「彼女は摂食障害から昏睡状態に陥り10年以上植物状態にあり経管栄養チューブで生命維持されていた。夫は「妻は延命を望んでいない」として延命中止を望んだが、患者の両親は存命を求めた。彼女は明確な事前の希望を表明していなかった。つまり彼女の延命に関する自発的な希望は不明のままである。フロリダ州裁判所は夫を法的な後見人と認め治療中止を認めたが、両親の懇願に動かされた行政が介入し更なる裁判が続いた。「生きる権利」擁護者やカソリックの人びとが延命中止反対を繰り返し主張した。最終的には夫の主張が認められ、経管栄養チューブ撤去後2週間で患者は死亡した。
アンソニー・ブランドに関する論考でも明らかなように、シンガーは大脳機能を永久的に失った存在は<0031<自己意識や他者との意思疎通能力を完全に欠きいわゆる「人格(personhood)」を完全に失っている。彼らは自分の生を生きることからどのような利益を得ることもない。彼らに対する延命行為も彼らにいかなる利益も与えない。患者にまったく利益を与えない延命をする必要はないと考えている(4)。したがってシャイボ・ケースにおける「生きる権利」擁護者たちの活動が、彼らの意図とは正反対に、多くの米国国民にテリー・シャイボと同じ状況になったら生き続けることを希望しないという意思を明示した事前指示書を書かせたのは大いなる皮肉であり、今後今まで以上に遷延性植物状態患者からの経管栄養チューブ撤去が増えるであろうと述べている(1)。彼は明らかにその現象を歓迎している。
シャイボの「尊厳死」ケースが社会問題になっていた2003〜2005年の間には宗教関係者の発言も目立った。たとえば2004年ローマで開催された国際会議における「延命治療と植物状態」というカンファレンスでは、法王ジョン・ポール二世は「私は、たとえ人工的な手段で与えられていたとしても、水分と食物の投与は常に生命維持のための自然な方法を象徴するものであり、医療行為などではないことをとりわけ強調したい」と発言している。「また患者が死ぬことを承知で水分・栄養補給チューブを撤去することは「不作為による安楽死(enthanasis by omission)だ」とも述べている(5)。
シンガーは2004年のFree Inquiryに"The Pope Moves Backward on Terminal Care"(「法王は末期ケアに逆行する」)という論文を発表し法王の発言を批判している。法王は遷延性植物状態患者の中には部分的に回復する者もいることと、現代医学では誰が回復するか特定することは不可能であることの<0032<二点を自らの延命支持論の根拠にしている。一方シンガーは患者の中には完全に大脳皮質が破壊され決して回復しない事例があり、それは画像診断で判定可能であるとする。またキリスト教関連の病院の現場では、チューブによる人工的水分・栄養補給は延命のための尋常ではない(通常ではない)手段である、患者とその家族に対する利益と負担のバランスを考えてその施行の適切さを判断する、チューブによる人工的水分・栄養補給が善よりも害をもたらすかどうかは実践的な判断だ、などのさまざまな立場があり、法王の見解は「現場」の考えと一致せず医療現場に混乱をもたらすと指摘する。しかし彼はここで次のように付け加えることを忘れない。
「参考文献
(1)Peter Singer: Making Our Own Decision about Death: Competency Should Be Paramount. Free Inquiry 2005; 25:36-8
[…]
(4)Peter Singer: Is the Sanctity of Life Ethic terminally Ill? Bioethics 1995; 9:327-343.
(5)Peter Singer: The Pope Moves Backward on Terminal Care. Free Inquiry 2004; 24:19-20.」(浅井[2008:47])