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>HOME >euthanasia 安楽死・尊厳死:合衆国 ◆カレン・クインラン Karen Ann Quinlan事件(1975〜1985)(↓) ◆ナンシー・クルーザン事件(1990年判決)(↓) ◆Kivorkian, Jack(↓) ◆文献(発行年順)(↓) ◆安楽死・尊厳死:合衆国・オレゴン州 ◆Not Dead Yet ◆ヘムロック協会 *別ファイルにも掲載 1906 オハイオ州議会 激しい苦痛を伴う不治の病にかかっている患者はすべ て、専門委員会の提案に基づき死亡させてもよいという積極的安楽死法 案を可決したが、連邦政府はこれを認めず(Sarda[1975=1988:214]) 19?? アイオワ州議会 上と同様の状況であれば、重度の心身障害者から生命 を奪うことを認める 連邦政府はこれを認めず (Sarda[1975=1988:214]) 1937 アメリカ安楽死協会設立 会長:ポッター Charl F. Potter 神父 末期状態の患者だけでなく非常に重度の心身障害のある新生児、慢性的 な精神病者にも認められるべきだと主張 1967 安楽死教育評議会設立 (日本安楽死協会[197704]) 1969 フロリダ州議会に尊厳死の権利についての法案提出される (阿南[1977:49]) 1975 ハワイ、モンタナ、ウィスコンシン州で積極的安楽死を内容とする尊厳 死法案が提案される(阿南[1977:94,98]) 197504 カレン・クィンラン事件発生* 1976 他の13州でも法案が提出される(阿南[1977:94]) 1976 サイケヴィッチ事件 1976 カリフォルニア州で法制化される(自然死法 Natural Death Act) 2人の証人の立会いと署名(血族・親族・医療に関わる人は除く) (町野[1984:245-247]) 19760331 ニュージャージー最高裁判所1976年3月31日判決(カレン・クィンラン事件)」 19770101 カリフォルニア州自然死法 Natural Death Act施行 1980 ヘムロック協会創設 1982 ベビー・ジョン・ドゥー(Baby John Doe)事件 「米国インディアナ州ブルーミントンで一九八二年四月九日に生まれたダウン症(二一トリソミー=二一番の染色体が一本多い)の男の子、食道閉鎖と気管食道瘻を併発、両親は手術を受けさせない決定をした、病院が裁判所に判断を仰ぎ、審理中、四月一五日死亡」(立岩『私的所有論』p.206) 198410 児童虐待予防修正法(←ベビー・ジョン・ドゥー(Baby John Doe)事件) 198504 児童虐待法施行規則(←198410児童虐待予防修正法) 「この「規則」では「@患者の意識が永久に消失している場合。A患者の死が不可避的であり、その子にとって治療が不毛な場合。B患者にとって治療が実質上不毛で、かつ人間的でない場合」に限り、生命を維持する医学的治療を差し控えたり、停止することが認められた。(高木[1991:345-346]、この規則についての新聞報道を受けた批判として山尾謙二[1985→1986]、新聞の誤報道の指摘も含めより詳しくは秋葉[1987]、また八五年の規則への批判としてMoscop ; Saldahna[1986]。)」(立岩『私的所有論』p.206) 198506 までに36州 メリーランド州の場合:「死ぬ権利」を主張した書類に健 康なうちにサインし、家族以外の2人の承認のサインを得る 2人の医 師が「末期で死が切迫している」と判断すれば、昏睡状態でも宣言は有 効(『朝日』85.8.29) 19850611 カレン・クインラン、肺炎による呼吸困難で死去 19900604 ジャック・キヴォキアン(Jack Kivorkian)自殺幇助始める 19900625 連邦最高裁判所1990年6月25日判決(クルーザン事件) 199111 ワシントン州、世界初の「医師に安楽死を要求する権利法案」法制化見送り 199112 患者の自己決定法施行 199411 オレゴン州、安楽死法制化、後に反対派から連邦地裁へ提訴 199508 連邦地裁94年のオレゴン州安楽死法案の差し止め命令を出す。 199710 オレゴン州安楽死法案、違憲差し止め命令撤回 ◆2004/11/10 「米司法省、オレゴン州の安楽死禁止求め最高裁に意見書」 Nikkei net 2004/11/10(18:30) 「【ワシントン支局】アシュクロフト米司法長官は9日、「安楽死」を全米で唯一認めているオレゴン州で医師が安楽死をほう助できないようにするため、連邦最高裁が同長官に禁止の権限を与えるよう求める意見書を提出した。オレゴン州には医師による末期患者の自殺ほう助を認める「尊厳死(安楽死)法」があり、1998年以降、同法に基づいて170人以上が安楽死を選んでいる。 アシュクロフト長官は2001年に「自殺ほう助は正当な医療行為ではない」として、安楽死に使われる薬を医師に配布することを禁ずる命令を出した。サンフランシスコの連邦控訴裁は今年5月、この命令を違法だと判断。今回の意見書は、控訴裁の判決を覆し、長官の命令を有効とするよう求めている。ブッシュ大統領の支持基盤の1つであるキリスト教保守派は、妊娠中絶と並んで安楽死の禁止を主張している。」 >TOP ■■カレン・クインラン Karen Ann Quinlan事件(1975〜1985) ニュージャージー州 cf. 「植物状態」 ※以下未整理。すみません。 19750415 急性薬物中毒で意識を失う 197509 州高等裁判所に「死ぬ権利を認めてほしい」と提訴 19751110 判決:「患者が自分の意志を決定できない時は、患者は生きつづけるこ とを選ぶ、とみなすのが社会通念である。生命の尊厳が存在しているこ と自体が、生命のあり方より重みをもっている」 →州最高裁判所に上告 19760331 「人命尊重の大原則より死を選ぶ個人の権利が優先されるべきである。 今後、治療をつづけても回復の見込みがまったくない、との結論が出た 場合には人工呼吸器をとめてよい」 「ニュージャージー最高裁判所1976年3月31日判決(カレン・クィンラン事件)」 町野朔他編[1997:180-182] 19760522 人工呼吸器が外される ところが自力で呼吸を続ける 19850611 肺炎による呼吸困難で死去 カレン事件についてのルポルタージュとしてColen[1976=76]、 他に竹内[1988:142-160] 阿南[1977:124-141]「植物人間と安楽死」 立山[1998:35-36] 判決は意識を失った原因に言及していない(唄[199011:271]) レスピレーターをつける 「持続的な植物状態」とされる(唄[199011:253]) 19750731 クィンラン夫妻「われわれは、娘カレンのためのレスピレーターの使用をふくむ通常外の処置を一切打ち切ることを、モース博士に認許しかつ指示する。」(唄[199011:257]) 裁判に 〇州高等裁判所(シュピリア・コート) 主張 1)父親を後見人とする 2)レスピレーター 主張の理由1信教の自由 主張の理由2残忍で異常な刑罰 1についても2についても判決は認めていない 判決:1)親を(財産後見人としては認めるが)身分上の後見人として認めない。 2)も認めない。 プライバシー権を受け入れる 親が代行するプライバシー権は認められないとする 親の代行を否定しているのか死ぬ権利を認めていないのかはっきりしない 「死ぬ権利」という言葉は判決には出てこない。 〇州最高裁判所(シュプリーム・コート) 1蘇生打ち切りもある。 2カトリックの教義に反しない。 3プライバシー権 4後見人が代わってプライバシー権を主張できる。 5 6 7治療の打ち切り 殺人罪ではない。 8倫理委員会 唄([19901130:322]) 主治医が賛成したら→倫理委員会(それまでは米国でもほとんどなかった。この判決が、突如倫理委員会ということをいい出した。)何を判断させるかについて:倫理委員会も賛成したら … 判決が混線しているところ(唄) 後見人が 主治医の賛成をうる 主治医が反対したら、別の主治医を決めてもよい、見つけなさい その主治医が賛成したら 倫理委員会にかける 倫理委員会がそれを認めたら 殺人罪に問われることはない。 メディアは安楽死容認と報じたが、そういうものではない。(唄) この判決の意味(以下、唄) 1レスピレーターの打ち切りに道を開いた。 唄([19901130:323]) ただ カレンの状態を離れた抽象論を言っているのではない。 患者側の要請であることを強調 2プライバシー権を前進させる。 唄([19901130:323]) 親のプライバシー権としてとらえてはいない。本人のプライバシー権 本人の意思の推定 本人と言えば 代理だという性格がはっきりしてくる。 ジレンマ 家族が決めてよいという道を封じている(と唄は解する 唄・談) ここは微妙なところ(唄・談) 3医療上の決定と司法的判断との関係に微妙な均衡をはかったこと 唄([19901130:326]) 実際は 倫理委員会等の手続きはなにもなかった。 病院は変える。 実際は死ななかった。自発呼吸が戻る。 (医師の誤診問題もあったのではないかという指摘もある。) *20000904唄先生のお話 ■言及 ◆Chambliss, Daniel F. 1996 Beyond Caring: Hospitals, Nurses, and the Social Organization of Ethics, The University of Chicago Press=20020301 浅野 祐子 訳、『ケアの向こう側――看護職が直面する道徳的・倫理的矛盾』、日本看護協会出版会、274p. 3000 「特定の一人が、それをしなければいけないということではない、そのナースは感じていた。組織には、個人、特に法的責任のない人たちを保護しつつ、生命維持を中止するためのテクニックがあり、それは組織あるいは集団による行為であるべきだ。 実際、一九七〇年代末の、かの有名なカレン・アン・クインランのケースを機に、表立ってではないが社会全体が決定に参加するようになってきた。[…](p.229) この判決は、後のナンシー・クルーザン裁判への連邦最高裁判所の判決(一九九〇年)とともに、アメリカのDNR政策を刷新するものとなった。 ノーザン・ゼネラル・ホスピタルのあるナースは次のように話してくれた。 「カレン・アン・クインラン裁判の前にも、人工呼吸器を切ることは時々あったけど、今はもっと多くなったわね。個人的なかかりつけ医を部屋に呼んで、やってもらうことが多いみたい……[医者を]二五年もやっていれば、「この患者はもう回復することはないだろう」と言うこともできるわ。そして引き抜くの……チューブ類を取り去って、人工呼吸器を切るの。」【インタビュー】 人工呼吸器を外すことは最近始まったことではなく、変わったのはそのことが世間的にも法的にも認められるようになったことである。ペギー・アンダーソンは著書『Nures』の中で以下のように述べている。(p.230) 「この[クインランの]ケースは異例の事件である……延命手続きがもはや適切でないと判断された時には、患者を死なせる決断は毎日のように下されている。」 このような延命の中止は極めて一般的に行われていたが、クインランのケースで特筆すべきことは、それが法廷に持ち込まれ、世間に広く知られることとなった点である。さらに、この判決は多くの医療関係者にとって次のような意味で判断のよりどころとなった。第一に、この種の問題に法律家が介入する場合もあり、厄介なことになる場合も考えられること、そして第二に、生命維持装置の停止を裁判所が認めることもあるということである。クインランのケースは医療現場における倫理的判断に裁判所が正式に介入できることを印象づけ、またこのケースが有名になったことにより、医療関係者たちは自分たちの決定はもはや個人的なものではないと思うようになった。この意味で、クインランは生死に関わる決定の、全く新しい土壌を作り出したと言える。(p.231)」(Chambliss[1996=2002:229-231]) cf. Anderson, Peggy 1978 Nurse, Berlekey Books=1981 中島 みち訳、『ナース――ガン病棟の記録』、時事通信社 ◆玉川 よ志子 19830525 『終わりに言葉なきことがあり』,講談社,229p. 1200 玉川桂(東京都、一九六八年発症、七二年病名判明)は一九七三年三月に胃にチューブを入れる手術をした後で呼吸困難・意識不明になり、気管切開、人工呼吸器をつけた。「現在、この種の病気に対する医療の常道としては、呼吸困難に陥っても、気管切開→人工呼吸器(生命維持装置)までして、患者の生命の維持をはからないそうである(『カレン・アンの永い眠り』講談社刊。その他より)。私どもの場合、医療の常道が守られなかったことはさいわいだった。」(玉川[1983:64-65]●) ■判決 19760331 ニュージャージー最高裁判所1976年3月31日判決(カレン・クィンラン事件) 町野朔他編[1997:180-182] ■文献 ◆Colen, B. D. 1976 Karen Ann Quinlan : Dying in the Age of Eternal Life, Nash Publishing=1976 吉野博高訳、『カレン 生と死』、二見書房、225p. <207> ※ b d01 ts2008b ◆本間 康二 19760515 「一番大切なものは“生命=いのち”――「カレン裁判」をめぐって」,『月刊障害者問題』1 http://www4.famille.ne.jp/~aikoh/000honma-jidai-shyo_0252.html ◆唄 孝一 19760701 「解題・カレン事件――シュピリア・コートの場合」,『ジュリスト』616→唄[199011:247-288] ◆唄 孝一 19761001 「続・解題・カレン事件――シュプリーム・コートの場合」,『ジュリスト』0622 ◆本間 康二 19790515 「カレン裁判の全貌」,『月刊障害者問題』37(創刊3周年記念特集) http://www4.famille.ne.jp/~aikoh/000honma-jidai-shyo_0251.html ◆本間 康二 19790515 「カレンがともす灯」,『月刊障害者問題』37(創刊3周年記念特集) http://www4.famille.ne.jp/~aikoh/000honma-jidai-shyo_025.html ◆唄 孝一 19800315 「カレン事件をめぐって――ミューア判事にきく」,『ジュリスト』712(19800315),713(19800401),714(19800415)→唄[199011:331-361] ◆Battelle, Phyllis 1977 Karen Ann: The Quinlans Tell their Story, Doubleday & Company, Inc., New York=19790420 常盤 新平 訳,『カレン・アンの永い眠り――世界が見つめた安楽死』,講談社,339p. ASIN: B000J8HJH0 1400 [amazon] ※ b d01 ts007a ◆唄 孝一 19901130 『生命維持治療の法理と倫理』,有斐閣、453+8p. 10300 b d01 ts2007a ◆香川 知晶 20061010 『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』,勁草書房,440p. ASIN: 432615389X 3465 [amazon]/[boople] ※, b d >TOP ■ナンシー・クルーザン事件(1990年判決) 以下は、立山龍彦『自己決定権と死ぬ権利』(1998、東海大学出版会) pp.45-47 「第3節 死ぬ権利 1 ナンシー・クルーザン事件 @ 事案 交通事故による脳の障害で植物状態となったナンシークルーザン Nancy B. Cruzan(米国ミズーリ州、事故当時25歳の女性)は、昏睡状態のまま7年が経過した。31歳のナンシーは、自発呼吸はできるもののフィーディング・チューブ feeding tube で水分・栄養等を補給しており、生命維持治療さえ施せばこのままの状態で何等苦痛を感じることなく、30年以上は生き続けるであろうと医者団が認めていた。回復の見込みはないとの医師の判断の下に、ナンシーの両親は自分の娘がこのような状態で生き続けることを決して望まないであろうとして、彼女のフィーディング・チューブを取り外し、ナンシーを死なせる許可をミズーリ州高等裁判所に求めたのであった。同高裁は両親の訴えを認め、チューブの取り外しの許可を与えたが州側が上告したため、舞台は同州最高裁判所に移ることになった。(23) A ミズーリ州最高裁判所判決 原告である両親は、「ナンシーの憲法上の自由の権利が、フィーディング・チューブを胃の中に差し込まれ無理やり栄養をとらされている事実から、彼女を守ることができなければその権利は何の意味も有しない。ナンシー自身は植物状態であるから、その生命維持医療措置を拒否できないが、両親は娘のために行動することができる。」と主張した。 ミズーリ州最高裁の判決は、ナンシーの家族および友人達による「あいまいで当てにならない」彼女の意思に(p.45)ついての記憶は、ナンシーの栄養補給を止めさせる十分な理由にはならないとした上で、「州が重視しているのは生活の質の点ではない……もし、生活の質が問題になるのなら、あらゆる種類の身体障害者は、州が自分達の生命を断とうとしていると思うに違いない。州が重視していくのはむしろ生命そのものであり、絶対的なものである。」とした。そして、ナンシー自身は延命医療措置を拒否する権利を有するが、その両親は娘がそれを望んでいたということを法廷で証明し得なかったとして、両親の訴えを4対3で退けた。 この判決を不服として、ナンシーの両親は連邦最高裁判所に提訴したため、同最高裁はアメリカ合衆国憲法の自由の保障と、そこに必然的に含まれるプライバシーの権利が、自費のために餓死させる権利を含むかについて判断しなければならなくなり、連邦最高裁で審理される最初のケースとなった。 B 連邦最高裁判所判決 1990年6月25日、連邦最高裁は9人の裁判官全員一致で、「不治の病の患者あるいは末期患者は合衆国憲法上の権利(修正第9条)として、栄養や水分の補給を含む生命維持装置の取り外しを求めることができる」すなわち、「死ぬ権利」があることを認める歴史的判決を下した。しかし同判決は、この権利は絶対的なものではないと述べ、生命維持医療措置の拒否の決定が当人の意思が明確な時になされ、かつ合法的である場合にのみ認められるとした。従って、家族もしくは医師は当人の医師が明確に認識できない場合は、そのような選択をなすべきではないと明示した。 そして、ナンシー・クルーザンのケースに関して連邦最高裁は、ナンシーが自分の死をもたらすフィーディング・チューブの取り外しを意欲していたか否かは明確ではなく、その証明もないとして、両親の訴えを5対4で退けたのである。これはミズーリ州法が、生命維持装置取り外しの前提として、本人が死を望んでいる事実を示す(p.46)「明白かつ説得力のある証拠」、例えばリビング・ウィルのようなものを必要としていることを、連邦最高裁が認定したということである(24)。連邦最高裁はこの事件以前において、死の結果をもたらす医療措置の拒否が、合衆国憲法上で「死ぬ権利」として認められているということについては、何らの判断も示していなかった。すなわちそれらの問題は、州法によって規定されてきたのである。連邦最高裁は、合衆国憲法の法的手続条項において、少なくとも制限された「死ぬ権利」が定められており、この権利は今や国民的権利となりすべての州で尊重されるべきであることが保障されているとした。 連邦最高裁によってフィーディング・チューブの取り外しを否定されたナンシーは、その後彼女の元同僚が、ナンシーが植物状態になったら生きていたくないと話をしていた事実を証言したため、1990年12月14日ミズーリ州ジャスパー郡の検認裁判所は、チューブの取り外しを認める決定をした。そしてナンシーは12日後の同月26日に死去したのである。このような背景の下に、患者の意思と自由を法的に保護する要求がアメリカ全体に広がりをみせて、連邦政府は1991年12月1日「患者の自己決定権法」The Patient Self-Determination Act を施行するに至った。」 ◆19900625 「連邦最高裁判所1990年6月25日判決(クルーザン事件)」 町野朔他編[1997:194-200] ◆大野 和基 19910613 「ナンシー・クルーザンの「死ぬ権利」 ――安楽死・尊厳死は許されないのか」 『週刊文春』33-22:191-196 ※COPY ◆――――― 19910620 「ナンシー・クルーザンの「死ぬ権利」 ――安楽死・尊厳死は許されないのか・2」 『週刊文春』33-23:179-184 ※COPY ◆――――― 19910627 「ナンシー・クルーザンの「死ぬ権利」 ――安楽死・尊厳死は許されないのか・3」 『週刊文春』33-24:186-195 ※COPY ◆――――― 19910704 「ナンシー・クルーザンの「死ぬ権利」 ――安楽死・尊厳死は許されないのか・4」 『週刊文春』33-25:77-82 ※COPY ◆――――― 19910711 「ナンシー・クルーザンの「死ぬ権利」 ――安楽死・尊厳死は許されないのか・5」 『週刊文春』33-26:47-52 ※COPY ◆――――― 19910718 「ナンシー・クルーザンの「死ぬ権利」 ――安楽死・尊厳死は許されないのか・最終回」 『週刊文春』33-27:49-54 ※COPY ◆立山龍彦 1998 『自己決定権と死ぬ権利』、東海大学出版会 唄:プライバシー権と言わない。Liberty Interestと言う。 (これもどういう意味があるのか。) 本人の意思を必要とする。 それを強調することによって、自己決定権を強く認めた判決とみるか 外させないために、それを強調しているのか その評価が微妙なところ だが 連邦裁判所から 州にかえって 3人の証言が クリア・アンド・コンビンシングなものとして 取り外しを認めた。 ■H.ワシントン州「イニシアティブ119」法案否決 1991 全米で初めての「医師による末期患者の自殺幇助を認める法案」が、住民投票でその法制化の可否を問われた。内容は@2名の医師が余命6ヶ月以内と診断、A知的精神的判断能力のある成人のB自主的な要求、C親類以外の2名の証人の前で死ぬ意思を表示する宣言書を書く、等の条件を満たせば医師は自殺幇助罪に問われないとするものである。結果は賛成46%で法制化は失敗に終わった。 ◆成田薫編『年表が語る協会20年の歩み』.pp96‐97、日本尊厳死協会、1996. ◆ジャネット・あかね・シャボット、星野一正(監修)『自ら死を選ぶ権利 オランダ安楽死のすべて』pp227‐231、徳間書店、1995. ■Kivorkian, Jack 「ジャック・キヴォーキアン 1928年生まれ。ミシガン州の医師。医師による自殺介助を法制化する活動とともに、90年からは自ら開発した自殺装置による自殺介助を実行し、これまで120人以上の患者が彼のもとで自殺。数度にわたって逮捕、告訴、医師免許も剥奪されるが、いずれも無罪評決を受ける。98年11日、安楽死を望む末期患者に自ら薬物を注射し、その場面のビデオを米CBSテレビ「60ミニッツ」で全米に放映、議論を巻き起こす。通称Dr.Death」(『死を処方する』の「帯」より) ◆「ジャック・キヴォキアン(Jack Kivorkian)関連事件年表」 町野朔他編[1997:111-118] ◆1986 オランダでの安楽死のことを知る。 「私が初めて、この注目すべき「良識の勝利」のことを知ったのは、一九八六年のことである。私は、死刑囚に対して実験を行なうという私のコンセプトを、安楽死を選択した患者にまで拡張するという案を思いついた。」(Kivorkian[1991=1999:260]) ◆1987 オランダ訪問 「私は、まず自由安楽死協会のオフィスに向かった。それから一週間というもの、私はこの協会の理事といろいろな話し合いをして過ごした。そしてこの国に於いても、安楽死は依然として非合法であり、国会はこれを合法化するつもりもない、ということを聞いてやや落胆した。この公然たる偽善は、控えめに言っても、苦々しいものであった。 失望はそれだけではなかった。私の長年の課題であった、全身麻酔下の実験という考えが、それとなく拒絶されてしまったのだ。理事は、私の考えはあまりに過激すぎる、と懸念を表明した。」(Kivorkian[1991=1999:260]) ◆19900604 Janet Adkins(54歳、アルツハイマー病)の自殺を幇助。Adkinsはキヴォキアンの自動車の中でキヴォキアン考案の自殺装置により薬物を注射して死亡【1件目】 〜 ◆19961023 キヴォキアン、Barbara A. Collins(65歳、卵巣がん)の死体を病院に運び込む【45件目】 〜 ◆19970203 Elaine L. Day(79歳、筋萎縮性側索硬化症)の死体が検視官事務所に注射中のキヴォキアン所有の自動車の中で発見される。また、Lisa Lansing(42歳、クローン病)の死体が同人の友人によって病院に運び込まれる。両件に関するキヴォキアンに対する捜査は、いずれも証拠不十分で打ち切られた。 (上記「年表」より) *◆Kivorkian, Jack 1991 Prescription Medicine: The Goodness of Planned Death, Prometeus Books, New York=19990305 松田和也訳、『死を処方する』、青土社、351+11p. 2200 1 処刑、七月一三日 2 その時、実際に起こっていたこと 3 ある理念の復活 4 宣告される死の種類 5 最善の処刑法 6 サクラメントからの凶報 7 死刑囚監房からの声 8 「まるでサーカスの曲芸だ!」――ある「生体実験」のエピソード 9 「ヒポクラテスの誓い」(ヒポクラティック・オウズ)ならぬ「偽善的な馬鹿ども」(ヒポクリティック・オウフス) 10 日の下に新しきものは無し――死刑囚と医学の関係小史 11 宇宙時代の医学、石器時代の倫理 12 道徳に対するリンチ 13 死の谷の慈悲殺――安楽死と自殺介助 14 真の慈悲とは何か 15 医殺(メディサイド)の誕生 自殺機械「マーシトロン」を用いたJanet Adkinsに対する自殺幇助についての記述 「今やいわゆる生命倫理学者たちから賞賛されるまでになった安楽死推進派の人々だが、彼らかの意図と行動が極めて臆病で、秘密主義で、場合によっては詐欺的なものであるのに対して、私の行動はオープンで、倫理的で、合法的で、そして完全かつ妥協を許さない誠実さを保っていた。」(p.310) 16 予後―医殺――進歩か、堕落か 「死刑囚に、自分自身でマーシトロンを操作するかどうかを選ぶ権利を与えるのだ。その死刑囚にその価値があるかどうかは別にして、そのような形で(p.322)当人の自己決定権を尊重することによって、処刑という行為をより人道的なものにし、それを行わせている社会の道徳性を高めることができるだろう。 多くの(おそらくは殆どの)死刑囚がその選択肢を歓迎するだろう、と私は確信している。少なくともそれによって、ほんの僅かではあるが、当面の状況と自分の死のプロセスを自分自身で統御することが出来るのだから。」(p.323) 17 医学のスペクトルの完成 補遺 翻訳者あとがき 参考文献 索引 ●言及 *◆Hendin, Herbert 1997 Seduced by Death: Doctors, Patients, and Assisted Suicide、Georges Borchardt, Inc.=20000330 大沼安史・小笠原信之訳、『操られる死――<安楽死>がもたらすもの』、時事通信社、323p. 2800 pp.39-43 ◆立岩 真也 2001 「死の決定について・1」 『看護教育』42-4(2001-4) ■文献(発行年順) ◆立山 龍彦 1998 『自己決定権と死ぬ権利』 東海大学出版会、153p.、2200 ◆星野 一正 19971130 「オレゴン州尊厳死法の住民投票による容認」 『時の法令』1558:62 ◆星野 一正 19970730 「自殺幇助を禁ずる州法は合憲と米国最高裁判所」 『時の法令』1550:60 ◆星野 一正 19970530 「米国議会にて自殺幇助医療費制限法制定」 『時の法令』1546:55 ◆星野 一正 19960630 「緩和ケアをめぐる問題――裁判における医師による自殺幇助容認の傾向」 『時の法令』1524:62 ◆大野 和基 19910613 「ナンシー・クルーザンの「死ぬ権利」 ――安楽死・尊厳死は許されないのか」 『週刊文春』33-22:191-196 ※COPY ◆――――― 19910620 「ナンシー・クルーザンの「死ぬ権利」 ――安楽死・尊厳死は許されないのか・2」 『週刊文春』33-23:179-184 ※COPY ◆――――― 19910627 「ナンシー・クルーザンの「死ぬ権利」 ――安楽死・尊厳死は許されないのか・3」 『週刊文春』33-24:186-195 ※COPY ◆――――― 19910704 「ナンシー・クルーザンの「死ぬ権利」 ――安楽死・尊厳死は許されないのか・4」 『週刊文春』33-25:77-82 ※COPY ◆――――― 19910711 「ナンシー・クルーザンの「死ぬ権利」 ――安楽死・尊厳死は許されないのか・5」 『週刊文春』33-26:47-52 ※COPY ◆――――― 19910718 「ナンシー・クルーザンの「死ぬ権利」 ――安楽死・尊厳死は許されないのか・最終回」 『週刊文春』33-27:49-54 ※COPY ◆宮野 彬 1986 「アメリカの二〇を超える尊厳死法とわが国における立法の問題」 『年報医事法学』1 ◆Sarda, Francois 1975 Le droit de vivre et le droit de mourir, Seuil =19880229 森岡恭彦訳、『生きる権利と死ぬ権利』 みすず書房、345p. 2000 ◆日本安楽死協会 編 1979 『アメリカ八州の安楽死法(原文全訳)』 人間の科学社 2000 ◆日本安楽死協会 編 19770430 『安楽死とは何か――安楽死国際会議の記録』 三一書房、209 p. 950 ◆Hendin, Herbert 1997 Seduced by Death: Doctors, Patients, and Assisted Suicide Georges Borchardt, Inc.=20000330 大沼安史・小笠原信之訳、『操られる死――<安楽死>がもたらすもの』 時事通信社、323p. 2800 ※ ◆アメリカ(オレゴン地区)連邦地方裁判所 19950803 「アメリカ(オレゴン地区)連邦地方裁判所1995年8月3日判決(オレゴン州尊厳死差止訴訟)」 町野朔他編[1997:098-102] ◆アメリカ(第九巡回区)連邦控訴裁判所 19960306 「アメリカ(第九巡回区)連邦控訴裁判所1996年3月6日判決(ワシントン州自殺幇助規定違憲訴訟)」 町野朔他編[1997:102-109] ◆アメリカ(第二巡回区)連邦控訴裁判所 19960402 「アメリカ(第二巡回区)連邦控訴裁判所1996年4月2日判決(ニューヨーク州自殺幇助規定違憲訴訟)」 町野朔他編[1997:109-111] ◆(Kivorkian, Jack) 「ジャック・キヴォキアン(Jack Kivorkian)関連事件年表」 町野朔他編[1997:111-118] ◆清水 一成 19970420 「アメリカの尊厳立法と尊厳死判例 1尊厳死立法 資料解説」 町野朔他編[1997:153-154] ◆カリフォルニア州 1976 「1976年カリフォニルア自然死法」(抄) 町野朔他編[1997:155-158] ◆アメリカ合衆国 1989 「1989年統一末期病者権利法」 町野朔他編[1997:158-166] ◆カリフォルニア州 1994 「1994年カリフォニルア委任状法」(抄) 町野朔他編[1997:166-170] ◆カリフォルニア州 1994 「1994年カリフォニルア自然死法」 町野朔他編[1997:170-177] ◆清水 一成 19970420 「アメリカの尊厳立法と尊厳死判例 2尊厳死判例 資料解説」 町野朔他編[1997:178-179] ◆ニュージャージー最高裁判所 19760331 「ニュージャージー最高裁判所1976年3月31日判決(カレン・クィンラン事件)」 町野朔他編[1997:180-182] ◆マサチューセッツ最高裁判所 19771128 「マサチューセッツ最高裁判所1977年11日28日判決(サイケヴィッチ事件)」 町野朔他編[1997:183-185] ◆カリフォルニア州控訴裁判所 19860416 「カリフォルニア州控訴裁判所1986年4月16日判決(ブービア事件)」 町野朔他編[1997:185-189] ◆ニュージャージー最高裁判所 19850117 「ニュージャージー最高裁判所1985年1月17日判決(コンロイ事件)」 町野朔他編[1997:189-194] ◆連邦最高裁判所 19900625 「連邦最高裁判所1990年6月25日判決(クルーザン事件)」 町野朔他編[1997:194-200] REV:.....20040609 20050115 20071125 ◇安楽死・尊厳死 ◇アメリカ合衆国 |