を施設へ収容隔離することにより、社会、市民を犯罪の危険性から守るという社会防衛的機能を期待されているからである』(土持三郎「少年院での処遇の意義と問題」『講座少年保護3』)と指摘され…」115
「…社会防衛を基本に据え、一般の学校とは異なる本質を持つのである。…」115
「…矛盾を自覚し…」115

※「更生保護」について124〜
「保護観察は犯罪者や非行少年に対して刑罰の代わりの保護として、または刑罰を補充するものとして用いられる社会内処遇であり、保護観察所によって執行される。それは対象者に一定の遵守事項の履行を命ずるという統制を加えるが、その他の点では通常の社会生活を営むことを認め、専門職公務員である保護監察官と保護司(法務大臣任命の非常勤公務員たる民間協力者)が生活指導を行いつつその遵守を監督し、必要な補導援護をすることになっている。対象者は(中略…)。このような犯罪者・非行者の社会統制と問題解決を同時的に求める社会内処遇は、非行問題等の解決緩和にとって人道性、有効性、経済性の刑事政策原則を満たしうる重要な施策であり、専門的援助と市民連帯的援助が真に生かされるならば、英国probation serviceにもます司法福祉の展開分野として大きな位置を占めるはずのものである。」124


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中山 研一『心神喪失者等医療観察法の性格――「医療の必要性」と「再犯のおそれ」のジレンマ』(刑事法研究第10巻)、成文堂、2005年

 ※少年法との異同について
「しかし、このような理解には、決定的な疑義がある。第一に、刑事裁判手続きとの振り分けが、少年法では家裁による検察官への送致という形でなされるのに対して、本法案では検察官による起訴・不起訴の判断としてなされるという相違がある。第二に、審判手続きについても、非公開の職権主義的な訴訟構造である点で共通するものの、本法案の審判手続きの方が、さらに簡略化されたもので、人権と防御の観点からは、少年法よりもさらに保障が弱いということができる。さらに決定的な点として、第三に、少年法上の『保護処分』では『要保護性』を徴表する非行事実と『刑罰』に準じる『実質的な責任』の存在が前提となっているのに対して、『医療処分』では『要医療性』を徴表する触法事実は存在しても、対応すべき『責任能力』が欠如する場合には、『刑罰』に代わる拘禁または強制を正当化する根拠を全く欠いていることが重要である。しかも政府案では、入院判断の基準として、『再犯のおそれ』が明文化されたので、『医療保護』の観点よりも『保安』の観点の方に傾くおそれが、より大きいというべきであろう。」109-110

第5章 心神喪失者処遇法案の性格:保安処分か保護処分か(2002年)
※少年法との異同、かなり詳細に。
まえがき
「本稿で問題にするのは、それらの批判的検討の前提ともなるべき法案自体の基本的な性格にかかわるものであり、それが『隠れた保安処分』といわれる理論的な根拠を、とくに少年法における『犯罪少年』や『触法少年』に対する『保護処分』との関係において、比較的に分析しようとするものである。…」139

 第1節 少年法の対象者と責任能力
※「犯罪少年」の保護処分の構成要件について→違法行為のみでよいか(一元主義:保安処分親和的)、有責性必要か、について。
「ここでは、この論争の中から、とくに責任能力不要説の中に、その根拠として、刑法では責任主義が確立されているが、少年法では処分選択の基準となるのは『要保護性』であるから、それはむしろ保安処分に近く、有責性を要しないのは当然であるという主張が見られることに注目しなければならない(阿部)。これは『一元説』の典型であり、責任主義を保護処分からも解放することによって、『危険性』を根拠とする保安処分をも正当化するという論理を内在させている点に、根本的な疑問がある。」142-143

町野は…
「…保護処分を受け入れるに足りる『保護処分能力』は必要であるとし、…」143

※「触法少年」と「虞犯少年」については…
「第二は、『触法少年』および『虞犯少年』と責任能力との関係である。…上記の『犯罪少年』について責任能力を不要とする説に有利に働く事情となっている。…」143

※中山は必要説を支持 144

 2少年法上の保護処分との関係
「第一は対象者と対象行為についてであるが、…決定的な相違は、本法案の中に含まれる『心神喪失者」が全く責任を欠いているという事実である。上述したように、少年についても必ずしも責任を要しないという不要説も存在しているが、『実質的責任』(是非弁別の能力)が存在しなければ『保護処分』を正当化することはできないとする必要説を妥当とすべきである。/したがって、結論的には、少年法の対象者の大部分が『犯罪と刑罰』という要件を充足するにかかわらず、少年の健全育成の目的のために『刑罰』に代えて『保護処分』が適用されるという関係にあるのに対して、本法案の『心神喪失者』の場合には、『医療処分』に代えるべき『責任刑』の前提が最初から全く欠如している点に、両者の決定的な相違があることを確認する必要がある。」149

「第二は、審判の手続きについてである。少年法では、犯罪の嫌疑を含むすべての事件が家庭裁判所に通告または送致されることになっており、…少年事件では、検察官は、一定の場合に家裁の審判への関与が認められるほかは、家裁が調査の結果、その罪質および行状に照らして刑事処分を相当と認めた場合に限り、検察官は家裁から事件の装置を受け、以後これを通常の掲示事件として処理することになっている。」149-150
「一方、本法案の手続きでは、触法患者の事件は最初から通常の刑事手続きとして扱われ、とくに重大な触法患者の場合には、検察官が不起訴処分にした者、および無罪・有罪の裁判で心神喪失者等であると認められた者について、検察官が地方裁判所に審判の開始を申し立てる。…」150

「第三は、少年法の『保護処分』と本法案の定める『医療処分』との比較である。…/これらの共通性は、刑罰ではない『処分』であるという性格に由来するのであるが、しかしそこには、決定的な相違点が存在することが看過されてはならない。それは、すでに指摘したように、少年の保護処分では、『要保護性』を徴表する非行事実が存在するだけでなく、『刑罰』に準じるべき『実質的な責任』が存在することが前提となっているのに対して、触法患者の医療処分では、『要医療性』を徴表する触法事実は存在していても、これに対応すべき『責任能力』が欠如するので、『刑罰』に代わる拘禁または強制を正当化する根拠を欠くという点である。」151-152


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町野 朔「精神保健福祉法と心身喪失者等医療観察法――保安処分から精神医療へ」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

A保安的考慮 69
「例えば、精神障害者の後見は家庭裁判所の審判によって開始される(民7条)が、後見制度が保安的措置だということではない。少年の保護処分(少24条)も家庭裁判所が審判し決定するが、保護処分がもっぱら保安的考慮によって行われるべきだということではない。諸外国では、一般の精神障害者の強制入院、強制治療について裁判所が決定するとしているところが多いが、これも精神障害者の権利保護のためである。」69



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【責任能力】

◇横藤田 誠『法廷のなかの精神疾患――アメリカの経験』(日本評論社、2002年)

※第5章
※訴訟能力、責任無能力の抗弁、裁判後の処遇、受刑能力

「日本の刑事訴訟法は、『被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない』(341条1項)と定める。ここにいう『心神喪失の状態』について、最高裁判所は、文字が読めず手話も解さない聴覚言語障害者の窃盗事件に関する決定のなかで、『訴訟能力、すなわち、被告人としての重要な利害を弁別し、それに従って相当な防御をすることのできる能力を欠く状態』と定義している。現行法は、被告人が起訴後に一時的に心神喪失状態に陥るといった事態を想定しており、訴訟能力の回復の見込みがない場合の処理については沈黙しているといえよう。」170−171
→しかし日本の場合は起訴前に検察官の裁量で処理。これまでは、不起訴処分→措置入院。今後は観察法の手続?

※ニューヨーク州のある裁判所における訴訟能力の指標
@時間および場所見当識がある
A知覚し、思いだし、語ることができる
B公判手続と裁判官の役割を理解できる
C弁護人との協働関係を確立できる
D弁護人の助言をきき、それに基づいて、ある行動が他の行動よりも彼にとって有益であることを認識しうる知性と判断力をもつ
E公判のストレスに耐えて、重大な長期的あるいは永続的衰弱(breakdown)に陥ることのない安定性を備えている。172
※ヒンクリー事件について184〜

※「マクノートンルール」
「アメリカにおいて、(中略)長年、強い影響力をもっていたのが、イギリスのマクノートン判決(1843年)に由来する『マクノートン・ルール』であった。これは『精神異常(insanity)の理由による抗弁を成立させるためには、その行為を行った時に、被告人が、精神の疾患のために、自分のしている行為の性質(nature and quality)を知らなかったほど、またはそれを知っていたとしても、自分は邪悪な(wrong)ことをしているということを知らなかったほど、理性の欠けた状態にあったことが明確に証明されなければならない』というものである。日本と同様、混合的方法ではあるものの、正邪の弁別能力という知的要素にのみ着目し、情意の要素である制御能力を考慮していない。」189→「正邪テスト(right and wrong test)」

※「抵抗不能の衝動テスト」(Smith v. United States 1929年)
コロンビア特別区控訴裁判所判決より
「…医学の偉大なる発達に適合する今日的なルールにおいて責任能力があるというためには、正邪を区別することができるだけでなく、抵抗不能の衝動によって当該犯罪行為をなすよう強いられることのない能力をも備えていなければならない。すなわち、それが悪いことであると知ってはいても、意思力(will power)が疾患によって奪われた結果、犯罪行為をなそうとする衝動に抵抗することが不可能になっている場合には、刑事責任を問うことはできないのである。」191

※「ダラムルール」(Durham v. United States 1954年)
コロンビア特別区巡回区連邦控訴裁判所判決より
「…/より幅の広いテストが採用されるべきである。『被告人の違法行為が精神の疾患または精神の欠陥の所産(product of mental disease or mental defect)であった場合には刑事責任を負わない』。疾患とは、回復または悪化がありうる状態、欠陥とは、回復または悪化がありえないものであって、遺伝的なものあるいは身体・精神の疾患の後遺症である状態を意味する。…」
「以上のように、ダラム・ルールは、『精神の疾患』『精神の欠陥』『所産』の認定を陪審に求めており、生物学的基礎のみに着目する『生物学的方法』を純化したものといえる。」194

※「模範刑法典ルール」(United States v. Brawner 1972年)
「ダラム・ルールは生物学的方法であったが、このルールは、マクノートン・ルールと同様、混合的方法をとっている。ただ、後者が『正邪の認識』のみを求めたのに対して、『自己の行為を法の要求に従わせる』という制御能力をも規定している点が大きく異なっている。…(中略)…既存のルールを総合した形になっているともいえる。」196

※「制御能力基準をはずした新たな基準」(united States v. Lyons 1984年)
ルイジアナ州第5巡回区連邦控訴裁判所判決より
「…したがって、新しい基準の下で責任無能力とされるのは、『犯罪行為の時に、精神の疾患または欠陥の結果、当該行為の不法性を弁別することができない』場合に限られる。」200
→理由もある

※「メンズ・レア」(States v. Korell 1984年)
「…このように、弁別能力や制御能力の欠如を抗弁とせず、犯罪の要素である精神状態(犯意(mens rea))の証明に関してのみ精神的障害を考慮する方法を『メンズ・レアアプローチ』と呼ぶ。」202


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◇池原 穀和「刑法の責任主義と『裁判を受ける権利』をめぐって」、『福祉労働』、95、2002.

責任能力制度を否定したらどうなるか
「刑事責任という考え方の前提には、事件が起こったときに、ほかの違法でない行動をとる可能性(他行為可能性)があったことが必要である。他行為可能性がなければ、その人の判断でその行為を選択したということが言えないから、その行動の選択が正しくなかったといって、その人を非難することはできないというわけである。そして、違法な行動を選択せず適法な行動を選択できるためには、何が違法で何が適法であるかを判別できる力が必要である(是非弁別能力)。また、その判別ができたら、その判別にしたがって違法な行動を選択せず適法な行動を選択できる力(行動統制能力)も必要である。こうした能力はまったくその能力を欠いている状態から十分にその能力が認められる状態まで連側的な程度の変化があると考えられる。責任の重さは本来その能力の変化の度合いに応じて認められるべきである。能力の高い人は容易に適法な行動を選択できるのだから、あえて違法行為を行った場合にはそれだけ厳しい非難を受けることになる。逆に、能力が十分ではなく、主体的な行動の選択が容易でない場合は、その非難の度合いは緩やかなものとなり、能力面での行動の選択の自由がなければ(・・・中略・・・)、その行動を非難することはできないことになる。」68

社会の一員としての立場と責任能力
「けれども、精神障害のある人の不起訴率は平均すると54%ほどで、それ以外の人の不起訴率は45%程度であるので、精神障害者だけが過大に免責されていると言えるかどうかには問題がある。また、昭和50年代頃までは裁判で責任無能力で無罪になった人が、毎年10人〜20人くらいいたのに、逐年減少して、ここ数年は裁判所が責任無能力を認めた事例が0件になっていることからすると、実際には現在の刑事裁判では、責任無能力(心神喪失)は事実上廃止されてしまったような状態になっている。こうした傾向からすると、精神障害の人が本当に過大に免責されているのではなく、世間の人がそう考えているだけなのかもしれない。実際に刑務所の医務官をしていた人が、刑務所の中に自分の行ったことが未だに理解できていなかったり、裁判を受けたことさえ分かっていない精神障害の人がおり、責任能力があったと言えるのか疑問な事例もあるという報告がある。」70


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◇西山 詮「責任能力の概念――医療から」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

はじめに
1 ヒンクリー事件と池田小学校事件
(1)アメリカにおける心神喪失基準の修正と連邦保安処分制度の新設
※ヒンクリー事件
「1981年3月ヒンクリーはレーガン大統領の暗殺を図った。銃弾の1発は大統領の心臓の1センチ近くに達し、大統領の報道秘書官とシークレットサービスの各1人は脳に、警察官の1人は背部に銃撃を受けた。1982年6月にコロンビア特別区連邦地方裁判所が、陪審の評決によってヒンクリーに心神喪失による無罪を言い渡すや、これに対する大衆の強い抗議と精神科医に対する広汎な批判が起こった。この裁判では、弁護側も検察側もそれぞれ4人ずつ鑑定人を用意し、弁護側は妄想型統合失調症(精神分裂病)による無罪を、検察側は人格障害による有罪を主張して争っていたのである。心神喪失抗弁制度廃止の声もあがり、実際、1982年中にアラバマ州とアイダホ州でこれが廃止された。連邦でもメンズ・レア・アプローチの採用が強く主張されたが、結局アメリカ法律家協会とアメリカ精神医学会の一致した提案に沿って、模範刑法典テストが修正された。」74
→※連邦による保安処分制度の導入74

(2)日本における保安処分制度の試み
※1996年の北陽病院事件→県と病院に1億2千万円の賠償を認める最高裁判決
「日本精神科病院協会は1998年厚生(現厚生労働)大臣に対して触法精神障害者対策に関する要望書を提出した。・・・」74

(3)アメリカと日本における背景事情
「わが国では脱施設化は遅々として進まないが、病院の開放化が広がり、病院の構造も職員もソフトになった結果、広汎な病院が保安施設としての資質を失い、一般の病院とは別に保安的治療施設が求められるに至った。そこには精神障害者による犯罪を防止せよという保安的要求と触法精神障害者にも充分な治療を提供すべきであるという治療的要求がない交ぜになっていた。北陽病院事件や池田小学校児童殺傷事件はこうした要求の実現に拍車をかけ、心神喪失者等医療観察法を成立させたのである。・・・」75

2 責任と責任能力と疾患概念
(1)前提説と不可知論
※前提説=不可知論→統合失調症という前提があれば、基本的に個々の行為の責任能力を検討する必要はない、という考え方
「ドイツやわが国で通説的位置を占めているという規範的責任論によれば、適法な行為に出ることが可能であった(他
行為可能性があるAnders‐handeln‐koennen)のに、その行為をしなかったことに責任の根拠が求められる。責任、
すなわち法的非難可能性の前提となるべき行為の人格的能力(または適性)が責任能力である。」75
「・・・前提説を取る小野によれば、責任能力はあくまで身体的・精神的な人間を基体とする、倫理的人格の問題であるから、例えばその弁識能力はおよそ行為の是非を弁識する一般的な能力でなければならない。それは人格の持続性と統一性とからくる当然の事理である。したがって『一部的責任無能力者』などというものはありえない。これに反して、違法性の意識はあくまで自己の具体的行為に限られた問題であり、個々の行為における責任の問題である。責任能力における弁識能力と違法性の意識の可能性とが『責任』概念の下に混同されようとしている、と小野は注意を喚起した。」75
「一般に前提説は不可知論(責任能力の心理学的要素は自由意思の言い換えであるから、経験科学はこれを知りえないというのが『不可知論』である。これに対して、ある程度これを知りうる、または精神医学は純粋な経験科学ではないとするのが『可知論』である)と結びつき易く、疾患概念としては生物学的疾患概念に親和性がある。統合失調症に罹患していることが明らかであれば、およそ行為の是非を弁識する一般的な能力を欠くか、またはその弁識に従って行動する能力を一般に欠くということにあんるであろう。個々の行為を検討する必要がないのである。」75

(2)要素説と可知論的な今日の動向
「団藤によれば責任能力は責任要素(責任の有無・強弱を決める要素)である。責任能力を責任要素として捉えるならば、そこから当然に、責任能力は当の行為と結びつくものでなければならない。およそ物事の正邪を判断することができるかどうか、そしてその判断に従っておよそ自己の行動を制御することができるかどうかということではなくて、当の行為の正邪を判断することができたかどうか、また、その判断に従って当の行為を制御することができたかどうか、が問われなければならない。そして、このように、責任能力を当の行為について考えることになれば、一部(部分)責任能力の問題も当然に解決する。一般に要素説は可知論に結びつき易く、その疾患概念は生物‐心理‐社会的把握に親和性があるから、内因性疾患の特権はかなりの程度に剥奪され、統合失調症であれストレス障害であれ、個々の行為に応じて総合的に判断されることになる。・・・」75‐76

(3)責任能力概念の変化
※大判昭和6年12月3日→心神喪失、心神耗弱の定義
「どこにでも書かれているので簡単にするが、確定的な判例(大判昭和6.12.3刑集10巻682頁)によると、心神喪失とは、精神の障害により、事物の理非善悪を弁識する能力(弁識能力)がないか、またはこの弁識に従って行動する能力(制御能力)のない状態をいい、心神耗弱とは上記の能力が著しく減退した状態をいう。これによると、責任能力は精神の障害という生物学的要素と弁識能力または制御能力の欠如という心理学的要素から成り立っており、限定責任能力もまた相応の2要素から成り立っている。そして責任能力をこの2要素によって判断する方法を混合的方法と呼んでいる。」76

(4)総合的判断とその規範性77
※心理学的要素の事実的側面と、規範的・評価的側面について
「仙波らによれば、責任能力の判断は次のようになる。『裁判所は、心理学的要素については、精神の障害が犯行に及ぼした影響を考慮したうえで、更に、犯行の動機(その了解可能性)、犯行の計画性、犯行の様態(その異常性)、犯行後の行動(罪証隠滅工作、違法性の意識、反省の情があらわれたことがあったかどうかなど)、犯行についての記憶の有無・程度、病前の性格、行動(犯行直前まで通常の社会生活を営んでいたかどうか)、犯罪的傾向との関連性などを認定したうえで、規範的な立場から評価を加えて、弁識能力・制御能力がどの程度かを確定し(これを、総合的判断という。)、最終的に心神喪失、心神耗弱を認めるかどうかを判断することになろう・・・』というが、これは実に込み入った事態である。第1に『精神の障害が犯行に及ぼした影響を考慮』するのは鑑定人に『より適した仕事』のようであるが、これが果たして事実的側面に尽きるかは疑問である。第2に、『犯行の動機』から『犯罪的傾向との関連性など』に至る広汎は事項の『認定』は、一体誰に『より適した仕事』なのかが明言されていない。第3に、これら『考慮』および『認定』の上に『規範的な立場から評価を加えて』もそれはまだ総合的判断で、最終的判断に到達していないようであるが、この間に規範的または政策的判断が挿入される余地があるのであろうか。仙波らは、『総合的判断をするにあたって、事案の重大性、刑法の秩序維持機能(一般予防、特別予防)の見地を加えるかは、議論があろう』としつつ、これらの見地を加えてよいように思われると言っている。・・・」77

(5)責任能力判断と治療可能性77
「・・・規範的判断が事実判断に介入ないし混入しやすくなったように見える。」77
※弁識能力と制御能力どちらを重視するか→弁識能力のみを重視する傾向

3 裁判所と鑑定人の協働78
(1)不可知論からの離脱と判断の個別化78
「K.シュナイダーは1948年、刑法学者を前にして講演を行い、心理学的要素については何人も、つまりは裁判官も答えることができないと述べた。すなわち徹底した不可知論である。そうすると、できるのは医学的診断だけである。シュナイダーは生物学的・医学的な疾患概念の上に立って、例えば統合失調症(精神分裂病)という診断があれば、行為と症状や動機との関連を問題にすることなく、暗黙のうちに責任無能力を認めることにしようというのである。この不可知論はその疾患概念と共に多くの刑法学者と精神科医に感銘を与えた。」78
※60年代〜80年代、可知・不可知論争、主にドイツで→可知論者優位のまま論争終結へ。

「精神疾患は今日では生物・心理・社会的な存在として捉えられるから、生物学的要素(臨床精神医学的要素)自体が心理学化し、社会学化している。」78

(2)鑑定人の事実認定78

(3)鑑定結果の採否の明示78

(4)責任能力概念は精神医学から乖離するか79
「前田によると、『近時目立つのは、責任能力概念の規範化、別の表現を用いれば、『精神医学からの乖離』という現象である。従来、心神喪失の典型例は、分裂病、躁鬱病などの精神病であり、鑑定医が行為時に分裂病であったとすると、ほぼ無条件で心神喪失とされてきた』という。ここで『従来』というのは昭和40年代までを意味するようであるが、筆者自身は昭和40年代の半ばから鑑定を始めたので、前田の言うような変化を掴めていないかもしれない。しかし、確立した判例といわれる大審院昭和6年12月3日第一刑事部判決(刑集10巻682頁)もかなり重症と思われる統合失調症(精神分裂病)者を鑑定結果に沿って心神耗弱と判断した原審を支持している。このような判断は統合失調症者にとって厳し過ぎるのではないかという批判は、精神科医ばかりでなく刑法学者からも聞かれた。裁判所の総合的判断はこの頃からあったのである。」79

おわりに
「責任能力に関しては、最終的に採用された事実認定が妥当であるかどうかおよびその認定と法律判断との関連が適切であるかどうか、の検討が重要である。」79


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◇西山詮「触法精神障害者に対する捜査と裁判」、『精神医療』、26、2002

※責任能力を問うことと、精神医療は「従って両者は全く次元や性質の異なった問題であるから、放置しておけば両者の間に『ずれ』が生ずるのはむしろ当然だとも言えよう。」42‐43


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◇岩井 宣子「責任能力の概念――法律から」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

1 刑事責任能力とは80
「責任には、諸説あるが、規範的責任論は、理性的人間を想定し、規範に遵わなかった者に対しては、応報として刑罰を科す。しかし、社会的責任論では、犯罪はもともと規範に遵いえない弱者が犯すものとし、それらの者に再犯を防止するための教育・治療を受忍する社会的責任があるとし、保安処分一元論をとなえる。」80

「多くの福祉的対応が有効であることが知られるようになった。ヨーロッパの多くの国で取られる刑罰と保安処分の二元主義は、新旧両派の妥協の産物である。ここでは、刑罰を科し得ない刑事責任無能力者には、それを補充するものとして、保安処分で対処される。/刑事責任無能力の概念も広狭があり、イギリスのマクノートン法則では、是非善悪の弁別能力を欠く者に限定されるため、非常に狭く、刑事責任無能力とされる者はほとんどいないという。アメリカのユタ州他では、責任無能力の概念を廃し、精神障害の問題は、メンスレア(故意)の有無の問題に解消し、処遇段階で考慮するとしている。」80

2 我が国における刑事責任能力の概念
※80冒頭に旧刑法(明示13年)78条、および新刑法(明治40年)39条
※大審院昭和6年12月3日判決

「刑事責任能力の規定の方式としては、(1)精神病等の生物学的要素のみを基準とするもの(アメリカのダラム・ルール等)、(2)自由な意思決定の欠如というような心理学的要素のみを基準とするもの(1869年北ドイツ連邦刑法第1次草案46条等)、(3)両方を併用する混合的方法(ドイツ刑法20条・21条等)の3種に分けうる。心神喪失・心神耗弱という語は、心理学的要素を連想させるが、このように、混合的方法によることが、通説・判例と解される。」81

3 刑事責任能力の本質
「刑事責任能力の本質に関しては、新旧両派の対立に対応して、旧派は道義的責任論の立場から、自由な意思および行為の能力すなわち有責行為能力であると解し、新派は社会的責任論の立場から、保安処分と対比する意味で、刑罰を科して効果を収めうる能力すなわち受刑能力と解する。前者は、非決定論の立場にたち、後者は決定論の立場にたつものといえるが、この戦前からの対立に加え、近時、やわらかな決定論の立場から、自由意思と決定論は矛盾しないとし、有責行為能力とは、行為時に刑罰が科されることを考慮にいれ行為を決定しうる能力をいうので、行為時に刑罰適応性があるかを内容とする説が有力となっている。」81

4 責任能力の判断基準
※精神障害の存在→生物学的基準+弁別能力・制御能力の欠如→心理学的基準=混合的方式
「しかし、この制御能力については、形而上学的基準であり、科学的に認識することは不可能である不可知論からの批判がある。」81

「今まで、制御能力の欠如により、心神喪失と判断されたものは、ほとんどないが、精神病であっても外来治療に、普通人と変わらぬ生活を行いうる者もあり、その者は、規範に遵う能力はある程度維持しているものと考えられ、精神病者に一律に心神喪失を認めるわけにはいかないであろう。精神病の病状の程度により、規範に遵いうる能力の検証が必要となろう。妄想・幻覚等に支配され、制御能力を欠くに至るとき、規範による制御は期待できず、強制的な精神医療の対象とされざるを得ないであろう。この程度に精神に障害を有するため、規範に遵う能力が失われている場合を心神喪失とすべきものと考えられる。」82

5 限定責任能力
「刑事責任能力は有りか無しかの問題か、それとも程度概念なのか、争いのあるところである。」82
※旧派→自由意思は有るか無しかではなく、段階がある→刑の減刑の主張。
※新派→規範意思力の減退した犯罪者はむしろ犯罪に抗する力が弱いため、再犯率高し→より長い処遇期間必要。

6 判例に現れた判断基準
(1)統合失調症83
※近年の動向、統合失調症の罹患のみならず、病的体験に支配された行動であったか否か、病状の程度等で判断。

(2)覚醒剤中毒84

7 おわりに
「判例が心理学基準を重視してきている傾向が窺われるが、まさにその基準を刑罰の威嚇により行為を統制しうる能力の有無を見極めるものと捉えると、刑罰を科すべきものとそれ以外の治療手段による対応を必要とするものの分岐点を刑事責任能力の概念が果たすものと解しうる。」84

※生物学的要因→徐々に心理学的要因も加味されるようになった。


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◇山上 皓「責任能力の概念と精神鑑定のあり方」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.
1 責任能力についての精神医学的基礎
(1)責任能力の概念85
「責任能力の定義については、我が国はドイツと同様、混合的方法を採用し、心理学的要素として弁別・制御能力の存在を、生物学的要素としてそのような能力の前提となる生物学的基礎の存在を、それぞれ想定する。現行刑法は第39条において、『@心神喪失者の行為は、罰しない。A心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。』と規定する。昭和6年12月3日判決(刑集10巻682頁)の大審院判例によれば、心神喪失とは、精神の障害により事物の是非善悪を弁別する能力またはその弁別にしたがって行動する能力のない状態をいい、心神耗弱とは、精神の状態がまだその能力がまだその能力が完全に失われたとはいえないが、著しく障害された状態をいうとされる。」85

(2)責任能力判定基準について
※可知論と不可知論
※この文章のあとに詳細
「ドイツ精神医学界には、可知論と不可知論との間の長い論争の歴史がある。不可知論とは『心理学的要素すなわち自由意志の有無についての判断は、何人にとっても不可能であり、鑑定人は生物学的要因を証明し得るにすぎない』とするもので、ドイツではこれが長く支配的であった時代がある。いわゆる『慣例』は、この不可知論の立場を背景として、ドイツ司法精神医学界が法律家との長年に亘る共同作業の末に確立したもので、・・・」86

2 責任能力判定の実際と問題点
(1)イギリスとドイツの報告に見る問題点
「我が国の司法精神医療のモデルとされるイギリスには、全国で約3000床の司法精神科病床が存在するが、・・・」87

(2)日本の裁判における責任能力判定87
「責任能力判定基準についての今日の我が国の裁判所の見解は、統合失調症者による大量殺人事件に関して示された昭和59年7月3日判決(刑集38巻8号2783頁)の最高裁判例に窺うことができる。これによれば、『責任能力の有無・程度は、被告人の犯行当時の病状、犯行前の生活状態、犯行の動機・様態等を総合して判定すべきであ』り、『心神喪失/耗弱の判断は法律判断で、もっぱら裁判所に委ねられる。従って、鑑定人が精神鑑定書に犯行時心神喪失の状態にあったと記載した場合でも、裁判官は、鑑定記録に記されている病状等を総合して、心神耗弱状態を認定しても差し支えない』とされる。・・・ドイツでは異論の余地なく責任無能力と判定されるような病勢期の統合失調症者に対しても有罪判決が下されることが、稀ではなくなった。」88

(3)検察における責任能力判定

3 精神鑑定
(1)精神鑑定の実際
(2)新法のもとでの精神鑑定のあり方
※再犯に関するリスク評価についての記載→89-90


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◇前田 雅英「司法的判断と医療的判断」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

5 医療的判断と司法的判断の関係の変化
「責任能力の判断方法については、生物学的方法、心理学的方法、混合的方法が対立するとされてきたが、戦後の責任能力論の潮流は、生物学的方法の有力化、つまり、精神科医の世界を重視する方向に動いてきたといえよう。・・・」95
※昭和50年代ごろまでに。
※しかしその後、最高裁昭和58年9月13日決定→「被告人の精神状態が刑法39条にいう心神喪失又は心神耗弱に該当するかどうかは法律判断であって専ら裁判所に委ねられるべき問題であることはもとより、その前提となる生物学的、心理学的要素についても、右法律判断との関係で究極的には裁判所の評価に委ねられるべき問題である」95
→最高裁昭和59年7月3日決定において、統合失調症の事案にも広げられた。


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◇五十嵐 禎人「触法精神障害者の危険性をめぐって――刑事司法と精神科医療の果たすべき役割」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

5 責任能力と危険性

「これに対して、今回の医療観察法を含め、わが国にはドイツのような保安処分制度が存在したことはなく、免責後の自由の制限の根拠はあくまでも精神科医療に求められなければならない。そして、わが国と同様に、二元主義を採用していないイギリスやフランスにおける精神鑑定や責任能力の判断では、危険性(dangerousness)の判定や免責後の処遇を視野に入れた判定や判断が医師や裁判官に求められているのである。つまり、少なくとも一元主義を採用している国においては、危険性(dangerousness)の除去に関する刑事司法と精神科医療との役割分担の調整は、事実上、責任能力という概念を通して行われているのであり、それゆえに、従来のわが国のように重大な触法行為を行い、しかも、責任能力の減軽を要するような精神障害者が、刑事司法と精神科医療の狭間に陥って放置されるという事態がほとんど起こらないのである。こうした意味で、責任能力判断とは、まさに刑事政策そのものであり、裁判官による規範的判断によってのみしか行い得ないものであろう。」101


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◇加藤 久雄「触法精神障害者と検察官の追訴裁量権――心神喪失者等医療観察法における検察官の役割を中心として」、『ジュリスト増刊――精神医療と心神喪失者等医療観察法』、有斐閣、2004.

※裁量相場なるもの129
※「心神喪失」「心神耗弱」という言葉
「上述のように、この新法が、厚生労働省管轄の保安病院・病棟で行われる処遇手続について規定した、いわば『メディカル・モデル』を目指したものであるのに、そういう新しい司法精神科施設に収容される患者の『精神障害の症状』が法律用語である『心神喪失』・『心神耗弱』という概念で表現されているのはあまりに奇異な感じである。」129
→「精神分裂病(元自衛官)の無期懲役刑確定事件」の第2次上告審(第三小決昭和59・7・3)→「・・・『精神分裂病=責任無能力』という見解―ドイツで裁判官と鑑定人の『了解事項』(Konvention)とされるもの―を否定して、『心神喪失』・『心神耗弱』が精神医学上の概念ではなく、これらは法律上の概念であり、裁判官の司法的判断でその存否が決せられるとしたのである。」129
→しかし検察官がこれらの概念を用いて処分を決定できるとする根拠条文はない。

※責任能力の存否
「・・・『責任能力』の存否の判断は、もともと、当該行為者がその『行為の時』、正常な判断能力と行動能力・統御能力を有していたかどうかの問題であり、学問上の『認識』の問題でもなく、精神科医の『診断』の問題でもない。それは、行為者が『行為の時』、刑法に規定された一定の『規範』に従って行動すべきであったのにそれをしなかったこと(他行為可能性の否定)について『非難』できる『能力』を有していたかどうかの問題であり、その最終的な判断は、経験科学(精神科医)の専門家である鑑定人が行うのではなくて、法律家である裁判官がその規範的な判断として行うべき事柄であるということになる。」130


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◇平田 豊明「重犯精神障害者の処遇政策」論考――医療と司法の重複領域に医療者はどう関わるか、『精神医療』、26、2002

 3起訴前簡易鑑定
(1)臨床家による精神鑑定への参与
(2)簡易鑑定書の様式
(3)掲示責任能力評価の隘路
「第一の隘路となるのは時間差である。…」
「第二の隘路は、責任能力の量的表現の問題である。刑事鑑定では、責任能力は、責任無能力(心神喪失)、限定責任能力(心神耗弱)、完全責任能力(有責)の三分法で表現されるが、実際には、責任無能力と完全責任能力を両極とする連続的スペクトラムの中のいずれかの領域にファジイに位置づけられる。…専ら鑑定医個人の裁量に委ねられている。・・・」
36
(4)刑事責任能力の定量的評価
「先のデータによれば、責任無能力と鑑定されたケースの98.1%が公判請求に至らなかったのに対して、限定責任能力ケースでは起訴が49.0%、それ以外が51.0%とほぼ等分されていた。どちらに振り分けるかは検事の裁量であるが、簡易鑑定書の表現にも影響されることが十分に予想される。鑑定書における表現上の「匙加減」で被疑者の運命が左右されるといっても過言ではない。もう少し客観性のある評価方式があって然るべきであろう。…」
「精神科領域では、GAS(Global Assessment Scale:概括的評価尺度)やBPRS(Brief Psychiatric Rating Scale:簡易精神医学的評価尺度)をはじめとして、精神症状や精神機能を定量的に表現するスケールがすでに数多く考案され、臨床や研究に広く応用されている。」36


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◇佐藤直樹「責任能力論についてのメモ――刑法39条の刑法典からの削除を」、『精神医療』、26、2002
→論文名のみ[工事中]



*作成:樋澤 吉彦
UP: 20070418 REV: 20100710, 20110705
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