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カレン・クインラン事件

Karen Ann Quinlan Case

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■文献

Tateiwa, Shinya (立岩 真也) ; Arima, Hitoshi (有馬 斉) 2012 Narratives and Deeds on Life and Death I: Death with Dignity Bill, Resistance, and Bioethics (『生死の語り行い・1』), Seikatsu Shoin (生活書院) <56,290,291,352,358,447>
◇立岩 真也・有馬 斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 [amazon][kinokuniya] ※ et. et-2012.

◆Kagawa, Chiaki (香川 知晶) 2006 The Right to Death: The Karen Quinlan Case and the Turning of Bioethics(『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』), Keiso Shobo (勁草書房), 440p. <352>
◇香川 知晶 20061010 『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』,勁草書房,440p. ASIN: 432615389X 3465 [amazon][kinokuniya] ※, be.d01.et.et-usa.

『生死の語り行い・1』表紙

◆Colen, B. D. 1976 Karen Ann Quinlan: Dying in the Age of Eternal Life, Nash Publishing=1976 吉野博高訳,『カレン 生と死』,二見書房、225p. ASIN: B000J9ZYKI [amazon] ※ d01 ◆本間 康二 19760515 「一番大切なものは“生命=いのち”――「カレン裁判」をめぐって」,『月刊障害者問題』1
 http://www4.famille.ne.jp/~aikoh/000honma-jidai-shyo_0252.html
唄 孝一 19760701 「解題・カレン事件――シュピリア・コートの場合」,『ジュリスト』616→唄[199011:247-288]
◆唄 孝一 19761001 「続・解題・カレン事件――シュプリーム・コートの場合」,『ジュリスト』0622
◆本間 康二 19790515 「カレン裁判の全貌」,『月刊障害者問題』37(創刊3周年記念特集)
 http://www4.famille.ne.jp/~aikoh/000honma-jidai-shyo_0251.html
◆本間 康二 19790515 「カレンがともす灯」,『月刊障害者問題』37(創刊3周年記念特集)
 http://www4.famille.ne.jp/~aikoh/000honma-jidai-shyo_025.html
◆唄 孝一 19800315 「カレン事件をめぐって――ミューア判事にきく」,『ジュリスト』712(19800315),713(19800401),714(19800415)→唄[199011:331-361]
◆Battelle, Phyllis 1977 Karen Ann: The Quinlans Tell their Story, Doubleday & Company, Inc., New York=19790420 常盤 新平 訳,『カレン・アンの永い眠り――世界が見つめた安楽死』,講談社,339p. ASIN: B000J8HJH0 1400 [amazon] ※ b d01 ts007a
◆唄 孝一 19901130 『生命維持治療の法理と倫理』,有斐閣、453+8p. 10300 b d01 ts2007a
◆立岩 真也 2008/10/25 「香川知晶『死ぬ権利』・1」(医療と社会ブックガイド・87),『看護教育』48-(2008-10):-(医学書院),
◆立岩 真也 2008/11/25 「香川知晶『死ぬ権利』・2」(医療と社会ブックガイド・88),『看護教育』48-(2008-11):-(医学書院),
◆立岩 真也 2008/12/25 「香川知晶『死ぬ権利』・3」(医療と社会ブックガイド・89),『看護教育』48-(2008-12):-(医学書院)
◆立岩 真也・有馬 斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 [amazon][kinokuniya] ※ et. et-2012.

 ニュージャージー州 cf.「植物状態」

  ※以下未整理。すみません。

19750415 急性薬物中毒で意識を失う
19750912 州高等裁判所に「死ぬ権利を認めてほしい」と提訴
 原告:父ジョセフ。「原告は、「カレン・アン・クインランが精神の不調のために精神的に無能力であると認定し、原告に対して後見人資格を認め、その娘であるカレン・アン・クインランの生命活動を維持している通常以上の手段すべての停止を許可する明示的機能を付与する判決を下す」ことを求めていた。」(香川[2006:4])
19751110 判決:「患者が自分の意志を決定できない時は、患者は生きつづけるこ
     とを選ぶ、とみなすのが社会通念である。生命の尊厳が存在しているこ
     と自体が、生命のあり方より重みをもっている」
     →州最高裁判所に上告
19760331 「人命尊重の大原則より死を選ぶ個人の権利が優先されるべきである。
     今後、治療をつづけても回復の見込みがまったくない、との結論が出た
     場合には人工呼吸器をとめてよい」
     「ニュージャージー最高裁判所1976年3月31日判決(カレン・クィンラン事件)」
     町野朔他編[1997:180-182]
19760522 人工呼吸器が外される ところが自力で呼吸を続ける
19850611 肺炎による呼吸困難で死去

    カレン事件についてのルポルタージュとしてColen[1976=76]、
    他に竹内[1988:142-160]
    阿南[1977:124-141]「植物人間と安楽死」
    立山[1998:35-36]

 判決は意識を失った原因に言及していない(唄[199011:271])
 レスピレーターをつける
 「持続的な植物状態」とされる(唄[199011:253])
 19750731 クィンラン夫妻「われわれは、娘カレンのためのレスピレーターの使用をふくむ通常外の処置を一切打ち切ることを、モース博士に認許しかつ指示する。」(唄[199011:257])
 裁判に
〇州高等裁判所(シュピリア・コート)
 主張 1)父親を後見人とする 2)レスピレーター
 主張の理由1信教の自由
 主張の理由2残忍で異常な刑罰
 1についても2についても判決は認めていない
 判決:1)親を(財産後見人としては認めるが)身分上の後見人として認めない。
 2)も認めない。
 プライバシー権を受け入れる
 親が代行するプライバシー権は認められないとする
 親の代行を否定しているのか死ぬ権利を認めていないのかはっきりしない
 「死ぬ権利」という言葉は判決には出てこない。
〇州最高裁判所(シュプリーム・コート)
 1蘇生打ち切りもある。
 2カトリックの教義に反しない。
 3プライバシー権
 4後見人が代わってプライバシー権を主張できる。
 5
 6
 7治療の打ち切り 殺人罪ではない。
 8倫理委員会
 唄([19901130:322])

 主治医が賛成したら→倫理委員会(それまでは米国でもほとんどなかった。この判決が、突如倫理委員会ということをいい出した。)何を判断させるかについて:倫理委員会も賛成したら … 判決が混線しているところ(唄)
 後見人が 主治医の賛成をうる 主治医が反対したら、別の主治医を決めてもよい、見つけなさい その主治医が賛成したら 倫理委員会にかける 倫理委員会がそれを認めたら 殺人罪に問われることはない。

 メディアは安楽死容認と報じたが、そういうものではない。(唄)
 この判決の意味(以下、唄)
1レスピレーターの打ち切りに道を開いた。
 唄([19901130:323])
 ただ カレンの状態を離れた抽象論を言っているのではない。
 患者側の要請であることを強調 2プライバシー権を前進させる。
 唄([19901130:323])
 親のプライバシー権としてとらえてはいない。本人のプライバシー権
 本人の意思の推定
 本人と言えば 代理だという性格がはっきりしてくる。
 ジレンマ
 家族が決めてよいという道を封じている(と唄は解する 唄・談)
 ここは微妙なところ(唄・談)
3医療上の決定と司法的判断との関係に微妙な均衡をはかったこと
 唄([19901130:326])


 実際は 倫理委員会等の手続きはなにもなかった。
 病院は変える。
 実際は死ななかった。自発呼吸が戻る。
 (医師の誤診問題もあったのではないかという指摘もある。)

 *20000904唄先生のお話

 1975/10/20 ニュージャージー州モリス郡州高等裁判所で事実審理開始

 3 背景としての安楽死論
 「被告側の冒頭陳述は、原告側の請求が安楽死にあたるという主張をその骨子としていた。それは、ボージオの陳述に見られたように、それまでの安楽氏をめぐる議論、初期の生命倫理が与ることになった議論を踏まえて展開されたものだった。」(香川[2006:113])
 「米国では、第二次大戦後、ナチスで実行された精神病患者や障害児童に対する安楽氏計画が拡大して、ホロコーストが現出したとする図式が成立する。出発点となったのは、ニュルンベルクの医師裁判でも証言したレオ・アレグザンダーの論文だった(Alexander[1949])。その論文によって、人々はナチスの戦争犯罪の始まりとして安楽死計画があったことを知ることになった。
 そうしたナチスの安楽氏の記憶が新たにされたばかりのところに、クインラン事件は起った。<0118<米国では、医学における人体実験をめぐるスキャンダルが世間を騒がせたばかりだった。ボージオが語った倫理学者や道徳学者や神学者たちによる「多大の叱責」は、この問題に関わっていた。タスキーギ事件が報道されたのが一九七二年、政府の調査委員会の報告書が出たのが七三年、そして国家研究法が成立したのが七四年である。そうした流れのなかで、健全なアメリカとは無縁な出来事として、ほとんど忘れられていたナチスの犯罪とニュルンベルク綱領も、その意義が再評価されていた。ボージオはこうした安楽死問題をめぐる議論の推移を十二分に利用しようとした。当時、クライラン家の人々に対して、その要求を安楽死として規定することは、端的に悪として断罪することだった。」(香川[2006:118-119])

◇Alexander, Leo 1949 "Medical Science under Dictatorship", New England Journal of Medicine 241-2:39-47


■言及

◆Chambliss, Daniel F. 1996 Beyond Caring: Hospitals, Nurses, and the Social Organization of Ethics, The University of Chicago Press=20020301 浅野 祐子 訳、『ケアの向こう側――看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾』、日本看護協会出版会、274p. 3000

 「特定の一人が、それをしなければいけないということではない、そのナースは感じていた。組織には、個人、特に法的責任のない人たちを保護しつつ、生命維持を中止するためのテクニックがあり、それは組織あるいは集団による行為であるべきだ。
 実際、一九七〇年代末の、かの有名なカレン・アン・クインランのケースを機に、表立ってではないが社会全体が決定に参加するようになってきた。[…](p.229)  この判決は、後のナンシー・クルーザン裁判への連邦最高裁判所の判決(一九九〇年)とともに、アメリカのDNR政策を刷新するものとなった。
 ノーザン・ゼネラル・ホスピタルのあるナースは次のように話してくれた。  「カレン・アン・クインラン裁判の前にも、人工呼吸器を切ることは時々あったけど、今はもっと多くなったわね。個人的なかかりつけ医を部屋に呼んで、やってもらうことが多いみたい……[医者を]二五年もやっていれば、「この患者はもう回復することはないだろう」と言うこともできるわ。そして引き抜くの……チューブ類を取り去って、人工呼吸器を切るの。」【インタビュー】
 人工呼吸器を外すことは最近始まったことではなく、変わったのはそのことが世間的にも法的にも認められるようになったことである。ペギー・アンダーソンは著書『Nures』の中で以下のように述べている。(p.230)
 「この[クインランの]ケースは異例の事件である……延命手続きがもはや適切でないと判断された時には、患者を死なせる決断は毎日のように下されている。」  このような延命の中止は極めて一般的に行われていたが、クインランのケースで特筆すべきことは、それが法廷に持ち込まれ、世間に広く知られることとなった点である。さらに、この判決は多くの医療関係者にとって次のような意味で判断のよりどころとなった。第一に、この種の問題に法律家が介入する場合もあり、厄介なことになる場合も考えられること、そして第二に、生命維持装置の停止を裁判所が認めることもあるということである。クインランのケースは医療現場における倫理的判断に裁判所が正式に介入できることを印象づけ、またこのケースが有名になったことにより、医療関係者たちは自分たちの決定はもはや個人的なものではないと思うようになった。この意味で、クインランは生死に関わる決定の、全く新しい土壌を作り出したと言える。(p.231)」(Chambliss[1996=2002:229-231])

cf. Anderson, Peggy 1978 Nurse, Berlekey Books=1981 中島 みち訳、『ナース――ガン病棟の記録』、時事通信社

◆玉川 よ志子 19830525 『終わりに言葉なきことがあり』,講談社,229p. 1200
 玉川桂(東京都、一九六八年発症、七二年病名判明)は一九七三年三月に胃にチューブを入れる手術をした後で呼吸困難・意識不明になり、気管切開、人工呼吸器をつけた。「現在、この種の病気に対する医療の常道としては、呼吸困難に陥っても、気管切開→人工呼吸器(生命維持装置)までして、患者の生命の維持をはからないそうである(『カレン・アンの永い眠り』講談社刊。その他より)。私どもの場合、医療の常道が守られなかったことはさいわいだった。」(玉川[1983:64-65])
■判決

 19760331 ニュージャージー最高裁判所1976年3月31日判決(カレン・クィンラン事件)町野朔他編[1997:180-182]



REV:20080925(ファイル分離), 20160529, 0618
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